2009年05月31日(日) |
大人になるということ |
若者 思春期 特に女性 いや男でも誰でも 芸能人やバンドマン、アイドルなどに 思春期特有の一方的な恋心を抱き その人こそ世界で唯一の自分の理解者なのだと 本気で信じ込み おっかけやファンレターのひとつくらい 今思えば恥ずかしい過去くらい 誰にでも 経験あるもので しかしその当時は 妄信とも言えるその思いこそ 生きる源であり それが全てだった 誰だってそういう時期くらいあると認めながらも 自分だけは違う 私だけは この思いは永遠なのだと 誰しもが思い しかしながら それはまるではしかのように ある日突然過去になる あれだけ夢中だったものに 気づけば何の興味なくなる そして場末のスナックでひとり ああ昔好きだったななんて タバコをくゆらして 若かったのよなんて強がってしまうものだが それはきっと 大人になるということよりも 大人になるための 通過儀礼 であるのかもしれない かくいう私も そんな時代もあったよね なんて笑える日がくるわ だから今日はくよくよしないで 明日の風に吹かれましょう なんてまわるまわるよ時代がまわっちゃうほどの 気づけば年齢なのだが そりゃあおにゃんこからCOCOまで 好きだったアイドル歴こそ 時代と言うものなんだけれど まあ誰だってそんな時期あったわけだし 私はそういう時期を否定するわけじゃなし おそらく私はその思春期特有のモンモンとした時期を経て 大人になった の だが しかしなんだ 身体と年齢は立派な大人になっても この未曾有の大不況により 収入は学生時代のバイト並み 未だ実家暮らし パラサイトなんて少し前に そういう独身者を非難する動きがあったが そりゃ間違いだ 経済状況が未だ子供並みだから独立できないだけで ワーキングプアが叫ばれる昨今 年収300万以下が若者が大半を占め 年収400万以下が社会人の約半数に上るという しかしながら 生活レベルはどうか 成長すればするほど 食事や身の回りのもの服や家電 歳相応に少しでも質の良いものを求め 収入は変わらずなんなら収入が下がる状況でも 出費がかさむものだから 尚更生活は困窮の悪循環が発生する 舛添は 贅沢すぎる収入に見合った生活を なんてわかりきったことをどや顔で言うのだが 一度上がった生活レベル特に食事関連のものを 下げるということがどれだけ難しいかを あの舛添はじめ政治家はわかっちゃいない だからこそ平気で増税を謳うんだろうが 舛添やその他政治家を選出したのは 紛れもない我々なのだ なんて批判もお門違い甚だしい 選出したのが我々なら 彼らを罷免する権利があるはずなのに 現実にはそれがない が それはまた別の話で 今日の話には関係ない マシマロは関係ない 民生好きの女性は裏原系の女性が多く 民生は嫌いだがそんなポップな女子は 大好物だったりするのだが そんなAVが少ないことに憤りを感じるのも それもまた 別の話なんだ 閑話休題 話を戻そう 確かに私は 大人しかもいい大人と言われるほどの年齢になった 若い頃にはあまり好きではなかったもずくや南蛮漬けや抹茶味のスイーツ デパ地下にも足を運ぶようになり 肉よりも美味しい魚で酒を飲みたいとも思う こう書くと 確かに私は大人になったのかもしれない しかし私は そりゃたまに誰かと食事するときには そんないい店にも行ったりはするが 基本的にひとりでメシを食うときは カップラーメンでもファーストフードでも 平気 というか 寧ろ好き なんだけれど そう 過去の日記を読めばわかるように 長年お付き合い頂いてる読者ならわかるように 私は無類のカレー好き 一週間三食カレーでも平気だし 西に美味いカレーありと聞けば行って食し 東に有名なカレーありと聞けば行って確かめる 無人島に何かひとつ持っていくものはと問われれば そりゃあもちろんカレー・女性モノブラ・女性モノストッキング と答えるほどにカレー好きで 事実 昼食間食腹ごしらえと言えば 確実にカツカレーを食していたのだけれど 気がつけば もう1年もカレーを食っていない もちろんカレーが嫌いになったわけではない もちろん外食時は確実にカレーとは書いたが そりゃあ相手ある時は相手の意見を尊重するし 近くにカレー屋がなければ違うものを食ったりもする そんなことを繰り返すうちに 気づけば カレーを食ってなかった 問題は あんなに好きだったカレーを食ってなかった ということではない そう問題は 1年間もの間 カレーを食ってなかったことに気づかなかったことであり つまり 1年間もの間 カレーを食わなくても平気 どころか カレー食いたいという欲求すらなかった そこが問題なのであり それが私には驚きであったわけで あんな好きだったカレーが あんなカレーが好きだったのに これが大人になると言うことか これが大人になると言うことか これが大人になると言うことか やはり大人になってしまったのか 身体や年齢が大人でも 心だけは失わないようにと思っていたのに ついに 心も大人になってしまったのか ごめんねカレー ありがとねカレー さようならカレー ありがとねカレー そんなセンチメンタルになった先週 ある出来事があった とある仕事で カフェでランチということになった カフェと言う名の喫茶店なのか とにかく食事メニューの品数が貧弱だった そこで私は 涙で絶縁したはずのカレーと再会したのだ 確かにメニューは貧弱だった しかしカフェだろうが喫茶店だろうが カレーやナポリタンという定番メニュー わかりやすい味にハズレはないと踏んだからで 確かに カレー専門店などは 必要以上にスパイスをつかい もはや味がわけわかんようになってる店は 少なからずある それはある意味努力した結果であるので 情状酌量の余地はあるし またそのわけわからん味がかえって 稀なケースではあるが逆にクセになったるすることもある しかし 私が先週 しかも1年ぶりに食べたカレーは あまりにも不味く あまりにもひどかった 大人になって舌が肥えたというレベルではなく とんでもなくひどくまずいカレーだった 喫茶店なら喫茶店らしくレトルトでもいいのに レトルトのほうがまだマシなのに そのカレーは筆舌尽くしがたい味で しかも専門店によくあるスパイスのこだわりとか そういうレベルではなく なんかもう 仕方なく作ったというレベル 私は料理はしないが 素人が料理をするテレビなんか見てると よく起きる問題が 味見をしない ということで 私は店主に問いたい お前味見したんか と 味見してないならしてないで それは飲食店を経営運営するプロの点で問題であるし 味見してたら味見してたで 味見した上でこのマズイカレーを良しとする その味覚に問題がある つまり どっちに転んでも救いようのない味で お前なんかとっとと廃業しちまえ カレーに土下座せえ懺悔せえ赦しを泣きながら乞え と断罪したかったが 仕事相手もいたので 私は心で怒り顔で泣いたのだが しかし人生というもの 何が起こるかわからないもので そこで 私のカレーへの愛情が復活した こんなマズイカレーが生涯最後となるかと思ったら 腹立たしくなって もっともっと もっとカレーを食べるべきだと 使命感に満ち溢れた 何か 大人になって忘れていた何かを 思い出した気がしたんだ 大人だって カレー食べてもいいじゃないか いやさ 何か失った何かを思い出した 子供心に戻って そう童心に帰って カレーを食べてやろうじゃないか カレーを一生食べようじゃないか 大人になっても 張り詰めた生活をしても疲れるだけだ たまには童心に返るのも必要なのだ 無邪気に笑って 無邪気に楽しむ それがこの未曾有の大不況を乗り切る術だ 辛気臭い顔は不幸しか呼ばない 笑門来福 その大切さに気づいた僕は いつでも童心に返れるように 否 童心を忘れないように これまたかなりの久しぶりに 股間を 陰毛を つるっつるにしました つるっつるにして 童心に返れるのは 仮性包茎にのみ許された 特権なのだから。
パンデミック パパパパンデミック レッツパンデミック さてお久しぶンデミック 少しく忙しくしてましパンデミック GWには新型インフルエンザなんて他人事で 成田のパニックぶりに あははと舛添の狼狽ぶりに酒を飲んで んなもん 感染拡大を防ぐには 街を封鎖し 人の行き来を失くし 封鎖した街を 核ミサイルでドーン なんて映画があったっけ そしてとうとう 神戸で感染者が出て 神戸まつりが中止になり その日の夕方には感染者が増え ニュース速報が流れるたびに感染者が増えていく リアルパンデミックに 恐怖を感じたときには ときすでに遅し 大阪は茨木市にも感染者が出て そしてこの現状 そう ワタクシ 何を隠そう 大阪は茨木市民でございます まあ 今となっては 大阪のその他市町村にも感染者が出たため 全国的に茨木市が脚光を浴びたのは 一瞬にすぎなかったのだが そもそも 舛添もメディアも 危機管理はわからないでもないが いちいち恐怖を煽りすぎる 不要不急の外出を控えるように なんて聞き慣れない しかも否定語だらけの言葉で説明されると そりゃ誰だって不安になるわけで マスク着用ったって どこ行ってもマスクは品切れ 幸い私は仕事場にマスクの備蓄があったので 事なきを得たものの しかしそれでもマスクがどこまで有用なのか ともあれ この週末は恐怖に慄いていた しかし茨木市だけでなく 大阪でここまで感染が拡大し しかも今後も増加傾向であるし しかも弱毒性ということで もはや恐怖と言うよりは あきらめ なんですなあ 恐らくこのアタクシも 感染は時間の問題 はたまた もしかしたらもうすでに感染しているのかも知れず ともかく 私は時代や流行に疎いというか そのど真ん中にいた記憶がなく いやこの未曾有の大不況に ワーキングプアの低所得者層ということを考えれば その時代を生きた証かも知れぬが しかしそれはほとんどの人がそうであり 人にそれを自慢したところで ああそれ私もですよなんて 優越感を感じないわけで 勿論そんなことで優越感を感じてどないすんねん的な 批判もあるやも知れぬが そんな些細な優越感を 人間誰だって感じたいのであり つまり オレ茨木市民とアピールしたことで 日本全国の皆様から 大丈夫?ねえ大丈夫?と 心配されることで ささやかな優越感と同時に 他府県の皆様も 私の知り合いが茨木市民でと 友達に話すことで 少しの間あなた方は話題の主人公になり ささやかな優越感に浸れるとしたら 私が茨木市民であることが 少しでも報われるのではなかろうか そして GWにもうひとつ 清志郎が死んだ 私は清志郎のファンではないが 中学のときに買ったタイマーズのCDを持っており ずっと〜ゆめ〜をみてえ〜 なんて歌詞とは裏腹に ゲバ帽にグラサンといういでたちに 皮肉と破壊に満ちたその歌詞に 思春期の若者は 何かわからない衝動を覚えたもので さらには RCの歌をカラオケで歌うと まったく清志郎みたく歌えないという経験を 男なら誰しもしたことはあるもので 早かろうが遅かろうが 清志郎が死んだことに ファンではない私は何も感傷は抱かず ただ思い出すのはやはり 中学の頃に見た タイマーズのFM東京の歌であり 探せばまだそのビデオ持ってるっけかなあ 曲紹介や表示される歌詞とは違い FM東京〜腐ったラジオ〜と絶叫する清志郎 青ざめる古館 翌日の学校ではリアルタイムで見た 優越感に浸ったもので 街中のところどころで 清志郎が死んだことを嘆く人々を見かけたが 私には 今の世では考えられないタイマーズを リアルタイムで見たという優越感 その生き証人になったことを実感したのであり つまり 歴史や流行 時代や伝説 そういったものとは無縁だった私に 清志郎が死んだことで 私は時代そして伝説の生き証人になってしまったわけで なんだこの五月 今まで 華やかなるものとは無縁に生きてきたのに 時代の生き証人になり 疾病流行のど真ん中に 突如置かれてしまった私に 何ができるというのだろうか そして もうひとつ 昨日から咳が止まらないんだ 自らは何も変わっちゃいないのに 自分の置かれた状況だけが 急激に変化したことで 何か 自分が全知全能の神にでもなったような気がするのだが それは勿論勘違いで そういうときこそ 普段どおりの生活をすることが 肝要なのに決まっているからこそ 今日も私は 全力で 全身全霊をかけて オナニーする所存であり オナニーをした後に 熱でも 測ってみようかな その結果が 怖かったりするのだけれど 清志郎なら こんなときどうするのだろうか。
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