確かに科学は日進月歩で この21世紀に入り 車は未だ空を飛ばないまでも 例えば手塚治虫先生の描いた世界観はじめ アニメやSFで描かれたものが 現実となっているものも 多く存在しているわけだけども 科学の進歩は 何故と疑問を持つことの 知的好奇心・探究心に他ならないわけで 私が科学がここまできたかと驚いたのは リモコン式の照明器具 しくみは至極簡単 照明器具のみならず 電気製品なのだから 通電すれば電気は尽くし 電気を遮断すれば消灯する ただそれだけなのだけれど 他の電化製品に比べ私の心を掴んだのは 特に部屋の照明と言うもの その照明からぶら下がるヒモを いちいち立ち上がって引っ張り点灯消灯せねばならず その煩わしさを解消するための 先人の知恵と工夫は そのヒモを延長することのみで だがしかし部屋の中央に ダラリとヒモが伸びてると 通行の邪魔にもなるし見た目的にも不恰好極まりなく 一人暮らしの女性の部屋に遊びに行ったときに そんなヒモが伸びていると そりゃあ興醒めしたものだが それが今から20年以上も前になるだろうか 初めて我が家にリモコン式証明になったときの感動といったら そりゃああんた子供みたいに いや当時は子供だったんだけれど 子供のように無邪気に ピッピピッピと無駄にリモコンを使ったものであるのだが 例えば 携帯電話はじめその他家電製品なんかも 様々な機能がついてそれはそれは便利なんだけれども その大多数が無くても別に構わない機能であることが多く そういった観点から やはり照明のリモコンの実益の発明は 個人的に実に有用であったわけなんだが しかしまだ この21世紀になっても 科学で解明できないことが多く存在しているわけで 私はそれで構わないと思うのだよ 森羅万象全てのことが科学で解明されては味気ないし またロマンもない そういった不確定要素を研究することで さらなる発展があるのだから やはり 知的好奇心及び探究心が肝要なのであり ところで最近 全国各地でおたまじゃくしが降るという 怪現象が起きているのだが 確か何年か前 ガードレールに奇妙な金属片が付着しているといった怪現象には こぞってマスコミが取り上げ連日大騒ぎ 勿論 連日大騒ぎが良いとは思わないが 明らかに騒がないのもどうなのかと おたまじゃくしと言う生命体が 空から降ってくるというのに その世間の好奇心の低さに 私は危機感を覚えるわけで おたまじゃくしと言えば 10年位前にカエルが降ってくる映画があり 鬼才PTA作品でカエルだけでなく トムクルーズのチンコが本物か否か 突っ込みどころ満載でありながら ほのかに感動させる映画なんだけれど そもそも 確かに男根は男の象徴ではあるが チンコの大きさでは人間の価値は決まらない 男社会においては チンコの大きさこそ男の優劣なんて風潮も 未だあるにはあるのだが 確かに 確かにチンコが小さく皮が長い私ですらも 巨根が故の悩みなんか無視して それでも巨根になりたい巨根になりたいと 新年のお参りとか夏祭りだとか 神社にお参りする機会があれば必ず祈ったものだが やはりチンコがでかいと 男社会では胸を晴れるし もしかしたら女性が求める強引さなんかも チンコがデカイことで心にゆとりと自信が漲り もしかしたら 違う人生を歩めるのかもしれないのだけれど その巨根を生かして ポルノ業界だけでなく社会まで 一大ムーブメントを起こした 巨根だけでチンコひとつで成り上がった映画なんてのもあったね それも確かPTA で 巨根好きに多いのがやはり巨乳好き 大きいものは大きいものに惹かれるのだろうか それとも単純にシンボルはシンボルを求めるのか 巨根に尻好きはすくなくやはり胸なんだそうで 私は私で短小のコンプレックスから やはり尻好きなんだけれども ただこの時期薄着の季節 勿論 おパンティーが透ける尻を見るのは大好物なんだけれども なんてえのん こお空梅雨でもはや真夏並みのうだるような暑さ 尻を堪能するよりも たくさんのおっぱいを並べて さっと頂きたいもんですよね こおむっちむちの こおプリンプリンした おっぱいを温泉にでもつかりながら さらさらっとねえいいもんですよねえ そう言えば 飛行機代をタダにするために プリンを食べ尽くすって男の映画があったっけ 無論PTA わずか監督5作で 否 デビューからほんの数作品で 名監督の仲間入りを果たしたPTA 彼の作品にはストイックなまでのヘンクツ人間が 多く出てくるのはやはり PTA自身の知的好奇心・探究心に他ならないわけで そのおかげで 良質な映画が生産されるのであるほど かつて昔のどっかの偉いおっさんは 強い者が生き残るのではなく 変化に対応する者が生き残る なんて進化論を説いたが 実は 知的好奇心・探究心こそ 進化の源であることはもはや 明白なのである にも かかわらず 先日 マンションの一室で 乱交プレーに興じていた男女複数名が 逮捕された 勿論 それが営利目的だったり 未成年が混じっていたってんならまだ話はわかるが 罪状は公然猥褻 勿論 会費制で営利目的であったことは明白なのだが 公然猥褻ってのはいかがなものか 金を払うとはいえ 皆同意の上でのプレーであり しかも自らが所有するマンションの一室で 勿論露出プレーも無く 当然被害者もいない それで公然猥褻とは乱暴すぎやしないか そう 本来 乱交プレイ自体 実は非合法なのだ 初めて知って愕然としたが 何より 乱交プレイというものは 新たなる刺激を求める 知的好奇心・探究心の最たるものであり それがあるからこそ 健全たる性生活が送られるはずなのに この国は 日本は そんあ可能性すらを 古い時代にできた法律と言うもので 無限の可能性の芽を摘み セックスレスなんて問題から 目を背けている 日本の性生活の 明日はどっちだ。
2009年06月07日(日) |
さかりのついたエンジェル |
もう数年前 どころか十数年前にもなるだろうか お昼のみのさんの番組をたまたま観ていますと 恒例の生電話相談コーナーありますわな 電話の主は年の頃は忘れたが主婦 まだドメスチックバイオレンスなんて言葉が まだ広く知られていない時代 なんでも日常的に夫の暴力が激しいと言う相談内容 ところが 最初は同情的に話を聞いていたみのさんが なんだか徐々にイライラしていく様子が ブラウン管を通してもわかるほどになり どころか 恐らくスタジオにいる人間全員 もしくは視聴者ですら みのさん同様イライラの一体感みたいなものを 共有したんだけれども 何故か それは電話相談者の内容が どうすれば夫の暴力を辞めさせられるか なのであり みのさん始めフラストレーション組は そんな夫と何故別れないのか というお題目に深いクレパスのような溝が生じているからであり 確かに長らく専業主婦をやってきた更年期の人間が すぐに社会復帰できるのは難しいし 生きていくだけならまだしも老後までのスパンを考えた場合 そりゃ離婚するリスクは当然あるわけで みのさんも一概に離婚を勧めるわけにはいかない しかし 何をどうしたって暴力と言うものは 加害者が辞めないとおさまらないのだから 相手が現場にいない以上 主婦の一方的な話の筋で考慮すると そりゃあ誰だって 離婚を勧めるのも当然な成り行きなんだけれど 確かそういったことをみのさんも 相談相手に説教していた記憶があるのだが どうしても別れを固持する主婦に ついにみのさんはキレ気味に問うた 何故そんな旦那と別れないのか と 主婦が答えた だって夜は優しいんですもの と間髪いれずみのさんはいじめフラストレーション組は アホか と怒りながらもちょっと苦笑しながら そう怒鳴った 当然 私もみのさんに共感したわけで それから十数年 私は女性を好きになっては こっぴどくフラれるといった恋愛を繰り返し 未だ独身 どころか閉鎖的な仕事場のおかげで 出会いどころか 極端な他人とのコミュニケーション不足に 陥っていることを前提に 考えてみた 例えば自分内の心を10として 勿論それは その時々によって変化するのだろうけど 便宜的に 全てパーフェクトつまり理想な相手を10として考えると 広い世の中とはいえ そんな相手はなかなかいないものであり じゃあじゃあじゃあじゃあ その割合が 好き9嫌い1ならば おそらく好きが嫌いを凌駕し なんならばひとつくらい嫌いがあったほうが 人間的とも思えるわけで まあ好き8もしくは7嫌い2もしくは3程度であっても 長い人生途中で衝突もあるかも知れないが 衝突や失敗を繰り返しもしかしたら人間的に成長し 夫婦もしくはパートナーとして総合的に 良いカップルなのかもしれない では 好き5嫌い5では如何なるものか これが続けるべきか別れるべきか を考えるきっかけにもなるのではないだろうか そして 嫌いが好きを逆転してしまうと もはやカップルでいる必要性にすら 疑問を持ってしまうわけで その疑問を持った時点で 私はそのカップル間の亀裂は 修復不可能だと思っているし また たとえ好き9嫌い1であっても その1がどうしても許す事ができずに 破局するパターンも多いわけで 逆に 好き1嫌い9であっても その1こそが本当の相手の姿だと信じ込み 別れずにいることもある これこそが 先述したみのさんの生電話相談者ではないだろうか 暴力的で家に金も入れない 誉めるどころか毎日罵倒ばかり もう死んでしまいたいほど嫌いなのに ただ ただ夜の営みとなると 優しく抱きしめてくれる それは妻の勘違いなんだけれど その欺瞞的な優しさだけで 9の嫌いを凌駕してしまう それほどまでに セックスの威力効力に驚くのだけれど よく女性は言う 男はヤレれば相手は誰でもいい しかしそれは とんでもない濡れ衣であり 嫌い10な人間とは そりゃエッチしてもつまらないどころか 虚しさすら感じるし 逆に好き10が現われたら あまりにも理想な為に逆に大事に大事に行ったばかりに エッチすることなく取り逃がしては 逃がした魚は大きかったと 場末の安居酒屋で愚痴ったりもするだろうし そして 好き8嫌い2というものは あくまでも自分内基準であり 相手が自らのことを好き1嫌い9であったなら いくらこちらが好き8でもその恋は成就はしないわけで だからこそ恐らく 恋愛のスタートと言うものは 好き5嫌い5 もしくは 好き6嫌い4またはその逆 辺りからスタートし デートや肉体関係を経て その比率をお互いが高めていくのだと思う そして 過度の対人コミュニケーション不足で 恋愛偏差値の低い私のような人間は みのさんの電話相談者同様 たとえ好き1嫌い9のような絶望的状況でも 否 客観的にも主観的に見ても どうあがいたところでうまくいきっこないことくらい 先生知ってます ただ恋愛偏差値が低い故に 絶望的な好き1に 希望をどうしても持ってしまい あげく玉砕しては 女ってヤだな女って怖いなと また自らの殻に閉じこもってしまい 泣きながらオナニーの日々なんだけれども 幸いながら 残念ながら 幸か不幸か定期的に私は性欲が上がった下がったり願ったり叶ったり しかしその相手をしてくれる女性はもとより 風俗に行く金はなし またオナニーにも2種類がある セックスの代わりつまり性的欲求を満たすオナニーと チャレンジスピリッツつまり性的可能性を探す為の冒険オナニー 前者は所詮オナニーなどセックスの代わりにはならないので 射精した後の空虚感と絶望感に苛まれる 後者はオナニー目的のオナニーであるために 達成感と多幸感にオナニー^冥利に尽きるってんだが しかし 私ほどのオナニストになると 性的欲求を満たすためにあえて自らの好みのオカズを選ばず 女性の裸すら出てこないような はたまたありえない状況でのセックスや 酒と男と女とオカマとおなべの酒池肉林など実験的なAVで オナニーを施すために チンコが暴走しちゃったりなんかして 今日の私は 女子大生でヨガの先生でケアマネの資格を持ち 且つ 楽器なんか弾けて麻雀ができて官能小説も書ける そんなメイドさんでありながら MでありSでもある そんな女性こそ 今日の私の好き10嫌い0 なのである そうして 十数年前みのさんは 例の生電話相談者に向かって あきれ返るように吐き捨てたんだ あんた病気だから病院行きなさい と。
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