おひさまの日記
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2005年04月27日(水) そろそろご案内しちゃうよ

明日4月29日(金)から始まるフジテレビの新番組、
「Dのゲキジョー」の中のコーナー
「メンタルエステ」に、エイミーの出演が決まっています。

私が映るのは5月6日(金)から。
明日は出ないのよ〜。
10分程度のコーナーで、
毎週の出演ではなく、月に1度か2度の予定です。
出演の際は、折々日記でご案内させていただきます。

先日、編集したものを見せていただいたら、
タレントさんの感情が出ているシーンが多いため、
私もしかめっ面で映りまくりです。
率直に「オイラ顔こぇぇっ!」と思いました。

普段のセッションでは、
クライアントさんは目を閉じているので私の顔は見ないし、
私も自分の顔なんか見ないので、
初めて客観的にセッションしてる自分を見てびっくりだよ。
感極まった時あんな顔でやってるとは思わなんだ。

なので、見ていただくにあたり、かなり恥ずかしい。
赤いスーツだし(まだ言ってる)。
私は普段黒ばっかりですからっ(セルフイメージ必死で念押し)。


2005年04月26日(火) ありがとう洗顔

ふと思いついて最近やってることがある。
それは「ありがとう洗顔」だ。

なんつーことはない。
まんま「ありがとう」と自分の顔に言いながら洗顔するのだ。
クレンジングしながら「ありがとう」、
その後フォームで洗いながら「ありがとう」、
流しながら「ありがとう」って。

私は肌のためにあまりしっかりケアをする方ではない。
あまりに忙しい時には、顔も洗わず倒れるように寝てしまうこともある。
タバコも吸うし。
でも、ひどく肌荒れすることがないので、
私の身体は、そして肌は、本当に頑張ってくれてるのだ。
本当にありがたい。
ある日突然、ありがとう、そう言いたくなったのだ。

「お手入れあんまりしてないのに、頑張ってくれてありがとうね。
 キレイでいてくれてありがとうね。
 あなたは25歳の肌だよ」

と、感謝先取りで肌に暗示まで入れてしまう(入ってるのか!?)。
そして、ひたすらありがとう。
心の中でありがとう、言葉に出してありがとう、
お肌に言う。

ローションや美容液を塗る時も、手で顔を包み込むようにして、
「ごくろうさま、ありがとう」

何かの効果があるかどうかなんてわからない。
でも、身体やお肌はなんだか喜んでいるような気がする。
私も気持ちよくなる。
そして、願わくば「若さのキープよろしく頼んだよ!」って気持ち(笑)

お肌だけじゃない、全身、自分の身体をねぎらうことで、
実はとっても身体が喜ぶし、自分自身も心地よくなるのかもしれない。

最近、全然、リフレクソロジーとかリンパドレナージュとか、
身体をねぎらうようなところに行ってないけど、
こういうことを書いてると、無性に行ってみたい気持ちになるなぁ。


2005年04月25日(月) 勇気の使いどころ

怖いから言えない、そんなことが沢山ある。
怖いとまでは認識しないにしても、
言いづらい、そんな感覚でキャッチすることもあるだろう。

私も今そんなことがいくつかある。

怖いから言うこともできず、不本意なままに流れていって、
結局自分の中に不満やフラストレーションを抱えることになっている。

だからこそ伝えなければならないと思いつつ、
私はそれを相手に伝える勇気が出てこない。

私がそれを相手に伝えることによって、相手が、
気を悪くしないだろうか、
怒り出さないだろうか、
バカだと思われないだろうか、
呆れられないだろうか、
嫌われないだろうか、
そんなことを考えるのだ。

そういう時は、大体、相手への反対意見や、
相手がいやがりそうなことを伝えたい時、
また、一度決まったことをひっくり返すような時だ。

そんなことを沢山ためこんでいたこの頃。
昨日、私の喉はとうとう腫れた。
今日も唾を飲み込むのが難儀なほど痛い。
言えない、表現できないことの象徴、喉、そこの痛み。
身体は心と密接につながっている。

自分の言いたいことを、自分の気持ちや意思を、
伝えず飲み込むというこのはこんなにもイヤなものなのだな。
そして、苦しく、胸の辺りがどんよりとして、
心地よくないものが沈殿していく感じだ。
本当はとてもとても伝えたいのに。

これはまさに「葛藤」だ。

言いたい自分、伝えたい自分。
言いたくない自分、伝えたくない自分。
どちらも自分。

ひとりの私がふたつに別れてしまうのは、そこに「恐れ」があるから。
真実の私と相手の反応を恐れる私。

そして、思った。
恐れに従順になるのか、
恐れと戦って自分の真実を日の光に当てるのか、
そのどちらが心地いいかと言えば、後者だ。

前者は、恐れはないが心の中で何かが腐敗していくような不快感がある。
後者は、恐れこそあっても、たとえ痛みを伴っても、
自分を生きることの曇りない澄んだ気持ちになる。
私は後者の心の状態を、よく「スッキリした感じ」と表現する。

私はわかっている。
後者の「スッキリした感じ」がどれほど大切か。
そして、それこそが自分にとっての最善だと。
それでも、そう理解はできていても、怖くて言えないこともある。
言うこと、伝えること、それが攻撃でないとしても、
それでも怖いのだ。

そして、怖い自分を認めてあげようと思う。
認めて、ここまでじれて、言うのを引き延ばして、今日がある。
それが身体にも出て、だからこそ、
葛藤に終止符を打とうという気持ちにもなれる。
恐れに翻弄される自分も慈しんであげよう。

今思う。
身体が痛みを伴って表現しているのは、心にも痛みがあるから。
それを受け止めよう、って。

そろそろ勇気を出そうかな。
言いづらいけど、でも、伝えよう。
こういう時こそ私達は勇気というものを必要とする。
そして、こういう時にこそ使うものだと思う。

思い切って電話するよ、相手の人に。

そういう時はこう自分に言い聞かせる。
「なぁに、1時間後にはスッキリしてるさ」
って。
終わった後だって思うはずだ。
なんだ、どうってことないじゃない?って。

ここがまさに勇気の使いどころ。


2005年04月20日(水) カップラーメン

私はカップラーメンが好きでして。
身体に悪いとは重々承知の上で、大好きでして。

時々ムショーに食べたくなって、
ダンナもアンナも出かけた昼下がり、
ニッシンのカップヌードルの赤のスタンダードを、
ひとりこっそり食らうわけです。

なんかこう、親や先生に隠れて、
こっそりタバコを吸うような気持ちかも。

たまには栄養バランスどこ吹く風、
そういうジャンクなものもよかろうと。

実は明日はカップラーメンの日と決めてるんだよ。
ひひひ。

小さなしゃーわせー。


2005年04月18日(月) 会いたかったよ

4月16日、17日の2日間、
また中島先生のワークショップHEARTが開催され、
そこで私は決して今までで会うことのなかった私に出会った。

ここしばらく、自分のインナーチャイルドをイメージすると、
口の聞けない無表情な小さい私が浮かんできていた。
私が好きな方法は、ドアを使うイメージなんだけど、
そのドアの向こうにその子がいるのね。

その子はドアを細く開けて顔を少し出してこっちを見ている。
何を問いかけても返事はなく、ただ押し黙っている。
辛かったね、苦しかったね、助けてあげるよ、そう伝えても、
その子は眉ひとつ動かすことなく無表情でじーっとこっちを見ている。
睨んでいるかのようにも見える。

そして、近づこうとするとドアを閉めて姿を消してしまう。
決して心を許さない小さな私。

自分の中に「癒されたくない自分」がいることは薄々感じていた。
そして、それがその子なのだろうか…そんなことを思った。
頭ではわかっていた。
「癒されたくない」んだな、その子は、その自分の部分は、と。
だからこそ、色々な試みをしたつもりだった。
セラピーもいっぱい受けてきた。
ワークショップにも参加してきた。
私はその子に、精一杯共感して味方になると言い続けた。
だから出ておいでよ、って。
でも、その子は出てこなかった。

ワークショップの2日間で出会ったのは、まさにその子だった。
そしてはっきりとわかった。
なぜその子が口もきかず無表情だったのか。
私がどんなに声をかけても反応なく消えてしまうのか。
それが一体何を訴えたいたのか。
はっきりとわかった。
私は愕然とした。

その子と出会ってみて、今、思う。

前触れがあった。
今思えば、私はその子に出会うために必要なプロセスを辿っていた。

私は少し前にある女性に出会った。

シャドー(投影)という言葉を知っている人も多いだろう。
今思えば、彼女はまさに私のシャドーだった。

シャドー、それは、自分の中にあって、自分では認めていない自分の姿。
自分が否定している自分の姿。
それを相手に見る時、人は激しく反応する。
自分で罰している自分の部分を見るので、
相手や、相手のその部分を非難したり攻撃したくなる。

私は彼女に私の中にあって「ない」と否定している自分そのものだった。
私が認識することなど全くない自分の姿だった。
見ないようにしている自分そのものだった彼女のすべてが、
とても気になるものでありながら、とても否定したいものだった。
時にいじめたくさえなっていたかもしれない。

彼女は時折無表情で心を閉ざしている。
もちろん社会人としてはしっかり機能しているし、
普段の会話なども普通にするし、人に対してとてもやさしい心遣いもできる。
ただ、自分が大きな虚無を抱えていると言う。
彼女の生い立ちは、それを彼女がどう捉えていようと、
私からするととても悲惨なものだった。
虐待よりも傷が深いと言われるネグレクトに近い扱いを親に受けてきた。
自分が存在することを認めてもらえていないような人生だった。
そして、誰よりも癒しを求めながら、誰よりも癒しを拒絶していた。
それでも何かを求めて生きていた。

私は彼女と何かを共にする時、激しく感情が動いた。
今思えば、だ。
私は自分の感情が動いていたことを認識しようとしていなかった。
いや、気付いていたのだろうけれど、
その認識にもっともな理由をつけて正当化し、
彼女に反感を感じたり、否定や批判の対象とした。
そして、無意識のうちに攻撃していたのだと今ならわかる。

それなのに、彼女に近づきたくて、好きになってほしくて、
私はあれやこれやとやりとりをしてきただのだと思う。
でも、彼女の心はそんな私から離れていったのだろう。
私はなんと不器用でつじつまの合わないコミュニケーションを
彼女にしていたのだろう。
自分でも信じられないくらいに、
彼女とのことになるといつも気持ちがぐらぐら揺れていた。

そんな矢先にワークショップの日は訪れた。

初日、色々なワークが次々と行われてゆく。
私の心がざわざわし始める。

2日目、朝のスタッフミーティングで、先生から
「今日はどんな感じですか?」
と聞かれた。

私は
「昨日のワークを終えて安堵感があるけど、まだ何かある感じ」
と答えた。

「その何かを感じていってください」
先生にそう言われて私の中に浮かんできた言葉は「助けて」だった。
私が先生に「助けてっていう感じです」とう言葉にすると同時に、
涙がどっと溢れてきた。

え?
私は驚いた。

「助けて」という感覚を泣きながら感じていくと、そこに出てきたのは、
あの無表情で口をきかない、私の中のインナーチャイルドだった。
そして、私は壊れたように号泣した。

少しすると悲しみが消えた。
そして「もうスッキリしたからいい」という言葉が私の口から飛び出した。
その時私はすでにもう5歳の私になっていた。
そう、その子は5歳の私だったのだ。

悲しみが消えると同時に、頭と肩が一気に重くなった。
先生はその重さを感じていくようにと私におっしゃった。

感じていくと、ごつごつの岩石が頭や肩にあるような感じだった。
「その岩石の中に何があるのかを感じてください」、そう言われ、
岩石の中を感じていった。

その瞬間、私はまたわーっと声をあげて泣き出した。
その岩石の真ん中には、胎児のようにうずくまって動けない、
今にもこと切れそうな5歳の私がいた。
その私の胸の辺りには、赤いキレイなハートがあった。

「その赤いハートを拡大していって中に何があるか感じて」
先生の言葉のままに中を感じていった。
すると、そこには笑っている父がいる。
そのそばには、笑う父が嬉しくて泣いている母がいる。

5歳の私は、
そのハートがあるからかろうじて命を保っているかのようにも見えた。

「お母さんの中に入ってみましょう」
先生の言葉通り、母の中に入った。
すると、田んぼの真ん中で泣いている母の姿があった。
まだ10代の頃に親の都合で無理矢理全く知らない男と結婚させられ、
嫁いだ先で虐待されている母だった。
母の初婚はそんな結婚で、私は2度目の結婚で生まれた子供だった。
母は「お父さん、お母さん、助けて」と泣いていた。
父の暴力に怯えて逃げる場所もなく
苦しみの中でただ息をしているしかなかった母の姿が重なった。

「お母さんどうしてあげたい?」
と先生に聞かれ、私は答えた。
「助けてあげたい!」

少しして私は急に冷静になり言った。
「無理、助けられない」と。

「助けられないの?」
という先生の問いに、
「だって、お父さん、怒るのやめないから無理、助けられない」
と答えた。
「だって、お父さんに何度も怒らないでって言ったのに、やめないから。
 お父さん、もう怒らないって何度も約束したのに、嘘ついてまた怒るから。
 大人は信じないよ。
 嘘つきだもん。
 絶対に信じないよ」

「大人の恵美さんがいるよ」
そう先生がおっしゃると、私は即座に答えた。
「あの人いつもこっち見てる。 
 でも信じない。
 きれいごとばかり言ってる。
 助けてあげるとか、味方だとか言って、
 全然私のことわかってない」

そこで、ワークショップが始まる時間がすぐそこまで来ていた。

先生は5歳の私におっしゃった。
「そうか、信じられないんだね。
 あのね、じゃあ今日は一緒にワークに参加してくれる?」

私は黙ってうなずいた。

ワークショップの2日目が始まり、深いワークの中に身を置きながら、
私はいかに自分が自分を虐げてきたのかを知った。

心から思った。
会いたかったよ、って。
私が会いたかったのはあなただったよ、って、
5歳の私に伝えた。
心から謝った。
無視しててごめんね、わかったふりしててごめんね、
気持ちを理解してあげようとしなくてごめんね、って。
でも、今日からは、本当の意味で味方になるよ、って。
あなたがイヤならこっちこなくていい、黙ってていい、
でも、遠くからでも見てるよ、心はそばにいるよ、って。

5歳の私になって体験したのは、私の記憶に全くない自分の感情だった。
全く、これっぽっちも、覚えていなかった。

私は驚愕した。

こんな気持ちでいたなんて。
そして、親を信じられず、誰にもどこにも助けを求めることもできず、
ひとりで頑になることで自分を守ってきたなんて。
母を守れない無力さに自分を責めてもいた。

癒されるなんてあり得なくて、
それは大人を、私自身を信じられなくて、絶望していたからで、
助けてほしいのに、助けを求めることさえイヤになっていたなんて。
それでも痛みはそこにあって、
後ろを向きながら、小さい背中から声なき声で助けを求めていたなんて。

会えてよかった。
会えて本当によかった。
会いたかったのはこの小さな私。

これから、このインナーチャイルドとのプロセスが始まる。

その第一歩として、私のシャドーだった彼女に電話をして、
私の体験と感じていることを正直にシェアし、
私がどれほど彼女を好きでいるか、必要としているかを伝えた。
そして、今までしてしまったであろうひどいことを詫びた。
そのひどいこととは、表向きは正当なことだったかもしれない。
でも、その裏に潜む私の悪意を心から詫びたかった。

彼女も私を好きだと言ってくれた。
好きなのに近づけなかったと言ってくれた。
伝えたいことが伝わらなかったと。

それはインナーチャイルドの想いと同じ。
彼女は私。

私達は、私達がなぜ出会ったかの意味を理解した。
そして、その目的のためにお互いに向かい合う関係をようやく手に入れた。
それまで、彼女の傷はあまりに深く、私の傷はあまりに遠かった。

人にすることは、自分にすること。
私は彼女に自分が気付いた本当の自分のありのままを伝え、
インナーチャイルドへのメッセージとした。

人は、愛を求めるが故に傷つき、心を閉ざし、
閉ざしながらその愛を切に求める生き物。

もうひとりにしない。
もう辛くさせない。
私は5歳の私をもう見失うことはない。
会いたかったよ。

私はイメージの中でその子にアイスをあげた。
その子はそっぽを向いて黙ってそのアイスを食べた。











長いのに最後まで読んでくれてありがとうね。

昔、高校の頃の作文の添削で、
あなたはなんでもないことをドラマチックに書く、とか、
自己陶酔している、と言われたことがある。

そうかもね!(笑)
アリや〜、アリ、アリ。


2005年04月15日(金) これも必然

今さっき、1時間以上かけて書いた日記をアップしようとした瞬間、
操作ミスで全部消えてしまったっス…

あああ〜〜っ(号泣)

でも、きっと、アップしないでおくべき内容だったのね。

こういうこと、時々ある。
今日のように消えてしまったり、
一生懸命アップしてるのに、なぜか受け付けてくれなかったり。
掲示板でもそう。

そんな時、一瞬、ちぃっ!って思うんだけど、
「これは今アップする内容じゃないよ」と、
止めてくれてる、守ってくれてる、そう思っている。

だから、見えない存在に、今日も心からありがとう。

ただ、今日、本当に、ちぃっ!って思うのは、
寝不足を押して書いたのにそれが消えたので、
そんなら寝ればよかったぢゃんか!ってことだよ、とほほ。

明日から2日間、また中島先生のワークショップで、オラ江戸に行くだよ。
しばしお留守です。


2005年04月13日(水) インナーメッセンジャー

ものすごく私に癒しと救いを与えてくれているものがある。
それは、私の敬愛する先輩、
やすらぎの部屋のコオさんの「インナーメッセンジャー」だ。

メルマガなんだけど、短いのね、ほんのひとこと。

自我を越えて媒体となった人にしか発信できない言葉だと、
常々思いながら読んでる。
しみるんだ、これが。
朝イチで届くこれが、もぉぉぉ、しみるんだ。
私なんざー、読んでうるうる、時には泣いちゃうよ、朝から。
今日も泣いたよ。

ってことで、イチオシなので、
読んでない方はぜひ一度登録して
コオさんから届く言葉を受け取ってみてください。

コオさん、すごいよ。
あなたってなんでそんなに素晴らしいんだ!?
まさにインナーメッセンジャーだ。
コオさんのこと想う時、私は泣きながら参りましたと言いたくなる。
その前に、鎧を全部脱いでぺたんと座りたくなる。
そして、とめどなく涙を流したくなる。
愛し続けることで、与え続けることで、
そこに奇跡が起こることを、身を以て教えてくれる人。

やすらきの部屋のトップページで登録できますよ〜。
PCの方はまぐまぐで、携帯の方はミニまぐで登録するがよろし。

それから、コオさんがイベント「シルバーアーチ」を企画しています。
ぜひ一度覗いてみて。


2005年04月12日(火) 赤いスーツ

先日、テレビに出ることになったと書きましたが、
ひとつ、解せないことがあります。

それは、私の衣装が赤いスーツだということ。
赤はちょっと…と気乗りしないという意向はほんのり伝えたものの、
決定が変更になることもなく。

足開いたり組んだり、
お行儀が悪いのでパンツスーツにしてもらいましたが、
赤は着たことないからっ。
自分に違和感を感じてしまってどうも落ち着きません。
楽屋に戻って黒の私服を着ると、なんと落ち着くことか。
ああ、やっぱり私は黒!
黒が好きぃっ!

制作側はある程度私のキャラクターを設定して、
それに添って作り込んでいくようです。
だから、衣装も派手目に赤(どんなキャラクターなんだ!?)。
オイラは一体どんな誰になるんだ?

かなーり似合わねぇと自分では思ってます。





ちなみに、初回の収録時、
楽屋は隣がガレッジセール、そのまた隣がDonDokoDonでした。
何人かの芸能人ともすれ違いました。
一般人な私は、それだけでドキドキして小鼻がふがふがしました。
芸能人とすれ違うのがなぜか怖くて、ずっと楽屋にこもってたし、
トイレに行くために廊下を歩くのも緊張するので、水分まで控えてました。

しかし、みんな顔ちいせぇー。
オイラ則巻センベイかい?


2005年04月10日(日) 人それぞれの道

今日、あるクライアントさんからメールをいただいた。
お辛い日々を過ごされていた方だったけれど、
最近では心の中の鬱屈がほぐれてきて、
穏やかでいられる時間が増えてきたという。

その方は、私のところに来てくださっていたからそうなったのではない。
ハマサイさんのセッションを受け続けていらっしゃる。

私はその方の中継地点になれたことが本当に嬉しかった。
そして、その方がそうしてご報告くださることが本当に嬉しかった。
彼女から大きな癒しを受け取った。

私はたまたまヒプノセラピーを提供しているけれど、
それが万能だとは思っていない。
ヒプノセラピーがその人に合っていて癒しが進む場合もあれば、
ヒプノセラピーではない方法がその人に合っていて癒しが進む場合もある。

また、その時は合わなかった方法も、
後になってタイミングを迎え合うようになったりすることだってある。

人にはそれぞれの道がある。
自分に合った楽になる道がある。
それを探せばいい。
辿り着くまでにはちょっと時間がかかるかもしれない。
けれど、必ずそれがあるのだと思う。
折々の中継地点を通って、必ずそれに辿り着くと私は思っている。

私の場合もそうだった。
私に合っていたヒプノセラピーに辿り着くまでには、
あれやこれやと通ってみたり参加してみたりした。
そして、そのどれひとつ欠けても、ヒプノセラピーには辿り着けなかった。

また、ヒプノセラピーを続ける間にも、
ピンポイントでヒプノセラピーよりももっといいものがあれば、
その時はそれを体験し、そこで貴重な気付きや学びや癒しや情報を得て、
それらを糧として進んできた。
今でもそうだ。

何かを体験しようと決める時、その決め手となるのは、
その「何か」を提供してくださる方の人柄や人徳かもしれない。
素晴らしい方が持っている何かをいただきに、私はそこへ行く。
たまたまその方が持っているツールが「何か」なのだろう。

ヒプノセラピーも、
私がやろうとしていることを体現するひとつのツールに過ぎない。
そして、そのツールは折々形を変えてゆく。
あえて現存する言葉で表現するなら、
ヒプノセラピーをしているのだとも言えるだろう。

みんな見つかるといいな、その人それぞれの道。
みんな見つかるといいな、折々、その人が必要な人。

そして、これからも私は誰かの中継地点になれたらいいな。
私は誰かのすべてにはなりたいと思わない。
誰かの人生という名のパズルのひとつのピースになりたい。

改めてこんなことを深く感じ、再認識し、感謝する機会を、
メールをくださることで私に与えてくださったMさん、
本当にありがとうございます。
心からの感謝を込めて。


2005年04月08日(金) お願いっ、応援してくだされ

私、テレビに出ることになったんですよ。
いやもぉ自分でびっくり。
テレビで退行催眠をするんです。
放送は、ある番組の中のほんの短い時間ですけれど、
5月から少しの間、月に1度か2度、出ます。
色々悩み、色々考えましたが、やってみようと思いました。

そりゃあ怖いです。
メディアに出るのは怖いです。
それに、その枠の中で、
ある程度のキャラクターは作られてしまうものだとも感じています。
そして、時として、こちらの理想と局のニーズとは一致しないこともある。
そんな中でのお仕事ですから、怖いです。
自分のイメージがひとり歩きするのも怖いし、批判も怖いです。
陰陽両極は常に同時に存在するから、
賛辞もよい反響もあると同時に、その逆もあるんじゃないかと。

なもんで、今日までこのことはお知らせもせず、
自分の中にしまっておきました。

でも、もーいっかな、と、今日、急に思いました。
まさに清濁を合わせ飲む覚悟ができたと言うか。

今までお会いしてきたクライアントさんとの時間を私の支えにして、
自分ができる限りのこと、精一杯やってみようと思ってます。
制限と制約のある中で、自分がどこまでできるかわからないけれど、
どう自分のイメージを作られようと、
自分の真実だけは曲げないでやってみようと思ってます。

たった10分のものを作り出すために、膨大な時間をかけ、
そこには、ものすごい人数のものすごい想い入れと努力と真剣勝負があって、
その上で番組の中のひとつのコーナーが生まれることにも驚いているし、
気楽に見ていたテレビというものへの想いが変わりました。

見ていて言いたいこと言ってた一視聴者だった自分が、
その反対側の立場になることによって、
今まで知ることもなかった出演する側の
葛藤や想いやプレッシャーなどもわかったような気がします。
その裏でどれだけの労力と努力があるのかも知りました。
局のスタッフの方々にもとてもよくしていただいていて感謝してます。

私がこのお仕事を始めてから今日まで出会ってきたクライアントのみなさん、
この場をお借りしてお礼を言いたい。
私を育ててくださってありがとうございます。
本当に感謝しています。
みなさんに会えたから、みなさんと時間を共有できたから、
今日、今、ここに私がいます。
私はここまで来られました。
そして、その集大成として、テレビのお仕事に挑戦したいと思ってます。
どうか、どうか、みなさん、応援していてくださいね。
みなさんの力、お借りします。

テレビでヒプノセラピーを知る人がいて、
ああ、こんな癒しもあるんだなぁって、ひとりでも多くの人が、
自分自身を探す旅に出るきっかけになればいいなって、
なんだかとってもしみじみ思ってます。
色々なことを感じ、考えてます。




みなさん、ホント、心細い私を応援してくだされよ〜。


2005年04月07日(木) 処方箋

アンナが小学校に入り、それに伴って私も新しい環境に入った。
そして、改めて思った。
私って人付き合いに臆するタイプなのねぇ、って。
親しくなれば自分を出せるけど、そうなじゃいと警戒しまくり。

人の顔色が気になって仕方ない。
どう思われてんのかしら!?
あっ、今ムッとした顔してる、私気に入らないことしちゃった!?
嫌われてる!?
そんなことばかり考える。

よくクライアントさんにそういうことを話すと、
えーっ、エイミーさんもそうなんですかーっ!?と言われることがある。
そうなんだすよ。
もぉ、バリバリ(死語)。

でも、もう、そういう自分なのはよぉくわかっているので、
そういう自分が苦しくならないように立ち回ることを覚え、
おっかなびっくりなりに、快適には過ごしている。
そして、それでいいのかな、って。

なんでもそうなんだけど、
「処方箋」を持ってるといいんだと思う。

人生から悩みや苦しみをすべて消すことはできない。
何かあったときの反応や感情を消すことはできない。
それも含めて自分なんだと思う。
だったら何ができるのかと言うと、
それらに対しての「処方箋」を持つことなんだと思う。

癒しを進めていくと、何かあった時の「処方箋」が増える。
そして、それを使って状況や自分の気持ちに対処していく。

癒しが深まると、もちろん、
深い傷が癒され致命的な苦しい感情が解き放たれていくけれど、
辛い気持ちにならなくなるというわけではない。

人生折々の出来事に直面し、自分の反応スイッチが押される度、
きっとずっと感じるだろう。
そして、それは、食べたら排泄する、朝になったら日が昇る、くらい、
とてもとても自然で当たり前のことなのだと思う。

じゃあ、癒しが深まるとどうなるのかと言うと、
辛いことがあっても、そんな気持ちになる自分が理解できて、
そんな自分を守ったり助けたりできるようになるのだ。
自分の力で生きてゆけるようになると言うか。
だから、とても楽になる。

20代の終わりから癒しの世界を知り、
自分探しの旅が始まり、もう10年が経っている。
私の心の引き出しの中には処方箋が増え続けている。
イヤなことも、腹立つことも、悲しいことも、辛いことも、怖いことも、
私にはいーっぱいある。
でも、それらと上手にお付き合いする方法もいーっぱい知った。
そして、本当に苦しい時、心を寄せられる人にも出会った。
力を貸してくれる人にも出会った。

それでいいかな、って、最近思う。

辛い時は今にも死にそうな気分になるし、消えてなくなりたいと思う。
そういう時は、昼間誰もいない時に、
布団の中で小さい頃の自分に出会って、
一緒にいっぱい泣いて、泣きつかれて眠って、
起きて家事をして、家族とご飯食べてお風呂入って、
そうやって過ごしている。
そうやってるうちに折々向き合うべき自分のテーマに出会って、
癒して、また前に進んで、そうやって過ごしている。

そして、このお仕事をさせていただく貴重な時間の中で、
自分の中で最も高尚なパーソナリティ(誰もが持ってるのよ)に出会い、
自分のバランスを取っている。

処方箋少しずつ増やしていい40代になりたいもんだ。
お肌やボディのアンチエイジングにも心を配りつつ。


2005年04月05日(火) 待っていてね、私のインナーチャイルド

癒しは果てしない旅だと思う。

私の癒しの出発点は、暴力的な父とのトラウマからだった。
これはわかりやすい。
どう考えてもトラウマだからだ。
しっかり覚えているし、ひどい体験だったと自覚している。

そして、幼児期退行によって、それは真っ先に出てきた。
私は人生最大のトラウマに取り組んだのだと思った。
これで私の人生もすっかり変わるんだとさえ思った。

でも、今思うと、あれは単なる癒しの出発点でしかなかった。

その後ももっとわかりにくい入り組んだトラウマに、
私は幾つも直面してきた。
その度に「こんな痛みが、傷が、あったのか!?」と驚く。
そして、それらは、必ずリンクしている。

癒しはだんだん精妙になってくる。
段階を経て、わかりにくいものへと取り組むようになってくる、
そんな気がする。
少なくとも私の場合は。

私達は、子供の頃、現実に起こった出来事から何かを認識し、
自分の潜在意識の中になんらかのデータをインプットしていく。
その認識は、実際に起こっている出来事とは懸け離れていることもある。
要は、自分流に出来事を解釈してしまう。
そして、それを正当なものとして刻み込んでゆく。

暴力や虐待のようにわかりやすいものだけがトラウマとなるのではない。
驚くような些細なことや、
大人になって思えば、あまりにも意外なことが、
深い傷になっていることもある。

今私が取り組むべきだと感じているのは、
大好きな母親との間のトラウマだ。

母が私にひどいことをしたってんじゃない、多分。
そりゃ親子なので、いやなことも言われたし、されたし、
もちろん、私も言ったし、した。
でも、それだけじゃない、多分。

父の横暴さでストレスフルだった母は、
私に対して完璧なよい母ではなかったかもしれない。
けれど、母のイヤな思い出はあまりない。
ないから思い当たりもしなかった。

でも、最近、改めて気付いた。

私がアンナにイライラする時、
それは、私が母にイライラする時と同じだということ。
言われたことを忘れてしまう、
言われた通りにしない、
片付けない、
特にその3つ。
私は母を責めるように、アンナを責めてしまう。
まるで同じなのだ。
母への想いをアンナに投影してるかのように。

思い返してみれば、これらは、母がしでかして、
父が狂ったように母を怒鳴り散らして暴れた原因でもある。

現実の現象を見て、私は潜在意識の中にある隠れたものを察したりする。
記憶にはない。
でも、現実の現象は潜在意識が作り出すもの。
だから、記憶にはなくても、そこには現象を生む「何か」がある。

私はひょっとしたら、お母さんがちゃんとしないから、
お父さんがこんなに怒鳴るんだ、家の中がメチャクチャになるんだ、
お母さんのせいだ、お母さんのせいで私はこんなに苦しいんだ、
なんとかしてよ、ちゃんとしてよ、お父さんを怒らせないでよ、怖いよ、
そんな認識をしていたのではないだろうか、ふと、そう思った。

私は時々無性に母を責めたなる。
理由はどうあれ、ちょっとした母の失敗を見つけると、
ここぞとばかりに痛めつけたくなる。
責めて、責めて、責めて、お前が悪いのだと突きつけたくなる。
そして、ものすごい悲しみに襲われる。
勘弁してよ、助けてよ、わかってよ、
あんたのせいだよ、私がこんな気持ちになるのは、って。
謝れよ、謝れよ、って。

幼い頃に押し殺した感情は、自分自身に認識されることはない。
でも、消えることなく無意識の中でくすぶり続けている。
だから、大人になって、
その押し殺した感情を体験していた時と同じような状況が訪れると、
自然にスイッチが入り、得体の知れないよくわからない感情として、
突然それが襲ってきて、戸惑ってしまうのだ。

でも、ないものとして押し殺してきて、認識していないので、
それが何なのか、そして、なぜそんな気持ちになってしまうのか、
さっぱりわからず、ただ、その感情に翻弄されてゆく。

そして思う。
どうして私はこうなるの?って。

きっと私もそんな感情を体験しているのだと思った。

1月に大きな自分のテーマに出会い、
その後、人生の流れが大きく動いた。

そして、次のテーマはきっとこれ。
これをなんとかしたい、今、そう思う。

私の大切な母、そして、娘を、愛するために。
愛のままに、愛するために。
大切な人を、ただ、大切にするために。
愛したいという人間の根源の欲求を満たして、
私も、私が接するの周りの大切な人も、幸せになるように。

だから、今、私は私に声をかけ続けている。

今まで無視しててごめんね、
今さら信用してなんて言っても信用できないよね、
心開けないよね、出てこられないよね、ずっと無視されてきたんだから。
でも、今私はあなたを見ているよ、
その気持ちとってもよくわかるよ、
これからは絶対に見捨てないよ、味方になるよ。
辛かったんだよね、助けて欲しかったんだよね、
どうしていいかわからなかったよね。
これからは私があなたを助けてなんとかするよ。
いつまでも待ってるからね。
もう二度と無視なんかしないよ。

そのインナーチャイルドに出会うために、私は、また祈る。

癒しは果てしない旅。
でも、決して諦めない、投げ出すことのできない、
いや、投げ出したくない旅。
途中、どうでもよくなることもあるし、
まるで傷などないように感じて過ごすこともある。
それでも続く癒しの旅。

お母さん、アンナ、待っていてね。
愛したいように愛せる日まで。
愛のままに愛せる日まで。

そして、誰よりも何よりも、小さな私、待っていてね。
内臓がねじれてちぎれていくような痛みの中で全身を震わせ、
ずっとひとりでうずくまっている小さな私、
必ず助けてあげるからね。
今私はとても幸せで、多くを受け取っているから、
それをあなたに必ず届けに行きます。


2005年04月04日(月) きれいごとは抜きにして

自分のとても大切な人が傷ついたのを見ると、
その人を傷つけた相手のことをひどいと思う。
憎いとさえ思うこともある。
相手の事情がどうであれ、ひとまず自分の大切な人の味方をしたくなる。
ひいき目で見たくなる。

すべての出来事は無意識レベルでの自分の選択により起こっているとか、
心の動きは自分の反応だとか、感情は自己責任だとか、
精神世界や心理学では言われているし、
まさにその通りだと思う。

でも、自分のとても大切な人が身体を震わせて泣いているのを知ったら、
そんな言葉通りの解釈をして冷静になどしていられない。

すべてが起こるべくして起こっていることをわかった上で、
冷静になどしていられない自分を、私は許そうと思う。
人間だもの。
一瞬通り過ぎる気持ちに、身を任せることだってある。
時にはまるでゲームのように。

その上で、いつも、大きな流れを見ていられる人でありたい。
揺れる自分さえもそこにいる大きな流れを外から達観して見ていられるような。


2005年04月03日(日) やっと一息

3月後半からなんとまー慌ただしかったことか。
吐くよ、弱音。
忙しくて心身共に壊れるかと思ったよ。

それがやっと落ち着いた翌日の昨日、まず爆睡。

そして、今日、アンナと密着することにした。
ここしばらく仕事でかまってやれなかったから。
午前中、公園でローラーブレード、
その後、トレカフェでランチとお茶、
夕方、外食して「ハウルの動く城」鑑賞。

子供と一緒にいるっていいな。
空が青いこと、風が気持ちいいこと、空気がおいしいこと、思い出した。
何かに夢中になって、好きなことして、心動かすこと、思い出した。

今日、頭は使わなかった。
心だけ、いっぱい動かした。

子供と一緒にいてあげよう、なんて思ったけど、
実は自分が子供に一緒にいてもらって、
そして、たくさんの休息と心の栄養をもらっていたことに気付く。

私の本当の休日。
慌ただしい日々の後に、やっと一息。







「ハウルの動く城」、すごくよかった。
観ながら、あったかい涙、いっぱい流した。
観終わった後、無条件に、ただ、ただ、あったかい気持ちになった。
もう一度観たい!
やっぱりいいなぁ、宮崎アニメ。


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