世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年03月30日(火) 帰宅

珍しく香川が雨になった。
昨日は、キンキンお天気の中、出釈迦寺奥の院まで、そして、裏の行場を登った。
以前は、誰もいなくて高所恐怖症の私、降りられなくなったらどうしょうと思っていたのだが、今回は車がいくようになったせいか、人が絶えず登っているので挑戦した。
登れました。
けっこう楽勝でした。
去年の大峰が役に立ってるかなあ・・・。
たっかいところから、下を見下ろしして、ホント気持ちよかった。
でも、お大師さん・・・恐くなかったのかねえ・・なんて。
満月の夜、いつか私もおこもりに来たいもんだわ。

町中の桜が雨風でずいぶん散っている。
花に嵐とはこのことだ。
明日は上がるといいのだが。



2004年03月28日(日) 弥谷寺からくだる

香川、いい天気である。
今日は、弥谷寺さんから、海岸寺さんへ下った。
早春の山道歩きだ。
気分良かった。
ただ、地元の人に忘れかけられた道、荒れていた。
で、途中に、地元の方々(副総代)が「ブドウ祭り」の話し合いをしているところに出くわして、この道をよくしてくれ、という話で、30分近くも話し込んだ。
その方型、自分らも子どもの頃に歩いた道だ、いずれ、ちゃんと整備したいとやくそくしてくれた。

海岸寺で、たまちゃんとお父さんと会った。
で、一緒に仏母院と道隆寺さんまで。
楽しかったよ、たまちゃん、ありがとう。



2004年03月27日(土) こんぴらさん

今日は、金比羅さんのてっぺんまで登ってきた。
奥宮からの景色は絶景だった。
この象頭山、なかなかに気があるお山だ。
特に、スサノオさんから上、奥宮の近辺。
さくらが、ぼちぼち見頃となってきていた。
しかし、大昔(今から20年以上昔)のこんぴらさんて、もっと人が多かったような。
さんどう、ひとのかたがぶつかる・・・という印象があるのだが・・・・
マル金マークのこんぴらさん、今やマル貧、ジリ貧、という気配。
なんでかなあ・・・・と思ったのでありました。



2004年03月24日(水) 桜がかわいそう

寒い雨が降っている。
桜が、ホントかわいそう。

忙しいのに、親戚のお嬢が高校入学の「新入生誓いの言葉」を読む役をおせつけられたのだが、そもそも理系の彼女、原稿作成ができない。何を書いてよいのかワカラン・・助けて、というfaxが入った。
で、「外では、桜の花びらがわたしたちの入学を祝うように舞っています」なんて、美辞麗句(はっずかしい)並べ立てた「誓いの言葉」を作成した。
faxで送ったら、ほんにんから「ありがとう」
「内容ではなくて、明るく言葉はっきり、ゆっくり、楽しそうに読めばおめでたくなるから」
などと、シャイ気味の彼女にアドバイス。
先生、ミスキャストだよな、お嬢は成績はいいんだろうけど、もっと、はまりの子がいるだろうに・・・・
しかし、
なんだか、渋谷の恋文横町の代筆屋になったような気分だった。



2004年03月23日(火) 犬の想像出産?!

大伯母の命日なのでお参り行ってきた。
で、親戚には、ビビちゃんという、黒いプードルがいるのだが、そこ仔が昨年の12月に「想像出産」なる「病気」・・子を産んだつもりになって苦しむ、ご飯食べない、で大変だったという話を聞いた。
ビックリしたわ。
母性本能の強い仔らしいのだ、ビビちゃん。
人間の場合は想像妊娠、だが犬はいきなり「出産」らしい。

桜が咲き始めた。
しかし、寒い。
花がかわいそうだわ。



2004年03月20日(土) 友人からのメールと宮沢賢治

昨日の日記を読んだ高校時代からの友人からのメールで、芝公園へデモに行ってきたとのこと。

今日はあいにくの雨で、靴の中までビショビショになり寒かったです。でも芝公園いっぱいのひとが「イラク派兵反対」の声を上げました。


こういうこと、大事だよね。

・・宮沢賢治の詩から・・・・
みんな むかしからの きょうだいなのだから けっして ひとりを いのってはいけない
わたくしは ただの一どたりと あいつだけが いいところにいけばいいと そういういのりはしなかった と おもいます
  *あいつ→結核で若くして逝った妹トシ

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が好きなフレーズだ。
今、わたしたちは平和を享受しているからこそ、自分のことだけを考えてはいけないし、みんなの幸せに思いを馳せなければならないと思う。
宮沢賢治「農民芸術概論」より
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことなのだ」
部屋の整理をしていて、またしても私の病で、でてきた宮沢賢治を読みふけってしまったので・・で、友人からのメールと「そうだよね」と感じてしまったわけであります。
ああ・・例のごとく、部屋の掃除進みませんわ。



2004年03月19日(金) イラク戦争1周年

昨年の今頃、世界は凍り付いていた。
ブッシュの、イラクへの攻撃開始。
私も、デモに足繁く通っていた。

昨夜、友人から、明日デモがあるよ、と誘われたが、ちょこっと忙しすぎでごめん、いけないと断った。
残念。
この一年でどれだけ多くの人がイラクで死んだのか?
それも、女・子供が・・・
そういう意味でも、いきたかったが、ねえ。
日本はどこまで「憲法違反」するんだろうか。
スペインテロのお次は日本かも・・と考えていいだろう。
テロリストたち・・・まず飛行機沖縄線、東海道新幹線辺りを狙うだろうな。

人間も種の一つだ。
大量絶滅種のひとつに意外とはいっていたりして。



2004年03月18日(木) キムタクに似ていたらねえ・・

出先から帰ると、お隣の部屋のドアの前に警官の姿がある。
「なんかあったんですか」
「いえ、じゅんかいですよ」
「以前、ピッキングにあったんでお巡りさんお姿を見ると不安になる」
「あ、わたし、そのときにきたような・・・覚えていませんか」
「・・・すみません、ちょっと覚えていない・・・キムタクみたいだったら記憶にも残るんですけど」(笑)
「ウヘ・・きついなあ」(苦笑い)
神奈川県警の若警官にすこしだけブラックジョークの昼下がりでした。

豚ペストだとか。
牛、鶏、次は豚だ、とわたしはいっていたんだけど。
やはり、きたか。
ヒトには移らないということだが、しかし、SARSだって、最初の最初はヒトにうつらないウイルスから始まったというし。
突如、もっと悪質変化したら、うつるようになるぞね。
神仏は、「大量の鶏を処分」したヒトどもを見ておられるよ。
絶対つけが来る、罰が当たる。
何で、「鶏を殺した」といわんのか。
何で、処分なのか・・・ひどい話じゃないか。鶏だって「命」なんだぞ。
売春というと、きびいしいが、援助交際というと許せる、みたいな言葉のアヤが「処分」と「殺す」の使い方にはあるように思う。
タマゴも、肉も、70度以上で何分間か煮沸したら菌は死ぬのだ。
何で、肉を加工して食べるようにしないのかなあ。
鶏を大量に殺戮すること止めて欲しいと切に思う。
わたしは、卵は今まで通りに、焼いたりゆでたりして食べている。
もともと生卵は食べないヒトだったから・・・。

今、地球は種の大量絶滅時代に入っているということをなんかで読んだ。
鶏インフルエンザも豚ペストもその流れか・・・

なんだか、忙しい。
日記、かなり時々歯抜けしますが.
お許しを。



2004年03月15日(月) 顔がピキピキ

午前中に父の病院に行って、熱の具合を見る。
今日は下がっていた。
目も開いた。
ヨーグルトと冷たい水をおいしそうに飲んだ。
やれやれだ。
ホッとして帰ってきた。

このところ、ずーと左目辺りが神経が走るというか、ピキピキする。
疲れだろう、そのうちに治るだろうと思っていたのだが、治らず。
で、夕方ついに、鍼灸院へ行った。
ああ久しぶりだねえ、疲れだよということで、鍼とマッサージ。
疲れによる顔面神経痛だそうな。
同じくここに通う友人たちの噂が話題になった。
あれこれ、話ながら、1時間。
自分の体がすっかり固くなっていることに気がついた。
「2,3日中にピリピリ取れると思うよ」
ピリピリではなくて、ピキピキって感じなんだけどね。
で、今帰ってきてパソコンを眺めているが、ピキピキは来ない。
ちょこっと、突っ張る感じだけど。
治ったのかな。






2004年03月14日(日) おもしろい卒業式

今朝はやくから、同じ町内の母のお茶のみ友だちのお客さんが来て、自分の娘さんの高校のおもしろい卒業式の話をしていった。
「卒業証書授与、で卒業者の名前が呼ばれると、みんな、にゃん、とか、わああん、わんわん、クイーンといって返事をするんだて、もう、孫の卒業式を見に来ていた婆ちゃんたちはびっくり」
さらに制服のない高校なんで「コスチュウム卒業式」になる。
「いやあ、全身真っ白、髪まで白く染めて、ほんの一部を茶色にして」とか「ほっぺたの片一方に桜吹雪、もう一方に祝文字を書いて」とか「ピエロのかっこでカラフルで」とか・・「かっこうは奇抜だけど、静かで落ち着いた卒業式。なにより、嘘の答辞がおもしろくて親たちもお笑い」
 行きもしないところに修学旅行に行った想定ですばらしい「フィクション答辞」が朗読されたらしい。
とにかく、たぶんで公立の高校にしてあんな卒業式は日本を探してもないのではという感じ。
実はここ、私の母校である。で、姪にとっても、母校である。
昔の女学校・・・だけど、もちろん今は共学。
私の時からそうだったのだが、先生がそういう生徒を見守れる学校なのである。
共学になったのも、制服がなくなったのも先生が生徒たちをリードしてそうなった。県教組の牙城だったこともあるが、先生たちが「自由」の意味をよく知っていた。
すばらしい学校だ。
私にとっては、誇れる母校なのだ。
高校時代の世界史の先生が「君たち、将来旅行に行くときや言葉を勉強するときはまず、自分の国に近い国、ロシア、韓国、中国へいく、言葉を学ぶことが大事だ」と話しててくれたとき、私の目からは鱗が何枚も落ちたもん。
先生の名前は伊藤敏先生。(通称、イットビン)
今も私たちの頃伝統が引き継がれているようでうれしい。
動物の鳴き声で返事をするという大人が眉をひそめそうなことをあえて許した先生は立派。それで、羽目を外さず、聞くときにはしっかと静かに話を聞いている卒業生たちも偉い。(昨今の成人式とは大違い)
朝から、楽しい話を聞いた。

父の病院へ。
いったら、三八度からの熱が出ていて、苦しくて目も開けられない状態。
ヨーグルトを一つ食べさせて、お水をごっくんごっくんといくらでも飲んだ。
要するに、誰かが持ってきた風邪菌がついたんだろうねえ。
車椅子に乗せてお散歩でも、と思っていったのだが、それどころでなかった。
まあ、私はわかったようでよかったが。
心配しても詮無いことなのだが、ちゃんとお水をのませてもらっているか気になる。何しろ、口を利いてああして欲しい、こうして欲しいはほとんど言わない状態なので。
家にいたら、そばで水を数時間おきに飲ませたら、熱も下がりが早くなるのだろうが・・・・。

ホワイトデーのお返しで、弟がお寿司をごちそうしてくれた。
ふきのとうの天ぷらも食べた。
大好物。これ、越後早春旬の味。最高だった。



2004年03月13日(土) 姫路から新潟

姫路の破磐神社へ「お遍路無事結願御礼」のお参りに行った。
歩きの前、正式参拝にお参りした折りに「無事結願」をお願いしたので・・・
で、お参りの後、姫路dさんと宮司さんご夫妻と楽しくおしゃべりの時間。
土曜なので、正式参拝が入っていてお忙しいのでは、と思ったのだが、ちょうど今日はご自分のお参りもあってあけておられる日で、ラッキーだった。

dさんと宮司さんご贔屓の洋食のレストラングーさんでランチ。
エーと姫路名物の何とかいうウナギの親戚じゃない、あなごの親戚?と、エビ、貝のトマトスープ。すごくおいしかった。デザートのプリンも絶品だった。
dさんに駅まで送っていただいた。
(ありがとうございました)

1時過ぎの新快速で大阪に出てサンダーバードで金沢。娘さんが送ってこられて、芦原温泉までいらしたおばあちゃんは、なんと90歳だった。なのに、ビール飲んで私がいい気分で寝ているのに、週刊誌なんぞを読んでいらした。元気やのう。
送りに見えた娘さん(といっても、私以上のおばさんであったが)に「芦原温泉で降りますので、よろしくお願いします」といわれていたので、出口まで、荷物を持ってお供した。

金沢に着いて特急北越までの待ち時間1時間半あまり。待ち時間に、おしゃれな駅ビルを眺めてなんだかラーメンが食べたかったので、金沢名物を横目に坦々麺なんぞをたべてしまった。
特急券を、金沢、、直江津、と乗り換えるように買っていて、しかし・・・なあんにもない直江津駅で1時間半待つのはいやなので、車内で聞いたら、金沢で乗り換えがいいと・・で、なんと特急券分1000円ほどが安くなって戻ってきた。にぎやかな金沢で待って、お金が戻ってきたのはラッキー。でも、そのお金で、駅ビルで春向き(ははは、お遍路・巡礼向き)帽子がバーゲンしていたので買ってしまって同じかあ。(笑)
北越は、学生時代、帰省によく乗ったので懐かしい列車。
しかし、ぼろい。
車両ドアが手動なんて、ひっさしぶりだわ。
きったないしね。
と、書いたら、前の席で客「これ、昔の国鉄そのまんま、みたいだね」車掌「ええまあ・・」なんて会話。
国鉄・・・ひゃあ、なつかしか。
(今列車内で書いている)
昔は大阪からストレートで行けたのが、北越、白鳥とあったのだが、白鳥がなくなって北越が金沢から発になって・・しかし、列車は変わっていないのがねえ。

景色も、今日が暖かかったせいか早春の気配があって、さらには道路が新しくなっている以外にあんまり沿線自体は変わっていなくてなんだかセンチメンタルジャニー。
そうそう、加賀温泉に大船観音みたいな巨大観音様ができていた。
あれは昔なかった。

往事茫々。
光陰矢のごとし、という言葉の実感がこのごろある。



2004年03月11日(木) 黄砂が飛んでも、遍路は歩く

昨夜からすごい風だ。
風だと、通常、富士がクリアになるのに、風が運んできた「黄砂」で富士視界ゼロ。
温度も高くて、暖かし。
マジ、春が来た?

今土佐路を歩いている友人より、メール。
な、なんと温泉に泊まりたいばかりに、昨日は、5時に中山峠を越えて、暗くなって半べそ。
こりずに、きょうも温泉には入りたいから、黒潮ホテルまで行くという。
45キロもある。無理やっちゅうねん。
それとも、朝5時にでも出ているのか・・と電話したら、朝8時半すぎ、まだ神峰の登り口にも到達していない。
聞けば、ちゃんとご飯を7時に食べて出たという。
「アノね、45キロを歩こうって時はそういうのなし、5時出よ、5時」
「ええ、そんなにあるのん?30キロくらいと思うけど、私の計算は適当なんじゃけどね」
初遍路の人が距離計算、適当でどないするねん。
マジに45キロはある、無理だし、黒潮ホテルをキャンセルして、もっとこっちよりにしなさい、というも、だって温泉はいりたいし、おじさん遍路の人は黒潮ホテルはいいよ、と教えてくれたと・・・もう・・私、ややあきれた。
松山人は、やはり温泉にこだわるねえ。
でもまあ、もともと素直な賢いお方、神峰はきついということを登り始めて実感してキャンセルの電話をしたらしい。
やれやれ。
高知は、こちらほど、風は強くないが、天気は今ひとつらしい。

久しぶりにコンビニで「キューイヨーグルト」なる「NEW」もの・・私にとって・・を買って食した。
まじい・・やはり、キューイは、本物にヨーグルトをかけるのが正解だ。



2004年03月10日(水) お久しぶりねえ、なんて・・・

遅ればせながら、泊まったお宿やら、お世話になった(車お接待など)方々に結願御礼のハガキを作った。
で、夕方出しに行ったついでに、東急の魚売り場に。
ぷりぷりに太ったホタルイカを買ってきた。
完熟の高知トマトも。
ついでに、バックのイノウエに引っかかってクロの軽そうなヤツ・・あんまり高くないけどデザインはおしゃれって感じのものを衝動買い。
イノウエのバック、何となはしにおしゃれで昔から好きだった。
衝動買いバック、海外にも程良い大きさだし。
でも、春から心機一転で暮らす予定なので、海の外(パスポート付き)は縁遠くなりそうだ。
アッと、思い出して、カイちゃんに卒業祝いの定期入も買った。
カイちゃんは、もへじ塾に来ていた男の子、今春中学を卒業して高校入学のはずなので。
これで、一応、私の塾に最後まで来ていてくれて「卒業」していった子どもたちのすべてが中学を卒業した。
あ、すべてではない。
もう一人いたが・・・彼は小学1年生で、不登校、私の所に来ていたときは2年だったけど・・・途中で来なくなった・・。
「卒業」(私のところ)という意味では違うが、どうしているだろうか。

ホタルイカ、おいしかった。
これまた、春の味。
でも、寄生虫が何タラで厚生省が規制をかけたとかで、ナマで食べられなくなったのが悲しい。
今日食べたような、ぷりぷりデブなヤツは、ナマなら、絶対うまいのに。
沢山は、いらないが少しだけ・・がナマのホタルイカの場合うまい。
絶品。
辛口の冷酒が合う。
ドライな白ワインでもいいけどね。
ホタルイカを食べながら、想った。
エリトリア人、これ、くわないだろうな、と。
私が、1頭まるまるの鶏とか、羊を見たらヒクのと同じに彼ら、このイカの形相、あるいはまたタコの形相を見たら、逃げるだろう。
食文化って、おもしろいよね。

やること諸々がすべて終わったわけではないが、(というか全然終わっていない)がなる。
、お久しぶりの日記でした。
なんだか、春先って季節変化につていけなくて「鬱っぽく」なる。
で、疲れもまだ、身体のどこかにあるのかごろごろ時間が多い。
今にカフカじゃないけど、芋虫になっていたらどうしようかしらん、なんて。



2004年03月05日(金) 閑話休題

母ジャヒト(歌舞伎でこの言い回しを聞くたびに、者人?でいいのかな・・と思ったが、今だはっきりせず)は、姪をお供に帰った。
やれやれ。
掃除、洗濯、さまざまな片づけ、おしごと、確定申告・・・いろいろとつまんないこと山積です。
あああああ・・・・・・!!!!
で、しばらく日記を休みます、です。
みなさん、それではしばしのおいとまを。m(_ _)m



2004年03月04日(木) 成田山のお不動様へ

母が姪をお供に成田山のお不動様参りに来た。
恒例だが、今年は早い。
ろくにうちにないので、うちの中はボロボロ・・今朝は早起きで掃除をザッとして上野に行った。
で、3人で成田山へ。
縁日ではないので、そう混んではいなかったが・・・それなりにお護摩の時は人が多かった。
姪は小学生の時から、(こずかいをたっぷりもらって)母のお供をしているのでいつの間にかお不動さんのご真言まで言えるようになっている。で、成田山のいろいろも熟知していて。しかし、まあ今年春からは役所勤務だし・・・ババのお供は今年限りか?
卒業旅行で、2月にイタリアに行くも、荷物がピッキング遭った話なんぞをしていたら、帰りもアッという間に上野。
まあ、飛行機がアエロフロートじゃねえ。
アエロにのったら、あとはどんな飛行機もすてきに見えるし、よかったかな。

夕方、行きつけの鍼灸医さんに母を連れていって、私はうちに帰って部屋あっためと夕食準備。
本日は寒い日でした。夕方、我が町にも風花が舞い落ちた。

夕食といっても、美味しいお刺身が少しあればという母のことば通りに、天然のひらまさ、白魚、鯛やヤリイカなど。それに小田原産のアジのお寿司、もずく、トマトとゴボウサラダ、姫路のくぎ煮(解禁日のモノを頂きました、うちの母と姪の好物、お代わりまでして食べていた)豆腐のおすまし・・それにイタリアワイン。
とまあ、ヘルシー。
私のつくったモノは、おすましだけ。あとは、見栄えよく盛りつけただけ。
ホント、ここんとこ、料理してませんわ・・・トホホ。



2004年03月03日(水) やはり、足が・・・

もも筋肉がやや痛い。
初めにできたマメも、新皮ができて一新されたし。
20日歩きの時間を感じる。
きょうは、いろいろとやることがあったのだが、昼からはなんだかお疲れ気味で、お昼寝をしてしまった。
まあ、たまにはいいか・・・

溜まっていた郵便物整理。
愛読誌の旅行人が季刊誌になるのだとか。
毎月のお楽しみが減りましたわ。残念。

明日は、母が来る。
これから、少し、掃除をせねば・・・
日常生活に戻るのも大変だ。



2004年03月02日(火) *帰宅

福智院の朝のお勤めは、6時半から7時過ぎまで。
その後の住職のお話が「高野山を初めとした和歌山の大峰などは世界遺産に登録される。わたしたちは檀家をお持たないし、この大きなお寺を維持するにはお金がかかる、温泉を掘り当てて、この機会にさらに大勢の方に高野山に来ていただかないと」みたいな内容をふくんで、まるで中小企業の経営者的発言だ。
多くの方が反対にしているにもかかわらずお大師さんのお山を1500メートルも掘り下げて温泉を掘ろうという福智院の住職のお言葉にはなんともはや。
昨日、案内をしてくれたお坊さん曰く「個人的には、私も反対です、今でも旅館の番頭みたいなことしてるのに、温泉がでたら、今度は温泉観光旅館の従業員で、坊主であること、忘れそうですわ。でも、住職がやる、いうてもう始まっていますしね・・・」
実に明快な言葉である。
「私も反対、備考欄(宿泊者カード)に温泉反対って書きましょか?」
といったら、「それはちょっと・・」と苦笑いされた。
福智院は、広大な建物、さらには温泉のような立派なお風呂、トイレも、一部洋式の水洗・・とかなり配慮されている。料理は、しかし、ワタシ的にいえば、昔2回泊まった恵光院のほうがいい。
1万円コースは、一番安いランクだし、仕方ないといえば仕方ないが・・・

8時半発。
さすがにまだ寒い。
金剛峯寺をお参りして、Mさんご夫婦とKさんは喫茶店へ。
私は、お土産屋さんへ。
その後バスで絵、高野山駅へ。
10時過ぎの電車に乗車。
Mさんご夫婦は、九度山の慈尊院へ、ということで九度山下車。
またね・・ありがとうございました、と別れを惜しみました。
mさんの奥さんはすごく明るくて、知多八十八ヶ所の説明をいろいろして下さった。今度行かねば・・・
足のよくないKさんだが、東寺にいってないというので京都の東寺へ向かう。
北海道に行ってしまえば、そうそう来れないと思うし。
Kさんの亡きご主人は、「まっしぐら」系の方で、高野山の奥の院をお参りすると、それこそどこにも寄らずに(お遍路もそういう巡り方で、お遍路が温泉なんて、と確か道後温泉も素通りだった)千葉の自宅にまっしぐらに帰宅した。
で、東寺についての知識がないKさんに東寺の説明。
「身は高野、心は東寺に納めおく」だったけな。
東寺の御影堂は私の好きな場所、私もお参りできて嬉しかった。
久しぶりに500円払って、金堂や講堂もお参り。
いつもの事ながら、ここの立体曼陀羅には圧倒される。

京都発5時26分の新幹線で帰着。
新横浜に止まるのぞみだったが、昨日の奥の院迷い事件もあるし、夕方ラッシュの東京駅で迷子になって、「なんだか、違う電車に乗ったみたい」なんて電話をもらうのも困るので、東京駅まで行って、山手線(上野駅方面)のホームの登るKさんを見送って帰った。
「上野駅に着いたら、栢行き、大丈夫ですよね」
と念押しをして。
これでOK。

自宅着7時少し前着。
8時少し前に、Kさんから無事につきましたの電話。
すべて終わった。
応援して下さった方、お接待して下さった方、おめでとうメールを下さった方々ありがとうございました。
おかげさまでした。

都会に帰って思うこと。
都会人の顔、死んでいる・・・四国を歩いている人の晴れ晴れとした、感情の動きがよくわかるいきいきとした表情を見てきた目には、都会人の顔の無表情が何とも恐い、と思った。



2004年03月01日(月) *高野山、満願

8時過ぎ、たまちゃんご一家と1番霊山寺へ。お礼参りの後、さらにお送りいただいて、徳島駅。駅発、11時の難波行きバス乗車。難波着、1時45分、2時の電車で高野山へ。
道中、一つ、不思議なことがあった。
高野山行きの電車の中、私は本を読んでいたのだが、橋本駅近く、なんと、山田行者さんに遭遇。あちらから、声をかけていただいてびっくり!!
「ワシ、3駅、あんたじゃないかとおもったんやけど、悩んで恥かいてもいいし、と思って声かけたんやけど、やっぱりあんたやったか」
私も電車に乗る前に、山田行者さんのことが頭の隅をかすめて思い出していたんだけど、まさか、まさか、お会いするとは!!
あちらも、手にたくさんの写経、それを、川に流しに来たのだという。
「めったにのらんのになあ」
いや全く、それはこちらも同じ。
こういうのを、仏縁というのだろか。
高野山下で降りて行かれた。
偶然というには、あまりに不思議な再会。
やっぱり、人というのは、あらかじめ出会う人は決まっているのかもしれない。

高野山着、3時40分。
バスで奥の院へ。
お参りをゆっくりしていたら、4時40分。
kさんのスピードでは、納経が間に合わないので、私が走って、納経所へ。
しかし、20分待っても、kさん来ず。
ありゃ、最後の最後で、迷子か、それも、シーズンオフの高野山奥の院で・・・迷うわけのない道だが、しかし、あの人ならあり得るなな。というか、20分待ってこないということはそうだわ。
で、また、奥の院目指して走る。
「わたし道間違ったみたい、何だかきれいなみちあるいてる」
やっぱり・・しかし、階段あがってでしょう・・と聞いても、あがっていないというし。
あがっていれば、一の橋に出る道の一本に入り込んだということなのだが・・・
なんで、「中の橋駐車場」の標識がでかでかと出ているのに迷うんだ・・わからん。奥の院、英霊殿あたりを探す。
いない。電話で、石段あがりませんでしたか、といってもあがらなかったと彼女は言い張るし・・。仕方ない、そのまま歩いていって出たところを教えてください・・結局、一の橋近辺へ出たようで。
いやはや、全く。
お騒がせなことで。
しかし、これで無事に終わりました。
痛い足を引きずり引きずり、kさん、がんばりました。
宿、福智院には、西国の時も満願をいわってくださったmさんがご夫婦で待っていてくださった。
で、久方ぶりのビール、満願いわいビール、酔っぱらいました。
楽しい宴会時間でした。

宴会の最中、たまちゃんから電話。
しようと思っていたのに、先にいただいてしまった。
ありがとうございました。
たまちゃんのおうちのお雛祭り宴会も楽しかったです。
ありがとう。
徳島のゆで卵とワケギをお雛様にお供えする風習のおもしろいと思いました。

はい、今晩は、やや酩酊気味の日記、お許しを。
明日は、帰宅。
応援してくださったみなさん、、おめでとうメールをくださった方々ありがとうございました。











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