七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
DiaryINDEXpastwill


2005年12月30日(金) 我が家のボビー

息子の日本語は、ボビー・オロゴン並みに間違ってる時がしばしば。(^_^;)
実は息子、カタコト日本語時代、しきりに「ぼびーぼびー」と口にしていたことがある。
「ぼびーって何?!誰?!」とたずねても、笑っているのみだった。
あれは未来予知だったのか?!(爆)
いつかここに書こうと思っていたのだけど、あまりにくだらないかなと思って書かなかった。
が、今日ついに書いてしまいました。すいません。(^_^;)


2005年12月28日(水) 一日中片づけ

息子を学童まで送り、昨日書いた年賀状を出し、あわてて帰宅。疲労・・・30分ほどソファから立ち上がれず。
実はゆうべ寝付けなくて、4時間しか寝ていなかった母。帰宅してから少し寝ようと思っていた。
が、今日中にこもり部屋の片づけをしておかないと、明日から旦那も息子も休みになるため、
とても片づけどころじゃなくなりそうだし、窓拭きもできないと旦那に言われると、母がキレるだろうし、
やってしまえと片づけ始めた。

語ると長くなってしまうので、少々はしょる。

このこもり部屋、1年くらい片づけていなかったのだ。
しかも去年は窓拭きの日、母は年末のポルノライヴに出かけてしまったため、旦那と息子でやったのだが、
その時「散らかりすぎてて窓なんか拭けねぇ!!」と旦那が息子に言ったらしい。
息子が後で教えてくれて(-_-;)、母はムカッときたのだった。
今年はさらにその散らかり具合がひどくなり、片づけないと窓まで到達できないのだ。(=_=)

1年ほったらかしの部屋の片づけは、6時間を要した。(=_=)
母、昼も食べずにやっていた。終わったとたん、息子のお迎えに出かけた。ヘロヘロ・・・。
旦那は仕事納めの日なので帰宅が早い。もう動けない。ごはんもテキトー。で後片づけもできないと
言っているのに、知らんぷりで息子と遊んでいる旦那に、母キレた。
きれいに片づいたこもり部屋にこもった。が、疲れているのでもう寝ることにした。
なのに、いつも夜は起きている人間なため、疲れているにもかかわらず眠れない。
で、こうして日記を書いている。

明日こそ窓拭きだ。でも動けるだろうか?昨日が年賀状書きで手が痛くなり、今日片づけで腕が痛くなった。
また寝倒してしまいそうだ・・・。(-_-;)


2005年12月27日(火) たーぼーの日記に初(?)コメント

最近あまり日記を書いていないし、母自身も開くことがなかった息子の日記をなぜか開いて読んでいたら、
なんと!!8月の日記のコメントが1つあることに気がついた!!
コメントを書いてくださった方、本当にどうもありがとうございました!!m(_ _)m
こ、これがブログってものなのねぇー☆(T_T)晴一ー!!息子のブログにもコメント書いてもらったよー!!(T_T)

人の言葉が怖くて、他の人の日記も読めなくて、読んだら一人で怒って泣いて疲れて・・・
なのに自分の言葉は、時にとんでもない怒りに満ちた毒舌で・・・。

サイトを始めた当初は、極力自分を、特に母である自分については全く出していなかった。
文章を書くのが好きな人として、ネット上に存在してみたかったのだ。
不特定多数の人に自分の文章がさらされる世界。ネットを始めた時から、けっこうキツイ洗礼を
受けていたので、自分ではまずサイトは立ち上げないと思っていた。
その私がサイトを始めて、丸4年が過ぎた。その間にいろんなことがあって、ネットの長所も短所も知り、
そして・・・人から受ける言葉が、4年前よりも怖くなってしまった。
BBSをなくしたのも、実際に言葉が怖くなったのと、BBSを利用してサイトの宣伝をする人が
増えたからだ。

だから、まさか息子の日記にコメントをつけてくださる方がいるなんて思っていなかったし、
そのコメントを開くのも怖くなるくらい、人の言葉には敏感に反応するようになってしまった。
サイトを閉じる人の気持ちが、最近身にしみてわかるようになった。

でも私は自分の言葉は発していきたい。人の文章を読めないヤツが何を言う?と言われてしまうかもしれないが、
私は自分の気持ちを吐露することで救われている。時に怒りに満ちた文章を読まれた方が、
気分を害されるかもしれないのを承知で、書かせてもらっている。

これからも私に自分の気持ちを吐く場所として、日記を書かせてください。
読んでくださる方には申し訳ないことも書くかもしれません。
それでも私の文章を読んでくださる方がいるから、私は書いていけるんです。

「彩音の言の葉たち」も5年目に突入しました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

あ、息子、先日4種類ほど、年賀状用のイラストを描きまして。「これは○○にだすの!」とか
言ってます。
実際にそのうちの晴一と昭仁のイラストを、ポルノさん(FC宛て)に送りました。(^_^;)
そのイラストたち、ここに貼り付けられるかな?そういうのよくわかんなくて。(^_^;)
とてもサイト開いて5年目の人の言うことじゃないよねぇ?(-_-;)


2005年12月23日(金) サイアクな精神状態で冬休み送ってます

みんなが休みだと休めないんだよ、こっちは。

口を開けばイヤミしか言わない旦那。
さっきは私がちょっと言ったら、その言い方はなんだ?的な返しを受けた。
あぁ、だから昨日からマトモにしゃべってないさ。あぁ、もう何も言わないさ。
イヤホンで「ジョバイロ」ヘビロテだったし。耳ふさぎ状態。

MステもTOKIOとポルノとaikoの出番終わったし。
もう後はただ小さい音で流してるだけ。

さっきなんか大っ嫌いなドリ○ムは消音ですわ。ミュート。なんで嫌いかって?大嫌いな女が
大好きだったから。こういうのは歌唱力とかいい曲とかもう関係なし。嫌いな女が好きなものは嫌い。
彼女のことは一生嫌いだろうな。まぁ年賀状くらいしかやり取りもないけど。

この1年振り返って、なんだかからだの具合がずっと悪かったな。
動きたくても動けない自分が情けなくて、精神状態も落ちていくことが多くて。

本当は昨日、ここに書きたいことあったんだよね、少しは前向きな文章。
でも結局書けなかった。今日はよけい書けそうもない。
新しいPCが届いたのにね。まだ古いPCで、いつ落ちるかわかんない電源に怯えながら、
これを書いてる。

子供の頃からサンタの不在を知ってた私だけど、今サンタにお願いしたい。
幸せな気持ちを少しでも長く感じられる、強い精神力を私にください。
って、サンタにお願いすることじゃないんだよね、私自身の力なんだ。
だから昨日、彩音のサイトの詩に1編UPした。自分自身を励ます意味で。
あと一生思い続けるだろうお願いは・・・私を産んでくれた母と兄と双子の妹にいつかいつか
逢わせてください。ってこと。叶う日が来るといいな・・・。
あ、死んだオヤジでもいいよ、怖くないから。

あ、これだけは書いておこう。昨日息子が言った言葉。
「たーぼー、ほんとうのあかちゃんがほしいな。いもうと。なまえはいちご(その時いちごを食べてたから(^_^;))か、○○」
私はびっくりした。○○とは双子の妹の名前なのだ。私は息子の前でその名を口にしたことはない。
保育園時代にも、前の学校の普通学級のクラスにも、特学のクラスにも、前の学童にも今の学童にも、
その名前の子は存在しない。
「なんで○○なの?」と息子にたずねてみたけど、息子は笑ってるだけだった。
こういう時思う。息子はオヤジの生まれかわり、もしくはオヤジが言わせてるんだろうな、って。

あ!ひとりだけいた!!転校してったあの子!特学によく遊びに来ては、息子に優しくしてくれた子!!
あの子の名前が○○だった・・・。「今まで優しくしてくれてありがとうね」って私言ったんだ・・・。

でもごめんね、産んであげられないんだ。私の病気や体力もそうだけど、いろいろと問題があるんだ。
本当は兄弟を産んであげたい。でもできない。だからものすごく泣きたくなる時がある。
私たちが死んだら、息子はひとりになってしまう。健常児をお持ちの親御さんにはわからないだろう、きっと。
こういう子の恋愛や就職、結婚、そのどれもが不安だ。ニートだろうがフリーターだろうが、
働けるならいい、好きな人と出逢えて結婚できるならいい。それだけで十分じゃないですか?違いますか?
そんなに成績が大事ですか?世のお母様方は、いい成績を取らせようと一生懸命だろうけど。
成績が下がったことを、学校の先生のせいにするのもおかしいと思う。
要は、その子自身のやる気じゃないか?
だから息子のことも、同じように考えている。特学の勉強は確かにレベルは低い。
でもそれ以外に、特学でしか学べないこともある。最低限の勉強は、公文とか勉強しなきゃと
思わせる場で学ばせていくつもりだ。別にお受験目的の公文通いじゃないから、うちは。

この私は、「自分で勉強できるから塾には行かせないで」と頼み、それなりに成績を出してきた。
高校だって偏差値はまぁ高い方だったし、成績は学年5位以内をキープし続けた。
旦那は、貧しかったけれど県内トップになり、奨学金で国立の学校に入った。
さっきも書いたが、要はその人のやる気だと思う。私と旦那に共通していえるのは、学ぶことが嫌いじゃなかった
ということかもしれない。

でも今の私は違う。成績は社会では通用しなかった、私の場合。それより人間性だ。
たくましく生きられる力だ。社会人として一人間として、いろんなことを学んで成長していくことだ。
だから、成績がどうであれ、私はヒトリで生きていける力の方が重要だと思ってる。
息子にも、明るい性格のまま、いい意味で負けず嫌いのまま、生きていってほしい。

結局けっこう書けたね。(^_^;)


2005年12月21日(水) 今日もなんだかんだ言って多忙だった・・・(-_-)

心療内科の診察日で、ラッシュの電車に乗り都心へ。
もう眠くて眠くてたまんないんだけど、座れないから立ったまま寝る私。
足がカクンとなろうが構わず寝る!(^_^;)座れたら当然寝る!でも降りるのを常に意識しながら寝る!(^_^;)
イヤホンで「ジョバイロ」をヘビロテ状態にしながら寝る!←寝てるのか?(^_^;)

お医者さんいちばん乗り!!予約時間の50分前の、9時40分にはもう待合室にいた。
待合室でも寝る!(^_^;)
さすがいちばん乗りしただけあって、いつもより早めに診察は終わった。
が、薬を処方箋薬局でもらったら、すぐさま帰る!

山手線は何時に乗ってもめったに座れない。が、新宿からの中央線のマイベストポジションは、
昼間なら座れる可能性が90%くらいあるのだ!
やった!今日も座れたからひたすら寝る!(^_^;)時間は割と余裕があったから、駅ビルのある駅まで乗り、
やたらおなかが空いていたのでお昼を食べ、ブラブラして時間をつぶした。
で、そのまま学童のお迎えへ。
が!!今日はクリスマスパーティの日だったので、早めにお迎えに行ってしまった私は、
けっこう待たされた。(-_-;)
しまった・・・時間に余裕があるなら、一度帰って少し寝てからお迎えに行った方がよかったかも?
でも私が本格的に横になると、起きられなくなる可能性もかなりあるから、ま、いいか。

でもなんだかんだ言って、動き続けていたからやたら疲れた。
さっきは後片づけも洗濯物をたたむのもできず、しばらく寝ころんでいた。
でも夜になると元気になってくる私。(^_^;)

あ、本当は今日は学校でイベントがあったのよね。去年は出られたんだけど、今日はたまたまお医者さんだったから。
だってさー、医者は1ヶ月前に予約すんのよ?イベントが決まる方が遅いんだもん。
申し訳ないけど欠席しました。この前の忘年会もポルノのライヴと重なったし。(^_^;)
だって、ポルノライヴのチケ取りは2ヶ月前に済んでたんだもん。(^_^;)
そのことを先日、同じクラスのママ友達にちょこっと言ったら、「コンサートの方を取ったわけね?」と
言われてしまいました。(^_^;)はい、そうです。すいません。m(_ _)m
今度から調子に乗って言うのはもうやめよう。(-_-;)

息子の話を全然してない。(^_^;)
最近息子は、大好きなおにーちゃんがお気に入りでやってる「フォー!!」をマネしてます。(^_^;)
しかも「○××○フォー!!」とか○××○の部分がイミフメイで、「それどういう意味?」って
息子にたずねたら、言ってるおにーちゃん自身もわからないとのこと。←オイ(^_^;)
おにーちゃんのお母様は、「もう最近○○がHGのマネするのよー?」って嘆いてましたけど。(^_^;)
息子の母である私は、「腰が痛くなるからフォー!!って言うだけにしときなさい」と言ってます。(^_^;)
あぁ、芸人好きな母。(^_^;)(^_^;)(^_^;)


2005年12月18日(日) あちこちの日記に書いてますが

うちのPCの電源が壊れました。勝手に電源が落ちる状態が昨日から起きており、この日記も危ういです。
さっさとお知らせだけして、終わりたいと思います。
しばらく日記が書けない状態になるかもしれませんんが、書きたい時はネットカフェに行ってでも
書こうと思います。
ただ、今週は私の心療内科の診察日があったり、息子の終業式で冬休みになったりと、いろいろ忙しいので、
行けるかどうかも怪しいのですが。(^_^;)

そんなわけで、お知らせでした。はい、次の日記に行ってみよー!(^_^;)


2005年12月16日(金) 子供も疲れてストレスためこんで、精神安定できないこと多いんだなぁ・・・

先日学童のお迎えの時。保育園も一緒だったちょっとやんちゃな子が、帰宅時間になってもまだ
学童に残ってうだうだしていた。

彼は、保育園時代も学童に入ってからも、「あの子はねぇ・・・」とよく話を聞いていたし、
実際に自分の気分が安定しないので、よく息子も泣かされていた。
ただ、決して悪いとは言い切れない、面倒見のいいところもあった。
彼の両親も確かにちょっと変わっていて、彼ばかりでなく両親もよく話題にのぼっていた。
だから、息子が転校して学童も変わるって聞いた人が、わざわざ電話してきて、
「あそこはあの子がいるんだよ?!」と言ったりもした。

でも私は、親に問題があるかもしれないけれど、彼の母親とはけっこう話をしたし、
私を心配してくれたこともあった。
彼はよく息子を実名で呼び、「○○○ー!オレたち友達だもんなー」とか言ったりしていたし。

その帰宅を渋ってうだうだしている時、彼の口から漏れた言葉。
「だって疲れてんだよー!ピアノと習字と塾行ってるんだよー!」
本当にきつそうだった。初めて知った。一人息子だけど、あのご両親はそんなに教育熱心だとは思っていなかった。
塾は7時からだと言う。確かに息子も公文行ってて、今日なんかヘロヘロで送迎した母だけど、
その目指すところがまったく違う。お受験させるんだなぁ・・・。

彼は学童でもやんちゃで暴れん坊。言うことを聞かず、学童の先生を怒らせたりすることもしばしば。
でもその日の話を聞いて、彼なりのつらさのサインなんじゃないかなと思った。
学童のある先生が「そうやってストレスためこむからよくないんだよ。話してごらん?」と、彼に言っていた。
この先生は、息子に限らず、子供に対してとても優しい。優しいというのは甘いという意味ではなく、
子供の気持ちをくみ取るのが上手くて、指遊びとかいろんなことも教えてくれる素敵な先生だ。

息子も最近、「いま、イライラしてるの!!」と口にするようになった。
さっきは「せっかくだからドラマ全部見ようよ?」とか言いに来た。(^_^;)
       ↑せっかくだからなんてボキャブラリー、どこで覚えたんだろう?(^_^;)
親の悩みの種類は違うけれど、一人の人間を育てることってたいへんなのには、変わりがない。

今日は公文まで送った時、去り際に抱きついてきた。
学校でお兄さんとして1年生の面倒をみているという息子、母がお迎えに行ったとたん、
甘えん坊になる息子。
甘えられる場所は誰にだって必要だよね。たとえ大人であっても。

世界のすべての家族へ。
本当に心休まる場所が、家の中でありますように。自分にも言い聞かせている母。


2005年12月14日(水) キョーフのインフルエンザ予防接種2回目

息子のインフルエンザ予防接種2回目。前回ものすごい大騒ぎになってしまったので、看護士さんが
「今日はパパはいないのね?」と確認してきた。看護士さんも(力入れないと!)と覚悟したのだろうか?(^_^;)

案の定、息子は抵抗した。「やだ!!ちゅうしゃきらい!!いたいよー!!」と逃げる。
先生には「○○くん、キミとは長い付き合いなんだから、はい!ちゃんとやる!!」と
カツを入れられた。(^_^;)
ムリヤリ手を押さえて、チクッ!!チクッが終わってから「いたいー!!」と息子。
いつもながら反応が遅い。(-_-;)が、その後は大泣きせず、待合室ですわっていたら「いたくなかったよー」
とか言ってた。調子いいヤツ。(^_^;)

でも今日は、とおーいとおーい療育病院に先日頼んでおいた診断書を取りに行ったし、学童の帰りに
予防接種もあったから、無事終わった後ドドッと疲れが出た。でもホッとしたよー。(-_-;)

来年になったら、もう少しマシになってるかなぁ?(=_=)


2005年12月13日(火) 公文に行く途中で

何の話をしていたのかも忘れたが、突然息子「たーぼー、4かいがいいなー」。
マンションに住むのなら4階がよかったってこと?

母 「なんで?」
息子「だって、すうじは4がすきなんだもん」
母 「えー?4?4が好きなの?」
息子「うん!」

日本的には4ってあんまり好かれないけど、息子にはまったく関係ないらしい。

息子「でもさぁ、すうじとあきらになっちゃうねぇ?」
母 「それは修二だろがー?」(^_^;)

解説しよう。(^_^;)息子は「すうじ」と言ってるつもりなのだが、「しゅうじ」に近い発音をしているのだ。(^_^;)
本人もわかっているのか、あえてボケをかましているようだ。(^_^;)


しっかし寒かったなぁ、公文の行き帰り。
母にとっては、たまらん!たまらんだろー?(^_^;)の季節になってしまった。(=_=)


追記。

夜は夜で、隠れ場所限定かくれんぽをやらされた。(隠れるところはわかってるのに、わからないフリを
させられる母(-_-;))
息子「おかーさんは、れいぞうこのもってのところにいて?」
「もって」とは、「とって」のことらしい。(^_^;)息子ならではの微妙なボキャブラリー。(苦笑)
その他にもいろんな遊びに付き合わされ、絵本を3冊読まされ、ヘトヘトな母。
息子、就寝。はー、やれやれ・・・。(-_-;)


追記2。

そうそう、公文の帰りのこと。
「あまがえる、いっぴきー、ぴょんきち♪」とか部分的に歌う息子。
ド根性ガエルの歌歌ってるよー。(-_-;)MXテレビで見てるからだけど。息子、昭和生まれか?!(^_^;)
この前は「もえあがーれガンダムー♪」って歌ってたし。(^_^;)←アニオタ?
でもしっかり今のアニメも見てる。「カペタ」のエンディングを聴いて必ず言う、「これアキヒト?」って。
声はまったく違うんだけど、実は母もどこか何かが似てるって思ってた。(^_^;)なんか「アポロ」を思い出させるような?
お友達のお子様、この前「ラスカル〜♪」って歌ってるのを聴いてびっくり。ネットか何かで見てるそうで。
特学のお子様に、時代は関係ないようだ。でも最近は名作アニメがないから、そうやって見るのもいいよね。


2005年12月11日(日) 毎日のようにランドセルに入ってる、不審者情報のプリント

金曜日も持ち帰ってきた、市内不審者情報のプリント。

息子の自立を促すのに、ちょうどよかった火曜日と金曜日の一人での帰宅。
それも再び、母のお迎えが必要となった。私の意志にからだは反し、なかなか動いてくれない。
が、何が何でもお迎えに行かなくては。社会がこんな状況では。

いつからこんな日本になったんだろう?毎日こんな事件ばかりだ。
昔も変質者はいたと思う。でも昨今の事件のようなことは、母の記憶にはほとんどない。

安全マップ作り。今までもこのようなプリントは配付されたが、このところ特に危機意識が高まっている。

私も人付き合いがヘタだし、他の人の考えが自分の中で消化しきれず、他の人との違い(心身含めて)に悩み、
苦しんだり泣いたりする。心療内科にも通っている。が、事件を起こすような病み方はしていない。

世の中、どうしてこんなに病んでいるのか?

金曜日の夜からずっと、私の精神状態がきわめて悪い。
昨日も今日も、ほとんど一日中寝ていた。起きていることができず、いくら寝ても足りない。

情けないことに、涙が止まらなったり、テレビを見ていても思わず泣いてしまったりする。
昨日は「野ブタ。・・・」でも涙が出て(悲しい涙だけじゃなく、感情が揺さぶられるということ)、
最後の方は見れずじまいだった。

さっきは、公文からもらった冊子を読んだだけで、しばらく泣いた。
自分が母としてやるべきことができていない涙、そんな母を息子が心配して抱きしめてくれることに
対する涙、息子にまで心配かけてしまう情けなさの涙、子供なのにいつの間にかそんな優しさを
学んでいたことへの、うれしい涙。

親の背を見て子は育つと昔から言われているが、その冊子にも書かれていた。
自分がされてうれしかったことを、自然と学び、それを実行している、と。
母は、息子をちゃんと抱きしめてやれているのだろうか?優しさを教えることができているのだろうか?

ゆうべも30分以上トイレにこもり、泣きながら考えていた。
息子は仮死で産まれ、それが原因かどうかわからないが心身の発達も遅延している。
が、特学に行ってから息子自身の精神状態が比較的安定し、最近では強い意志も出てきた。
そうなったらそうなったで、ワガママや親の言うことを聞いてくれないという悩みもあるが、
少しずつ成長を遂げている。
そして思った、息子は母の鬱を治すために、こういう子として産まれてきたのかもしれない、と。
父母の子供時代にも持ち合わせていなかったような純真さを持っている。

私は、幼稚園の頃からサンタの不在を知っていた。クリスマスのプレゼントは、父母からもらった
記憶がなく、同居していた叔母が直接私にくれていた。私は「○○がほしい」と言う子供でもなかったから、
もらうプレゼントには満足していなかったこともあったけど、(喜ばなくちゃ)と思い、
笑ってプレゼントをもらっている写真が残っている。
だから、サンタごっこはしてはいたが、それは架空の人物だとしっかりわかっていた。
自分が欲しいものを必死で訴えるようになったのは、3年生くらいからだ。
それでもリカちゃんは買ってもらえず、私なりに妥協して、もっと安い小さい人形を、泣き倒して
やっと買ってもらった。
でも当時の気持ちがまだ残っていて、息子と一緒におもちゃを見ると、リカちゃんがいまだに欲しくなる。

・・・その反動なのかもしれない、息子に何かを買ってあげたくなるのは。

車のCMにもあったけど、モノじゃないんだよね、本当は。
もちろん子供が欲しがっているものを、頭から全部ダメというのは、私の経験上のこともあるから、
買ってやらないということができない。
旦那は、こう言ってはなんだけれど貧しい家に育ったため、経済観念がまったく違う。常識が通用しない。
息子が欲しがっているクリスマスプレゼントも、世間の家よりお金はかかっていない。
しかも正価より安く売っている店で購入したから、母は思わずオマケでもう一つ小さなものを買った。
そのことをそっと旦那に言ったら、「安かったからって、その分をわざわざ埋めなくていい」と言われた。

一緒に買いに行ってくれたお友達へ。
ね?私の言った通りでしょ?たぶん「オマケなんかいらない」って言うから、せめてこれくらいしか
買えないって、私の言った通りでしょ?

言わなくていいことまで書いてしまった。やっぱり病んでるんだろうな。

身も心も元気になりたい。せめて当たり前のことをできる母になりたい・・・。
なんだかわけわかんない内容の日記でごめんなさい。m(_ _)m


2005年12月09日(金) こっちに書く内容を、なぜか「ぽ組」に書いてしまった(-_-;)

「新・ぽ組じゃけぇ!!」に、こっちに書くような内容を書いてしまった。(-_-;)
なんか晴一&昭仁にも、グチこぼしたくなったんかなぁ?(^_^;)

こもり部屋に30分ほど、トイレに1時間半ほどこもった母。
息子がやたら言うことを聞いてくれなくて。

今日は午前中眠気がひどくて寝たら、あっという間に息子のお迎え時間1時間前。
集団下校は来学期始めまで続くようなので、ずっと学校へはお迎えに行ってなかった私も、
しばらくは行くことになる。
火曜と金曜が、お迎え&公文。だから二重に疲れる。公文は送って行って、時間つぶしてまたお迎えだから。

今日はいつにも増してひどく疲れていた。
だから、息子がワガママを言い出したら、ガマンできずキレてしまった母。

自分を立て直すために、いろんなことを自問自答した。
息子が産まれた時のこと、産まれた時から他の母子とは違っていたこと、10分前に産んだ人に言われたこと、
あの10分がなかったら、もしかしたら息子は健常児だったんじゃないかと、どうにもならないことを
思ってみたりもした。

でも結局は、自分の産まれのことにブチ当たる。
実父の蒸発、兄だけ連れて行った実母、家族離散、せめて双子の妹とは離れたくなかった。
どうしようもないことを延々考えて、泣き続けて、心の膿をしぼり出すように泣いて、やっとリビングに戻った。
からだが冷え切っていた。

心に病を持つ人はお互い共感できると、思う人も多いかもしれない。
でも違う。傷となった原因もそのプロセスも、人それぞれ違うから。
同じように、特学に通うお子さんの親御さんの悩みや苦しみも、人それぞれ違う。
もちろん、普通学級のお子さんの親御さんの間にだって、同じことが言えるだろう。

でも、どうしても思ってしまう。言いたくなってしまう。言ってもしかたがないと思うが、
言わせてほしい。
ふつうに産まれてふつうに育つことがどんなに幸せなことか。
私自身は、未熟児(双子だったから)で産まれはしたものの、育つのは順調だったと思う。
ただ、結果的に実の親や兄妹とは離れてしまった。
ふつうに産まれて、ごく普通に育つというのには、そういう意味も込めている。

「ちゃんと今のご両親に育てられたんだからいいじゃない」と、ワン切り電話(やはり心を患っている)の
友達(たぶん)にも言われたことがあるが、そんなことは言われなくてもわかっている。
施設で、親の存在を経験できずに育った人もたくさんいらっしゃる。
でも、このどうにも説明しがたい感情は、たぶん同じ経験をした人にしかわからないと思う。
同じ経験をした人でも、たぶん人それぞれ違うはずだ。

自分のトラウマは自分で越えるしかない。別れた鬱友達にも、最後のメールで同じことを伝えた。
よけいなおせっかいだったけど。
泣いて逃すことしかできない時は、すっきりするなら泣けばいい。

泣いて子供に心配をかける私は、母としてダメなヤツだと思う。
それでも私は息子にとって唯一の母だ。どんな親でも親は親。子供はそう思っている。
だってこの私が、子供として実の父母に対してそう思っているのだから。
実母は「子供に合わす顔がない」と思っているかもしれないが、違う。どんな顔だっていいんだよ。
死んだオヤジにだって、同じことを思ってる。どこかでそっと見守ってくれてるって信じてる。

今日、実家の母から電話がかかってきた。先日送った、父への誕生日プレゼントが届いた、ありがとう、と。

母であり、子供でもある私。実の母と育ての両親がいる私。病んでいるけれど、どうにかこうにか生きてる。

明日は泣かずに過ごせたらいいなぁ・・・。


2005年12月06日(火) 母、失格・・・。(-_-;)めっちゃ情けない・・・。(T_T)

えー、今日は朝から自分なりに頑張った。
からだは動かなかったけれど、片づけして掃除して、クリーニング出して、お歳暮贈って、
茂とたっちゃんのチラシもらって(TOKIO日和?参照してくださるとうれしいんですがm(_ _)m)、
CD買いに行って、遅れてしまった父への誕生日プレゼント贈って、買い物して帰宅して、
お昼食べて、薬飲んだ。

そしてその後は、保護者会というスケジュールになっていた。
朝だるくてきつかったんだけど、動けばからだがなんとかついてくると思って、いろいろ動いてしまった。
それが裏目に・・・。(-_-;)
ソファにすわったら、からだが動かなくなっていた。今まではいろんなことをしても、その後けっこう
勢いでできていた。
今年になってから、それができなくなっていたけど、やっぱり今日もそうだった。
もう無理がきかない。
からだも動かなければ、頭も働かず、眠気もひどく襲ってきた。

それでもなんとか「動けーっ!!」と自己暗示をかけて、学校へ。
が・・・学校へついた時点でもう「アカン・・・」状態だった。
息子はいつもは公文の日なので、学童休みなのだけど、今日だけは頼んであった。
息子も息子で「がくどういかない。いっしょにいる」状態になってしまい、学童へ「いつも通りお休みします」と
連絡した。
ついでに、公文の先生にも、「ちょっと今日も連れて行けません。お休みします」と連絡。
その後、どんどん母の状態は悪くなる一方で・・・ついに、保護者会まで出席できるような状態では
なくなった・・・。(-_-;)
母は息子を連れて帰るために、学校へ行ったような形になってしまった。

帰宅早々、母は起きていられず、寝た。息子がPCやりたいと言うので、それだけ準備した後、
息子に申し訳ないほど熟睡。起きた後もグッタリ。

母はまた学んだ。1日1イベントにしないと、昔の私じゃないから、からだがもたないということを。

担任の先生方、申し訳ございません。m(_ _)m
↑のような理由で、からだが疲れ果ててしまったなんて、恥ずかしくてとても言えません。(-_-;)

・・・つらい。起きてもう3時間近く経ってるのに、まだだるい。

こんな母です。ごめんなさい。m(_ _)m


お友達へ。
風邪引いてひどい症状になってしまってるのに、電話しちゃってごめんね。m(_ _)mまたね。お大事に。


2005年12月02日(金) 療育の定期診察の話、今日もまだ書けない・・・って後半の方に書けた!

相変わらず新宿2丁目のオカマ状態の声で、医者には行ったものの、息子を迎えに行こうと
思っていたのに行けず、寝てました。
結局、担任のおにーさん先生がエントランスまで送ってくれたそうで。
それが負担かけてるようで嫌だから、迎えに行こうと思ってたんだし、こんな声で電話して
「途中まで送ってくださればいいですから」って言ったのに。(=_=)
集団下校は一応今日までみたいだったけど・・・延長されるかもしれないなぁ。

また今日も事件?いーかげんにしてくれ。狂った人間多すぎる。
動物は、生きるため種を残すために一生懸命だ。死は、食物連鎖の一部にすぎなくて、
それで生態系を保ってる。
だから最近思うんだ。もし生まれ変わることがあったら、もう人間じゃなくていいかな、って。
その頃には、この地球(ほし)がなくなっちゃってるかもしれないけど。
愚かな生き物だよね、人間って。

人間は動植物に学ぶべきだ。


追記。

さっき、自閉症のマラソンランナーのことをテレビでやってた。
苦しみの種類は違うと思うけど、息子が障害を持ってることで、健常児の親にはわからない痛みだけはわかる。
子供に「お母さんありがとう」って言われたら・・・。
本当は今日も、「うまれてきてよかったよ」と言った息子の言葉を思い出して泣いた。

定期診察で言われたこと、ちょこっとだけ書こう。

「彼は16〜17歳くらいになったら、お母さんのためにお料理とかしてくれるような子ですよ」
と先生は言った。
「だから、おうちでも何か仕事のようなことを与えてあげてください。親がかえって負担に思わないような。
 親が手出ししないで待つことは、たいへんなんですよね。はじめは簡単なこと、玄関の靴をそろえるとか。
 休みの日にお父さんと一緒にやるとか。勉強も大切ですが、自立できるようなことを少しずつ
 やらせてあげれば、彼はできる子ですから」

他にも言われたことはたくさんある。
担当の先生がかわったのだが、とても親身になって聞いてくださった女の先生。
私が女の先生を選ぶのは、母としての気持ちがわかってもらえるかなと思ってるから。
この療育病院、うちからはとても遠いのだけど(先生にも、遠くてたいへんですねと言われた)、
友達がいいと言って通っていただけのことはある。

第三者が関わることで、息子を連れ出して、もう少しインドアからアウトドアを好きにさせたり、
母親の負担を軽くする必要がある、父親を巻き込むように、と。
父親はいずこも同じ、育児は母親に任せきりという家庭が多いだろう。
仲のいい友達の話を聞くと、やっぱりそうだ。もちろん家庭の経済を支えるのは父親がメインだから。
特にうちのは、人付き合いがヘタ。人付き合いが苦手な私が言うのもおかしいが、私よりもずっと、
人格に障害があるんじゃないかって思うくらい、人と話さないで済むならその方がいいってくらいの奴だ。
会社ではどーなってんだろう?!って不思議に思う。私の知っている限りではアウトロー。
「一匹狼なんて言われても、そんなの誉め言葉じゃないよ?!」と言ったことがある私。
ここまで言えるようになるまで12年かかった。

巻き込むのもたいへんだ。さりげなく言っても通じない。ストレートに言っても、私に逃げ道を
与えないような言葉を返してくる。口では言わなくても、私は見下されているんだろう。
だから私も「もういい」と、話したくなくなる。「女を見下してる」と口にしたこともある。
通じない人には通じないのだ。息子の方が何も言わなくてもわかる能力を持ってる。
どうやって巻き込んだらいいのか?私がやってと言わなければ、いかなる状態でもやってはくれない。
今日のような風邪の時でも、とりあえずすぐ食べられるものを買っておいて寝込んでいたが、
後片づけは決してやらない。ゴミ捨てなどやってられるかと思ったのか、ある時からピタッと
やってくれなくなった。

こんな父親とこんな母の間に生まれた息子。それでも「生まれてきてよかったよ」と言ってくれる息子。
先日は、エントランスのオートロックの扉を、よそさまのおじいちゃんおばあちゃんと私のために、
開けておいてくれた。「どうもありがとうね」と言われていた息子。さりげない息子の優しさがうれしかった。
声が出なかったので、息子の頭をなでたら、とてもうれしそうに「もういっかいやって?」と言った。
私は、息子のおかげで生かされてもらってる気がする。

なんだかんだ言って、療育の定期診察の中身、けっこう書けたね。(^_^;)


2005年12月01日(木) 昨日は、息子の療育の定期診察

いろいろ細かいこと書きたかったのですが、あちらこちらの日記で書いている通り(ぽ組、TOKIO日和?)、
ワタクシ風邪で声が出なくて、現在頭も働いておりません。ひたすら眠く・・・。

書きたいことは山ほど(でもないか?)あるんですけど、ぼーっとしてまして今日はちょっと
ムリっぽいです。

また後日、書けたら書きますです。それではみなさま、ごきげんよう。←お言葉もおかしいですわ(-_-;)


彩音 |HomePage

My追加