世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年01月31日(金) 飲酒は自殺、タバコは他殺

今朝、トイレに入ろうとして突如

「飲酒は自殺、タバコは他殺」

という過激な言葉を思い出した。

これ、昨日Oさんが診察を受けた医院のトイレの扉にはってあった。
正しいよ、タバコは確かに、癌遺伝子の強い人(家族に多いとか)のそばで吸うと「他殺行為」だと思う。
お酒は、度を超したら、確かに殺人飲料となる。
どのくらいが適量なのか?たしなむ私は考えるところだ。
ビールのホップは抗ガン作用があるので、少しならいいのだろう。(自己弁護ではない)
お酒は一合くらい?

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ザボンの砂糖漬け、なかなか美味しくできた。
ザボンをくれたTさんのお墨付きを昨日もらった。(郵送して味見してもらったら、美味しいとメールが来た)
やっぱり、手作りは楽しい。
大昔、志願して家庭科の専科になったときのおもしろさがよみがえった。

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ラジウム温泉のことを調べていたら、何と結構アクセスしやすい「綱島 東京温泉」がラジウム温泉だと判明。
今度いって見たいと思う。

今日は穏やかな日だった。






2003年01月30日(木) 天気良し、全てよし

松山から、Oさんが見えた。
天気が心配だった。
しかし、何と、松山からの便は風に乗ったらしくて20分も早く着いた。
寝台タクシー待機。
手慣れて親切、プロの仕事で、すばやくOさんを車内へ。
昔、中野消防署にいたというドライバーの方は土地勘もあって、なんかついていたという感じで、予定より1時間も速く医院に着いた。
Oさん、今日は調子がいいようで、やあ会えてよかった・・とお話になる、私も本当に会えてよかった。
付き添ってこられたm子さん、友人のkさんもほっ。
診ていただいたら病気の進行は止まっているらしい。その見立てを信じたい。
漢方を処方していただき、待機していた寝台タクシーでまた羽田へ。
渋滞が心配だったのに、予定通りにホントにびっくりするくらいに予定通りにチェックインカウンターにいけた。
お大師さんありがとう。
Oさんの日頃の信心のおかげだろう。
Oさんとm子さんは松山へ。
ああよかった。
いつまでも手をふるOさん、また会いましょう。
「がんばるよ」と言われた、その気力を信じたい。
次は4月。

kさんは、お嬢さんの所に、でも松山行き飛行機が出るまで、羽田にいようとkさんと途中からOさんに会いに来たNさんと3人でお茶。
話はカイラス登山のこと。
実は3人(kさん、Nさん私)とも、ねらっている。
Nさんは山のベテランで、これは並大抵のことでないのだ、しかし、チベットあたりをうろつくヤツにとってはカイラスはチョーがつくあこがれの山なのだと・・といろいろとレクチャアされた。
やっぱりいちばんの問題は高地馴化だろうなあ・・と。
へたすりゃ、死ぬ。簡単に死んでしまう・・
そうしたら、我が家の「祖霊」になってやるかあ・・カイラスで死ぬんだったら天が近いって感じだもんねえ。
松山行きが飛び立った時間、私たちも、さよならして羽田を出た。
今日は、さすがに少し疲れた。

四国岡山方面も晴れたようでよかった。





2003年01月29日(水) すごい風、寒い・・手机の謎

富士山がくっきり、なおかつ風がすごい。
ビューン、ビューンと音を立てていて怖いくらい・・なのに、郵便局に2回もお出かけで。
昨日、友人から、香港土産で「微型手机袋」というかわいらしい袋が届いた。
下さった人曰く「何につかうんやろね・・いろいろな人にあげたけど、しらんのよ」
で、「手机」を調べた。大昔中国語の夜学に一年通った遺産で辞書、あるのです。
しかし、「手机」はない。
机は「機械だな・・と」見当をつけたんだけど・・・
別の友人で中国に2年あまりも住んでいた人にメールで訊いた。
*返事*
shouji(手机)とは、携帯電話のこと。昔はdagedaとよんでましたっけ。ミニ携帯電話袋でしょうか?ここ5〜6年のことばかと思われます。

そうか・・携帯入れ袋のことなんだと解明された次第。
中国も刻々と新語ができつつありまですなあ。

最近始めたことなんだけど、買い物に行くときでかい布袋を持っていく。
ビニールの袋をもらわない。
ひとつだけの買い物だと、シールはってもらって袋はもらわない。
今日はエバラドラッグで、お客さんのような人がふえると環境のためにいいですよねといわれた。そう思う。
こんなことしかできないけど、これもまた「雑魚の思い」で。
ヨーカ堂は、袋をもらわないと、スタンプを押してくれて20個で100円のお買い物だって。大昔、中国では、その辺でものを買って「ビニールの袋に入れて」というと、5角くらい取られた。今はただ。これはよくない、怖いくらいによくない。10億の人たちがただビニールを使い、最終的にはゴミにしていると思うと鳥肌が立つ。

オランダでは、みんな、袋を持って買い物、は板についている。
ビニールの袋は有料だ。
日本も有料化して欲しいよ。
そうすると、この不況下、ビニル袋つくり会社でリストラされるお人がいるんだろうか。

いつだったか、免税店で日本人旅行者にビニルの袋もらいたいんだけど、何というの?聞かれたことがあります。あのお買い物ビニル袋「プラスッチクバック」といいます。



2003年01月28日(火) 寝台タクシー情報

今日は必要があって、朝から寝台タクシーを探した。
ネットで検索したら、都内だけでも、数十軒あるのだな。
どこを選ぶか・・こまった。
評価をめぐる掲示板でないかと検索したがない。
で、寝台タクシー専門で羽田に近い所ということで、電話であたったら、今度は値段のあまりの落差にびっくり。あるところは、税、待ち時間など全て入れて、8万円。別の所はだいたい5万円。また別の所は6万円。
どうしてそんなにちがうんだ?とやや不信感。・・で、少し毛色の違ったネーミング(財団法人とついている)の所に連絡。ここが一番安かった、きけば、東京消防庁のモト外郭団体とかで、職員全員がモト消防庁のお人。すごく親切で、料金は一番高いとこの半分以下。
ここだ、と、決めた。
皆さん、都内近辺で寝台タクシーが必要になったときは「財団法人 東京救急協会」がよろしいです。

今日は暖かかった。
一日ストーブをつけないですんだ。
近所の白梅が咲きそろい始めた。

なおかつ、夕方からでて飲んでたので、暖かい。でやっぱりストーブ不要。
kクンに秋冬遍路の話を聞いた。
彼によるとあちこちに新しいお接待所や、通夜堂みたいなのができているようだ。
お四国ってすごいとだなあ・・と改めて思う。
彼は完全に「お四国病」で今だって行きたいと・・・。
この際、四国に根を下ろしたら、とすすめた。
曰く「大月町あたりがいい」
「高知に片田舎に仕事なんてないよ、せめて松山か高松でないと・・・」
「いっそ、坊さんになるかな・・・」
なれなれ・・・と酔っぱらった勢いでいう私。
しーらない。




2003年01月27日(月) 映画にふられた・・というか・・

今日は、FDSの会合で東京ウイメンズプラザへ。ここはいい施設なんだけど、3月で閉鎖という噂だ。
石原都政の「悪政」のひとつ。あのお方は知事になってまずは福祉から、そして離島の予算を削った。このウイメンズプラザもあの鷹派的な人から見たら無用の金喰い施設のようである。

話の中心は、男の「空きの巣症候群」。妻に変わって、子育てに励んできた一人の男が、子供が巣立つときになって鬱を呈しているというお話。
その打開策として、子供が好きで好きでたまらないなら「里子制度」の、お子さんをおあづかりして、立派にして社会におだししたらどうか・・という話になった。というか私が提案したのだ。
あと、ハリー・ポッターの特殊撮影の技術のすごさ、だけど内容(思想)がないという話。あれを世界中の人が夢中になるって、最低だわ。みんなつらすぎる現実が見ちゃいられないのかね。夢、見たいのかね。それと、現実があまりにも思うようにならないから「全能感」が欲しいのか・・・というのは、私の感想だけど。
まあ、これはかなり偏向しているかも知れない・・・

午後、写真美術館ホールで上映中の「チベットの女 イシの生涯」に行こうとがんばって走ったのに、なああんと着いたら休館、ホールも休館。
がっくりだ。恵比寿駅の讃岐うどんを食べて帰ろうかと思ったらこれも長蛇の列だ。なんてこった。

で、うちで、ザボンのさとう漬けをつくろうと思ったら、まだ苦い。皮を少しかじったら、すごーくにがい。もう少し水にさらさないとダメかもということで・・
外が暗いしふて昼寝じゃ。不本意であるが、熟睡した。やることがたくさんあるのに・・しんじられん・・・でもこのところ、頭の一部がずっと何だかいたかったんだけど、それがとれた。






2003年01月26日(日) 今関サンからお電話

きょうはよい天気。
洗濯していたら、たまちゃんの元気な声が飛び込んできた。
ご家族3人のお遍路の途中である。
ありがとうございました。

夕方になったら、またまたなつかしい声が電話から(四国から)聞こえてきた。
クッキーおいしかったの声。
オサツパウダーの製造元の今関サンからである。大方お芋の粉で、小麦粉が少ししか入っていないのに驚いた。でももう少し、あと5,6分焼いたらもっとカラリとしたよ。とのお言葉。
あの美味しい「玄米クケット」の作者である今関さんからのお言葉、フムフムとうなずいた。

それで、私は読んでいる本に大分県姫島に「いも切り」というメンがあることを話したら大いに興味を持たれて「教えて」。
このフットワークのよさが好きだなあ。
「日本・食の歴地図」という本で、まあ化石になる一歩手前ような伝統食を取材して書いたもの。なかなかおもしろい。
その中にあったサツマイモ100%のメンなのだ。
つなぎがなくてメンになるということが驚きだが、ついでにいうと甘みも飛ぶみたい。
いも粉100%で、メンができるということを早くに知っていたら、つなぎの小麦粉も入れなかったと思うけど、ねえ。

いろいろとおしゃべりして、今度豆腐つくりにいきますとお願いして切った。
ザボンの皮は、さとう漬けの準備で、皮の苦みを取るために水にさらしてある。
明日の朝まで。結構時間がかかる。



2003年01月25日(土) でっかいザボン

いっしょにお昼を食べようよ、とものすごく久しぶりにTさんにあった。
おフランスランチコースを食べながら積もる話をどんどん、バリバリ、延々とした。
彼女は、受け持っている子(障害児)が「字が書けるようになった!」と大喜びしていた。その子、毎日、1枚の宿題を忘れることがないらしい、一生懸命で・・
学ぶ喜びの原点の話を聞いている気がした。

ところで彼女からでかいザボンをもらった。
おいしいよ、といただいたのだが、たしかこれって皮がザボンずけになるんだよね。実を食べてからザボン漬けにできないかと、検索。
ヒットするのは、ザボンというなのラーメン屋さん。なんだか、たくさんあるんだ・・・そんで、ベトナムにもザボンがあって、ベトナムの人は、唐辛子入りの塩かなんかをかけて食すんだとか。あちこち寄り道しながら、「男の料理」のページに見つけた、「オロブロンコのさとうずけのつくりかた」
でも、オロブロンコってしらんけど・・しかし写真では、ザボンによく似ている。
これじゃ、と保存。
明日、皮でこれ、つくろっと。

あれじきに「世界不思議発見」だわ。今日はミャンマーです。
ところで、今日の夕刊の大見出しはインフルエンザの患者3万9千人。
皆さん、要注意ですね。
マスクとうがいがいいと書いてあるけど、よく寝てよく食べて、早寝早起き、ストレスためずにこにこ顔で「正しい生活」して抵抗力をつけるのがいいのでしょう。
TVみたら、ラベンダー風呂に入って、いい夢みるワインを飲んでさっさと「寝に就きましょう。」(これ、高群逸枝が、娘遍路であちこちに書いているんで気に入っている表現です)
さて、テレビだよ。



2003年01月24日(金) サツマイモパウダーのクッキー

今日は午後から、昨年からの懸案、オサツパウダーを使ってのクッキーつくりに挑んだ。(挑むって大仰?かな (^^;))
友人のkさん、mさんと三人で、お粉こねこね、マンゴの干したのとか、アーモンドとか、甘栗とか、生姜のサトウ漬けなど、いろいろと入れてみた。
焼きながら、白ワインを開けて、焼けたヤツを試食をかねてつまみ・・昼酒でございました。
昼酒はいいですね、はい。気分良く酔っぱらえます。
そんで、帰りはMさんのご主人が迎えに来て下さって、うちまで送っていただきました。極楽。

このオサツパウダー、実は昨年3月、「脱サラ百姓の今関さん」のお宅で私が刻んで干して、粉にしてなんかできないか・・と提案したヤツ。
5月に今関さんから粉にしたのが送られてきていたんだけど。
やっとお約束が果たせました。
さっくりと素朴。なかなかおいしい味になりました。
Kさん宅にお菓子づくりの諸々がそろっていたおかげですけど。
意外といけたのが、生姜のサトウ漬け入り。期待を裏切ったのは、甘栗入り。
サツマイモの粉それ自体がすでに甘いし、香りがあるのでそれに負けない個性や香りがあるもの入れないといけないことが分かった。

粉をこねていろいろな形にして・・ホント楽しかった。
甥や姪が小さいときにはよく楽しみながらやったけど・・ホントに十年ぶりくらいかな。

今日は寒い日。
富士山がきれいだった。



2003年01月23日(木) 健康お宅

久しぶりに、夕方、昔の同僚兼友だち二人に会った。
一人は、夜9時くらいから11時くらいまでプール、もうひとりは、八時頃から、ジムに通って筋トレだと、オオびっくりだ。
彼女は一昨年、癌の手術をしてすっかり元気をなくしていたから、まあ元気になったんだ、よかったとは思ったが、曰く「もうこの頃、健康お宅」。
はあ・・・健康お宅ねえ。
黒豆と、なんだったかを毎日取ってるのだそうな。
フーン・・・みんな身体にいいことしてんのね。
私はしていない、していることはただ一つ、ストレスの溜まりそうなことからは逃げる努力。それのみ、だ。

昨日買ってきた本で、大阪地域地学研究会が出している活断層と、古街道が重なるという本が面白い。
伊勢街道は、中央構造線、若狭街道は、花折断層、中山道や東海道には、関ヶ原断層や鈴鹿断層。道をこういう風にとらえる見方もあるのだと感心。
私が歩いた西国の道はだいたい活断層に重なってんだよね。
ほうほう、である。
やっぱり、こういう本がシャランとふつうに本棚に並んでる、八重洲ブックセンターは私にとってはたのしいとこだわ。

寒い日でした。暗い日でした。
やっぱり、お日様がでる、富士山がみえる明るい日が私は好きです。




2003年01月22日(水) ランドサットマップ

用事で都内にでたので、帰りがけに、八重洲ブックセンターによった。
好きなのは地階の旅のガイドブックコーナーと地図の所。
旅行人の「アジア横断」を手に取って、すんでのところで買いそうだったけど、止めた。しばらくはベトナムのことかんがえないと・・。行けそうにないけどねえ。

で、ランドサットマップというのを見つけて、2200円ほどもするのにかっちまった。
家で広げて感動したなあ。宇宙から見た日本は緑だ。
新潟あたりは田植えの時期だと、ピンク。不思議、だけど、何となく分かる。それは、これから苗を植えつける田んぼのエネルギーの色、やさしい色。田植えの頃、新潟平野は田に水が張られて大きな池のようになると思ったことがあったけど、あの色がピンクとは・・・ね。
人が集まっているとこと、東京や大阪は赤系。(人の垢系?駄洒落です)
ヒトのだすエネルギーの色かな。

それにしても、この頃バーゲンで服や靴はやたらに買わなくなったけど、本は見ると買いたくなるのがあって、だめだなあ。大きなお札分、買い込んでしまった。まあ、今回は少ないほうかも知れない。
八重洲ブックセンターに来ると、いつも思うんだけど、ここは男の世界だね。

帰り、買った本を読んでいたら、丸の内線の乗る方向を間違えて、茗荷谷で引き返してきた、トホホであった。



2003年01月21日(火) 旅の反省

反省・・なんて大まじめに書いてしまったが、反省!の前に、洗濯をしてお昼ご飯食べたら異様に眠くなって爆睡してしまった。今度は夢はみなかったね。
旅の睡眠の形を反省した感じ。
まあ、到着地にいるより電車に乗っている方が長いでしたら、身体が横になりたがっているんだね、と思ったことでした。

宇佐神宮の奥宮「大尾神社」に詣でなかったのが大反省かな。
行くときも、帰るときも、大鳥居の右(行くとき)にある山が気になってはいたんだけど、バスの時間もあって、パスしてしまった。解説を読むと、そここそが、和気清麻呂が、託宣を受け取ったところではないか。失敗と思ったが、まあ、しかたない、今回がご縁がなかったねということで。だって気になっていたのに足を向けなかったのだから。

今度、伊勢は泊まりで行きたい。それで浅熊山(?字、違うかな)に登拝したい。
昔はこれをしないと「片参り」といわれたらしいから。

吉備路でお会いしたよっさんの親分様に、自分の県の一宮にお参りかないといけないな、といわれた。ついでに我が県の一宮は「寒川神社」と教えていただいた。(情けないですねえ・・県民の自覚がない)
これそのうちに実行したいね。

18キップをフル活用できたのはよかった。
じきに、こんな旅は体力的に無理になるから・・・
                           以上



2003年01月20日(月) ミステリーツアー イン 伊勢

天河弁財天社発7時01分。バスに乗る前に、もう一度お社にいった。すでに、宮司さんが、お社の清掃をしておられた。おはようございますといったら、「7時のバスでお帰りですか、お気をつけて」と声をかけていただいた。
バスは、乗客、私一人。途中で乗ったおじさんが、あれ、運転手さんは初めてやね、といったら「はい、そうなんですわ、よろしくお願いします、」「ならしとらんから・・・どうしたんやろ、とおもとった」「いや、まだ早いので、やめといたんですが・・・」「いや、なっとると、バスがいったとかわかっていいんよ」「そうですか」と、運転手さん、「エリーゼのために」を鳴らし始めた。
なーるほど。
「ありがとうございます、今日初めてなんでわからんことだらけですわ。よろしくおねがいします。雪が降ったら、チェーンかけないかんし、緊張しとったんやけど、雨になってよかったです」
「そやな、すこし、ぬくいし、雪にならんかった」
と、まあバスの中でお客さんと、バスドライバーの会話。
こういうの、きいているほうもいい感じである。

8時18分の近鉄特急あべの橋行きで檀原神宮、八木と乗り換えて、外宮のある伊勢市着10時過ぎ。早かった。
列車の中で、昨日できなかった、日記のアップ。
後ろのおばさん二人が、何かをもぐもぐ食べながら先祖供養をしっかりしてすごく運気が向上した人の話を熱心にしている。この人たち、きっとお伊勢参りなんだろうな・・・
列車の中は元気そうなおばさん軍団がごろごろ、みんなしゃべって、食べて、お元気です。

外宮、気持ちよかった。強いが、おおらかな包み込むような気である。

バスで、内宮へ。
道はお参り渋滞、すごいね。
五十鈴川をすぎたあたりから、さすがに、すごい・・・あつくて、すがすがしくて、強力・・・
元伊勢(成合山のあたり)とか、三重の度会郡に伊勢の前は鎮座しておられたとか・・あるけれど、要するにそれは、もっとすごいパワーポイント(ここ伊勢は点ではなくてエリア、出雲もそうだったが、比べモノにならない広さと地の気の力強さを感じる)を発見するたびに遷座した結果だろう。
そう、あの幣立宮さんも、元伊勢である。
正宮の前につき階段を上り始めたら、風が吹き始めた。そして、拝殿を隠していた白布は翻る。私が参拝している間、戦争が起きませんように、と念じてる間、布は高くめくれていた。隣の人が、中がみんなみえるね、ふしぎやね・・・・と。
尊敬する中田宮司さんが神意は、風や雨などで現れますといわれていたことを思い出す・・。イラクや北朝鮮の問題、最悪の事態はもしかして避けられる????となったらうれしいのだが・・なんて、かんがえるのはおかしいかな???
この正宮あたりは、足裏じんじんであつい。
すごい、の一語につきる。
祈祷殿で、大きなお札を張り込みまして、弟をはじめとした家族の家内安全を祈った。
ご祈祷札を駅前のコンビニから、赤福とともに託送。
で、快速三重?号に飛び乗ろうと急いだら、ジャストタイム。1分遅れてくれて大助かり。神様に早くうちに帰りなさい、やることが待っているよ、といわれたような・・・
予定より、1時間早いのに乗った、乗れてしまった。
ということで、今名古屋発15時35分の快速浜松行きで書いているのであります。

これで、18切符フル活用の、私の初詣ツアーはおしまいです。
残り、うちまで気をつけて帰りましょう、はい。
 



2003年01月19日(日) ミステリーツアー イン 天川

さすがに天川は、「壷中天あり」(壷の中から天を見るような・・)といわれたとかいうところ。まあ、鍋の底にいると思えばよし(でも、この鍋の底感て安らぐ)、であるが、携帯がつながらぬ。というよりとても不安定、3本立つかと思えば圏外に、とめまぐるしい。
というわけで、今はつながらない状態(夜になったら悪い)なので、ワードに日記を書いている。
さっき、民宿の70代のおじちゃんにPc貸してもらったときにすればよかったんだけど、自分がする前に村のパソコン講座で、PCを習っているおっちゃんに使い方をあれこれ教えていたら、それどころじゃなかった。XP(Dellでした)でつかいよかったんだけど、おっちゃん、こしひけ気味。壊れないって、とお教えしましたが。おっちゃんはご詠歌の先生なので、お遍路も車で2回目だし、四国のページ(くしまさんのHPも、ここはいろいろなお遍路のHPがあるからね、と教えて)や、そばの天川神社のHP、天川村のHP、奈良県HP等々、お気に入りにばしばしと入れておいた。
お客私だけだから、おっちゃんもお暇なのである。
おっちゃん、メールちょうだいというので、よし、おっちゃん、私の日記ページをお気に入りにいれとくから、この日記の下のメールからだったら出せるからね、くれたらお返事するからと。おっちゃん、「あんたは、遊びのように楽しげにやっとるけどな、わしは大変や、一緒に習とったワシの年のものは全滅や、ワシともう一人のこっとるだけや、パソコン講習会」。よっしゃ、おっちゃん、えらい。がんばろね。お友だちのsakurannkoさんが一年にメール1000通で、上手になったという話をして、おっちゃん、一日メール3通よ、と励ました。
と、ここは、民宿びわ・・天川神社の裏手、十数年前に泊まったお宿であります、寒い、雪あり。
「びわ」は、むかしここに「びわいけ」という池があったから、というはなしだが・・

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今日は姫路発7時、大阪、天王寺、南大阪線と乗り換えて天川弁財天社着11時30分。バスは途中から乗客私一人、である。なぜか、よくあるパターン。(出雲のバスでも)運転手と世間話で着いた。
すぐに荷物をびわに置きに行き、お参りへ。
寒いので風が抜ける神楽殿と拝殿の間にまくが張ってある。
深閑としている。
いいなあ。
ここには気のスポットがあるのだがそこは健在。
まあ、山の気(大峰の)が出てきているのだから山がある限り枯れることはないのだろう、たぶん・・・
お参りをして、御朱印をいただく前にトイレに行った。
す、すばらしいお手洗いだ!!
トイレの入り口はタッチするとドアが開く、きれいな水洗、手洗いの水道は自動だし、なんとそこの手の乾燥用の風が出る。これも自動。関空か、成田か、だ。
ここの手水のお水は名水で人が汲みに来るほどりっぱ。手水はよし、で、お手洗いもよし、だったら、これはもうまちがいなし。
手水とトイレがきれい、は宮司さんのお心映えである。(手水がきれい=神仏への心遣い トイレがきれい=参拝者への心遣い)
一気に、よし、ご祈祷もしていただこうと決めた。

どうやら、私が十数年前にお話ししたことのある宮司さんから代替わりをしたようで顔の似ている息子さん?かな。
よいご祈祷であった。
玉串奉献の後、最後に般若心経、で、私もお唱えさせていただいた。

次は、栃尾観音。
2,3キロだというので歩くといったら、バスの運転手さんもびわのお手伝いの女性も、宮司さんも少しびっくりしていたが、私にとっては2,3キロは散歩みたいなモノ、苦にはならない。
滅多に車のこない道をぼつぼつ歩いて、じきに着くという時に前から車。
とまって、おっちゃんが私の名前を呼ぶ。そうですが・・・・うちのお客さんやろ、乗り、送るわ、観音様まで。
こんなとこ、こんな時間あるいとる人は・・と不審に思うてうちに電話したら、うちのお客さんが観音様へ歩いていったというのんでな。
そうですか・・ありがとうございます、ということで・・おっちゃんと一緒に観音様へ。
地元の人に大事にされている円空の観音様、弁天さまなど4体、本当にいいお顔、見事であった。
座って、私はお経を読み出したらおっちゃんも唱和してくださった。
「あんたは、開経げから般若心経までそらでいえるて、なんか宗教しとんのか?ふつうはいわんで」
おお・・・ちょくな、大胆な質問。
宗教しとるよ、おっちゃんもはいらんか、いうたらどないすんのよ。
まあ、四国で88か寺で唱えているうちに自然、覚えたんです、特に宗教とかしてません。
と、お答えしましたが。
おっちゃん、ワシも車で2回目や、ぬくうなったら、またいきたいんやけど。
そこから、四国の話で話が弾んだ。
(で、夜にパソコンまで少々教えることになってしまったわけ・・です)

天の川温泉に送ってもらって、そこでお風呂に2回入ってビールで極楽タイム。
夜がくると、この村は本当に静かになる。
弁財天社にもう一度お参りしてから、宿へ。
温泉で、ビールを飲んでいたら、そばの男女中高年グループが歩き遍路の話で盛り上がっていた。
なんだか、お大師さんの近くまで戻ってきた感じがした。
ここ天川は、昔は行者さん修行の地。お大師さんも、空白の7年の時期、ここにおられたことがあったのではないか、という人もいるくらいだ。事実、高野のお山はここからそう遠くない。



2003年01月18日(土) ミステリーツアー イン 書写山

きょうは、18日。初観音である。書写山圓教寺は年に一度のご開帳である。鬼追いもある。
朝8時、お友達のDさんがホテルに迎えに来てくださり、書写山へ。夕べは目の覚めるような満月だったのに今朝方からひと雨来たらしい。姫路にしては珍しいことだ。8時すぎに、山道へ。急坂だが、ここの道は気持ちがいいので疲れない。
9時頃、山頂へ。300円の入山料が、今日は無料。ほうほう。
本堂(麻尼殿)はまだ人気が少ないが、ご開帳と昼からの鬼追いの行事のために忙しそうである。観音様を間近にして読経。「どうぞ、おそばで」といわれて、すぐおそばに。こちらの観音様は明治の時にやけて、新しくお造りになったのだとか。確かにまだ「青春時代の観音さん」という感じ。月1回くらいの割でご開帳なさったら、もっとすくすくとパワーアップなさりそうである。
お隣のお不動さんは、中高年系のお顔だちで、そうDさんにいったら、お不動さん、にやりとなさったような・・・・

おぜんざいの小豆が煮えるにおいに鼻を刺激されて、下の茶屋でいただいてから、鶏足寺の観音さん、破磐神社へ。宮司さんや奥様に新年のご挨拶。そして、正式参拝。
宮司さんの奥さまに、わたしの「出雲神社事件」を話したら、それと同じお話、ほかの方からもお聞きしてますよ、といわれる。きけば近くのお医者さんの奥さんたちのグループが夏にいってやっぱりスボンが短いということで断られて、その方たちは私のようにあっさりと引き下がらずに40分近くも神官さんとやりあいをしたあげく相手を降参させて「お庭踏み」をなさったという。
ひどい話。
なんか、出雲大社はそういうとこみたいですよ、と奥さん。
私だけじゃなかったんだねえ、こまったことだ。

3時頃、前からお会いしたかったKさんやOさんにおあいできた。
楽しい時間だった。

今日は暖かい日。
こんなに暖かくていいのかしらん、寒いのも困るけど暖かいのも不気味である。



2003年01月17日(金) ミステリーツアー イン 吉備路

今朝はなんだかいい夢を見ていて、寝坊してしまった。8時22分。めずらしい。
歯を磨いてもそのいい夢は思い出せない・・悔しい。
でも、おいしいケーキを食べた後のような気分で起きたので、内容はわからないがいい夢であることは確か。
でも、今日は考えたら、神戸で地震があって8年目の日。こんな優雅な夢を見ておられる・・・・いいのか?幸せなんだろうねえ。すみません。

金属の湯沸かしに、昨日間違って買ってしまったブラックの冷たいコーヒーを注いで温める。いける。後、パンとミカンの朝食。
一本電話をしようと手に取ったとたんに、今治の友人から電話「いまどこ?」「岡山」「ちかいとこにおるんね」などと話しながら、私が去年からあいたい、あいたいといっている方の予定(ネパール在住)を知らせていただいた。帰国予定2月中旬、その他すべても予定が私のベトナムいきを不可能にするように動いている、どうすりゃいいのよ、やっぱりだめかあ。
それにしても、私の寝坊はもしかしてこの電話を受けるため?

9時47分岡山駅発の吉備路線へ。ところで、岡山駅前ってやな感じ。車のことしか考えていない。スルーッと駅にたどり着けない、地下へ入るってバリアフリーじゃないよねえ。

10時すぎに吉備津神社へ歩き出した。三宅のおっちゃんやよっさん、クレーテさん、ミッチー先生にお聞きしていた、吉備路の聖なる山、吉備中山が目の前にそびえる。
穏やかで暖かな日差しが気持ちいい。
今まで駅から遠い、あるいはチョー不便の神社ばかりだったので、駅から近いのはうれしい。
神社着、ここも登りますね。意外と急な石段だ。
あがりきって正面が重要文化財の拝殿。こじんまりとしているなあ。
吉備中山の方からさしてくるお日様の光を受けた拝殿のたたずまいが見事だ。歩いているうちに、足裏はかすかに涼やかな感じ。
近所の人たちが散歩がてらお参りに見えている。それがとてもいい。
鳴釜神事のところにいったが金曜は拝観お休みとかでクローズ、残念。

吉備津彦さんまで歩く。
山際の道をぽこぽこと歩いていたら「両国橋」の石標。
ちょこっと立ち止まってみたら、そばにいた犬をつれたおじいさん風の方に「あんたどこからきたんや、この写真撮っていき」と声をかけられた。
はい・・・
ここが備前と備中の境や。
それで両国、そうなんですか、じゃんこの小さい川が細谷川、ですか。
そうそう、これは(と、後ろの山を指して)吉備中山というてな、山の上に大きな前方後円墳がある。
ええ、倉敷に知り合いが何人かいるんですけど、きいたところでは吉備ではこのお山は「聖なるお山」だそうですね。
そうや、・・・ここから、造山古墳のこと、このへんに古代にあった王国(王朝?)のはなしなど、いろいろと立て板に水状態でお聞きした。
犬がむずがっているのだが、おじさま動く気配なし。とても歴史がお好きで、お詳しい。
学校時間の一持間(40分)はたっぷり。
別れ際、近くにあった「はなぐり塚」と「福田海本部」のお話を聞いた。
牛の供養をしているところ、そのいわれは興味深かった。
牛が鼻輪を通していたところを、全国から集めて(その数600万とか)供養をしているところだとか。馬頭観音さんがお祭りしてある、というのでいり口で手を合わせたのだが・・・
曰く、牛は使役され、乳を提供し、最後には肉を食べられ、骨は肥料になり、皮も靴になったり・・残るところはない・・人間に利用されて・・しかし供養されていない・・それを供養できないモノか、と大正時代に考えた福田さん?が始めた新興宗教らしい。きけばごもっとも、のお話である。
おじさん、名残惜しそうであったが、私もさきがあるし・・ねえ。
今度、総社のあたりから、吉備路を歩いてみたい。
気になるのは「矢喰神社」のあたり・・・・・
古墳地帯と神社地帯の結界?
このへんの地図があちこちにあるんだけど、見ていると頭がタイムマシーンに乗っていきそうで困る。

大幅遅れで吉備津彦神社へ。
拝殿は新しい感じだが、きりりと引き締まった感じが拝殿奥からただよってくる。
1月中は拝殿周囲をまわらせていただけるということで、よかった。
ここの気配もまた涼やかである。
また、風が吹き抜ける地にあるらしくて、風の気配が常にある。
社務所で、電車の時間をお聞きしたら、奥さんらしき方が時刻表を持ってきてとても丁寧に教えてくださった。

岡山に戻り、カレーの昼食。においをかいだら無性に食べたくなり。
ホントはほうれん草のお浸しの山盛りとか、トマトの丸かじりとか、大根下ろしとかにも飢えているのだが、まあこれはうちに帰るまでお預けだねえ。
姫路から、神戸へ、湊川神社。
明治元年の創建。楠木正成を祭った新しい神社である。

夕方、メールを開いたら、昨日の日記を読んだ感想で「要するに出雲大社の神様のしもべに拒否されたんだ、やっぱり縁結びに縁がないね、云々」のメールが一本。あはっはは。そう、私もそう思う、異議なしでーす。
ただ、縁結びとか商売繁盛はいってみれば、神社の営業。出雲大社はそんな「営業」かけなくても自然と人の集まる特別な場である。そんな地場である。
むしろ縁結びなどで売ることで「品」(しな)を下げている。それは残念なことである。
姫路泊。



2003年01月16日(木) ミステリーツアー イン 出雲

6時29分山口線小郡発。外はまだ暗いがそんなに寒くはない。
歯を磨きながら、ゆうべの夢を思い出した。そう、歯が抜けた夢。
何で、こういうときだけ思い出すんだ、といやな気分。いずれにしてもよい夢ではない。気をつけよう。
山口線は、3両編成の列車、おまけに座席に暖房がない。お尻からしんしんと寒い。脂肪がたくさん付いているはずの私のお尻でさえ寒い。仕方ないので、膝掛け代わりに持ってきた大判スカーフをしいた。
湯田温泉で、汚れちまった悲しみは・・・・の壁画を見た。そうか、このへん中原中也の故郷かな。
こうやって各停に乗るといろいろな発見がある。
都市部はどこに行ってもにたような景色だが、山間部にはいると景色が俄然個性的になる。
山口で2両切り離し。ついに1両で日本海側に抜ける。雪があるがさしてない。ただ気温はすごく低いようだ。木々に真っ白に樹氷が着いて美しい。
しかし、背中合わせの茶髪の高校生が朝からH話に盛り上がっているではないか。おい、山口の高校生、ヘンだぞ。してもいいけどさ、場所かんがえろって。
津和野着。ここは大昔きたね。
山の中で打ち捨てられたミカンの木は雪をかぶって鮮やかだが・・・・寂しい光景ではある。
で、へたくそな一句。
山中に うちすてられし こうじの木
             実のたたわなる 鳥ついばみて

やがて、益田着。
ここで、アクアライナー米子行きに乗り換えだ。
海辺を走る。
意外と穏やかな日本海だが、打ち寄せているごみで浜辺は汚い。
線路沿い、日本ずいせんが群咲きで花盛りであった。
出雲市着11時49分。一畑電鉄に乗り換えとネットにはあったが、駅の人はバスがいい、という。ハイと言うことで、12時ジャストの出雲大社いき。
30分おきに出ている。
25分ほどで着。
鳥居をくぐったとたんに足裏が反応する。(私の場合、足の土踏まずあたりが気に反応します)
かなり強い気だ。の割には、参道に続く松の大木の元気がいまいちなのがなぜだ?だが。老樹のせいかな。
本殿前。
ここは、はい、間違いなく「霊地」ですね。
気のおかげか、目まで、ぱっちりしました。
たぶん裏にある「弥山」の気がここに噴出しているのだろう、とおもう。
このお山、多分そう高度はないのだろうが、扇のように広がって孤立峰として堂々としている。
バスの中でこのお山の麓だな・・と思っていたらやっぱりだった。
「真剣にお願いの時は財布をのぞいてちくっと痛い額」という中田宮司さんのお教えを思い出して、ここではお札を投じた。敬意を表して、だ。宇佐では、でっかいコインだったんだけど、ね。
それで、祝詞、と思っていたら若い女の子が4人並んで、礼、拍手とかって号令かけながらお参りしている。
終わるのを待っていたら、彼女たちよろしくお願いします・・で終わり。
私思わず「いくらよろしくってお願いしても、神様に名前をいわないとわかんないよ、名前をいって、いいおむこさんおねがいします、とか彼氏が欲しいてかって・・といわないと・・ね」
名前をいって、お願い事は具体的に、これも中田宮司さんのお教え。
女の子たち素直にうなずいて「はいやり直し」。今度は大きな声で名前をいって、よろしく・・とかむにゅむにゅ・・とかいっていた。
それで終わると4人して「どうもありがとうございました」と私にいう。いいえどういたしまして、あんたたちいい彼氏できるよ。(と心の声)
本殿の横に「お庭ふみ」のことが書いてあった。
つまり、結界の中に入れてくださるのだ。私の場合、下がジーンズだから・・どうか。もう一本あるし、着替えてもいいけど・・・・・朱印を頼みながら話してみた。
朱印をかいてくれた人は困惑の表情。上の人にきいて・・・だって、申し出ろと書いてあるからいったんだけどな・・・
しばらく待っていたら、「上司」らしいこれまた若い男(じゃない神官さん)が出てきて「だめです、それなりの正式な服装をしていただかないと・・」「着替えられますけど・・・」「通りすがりの観光客の方は困るんですよ、・・・ちょっと、それなりのきちんとした正装できていただかないと」「それは観光といわれればそうかもしれませんが、ちゃんとお参りしに来たんですよ、遠くから来ているし、是非と思うんですが」「しかし、ちょっと、こまりますので」「あのイスラム教でさえ、、入りたいという異教徒のために、それなりの支度を用意してますよ、どうしてそういう用意がしてないんでしょう・・」「ここは神道ですから、イスラム教ではありません」これは、いやな顔をして馬鹿にしたようにいわれた。例がよくなかったらしい・・・
しかし、いいことはどこの宗教でもマネしたら、という意味であたしはいったんだけどな。(とはいわなかった、どうもかお見ていた言う気がしなくなった)神様はこんな風に差別されない、という確信はあるが、喧嘩はやめよう。
「わかりました、神道のために残念です」
そういって、背を向けた。
今日のいやな夢見はこれ、だったんだ。
天理教の本部なんて、巡礼のしたくなのに案内してくれたよ。
モスクも教会もジーンズでだめなとこはなかった。
一周してまた本殿の前に来たら、ちょうどお庭踏みをして出てきた中高年の男2,女3人のグループ。男は確かに背広姿だが、女はセーターにスカート、もう一人もセーターにスラックス、ではないか。女はスーツじゃないよ。あの男(若い神官)はそういったんだけどね。
よっぽど、もう一度いって、話が違う、あれだったら、私だっておすぼん履き替えたらいけるよ、といってやろうかと思ったが、まあやり合いしそうだったからやめた。
しかしでも、「お庭踏みをして大国主尊におすがりしたい方は申し出て・・・」云々の説明を読んで、じゃ、といってしまう私が非常識だったのかしらん・・・・・
何か、こういうときの常識・・・ってあるのかなあ。
ああ、出雲教(?)とかにはいっていないとだめとか・・・
わからんな。
悪夢の結果がこういうことだったとわかってよかったけど、今日の謎だ。
神社本庁はこどものためのページとか作ったようだけど、こういう訳のわからん閉鎖性を何とかしないといけないと思うよ。
                                     本殿の周りを 3周して、日御碕へ。
バスは私一人の乗客。
バスの運転手にこの話をして、そんなに神様に失礼なカッコでしょうかね。確かにジーンズは困るかもしれないけど、着替えるといっているのにねえ。
運転手、ふーん、それはヘンやねえ。おかしくはないよ。
もしかして、ご祈祷申し込んだ人だけとか?それが常識?
だったら、ご祈祷の後にとか書いておいてくれたらいいのにねえ。
どうも腑に落ちないというか、いやな気分ではあるのだが、神様はあれを喜ばれない・・という確信だけは私にあるので「悲しき出雲大社」であった。
しかし、あそこが聖地であるということと「娑婆のニンゲンもんだい」は次元が違うし。

日御碕神社は、ここに「海から来た人たちが初めて上陸したとこ」なのではないかしら?
と、頭はすぐにタイムスリップしてしまう。
海鳴りの響く古さびた神社だった。
大社の地は、このへんに勢力を持っていた古代人たちが「気枯れ」したときにおこもりして力を取り戻す、そんな「いやし地」だったと思うのだが。
まあ「温泉」みたいなもんですな。

駅で出雲名物のわりこそばを食べて、(おいしかった)17時47分、岡山行き乗車。
明日は、吉備路かな。
みっちーせんせい、みやけのおっちゃん、くれーてさん、よっさん、明日、ちょこっと、吉備津彦神社お参りさせていただきます。



2003年01月15日(水) ミステリーツアー イン 宇佐

YHの朝食はいつもながら家庭の味、うまい。
炊き立てご飯、納豆、明太子と大根下ろし、きんぴらごぼう、おんせんたまご 海苔、おつけもの 豆腐とワカメのみそしる  これで500円です。
村田や旅館YH、奥さんがさっぱりしていて感じよかった。
7時43分の立野行きに乗るために7時25分に出た。
電車は、クラシカル。でも観光客は私だけ。今朝は残念ながら根子岳は見えない。ガスっている。電車が走るうちにお日様に光がオレンジに色に指した、ホントきれい。
夏のいい季節にゆっくりときたい気がするところだ。
なにより、山に囲まれていて落ち着く。
やっぱり、海か山か、といわれたら私は山を取るなあ。
8時過ぎに立野着。
クマモト方向の連絡はいいのだが、大分へはよくない。18切符を使いたいのだが、どうにも便が悪く3時間近く待たないと接続なしなのだ。
仕方なく、大分まで特急の阿蘇一号で行き、その後18切符の宇佐、小郡と行くことにした。
熊本行きが出ると駅は誰もいない、窓口のおじさんは本を読んでいる。
いいねえ、こういう駅員さんって。正しい仕事の仕方である。

9時7分の阿蘇1号はスイッチバックをした。
ほうほう。
大分で1時間半まち。
外は寒い。(阿蘇は雪が待っていた。)みどころはなし、で、駅構内のスーパーをのぞく。魚のイキがすごくいい。アジ、鯖(関鯖って有名だもんね)イサキがほんとにうまそう。それでついつい、ものすごくおいしそうなバッテラずしを買ってしまった。お昼大分名物だんご汁とかいう奴を食べようと思っていたんだけど、電車でこれを食べようと変更。
カボスマヨネーズも買いたかった。(荷になるからやめましたが)地域限定だもんね。お菓子売場にあったかんころ餅も名物かな。
あと、大名寿司とか、鯖の姿寿司とかお寿司に地域性があった。
阿蘇高原牛乳は飲みそうなので買った。
びっくりしたのは安田のヨーグルトがあったことだ。
安田は、新潟県の安田町、ここのヨーグルト、とアイスすごくうまいのです。
それがはるか大分までとは・・・
なんてスーパーを楽しんでいたら、あっという間に40分が過ぎて後の時間は待合室で読書。
12時50分発。前の外国人女性がメールを一生懸命していたのが印象的だった。
別府のそばの立派なお山、雪で真っ白。

宇佐着、2時少し前。
中山香(なかやまが)から見えてくるお山がすごい。岩山、それも鋸の目立てをする前のギザギザって感じの。
国東半島方面みたい・・・
友人のKさんの故郷、豊後高田が近い。
そうか、彼女はこんな山を見ながら育ったんだね。
宇佐神宮まではバスで10分ほど。
いわゆる日本中の八幡宮の総元締めである。
それで、あの和気清麻呂が「道鏡を天皇にしちゃいかん」という神託なるモノを受けたところである。
でかい神社。神域が広い。
「皇族下乗」のあたりから気配が変わった。本殿まで宇佐参りでにぎわったという神社の歴史を感じた。確かに神域であった。
例のごとく祝詞、朱印。お願いは「戦争いやよ」
個人的には、本殿裏の「霊水」あたりの方が気が強い気がしたんだけど。
大分はあんなに寒かったのに宇佐はあったかい。バス停でのんびり座っていても気持ちいいんだもん。
びっくりしたのは、国東半島のお寺の多さだ。
「六郷満山」という33カ所参りがあると、観光案内所の人がパンフレットをくれた。
5時33分、下関行き。乗り継ぎ8時46分小郡着。
例によって駅前にはコンビニと居酒屋しかない。まいるね。
どうしてうどんやさんとか、ないのよ。
ぶつくさ言っていたら「山頭火安住の地」という看板。そうだ、そうだねえ。
とうなずいてしまったのでありました。



2003年01月14日(火) ミステリーツアー イン 阿蘇

九州は、もっと老後の(後十年後くらい)楽しみとして取っておこうと思っていた。「禁足地」だったのだが、来てしまった。
合流の友人運転のレンタカーでまずは「幣立宮」さんへ。神社通おたく(こんなのあり?)の間で一度は訪ねたい神社として知られているところである。
熊本市内から車で2時間。
いい天気とよい道路のおかげで予定どうり着。
見上げるばかりの石段を登って、きりりとしたすがすがしい気配の神社へ。噂の通り気が強い。(でも、鉱石系じゃない)手水が本殿までに2カ所ある。
本殿の中ではすでに団体の参拝者が・・・・友人と二人で、ではとりあえずお参りを・・・と手を合わせる。
用意してきたコピーを見て「祝詞」を朗読。
裏にある東水宮社で、お水をいただく。今月4日の雪が残るほど冷たいのに、わき出しているお水が温かい。とても丸い感触の霊水である。
しばらくして戻ったら、ちょうど、拝殿の扉が開いていて宮司さんが出て見えられた。「あの正式参拝、いいですか」「はいどうぞ」ということで、昇殿。
「戦争が起きないようにお参りしたいんですけど・・心配というか、怖くて・・・起きたら、みんな不幸になります」と話したら、うなずかれてそのように祝詞をあげてくださった。
笑い顔がチャーミングな宮司さん(といっても、60代?)のお話で、雑魚の思いでも思うことが大事・・みんなが思えば変わる・・といった意味のことが印象的だった。そう、私は雑魚・・雑魚で、なにもできないのが困ったもんだ・・・からせめて神・仏にお願いでも・・と思っていたんだけど、そんな気持ちに雑魚の思いという言葉がうんうん・・・だった。
8月の例大祭には、3000人からのお参りがあるという神社だが信じられないくらいに静かで神々しかった。
ちなみにここは分水嶺。神社正面に出ている水は西に流れ、裏の東水宮社は東に流れ行くのだという。そうか、ここは水の気・・と納得。
しかしこういうところって、必ず観音様がおいでになりそうなんだけど、仏さまの気配がしない。
その後の天岩戸神社へ。道中の車の中で私は自分のすごいミスに気がついた。
そう、朱印をいただかなかったのだ。
玉置神社で昨年求めた朱印帳がバックの中に入っていたのに・・・。
「これって、またおいでってこと・・・」
まあ、宮司さんはまたきなさい、とおっしゃってくだすったが。
私たちの後に来たグループのおじさんが「ここはすごいで、またおいで」ともいってくだすったのだが・・。そうか、またくるか、なんて。でも遠いよねえ。
天岩戸の後、時間と競走しながら高千穂神社へ。
ここもすごい気配あり。
パワーあるよ、ってかんじの神社。
(そうだと思います)
祝詞を朗読。(あげるという感じじゃない)
高森町で車から落としてもらって、友人は熊本へ。おなごりおしやな。
私は近くにあった観光案内所で「阿蘇学講座」。(単にインフォにいたおばさんに話を聞いただけのことですが)
実は私は阿蘇山というお山があるもんだと思っていました。違うんですね。五つの山の集合体のお山なんですね。カルデラに囲まれたその中にある町が高森町だとか。その他もこの町の人たちがきれい、立派、と自慢するのが、根子岳。ホントに個性的な形の堂々としたお山である。私も好きだ。
駅で、明日の時間を確かめた後に宿に荷をおいて温泉館へ。
いろいろなお風呂があって、特に外のぬるーい、歩行浴というのが気に入って歩きながら根子岳を眺めていた。
夕方、刻々と色が移ろう山を眺めながら一時間、遊んでた。例のごとくあがりビール、う、うまか。
今回は禁酒の誓いは立ててきていないから。
血圧測定器があったので測った。
下62で上が105.脈博90・・・缶ビールと1時間のなが風呂の後のこの数値ってこれ、いいのかなあ。(ミッチー先生に聞かないと・・・)
6時のバスは私一人。
運転手さんと世間話をしながら帰った、宿の前でおろしてもらった。(バス停ではない、彼によるとこのへんはみんなうちの前で止めてやるよ、タクシーみたいなもんだ、とわらっていた)一人旅で拉致されねいか、とかいわれたが「私を? まさか、できないでしょう」(ハハハ)
静かな夜。
今日は、思わぬ友人ご同行で天岩戸神社から高千穂神社まで行けた。
ありがとうございました。
今日は、やや風はあったが、すこぶるつきで暖かかった。
よいお日和でした。
この地域の人はみんな、親切で明るい感じ。
ちなみに山を越えるとあのオウムの町として有名になった「波野村」である。
オウム、目の付け所がいいねえ。
この阿蘇周辺、地の気はいいよ。
阿蘇の麓の波野村や富士山の近くの富士宮といい、考えて(といっていいのかどうかとは思うが)土地選びをしている。と思ったことでした。
もう一つおまけ。私の直感ですけど、
高天原ってやっぱり九州じゃないかな。(奈良にもあるけど。)
このへん、ホントに神社に仏さまの気配がない。
 
明日ははやい、もうねようっと。
10時すぎたばかりだけど、窓の外は真っ暗、深閑としている。

 



2003年01月13日(月) ミステリーツアー イン クマモト

18切符定番のムーンライトで大垣へ、米原で姫路行き快速乗り換え、姫路着10時19分・・え、これ時刻表より早かった・・・ということで姫路30分待ちを利用してでトイレや洗面エトセトラ。
荷物にウエットテッシュが入っていなかったので買い足しに町へ、しかし、ローソンにもドラッグストアにもでかい奴しかない。ま、仕方ないないかと購入。
で、11時4分発の三原行きにのらんとホームへ行けば、遅れている。どうして?10分もだよ。JR西日本て、ようく遅刻あるよね、そんなに頻繁に関西へ来ているわけではないが、これ、昨年来3回目よ。
関東じゃ、そうない、あると乗客、怖いもんね、たとえ10分でも。でも、姫路で待つ人はしゃないな・・・という感じで、駅の放送も「まことに申し訳ありません」とかいわない、表示が違うことだけは行っているけど、平然風の声である。
うーん、気風が違うね、関東と。こっちの方がまあ、あたしは好きだけど、嫌いな人もいるだろうねえ。
西日本、遅れるねえ、と私が思っていることを、前に並んでいた高校生のような子もでかい声で前にいたおばちゃんに話している。見ると18切符を定期ケースのようなモノに入れて胸に下げているではないか。
お、女てっちゃんだ。
ここまで本格的な女てっちゃん、そういない。前のおばちゃん相手に自分がどうして静岡から来たか等々延々と話している。10分遅れの電車が発車しても、大きな声で話し・・・内容は、自分をストーカーしていた男の話だ。
高校生かと思ったら本人は大学生だと・・・そういえば「教職教養」とかうい本持っていたっけ。やれやれ・・こういう子、先生になるわけ・・・鉄道員にしてくんないかな・・・ここまで鉄道が好きなんだから。
声がでかいし、やけにキンキンして耳に触るというか刺さるというか・・・「うるさいなあ」と読んでいた本から顔を上げて私がちっこい声でつぶやいたら前に座っていた女性がすかさず「ホントね、でもずっとあれ、前の電車もをずっと話していた、前の人が無視しても話していた」とうんざりした反応。
てっちゃんは、変わり者系が多いというけど、あの子もそう?
ついに、隣のボックスから、もう少し小さな声で話して・・と声がかかった。ほっ、でもあんまり効果なかった・・・もしかして、耳が悪いのかな。
岡山12時44分の快速。静寂が戻ってきた。
笠岡・・・あ、ここから真鍋島へ行くんだ・・尾道近辺、映画のシーン、思い出す・・とか思いながら車窓を楽しんでいたらお昼寝タイム。
お昼のおにぎりが目を重たくした。
ふっと目がさめると夕方に近いではないか。
今日はよくねたりさめたりしたけど、一番よく寝たね、今の時間。
夕日が美しい。
あちこちで成人式の着物姿があるが、みんな薄着。暖かいよ関東より、そう感じる。
私のようにダウンのコート着ている人なんていない。
下関着19時06分。小倉で、快速博多いき乗り換え。
大牟田で先行していた友人に合流。
熊本着23時すぎ。本日はここまででうちとめ。
読んだ本「田園生活の教科書 辛口のカントリーのすすめ」ずっと前に買ってあったんだけど、未読だった。
真ん中の「ハンテング」のあたりはどう考えても縁なさそう、というか興味がもてなかったのでとばしたが(でも著者はハンターが本業みたい)おもしろかった。
でも、うとうとして景色を見てうとうとしている時間の方が心地よかったけど。
この本で一番うーんとうなずいたのは、ベジタリアンは葉っぱしか食べないとかいうけど葉っぱがきちんと食べられるっていうのは、その葉っぱが虫に喰われないように、ちゃんと食べられるまで成長させるためにすごくたくさんの虫が殺されている」という言葉。

日本で、23時間以上汽車に乗る乗って初めてだ。やっぱり少々疲れたけど、景色は変わる。それがおもしろかったね。
明日はどっこに行くかな。
ちなみに首都圏から18切符一枚で行く距離は八代である。
今日、私が乗っていた電車、23時58分、八代着。



2003年01月12日(日) 新春ミステリーツアー出発

これから出かけます。
新春ミステリーツアーです。
18キップ持って、夜行列車でドンドコドン、でござる。
今日はあったかそうだし、よかった。夜行もそう苦にならんだろう。
熱いお茶もおにぎりも、お菓子も、読みたい本も持った。



2003年01月11日(土) 穏やかな日

今日はいい天気で、温かかった。
出かける前の仕事片づけをしていたら、たまちゃんから電話をもらった。
このところ、何だか憂鬱だったので、うれしかった。
明日は、皆さんでお遍路、いいお天気でしょう。
「戦争が起きませんように」
とお参りよろしくお願いします。

このところの私の憂鬱にさせている原因は「戦争」だ。
でかい音させて上空を米軍みたいな飛行機が飛ぶせいもあるだろうが、怖いんだわ。
お遍路も旅も、ただいまという幸せも、おいしい晩酌の楽しみも、今日はいい日だねというのんびりした時間も、みんな平和があってこそなんだから。

世界恐慌のあと、第二次世界大戦が始まる前、三原山に飛び込む若者が多いことが確か社会問題になっていたはずだ。
逼塞した経済状況、戦争前夜の漠とした不安感、それらが作り出す社会状況が過敏で柔らかい感性の若者を「噴火口」にひきよせんたんだろうと今の時代状況を見ると納得できる。
あの頃と今ってすごくにているんじゃないかな。
だから、なおさら「鬱」になる。
なんで自分のことでもないのに・・といわれそうだけど、これって何よりもすぐれて自分のことだよね。
でも、何もできていない自分、それもまた情けない・・・・

kさんのところ、鍼灸の師の所、久しぶりにあちこちとお出かけ。
鬱退治のために「葛根湯」(成分は向精神薬も含むんだという)でも飲むか・・・
考えリャ、鬱って心の風邪だもんねえ。
効くだろう、はい。





2003年01月10日(金) どうなるんだあ・・北朝鮮

夕刊の大見出しは「北朝鮮、NPT 脱退宣言」
こりゃ大変。こうやって脅しをかけるのがあの国の常套手段だといっても、あっちも後ろがないようだし怖いことになりそう。
しかもアメリカとて、他の国で戦争するのが昔から大得意、日本もしくは日本上空で核戦争ということが最悪のシナリオとしてありそうだ・・・
まあ、どう転んでもアメリカのひとり勝ちだ、また。だって、イラクからも北朝鮮からもあの国は遠いもん。
ホンで、戦争が始まれば当然戦争特需でうるおうのは彼らと「白人のお国」
ジューイッシュ?
お金が欲しいから、北は戦争しないよ、という人もいるが、それはどうだろうか・・・北だってなにしろ後ろがない・・
ノストラダムスの計算ちがいで、ハルマゲドンは今年あたり来るんじゃなかろうか。
こうやって、今日も一日無事でした、というちっこい幸せがこわれるとしたら、猛烈に腹が立つ。
ジャンヌダルクの気持ちが今やよく理解できるぞ、まったく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛媛から、私の本の一部を「遍路と癒し」の研究論文に引用したいというお願い葉書が来た。
承諾したが、私は「自分の癒し」のために歩いているんじゃない、のだが。歩きたいから、なんですがと。
お四国在住なら一度歩かれたらいかがでしょう、と書いた。
自分の身体で実感するのが一番強いよ。



2003年01月09日(木) 不安がいっぱいだ・・よくみると・・

このところ、でっかい音をさせて飛行機が飛ぶ。
大昔、米軍機が落ちて母子が亡くなったのが一駅先、だから怖い。
厚木基地から・・・?
いよいよ戦争が始まるのかと思うと、怖いし、憂鬱になる。
このままでいいわけがない、何かできないのかな・・。

大好きなケーキ屋さんのそばで高層マンションの工事中。怖くてそばに行けない。
みんな平気で下を通っているんだけど、私にはできない、なんかが落ちてきそうで。おかげで、ケーキが食べられない、これはいいことだ。

ゴミを捨てながら思う。
こうやって私たちは過剰包装のゴミを捨てそれが燃やされて温暖化が進む、水没する国がでる・・旅先でトルコの男に「アメリカや日本、ヨーロッパの国が世界を滅ぼす、日本人はアメリカ人に似てきた」といわれたことを思いだす。

暖かくなったら、ストーブを消すようにしている。
だって、電気は原発で、ストーブのガスは・・・・
そうだ、都市ガスって、どうやってつくるんだろうか?
こんなとも知らない頭のかるい私・・そんで一日使っているという・・いいのか。
あれこれ考えていると、悲しくなる。

唐突に人気のない、でも変わらず(大昔から、山が活火山だったころから)静かに温かい澄んだ湯をあふれさせている三斗小屋の温泉に入りたいなどと妄想する。
以前、あそこの湯で、羊水の記憶・感覚が身体に残っているとするとこんな感覚?
となつかしくなった。お湯に入って「なつかしい」のも変だけど・・・
やや鬱かも・・・ねえ。

新年会も延期でコンを詰めた作業をしていたら、チョウ久しぶりにKさんが訪ねてきてくれた。
元気そうでよかった、楽しかった。ありがとう。
オオ、そうだ。弟の誕生日が終わってしまった。おめでとうもいわんかったぞ・・・。
わるいことしちまった・・





2003年01月08日(水) 祝!簑太郎さんの襲名

簑太郎さん、と聞いただけで分かる人はかなり文楽通。
吉田簑太郎、文楽人形遣いである。
今度晴れてお父さんお名前「桐竹勘十郎」を襲名することになったのだという。
おめでたい。
私が好きな吉田簑助さんの足だの手だのを使ってきたお人だ。
もちろん今は文楽協会をしょってたつ主使いだけど。
新聞によると、中学時代から簑助さんについていたようだ。
なるほど、遣い方が似ているわけだ。
ちなみに49歳、そうだったの、である。おねえさんは女優の三林京子さんだったのはしらんかったね。そういえば似ている、目や口のあたり。
この人の人形は、簑助ゆずりというか、よく息をしているし、後ろぶりもとても美しい。
ただ、私が見ていた頃は、動きがやや大ぶりでアブラっぽいな、と思ったこともあったけど。
今はどうだか? 立ち役系の人形が、似合うかもだが(この頃見ていないのでこの辺は?)。
2月にベトナムに行けなかったら、彼の使う人形を見にいってもいいな、と思う。
昔と変わっていなければ、2月の国立のプログラムは近松のはずだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もへじ塾に2年の頃から来ていたヤスキからの年賀状に「元気にやってるけ?」
オオヤスキ、かわらんのう。
もう、小5の頃からH話が好きなトンデモお子さんだった。(ホントはボッチャンなんですが)私が「そういう話を女性の前でするのはセクシャルハラスメントなんだ」と真剣に言ったら、ピタッとしなくなった。
なつかしい思い出だ。
彼が高校受験だ。。
年をとったんですね・・・
がんばれよ、ヤスキ。





2003年01月07日(火) 鯖街道を読む

午前中出かけて思ったんだけど、比較的暖かだった、もっとも昨日、一昨日とくらべたら、という話だが。

・・・・・・・・・・・・・・・

夕方近く、ホットカーペットの上にごろついて新潟お煎餅をバリバリ食べながら「鯖街道」を読んだ(見た?)日本の街道シリーズ1で、昨年に買っておいたもの。こういうデカ本は、ものをつまみながら読めるところがいい。
昨年西国を歩いたときに若狭って寺が多いと思ったのだがなんと人口3万人あまりの町にお寺180だって、びっくりだ。かつては「海のある奈良」といわれたらしい。
春産卵前の鯖を麹に漬けて半年、秋になって食べるという「へしこ鯖」の記事のところで、ホットカーペットのせいでお昼寝状態。
起きて、鯖へしこのうまそうなのにさそわれて(何しろあの魯山人もうなったという)ネットで調べてみた。売っていたね。1本、送料込みで1800円。いいお値段である。しかし、鯖好きとしては食べてみたい。(酒のつまみにいいみたい)
小浜のラーメン屋に鰈の種類が4種もあったのも印象深かったけど(こういうことだけはしっかりと覚えている食い意地ぶり)、やっぱり鰈の干物もあったが、すでに売り切れ。人気ぶりが分かる。
若狭湾の沖は寒流と暖流がぶつかるので魚が豊富かつ身がもまれてうまくなるのだという。
大昔、金沢の市場の近くにある美味しい魚を食べさせるお店で「わたしらは、瀬戸内海の魚はなんだかどろくさくてたべられません、それと、身が締まってないような気がして・・」と話をカウンターの中にいた板前さんに聞いたことがあるけど、若狭あたりの人も似たようなことをいうかもだ。だって、ラーメン屋に鰈が4種もあるんだよ。華麗だ。(まだいっている、アホ)
この本を買ったのは、できたら「鯖街道、歩こうか」と思ってだったが、どうも全てのルート、国道と重なっているようだ。西国のときは、一部、すごく危ないところがあったし、どうもあきらめた方がいいようだと、わかった。残念である。でも、まあ、国道歩きはつまんないし。
でもいつか若狭を改めて訪ねてお寺回りをしてみたいと思う。

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昨7月、夏のお遍路であったKクンからの年賀状に晩秋から年末お遍路にいっていた、もう普通の生活に戻れないかも・・なんてことが書いてあった。
どうすんの?お坊さんになる?苦労して資格とったのにネエ、って新年会でもしていってやろう。



2003年01月06日(月) 三輪明宏さまの名言

昨日の新聞で三輪明宏様が大きく取り上げられていた。(様をつけるのは、尊敬しているから、ファンです、芝居、よく見に行っていた)
いっちばんそうだ!と私が叫んでしまったところを紹介しよう。

★世界を旅するとわかるけど日本は「金だけ持ったバカな国」といわれている。
今の日本に必要なのは理知と教養です。
コンサート会場は八割以上が女性。演劇もお芝居も美術館もそう。
欧州なんかどこも半々なのに。
日本の男はね、テレビもニュースとスポーツ、夜中のエッチ番組ぐらいしか見ない。ゴルフ場とスポーツクラブ、それに飲み屋でバーのネエちゃんの尻なぜているだけ。何も知らない。

★日本がこうなたったのは三つのものに頼りすぎたから。
「物欲、性欲、食欲」
あるいは「機能性、利便性、経済効率」
ほかは何もない。

★私の音楽会や芝居は若い人たちで即日完売(私も昔は通っていましたよ、三輪さん)みんな本物が欲しいわけ。本物、いいものじゃないから売れない、だから不景気になるそういう時代。

★日本がダメなんてとんでもない、欧州を制覇したジャポニズムはなにかというと文化です。・・・・・理知と教養、文赤に目覚めれば日本は世界のトップにたて増ます。
(世界のトップじゃなくてもいいけど、理知と教養、文化に目覚めるべきというの、そうだと思うなあ)

三輪さん、黄色の御髪に黒いヘアバンド、ピンクのお洋服に銀系のネックレスにイヤリング。お美しい。で、67歳だよ。私が芝居に通っていたころから印象変わらず。
すばらしや!

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今日は風がなくて比較的過ごしやすかったが、冬型かわらず。
早起きを年頭の誓いにしたが、いまだに7時を過ぎないと布団から出たくない、寒くて。
6時おきはもっと暖かくなってからにしようと軟弱な私なのであった。



2003年01月05日(日) クローン人間って・・ラエリアンって・・

昨年から「ラエリアン」という新興宗教団体が「世界初のクローン人間」を誕生させたと、発表していたけど、今度はオランダ人女性同性愛者のクローンらしい。
「エラリアン」って、近所にも信奉(仰?)者がいるようで、よく駅の辺りで張り紙を見かけていたんで、へエーそういうことをしでかす団体だったんだと興味津々。
何でも、「地球上の万物は全て異星人によってクローンで創造された」という主張を展開する人たち。教祖は「宇宙人にあって話を聞いた」フランス人でクロード・ラエル。この人知ってる、張り紙に写真はってるもんね。そうか、フランス人だったのか、ちょっとアラブみたいな雰囲気を漂わせていたけどなあ。
アメリカ(ブッシュ)は「クローン人間禁止法案」の成立を急いでいるらしいけど、まあ悪の枢軸アメリカならではの事件という感じではある。

それにしても宇宙人にあって話をした、われらは全て異星人のクローンであるっていう教え?だけで84カ国に信者が5万5千人もできる?
そのうち日本人は6千人らしいが・・これはけっこうすごい数だよなあ。
宇宙人にあった、それで・・・我らはクローンなり・・それで・・とつっこみを入れたくなるけど、どうしてそれだけというか、それが主なる理由で「信奉者」になれるのか私には不思議でしょうがないのだが。
(もっとも、これらは新聞報道によっているから生で聞いたらもっと重要な「教え」なり「思想」があるのかも知れないが)
 
何だか、昨今のハリポタ騒ぎに似ていなくもない。ハリポタ、面白いよ・・それで・・・ハリポタの話(主に映画)をしている人を見かけるけど、聞き耳を立てていると「○○○だから、面白い」「○○○のところがすばらしい、それはこういうことで云々」といったセンテンスで話しているヤツっていないもんなあ。「すっごいおもしろい」こればっかり、聞く方も「そうなんだ」だ系で、どうしてとか深まらないんだよねえ。

汗水たらさない発想、思想(発想まではいいかもけど、思想にゃなっておらんねえん)、私にはそう思える。

それから、宇宙人に会って話をしたい浪漫な人たち(なんだろう、多分)が、クローンでいいから自分の血や遺伝子を残したいという、がむしゃらで因習的な行為に行き着くのかも不思議というかおかしい。
美、がないし、夢もないし。
もしかしたら、「こん〜〜なこともできるんだ」という、幼子が蛇をつかんで振り回すような行為に近いのか?
それとも、「性行為」は野蛮と退けられているのか?
昔「コクーン」という映画のなかで「性行為」は目と目でバシーン!!と火花を散らすだけっていうのがあったと思うが。あの世界かねえ。
あれは、宇宙人で、性行為の進化した形だっていう設定だったような・・あんまり大昔の映画なんで記憶がオボロだが・・・

今日も寒かった。
どうして今年はこんなに寒波がくるんだろうか。でもまあ、ぬくすぎて不気味なのよりイイや。



2003年01月04日(土) 世界不思議発見を見ながら

世界不思議発見を見ながらいろいろとやっている、お年賀のお返事とか、原稿の誤字直しとか。
不思議発見、今日はスペシャルだ。

エジプトの階段ピラミッドがなつかしかった。
私があそこでショックだったのは、カイロ博物館で見た木製の像だった。
今は砂漠のまっただ中、木も草もないところでかつて木製の像が造られ、祀られていたことに、ショックびっくりだったことだ。
サハラはむかし森だったというが、それがあの像でリアリティを持った。
忘れられない遺跡のひとつだった。

私が行きたいと思っているペルー、ウロウロというチチカカ湖の浮島で暮らす人たちの生活にびっくり。きゅうきょくのエコロジスト。

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今日の新聞に「戦うじゅんびはできた」というブッシュの言葉。
ああ、アメリカは、ブッシュは世界を毀すよ。
天はきっと、我らが人類をあきれ果てて見放しているね。
文明の国は滅びてもいい、日本はもちろん、だ。
できることならウロウロのような人々は、サバイバルさせていただきたいね。
人類、しきり直しだ、この際。
ここまでいうのはやけっぱちすぎる?か。

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「インストール」を読んだ。
以前、小学生と高校生が組んでエロチャットのでひともうけ、というストーリーで話題になったヤツ。
おもしろかったけど、基本的にマンガ的ストーリー。

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寒い日だった。
夕方、富士山が夕焼けできれいに染まった頃、88番にいるよ、とたまちゃんから電話をもらった。雪、こんこんよ。ひゃーだ。寒そう。
風邪が治ったばかりなのにたまちゃん大丈夫?だった。
声はとっても元気。ありがとう。

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昨夜アッと気がついた。
田舎の南天の木の下の雪の中にビールを埋めてきたんだ。
冷やすのに・・・でも、回収するの忘れて出てきたんだよ。
雪で埋まったら、春まで未発見、もしかしたら、つぶれる、割れる、よ。
ビールを助け出してとFAXを入れた。
姪から、昼間のうちにビールは救出したと折り返し返事がきた。
ヤレヤレ。



2003年01月03日(金) 成田へ、そして成田山新勝寺お参り

今日は、ナオミちゃんがアムステルダムへ帰る日だ。
7時半、彼女は、私よりはやく起き出している。
「おお、はやいじゃん」
いつもは、私よりだいぶ遅いんだけど、さすがに帰る朝だし。
ご飯を食べて、8時50分出発。
フライトは1時半のJALだけど、はるばる成田でホント、遠い。
田舎からでかいトランクは成田に託送しているんだけど、まだまだ荷物は重い。
もちろん、私も、うちで、ちゃんと帰ったかな?なんて心配するのはヤだから、送る、きっちりとセキュリティの入り口まで。
で、成田空港着、11時半。荷物をピックアップして詰め直して彼女はゲートの向こうの人へ。
「またおいで」であった。彼女がいた日々、なかなか楽しかった。ありがとう。

帰りがけ、せっかくなので成田山新勝寺へ寄った。
すごい人の波。小雪がちらつく寒さなのに大混雑である。
田舎の神社も大混雑だったけど、正月はみんなお参りに行くのだねえ。
人の波のままにボチボチ歩く。すごい時間をくうが、しかたない。
本堂前、人に押されながらも真剣に祈りを捧げて動かない人が何人もいる。
私もお不動様のご真言を唱えてお参りした。
駅への道々、考えた。
日本人て、これだけ、お参りが好きなクセして、いざ宗教は?ときかれるとどうしてほとんど無宗教とか、って答えるんだろうか。
堂々とブデッストとか、タオイスト(あれ、これもしかして道教?じゃ、神道ってどういうんだ?)とかっていわないんだあ?
どうも宗教界のグローバルスタンダードは、世界を危うくしているイスラム教やキリスト教の一神教がヨシとされて、日本人のように神と仏を拝むのは、不純、未開、野蛮、といわれがちだった。だから、我らが日本人はコンプレックスがあるように思う。つまり、自分たちは、神(山だったり石だったりして)も拝むし仏も拝む・・・未開であるのだ・・と。
アニミズムの国といっていいタイとか、バリ(これは国じゃないけど)それに近い日本、中国(現世利益につながれば何でも拝む傾向があると思う、観音様信仰なんてまさにこれだ)は、少なくとも、自分たちの宗教を人に強制しようという戦争は起こさなかった。それを聖戦とよんだりはしなかった。この辺は自信を持っていい。
(聖戦の裏では神の名を借りた植民地主義、醜悪であったヨーロッパの歴史)
少なくとも、人の拝む神をおとしめたり、未開といったり、邪悪といったりはしない。この寛容は、誇っていい。
(徳川期だけは少し違うかも知れないが、その時代だって、カクレキリシタンをかばった村人や里があった)
だから、もっと堂々と、拝む心、を持っていますよ、仏教徒ですよ、といってよいのだよ、成田山参拝者諸君。
仏教は仏を拝む心が人になければ、インド哲学やチベット哲学になっちまうよな。
なんて考えてしまった参道でありました。

参道沿いにいろいろなお店が出ているのだが、びっくりしたのは、インド人がやっているインドサンドやインドの揚げセンベイ、アラブ人出店のケバブ屋(エジプトやトルコできく音楽がすごい音量かかっていてここはモスレムのバザールか状態だった)、あとキムチ屋。
さらには、名物のおつけものも原産国は中国や台湾、タイでありました。
何だか、がっかりして手に取りましたが、買う気をなくした。
国際化ってこんな処でも進んでいるんですね。
ちなみに、すぐ門前のそばで、「キリストを信じるものは救われる」もでかい音量で何やらお説教を流していた。

帰り、無性にソース焼きそばが食べたくなったが、家の近所まで我慢。夕食は焼きそばでした。
ご近所、うっすら雪が積もっている。
寒い。



2003年01月02日(木) かえりました・・・疲れたね、バスの旅

朝、パウダースノーの雪。寒い。
こりゃやばい・・と思っていたら大当たり。
新潟からの帰省バス、大幅遅れ。だって県境は大荒れで吹雪だった。
走行規制とかですばらしい遅れ、さらに上里サービスエリアを過ぎたら、今度は渋滞だった。どうやら、もう帰省ラッシュが始まっているようだった。
結局2時間以上の遅れで、池袋着3時過ぎ。
明日アムステルダムに帰るナオミちゃんと帰ってきたのだが、二人ともヤレヤレ。
びっくりしたのは、ふだん雪のない群馬にかなり積もっていたことだった。

帰ってすぐに、納豆や豆腐、明太子、餅菓子、あんパンなど、彼女のママが喜びそうなおみやげを買いに行った。
東急は6時半閉店だけど、何とイトーヨーカ堂は夜10時まで営業。
いいのかと思う。
だってヨーカ堂って、お母さんたちのパート労働で成り立っているんだよね。
家族がそろう年始、お母さんがいないって・・・・いいのか・・と思う。
子供は、夫は寂しいだろうと、思う。
いいのか・・・東急と同じ、せめて7時くらいで閉店したら、と思う。

愛媛の方から、すごく美味しいオレンジジュースを頂いた。
ナオミちゃんは、私には酸っぱいというけど、私はすっぱいのが好きなのだわ。
正真正銘、愛媛蜜柑だけをしぼったジュース、正しい味。
なんだか、愛媛に行きたくなった。



2003年01月01日(水) 2年参りへ

31日、11時半、甥と二人で二年参りに出た。
例年、弟夫婦も行くのだが、年末、お手伝いも含めて3日お葬式に関わったので今回は遠慮。
古いお札などを持って、まずは蒼柴神社へ。すでに行列。
甥「俺一人だったら、ならばんな、このへんから手をあわせて、帰るな」
おいおい。
雪はあるが、降っていないし、意外とあたたかいので人手が多い。20分ばかり並んでお参り。手を合わせて破魔矢を買っていたら12時になった。2003年だ。
私は凍っているところですべって転びそうになった。新年早々よかった転ばなくて・・・
成田不動尊、近所の氏神さま、とお参りして帰った。
しかし、近所の氏神さま、真っ暗。
誰だ、今年の当番は?
神様がおかわいそうだった。
ということで2年参り完了した。
意外と暖かい新潟のお正月である。

みなさん、新年 あけまして おめでとうございます。
今年も、よろしくお願いします。
ぼちぼち、日記も休まぬようにやりたいで−す。

ところで、これから お休みなさい。


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