おひさまの日記
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2003年01月31日(金) 大人の涙

昨日は子供の涙から感じたことを書きやした。
今日はその続編っぽいことを書きたい気分。

昨日は、子供の涙を見るのが辛い、
泣く子供をどうしていいかわからない、どうにもできない、
無力な自分に腹が立って、泣く子を制したり、怒ったりしてしまう、
そんなことを感じたけど、
実は、それは、子供を見る親だけでなく、
すべての人間関係において言えると思ったのね。

大人同士の人間関係においても、
特に夫婦なんか、相手が感情をどわぁ〜っ!と表現してきた時、
それを受け止めるのが辛くて、
もしくは、受け止めてもどうにもできなくて、
どうしていいかわからなくて、
そんな自分がイヤで、そっから逃げることがある。
相手を責めたり、否定する形で逃げることもある。

しかも、無意識にソレやっちゃうから始末におえない。

私が知っている人でもそういう人がいる。
コミュニケーションから上手に逃げるタイプで、
肝心な話題になると、わかりまっしぇ〜ん!みたいな態度になったり、黙ったり。
訳わかんねー理屈こじつけて、人の言い分ひたすら否定したり。
それでパートナーとの関係サイアクなものにしてる。

でも、よっく感じていくと、その人は相手に心をオープンにされると、
受け止められなくて、どうしていいかわからなくて、
いたたまれなくてそっから逃げてるみたいだ。
パートナーの寂しさをキャッチしても、どう扱っていいか分からないのだ。
相手の痛みをまともに受け取ってしまうと、
自分も苦しくて仕方がなくなってしまう。

昨日の日記のように、
自分が泣いている子供を見て「泣くな」と制するのと、
彼女が寂しさをぶつけるダンナさんから逃げる行為は、
実は同じことなんだな、って、思った。

私達は、相手を救えない、相手に応えられない、
そんな自分が苦しくて、そこから立ち去ってしまうことがあるのだ。
そして、相手はそれを見て、拒絶されたと誤解してしまう。
そこには立ち去る者の見えない涙がある。
聞こえない叫びがある。

私達は自分の「反応」を自分の「本当の気持ち」だと誤解している。
でも、「反応」と「本当の気持ち」は別モノなんだよね。
大人の見えない涙は、「本当の気持ち」の方に潜んでいる。

子供のように、寂しいのだと上手に言える大人が、一体どれくらいいるのだろう?
上手に言えるなら、人が寂しいと言った言葉も上手に受け取れる。
もし、みんながそれを口に出せたら、世界はもっと平和になるに違いない。
大人が深い意識の奥で流す見えない涙が、見える涙になったら。



「フランダースの犬」とか見た時のああいう涙とは別モノですから、
くれぐれも(笑)


2003年01月30日(木) 子供の涙

アンナの大の仲良しの女の子が都内に引っ越すことになった。
アンナとその子、Sちゃんは、お腹の中にいる時からのお友達。
つまりだね、Sちゃんのママと私は、陣痛室で友達になったのだ。
出産後退院すると、偶然にも彼女が私の住むマンションに越して来たのだ。
そして、転勤族だった彼女は去ってゆく。
Sちゃんを連れて。

今日、アンナにその子がいなくなることを伝えた。
アンナはみるみるうちに泣き顔になった。
そりゃそうだ、生後3か月から今までずうっと一緒だった。
ケンカもしたけど、一番の友達、4歳でも別れはどんなものかわかるのだ。
アンナの大きな瞳から、涙がぽろぽろこぼれた。

その時、私は複雑な気持ちになった。
泣いているアンナを見て「泣かないで」と言いそうになった。
悲しいから泣く、そんな彼女の自然な行為を制しそうになった。
普段から「悲しい時はいっぱい泣きなさい」と言っているクセに。
「離れても会えるよ」「お電話でも話せるよ」と、
矢継ぎ早に機嫌をとるようなことを言い、彼女の悲しみをごまかそうとした。

本当は、大好きな友達との別れに直面し、
悲しみをいっぱい感じたアンナを思い切り泣かせてあげたかった。
だっこして、涙枯れるまで背中をとんとんしてあげたかった。
でも、それができなかったのだ。
私の子育てのポリシーである「最初の感情をとことん感じさせる」、
それがどっか遠くにすっ飛んで、体のいい親のエゴの押し付けになった。
励ますことなど、後でいいのに。

なぜか?

それは、アンナに泣かれると困るからだ。
泣いているアンナを見ると純粋に辛いからだ。
小さな指で涙をすくいながら、体を震わせる自分の子供を見るのが辛いからだ。
私自身の中にもある何かと連動し、その光景は私の胸まで痛くさせるからだ。
見たくないのだ、子供が泣いているところなんて。
どうしていいかわからなくなる。
悲し過ぎるのだ。

そして思った。
大人はみんな子供の涙を見たくないんじゃないかな、って。
それは、辛いから、いたたまれないから。
それをどうにもできない自分がふがいなくて、
もし、子供を泣かせたのが自分なら、こんなにも苦しめてしまったのだと感じて。
どうしていいのかわからなくなって。
子供への「うるさい!泣くな!」という親の叫びは、
「あなたを救えない私を許してちょうだい」という親の叫びでもあるのかもしれない。

だからこそ、私は、いっぱいアンナを泣かせてあげようと思った。
逃げないで。
私自身をも救うために。

涙枯れるまで泣いて、悲しみを感じ切って、子供が笑顔を取り戻した時、
それを見届けられた親は、きっと、大きな満足感を得るだろう。
人生の大きなワークをこなしたからだ。
「すべてを受け入れる」という大切なワークを。

感情は感じ切るのだ。
感じ切った時それは消えるのだ。
それを一番よく知っているのは子供。
そして、その真実を実践しようとする子供を制するのは、
感情を感じ切らずに大人になってしまった親なのだ。
そんな親が、また感情を感じ切らない子供を世に送りだす。
ちょっとずつでもいい、今からだってできる。

子供の涙は、たくさんのことを教えてくれる。


2003年01月27日(月) 私の大好きな人達へ

私の周りには、素敵な人がいっぱいいる。

けれど、そういう人達に限って、
あんまり取り柄がないとか、
何もできないとか、
自信がないとか、
そんなコト言ってる。

私はそんな人達がただそこにいて、作り出してくれる空気が好きだ。
心地よくて、大好きだ。
私はそれを彼等に心から伝えたいよ。

あなた達が感じている自分の価値のなさなんてのは、
あなた達がそう感じているだけで、ただの幻想なんだってコトを。
他の人達が、もし、あなた達に何か威圧的だったり、
あなたを傷つけるようなことを言うのなら、
それはその人達の自信のなさだというコトを。
あなた達はダイヤモンドのハートを持っている。
誰にも侵すことができない輝きを持っている。

ただそこにいるあなた達が大好き。
難しいことは考えなさんな。
エイミーが好きだと言ってるんだ、素敵だと言ってるんだ。
間違いないんだ。


2003年01月22日(水) ドツボの贈り物

少し前、ドツボにハマっていた。
わーわー泣くし、家族には当り散らすし、
会う人会う人が私を蔑んでるように思え、世界中が敵に見えるし、
そりゃーひどいもんだった。
死ぬ気なんてさらさらないのに、死にたい、なんて考えた。
落ち込んでいる人間は、えてしてそういうもんだ。

去年の暮れから絶好調で走り続けてきた私に久しぶりに訪れたドツボ、
抜けたからおちゃらけられるが、相当キツかった。
理由はともあれ、そこから抜け出した時、私はたくさんのものを取り戻した。
そのひとつが、この仕事をしていく上で欠くことのできないものだった。
「痛みを知る」ということだ。
私は絶好調続きで、ある意味「平和ボケ」していた。
ハイテンションで人生を暴走する理想主義者でもあったかもしれない。
こんなんじゃ、私の仕事はちょっとマズい。

私達の仕事にとても重要になってくるのは「共感・共鳴」だ。
そこにそんな状態だと、上から人を見下ろしかねない。
これは決してあってはいけないことなのだ。

かと言って、じゃあ、セラピストは、
いつも痛みを知る体験をし続けなきゃならないのかと言うと、そんなことない。
それを忘れない謙虚な心でいればいいのだ。

忘れていると、ドツボにハマるような出来事を自然に引き寄せる。
つまり、歯車が狂う。
暴走した見返りが自然にやってくるというワケ。

なんか違うことしてる自分への反応がただ返ってくる、
メガネが曇って(調子こいて真実を見る目が歪んで)見える景色も曇って見える、
そんなシンプルなコト。

で、気付くんだ、あ、なんか私「違う」かも、って。
自分に起こる出来事を見ると、自分の内側がよく分かる。
もちろん、最初の頃はわからなかったよ。
でも、ひたすら見つめるクセをつけると、だんだん分かるようになる。
これは、ある意味、人生のエクササイズだね。
誰にでもできるんだ。

本当にうまくできてると思うよー、見えない世界は。
一体誰がこうもうまく作ったんだろうかと思っちゃうねー。
見えない法則は必ずあるよ。

そして、しみじみ感じたことは、
同じ人や状態、出来事でも、自分の精神状態によって、
その受け止め方が全く変わってしまうということだ。
これが一番こわい。

私達セラピストは、まず色メガネを外すことが必要であり、
そこにいる人、そこにあるもの、それそのままを見ることが重要だ。
これを改めて肝に銘じたのだった。

ドツボから抜け出して初めて思える。
「ああ、いい体験だったなぁ」と。
最中は、自分を他人を状況を、恨み、呪い、嘆く(笑)
それをやってこそ抜けられるし。

改めて思うね。
辛い状況の中にこそ、贈り物がある。
それが必要だから、そんな状況を引き寄せる。
山の次には谷があるけど、谷の次には山がまたあるのだ。


2003年01月21日(火) いい買い物

今日、近所のタバコ屋の自販機でタバコを買った。
家に帰ってみるとタバコがない。
そう、釣り銭だけとってタバコを自販機に残してきてしまったのだ。
ソッコー、取りに行った。
が、なかった。
その間わずか10分程度、あーあ…。

結構、腹立たしかったし、ブルーだった。
自販機の前に立ち尽くす私のそばにはタバコ屋のおばちゃん。
「おばちゃーん、タバコ買って取り忘れて帰って、
 慌てて戻ってきたらもうなかったよぅ〜!」
そう、なんせ成田、田舎、近所の店のおばちゃんとも顔見知りでよくお話するのだ。
「あら、残念だったわね〜、みんな持ってっちゃうのよね〜」
「悔しいなぁ!ま、しょうがないですよね…」
そう言って私は、また新しいタバコを買った。
セーラムピアニッシモ返せよーっ!とイライラしてその場を去ろうとした時、
「これで気分直しなねっ!」おばちゃんは私に何かを差し出した。
それは、タバコのノベリティ用のライターだった。
勿論、使い捨てだけど、安っぽいそれとはそれとは違い、なんかカッコよかった。
「あ…ありがとう!」
とっても嬉しかった。
もちろん、ライターが、ではない(笑)
おばちゃんの気持ちが、だ。
私はすごくあったかーい気分になり、
立ち去りながらおばちゃんにぶんぶん手を振った。

私は280円を失った。
たかが280円だけど、主婦にはデカイのだ。
でも、私は、その280円以上のものを受け取った。
おばちゃんの気持ちだった。
タバコを持ち去られるという、ささいだけど不愉快なことがあったから、
私はその不愉快さを帳消しにするような温かい人の気持ちに出会った。
プラスマイナス・ゼロではなかった。
何事もなくタバコを買ったときよりも、もっと、いいものを受け取った。

私達は、そこに何らかの「価値」を見い出す時、
それ相応の「対価」を支払うことを自分に許す。
そして、その「価値」が高ければ、支払ってもよいと感じる「対価」の値も上がる。
私は失った280円を喜んでおばちゃんに支払おうと思った。
支払ったつもりになれた。
だから、苛立も不愉快さもふっ飛んだのだ。
損した気持ちにならなかった。

おばちゃんの気持ち、
そこに私が見い出したあったかさ、
それが私の今日買ったものだった。
お買得だよね。


2003年01月20日(月) 再認識

知っていると言う者の無知。
できると言う者の未熟。
してあげると言う者の傲慢。

コントロールという名の偽善。


そこから抜け出した時、初めて安息が戻ってくる。


2003年01月14日(火) 生きざま

ふと思った。
その人が、ただその人でいるだけで、それはもうそれでいいんだと。

昔、私は思った。
私には何もない。
得意なこともない。
何もできないんだと。
私なんて、存在していても意味がないんだと。

そんな日々を重ね、もがきながらここまで来た。
色々なことがあった。
そこから色々なことを学んで知恵にした。
それでも、やっぱり、上には上がいる。
そんな人達を見る度に、私はやっぱりまだダメだなぁ、と思った。
足りない、足りない、まだ足りない。
できない、できない、何もできていない。

ある時、中島先生が言った。
カウンセリングやセラピーを生業とし、続けていく中で、
自分がまだだと感じ、足りない、もっともっと力が欲しいと感じ、
とても苦しいと、私がいった言葉に対して。
「そういう気持ちがあるから前に進めるんですよ、それは必要な気持ちなんです」と。
なんだかちょっとだけ目の前が明るくなった。

そして、ねねの言葉を思い出した。
「私達が普通に何気なくしている会話が、
 ある人にとっては衝撃的だったりするし、
 ものすごい気付きが含まれているんだよ」

そうか、私達は、自分を生きていればいいんだ、そう思えた。
自分が自分として生きているだけで、
自分が率先して信じた生き方をするだけでいいんだと。
そんな生き方をしている自分を誰かが見て、
ああ、あんな生き方もあるんだ、あんな生き方をしてもいいんだ、
そう感じてくれた時、そこに生まれるものがあるんだと。

カウンセリングやセラピーはひとつの媒体に過ぎず、
たまたま私の生業なのであって、
本当に大切なのは私の生きざまなのだと思った。
私が自分自身を常に見つめ続け、これだと確信した生き方をしていくこと、
それが、私の仕事にただにじみ出るだけなんだと。

大切なのはその人それぞれの生きざまなんだ。
何ができるとか、何をしているかとか、そういうんじゃない。
生きざまなんだ。


2003年01月13日(月) だらんだらん

だらんだらんしてると、なんか、よい。

だらんだらんしている自分を心からOKできてて、
それを味わってると、なんか、よい。

活力が湧いてくる。
元気も勇気も湧いてくる。

なもんで、今、私、だらんだらんしながら、
とってもいい感じ。

「ねばならない」を手放すと、こんなに楽なのね^^

バシャールにも書いてあったなぁ。
「ねばならない」「べき」という観念が私達の現実を阻むと。


2003年01月12日(日) 自堕落

なんかしなくちゃいけない、そう思うと、なにもできないことがある。

なんにもしなくていいや、そう思うと、すごく楽になる。

で、その「もうなんにもしなくていいや」と思えるようになるまでに、
結構、時間がかかったりする。
つーか、自分が「なんにもできない」状態になってることに気付けないのだ。
そして、気付きたくないみたいだ。
気付いたら「なんにもできない」自分の無能さを認めなきゃいけなくなる。
自堕落な自分を認めなきゃいけなくなる。

けれど、なにもしないこと、できないことが、
果たして無能で自堕落なのかと言うと、そんなことは全くない。

ただ単に、恐いんだよね、何かしていないと。
自分に価値がないように思えてしまって。
特に、今まで何かをすることで、自分の価値を築き上げてきた場合、
それを休んだり、やめたりするのは、
そして、なにもしないでいるのは、ものすごく恐い。

これは、きっと、私だけでなく、沢山の人にも言えるのかもしれない。

私達はあらゆる恐れ(ああなったらどうしよう、こうなったら困る)を
モトにいろいろなことを判断する生き物。
でも、やっぱり、本当はさ、そんな恐れではなく、
自分のホントの部分にフォーカスして色々なことを判断するといいよね。
「ああしたい、こうしたい」ってな部分に。
たとえ、それが時に、常識外れだったり、人に避難されるようなことでも。
それが自分を救う、楽にしてくれる。
だって、最終的に自分を救うのは他人じゃないんだ、自分なんだから。

自堕落、時にはいいじゃない?
さんざんダラケてみると、それにも飽きるんだから。
飽きたら動けるんだから。
そのダラケた時間の中にだって、
無駄に過ごしているような時間に中にだって、
ギフトは絶対にあると、私は思う。

と、自分に言って聞かせる(笑)


2003年01月10日(金)

ゆうべ、アンナを寝かし付ける時「七つの子」を歌った。
「♪から〜す、なぜ鳴くの〜」のアレである。

するとアンナはしくしく泣き出した。
どうしたの?と聞いてみると、ばあちゃんを思い出したと言うのだ。

私が仕事で都内に泊まりで出ていた時、アンナを母に預けていた。
アンナは夜になると私恋しさにいつも泣くのだそうだ。
母がアンナを背中におんぶして「七つの子」を歌う。
すると、やがてアンナは母の背中で安心して眠ったのだという。

アンナは言った。
「ママがお泊まりでアンナの心が寂しいでいっぱいになった時、
 ばあちゃんがカラスの歌でアンナを助けてくれた。
 背中におんぶして歌ってくれたんだよ。
 そうするとね、アンナ、クー、クー、って寝られるんだ。
 ばあちゃん、とってもやさしくしてくれる。
 ばあちゃんに会いたいよぅ・・・」
感受性の鋭い子だなぁ、と、我が子ながら思う。

私はアンナにやさしくしてやることがあまりできない。
母は、そんなアンナの避難所になってくれているのだ。
私には絶対に与えることのできない無条件のやさしさをアンナに与えてくれる。
それがアンナの心を救っている。

私は複雑だった。
私以上の愛情をアンナに注いでいる母、私は一体なんなんだ?そう感じるのだ。
私には決して与えることのできないやさしさを、惜しみなくアンナに与える母。
ばあちゃんはアンナにとって世界で一番やさしい人、心の支えなのだ。
私ではなくて。
私はとても複雑だった。
アンナは、私の機嫌が悪く、イライラしていると「ばあちゃんちに行く」と言う。
私が与えられないものを、彼女が得ようとしているのだから仕方がないのだけれど。
私はとても悲しくなる。

私が幼い頃を思い出す。
今で言うドメスティック・バイオレンスの父、
そんな父に抵抗することもできず、けれど、そのストレスに歪み切った母。
母は幼い私に、時として、とても非情だった。
子供心に深く言葉の矢がささったことも幾度となくあった。
父の激しい言動の暴力と、母の後ろからにじり寄るような圧力。
私は逃げる場所がなかった。
だから、うずくまった。

今、アンナには逃げ場所がある。
そして、その逃げ場所は、かつて、私に決してやさしくできなかった、
小さな私の心をじわじわと傷つけた、その母だ。
アンナに接する母には、幼い私を傷つけたあの母の面影はまったくない。
観音様のようだ。

若かりし頃の母は、傷だらけで、
自分の子供にも皮肉を言うことくらいしかできななったのだろう。
子供を傷つけることしかできなかったのだろう。
とても私を愛しながらも。
そのことで彼女も苦しんだに違いない。

そして、それは今の私なのだ。

お母さん、
私は、あなたがアンナに接するように、私に接してほしかった。
やさしく、笑顔でいてほしかった。
今のあなたが、私の幼い頃にほしいお母さんだった。

でも、あなたがそれをすることができなかったこと、
今はとてもよくわかる。
とても、よくわかるよ。
だから、アンナをよろしくお願いします。
私がまっすぐに愛を与えられない分、アンナをよろしくお願いします。
あの子の心にいつも日が差すように。

お母さん、お母さん、私のお母さん。
私もいつか、今のあなたのようにやさしい母になれるでしょうか?




昨日、アンナのピアノと私のヴォイトレに、光先生を訪ねた。
音楽室のドアを開くと、聞き慣れたメロディが流れてきた。
それは、オルゴールの可愛らしい音で「アンナのうた」を奏でている。
そう、光先生が、私の作った「アンナのうた」をアレンジしてくださっていたのだ。
なんて素敵な曲に生まれ変わったのだろう!
体がワナワナ震えた。
マイクを持ち、そのアレンジに合わせて私は歌った。
歌い終わると、私の頬には涙が伝っていた。
聴いていたアンナも私に抱きついて顔を胸に埋めて動かなくなった。

「好きよ
 好きよ
 アンナちゃん
 ママはアンナが大好きよ
 生まれる前から愛してる
 ママの小さな宝物」

私はあなたにやさしくできなくて、どうしようもなく不器用な母だけど、
いつか、あなたはこんな私を憎み、去っていくかもしれないけど、
私はあなたを愛してるんです、アンナ。
うまく愛せないけれど、愛してるんです。

ママは歌うことしかできないから、心を込めて、この歌を歌います。
あなたが大人になって、子供を生んで、
不器用だったママを知った時、少しはママを許してくれるかな?
ママがアンナをとっても愛していること、その時わかってくれるかな?

ママは本当はアンナにうんとやさしくしたいんだ。

人は母になり、知る真実がある。
人は母になり、悟る道がある。
人は母になり、人となる。


2003年01月09日(木) フリーズ

今、私はフリーズしてる。
何をどういじろうと動かない、動けないんだよ。
電源だけ入ってて、動かないマックと同じ。

自分がフリーズしていることに気付いたのは、昨日。
それまでは、自分が正常に動いているマシンだと思ってたので、
自分の様子がおかしいことになかなか気付けなかった。
でも、私のハードディスクの中で、何かが確実にぐにゅっとなっていた。
だから、現実の流れが滞り始めたのだ。
無意識にその「ぐにゅ」を認めたくないので、
私は、ギシギシ音を立てながら、正確に動くマシンのように振る舞ってた。
そうありたかったし、そうでないといけないように思ってた。

でも、昨日、
「あっ!アタシってばフリーズしてんぢゃん」と気付いた途端、
なんだか笑いが込み上げてきた。
そして、ここ少しの間、私を取り巻いていた状況がストンと腑に落ちた。
なーんでこうかなー!?と、私が嫌悪した状況は、
実は、フリーズしてた私にとって、当たり前の状況だったのだ。
フリーズしてた私にふさわしい状況が訪れていただけだ。

本当の私は自分が固まりたかったし、
私が固まったから現実の流れも止まったのだ。
現実は自分が作り出すんだから。
もし、現実が自分の望まないものだったとしたら、
それは気付いていない自分が作り出してる。

そうなんだよね、うふふ。
私、固まりたかったんだね、立ち止まりたかったんだね、うふふふ。

自分がフリーズしてるなんて、認めたくなかった。
常に、忙しく活躍し、人に囲まれ、自分の持つものをシェアし、
理想のスタイルを維持したかったのだろう。
でも、それらのスタイルを貫いてきたからこそ、私は自分の中で何かを産み落とし、
それを抱きしめているうちにフリーズしたのだ。
産み落としたそれを、私は今度は育てることになりそうだ。
それが育って大きく羽ばたく時、私はまたフリーズを解除するべく再起動をかけるのだ。

思えば、私はそれを繰り返してきた。
そう、これはプロセスだ。
私が恐れている状況ではないのだ。
つまづきでも、滞りでも、衰退でも、最悪なものでもない。
自分にそう言い聞かせた時、私の中の私はほっとしたようだった。
安心してフリーズしていられると、私も感じた。

おやすみ、私。
そうして何もしていないあなたも、とっても素敵。
安心して、何もせず、時間を過ごしてね。
あなたは必ず必要なものをまたつかんで動き出すから。
それまで、おやすみ。
動かずにいてもあなたができることが、あなたを救う。
なにもしないことも行動のひとつ、選択のひとつ。
大丈夫、私。


2003年01月04日(土) やせるゴミ

今日、ベランダで洗濯物を干していて、
ふと、端の方に置いておいたゴミ袋に目が行った。
するとそこに「やせるゴミ」と書いてある。
「えっ!?えええええ!?やせるゴミ!?」
なんのことはない。
「燃やせるゴミ」と書いてある「燃」の部分が隠れて見えなかっただけ。
わかっちゃーいるが、なんだかクスクスと笑いたくなった。
ちょっと楽しい気分になった。

思った。
「燃えるゴミ」じゃなく「燃やせるゴミ」ってのが、環境問題を意識してるよね。
燃えても燃やしちゃいけないものだってあるからさ。

ちなみにプラスチック類は「燃やせないゴミ」として分類される。
こちらは「やせないゴミ」だな。
「燃えない」じゃなく「燃やせない」ってところがまたニクい。




そうそう、1月25日(土)の夜、酒々井でライブやります。
JR酒々井駅からすぐの「ミントタイム」って小さめのレストランで、です。
ねねのライブの時、アカペラでUAの歌うたったアッコちゃんとのジョイントです。
来られる人、来てー。
昔から歌いたかった「Summertime」も歌います。
私が作った「アンナのうた」も歌います。
ご興味ある方、お問い合わせでもしてくれー。
近々こちらからもご案内いたしますが。

あらよっと、宣伝になっちった、へへ。


2003年01月03日(金) くせっ毛

私はくせっ毛だ。
神様が目の前に現われて、体のどこか一部分だけ変えてあげようと言われたら、
サラサラのストレートヘアにしてくれと頼むに違いない。

今私はボンバヘーだけど、
逆に言うとボンバヘーにしていないとカッコつかないのだ。
パーマかけてないと、どうにも形にならない髪の毛。
くるくるパーマが私のトレードマークのようになってるのには、
そういう理由があるのだった。

風が吹いて美しく乱れるサラサラの髪は永遠の憧れだ。
風がやめば美しく乱れた髪が自然に戻り、首を振って髪を整えたり。
でも!くせっ毛は違う!
風が吹くとそれはそれはうさん臭く乱れる。
風がやむとモサモサのぐっちゃぐっちゃのまま固定されてる。
女やめたいと思う瞬間だね。

だから、くるくるパーマと、そして帽子が私の定番スタイルなのだ。

くせっ毛、私なりにコンプレックスなんだよね。

でも。
ボンバヘーがすごく似合うと言われる。
帽子がすごく似合うと言われる。
そう考えると、くせっ毛で悩んでこういうスタイルが出来上がったのも私なのかな。


2003年01月01日(水) 自分への信頼

一年の計は元旦にあり、と言う言葉、ふと、さっき思い出した。
換気扇の下でタバコ吸ってて。

換気扇の下でのタバコタイムって、私にとっては気付きがすごく多い。
だからタバコやめる気がないのかな?(笑)
自作のアミュレットを通して活動するスーザン・ケリーに会った時、彼女も言った。
「タバコ吸うとグラウンディングするのよね」って。

と、話はそれたけど、私の「一年の計」ってなんだろ?って思った。

考えたけどよくわかんなかった。
でも、ひとつだけわかったことがあった。
最近の私は自分への信頼に欠けている。
自分のしてることへの信頼に欠けている。
私の回りには、それを見せつけるような出来事に溢れてた。
すべてが不本意だった。
私はそれらに囲まれ「なぜ?」と問い続けていた。
そして、なかなか心地よくない気分だった。
で、換気扇下タバコタイムで気付いた。
私は私を信頼してないよ、って。

私が私を信頼しないで、一体誰が私を、私がすることを信頼する!?
自信と信頼は密接な関係にあるとは思うけれど、
じゃあ自信がないと自分を信頼できないのか?
否!
信頼するから自信が持てるのだ。
何かができるからとか、スゴイからとか、うまいからとか、
だから信頼するんじゃないんだ。
私にとっての自分への信頼は、
卑屈にならないで前に進む自分がいることを知ることなんだ。
人のせいにしないことなんだ。
道を見つけようとする自分を応援することなんだ。
それを、忘れていたよ。
ある意味での慢心がそこにあったに違いない。
慢心と、そして、卑下が。
相反するものが同時にそこに。
卑下するからこそ慢心し、自分を慰めていたに違いない。

もっと愛してあげよう、自分を。
私にしかできないことを見つけよう。
家族との生活も、仕事も、歌も。
それを、私の「一年の計」にしよう。
取り戻そうと決めたんだ、自分への信頼を。
そして、ゆるぎない自信を持とう、過信でない自信を。
そこにはきっと新しい道が開ける。

今年は、きっと、もっと、いい年になる。


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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