おひさまの日記
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2005年06月30日(木) |
まだまだ感じてなかったんだ、自分の本当の気持ち |
苦痛のある人間関係を目の前に、
与えるということはなんと難しいことだろう、そう思った。
少し前の日記にも書いたけど、
私は「人に愛をもって接する」とコミットした。
宇宙ってとってもクイックレスポンスで、
私がそうコミットしてすぐに、難題を投げてきた。
ある不愉快な人間関係。
私の頭には「愛をもって接する」という言葉が浮かんだ。
相手にそれをしなくちゃ、って、私は思い続け、葛藤した。
相手の言動で傷ついて、感情は揺れ、心は乱れ、
とても愛や思いやりを与えていくような気分じゃない。
けれど、私は自分のコミットをなんとしてでも守りたかった。
私はぐるぐるぐるぐる考えた。
ひとつだけわかったことがあった。
それは、コミットのもと葛藤していた自分のふたつの気持ちが、
どっちもエゴだってことだ。
「愛をもって接するなんて無理だと思う自分」も
「愛をもって接していこうとする自分」も、
どっちもエゴ、嘘っぱちの自分、ねつ造されたインチキな自分だということ。
そして、それに気付いた途端、なんだか目の前が晴れた気がした。
なんだかよくわからないけど、どっちも自分じゃないや、そんな感覚。
きっとこの答えの続きはまたやってくるだろう、そう思っていた。
案の定、翌日に答えが来た。
私の携帯が鳴った。
その電話の声は言った。
「ずっと辛かったんだね。
ガマンしてたんだね」
私は一気に泣き崩れた。
そう、そうなの。
それを知ってほしかったの。
ずっと辛かったの。
ずっとガマンしてたの。
だって、そういう立場だと思ってたから。
でも、ずっと辛かったの。
私の中にそんな想いがわき上がってきた。
ずっと押し殺してきた想い、感情。
そうか、これが私の本当の気持ちだったんだ。
これを知らんぷりしてたんだ。
まだまだ感じてなかったんだ、自分の本当の気持ち。
ここ3ヶ月近く、私はひとつの「ねばならない」を自分に課せてきたことに気付く。
それはその相手を「愛さねばならない」ということだった。
「愛してあげなければならない」という気持ちに近かった。
そして、それはある意味相手への侮辱でもあったかもしれない。
けれど、本当は、相手に愛をもって接する前にもっとすることがあった。
それは、私が相手の言動で不快になったり傷ついたりしていることを認めることだった。
そして、そんな自分の中をもっとよく感じ、
自分を理解し、その理解の元に相手とコミュニケーションをし、
相手を理解し、その理解の元にお互いの中にある溝を埋めることだった。
その結果、自然に自分の中から自然に相手への慈愛が生まれるだろう。
そして、礼節をもってそれを相手に与えていけばよかったのだ。
もし、それをしていたら、
「愛さねばならない」のではなく、
自然に愛おしい気持ちが湧いていたはずなのだ。
ここ最近になって相手との間に浮上してきたごたごたが、
実は3ヶ月近く私の中で起こっていた葛藤の象徴だった。
一見いびつながらもなかなかうまく運んでいたかのように見えた私とその人のと関係は、
実は薄氷の上を歩くようなあやういものだったのだ。
そんな私の心は、本当は辛かったこと、腹立たしかったこと、悲しかったこと、
それを全部認めてしまってとっても穏やかで、
その上で、今あらためて相手のことを遠くから見つめて考えている。
自分の痛みを受け入れたことで、相手の痛みも容易に受け入れられた。
今なら私は自分がコミットしたことをようやくできるのかもしれない。
もしもう遅くても、間に合うとしても、もうどちらでもいい。
それはきっと流れが決めることなのだろう。
私はただこの流れに身を任せることにした。
私が素の自分になった時、真実が明らかになるはずだ。
その相手との関係において、
無意識のうちに相手にとってのいい人になりたくて、
自分ではない自分で過ごしてきた私は、何もかもわからなくなった。
どうしていいかわからなくなった。
当たり前だ。
本当の自分の感情を無視していたのだから。
たとえ無意識にでも。
なんてシンプルなんだろう。
本当の自分の気持ちを無視しているとすべてが滞っていく。
たとえ滞らずしても、流れは本来の目的とは別の方へと流れてゆく。
それだけのことだ。
一体何度同じあやまちを繰り返すのだろう。
そんなことを考えた。
けれど、こうして何度も同じあやまちを繰り返すことで、
次にまた同じあやまちを犯した時、
私は今日の日を思い出し、もっと早く抜け出すことができるだろう。
その次はもっと早く、そのまた次はもっともっと早く、
きっと抜け出すことができるだろう。
そして、このごたごたの行く末は大きな流れにゆだねた。
「愛をもって人と接する」というコミットも大切だけど、
その前にもっと大切なのは、やっぱり自分の本当の気持ちを感じることなんだな。
それなくしてはそんなコミットもただのキレイごとにしかならない。
自分を感じること、なんてシンプルで、なんて難しいことだろう。
でも、あきらめたくないのだ、それだけは。
自分のために、すべての大切なもののために。
2005年06月26日(日) |
ゆだねてみよう、それが難しいんだけど |
明日は夕方からメンタルエステの収録。
あああ、収録前って、あああ、やっぱりこわいよぅ。
なんせ、計画してその通りになるもんじゃないし、
本番ぶっつけで、その場で起こることがすべてなんで、
先も展開も読むことができず、心臓がバクバクです。
それにスタジオではひとりなんだもーーーんっ。
ぽつーんと異業種の世界にいて心細いんだよね。
誰か同じ立場の人がひとりでもそばにいてくれたらなって思う。
収録が始まる前は、誰か手を握って、肩をポンって叩いて笑って、って、思う。
大丈夫だよって。
でもそんな人いないし、仕方ないから、
本番前は自分で自分を励ましてるだすよ、オイラ。
もう、ただ信頼するしかない。
そして、手放すしかない。
私が誰かや何かをどうこうするのではなく、
ただただひとつの媒体となり、
お会いする方に対して必要なものを、
ただアンテナのように受信して提供して一緒に体験する、
それしかできない。
だから、無力でいようと思う。
無力で空っぽでいて、そこにいっぱいいいものが流れ込んできて、
お会いする方にも、制作する方々にも、見てくださる方々にも、
そして、私にも、よい体験が訪れますように。
みんなにとってよいものが生まれますように。
ゆだねてみよう、それが難しいんだけど。
明日、私にとってなにより心強いお守りが届くの。
それをしっかりと持って、
私が学び体験して積み重ねてきたことがあるんだから、
導いてそれを与えてくれた人がいるんだから、
ひとりじゃないぞって自分に言い聞かせて、いってきます。
泣き疲れて床にうずくまっていた。
それでも力なく涙だけが流れていた。
私消えちゃえばいいのにな、そう思った。
その時、私の顔に何か柔らかいものが触れた。
目を開けると猫だった。
猫はまた離れていった。
少しすると電話が鳴った。
出ないでおこうと思ったけれど、
ずっと鳴っているので仕方なく出た。
出ると同時に切れた。
知らない電話番号からの着信だった。
なにかが私の目を閉じたままではいさせないようにする。
なにかが私をうずくまったままではいさせないようにする。
なにかが私を起こそうとする。
思った。
そうだ、生きなくちゃ。
なにがあっても生きなくちゃ。
ここを越えるために、私は今生かされてるんだ。
起き上がれ、目を覚ませ、放棄するな、向かい合い続けろ、
そう言われているように感じた。
それから私はようやく起き上がり、
抜け殻みたいな心と体を引きずって、
銀行に行って、買い物をして、自分の義務を果たし、
サウナみたいに蒸し暑くなっている車の中に戻ると、
これからどうしようか迷っていた。
そして、中島先生がことある度におっしゃること、
「苦しい時ほど人に与えてください」を、思い出した。
それから近所の百貨店に向かうと、
娘のアンナの前髪が伸びてじゃまそうだったのを思い出し、
ピンを買ってプレゼント用にラッピングしてもらった。
そして、父の日にワークショップで訪れ損ねていた父に、
花束とおいしいシュークリームを買った。
彼等に物を与えると言うよりも、
辛くて動けるような気分じゃないけど、
彼等のために動こう、感謝の気持ちを伝えよう、喜んでもらおう、
そう感じた気持ち、それを私が今日「与える」ものとした。
自分にむち打ってそうやって動いているうちに、
私の中は少し落ち着いてきた。
そして、私は、
あるひとつのことをコミットしたい気持ちでいっぱいになった。
あるひとつのこと、それは、私が「絶対に無理だ」と思っていること。
愛をもって人に接すること。
特に近しい人にそう接すること。
近い人には怒りをぶつけやすいし、不機嫌な自分も平気で見せてしまう。
そして、その矛先を向けたりもする。
それは「愛する」ことではないと思った。
それは単に「クソ甘ったれる」ことだ。
だから、私は決めた。
自分自身にコミットした。
私は人に愛をもって接しようと。
時々またそんな誓いなど崩れ去るかもしれない。
そうしたらまたコミットしよう、そう決めた。
今まで私はそれをコミットしたことがなかった。
なぜならあまりに苦行だからだ。
私にはトラウマがあるからムリだ、そう思っていたけれど、
それじゃ私はいつまで経ってもトラウマにコントロールされるがままだ。
そんなのイヤなんだ。
イヤなんだよ。
だから、コミットした。
くじけても、くじけても、コミットし続けよう。
自分のために。
自分の魂のために。
ワークショップの帰り、
駅から乗ったタクシーの運転手の態度が、
それはそれはひどいものだった。
私が乗ろうとしても同業者と立ち話をしていてドアを開けない、
行き先やルートを行っても返事をしない、
不安になって「あの、聞こえましたか?」と尋ねると、
「あぁ?聞こえてるよ!」と舌打ち。
私は後部座席で怒鳴りたくなるのを押さえるので精一杯だった。
降りる時に「その態度はなんだ、それが客への態度か」、
そう投げつけようと、喉の辺りでそのセリフを用意していた。
けれど、私の中で「この人に愛を与えたらどうなるのだろう」と思った。
いやいや、それは無理、こんな奴に愛を与えるなんて!そうも思ったけれど、
天使と悪魔で例えるなら、天使の私が勝った。
「そこを曲がったすぐで停めてください。
お世話になりました。
ありがとうございます」
すると運転手は言った。
「お、ここでいいのね、はいよ、じゃあ停めるよ。
ありがとうね」
私は代金を支払うと車を降りた。
そして言った。
「おじさん、お仕事頑張ってね」
運転手は「はいよー」と言ってにっこり笑った。
そして、また暗い夜道を戻っていった。
すごく嬉しかった。
おじさんが笑ってくれた。
おじさん結構いい人だった。
そう思うと、なんだかこそばゆかった。
あたりまえのやり取りだ。
けれど、私は怒りをぶつける代わりに、当たり前のやり取りを選んだ。
それがその時の私にとっての精一杯の愛でもあったのだし。
運転手に対して無理にガマンしてそうしたのではない。
彼の中にあるはずである愛の部分にフォーカスしたのだ。
この人にだって愛があるはずだ、
この人だって愛し愛されているはずだ、
愛を知っているはずだ、
そう信じて勇気を出したら、天使の私が微笑んでくれた。
私は家のドアまで歩きながら、
怒りをぶつけて怒鳴らなくて本当によかったなって、思った。
そうしていたら、おじさんの笑顔を見られなかった。
彼の中にある愛の部分を見られなかった。
愛が欲しいなら、自分から愛を与えるしかないのだ、
私はそんなことを考えた。
その体験が、今日の私のコミットにもつながっていた。
できるじゃないか、私できるじゃないか、もうやったじゃないか、って。
そう、あれをやればいいんだ、って。
ただのガマンではダメだ。
ガマンは与える行為ではない。
自己犠牲と自己憐憫と被害者意識が増長するだけだ。
心の中で「コイツぶっ殺す」とか思いながらぐっとこらえ、
笑顔でいても何も変わらない。
変わらないどころか、自分の心がますます怒りと憎しみで煮えたぎる。
単にフラストレーションがつのるだけ。
だから、ガマンじゃないんだ。
私のコミットはガマンじゃない。
愛を見ること。
愛を探すこと。
相手がいかに愛すべき人であるかを探したい。
それでも見つからなければ、せめて攻撃だけは避けたい。
泣いて床で死体のように転がっていた私を、
猫と間違い電話で叩き起こし、
私の中に澄んだ水のような気付きを流し込み、
そして、タクシーの運転手のことを考えるなら、
すでに2日も前から神様はこれを計画していて、
私を今日のコミットに至らしめた。
それが神様からの答えだった。
私がいつも助けてほしい、成長させてほしい、そう懇願する私への、
神様からの答えだった。
生きなさい。
生きなさい。
それでも生きなさい。
求めなさい。
求めなさい。
愛を求めなさい。
欲しいのでしょう。
欲しいのなら求めなさい。
与えることで求めなさい。
それはすぐさまあなたのものになります。
難しいと思うのならやってみなさい。
それはとても簡単です。
難しいと決めつけて逃げるのはもうやめなさい。
人を愛する時、あなたはようやく自分を愛します。
時が来たのですよ。
神様は私の頭の中にそんな言葉を落としていった。
面白いことがあった。
実家に行ったら、私が小学校2年生の時の絵が出てきた。
母の日のために描いた絵。
そこにはこんな言葉が添えられていた。
「おかあさん、ありがとう。
おかあさんのいいつけはなんでもまもります。
おつかいもします。
ごはんもいっぱいたべます」
これを読んで、あ、なんか母親に怯えてる!?って思い(笑)、
母に「私のこと虐待してた!?」と冗談を言ったら苦笑していた。
そうしたら、この絵を描く前の記憶がダーッと戻ってきた。
確か、母にひどく怒られ、わざとイヤミで書いたものだったのだ。
怒りや外に出せない叫びがいっぱいこもった言葉だった。
そして、小さな反抗でもあったのだと思う。
こんなこともあったのね。
くす…と笑ってしまった。
こうして小さな私に出会う。
そうやってここまで来たのね。
本当に色々体験してきたのね。
えらいじゃん(笑)
うちのばあちゃん(私の母)が気に入って着ているのロンTには、
胸の辺りにどどーんと、
「Expert in mouth to mouth」
と書いてある。
私が、はい、どーぞ、とあげたものだ。
口移しとか、人工呼吸とか、そういうのが思い浮かぶね、
マウス・トゥ・マウス。
しかも、そのエキスパートときたもんだ。
マウス・トゥ・マウスのエキスパートのばあさん。
見る度おかしくて。
でも、彼女にはその意味なんぞ、もちろん教えていない。
2005年06月12日(日) |
Osho禅タロット:Ordinariness「普通であること」 |
■ Ordinariness「普通であること」 ■
私たちは、自分たちが生きているこの美しい世界を
あまりにも簡単に当然のことと受けとめてしまいます。
家を掃除する、庭仕事をする、食事をつくる――もっとも世俗的な作業であっても、
自分が全面的にかかわり、愛をもって、認められたり報酬を得たりすることなど考えずに、
ただそのためにだけ行なうと、それは神聖な質を帯びてきます。
出会う状況に対する、この簡潔で自然でごく普通のアプローチのほうが、
立派で賢くあろう、さもなければ特別であろうとする
自分の側でのどんな試みよりもはるかによい結果をもたらす、
そういう時にあなたはいま臨んでいます。
新奇なものを発明して評判を取ったり、
ユニークなスター性で友人や仲間を感嘆させるといったことは、すべて忘れましょう。
あなたがいま差し出さなければならない特別な贈りものは、
ものごとを簡単に、単純に、一度に一歩ずつ受けとめることで、
もっともよい形で贈られます。
これが、今日私が引いたOsho禅タロットのカードだった。
今日のカード、Ordinariness「普通であること」。
このカードの解説文を読み、
最近自分が苦しんできたことが一体何なのか見えた気がした。
それは、私が私以外のものになろうとしていたということだった。
私はいつの間にか「エイミー」になろうとしていた。
私の中での「エイミー」像は、いつの間にか私自身を離れ、
自分が作り上げた「こうあらねばならない」人物になっていた。
そして、その人物になったつもりでもいたし、
その人物として振る舞っていたかもしれない。
また、その人物以外の自分になることを極度に恐れていた。
その人物でなくなってしまうと、すべてを失ってしまうようにさえ思っていた。
ある意味、私の周りのすべてはその人物であるためのものだった。
その人物、それは、他人、自分、すべての期待を背負ったものだった。
そうして私は、自分自身の中に、ある偶像を作り上げてしまっていた。
その偶像こそが最高の姿であると信じて。
けれど、その偶像を追いかけ続けるうちに、
私は自分本来の姿から懸け離れた自分になってしまったようだ。
もっと厳密に言うと、私の本質、私の魂が求めるものとは違う人物になり、
自分のハイヤーセルフの部分では望んでいないことをしていたことになる。
それはとても苦しい作業だ。
なぜなら、偶像であるために、自分を偶像ではいさせない人や出来事や状況を、
徹底的に批判し、攻撃し、排除しなければならないからだ。
自分が素敵だと勝手に決めていた自分自身の有り様を少しでも揺るがすものは、
すべてが私の怒りや批判や攻撃の対象になっていった。
が、怒りや批判、攻撃、そんなものを
自分から放つことを繰り返していくのはものすごく苦しいことだ。
私は次第に消耗していった。
それは単に自分自身に対して、怒りや批判、攻撃を向けていることだから。
自由(ありのままの自分)である人々や出来事や状況を、それはいけないと責めることは、
私自身がすでに自由(ありのままの自分)ではないということになる。
自分が作り上げた偶像の元に、私は自由(ありのままの自分)であることを放棄していた。
自由(ありのままの自分)を自分に許していないために、自由(ありのまま)なものすべてを責めていた。
そんなんじゃいけないでしょ、って。
けれど、それは、本当は自由(ありのままの自分)である自分を責めていただけであり、
本当は自由(ありのままの自分)である自分を罰していただけだった。
私は自分の内側すべてを外の世界に投影してた。
まさに「こうあらねばならない」という想いにがんじがらめになって、
すっかり自由(ありのままの自分)を失っていたのだ。
今日、このカードを引いて、私の中で何かが一気に動いた。
ここに書いてきた一連の気付きと共に、何かが私に訪れた。
そして、もういいや、そう思った。
何もなくても私は私であり、
私は私であり続ければそれだけでいい、そう思った。
私は恐らく今までの私の世界を一度失うかもしれない。
いや、もう失い始めているかもしれない。
今日、ある場所で、それを強く感じた。
それは、私がしてきたこと、つまり、
偶像であるために重ねて来たあらゆることの結末かもしれない。
立派でありたいために積み重ねてきたことは、
自分を決して立派にはしないことだったように思う。
その結果を失うのなら、勇気を持って失おうと思った。
私は常にユニークでありたかったし、突出した存在でありたかった。
そうなれば自分には価値が生まれると信じていた。
けれど、それは、単なる恐れから生まれる幻想だった。
今はもうそれを望まなくなった。
今日、突然その変化は訪れた。
私はもう一度生まれ変わろうと思った。
Ordinariness「普通であること」、
実はそれこそがもっともユニークであり、突出したものであり、
すべての調和の中にあって、なおかつ、特別な存在となる。
そうしようと思ってないけど結果的に自然にそうなってる、
それがすごく素敵だと思う。
以前、ダライ・ラマ氏の講演を聴いた人が言っていた。
「どんなすごいオーラが出てる人かと思って行ったら、
ただの普通のオヤジだった」と。
すごい!って思った。
あんな素晴らしい方がただのオヤジになれるなんて。
それこそ神業だ。
彼女は付け加えた。
「そして、本当に素晴らしかった」と。
そうしようと思っていなくてそうなった人の最たる例だと思う。
偶像にしがみつかなければならないほど私は弱かったのだろう。
何かに怯え、何かを恐れていたのだろう。
けれど、いちばんに怯え、恐れるべきなのは、
自分自身の姿を見失うことであると、今ははっきりと思える。
私は、私のままの「エイミー」に戻ろうとしている。
こんな作業を生きている間ずっと繰り返すのかもしれない。
私は言う。
私に言う。
「おかえりなさい」
私のリンクでも、Osho禅タロットをウェブで引けるページをご案内している。
よかったらみなさんもぜひどうぞ。
2005年06月11日(土) |
神様とつながる電話ボックス |
トイレって、私にとっては、
心置きなく何かを考えたり、
はっ!とひらめきを受け取ったりする場所でもある。
誰もいないひとりきりのほどよく狭いスペースで、
もうすっかり用も済んでいるのに、
おしりを出したまま、ロダンの考える人みたいなポーズで、
ずっとボーッとしていることも多い。
今日、トイレに座ったまま、ふと上を見上げて思った。
なんか電話ボックスみたいだな、って。
ここで神様に「あのね」ってお話したら、みんな届きそうだな、って。
そう思ったら、なんだかちょっと目頭が熱くなった。
見守っていてくれるよね、って。
そういうこと考える時って、大体弱ってる時だ。
辛いことがあったり、
人からの言葉がやたら刺さって痛くて仕方なかったり、
感情が揺れて揺れてどうしようもないことばかり続いたり、
ダメな自分やみっともない自分に気付いてへこんだり、
どうしていいかわからなかったり。
そして、弱ってる時ほど、人は多くに気付き、多くを学ぶ。
本当はいちばん素敵な時なのかもしれない。
でも、どんなに素敵でも、辛いもんは辛いのだ。
今日も私はトイレにしばらく座ったまま、
天井を眺めて神様にお話していた。
2005年06月06日(月) |
昔のいじめを思い出して |
いじめが社会問題になっているけれど、
実は私が小さい頃もそこかしこにあった。
いじめをしていたこともあるし、いじめられていることもあった。
両方を体験した。
小学校の頃のいじめを思い出した。
クラス中の女の子達が、ひとりの女の子Kちゃんを仲間はずれにしていた。
もちろん私もいじめる側だった。
仲間はずれや無視、理不尽な命令に従わせるようなことは日常茶飯事。
今思えば、Kちゃんは全然イヤな子じゃなかったのに。
思い出すと身の毛もよだつ。
なんと恐ろしいことをしていたのだろう。
Kちゃんがどれほど辛く苦しい思いをして学校に来ていたのかと思うと、
内臓がよじれそうになった。
中学に入っても、気に入らない子がいると、
私はやはりその子に対してクラスの仲間と一緒になって、
悪口を言ったり、辛くあたっていたように思う。
英語の発音がいい子に嫉妬して、カッコつけてるとか、そんなばからしい理由で。
今思うと、誰かをいじめる動機なんて本当にくだらない。
自分が別になんとも思っていない友達のことも、
誰かが悪口を言っているのを聞いて、
自分でその子を判断するのではなく、その噂に面白おかしく便乗し、
相手を知りもしないのに、自分もすっかり嫌いになったつもりになって、
悪口を言ったり、いじめに加担したりしていた。
中学3年になると、立場が一転、私は卒業近くまでいじめの対象になった。
学校では休み時間の度に囲まれて、机やイスを蹴られたり、
持ち物を隠されたり、壊されたり、そんなことが毎日続いた。
女の子達は、私に関わると自分もそうされるために私とは距離を置いた。
男の子達は、私を汚いと言ってフォークダンスの時に手をつないでくれなかった。
秋口にはストレスで胃潰瘍になり救急車で運ばれるほど追い詰めらた。
そのいじめグループの中には、
小学校から誰かをいじめる時にずっと主犯格で、私も従っていた子がいた。
彼女が私の悪口を広めて、いじめの主導権を握っていた。
その時に初めて思った。
いじめのような意識でつながった友達は本当の友達じゃないんだってことに。
それからようやく気付けた。
今まで自分がしてきたことの罪深さに、残虐さに。
自分が深く考えようとせず、ある種のゲームのように、
なんとなく流れで誰かを仲間はずれにしたことが、
どれほど相手を追い詰めて苦しめてゆくひどいことで、
何があっても決してやってはいけないということを、
自分がいじめられて、苦しみ、体を壊し、まさに身を以て知った。
それ以後、私は誰かのいじめに加担することはなくなった。
相手の痛みがわかったから。
あまりにも辛い体験だったけど、今はその体験があってよかったと心から思う。
その1年間の苦しい体験がなかったら、私は恐らく今セラピストはしてない(笑)
そんな昔のいじめを思い出して感じたことがある。
子供の頃は、動機がどんなものであれ、
誰かとつながっていくことがまず嬉しいし、それが仲間意識となる。
今思い起こせば、子供の頃は、相手の全体像を見るというよりは、
その瞬間何かでつながれるかどうか、
それが相手と自分の関係において重要だったような気がする。
誰かと何かでつながれることが自分の楽しみや安心や安全だったし、
そのつながりの質に関しては無感心だった。
相手と何かでつながりながら、そのつながりに違和感があろうと、
その違和感よりも、つながっているということ自体の方が、
自分にとっては大切なものだと思い込んでいた。
相手がどういう人か、と言うことよりも、
相手とどの部分でつながれるか、それが何よりも大切なのだと。
自分の娘を見ていても思う。
キツい友達がいて、その子を好きじゃないと言いつつ遊んだりしていた。
私が「○○ちゃんイヤなんじゃないの?」と聞くと、
「イヤだけど今日はイヤじゃない」と答える。
かと思えば、別の日は「こんなことされて本当にイヤだった。もう遊びたくない」と言う。
まさに上に書いたように、刹那的で、
「その瞬間何かでつなる」ことに重点を置いた関係と言える。
大人にも言えることだが、
そういう関係の中にいると、相手との関係の質を見極めることよりも、
インスタントな相手とのつながりをいかに維持するかに情熱を注ぎ込む傾向が、私達にはある。
それが何より大切だと心から信じているからだ。
なぜ大切だと信じるかと言えば、
大切だと信じて大切にしないと、好ましくないことが起こるからだ。
好ましくないこと、例えば、
よくあることでは、近所のお付き合いや会社等、団体の中での人間関係で、
その人達とのつながり、つまり共通の接点を持って、
相手に共感共鳴していないと、そのコミュニティに存在することができず、
自分が排他されていってしまう。
簡単に言うと、大人の仲間はずれにあったり、陰口を言われたり。
だから「つながり方」に違和感があろうと、それが不本意なものであろうとも、
その違和感よりも、つながっていること自体を大切にしなければならなくなってくる。
また、例えば、
友達関係や恋愛関係、一対一での関係では、
相手となんとかしてつながって(そこにガマンが生じても)共感共鳴していないと、
批判されたり、反感を持たれたり、嫌われたり、
相手が自分から去っていってしまう痛みを体験することになるので、
やはり「つながり方」に違和感や、場合によっては痛みが伴っても、
喪失やそれによる痛みを避けるために、
つながっていること自体を大切にしなければならなくなってくる。
時には「これは違うよ」って気付いていても、
「いや、違うわけない、これでいいんだ」と自分に言い聞かせたり、
理不尽な相手を自分の中で正当化してみたり。
本当はそんなつながりにしがみつくこと自体が、
自分を苦しめることでもあったのに。
子供の頃はそんなこと考えもしなかった。
そして、目の前に次々と起こる出来事に刹那的に身を任せ、
今、ここで、とにかく誰かや何かとつながれるものを求め続けた。
無意識のうちに。
そして、結果それは、人はもちろんのこと、
気付かないうちに自分自身をも深く傷つけていた。
人は無意識に生きているのかもしれない。
相手に対して、自分に対して、社会に対して、何かに対して、
感じること、思うこと、自分の中に湧き上がってくるもの、
そんなものに対してまったく無防備で、
ただ自分の中に生まれるそれのままに、生きている。
けれど、自分の感情や思考、自分の中の何か、
そんなものを意図的にとらえ、それがどういうものであるか、
思慮深くあれるようにと意識できたら、
私達の人生は変わってくるに違いない。
幼い頃の私のあやまちも、無意識に流されることで生じたものだった。
もちろん、人として成熟しておらず、
そんなプロセスを経たからこそ学べたのだが。
だからこそ、今、意識的に人生を生きることをしていきたいと思うのだった。
葛藤してもいい。
葛藤の中にあっても、常に自分の中の真実を求める人でありたいと思った。
そして、願わくばそれを体現できる人でありたいと。
私は、昔いじめてしまったKちゃんや他の子達に、
あの時は本当にごめんね、苦しめてしまったねって、手を合わて心の中で謝った。
どうか今彼女達が幸せでありますようにと。
そして、中学3年でいじめられていた中、
周りを気にせずたったひとり友達になってくれて、
私の苦しい1年間を支えてくれた「やっちん」に、
心からの感謝の気持ちを。
本当にありがとう。
私も色々あります。
辛いことあるし、
恐いことあるし、
私ってダメだなって悲しくなることあるし、
布団の中で泣いたりね、するんです。
それでもね、生きていきたいんです、成長したいんです。
ひまわりがおひさまの方を向いているみたいに、
光ある方を見ていたい。
ひまわりが枯れてしまわないように、
雨となって潤してくれる人達がいる限り、
おひさまを見ていたいんです。
ひまわりはおひさまになりたいんです。
今日、校外学習、ま、言ってみれば遠足みたいなものに、
ウチの娘が出かけていった。
ゆうべ、その準備をしながら、彼女が首をかしげる。
「ねえ、ママ、どうして遠足におしりを持っていくの?」
「えっ!?」
彼女が眺めていた持ち物リストを見てみた。
お弁当、
水筒、
おやつ、
雨具、
レジャーシート、
タオル、
着替え、
おしり、おしり、おしり…?
「おしり」じゃなくて「しおり」やんけーっ!
遠足の「し・お・り」っ!!!
真剣にそんな読み違いをするあなたがらぶ。
母さん、また一本取られたよ。
思い出し笑い、翌日の今日も続行中。
私達の現実は、例外なく自分が望んで体験しているもの。
そう言うと、驚く人もいる。
そりゃそうだ。
苦しい現実が目の前にある時、
「それはあなたが望んでいるんです」
と言われても信じ難いし、
そんなことない!こんなに苦しくて抜け出したいのに!
そう思うはずだ。
私達の現実は、例外なく自分が望んで体験しているもの。
それを正確に言うと、
「無意識の中の自分が望んで体験してる」ということだ。
無意識は「無」がつくくらいだから自分では意識できない部分の意識。
その意識できない部分、つまり自分ではわからない部分で、
目の前の苦しい現実を望んで引き寄せている。
では、なぜ無意識は、そんな苦しい現実をわざわざ自分に引き寄せるのか。
それは、無意識が何かを伝えたいからだ。
現実に起こっていることには無意識からのメッセージが含まれている。
無意識の中の自分は、
自分でも気付いていない本当の自分。
過ぎ去った時間の中に切り離して置いてきてしまった本当の自分。
その気付いていない本当の自分には何かの目的や想いがあって、
表面の自分は望んでもいない現実をあてがってくる。
その現実を通して何かを訴えようとしている。
逆に言うと、自分の現実を見た時、
自分の無意識が何を望んでいるのかがわかる。
そう考えると、今まで、
なぜこんなふうに?
どうしてこんな目に?
と思っていたものの謎が見えてくる。
そう、無意識が望んでいたからなのだ。
望んでいた、と言うよりも、そうせざるを得ない、
そんな表現の方が的確である場合もある。
そして、その無意識の中の自分とコミュニケーションを始める時、
私達の「本当の自分と出会う旅」が始まる。
この旅を始めると、人は後戻りできなくなる。
なぜなら、自分本来の姿、つまり人間の普遍の真実を知ると、
自分本来の姿以外でいることがこの世で最も苦しいこととなるからだ。
自分本来の姿を取り戻す過程で、
私達は気付きや学びや癒しを体験すし、成長する。
無意識の中のもうひとりの自分は私達をいざなう。
こっちを向いて。
私を見て。
私の声を聞いて。
私の想いを知って。
本当の私がここにいる。
私をあなたに連れ戻して。
私達の現実は、無意識からの招待状みたいなものかもしれない。
ここにあるものに触れて、って、
いつもメッセージを受け取っているのかもしれない。