世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年06月30日(月) 火星大接近

今年8月27日は、火星が79年ぶりに大接近する年回りらしい。
東南東、水瓶座付近で−3等星まで明るくなり、肉眼でも、かなり空気の汚いところでもよく見える。
赤くぎらぎらと輝くので戦争や争いを呼ぶ「凶星」として嫌われる。
前回は1877年(M10)で、西南戦争のまっただ中。
「西郷星」といわれたらしい。

とまあ、何でこんなことを私が書いたかというと、本日の新聞の一面見出し「自衛隊イラク派遣 10月に1000人超派遣」のせいだ。
私がこれを見て真っ先に浮かんだのが「凶星 大接近」のことだった。
イラクできっと自衛隊のどなたかの血が流れるんだよね。
申し訳ないが、そういう連想をしてしまった。

戦争で、ひどい目にあったのほんの5,60年前、たくさんの人の血が流れたのはホンのこの前に見た。
なのにね・・・・小泉サン、石原さん、その他の大臣さん達、あんたたち、息子を自衛隊の部隊で送り込めば、イラクに・・といいたいね。
命が惜しい人は、自衛隊辞めた方がいいだろうな。

思うんだけど、あの北朝鮮の王様金正日氏が身内をかわいがる、気にいった人を優遇する、等々いわれてやり玉に挙がるが、結局のところ日本の政治家もその延長線上にいるよね。
だって、彼ら、自分の息子は危ないところにゃださないよ。
どうやったら、美味しい汁が吸えるか考えているよ。
ね、金正日と同じでしょ。
この論理、かなり乱暴???かつ飛躍???
そんなん、自明の理でわかっているって?
失礼しました。(ペコリ)



2003年06月29日(日) 東日本フェリー

東日本フェリーの会社更生法申請、という見出しが新聞にあった。
お前もか、の気分。
室蘭から以前乗った。
(この航路も今はない)
あの年は、無くなるといううわさが高かった「高知行きフェリー」にも乗った。
次々と船の旅便が無くなるのはホント、かなしい。
豪華客船の旅は静かなブームだと聞くが・・・。
沖縄便なんかも、かなり時間がかかるが、一度のっておかないといけないね。
いつなくなるか、わかりゃしない・・・

閑話休題。ゴメン。




2003年06月28日(土) なつかしの三斗小屋温泉

「世界ふしぎ発見」を見ていたら、三斗小屋温泉大黒屋が出てきた。
お久しぶりにダイちゃんをご拝顔。
私の大好きな温泉宿の主人である。
なつかしかった。
先週番組予告を見たときに、どう見ても三斗小屋よね、と思っていたんだけど、やっぱりそうでした。
行きたくなってしまいました。
新緑が濃くなって、夏のにぎわいの前でいい季節である。

今日は、大阪の友人と大寝坊でブランチでモンスーンカフェへ。
朝食を準備はしていたんだけど、ベトナム料理、というもんで、んじゃ、そこのモンスーンカフェ、となりました。
生春巻きだの、ビーフン、空芯菜の炒め物などともにビール。
美味しかったけどねえ・・昨夜も帰ってきて、日本酒飲みましたし、(備前焼のカップ、初めて使いました、友だちがいいねえと言ってました)、さらにはビール・・・何だか、1キロ以上体重増えた気がする。

2時頃、友人は都内でひらかれる高校時代の同窓会in東京へ。
でてきてよかった、ストレスが消えた、といって。よかった、よかった。
ちょこっと出るだけで、人間、元気になれるよね。

「Route88」を読み終わった。
遍路道の若者遍路を取材した本、おもしろかった。
だが、しかし、芝居がかった系文体に少々閉口した。

昨夜の幸月さんの番組、すごかったけど、「もうごゆっくりお休み下さい、温泉でもはいって、ゆっくりしてください」と言いたくなった。
しかし一緒に見ていた友人曰く「こいう人は、止めたら具合わるなるんとちやうの?」
そうかも知れぬ・・・人の身体は難しい。




2003年06月27日(金) お久しぶりの中華街

友だちが「中華街」をご所望だったので、夕方になって行った。
幸い雨も降らず、ビジネスランチのようなお値段で食べてきた。
それにしても、人がいなかった。
不景気ですわ。
それをひしひしと感じた。
ただ横浜スタジアムは、阪神戦、そこだけ活気。
やはり、阪神が勝ったら、経済効果ありそうである。
がんばれ阪神タイガース!!



2003年06月26日(木) 休みたいけど・・・

今日は、マジに書くことがない。
だって、ボヤンとしてたんだもんね。まったく、天からげんこつがとんできそうなほど、非生産的な一日であった。
昔の共産党だったら「働かざる者食うべからず」だわ。
明日、大阪から友人が来るので、掃除した方がよい、と思っていたのだが、これもせず。
なんもせずに、世界地図眺めて、名前は知っていて、位置を知らなかった国を捜して、みたいなことをしていた。
で、日記、休みたいのだが、休むと、「体調子よくない?」とかいうメールが来たりするから、ありがたいことに。
じゃ、テーマを見つけて、新聞ネタとも思うのだが、あんまりおもろいニュース、ない。というか、身を乗り出すようなお話、ない。

夕方になってHPのホボ日刊イトイ新聞の「坊さん。」を読んだ。
57番栄福寺の若い住職さんが書いている日記。噂に聞いて、「お気に入り」に入れていたんだけど、まあおもしろい。でも、お坊ちゃん?かな。
まあ、坊ちゃんが悪いというわけではないが。
日記読む限り、肩の力がけっこう抜けていて「いい感じ」だが、ありがちな本番の納経所の感じよくなさ(57番がそうだ、というわけではない)を考えるとちょっこと引き算になる。
これ、意地がわるいかな?
でもま、人は会ってみんことには・・ね・・ワカランね。



2003年06月25日(水) お寿司、タイムリミット

基本的に7、8、9月あたりは、生もの、とくにお寿司、お刺身などは敬遠することにしている。
O157以来なんだけど、昔は(冷蔵庫普及前)夏は汗で体が冷えるので、むしろ火を通したモノを食べていたはずで、そっちが正しいと私は思うから。
初めて中国に行った、83年に中国人が「生野菜と冷やした水を飲むのは、アメリカ人と日本人と、カエルだ」と言っていたのを思い出す。
夏、私が頻繁に作るのは「南フランス風野菜煮」「クレオパトラのスープ」
「南フランス・・」は、手にはいる限りの夏野菜を厚手の鍋ににんにくぬって、オリーブオイルで炒めて、ただ煮る。水は加えないで、野菜の汁で煮込む。塩こしょうの味付け。すぐに悪くなるので、食べて残ったら、冷蔵庫に入れといて、次の日は、カレールーを入れて夏野菜カレーにする。
「クレオパトラ・・」は、超簡単。お湯にモロヘイヤをこまかくきざんで、入れて、ひと煮立ち。塩味、お醤油少々、最後にすり下ろし生姜を加えて火を止める。
モロヘイヤは、エジプトの国民野菜だし、クレパトラの時代から食べていたという。で、クレオパトラのスープ。
これ、大好き。生姜は、中国では、夏は体を冷やし、冬は体を温めるスーパー野菜として大事にされる。
私は、一日1度、何らかの形で生姜を摂ることを意識しているので夏はこのスープがよい。
ちなみに中国人の三種の神器的な野菜は「生姜、にんにく、ネギ」である。

じきに7月「敬遠の時期」が来る。
で、このところ、でたついでに、東急の魚屋のお寿司屋さんでランチ寿司とか、夕方のタイムサービスでお安くなったヤツとか買ってくる。1日置きにお寿司って感じだ。
まあ、ピサなんかより、カロリーが低いし、そもそも大好物。
でもなあ、体重、この3週間で、300グラムしか減っていない。
それなりに努力しているのに、1週間で100グラムって、悲しいモノがある。
ボチボチ、墓場の散歩で行くしかないですが・・・はい。
祖日記でした。失礼しました。



2003年06月24日(火) セクハラは容認しないのね・・共産党

酒席でのセクハラで共産党の議員が辞職した。
そっか、セクハラは容認しないんだ、とつぶやいてしまった私であった。
セクハラって難しいよね。
真っ向、電車の痴漢のようなものは別として、
この前も清流放談FDSでみんなと話していたんだけど「コイツ、嫌い」と思っているヤツから、ちょっことでも何かされたらそれは「セクハラ」というところはあるよね、と。この機会に騒いでこのバカ男いじめちゃおうっことになって。
反して、まあ、いっかと思っている人はやはり甘めになる、ね、と。
男性は、まったく、と思うだろうが、セクハラの汚名を着せられないためには、まあ、女性に「コイツ、嫌い」と思われないようにするしかない。
では、どうしたらよいのか。極意を一つ。
宮本常一氏の「わすれられた日本人」の土佐源氏にあった。
「女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなはれ、かけた情けは忘れるモンじゃない」
これ、である。永遠の真理。
「女の気持ちになっていたわる」
でも、ま、これは、男女間のことだけではなくて、人の関係全般に言えることだ。
どれだけ、相手の立場になってものを考えて動けるか。
ってことでしょう。
ただ女は、感覚の生き物だから、「女の気持ちになっていたわる」がホンモノかどうか、実はけっこう直感で見破っている。
そして、「いたわる」だから、べっこう飴のようにべたついて優しくすればいいかというと、そうではない。
いうべき時には、いうヤツが評価されるばい。(どこの言葉じゃ)
だから、マニュアル的にいくら「女の気持ち」になっても、やばい。いくらやっても、もっと嫌われるってことになりかねない。
殿方、心されよ。
常日頃、魂の本質を磨いておくしかないですのう。
もっとも、男女は対だから、男だけ心磨きしてもダメで、女もせんとねえ。
オオ、もっと難しげな話になっとうばい。

先日、早稲田大学の、合コンサークルを仕切っているアホ連中がレイプと回しで大量逮捕されたけど、これは「いたわれない」最たるもの、だ。
ネットで、どんな男どもなのだ、とバカ顔ご拝顔したら、情のなさそな、不潔感のあるうすぺらい顔だった。(でも、いい男というヤツもおるかもしれない・・目鼻立ちは一応整っているから)
こんな、アホに引っかかる女子大生も悪いか。(でもま、ご同情しますが)

人相(日常、来し方行く末)と文字(その人の生物エネルギー度)は、その人が出る、と思う。
先日見つけたHPで「幕末写真館」というのがお気に入り。
新撰組土方のいい男ぶりに「おお!!」だった。風間杜夫をさらによい男にした感じ。この手の顔の男が「切れて狂ったら」ぞっくぞくぞくってところか。
現代にいたら、キムタク以上のいい男だと私は断言する。
沖田総司もいい男だったと聞いていたが、どっちかというともっちりふっくら系で女装が似合いそうだった。
幕末人というのは、まだ身が腐りきっていない(骨だけになっていないと言う意味)、人相写真を見て些末にこだわり始めるとはまるのでした。



2003年06月23日(月) 雨が戻る

梅雨風邪、かったるい。
アタマもやや痛い。
で、薬飲んで遊んでいた。
病気だと、真っ正面から怠けてもいいのでうれしい。(笑)

ところで「日本盛」が化粧品(米ぬか系)を作ったという宣伝。
これって、日本酒が売れていないのね、というやばさと、ますます日本盛ってうまそうじゃないね、という宣伝に役に立ってはいないだろうか。
「和民」好きだけど、酒が日本盛なんで行かないのだけどね。
もしかして、「和民」でも化粧品を売ったりしてね。
日本盛も化粧品もどっちもこれじゃやだ、と思うのは私だけだろうか。
別に私は日本盛に恨みはない。

と言うことを、遊びながら、真剣に考えるもどり梅雨かな。

あ、きょう見つけたすてきな一言

「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」

上を高杉晋作がつくって、つけ句を彼をサポートしたなんとかという尼さんがした・・あれ反対かな。
でもま、いい感じ、です。

このところ、幕末・維新への興味が急速に増しているが、この辺りに凝っている人のHP、多い。
それから、つくづくと明治維新以後って、才無し残り者が断行したんだわ。
光っていたお方たちはみんな死んでいった。
一般的に「明治維新」は「無血革命」とかって言うけど、決してそんなことはないって気がしてきた。



2003年06月22日(日) このごろ、はああ??と思ったあれこれ

★ 共産党が天皇制と自衛隊容認???
ほんまかいな。これじゃ、共産党じゃないじゃんよ。
それとも、もう麻原、拝んでませんというアレフ(オウム)の言い分みたいなもんなんじゃろか。

★東海道新幹線に女性運転士出発進行・・・
ホントに、これ一面記事でいいのか。21世紀なのに、やっと新幹線に女性運転手って、日本の恥よ。如何におくれているか・・って見せびらかすようなもんよ。

★川越勤労者体育センター(体育館)売却 1050円!!!
これは、もうなにをかいわんや・・言葉なし。これで、喜んでいるのって誰?結局建設時にゼネコンに金がおちてそこが一番喜んだ???でしょう。何しろ、我が国は土建国家ですけんね。

★中国の緑色の酒
2100年前か。さすが中国4000年の歴史。でも、赤い酒だったら、新潟にもあるよ。赤い菌を使う。甘口。私の口には合わない。
でも、あの赤さも、分析したら、今の健康志向にマッチする酒となるのかもしれぬ。

★例の毎日記者、解雇
仕方ないでしょう。彼は写真が新聞等にのるたびに、「反省顔」だった。
しかし、あれをマスコミ写真として使ったのは、毎日の作戦か。
それとも、マスコミ各社が同情してあれを使ったのか。
あの写真を見ていると、君も大変だね、とつい感情が動くもん。
木村太郎が、この事件が起きた当時すごくいいことを言っていた。
自分は先輩に戦場の心得を教えられた。
曰く「鉄砲玉の避け方、アタマは横にしろ、それが一番低くなる。つい、戦利品ならぬ土産を持って来たくなるが、現場から、戦場から絶対にブツをもって来てはならぬ」
今や、毎日には、こういうことを教える立派な先輩はいないのだろうねえ。

★ネット心中、その後
今年の2月だったかに埼玉で起きたネット心中に加わるのを直前になって止めて、第一発見者となった女子高生がやはり死んでしまったということ。
なんというか・・・どうして回りは・・なにをしていたんだろうか。

★フセイン、つかまる??多分、No
なんだか、いばしょをみつけたみたいだけど、でもつかまらない、というか捕まえない・・でしょうね。だって、捕まえてしまったら、ブッシュはイラクにいる理由をなくす。

★黄金のキティちゃん
18金で、ダイヤを髪につけて、水晶玉を持ったキティちゃんが40万でウリだされるらしい。予約が殺到とか。
そっか、こういう時に、世間では、お金使うんだね。なるほど。

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2月は、胸の中にマメモヤシの芽が出てきそう、とよく思ったものだけど、6月は何だか、アタマの中をカタツムリがはいずっているような。
でも、これが過ぎると、また暑い夏がくるんですね。
ああ、今年は、何時から涼しいとこに逃げようか。
夕方になって口の中に風邪の花が咲いた。下歯ぐきにブチブチができた。痛い。どうやら、風邪を引いていたようなのだ。知らなかった、にぶい、まったく。



2003年06月21日(土) フォションのアイス(越後弁バージョン)

今、こうてきたばっかの フョションのダージリンティのアイス、くたばっからこって。
ホンにうまかったって。
やせよう やせよ おもて 野菜らのこんにゃくらの ばっか くてると ホンニヤになるこってさ。
今日はさ、梅雨も中休みらさしさ たまには いいこてね。

ヨーカ堂は、北海道フェアとかいうの やっててさ うーまげなもんが いっぺことあったけどさ まあ、あんまり太るもんも ようねえと おもてさ よーぐるとだけに した こてね。
けーきもさ、ほしかったがけどさ、さすがに やめましたこって。


(じゃあさ 訳してみましょかの)

今、買ってきたばかりのフォションのダージリンティのアイスを食べたばかりです。ホントに美味しかったです。
やせようと思って、野菜やこんにゃくばかり食べていると、いやになりますね。
今日は、梅雨も中休みなので、たまにはいいかと思いましてね。

ヨーカ堂は、北海道フェアとかいうのをやっていて美味しそうなものがたくさんありましたが、太るものはよくないのでヨーグルトだけ買ってきました。
ケーキも欲しかったけど、さすがにやめました。

一応、郷里に帰ると、耳にして使ったりする言葉だけど、書こうと思うと考えてしまうのですね。
でも、去年中学のクラス会で、みんながこれで話すの、マジにほどけました。
田舎に帰って暮らすもいいかも、と思ってしまったことでした。

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博多の親子4人を沈めた悲惨な事件、ショックだった。
どうも、怨恨のようだけど、やりすぎというか、歯止めが利かないというか、怨恨がここまで行ってしまったとしたら、遠因に双方のコミュニケーション力の問題があったと思うのだが・・・
犯人、捨てばち?
3人以上殺したら確実に死刑だ。(2人はグレーゾーン)

この頃、これ系の事件が多いような・・・。
孫が、自分の仕事の資金ほしさに婆ちゃんを「一緒に住もう」と騙して、連れ出して監禁し、ばあちゃんの家を換金してしまったものもこれ系だと思う。
どんな婆ちゃんかしらんが、正直にこれこれで金がいると話したら、孫かわいさで、自分の家を担保に金を借りてくれるかもしれんではないか。
だって、孫が一緒に住もうといってついてくるって、そういう可能性あるかも・・ということではないか・・・
「話し合おうよ」「聞いてよ」という姿勢が無くなって、ため込んだストレスのはけ口のように残忍な事件が起きる。
やりきれない、な。
これも「時代」だろうか・・・。




2003年06月20日(金) 風つよし 眠たい

多分、気圧が動いているせいだとおもうが、異様に眠たい。
一気に動く寒冷前線の通過で嵐だと頭が痛くなるが、チョボチョボだと眠気になる。
まあ、頭痛になるよりいい。

片づけものをしていたら、moheji塾の時に子どもが書いた「短文」がいくつかでてきた。
その一つ、カイが書いた「ヤスキ様の口になって」というのにあらためて笑った。
確か、即興で「この部屋の何かになって」といテーマで、10分くらいで書いたものだった。
私としては、消しゴムとか、扇風機とか、テレビとかそういうブツをイメージしていたんだけど、カイちゃんはなんと隣にいたヤスキの口になってしまったのだ。

「おれな、ヤスキ様の口なんだけど、なんかへんなこといっぱい言うんだよ。例えば「エヘヘへへへへへへへへへへ」とかって、わけのわかんねえことを言うんだぜ。はずかしくてたまんねえでごわす めりめりんご らっきょうて
いう かんじ。なんか、チョベリバ、でごんす。というわけなんだべ」

そう言えば、「チョベリバ」(チョーベリーバッド)ってはやった時があった。
こういう罵詈系の言葉で、ときどき、単文を書くと子ども、異様にいきいきした。
あと、ふつうの文体で書かれた本を「関西弁」とか「新潟弁」で読んでやるのもうけたなあ。(これは、学校でもうけた)

ヤスキは高校生だし、カイは、中三。
あの当時、小6と小5のクセして、猥談がすきだった。
どっちもおボッちゃまなのに、親が聞いたら眼が飛び出そうなこと言うお子さまだったよ。
いまや何だか、なつかしい。
時の流れるのは早い。



2003年06月19日(木) クジラ問題

ベルリンで開かれているIWC(国際捕鯨委員会)でついに日本は総会をボイコットすることになったらしい。
水産庁、元気だな。
ドイツ、アメリカ、オランダあたりが中心のIWC、「調査捕鯨」もやめろ、鯨は1頭たりとも捕ったらいかん、という提案をしてきた。
捕らなくなったせいで、ミンククジラが増えたのはマジに確からしい。
それで、一頭がやせているらしい。頭数が増えて全部に食料(イワシとかの小魚)がいき渡らないらしい。
で、例えば、世界に2千頭足らずしかいないといわれるシロナガスクジラなんかにもっと増えて欲しいんだけど、やたらに増えたミンククジラがえさを食いまくるので、それがシロナガスなど危惧種が増えるのを阻害しているんだとか。
これは、調査捕鯨により科学的データから明らかになったことである。
反対している欧米の国でも、海洋学者などは、日本の「少し間引きで生態系維持説」に賛成している。
友人がいっていたが、円高と日本人はクジラを食べる、という批判が連動している、ということ。
まあ、これはいわば政治問題なのだ。
だから、解決は難しい。
ノルウエーやアイスランドなどは、食べる国だけど、IWCを脱退した。
それで、入っていない国(スペインやポルトガルとか確か入っていない・韓国や中国も)は、IWCの規制がかからないのでクジラを捕る。
それを日本の商社が輸入して問題になったことがある。
この先も「調査捕鯨」という商業捕鯨すれすれの操業を続けたいなら、脱退しかないんじゃないの。
それに、足摺あたりで聞き込んだ話だと、調査捕鯨している「共同船舶」?だったかは、若い子を新規採用している。つまりこれは、将来的にも調査捕鯨が存続すると踏んでのことだ。
私がクジラを食べる食べないは別として、鉄砲さん、包丁さん、といわれる船上での働き手たちの技術継承が心配だ。
あのでかいクジラを見事にさばく包丁術(これは江戸時代からの技だ)揺れる船で見事に仕留める技、それは継承保存されてもいいと思う。
若い子たちを採用することで、それはして欲しいかな、と思う。

それにしても、小泉くんには、ちくっと水産庁を見習って欲しい。



2003年06月18日(水) コンビニのぞうきん

昨日コンビニのぞうきん、誰が買うの、ナゾだ、と書いたら、友人からメールをもらった。
ちょこっと引用(Mさん、勝手にすまぬ<(_ _)>)

「もしかしたら、学校提出用かも・・・、と思いました。うちの子は 古タオルで縫った雑巾を持っていきますが、弟のとこは 新品のタオルで作った雑巾しか持って行きません。
で、おばあちゃん(私の母)が 毎回納得がいかないと言いながら 縫っています。作ってくれる人がいなくなったら たぶん 「買う」でしょう。・・・・幼稚園のバザーにも 母に作ってもらった雑巾を大量に出していました。すごく、売れるそうです。そう言えば 柔道場の大掃除のときにも きれ〜いな雑巾を 持ってくる子が多いです」

答えは、学校提出用・・ネエ。
確かに、1枚ずつ持ってきてね、とか言って、必要に応じて(例えば、給食の前のテーブル・机拭き用)持ってきてもらったのを使ってた。そう言えば、あれも、新しいタオルをぬったのが多かったような。すでに10年近く前から・・
そいで、タオルは、もらうし、ね。ぞうきんも新しいの、ということになるのかな。究極、コンビニでかっちまう、と・・・・で、その売っているの、だれが作っているのだろうか。
まさか、誰かのおばあちゃんが内職しているわけじゃないだろうし・・・海外??
タイとか、ベトナムとか、インドネシアとか??
今度行ったら、手にとってチェックだ。
新学期によく見るのは、ヨーカ堂の「防災ずきん売場」の繁盛だ。
新年度が始まる前、入学時に防災ずきんの作り方を配ったけど、今はどうなんだろう。配布してもあの繁盛だとしたら、家庭科の授業って何なのだ。
で、結果的に東南アジアのどっかの国で生産されているとしたら、これも「構造不況」の一つだ。

・・・・・・・・・・・・・・

学校辞めたばかりのころ、「愛のポシェット運動」というのがあった。袋を作って(ヒモを長くしてたすき掛けできるよう)その中に、きれいなタオル、石けん、あと思いつく文房具(エンピツ消しゴム、ノートなど)をいれておくる運動だ。仕事を辞めて、遍路から帰ってきて、ふぬけ状態だった私は、これ幸いと、学校時代家庭科の見本でもらってすてられないでいた布を使って袋を7、8個ばかり作って、タオルと石けん、元同僚の友人を通じて子どもから集めた文房具を入れて送ったっけ。
衛生状態が石けんとタオルで変わる、そのことによって、病気で亡くなる子が減る・・とか言う趣旨でなかったか。
日本で、ぞうきんになってしまうもらいものタオル一枚、うちの戸棚にある一生使えそうなほどのやっぱりもらい物の石けんでタイ奥地(だったか、カンボジア奥地)の子どもが手や顔を洗うことができる、それで人生変わる、ということがショックだった。
難しいことではなくて、具体的にタオルと石けん、、というのが「そうなんだ」だった。
こまっている人が目の前にいたとき、理屈をこくんじゃなくて、具体的に自分の体と心をちょこっと使って出きることをすればいいんだ、とあの「ポシェット」で感じた。
で、それで今、おまえ、なにしてる・・と自問自答すると、つらいものがあるが・・。
 
よく降るなあ。
太陽電池で動く私は、お日様に会いたいなあ。
大峰奥駆け中のkさんご夫妻が気になる。行満、祈っているんだけど・・・天気がよくなさ過ぎる。






2003年06月17日(火) ひさしぶりに、セブンエレブン探検

今日は、清流放談の会となっているFDS。
なくなるなくなる言われつつ、未だ存在する東京ウイメンズプラザにて。
メンバーのIさん、拉致被害者の会の青いリボンをつけて登場。で、彼女の「部屋探しの話」がすごくおもしろい。私は、「それ、日記しようよ」と提案。ご家族キャラもおもしろし、で。
日記帳をかってつけていたときは、もって半月の我が日記人生、ウエブだとここまで続く不思議かな。
なんでも「日記化」してこの際、楽しまないと。

かえりに、おやつじゃと前から食べたかったハーゲンダッツの「クリスビーサンド」を買ってきて食べてしまった。
280円、高いよね、カップより高い。で、東急のうまいソフトクリーム屋さんのお値段と一緒だけど、ソフトに軍配。
やはりハーゲンダッツは「カップ」にきわまるでしょう、という結論に達した。
久しぶりのコンビニ、ちょこっと探検。
まず、アイスの品揃えが、かなり猛暑系にシフトしていた。つまりシャーベット系と言うこと。「野菜生活」がシャーベット化していてびっくり。あと、ヴィーダインゼリーがヒットしたせいだろうか、グリコからあれと似たチューブ入りの多分ねっとりねばねば系のアイスが新発売。今までにない形状で存在感があった。
ヨーグルトは、旬ものと言うことで、パインヨーグルト。うまそう。
プリンも、種類が増えていた。
プリンは、プリン食べ比べの会みたいなのがあって、HPもたくさんあるんだけど、けっこうブームかもしれぬ。
パンはしばらく行かないと品揃えががらりと変わることがあるのだが、今回は、おかずパン(ウインナ、チーズが中に入ったもの)が増えていた。

で、洗剤などの棚にどうやら「ぞうきん」らしき品。
なんというか・・・コンビニのマーケティングはシビアだし、売れるんだから置くだろうけど、誰が買うんだろうか。ナゾだ。
まさか、お主婦様??がお買い求めになるのか。
ちょこっと、手縫いして欲しいけど、そういうのは今や、天然記念物になっているのだろう、な。

コンビニは、どこも(セブン、ローソン、サークルk、ファミマ)レジ近くに和菓子を置いている。饅頭、醤油だんご、大福。これ、コンビニの法則。
どうしてだろ。
つい手に取って、買ってしまうのが饅頭、だんごなんだろうか。

??が増えたコンビニ探検でありました。



2003年06月16日(月) つれずれなるままに・・・

今日は、特記なし、とむかし、指導要録に記したようなことを書きたい日。
つれづれなるまま・・で一日が終わってしまった、ね。

本の内容見本が送られてきて、それにおもしろいことが書いてあった。
明治政府高官の中で真っ先に断髪にしたのは誰か?
明治天皇?NO、NO!
伊藤博文?NO
大久保利通なんだという。
大久保がちょんまげを落として、10日後、明治天皇の頭も「洋風」になったらしい。
歴史って、こういう些末なことがおもしろいと思う。

桃カルピス濃縮、「広告の品」だったので、買ってきて飲んだが、まずい。
小細工の味だと思う。
カルピスはカルピスを越えられない。
紅あずまという小玉スイカ、同じく紅なんとかという佐藤錦くらいのサクランボ(色はアメリカンチェリーみたい)を食した。どっちも、異様に甘いのよね。
果物というのは、あまけリャいいってモンじゃない、適度に「酸い」がないと。
どっちも、その観点からだと「B」
あまけりゃいいだろ、って言うのは消費者、バカにしていると思う。
あと今頃一度は食べなくてはいけないのが、びわ、ライチ。
楊貴妃が早馬とばしたライチは、まあ、今年はベトナムの10ドルリゾートでたくさん食べたし、パスとしてもいいのだが。「楊貴妃が・・」と思いながら、食べる6月のライチは格別だ。
このところ、急速売りだしの「ゴールデンキューイ」というのも食べて見ねば。
ダイエットと好奇心、秤にかけたら「好奇心」が断然重い、と思うこの頃である。
これだから、私の体重、減らないのだな。



2003年06月15日(日) 忘れられた日本人

お昼頃、久しぶりに苦楽を共にした元同僚で、元歌舞伎見物の同行者で、旅もよくしたし、ケンカすると、けっこうののしり合ってしまう友人から電話が来た。
「あたしくやしい、リュウブの新人賞って、年齢制限があるの」
のっけからこれ、である。
 聞けば、このところ、琉歌と琉舞に夢中の彼女(沖縄出身である)踊りの方で新人賞にでたいと思ったらしい。で、それには、年の制限があった・・・今、何だか、「不条理」を感じて、気分が悪いのだそう。
「はあ、アンタ、かわゆいね。年を取るのは、条理なんだから、制限も条理でしょ、そもそも新人賞って、将来伸びる人を評価するわけだし、そういうことになるよ、あたりまえじゃん」
みたいな感じで、バリバリと異論反論、口論、議論・・・・ハハハ。
彼女も、負けず劣らず言い返すもんで・・・遠慮のない仲っていいもんだ。
1時間以上も話して切った。

父の日である。
ネットで、植木を捜して送ったのだが、実生の木を送ろうと捜した。
父が外で水やりができて、実がなったら、ちょこっとつまんで・・みたいな楽しみがあるって感じで。
ホントはブルーベリー、と思っていろいろ見たがでかすぎたり、実が生るのが来年だったり適当なのがない。
しかたなく、大玉黒スグリという(グーズベリー)にした。
母曰く「この頃、悪くなって、父の日だって、といっても、何だか反応がよくない、水やりなんてできるろうか」という暗い連絡であった。ウーッムム。

ゆうがた、「忘れられた日本人」を取りに行った。
それで、すぐに「土佐源氏」を読んだ。
昔、一人芝居を見た。内容は、目しいて乞食になった博労の色懺悔。
独特の語りでホント、やっぱりおもしろいわ、だった。
次は、「西土佐村の話」で、伊予西条から西土佐に抜ける険しい道でカッタイ病(らい病)の老婆と行き合って、こういうすごい山中に「カッタイ道」があるという話。興味深い話だった。
おもしろすぎるので、1話ずつ丁寧に読むことにして(こういう気持ちになったの、昔、田辺聖子さんの本を買うとそうだった、あの人のは、一話が美味しいお菓子を食べるみたいだった)本を閉じたとたんに眠ってしまっていた。
今朝、なぜか、4時過ぎに目が覚めた、突如。数時間の眠り。そのせいかな、と思ったのだが。
10時過ぎに起きだして、さてこれから何しようかな。
そう、今日はお大師さんのお誕生日でした。
「ハッピーバースディ デア お大師さん ハッピーバースディ トゥ ユウ!!」




2003年06月14日(土) お犬様の靴

夕刊にお洋服と靴を履いて途方に暮れた表情のお座敷犬(犬種不明)が。
「・・東北地方で大きな地震がありました。人ごとではありません。私の愛犬ダンクのことが心配です。この地で災害が起こった場合、ガラスが散らばり、火事で暑くなった道路をダンクは「すあし」で歩くことはできないのです。・・・この「とっておき」の写真が災害時における愛犬のための備えになるきっかけとなるように願っています」
投書者の名前は女性、横浜市。
バッカヤロー、といったら「個人の自由でしょ」とか言われそうだし、動物愛護協会からは「表彰したい美談です」とかいわれそうだが。
洋服・靴下はかせる前に、犬の足裏を鍛えようと、思わないのか?
地震がきたら、アンタ、自分が逃げるより先に犬に靴下はかせてんの?
何より、自分は大丈夫、と思っているこの撮影者(犬の飼い主)のいい気なモンぶりが目に余る、ため息がでる。
大地震被災地の方々(海外含む)が見たら、あきれ果てる??
地震や火事で地面が熱くなっているのに、液状化で道がぐずぐずなのに、もしかしたら、家がつぶれて助けを求める人がいるお宅の近くをこのお人はダンククンに洋服と靴を履かせて「ダンク、あんよ、大丈夫でしょ、ちょっと、熱くても我慢ね」とかネコな撫で声(犬撫で声か、ね)で言って「散歩」をするつもりなんだろうか。
こういう文と写真を選ぶ記者氏の見識を疑う。
いや、写真はイイわ、許す。この文、読む人によってはご立腹・・・傷つけるだろう・・
関西では、こういう文の掲載、あり得ない、と思う。(ニュアンス、かえたらいいだろうけど・・写真はキャプションや説明で180度変わるから)
大坂の友人が「関西では、今でも阪神大震災関連のニュース一日一回は流れるよ」と何年も言っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夕方、雨が本格的になった。梅雨である、なあ。
昼間たまちゃんから電話をもらった時は、徳島、雨よ、ということだったが。
天気の動き方のセオリーを見ている感じ。
心配なのは、奥駆けに一緒に行ったKさんのご主人がオレも行く、ということでなぜか「燃えた」。急に1週間の休暇でお出かけになった。
(おじいさんが三井寺系の行者さんだった人だし、話を聞いているうちに血が騒いだのだと思うが・・遺伝子、恐るべし)
ご夫婦で、和佐又から、奥駆け道へ今日は入られていることだ。
雨、だろうと思う。
昨夜、エクセルでつくった計画書が突如、会社のメールで送られてきた。ウッへ、という厳しい予定。晴れていないとやばい、と思う。無事と、行満を祈りたい。

昨夜から宮本常一氏「家郷の訓」に夢中になっている。
なぜか、このところ、あちこちで「宮本常一のおもしろさ」的な文を目にすることが相次いで、で、「マイブーム」で読み始めたら、おもしろい。柳田国男よりずっと、おもしろいと思う。今まで手に取らなかったのが残念だ。
今日「忘れられた日本人」が届いています」という電話が本屋から来た。これは、正真正銘の名著である。楽しみ。



2003年06月13日(金) クジラの豊作(^_^)

先日の東京湾のクジラさん、かわいそうでした。
あれはマッコウ、でしたね。
水中の写真だったけど、すぐにわかった。
で、そうだ、と思いだして、紀伊半島のクジラをチェックした。
今年は、何日も続いて、でている、でている・・すごい。
船長さんお言葉によると「今年は豊作」らしい。
紀伊のクジラ、今年は見に行きたいもんだ。

小笠原のマッコウも豊作だろうか。
きりまる(今はダンシングドルフィンというのかな・・)の、スタンリー船長は、マッコウがいると、飛び込んで上にのっちゃって遊ぶとかっていってた。
紀伊もいいけど、小笠原もまた行きたいよ。
明治の初め頃、小笠原の領有を巡ってイギリスと日本、先着争いをした。
で、日本が先について(2日だった3日早かった)、ここは日本よ、といっちまったもんで、日本になったけど(敗戦後は一時アメリカ領)、あそこは、フシギアイランドだ。

そうそう、房総のツチクジラ漁(猟?かな。クジラさんは海獣・・大型海洋ほ乳類というのかな)も7月に解禁。
高知のニタリクジラウオッチも、すでに解禁だ。
クジラシーズン、到来です。(どっか行きたいよう)



2003年06月12日(木) 北朝鮮限定攻撃ィィ!?

夕刊が来て、真っ先に目に飛び込んできたのが「北朝鮮限定攻撃も選択肢 米単独で実行準備を」の見出しだ。
冗談だろ!!
あの、悪魔の手先のラムズフェルドと仲良しのMrパールの言。
イラク戦争を進言したお方の一人だし、侮れない言葉だ。
で、もしそんなことになったら、この国は簡単に、一夜開けたら戦場状態だ。
臨時立法とかで、若いモンの徴兵制が始まったりして・・応じたら、就職に有利という条件をちらつかせながら、、(アメリカは市民権を得るのにもっとも近道は志願することだし、日本だってこの発想、おかしくはない)
恐いことに、ドンドコなっていく。

図書館で本に読みふける人、下校の中学生の悪ふざけ、少女のような若い母親が引くベビーカーに乗っている栄養の行き届いた白桃のような赤ん坊。
すべてが何気ない風景だけど、ものすごく幸せな平和な国の午後。でも、これもうたかた・・のように見えて、しかたないこの頃だ。

本格的に梅雨かな。
ベタベタした空気がたまらない・・・気持ちわりいのだ。

・・・・・・・・・・・・・
美味しいウーロン茶を頂いたので、淹れてあとに残る立派な葉っぱがもったいなくて。
今日、これと、室戸の塩を入れて「ウーロンゆで卵」をつくった。
卵に風味がついて複雑な味になってうまい。
発見でした。
ゆで卵は、カロリー低い。(昔、ゆで卵ダイエットって本があったような・・)



2003年06月11日(水) グローカルという言葉

(グローカル)
本日新聞で見た言葉。グローバルであるために、あえてローカルであろうとすることを言うらしい。

昔、同僚に山口出身の人がいた。
美人だったけど、プライドの高さ、独特な考え方、でも、義理人情にも厚く、なんというか「長州人」って、こうなのか、と考えさせられる人だった。
で、そのところから、何時かそれ系の本(山口県人を理解する本)を読んでみたいと思いつつ・・・つん読状態だった「奇兵隊」のことを書いた本を読んでいる。
おもしろいけど、びっくりする。
というのは「高杉晋作の身内と言うだけで嫁のもらい手がなかった」とか「伊藤博文、あれは卒族だからな」と未だに小バカにしたように言うおじいがいたり。(卒族・・下級藩士、陪臣のこと・・土佐で言えば、郷士と言うところか)
さらには、吉田松陰の碑の除幕式に井上馨が東京から77歳の高齢をおしてとんできて、延々2時間も泣きながらしゃべった・・その時に小学生だったおじいさんが参列していて、あまりの話のながさに倒れた、といった話を聞いた、とか。
著者は歴史の教科書で井上馨と出てくるその人と同じ空気を吸った人に会える山口、と感動していた。
あと、未だに萩の小学校では、吉田松蔭(先生・・と山口ではつけないと白い目で見られるらしい)の言葉を暗記させて朝の会で言うらしい。学期ごとに変わるので、萩の小学生は卒業の時には最低18の松蔭先生のお言葉をそらんじることが出きるとか。(ドヒャー^^;^^;)
こういうの、「グローカル」というのだろう・・・か。

でも幕末の長州というのは、まさに風雲急、血が血を呼んでいたという感じだ。
どうも、その影にいる「女性」が気になって仕方がない。

(志士という言葉)
この頃は「志士」という言葉はつかわんらしい。
高杉晋作なんて、「志士」という言葉が枕詞のように似合う。だけど、この言葉は「皇国史観」が入っている、平等ではないということらしいのだ。というのも、薩摩長州などの「志士」には使用されるが、会津藩などの、例えば「白虎隊」などは決まって「逆賊」となる。公正に見れば彼らもまた「志士」である。
で、「志士」という言葉、「歴史事典」などからは消えつつあるとか。

と、このところ、すかすかしてきた脳みそのすき間を埋めようと「読書」にいそしんでいる。身体はダイエット、脳みそは脂肪、筋肉大歓迎。

・・・・・・・・・・・・
今日、ちょこっと出かけて、パン屋さんで焼きたてレーズンブレッド、と焼きたてピザの誘惑に負けて、買ってきて食べちゃいました。
これ、どれくらいのカロリー?と恐怖におののきつつ、おいしかったわあ・・・(^_^)
まあ、時々いいでしょうよ、と自己弁護。
このところ、体重は横這い。
減らない。今朝は、一週間前よりたった100グラム減。がっくり。
増えるより良しとしよう。



2003年06月10日(火) 発見!図書予約状況 24時間受付

この前に頼んだ本が来ているかどうかしりたいので、図書館に電話をしようとネットで電話を調べた。
(近所の図書館、坂を下って、また登り、すごく疲れる、無駄足は避けたいのだ)
で、見ていたら、何と「予約状況24時間受付」なる電話番号があるではないか。
試しにかけた。
そしたら、女性の合成声で、「受け取れます」とか「6月23日までです」とかいうんだわ。
もうびっくり。
早速に取りにいって、ついでに雑誌を読んで長居をしてきてしまったけど、こりゃ便利、でした。
私としては、それだったら、本の予約もネットでさせてよ(横浜市のすべての本の検索はできる)と思うのだが、それは個人情報の保護において問題があるから導入できないのだとか。(やがて導入の予定はあるみたいだが)
今日の夕刊では、何だか、高校生がハッキングで書類送検されたとかだし、頑強なシステムを作ってもらわないと、確かに危ないかも。
お身体のふじゆうな方には、郵送サービスがあって、郵送料は往復無料とか。
なかなかである。
こういうことに税金を使われるのは、よい。



2003年06月09日(月) アイちゃんという子

万景峰号の入港が中止になった。

小学生の時だった。
アイちゃんという、栖吉の子が朝鮮に帰るんだって・・・
学校で何度かきいた「うわさ」だ。
私は2つほど上の(ひとつだったかな・・本家のシュウイチくんと同級だったかな・・)その子を直接はしらなかった。でも、北朝鮮のことが話題になると、「アイちゃん」を思い出す。そして新聞にのっていた派手な帰国の様子の写真と・・・

どうするんだろうねえ・・・SARASの影響で、中国国境は閉じているらしいし、そうすると日本からが食料とかの唯一ルートのはずだし。
金正日クンをはじめとしたエライ人たちは餓えないだろうが、弱い人たちにとっては、とくに帰国事業で帰った人たちにとっては死活問題になるだろう。

PCのそばにかけている「旅行人」のカレンダーの写真、「家のひっこし」というタイトルで上半身裸の村の男たちや子ども10人ほどが竹とヤシの葉で造った4畳半ほどの高床の「家」一軒エイヤ、と運んでいるもの。
中には、ちょこっとした衣類とか生活用品が見えているが少ない。
トレンサップ湖(確か、メコン川ぞいカンボジア?)のほとり、雨期の来る前とか。
これを見るたびに楽しくなる、その身軽さに。
本州の雨期も間近らしい。
九州が「梅雨入り」。昨日今日、異様に眠たい。私の体質、雨が近いと眠い。
で、すぐですよ。梅雨入りが。



2003年06月08日(日) カミーノ・デ・サンティアゴへの道

昨夜日記を書いたあとに「世界不思議発 見知らざれる北スペイン 奥の細道 カミーノ・デ・サンティアゴ」を見た。
よかった。
風景も、祈りの形もちがうけど、巡礼者の心や、得るものや、お世話をする人の心はお四国と同じじゃないか。
朝から、沈み込んでいた私の心が元気になった。
とくに、薬物依存の息子のために祈り続け、歩き続けたホセさんの涙に思わずもらい泣きしたことだった。
遍路道は、あの道と友好道にならんといかんね。
見たところ、いわゆる「昔の道」がずいぶんと残っている。
2000年、スペインご自慢の新幹線ab(アベ)に乗って南スペインに行ったときに「中世か」みたいな景色が車窓をとんでいったけど、北スペインもそんな感じ。
チャンスがあったら、行きたいな・・・
で、昨夜は10時になって元気にネットで調べもの。
日の終わりになって復活した。
土曜の夜、12時前後、ADSL、開くの遅くなる。
みんな使っているんだな・・とわかる。

と、これを書いているのは、日曜・朝でござる。
夢み、悪うございました。
それで、はっと、目が覚めました。
でも、それは、もう起きなさいという・・・天の声であったのかも、ということで朝から日記で、それで、今日は昨日パスしたことをがんばります、です。
とりあえずいい天気である。
梅雨って、昔は今頃から始まった気がするけど、今年も去年のように遅いのかな。





2003年06月07日(土) 「花と事故」を読んで

新聞を開いて「校外学習の小2 はねられ死亡」の記事が目に飛び込んできた。
生活科の校外学習である。
川でざりがにを捕っていて、川とから道路を挟んだ区立公園に荷物を取りに行こうとしてはねられた。信号機のない区道交差点、なんと保護者一人が付き添っていたのに・・である。
多分、この保護者とは、ボランティアでクラスの校外学習のお付きを頼まれた(あるいは志願した)お母さんだろう。
教師時代、外でお勉強するのが好きだった私は、よく親ごさんにボランティアを志願していただいて、「脱学校」していた。親は、主旨を理解するとよく協力してくれた。
そんなことがあるだけに、この記事はかなり小さい扱いなのだが、衝撃だった。
先生も、保護者も、子どものおカアさん(保護者名は母だった)も、そしてクラスメートの2年生たちもみんな悲劇だ。

この記事を読んでくらい気分のところに紙面をめくったら「花と事故」と題するコラム。
18歳の兄が交通事故でなくなった事故現場に定期的に花を供えていた16歳の女子高生が同じ場所でトラックにはねられて死亡したのだという。それも、母親のみている前で・・・山口県岩国市でのこと。場所は、国道2号線、本州と九州を結ぶ幹線道路で、はげしくトラックが行き交う場所。
不景気の影響で高速道路を使わない運転手が増えて事故が多発しているのだという。
亡くなった兄が寂しいから妹を連れていったのだろうか・・不憫で何とも、悲しい、つらい話だ。胸がぎゅっとなった。
同じ場所で子を二人亡くしたお母さん、気がおかしくなっていないだろうか・・・

とまあ、今日は朝から立て続けに2本の交通事故の記事を読んでしまった私は、気持ちが立ち直らなかった。
坂東徒歩巡礼をもうすぐに満願されるS氏から電話をいただいたが、元気なお話を聞くだけはいいのだが・・・結局ウダウダして、予定をこなせず。
新大久保にお靴の調製に行くはすが、でかけずじまい。

井上ひさし師ではないが、すでに私たちは「悲劇」の中にいるのだから・・という言葉を原爆・水爆ではない観点から再確認した日であった。
ああ・・・この次は、人間には生まれてきたくない。もういいよって思うよ。
いや、ヒトの世界はもうヒトが生まれ変われない「終末」を迎えているのかも知れないぞ・・だって、ほかの種を滅ぼし、お互いに殺し合い、だものねえ。




2003年06月06日(金) シバちゃんメールから・・あしなが育英会もう一度

「あしながが、交通遺児の団体かとばかり、思ってたら、神戸の場合、今は交通遺
児はやってません、との返事だった。え、どういうことって、よくわかんなかったんだけど、内部分裂したんだね、きっと。
街頭募金に応じる人だって、そんなこと、ほとんど知らないはず。
寄付先は、くれぐれも、よく、確認してって、ことですね」

というメール(一部略)をシバちゃんからもらった。
で、私はもう一度「あしなが育英会」奨学生募集要項を読んでみた。
すると対象として「保護者を病気、災害、自死(自殺)などで亡くしたり、保護者が重度の障害を負っている学生・生徒」となっていた。
一方、あしなが育英会の玉井氏が創設し(HPには玉井のタの字もなかったけど)辞任した、今や文部官僚などの天下り先となっている「交通遺児育英会」のHPを見ると対象は、完全に「交通遺児、あるいは保護者が重度障害者」になっており完全に「畑」を分けていることがわかった。
あらためて、玉井氏の度量の広さを感じた。
ということで私は、昨日の日記に
「交通遺児、病気遺児、災害遺児、自死遺児など、すべて遺児のための「あしなが育英会」につながっていくのだ」
と書いたが、この文中の「交通遺児」は、はずさないといけない。(失礼しました)
★ここでシバちゃんへ★
内部分裂したのではありません。
天下り官僚たちの定着先となった「交通遺児育英会」、創設者の玉井氏を追い出したんです。辞任という形を取っていますが・・しかし、その後に「独創的に」組織を改悪・改変しようとたくらんだ人はいないらしく交通遺児育英会HPを見る限りでは、玉井氏がつくった根本の精神は生きています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
募金先ですが、赤い羽根とか、ユニセフとか、赤十字とか、「官」の天下りがはっきりしているところは、その人件費がすごいようですよね。
少々の金額ではありますが、この頃は、心がけて、こういうとこにはしません。
顔や活動がよく見える組織にしたいと心がけています。

少し話が横道ですが、お中元やお歳暮も、この頃は、デパートからはしません。
沖縄、四国、地場産・・できるだけ、直接に農家や製造者にお金が入るようにしてます。これまた、顔が見える人が喜べば、です。
お四国で宿に泊まってご恩返しの一助、と似ていますかね。
★ ★ ★

シバちゃんが「誤解」した「あしなが」という言葉だが、これは交通遺児育英会にいた頃の玉井氏の発案である。あの名作「あしながおじさん」にならって、子どもを援助してくれる人にこうネーミングした。これも又「名作」である。
それで、交通遺児育英会の中にも「あしなが募金」がある。
ややこしいが、まあ、発案者が同じなのだから、仕方ないだろう。

ちなみに「交通遺児育英会」は文部省のなんとかという許可をもらっているので、寄付をすると免税対象になる。
が、「あしなが育英会」は、取っていないので免税にならない。
それでも、昨年度実績4290人に15億5千万円の貸与だという。
この組織が「腐らない」事を祈りたい。
そして、なにより、経済援助だけでなく、心のケアの問題を大事にしている。
体験した者しかわからない痛みの分かち合いしている事を評価したい。
教師時代、小6の男の子のお父さんが自殺した。(わたしのクラスではなかったが)彼は第一発見者だった。
私たちは、その心中を思って言葉もなかった・・・あしなが育英会がこの問題に取り組んでいること(自死者の子弟の心のケア)を考えると、いつも彼のことを思い出す。あの時、こんな組織があったら・・・と思う。
唐突だが、本来、こういう問題における「宗教の役割」ってないの?と思う。



2003年06月05日(木) あしなが育英会の歴史

あしなが育英会発行の「あしながファミリー」新聞を読んだ。
あしなが育英会40周年と言うことで「あしなが運動と玉井義臣」(副田義也・岩波書店・)がでて、それの抄録というか、特集だった。

玉井義臣氏は、今は天下りしてきた元高級官僚の手で運営されている「交通遺児育英会」の生みの親である。
1964年、事故で母を失った玉井氏は昏睡の母がつかぬま開けた目に「敵討ち」の密約をした。彼は、交通評論家としてメディアに登場して、募金やチャリティ等々・・とにかくめざましい活躍で、世論を盛り上げ、自動車工業会に10億円の原資を要求し、重い腰の政府を動かした。そして、1969年に財団法人「交通遺児育英会設立。
やがて、交通遺児だけでなく、災害遺児にも運動を広げようとしたときに、「天下り」してきていた元官僚たち(要するに、行政)と対立する。そして、1994年、自分が作った組織から追い出される。(形は辞任)
それは、橋本総理からの「玉井を替えろ」の一言で決まったらしい。(著者が外部資料により調査・検証)
バブルを作り出す地獄の政策を推進し、伝統も、日本人のまともな心も踏みにじったあの大バカ総理はここでも罪なことをしていたのだね。
こうして募金をベースとして340億円にもなっていた「交通遺児育英会」のお金は元官僚たちの支配下へ。まあ、天下り先としてはおいしいところだった・・ということだ。
玉井氏は、すぐに「災害遺児の進学をすすめる会」に合流し、さらには、病気遺児の会も合流・・今の、交通遺児、病気遺児、災害遺児、自死遺児など、すべて遺児のための「あしなが育英会」につながっていくのだ。
今あしなが育英会は、政府など「官」から一円のお金ももらっていない。
彼らが神戸につくった「震災遺児のためのレイボウハウス」は、世界的にも癒しの場の形として注目されている。
この組織で特徴的なのは、「恩返し」という意識だろう。
ここから奨学金を受けたり、サポートしてもらった子どもたちが多く組織に関わって活動が維持されている、ということだ。
こういうかたちもまた、「アシナガ」という日本語で、遺児たちの進学を可能にすることで、社会的底上げの形として注目されているらしい。

私も、年末になると「あしなが育英会」の袋をバックの中に忍ばせて、大きいコインかオサツをお恵みを・・とやっている。
自分が事故に遭い、示談が終わったときにささやかに寄付をしようと思った。
ひとつは、ペルーの女性自立支援センター(キリスト教系の民間団体主催)と決めていたが、もひとつは、交通遺児育英会にしようかな、と思ったのだが、しかし、何となく、あしなが育英会にした。
理由は簡単・・交通遺児という漢字より、あしながというひらがなに惹かれたという浅はかな理由。
知らぬこととは言いながら、直感的よいチョイスであった、と思う。天下り「官」の給料の一部にされたらたまらない。
お恵みを・・とやりだしたのは、このときからのご縁・・今年の暮れもみなさんよろしく・・11月くらいから取り組みます <(_ _)>

・・・・・・・・・・・・・・

昨年、武内孝善先生からいただいた「高野山から弥勒の世界へ」を読んでいる。
資料の提出の仕方、武内先生、まるで「人間グーグル」だ。
とりあえずは、ただただ、それに感心。
そのうちに、先生がいわんとされているところを、ここでまとめます。。



2003年06月04日(水) クラゲの話 2

昨日の「クラゲの人生」って考えれば、変なタイトルよね。
クラゲに「人生」あるわけない。クラゲ生だよ。
で、今日はクラゲの話に致しました。

クラゲは、脳も心臓も、呼吸器もない。あるのは、皮、筋肉、神経少々。
下等といわれがちだが、10億年も、進化なし、その当時の姿のママに生きている。
ヒトは、ネアンデルタールから、クロマニオンに「進化」?して、前頭葉が発達してブッシュのように凶暴化したらしいが、クラゲはある意味最初から、完成度が高かったということだ。
シンプル系だけど、あのクラゲ形まで、プラヌラ(ラテン語で放浪者という意味だそうな)、ポリプ、ストロビラ、エフィラ(これはきれい!)、メテフィラ、子クラゲという幾段階もの変態を遂げるのだ。
10億年前の進化の過程をその誕生までで追っているのだろうが、すごいよね。
まあ、中には、この過程を経ずに、親クラゲの身体の中にいきなり子クラゲが出現するというヤツまでおって、さすが長い時間を生き抜いてきたクラゲさんの多様な生き残り戦略。(この延長線上で考えれば、クローンなんて最低)

で、寿命は、約1年。(中には、生息海域深く潜って、もっと生き延びるヤツもおるらしいが)
暖かい海を生息域としているヤツは、水温が下がると消滅し、冷たい海を天下とするヤツは逆に水温が上がると消滅。
「クラゲは刺す」といわれるけれど、ささないヤツもおる。
でもまあ、クラゲは「刺胞生物」といわれるので、刺すのは彼らの仕事だ。
自ら進んではなく、刺糸がついている足に触ったりする(さわられる)と刺されるというしくみ。
だから、さわらなかったらいいのだ。

淡水クラゲというのがいて、今までいなかった湖にある日突然クラゲが出現する、なんて不思議な話があるそうで「クラゲは空を飛ぶのか」という議論もある。
ドライ化して空を飛び、新天地を求める・・水でえさをあさった鳥の足にこっそりついていく・・・なんて議論をしているクラゲ好きの掲示板・HPもある。
ジェリーフィッシュ(クラゲ)愛好会なんていうのもあって、会員になろうか、とかって考えたり。
ただ、私の場合、その美しさを愛で、生き方に考えさせられ、という非自然科学的な愛好者なので・・・

ちなみに、日本で一番たくさん美しいクラゲが見られるのは、江ノ島水族館2Fである。ここがダントツである。
あと、兵庫の舞子の水族館にも以前いったけど、タコクラゲとヒゼンクラゲ(でかいヤツ)などがいたよなあ。
いってないが、鳥羽の水族館もなかなかのようだ。
癒しの時代とかいうし、クラゲがふらんふらん水流に乗っているのを見るだけで、くつろげるヒトもいるだろうよ。
江ノ島水族館の問題は、2Fのみというチケットがなくて、鯨の芸なんかもはいって1800円(確か)という高さ。チケットを単品売りにして欲しいところだ。
私はそんなわけで、まだ3回しかいっていない。
バブルの頃、短期間だったが、銀座の歌舞伎座手前の角にクラゲだけのアクアリウムがあった、あれ、どうしたんだろ??

クラゲ飼育セットも静かなブームらしい。
ネット上では、2万円くらい。
昔、近くのペット屋で見たのは、ミズクラゲ飼育セットで1万8千円くらい。
旅をたびたびしなくなったら(今日もでた)、クラゲ、犬、猫を是非飼いたいものだ。

・・・・・・・・・・・・・

お大師さんがお若かった頃の修行はこんなか?と思わせしめたあこがれの100日行者さんのお名前が判明した。(ニコニコ)
100日行が行満されたら、お会いしに行きたい。

おまけ・・クラゲは「海月」と書く。こういうのみると、漢字っていいなと思う。



2003年06月03日(火) クラゲの人生 1

昨夜、何気につけたテレビ・・地球・ふしぎ大自然でパラオのクラゲをやっていた。
クラゲ好きとしては「これはクラゲが呼んでくれたのだ」と勝手に思いこんで、楽しんでしまった。
パラオのジャングルにある海水湖に生息するタコクラゲたちが主人公だった。
海にいるホントのタコクラゲとかなりちがう独自の変化を遂げていて興味深かった。とくに、ミトコンドリアかな、とにかく光合成をする微生物を体内に飼い、共生することで生き延びてきたというクラゲさんに「すばらしい!!」と拍手。

テレビではタコクラゲしかでてこなかったが、あのどこにでもいる(しかし美しい)ミズクラゲ、オキクラゲ、ウリクラゲ、でかいヒゼンクラゲ、ちょっこと怪しいサカサクラゲ(これもきれいだし、逆さに水底にぴたっとくっついてゆらゆらしていている様はユーモラス)ユウレイクラゲ、ハナガサクラゲ・・・世界に3000種くらいいるといわれるクラゲさん、どれをとっても、地球が生み出した「芸術品」なのである。人間よりずっと完成度が高い。(と独断と偏見)

ちなみにクラゲは、自分で泳ぐ力があんまりありない。水流にのって生きている。水が流れないと、水底に張り付いて消滅。それでなくとも、寿命1年弱なのに、簡単にお亡くなりになる。
ミズクラゲについていえば、水温が25度くらいになる6月くらいに出現して水温が低くなる11月過ぎにはいなくなる(消滅)
水流にのって生きているので、自分から食べ物に近づくこともなく、たまたま自分のクチの近くに来たら召し上がる。食えなくとも、文句はいわぬ。ただ消滅を待つだけ・・あまりに達観、風流な生き様、さらにはその姿形の美しさに、私は惚れたのである。
それは、かれこれ10年ほど前。
このころから、あたくし、人生の奥行きに思い及ぶようになったのやも・・???
(笑)
クラゲになりたい、クラゲのようにいきたい・・と思うけれど、それ自体が「我欲」で、クラゲさまの生きざまと矛盾していて。旅に出てたびたび(エイ!シャレじゃ)留守にしなかったら、クラゲさんと同居したいのである。

で、明日は、クラゲについて生態学的なお話をいたしませう。



2003年06月02日(月) 三峡ダムの稼働

6月1日より、中国長江にある三峡ダムが水をため始めた。
世界の潮流は、田中長野県知事ではないが、「脱ダム」だ。
さらには、三峡ダムができると、地球規模で気候が変わるだろう、全世界的な公害だ・・などといわれ続けたが、もちろん聞く耳持たぬ中国だった。
なにしろ、建国の父孫文がいいだしたことだからな・・・

1997年、香港が返還される前の4月、香港、船で広州、飛行機で重慶と移動して三峡下りをした。もちろんバックパッカーなので、外人客の利用する観光船ではなくて、人民船。
原始のままといっていいような港?(どろどろで、水の増減で位置が変わる)や、焼き畑農業らしき煙、ふるびてほこりっぽい長江沿岸の町や村・・の平和な気配。
人民船には、竹かごに詰められたブタがたくさん乗ってきてビヒン、ブヒンといっていたっけ。
町に着くと、必ず、ここまで水が来るという線があって、しかし、そんなことしらぬかのように人民のくらしはあった。
ホントに、みんな沈むのだな・・・
やがて沈むせいか、重慶からダムのある宜昌(イーチャン)は、中国政府も手抜きらしくて、近代化から取り残されていて、人々はのんびりとしていた。
広州のあまりの拝金と危険度の高さにうんざりして長江沿岸の船旅に行ったので、あちこちで「昔ながらの中国人」(私が初めて中国に行った83年に出会ったような人たち)にあって、優しくしてもらったので、嬉しかった。
あの人たち、みんなどこに行ったんだろうか。
奉節(フォンジエ)の白帝城では、あのショカツコウメイが、星を観た「観星亭」?があるのだが、そこの壁にここは「天然小島」になる、やがて索道(ロープウエイ)でつなぐか、水中道でつなぐだろう、とかって書いてあった気がする。
何が「天然」だ。人工だろうが、と思ったことだった。

それにしても、新聞でできあがった三峡ダムの写真を見ていると、何時か廃墟になる姿、決壊する姿が見えてしまう。
「長江」という大自然に中国政府はやがてすごいつけを払わされそうな気がする。
しかし、それは、一人中国だけでなくて、近隣の国(もちろん日本も・・日本の企業、工事でもうけている)にも及ぶ。
決壊したら、言い出しっぺの孫文のお墓(中山陵といって、皇帝みたいなでかい古墳?が南京郊外にある)も流れちまうだろうよなあ。南京は長江の中流域。宜昌から、1泊2日のところにある。
まあ、自業自得か。
という事で、三峡ダムを素直に喜べない私だ。

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今日の昼、あきれた光景を見た。
うちの下の道路のカーブのところで(事故あったとこよ)で、近くの中学の若い男の先生がテニス部の女の子15人ほどを並べて説教している。
公道で、説教、にわたし、あきれた。生徒がかわいそうだ。(ガッコでやれ、やるなとは言わないから)
それと、交通妨害だ。
思いきって窓から「先生、そこ事故があったとこですから止めて下さい、危ないです」
「すみません」と素直にいって中学に向かったが・・・今どきの先生(20代後半か30代始め)何考えているんだろうねえ。







2003年06月01日(日) 内臓脂肪センサーつき体重計到着

先日来頼んであった、内蔵脂肪センサーつき体重計が来た。
さっそく計量。
結果・・体脂肪は肥満・・・30%(-_-;)
しかし、内臓脂肪は、レベル7で、レベル9からが危ない数値(やや肥満)から低い。
ということは、私の脂肪は「外」についているということである。
内臓脂肪は、取るのがより一層大変というし、まあ不幸中の幸いか。(と勝手によい方に解釈している私なのだ)
ちなみに、体重は、4キロから5キロ減って、、ベトナムから帰ったときには、きつかったおズボンや、みっともなかったブラウスが普通にはいるようになった。
ヤレヤレだ。
すこし、励みになった。
(要するに振り出しにもどったということなんだけど)
タンスで塩漬けになっているお洋服でまだ着られたらな・・というお気に入りもあるし、がんばろ。
しかし、時々は饅頭も、大福も、ケーキ・ステーキ(この二つはあんまり食べたくはないけど)も食べよう。

うちの近所に竜馬屋という高知県のアンテナショップができた。
嬉しいけど、高いのだよ。
だって、東急の諸国名産品屋(私のご贔屓)に、入っている「ごっくん」は120円なのに、ここは、130円なんだよね。
やはり「賢い消費者」としては、120円を選ぶ。(もちろん、アンテナショップも応援したいけど・・)
しかし、商売が下手だ。
どうして、近隣のお店やデパ地下を偵察に行かないのか。
せめて、同じ120円としないのか。
あるいは、10円,安くできないのか。
そしたら、こっちを買う。
夏はお得様になる。
だって、高知のよしみで、安く仕入れるってできるでしょ。
本場馬路村では105円だよ。(自販機が110円だったかな?)


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