おひさまの日記
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2011年07月20日(水) |
あの池のカエルのように |
人って、
人にやさしくできないと、
すっごく悲しんだなぁ、って、
思った。
たとえば、
自分が誰かにイラついて、
キツイこと言ったり、
攻撃したとする。
そこに怒りという感情があるからこその、
行為なわけだけど、
つまり、自分の思い通りに振る舞うんだけど、
それなにの、悲しい。
言いたいから言う、
責めたいから責める、
それなのに。
自分の思い通りにしたら、
すっきりしそうなものなのに、
全然すっきりしない(←経験者)。
心の中に、行き場のない、
不快な重い鈍いイヤな感覚が残る。
それをまた相手にぶつけたりして。
怒りたいから怒ってるのに、
悲しくなって、
ひとりこっそり、
泣いちゃうことがある。
そんな時思う。
本当はやさしくしたいんだ、
本当はこんなことしたくないんだ、
って。
逆に、誰かにやさしくできた時、
自分まですごーくあったかくてうれしくなる。
喜んでいる相手の笑顔を見て、
泣きそうなくらい幸せな気持ちになる。
そして、思う。
人って、つくづく、愛なんだなぁ、って。
人は自分本来の姿でいる時、
イキイキと輝いて、
喜びに満ちて、楽しくて、
とっても幸せ。
けれど、自分本来の姿から、
離れてしまうと、
苦しくて、悲しくて、
重たい気持ちになってしまう。
だから、愛から離れた生き方をしていると、
空しくて、悲しくて、苦しい気持ちになる。
他の何が満たされていても、
心が満たされない。
自分が望むこと以外のことをしていると、
とっても苦しくなるのも同じだよね。
人は自分でない時、
いちばん苦しいんだ。
昔、こんな童話があった。
あんまり小さかったから、
タイトルとか覚えてないんだけど。
ひとりの美しいお姫様がいて、
悪い魔法使いに魔法をかけられてしまう。
昼は美しい姫の姿が、
夜になると醜いカエルになる。
そして、心が容姿と逆転する。
美しい姫の時は、
人を傷つけ、なじり、
意地悪をする。
カエルの時は、
人をいたわり、愛し、
昼間自分が傷つけた人を思って、
涙する。
夜にカエルになったお姫様のシーンが、
子供心ながらにすごく印象的だった。
私は、
あんなひどいことを人々にしたくないのに、
魔法で昼間は別人のようになってしまう。
みんなにやさしくしたいのに、
それがかなわない、
確か、そんな感じのことを言って、
池で泣くんです。
悲しくて、悲しくて、ぽろぽろ涙を流して。
人にやさしくできなかった時、
いつもその童話を思い出す。
大切にしたい人を、
傷つけてしまったり、
苦しめてしまった時、
泣いていたカエルを思い出す。
人の心の中には、
そのお姫様のように、
葛藤する部分があると思う。
そしてね、
いちばんやさしくしてほしいのは
人を傷つけたり、攻撃したりする、
暴れん坊の自分なんだよね。
だから、悔いる自分もいながらでもいい、
暴れん坊の自分にやさしくしてみる。
自分が自分に。
葛藤するってのは、
まあ、よくないイメージがあるけど、
葛藤して、あっちの自分と、
こっちの自分がいるからこそ、
片方が片方をケアできるって考え方もある。
自分が自分の味方になる。
したことが、
正しい、正しくないは、置いておいて、
まず、暴れん坊を心で抱きしめる。
そうすると、
不思議と泣けてきちゃう。
武装していた怒りが溶けて、
その下の、
悲しいさんとさびしいさんが出てきて、
涙が流れる。
本当は、誰よりも自分を責めている、
そんな悲しいさんとさびしいさん。
そんな自分にうんとやさしくすると、
周りの人にもやさしくなれる。
だから、自分に。
まず、自分に、ハグハグ。
心を、ハグハグ。
みんな本当はとってもやさしい。
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2011年07月18日(月) |
いらぬものを与えやがる |
いつも思う。
蚊にさされて、
かゆくて、かきながら、
いつも思う。
「血はいくらでも吸わせてやるから、
かゆくすんな」
って。
かくゆなったり腫れたりしなきゃ、
血くらい分けてあげんのに。
いらぬものを与えやがる。
あれ、俺、ちょっと耳が痛い(笑)
相手が欲しいものを与える、
相手が欲しくないのに自己満足で与えない、
大事ねー。
欲しくないものを与えておいて、
感謝を強要するなんてのはもってのほかで。
時に与えることから離れる、
そんなマイナスの美徳ってのもあるし。
これは、
蚊にささせた時に、
ただ思い浮かんだことなんで、
蚊を媒体にしたウイルスから病気が…
なんつー細かい話はナシで。
今日はめっちゃ暑くなりそうなのに、
バーベキューなんちゅー
予定が入ってマス… ( ̄▽ ̄;)
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今日、珍しく、
アンナの友達が、
学校帰りにチャリで遊びに来た。
なぜ珍しいのかと言うと、
アンナは学区外通学をしていて、
学校からめっちゃ遠いので、
気軽に友達が遊びにくる距離ではないのだ。
うれしいじゃないかい!
自分の娘のところに、
そんな遠い距離を気にせず来てくれるなんて。
ちょうど冷えていた、
昨日いただいたばかりのメロン、
ふたりにおやつにと出した。
その友達は、
「わぁ、ありがとうございます!」
そう言って喜んでメロンを食べた。
少ししておせんべいを出すと、
またまた、
「ありがとうございます!
いただきます」
と食べた。
「おいしかったです」
食べた後も伝えてくれた。
うれしかったなぁ。
差し出したものを喜んで受け取ってもらえるって、
すっごくうれしいなぁ。
帰る時間になり、
あまりに遠くて気の毒になり、
車で送ってくよ、と、声をかけると、
「え、いいんですか?
ありがとうございます!」
そう言って喜んでいた。
受け取り上手な子だなぁ。
また、受け取る時の笑顔がいい。
さりげなく気持ちよく受け取るし。
すごーく感じのいい子。
きっと誰からも可愛がられるんだろうなぁ、
そう思った。
アンナに、
気持ちいい友達だね、
いい友達がいてよかったね、
そう言うと、
「うんっ!」
と、満面の笑顔で答えた。
ひとりの少女から、
今日は学んだなぁ。
受け取る姿勢でいると、
そして、それを喜んで感謝していると、
どんどん与えてもらえる。
与えたくなる。
与えることが喜びになる。
与えているのに受け取っている。
日々の些細なことから、
人生の大きなことまで、
内容は違っても、
どんどん受け取る姿勢でいていいんだなぁ、と、
彼女を見ていて思った。
今日、私が、
彼女にどんどん与えたくなったように、
そういう姿勢でいると、
姿勢でいる、と、言うか、
そんなふうな生き方してると、
じゃんじゃん与えられるんだろうなぁ。
有形無形、さまざまなものが。
それをひとりの少女を通して、
鮮烈に感じた。
改めて、受け取り上手に、
なろうと思うのだった。
最近、受け取ることに関して、
ちょっとしかめっ面になってたかも、って、
気付いたんだよね。
ああ、よかったなぁ、気付けて。
大切なこと思い出せて。
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2011年07月14日(木) |
たまには仕事してます |
珍しく仕事の記事です。
エイミーさんって、
ブログに仕事のこと書かないし、
セッションやってるんですか?
と、真顔で聞かれた経験あり(爆)
ええ、たまには仕事してます ( ̄▽ ̄)タマハナイケドタマニネ
昨日は、初めて、
スカイプでヒプノセラピーを
させていただきました。
ヒプノは必ず対面で!
というこだわりがあったんだけど、
昨日のSちゃんは、
10年近いお付き合いで、
スカイプでヒプノを、と申し出ていただいて、
あ、それもいいかも♪
と、快諾させていただいてのセッション。
今までヒプノは出張のみ。
それも、まぁ、
実家に引っ越してきて、
セッションルームがアンナの部屋になり、
ルームがなくなったからなんだがよぅ。
初めての試みだったけれど、
とても素晴らしいセッションとなり、
これもひとつの方法だと感じました。
そんな体験をするきっかけを
与えてくれたSちゃん、
本当にありがとうございます!
ってことで、
ヒプノセラピーのセッションに、
出張の他、スカイプも追加決定しようっと。
テレビ通話なし、音声のみで、
スカイプでの通話が可能な方って感じで。
スカイプ、ホント便利ねぇ.。゚+..。゚+.
最初は、
何それ、よくわかんない;
って感じだったけど、
いやコレ、ホントいいよ。
使ってな人いたら強くおススメしたい。
なんせ無料だし。
最近、自分のスタンスが変わって、
お会いする方も変わり、
だんだん自分のセッションの方向性が、
明確になってきた感じ。
どんなこともそうだけど、
体験の中で形作られる。
最初から何かができあがってるんじゃなく、
後から振り返って、
ああ、こんなのができた、
こんなふうになった、
そんな感じだな、いつも。
この頃は、
ヒプノセラピーという呼称よりも、
うーん、なんて言うんだろ、
インナーワールドナビとでも言いたい、
そんな感じだ。
内側の世界に入っていくことでこそ、
体験できるものを体験していただく、
そこで自分の内なる世界に触れる、
そこで深い体験をする、
そこで普段は気付かないものに出会う、
そんな感じ。
時空を超えて必要なものとつながる。
その旅はその人だけの旅。
そして、それをシェアしていただくことで、
私もまた旅をする。
だから、ありがとう、ありがとう。
カウンセリング&ヒプノセラピーSunGoddess
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2011年07月13日(水) |
昨日も明日も切り捨てたら見えてくる |
当たり前の毎日の中で、
大切なものは色褪せたかのように、
時々見えなくなる。
それがそこにあることさえ、
忘れてしまうことがある。
それがいつもそこにあるから、
なじみ過ぎて、
いつの間にか感じにくくなることがある。
だから、思う。
フツーのなんでもない毎日が、
本当はとてつもなく素晴らしくて、
うれしくて、ありがたくて、
涙が出ちゃうほど心震えるものなんだ、って。
ウツウツと過ごしている時は、
心を覆う雲が、
大切なものを見えなくしているだけだって。
ほんの少し、
ほんのちょっとだけ、
ひとこと多く声をかけてみる。
やさしくしてみる。
目を見てみる。
触れてみる。
大切な人に何かしてみる。
時に、色々あって、
その人が大切だってことさえ、
忘れてしまうこともあるかもしれない。
昨日という日を、
明日という日を、
ばっさりと切り捨てて、
今日という日を生きる時、
今、大切にしたいものが見えてくる。
今しかないなら、
今したいことが見えてくる。
ある人のお通夜に参列して、
ふと、思ったこと。
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いつも思うのだけど、
煮詰まってしまったり、
イライラしたり、
悲しくなったり、
精神状態がよくない時、
物理的に、
自分を心地よい状態に置いてあげると、
それだけずいぶん楽になる。
リラックスできる環境に身を置いたり、
心地いい音楽を聴いたり、
美しいものを目にしたり、
気持ちいいと感じるものに触れたり。
たとえば、私なら、
散歩して風を感じたり、
空と雲を眺めたり、
道端の花を見たり、
季節の匂いのする空気を吸い込んだり。
自然に触れることがそういうことかもしれない。
それは、つまり、
自分を整えるってことなんだろうなぁ。
精神的にぎゅう…ってなっている時、
視野が狭くなり、
まるで、小さい穴から広い世界を見ようとして、
見えなくて、キーッ、ってなる感じ。
見えるはずないわな(笑)
見たいものを見たい時、
感じたいものを感じたい時、
見える自分、感じる自分になる。
そのために、自分を整える。
ぎゅう…っとなって、
助けてーっ!って叫びたい自分に、
もういやだよーっ!って泣きたい自分に、
やさしくしてあげる。
それが、
物理的に自分を心地よい状態に
置いてあげるということだと思う。
体をゆるめる。
五感をゆるめる。
ゆるめて流れ込んでくるものを受け取る。
そのために、
私達に力を貸してくれるものは、
この世界にいっぱいある。
行き詰まった時、
その行き詰まったすべてを一旦放り投げ、
閉じてしまった五感を開き、
深く呼吸をし、
澱んだ流れをさらさらと流してあげる。
ほら、戻ってくる。
なんだか大丈夫な気がしてくる、
そんな自分。
よくわからないけど、行けそう、
そう感じる自分。
ま、いっか、なんとかなるか、
そう思う自分。
私は今日もそうやって、
自分を取り戻したのだった。
うん、いい感じ。
(夕方まで死にそうな顔してたくせに・笑)
おつかれ、アタシ。
落ち込んだら、
またやさしくしてあげる。
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なぜだろう、ふと、思い出した。
まだ無邪気な子供の頃、
すぐに母親を怒鳴る父親がこわくて、
「お父さん、怒らないで」
と、よく父に言っていた。
父は、言葉、行動共に、
暴力の人だった。
その頃の私は従順で、
なんでも言うことを聞き、
いつでも父好みの振る舞いをした。
だから、猫かわいがりされていた。
父がひとたびキレると、
母親に怒鳴り散らし、物を投げ、壊し、暴れた。
私はただ黙って見ていた。
一刻も早く終わることを祈りながら。
そして、父が落ち着いてきた頃、
言うのだった。
「お父さん、怒らないで」
できるだけかわいく、
おねだりするみたいに。
ある日、そう言った私に、
父がこう答えた。
「コーヒーを入れてくれたら、
お父さんのガミガミ虫が消えるんだよ。
だから怒らなくなるよ」
それを聞いた幼い私は、
毎日一生懸命インスタントコーヒーをいれた。
スプーン1杯のコーヒー、クリープ、お砂糖は2杯。
今でもよく覚えてている。
そして、父が仕事から帰ってくると、
コーヒーカップを持って、
父の車のところまで行って、
そのコーヒーを渡した。
毎日、毎日、毎日。
そのコーヒーを受け取ると、
父は自分の顔を見るようにと私に言う。
父はわざとこわい顔をしてコーヒーを飲む。
そして、ひとくち飲む度に、
顔が少しずつ変わって、
笑顔になっていく様子を、
おどけながら私に見せるのだった。
それがお芝居だということは、
子供心ながらにわかっていたけれど、
でも、最後に笑顔になる父を見て、
とても安心したものだ。
そして、思ったのだった。
「これでお父さんはお母さんを怒鳴らない」
って。
けれど、父は、それでも母に怒鳴った。
家の中の物をつかんでは投げ、叩き壊し、
時に母にもそこらじゅうのものを投げつけた。
私はその嵐が去るのを、
布団をかぶって耳をふさぎながら待った。
そして、また次の日もコーヒーをいれた。
コーヒーをいれたからって、
父が変わらないのはもうわかっていた。
けれど、それ以外どうしたらいいかわからなかったのだ。
コーヒーをいれなくなったのは、
従順な子供の仮面を捨てた時だった。
小学校の高学年頃だったと思う。
初めて自分の意思を言葉にした。
イヤなものに対してイヤと言った。
父は言った。
「昔は何でも言うことを聞いて可愛かったのに、
なんて憎らしいガキになったんだ」
それから、母がされているように、
ののしられ、暴力を振るわれるようになった。
けれど、従順でいてかわいがられるよりも、
自分の本当の気持ちのままでいる方が、
たとえ、罵声を浴びせられても、
暴力を振るわれても、
まだましだと思った。
日々、父親から受ける、
今で言うパワーハラスメントで、
精神が崩壊していった。
その頃からカミソリを持ち歩くようになった。
体のあちこちを切り、
鋭い痛みと、浅い傷に沿って、
血がぷつぷつと丸く吹き出すのを見ていた。
ぺろっと舐めると血の味がした。
はっきりと覚えているのは、
こうして自分が苦しいと訴えているのだと、
親に見せたかったということだった。
19歳、父のいうことに逆らうと、
木刀で滅多打ちされた。
冗談抜きで、殺されると思った。
泣きながら這いつくばって、
110番して呼んだ警察に言われたのは、
「親が怒るのは当然なんだし、
あなたもいけないことしたんでしょ」
という言葉だった。
父は、
「いやぁ、言うこと聞かなくてねぇ」
そう言ってへらへら笑った。
なんて卑怯なんだと思った。
父と警察は、
「今時の子供はねぇ」
と笑って話していた。
てめぇら死ね、と思った。
20歳で就職して逃げるように家を出て、
それから帰ることはほとんどなかった。
会社に父から電話がかかってきた。
「あの娘はろくでもない人間なんで、
今すぐクビにしてください」
父がそう言っていたことを、
上司から伝えられた。
アバートの留守番電話には、
父からのメッセージが入っていた。
「殺してやる」
父から届く手紙には、
私への恨みつらみが綴られていた。
気が狂いそうだった。
逃げても逃げても、
父の怨念のようなものは、
どこまでも追いかけてきた。
私は家中の食器を全部たたき割り、
その破片を握りしめて手を切って、
痛みと流れる血を味わった。
カミソリであちこちを切っていた頃のように。
父の母と私への異常な行動は、
私の、結婚、離婚、結婚、出産を経て、
父が施設に入るまで続いた。
あの少女は、父が死ぬまで、
二度とコーヒーをいれることはなかった。
それは、自分を痛めつけるものに、
もう決して屈しないという、
強固な意志のあらわれだったのかもしれない。
暑さと湿り気で気怠い日中、
吹き抜ける風が心地よさを与えてくれる中、
なぜかそんなことを思い出した。
そんな、ある少女の物語を。
今、私は、父が、
なぜそんなふうになってしまっていたのかが、
とてもよくわかる。
父が抱えていた痛みも。
それがどれだけ苦しかったかも。
なぜわかるようになったのか、
言葉で説明しようとすればできるけれど、
とても薄っぺらくなってしまうので、
ここではやめておく。
父を許しているわけではないけれど、
許していないわけでもない。
その出来事は、ただそこに「あった」ものであり、
私が体験したものだった。
父に喜んでほしいと思って、
コーヒーをいれたことは一度もなかった。
機嫌を取るためだけに、
ただそれだけのために、いれ続けた。
今日、ふと、
父に喜んでもらうために、
コーヒーをいれようかな、と、思った。
時々仏壇の前に座り、
父は死んだ今も、
私を憎んでいるのだろうかと考える。
自分の娘なのだから、
大切に思わないはずはないけれど、
歪んでいた父が私を認めるためには、
完璧に父が望む通りの私でいなければならなかった。
でも、あいくにそうはなれなかった。
私は私だったのだ。
娘の私が言うのもなんだけど、
父は幼かった。
今なら、それぞれの魂が、
成長のために縁を持って親子になり、
そうした体験をしてきたことがわかる。
けれど、そんなきれいな言葉で済ませられるほど、
まだ、私の中で整理はできていない。
それを未熟と言うのかしら。
過去は、過去、今は存在していない、
傷も本当は存在していない、
ここには今しかない、
自分がそれを抱え込んでいるだけ、
理屈ではわかっているけれど、
いまでもじゅくじゅくと痛むことがある。
でも、もういい加減、さよならしたいな。
自分らしくいるために、
望むように生きるために、
代償を支払う必要は、
もう決してないのだということを、
生きて体験したい。
お父さん、
それでも私はお父さんが好きでしたよ、
そして、お父さんにもそう言ってほしかったですよ、
たった一度だけでも。
あんなお父さんだったけれど、
一生懸命働いて、
私達を支えてくれたこと、知ってますよ。
そのおかげで今がありますよ。
お父さんがしてくれた、
うれしかったことだって、
たくさんはないけれど、
ちゃぁんと覚えてるんですよ。
今日は、お父さんが喜んでくれるように、
コーヒーをいれましょう。
味はあの頃と同じ、
コーヒーとクリープ1杯、そして、お砂糖は2杯。
ふと、こんなことを思い出したのも、
本当の意味で、
さよならを言う時が来たからかもしれません。
お父さん、さようなら。
今まで本当にありがとう。
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おひさまの「今日のひとこと」
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アメブロで知り合った人と実際に会うなんて、
あんまり考えてなかったよね。
セミナーで、とかなら、
まああるだろうけど、
個人的にコンタクトを取って、
実際にお会いしたのは初めてかも。
その方は、
若石(じゃくせき)リフレクソロジストの、
みほさん。
リフレクソロジーのために
生まれてきたんじゃないの!?ってみほさん、
施術が楽しくて仕方ないそうです。
どうせしてもらうなら、
こういう人にしてほしいよね♪
若石リフレクソロジーを通して、
人が健康になること、
そして、心までも健やかになることを、
願いながらお仕事してるのが伝わってきます。
決して口数は多くない方なんだけど、
存在と所作からそれがひしひし伝わります。
最初は、ブログカスタマイズと、
プロフィール写真の撮影のご依頼をいただいて、
連絡を取り始めたのですが、
その後、彼女のリフレクソロジーを体験する機会を得て、
施術場所、千葉県印西市の、
「幸泉(こうせん)」に行ってきました。
そこで、みほさんのリフレを受けて、
陶板浴も体験してきたわけです。
うぅん、ゴージャス.。゚+..。゚+.
「幸泉」は、還元陶板浴のお店で、
いや、お店と言っても、
なんかおしゃれな隠れ家みたいで、
今まで何カ所か行った岩盤浴や陶板浴のお店とは
全然違うイメージ。
びっくり!!!
入ると、パワーストーンが並んでいて、
ソルトランプも置いてあって、
私はのっけから興奮気味 ( ゚∀゚)ノヒャーッ!
しかもお手頃価格で提供してくれていて、
教えたくないんだけど、教えたい(笑)
思わずブレスレット購入。
私はルチル、abuはクリスタル。
オーナーのkousenさんが、
これまたいい味出してるんですよーっ!
しつこく言うけど、
今まで行った岩盤浴や陶板浴の
店員さんとは全然違って、
なんつーの?
こう、いるのにいないような(←ほめてます・笑)
けれど存在感がしっかりある、
そこにいらしてもこちらが気を使わずに済む、
とっても心地よい人なんです。
おもてなしも最高。
まさに、幸泉の名前通り、
幸せの泉ね.。゚+..。゚+.
車でドライブがてら足を伸ばす価値あり。
イチオシです!
抗酸化作用のある建物の中で、
これまたデトックスされていく心地よさ、
ぜひぜひ味わってみてください。
実際に多くの効果を得た方の写真なども、
幸泉で見られます。
「幸泉」
ブログ:http://ameblo.jp/kousen-touban/
ホームページ:http://www.ric.hi-ho.ne.jp/kou-sen/
カスタマイズさせていただいた
みほさんのブログも、
近々公開されると思います♪
このブログのヘッダーの女神様を
いたく気に入ってくださっての
コンタクトだったので、
同じく女神様シリーズです。
つーことで、
母さんは買い物にれっつっらごー(死語)
**********
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「がっかりだよ!」
桜塚やっくんのごとく言った。
だって、だって、
アイスが…
あるカップアイス、
久々に買ってふたを開けてみると…
いつもならおいしそうなアイスが、
こんにちわぁ.。゚+..。゚+.とほほえむのに、
今日は、ふたの下に、
また仰々しくビニールで二重にふたがされていた。
ぴったりとラップしたみたいに。
悲しかった (/´Д`)/イヤァ〜
だって、ふたの裏についたアイスを、
スプーンできれぇーに取って、
まず最初に食べるのが楽しみだったんだもの…
ヨーグルトもそう、
ふたについたのを最初に食べるのが楽しみなんだ♪
アンナもそんな私に育てられたせいか、
同じくふたの裏についたアイス愛好家。
親子でテーブルに並んで座って、
がっくり…
それに、外ぶたとアイスの間に、
ビニールのふたをつけることで、
生産コストも上がるだろうに、
資源もその分使うことになるだろうに、
と、思ったりもした。
あと、よくさ、
袋のおせんべいを買うと、
後ろに透明のトレイが入ってるでしょ。
中身がぐちゃぐちゃになるのを防いで、
見た目をよくするためだと思うんだけど。
他にも入ってる食品いっぱいあるな。
あれ、もったいないなぁ、って思う。
まぁ、あれ入れないと袋の形が崩れやすくて、
中身が下に集まっちゃって、
袋に厚みが出たりで、
不便なこともあるだろうけど、
コストかかるだろうし、
何より、石油をあんなところに、
使わなくてもいいじゃないかなぁ、
なんて、いつも思うんだぁ。
地球を大切に、資源を大切にって言うけど、
逆行してねーか、とかね。
ああ、そうそう、カップアイスの話題だった(笑)
きっと、メーカーは、
お客様のためにと、
やったことなんだろう。
確かにふたの裏にアイスがつかないし、
そうすると、手も汚れない、べたべたしない。
もしかしたら、
クレームや意見があって、
改善策としてそうしたんだろうなぁ。
だよな。
残念に思うのは、
私達親子だけかもしれない(爆)
でも、やっぱりがっかり。
利便性を追求して失われるものもある。
それは、ちょっと不便だったり、
古くさかったりするけど、
なんだかとても馴染みのある、
まるで、
子供の頃に見たふるさとの町並みみたいな、
そんなものなのかもしれない。
4年前に、
20年ぶりに帰ってきたこの町は、
やっぱり、ずいぶんキレイになって、
昔の面影はすっかりなくなっていた。
とても便利で住みやすい、
けれど、ノスタルジーのかけらものない、
きれいな町。
それは、それで、とても素敵だけど、
やっぱり、どこかでさびしかったりもする。
そして、それが、
とても自分勝手だとわかっていても、
やっぱり大切な思いだったりするのだ。
あらゆるものがうつろう中で、
そうした思いさえも、
もしかしたら、とても美しく切ない、
人生の贈り物なのかもしれない。
アイスのふたから、
そんなこと考えたよ。
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