若い頃は やはり血気盛んで 恥ずかしながら やはり多くの若者同様そのパワーは 社会だとかなんだとか曖昧なものに向かって 発信していたのだけれど 自己表現 というもの 実はそれは社会に向けての宣戦布告ではなく 誰かもしくは何かに 認めてもらいたいという SOSであるのかもしれないのであり 少なくとも 振り返るに私の場合は そうだったような気がするのは やはり 多くの若者同様 夢破れてしまってからは 社会に適応すべく 自らの存在を消すように というか 誰もが社会に適応すべく必死で 誰もが他人に興味など 実は持っていないのであり いくら髪型や今日のコーディネートに気を使っても 実は誰も見ていないのだから 現代ではそれをナルシストなんて揶揄され 特に女性の場合 化粧をすればするほど 匂いがキツイ男目的などと非難され 逆に化粧をしなければ 女っ気がないと糾弾される 腰からパンツがはみ出していれば だらしないと批判され パンティラインが出ないようにTバックをはけば 全く趣がないと断罪される じゃあじゃあじゃあじゃあ 男は女を注視しているのか これは している 実はしている お互いの関係性など全く関係なく 仲の良い友達から 毎日すれ違うあの子 はたまたコンビニのお姉ちゃん まず確実に凝視し観察しているわけで がしかし それは性的興味からで そりゃ相手によっては気持ち悪いかもしらんが 異性に興味をもたれているという観点からすれば それはその小さな小さな胸を張って喜んでもいいことで 動物学的に自然なことではあるのだけれど 逆もまた同様 女性はやたら 男性の服装や小物について 誉めたがる しかしその場合 素直に喜んで良いものか 確かに 額面だけ受け取れば 女性は男性に興味を持っているのかも知らん ただ 女性は社会の中であればあるほど 本音は小さな小さな胸の中にしまうものであり 恋愛関係ときには」夫婦関係になっても 風呂場でこそこそムダ毛処理に余念がなく その姿はそおいうプレイでない限り 女性は墓場まで持っていくほどの決心をしているわけで じゃあじゃあじゃあじゃあ それが男性への性的興味でないとすれば 沈黙の気まずい雰囲気を打破するために とりあえず誉めてみたのか はたまた中身が誉める価値もない男だから 外見しか誉めるところがないのか どうせ 誉められたところで 私の性格はチンコのように曲がりくねっているし じゃあじゃあじゃあじゃあ 結婚してください その前に一発ヤラせてください なんてオファーしても まあ断られることは目に見えているので 正直 そっとしておいて欲しいんだよ ヤラせてくんないんなら そっとしておいて欲しいのよ どうせ仮性包茎 俺のチンコなど そおいうプレイでない限り お店でお金を払わない限り 誰も見ていやしない 誰も見ちゃいない 俺なんて俺なんて そおだもお死のう お母さん今朝から血が止まりません お母さんあなたの顔はもう忘れてしまいました お母さん赤い色は大嫌いです なんてついつい思ってしまうのも ルーティーンというか 若い頃は 誰かに嫌われても 否 誰かに決められたルール そんなもの必要ない なんてあんなドラゴンボールは ドラゴンボールじゃないなんて強がってはみても 普段寄るコンビニ 好きなものを買うお店 ごはんを食べるならばこの店なんて いつの間にか定期的に通うようになり それがルーテx−ンともなり やがて常連となってしまう 若い頃はそれが 社会以外に唯一自分を認めてくれる場所 それ故 それがきっかけで結婚しましたなんてよくある話で また店側においても そういった顧客の常連化こそ安定した売り上げの確保 常連なんて優越感を与えるフリしておきながら 実は同じことを誰にでも提供しているわけで そういった利益優先のビジネスに辟易しているのだけれど だからこそ 私はそおいう部分が見えてしまえば その店に通いたくなくなるのであり つい昨日も駅の売店で 私は何も言ってないのに くたびれたおばちゃんは私愛用のタバコを差し出したわけで くたびれたおばちゃんよ 私を誘惑するのはやめてくれ くたびれたおばちゃんよ そら私はあなたの様なくたびれた女性が大好きなんだけれども くたびれたおばちゃんよ あなたをしこたまヒーヒー言わせたいのはヤマヤマなんだけれど タマタマをしこたまいぢってもらいたいんだけれどね と思う前に どおゆうわけか 私はよく見かけられるらしい そしてよく覚えられやすいらしい 私は行ったことすら覚えていないのに それどころか言われた相手すら覚えてないのに こないだどこどこで見かけましたよ こないだどこのお店にいてはったでしょ なんて言われるどころか 初対面の人にすら 前に一度会ってますよね 前に一度プレイしてますよね なんて あたかもそおゆうことがあたかもしれない 否 あたかももうひとりの自分が存在しているようなことまで 言われる始末 良いことならまだいい 良い事ならまだしも こないだ路地でカツアゲしてませんでしたか なんてわしゃヤクザか あまりにも そおゆうことが多いので もおいやんいやんだから言っておく 仮性包茎は 犯罪を犯しません 仮性包茎は 非常に気が小さい生き物です 仮性包茎は 内向的で繊細で人見知りします 仮性包茎は ときに虚勢を張りますが 虚勢は虚勢なのでそおゆうときは そっとしてあげてください 仮性包茎は 非常に温和な性格なので Mの女性には向かない場合があります 但しちんこはむいて欲しいのです 仮性包茎は 夏場悪臭を発信しますので 石鹸で丁寧に洗ってあげるか 臭いフェチには最適だと思われます 仮性包茎は 自分の弱さを知っているが故に 人にやさしくなれるのです 仮性包茎は 疲れたアナタを癒してあげます 仮性包茎は くたびれたアナタの不安や悩みを取り除いてくれます 仮性包茎は ともだちです 仮性包茎は 神様です 仮性包茎を 愛し崇め受け入れることで運気がアップします 仮性包茎は 日本の象徴です 仮性包茎の仮性包茎による仮性包茎のための 天は仮性包茎の上に仮性包茎を作らず仮性包茎の下に仮性包茎を作らず 天上天下唯我仮性包茎 皆さん 水を買いましょう 印鑑を買いましょう 水晶を買いましょう 仮性包茎は いつもあなたの心の中に。
正直 驚いたことがある 21世紀になり平成生まれが社会に出た この現代においても バレンタインデーに チョコと一緒にプレゼントして欲しい物は 今も昔も手編みのマフラーなんだとか その反対に ホワイトデーには手編みは勿論 ハンカチや服など男の好みが反映される物はNGで そのくせ高級スイーツや なんなら商品券なんて意見もあるようで 贈る時は手編み手作りなんて 安価で済ますクセして その見返りは高価なものを求める 如何に女性が浅ましいのか 私はそうは思わない 損して得取れはビジネスの鉄則でもあるし 少しでも利益を出したいならば コストを如何に極限まで下げられるかであるのだから 寧ろ女性は 商魂逞しいとまで言えるのではなかろうか 私が驚いたことは そんな逞しい女性ではなく 未だに 手編みのマフラーを欲しがる男が多い ということ 勿論なかにはそんな男もいるのかもしらんが アンケートのトップになるほどだとは 思わなんだわけで そもそも 手編み手作りの類は やはり趣味の問題が出てくるし 趣味に合わなかった場合 その処分にも困るのだけれど それよりも何よりもそれ以前に 私は マフラーが嫌い嫌いウソ本当は好きでなくて 本当に嫌い嫌い大嫌いなわけで そもそも マフラーってなんか軟派な感じがするやん やっぱ男としてね 硬派でいるべきって言うか その思想的にね男は女を守るべきって言うかね とにかくひ弱軟弱のイメージ象徴なんだよマフラーは 第2に 私の体形は肥満児であり デヴュにとってマフラー姿が似合うに会わない以前に 首がないもしくは首が短いわけで 首にマフラーをしたところで 顔の一部にかかってうっとうしいこと山の如し どころかすれ違う人々に ひそひそくすくす陰口叩かれ視線は逸らされ ああもうおかあさんおにぎりおいしゅうございましたなんて 駅のホームから飛び降りそうになるわけで そして何よりも マフラーから ちょこんと出た頭が チンコに見えて仕方がない 仮性包茎に見えて仕方がなく 仮性包茎が仮性包茎の如き格好をしている 仮性包茎だから仮性包茎みたいな格好をしている 仮性包茎のクセに仮性包茎なのに仮性包茎でありながら つまり マフラーは仮性包茎の象徴イメージに繋がり マフラーのおかげで 仮性包茎の地位が貶められている こんな屈辱はなく じゃあじゃあじゃあじゃあ マフラー以外に何か違う防寒具をと考えて 真っ先に思い浮かべるのはやはり タートルネック しかし 読んで字のごとくタートル その着用したシルエットのみならず 名前そのものまで仮性包茎を連想され しかも 名も体も仮性包茎を卑下しておきながら マフラーと違い 経年劣化によりその丸首はどんどん広がり 全く首を暖めやがらないのであり 名も体も性能も 全く使えないこと山の如し そんなわけで 私は真冬・厳冬においても 生まれてこの方 マフラーを使用したこともなく タートルなんて服屋で見るたびに憎悪すら覚え コートの襟をなんとか首の辺りに それで凌いできたのだけれど 世の中そんな甘くはなく 毎年毎年 年に数回は風邪に倒れてしまうわけで この21世紀において どうして風邪如きのウイルスにやられないかんのだ と 哀しくて哀しくてとてもやりきれない思いで もうこのまま凍え死んでしまおうか どうせなら灯油をかぶって火をつけようか それなら寒い思いはしなくても良い と途方にくれていた昨年晩秋 ふと入った 店に それはあった ネックウオーマー マフラーのように自己主張しすぎず タールネックよりも利便的 デザインも材質も豊富 気がつけば 服屋や防寒着のコーナーには ネックウオーマーのコーナーがあり とりあえず 私の好きなドクロ柄のものを手に取り 驚きながらも まだその未知なる物体の性能に疑問を抱いていた私は おそるおそる試着してみたところ オオオオオ ナ、ナンダコレハ コレガ ネックウオーマートイウモノカ アアア アッタカヒヒヒヒ アアア アッタカヒヨオオオ ナ、ナンダ アッタカヒノハ クビダケジャナク ナンカメマデアッタカヒ ナンダコレハ コレガナミダトイフモノカ 私は早速購入し 自宅で 鏡を見ながらむふふえへへとミヤけながらも やったついにやったどーと喜んでいると この好きなときに脱着できるネックウオーマー 全く仮性包茎らしくなく 寧ろ 仮性包茎は手術で克服できる的な ポジティブメタファーでもあるどころか 仮性包茎の呪縛から解放され 長きに渡って繰り広げられた 私と私の仮性包茎と私の首と冬の寒気との戦いに 寧ろ仮性包茎に凌ぎを削りあった者同志にしかわからない 何か清清しい友情のようなものまで芽生え 仮性包茎でも 冬を 安心して過ごせる 精神的に前向きになった仮性包茎は 正直強い もう怖いものなど何もない 確かに 確かにこの冬は 温暖化の影響か例年にないほどの暖冬だった がしかし 世間は温暖化温暖化と騒ぎ立てるが 昨年の平均気温は例年より下がり 過去最低の気温だったことをご存知だろうか しかしそれはまた私のアンチエコ・エコアレルギーの また別の話で 閑話休題 ともかく今年の暖冬は事実で 福岡では史上最速でソメイヨシノが開花し 我が大阪でも 桜の新芽独特の臭い匂いが充満し始めており もう開花まであとわずか だから まだまだ油断はできないが もういいだろう 私は声高らかに胸を張って チンコの皮を引っ張って叫びたい 今年の冬は風邪をひかなかった 勝ったどー 風邪に勝ったどー ウイルスに勝ったどー そしてこれから 仮性包茎の呪縛から解放され 仮性包茎のアパレルの自由を勝ち取り 仮性包茎の地位向上にも繋がった ネックウオーマーにその開発者に ノーベル仮性包茎賞を授与するとともに 仮性包茎は勝利した そしてこれから また新たなる仮性包茎の逆襲が始まる 全ての仮性包茎たちよ さあ今こそ チンコの皮を引っ張りながら立ち上がるのだ 仮性包茎 イズ バック。
確かに ブームやムーブメントというもの 仕掛け人・業界・メディア・フィクサーなど 様々な思惑が絡んだ産物ではあるのだが もちろん 数の論理で多いほうが優れ マイノリティは悪だなんてことはないのだけれど されど民主主義資本主義においては 大多数を獲得することが ビジネスでは最優先されるわけで そうなると 不特定大多数に いわゆる一般受けするような それでいて安価な商品開発が これ必須 しかし 個人の趣味が多様化した現代では 少々高価でも質の良いもの もしくは 個性的なもの他に類を見ないもの を人々は求めるようになり その結果大衆的スーパーは淘汰され 嗜好を限定したセレクトショップや 富裕層やマニア向けなど 消費者を限定したビジネスが増えてきた もちろんそれは 客単価を上げる事や一億層中流 生活が豊かになり 消費の矛先が趣味の部類に向けられたからなのだけれど 未曾有の大不景気金融危機 消費が冷え込む中 消費者はまたスーパー的な大量生産薄利多売に 向かうのか 否 確かに 一部には生活が逼迫し そこに向かわざるをえない場合もあるが 往々にしてさにあらず 一度上げてしまった生活水準は そう簡単には下げられないのであり 無理に下げてしまうと我慢と言うストレスになってしまい その反動でまた散在してしまう だからこそ ビジネスにおいては 流行や景気に左右されない普遍的な物 もしくは 流行や景気に合わせられる軽いフットワークができる物 それが肝要なのだけれど 利益第一主義の売らんかな主義では そんなフットワークがあるはずもなく また 不景気に強いといわれていたエロ産業といえども 多様化細分化された性的嗜好に対応しないと 当然ながら淘汰されるわけで AVを例に見ても 一般受けする必要はなく その内容がマニアックになればなるほど そこには市場が存在し また消費者も大金を出すのもやぶさかではない そこで思う 私が熟女に惹かれたのは まだ20代前半の頃 当時は単体アイドル女優や女子校生モノが全盛で 当然人々の嗜好や 若くて綺麗な女性を求める衝動こそが 人間として当たり前だと思っていたわけで 疑いなくそういったAVを嗜好していたのは もちろん若くて綺麗な女性と交わりたいという衝動でさえ それが当たり前だと思っていたし そういう風潮があるからこそ そういうAVが並んでいるのであるのだが しかし しかしあるとき ふと思った 人妻や熟女というジャンルがあることに 気がついた AVにSMやその他マニアックなジャンルがあることくらい 先生知っていたけれど 熟女と言うジャンルはそんな小さな政党ではなく マニアと言う言葉では片付けられないほどの 市場に成長しており 市場があるということは それだけ需要があるということで それを知らない私は井の中の蛙ってことではないかと それが私が熟女に目覚めたきっかけであるのだけれど 熟女の世界を知ってしまうと 勿論若い子もきらいではない 若い子が好きな上で 熟女の世界を知ってしまうと 視野が広がり そういえば風俗にも熟女専門店が増え 熟女専門の雑誌でさえあることに気づく そう それが知られざる熟女ブームなのだと 思えば 熟女コーナーにいること自体 白い目で見られたひところに比べ 最近では若者が堂々と熟女を吟味しておる 誰が糸を操っているのか はたまた自然の流れか それはわからないのだけれども 10年前に比べて 熟女の地位は向上し マニアどころか王道に変化し 今やAVも風俗も 熟女のほうが多いんではないかと思うくらい 熟女が席巻しているのであり いわば 飽和状態といっても過言ではなく そこで思う もし ブームと思っていたのが ブームでなかったとしたら そう ブームには必ず終焉があり 市場が成熟すると あとは右肩下がりのビジネスの鉄則とは異なり 熟女は市場が成熟しきっても まだその勢力を拡大し続けているのであり 熟女はもはや ブームといった言葉では片付けられないわけで では一体 熟女とは何なのか 昔から私は 女性は卑怯だと思っていた 学生時分の頃は 同級生の女性は年上や上級生に憧れを抱き 処女よりも童貞の比率のほうが断然に高く ようやく年上の立場になったと思いきや おっさんくさいなどと批判され 若い子は誰も相手にしてくれない ブサイクな女性でも彼氏がいるのに ブサイクな男は日々オナニーに頼る だからこそAVの市場が存在しているのだけれど しかし しかしだね 男性と女性の比率が同じならば 女性のほうが性行為経験が豊富で 男性のほうが浅い ということにはならない 何故なら同じ比率だから 同性愛は抜きにして 性行為は男と女がいて初めて成り立つわけで 女性の性行為経験が豊富ならば 男性も豊富でないとおかしいわけで 考えられることは 女性の性の目覚めが早いなんてことは 実はこれ妄想で 女性の処女率が高い もしくは 一部の男性が一定量の女性を支配することで 童貞があぶれている 体験人数が多いと淫乱だとか軽いだとか 女性は非難されるのだけれど それは間違いで 体験人数と同等の男性が同じ体験をしているのであり マスコミやメディアに作り上げられた幻想というものは それだけ罪深いのだけれど つまり ブームや性に対する幻想が 全て妄想ならば 熟女とは 一体何ぞや もちろん 私は若い子も熟女も大好きで 不特定多数との性行為についても セーフセックスを心がけているのならば 寛容であるつもりで 別に 特に 熟女を非難しているわけではない そこで問う 熟女ブームとは何ぞや 今までにも熟女は現役であったのに 熟女ブームでクローズアップされたから 明るみになったのか 熟女の性が 明らかになるのは非常にいいことで 何故なら老いへの不安 人間いつまで性行為できうるのか そう考えたときに 年老いても性行為の現役であるのは 非常に勇気付けられるし もしくは 熟女ブームがあって 熟女の性が活性化されているのか はたまた 医療の進歩で高齢出産が可能になり それに伴い現役の年齢が飛躍的に上がったのか 残念ながら 詳しいことはわしわからん わからんねんけども 熟女の性が増殖していることはこれ事実 段々 何言うてるかわからなくなってきたので 問題をシンプル化してみよお つまり 如何なる要因で熟女の性が注目されてるとはいえ AVや風俗においては これ 熟女ブームや言ってるけれども 実はこれ 少子化の影響だとしたら 単純に仕事を求める熟女が増え 身体を売る若い女性の絶対数が 減っているとしたら そう考えると 熟女の増殖にもうなづけるし 供給が増えれば増えるほど 需要に対しての受け皿ができるわけで 改めて 誤解のないよう 私は熟女が好きだ大好きだ 大好きであるし 性行為の高齢化には表彰したいくらい 多大なる勇気を与えてくれる それほど 熟女の性は社会に対して 多大なる影響を与えているのだが 数年後十数年後数十年後 今以上に 熟女が増殖し それと同時に若い子が少なくなるとするならば 私は この国は それこそ 終わり なのだと思う 熟女とは 何十年も前から 来るべき少子化対策に 何の対策も示さなかった政府政策による 歪み なのだと 熟女に罪はない 問題は全て 国家にある。
さて 昨年観たくて観逃していた「LOOK」という映画が DVDでレンタルされていたので ようやく観たのだが 全編監視カメラでの映像を紡ぎ 赤裸々なプライベート映像と衝撃的な内容 なんて大仰な宣伝文句を謡っていたのだが 数多くの映画がそうであるように 衝撃的なんて謳い文句ほど 衝撃的につまらないのは常識であり 多聞にもれずこの映画も 結論的にはくだらなかったのだけれど まあ手法的に目新しいのでそこそこ話題になったわけで 映画の粗をここでつくのは私の本意ではなく 確かに 至る所に監視カメラが設置され 様々間日常が記録されることに 多少の恐怖みたいなものは そりゃ現代人は少なからずあるものだが この映画は一種のフェイクドキュメンタリーというか 全くのフィクションであり 監視カメラの前で芝居する もしくは監視カメラ風の映像を作り上げてるだけで 実際にどこまでの監視カメラが 現実に設置されているかはわからないのだけれど この映画では 試着室やトイレまで 今更そんなことには驚かないのだけれど もちろん台本があるとはいえ そういった陰の部分で行われることは 当然犯罪であり しかも 金と性欲 勿論台本があるとはいえ しかしアメリカ人は 金と欲だけかいな 人気のないところですることといえば 暗がりですることといえば 全て強盗か性行為 と辟易するほどの性悪説満載の映画なんだけれど アメリカ特にハリウッド映画が非難されるのは ストーリーに内容がなく現実に無理がある 否 それはまた別の話で とにかく 映画で一番重要な感情移入ができない それをしてはいけないと言われてるのにしちゃう そこに行っちゃいけないと言われてるのに行く 生死の境であっても男は自己中心的で女はキーキー喚きやがる 国がでかいという理由だけで 世界の警察と言い張り国連なんぞ無視 それほどにアメリカ人のエゴが強いのは こりゃお国柄と末端まで教育が行き届かない所以なのだけれど ぶっちゃけ 馬鹿 そういう映画を観ると そらイライラしますわ なんでやねんなんでやねんと お前がじっとしてたら何も起こらんねんと お前がでしゃばらんかったら危険は回避できんねんと 最近映画を観るたびに思うわけで そもそも一昔前のロシア映画やドイツ映画 私は好きではないが韓国映画 そして70年代80年代のアメリカンニューシネマ 政治や歴史それにまつわる主義思想 という理不尽な社会が否応なしに不条理な日常に押し迫る そこに起きるドラマこそドラマなのであり ドラマを作為的に無理矢理演出したとこで 何の感動も共感も得らるわけもなく DVDになろうがテレビでやろうが もう一度観る気にすらならないわけで なかなか 良質な映画に出会わないと同様に 良質なAVいうのまた 最近めっきり少ない 確かに 美しい外見の女性の裸及び性行為 を観るのは興奮する だが 性の多様化 AV業界の無国籍化により きれいな女性からブサイクな女性まで 様々な性嗜好に対応するために AV商品も多様化するのは これごく自然な流れで それはそれで 悪いことではないどころか むしろ性的嗜好マイノリティの人間にとって はたまた 自らの性の可能性を模索する若者にとって 非常に有益であることには これ間違いないのだが 驚くべきことに 最近の若者は 字幕についていけない という理由で 吹き替えの映画を観ているという そう ゆとり教育の弊害か 国語力の低下を招き 考える もしくは 感じることを学ばなかった若者にとっては 裸 イコール 興奮 と短絡的に捉えるため 一見多様化するAVにおいても その質においては 大いに疑問を感じる次第で つまり 興奮のメカニズムというか 確かに 女性の裸に興奮はするが その興奮は永遠ではなく 女性の裸に慣れてしまうと 例えば女性の容姿 熟女だとかブサイクだとかデブだとか 例えば状況 車の中だとか公園だとか 例えばアブノーマル SMだとか同性愛だとかもっともっとディープな世界だとか 女性の裸に慣れると そういった他の要因に 興奮を求めるわけで そういう観点においては AVの多様化は非常に良いことなんだけれど 残念ながら 多様化にも限界があり 確かに性行為のジャンルは数多いのだけれど それは無数ではなく 確実に限りは ある わけで もちろん だからこそ 様々な女性が様々なジャンルの垣根を越えて 興奮を導き出すAV業界の自助努力には敬服するのだが やはりそれにも いつかは限界に到達するわけで もちろん 逞しい業界はその度に 新たなジャンルを模索したり王道に帰ったり 資本主義の競争社会に淘汰されまいとあがくのだけれど そこまでして 店頭に並べられるAVに 最近チンコが 興味を示さない その理由が 加齢からくるチンコ力の低下だとか それならまだ良いのだけれど バセドウ病の治療により 最近の俺チンコはいたって元気 それどころか エサをねだる犬のように元気なわけで そこで 思う 昔の黎明期のAVにはドラマがあった 何故彼女はAVに出ざるを得なかったのか 何が彼女をそんなプレイをさせるのか 直接的な表現はないものの 確かに映像から感じ取れたわけで その垣間見えるドラマこそ 興奮の根本でもあり それこそが紛れもない 真実の人間ドラマ なのであり 先のアカデミー賞で話題になった 滝田洋二郎はじめ井筒和幸や周防正行など そうそうたる面々がポルノ映画出身であるように もちろん AVとポルノは全く違うものだが 現在でもAVをたたき上げて映像に進む者や 映画映像の土台にAV業界やポルノ業界があるのは 周知の事実で 性の多様化ゆえに その質が低下してしまっている感は否めなく じゃあじゃあじゃあじゃあ かといって ぼくらはオナニーをあきらめるのか 否 ぼくたちはAV業界以上にたくましい バブル以降の大不況 そしてリーマンショックによる大不況 幾度と変わる国家元首 その度にそのツケが国民に回ってこようとも ぼくたちはたくましくオナニーを続けてきたのだから そんなことくらいで けしてオナニーをあきらめない 興奮しないAVでオナニーするためには 自ら興奮する状況を作り出せば良いのであり ある者は利き腕と反対の腕でオナニーしたり ある者は全裸になったり ある者は家族のそばでコッソリと そうした試行錯誤こそ 妄想力を高めその発想力こそ 日本の産業基盤を支え 世界経済の一翼を担うまでに 日本の経済力は強くなったわけで そこで 新たなオナニーを私は発明したのであり 未来のパチンコの発展の為にと 特有の釘の配列の特許を取らず 広く解放した正村ゲージを開発した正村竹一氏のように ここに ゴリ式オナニーを公開し 是非一度 皆さん試していただき そして今度は友人知人はたまた息子孫 日本の将来の為に後世に ゴリ式オナニーを遺していきたく思う所存であり 方法はいたって簡単 オナニーの前に 映画を観るのである 但し くだらない映画ではなく 良質な映画 観終わったあとに爽快感やしみじみと感じる映画 はたまた感動の涙を流した映画 不条理な境遇で切なさとやりきれなさを感じる映画 つまり 観終わって何も残らない映画ではなく 何かを感じた映画 エンドロールに余韻を感じる映画 そうした映画のあとに AVを観てオナニーをすると 詳しいメカニズムはわからんが なんか興奮する なんかチンコドキドキ なんかチンコ元気 ただひとつ言えることは こうした一連のオナニーにも ドラマが必要なのである ぼくたちの ドラマチックオナニー^ お試しあれ。
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