七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
DiaryINDEX|past|will
月曜日、父の葬儀関連で関係各所に電話連絡。 位牌の手配、お寺さんに四十九日のお願い、石材屋さんに墓誌への彫刻及び納骨の依頼、 それに関する返事の電話が行き交い、目まぐるしい状態になる。
火曜日、司法書士さんへ書類を送る。 ミスドの100円ドーナツ(わしの誕生日用)を買う約束を息子としていたため、わざわざ買いに出る。 少し散歩しようと思っていたのに、あまりにクラクラするので断念。 疲れているはずなのに、夜なかなか寝つけず。
水曜日、早朝ひどい動悸に襲われ、さすがに身の危険を感じる。 自分が思っている以上に疲れが蓄積しているのだと悟り、一応旦那に休んでもらう。 朝一で息子にポカリを買ってきてもらい、なるべく水分を取りながら休息。 そういえば前日、やたら喉がかわいてたまらなかったのは、脱水気味だったせいだと知る。 ほぼ一日中寝ていた。
木曜日、前日の水分摂取と休息により、かなり回復したものの、雪に備えて鍋物の食材を買いに出たら、 やはり完全には回復していないと気づく。 この前電話したのに、今頃になって葬儀屋さんから返事の電話が来る。 葬儀の記念写真(そんなのいらねーよ)ができたから取りに来い、と。 しんどくて無理なことを伝え、着払いで送ってもらうことにする。(そんなのサービスで送って来いっつーの(=_=))
そして今朝、ハデに寝坊。(@_@;)電話の音で目覚めるという、しかもその電話が学校からだったという、 ものすごく情けない状態に・・・。 雪の朝、息子を大幅に遅刻させてしまった。(>_<) あぁもう、ダメダメだ。昨夜のVSのダメジュン(失礼・・・勝手にそう呼んでた(^^ゞ)どころじゃない。(=_=) 今日もおとなしく休もう・・・。
追記。
午後。雪で外に出るのが嫌だったため、昨日のうちに頼んでおいた尼様から雑誌が届く。(^_^;) その直後、家裁から電話。家裁へ出向く日程が決まった。離婚調停などがない限り、まず出向くことがないであろう家裁。 わしの人生、イレギュラーな経験がてんこ盛りだよ、お父さん、お母さん。(=_=)
2015年01月25日(日) |
いろいろと疲労が・・・(@_@) |
この1週間振り返ろうとしても、思い出せないくらい記憶がない。 たぶん・・・翔ちゃんのバースデー・・・
そうだった、言うのを忘れてた。翔ちゃん、お誕生日おめでとう♪(>▽<)/゜
もとい。翔ちゃんのバースデーのためにちまちま作業してたのと、それに並行して実家に関することを 何かしらやってたんだと思う。(^_^;)
あ、そうだ。やたら宅配便のピンポンが来たり、電話が1日に何本も来たりしたんだった。
旦那の保険の見直しで保険員が訪問するとの電話があり、「1年に実家の父も母も他界したため、よけいな予定を入れたくない、 入れられる余裕がない」とスパッと断った。さすがに保険員も、それ以上粘らなかった。
生協の勧誘のピンポンが来たのだけど、「既に入ってます」と言ったら、お試しの洗剤をもらった。
面倒なことはできるだけ撃退しもらえるものはもらうという、私も年取ったなーと笑ってしまった。(^_^;)
土曜日は、葬儀屋さんに父の本位牌を依頼するため、実家に行って確認作業。葬儀屋さんに午前中電話をし、 午後2時に行く約束をしていたので、午後そちらに向かったら・・・電話に出た担当はおろか、何にも聞いていない 留守番のおっちゃんがひとりいただけ。(@_@;)
ここでも報、連、相、はなく。(=_=)引き継げよ?なんで「午後2時」って言ったんだよ?その時間いるからだとふつう思うだろが? ったく、どこもいい加減なんだよな。 しかも申し込み用紙をもらっただけで、その場で書いて渡そうと思ってたのに、事情がわからないおっちゃんひとりだったから、 持ち帰ってFAXで送るということに・・・。
あーもーどこもこんなもんだよね。
その後お寺さんに寄ってから帰宅。荷物を置いて買い物に行き、夕飯を食べた後爆睡してしまったのだった。
今日。本屋と翔ちゃんのバースデーケーキ(私の誕生日は祝う予定なし(^^ゞ)を買いに出かけ、ついミスドで一服してしまい、 カロリー消費のために少々散歩して帰った。
そんなこんなの一週間だった。頭痛貧血胃痛腹痛に見舞われている。相当疲れているようだ。(T_T)
追記。
突然思い出した。(^^ゞ 寝不足のためちょこっと寝をしていると夢を見る。 先日は、マツジュン(なぜかマツジュン出演率ダントツ)と夫婦だった。(はい??) 昨日は、息子の進路について「これでいいのかなぁ?」と、亡き母に相談していた。 どちらの夢にも共通していることは、「不可能」。(=_=)
追記2。
土曜日に実家に行った時、仏間の電気をつけたら、蛍光灯の1本が突然パカパカして、つかなくなっていた。 二週間ほど前の告別式の日は、全然チラついてなかったはずなのに?
・・・・・・・・。
お父さん、仏間で何か訴えていたんだろうか?ちゃんとおまいりしてない!だの、作法がなってない!だの・・・ 言いかねないというか、怒りまくってる姿が目に見えるようだ。(-_-;) 納骨後 モメるだろうな 墓の中(一句)。人間関係がフクザツすぎるから・・・。(=_=)
17日、息子の学校行事、無事終了。息子も出番があり、活躍(?)していた。(^^ゞ 久しぶりにおともだちとも会えて話すことができ、うれしかった。おともだち、ありがとう。m(_ _)m 息子にとって高校生活最後の大きなイベント、観ていたらほんの少し涙が出た。
19日、振替休日。かねてより行こうと思っていた「ベイマックス」を、息子と二人で観に行った。 私が携帯を持って出るのを忘れ、足の速い息子に代わりに取ってきてもらうという面倒をかけてしまったものの、 上映時間には余裕で間に合った。
泣いた。泣けた。 まず同時上映の短編のわんこの健気さに泣いた。 ベイマックスでは、軽く数回、号泣レベルが2回。 ヒロの心情が自分の現在と重なりすぎて、また「ひとりじゃない」というメッセージも伝わってきて、 泣きすぎたため、終わった後目が充血していた。(^_^;)
心の中にベイマックスのような癒しの存在があれば、どうにか生きていける。 それは人それぞれで違うと思うけれど。もちろんベイマックスがいてくれたらいちばんいいんだけど。 それぞれの心にベイマックスを持ちなさい、と言われた気がした。 このところ、結局人は孤独で、誰も助けてはくれないと思うことが多かった私にとって、まさに射しこんできた光のようだった。
私はもう大丈夫だから、と言えるように。また、今つらくてたまらないから助けてほしいとも言えるように。
映画を観るということは、家でDVDを観ることよりも、非日常性をよりいっそう強く感じることができるせいなのか、 心の中がすっきりするというか、癒される感じがする。 息子も私も満たされた気持ちになり、「観てよかったね」としみじみ思いながら帰宅した。
最近とみに思うようになったことがある。人生は偶然のめぐり合わせかもしれないが、もしかしたら大方の筋道は 何かによって決まっているのかも、と。 その人が選ぶものも選ばれるものも、その人となりというか、その人だからこそ進む方向が定まっているのではないか、と。 めぐり合う人の苗字や名前に含まれる文字の共通性とか、仲良くなった友達に同じ苗字の子が何人もいるし、 同じ名前の子も何人もいる。 まぁ、趣味嗜好の共通性によって友達になるということはもちろん多いが。
父と母が他界してから、よけいそんなふうに思うようになった。 何かと出遭うタイミングも、できるだけかち合わないようなスケジュールの日々が続いている。 これも父と母の差し金、いや采配なのではないか?何かの力によって生かされている、そんな気もする。
ありがたやありがたやの精神でいれば、たぶんきっと物事は好転していくに違いない。 神も仏もない、と嘆く日々が多かったけれど、これからは、神様仏様お父様お母様、守ってくれてありがとう、と 少なからず祈るようにしよう。家族にもちょっぴりでいいから感謝しよう。
これもすべてベイマックス効果?(^^ゞ
2015年01月15日(木) |
まだまだ続きます状態 |
12日、葬儀屋から電話。父の位牌も母の時と同じものにしたいので、パンフレットを送ってもらうことにした。
13日、父が入院していた病院から電話。入院費の支払いについて。その旨を司法書士さんにも電話して伝える。 実家維持のための光熱費支払い全般も、私名義に変更しなければならないので、いろいろと・・・。(-_-;)
14日、息子の愛の手帳が更新されたので、古い手帳を返却に福祉センターへ。すると入れ違いに市役所から郵便が。 古い手帳返却のほか、あれ持ってこい、これも持ってこい、と書かれており、都の施設と市役所では、これまた言うことが違っていて、 あー、これだからお役所仕事ってやだ!と嘆いたわし。
そしてちょうどわしが留守中に、旦那宛に銀行から留守電も入っていた。ったく、平日の昼間に旦那がご在宅なわけないでしょーよ?! いっつもそうなんだ、あの銀行。(=_=)
15日、朝一で市役所に電話。手帳返却について、「これじゃぁ二度手間!もらった郵便の文章もわかりにくい」と 伝えたのだが、イマイチわかってなくて、電話の最後の最後で、「それ先に言ってほしいんだけど?!」な内容の一言を言われる。 郵便で送ってくる内容に、それちゃんと書いとけよ!!と軽くキレる。
夕方、先日待たされ続けた銀行の、担当さんの上司から電話が来る。「当初お伝えしたお時間よりさらにお待たせして、 また失礼をしてしまい申し訳なかった」と謝罪の弁。あれからもう1週間以上経ってんですけど?
部署が違うからわからないとか、昨年の春からずっと、そんなのばっかですよ! 待たせられたのはしかたないとしても、事前に電話かけた時対応した人も頼りなくて、機転を利かせて担当に連絡してれば もうちょっとマシな対応ができただろうに・・・。 窓口のおばちゃんは、ガンコで融通きかないし・・・先日受けた失礼きわまりない態度を全部、お伝えした。 その対応の不手際が、上司の耳には今日初めて届いたとか?なんだそれ?!ほうれんそう、こんな大手銀行でもできてないっての!
私のクレームの嵐(ん?どっかで聞いたような??(^_^;))を、20分以上も我慢して聞かされるはめになった上司のかたには 申し訳ないけれど・・・大手銀行の接客態度としては情けない対応で・・・。
「あの日のことはもう、むしかえして思い出すのも嫌だし、今後、資産運用だの連絡いただくかもしれないが、 そういった類のことは一切、ご遠慮願いたい!」と言うわしに、「そこをなんとか・・・これからもどうぞよろしくお願いいたします」 的な上司。 先方の平謝りの姿が目に見えるようだった。でもねぇ、担当部署が違うだの云々は客には関係ない。 客相手(同時に客あって)の商売なんだから、銀行、せめて支店全体での部下の教育、もう少しどうにかならんのか?!
そして夜9時過ぎ、今度は葬儀屋から電話。電話に出たとたん、こっちが名乗る間もなく、先方がしゃべり出し、 こっちが合いの手入れるまでもなく、自分で合いの手入れてたおばちゃん。(@_@;) 会員証を返却してほしいとのこと。あーもー、それは司法書士さんに預けた資料の中に入ってる。 司法書士から送ってもらって、うちを経由してさらに葬儀屋に返却?めんどくさ。(=_=) 加入してた本人たちは二人とも他界しちゃったんだから、返却も何も・・・って思うんだけどね。 あっちはまるで化粧品の押し売りのようなオペレータ的しゃべりのおばちゃんで、事務処理を遂行してるだけなんだろう。
あー、こんなめんどくさい作業、手続き、いったいいつまで続くんだ?いずれ相続関係で家裁にも出向かなきゃなんないし・・・。 その前に四十九日、の前に位牌を頼まなきゃ、で母の一周忌、父の初盆・・・まだまだ続きます。(=_=) いや、その前に明日はわしの心療内科、あさっては息子の行事だ。弁当持参・・・めんどくさ。(>_<)
私は葬儀の後で引いたらしい風邪(喉が痛い)が治らない・・・。(=_=)
9日、18時より父の通夜。
行きの道がめちゃくちゃ混んでいた。五十日(ごとうび)前の金曜日、いわゆる納期のトラックか?
夕方、葬儀屋さんの近くの上空を、ヘリがホバリング及び旋回してると思ったら、息子「あれ、報道用のヘリだよ」と一言。 葬儀屋さんの控え室のテレビを見たら、なんと実家の地元でバス事故が・・・。しかも慣れ親しんだ路線。
控え室の高級マッサージチェアで、首のコリをもみほぐす。
式終了とともに、いきなり息子の持っていた数珠が切れ、あわてて拾う一幕が。(>_<)
疲れ果てていたせいか、私たち家族3人は、いつもの倍食べてしまい、苦しくなる。 弔問客にひとりひとり挨拶をし、無事見送り、翌日の告別式の簡単な打ち合わせ。帰宅22時。
10日、12時半より告別式。
花に囲まれて眠る父。花をたむける作業も、今回は息子も怖がらずに行うことができた。
初七日も一緒にやっていただいたので、お焼香は計2回。母の葬儀からまだ1年も経っていないため、 かろうじて段取り等は覚えていたが、それでもイレギュラーなことは起こる。
喪主(わし)挨拶。母の時は一切涙を流さなかった私が、意外にも父の葬儀の挨拶で言葉につまり、涙を流すという・・・。
霊柩車はなんと白いリムジンだった。父は最初で最後、私たち家族も、この先乗ることはたぶんないだろう。 打ち合わせの段階でリムジンと聞いていたので、過度の期待を寄せてしまっていた私たち・・・ 後部席の旦那と息子はのびのび座ってたものの、私は助手席でごくごくふつうな乗用車感覚。 リムジン・・・運転手が影山だったら・・・最高の助手席なのになぁ・・・と不謹慎にも考える。
あっという間に斎場に着いてしまい、つかの間のリムジン体験は終わる。 そして・・・旦那、リムジンの中に数珠を忘れる。2日連続の数珠事件。どうして数珠ばかり災難に遭うの? 教えてちょうだい!影山!!←いい加減にせぃ(=_=)
お釜入れを済ませ、待つ間に食事。ご住職との会話を絶やさぬよう、ものすごいエネルギーを消耗。
お骨入れも、祖母、母ときて、今回父で3回目の息子は、だいぶ平気になったようで、ちゃんと参加していた。
母の骨もけっこうしっかりしてたけど、父も重っ!!(>_<)骨壷をひざに乗せたまま、マイクロバスで葬儀屋さんに戻る。 途中、NISSANの櫻井さんの広告をしっかりチラ見(行きはリムジンの運転手さんが隣にいたため、チラ見もできなかった(^_^;))、 ピカンチの八潮団地やかもめ橋に、息子と一緒にチャッと手を振り、イノッチがウロウロしてたであろう地元を通り抜け、 しばし現実逃避の時間を過ごせた。(^^ゞ
会計を済ませ、親戚を見送り、四十九日まで父の遺骨を預かってもらうべく、私たちはお寺さんに向かった。 ご住職、作務衣姿だったため、一瞬誰だかわからなかった。(^_^;) 今日何度目かもうわからないお焼香をして、ようやく実家へ向かう。 誰もいなくなった家。ただでさえひんやりした家が、なおさら重苦しく、長居はできなかった。 いや、物心ついた頃からゴタゴタしていて、同居してる時もハラハラして過ごしていた実家、やはり落ち着かない。
帰りの車の中で、疲れからか緊張が解けたからか具合が悪くなる。息苦しい、ムカムカする、暑いのか寒いのかわからない、 冷えているけど暑くなる、不快な症状を深呼吸で逃す。(カンペキに更年期症状(-_-;))
我が家に近くなるにつれて、少しずつ症状はおさまっていく。私にとってここはもう自分の町なんだ。 19時に到着、ごはんを食べに出かける。息子も相当おなかが空いていたようで、ものの10分ほどでたいらげた。 さすがに18歳、今までは食が細くても、それなりに食べるようになってきたようだ。このところの食べっぷりは加速化している。
帰宅したら、留守中に現金書留の不在票が3通・・・。ネットで再配達の手配をする。
やっと父の葬儀を終えることができた。 「この後もまだまだ続きます」状態だが、せめて明日あさってはぼーっと過ごしたい・・・。
追記。
なんだかいろいろ細かいことを思い出したので、書いておく。
銀行手続き。前もって担当の方に電話入れたら会議中で、電話対応のおにーちゃんが頼りなくて・・・ なんとなく嫌な予感がしたまま出向いたら、やっぱりとんでもなく段取り悪く、ものすごく待たされた。(=_=) 担当から電話が来たのは通夜の日。「そんなたいへんな時にお電話してしまって申し訳ありませんでした」、はい。(=_=)
近所のおばちゃんAさんの謎の言葉。葬儀の父の遺影を見て、「ホントに本人そっくりだわ」。はい?本人ですが??
近所のおばちゃんBさんの言葉。母が他界した時、「寿命よ、寿命」とのたまったおばちゃんは、今回父の通夜の食事の際、 「おいしくないけど、見た目はいいわよね」と。隣のテーブルの私にまで聞こえてますよー?(=_=)
はー。いろいろだわ・・・。(=_=)
2015年01月07日(水) |
記憶が飛ぶくらい多忙(@_@;) |
次から次へとやることが押し寄せる日々再来。
5日、葬儀屋さんにて打ち合わせ。母と同規模でお願いする。ご近所に父が他界したこと、通夜・告別式の日程を お知らせした。
6日、午前中は息子のカウンセリング。予約なのに2時間待ち。あまりの患者のはけなさ加減に、具合が悪くなり、 受付窓口でブチ切れたわし。「これだけ待ってうちは診察10分とかですよ?長い人はどれだけ時間使ってんすか?!」 空いてる部屋のソファで横にさせてもらった。 実は最近、息子の身だしなみがなってない。やれと言えば言うほど頑なに拒否する。 「どうすればいいんですか?助けてください」と診察室で泣いたわし。 先生に「第三者にお願いした方がすんなり行くと思う。可能ならば通勤寮に入るか、少なくともショートステイを お願いした方がいい」とすすめられた。
医者の後、午後はそのまま市役所に向かい、父の手続き関係に必要な証明書取り、息子のことで福祉課に相談、 コンビニでお昼を買って帰宅後、お寺さんに戒名などのお願い、父の通夜・告別式のことで親戚に電話かけまくり。
7日、息子を留守番させ、旦那と二人で司法書士事務所へ出向き、相続などの打ち合わせ。 以前、怒り爆発した私が相当怖かったのかめんどくさかったのか、私が出席するのかどうか、事前に旦那にたずねていた税理士。 相変わらずのヤツの言動に、もう怒りのエネルギーを放出することさえムダに思えて、静かにしていた。 が、旦那の説明不足のせいか、ヤツが理解できなかったのに軽くイラッときて、「要するに、こういうことですよ!!」と わかりやすく説明してやった。(=_=) 法律のド素人がプロに説明するという・・・そんくらいプロなら理解できるようになれや?! 後で旦那に聞いたら、「見事な説明だった」らしい。 相変わらずアホなこと言ってたヤツ、事務手続きの部下をパシリのようにこき使ってるが、あのアホな発言によって、 「こいつバカじゃねぇ?」って部下に思われてるんだろうな、って勝手に思った旦那と私。
昼過ぎに帰宅すると、息子が朝の風邪薬をまだ飲んでいないことに、ブチ切れた私。怒りまくった後、泣きながら お昼のしたくをした。 本当は午後、銀行に行くつもりでいたのだが、明日にして今日はもう休むことにした。
2時間ほど爆睡。夕方買い物に出かけ、生協の残った食材を使い切るメニューを考え、疲れ果てていても夕飯のしたくをした。
明日は、息子は登校。旦那と私は銀行へ。これまためんどくさい手続きが。
ひとつこなしては、頭の中から消し去って次、その繰り返しのため、この数日間の記憶が飛んでいく。 一軒連絡がつかない親戚の家があるんだけど、明日の電話でとりあえずやめよう。 9日は通夜(息子学校欠席)、10日は告別式でバタバタだから。
追記。
今頃書くけど・・・。 昨年11月にちゃんと喪中ハガキを出しておいた人3人から、年賀状が届いた。 中でも一人は、毎年幸せ自慢をびっちり書いてくる会社の同期の子。あんたの家族の報告は別に読みたくないんだけど? それより何より、うちの喪中ハガキ見てねーのかよ?!ふつうチェックするだろが?! んでこの恒例の幸せ自慢・・・ムカッ腹、な元旦だった。
父が亡くなったことを知らせようと電話をしたら、「あけましておめでとうございます・・・って言っちゃいけないんだったか(笑)」 っていう失礼に失礼を重ねる親戚のおっさん。 父が他界したと伝えたら、「あらら、今度は・・・あんたも苦労するねぇ」だと。 その上、「今、風呂なんだよ(笑)」だと。 こないだ電話した時は、さんざん「頑張れ」を連呼した上、「今出かけようとしてたんだよ」と。 はいはい、お邪魔して申し訳ございませんでした。もー、父方の親戚は、曲者で失礼な奴が多すぎる。(=_=) 父のことでこの先しんみりすることは・・・母に比べたらほとんどないかもしれない・・・。
そういえば、午後爆睡した時、夢の中で行方不明になった母を捜してた、私。そうだよね、捜すよね。(T_T) 母が亡くなったのは日曜日の明け方、父が亡くなったのも日曜日の明け方、ついでに息子が産まれたのも日曜日(午前10時)。 なんか「死神くん」の世界が存在して、あの手帳に母の名前も父の名前もちゃちゃっと書かれたのかな・・・ なんて思ってしまった、今日この頃。
自分自身の覚え書きとして、あえて書き記しておく。 長文かつ暗い内容になってしまうと思うので、嫌だなと思うかたは、近寄らないでください。m(_ _)m
フジテレビの怒涛の嵐さんデーも無事終わり、翔ちゃんのドラマの余韻に浸りつつあった昨夜、 旦那が寝て、息子が寝て、私はついつい夜更かしをして、ひとり時間を過ごしていた。 午前3時過ぎ、携帯がブーブー鳴ったので、ふと見たら表示がCALLになっていた。父の病院からだった。 父、呼吸も心臓も止まり、他界との連絡。できるだけ早く病院に来てほしいと言う。 家族は爆睡中だし、電車はまだ走ってないし・・・と伝えると、タクシー使ってでもすぐ来いとのこと。(@_@;)
やむなく旦那を起こして、旦那に車を出してもらい病院に向かうことに。息子も目を覚ましたけれど、 風邪もまだ引いたままなので、目覚ましかけて自分で起きて、トースト焼いて食べて、薬を飲むように伝え、寝かせた。 本当は午前10時に歯医者の予約が入っていたのだけど、とりあえずそれに間に合うように準備しておくようにとも伝え、 家を出た。息子も「いってらっしゃい」と送り出してくれた。←年末に引き続いて成長を感じる
午前5時、病院に到着しナースステーションへ。個室に案内され亡き父に面会。当直医から正式に死亡確認が行われた。 午前5時13分。 仮眠からむりやり起きたところだったのだろう、寝癖のままのその女の先生は静かに頭を下げてくださった。 不謹慎かもしれないが、神カルの一止先生を思い出してしまった。寝癖のまま飛び出してきた先生を見たら・・・。
このところ、「所詮ドラマはドラマ・作りごと、現実はもっとずっと厳しい」と冷めた目で見るようになってしまっていた。 けれど・・・一止先生は、極めて現場に近いんだと思った。原作は現場の医師の実体験が元になってるし。
神カル2の大ヒット舞台挨拶を観に行き、大泣きして、私も父母と自分の家族を大切にしようと思ったというのに。 あれから1年も経たないうちに、父と母を失った。
病院からの電話の時点で、葬儀社などの手配の連絡をしておいてほしいと言われていたので、 旦那が葬儀社へ電話をしに出て行った。ひとり残った私は、父と向き合った。
実は2日、久々に家族3人で旦那のデニムを買いに出かけた。が、ちょっとしたことで旦那がイライラし、 私は「あぁ、こういうとこが嫌でたまらなかったんだった」と改めて思い出し、気持ちがガクッと下がった。 昔からお正月が嫌いだった私。父は正月の集まりで飲むとクダを巻き、ロクなことがなかった。 昨年の1月2日は、私と息子の二人で実家に行き、母と一緒に過ごしたことも思い出し、帰りの車の中で ぼろぼろ泣いてしまったのだった。 母の思い出で悲しくて淋しくて泣いても、父のことでは泣かないだろうと、不謹慎にも思ってしまっていた。
が、もう二度と目を開けない父の顔を見て、ぼろぼろ泣いた。私も人の子だったんだ。 少なくとも父は苦しかったんだろう、そういう表情をしていた。苦しかったね、お父さん、 なんにもしてあげられなくてごめんね。 いろいろあった家だったけれど、私は父に養ってもらい、母に育ててもらったんだ。 お父さん、今までありがとう。お父さんとお母さんの子どもになれてよかったよ。と心の中で伝えた。
母が死んだ時も、直前まで旦那との折り合いが悪かった頃だったけど、私たち家族をまとめてくれた。 父も同じだなと思った。私たち3人の結束を強くしてくれた。それぞれが役割分担して過ごしている。 それが親の最期に残してくれた大きな贈り物なのかもしれない。
葬儀屋さんが病院に到着し、葬儀屋さんに安置していただくことになっているので、父の乗った葬儀屋さんの車を無事見送った。 父のいた介護施設から借りていたものがあったので、それを返しに行きついでに私物を整理し、処分していただくものを お願いして、大きなものは持ち帰った。
とりあえず今日はこのまま帰り、お寺さんに電話してご住職のご都合を聞くことに。 帰りの車の中で、まず息子に電話。ちゃんと目覚ましが鳴る前に起き、トーストも食べ、風邪薬も飲んだそうだ。 (やればできるじゃんよ!なぜ自発的にやらない?!(=_=)) 次に歯医者に電話して、午前10時の予約をキャンセルした。この先の見通しが立ってきたら、予約し直すことにした。 そして、葬儀屋さんの担当者から携帯に電話が来た。明日の午後、打ち合わせの約束をした。 葬儀の料金コース(っていうのか?)や人数は、母と同規模でお願いした。 2冊前のメモ帳(昨年4月当時のメモ)を引っ張り出して、諸々の手続きなどの記憶を呼び戻した。
この後、またも一連の怒涛の作業や打ち合わせが続くことになる。 母の時に経験しているとはいえ、やはり勝手が違うし、相続なども複雑化してくるので、かなり過酷なスケジュールに なるだろう。それでも淡々とこなさなければ。
お父さん、お母さん、どうにか頑張るよ。あ、お父さんもお母さんも、私の楽しみの嵐さんのライブや番組を 見事避けてくれてありがとう。(^^ゞ やっぱり私は、嵐さんをはじめとした好きなことに支えられて生きてるなぁ。
追記。
こういう時でもやっぱり、私は私なんだなぁと思ったことがいくつか。 葬儀屋さんからやってきた担当者に、勝手にあだ名をつけていた。「ミニ塚地」。 紅白歌合戦の最中、ちょいちょい映りこんでたイカ大王をやってた塚地を、ちょっと細くして小さくしたような人だったので、 ミニ塚地。(^_^;) 話の着地点が見えなくて、(それって、この話と関係ある?!?)と、私たちの頭を迷子にさせてくれた ミニ塚地。(=_=)
父の乗った車をお見送りする時、病院の看護士さんや当直医も一緒に見送ってくれた。 その中に男の看護士さんがいて、入院当初にもうあだ名をつけてたんだけど、「すばるくん」。 渋谷すばるになんとなく似てるから。(^_^;) さっきまで寝癖はねまくりだった女の当直医は、髪を束ねていて、顔はなんとなくブリリアントグリーンの・・・ トミーフェブラリーの・・・ボーカルの・・・名前知らないけど。(^_^;)じゃ、「トミー」で。(^^ゞ
葬儀屋さんの車が到着するまで2時間も待ってなきゃならなくて、近くのローソンで朝ごはん買って、 駐車場の車の中で食べた。(ローソン店頭にはお正月バージョンの大野さんがお出迎え) ローソン、ただ今700円以上お買い上げ毎に、くじが1回引けるのだけど、引いてはずれが出て、よしっ!と思った私。 はずれ券=応募券となり、大野さんのプリペイドカード(それ以外ももちろんあるけど)に応募できるのだ。 大野さんファンの中では、「当たりを引くな」が原則とかなんとか?(^_^;) 私も一応応募します。
こういうとこが私らしいなと思う。(どんなとこやねん??(^^ゞ)
旧年中は、この日記を読んでくださり、どうもありがとうございました。 散々な文章を書くことも多くなってきましたが、本年もどうぞよろしくしてやってくださいませ。m(_ _)m
最近はスーパーも元旦からやってるし。大晦日は、とりあえずおもちとかお菓子とか、ほんの少し 正月気分を味わうための買い物をして、ごくごくふつうの夕飯。 紅白も、途中で短時間のお風呂タイム、嵐さんの出番に間に合わせた。 終わったとたんにCDTVにかえて、年またぎの洗濯物干して、あいこの出番とあけおめCMを待った、見た。 息子はAKBの出番を待つつもりでいるけど、私はそろそろ眠くなってきた・・。
去年のお正月は、実家に行って母のおせちを食べたんだった。もう二度と食べられない。 失って初めて知る淋しさ。父はあの状態のままでどうにか年を越した。でも・・・先は長くないだろう。
真っ暗な感じで書いてるわけじゃない。むしろ淡々と書いているので、自分が怖い。
旦那が真っ先に寝た。ほんの少しラクになった。ひとりずつ寝ていって、自分ひとりになれる時間が 貴重で大切で、唯一自分自身に戻れる時間。 でも家族がいるからこそ、そう思えるんだろうな。それって幸せなことなんだ。 母はたったひとりであの家に住んでて、相当淋しかっただろう。 話す相手もいない、本当のひとりになった時、自分に戻る時間なんていらなくなるんだろう。
大丈夫だよ、お母さん。あたしはどうにかやってるよ。今年もどこかで見守っててね。って書いたら、 すぅっと涙が出た。
|