朝イチの高松行きANA。 空港には、真念さんのお墓を発見された尽誠学園の校長先生がお待ちくださっていた。早速に、真念のお墓発見のいきさつをおききして、今の洲崎寺に移される前の お墓のあった共同墓地につれていってくださった。 その後、洲崎寺にお参りにいってびっくり。 だって、あまりにお寺の境内が整備されて、きれいになっていて。 当然以前は隅っこにあったお墓もすごく目立つところに据えかえられていた。
その後四国村というところ、わらや(たしか)で、生醤油うどんをいただいて、県庁ホール。 全国看護学校研究協議会(だったよな)で、お遍路の話をさせていただいた。 すごく立派花束までいただいて、高松駅に直行。(お花、破磐の神様に贈呈) 坂出で、今治のKさんと合流。 びっくりしたのはその際に、私は遍路の話の中でなにげに話題に乗せた当のご本人(先日お遍路の展覧会をなさったYさん)が、Kさんの友人とともに見えていて会ってしまったことだ。「ひゃー、今、Yさんのお話をしてきたばかり、怖い」とさけんでしまって、事情をお話ししたら、やっぱりすごくびっくりされていた。 つい、話題に乗せた自分の無意識というか、潜在感覚がマジに怖かった。
夕方、Kさん、Kさんのお友達で土佐中村から来られたMさんと6時前に破磐神社さんへ。 今日は「千灯祭」竹の筒にいれたろうそくの明かりが幻想的で美しかった。 また、子ども相撲も行われていて、まるで昔に神社のお祭りみたい。 これもGood。 宮司さんご夫妻はじめと8人して、シンデレラの馬車がカボチャになる時間まで話し込んでしまった。 「私らは、前世のどっかで、こうやって宴会していたことがあるんだろうねえ」 という一言が印象的だった。 人気のなくなった神社で燃える、ろうそくが何とも美しく幻想的×5でした。 この風情、またしても日本一だい。 今日は、神様がいつもにもまして喜んでおられたようで、神社の境内の気が強くなっていた。 夕べ、よく眠れなかったので、きょうは早寝と思ったがただいま2時。 ではお休みなさいです。 よい一日でしたわいさ。 姫路の空は秋の空風でした。
新聞でみたとき「えらいジャン」と思わず言ってしまった。 東東京代表である。 この頃の都市部の高校野球は「野球学校」がご常連状態で、ぜんぜんおもしろくなかった。 それが、都立、である。 地元の子がメンバー、である。 なんでも、グラウンドが使えないときは多摩川の土手で、近所の子同士が集まって自主トレしたんだとか。 昔っぽくていい感じ。 がんばれよー
ミッチー先生のお隣の倉敷工業も「祝甲子園」らしいが、公立でしょ、やっぱり。 がんばれ、公立高校だね。 ところで、新潟ってどこが代表なんだろうか?
★ スイカ糖メモ スイカの汁を搾って煮詰めるとできるらしい。 スイカの香りがして、紅茶に合うのだとか。 利尿にもいいらしい。 そのうちにスイカが安いときつくってみたい。
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明日、ちょこっと、西方面に出かけるので忙しい。 で、そのまま、田舎に帰る予定。
2003年07月29日(火) |
仰天 オオカミ輸入?計画 |
調べものをしていたら、うっかり、おもしろHPを見つけた。
その一 オオカミのHP その二 世界二〇四カ国に旅した人のHP (確か世界の国192だと思っていたのだが)
なんと日本の野山の壊れた生態系の再構築のために「ハイイロオオカミ導入計画」があるのだという。 日本にかつて生息した種とほぼ同じだといわれる朝鮮半島系のヤツを持ってこようということだとか。。 ふえすぎて作物を食いあらす、猪・鹿や猿などの「天敵」として日本全土に放逐(この表現でよいのかどうか疑問だが)しようということだとか。 ドヒャー、である。 これは、アメリカのイエローストーンナショナルパークでかなり成功したらしくて(今や観光になっている)まあ、またしてもアメリカのマネしようというわけですよね。それだけで、問答無用でいやだね。(我ながら、この頃は、イスラムの人のようにアメリカ嫌いとなっている)
しかし、考えてみて下さいよ。 四国の山野に放逐されたとして、遍路道歩くの、こわくなるねえ。 オオカミはめったに人は襲わないといわれてはいるものの・・猿や猪に加えてオオカミもいる・・それも日本語が通じないオオカミ・・って思っただけでこわいよね。(新宿や渋谷にいるオオカミの方がこわいだろ、という意見もあるかも知れぬが) 小笠原にいったときに、ジャングルに蛇がいない、というだけでどれだけ私リラックスして山歩きジャングル歩きができたか。(アノールトカゲというミドリトカゲはいます) オオカミ、、滅ぼしたのは人間だけど(江戸期、なんと一頭一両の時があったらしい)、それを回復・・・やめてよ、もういないことになれて一〇〇年過ぎたんだよといいたいねえ。 ずっと、存在し続けたのなら、共存もしてきたでしょうが。 西表島では、ハブを退治するためにマングースを導入してアマミノクロウサギの危機を招いた。(でよかったよな、確か) これは、もう取り返しのつかないことらしい。
オオカミ輸入(というのかな)断固反対!!
ああ、今日も禁断の地雷(おもしろいHP)を踏んでしまった。 こうなると、ちっともやるべきことが進まない・・・ 早めに日記をアップして、ネットを切って、今日のやり残しがんばります。 (猿もできる反省をしている、今このとき・・夕方5時をまわりました。3時間あまりオオカミのHPをさまよい歩いていました・・情けない)
カトマンズの知人から、カイラス巡礼を終えて帰ったとメールが来た。 春に、四国歩き遍路と、大峰奥駆け、その後の五体倒地でのカイラス巡礼。 これは、快挙である。 メールを開いたら、一瞬、ぞくっというか、なんかがきたもんね。(マジに) お!!カイラスの霊気か?だった。 いや、ホントにおめでたい、おめでとう!!!だった。 すごく元気な朝でした。 話を聞きに、ネパール、行きたいなあ・・・ なんてね。
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この涼しさは、地震と何か関係あるのだろうか・・・ 「夏のない年」があると中国の歴史書にあると、冷夏だった93年,そのころ通っていた荻窪の鍼の先生がいっていたが、今年もそんな年になりそうだ。 何とも不気味である。
「小泉、まずはコウタロウを、イラクにやれ、無事に帰ってきたら、軍人の役もできる、役者としての幅は広がるぞ」と今日、漫画家のはしもといわおさんが書いていた。まったく同意見。 そうだよね、そう思っている人は多いと思う。 まあ、コウタローくんだって、ぼくは独立した個人だから、という反駁はあろうが、まあ親の七光りの2乗でお仕事している以上、それくらいいわれるのは覚悟しないとね。だって、「小泉孝太郎」はっきりいって、役者の色気というか、人気をとるオーラはまったくでてない。オヤジの方がある。 ソーリがソーリじゃなくなったら、終わりだろう。 大昔、佐多稲子さんが遊びに来た知り合いの子ども?の中村敦夫(当時外大の学生)を見て、アンタ、色気がある、役者になりなさいといったという。 木枯らし門次郎のはるか前である。さすが非凡の天才作家、すごい眼力だが、「役者の色気」はつまり、そういうもんである。 「眼力」のある監督が孝太郎使いたいといった話はないもん。
新聞紙面、自殺(それも意味不明の、それこそ不気味な)、強盗の記事のなんと多いことか。しっかりと新聞を読むと、めいる。
植木鉢から、覚えのない朝顔が芽を出してこの涼しさなのにすくすくと伸び始めた。どうしてだ?なんでだ? なんにも植えてないはずの土だけはいっている植木鉢(まどの外においてある、実はパンジーだったが枯れてなくなった、トホホの植木鉢)からは、この春ピンクの立派なねじ花が芽を出して、3本美しく咲き切った。 仕事人は、鳥さんか?
2003年07月27日(日) |
NO!がいえる育て方 |
宮城県の地震、揺れがおさまらず、大変そう。 こわいだろう。 大昔の9月、東京が1月断続的に揺れたことがあった。 あの時、やっぱりすごくこわかった。 私の知る限りでは、まだ「死者」の記事はない。(今後もないことを祈る) やはり、地震のときは、都心部はダメ、田舎のほうがよろしいということだろうか。それとも、起きた時間だろうか・・・ 気候といい、地震といい、やっぱり・・・・おかしいよ。 人間は環境動物だから、知らずこういう「おかしい」の影響を受けるはずだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ ☆さて本日のお題☆
新聞に12歳の女の子にどう話したらいいのか、という記事がのっていた。 女性のためのセックスグッズ(どんなモノがあるんだ?)の開発販売と、情報発信をする「ラブピースクラブ」というお店をしている30代の女性の話にうなずいててしまった。 @いわく「嫌」といえる「NO!」がいえる女の子に育てろと。 渋谷なんかで観察していると「おとなしくて、嫌がいえない子」が、馬鹿な男にねらわれている、と。 ★そうそう・・だ。ホントにそう思うぞう。 @「自分のパンツを売るのがなぜ悪いのか」と聞かれたとき 売ったらその先どうなるか、の現実感がないのだと思う。(私は想像力の欠如だと思うけどね) だから、「モー娘。」あたりのコンサートに親子で行って、あんまり近づきたくない気持ち悪い男が「○○ちゃん、パンツくれ!」って叫んでいるのを見せる。 で「ああいうヤツのお宝になるんだよ、パンツ売ると・・」というのがいい。 ★なんと、実践的なお教え、しかし、いつ行っても「パンツくれ!」なんて、叫ぶバカはいるのだろうか。そのあたりが私は知りたい、たいぞ。 @性を商品にする女性が非難される一方で、買う方、加害者の男性のあり方があんまり問われないのがくやしい。 そんな中で、女の子はどんどん自尊心をなくしていく。 ★確かに「買う男」の問題があんまり突っ込まれていない。私もそう思っていた。それこそ、買うヤツを馬か牛に乗せて「市中ひきまわし」しろよ。(と、某大臣に劣らぬ野蛮発言、失礼)
「女性のためのセックスグッズ(どんなモノがあるんだ?ともう一度(@_@))の開発販売と、情報発信をする「ラブピースクラブ」というお店をしている30代の女性」 というの、読むとかなりあやしそう・・・しかし、写真は女性活動家の人相である。 その実践的でするどい発言に、すかっとしました。 しかし、こういう「識者」ってどこから見つけて来るんだろ。 それと、ゲリラ的に地方紙東京新聞だからこそ生かせるキャラだと思う。 これからも、東京新聞、愛読します。(別に*もらって*じゃないですよ)
でもま、 「子どもがNO!がいえる子」に育てるって、現実的には難しい。 最近の親、子どもをペット化しているという批判もあるが、ペットの子どもは「NO」がいえないよ。で、がっこうはどうか、といえば、これまた「NO」がいえない先生たちが「教育」に当たっているのだから、けっこう絶望的状況ではあるのだね。 確か「よくわからないまま」YESをいったがために、ドラッグがらみで、何年もオーストラリアに「抑留」されちゃった話が何年かまえにあったような・・・まあ、あれはサポートしなかった日本大使館も悪かったのだが。
私論としては、急に「NO」はいえません。 「NO塾」でも作ろうか、ハハハ。 ま、ふだんから、子供と親、渡り合い、議論しあい「人間のつき合い」をしとくことだと思う。 けっこう平凡な結論かなあ・・。
★ロッテのクーリッシュというアイス、気に入ってます。 コーヒーフロートに浮かんでいるアイスクリーム氷山のとけかかった感じでチューブからでてくるのを、チューチューすうのって、たっのしい。 コーヒー味はシナモンが効いててうまいけど、バニラも、冷たいコーヒーに絞り出すとよいのです。 ★クレオパトラのスープ 1日おきくらいに作っている。生姜をたっぷり落として、ね。 この前生姜は体を温めるとかって、物知り顔に新聞にかいておるフードライターがあられたが、「ちゃうで、生姜は、暑いときは体を冷やし、寒い時は温める、そういう驚異的な野菜なんでえ」と、いうたげたかったわ。 ★夏野菜カレー 夏が来てないのに、今年はなぜか「夏野菜カレー」だけはよく作る。いつもだと、ラタツュユと交代くらいなのに。 ★単に水を飲むこと 冷やさないミネラルウオーターがうまい。それと、自分でいれてひやしたお茶(いただきもんのおいしいウーロン茶がたんとあるのだ・・・)。両方で、2リットルくらい飲んでる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「イラク特別措置法」が成立した。 刻々とかつてのベトナム化しているイラクに自衛隊を出すことは、だれかが死ぬ、日本も血を流している、というアメリカへのこびへつらい。 小泉、まずはきみんちのコウタローを送りだせば、といいたいよ。 小泉は、先に行って日本のかじ取りを間違えた首相といわれる、と私は予言しておく。 オームの地下鉄サリン事件の時に社会の「たが」がはずれた、と直感した。 今回も、また戦後、日本社会が守ってきた「たが」がもう一つ、いともたやすくはずれた。 こういうの、国民投票、させろよ、といいたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ケガをして寝込んでいる今関さんからメール。 「たまきちゃんとお父さんがお見舞いに来てくれました。こういう打ちひしがれているときのお見舞いはホントにうれしいです」 ありがとうございました。 近かったら、私、行くのにと思っていたので・・・感謝です。 たまちゃん、お父さん、ホントにありがとうございました。
2003年07月25日(金) |
上から下まで、天から地までおかしい?? |
渋谷で通り魔。 民主は小沢を組み入れるという節操のないことを・・。 新聞を読んでいると、やっぱり世間がおかしい。 「12歳が、おかしいのか、それともこの大人社会がおかしいのか」という見出しが何日かまえの新聞にあったけど、世の中だねえ、子どもじゃないよ。 書店で、小6女子4人を監禁して自殺した吉里容疑者のうちのことを読んだ。彼のうちって、まるで呪われたようなうちだ・・朝日の記者だった父は何万に一人という難病を苦にして自殺、兄はその父の死を苦にして自殺、母は、思わぬ災難で耳がおかしくなり、係争中。読んでいて、背筋が寒くなった。 目に見えない何か、が運命を狂わせている??のか。 母は、なんだか人権活動家で「子どもの校則問題」で先生を2人辞めさせた、と豪語していた人だったとか。
気を吐いているのは、水泳の北島だけ。 とりあえず、これだけは「おめでとう」だわね。
自民党の野田聖子議員が「長老方」にかみついている。 たまりかねて・・・らしい。 「短絡的な発想で、子どもの事件とか、社会面的な側面を、女性に押しつけている」(まったくそのとおり) 「男性から、女性の服装禁止法を作れ、というメールがあったが、女性の服装でふらふらするのって主体性がない、成熟していない」 (そうそう!日本の男は世界で一番成熟していない、未熟である、と私も断言したい、しかし、その情けない男どもを製造しているのは、他ならぬ日本の女どもなのだ。この悪循環、相互依存関係を断ち切らないとなあ) 「政治家が子ども化しちゃったんじゃないかと思う。・・・・小泉マジックに支えられて、甘えて、発言に相手を思いやる気持ちがなくなっている」 政治家の子ども化ねえ。 だったら、子どもがもっと子ども化したり、おかしなことするの当然じゃんよ。 ところで、「自民党の大先輩の許し難い暴言が相次いだ」と朝日新聞に投稿した野田議員への自民党内部の反応は、「黙殺」 「これが自民党の典型的なイジメ」だという。 これ、わかる、大人の男(いい意味でじゃない)のイジメってこれなんだよね。 陰気くさくて、実は一番こわい。 そうそう、「集団レイプ、元気があっていい」といった太田議員は、「男女共同参画社会基本法を廃止したい」という問題発言もあったという。 選挙で、ガンバランとねえ。 「むしかえし力」を発揮せんとねえ。
今日もセミの声聞かず。 外に出ると、じゃっかん、むしむしするんだが、温度は低い。 気象庁は、「8月は例年の暑さになる」と長期予報をまたまたシレッと出したようだが、ホントかしら。 だって、8月まで、あと1週間ないんだよ。 まったく、今年は酷暑になると6月に長期予報を出した気象庁の担当者、蒲団かぶって寝ているかどうか知りたいね。あるいはまた、なぜはずれるのか、くどくどかいた反省文などをHPに掲載したら、よろしいでしょうにね。(フン・・と鼻息) ちなみにヨーロッパは、いつもより高めの夏らしい。 (ヒコーキのチケットのことでメールをやりとりしているIさんよりの情報)
今日は、昼間少しお日様がでて、セミが鳴いたのを聞いた。 「セミも待っているんだ」と何だかいじらしくなった。 そりゃ、2週間ほどの命。セミくんにしてみれば殺生なことだ、この天気は。
スーパーのうなぎや発泡酒の売れ行き、電気製品の売れ行き、みんなダメらしい。 まあ、柏崎の原発を首都圏の電力不足を解消するために動かしたらしいが、動かす必要なかったんとちがう?? うなぎに関していえば、「中国産うなぎから抗菌剤」らしいし、食べない方が正解かも、だ。 それにしても「中国産」=「危険」「ヤバイ」になってきつつあるなあ・・
夕刊を読んでいたら、ニューヨーク議場内で発砲事件で2人死んだとか。 なんて野蛮な国だろう、と思ってしまう。 そのとなりに「ウダイ・クサイの密告者家の主人」という記事。 「あいつは、売国奴で、裏切り者、もう国には帰って来れないだろう」という、イラクの記事があった。 この記事に見られるイラク人のコメントのほうが、議場!で発砲事件が起きて(それも、田舎じゃない、NYcityよ)議員が死んでしまう国より上等に思えてしまうのだ。
2003年07月23日(水) |
那智観光案内 & ふわふわちゃん |
遠方の友より、那智に行くので、おすすめポイントを、というメールが来た。 で、渾身の観光案内をした。 それが、今日の私の一日で一番まともな「おこない」でしたでしょうか・・・ (反省・・お日様がでないとだめなんです、ウルトラマンといっしょなんですう・・暑くてもいい、ビールがうまくなる、夏の太陽カムバック!!アメノウズメのように、だれか裸踊りをせんとダメか) で、那智観光案内転載でござる。 まあ、那智の火祭りは終わりましたが、今年は雨が多いので瀧の力がすごい、夏おいでになる方はぜひ「飛瀧神社」へ、なんてね。
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では、知りうる限りの観光案内。m(_ _)m まず、那智駅は「日帰り温泉」が付いている駅です。 駅近くの海はきれいで今どきは海水浴シーズン。 ヒト泳ぎして、一風呂浴びて、ビール、といけるぜいたくな駅(一見さびしい田舎駅ですが)ですよ。 那智駅から歩いて5から10分の所に「補陀洛山寺」(ふだらくさんじ)と「浜の宮王子」 那智駅は各停しかとまんないし、那智勝浦からのバスできてここで降りられるほうはいいかな。 いずれにしても、那智滝行きのバスはここが始発です。
那智駅から、バスで行かれるなら、「大門坂下」くらいで下車して、歩かれると「熊野古道」の気配が伝わってきます。 滝そばの神社(飛瀧神社)は、5時前に行くと、すぐそばまで入れます(これは有 料)入ったところに長寿の泉。 これ、くんで下さいね。 私はいつも(といっても2回ですが)5時前後参拝で、入ったことがありませんが是非是非。 ご神体だけあって、瀧のエネルギーはすごいと思いますよ。 今年の水量はかなりですから迫力があります。 青岸渡寺と、那智大社は、どっちも眺め抜群。 すがすがしい気があります。 寺本堂前のお水もおいしいし、ペットボトルの空きは捨てずにお水をくんで帰りま しょう。 宿坊尊勝院は、本堂からすぐ下にあります。 翌日5時からお勤めですが、でられることをおすすめします。 朝早くは気持ちいいです。 あと、本堂裏に熊野古道中辺路の入り口があります。 登っていくと那智高原、途中で左に行くと、このあたりの亡者があつまる寺と言う伝説がある「妙法山 阿弥陀寺」があります。 ここ、富士山が遙拝できる、最遠の地だとか。 (残念ながら、わたしは行っていません・・・確か、車で那智スカイラインを登り詰めるとあるのでは?)
あっと、お土産には那智黒石のお守りがgood。(その地にしかない神社守り集めが趣味の私がおすすめします) 速玉大社もさることながら、神倉神社は登るのが大変ですがぜひ行って下さい。 あそこの気はすごいですよ。 神倉に登拝しない、新宮行きは考えらんないです。 それで、上のお水もご神水でおいしいですよ。 速玉にもナギ守りという「ここしかないお守り」があります。お土産好適品。
それにしても、せっかく行かれるのに、熊野本宮はなし?ですか。 本宮にお寄りの節は、「大斎原」(おおゆのはら)は絶対はずさないで下さいね。 あそこは、ビッグ気のポイントです。 ホンマ、癒されますわ、あそこは。 いつか、あそこだけは野宿したいですよ。
新宮市内、おいしいお魚のお店、あります。(駅前にも一軒あったけど、名前は忘れました) お楽しみ下さい。 以上、観光案内終わります。 水くみ推薦場所が3箇所もあるので、空ペット3本もいりますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アッという間に返信が来て「リュック背負ったひとり旅、なんで、初日に水を3本」という嘆きメールでありました。 で、せめて2本としときましょう。 神倉神社の上のお水と、飛瀧神社のヤツ。 ご心配の持ち歩いていてもいいのか・・の件1日くらい持って歩いていても平気ですよ。 (いずれにしても、うちに帰って飲むときに気になるのだったら、沸かせばいい。ただ沸かすと、ちょこっと、水のエネルギーが落ちて残念) それから、駅前のお寿司屋さん、名前思い出しました。 たしか「徳川」(将軍だったかな、いや徳川のはずです)
*お時間がある方は以下に進んで下さいね。*
★・・・・ふわふわちゃんとくみちゃん 最終回・・・・・★
しょうたのかおを見に、ママのお友だちのみきさんが来ました。 しょうたは、パパがきめたくみちゃんの弟の名前です。 「う−ん、すべすべできもちいい。だから赤ちゃんて、すき。」 みきさんは、しょうたの手や足へほっぺたをすりつけました。 ママはわらいながら、見ています。 くみちゃんは、テ−ブルの上にあったおちゃのセットを二人のそばまでもって行きました。 じいじいちゃんのおそうしきがあったので、ママは少しつかれています。 くみちゃんは、おねえちゃんになったこともあって、ときどきこんなふうにお手つだいができるようになりました。 「まあ、くみちゃんえらい!うちのけん、こんなふうに気がつかないわ。」 くみちゃんは、うれしくなっちゃった。 「けんちゃん、行ってる?ようちえん。」 ママがききました。 「ダメ。今日も、うちから出ないの。お花がさいたら、また行くっていうの。」 ふわふわちゃんは空できき耳をたてました。
けんちゃんは、さくらようちえんのねんちょうさん。らい年は、一年生です。 「お花がさみしいだ、つかれているだ、そばにいてくれないと今年は花をさかせることができないかも知れないだ、っていっているから、ようちえんをしばらく休むよ。」 ある朝、けんちゃんはこういいました。 「お花、そういうこといわないんじゃない?」 ママのみきさんがいうと、 「シャコバくんが、そういったんだもん。」 と、けんちゃんは、口をとがらせました。 「シャコバくん」というのは、けんちゃんが生まれたときに、みきさんの友だちがプレゼントしてくれたシャコバサボテンで、きょ年は、三十三こも花をさかせました。 「たしかに今年は夏にあつすぎたし、サボテンだってつかれているかも知れないわよ。」 くみちゃんのママがいいました。 「どうしていいかこまっているの。みんな、そっとしておくとまた行くようになる、っていうんでそうしているけど。」 みきさんはいいました。 「あたしも、シャコバくんにあいたい。おはなしができるんでしょ。」 くみちゃんはみきさんにとびつきました。
「赤ちゃん生まれたんでしょ。おめでと。ぼくも、にいちゃんになりたい。」 くみちゃんがへやに入っていくと、いつもの元気なけんちゃんがいました。 「ママにたのめばいいんじゃないの?」 くみちゃんがそういうと、けんちゃんは、うんといいました。 まどのそばのテ−ブルには、ほそ長いはっぱをつなげたようなえだがあちこちにのびている大きなシャコバサボテンのはちがのっていました。 「くみも、シャコバくんとおはなししたいんだけどな。」 「いいよ。ほら、やっとつぼみが出て大きくなってきたんだ。きっとじきにさくよ。」 「ちょっと赤いね。」 「シャコバくんの花は、うす赤なんだよ。」 「こんにちは。」 し−ん。 なんにもきこえません。 「おはなし、しないじゃない。」 「ごめんね、こえは出さないんだ。ぼくはわかるんだけど。」 けんちゃんは、すまなそうにいいました。 「どうするの。くみ、わかんないよ。」 けんちゃんには、たしかにシャコバくんのことばがきこえるのです。でもうまくはなせません。 さてこまった。 ふわふわちゃんは、「よし!」とにっこりしました。 そして、シャコバくんのつぼみの先をちょっとこじあけて、うんこらしょのスィィンと、とびこみました。 「しつれい、しっけい。おじゃまします。」 根っ子のところに、ふわふわシャコバくんがいました。 「おれはびょうきだ。なんとかさいごの花をさかせたいだ。じゃまをしないでくれだ。」 「ぼくは、おたすけマンさ。ぼくのパワ−をあげるから、きれいにさいてけんちゃんやくみちゃんを、よろこばせてやって。」 「自分の力でなんとかするだ。かえれだ。」 シャコバくんはがんこです。 「弱っている時はたすけあおうよ。けんちゃんは、ようちえんにも行かずにきみのこと見まもって、せわしているよ。」 「あの子は、ぼくのきょうだいであるだ。」 「あの子のなかよしのくみちゃんは、ぼくの友だち、いい子だよ。だから力をかすよ。」 シャコバくんは、やっとうなずきました。 「ママ、しばらくかえんないよ。」 ふわふわママは、空の上で「しかたないわね。わかったわよ。」といいました。 「ね、きこえるだろ。」 くみちゃんは、けんちゃんにいわれてシャコバくんのまん中へんにある一ばん大きいふくらんだはっぱを、ひとさしゆびとおやゆびで、じっとやさしくさわっています。 「きこえないけど、なんかドキドキするよ。」 「朝ね、シャコバくんがこのへんからでてきて、ふわふわしてたよ。たすけてだ、そばにいてだ、だって。ゆめじゃないよ、見たよ。」 「たすけてだ、なんてへんなの。」 「ぼくもそうおもったけど、わるいからわらわなかった。」 根っ子の中で、ふわふわちゃんはうふふと、シャコバくんを見ました。 シャコバくんは、目をつむって口をちょっとまげてむっむっむといったきり。 「そろそろ、やるだ。行くだよ。」 パッと目をあけると、シャコバくんはいいました。 よし、とふわふわちゃんも気合いの入ったへんじをしました。 二人はむかいあって手をつなぎました。そしてひたいとひたいも合わせました。 二つのふわふわしたすがたは少しずつとけて、一つの大きなふわふわになりました。きらきらと白ぎん色にかがやき出しました。 光がいちだんと強くなると、フカン、プカン、フワ〜ンとうき上がりました。 その時です。 しゃぼん玉がわれるように大きなきらきらふわふわははじけました。 「見て見て。ひらいた、くみちゃん見て。」 けんちゃんがさけびました。 大きなつぼみの外がわの花びらが、今ひらきはじめたところでした。 「ずっと見ていたのに、わかんなかった。」 「シャコバくんが花の中でわらってる。よろこんでるよ。パチンと音がしたよ。」 「ほんと?けんちゃん、すごい。」 くみちゃんは感心してしまいました。 花になったふわふわちゃんは、くみちゃんへ、ウッフン〜としんごうを送りました。 「あっ、ほんと。お花、わらってるね。さいてうれしいんだね。」 くみちゃんとけんちゃんは、うなずきあってにこにこしました。 日ざしがあたたかい冬の午後のことでした。
おしまい(禊ぎ完了 アハ)
2003年07月22日(火) |
反省文<(_ _)> |
今日もさっぱりしない天気だ。 しかし、昨日のように降らないが・・・昨日の私のぬれ方はどういうことなんだ??といまだにこだわってしまうのだ。 部屋中に、昨日の持ち物をいまだに広げて扇風機を回して乾燥中である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ふわふわちゃんとくみちゃん(3)
まんまるお月さまが半分くらいになったころでした。いなかのおうちからでんわがきて、おばあちゃんはあわてて帰っていきました。 おばあちゃんのお父さんが、たおれたのです。 くみちゃんのひいじいちゃんで、八十七才。みんな、じいじいちゃんとよんでいます。「よくきた。あきこ、よくきたなあ。」 くみちゃんがいなかへ行くと、そういってあたまをなでます。 あきこはママの名前。 「あたし、くみ。ママじゃないよ。」 くみちゃんが、口をとがらせても 「あきこは、いい子だ。いい子だ。」 そういいながら、にっこりするのです。 「くみがママの子どものときとそっくりだから、まちがえたの。かんべんしてやってね。」 いつも、おばあちゃんがあやまります。 お月さまが出なくなったばんのことでした。 いなかからでんわがきて、パパはくみちゃんと、ママと、生まれたばかりの赤ちゃんを大いそぎでにもつのように車へのせました。 「じいじいちゃんがしにそうなんだ。」 ふわふわちゃんは、月のないくらいよるはにがてです。 でも、しんぱいなのでついていくことにしました。
じいじいちゃんは、おへやのまん中にしいたふとんでねむっていました。 「じいじいちゃんのいびき、すごいね、パパ。ちっともしにそうじゃないよ。」 くみちゃんはパパの手をしっかりとにぎりしめていいました。 グォ−、グオォォ−−。 大ゴリラがねむったらかきそうないびきでした。 じっときいているとちょっとこわいの。 「あれ、びょうきのいびき。」 「おいしゃさんに行かないの。びょうきのときって、にゅういんするでしょ。」 「じいじいちゃん、しぬときはおうちがいいって、いつもいっていたんだよ。しぬのは、びょうきじゃないんだよ。」 じいじいちゃんのわきにすわっていたおばあちゃんがいいました。 べつのおへやには、しんせきの人がたくさんきていました。おちゃをのんだり、小さい声でおしゃべりをしたりています。 「どうしてみんな、きてるの。」 「じいじいちゃんにおわかれをいいにきたんだよ。パパもママもくみもそうなんだよ。」 パパがいうと、ママもくみちゃんをみつめてうなずきました。
「くみ、おきなさい。」 パパがそういいながら、くみちゃんをだきかかえました。 ついたところは、じいじいちゃんのおへやです。みんながあつまっています。 じいじいちゃんはもう大ゴリラのいびきをかいていません。 ヒュュュ−−−、ヒュョョ−−。 ちょっとひらいた口から、そんな小さな音が出ています。 しっかりとじた目のまわりのしわがうごかないなみのようです。 「じいじいちゃん、しぬの?」 おばあゃんのとなりにすわっていたママがふりむいて、うなずきました。ママの目には、なみだがたまっていました。 それを見たら、くみちゃんもかなしくなってなきだしちゃった。 空で見ていたふわふわちゃんは、よし、じいじいちゃんにとびこもう、くみちゃんがなくなんて、がまんできないよ、と思いました。 「ダメよ、行っては。きょうは、じいじいちゃんのたましいが天へかえってくる日なの。じゃまをしてはいけないのよ。」 ふわふわママがそっとひきとめました。
じいじいちゃんのむねは、ながいじかんをかけて、ふくらんだかと思うと、またゆっくりとしぼみます。そのたびにおふとんがほんの少し、あがったりさがったりします。 やがて、しぼんだままになりました。 「母さん、じいじいちゃんのさいごです。」 おいしゃさんをしているママのお兄さんがゆっくりといいました。 おばあちゃんは、なみだをながしながらうなずきました。 ママも、うなずきました。 くみちゃんは、パパにしっかりとつかまったまま、コクンとしました。 その時、ふわふわちゃんは見ました。 じいじいちゃんのあたまのてっぺんから、ふわふわじいじいちゃんが生まれるのを。 「ありがとう。さいごにみんなにあえてうれしかったよ。」 にこにこしてあたりをみまわし、そういっているみたい。 そして、ひとすじの白いせんになると、天へむかって行きました。 「じいじいちゃんはきまった日まで生きたの。だからしあわせそうでしょ。」 ふわふわママがいいました。 ふわふわちゃんは大きくうなずきました。
2003年07月21日(月) |
★坂東巡礼 14番弘明寺へ ★ 反省文 <(_ _)> |
朝五時に目覚ましがなった。 外を見ると雨、よし、やめだ、もう一度寝ちゃうそ・・ 6時半過ぎ、なんと晴れているではないか・・ほんじゃ、行くか。咳もでなくなったようだし・・と起きてすばやく身仕度をした。 どこへかって・・・坂東です。 川崎駅前から今日こそ弘明寺まで、なのです。
8時20分・・川崎駅前・・宗三寺発・・ここは、川崎宿の飯盛女や遊女の墓がある。先生時代、研修できたが、あの時よりうんときれいになっていた。 8時40分・・八丁畷駅近くの芭蕉句碑「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」 何でも、伊賀上野に帰る芭蕉を門人たちがここまで送ってきて、一句よんだのだという。 日本橋から、ここまで送って来るって、17キロくらいはある。すごいよね。と感心したのでありました。 思わず、小笠原の出航を思い出した。 父島で、おが丸が出るとき、港にいる船が伴走して、送る、船にいる人は手をふる、港でテープが切れると、海に飛び込むヤツもいる・・行事化しているとは言え、けっこう気持ちウルウル、盛り上がるのだ・・ああ、おが丸でまた小笠原に行きたいな。などと思い出に浸っている間はない。 説明板が多くなった、川崎のパチンコ店の前、ガードマンが出るほど、並んでいる、中国・韓国系のお店の多くなったことよ。その辺が以前、歩いたときより変わった。 それにしても、前は確か97年の夏だった。何も具体的な景色を覚えていない。 山も海もない、コンクリートだけの景色の抽象的なことよ。 9時・・鶴見区市場下町・・一里塚のあと・・ここは日本橋から5里目 川崎から横浜に入ったとたんに、歩道がなくなった。 9時55分、キリンビール・生麦事件の碑を過ぎて国道15号に合流。小雨が降り出してきた。それと、休んでいないし、あんまり朝食べていないのでお腹が空いてきた。せめて坐って冷たい飲み物が飲みたい・・マックでもないかな・・などと独り言をいいながら歩いていたら、あったんですね。 10時10分・・末広橋近くのマックで、アイスコーヒーと照り焼きバーガー。多分マック、半年ぶりだと思う。 大ぶりになってきたが、いつもでも休んでいるわけにも行かず、10時50分、店を出た。 新子安から神奈川新町界隈、やたらに、ラーメン屋が多い、軒を並べている、いいのか・・つぶれないか・・心配になるよ。 神奈川小学校あたりで、すごいフリになったので、とりあえず、ビルの軒下で雨宿り。 この神奈川新町あたりから、横浜駅付近までの高台には、やたらに寺院が多いが、大寺は開国時の公使邸だの、士官宿舎になった。 特に青木橋を過ぎたあたりの高台にある本覚寺は、ハリスが自らチェックして定めた公邸。当時、寺の門は白ペンキで塗られたという。禅寺の門が白ペンキとは・・・ハリスよ、お主アメリカ人やのう、といいたいが、こうなると尊皇攘夷の気分、わかる気がするよ。 神奈川地区センターに当時の見事な模型があった。 何と、横浜駅西口は海の中だ。 神奈川新町あたりは港だが、横浜あたりは、崖が切り立って港には??今、デパートが建っているあたりも海中・・今の横浜からこの景色は想像しがたい。 地震で液状化現象がきそうだ。 雨が上がったので傘なしで進む。 1時20分・・天王町着。この手前、松原商店街、にぎやかで、こんな市場の近くに住みたいな、という下町の雰囲気。 昭和31年、つけ替えられた帷子川の欄干が公園になって残っていた。 たまちゃんで有名になった帷子川だが、そんなにきれいじゃなかった。 また雨が降り出した。 1時40分、いよいよ東海道を離れて「金沢みち」の道標が4基も並ぶところを曲がった。 ところが、東海道線を横切ったとたんに雨が滝のように強くなり・・・マンションの入り口で雨宿り。 しかし、強い雨足のまま。 しばし様子を見て、「いわな坂」を上がる。 急坂右手に政子の井戸。 更に登り切って北向き地蔵。 すごい雨で立ち往生。 お地蔵さんの向かいのお菓子屋さんの軒先で様子を見た。 このとき「へんろ館」館主さまにお電話したら「うちのほう、そんなに降っていないよ」ええ??館主さまのお宅からそんなに遠くないのだが・・・「局地的なんじゃないの?」「そうなの?じゃおいでになりますか」「はい」 実は、4月に京都で、館主さんと奥様にお会いしたときに「そのうちに弘明寺に歩いていきます」といったら、来るときは連絡して下さいと奥様にお声をかけていただいていたのだ。 で、でてくる前にメールをしたのである。
ここ、北向き地蔵からは、坂東の歩きについてプリントをお送り下さったS氏の指示にあるように「右折、すぐに左折、また右折で、横横道路の上の橋を渡り、急坂を下って。しかし雨すさまじく大ぶりで、S氏指示の旧道を探す気力が失せた。 とにかく早く弘明寺さんに着きたいと、自分で2万5千分の一の地図でチェックしていた一番手っ取り早いわかりやすいルートで井土ヶ谷駅にでて、そこから南郵便局を回り込んで、右折、しばらくいって住吉神社の印があるところを左折。そこから、南中学校に突き当たり、左折、登って、更に右折。尾根にでた。(といっても、住宅地の中だが)そこから、どんどん直進、道は滝である。私もずぶぬれ。途中からタンが喉にからまって、鼻がでていたのだが、それがひどくなった。 体が冷えたせいだろう。 やがて、細い藪のような道を下り商店街にでた。 そこはすでに弘明寺の駐車場入り口のそばだった。 しかし、くだって正門へ。 雨の中、すでに館主さんと奥様が門でお待ちかね。 「雨をつれてきたね」と、館主さんに笑われた。 私もそう思う。 すでにお参りを終えておられた館主さんご夫妻にお待ちいただいて、本堂へ。 こまった、やばい・・ビニールに入れてなかったので、納経帳、お数珠、ワゲサ、すべてぬれてしまった。納経帳にしみを作ったのは、本当に不覚だ。 お許し下さい、観音様 m(_ _)m せめても幸いは、100観音のお軸には二重のカバーがしてあって無事だったことだ。 本堂でしっかりとお参りして大師堂もあったので、お大師さんにもご挨拶した。 何と、お参りを終わって外に出たら、雨は小やみに。傘さえもいらないような降りに・・・これって何なの・・観音様のうれし涙?と思いたいが。しかし、保土ヶ谷あたりから、天で私の上にだれかがジョロで水撒きしていたとしか思えないふりっぷりだった。 館主さんご夫妻と共にお茶して(私はビール・・お接待ごちそうさまでした)お遍路話に花が咲いた。 楽しい時間でありました。ありがとうございました。 次は、「いざ鎌倉」だけど、秋だろうな・・・
帰ってくるうちに私の身体は乾いたが、ザックの中のものはベタベタ。一晩広げてかわかさないと、だ。 それにしても、納経帳の雨しみ、不覚、ごめんなさい。 風邪のぶり返しが心配だったが、さすがに歩き効果か、うち帰ってきて熱いシャワーを浴びたら、ぱりっと元気になった。 やはり、体はつかわんといかんねえ。
*昨日の「ふわふわちゃんとくみちゃん」の続き(反省文)今日もお約束ですから、以下に掲載。 この後もお時間がある方はお読み下さい。ゴメン。
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ふわふわちゃんとくみちゃん(2)
ベランダで、レモン色のまんまるお月さまをゆびさしながら、おばあちゃんとくみちゃんがはなしをしています。 「ほら、うさぎさんがおもちつきしているでしょう。」 「ほんと?うさちゃんどうやって行ったの。ロケットにのってかな。」 「あれは月のうさぎ。ばあちゃんの子どものころからずっといるからね。」 「じゃ、おばあちゃんより年とってんの?」 くみちゃんは、しんじられないとくびをかしげました。 そして大あくびをしました。 「くみちゃん、もうねむいんだね。ねましょ、ねましょ。」 赤ちゃんが生まれたのでやってきたおばあちゃんは、どうもやりにくそうです。 おばあちゃんの子どものころは、ロケットなんかありませんでした。 ふわふわちゃんは、月の「しずかの海」をさんぽしながら、クスクスわらいました。 しずかの海は「月のうさぎ」の体になります。 やがて、ふわふわちゃんは、スィ−と白いせんになると、くみちゃんのゆめへとびこみました。
くみちゃんはこうえんで、ピンクうさぎさんにあいました。 「くみちゃん、こんにちは。いつもだいじにしてくれてありがとう。きょうは君を月りょこうへごしょうたいしょう。」 「あら、ウ−ちゃん、どうしてここにいるの。ごしょうたいってなあに?」 ウ−ちゃんは、くみちゃんのベットでいつもいっしょにお休みをしているうすピンクのうさぎのぬいぐるみです。 「君を、ム−ンパ−ティにつれてってあげるよ。耳につかまって。目をとじて、ゆっくり、五つかぞえるんだよ。」 「ム−ンパ−ティ?」 「まん月のばんは、いつも楽しいパ−ティをするのさ。月ではね。」 おもしろそう。 くみちゃんは行くことにしました。 いち、にぃ、さん、 くみちゃんは、ウ−ちゃんの耳をにぎりしめてかぞえだしました。 耳はあったかくてむくむく。きもちいいの。 その時です。体が、ふうんわりとかるくかったとおもうと、すごいスピ−ドでおちはじめました。ジェットコスタ−みたいなの。 「くみちゃん、おきて。お早よう。」 おばあちゃんがよんでいます。 くみちゃんは、ウ−ちゃんの耳をしっかりとにぎって、まだねむっています。お口が、もぐもぐとうごいて、ときどきにっこり。 ふわふわちゃんは、スィ−と、くみちゃんのあたまのてっぺんからぬけだしました。もちろん、おばあちゃんには見えません。 「あたし、月でム−ンパ−ティしてきたよ。」 くみちゃんは、とびおきると おばあちゃんにはなしはじめました。 「くみ、楽しいゆめみたんだね。にこにこしていたもの。おふとんの中で。」 「ゆめじゃないよ。ほんとにウ−ちゃんの耳につかまって行ったよ。」 「その何とかパ−ティでなにしてきたの。」 「うさぎさんたちとおどったんだよ。月のおもちが、パ−ティのごちそうだったの。」 「やっぱり、おもちつきしてたでしょ。おいしかった?」 「とっても。今も、おなかがいっぱい。」 空では、ふわふわちゃんがうふふ。 だってくみちゃん、月名ぶつ「とくせいきなこもち」を五こもたべたんだよ。
つづく・・・(^_^)/
2003年07月20日(日) |
反省文(わが懺悔文?)<(_ _)> |
今朝、といっても、もう10時だが、自分の日記を読み返してみて、情けなかった。 「いや、荒れてますわ、我ながら」 政治だの、アホなお方に文句をたれるのは、まあわたしの得意技ではあるが、それにしても、ギスギスだあ。これじゃ、読む人もいやんなるわね、と反省した。 新聞で、崔洋一監督の、「がんばれ、辻元」という明るくて前向きの文を読んだこともあって多いに反省した。 (それにしても、幸月さんにしろ、辻元さんにしろ、咎ある人になられた方々に、共感と思い入れが強い我が昨今。だって、彼らのほうが、まともに見えてしまう・・・) という話、横道は止めよう。 また、憎悪と嫌悪と怒りの連鎖・・になってしまうし。 世間に漂っているこういう空気に知らず、自分も感染していたと思うのだ。 とにかくわたしはとりあえず(これがくせ者)多いに反省した。 で、しばらく(数日)は謹慎します。 で、で、日記は、お休み・・ではなくて、実はFDの整理をしていたら、96年頃、塾に来ていた小二や小一の子どもたちに自分でつくって読んできかせていた「お話」が出てきたのでそれを、掲載したい。
キーボード練習もあって、(学校時代、わたしは手書き専門でした、わたし書いて考える人、君、それを打つ人、で若いモンこき使っていました、これもかなり遅れてきた反省) このお話群、自分の書いたものだけど、すっかり忘れていて、読んでいて、自分の向かった(向かう、かもしれない)方向が見えておもしろかった、多分他の人もおもしろい?? 少なくとも、この数日間、わたしが自分の日記でまき散らしていた毒素は祓えるかな、と。
まあ、そういうことで、ご勘弁を m(_ _)m では、では 読んであげてちょんまげ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★ふわふわちゃん と くみちゃん 1 ★
お日さまが、かがやいています。 ふわふわちゃんは風にのって、おでかけしたくてたまりません。 でも、だめなのです。 ふわふわママに、「きょうはおうち。」 といわれているのです。ふわふわちゃんは、どうしておうちにいなくちゃいけないのか、わかっています。 きのうのことです。 ふわふわちゃんのお友だちにくみちゃんがいます。 くみちゃんのママのおなかには赤ちゃんがいます。 「赤ちゃん、あたしに、にてるかな?」 ママの大きなおなかをそっとさわりながら、くみちゃんがいいました。 それをきいてふわふわちゃんは、赤ちゃんのかおが見たくなりました。 だから、ママのおへそから、そっとはいっちゃった。 きゅうにおなかがいたくなったママは、びょういんへとんで行きました。くみちゃんとパパもおおあわて。 おなかの中では、赤ちゃんがびっくり。出てきてしまいました。 ママのおなかから出てきた赤ちゃんは大ごえでなきました。男の子でした。 「元気がよすぎて、早く出てきちゃったな。」 びょういんの先生はいいました。 ふわふわちゃんがいけないのです。 ママのおなかへ入っちゃったせいなのです。 ふわふわママはいいました。 「よく、かんがえられる子になってね。」 風のりにいけないふわふわちゃんは、しかたなく青空に、ふわふわクレヨンでおえかきをしています。 そうなの。 ふわふわちゃんのおうちは、空なんです。 ふわふわちゃんがかいているのは、くみちゃんの弟のえです。 赤ちゃんは、ママのおなかの中の海でプカンコロンとあそんでいたんだよ。手をむねのまえでにぎにぎして、おしりとあたまでじょうずにでんぐりがえりをしていたんだ。まあるいかおで、くみちゃんによくにてた。 ふわふわちゃんがおしりをつんつんするとクネクネしたよ。くすぐったかったんだね。 ふわふわちゃんはそれをおもいだして、かいています。
「あ、赤ちゃんのかおみたい。」 青空にうっすらとかかった白いくものかたちを見て、くみちゃんがいっています。 「そうだね。なんかにているね。」 びょういんのちゅう車じょうに止めた車へキィをさしこんでいたパパは、手をとめ、空を見上げていいました。 くみちゃんは、ぴょんぴょんととびはねました。とてもうれしかったのです。 だって、おねえちゃんになったんだもん。 空から見ていたふわふわちゃんも、うれしくなって、ワン、ツ−、スリ−でひょよょんとジャンプして、ふわふわクレヨンでかいたくみちゃんの弟のほっぺのあたりにころがっちゃった。 すると、白いくもが、ふにょんふにょんとゆれました。 「パパ見て。空の赤ちゃん、わらったよ。なんか、おかしいことあったのかな。」 「きっと、空にもくみちゃんみたいにいたずらっ子がいて、からかったんじゃない。」 でんぐりがえりをしているふわふわちゃんへ、ふわふわママがわらいながらいいました。 「くみちゃんのパパ、あなたがお空にいること、知ってるみたいね。」 ふわふわちゃんも、うふんと、わらいました。
(つづくでございます(^_^)/)
2003年07月19日(土) |
鴻 池 祥 肇(こうのいけ よしただ)防災担当大臣 |
「長崎の幼稚園児殺害事件の犯人の両親を市中引き回しにして、打ち首にせよ」 といったかと思うと、 「四人の女児は被害者か加害者かわからない」発言。 何を考えているのだ、コイツと思って、公式サイトをのぞいてみた。 (経歴) はい、兵庫県尼崎市出身、神戸高校からレイプ大学卒、あの森元首相の後輩のようだ。 森クンも、アホだし、コイツもか、だ。 兵庫県民及び、神戸高校出身者は恥ずかしいだろう。 私、アイスランドを旅していたときにあの森元首相の「神の国発言」、なんと、アイスランドの新聞にもでかでかと1面でのったという(不名誉な)話を聞いてホント恥ずかしかったモン。日本人観光客年間3000人ほどの国だというのに、そんな国にまで元首のアホさを宣伝してしてしまったのだよね。 だから、次から次への鴻池大臣のアホで、未熟で、野蛮で、情けない発言を兵庫県民はこっぱずかしいだろうな、と想像できて、同情してしまう。 兵庫には、知人友人、たくさんいるので、なおさら同情だ。
なお、HPには「長崎の・・・」の発言には、賛成するというメールが4600件、反対500通、だと支持率85%だと書いておった。 さらには「両親も、先生も、校長」も顔を出せだとさ。 こいつは、きちがいか、という感じだ。 さまざまな報道を見るに、長崎の中一は、とりあえずよい子だった。成績も、見えるところでの行動も・・・こんなことにならなかったら、どこにでもいる少年、親もどこにでもいるまあふつうの親なのだ。 事件が起きたから、あーだ、こーだいわれるが、起きなかったら、出来のいい男のこの両親なのだ。 そうそう、新聞にこんな投書があった。 「私は、鴻池大臣の、市中引き回し・・の発言に賛同する。親にとって、今の苦しみは、そうされたほうが楽だと思うのだ。だれも、子どもを犯罪者に育てようとは思っていない。その時その時よかれと思い、愛情を注いできたはずだ。そんな子が、こういった犯罪を起こして、親は、いっそ死んでお詫びできた方が、市中引き回しですむならと思うだろう、と」
アホ大臣の発言より、なんと賢く優しく・・と思ってしまう。 そして、痛烈な皮肉か、と思ってしまう。
長崎の事件の被害者のご両親も、こんな形で話題になることで、喜ばれるとは思えないが・・さらに、せつなくなるだろう・・・ それとも、やはり「市中引き回し」と思われるのだろうか・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 社民党は消滅するのかな・・クラゲみたいに・・・ かつては、応援してきた党なので、残念だ。
2003年07月18日(金) |
芝生にゃ、水とお日様を! |
神戸ウイングスタジアムで天然芝の全面張り替えが行われるそうな。 しかし、コンピュータで、芝の生育条件をベストに保つハイテクシステムを備えたスタジアムだったんだそうな。 アホみたい・・で、あげくが、Jリーガーから日本一ひどいといわれるようになったとか。
アメリカ映画を見ていると、大男が上半身裸で、お日様燦々の中で芝刈りに汗を流している・・で、その後に涼しげな水やり。水滴がはじけ飛んで、ゴールデンレトリバーあたりが飛びつく・・・ ま、芝が生育する条件はこれ、に尽きる。 刈って、芝の生命力を刺激して(てまひまかける、愛をかけるってこと) 「芝さん、愛しているよ」という態度示さなくちゃ、芝だって萎えるよねえ。 うちの植木の元気のなさは私がしょちゅういないので、水以外に愛が不足している、と私は睨んでいるもんねえ。(この頃は、オッハーとかいって水やりしているが) 新聞によると、開閉式屋根の設置で日照不足が原因らしいが、じゃ、ハイテク管理ってなんなの? まだ、絶え絶えの命をつないでいるのに、一気にはがされて捨てられる芝生に同情する。 神戸も財政難でしょ? こんなことしていて、いいのかねえ。
風邪(というより今や気管支炎だわね)は、胸内にとどまる、で、しゃべったりすると、気管がむずかゆい、かゆい・・で、電話がかかってきても、せき込む感じで息苦しく長くおしゃべりができない。 しばしご無沙汰だったスヌちゃん、なんと「火中の栗をひろい」に北京に行っていたというので、かの地の生活実態を「取材」と思うも、咳がでて言葉ままならず、電話を切ってしまった。残念でした。 薬のせいで胃の調子もよくない。(生姜灸でもするか) しかし、例えば、台湾中国、カナダあたりから帰ってきて今の病状だったら「隔離」だよね。 ちなみに外務省のHPによると、今、SARASの疑いで国内で「要観察」の人は2人いるようだ。 ああ、四国・兵庫・紀伊から帰ってきたあとでよかった。(^^;)
今朝は熱が下がった。もう出ない・・という感じだが、咳が出て、そのたびにタンが出て、胸が痛くて・・・鼻水も時々・・・状態。 かなり不快な状態だ。 完全にかなり重症の気管支炎だ。 でも、ま、いつまでもごろんごろんはなあ、とおもい、洗濯をして掃除をして。 一昨日午後から、ミネラルウオーター約六リットルを飲んだ。 トイレットペーパー2巻きを消費した。 (ハナカミ、等が頻繁になると、テッシュでは鼻の粘膜など、皮膚が蛍光剤?だったかで傷つくので、いつも安いトイレットペーパーの出番となる) 早くすっきりしたいもんだ。
野暮用で出たついでに本屋で週刊新潮を立ち読みした。 長崎12歳記事でどこの週刊誌も埋まっているが、新潮だけ、幸月さんのことを取り上げている。見開き2ページの記事。 新居浜の将棋会館で1週間もいて将棋を終日一日さして、夜は焼酎飲んで寝袋にはいるとか、同じ遍路仲間に「庵がもちたい」と語ったとか、3日休んで1日歩く怠け遍路(80歳だモン、そりゃ当たり前だろ、と思ったが)みたいなコメントが並んでいる・・・取材者も被取材者も名前が出ていない。(もし、こんな記事を書くために、わざわざ四国にわたったとしたらお金と時間の無駄ねえ)意地悪い切り口での記事だ。でもま、これが新潮のウリだからな・・・ 松山の友人が「腹がたって」と、送ってくれたfaxで、呉智英が、朝日のコラムに、すごく冷たいことを書いているのも読んだ。これにはわたしもけっこう腹がたった。なんもしらんくせに・・といいたくなった。これは松山の友人もいっていた。(なんと、これは、殺人などと書いて、事実誤認まである、ただ文脈上、その辺がちょっと曖昧で、アンタ事実誤認でしょと言えない) 「お四国」を知らないとこうなるなあ・・・と思った、2つの記事だった。 知ったつもり、実は知らないで書くのは、恐いな・・と思った。 学ばせていただいた。 それから、四国はやはり「お」がつくと、「ワールド」「別の宇宙を見ているエリア」だと改めて思った。早坂先生ではないが、そんな地域が日本にある幸せよ、と感じる。
さて、8月21日(赤口)コペンハーゲンへ飛ぶ。 予約がとれた。 昨年の帰国チケットの残りだ。 21,2,3日と、コペンをうろついて24日の夕方アムスへ。 でも今回はアムス1週間かな、その後、安エアチケットをゲットして南のこれまた安いお国(ギリシャあたり)を、ビンボー旅で10日ほどうろついて戻りたい。 ホントは、デンマークの田舎に行きたいんだけど、3泊では無理だね。 それが残念。それと、日本に負けず、物価の高いお国だからな・・YHをとらんといかん。 一応、これが私のバックパッカー的避暑、となりますね。(ウキャ、ウキャ (^^)/ とこういう時だけ上機嫌なのでした、チャンチャン)
一日、ごろんごろんしていた。 学校(習っているときも、教えているときも)のころは、これがすごくうれしかったが、好き勝手のしほうだいの潜在失業者となってからはこの値打ち、下がったなあ。(嘆息) 熱37度から下がらず。 クスリが切れると、熱が上がったり、咳がはげしくでる。 熱はともかくとして、咳と共に、タンがでてくるようになったので、病状も最終段階とは思うが実に喉、実に不快。 結局、喉からすべては来たんだろうな、昔から喉は異様に弱かったし。 父方のじいさんはぜん息で死んでるし、ばあさんは、わかいころ、結核だった。 といっても、完治して83歳まで生きたが。
出歩いていた間、建物の中、車、飛行機、宿、すべてクーラーづくしで、この冷気にやられたといっていいだろう。 クーラーつけなくてよかったの、今関さんとこだけだもんね。 今関サンに、この一年保健証なんて使ったことない、と自慢していたのに、明日はこのまま微熱が下がらず、だったら医者に行こうかな、なんて。 手っ取り早いのは、西洋薬だし。 もっとも私のホームドクターみたいな「西洋薬系」の先生も、漢方をだしてくださうので、基本的に私の身体は東洋医学でなおしてきた、だね。
それにしても、今年はいまんところ、涼しい。 だれだ、「酷暑」と予言したのは。 ここまでこんなに涼しいと知れてるよね、あとは。
例のごとく、布団の中で新聞読書していたら「痴漢冤罪ネット」代表が、電車内で盗撮、で逮捕されている。 「酒を飲んでいて、よく覚えていない、」ということらしいが、じゃ、病気じゃん、といってしまいたいね。 アホやあ。
またしても、横尾忠則氏のエッセーがおもしろい。 京都に住もうと土地まで買ったのだが、(瀬戸内寂聴さんの近くだとか、嵯峨野だ)三輪明宏に「あなたが買おうとしている土地には、死屍が累々としているのが見えるので止めなさい」といわれたので止めたんだとか。 遠藤周作も、瀬戸内さんの近くに家を持ったのに住まずに終わったとか。 京都は魑魅魍魎がうようよしているので瀬戸内さんのような修行した人はともかく俗人は危ない、危ない。 などと、書いてあるのだ。 東京新聞、いいのか、こんな「ムー」(オカルト誌)か、たま出版みたいなこと載せてと、いいたい。(笑) しかし、私は、魑魅魍魎という見えないモノを信じ切る横尾忠則氏、ヤッパ好きですわ。(笑) 私は、学生時代から朝日だったのだが、このところ、ずっと東京新聞だ。(記事を書かせていただいていたので、ということで取り出したのだが、今やファン、積極的に愛読者です) アヤシげから、週刊誌的なノリ(朝刊のこちら特報部)まで、「難しいことを楽しく、明るく」読ませていただけるので、朝から暗い気持ちにならずにすむ。 朝日は、真っ向正面切り系で、そうなると、ホントに朝から陰々滅々のものを読まされる。たまらんかった、こういの気持ちが萎える。 わかってんだよね、わたしたちが実はかなり悲劇状況に生きていることはさ。 そんなん、まっこう念押しされたたくないんだよ。 なんて、真っ向書いていたら、また熱がでてきた感じ。 ご飯食べて(食欲不変、だもんで痩せない、これも悲しい)、クスリ飲んでねようっと。
昨夜、結局微熱がでた。 で、クスリ、大量の水補給などで、あさには解熱。 渋谷にでて、昼から戻ったら、またまた発熱。 ただいま37・5度である。 昔から、3月と6月に38度の熱で寝込んで3日。体の大掃除をするのが通例だったが、今年は3月にも6月にもでなかった。 年だね、熱もでなくなった・・と思っていたんだが・・。 体が熱でフアン・ボヤンするのも、いい気持ちだ。 3日くらい、悠々自適で寝こんだら、なおるであろう。 それも、よし。
渋谷で「うさぎ」というお店でランチしてきた。 昔の洋館を改造したモノ、なかなか感じよかった。
帰ってきて、夏布団にもぐり込んで新聞読んでいたら(活字読むとみるみる熱が上がるのがわかる)「むしかえし力」というコラムが目についた。 すなわち、世の中、新たな事件が起きると前のことを忘れてしまう。前のことを必要なときに蒸し返そうということらしい。 すなわち、早稲田のレイプ事件での自民党議員たちの「衝撃的発言」 「集団レイプする人はまだ元気があっていい、正気に近い」(太田誠一議員) 「女性にもいかにもしてくれ、というのがいる、そういう格好をしている方が悪い」(福田康夫官房長官) 「子どもを産んでいない女性を税金でめんどう見るのはおかしい」(森元首相) ・・これについていえば、冗談ではない、私なんて、教師時代、すごい額の税金盗られていたぞ、ざけんじゃない。(あえて、盗、を使わせていただく)・・・ こういうことを、選挙の時に「蒸し返そう」というモノだ。 まったく賛成。 それにしても、この国のオヤジどもは野蛮だ。 上記のような言葉を吐いたオヤジたち、レイプの誘いがあったら、実行犯しそうだよね。 少年たちよ、オヤジ狩りをするんだったら、こういうヤツらを標的にせよ、と問題発言をしたいほど、怒りを感じる。 友だちのお父さんが戦争から帰ってきたとき、たくさんの手工芸品を持ってきたという。「お父さん、これどうしたの」と聞いたら、戦友たちが『女』の所へ行っているときに、自分は行きたくないから、これを作っていた」と答えられたという。 こういうお父さんに育てられた、友人は幸せだ。 このお父さんの爪の垢、自民党の馬鹿者どもに送りたいね。 そうそう、長崎の12歳の少年の親を、市中引き回しにせよ、といったバカ議員もいたな。 こういうの、絶対忘れない、絶対蒸し返してやるぞ!! と絶対の2段重ね、鼻息あらし・・これって発熱のせいかな? こんだけ、元気だと、3日も寝込まないで元気になるかも。 長崎の12歳事件で、悲惨な・・とおもいつつも、もうすごく、あまり、驚いていない自分がいる。我もまた、かなりの荒廃か・・と実は愕然としている。 次から次へと、とんでもないことが起きるから・・・ あと15歳若かったら、家族のことなど心配がなかったら、この国を捨てて世界のどこかに「パラダイス」を求めて旅立つだろう、と思ってしまったことだ。
2003年07月14日(月) |
鼻腔が熱い・・で、荊芥連翹湯 |
昨日は、喉だったが、深夜から鼻腔が熱い状態。 これまた、不快である。 で、郵便局に行ったついでに毎度のおなじみ私のホームドクターと化している鍼灸医さんへ行った。 昨日から、カッコン、小青竜とクスリ的には飲んでいるけど、 「今は鼻の穴が熱い、不快」という話をしたら、それで順番的にはいいよ、じゃ、次、これ飲んでみてよと、「荊芥連翹湯」(ケイガイレンギョウトウ)というのを渡された。 漢方好きの私にして、初物である。 うちに帰ってきて調べたら「顔、鼻、扁桃、のど、肺などに発する慢性の炎症症状を抑えます。また、こうした疾患にかかりやすい人の体質を改善します。 ・にきびの出やすい体質を改善します。」と言うことらしい。 「17種類の生薬から成り、その主薬である荊芥、連翹、の名をとって処方名とされました。」なんだとか。 で荊芥も調べた。 連翹は、あの春になると黄色い花を付けるあれで、けっこう漢方的には強いクスリのはずだ。 荊芥は、シソ科のケイガイというハーブ、それの実らしい。 要するに「初物」は「ハーブ系の漢方」らしい。 にきびのでやすい体質まで変えるというのがおもしろい、というか漢方らしい。
昔、喉のためにハンゲコウボクトウと漢方を飲んでいたことがあったが、これは、喉と共に、鬱病にも効くと書いてあったような気がする。 多面的に効くのが漢方の長い歴史というか、経験的な側面というか。 葛根湯も、熱の出ている(または出そうな)風邪に効くというの一般的だが、実は筋肉痛にも効く。小青竜も、私は鼻水系の風邪のために常備しているが、確かアトピーにも効く。 しかし、どちらもかなり強いクスリで、漢方にも副作用はあるから、長引いている風邪で体力のない時は、桂枝湯とか、香蘇散がよい・・
力いっぱい熱がでているときは、麻黄湯。教師時代はよくこれのお世話になった。 西洋の解熱剤は飲むと、まず足が異様に冷え込む、次に体全体にミントを貼られたような感覚になる。オオ、熱を力ずくで押し込めているな・・と思う。(と私の身体は感じる) 麻黄湯は、パーと体が更に熱くなり、眠くなる・・・ちょこっと眠って目が覚めるとグアーとすさまじい汗がでていて下着やらを取り替える。38,9度の熱の時は、シーツもとり変えないといけないほどの発汗。で、次の日はけろりと快復。 私は、発熱を不自然に押し込めてしまう西洋薬(バファリン、イブ、セデス等々)より、このパーと更に熱が上がって、汗がでて、はい、終わりの漢方の陽気な治り方、すごく好きであった。 (今は、39度も熱がでる体力はないだろうな、発熱も体力だから・・熱もでない体になったら終わりが近いと私は思う)
今日は、そんなわけで、おとなしくしていた。 涼しかったし、眠った、眠った。 夕方になってやっと、「もしかして、熱でる?」の感じから解放された。 まあ、疲れですかね。 それにしても、紀伊のクジラが大不作だったので、またしてもクジラレターが出せない。 こまった・・千葉では、そろそろツチクジラ漁が始まっているはずなんだけど、あれも捕れるか捕れないか、ばくち性が高いし・・・行くとなると、宿も取らないとダメだし、あの辺宿、高いんだよね。 どうするかね。それと、生きているのを見るのはいいが、撃たれてひっぱられてくるのは、やはりあんまりみたくないよなあ・・今、心情的には。 一昨年、去年辺りは見る気満々だったんだけど、気力の衰えか。
やさし(優し)の語源は、痩せるほど相手のことを心配することから来ている、だから、人のことを心配したり、何かをするということは体力がいることなんだ、と教えて下さったのは、西野流呼吸法の西野先生である。 やさしさとは、気力、精神の前に、体力ありき・・というのは一見突飛なようだが、具体的な場面を思い描くと納得できる。
人の言うこと、することにはそれぞれ相応の理由があると思っているのでとやかく言うのは嫌いな私だが、ひとつだけいいたい。 さる掲示板に「私は幸月さんには、今後は別の生き方を探してもらいたいと思います。」と書かれた方は、きっと体力のない方なんだろうと・・。これを書かれた方にお会いしたことはない、が、まっすぐな性格で裏切られた思いが強いのかも知れないが、それにしても、80歳になられる人に「今後は別の生き方」って?あまりじゃないか、と感じる。
くしまさんの掲示板のご常連で大野正義氏は自分の出会った幸月さんの印象は「私が会話を交わした幸月さんは間違いなく誠実で立派なお遍路さんでした」と書いておられる。 自分が出会った印象を信じられる大野氏の姿勢に私は共感する。
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季刊「四国へんろ」の発刊や幸月さんの句集を出している「シンメデア」の松坂さんから以下のようなメールをいただきました。
「昨日、小林新治さん、他、出演者で話し合いました。 結果、幸月さんへの励ましの手紙を、集めて、届けることになりました」
以下のkougetsu掲示板への書き込みでも、手紙でもいいそうです。 松坂さんは、「80にもなる方です。健康だけが心配です。とにかく元気を出してもらいたい。気力が失せてしまうのが、一番あぶないと思うのです。」といわれています。励ましの言葉がほしいとのことでした。
http://www.egroups.co.jp/group/kougetsu
手紙・ハガキの場合、住所は以下の気付です。 〒726-8614 広島県府中市本山町530-214 株式会社シンメディア 松坂義晃様気付 幸月様
多分、faxでも、いいと思います。 (株)シンメデア FAX (0847)47-6202
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ということで、できる方はご協力よろしくお願いします。。 私はハガキを書きました。 句集のファンとして、遍路道のほとりでお会いしたい。戻ってきて下さいね、と。
昨夜、もう一度、初めからしっかりと句集を読み返した。 ないと思っていた家族の句が2つあった。 酔う程に妻子が浮かぶ寝酒かな 妻子捨てし遍路に叫ぶ不如帰 「風懐に歩三昧」は、当たり前に「懺悔の旅の記録」と読むこともできようが、私は、句にある呼吸に感動し、人の不変、普遍、哀しみに打たれる。 月並みだが、人間はすごい、変われることはすばらしい、人は神の似姿、というがそうかも、なと思ってしまう。 元気に帰ってきてほしい。
どうも朝から喉にエヘン虫が付いている。不快だ。 でも、洗濯して、郵便物の整理して、メールを書いて等々。 そんなこんなで一日が終わった。
幼児投げ落とし殺人事件の容疑者、12歳の少年。 これは、ショックだ。 何がどうなってこうなるのか。
新聞に食糧自給の問題がでていた。 日本の自給率40パーセントは有名だが、県の自給率もでていた。 ダントツの一位は、北海道。あと、東北各県辺りが100パーセントを超えてるが、あとは未満。新潟県でさえ96パーセント。 ちなみに東京の自給率は、最低の1パーセント、だ。 日本の自給率だと、数千万人をやしなうのがやっとらしい。 恐いことだ。
なんということでしょう! 6時おきで船に乗ったのに、クジラどころか、いるかの群どころか(特に探さなくてもイヤでもいるのに)、とにかく何も見ることができなかった。4時間半探したんですねどね・・・・ 20本近く観鯨船に乗っている私にしては初めての経験でした。 理由は、たぶん、沖の強風と高波、見事な波で下手すると海に投げ出されそうなほど波乗りジェットコースター状態。5人全部大人だったのでよかったが、子どもだったら海に投げ出されそうだった。 あらためて、太地のクジラ取りたちの勇敢さに思いを馳せた。 今日のような天気の日、子もちのクジラは波の穏やかな入り江の隅で待避しているはずだ。まあ、私は、よいが、見たいと私についてきた、行者さんはおかわいそうでありました。 それと、船の船長さん、すまんなあ、とあたまをさげ、ほんま、ごめんといい(クジラは野生動物、見れんかったのは彼のせいではない)、次回もまた、と1000円割引券を配り・・・気を使って、私と行者さんは新宮まで娘さんに送ってもらった。彼女曰く「今年初めてです、なにもみれなかったのは」といっていた。 HPで、出航なにも見えずと書くのが一番つらいという。(そうでしょう) 私が「今日は海の底でクジラのお祭りがあってそれでいなかったんだし、しかたないよ」といったら、行者さんも「そうやそうや」 「そういうこというてくれはる人ありがたいんやけど、金返せといわれるんが一番弱ります」とのこと。 このご時世、いるでしょう。 で、新宮の神倉神社で気をいただいてしっかりお参りして、新宮駅で、行者さんをお見送りして私は今帰宅の車中。 残念でしたが、これもまた、必要な経験だったのでしょう。はい。 行者さんは、あんたが行くときワシもまた行く、いうてや、とのこと。 はい、でも来年かな。
朝、長居のYHより、行者さんのところに伺って、大峰のこととか、いろいろなお話を伺っていたら、今治より電話。「幸月さんが殺人未遂で逮捕されたらしい」とのこと、ショックであった。 すぐに「へんろにいちゃん」のところにお電話。彼もショックが大きかったので、言葉少なく。私も、慰めようがなかった。
夕方、列車で紀伊半島に移動した。 行者さんもとつぜん「ワシもクジラ見に来たいわ」と例のごとく素早い決断で、私の後ろから着いてこられた。(ドヒャ、なんでやねん) 車中、メールチェックしたら、幸月さんのことで、何本かメールが来ていた。 で、宇久井夜9時着。宿の女将さんにタクシーを頼んでおいてもらって宿へ。 長い一日でした。 行者さんと、遅い夕食を取っていたら今関さんからまた、幸月さんについての電話。 どう思うか、と問われて・・・・ 一種遍路ぼけかもしれない。 たぶん彼の中では事件は「過去完了」だったのではないか。もう逮捕されるとか考えなかったのではないか。だから、本も出せたし、テレビにも出られた。しかし、お大師さんは、罪を償えと、ということなのではないかと。もう、おまえにはそれができるだろう・・と。 私は、幸月さんの俳句が好きだし、ホントに胸を打つ。 本物だと思う。 彼が逮捕されても、俳句のよさは普遍だと思う。 そういう意味では、今回、こういうことになってむしろよかった、と思う。 再起を祈りたい、切に。 彼の句集を出されたシンメデアの松坂さんには、落ち込んで欲しくないな・・と。 幸月さんの句をみんなに紹介してくれてありがとう、といいたい。
2003年07月09日(水) |
破磐神社さんでの一日 |
11時に行者さんと姫路駅で待ち合わせて、お迎えくださったDさんのお車で神社へ向かった。 すでに、今日の正式参拝組、今治のKさんグループ5人は到着。総勢8人の正式参拝となった。Kさんはちょこっと奉納演奏もなさり、楽しい正式参拝となった。 もちろん、その後の直会も、豪華。本当においしくいただいた。 とにかく楽しくて、これって、神さんが喜んでおられるのではないかと思ったことだった。 香川からいらした、カマラ神社の宮司さんはすっかり破磐神社の宮司さんと意気投合、後から見えた鶏足寺観音講の、KYさんoさんも行者さんと話があって、なんだか、護摩の作法を教えていただくことになったもよう。 すべて、めでたしめでたし。 すべて、昨年5月26日書写山からの下り道でDさんとIさんいおあいしたことからはじまったこと。観音様のおかげさま。不思議ネットワークができつつあると感じる今日この頃である。
夕方、IKさんに送っていただいて行者さんとともに大阪へ。 長居YHは、日本人より外人が多い。 聞こえてくる会話が英語ばかり。 ここはどこだ状態。ホームシックにかかりそうである。
2003年07月08日(火) |
徳島から毎度おなじみの・・・ |
9時58分の電車で今関さん宅から徳島に出た。 昨日死にかけていた鶏が、今朝何とか、生き延びていてほっと一安心。 今関さんと奥さんのえいこさんには「またきてね」といわれた。 うれしかったです。 徳島では「へんろにいちゃん」(たまちゃん語)にお会いした。 いろいろとお話しして、徳島県立博物館で開かれている「巡礼の世界」展へ。 個人宅(徳島県の旧家)に残っていた納め札、納経帳、おいずる、等々の展示。数は少なかったが、こういうものが個人のお宅に残っていることがすごいなと思った。 その後、図書館の「遍路本コーナー」へつれていっていただいた。おもしろそうな本がたくさんあった。 時間があれば、読みふけりたい・・・という感じであった。
明日はハバン神社さんである。 6月にお参りしなかったから、明日は6月分である。
朝、たまちゃんより電話をもらった。 今日は、お友達のおとうさんのお葬式、つらいことだ。
私は山川町の今関さんと奥さんの英子さん、3人で、小松島の、ニキさんという山桃農園へ行った。 私のためにとっておいてくださった木が、一昨日の風でほとんど実を落としたとかで、やや悲しかったが、しかし、山中で山桃だらけ、たくさん赤い実が落ちて発酵しかけていて、ワインのようなにおいが漂っている。 完熟の黒いような色になった山桃、本当にうまかった。 その後、きっぱり晴れたら、和歌山まで見えるという山のてっぺんの小屋でバーベキュー。これまた、楽しい時間。お肉は素材にうるさい今関さんおすすめの鹿児島産の牛肉、たれは例のごとくすべて自家製の特製たれ。グルメの味でした。 自然の風、びーる、焼き肉。おしゃべり。 今関さんご夫婦と、ニキさんご夫婦、おなじくお仲間の堀口さんという方とともに至福の時間でありました。
帰ってきて、ふいご温泉にいった。
3月に浅草からはじめようと計画した、観音巡礼、まるで進まず。 「このままだではあきまへん」ということで、6月に、週一回歩きに行こうと思うも、7月からにしよか・・と。しかしだ、あすから出かけるワタシメは、今週がもうない。おえりゃせんのう・・で、雨が上がったようなので10時前にでることに決心。 品川から、11時10分過ぎに歩き出した。 moheji塾をやっていたときに、日本橋から箱根の関所まで子どもたちと歩いたことがあるし、タカをくくっていたのに再開発とやらで、景色が変わっておった。出だしから道に迷うて、訊く始末でありました。 旧東海道・・北品川商店街はご休憩所が出来たり、説明板が整備されたりしていた。しかし、下町の商店街の風情はかわらずで、あえていうと、たとえば、空き缶ペットボトル回収所が設置されていたり、小学校の門がしっかりと施錠されたり。 確か私が子どもたちと歩いたのは、97年だったから、これまでの間におきた事件や世相変化が道にも感じられた。 川崎まで、10キロほど、川崎大師までいっても12,3キロだしラクショーと踏んでいたのだが、暑くなってきて参りました。 でも、通りばたにあった一心寺、品川寺(ここは醍醐寺派のはず)なんとか荒神サン、天祖神社等々、お参りしつつ・・しばし旅人気分。 それにしても、品川、大井町近辺のお寺、神社の多さよ。 西国で、西国街道を歩いたときは、休むイスがなくて困ったが、旧東海道、今日歩いた辺りはその心配がなかった。
今日の残念神社・・・六郷神社。 ものすごくりっぱな建物なのに、手水に水がない。(これは致命的だ) 防犯上トイレはかしません、の看板。 広い社地なのに、イス一つなし・・・ おまけに、拝殿は戸が閉まっている(開けて拝まれることで神サン、喜ばれるのに・・・)、社務所には、冷房の効いているところに2人も人がいるんだから、開けていてもさしつかえんと思うんだが。 で、私は、ここは神サンおられんぞ、にげられたんじゃろ、と、手は合わせましたが、お賽銭いれず。(10円も入れる気にならないとこってめずらしいよ) 引き替え、立会川をすぎたあたりにある「天祖神社」は、神さまおられました。 手水には、はとのフンが落ちないように網が張ってあり、拝殿はあいて、なんーーとなくすがすがしい。 私がお参りしようとしていたら、若いきれいな女性が、買い物帰りか・・お賽銭投げ入れて、ちょこっとお参り、すぐあとからお参りに来た母娘連れ「こんにちは」っていってくれたもんね。東京の神社だよ。これっていい。 ここは神サン絶対おられますぞ、と私は100円入れました。
途中、女子高生チャリが私の目の前でおバさんチャリに接触しておばさん転んでケガという現場に居合わせてしまって、「あなた、接触したんだんだったら、責任とりなよ」とかいう一言をいったりしながら、やっと多摩川。 暑さ最高・・しかし、多摩川の河川敷をみれば、テントハウス村ができているではないか! ホームレスの方がたの、ホームであろうか。 ビニルハウスホームの回りには、黄色いカンナの花が植えられていたり、野菜がうえてあったり、洗濯モンが干してあったり、チャリンコがあったり・・・ 生活がしっかりとある印象でした。 昔、私の化石時代にこの川を毎日電車で渡っていた。仕事に通っていた。 そんときには、ああいうの、なかったねえ。 多摩川から道を左にとって、2、3キロほどで川崎大師、もうひとがんばりと思うも、もう暑いよう、たまらん・・とヨーカ堂に逃げ込んで、かき氷タイム。 イチゴミルク、今年の初物。うまかったす。!(^^)! もう、30分も涼んでしまった。 その間、若い母が、「ようた、ようた」って売場を大声で息子さがし。 長崎の子供投げ落とし事件もあるのに、どうして簡単に子供を自分の手からはなして野放しにするのか・・と私はつい、その鈍感そうな親を疎ましい気持ちで眺めてしまった。 でもま、黄色いTシャツを着たようたクン(3,4歳くらい)、10分ほどで「捕獲」されていた。元気なかわゆいガキクンでした。マジにホッとしたわ。
3時頃には、川崎大師に着くはずが、3時半着。 本堂と、不動堂にお参りして、帰りは電車。爆睡で、乗りはずすとこででした。 帰宅してビールが極楽でした。 おしまい。 次回は、川崎から歩きます、です。
2003年07月03日(木) |
夕方、愚観音様、goo不動様 参拝 |
夕方、愚観音様とgoo不動様へお参り。 たまちゃんパパもおいでになって巡拝をした。 楽しい時間でありました。
姪よりメール。 ヨーロッパに行きたいから、同道したいとのこと。 まあいいけど・・・一人とちがってめんどいなあ。 しかし、若いときの旅は、目から鱗が何枚も落ちる。 旅の仕方を手ほどきするのもいいかも、だ。
オオ、じきに、深夜1時だ。 ねむいぞう。 12時前は金の睡眠、過ぎると銀の睡眠・・朝が近いと、もう銅以下の睡眠・・・ 寝につきませう。
横尾忠則氏の記事に笑った。大笑いした。 一日一回福笑い、をモットーにしている私としては、声だして笑いましたわ。
以下ちょこっとさわりを・・
外で人に会って、気になるのが、時々鼻毛が外に飛び出ている人がいること。たまに女性にもいる(らしい) 見たくもないが、顔の中心だし、気にかかる。 「失礼ですが、鼻毛が見えていますよ」と注意したい衝動に駆られるが今まで一度もいったことがない。(ガハハハ) 三島由紀夫は、肥満体は社会に対して礼節に欠けると言ったことがあるが(え、そうなの・・ドキ)、、鼻毛の露出も同様礼節に欠けると思う。(ガガハハハ) テレビを見ていて、鼻毛を気にするナンバーワンは、ビート・タケシと長島茂雄だ(そういう我が輩も気にするから同類である)この二人は、鼻の穴に手をやって気にするのが癖になっているのかも知れない。(ワハハッハ)以前二人にあったとき、しげしげと鼻の穴を観察したが、二人とも鼻毛を心配する必要がないと、ぼくは判断した。(ウヒャヒャ) 以前、パリのビエンナーレに作品を出したとき、一人のフランス人紳士がぼくの作品に顔を近づけ、アタマを上下にふったり、左右に動かしたりしながら、鑑賞していた。 さすが、パリ、と感心していたら、その紳士は顔を作品にうんと近づけたかと思うといきなり鼻毛を抜きはじめた。作品に無数の鏡の断片が貼り付けられていたからだ。これで、鼻毛を見つけて、この行為に及んだのである。(ギャハハッハ) このあと〆・・「これが芸術の都パリの出来事かと思うとぼくはがっくりしてしまった。でも、こんなことに作品がお役に立ったことを思えば、これも日本古来の用の美を果たしたことになり、実に不思議な気分を味わったものだ」 「」内はそのまま引用である。 あまりに見事な落としで、もう、ホホホホハハハ・・・と歌舞伎笑いをしたくなった。 「天の岩戸」という横尾忠則氏らしいエネルギッシュな油絵の脇に「社会的礼節」と題したこの「名文」いや、楽しませて貰いました。 全文引用できないのが誠に残念である。
みなさん、鼻毛が穴の外に出ているのは、「社会的礼節」にかけるそうである。 気をつけたいものですね。 私の観察眼では、タバコを吸う人は、特に要注意です。
2003年07月01日(火) |
くこ ブルーベリー 松の実 クルミ |
どうも、目の調子がよくない。 かすむ、上瞼が重い、熱感がある、かゆい。 疲労だろう。 ということで、アントシアニンが多いドライワイルドブルーベリー、中国漢方で一押しのくこの実を購入してきた。 ついでに、頭によく効く(毛生え効果ではない、記憶力の減退を防ぐ?らしい)松の実、クルミも入手。 サプリで摂るという方法もあるけれど、ヨーグルトにいれて食べようと言うことで。 クルミ、松の実は、すりこぎでつぶして、もうひと手間かけて漉して塩少々の味付けで、デリシャススープになるのはわかっているのだが、とりあえず本日は食べてしまった。
昔、仙人食の本を読んだら、その中で一押しは松の実でした。 それ以来、密かに仙人サンに憧れる私は、松の実を食してきました。 未だ仙人にはなっておらぬが・・・(^^;) しかし、でも、松、クルミ、乾燥ベリー・グレープ系を食すと、身体がうれしがるのがわかる。 考えてみれば、木の実は、やがて、木という生命体になる栄養がすべてあの小さい実に入っているわけだし、すごい。 美味しい、ありがとう、の気持ちで食べないと罰が当たるというモノだ。
シルクロードレーズンという白ブドウのドライレーズンがあるのだが、味は甘過ぎだったりするが、ネーミングが好きだ。 遙か、ラクダに乗った隊商たちも、砂漠の夕日を見ながら食べたような気がして・・・
木喰行という行があるが、あれは「木の実」が主なる食だと聞いたことがある。 木の実、とくに、クルミとか松の実は大変栄養価がたかい食品らしいし、そのうちに「木喰ダイエット」なんていうのがはやったりして。
なんて、食い物や飲み物のことを秋ぐらいから10回にわたって小コラムを故郷の新聞に書くお話を頂いた。必ず、故郷の食に関連づけないといけないらしい。 おもしろそうだけど、てごわそう。 家にも、くるみの木があって、秋には拾って・・・それで、食べた記憶はあるけど、どうやって、となる記憶が定かならず。 家でつくった納豆、味噌、山に取りに行った山菜、今頃は、笹団子の笹を摂りに山にはいったけ・・・秋には、きのこと山栗ひろいはあたりまえ。きのこは父と、栗は祖母とよくいった。春の山菜は、母と一緒だった。 山栗の栗ご飯は美味しかった。 今だって、梅干しは母のがほんものだと思うし、こんにゃくは家で育てたこんにゃくの木(二年かかる)から母が手作りしたモノが本物、その辺で買うヤツは仮のものだと思っている。 餡も、母が小豆を山畑で作って、煮て、漉したこしあんは絶品である。 売っているヤツとどこが違うかといえば、 山栗・・・甘くて味がしっかりしている、色もいい 梅干し・・・ちゃんと酸っぱい、この頃の甘ったるいヤツは梅干しじゃない、更に昔は、親せきの裏畑の木にでなった梅の実をつけていた、それは中国産がはびこる昨今、今思えば豪華なことである。 こんにゃく・・・・歯ごたえのクッション度が違う。市販品と別物。 あんこ・・・・・味が上品。何せ、母が不自由気味の身体で1日かけてつくる。
記憶を掘り起こすと、いろいろとある。 思えば、母と祖母に手間ひまかけた「ホンモノ」を食べさせて貰っていた気がする。 この機会に、母に昔の食のことをきいておこうと思ったことであります。
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