NONBIRI My Life

2002年06月30日(日) 準備

午後から、お中元の注文や、今度やっちゃんがアメリカに行くための準備の買い物などをする。
アメリカでは魚がないので、干物などを買って冷凍庫に入れた。

その後、やっちゃんの実家にみーちゃんを預けて、
マンガ喫茶に行った。



2002年06月29日(土) 誕生会

少し早いけれど、家族を集めてみーちゃんの誕生会をした。
やっちゃん両親とあや両親とあや姉ファミリー。

午後2時にここのアパートに集合の予定なのだが、
みーちゃんはもう午前中から「おばあちゃん、まだ来ないねぇ」
「畑のばあちゃん(あや母のこと)、もうすぐ来るの?」などと、ず〜っと気にしている。
みんなが来たらお皿を配る、とか言って張り切っている。
鼻歌もうたいまくってかなりご機嫌だ。

あや姉がケーキを作ってきてくれた。
今回のはトトロケーキ。

トトロやドングリの形のクッキーとサクランボをみーちゃんがケーキの上に飾れるようにしてもってきてくれた。
ハッピーバースデーも歌ってもらって、ろうそくを消して、
みーちゃん、すごくしあわせそう。

その後、夕方から外で食事することになっているのだけど、
それまでみんな雑談。
私の両親や姉はよくしゃべる。
恐るべし遺伝子のチカラ・・・、離れて暮らしてもみんなそっくり。
私も気を付けよう、とひそかに思う。

みーちゃんは一日中、昼寝なしのご機嫌のハイで過ごした。
夜、みんなが帰ってからも、幼児ビデオを何度も見ている。
さいごに「おなかがすいた〜」などと言い出すので、
「みーちゃん寝たいんじゃなかったの?」と聞いたら、
「そうだった、みーちゃん眠かった」と言いすぐに寝た。
夜中少し、夜泣きした。



2002年06月28日(金) 頭痛

昨日から頭痛が始まった。
ときどきひどい頭痛になる。
頭痛薬がないと生活できない。
なのに薬が朝できれてしまった。
でもお金がもうないので買えない。

夕方、銀行でお金をおろして、頭痛薬を買った。
でもひどくなっていたので薬を飲んでも効かなかった。




2002年06月27日(木) 病院に行く

みーちゃんと病院へ行った。
心臓のエコーの日だ。
順番を待っている間、待合室で七夕の短冊などを書いたりした。
みーちゃんに「お願い事はなぁに?」と聞いたら「レモン」という。
果物のレモンのことか、うちの前のドラッグストアの名前か?
そこで「『おいしいものが食べたい』ってこと?」と聞くと、うなづくので、
「おいしいものがたくさんたべられますように」と書いてあげた。
そして抱っこして笹に飾った。
その後、自分が飾った短冊を指さして「あそこの水色の前のピンクのがみーちゃんのだよ」と言っている。
うれしかったみたい。
「なんて書いてあるの?」と聞くと
「おいしいくだものがたくさん食べられますように、だよ」と言った。

心臓のほうは異常なし。次の検査は半年後に電話で予約することになった。

帰りにスーパーで「ジュースが欲しい」とねだられた。
でも病院でビスケットを買ってあげたし「ダメ」と言ったら大泣きだ。
「ジュース〜、ジュース〜、うぇぇぇぇ〜ん」
あまりに泣くのでかわいそうだったが、そういえば育児の本に
「ダメと言って、泣かれて買ってあげるのなら、はじめから買ってあげましょう」ってあったなぁ、
などと思い、グッと我慢する。
周りの人にジロジロと見られるが、この人達がみーちゃんを責任もって育ててくれるわけでもないんだし、
と気にしないようにした。
とりあえず本人も、ビスケットを買ったし欲しいものは一日一個、と納得したようだが、
気持ちがおさまらなくて家につくまで叫び続けていた。



2002年06月26日(水) また、よく寝る私。

午前中は児童センターへ行った。
帰り間際に他のお母さんや先生とお話したり、本を借りたりしてきた。

そして家に着いて、ごはんをつくるのが面倒なのでカップ麺を食べた。
午後からはそんな調子でもうダメだ。
それからまた眠くなり、みーちゃんの布団でみーちゃんよりも先に寝てしまった。
気づいたら夕方の6時。
それから気力もなくダラダラしていたらやっちゃんが帰ってきた。
ごはんも作っていない。
しかたなく、回転寿司を食べに行く。
もうすっかり自己嫌悪にはまっている私。
みーちゃんに借りてきた絵本を何回か読んであげてから、
パソコンでひたすらゲームをやりつづける。
こんなことしててはダメだと思いつつゲームから抜けられない。

どっぷりと自己嫌悪。

昨日は私なりにあれこれ頑張ったんだ。
こんな日があったっていい。
次の日また頑張ればいい。
一日頑張って、三日寝込むことが多すぎる。
力の配分がうまくできない。でも、頑張れるときしか頑張れないんだから、
頑張れるときに頑張らなきゃなぁ、と思う。



2002年06月25日(火) 新しいサークル

児童センターで知り合った人と、今度は保育園でサークルを作ることになった。
その人から午前中に電話があって「準備を一緒にしよう」と言われ、
保育園へ行った。
保育園では他の子育てサークルの人たちがいて、子どもがたくさん遊んでいた。
みーちゃんもその中で遊んでもらって、私は職員室で紙をチョキチョキする。
出席簿を作るのを手伝った。

途中でみーちゃんも職員室に来たのでひざの上にのせて作業をした。
みーちゃんはペラペラとしゃべりまくっている。
反対側をむいていて座っていた先生が振り返り
「びっくりした〜、もっと大きい子がしゃべっているのかと思った〜」と言った。
みーちゃん、もうすぐ3歳なのにロンパースなんか着せているので、
小さい子に見えるよね・・・。

プレイルームにいたときは、自分が欲しいものがあると例え相手が大きい子でも向かっていった、と様子を見ていた先生が言っていた。
気の強いみーちゃん、すぐムキになるみーちゃん。



2002年06月24日(月) 苦手なもの

第四月曜日なので絵画教室はお休み。
そのことばかりが頭にあってみーちゃんのサークルのことをすっかり忘れていた。
午前中、みーちゃんが「どっか行きたい」というので、近所のあぜ道を散歩した。
そこでカニさん歩きを教えている時に「サークルの体操でいつもやってるよな」
と思い、その瞬間「あっっ!サークル!!!」と思い出した。
でもすでに12時、終わってる時間だった。

夜ごはんを食べているとき。
みそ汁のだしに煮干しを入れて、もったいないのでそのまま食べるようにしたのだが、
私はどうもみそ汁の中の煮干しが苦手であえて食べたいと思わず、
やっちゃんのお椀の中に入れていた。

そしたらやっちゃんが「とんねるずの食わず嫌いをやったらあやは5品目そろう」と言うので、
私もムキになり「やっちゃんの苦手なものだって5つあげられるよ」と
5つ数えてあげた。
やっちゃんは私の苦手なものを2つしか言えなかったので
「ほら、それだけしかないでしょ」と言ってやったら、
「でも、やっちゃんはあやが言った5つともちゃんと食べられる」と言う。

それじゃあ「実食」しよう、ということになった。
やっちゃんはヨーグルト、私は煮干し。
お皿にのせてもっていくと「みそ汁の中の煮干しじゃないとずるい」と言う。
やっちゃんはヨーグルトに砂糖をかけているので「それはダメだ」と言ってあげた。
二人とも「参りました」と言わずにちゃんと食べるので、決着はつかなかった。



2002年06月23日(日) 線香花火

組合の行事に参加した。

はじめに植樹。小さな木を植えた。
みーちゃんはうれしそうに、スコップで何本か植えた。
その後、公園内を歩いてポイントコーナーでゲームやクイズなどをした。

他の人は水筒などを持ってきていたが、
私はすっかり忘れてしまった。
みーちゃんはのどが渇いて「ジュースがほしい」と言った。
公園内の水飲み場で水を飲ませたら、とても気に入っていた。

夕方から、すっかり寝てしまったみーちゃん。
でも、今日は薬を一回しか飲ませていないので、さすがに心配。
8時くらいに起こして飲ませた。

そのあとやっちゃんとみーちゃんとコンビニに行って、
アイスと花火を買ってきた。
線香花火、みーちゃんはとても、やりたがっている。
これは私たちの結婚記念日の行事。
あのキャンドルサービスでもらったろうそくで花火をするのだ。
数字が書いてあってそれを消すのに一年分で一時間くらいかかる。
そして早速、アパートの下でバケツとろうそくをもっていって花火。
みーちゃんは「きれい・・・でんきみたい」と言って喜んでやっていた。
自分でやりたがり危なっかしいので、横からやっているところを見ていた。
終わってからみーちゃんは「花火、おもしろかったね〜」と
何度も言っていた。



2002年06月22日(土) 愛知牧場

お昼は、やっちゃんがドライカレーを作ってくれた。
おいしくいただいた。

その後、三好方面にドライブ。
本当は足助の城跡をさがしに行こう、としたのだけど、
お互い疲れがたまっているしやめた。
「愛知牧場」の看板を見つけ行くことにした。
一度、行ってみたかった。

行く途中、車の中でみーちゃんに「愛知牧場には牛がいるよ」と言ったら、
「牛、こわい」と言うので
「牛さんから、牛乳もアイスクリームもできるんだよ」とおしえてあげた。
そしたら勘違いして「牛さんにアイスクリームあげたい」と言うので、
「牛さんからアイスクリームがもらえるよ」と言いなおした。

いつもいく児童センターのウサギに草の葉をあげるのが大好きなみーちゃん。
愛知牧場でも、やぎさんに一生懸命、牧草を食べさせていました。

そしてソフトクリームを3人で分けて食べた。
座ったベンチのすぐよこに綿菓子の機械があってみーちゃんは興味津々。
他の子達がやっているのを見て「やりたい」。
やっちゃんと二人で作って、それをもって車へ。
やっちゃんが綿菓子を持ち、私がみーちゃんの手をひく。
「パパ、食べないよね・・・」と、心配そうにやっちゃんの背中を見ている。
やっちゃんはみーちゃんに見えないように何口か食べていた。

その後、やっちゃん実家による。
庭に、梅の実が色づいて落ちていた。
みーちゃんはそれをひろって喜んでいた。
「どんな味がするのかな〜」とやっちゃん母とむいて、少しだけ食べた。
桃のようなにおい、そしてあとすっぱかった。すもものような感じ。



2002年06月21日(金) ガーン

家賃を払ったり、入金したりするため銀行に行こう、とやっちゃんからもらった今月のお給料を出してきてビックリ・・・。
家賃分しかお金がない。
ガーン。何に使ったのか見当もつかないのがまた怖い。
確かに病院ではジュースを買いまくっていた。
それから外食もたくさんした。

あぁぁ、給料日までのあと数週間、
私の財布にあった数千円で過ごさなくては〜・・・。

まあ、何とかなる・・・かな?



2002年06月20日(木) 結婚記念日

午前中は近所の保育園の開放があったので、行ってきた。
最近、私の機嫌がイマイチなためか、みーちゃんもなんだか意地悪だ。
滑り台では横はいりするし、滑る直前のところでストップするし。
「後ろでみんな待ってるよ」と言っても意地になって動かない。
はぁぁぁ〜。

今日は結婚記念日4回目だ。
ちょうどワールドカップの年に結婚した。

それで夜は、ハガキもきていたし、サンマルクに行った。
入院する前にもサンマルクに行ったばかりなので、
いい加減、少し飽きてきた。

結婚記念日には2人で決めた行事がいろいろとあるのだけど、
帰ってきたら疲れてそのまま寝てしまった。
こうして、だんだん行事がなくなっていくのかな。

でも、毎年写真をとって、小さいアルバムに一枚づつ貼っているのは、
面白いので、続けたい。
次の日にでも撮ろうと思う。



2002年06月19日(水) よく寝る私2

久々、近所の児童館に行った。
みんなが心配していてくれて、うれしくて照れくさかった。
みーちゃんは、恥ずかしいのかはじめのうちは私にはりついていた。

今年度から先生がひとり変わったのだけど、
新しい先生は色んなことをやってくれるので面白い。
絵本のこともよく知っていて、聞くと教えてくれるそうだ。
私もみーちゃんといろいろと読んでいきたいので、
これから教えてもらおうと思う。

家に帰ってから、少しインターネットをして眠くなったので、
みーちゃんと一緒に昼寝。

夜は洗い物もしないで、布団もひかず、家族みんなそのまま寝てしまった。



2002年06月18日(火) 忙しい午後

みーちゃんを退院後の問診に連れて行った。

その後、図書館に寄った。
みーちゃんは相当眠いらしく、床に寝そべって泣きそうになっていた。
私が「図書館では大きな声を出してダメだよ」と言ったので一生懸命こらえていた。
ちょっとかわいそうだった。

それから近所の耳鼻科に行った。
入院していた病院の外来は終わってしまったし、もう咳がつらくてしょうがなかった。
そこの病院はプレイルームがあって、みーちゃんは車がお気に入りで、
さっきまで超ねむそうだったのに、思い切り元気になって遊んでいた。
診察や会計などが終わって「帰るよ」と声をかけても帰ろうとしない。
無理やり体を持ち上げたら大泣きした。

そして、近所のショッピングセンターでみーちゃんの靴を買ってあげた。
いつも同じくつをはいていて、真っ黒になっていたので。
今度は洗いながら交互にはこうと思ったからだ。

ついでに食品売り場に行ったらすごい人だった。
「改装前の在庫一掃処分」とか言っている。
ちっとも知らなかったけれど「いいものがあるかも」という気になって、
店内をウロウロした。
結局、そんなには買わずに帰ってきた。

家に着くとみーちゃんはパッタリと寝てしまった。



2002年06月17日(月) カゼ、ひどくなる。

カゼがひどくなった。
でも、熱はない。
咳がでるととまらない。

でも、実家まで父の日のプレゼントを届けに行った。
聞いて欲しい話もあったので。

ところでうちの父はプレゼントをわたしても自分から開こうとしない。
いつもだ。興味がないようだ。
なので「開けていいよ」と促す。2回も言った。
そしてやっと開けてくれた。

母が「みーちゃんが保育園に行くようになったら、福祉関係の仕事をしたら」などという。
私は福祉の仕事がしたいと思い、福祉の大学に通っていた。
OLは絶対に自分にはむいていない、と思ったのも理由のひとつ。
でも、いろいろあって福祉の仕事はあきらめたのだった。
結局、OLになったのだけど、はっきりいってむかなかった。
それも金融機関で働いていたので、自分の性格が浮き彫りにされた。
そこでよく分かったのが、福祉も私にはむいていない、ということ。
私のような性質の者が、他人の命や財産にかかわる仕事なんてしてはいけないのだ。
そうやって母に言い返したら、「やっとわかったか」なんて言う。
じゃあ、なんでそんな提案をするんだか。



2002年06月16日(日) 父の日

お昼から近くのショッピングセンターへ父の日のプレゼントを買いに行く。
靴下やシャツなどにした。
これは後から分かったことだけど、私たちは去年と同じものを色違いを選んでしまったようだ。
「いいな」と思うものはだいたい似ている、ということかなぁ。

そして、夜はみんなで名古屋の金山まで行って、カニを食べた。
前回、家族みんなで行ったときは、みーちゃんは喜んで食べていたのだが、
今回はあまり喜ばなかった。
私たちが食べている間、ずっと寝ていたのもある。
仕方なく少しおみやげにして帰ってきた。
家についてすっかり目の覚めたときに、それを出したけれど、あまり気に入らなかったようだ。



2002年06月15日(土) 「大きなお世話になります」

やっちゃんが昔会社でお世話になった人のお家にいった。
その方が出てきて私が思わず「お世話になります」と挨拶したら、
みーちゃんはとなりで「大きなお世話になります」と小さな声で同じように言うのでギョッとしました。
幸い相手には聞こえなかったみたい。
意味がわからず言っているんだけど、子どもってすぐに覚えるからこわい。

今日は思いがけず、大きな決断をすることになった。
縁があったのでしょう。
実は数ヶ月前に、同じような夢をみた私だった。



2002年06月13日(木) みーち

みーちゃん、退院してきました。

はじめの2日間(熱が出て5日目)までは、病名も分からず、
とても心配でした。
寝たな、と思っても5分くらいするとガタガタと震えだして起きてしまい、
なかなか熟睡できないようでした。

川崎病、と診断されてガンマプログリンというのを打ったら、
やっと熟睡できるようになって、ホッとしました。
そして3日後にやっと熱は下がったのでした。

症状が安定してきた頃に、看護実習生の子たちが来ました。
みーちゃんには実習生の男の子が担当になりました。
ちょっとシャイな感じだけど、熱心でいい子でした。

点滴がとれてからは、とても元気で、
病院の廊下を走り回っていました。
その後ろから「ゆっくりね、ゆっくりね」と声をかける私でした。

看護婦さんや実習生の子たちにちやほやされてご機嫌にすごせたミーちゃんですが、
「今日、帰れるよ」とおしえてあげると、ものすごく喜んでいました。

家に着いてからも「うれしい?」と何度も聞いてしまう私でした。
みーちゃんに「ママもうれしいの?」と聞き返されました。


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