世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年02月28日(金) 我が身体は鈍くなったのか?強くなったのか?

一昨日くらいから鼻の中におできができて、さらに外側にも赤い発シンが・・・要するに「風邪の華」がさいた。
これって、風邪をひくと最終局面で出てくるヤツだ。ってことはだ、私、風邪をひいていたのよね、多分、ずうっと。
気がつかんかった。
元気に飛び回っていた。いいのか?これは、強いと言うより鈍感と言うべきことだろう。反省。
で、昨日一日死んでいたので(眠りまくった)今日は反省して少しまじめに原稿書きなどをしたが・・ひどく非効率だ。
食べて、飲んで、本読んで、ごろごろ、時々起きてパソコンに向かう・・こういうのを「怠け者」といわずして・・・と猛省。(反省はブタもする、いやしないな)

夕刊一面「松井初アーチ」
ゴジラの初ホームラン、おめでたいことではある。
しかし、このご時世、これが一面でいいのかねえ・・・・疑問だ。
その下の「失業率5,5%、最悪水準」がトップに来るべきなんじゃないの?



2003年02月27日(木) カイラス巡礼

チベットの聖なる山カイラス、行きたいと思っていたが、ひょんなことからいろいろとお話を伺うことができた。
結論からいうと、高いんだな、これが。
60万から70万円。(でも同じルートの山ケイ主宰のツアーは100万円近いというし、それを考えれば安い)
安旅の権化のような私としてはどうもエイヤーというにしてもよ・・・高いな。
もうベトナムは決まっているし、ヨーロッパ行きのチケットもあるし、行けば帰ってこないといけないし・・デガネ確定のことだらけだ。
それと、私のうちにある「ラサ願望」。どうせなら、ラサからカイラスに行きたい、の思い。
83年の中国一人旅でラサ行きはトラベルパーミットが出なかった。あの時から何時かラサ、と思っていた。
ラサから行かないと、悔いが残って2回目がありそうで怖い。(別に怖がらなくていいんだけど)
もうしばらく迷うけど、多分今回はペンデングかな。

どうも風邪気味だったらしい。
昨日あたりから鼻の脇に盛大に風邪のハナが咲いた。で、今日は一日、おとなしくしていた。



2003年02月26日(水) 新幹線妄想

今朝乗った新幹線は、越後湯沢を出ると、ノンストップで東京駅。高崎も、大宮も上野も止まらない、ということになっているのだが、過密ダイヤの悲しさ、大宮で1分臨時停車したね。ドアは開かなかったけど。
朝の上越新幹線はほとんど15分から20分おきに出ている。少しでもなんかあったら前のにぶつからないか、と怖くなるくらいだ。
1号車の2階席だったんだけど、先行車に衝突して、脱線したらこの号車は最悪だな、死ぬな・・とかって連想してしまった。
韓国の地下鉄事故の後のせいかな・・こういうのを妄想というんでしょう・・よ。
でも、まあ 本を読んでいたが少し寝たら(朝から!マンガの読み過ぎだ)無事に東京都北区の景色だった。妄想が妄想で終わってよかった。
結局10時少し前に東京着。

ホンの数日で関東地方は春が進んだ感じがする。
洗濯・メールや郵便物の処理等々をしていたら夕方、sakurannkoさんに用事があるので会って少し飲む。
いい気持ちであります。
sakurannkoさんの家の近くにバリバリの中国人がやっている中華屋さんができて「だったら、シュワンヤンロウ(羊肉のしゃぶしゃぶ・北京の冬の名物)やるか」と聞いて、と頼んであったんだけど、分かってもらえんかった、鍋はいろいろあるといわれたっていう返事で・・。たしかにその中国人が四川省出だったりしたらまずは「火鍋」(真っ赤な唐辛子スープのの鍋)だろうしな。
もちろん、私がsakurannkoさんにあったのはそんな用じゃないんだけど。
話すうちにそんな話にある私たちなのだ。



2003年02月25日(火) 焼きたてジャぱん

いなかにいると、ついついパソコン・漫画オタクのおいの部屋でpcを借りることになる。ついでに、部屋に転がっている漫画を読みふけることになる。
今回はハンター×ハンターの12,3,4巻、ブラックジャックによろしく4、焼き立てじゃパン1,2,3,4を読んだ。
おいが面白いと、すすめたうすた京介という漫画家のストーリーはギャグが過ぎておばさんにゃ疲れる。
ハンターハンターは、ストーリーがわき筋に入ったまんま・・ちょっともどかしい。旅団(クモ)とのファイトのほうが私は面白いんだけどな。
ブラックジャックによろしくはヒュウマンで合格。
なんてたって読みふけったのは「焼き立てじゃパン」だ。
日本人にあうパン(じゃパン)を作ることに小学生の頃からめざめた東和馬という少年が一流のパン職人になるべく(この子、太陽の手と言う、パンの発酵を促す魔法の手のもち主と言う設定になっている・・そんな手あるの?)
競うお話なんだけどおもろい。つい、パン、それも美味いパンが食いたくなってしまうのだ。
ついでにつつきも読みたくなる。

★この本にあった、炊飯器でのパンの作り方
材料 
強力粉350g 食塩6.5g ドライイースト5g 牛乳35cc 
バター21g 水180cc さとう21g
作り方
1上記の材料を全てぶち込み(と書いてあった)ひたすらこねる。
 ベタベタしなくなったら、形を丸く整えてできあがり。
2温かいところに80分放置。すると発酵によって膨らむ.
3ガス抜き。50センチくらいのところから生地を垂直落下。
4二次発酵(同じく80分)後に炊飯器に入れてふたを閉めて炊飯ボタンをオン。
5一回目が終了したら、ひっくり返してまたオン。
63回目オン。
7 と、合計3回の炊飯を繰り返して出来上がり。

ちなみにコレ、漫画の中では「ジャぱん2号」として紹介されている。
「コレでモテモテ、21世紀は男も料理」とかってキャプションが付いているよ。はっはは、だ。 

コレを読んでくださった、どなたか「ジャぱん2号」つくって感想をお聞かせください.



2003年02月24日(月) ハッピーバースディ 

昨日は散々だった。
でるまえにウチでいろいろごちょごちょやっていたら、バスに乗り遅れちまった。しかたなく、新幹線で帰ったけど、バス予約があったし、大損害だ、まったくね。
数年に一回はやるよね、コレ。
飛行機でまだやってないのが不幸中の幸いだけど、自分のアバウトさがイヤンなる。。一応血液型はAなんだけどなあ・・・かくれBだよ。

今日は父の誕生日だ。
昨日、明日は何の日?ときいたら自分の誕生日って言えたし、今日はお祝いのおすしを食べながら【いくつになった?】と聞いたらきちんといえたし・・・一部まったくぼけていないのだ。
ケーキのろうそくは一気に吹き消して気をはいたし、デイケアに行って、職員の人は誕生日おめでとうといってくれたとみんなに報告したし・・・でも自分の家のトイレの位置が覚えられない・・・あたらしい家になったせいもあるけれど不思議だ。もちろん流すのなんかも忘れるから、バリアフリーで、立ち上がったら流れるトイレで良かった。
母は父の誕生日なんて忘れて(多分)2泊3日の温泉旅行。元気になってよかったけど、このちがいは、と思う。昔から人の付き合い方と好奇心が全然ちがった。この辺だろうか・・分かれ道は・・・やがて行く道、色々と考えるなあ。



2003年02月23日(日) 田舎に帰りますよん

バスの午後便で田舎に帰る。
父のボケがかなり進んだと姪が言うので・・・
帰ると「私は誰?」といつも聞くのだが、一応分かっていたのだが・・今度はどうだか。

朝刊一面に「パウエルと小泉の握手」写真が載っていた。
その下に「イラク攻撃なら、乳幼児の126万人に死の危険」の記事。
対イラク戦争が始まるとイラク国内の5歳以下の子どもの30%が栄養不足で死亡する可能性があるのだという。
ひどい話じゃないか。
アメリカ国内では、肥満と栄養過多で死んでるヤツがたくさんいるんだよ。

日本はこのままブッシュにヘイコラしているとそれに荷担するのだ・・・
ひどくて悲しい話だ。
せめて、ヘイコラを喜々として欲しくない。
丸腰だし、北朝鮮問題なんかもあるし「致し方なくいやいやながらアメリカに協力している哀れなお国日本」のイメージを明確にうちだして欲しいよ、小泉くん。
じゃなかったら、独仏のようにアメリカに拮抗するスタンスを・・というのは無理だろうから、せめていやいやながらだ、ということを言明してほしい。
じゃないと、この国もテロの標的にされるよ。
トルコやエジプトで聞かれたもん。
「日本は、アメリカに原爆を落とされているのにどうしてアメリカと仲がいいのか、不思議だ」と。
モスレムは恨みやされたこと忘れないようだから、この言葉は分かる、日本人のように水に流さないから。
日本はモスレム国で比較的評判がいい。それは政治ではない、ひとえにかつてのNHKドラマ「おしん」のおかげなのだ。
「おしん」は輸出されて人気番組、たくさんの人に見られている。



2003年02月22日(土) 慣れぬことは疲れまする・・

終日、マップの下図をかいていた。
ドヒャーと疲れた。
終わったし、自分へご褒美に柚子シャーベットを食べよう。

アメリカのガソリン船爆発、クラブでの花火による死傷者多数。
やっぱりおかしいよ、ブッシュの呪いだね。
亡くなった方々に黙祷。




2003年02月21日(金) いい天気 南無富士山大権現

寒いが富士山がくっきり、何とも気持ちいい。
朝から富士山が拝める幸せ!!よ。

よく寝たのでアタマもすっきりである。(が、お昼寝をしてしまったが)
朝ご飯は、島なみ海道で買ってきた「レモンジェリー」を「四つ星パン」に乗せて、コーヒー付で食べた。
パンとジェリー、どっちも特製である。
レモンジェリーは、青いレモンとさとうだけでできた贅沢ジャム。レモンのやや渋みが味のアクセントになっていて大人の味である。
「四つ星パン」は、姫路のIさんの作品で美味しかった。

姫路のdさん宅でお借りしてきた「アマテラス」(美内すずえ作)が面白かった。
これは番外編なのだが、新たに書き下ろされた「アマテラス」は4まである。
そっくり借りてこなくてよかった。うち込みそうだから・・・
実は私はマンガお宅だ。田舎に帰ると甥が薦めるマンガを徹夜で読む。
「幽ゆう白書」とか、「ワンピース」「ナウシカ」等々、とにかく読んでしまうのだ。
大学時代、友人のお家で3日間彼女の部屋に籠もって、並べてあった漫画をすべて読んで、彼女の今は亡きお母様に「すごく変わった子」といわれた。なつかしい思い出だ。



2003年02月20日(木) 帰宅

今朝夜行バスで帰宅。
ご飯とシャワーだけ浴びてまた渋谷へ。
午後から帰ってしばし仮眠。
夕方洗濯、メール。
忙しい。

夕ご飯は、美穂さんから頂いた「白石島の味付け海苔」姫路のDさんから頂いた「イカナゴの釘煮」大根の高知柚子酢漬け、みそ汁、ご飯。
朝食のようなメニューだったが、うまかった。
海苔は身が厚くてうまかった。
イカナゴの釘煮は自家製。
昨日はイカナゴ解禁日だったのだとか。
このお魚が解禁となると「春やねえ」と姫路ではなるらしい。
Dさんによると今は小さいけど、春が長けるに従ってだんどんお魚が成長するのだとか。
ひとつ利口になりました。

睡眠は少ない、ふだんの4倍くらいしゃべるのでますはのどが疲れて声が「森進一化」している。
疲れている、だけど疲れていない。
気持ちいい人たち、出会いの中にいるとこういうことになる。
ありがたい。
16日のお遍路ご同行の皆さん、今治のkさん、姫路の出口組の3人娘?様、ありがとうございました。

しばらく、なんだかいそがしくなりそう・・・でーす。



2003年02月19日(水) 書写山へ

朝8時半、姫路のホテルをKさんと出た。
ナビを書写山に設定。
9時、書写山への岩山を登る。
Kさんと観音様をお参りしたあと、Kさんがいつか奉納舞をしたいという破磐神社へむかった。
良い天気で、気持ちいい日である。
まずは神社の起源となった「割れ岩」へ。
お参りの後に、本殿のそばに椅子を出してくださったので、Kさん、Iさん、宮司さんご夫妻とお話をした。
楽しい時間だった。

その後鶏足寺へ。
ここも、観音様である。新羅の観音様(十一面観音)である。
Iさん、Kさんとお線香が燃え尽きる間、太鼓をたたいてお参りした。
たぶん、観音様はにぎやかでうれしかったと思う。

Kさんは今治へ。
私は、IさんとともにDさん宅へ。
今は、そこで書いている。
なんだか、あちこちでお友達ができてうれしい私である。
今晩の夜行バスで帰る。
15日深夜に出て以来、お遍路をし、いろいろな方に会い・・・充実した毎日でした。







2003年02月16日(日) たまちゃん、つぐちゃん遍路!!

朝五時おきでお遍路へ。
夕方5時過ぎに清滝寺にみんなでありがとう解散。
その後私は今治の友人宅へ。
その後未明までおしゃべり。

めいっぱい楽しい日でした。
またおうちに帰ったら書きます。



2003年02月14日(金) 深夜バスで西へ

深夜バスで西へ西へ。
土曜、日曜、晴れるといいな。
久しぶりのお遍路です。
出かけるのは、ホント、うれしいね。
では準備を始めましょうか。



2003年02月13日(木) 高知産 Tシャツ

ヨーカ堂に、今日もまたいった。
高知産Tシャツ・・に目を奪われた。
このところのヨーカ堂は「メイド イン ジャパン」を売り物にしている。
でも、高知、と見るとやっぱり字が立ち上がって来るというか、オオである。
新潟の悪口言われると言い訳したくなるけど、四国のことも同様。四国の四県の話題には新聞なんかでも吸い寄せられまする。
先日、いつもよりやすいと、なにげに買った「めこんぶ」だけど、原産中国 製造宮城。しまった、と思ったもん。原産韓国は買う。しかし、この頃の中国産は危なくてしょうがない。
構造不況とはいうけれど、食について、衣類の品質については、国産がやっぱり信用できる。その点で「メイド イン ジャパン」に新しい意味を持たせているヨーカ堂の戦略は賢い。この辺がヨーカ堂が快進撃を続ける秘訣だろうなあ。

バレンタインのチョコ売場のみ大繁盛。日本人、義理堅いよね。東急で「ミルカ」のお値段を見てびっくり。ヨーロッパだと1枚1ユーロくらいで買えるのに、230円もしていた。倍ジャン。いくら輸入でも高すぎない?
東急の諸国うまい物売り場、私が好きなふわふわの新潟煎餅や、白松が最中(黒ゴマあんが特にうまい)、馬路村の柚子ポンを売っているお店。浪速屋の柿の種を買いに行きました。ここの店の諸国(どうしてか緒県ではない)和菓子は、はずれない、どれもうまいよ。
閑話休題。このところ、ちんけな食い物ネタばかりで御免でござる。<(_ _)>
ああ、旅に出たいよ・・・



2003年02月12日(水) It's new!

どうも、It's new! に弱い。
郵便局の帰り、久しぶりに改装したファミリーマートによった。
で、、これ知らない、と手にしたのが「ニューヨークチーズケーキ」(神戸のトーラク)と「パスタの入ったゴルゴンゾーラスープ(ポタージュ)」(ポッカ)というヤツ。
コンビニで食べたことないモノが目にとまるとやっぱり・・手が伸びて。
食欲じゃない、好奇心である。

ニューヨークチーズケーキ、120円値段のわりにうまかった。
また食べてもいい、の評価。
でも、どうしてニューヨークってつくの、昨日のトルコと同じくふしぎだ。
私だったら「天使ちゃんのチーズケーキ」とかってするけどなあ。

ゴルゴンゾーラはこれから試食だ。
さてさてどんな味?

コンビニの棚はだいたい3ヶ月クールだというけど、新しい物見たら食べたくなる私って、困るよなあ。
ちなみにAMPMがご飯系は美味しい。セブンイレブンは、添加物に気をつけている。あんまり個性がないのが、意外とローソンとファミマだ。
でも、ローソンには、歩きの時一番お世話になる気がする。国道沿いに多いのだよね。
今や、私にはコンビニのない歩きはかんがえられない・・なあ。



2003年02月11日(火) のびておいしいトルコ風アイス

「のびておいしいトルコ風アイス」を食べながら書いている。
変なアイスでしょう・・ホントにのびるんですよ納豆みたいに、糸を引く。
ヨーカ堂にちょっこと買い物に行って、見つけたのだ。
「トルコ風」にひかれて買ったんだけど、トルコのアイス、のびたかなあ?
のびなかったような気がするよ、だいたいイタリアの「oha」あたりが入っていてどちらかというとイタリアンテーストだったような。
雪印ブランドだけど、製造者はロッテスノーだ。
ガムを作る技術でアイスをつくったの?
確かにバニラ味なんだけど、ネトーとスプーンが重い。
成分を見ると「粉アメ」というのが入っている、多分これが糸ひきの秘密だね。
どうしてこれがトルコ風なのだ?謎だ。
一ヶ100円(だけど、ヨーカ堂は88円・・あれ、いい数字だね(^_^))
ネトーとした腰の強さは、モノを売るときのトルコ人の腰の強さに似ている気がするけどねえ。何しろ、オスマン商人の末裔だ。
彼らはだましかたもうまい。「もしかして、やっぱり騙されたのね」という感じでやってくれる。
その点では、買う気もなかったアイスを「トルコ風」の名前だけでかっちまってくっているのだからやられたね、ではあるのだが。
どもどうして「のびておいしい」がトルコ風なの?わからんなあ。

新聞に新たな拉致疑惑者44人がでていた。
みんな、ふっといなくなった感じ。
これでは、家族はたまららないだろう。
どんどんずぶずぶと、この問題も底なし沼化しているなあ・・・

と、ここで、本日の日記終わりのはずだったのですが・・・・・調べちまいました、トルコ風アイス。
ネットで「トルコ風アイス」「ロッテスノー」と入れたらでてきました、私が食べたアイスの由来が・・・以下にコピー。
 

★★★ トルコから来た! のび〜るアイス★★★

トルコ風アイス
ロッテスノー
¥100
2003/1/27発売(発売されたばかりなんですな)

 あなたはトルコのアイスクリームを知っていますか? トルコの名物アイスクリームは、「ドンドルマ」と呼ばれ、すごくめずらしい感触がするアイスクリームなのです。
 昨年から発売されて大人気の「トルコ風アイス バニラ」が、新しくリニューアルし、今度は「チョココーヒー&バニラ」味が追加されました。ぜひお店で見つけたら1度食べてみてください。

「トンドルマ」とは?
トルコの屋台を中心に発売され、人々に親しまれているアイスクリームは、びよ〜んと伸びるアイスクリーム。お餅のように、弾力があり、すごくなめらかな食感です。濃厚な「バニラ味」に加え、コクがあって贅沢な味わいの「チョココーヒー&バニラ」。他では味わえない不思議なおいしさです。

2003年はトルコ年
トルコ共和国の外務大臣イスマイル・ジェム氏が2000年に公式訪問し、2003年は「日本におけるトルコ年」と決定しました。アジアとヨーロッパの境目に位置し、お互いの文化が混ざっているトルコは、すごく魅力的な国。今年はますます身近な国になりそうですね。そういえば最近トルコに行くツアーも多いかも。

 実は私はかなりのトルコ好き。このアイスを発売されたと聞いた時にお店を探しまわったほど。アイスクリームは、スプーンでネリネリしながら食べるといいですよ。(2003/01/31 取材/齋藤千絵)

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ほうううお
2003年はトルコ年だと、ホオオオ!
ト(ド?)ンドルマ?
しらんなあ。
その辺で売っていたアイスは私の知る限りイタリア系だったけど・・・今度いったらチェックだね。トルコチーズはうまい、当然トルコ風ピザ(ピテ)もうまい。同じ乳製品、アイスもうまかろう。
でも、のびるアイスは・・・私はもう買わないな。だって、本とか読みながらだと、ビヨーンとのびたのがぺとっと落ちて本のページにつきそうだもん。
でも、こういうの、はまる人はいるだろう。
ねと〜〜〜びよお〜〜ん感がいいとね。



2003年02月10日(月) 深夜のドキュメント2003

日曜日の深夜、というか月曜日になったばかりの時間の番組に日本テレビの「ドキュメント2003」がある。
日曜の夜はこれ見たさに夜更かしする。
長寿のとてもよい番組なのだが、どうしてこんな時間、といつも思うのだが。
昨夜は「南アフリカのエイズホスピスで死に逝く患者たちを看取る神父様」のドキュメンタリーだった。
根本神父、72歳。
彼は、ずっとハンセン病の施設で活動してきた人だが、引退するときに患者の一人にいわれたのだという。
「神父さんはよくやって下さったけど、ついに私たちと一回もお風呂に入ってくれませんでしたね」
その言葉が胸に刺さったという。
それが、彼を南アフリカで活動させるのだという。
彼は3年間で、500人以上を看取ってきた。
南アフリカでは、発病をおくらせる薬はたいていの患者には高価で手に入らない。
「ここに来る人は2週間で変わり果てます、私のしていることを無駄なことをしている、という人もいる、確かに無駄なことかも知れませんが・・・」
そういいながら、彼は毎日膨れ上がった患者の足をマッサージし、言葉をかけ、身体をさすり、キスをし・・・
 彼の目は厳しい。決して絶望なんてしていない。
 私は、すごい人を見たと思った。
キリスト教の独善性は大嫌いだが、しかし、彼らはかつての過ちを反省しつつ、アガペー的愛において進化もしている・・こういうすごい人を見てしまうとそう思う。
日本の仏教者にここまでできる人はいるだろうか?(いないよな、きっと・・)

あのアメリカのコロンビアだけど、あれを打ち上げるまでのお金でどれだけのエイズ患者が救われるか・・と、思わず考えてしまった。
末期エイズ患者の悲惨な状況は、タイなども南アと同じだ。
宇宙への夢を語る前に、地球上の絶望を何とかしないといけないよ、ブッシュさん。それがキリストに一番影響を受けたという、あなたのお仕事ではないではないですかね。ところで、彼はキリスト教のどこに影響を受けたんだ?一番いやらしい独善性かな。



2003年02月09日(日) メメントモリ

私がなにやら疲れると眺める本のタイトルである。
意味はラテン語で「死を想え」
藤原新也氏の若いころの写真集。
私の持っているのは「1983年の第1刷。かなり汚れた。
でも藤原氏は「汚されたらコーラン」と、この本が汚れたら、光栄である、喜ばしいというのだ。
私のは十分に汚れてます、今度個展などでお会いすることがあったら、これ、持っていてサインしてもらおうと思う。
好んでみるのは「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」の、インドの多分バラナシの犬どもが、人の足をかじっているという結構すごいヤツ。
すごいヤツだけど、ほっとするのだ、何故か。
チベットの鳥葬に通じるものがあるからだろうか。
この本を見てインドに行った私であった。

この本の中の「ねこは漬け物石である」という写真は「ホンモノ」が額に入って部屋にある。
沖縄のスコールが起きる写真もある。
すきなんだなあ・・藤原サンの写真。
1月にNHKの「美の視点」で出ておられたけど、ずいぶん目が優しくなった。
「東洋街道」のカバーにある写真なんて、すごい目だけどね。
こうやって、人はだんだん仏になるのだろうか・・・・

今日はよい天気だったけど、何だか、身体がボヤンとしている・・・春かねえ。



2003年02月08日(土) 映画の感想・・徒歩について

「チベットの女 イシの生涯」

時代的には、チベットが中国(今の清朝ではない)の支配前から文化大革命を経て現代まで・・ということになる。
ヒロインのイシは、美しい声の持ち主で、なおかつ美貌、荘園領主のいわゆる「お妾」さんとなる。親の借金のカタ、ということだが、日本の歌舞伎などにもあるこういうセチュエーション暗さ、湿っぽさはない。
丁度「チベット旅行記」(河口え海)を読んでいて「性風俗の卑猥」(これは河口から見て)がめんめんと書いてあったので、なるほど「おおらか」と違和感はなかった。
そこにギャッツオという無頼の若者登場。彼女を略奪する。(この辺はあの「卒業」を思い出した・・謝飛監督はこれ、意識しているね)彼女は彼の妻となるが、根が無頼の夫。しょっちゅう放浪でかえってこない。彼女はまたお妾になる、そして、男の子を産む。
やがて中国の侵入、領主の亡命(子は連れ去られた)、夫の家出(これまた彼女との間に生まれた女の子を連れて)。彼女は全て失った。やがて母の死、娘からギャッツオが荒れているとの手紙をもらい会いに行く。
その旅は1000キロの道(それもヒマラヤの見える所)を辿って進むきつい旅だ。行き倒れた彼女を助けてくれたのは、昔の幼なじみでお坊さんとなった彼女の初恋の相手サムジュだった。彼は途中まで、一緒旅をして彼女を助けるが、途中で瞑想するために山に籠もった。そして、彼女には、行って夫を救いなさい・・と。
この話は、全て今はラサに住むイシとギャッツオの回想、北京から来た孫娘に語って聞かせるという形で進む。最後はギャッツオが死に、イシも後を追って・・二人は鳥葬によって弔われる。
ストーリーにはそう惹かれない。(でも、チベットにとってはすごい時代だったんだけど)仏を信じる心(他力本願的な)と、「すべての衆生に幸せを」と時々いわれる祈りの言葉がすごくよかったが・・・
何より、チベットの山々の圧倒的な美しさ、すんだ空気感、イシの美しい歌声・・これらに引き寄せられる。山の姿を見たとき ためいき、だった。
中国も、チベット人によるチベット映画(監督は中国の大御所だけど)がつくられるようになったんだ、また多分、私はチベットの山を見てため息をもらしたように北京や上海で同じ見方をする人がいるのだろうと思うと、「隔世の感」。私は初めて中国に行った83年、この映画の舞台となったラサは未解放に近かった。こっそり入ったアメリカ人が処刑されたとか、ホテルのドミトリーでは噂で伝わっていた。
それが、映画の舞台・・だ、よ。
ただこれは、漢人支配が定着したと言うことでもある。抵抗しつづけたチベット人たちであるが、骨のあるヤツはみんな亡命しちまった。
チベット人は差別され、いいポジションは今やみんな漢人だと聞いている。
私は「セブンイヤーズインチベット」のラストシーン、チベットに侵攻した共産軍をポタラ宮のラーマ7?世は曼陀羅の砂絵を描いて最大限の歓迎をしたのに、軍人たちはそれを踏みにじった・・この野蛮な行為、怒りを持って忘れない。
(まるで、私はチベット人のような^^;)
景色を見るだけでも、満足できる・・★3つ!!


「裸足の1500マイル」
これは、オーストラリアで行われた「混血アボリジニ教化政策」を描いたノンフィクションが原作である。
この政策は1931年から何と70年まで続けられた。
要するに白人とアボリジニ(英語で半はブッシュ・ネイテブというてました)の混血児を強制連行して、ネイテブの母親から引き離し英語しか使わせないようにし、「教育」する。故郷には返さない。この政策の推進者であったネビル長官は時々施設を視察し色の黒さで頭がいいか悪いかを判断する。色が白かったらあたまがいいから町の学校、黒かったら施設・・・さらにはつかまえられた子は動物のおりで15ポンド8ペンスという「ブツ」を運ぶ値段で連れてこられるのだ・・・
毎朝、賛美歌を歌い、シスターが彼らを囚人のように管理する・・・またまたキリスト教の独善だあ。こうすることで幸せになるという・・
しかし、この施設から、母に会いたいと敢然と逃げ出した子どもたちがいる。
モリー、デイジー、グレイシー。
参人とも女の子。
追っ手がかかるが3人は逃げて隠れて時にはいろいろな人に助けられてついに母に再会する・・・1500マイルは1900キロ、彼女たちはそれを歩き通して母にあったのだった・・・(グレイシーはつかまったが、そして、ついに彼女は2度と故郷を見ずになくなったが)
この教化政策は基本的にナチスがやったことと同じだ。
これはオーストラリアの恥部でもある。
チベットの問題と同じく、オーストラリアはあんまり知られたくないことであろう。それが世に問われる・・21世紀はそうわるいほうに向かっていないのか・・とふっと映画の後に思ってしまった。でもブッシュの顔見たら、違う、破滅だと思うけど。
3人の子ども勇気とけなげさ・・★3ツ。

「アフガン戦場を行く」
これは東京新聞の名物記者吉岡逸夫氏が取材の時にとって来たドキュメンタリー。
感想は「新聞記者」(ジャーナリスト)って、究極の野次馬だねってこと。
★2つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
期せずして、前の2つは「徒歩」はテーマになる映画であった。
夫と娘への愛のために100キロの険しい山と峠を越えて、母に会いたいために1900キロを子どもが追跡の手から逃れて歩く。
歩く・・それは何かに出会う、ため?と少しかっこいいことを考えてしまった私であった。

今日は、チベットモードがはいってしまって昨日買った「トレッカーのためのネパール」なんて本を読破してしまった。
やっぱり、エアーズロックよりヒマラヤが見える景色が好きだ。
チベットの山峰は見ているとなつかしい・・みたいな感覚さえある。






2003年02月07日(金) 映画のはしご

今朝9時20分に家を出て、恵比寿の東京写真美術館の「チベットの女 イシの生涯」
その後銀座で「裸足の1500マイル」(女性デー900円)さらに渋谷で「アフガン戦場を行く」の3本立て。
それぞれみたいと切望していたから、楽しかったし面白かったけど、疲れました。
感想はあすの日記に。

それから、ユニコーンさん、sakurannkoさん、アリスの母さんへ
「春節新年会」で話題になった「柚子の来歴」です、以下にさるHPから一部コピーしてきました。

(柚子の来歴)

ミカン科ミカン属。ミカン類の中では最も寒さに強く、東北地方でも栽培が可能です。実生(接木をしない状態)だと、 実をつけるのに15年もかかりますが、そのかわり寿命が長く病気にも強い木です。果実は130g前後で凸凹の多い、 いわゆるユズ肌をしています。
原産地 中国長江上流域の原産です。日本には奈良時代か飛鳥時代に渡来したと言われています。
酢橘(すだち)と香母酢(かぼす)もユズの近縁種です。
獅子ユズ−1kgにもなる大型の果実がなります。ジャムやマーマレードに使います。
花柚(ハナユ)−ユズによく似た近縁種。汁を食酢に使います。多少香りが弱いのですが 皮もユズの代用として使えます。木がコンパクトで実が良くつくので育てやすい。
8月から9月には緑色のユズが出回ります。晩秋になるとこれが黄色く色づいてきます。
調理方法は、皮を薄く向いて料理の仕上げの段階で香り付けに使います。果汁は酸味が強く食酢として使えます。
どちらも使いすぎないことがコツです。
料理とは関係無いですが、冬至に柚子湯に入る習慣があります。疲労回復と神経痛に効果があるそうです。

柚子こしょう は、九州の調味料。ユズの皮と唐辛子(トウガラシ)をすり下ろし、 塩を加えて混ぜ合わせたものです。九州では青唐辛子の事を「コショウ」と呼んでいたので、 ユズコショウという名前なのです。緑のユズに青唐辛子を加えた緑色のタイプと、 熟した黄色いユズに赤唐辛子を加えたオレンジ色のタイプがあります。



2003年02月06日(木) 食べ物屋と薬屋は・・の伝説

大昔、私が花の女子大生だった頃家庭教師をしていた祇園のおそばやさんの女将さん(教えていたのは、そこの娘さん)にいわれました。
「お姉ちゃん、食べものやと薬屋さんはどんな景気になってもつぶれへんで、お仕事探すときやお嫁に行くとき、これわすれんときな」
確かに。
人は食べねばならないし、病気になったら薬は飲まねばならぬ。
至言ではある。
(まあ、だから私もリスアタマにもかかわらずおぼえてるのだが・・オオ、昨日の私のリスアタマの嘆きにメールを下さったり、励ましの書き込みを、ありがとうございました)
しかし、今日の新聞で、この伝説は覆った。
「横浜中華街萬来軒破綻」
中華屋さんて、つぶれない気がしたんだけど・・・・
要するに「バブルのときに増築した」というのが響いているようだが。

さてメンバーが、そろった。
これから、「春節新年会」だ・・・・
「米百俵」を飲むんだよ。(^o^)  



2003年02月05日(水) リスアタマの我 悲しき

リスは、食べきれないドングリを埋めてかくしてあとから掘りだして食べるという。しかし、時々、隠したことを忘れて春が来る。
そうすると、そこにクヌギの木が生えてくる・・・
隠して忘れるアタマを「リスアタマ」という。

一昨年、ピッキングにやられて以来、通帳や、パスポート、印鑑を時々隠し変える。
しかし時としてどこに隠し変えたかわすれるんですな・・あるいは、記憶の更新ができていないんですなあ・・・今日もそうでありました。
午後、銀行へ通帳と印鑑で行こうとしたら、ない・・・探してもない・・あるべき場所にない・・・
夕方、またいつの間にかピッキングされてた?泥棒??
カギは付け替えてもらったし、自分でもつけているので2ヶだし、ドアには不審者よけのビーッてなるやつがついているし、どうやって入られたあ?
とにかく、銀行で調べないと・・・夕方押っ取り刀で出かけた。
無事でした・・よかった、ではどこに・・も、もしかしてゴミかなんかと間違えて捨てたあ?そんなことはないよなあ・・・
うちに帰って再度、ゆっくりと最後の「更新」はいつだったか・・と考えた。
ありました・・・全然違うところに。しっかりとしまってありました。
こうなると、怖くなる、自分が・・・アルツハイマーか、と悲しくなる。
父はそうだから、遺伝的要素としてはあるのだ。
昔はこんな事、絶対しなかった。
「行ってきます」と玄関にものをおいたとたんに忘れるとか、傘を電車に性懲りもなく忘れるとか、ありましたがこれとは質が違う。
ということで、時間を無駄にした上に、ショックで夕ご飯も食べたくない私でありました。もしかして、アタマを調べてもらった方がよいのかしらん。「ボケ検査」ってある。手術した後に麻酔科のドクターが来て「麻酔の後遺症調べ」と称して「ぼけ検査」していったっけ。あれをお医者さんにいってしてもらえばいいのだ。
まあ、一晩考えよう。
とりあえず、ビールを飲んで寝よう。
疲れた・・・



2003年02月04日(火) 人格障害とは何か

人格障害・・ずっと前から気になっていた言葉だ。
昨日の夕刊にいい文(高橋健・精神科医)がのっていたのでここに我がお勉強で、整理したい。
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(人格障害の起源)
*旧くは「精神病質」とよんだ。
*19世紀ヨーロッパで生まれたこの概念は20世紀半ばにいったん否定された。
しかし、第二次大戦後(1945年以降)のアメリカでまた使用されるようになった。
戦後、アメリカは住宅ラッシュを迎えた。同じような美しい見かけを持った大量の邸宅が生まれた。そこで暮らす人々は親も子供も「幸せな家族」を演じるように強いられた。
しかし、幸せを演じきれない子どもたちは「薬物依存、自殺未遂、暴力」へと走った。60年代から70年代のことである。その子どもたちは精神病院に収容されて、「人格障害」のレッテルを貼られた。
(人格障害概念の輸入)
日本でも、戦後、70年代にかけて住宅ラッシュがあった。
アメリカと同じくそこで幸せを演じられなかった子どもたちがいた。
日本の精神科医の一部は「人格障害」というラベルをアメリカから輸入して彼らに貼った。
「あの人は3つもの人格障害を持っていたからあんな犯罪を起こしたんだ」と言うラベルを貼ることで「私たちは正常だから安心となったわけだ。
しかし、「人格障害」と言われる人と私たちの間に大きな、明らかな違いがあるわけではない。そして、生まれながらの人格障害者はいない。
(ラベルをはがすこと)
人格障害は「コミュニケーション」・・メッセージである、と、とらえられる。「人格障害」という言葉に含まれる、そのレッテルを貼られた人のメッセージを忘れると事件は全て「遺伝的素因」に帰せられてしまう。コミュニケーションととらえると、私たちの全てに貴重な教訓をもたらす。

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実際に「人格障害者」の被害者になってしまうとこの文には怒りを感じる人もいるかも知れない。
しかし、そのとおりであるとも思う。



2003年02月03日(月) 節分恵方巻き

昼間ちょっこと郵便局にいったきりで籠もっていると、ど・う・し・て・も、絶対に外に出たくなる。というか、歩きたくなる・・病気だ。
で、ヨーカ堂に「節分恵方巻き」の売れ行きをチェックしにいった。
う、売れていました。
一本サイズの380円のヤツは品切れ、ハーフサイズの290円のヤツもエビかつ巻きというヤツしか残っていない。す、すごいね。
どうせ、海苔業界か、お米業界か、お寿司業界か、そのあたりが仕掛けた、関東に突如現れた「恵方巻き」だけど、これはヒットだ。
伊勢神宮の長蛇の列にもびっくりしたけど、この売れ行きにもびっくり。
みんな神頼みモードなんだよね。
ヤレヤレだね。
不景気も「新しい需要」を生み出すという典型例かな。

まあ、私も少しだけ残っていた「エビかつ恵方巻き」(多分受験生が食うんだろうネエ)をひとつ買ってきた。
メザシは、痩せたヤツがえらく高かったから止めた。
で、うちで、南南東を向いてパックン。でかくて、口に押し込むのが大変だった。
それで、hさんからいただいた、節分マメを「福はうち、いい鬼もうち」といいながらチランとまいて、歳の数だけ食した。
私の歳だけお豆を食べるのはけっこう大変で、どうしてかと考えた。
マメに含まれるイソフラボンは、記憶力や、老化予防、更年期障害に効果がある栄養で・・これ歳と共に必要なのね。
で、納得して、食べた。
お風呂上がりのビールのつまみにもしよう。
ハーフサイズの恵方巻きを食べて、お豆腐のみそ汁を食べて、節分まめを歳の数だけ食べて、愛媛産ポンカンをひとつ食べたらお腹一杯だ。

また少し、お仕事しますか・・・



2003年02月02日(日) コロンビアにご冥福

昨夜、TVを見ていたら、速報で、コロンビア爆発炎上ニュースが飛び込んできた。
あの「セッテンバーイレブン」を思い出しした。
忘れない、やっぱりTV見ながら翌日からヨーローッパに行く支度をしていた。
あの映像はしんじられんかった。
今回の、あおい空を光の帯が幾筋も散っていくのも「しんじられない」。
あの光には、乗組員が燃え尽きる「その明るさ」も入っている・・と思ったら、藤原新也さんの「メメントモリ」にあったバラナシのガンガーのほとりの槙を積み上げたなかで燃える死体が発する光を思い出した。
バラナシのヒンディーたちの最後と、コロンビアの宇宙飛行士の最後と・・同じ光になって燃え尽きる。ナサとインドのガンガーのほとりは多分、月と地球以上に遠い。でも、最後は光・・だ、ぜ。これって、アナーキズム?

一応、またテロ?とTVを見ながら思って見たが・・違うだろうと。
宇宙から帰還するシャトルを打ち落とす技術は今やアメリカしか持っていないだろうよ。敢えていえば、複雑なシャトル整備の要員の中にテロリストを紛れ込ませて
事故を誘発するような「何か」を仕組めばできないことはないんだろうが・・・。
でもそれでは、「テロ声明」は出せないよね。
縁起を担ぐアメリカ人なら、サダムフセインをやる前にこれは吉兆か不吉か?と考えることだろう。
キリストにもっとも影響を受けたというブッシュが、コロンビアの「事故」は「神の警告」と受け取ってくれるといいんだがねえ。
いずれにしても、イラク攻撃はゴアさんが大統領になっていたら多分なかったろうと、と思う。ブッシュの石油利権の追求が最大の理由だもんねえ。彼に絡む武器商人は喜ぶし。アメリカは(ブッシュは)イラクの、キルクーク油田を押さえると世界の3大油田すべてを支配下におくことになるという。

コロンビア宇宙飛行士たちに合掌。






2003年02月01日(土) ベトナム行き きまり

いくらまっても15日の帰国便が来ないので、出発便2/4日もキャンセルした。
どうも、4月のアタマが空いてるようなのでそこで行くことになりそうだ。
それまでに、スケジュールやビザなどいろいろと決めておかないといけない。
4月になると、雨も多くなるし、暑くもなる・・でもしかたないね。

今日は、夕方、新年会?。楽しかった。お料理も、美味しかったし。
昔の同僚で、一緒に奈良に行っていた仲間。勝手に「奈良研」といっていたんだけど。一番気がおけないメンバーだ。あの頃、山辺の道も、葛城古道もまだ土道だった。春に、また昔のように旅をしようということになったが、ウーム、いけるかな・・行けないくさいんだよネエ・・・。


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