おひさまの日記
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2005年03月24日(木) |
「そんなこと10年前からわかってんだろ?」 |
昨日、ダンナに一生懸命お話をしていた私。
聞いてほしくて、聞いてほしくて、色々喋っていた。
ダンナの反応は薄かった。
ソファーにふんぞり返り、目線を泳がせて、
時には心ここにあらずといった様子(←主観)で、
「ふーん…」と言う。
私が感じるところでは、
すごーくダルそうに真剣に聞いていないように見えた。
自己弁護だけど、まぁ、誰が見てもそう見えるだろうな、あれじゃ。
とってもやさしい人だけど、
人間としてもしっかりして信頼&尊敬できる素晴らしい人だけど、
でも、ピンポイントでとってもイヤな人。
私は悲しくなって、
「パパに話聞いてもらいたいんだ」
と言った。
すると彼は、
「じゃあ、何?
オレが話聞いてないってワケ?」
と、少々キレ気味。
その時点でとても怖くなって、黙り込みそうになった。
いつもなら笑ってごまかしたかもしれない。
怒らせてしまったら怖いことになる、怖い、怖い。
でも、それじゃあ自分が納得いかない。
ガマンしてイライラを蓄積して、
市役所行って離婚届もらってくる!とか始まってしまう。
だから勇気を出して言った。
「そういう反応薄い態度だと、
興味なさそうだし、聞いてないみたいに見えちゃうんだよ」
すると彼はこう答えた。
「そんなこと10年前からわかってんだろ?
オレがこうだってことはさ」
私は黙り込んだ。
わかっていればそれでいいのだろうか?
わかっていることと、納得できていることは、イコールではない。
でも私は何も言えなかった。
ダンナはキレるとヤクザ映画なみに怖いのだ。
あぁんだと、テメェ、コノヤロォォォ!と巻き舌で怒鳴り散らすし、
家の中のものが壊れるし、ふすまに穴開くし。
私は彼のそんなパーソナリティが大嫌いだ。
たとえ、彼の心の傷からそうなっていたとしても、大嫌いだ。
彼の傷は理解できていても、
彼から投げつけられる暴力暴言を受け入れることはできないし、
それを怖い、悲しい、と思う自分の感情を無視することもできない。
こんな中で私ができることは、
痛みで心がいっぱいになってうつむきながらでも、
自分を見つめ続けて、癒し続けて、変化させていくことだけ。
何かの出来事が何かを変えてくれることを信じながら。
そこにプロセスがあることを信じながら。
お願いだよ。
傷ついてこれ以上嫌いになりたくないんだよ。
だから、やさしくしてよ、言葉や態度で。
10年前からわかってるけど、10年前からずっと辛かったんだ。
先日、あるお仕事の依頼があり、先方とお話をした。
そして、その方達が帰った後に、ふと気付いた。
私は、あちらからお仕事の依頼があったにもかかわらず、なぜか、
「私、大卒じゃないし、資格とか認定みたいな肩書き、
あんまりないんですよね」
「他にもいい先生はいっぱいいるんですけどね」
「もし、今日話してみて、
このお仕事に向いているのが私ではないと思ったら、
遠慮なくそうおっしゃってくださいね」
そんなことばかりを先方に言っていた。
本当はとてもやってみたい仕事の話だった。
不安や恐れを感じつつも、ひとつのチャレンジとして価値があると感じた。
それなのに、私は、謙遜するふうを装いつつ、
「私は大したことないですから、どうぞ他をあたってください」
ってな意味合いのことを、延々と相手に喋っていたのだ。
そんな自分に愕然とした。
その時の私はそう言いたかった。
そして、すべてにおいて、とても曖昧なことばかり話していた。
今思えば、自信のなさだった。
引き受けてできなかったらどうしよう、
責任取れなかったらどうしよう、
結局ダメな奴だと思われたらどうしよう、
そんな不安ばかりが私の中に渦巻いて、
「私はこうです」「私はこうします」
そう言い切れなかった。
先方の方達が帰る時、一番上であろう方の顔がくぐもって見えた。
「他の先生もあたっていますし、
このお話、白紙になることもあるかもしれませんので…」
その方はそうおっしゃって帰った。
ドアを閉めて彼等を見送った後、私の中に悲しみがこみ上げてきた。
あ、断られるな…と感じた。
そりゃそうだ。
あんな対応してたんだもの。
私は、自分の中にこっそりとある劣等感や自己評価の低さに気付いた。
まだあったんだ、こんな気持ち。
私は過信せずとも、自分をある程度評価しているつもりだった。
頑張ってきたじゃん?続けてきたじゃん?成果を上げてきたじゃん?
でも、まだ、自分にダメ子ちゃんの烙印を押している自分が、
ひっそりと私の中にいた。
「お前にその価値はないよ」って。
先方からそのお仕事の依頼の連絡はなかった。
それは残念だったけど、
今回の一件で、自分の中にあった自己評価の低さに気付けた。
それをとても悲しんでいることにも気付けた。
そんな私に恩師は自分を評価するようにとおっしゃってくださった。
もっと評価していいのだと。
私の頬を一筋の涙が伝った。
そして、私は、自分をもっと評価しようと心に決めた。
できないことをできるとは言わない。
自分のレベル以上に自分を見せようとも思わない。
ただ、今の時点で、ここに精一杯立っている自分を、
どうぞ見てください、そんな気持ちでいようと思った。
虚勢を張らず、謙虚でありながらも、
生きて体験して学んできた分だけは誇らしくいようと思った。
そして、そのために成長し続けたいと思った。
私はとても大きなものを手に入れた。
何にも代え難い体験だった。
本当によいプロセスだった。
ひとつの変化だった。
何日かしても、お仕事の連絡はなかった。
でも、その話こそ逃したものの、
ひとつの自分との出会いと変化のきっかけは得たのだから、
これはもういいんだ、そう感じた。
もし、本当にそのお仕事にご縁があるなら、
私が、その器になった時、機が熟した時、きっとまた巡ってくる、
そう思った。
すごくスッキリした。
これでよかった、って。
そして、その夜。
突然、先日来てくださった方から携帯にメールが入り、そこには、
「お願いしようかと思ってます」と書いてあった。
え?
私?
嘘でしょ?
私はぽかーんとした。
すっかりそのお仕事のことは手放した後だったので、
一瞬何が起こったのかわからなかった。
面白いね。
自分の中が動いて、落ち着いて、ひとつの体験を完結させた時、
お返事が来た。
怖いけど、挑戦してみようかな。
Osho禅タロットをクリックした。
出たカードは「Going with the flow」【流れと共に行く】
そこにはこう書いてあった。
「このカードの人物は水の中で完全にくつろぎ、
楽にして、水の流れに任せています。
彼は怠惰になったり眠くなったりすることなく、
受け身で受容的であるというアートをマスターしています。
「それはいやだ」とか「他の方向に行きたい」という考えなどまったくなく、
生の流れに身をゆだねています。
生という水に入って浮かぶか、それとも流れをさかのぼって泳ぐか、
生のあらゆる瞬間ごとに選択の余地が残されています。
リーディングでこのカードが現れた時は、
あなたは今、浮かぶことができているということを示しています。
生はくつろぎを支えてくれて、
まさに生の望むところに自分を連れて行ってくれるのだと信頼して。
信頼とくつろぎのフィーリングがさらに成長していくのを許しましょう。
あらゆることは、まさにそうあるべきように起こっています」
これを読んで私の中にある迷いは消えた。
決めた。
あのお仕事、やってみよう、そう思えた。
何かの節目に、そこに少し足りない自分を補うために、何かが起こる。
そして、自分の内側が変わる度、現実が動く。
面白いほどに。
生きている事自体が奇跡なんだ、私はそう思った。
2005年03月12日(土) |
一句「いつの日か きっと欲しいぞ セクレタリー」 |
いやぁ、私、本当に整理整頓が苦手なんですよ。
デスクのまわりはいつも書類の山。
何がどこにあるのかさっぱりわからず、
その山の中をがさごそと。
見事に乱雑なデスクです。
有能な秘書がいたらどれほどいいだろう。
「これ、ファイルしておきました」
「○○の件は連絡しておきました」
「いついつ何時、予定が入ってます」
「例の件は先方とお話がついています」
「○○の支払いは済んでいます」
あああああ、憧れ〜!
ついでに、
「お部屋も掃除しておきました」
あああああ、いいな、いいな〜!
私はセッションするだけ。
あああああ、いいな、いいな、いいな〜!
ここしばらく、
プライベートも仕事も慌ただしくて、
ちょっとテンパってて、
なんか、こう、だら〜んと、してみたい。
脱いだ服の山と、書類の山に埋もれ、
片付いていない仕事についてぼんやりと考え、
明日の食事のメニューなんかも考え、
アンナの小学校の入学準備もまだだわぁ…なんて考え、
とりあえず寝ようと思うのだった。
昨日アンナに子供用のSomethingのジーンズを買った。
子供用なのに美脚!
やっぱりイイものはイイ。
そして、お値段もイイ。
いつも買ってるお手頃のものに比べたら5倍はする。
それでも私は自分が買おうと思っていたボトムを諦めて、それを買った。
自分の買いたい服をやめて子供服を買うなど、私には本当に珍しいこと。
それほど私も気に入ったのだ。
アンナもかなり気に入った様子でおおはしゃぎ。
いいものを着せてみると、やっぱりイイ。
母ちゃん、清水の舞台から飛び降りてよかった(をいをい、おおげさな)。
早速、今日保育園に行くのにそれはかせた。
うふふ、教室に走っていく後ろ姿も我が子ながら美脚〜。
だがしかし、お迎えに行ってみて、ガーン!!!
昨日買ったばかりのジーンズに絵の具がべっとり付いていた。
しかも、それって洗っても落ちない絵の具なんだす。
私は膝に付いた絵の具を発見した瞬間、
「なにそれーっ!?どしたのーっ!?
昨日買ったばっかりなのにーっ!?
高かったのにーっ!」
と叫んでいた。
「どうして?
なにやっててそうなったの?」
矢継ぎ早に言う私。
イヤな母親…。
もしも私が街でそんな光景見かけたら、
間違いなく「なんじゃお前は!?」と非難の目を向ける。
でも、それはまさに今日の自分だった。
私の叫びを周りで聞いたお母さんは、
「まぁ、斉藤さんっていつもああなのかしら!?
ひどいわねぇ」
と思ってるに違いない、などと、
心の中でぐるぐると考え、それも辛くなる。
ダメな自分。
私はへなへなへな〜となってしまった。
わかってる、わかってる、子供は汚すのが仕事、汚してなんぼ、
それは元気に楽しく遊んだ証拠、わかってる、わかってる。
でも、ショック。
それは、私にとって、
新車に10円玉パンチされたくらいショックだった。
それくらい大切に大切に思って買ったジーンズだった。
そして、それは、まったくの私のエゴ。
アンナは「ママ、ごめんね」と謝る。
私はずっと黙っていた。
黙って葛藤していたのだ。
「アンナは楽しく遊んだんだからいいじゃない、いいことだよ。
たかが服なんかより、アンナが楽しんだことが大切なんだ」
そんな自分と、
「どうしても欲しかった自分のパンツをあきらめてまで買ったんだよ。
きっと持ってる服の中で一番高いんだ。
それにすごくカッコいいのに、汚れて台無しだよ」
そんな自分、
ふたりの自分が自分の中で大ゲンカしていた。
そして、5分くらい経った頃かな、
近所の某ショッピングセンターの駐車場に着き、
車を降りて、私はアンナの前にしゃがんだ。
そして、アンナをぎゅっと抱きしめた。
そう、そうやって抱きしめると、
どんなイヤな想いも消えて、愛おしさだけが私の中に残る。
今まで、幾度となく、くっだらないことでギャーギャーやってきて、
それだけはわかっていた。
だから、アンナを抱きしめた。
そして、やっぱり、私の中にはアンナを愛おしいと思う気持ちだけが残った。
だから、こう言った。
「ずっと黙っててごめんね。
ママね、心の中で色々考えてたんだ。
アンナ、わざとじゃないんだもん。
いいんだよ。
楽しく遊んだんだから、いいんだよ。
アンナ、悪くないよ。
好きな服が汚れちゃってショックだったよね。
でもねぇ、ママもショックだったんだ。
昨日、うんとふんぱつして買って、ママもとっても気に入ってたんだよ。
自分のお洋服もガマンして買ったくらい気に入ってたの。
だから落ち込んじゃったんだ。
それであんなこと言っちゃったよ。
本当にごめんね。
このジーンズ汚れちゃってもう落ちないんだけど、
それでも大切にはいてくれるかなぁ?」
するとアンナが言った。
「もちろんだよ、ママ!」
お前はこんなバカな母親を許すのかよ!?
そう思うと泣けてきた。
自分は全然悪くないのに、私の都合であんなこと言われて、
悔しかっただろうに、悲しかっただろうに、
自分が悪かったんだって、思ってしまっただろうに。
しゃがんでうつむく私の背中を、小さな手がとんとんしていた。
「マーマ」
アンナの声が上から降ってきた。
なんてやさしい声なんだろう。
私はすっくと立ち上がり、
その小さな手を握ると、100円ショップめがけて元気よく歩き出した。
よっしゃ、楽しむぞ!と。
ふたりであれこれ手に取って可愛いね、なんて話した。
細々したものをいっぱい買った。
その後には店を変え、いわゆる小学校の準備品をいっぱい買った。
女同士はショッピングが楽しい。
娘よ、アホな母親だけど、お詫びにうまいもん食わせるぞ、そう思い、
夕食にはふたりでおいしいパスタを。
私はペペロンチーノ。
アンナはナポリタン。
まある色とりどりのゼリーとかぼちゃのプリンが彼女のデザート。
おいしい、おいしいと、お口いっぱいほおばって食べるアンナを見ていて、
親子っていいなぁ、って思った。
私は子供を持って初めて「許される」ということを体験しているように思う。
子供は、その純真さで、ひたむきさで、惜しむことなく許しを与えてくる。
またまた泣けてくる。
母ちゃん、イタメシ屋で泣いちゃぁいけねぇよ。
私は本当にアンナに育てられている。
一体、私は、何かアンナに与えることができているのだろうか?
そう考えることがある。
ひょっとして何も与えてやれてないんじゃないのか?って。
こんな時はぐるぐるぐるぐる考える。
私の母もこんなことを考えたことがあったのかしら。
私はいつも自分の想いに勝ちたいと思うの。
自分の中にネガティブなものが生まれるのはもう仕方ない。
それはそれでいい。
それは朝が来れば日が昇るくらい自然なこと。
けれど、そのネガティブなものが生まれた時、
それをしっかりと感じながらも、最終的には呑み込まれない自分でいたい。
そのネガティブな想いの真反対にある光に手を伸ばしたい。
葛藤しながら、それに届きたい。
そして、それを表現したい。
今日みたいに、多少の時間がかかろうと、
最初は思いっきりイヤな人になってしまおうと、
自分の中に光があることを忘れず、それに届こうとする人でありたい。
これからも、日常の中の様々な出来事を通して、
それを、繰り返し、繰り返し、レッスンしていくのだろう。
実はさっきまで全然違う話題を日記に書いてた。
そしたら、なんだか自分の中がぶすぶすとくすぶってて、
それを無視してキレイな言葉を連ねてる自分がイヤになって、
えーい、これを書いてしまおうと思ったわけです。
さっきまで、私は、今日のことを重要視せず、
自分の失態があまりに具合の悪いことだから、
それについて考えたくなくて、もう済んだんだから、と、
遠くにやってしまおうとしたのだと思う。
でも、実際は目の前でくすぶってるんだから、遠くにやれないんだよね。
遠くにやった「つもり」にはなれるんだけど。
なんでもそうだなぁ、と、思う。
イヤだけど見ちゃうのがいちばん楽。
見ると消えるし。
消えずとも形が変わるし。
だから前に進めるし。
アンナの寝顔を見て、私はただ今日の出来事に深く感謝するのだった。
ほっぺにちゅっちゅしたら、
手をバタバタしてイヤそうな顔して寝返りを打った。
可愛いなぁ。
何かが起こり、何かを感じる。
何かを感じ、何かを知る。
何かを知り、何かを学ぶ。
何かを学び、成長する。
私の毎日はこうして繰り返されていく。
あのCM好きだな、RIGHT ONのCM。
CharaのTシャツに、
「ミュージシャン、オクサン、ママ、
どれもワタシ」
だっけ?って書いてあんの。
それから、お詫び。
昨日の日記で「9日が新月」と書いてしまいましたが、間違いです!
「10日が新月」です!
もし、もう願い事を書いた方は、今一度、10日の時間帯に。
すみませんでした!
昨日の日記は訂正しておきました。
だから、私は今から願い事を書くぞーっ。
今日願い事ノートを作るために新しいノートを買ったのだ。
ここ数日真面目に筋トレが続いていてるエイミーでした。
もう少しでTシャツの季節。
気合い。
2005年03月06日(日) |
「なりたい自分になるワークショップ」終了、満員御礼感謝! |
昨日、3月5日土曜日、
やすらぎの部屋のコオ氏、
音工房 宙〜そら〜のねね、
そして、私、SunGoddessのamy、
3人の合同での「なりたい自分になるワークショップ」を開催しました。
参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
おつかれさまでした。
みなさん、おひとりおひとりが作り上げてくださった時間と空間で、
私達はほんの少し私達が持つものをご提供しただけで、
そこでみなさんに起こったこと、みなさんが感じたことは、
みなさんご自身の力で体験なさったことです。
みなさんの力に他なりません。
そんな素晴らしい時間を共有させていただけて、
心から感謝しています。
必要なものに向かい合えた時、意識が動き出す時、それはもうすでに、
なりたい自分に向けて、オートマチックに何かが動き出しています。
なりたい自分になるために何かすることもとても大切ですが、
自分の根源にあるものに正直に向かい合う時、
その道はおのずと開け、必要な情報や人や方法がもたらされます。
自分の中に何かの衝動が生まれることもあるでしょう。
それらがあなたに訪れた時、どうか受け取ってください。
その時あなたは自然になんの無理もなく、
なりたい自分へと向かってまっすぐに流れていきます。
心からの愛と感謝を込めて!
またお会いしましょう。
2005年03月03日(木) |
癒しのバームクーヘン |
訪れてくださる色々な人を見ていて思う。
みなそれぞれに色々な痛みを抱えているのだなぁ…と。
自分だけそんな想いをしているように感じている方もいらっしゃる。
だからこそ、人にも言えないできたり、
だからこそ、耐えようと思ったり、
また、人生そんなもんだと思おうとしてきたり。
実は誰もが持っている心の闇。
みんな色々あるよな。
私も。
それでも幸せになれる。
人は同じ場所にいつまでも留まっていられない生き物みたいだ。
生きていること自体が大きな流れの中にいるようなもんなんだから、
自分は何もしていないつもりでも、同じ場所にいるつもりでも、
必ず先へ先へと流れてるんだ。
受け取ろう、知恵と癒しを。
ありとあらゆる形を取って、私達に与えられる知恵と癒しを。
私達を素晴らしい場所へと連れて行こうとする力は、
いつも私達に働きかけている。
誰かの言葉だったり、
本やテレビの中の言葉だったり、
ひらめきだったり、
木や雲や風や花や太陽だったり、
あらゆる形を取って、あらゆる方法を取って、
いつもあなたに働きかけている。
あとは受け取るだけだ。
私達は自分が受け取ろうと決めたものだけを受け取れる。
そして、なろうと決めた自分にだけなれる。
私にとって癒しって、バームクーヘンみたい。
ひとかたまりなんだけど、層になっている。
それを食べてるようなもん。
きっと、何度も何度もおいしいんだ。
食べ方は自由だけど、一口じゃ食べられない。
あ、小さいのは別としてね(笑)
でっかいバームクーヘンだと思ってね。
全部食べ終わったら次のバームクーヘンが出てきたり。
おいしいからどんどん食べちゃう。
なんで、こんな例えをしたのかと言うと、
私は子供の頃あの層になっているバームクーヘンを、
ペローンとはがして薄い層にして食べるのが好きだったから。
どんどんはがして食べてくの。
はがれないのもあったけどね(爆)
バームクーヘンを初めて食べるまでは、
なんだ、このぐるぐるした食い物は!?
しかも、ケーキに比べたらやたら質素で貧乏臭いな、なんて思って、
おいしさを疑ってたよ。
でも、食べてみたらおいしかったんだよね。
だから、癒しって、私にとってはバームクーヘンみたいなの。
食べ続けるんだよ。
食べてみたらおいしかったんだもの。
やってみたら素敵だったんだもの。
癒しのバームクーヘン。
で、せんべいも好きだけど、バームクーヘンも好きなんだよ(笑)
今日はなんか脈絡ないな…
なさ過ぎる…
私は昔からせんべいが大好きだ。
特に、シンプルなしょうゆ味のせんべいにらぶ〜。
揚げせんべいって油っこくてちょっと苦手。
特に、去年仲良しになった保育園のママのNちゃんが、
近所にある美味しい手焼きせんべいのお店の若奥さんということもあり、
もぉ、通う、通う、せんべい買いまくり。
ウチから近いので、ついつい足が向く。
そこは、成田の山形屋さんというおせんべい屋さんなんだけど、
地元ではかなり有名なお店。
私だけじゃなく、私の母ちゃんも、山形屋さんのファン。
成田に来る度しこたま買い込んで帰る。
ものすごい数のせんべいが店内所狭しと並んでいて、
どれを選んだらいいのか、まず、迷う。
何度か通って、あれこれ買ううちに、自分好みの味が見つかったので、
今はマイ定番せんべい目指して山形屋さんにまっしぐらの日々。
今日も買っちゃったわよぉ、しょうゆせんべい3種類も。
まず帰ってきて全部開けてひとつずつバリバリ。
今日は新しく挑戦した種類が2つあったので、食べ比べ。
上の山形屋さんの文字から飛べるサイトには商品が載ってるけど、
あれはほんの一部。
あの中なら、真ん中の段の「二度づけ醤油せん」が絶品。
あと「あばれざらめ」ってのがあって、
四角くて無骨なしょうゆ味のおせんべいにざらめがついてるんだけど、
これがまたうまーい!
そして「手焼煎餅」、この3つがマイ定番。
それからおだんごも売ってて、添加物なしの手作りで、これまたうまーい。
特に玄米団子が珍しい上においしい。
って、なんだか山形屋さんの宣伝みたいになっちゃったけど、
いやぁ、本当においしいんだから。
宣伝みたいになっちゃったついでに、
そこでは全国におせんべいを発送してくれま〜す。
最近の私はせんべい中毒で、家にせんべいがないと落ち着かない。
朝起きたら、
プラセンタとコエンザイムQ10をコップ一杯の水で飲んだ後、
まずせんべい。
おやつもせんべい。
夜食もせんべい。
時間がない時は朝ごはんや昼ご飯もせんべい。
気が向いたらせんべい。
せんべいデブを避けるため、ごはん時の白米も減らす。
体重が増えたらせんべいを買わないように頑張る。
戻ったらまたソッコー山形屋さんへ。
塩分排出のためにトマトジュースでカリウム摂取も忘れない。
100歳を超えたおばあちゃんが長生きの秘訣をインタビューされ、
「毎日カップラーメンを食べることだぁ」と答えていた。
それは好きなものを美味しく楽しく食べていることだろうと勝手に解釈し、
私はせんべいをむさぼっている。
昔からせんべいは好きだったけど、
ここ最近は自分でもおかしいと思うくらいせんべいに取り憑かれている。
せんべい魂が燃えるよ〜〜〜。
これから私からお中元やお歳暮を受け取る人がいたら、
それはきっと山形屋さんのおせんべいに違いない。