おひさまの日記
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2003年04月29日(火) |
「あらゆる形で人から与えられるものに翻弄されるのはやめなさい」 |
人の魅力ってなんだろ、そんなことを考えたりもするけど、
本当は、みんなそれをわかってる、わかってるんだ。
そして、自分の魅力もわかってる、本当はね。
けれど、みんなそれを認めないの。
認めずに、他の人から「あなたは魅力的だ(あなたが好きだ)」と言われたい。
他からの言葉や態度などの表現を与えられ、自分には魅力があるのだと感じたい。
「与えれれる」ことが喜びなのだ。
けれど、与えられる喜びは、一過性のものだ。
「あなたは魅力的だ(あなたが好きだ)」と言われ、喜びにひたっていても、
次の瞬間、「あなたは魅力がない(あなたを好きじゃない)」と表現された時、
喜びは粉々に砕け散り、みじめさや悲しみが襲ってくる。
「与えられるもの」というのは、なんと不確実で、不誠実なものだろう。
すべてにおいて、「与えられるもの」とういのは、
与えられなくなった瞬間からもう存在せず、私達を満たすことはないのだ。
そして、次に、いつやって来てくれるかもわからないのだ。
そんな、不確実で不誠実なものを、首を長くして待っていたら、
私達は頭がおかしくなってしまう。
そして、与えてくれないことに苛立を感じ始めたら、
それこそ、怒りや憎しみの嵐、さらに心はすさんでくる。
そんな、受動的なものだけに頼って生きていたら、
私達の人生って、本当に不幸なものになるなぁ、今日、しみじみそう思った。
私達は、いつも「与えられること」を期待し、待っている。
「与えられない」と失望する。
時には、それを侮辱や裏切りだと感じる。
しかも、それは、自分勝手な反応だったりもするんだよね。
エスカレートすると、さらに復讐までしたくなっちゃう。
だんだん、馬鹿らしくなった。
何かにつけ、「人から受け取る=与えられる」もの、
それが、賛辞だろうが、罵倒だろうが、注目だろうが、無視だろうが、
そんなもんで一喜一憂してることが。
そして、それは、昨日の出来事で傷ついて、
さんざんその感情にどっぷり浸かり、味わい尽くしたから、そう思えたのだろう。
今日、自然の中でボケーッとしながら、そんなことを考えていた。
人間だから、反応しちゃう。
そう、反応すればいい。
感情も動く、傷つく。
でも、その反応はきっと最初のショックの時だけでいいんだ。
私達は、真実の元、すぐにそこから抜ければいいんだ。
「誰かがあなたを好きじゃなくても、魅力を感じなくても、
あなたをキレイだと言わなくても、構ってくれなくても、
私は知ってるよ、あなたの魅力を。
あなたにしかない魅力を。
誰とも比べられない、比べる必要なんかない魅力を。
それは、あなたも十分にわかっているはずのものだ。
なぜ、それを、あえて人から受け取ろうとする?
それはすでにそこにある。
あなたを傷つけた人は(厳密にはあなたが勝手に傷ついたのだ)、
あなたの魅力を知らない。
それを知ることのない人は、あなたとの本当のいい関係も築けない。
あなたも、その人といい関係は築けない。
あなたがそれでもその人を追いたいなら、それは幻想だ。
それだけのことだ。
あなたは、いつも、自分らしく、そのまま胸を張っていなさい。
真の意味であなたといい関係を築ける人は、
真の意味であなたを傷つけることはないんだよ。
あらゆる形で人から与えられるものに翻弄されるのはやめなさい。
あなたの中にある不動の輝きを知りなさい。
それを自分で認めない限り、あなたは満たされることなどあり得ない」
今、多分、お空の上の方のエライ?人かなんかがこう言っている。
私は文章をタイプしていると、突然、頭が真っ白になって、
言葉が、どわぁ〜っ!と湧いてくることがある。
もはや、自分の言葉じゃないのね。
そういう時は、大体、
「おおお!いいこと書いてるぢゃん!(自画自賛すんなっつーの)」
って思える時だ。
上の言葉もそうだった。
で、自分の中での問題がクリアになっていくことが多いのね。
書きなぐってるうちに答えが出てる、みたいな。
求めてた答えが、いつの間にか言葉になってる、みたいな。
だから、眠くても、この日記を欠かせない自分がいる。
メンタル的にしんどい時は、特に、だ。
ありがたや〜、合掌。
チャネってるんでしょうか?(笑)
自然に、次に「自ら与える」というテーマが見えてきたよ。
自分に与える、そして、人に与える、ということが。
ああ、なんかスッキリした!
さー、寝よっと。
2003年04月28日(月) |
軽い目眩、そして、再体験する絶望 |
ある出来事で、絶望のような気持ちを体験した。
もうダメ!死にたい!なんて激しいものじゃない。
でも、軽い目眩のように一瞬くらっ…とし、胸にズキッ!と来た。
人は欲張り。
特に、自分が好意を持つ相手に対しては、
その人にとっていちばんでいたい、素敵な存在でありたい、
そう思うものだよね。
私の胸の当りからみぞおちにかけて、
鉛の弾をぶち込まれたようなその出来事は、
私のそんな欲求をこなごなに砕いたものだった。
「お前じゃないよ」
そんなことを声なき声で言われたような、そんな出来事だった。
こと、キャラも含む自分の容姿に関してのこととも言えるので、
ものすごく重苦しく鈍い痛みだった。
真っ向から自分という存在を否定されたような気持ちになり、
軽い怒りまで湧いてきてしまった。
重くて鈍い痛み。
ちょっと片寄った言い方をすると、私は「選ばれなかった」のだ。
それは、ある意味、私のまったくの「反応」で、
相手はそんなことしているつもりはこれっぽっちもないのだ。
でも、私は「選ばれなかった」と反応した。
そして、私は、相手から別の人への単なる橋渡し役になってしまった。
みじめだった。
小さい頃の私は、目も腫れぼったく一重で、ほっぺがふくらんでいた。
男の子達から「ブス」とか「ふぐ」とか呼ばれていて、
髪の毛もくせっ毛でうねうねし、髪型もなんだかおかしくて、
自分の容姿がものすごくコンプレックスだった。
父親からも「満月みたいなみっともない丸い顔」と言われていた。
「お前みたいなブス相手にするわけねーじゃん」
中一の時、憧れていた男の子に気持ちがバレで言われた言葉だった。
今回の出来事の相手の声なき声が、そんな言葉とオーバーラップしてくる。
「お前じゃないよ、お前を選ばないよ」
そう聞こえてくるみたいだった。
『ほらね、だからお前じゃダメなんだよ、ブス』
心の中で自分が言う。
私の中の子供は「私は醜いから愛されないの」と言っている。
それは、父に「みっともない顔、おかしな顔」と言われてきたからかもしれない。
母に「あんたの友達の○○ちゃんは美人なのにねぇ」と言われたからかもしれない。
整形してまで顔を変えたいと思ったこともあるのは、
そんなルーツがあるからなのだと思う。
「だから、キレイだと言って、愛してると言って!」
私の中の子供はそう言ってすすり泣いてるみたいだ。
ひょんな出来事で、私は、しばらく忘れていたことを思い出した。
それは、軽い目眩と共にやって来た絶望感の再体験だった。
前にも味わったこのみじめさと惨敗感、怒り、悲しみ、寂しさ。
抱きしめてあげよう。
そんな自分を。
ある出来事を通じて、感じてほしくて訪れたこの感情を。
本当は、ここにいるだけでいいのにねぇ。
3月31日に行方不明になったウチの猫、めいが、今日、無事帰って来た。
近所の人から捕まえたので引き取りに来てほしいという電話があったのだ。
そして、お迎えに行って、めでたく、めいは帰宅した。
あまりに意外な、そして、あっという間の展開で、私はいまだにきょとんとしている。
彼女がいなくなって1週間後、私は、写真入りのチラシを作り、
マンションの周りの一戸建ての家に配りまくった。
田舎の横のつながりはスゴイ。
私の知らない所で、猫好きの人達がかなり気にしていてくれたらしく、
その情報網で、めいがみつかったのだ。
昨日、近所の人の言うめいの目撃現場にアンナと出向いてみた。
その時、実は、めいに会ったのだ。
でも、いちばんなついてた私が行っても逃げてしまって近寄らない。
もう野生化してしまって、私達家族のことも忘れてしまったのだろうか?
そう思うと、捕まえるのは不可能にも思え、
仕方なく、その日は帰り、しばらく居ついているらしい場所に通うことにした。
それが今日、あっけなくよその人に捕まっていた。
なんでも、その人の家に迷い込んだところを、玄関に閉じ込められたらしい。
おととい、めいが帰って来た夢を見た。
それは、私が生まれて初めてみた正夢になった。
イヤがるのを無理矢理連れて帰ったもんだから、
家の中でも暴れたり隠れたりすると思っていたら、
最初のうちは警戒していたものの、
ふがふが言いながらエサをもの凄い勢いでたいらげると、
気が狂ったように甘えん坊さんしてきて離れなくなった。
あんなに人に寄り付かなかっためいが、だ。
よっぽど外で寂しかったのだろう。
今の私の膝の上にいる。
忘れてなかったんだ、私達のこと!
すべてがあまりにも突然で、意外で、訳が分からなくて、
私はいまだにキツネにつままれたような気持ちでいる。
でも、膝の上に寝ているめいの体温が、私達に起こった出来事を語っている。
めい、おかえり。
ちょっと痩せて、触ると肋骨がごつごつしてて、毛も薄汚れてボサボさになって、
でも、まぎれもなく、めい。
おかえりなさい。
嬉しい。
こっそり嬉しい。
時間が経つほどに嬉しくなってくる。
アンナも、めいの失踪から今日の帰宅に至るまでのことで、
恐らく、多くを学んだに違いない。
昨日、3週間以上ぶりにめいを見たアンナは、夜の闇の中で大声を上げて泣き始めた。
めい、寂しかったよぉ、寂しかったよぉ!って。
がまんしてたんだね、アンナ。
めいが帰って来たからと言って、何も変わらない斉藤家だけど、
でも、なくなってたパズルのピースを見つけてパチッとはめたような感じがした。
でも、ひとつ問題がある。
めいは帰って来たものの、家にひとり残っていたはなが、
めいの帰宅でひどくご機嫌をそこねたのだ。
怒っているらしく、めいが近付くと、フーッ!とうなる。
あああああ〜?なんでだ〜?
感激の対面をすると思ってたのに〜!
はなは、めいがいなくなってから、相当な溺愛を受けた。
それまでは、先に来ていためいが君臨していてナンバー2で立場も弱かった。
猫同士で遊んでいたし、人様にベタベタもして来なかった。
でも、めいの失踪により、遊び相手もいなくなると、私達にべったりになり、
二分割していた家族3人の寵愛をひとりで受けることになったのだ。
恐らくは、その味をしめていたのではないかな?
そこに、めいが戻って来て、トップの座を揺るがす存在と認識したのではないかな?
あんなに仲良しだったのになぁ。
めいは戻って来たものの、更なる問題が。
でも、それはもう猫同士なんとかしてもらうしかない。
時間をかければ戻ると思っている。
めいは、はなと仲良くしたいらしく、そばに寄って舐めようとしたりする。
何度も近寄っては、その度にフーッ!とやられ、しんみりと遠くからはなを見てる。
頑張れ、猫達!
とにもかくにも、猫めい帰宅。
25日間の失踪劇が、今日、幕を閉じた。
2003年04月22日(火) |
現実世界を生きようよ! |
私の友達が、ある人にいきなりオーラの状態をリーディングされて、
「あなたのオーラ、小さいし、ちょっとまずいわよ。
健康管理しないと危ないから、きちんとしてね。
ちゃんと睡眠取ってるの?」
みたいなことを言われたそうだ。
ものすごく不愉快だと言っていた。
頼んでもいないのに、いきなり自分のオーラを見られて、それを説明されて、
相手は見て説明したことで何かそれに責任を持つの?って。
彼女は不安になっただけで、いいことひとつもなかったと言う。
もし、その人が
「眠そうね。
疲れて見えるから、ゆっくり休んでね」
と言ったらどうだろう?
「ありがとねぇ〜」と嬉しくなって終わってただろうにねぇ。
別の日、友達がまたその人に会うと、
「あら、今日はオーラがきれいね」
と言われたそうだ。
彼女の言葉をそのまま使うと、
「てめーには私という肉の塊は見えないのか!?」と思ったそうだ。
そのメールを読んで大ウケしてしまった。
肉の塊、ホントそうだよねぇ。
私達が誰かに会った時、
「オーラが素晴らしくてあなたはスゴイわ」
「まぁ、きれいな色のオーラをしてるわね」
そう言うだろうか?
「エネルギーが滞ってるわ、疲れてるのね」
「オーラが赤いわ、怒ってるのね」
そう言うだろうか?
もし、そう言ったとしたら、それは素敵な表現?
私個人は、なんか「ん?」と思う。
「あなたと話すと元気になる」
「あなたといると楽しくなる」
そんなふうに伝えた方が素敵じゃないかなぁ、って。
「疲れてるね〜」
「何かやなことあったの?」
とかって。
もちろん、その人の状態がオーラに反映されているのは明白だけど、
でも、そういう目に見えないものは、
オナラすると見えないけどクサイのと同じで、
間違いなくそこにあるんだけど、すべてじゃなく、かつ、流動的だと私は思ってる。
太陽の角度が変われば私達の影の長さが変わるように。
オーラは私達の何かの情報を反映しているに過ぎない。
それがすべてなら、私達は肉体など必要ない。
オナラする度に、
「まぁ、今の音色は繊維質の多いものを食べた時のものね」
「あら、この臭いは肉を食べた臭いね、しかも松坂牛ね。
でも食べ過ぎよ、いけないわ」
とか言われたどうよ?(笑)
オナラなんか、聞こえない、臭わない、フリしてあげるのがやさしさぢゃん(爆)
ドクターが、仮に、オナラでその人の健康状態を判断するような場合、
(そんな場合なんてあるのか!?笑)
そういう判断や認識は必要だろうし、
同じく、ヒーラーなんかが、
その人の状態の判断に必要だからそれを見たり口にしたりもするだろう。
でも、普段は、オナラが自然現象で気にならないように、
オーラだのエネルギーだの、魂だの、そんなの気にしなくていいんじゃないかなぁ。
あたりまえにそこにあるものほど、
本当は気にならないし、いちいち目にも止めないと思う。
私達は道ばたに映る自分の影をいちいち気にするだろうか?
そういうのが見えたりすることがステイタスに感じられるうちは(無意識にでも)、
きっと、私達は傲慢なのだと思う。
それらはひとつの知識や判断材料なのであって、すべてではない。
それらを媒体として何かを知ることよりも、
それらが見えること自体に執着してしまうと、
どっかで何かが狂う気がする。
それを、その友達みたいに、逐一見て報告されるってのかなり辛いよねぇ。
もし、私がそうされたらイヤだねぇ。
そんなんいらねーよ、あっち行けホイホイだよ。
もっと、こうなんて言うのかな、
天気がいいねとか、空が青いねとか、子供のケツが青いね蒙古斑とか、
心からそういう話ができたら素敵だよね。
トイレでおしり出しながら、オーラが、魂が、カルマが…と考える人はいないだろう。
ああ、便秘なのは私のエネルギーが滞って…腸にネガティブな感情が溜まって…
仮にそういう人がいるとしたら、
「水分をいっぱい取って、繊維質の多いもの食おうよ」と言いたい。
昔、あるテレビ番組で、浮かばれない霊に憑かれた人のことをやってて、
その人が憑いた霊を払ってもらい、最後に助けてもらった霊能者にこう言われていた。
「あなたは何でも霊や見えないもののせいにしている。
あなたの中にある現実の問題を見ていない。
だから、霊が憑くのです。
確かに霊は存在して、人に憑くこともありますが、
あなたのような人に憑くのです。
あなたは、自分の中にある問題をそういうもののせいにせず、
まず、自分自身をしっかり見つめて、
自分で解決することから始めなけれなりません。
そうでないと、何度でも霊はあなたに憑きますよ」
私は、その霊能者を本当に素晴らしいと思った。
そういう人がそういう仕事をするべき人なのだと思った。
すごくカッコイイと思った。
まさに現実を生きてるんだな、と。
霊能力という非現実的な力を現実に調和させることができている素晴らしい人なのだと。
基本はいつも「私という肉の塊」でいたいと思うよ。
現実世界を生きようよ!ってさ。
何かをしようと思ってるときに、まさにその「何か」を、
人から「○○した方がいい」とか「○○してください」とか言われると、
ものすごく怒りが湧いてくる。
たとえ、どんなに口調や文体がやさしくても、もうダメね。
そこには「わかってるよ!みくびらないでよ!」っていう、
悲しくもチンケな気持ちが存在しているのだと思う。
私はずっと昔から見下されると感じるのがすごく嫌いだった。
相手の言動によってぞんざいに扱われていると感じるのが嫌いだった。
そう、あくまで「私がそう感じる」のであって、
相手が自分にそうしているとは限らないのだけど、いわゆる、私の反応でね。
相手が善意で言ってることだってままあるんだから。
ここ数日、多いんだよね、そういうの。
そう、私がひねくれちゃうようなことが。
ものすごく怒るんだけど、本当は怒ってるんじゃなくて、悲しいのね。
人は怒ってる時、悲しいとか寂しい気持ちが根っこにあるからね。
「反応」があるということは、それを引き起こす「原因」がある。
今度は私から何が飛び出そうとしてる!?
んふふふふ、受けて立とうではないかっ!
さあ、行くでー、次へ。
2003年04月18日(金) |
癒しても癒えない痛みが持つ意味 |
この仕事をしながら人の痛に向き合ってきて、最近「あること」に気付いた。
それは、癒しても癒せない痛みがあることだ。
癒しても、癒しても、どうにもならない現実があるということだ。
よく「準備ができていない」と表現することがあるが、それについては理解していた。
事実、セラピーを受けてもセラピー自体を受け付けない人を、私は数多く見てきた。
癒しても癒えない痛み、それが存在することは自分が体験していた。
そして、それは、その「準備ができていない」こととは別のように思えた。
私はその中で、ここ4年ほどもがき続けていた。
それはもう絶望だった。
なぜ?どうして変わらない?
いつまでこの痛みが続く?いつまでこのパターンが続く?
自問自答の日々だった。
自分のしている仕事の意味さえ見失いそうになった。
「セラピーなんかこの世界に必要ないじゃない、こんなに何も変わらないなら!」
そう思った。
昔、あるヒーラーに言われたことを思い出す。
「あなたはまだ手放したくない痛みがあるね。
どんなにブロックを外そうとしてもはずれないの」
私は耳を疑った。
こんなに苦しくて楽になりたいから来てるのに、
私がその痛みを手放したくないだって?
私は痛みを手放したくて仕方ないのに。
彼女の言葉の意味がわからなかった。
7年前のことだ。
そして、7年の歳月を経て、私はようやっとその意味を理解した。
先日、日記にも書いたように、私は父に手紙を書いて渡した。
それは、父の根源の痛みを理解し、彼の全てを受容できたからだった。
まさに、父のすべてを許せたのだ。
その区切りと、その気持ち、愛と感謝を伝える手紙だった。
それから奇跡は起こった。
私が手放せない痛み、手放せないパターン、
それが、私から消え去ったのだ。
それは、アンナへの仕打ちだった。
言葉での暴力、時に手を上げることもあった。
そして、不本意な自分のそんな言動に苦しみ、自己嫌悪し、
抜け出したくて、抜け出せなくて、セラピーの無力ささえも感じた。
アンナを怒鳴りながら、私の心はいつも激しく泣いていた。
私は彼女にトラウマを植え付けているだけの母親なのか、と。
子供を愛することもできない母親なのか、と。
それが、私から突如消え去った。
そして、私は知った。
今まで私が持っていたアンナへのパターン、
それは、私が父を受容するために必要なプロセスだったのだ。
それなくして、私は父の痛みを知ることも、彼を許すこともなかった。
だから、私はずっと持っていたのだ。
「癒しても癒えない痛み」を。
私を苦しめてきたはずのトラウマによる言動パターン、繰り返す過ち、
それが、私を、そして、私にトラウマを作った父をも救ったのだ。
そして、その役目を終えた私のひとつの「パターン」は、私の中から消えた。
父を許したことで、父に許されなかった私をも許し、
そんな自分を投影していたアンナに反応しなくなったのだ。
このために、私の深い意識は、魂は、
後生大事にアンナへのパターン、トラウマによる言動パターンを持っていたのだ。
これが、まさに、魂が「手放したない痛み」だった。
この痛みを通して、私は人生のレッスンを受けていたのだ。
それなら、はじめっからトラウマなんかなければいい話、
そう思う人もいるかもしれない。
でも、それは違う。
もし、トラウマによる痛みや苦しみを体験しなければ、
到達できない場所があるのだ。
それは、人の心の深みだ。
今、私は、人の痛みの中に光明を見る。
その先にある光を知っている。
癒しても癒えない痛みが持つ意味が、ようやくわかりかけてきた。
自分に起こる辛い出来事や、自分が持つ苦しみのパターン、
そういったものは、幼少期のトラウマが原因だと思っていた。
場合によっては、前世での体験が大きく影響したり。
そして、もちろん、それは真実なのだろう。
けれど、トラウマさえも意味があるということを、
私達は段階を踏んで学んでいくのだろう。
苦しみもがいている人にこんな話をしても、ちっともありがたくないはずだ。
まずは目先の問題を解決することが大切なのだ。
物事のすべてには段階が必要だ。
そして、癒しを繰り返し、自分の内面を見つける作業を続けていくうちに、
癒せない痛みに出会い、悩み、苦しみ、もがき、
やがて、その癒えない痛みの意味を知るに違いない。
私もそのひとりだ。
私達は、なんと大きな流れの中に組み込まれているのだろう。
人生という気が遠くなるような長い時間をかけて、
大切なことを学び取ろうとする魂の偉大な計画、
それが生きるということなのかもしれない。
私達は偉大な宇宙にこよなく愛されていると感じる。
今日、実家に顔を出した。
その手紙を渡してから初めての帰省だった。
父は手紙については何も言わなかったが、特上の寿司を用意してくれた。
「うまいか?うまいか?
今度帰ってきたら食わそうと思ってたんだ」
そう何度も何度も繰り返し私に言った。
私は「うまい!こんなうまい寿司食べたことないよ!」そう答えた。
そして、その寿司は、本当にうまかった。
生まれてから今まで食べた中で、いちばん美味しい寿司だった。
父の精一杯の想いがつまった、宇宙でいちばん美味しい寿司だった。
私は家族で食べたこの寿司を、生涯忘れないと思う。
明日はライブ本番。
楽しみます。
2003年04月08日(火) |
ラブレター・フロム・不出来なムスメ |
今日、私は父に長い手紙を書いた。
お父さんの暴力を体験した環境が、私を今の仕事に就かせてくれた、
それは、お父さんが私に巻いてくれた種が実りをもたらしてくれたからだ、と。
お父さんの生きた証は私の中にしっかりと残り、私はそれを受け取った、と。
大好きという言葉を添えて。
私と父は成人してからまともな話をしたことがない。
してもいいとこ天気の話。
それを、そんな手紙が娘から来たら驚くだろう。
でも、私はなぜか「今」それを伝えなければならないと感じた。
父はすでに70歳を越えているし、病気だ。
いずれこの世を去る前に、それだけは伝えて彼を救いたいと感じた。
この世で彼がすべきことを、彼は立派に成し遂げたと伝えたかった。
私は不器用な父を心から愛する決断をした。
彼の一番の理解者になる決断をした。
それは、彼の今でも続く理不尽で暴力的な行為に耐えることではない。
けれど、それらをひっくるめて、父を受け入れることなのだ。
この決断をするまでに、私は36年という月日を費やした。
いや、この36年が必要な時間だったのだ。
そして、不出来なムスメは、生まれて初めて親父にラブレターを書いた。
私の心はあったかかった。
「お父さん」という言葉の響きが、あたたかくて心の中に溶け込んでいるように感じる。
私にしっくりくる感じがする。
ああ、この感じだったんだ、私が欲しかったのは、そう確信した。
お父さん、大好き。
父は母に暴力をふるい、私はそれを見続け、怯えた。
また、私も暴力を受け、言葉でズタズタに傷つけられた。
虫ケラ以下の扱いを受け、自分の存在全てを踏みにじれらた。
彼はナチスのヒトラーさながらで、私は迫害されるユダヤ人のようだった。
選択の余地も、幸せになる権利もなかった。
恨んだ、呪った、殺したかった。
でも、今は、そんなことさえ忘れてしまった。
私は大人になり、師に出会い、癒されてきた。
人が生きるということを学んだ。
そんな今、私はもう父を嫌う必要も、憎む必要もないのだった。
そこにあるのは、愛したい気持ちだけだった。
私にできることは、生い先短い父に心地よくこの世を去ってもらうことだと感じた。
だから、愛をいっぱい贈りたかった。
愛に飢えた人だから。
ただ、ただ、愛が欲しくて暴れてきた人だったから。
その足りない愛を与えたくなった。
生きていてよかったと思ってもらいたかった。
それが、私にできる唯一の親孝行だと思った。
だって、私はセラピストになるためのこんな素敵な人生をプレゼントしてもらったのだから。
私達、同じ不出来な親子なんだねぇ、お父さん。
今、なんのわだかまりもないよ。
不出来なムスメのラブレター、受け取ってね。
死ぬならそれを読んでから、いい人生だったと思ってからだよ。
今、愚痴と不満ばかり言ってるそんな状態じゃ死に切れないよ。
そんなよろよろになっちゃってさぁ、楽しく死ななきゃ。
私を親にしてくれたアンナのおかげなんだよ、お父さん。
そのアンナに怒鳴り散らしてね、苦しくなってね、泣いてね、知ったんだよ。
命って不思議だね。
魂って不思議だね。
頑張り過ぎてる人には「頑張らなくていいよ」、
頑張りどころに来ている人には「頑張って」、
それが必要な人には厳しい私、
それが必要な人には優しい私、
それが必要な人には友達のような私、
それが必要な人には先生としての私、
それが必要な人には沈黙、
それが必要な人には言葉、
ある人には笑顔、
ある人には無表情、
ある人には涙、
ある人には怒り、
ある人には無知、
ある人には同意、
ある人には反論、
ある人には現実主義者、
ある人にはスピリチュアル論者、
沢山の顔、沢山の態度、沢山の言葉、臨機応変に。
心からの私のすべてを臨機応変に。
私にできることがあるとしたら、きっと、そんな私でいること。
マニュアルのない私のマニュアル。
ルームの一枚のドアをくぐった時、私はそんな私でありたいと思う。
2003年04月03日(木) |
That's the life |
アンナが眠り、ダンナは飲み会、夜、ひとりになった。
人が生きるってどういうことなんだろう、
そんなことをぐずぐず考えていた。
セラピストって一体なんだろう、
同じ人間なのに、人様に向かって一体なにしようというのだろう、
私だってボコボコだし、性格もイヤなとこいっぱいあるのに、
一体何ができるっていうんだろう、
そんなことを考えていた。
もちろん、答えなど出ない。
とうとう、自分が情けなくなって泣いた。
もう何もできない、私なんかダメだ、そう思った。
しばらくうずくまって顔を上げると、
たたんでいない洗濯物の山、散らかったアンナのおもちゃ、
片していない夕飯の食器、脱ぎ捨てた服、
そんなものが家中に散乱して、ゴミ捨て場のようだった。
なにもかもがイヤになった。
まるで、私の心の中みたいな散らかり様。
それを片付けることもできずにグズな私。
そして、またうずくまった。
少ししてまた顔を上げた。
こうしてうずくまっていても何も変わらないんだ、そう思った。
人が生きるって一体なんなのか、そんなことはわからない。
セラピストが一体何様なのか、何ができるのか、そんなこともわからない。
でも、目の前にある散らかった家の中をなんとかすることはできる、
そう思って、ものすごい勢いで片付け始めた。
小一時間もすると、家の中はずいぶんとキレイになった。
とても気分がよかった。
そして、やればできるじゃん、そう思った。
私は人生についてや、セラピストの云々を知ることはなかったけれど、
家の中をキレイにするという作業をした。
生きることとはこういうことだと思った。
目の前にあるものから逃げないこと、とにかくできることからやること、
自分がそれをしなければ、いつまで経っても何も変わらない。
それがたとえ、人生の真実や悟りとは程遠い片付けであっても。
それが何かにきっとつながるんだ、
なぜかよくわからないけれど、そう確信した。
できない、わからない、そう嘆くのは甘えだ。
時にはぐずぐずしても、甘えても、弱音を吐いてもいい。
サボったっていい、逃げたっていい。
でも、いつまでもそうやっているのは、
体よく生きることを放棄していることかもしれない、そう思った。
自分の価値や力や輝きを、自らつぶしていることかもしれないと。
生きるとは生々しいことだ。
常に目の前にあるものと対峙し続けることだ。
そして、行動あるのみなのだ。
わからなければ、わからないなりに、もう、動くしかない。
動いていると、いつか答えに出会う。
家の中をすっかりキレイにした私の中には、小さな可愛らしい炎がポッと灯った。
なんだかよくわからないけれど、またうまくやれそうだと思った。
傲慢な奴にはなりたくない。
私は何も知らない、何もできないのだ。
だからこそ、こうして生きているのだ。
生きてそれを知るのだ、できるようになるのだ。
それが人生だ。