も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪
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も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪

2009年03月22日(日) 教祖誕生

若い頃は
やはり血気盛んで
恥ずかしながら
やはり多くの若者同様そのパワーは
社会だとかなんだとか曖昧なものに向かって
発信していたのだけれど
自己表現
というもの
実はそれは社会に向けての宣戦布告ではなく
誰かもしくは何かに
認めてもらいたいという
SOSであるのかもしれないのであり
少なくとも
振り返るに私の場合は
そうだったような気がするのは
やはり
多くの若者同様
夢破れてしまってからは
社会に適応すべく
自らの存在を消すように
というか
誰もが社会に適応すべく必死で
誰もが他人に興味など
実は持っていないのであり
いくら髪型や今日のコーディネートに気を使っても
実は誰も見ていないのだから
現代ではそれをナルシストなんて揶揄され
特に女性の場合
化粧をすればするほど
匂いがキツイ男目的などと非難され
逆に化粧をしなければ
女っ気がないと糾弾される
腰からパンツがはみ出していれば
だらしないと批判され
パンティラインが出ないようにTバックをはけば
全く趣がないと断罪される
じゃあじゃあじゃあじゃあ
男は女を注視しているのか
これは
している
実はしている
お互いの関係性など全く関係なく
仲の良い友達から
毎日すれ違うあの子
はたまたコンビニのお姉ちゃん
まず確実に凝視し観察しているわけで
がしかし
それは性的興味からで
そりゃ相手によっては気持ち悪いかもしらんが
異性に興味をもたれているという観点からすれば
それはその小さな小さな胸を張って喜んでもいいことで
動物学的に自然なことではあるのだけれど
逆もまた同様
女性はやたら
男性の服装や小物について
誉めたがる
しかしその場合
素直に喜んで良いものか
確かに
額面だけ受け取れば
女性は男性に興味を持っているのかも知らん
ただ
女性は社会の中であればあるほど
本音は小さな小さな胸の中にしまうものであり
恋愛関係ときには」夫婦関係になっても
風呂場でこそこそムダ毛処理に余念がなく
その姿はそおいうプレイでない限り
女性は墓場まで持っていくほどの決心をしているわけで
じゃあじゃあじゃあじゃあ
それが男性への性的興味でないとすれば
沈黙の気まずい雰囲気を打破するために
とりあえず誉めてみたのか
はたまた中身が誉める価値もない男だから
外見しか誉めるところがないのか
どうせ
誉められたところで
私の性格はチンコのように曲がりくねっているし
じゃあじゃあじゃあじゃあ
結婚してください
その前に一発ヤラせてください
なんてオファーしても
まあ断られることは目に見えているので
正直
そっとしておいて欲しいんだよ
ヤラせてくんないんなら
そっとしておいて欲しいのよ
どうせ仮性包茎
俺のチンコなど
そおいうプレイでない限り
お店でお金を払わない限り
誰も見ていやしない
誰も見ちゃいない
俺なんて俺なんて
そおだもお死のう
お母さん今朝から血が止まりません
お母さんあなたの顔はもう忘れてしまいました
お母さん赤い色は大嫌いです
なんてついつい思ってしまうのも
ルーティーンというか
若い頃は
誰かに嫌われても

誰かに決められたルール
そんなもの必要ない
なんてあんなドラゴンボールは
ドラゴンボールじゃないなんて強がってはみても
普段寄るコンビニ
好きなものを買うお店
ごはんを食べるならばこの店なんて
いつの間にか定期的に通うようになり
それがルーテx−ンともなり
やがて常連となってしまう
若い頃はそれが
社会以外に唯一自分を認めてくれる場所
それ故
それがきっかけで結婚しましたなんてよくある話で
また店側においても
そういった顧客の常連化こそ安定した売り上げの確保
常連なんて優越感を与えるフリしておきながら
実は同じことを誰にでも提供しているわけで
そういった利益優先のビジネスに辟易しているのだけれど
だからこそ
私はそおいう部分が見えてしまえば
その店に通いたくなくなるのであり
つい昨日も駅の売店で
私は何も言ってないのに
くたびれたおばちゃんは私愛用のタバコを差し出したわけで
くたびれたおばちゃんよ
私を誘惑するのはやめてくれ
くたびれたおばちゃんよ
そら私はあなたの様なくたびれた女性が大好きなんだけれども
くたびれたおばちゃんよ
あなたをしこたまヒーヒー言わせたいのはヤマヤマなんだけれど
タマタマをしこたまいぢってもらいたいんだけれどね
と思う前に
どおゆうわけか
私はよく見かけられるらしい
そしてよく覚えられやすいらしい
私は行ったことすら覚えていないのに
それどころか言われた相手すら覚えてないのに
こないだどこどこで見かけましたよ
こないだどこのお店にいてはったでしょ
なんて言われるどころか
初対面の人にすら
前に一度会ってますよね
前に一度プレイしてますよね
なんて
あたかもそおゆうことがあたかもしれない

あたかももうひとりの自分が存在しているようなことまで
言われる始末
良いことならまだいい
良い事ならまだしも
こないだ路地でカツアゲしてませんでしたか
なんてわしゃヤクザか
あまりにも
そおゆうことが多いので
もおいやんいやんだから言っておく
仮性包茎は
犯罪を犯しません
仮性包茎は
非常に気が小さい生き物です
仮性包茎は
内向的で繊細で人見知りします
仮性包茎は
ときに虚勢を張りますが
虚勢は虚勢なのでそおゆうときは
そっとしてあげてください
仮性包茎は
非常に温和な性格なので
Mの女性には向かない場合があります
但しちんこはむいて欲しいのです
仮性包茎は
夏場悪臭を発信しますので
石鹸で丁寧に洗ってあげるか
臭いフェチには最適だと思われます
仮性包茎は
自分の弱さを知っているが故に
人にやさしくなれるのです
仮性包茎は
疲れたアナタを癒してあげます
仮性包茎は
くたびれたアナタの不安や悩みを取り除いてくれます
仮性包茎は
ともだちです
仮性包茎は
神様です
仮性包茎を
愛し崇め受け入れることで運気がアップします
仮性包茎は
日本の象徴です
仮性包茎の仮性包茎による仮性包茎のための
天は仮性包茎の上に仮性包茎を作らず仮性包茎の下に仮性包茎を作らず
天上天下唯我仮性包茎
皆さん
水を買いましょう
印鑑を買いましょう
水晶を買いましょう
仮性包茎は
いつもあなたの心の中に。



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2009年03月15日(日) ぼくたちの勝利宣言

正直
驚いたことがある
21世紀になり平成生まれが社会に出た
この現代においても
バレンタインデーに
チョコと一緒にプレゼントして欲しい物は
今も昔も手編みのマフラーなんだとか
その反対に
ホワイトデーには手編みは勿論
ハンカチや服など男の好みが反映される物はNGで
そのくせ高級スイーツや
なんなら商品券なんて意見もあるようで
贈る時は手編み手作りなんて
安価で済ますクセして
その見返りは高価なものを求める
如何に女性が浅ましいのか
私はそうは思わない
損して得取れはビジネスの鉄則でもあるし
少しでも利益を出したいならば
コストを如何に極限まで下げられるかであるのだから
寧ろ女性は
商魂逞しいとまで言えるのではなかろうか
私が驚いたことは
そんな逞しい女性ではなく
未だに
手編みのマフラーを欲しがる男が多い
ということ
勿論なかにはそんな男もいるのかもしらんが
アンケートのトップになるほどだとは
思わなんだわけで
そもそも
手編み手作りの類は
やはり趣味の問題が出てくるし
趣味に合わなかった場合
その処分にも困るのだけれど
それよりも何よりもそれ以前に
私は
マフラーが嫌い嫌いウソ本当は好きでなくて
本当に嫌い嫌い大嫌いなわけで
そもそも
マフラーってなんか軟派な感じがするやん
やっぱ男としてね
硬派でいるべきって言うか
その思想的にね男は女を守るべきって言うかね
とにかくひ弱軟弱のイメージ象徴なんだよマフラーは
第2に
私の体形は肥満児であり
デヴュにとってマフラー姿が似合うに会わない以前に
首がないもしくは首が短いわけで
首にマフラーをしたところで
顔の一部にかかってうっとうしいこと山の如し
どころかすれ違う人々に
ひそひそくすくす陰口叩かれ視線は逸らされ
ああもうおかあさんおにぎりおいしゅうございましたなんて
駅のホームから飛び降りそうになるわけで
そして何よりも
マフラーから
ちょこんと出た頭が
チンコに見えて仕方がない
仮性包茎に見えて仕方がなく
仮性包茎が仮性包茎の如き格好をしている
仮性包茎だから仮性包茎みたいな格好をしている
仮性包茎のクセに仮性包茎なのに仮性包茎でありながら
つまり
マフラーは仮性包茎の象徴イメージに繋がり
マフラーのおかげで
仮性包茎の地位が貶められている
こんな屈辱はなく
じゃあじゃあじゃあじゃあ
マフラー以外に何か違う防寒具をと考えて
真っ先に思い浮かべるのはやはり
タートルネック
しかし
読んで字のごとくタートル
その着用したシルエットのみならず
名前そのものまで仮性包茎を連想され
しかも
名も体も仮性包茎を卑下しておきながら
マフラーと違い
経年劣化によりその丸首はどんどん広がり
全く首を暖めやがらないのであり
名も体も性能も
全く使えないこと山の如し
そんなわけで
私は真冬・厳冬においても
生まれてこの方
マフラーを使用したこともなく
タートルなんて服屋で見るたびに憎悪すら覚え
コートの襟をなんとか首の辺りに
それで凌いできたのだけれど
世の中そんな甘くはなく
毎年毎年
年に数回は風邪に倒れてしまうわけで
この21世紀において
どうして風邪如きのウイルスにやられないかんのだ

哀しくて哀しくてとてもやりきれない思いで
もうこのまま凍え死んでしまおうか
どうせなら灯油をかぶって火をつけようか
それなら寒い思いはしなくても良い
と途方にくれていた昨年晩秋
ふと入った
店に
それはあった
ネックウオーマー
マフラーのように自己主張しすぎず
タールネックよりも利便的
デザインも材質も豊富
気がつけば
服屋や防寒着のコーナーには
ネックウオーマーのコーナーがあり
とりあえず
私の好きなドクロ柄のものを手に取り
驚きながらも
まだその未知なる物体の性能に疑問を抱いていた私は
おそるおそる試着してみたところ
オオオオオ
ナ、ナンダコレハ
コレガ
ネックウオーマートイウモノカ
アアア
アッタカヒヒヒヒ
アアア
アッタカヒヨオオオ
ナ、ナンダ
アッタカヒノハ
クビダケジャナク
ナンカメマデアッタカヒ
ナンダコレハ
コレガナミダトイフモノカ
私は早速購入し
自宅で
鏡を見ながらむふふえへへとミヤけながらも
やったついにやったどーと喜んでいると
この好きなときに脱着できるネックウオーマー
全く仮性包茎らしくなく
寧ろ
仮性包茎は手術で克服できる的な
ポジティブメタファーでもあるどころか
仮性包茎の呪縛から解放され
長きに渡って繰り広げられた
私と私の仮性包茎と私の首と冬の寒気との戦いに
寧ろ仮性包茎に凌ぎを削りあった者同志にしかわからない
何か清清しい友情のようなものまで芽生え
仮性包茎でも
冬を
安心して過ごせる
精神的に前向きになった仮性包茎は
正直強い
もう怖いものなど何もない
確かに
確かにこの冬は
温暖化の影響か例年にないほどの暖冬だった
がしかし
世間は温暖化温暖化と騒ぎ立てるが
昨年の平均気温は例年より下がり
過去最低の気温だったことをご存知だろうか
しかしそれはまた私のアンチエコ・エコアレルギーの
また別の話で
閑話休題
ともかく今年の暖冬は事実で
福岡では史上最速でソメイヨシノが開花し
我が大阪でも
桜の新芽独特の臭い匂いが充満し始めており
もう開花まであとわずか
だから
まだまだ油断はできないが
もういいだろう
私は声高らかに胸を張って
チンコの皮を引っ張って叫びたい
今年の冬は風邪をひかなかった
勝ったどー
風邪に勝ったどー
ウイルスに勝ったどー
そしてこれから
仮性包茎の呪縛から解放され
仮性包茎のアパレルの自由を勝ち取り
仮性包茎の地位向上にも繋がった
ネックウオーマーにその開発者に
ノーベル仮性包茎賞を授与するとともに
仮性包茎は勝利した
そしてこれから
また新たなる仮性包茎の逆襲が始まる
全ての仮性包茎たちよ
さあ今こそ
チンコの皮を引っ張りながら立ち上がるのだ
仮性包茎
イズ
バック。



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2009年03月08日(日) 熟女哲学

確かに
ブームやムーブメントというもの
仕掛け人・業界・メディア・フィクサーなど
様々な思惑が絡んだ産物ではあるのだが
もちろん
数の論理で多いほうが優れ
マイノリティは悪だなんてことはないのだけれど
されど民主主義資本主義においては
大多数を獲得することが
ビジネスでは最優先されるわけで
そうなると
不特定大多数に
いわゆる一般受けするような
それでいて安価な商品開発が
これ必須
しかし
個人の趣味が多様化した現代では
少々高価でも質の良いもの
もしくは
個性的なもの他に類を見ないもの
を人々は求めるようになり
その結果大衆的スーパーは淘汰され
嗜好を限定したセレクトショップや
富裕層やマニア向けなど
消費者を限定したビジネスが増えてきた
もちろんそれは
客単価を上げる事や一億層中流
生活が豊かになり
消費の矛先が趣味の部類に向けられたからなのだけれど
未曾有の大不景気金融危機
消費が冷え込む中
消費者はまたスーパー的な大量生産薄利多売に
向かうのか

確かに
一部には生活が逼迫し
そこに向かわざるをえない場合もあるが
往々にしてさにあらず
一度上げてしまった生活水準は
そう簡単には下げられないのであり
無理に下げてしまうと我慢と言うストレスになってしまい
その反動でまた散在してしまう
だからこそ
ビジネスにおいては
流行や景気に左右されない普遍的な物
もしくは
流行や景気に合わせられる軽いフットワークができる物
それが肝要なのだけれど
利益第一主義の売らんかな主義では
そんなフットワークがあるはずもなく
また
不景気に強いといわれていたエロ産業といえども
多様化細分化された性的嗜好に対応しないと
当然ながら淘汰されるわけで
AVを例に見ても
一般受けする必要はなく
その内容がマニアックになればなるほど
そこには市場が存在し
また消費者も大金を出すのもやぶさかではない
そこで思う
私が熟女に惹かれたのは
まだ20代前半の頃
当時は単体アイドル女優や女子校生モノが全盛で
当然人々の嗜好や
若くて綺麗な女性を求める衝動こそが
人間として当たり前だと思っていたわけで
疑いなくそういったAVを嗜好していたのは
もちろん若くて綺麗な女性と交わりたいという衝動でさえ
それが当たり前だと思っていたし
そういう風潮があるからこそ
そういうAVが並んでいるのであるのだが
しかし
しかしあるとき
ふと思った
人妻や熟女というジャンルがあることに
気がついた
AVにSMやその他マニアックなジャンルがあることくらい
先生知っていたけれど
熟女と言うジャンルはそんな小さな政党ではなく
マニアと言う言葉では片付けられないほどの
市場に成長しており
市場があるということは
それだけ需要があるということで
それを知らない私は井の中の蛙ってことではないかと
それが私が熟女に目覚めたきっかけであるのだけれど
熟女の世界を知ってしまうと
勿論若い子もきらいではない
若い子が好きな上で
熟女の世界を知ってしまうと
視野が広がり
そういえば風俗にも熟女専門店が増え
熟女専門の雑誌でさえあることに気づく
そう
それが知られざる熟女ブームなのだと
思えば
熟女コーナーにいること自体
白い目で見られたひところに比べ
最近では若者が堂々と熟女を吟味しておる
誰が糸を操っているのか
はたまた自然の流れか
それはわからないのだけれども
10年前に比べて
熟女の地位は向上し
マニアどころか王道に変化し
今やAVも風俗も
熟女のほうが多いんではないかと思うくらい
熟女が席巻しているのであり
いわば
飽和状態といっても過言ではなく
そこで思う
もし
ブームと思っていたのが
ブームでなかったとしたら
そう
ブームには必ず終焉があり
市場が成熟すると
あとは右肩下がりのビジネスの鉄則とは異なり
熟女は市場が成熟しきっても
まだその勢力を拡大し続けているのであり
熟女はもはや
ブームといった言葉では片付けられないわけで
では一体
熟女とは何なのか
昔から私は
女性は卑怯だと思っていた
学生時分の頃は
同級生の女性は年上や上級生に憧れを抱き
処女よりも童貞の比率のほうが断然に高く
ようやく年上の立場になったと思いきや
おっさんくさいなどと批判され
若い子は誰も相手にしてくれない
ブサイクな女性でも彼氏がいるのに
ブサイクな男は日々オナニーに頼る
だからこそAVの市場が存在しているのだけれど
しかし
しかしだね
男性と女性の比率が同じならば
女性のほうが性行為経験が豊富で
男性のほうが浅い
ということにはならない
何故なら同じ比率だから
同性愛は抜きにして
性行為は男と女がいて初めて成り立つわけで
女性の性行為経験が豊富ならば
男性も豊富でないとおかしいわけで
考えられることは
女性の性の目覚めが早いなんてことは
実はこれ妄想で
女性の処女率が高い
もしくは
一部の男性が一定量の女性を支配することで
童貞があぶれている
体験人数が多いと淫乱だとか軽いだとか
女性は非難されるのだけれど
それは間違いで
体験人数と同等の男性が同じ体験をしているのであり
マスコミやメディアに作り上げられた幻想というものは
それだけ罪深いのだけれど
つまり
ブームや性に対する幻想が
全て妄想ならば
熟女とは
一体何ぞや
もちろん
私は若い子も熟女も大好きで
不特定多数との性行為についても
セーフセックスを心がけているのならば
寛容であるつもりで
別に
特に
熟女を非難しているわけではない
そこで問う
熟女ブームとは何ぞや
今までにも熟女は現役であったのに
熟女ブームでクローズアップされたから
明るみになったのか
熟女の性が
明らかになるのは非常にいいことで
何故なら老いへの不安
人間いつまで性行為できうるのか
そう考えたときに
年老いても性行為の現役であるのは
非常に勇気付けられるし
もしくは
熟女ブームがあって
熟女の性が活性化されているのか
はたまた
医療の進歩で高齢出産が可能になり
それに伴い現役の年齢が飛躍的に上がったのか
残念ながら
詳しいことはわしわからん
わからんねんけども
熟女の性が増殖していることはこれ事実
段々
何言うてるかわからなくなってきたので
問題をシンプル化してみよお
つまり
如何なる要因で熟女の性が注目されてるとはいえ
AVや風俗においては
これ
熟女ブームや言ってるけれども
実はこれ
少子化の影響だとしたら
単純に仕事を求める熟女が増え
身体を売る若い女性の絶対数が
減っているとしたら
そう考えると
熟女の増殖にもうなづけるし
供給が増えれば増えるほど
需要に対しての受け皿ができるわけで
改めて
誤解のないよう
私は熟女が好きだ大好きだ
大好きであるし
性行為の高齢化には表彰したいくらい
多大なる勇気を与えてくれる
それほど
熟女の性は社会に対して
多大なる影響を与えているのだが
数年後十数年後数十年後
今以上に
熟女が増殖し
それと同時に若い子が少なくなるとするならば
私は
この国は
それこそ
終わり
なのだと思う
熟女とは
何十年も前から
来るべき少子化対策に
何の対策も示さなかった政府政策による
歪み
なのだと
熟女に罪はない
問題は全て
国家にある。



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2009年03月01日(日) ぼくたちのドラマ

さて
昨年観たくて観逃していた「LOOK」という映画が
DVDでレンタルされていたので
ようやく観たのだが
全編監視カメラでの映像を紡ぎ
赤裸々なプライベート映像と衝撃的な内容
なんて大仰な宣伝文句を謡っていたのだが
数多くの映画がそうであるように
衝撃的なんて謳い文句ほど
衝撃的につまらないのは常識であり
多聞にもれずこの映画も
結論的にはくだらなかったのだけれど
まあ手法的に目新しいのでそこそこ話題になったわけで
映画の粗をここでつくのは私の本意ではなく
確かに
至る所に監視カメラが設置され
様々間日常が記録されることに
多少の恐怖みたいなものは
そりゃ現代人は少なからずあるものだが
この映画は一種のフェイクドキュメンタリーというか
全くのフィクションであり
監視カメラの前で芝居する
もしくは監視カメラ風の映像を作り上げてるだけで
実際にどこまでの監視カメラが
現実に設置されているかはわからないのだけれど
この映画では
試着室やトイレまで
今更そんなことには驚かないのだけれど
もちろん台本があるとはいえ
そういった陰の部分で行われることは
当然犯罪であり
しかも
金と性欲
勿論台本があるとはいえ
しかしアメリカ人は
金と欲だけかいな
人気のないところですることといえば
暗がりですることといえば
全て強盗か性行為
と辟易するほどの性悪説満載の映画なんだけれど
アメリカ特にハリウッド映画が非難されるのは
ストーリーに内容がなく現実に無理がある

それはまた別の話で
とにかく
映画で一番重要な感情移入ができない
それをしてはいけないと言われてるのにしちゃう
そこに行っちゃいけないと言われてるのに行く
生死の境であっても男は自己中心的で女はキーキー喚きやがる
国がでかいという理由だけで
世界の警察と言い張り国連なんぞ無視
それほどにアメリカ人のエゴが強いのは
こりゃお国柄と末端まで教育が行き届かない所以なのだけれど
ぶっちゃけ
馬鹿
そういう映画を観ると
そらイライラしますわ
なんでやねんなんでやねんと
お前がじっとしてたら何も起こらんねんと
お前がでしゃばらんかったら危険は回避できんねんと
最近映画を観るたびに思うわけで
そもそも一昔前のロシア映画やドイツ映画
私は好きではないが韓国映画
そして70年代80年代のアメリカンニューシネマ
政治や歴史それにまつわる主義思想
という理不尽な社会が否応なしに不条理な日常に押し迫る
そこに起きるドラマこそドラマなのであり
ドラマを作為的に無理矢理演出したとこで
何の感動も共感も得らるわけもなく
DVDになろうがテレビでやろうが
もう一度観る気にすらならないわけで
なかなか
良質な映画に出会わないと同様に
良質なAVいうのまた
最近めっきり少ない
確かに
美しい外見の女性の裸及び性行為
を観るのは興奮する
だが
性の多様化
AV業界の無国籍化により
きれいな女性からブサイクな女性まで
様々な性嗜好に対応するために
AV商品も多様化するのは
これごく自然な流れで
それはそれで
悪いことではないどころか
むしろ性的嗜好マイノリティの人間にとって
はたまた
自らの性の可能性を模索する若者にとって
非常に有益であることには
これ間違いないのだが
驚くべきことに
最近の若者は
字幕についていけない
という理由で
吹き替えの映画を観ているという
そう
ゆとり教育の弊害か
国語力の低下を招き
考える
もしくは
感じることを学ばなかった若者にとっては

イコール
興奮
と短絡的に捉えるため
一見多様化するAVにおいても
その質においては
大いに疑問を感じる次第で
つまり
興奮のメカニズムというか
確かに
女性の裸に興奮はするが
その興奮は永遠ではなく
女性の裸に慣れてしまうと
例えば女性の容姿
熟女だとかブサイクだとかデブだとか
例えば状況
車の中だとか公園だとか
例えばアブノーマル
SMだとか同性愛だとかもっともっとディープな世界だとか
女性の裸に慣れると
そういった他の要因に
興奮を求めるわけで
そういう観点においては
AVの多様化は非常に良いことなんだけれど
残念ながら
多様化にも限界があり
確かに性行為のジャンルは数多いのだけれど
それは無数ではなく
確実に限りは
ある
わけで
もちろん
だからこそ
様々な女性が様々なジャンルの垣根を越えて
興奮を導き出すAV業界の自助努力には敬服するのだが
やはりそれにも
いつかは限界に到達するわけで
もちろん
逞しい業界はその度に
新たなジャンルを模索したり王道に帰ったり
資本主義の競争社会に淘汰されまいとあがくのだけれど
そこまでして
店頭に並べられるAVに
最近チンコが
興味を示さない
その理由が
加齢からくるチンコ力の低下だとか
それならまだ良いのだけれど
バセドウ病の治療により
最近の俺チンコはいたって元気
それどころか
エサをねだる犬のように元気なわけで
そこで
思う
昔の黎明期のAVにはドラマがあった
何故彼女はAVに出ざるを得なかったのか
何が彼女をそんなプレイをさせるのか
直接的な表現はないものの
確かに映像から感じ取れたわけで
その垣間見えるドラマこそ
興奮の根本でもあり
それこそが紛れもない
真実の人間ドラマ
なのであり
先のアカデミー賞で話題になった
滝田洋二郎はじめ井筒和幸や周防正行など
そうそうたる面々がポルノ映画出身であるように
もちろん
AVとポルノは全く違うものだが
現在でもAVをたたき上げて映像に進む者や
映画映像の土台にAV業界やポルノ業界があるのは
周知の事実で
性の多様化ゆえに
その質が低下してしまっている感は否めなく
じゃあじゃあじゃあじゃあ
かといって
ぼくらはオナニーをあきらめるのか

ぼくたちはAV業界以上にたくましい
バブル以降の大不況
そしてリーマンショックによる大不況
幾度と変わる国家元首
その度にそのツケが国民に回ってこようとも
ぼくたちはたくましくオナニーを続けてきたのだから
そんなことくらいで
けしてオナニーをあきらめない
興奮しないAVでオナニーするためには
自ら興奮する状況を作り出せば良いのであり
ある者は利き腕と反対の腕でオナニーしたり
ある者は全裸になったり
ある者は家族のそばでコッソリと
そうした試行錯誤こそ
妄想力を高めその発想力こそ
日本の産業基盤を支え
世界経済の一翼を担うまでに
日本の経済力は強くなったわけで
そこで
新たなオナニーを私は発明したのであり
未来のパチンコの発展の為にと
特有の釘の配列の特許を取らず
広く解放した正村ゲージを開発した正村竹一氏のように
ここに
ゴリ式オナニーを公開し
是非一度
皆さん試していただき
そして今度は友人知人はたまた息子孫
日本の将来の為に後世に
ゴリ式オナニーを遺していきたく思う所存であり
方法はいたって簡単
オナニーの前に
映画を観るのである
但し
くだらない映画ではなく
良質な映画
観終わったあとに爽快感やしみじみと感じる映画
はたまた感動の涙を流した映画
不条理な境遇で切なさとやりきれなさを感じる映画
つまり
観終わって何も残らない映画ではなく
何かを感じた映画
エンドロールに余韻を感じる映画
そうした映画のあとに
AVを観てオナニーをすると
詳しいメカニズムはわからんが
なんか興奮する
なんかチンコドキドキ
なんかチンコ元気
ただひとつ言えることは
こうした一連のオナニーにも
ドラマが必要なのである
ぼくたちの
ドラマチックオナニー^
お試しあれ。



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