おひさまの日記
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2003年03月31日(月) めい

ウチの猫の一匹、めいがいなくなった。

朝、はなだけしかいないことに気付く。
でも、よくよく考えると、
いつもなら寝る時に2匹そろって私の所に寝るのに、ゆうべは、はなしか来なかった。
それに、夜、見かけなかったような気がする。
恐らく、ゆうべからすでにいかなかったのだ。

ふと思い出したのは、夕べ、ストーブの灯油がなくなって、
入れるために私がベランダに出たことだ。
もし、その時、めいが開いていた窓から逃げ出して、
それに私が気付かずに窓を閉めたとしたら?
あり得る。
いつもなら、こっそり逃げ出してもすぐに戻って来て、
窓際でにゃあにゃあ鳴くので、閉めていてもすぐわかる。
でも、ゆうべは、その後、アンナと床の上を転げ回って遊んで、
大声を張り上げていたので、ひょっとしたら、気付かなかったのかもしれない。

今日、近所の同じ階数の家を一件一件回り、ベランダを調べてもらった。
ウチのマンションは、猫ならベランダづたいに移動できるからだ。
でも、いなかった。
外もさんざん探して回った。
いなかった。
ウチは地上2階の高さにあり、猫には高い。
果たして飛び下りられるのか?
もし、降りられたとしても、今度は上がってくる方法がない。

アンナも一緒にめいを探した。
アンナには「めいはきっと彼氏がほしくなって探しに行ったんだよ」、そう話した。
悲しませたくなかった。
なかなか見つからないめい、アンナは言った。
「めいはきっと彼氏が見つかって一緒にいるんだね。楽しいといいね」
私は「そうだね」と答えた。
アンナは付け加えた。
「でもね、ママ、めい、いつかはまた戻って来てくれるかな」

私は洗濯物をたたみながらこっそり泣いた。
ゆうべ、ひどいいたずらをしためいに、
「お前、出てって永遠に帰ってくるな!」と言ったことを思い出した。
その翌日にいなくなるなんて。

ママが怒ったから出ていったの?
ママが帰ってくるなって言ったから?
めい、めい、ごめんね。
帰っておいで、めい、あなたのおうちへ。
大好きだよ。

いつも、食器棚の前を通ると、頭の上から、にゃあ、とめいの声がする。
見上げると、食器棚の上にはめいがいる。
今日も食器棚の前を通ると、にゃあ、と声が聞こえそうで上を見上げた。
もちろん、そこにはめいはいない。
でも、私の瞳の奥の残像には、しっかりめいの姿が映っている。
今も、そこで眠っているめいが見える。
私の椅子の上で、アンナのキティちゃんの大きなぬいぐるみの上で、
私の膝の上で、眠っているめいの姿が。

一度も外に出たことのないめいのことだから、
もし、降りたとしたら、戻れなくてどれほど心細い思いをしたことだろう。
ひとりぼっちで暗い外はどれだけ寂しくて、寒いだろう。
エサも飲み水もなく、どれだけ苦しいだろう。

私はアンナに見つからないように、ベランダでわぁわぁ泣いた。

めい、早く戻っておいで。


2003年03月30日(日) ものすごく反省

先日、アンナと実家に帰った。

家に近付いた時、先に門を入っていく女性が見えた。
父の妹、私の叔母だった。
母が彼女にかなりイヤな思いをさせられていたのを見てきたので、
正直、私はその叔母が好きではなく、ぽろっと言ってしまった。
「あのおばちゃん、ばばに意地悪した人で、ママ好きじゃないんだよね…」
すると、アンナが聞いてきた。
「そうなの?イヤな人なの?」

私は、しまった!と思った。

私や母は叔母を好きじゃないかもしれないけど、
まっさらなこの子にしたら、そんな利害関係は必要ないのだ。
アンナが叔母と接してイヤだと感じれば、そう思えばいいことなのに、
事前に片寄った情報を与えてしまったのだ。
これはとてもよくないことだ。

アンナには、自分の目で、自分の体験で、自分の感覚で、
人や出来事を判断できるようになってほしいのに、
私がこんなことを言っていてはそうなるはずもない。
それに、私を真似て、
自分の価値観を人に与えるようなこともするようになるかもしれない。

ものすごく反省した。
そして思った。
これからは、人や出来事を、こちらからどうこう言うのではなく、
アンナ自身が自分で受け止めて結論を出すようにさせたいと。

母親も常に学びの途中だな。


2003年03月22日(土) ものすごい気付き

アンナを叱った。
アンナが泣いた。
小さな手で涙をぬぐうその姿を見ている時、
私は自分がなにをしているのかわからなくなる。
自分が鬼畜に思える。

アンナにぶつける言葉は、昔、私が親から受け取った言葉。
アンナにする行為は、昔、私が親からされた行為。

こんな親になるもんか!
そう心に決めていたのに、なぜ親と同じことをするのか?

それは「親にそうされた自分」が、
ダメで許してもらえない、受け入れてもらえない自分、
自分の中に存在していてはいけない自分だからだ。
「親をそうさせる自分」はいけない子。
親をそうさせることは自分の居場所と愛を失うこと、
だから、親を怒らせることはしてはいけない。
それをするのは悪い子なのだ。

子供はそう自分の中に刻み込む。

だから、同じことをしている子供を見ると、怒りが込み上げてくる。
自分が昔同じことをした時、居場所と愛を失う危機に瀕したから。
子供の中に、昔の自分を見るのだ。
だから、子供を叱りつけたり、怒鳴ったりしているようで、
実は、自分の中にいる小さな自分を叱り、怒鳴っているのだ。
子供がどうしても許せないのは、その子と同じ自分が許せないから。

意識の奥で震えているインナーチャイルドに、
私達はそういった形でしばしば遭遇する。

子供に対してだけではない。
周囲のあらゆる人に自分のインナーチャイルドを見るのだ。

投影、シャドー。

子供を罵倒し、自分が鬼畜に思える時、
実は、自分自身にしている行為がそれなのだと、
私達は知るべきなのだろう。
実は、自分自身に対して鬼畜なのだ。
自分自身に許していないものを、私達は他人の中に見て反応するのだから。



ここまでは、昔の私でもよく書いたり、言ったりしたことだ。
でも、今日はその先がある。



落ち込んで仲良しの友達と電話で話した。
「今日は怒り過ぎたかな…」
私がそう言うと、彼女は笑って答えた。
「あっはっはっは!もうそんなのとっくに忘れてるよ!」
「え!?」
私はそれを聞いて、目からウロコだった。

私は、アンナが、私のした行為を、
いつもいつも心に持ち歩き、
いつもいつも怯え、苦しんでいると思った。
青天の霹靂だった。

そして気付いた。
インナーチャイルドを責め続けているからこそ、
子供にした行為が、自分で苦しくて、
だから、子供もずっと苦しいと思っていたのだ。
よくよく考えてみると、そんなこと考えている方が不健康だ。

現に、アンナは、怒られてひとしきり泣くと、
また、いつものように、おしゃまで、可愛くて、楽しく遊び始める。
瞬間瞬間を見事に味わっているのだ。
確かに、怒られたことは、心に何かしらの傷は与えているかもしれない。
でも、それだけだろうか?
そうじゃない。
こちらが、いつまでも子供の心の傷のことばかり考えているのは、
逆に、子供にとってよくないとも感じたのだ。

あちゃー!と思った。
私はやっちゃったかもしれない。
「私は被害者だから、こんなに辛いのよー!
 こんなに傷ついてるから、こんなに苦しいのよー!
 だから、ほら、子供にもこんなことしちゃうのよー!」
ただ単に、そう言いたかったのではないだろうかと気付いたのだ。
いわゆる悲劇のヒロインになりたかったのだ。
いやーん、こんな仕事してるのに、まだハマってたなんて!
笑いが込み上げてきた。

「傷つけたら癒せばいいんですよ」
中島先生のその言葉が私の支えだった。
でも、今まで、ちょっと違った意味でそれを実行しようとしていたのかもしれない。
彼女の痛みにばかりフォーカスし、
彼女の持つ喜びや楽しみ、そういった部分をすっかり忘れ去っていたのだ。
それは、バランスを欠いたおかしな行為だ。

子供を癒す、それは、一緒に元気よく遊び、心から楽しむことかもしれない。
そして、こちらが悪いことをしたらごめんねとあやまり、
次の瞬間には、また一緒に子供になってはしゃいだり、遊んだりする。
それで十分なのだ。
子供の持つ輝きにフォーカスし、それに便乗すればいい。
子供の真似をすればいい。

子供の心の痛みにばかりフォーカスしていた私は、
アンナに「私を許してくれますか?」と問いかけ続けていた。
それは、私が私自身に問いかけていた問いでもあったのだ。
私を許さない私、私に許してほしい私、そのドラマにアンナを巻き込んでいだけ。
子供の心を思い、それに向かい合っているようなふりをして、
私はただ単に被害者に成り下がっていたのだ。
そこから這い出るのがイヤで、被害者でいればこそのメリットを駆使していた。
「こんなに傷ついているのだから大切にしてちょうだい」
と。

ものすごい気付きだった。
そして、気付いた今、
私が今までさもわかっていたように、人に言っていたことが、
実は分かり切っていなかったのだと思った。

また一歩前に進んだような気がする。
心が晴れ晴れしてる。


2003年03月18日(火) 「No」と言うこと、言われること

人に「No」と言われると、
たいがいの人は、悲しくなったり、腹立たしくなったりすると思う。
少なくとも、私はそうだ。

否定されちゃったな、
わかってもらえなかったな、
受け入れてもらえなかったな、

そして、

怒らせちゃったかな、
嫌われちゃったかな、
私が悪かったかな、

逆に、

頭にきた、
なんてひどいの?

そんなことを考えるかもしれない。

でも、思う。
「No」というのは、否定の言葉ではないことだってある。
「私はそうは思わないんです」
「私は違うことがしたいんです」
という、相手の単なる意思表明でもあるのだ。
こちらを嫌いだとか、否定しているとか、攻撃しているとか、
そういう理由ではなくて。

自分でも「No」に過剰反応してしまうことはあるけれど、
それでも、根底にそういう視点を持っていたい。
そして、勇気を持って「No」が言える人になりたい。

私が言いたい「No」、それは、意思表明の「No」だ。
攻撃でもなく、相手の否定でもないただしい「No」。
「私はこう感じています」を伝えるための「No」。
「No」を言われた時に、卑屈にならない自分を持ちながら。


2003年03月17日(月) タイミング

アンナを寝かし付けていると、
一緒に心地よい眠りに吸い込まれていく。
あああああ、このまま眠ってしまいたい!
そんな気持ちと葛藤し、うつらうつら、夢まで見つつ、
やっとの思いで起き出してくる。
するってーと、今度はさっぱり眠くなくなっちゃう。
とほほ…
タイミングが難しいっスよ。


2003年03月11日(火) ねいさん、まぢめに落ち込む

通販好きの私。
今日は通販の商品が2件、宅配便で届いた。
一件はHMV、もう一件はニッセン。
待っていたCD、そしてお洋服達にづら。

がさがさやって服を出し例によって着てみる。
があぁぁぁん……!
ウエストきついし。
このサイズきついし。
今までジャストフィット、もしくはゆるいはずのサイズだし。
お腹食い込んでるし。
ああああっ!そんなぁっ!

そうだ、そう言えば、最近ウエストが楽な服ばかり着てたわ…

2キロ太ってたんじゃん!
いや、わかってたんだ、少しずつ体重増えてたのは。
でも、なんだか危機感がなかった。
しかーし。
こうして事実を目の当たりにして、私はようやっと事実を認識するのだ。

たった2キロでしょ?と思う人もいるかもしれないけど、
155センチのちびっこな私にとって、2キロは致命的増加なのだ。

そう言えば、去年の今頃は、ベスト体重から4キロ増えてダイエットしてたっけ。
まぎれもなく3月だった。
この時期って秋から冬にかけてのツケが!?

今、まぢめに落ち込んでいる。
ダイエットしよう…


2003年03月10日(月) 裏切られるのが恐いから

裏切られるのが恐いから、
裏切られるのが苦しいから、
思ったような反応が帰ってこないから、
思ったように受け入れられないから、
うまくいかないから、
私達は予防線を張り、先回りして、傷つかないように、
あきらめたり、
相手を憎んだり、
理由を探したり、
それを見ないようにしたり、
それを忘れようとしたり、
あれこれ、自分を救うために必死になる。

でも、それだけ必死になるのは、本当は、
あきらめられないから、
愛したいから、
うまくいきたいから、
見たいから、
忘れたくないから。

そして、
受け入れてほしいから、
認めてほしいから、
愛してほしいから。

それが手に入らないなら、死んでしまった方がいいと思うほど辛いから。

思い出して。
遠い昔、あなたは同じ痛みを持っていた。
あなたは何も悪くなかったのに、そんな痛みを感じていた。
それを見るのは恐いことじゃないんだよ。
見ないから、それはどんどん大きくなってあなたを襲ってくる。
こっちを見てと追いかけてくる。
そばにいってよく見てあげて。
大きな脅威となってあなたを追いかけ、苦しめてきたそれは、
本当は化け物やひどいものなんかじゃなく、
泣きながら走って逃げるあなたを追いかけてきた小さい頃のあなたなんだよ。
小さな足で、地面を蹴って、転びながら、あなたを追いかけてきたんだよ。
やがて疲れて走れなくなって、それでもあきらめられなくて、
大きな声で叫んでいたんだよ、ここにいるよ、って。
恐くないんだよ、その子を見てあげることは。

あなたを罰するのはあなたしかいない。
あなたがあなたを許してあげたら、世界中の全てがあなたを許すよ。
自分が許せないあなたは、昔、大切なものに罰されたあなた、否定されたあなた。
だから、あなたはそんな自分が許せないんだ。
そんな自分を認めてしまったら、また自分が罰され、否定されてしまうような気がして。

でも、それは違うよ。
あなたは悪くなかった。
いつも悪くなかった。
不器用な大人達に囲まれて、時に不遇な出来事に見舞われて、
まっすぐなあなたは罪もないのに傷ついてきただけなんだよ。
あなたは悪くない。

そして、言おう。
あなたには力がある。
生きていく力がある。
輝きがある。
無限の可能性がある。
それは、置いてきてしまった小さいあなたの中に、みんなしまってあるんだよ。

だっこしてあげて、自分を。
よしよし、とんとんしてあげて、自分を。
戻ってくるよ、もうひとりの小さな自分が。

愛してるよ。


2003年03月06日(木) 私のらぶなもの

マジックででっかく「あんな」と名前が書いてある小さなパンツ。

変身願望を満たしてくれるヅラ。

帽子。

黒い服。

愛車カプチーノ。

夜更かし。

やさしくされたい、マメにされたい、大切にされたい、かまってほしい、
いつもいつも私だけを見て愛の言葉を浴びせかけてほしい、
そう願いつつ、束縛されるのがきらいな自分。

お姫様のように大切にカワイイカワイイされたいんだ…
つっても、今のダンナじゃその夢は叶うわけがないと悟ったこの頃…


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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