おひさまの日記
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2011年06月30日(木) |
そんなこともできてなかったワケ?って突っ込みはナシで |
アカウントは持ってるのに、
ちっともツイートしないツイッター。
今日久々にログインしたら、
すっごい鋭いツイートがあった。
以前も紹介したサザエさんのツイートだ。
「ワカメ?
自分を安売りしてるうちは貧乏人しか寄ってこないわよ?」
ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
いたたた…
じ、自覚していたよ…
特に、サイト制作とかデザインやってて、
ついつい、まけちゃう自分。
いいですよ、今回は、って言って、
すぐ値引きしちゃう自分…
値段提示する時だって、
めっちゃ安く出しちゃう自分…
あれ、価格表より安いよ!?みたいな(´・ω・`)…
時に半額、みたいな…
そうなると、面白いもので、
引き寄せるのは安く安くと言ってくるシトが多く。
予算がないんですよねぇ、
もうちょっとなんとかなりませんかねぇ、
これも一緒にやってくださいよぉ、
あああああ、全部引き寄せてたぁぁぁっ!
そして、労働対効果のバランス崩して、
自分で安くしておきながら、
勝手にカリカリしたり、疲れちゃったり、
してたわけさ、してたわけさー。
別にべらぼうにぼったくる必要はないけど、
労力に見合う金額をいただくのは、
とても自然なことだよなぁ。
ある人が、名刺を見せて、
うれしそうに言ったの。
「これ、会社のイメージキャラクターで、
デザインしてもらったんですよ」
見てみると、タヌキ。
うん、タヌキ。
私からするとビミョーだけど、うん、タヌキ。
「20万でした」
ええええええっ!!!!!( ;゚Д゚)
タヌキ…
私でも描けるようなお絵描きのタヌキ…
20万…
その人はとっても誇らしげに、
タヌキを語った。
それを見て思ったのだ。
その人はそれがとっても気に入っている。
そして、20万の対価を支払ったことに対して、
何の違和感もなく、当然だと思っている。
それどころか、
20万という価値のあるものなのだと受け止めて、
すごーく満足している。
なんかね、
頭をガツーン!って、
思い切り殴られたような衝撃だった。
それ高過ぎ!って感じる人もいるだろう。
けれど、それが妥当だと感じる人もいる。
そして、そのタヌキをデザインした会社は、
それが妥当だと感じる人を引き寄せているのだ。
そうだ、それが引き寄せなのだ。
価格を上げたら仕事がないかも…
価格に見合うスキルがないって思われるかも…
なんて、正直不安に思うこともあった。
目先の仕事が欲しくて値引きしたこともあった。
けれど、それこそが、
そういう価格で仕事をするようになる、
相手を引き寄せていたんだと、肌で感じた。
そんな矢先、
サザエさんのツイートを読んで、
自分の中で、何かが、パリン、って割れたんだよな。
どこぞの有名なだれとかさんの話を聞くよりも、
なぜだか胸の奥にぐぐっと入り込んできた。
あ、サザエさんも有名人か(笑)
あなた、あのねぇ、
あれこれこうなのよ、
こうした方がいいわよ、
そうすればこうなるんだから、
なんて言われると、ドン引きする私。
勝手に上から目線だと感じてしまうんだよね。
そういうのにやたら反応してしまうと言うか。
まぁ、それも私の勝手なんだが(爆)
それよりも、
さりげなく目に飛び込んでくる言葉が、
私にはすごーくグッとくる。
アタシがイイコとおせーたげるわ的な匂いのない、
さらさらさら…と流れるよな言葉が響く。
昨日、ちょうと、abuと話してたのよ。
仕事の料金を上げていこう、って。
ひとつ例を挙げれば、
車で3時間かけてロケ現場に行って、
早朝から暗くなるまで丸1日撮影して、
写真2000枚提供して、
12,000円とか。
価格表では5万円の仕事なんっス。
完全に労働対効果のバランス崩れとる…
それを、5万円と言えなかった自分達がいることを、
ふたりして認めたところだった。
その矢先、
ちょうど、その仕事をしている業者さんが、
なんだかんだと言ってきて、
お互いの方針が違うことを肌で感じたんだよね。
こういう機会だから、
その業者さんからは手を引こうって、
abuと話してたの。
自分達がした仕事に対する報酬を、
ちゃんと受け取るように動いていこうって。
自分達を安売りしてたことに、
改めて気付いたんだよね。
そしたら、またその矢先、
サザエが(笑)
私達は、その辺を
しっかりとやっていく時期を迎えたんだろうね。
なんぜ受け取ることが苦手だったからなぁ。
豊かになっていいんだ、
静かに静かにそう感じていた矢先に、
そう、サザエ(笑)
イタキモってこういうことね。
豊かになって、まずは、
プラセンタを毎日ガンガン飲むざます( ̄▽ ̄)
ええと、ええと、あとは、
ブラを買うざます(小市民)
なんだろう、この、今までにない、
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
って感覚。
きっと、やっと、受け取るということを、
現実の中でしっかりやっていく時が、
まさに来たことを感じているような、そんな感覚。
カウンセリングとかしてるクセに、
そんなこともできてなかったワケ?
って突っ込みはナシで ( ̄▽ ̄)
人それぞれ、
色々得意分野があるんスよ。
あ、ハイ、言い訳です ( ゚∀゚)ノデェース!
今とってもワクワクしてる。
この感覚に間違いはないわ♪
**********
メルマガやってます。
ココロのサプリ、読んでみるみる?
おひさまの「今日のひとこと」
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2011年06月29日(水) |
自分を幸せにする魔法 |
生活のためにと、
たいしてやりたくない仕事を
パートでしていたことがあった。
今振り返ると、
その時にだからこそ学んだことがあって、
結果オーライだった。
やっぱりすべては必然なんだな(笑)
うまくいかないと感じる時間さえ、
結局、必要でそこにあると思うと、
人生って本当にうまくできてると感じる。
魂プランは完璧だ! ( ̄▽ ̄)
そのやりたくない仕事の中で、
私が学んだいちばんのことは、
「怒られる時はちゃんと怒られる」
ということだった。
それは、自分を楽にする魔法だった。
こんないいモンあったんだー!と感激した。
失敗したら、
間違ったら、
忘れたら、
迷惑をかけたら、
言い訳しないでちゃんと怒られる。
伝えることがあるなら、怒られた後。
そのために、まず、自分の非を認める。
ああ、やっちゃった、って。
すごくスッキリして楽になる。
怒られる、それはひとつの現象のたとえで、
つまり、私にとっては、
自分の状態と、その自分が原因で起こったことを、
責任を持って受け止める、ということ。
事実をそのまま受け止める、ということ。
私はそれができていなかった。
パートの仕事で言うなら、
怒られるのがイヤで、
ごまかしたり、
言い訳をしたり、
人のせいにしたり、
怒られて、
逆ギレしたり、
相手を悪者にしたり、
被害者ぶったり、
そんなことばかりだった。
それはどういうことかと言うと、
私が現実から逃げていたということ。
ただ、ただ、
「怒られないようにする」という、
単純な目的で。
それこそ、自分のことは棚に上げて、
イヤなことから逃げちまえ!
という、ヒジョーに陥りやすいパターンに、
しっかりハマってたんだな。
だから、自然と、
ごまかしや、言い訳、時に嘘まで飛び出していた。
いかに叱責から逃れるかということに、
すべての労力を費やしていたのだった。
叱責されれば、
それをした相手をひどい人と位置づけ、
自分は被害者となり続けた。
被害者になることによって加害者となり、
かわいそうな私、というポジションを確立することで、
相手に復讐を果たすかのような、
そんなえげつないことをしていた。
その辺のことについては、
藍色シアンさんのブログがおすすめ!
(と、人に振る・笑)
藍色シアンのクレーム心理学
読みやすいのにすっごく内容濃いんだよぉ。
こういうブログはいいね。
上から目線じゃないし ( ̄▽ ̄)
ちぇきらぁぅぅぅっ♪
カタくなくて、すごくわかりやすくて、
山小屋のあるじ的なビジュアルが、
すごぉく親近感を感じさせるシアンさんっス。
カミサマのセミナーで席が隣になったシアンさん、
愛する山志多みずゑちゃんのメルマガで
紹介されて知っていて、
まさか、その人と隣になるとはっ。
ご縁とはまっこと不思議なものでございやす。
話がそれたんで、戻して(笑)
もちろん、
相手の怒り方が過剰だったり、
それって問題アリじゃん?ってなことも、
多々あったけれど、
それでも、やっぱり、広い意味で、
指摘される、注意される、怒られる、
それは当然のことだと、
ある時、ふと思ったんだよね。
受け入れよう、自分のミスを、
受け入れよう、それに対する叱責を、と。
その仕事の上では、
マズいことしたんだもん、
言われて当然じゃん、って。
それから決めたんだ。
よしゃーっ、勇気をもって怒られよう、って(笑)
そして、
「これから怒られてきまぁす!」
と元気よく宣言して、
相手のところに行くようになった。
そして
「申し訳ありませんでした。
それは私がやりました」
と、素直に謝ることにした。
もちろん、
怒られる時はすっごくイヤな気持ちだし、
泣きたくなることもあったけれど、
それでも、
怒られないように、
ごまかしたり、言い訳したり、人のせいにしていた頃よりも、
うんと楽になった。
なによりスッキリする。
うん、これ、この感覚!
そう思った。
そのすっきり感がたまらなく心地よかった。
素直になる、正直になる、
それがこれほどまでに生きることを
楽にしてくれるんだと感動した。
ま、それからだな。
仕事が楽しくなったのは。
職場に行くのが楽になって、
腹くくれたのは。
「怒られる時はちゃんと怒られる」
それを心に決めて、
仕事だけでなく、
日々の色々なことの中で、
自分のしたことのすべて、
その原因と結果を認める作業をするようになった。
ごまかすことをやめる、
言い訳をやめる、
嘘をやめる、
目先の保身のためにするそんなことを、
いさぎよくやめてみる。
勇気ってそういう時に使うもんなんだと思う。
それにね、何より、
そうすると、案外怒られないもんなんだよね(爆)
そんなことをするのも、
ちゃんとしてるとかそういうんじゃなく、
単に、楽になりたいから。
それに尽きる。
基本、自分が楽になるために、
何をするかを考える。
いかにすっきりするか、
いかに心地よくなるか、
いかに気持ちよくなるか、
それを軸にして自分の行動を決める。
そうすると、おのずとそういう結果になるわけで。
イヤイヤ働いていた職場で、
私が学んだこと。
自分を楽にする魔法。
さっぱり、すっきり、気持ちよく、
そうなるためにすべてを選択していくことを、
体験から教えられた。
こんな言葉を読んだことがあるよ。
「恐れから開放される道はただひとつ、
その恐れの中に入ること」
うん、まさに。
何かから逃げると、
それはいつまでも自分にまとわりついている。
まっすぐに受け止めると、
それは静かに去ってゆく。
すべてに言えること。
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おひさまの「今日のひとこと」
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2011年06月25日(土) |
そゆことだったワケ!? |
不安がないと不安なんだ、
そんなことに気付いた。
今までだったら、
かなり動揺するような現実に直面しても、
比較的穏やかに過ごしている自分。
「比較的」ってこところがポイントね(笑)
完全にじゃないところがカワイイじゃないか(爆)
なんとかなる、とさえ、
あまり考えなくなった。
今できることをするけれど、
ただそれだけで。
が、しかーし。
昔よりずっと心地よいはずなのに、
そんな自分に不安を感じていることに、
気付いてしまった。
おいっ、あんまり不安じゃないぞ、
こういう場合、
かなり不安になるんじゃないのか!?
これでいいのか!?
やばくね!?
って(笑)
不安じゃないと不安なんだぁ。
そかぁ、そかぁ。
そゆことだったワケ!?
不安も安心要素だったのか…!
母さん笑っちゃうぜ ( ̄▽ ̄)
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2011年06月16日(木) |
神様は待っててくれる |
雨の日ってじとじとして、
空も薄暗いし、
気分もイマイチ冴えないし、
洗濯物は乾かないし、
やんなっちゃう、そう思っていた。
あるよく晴れた日、
庭にグリーンカーテンを作ろうと植えた
きゅうり、キワーノ、朝顔の苗が、
ものすごく大きくなっていることに気付いた。
一雨ごとに大きくなっているんだ…
緑の美しい季節は、
雨期のおかげ。
暑い季節に向けて水の恩恵を蓄える雨期。
神様の完璧な設計図。
あらためて、それに気付いた時、
どんなものも必要があって訪れるんだなぁと、
しみじみ思った。
人生もおんなじね。
その時は決していいもんじゃない、
そんなものも、結局は、
なにかしら大切なものを
もたらしてくれるものとして、
訪れている。
その時は、イヤでいい、しんどくていい、
後になって、
ああ、あのことがあったから…
そう思えたらそれでいい。
ありがたいなぁ、
後からそう思えればそれでいい。
イヤなことがあった時、
しんどい時、
悟ったように凛としてなんかいなくてもいい。
そんな仏様みたいでいられるなら、
きっと最初から人間としてなんて
生まれてこなかったはず。
後から。
後から。
なんでも後からでいい。
それが学ぶということ。
学びを生かすということ。
それを繰り返すうちに、
いつの間にか素晴らしくなる。
うんと素晴らしくなる。
ぐずぐずと暗い場所にいる間も、
素晴らしくなれない間も、
神様はちゃあんと待っててくれる。
人生はそんな風にできていると、
世界はそんな風にできていると、
思うのだった。
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最近、
ただなんとなく
すごく幸せだなぁ…って感じる。
それと同時に、
心のどこかで、
こんなんでいいの?
そう問いたい自分がいる。
どうも「ただ幸せ」だということに、
抵抗を感じるみたいだ。
何もしていないのに、
生産性がないのに、
すごいことがあったとかじゃないのに、
特別何かがあったわけじゃないのに、
とか、
理由がないのを不審に思ったり、
あれはどうするんだ?
あれはどうなるんだ?
とか、
不安になることを一生懸命考えようとする。
そして、気付く。
幸せに意味付けしたり、交換条件を用意したり、
してたんだなぁ、って。
ただ幸せ、
わけもなく幸せ、
本当はそれでいいんだ、
最近強くそう思う。
幸せの理由?
そんなのいらない。
もちろん、
何かがあってうれしい、幸せ、
そういうこともいっぱいある。
けれど、何もなくても、
幸せ感じていいんだと、
しみじみ思う。
何かがあったわけでもなく、
前向きなことを考えるでもなく、
ただ、ここにいて、そして、幸せ、
そんな感覚を、最近よく感じる。
そして、
ああ、これだ、本当に欲しかったのは…
そう思う。
ただ、幸せ、ってのが。
今この瞬間幸せであることを、
ただ喜び味わう、
その中から生まれたものを、
「今」から「今」へ紡いでゆく、
これだよなぁ、って。
うっ!って思うこともある。
キーッ!ってなることもある。
カチン!とくることもある。
うぇぇん…って泣きたいこともある。
なんもかもわからなくなることもある。
でも、幸せなのだ。
色々な感情が訪れる。
そして、通り過ぎてゆく。
こんにちは、して、さようなら、する。
迎え入れて味わってバイバイする。
その繰り返し。
幸せを感じる傍らで、
何もしていないのに
そう感じる自分への罪悪感、
あれは、これは、どうするの!?
そんな感覚や感情、思考、
そんなものも感じながら、
まるで、映画を見るように、
ああ、私の中にこんなものがある、
そうやって眺める。
心地よくない感覚や感情、思考が訪れれば、
もちろん、心地よくない。
その心地よくなさとただ一緒にいる。
けれど、「感情・感覚・思考=自分」ではない、
それが自分の中で明確になってから、
心地よくなさと一緒にいながらも、
昔に比べると嘘みたいに楽だ。
こんなのがいい、これがいい。
私は選択した。
幸せでいることを。
私は自分に許可した。
ただ幸せでいいのだと。
痛みから学んだ、苦しみから得た。
幸せから学び、得ることにはフォーカスしていなかった。
けれど、これからは、
幸せから学び、得ることを、選択しよう。
自分は変わったなぁ、と思う。
こうした状態になったプロセスを、
今はうまく説明できない。
けれど、
内側でたくさんの体験があったということは言える。
つらい感情をあぶり出す出来事の連続、
苦しみの体験、ブレイクスルー、
浅い眠りの中で訪れた、
ワンネスの感覚や、
すべてが内側にあるという感覚や、
自然の中で訪れた、
地球と自分がひとつであるという感覚や、
もはやそこには自分さえいないような不思議な感覚や、
もう死んでしまいたい思う体験を通して得た、
(ブログには書かなかったけど
そんなキッツイことがあったんだよ、
3日で復活したけど・笑)
大切なこと、
それらは、私が「暗黒の3年間」と呼んでいる
私にとっての重要な期間を経て、
まるで、最後の砦でもあるかのように訪れた。
今思えば、その3年間は、
「みそぎ」のようなものだったのかもしれない。
その間、
精神的にも、物質的にも、経済的にも、
それまで自分にあったものがなくなって、
自分という個が確立できなくなり、
ただ、毎日が不安で不安で、
何があったわけでもないのに、
すべてがうまくいっていないように思えたし、
これじゃダメだという思いに取り憑かれ、
重い気持ちに飲み込まれそうになりながら過ごした。
そんな年月ののちに、
内側で起こるそんな体験が立て続けに訪れた。
今、ただ、言えるのは、
すべてがここに来るために起こっていたのだということ。
楽だわ。
すごく楽。
幸せ。
恵まれている。
そう言葉にするのがこわかった。
なんだかいけないことにようにさえ思った。
傷や、不運や、試練や、
痛い、重たいものを持っていないと、
いけないような気がしていたけれど、
もういいや、そう思った。
けれど、きっと今でもそれらを持っているだろう。
ただ、それらをそう呼ばなくなった自分が
いるだけなのかもしれない。
そう呼ぶ必要がなくなった自分が。
あらゆることが私に起こる。
あらゆる感情を体験する。
そこに、いい悪いはなく、
私はそれらすべてと共にいる。
今の私は、
過去の判断基準で言えば、
いちばんダメな人間だ。
決して許すことのできない、
決して幸せになることのできない、
そんな人間だ。
けれど、そんなまんまの私が、
今はとても幸せだ。
もう幸せに理由はいらない。
**********
メルマガやってます。
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おひさまの「今日のひとこと」
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少し前まで、
今思えば笑えるんだけど、
息が吸えなかった。
いや、普通に呼吸はしていた。
けれど、深く思い切り吸い込もうとすると、
肺の途中までしか酸素が入ってこないような…
なんか苦しいの。
もっと吸いたい!って。
ある時、
呼吸はまず「吐く」ことが大切だと聞き、
試してみた。
もう吐けないというくらいまで、
息を吐き切る。
すると、自然に吸い込こむ。
すぅーっ…
肺の奥の奥まで酸素が行き渡る感覚。
わぁ、欲しかったのはこれ、これ、
この深く吸い込む感じ。
深い呼吸。
呼吸が浅かったんだなぁ。
その時思った。
呼吸だけじゃなく、
どんなことにも言える。
入れよう、入れようとする前に、
(変わろう、よくなろうも同様)
元からあるものを、まず、
出さないと入らない(変わらない)って。
当たり前なんだけど、
つい、入れる(変わる)ことにばかり
気持ちが向く。
たとえば、
コップに水をくみたいと思えば、
まず、そのコップが空でないとね。
入らないもんね。
そゆこと(笑)
私は、今、人生で言えば、
出す時期なんだと思う。
出して、出して、出して、出し切った時、
息を吐き切ると自然に吸い込むように、
今度は入れる作業を始めるんだろう。
人生において「出す」とは。
うーん、私の場合で言えば、
何かをやろうとしない、
何かになろうとしない、
そういうことかもしれない。
今自分の中にあるもので、
毎日を過ごしていく。
出す、と言うか、
手放す、と言うか、
今はその内面の作業がとても楽しい。
昔の私なら、
きっと、今の自分は
よくない状態に思えたに違いない。
それは、今までずっと、
「これがいい」と思っていたものを、
やめる、手放す作業。
そして、それは、
自分の価値の放棄とも言える。
そして、それは、時に恐ろしい。
もうこれはいいや、
もうこれはイヤだ、
そう感じるものにバイバイしたいのに、
頭では逆のことを思う。
これすっごくいいはずなんだよ、
やってるといいことあるんだよ、
今まですごく役立ったんだから。
やめちゃうワケ!?
切っちゃうワケ!?
それって危険じゃね!?
そうやって、
新しい選択、新しい衝動や望むことに、
ストップをかけるのだ。
気持ちはイヤイヤなのに、
頭じゃイケイケで、
葛藤したことがよくあった。
けれど、本当は、
それは、価値の放棄ではなく、
出枯らしのお茶っぱを捨てるようなもの。
つまり、もう必要なくなったものを、
手放すこと。
かつて価値のあったものだけど、
今の自分にとっては、
さして重要ではない、
そんなものを、
自分から外していく作業。
肝心なのは、
今の自分にとってはすでに重要でないものを、
そうであるのだと認めること。
それが、なかなかできなくて、
長いことぐずぐぐしてたんだけどね ( ̄▽ ̄)
ぐずぐずすればするほど、
それは、まるで、
子泣き爺(こなきじじい)のように、
ずっしりと重くなり、肩に食い込む。
そうなって初めて、
あ、これ、いらね、と気付く(爆)
さんざんそれをやってきたから、
もう何年もね、
やっと、今の自分にとっては重要でなくなった、
かつて重要だったものに、
ひとつずつさよならしているんだと思う、今。
息を吐き切った後、
自然に息を吸い込む、
深く酸素が入ってくるあの心地よい呼吸、
あんな感じの生き方が、
できたらいいなぁ、と思う。
無意識にしてきた苦しい呼吸を、
意識的に深い心地よい呼吸に変えたように、
無意識にしてきた生き方を、
意識的に望む心地よい生き方に変える、
それが今私がいちばんしたいこと。
そして、その意識的に望む心地よい生き方が、
そのうち自然な、
無意識のうちにする生き方になる。
自分のスターンダードになる。
そんなのがいい。
その結果、
湧いてくる衝動や、
訪れる何かによって導かれる先にあるものに、
私は辿り着きたい。
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千葉県から、
地元茨城県に出戻ってきたのが、
4年近く前。
そんな時、ひとりのママ友に出会った。
げっ…!
なんだ、こいつ!?
( ;゚Д゚)
そう思った。
常識ないし、
図々しいし、
空気読まないし、
マナーなさげな部分多いし、
ずかずか人に踏み込んでくるし、
帰ってきたらウチにあがってるし、
すっげー遅くに電話とかしてくるし、
ああ、書いてたらきりがない(爆)
なんと言うか、
こう、ハチャメチャで、
今まで出会ったことのない、
いわゆる新種の女。
あり得ない。
うまく説明できないけど、あり得ない。
言動すべてがあり得ない。
キライなはずなんだ。
イヤなはずなんだ。
そういうヤツは。
それなのに…
「ったく、しょがねーなー」
と思いながらも、
彼女が大好きになった。
理由はいまだにわからない ( ̄▽ ̄;)
彼女がうらやましい。
私ができないことを、
片っ端からやってのける。
えっ、人にそういうこと言うワケ!?
えっ、人にそういうことするワケ!?
えっ、そこでそう出るワケ!?
私の中のタブーを次々と壊していく彼女。
もちろん「真似したら危険」ってことが、
彼女にはいっぱいあるので、
真似は絶対にしない(大爆笑)
ただ、そんな彼女を見ていて、
私がしたかったことを、
ぜーんぶ代わりにしてくれているような気がして、
すっきりすると言うか、
ただひたすら笑って眺めたいと言うか、
愛おしい気持ちになるんだよね。
もちろん、遠巻きに制することもあるがよ(笑)
そして、彼女と一緒にいると、
私まで素でいるみたいになる。
普通人には言いづらい、なんてことも、
すぅっと彼女には言えてしまう。
イエスもノーもはっきり言える。
それが、とても心地よいのだ。
飾らなくてよくて、
カッコ付けなくてよくて、
気を使わなくてよくて、
そして、それは、
みーんな、みーんな、
彼女が私をそうさせてくれている。
不思議なヤツだ。
新種の女。
私の大切な友達。
あったかくて、照れ屋さんで、
本当はもろくて、
とってもやさしい人。
すっごくかわいい人。
私のなくしたかけらを持っていて、
それを思い出させてくれる。
それを大事にしていいんだよ、って。
ちなみに、彼女、
少し年下なんだけど、
見た目はキャパ嬢並みにハデハデで、
美人で、その年齢に見えない。
小学校の卒業式には着物を着てきて、
まんま、銀座のママだった(爆)
そのルックスとは裏腹な、
ずべずべの茨城弁が、
これまたいい味を出してくれている。
私も彼女といると、
茨城弁炸裂(笑)
彼女のパパさんと、
ウチのabuも仲良しになって、
もちろん、子供同士もそうで、
今では家族ぐるみで絡ませてもらっている。
パパさんも、
すっごくいい人なんだよ。
なんかねぇ、今日は彼女のことを、
書きたくなりました。
あれ?
一応彼女を絶賛してるつもりだよ?(笑)
彼女もアメブロやってます。
彼女のお父さんが、
すごくいい仕事する工務店をやってて、
そこのスタッフブログを書いてるのね。
彼女のブログもいじっちゃいました。
よかったらのぞいてみてくださいね。
安田工務店ユッコソン
「安田工務店の裏話」
パパさんユージンさんのブログはこちら。
「ユージンのブログ」
結構いい話書くのよ。
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メルマガやってます。
ココロのサプリ、読んでみるみる?
おひさまの「今日のひとこと」
ケータイの方はこちらから♪
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素足の季節、
そうなると欠かせないのが、
足裏のお手入れ。
特にかかとは、
キレイにしておきたいものだ。
それに、今度の日曜日には、
アメブロで知り合った素敵な女性の、
リフレクソロジーを受けるから、
余計にお手入れにも力が入る。
ここ龍ヶ崎から車で1時間かからない印西の、
介護福祉士、社会福祉士、
介護支援専門員、認知症ケア専門士でもある、
若石足裏リフレクソロジスト、
この方です♪
「足ガサガサで汚い」
という第一印象だけはぜひ避けたい(爆)
ってことで、
お風呂でかかとを軽石でこすって、
クリームを塗ってケア。
今日もお風呂上がりにクリームを…と、
チューブをにゅーっと押した。
んんん!?
なんかヘン!!!
よく見ると、それは、
クリームではなくてファンデだった。
あやまち。
勢いよく手に取っちゃったファンデ、
戻すわけにもいかず、
肌色のにゅるんとしたブツを、
仕方なくティッシュでファンデを拭き取り、
ゴミ箱にさようなら…
あぁ、2、3回分の量はあるよな… (´・ω・`)ショボーン
リフレもそうだし、
最近、体のケアがマイブームで、
整骨院にも週1で通ってる。
体がすごく楽になった!
楽になって初めて、
「あ、今までキツかったんだ」
と気付く(爆)
家から歩いて1分弱、近過ぎ(笑)
リーブはり灸整骨院。
「案外おちゃめなはり灸整骨院のブログ」で、
ちぇきらぁぁぁうっ♪
ここは、雑誌でも話題になった
「顔はり」もしてくれるんだ。
顔のリンパドレナージュと組み合わせても、
3000円ってんだから、
ちょいと、安過ぎじゃありませんか、奥様!
遠くから来たって損はしませんことよ!
都内じゃ万からの金額の内容と、
同じことしてもらえちゃうんだからぁ。
私もハマってます。
ここのブログも
カスタマイズさせてもらいました。
まだ、途中で、
ヘッダー下のメニューボタン付けてないけど。
ブログのタイトルも、
またへんちくりんなの付けちゃった ( ̄▽ ̄)
こういうの許してくれるから、
みんな心広いなぁ〜.。゚+..。゚+.
パン屋さんは、
「罪なパン屋のおいしくて罪なブログ」
そうなんです。
どうしてもひねりたいワケなんです。
自分のブログはひねってないクセに。
あ、でも、フツーのタイトルもやってます。
やってます、って、だから、
タイトル屋さんぢゃないんだから。
いや、そうだ、
ヘンなブログタイトル屋さんって、
やろうかな(違)
そういう仕事がいいよ、うん。
セラピストよりそっちの方が向いてるよ、
きっと (・∀・)ソウダ、ソウダ!!!
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2011年06月05日(日) |
ノー・ジャッジメント |
人は、その時必要なものを選択し、
自分のものにする。
人であれ、モノであれ、状況であれ、
思考であれ、感情であれ。
それが、人から見たら、
間違いに見えることであっても、
ちょっとひとこと言いたいわ、
なんてことであっても、
その時に自分に大切なものは大切なのであって。
そこを通るから、
やっぱこれがいいや、って、
違うものを選択できたりね。
人から見たら「それ違くね?」って感じの場所に、
いる時間ってのがたくさんあった。
そして、そこにいる時、
実は自分が「これ違くね?」って、
よぉくわかってる。
そして、わかりながらズレつつ(笑)
あるタイミングで抜けるんだよね。
その意地張ってるところから、ポン、と。
重ねた体験とそこから受け取ったものによって。
時が満ちることによって。
引き寄せの法則、
思考現実化、
うん、それってある。
他にもある。
ああいうのがいい、こう在るのがいい、って。
それらはとても素晴らしく、
それによって人生を豊かに変えていく指針となる。
でもさ、
それだけでさくさく人生を
片付けられないことが、
時にはあってもいいと思うの。
もし、そういうことだけでジャッジされ、
常に生き方を矯正されるなら、
つまんねー人生だなと思う。
それらは、
人生を素晴らしくしていくためものであって、
人をジャッジするためのものさしではないんだもの。
時々、それらが、
ものさしになってしまっている場面に出会う。
その通りにしているかどうかで、
説かれている通りの状態かどうかで、
自分が計られる時がある。
そして、自分が計ることもある(いたた…爆)
人には、プロセスの段階や、
魂の学びに適した場所や状況ってのはあっても、
レベルが高いとか低いなんてのはないと思う。
色々あるのが人生。
その時、その時の、思いや体験、
たとえそれがほめられたもんじゃなかったとしても、
それがあったからこういうことに気付けた、
それがあったからこういうふうになれた、
そんなふうに、
結果オーライだと思うんだよねぇ。
そういう意味で人生はパーフェクトだと思う。
それをふまえた上で、
理論や方法や常識として存在する
素晴らしいもの指針として選択し、行動し、
人生をよりよくしていくことは本当に素敵だ。
ある日、買い物をしていたら、
亡くなった父がお世話になっていた、
年配のヘルパーさんに会った。
「お母さん元気?
あなたが一緒に暮らしているから、
お母さんも安心ね」
そう言われた。
「いやぁ、
ケンカして言い合いしたりして、
ぶつかってばかりですよ。
悪いなぁって思ってるんですけどね、あはは…」
そう答えると、
「何言ってるの?
親子だもの、ぶつからなくてどうするの?
それが当たり前なのよ。
親子だからそれができるの。
それでいいのよ」
そんな言葉が返ってきた。
そして、彼女はげらげら笑った。
買い物カゴぶら下げながら、
なんだか泣きそうになった。
会う人、会う人に、
「あなたがしっかりしなきゃダメじゃない。
お母さんにやさしくするのよ」
と言われ続けて、
相当うんざりしながら、
自分を責めてもいたんで、一気に緩んだね。
裁かれないんだ…
そう感じた時のあの安堵の気持ち、
そして、裁かれることに対して築いた高い壁が崩れ去って、
そこで見えてきた大切なことの数々。
私はあの日を忘れない。
カウンセラーじゃなくても、
ヒーラーじゃなくても、
セラピストじゃなくても、
コンサルタントじゃなくても、
人の心をあたたかく包む人はいっぱいいる。
そして、あたたかく包まれるからこそ、
確実に始まるものがある。
そういう人に私はなりたい(宮沢賢治風に・笑)
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「こわくない…
怯えていただけなんだよね」
大好きな「風の谷のナウシカ」の冒頭に出てくる名言。
ユパが連れてきた
警戒心の強いキツネリスに噛み付かれた時、
ナウシカが言う。
ナウシカの指を噛んでいたキツネリスが、
やがて、牙を抜き、傷を舐め始める。
子供心ながらに衝撃的だった。
相手を攻撃する時、
少なからずそこには恐れがある。
私の場合はそうだ。
相手と自分の力関係が、
上か下かはどうでもよく、
相手の存在が自分の何かを脅かす時、
怒りや嫌悪感、敵対心が生まれる。
批判したくなる。
攻撃したくなる。
昔は、その陰に怯える自分が存在するなどとは、
これっぽっちも思っておらず、
ただただ、相手に非があるかの如く、
批判したり、悪口を言ったり、
イヤな態度を取ったり、していた。
していた。
今も、し、してしまいがち ( ̄▽ ̄;)アハハ…
批判や攻撃は、つまり、防御となっていた。
負けた感がする時、
見下されていると感じる時、
相手にされないと感じる時、
批判したり、攻撃したりする。
そんな時、
自分にそう感じさせる相手を「悪」にすることによって、
自分を正当化している。
ダメな自分を感じないように。
厳密に言えば、
相手の存在から感じるもので、
自分ってダメなんだと勝手に考え、
そんな痛い気持ちをなくすために、
相手を「悪」にする。
相手が「悪」になれば、自分は「善」。
相手が「間違い」であれば、自分は「正しい」。
陰にそんな心理がある。
相手がいなくなれば感じなくて済むんだから、
そりゃもぉ、自己正当化して必死に排斥運動だよ(笑)
けれど、実際のところ、
相手は何もしてない。
それなのに、相手がそこに存在していることで、
自分が勝手に感じる、
たとえば、外見、雰囲気、空気などで、
うっ…!と、スイッチが入る。
そのスイッチは幼少期の体験によって、
自己否定が強い部分によくあるような気がするなぁ。
相手は何もしていないのに、
確実に何されたような気になるんだから面白いよな(爆)
そこんとこ重要なポイントで、
必ず思ってるんだよな。
相手が何かしたんだ、って。
怒りと共に。
ま、その話すると長くなるんで置いといて(笑)
そう、怯えてるんです。
それ認めちゃうと、楽。
楽だなぁ、って、思う。
誰かを嫌ったり、憎んだりする時、
そこには怯える自分が存在する。
だから、ナウシカになってみる。
「怯えているだけなんだよね」
自分に言う。
だって、戦わないと生きてこられなかった。
鎧を着て強く強くいないと、
いつ傷つけられるかわからなかった。
無意識のうちにそう思っていた。
そして、自分を守るために身に着けた鎧は、
自分が苦しくなることを、
遠ざけてくれたかもしれないけれど、
自分に訪れようとするやさしさやぬくもりも、
同様に遠ざけた。
今、その鎧は、
Tシャツと短パンになった。
時々、やっぱりとっさに鎧も着ちゃうけど、すぐ脱ぐ(爆)
あ、やべ、って(笑)
怯えているんだってわかる。
こわいんだってわかる。
だから自分に言う。
「怯えていただけなんだよね」
って。
そして、鎧を脱いで、
軽くなって、相手を眺める。
好きにはなれないかもしれないけれど、
その人は自分と違うだけで、
ただ、それだけで、
そして、自分はこれでオッケーだって、
思ってみる。
そう、試しに思ってみるの。
そうすると、ちょっと胸がじん…として、
時には目頭が熱くなって、
相手への不快さが残っていても、
それでも、清々しさが訪れる。
常々思う。
清々しさ、スッキリ感、
それは、魂からの「オッケー」のサインだ。
そうだよ、それだよ、って、
教えてくれている時のサイン。
だから、安心して、
それでもまだどこかにちょっと残る、
怯える気持ちと、
相手を快く思わない気持ちと、
共存しながら、
心地よくなってゆく。
色々な面で、
楽になる生き方が、
できるようになってきたと思う。
過ごしてきた時間、
重ねてきた体験、
人生のおかげ。
おかげ。
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