も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪
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も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪

2005年10月31日(月) 尻と乳と私。

思うに
人間とは
欲深いものですなあ
しかしながら
その欲深さこそが
経済や産業を生み出すのではあるのだけれども

その反面
人間とはまた
臆病な存在で
欲深さゆえ
甘い言葉には裏がある
との教えが
舌きり雀や金の斧銀の斧なんて
世界中で教訓の物語として
教育されているわけで
しかしそれでも
欲してしまうのも
また
人間


なわけなのだけれども
例えば
頑張った自分へのご褒美なんて
今度の休みは豪遊すっかなんて
風俗に行くときは
どーんと金を使う反面
風俗よりも
はるかに安価で手軽なAVをレンタルするにあたり
例え安価でも
失敗しないようにハズレを引かないように
腕を組み
しかめっ面で
熟考に熟考を重ねる
そしてそのDVD化の省スペースのおかげで
開いたスペースにも敷き詰められるAV
祖の数が膨大になれば成るほど
思考停止
男の慎重で臆病な典型が導く
ビデオ屋のAVコーナーが
男にとって戦場である所以なのだけれども
それでもしかし
冷戦は終わり
宇宙基地ではアメリカ人とロシア人が
共同で作業する
経済も地方分極化の流れも
極東アジアの波に揉まれ
なんだかんだといっても
中央集権化に戻るわけで
猪木と馬場は
交わることは無かったが
馬場の死後
全日分裂に伴い
他団体交流が活発化し
メディアも
テレビ企画が映画や雑誌に連動し
また一般企業も絡み
所謂メディアミックスなんてのも
今や主流になり
吉本興行と松竹芸能の芸人が
同じ舞台に立つことも
珍しくは無くなった
メガデスのマーティ・フリードマンが
TVにおいてメタリカの楽曲を演奏するなんてことも
つまり
森羅万象全ての物事は
離合集散を繰り返すどころか
やがてひとつになるのも
だってほら
人間だもの
みつを
なんてことは
私は思わないのだけれど
生きてりゃ
数年前数時間前ですら
実現不可能もしくは予測不能である事象が
起きることもあるからこそ
ハップンでサプライズこそ
なかなか
生きるのを辞められない要因の一つではあるのだが
思うに
何ゆえ男は
女の乳を愛すのか
また
何故に男は
女の尻を愛でるのか
乳か
尻か
それが問題であるのだけれど
おまんまんさんという
絶対神
に一石を投じる
終わり無き闘争であるのだけれど
じゃあじゃあじゃあじゃあ
尻と乳は
リンクしてクロスオーバーしてミックスして
融合成し得るのか
そもそも
対立ばかりで
その論争すら
起きなかったことに対して
些か閉経
もとい閉口すべきか

確かに
乳もいいい
確かに
尻だってなかなかどうして
永遠のライバルでも過言ではないくらいの
両者のポテンシャル
しかし
日本とリオデジャネイロが如く
乳を見れば尻が見えず
尻を揉めば乳が揉めない
先人達は
この歯がゆく忌々しき事態に
複数
つまり
乱交と言う手段で
自らの欲望に折り合いをつけてきたわけだが
しかしそれで
欲望は満たされたか

4つの乳と2つの尻
行く川の流れは絶えずして元の水にあらず
2種の乳とて
同じ乳ではなく
無論尻とて十人十色
どの乳を舐るべきか
どの尻を撫でるべきか
数が増えれば
尚更
イエス
思考停止
でございます
かといって
悲観する事勿れ
人生を投げること無かれ
リスカやODする事勿れ
独り夜枕を涙で濡らすこと無かれ
問題は
尻か乳か
ではない
尻か乳かそれが問題だ
なんて言っておきながらアレだが
問題は
尻か乳か
では無いのだよ実は
要は
感触
男には無い
その柔らかさ
であるわけで
一般的に
勿論乳が柔らかいのは周知の事実であるのだが
勿論生理のときは堅くなるのは羞恥の事実であるのだが
実は
尻だって
柔らかい
もうふわふわなくらいに
柔らかい
乳に負けないくらい柔らかいのであり
触った尻が堅いのはそれは
矯正下着だとか
めっきり寒くなったこの季節に
ストッキングだとか腰巻きだとか腹巻きだとか
重ね着に重ね着している所以で
全部脱がせて触れば
しっかりと
それでいて
ふわふわと
柔らかいのである
そおゆう観点で見れば
乳と尻は
相互類似相対相似的に
融合しているわけで
その証拠に
暗闇ではたまた目隠しして
触った柔らかいものが
それが乳か尻か判別がつくだろうかいやない
そおゆうことを加味して
カレー好きの私
いえ隠語でも淫語でもなくて
ヒマさえあればカレー屋を散策しては
カレーに載せて良いものは
トンカツエビフライハンバーグ
百歩譲ってカラアゲまで
と決めているこのアタクシ
新たに見つけたカレー店
やあやあこんなところにカレー屋が
なんていざ入ってみると
何やら見慣れぬ文字が

見慣れた文字に見慣れぬ接頭語
その名も
タルタルエビフライカレー
写真には
ホクホクの白ご飯の上に濃厚なカレー
の上に
鎮座ましますエビフライ様
の上に
ふんだんにかけられた
ふわふわの
タルタルソース
カレーだけでも美味いのに
タルタルだけでも美味いのに
エビフライだけでも美味いのに
何たることかその融合
ああどんな味がするんだろう
アアドンナアジガスルノダラウ
アアタベテミタヒ
アアタベテミタヒ
思うに
人間とは
欲深いものですなあ
しかしながら
その反面
人間とはまた
臆病な存在で
挙句
思考停止に陥り
結句
カツカレーを食べた私を
あなたは
軽蔑しますか。




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2005年10月24日(月) 生きていたってただの肉。

はっきり言って
私は現実主義者である
金で買えないものは無い
つまりは全て金で買える
かといって
例の村上ナニガシやら
ITヒルズ族やらに
同調しているわけではない
寧ろ
惨めさすら覚えるわけで
確かに
上場して株式を店頭公開しているのであるからして
買うのは自由
買収防衛策をしていないのは
企業の責任
至って正当な論理ではあるが
正当な論理であるからと言って
それが正しいとは限らない
つまり
金で何でも買えるからといって
買っちゃいけないものが
世の中にはあるということを
彼らは気づいておらず
寧ろ欲望の権化にしか私には映らないのだけれど
同様に
私は現実主義者であるが故に
全ての人間が必要な存在で
アナタの代わりなんていない
なんてことが世の中にあるはずも無く
全ての人間が不必要で
アナタ一人いなくなったところで
代わりの人間が
次から次へとでてくる
現実はそうだ
だからといって
アナタ一人が死んでいいわけでもなく
アナタ一人が傷ついていいわけではない
むしろ
不必要であるからと言って
死ぬ必要も傷つく必要も
これ全く
ないわけだ
物事の本質は
そこにある
表面だけでなく
多面的側面から考察することに
真実が隠されているわけで
例えば
パンティ
ショーツとかインナーとか言うんですか若者は
まあパンティ
世の多くの男性が
階段の下やエスカレーターの下でパンチラの瞬間を
伺っているのも
そもそも女性がパンティを見られるのが
恥ずかしいという概念
からであるわけで
私もそれが正しいと思い生きてきたのだけれど
ところがどうだい
昨今のローライズブーム
ステレッチパンツブームによって
女性のパンティは
より露出が多くなった
腰からパンティがはみ出たり
尻にフィットするが故に
パンティラインが浮出して
なんならその防衛策のTバックとて
Tのラインがきっちりでているではないか

いうことは

実はパンティを見られるのは
恥ずかしいことでは無いのではないか
第一
腰からはみ出たパンティや浮出たパンティラインを
見たところで興奮しないことが
パンティ恥ずかしくない理論を実証しているのではないか
では
何が恥ずかしいか
ということが問題になってくるよね
つまり
女のパンティは男のそれと比べて
実に小さく生地も薄い
本来性器を隠すべき下着が
女性のパンティは隠しきれてない
毛は透け
具はハミで
何か分泌物が付着している
全くパンティ本来の仕事をこなしきれてない
パンティではあるのだが
そのパンティのていたらくのおかげで
毛が透けて無いか
具ははみ出て無いか
分泌物は付着していないか
その心配を女性は常日頃からしないといけない
故に
女性はパンティを見られるのを
嫌がる恥ずかしがるわけで
実にこの
パンティというもの
ショーツとかインナーとか言うんですか若者は
全く無価値で
どころか女性に要らん気を遣わせよる
厄介で無生産で無意味な存在ではあるのだが
だからといって
不必要ではない
男にとっては
そのパンチラで
今日も1日頑張ろう
明日も生きてみよう
と思えることもあるわけで
そんなパンチラを金で買ったところで
興奮なんぞするわけもなく
パンチラはハプニングであるからこその
パンチラなのであるからして
そのパンチラは
プライスレス
村上はじめIT長者たちに言いたい
企業利益や収益が
人生に必要なのではない
人生に必要なのはそう言ったハプニング
収支を度外視した一瞬の清涼剤
パンチラで生きる決意をした事の無い人間には
わからないのだろうね

白だったよ
昨日見た少女のパンティは
黒い下着がオシャレとして町にはびこり
ピンクの女の子らしさが世にはびこる中で
彼女は

白だったんだよ
まだ
まだこの日本は捨てたもんじゃあない
高級車に乗って出勤する輩には
一生わからんだろうね
女性のパンチラこそが
日本経済の屋台骨であることを
私は現実主義者であるからこそ
彼らのやり方には反対であるし
現実主義者であるからこそ
デキの悪いパンティにシンパシーを感じるのです。
生きていたって
ただの

だよ。



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2005年10月09日(日) そんな時代もあったよね。

一周回っちゃう
ってことがあるよね
例えば
ゲッツでおなじみのあれ誰だっけ
まあゲッツって言う人
くだらないしょうもないダジャレやアメリカンジョーク
合間にゲッツってあれ
どう考えても
そのネタ自体面白くはないのであり
ところが人間不思議なもので
面白くは無いと解っていても
それを
あえて繰り返されると
そのくだらなさについ
笑ってしまうつまり
一周回って面白い
に転化するのだが
実はこの
一周回って
というものは日常で往々にあるわけで
言わずもがな
経済は女性が動かしている
無論最近はオタク市場だとか
活況のマーケットもあるのだが
まだまだショッピングセンターやデパートの
テナントを見てもわかるように
世の中は女性用アパレル製品や
化粧品・飲食店などが溢れ
雇用機会均等法により
女性の社会進出も一般化しているものの
まだまだ男性に匹敵するとは
言いがたい現状で
化粧品・生理用品・服飾・アクセサリーの類を
毎月もしくは季節ごとに
買い揃える財力を
女性はどのように捻出しているのか
甚だ疑問を抱くことは
男として当然であるように
世の中は女性で動いているわけで
そもそも
女性達の発案で
ジェンダーフリーが叫ばれる昨今
男性しかできないとされてきた職種にも
女性が進出してきたおかげで
男性の定職率がさがるなか
では逆はどうか
今まで女性しかできない職業は
やはりこれ
女性にしかできないものが多く
殊更
女性専用車両やレディースデイなど
元々基本的に2種類しかないのだから
女性を尊重すれば
他方の男性の地位が貶められるのも
必然な話ではあるのだが
私はそれについて憤怒しているわけではなく
寧ろ
女性の持つ情報
何処の店が上手いだとか安いだとか
トレンドに敏感な女性の情報の恩恵にだって
男は預かっていることが多いわけで
つまり
男というもの
実に短絡的なもので
穴さえあれば
挿れたがっては
ヒマさえあれば
腰を振りたがる動物であるからして
勿論
穴がなければ
性行為は成立しないという観点から
やはり性行為の主導権は女性にあるはずなのだが
ついぞ女性は
女性謙虚であれ
という男性社会の概念が
淫乱と思われちゃいけないという概念に昇華し
汐らしい女性を演じなければならず
ついつい
いやん電気消してん
あんま見ないでん
などと口走ってしまうのであり
短絡的に視覚触覚に頼る男は
最初の方こそヤリたいが為の一心で
女性の言い成りになるのではあるが
やはり凝視したい
おまんまんさんがどんなんなってるのか確かめたい
男なら誰しもが持つ
インディジョーンズスピリッツよろしく
たまには明るいところで
なんて輩の増加に伴い
最近では明るいところでの性行為
というものも一般化したのも
見やすくダイレクトに伝えなければいけない
AVの一般化に拠るところが多いわけで
勿論
女性が暗い場所への執着が薄れ
より感じる男の姿を見たいという願望は
男性社会の中でつくられた
汝淫乱であるなかれ
というジェンダーの解放であるのだけれど
しかし罪深き人間
その状態に慣れてしまうと
つぎは
だれ
てしまい
だれ
の次は
飽き
が来るのは
盛者必衰の理ではあるのだが
そこは先行くAV業界
暗闇の中でする性行為
をテーマにした作品が続々とリリースされ
ほう
なるほど
暗闇での女性は
じつに淫靡でじつに妖しく舞う夜の蝶
本来なら
それが当然であった暗闇での性行為が
一周回って
実は性欲をそそりチンコを刺激し
いつもよりなんだか感じちゃう
いつもより多めに勃起しております
これでギャラはおんなじ
つまり
一周回ることで
再認識という
新たな感覚
温故知新
なんて昔のどっかのおっさんは
座布団をあげたいほどうまいこと言うたもので
だから
女性が性行為時
電気消してん
などと言うのは
けして
陰毛が濃いのをカモフラージュしているのではなく
けして
ビラビラが黒いのをカモフラージュしているのではなく
けして
スッピンがエライことになっているのんを
カモフラージュしているのではない
それは
女性の性体験から
暗闇での性行為が一番気持ち良いという
情報発信という自己主張であることを
男はそろそろ
気づくべきなのであり
騎乗位の状態で
挿入したちんこを起点に
女が一周まわる
花時計
後背位の状態で
挿入したちんこを起点に
男が一周回る
ヘリコプター
が気持ち良いこと山の如しなのも
それはわからないではないが
残念ながら男のチンコと体力には限界があり
花時計がしたい
ヘリコプターをして欲しい
なんて言うなよ
そんなちんこ力があれば
言われなくともヤッてんだよ
そんな無理を言う女は
もれなく
輪姦してみたい
そう
思うのです
皮が長いチンコも
そろそろ
一周回って
カワイイ
カッコイイ
イケてる
そんな時代も
そんな
ちんこが
あったよねと
笑える日が来るはずと確信するのも
時代も
回る
回るよ
時代も回る
のですから
喜びも悲しみも繰り返し
一周回って
中島みゆきと
暗闇で
性行為
どお。




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2005年10月02日(日) 文部科学省にエロス介入を!

ええとね
エンピツ仲間の
「"Voulez vous coucher avec moi ce soir?"」の遥さんから
イメージバトンが周ってきたので
本題の前にやりってみよお

(1)バトンを回してきた人のキーワード⇒『韓国』
(2)連想するキーワード⇒『今更』
  コリアンエロスにはもう何年も前から興味があったのですが
  最近のコリアンフィルムはアメリカナイズというかハリウッドナイズされてるので
  全くチンコにそそりません。
(3)バトンを回してきた人へひと言
できればもっと過激なバトンをまわしてください☆
  ええと、肉体反応行動と思考から出る言葉が全く違う人。
  乳首に性感スイッチを持ち、打てば響く立派な肉体、
  男としてはヤリやすい反面、NOという言葉が実は
  YESの意であることが多く、生来のSでなければ
  性的願望をみたしてあげるのはムズカシそうな女性。
  その立派な性癖に。そのあくなき探求心に。敬礼。
  (4)バトンを回す相手『3人』!
  うーん。そんなに仲の良い人がエンピツでは
  かなり少ないのでマイ登録してくれてる
「★〜(ゝ_σ) 727日記 」のRIE727さん
「しんめいの愛媛松山エロ戦記」のしんめいさん
「ヒロの日記」のヒロさんに廻してみます。
誰かやってくんないかなあ。
それでは
本文をお楽しみください。

残念ながら
ちんこは必ず
右乃至左のどちらかに曲がっている
たとえそれが
オダギリジョーであろうがツマブキサトシであろうが
一節に寄ればそれは
利き手によるオナニーに拠る処が大きい
それゆえ
小便の際には
弧を描いたチンコに従うが如く
小便はチンコの曲がった方向に飛ぶわけで
それゆえ
男は小便の際には
片手でチンコを支える必要が生じる
至って論理的な行為ではあるが
最近テレビをザッピングしていますと
現役教師と芸能人が
体罰は必要か否か
愛のムチだ否暴力だなどと
無益で無駄な議論をしておる
むしろ
何様かわからぬが
たいして学校も行ってない芸能人が
議論することに対して
むしろ体罰してやりたいくらいで
見栄えの為だけに呼ばれた
裸になって地位を気づいたグラビアアイドルに
愛のムチを与えてやりたいのだが
何故物事白黒で
善悪の二極論で判断するのか
人間には様々な個性と人生と言うバックボーンがあるゆえ
同じ人間が2人といないのに
白黒という教育で
統一しようと試みること自体がナンセンスであり
生徒の性格個性によって臨機応変に対応して行けば良いのに
残念ながら教師達の世代は
白黒二曲分化思想で教育されてきた人間であるからして
臨機応変に何をしてよいかがわからないところに
現代の教育の矛盾ができていることに気づかねば
もはや教育と言うものは成り立たない
それでも
統一させたいならもはや
軍隊や北朝鮮のように厳しい罰則と
それまでの価値観を徹底的に否定し
ベトコンは敵だアメリカは敵だという新しい価値観のみを
崩壊した自我に
刷り込ま無い限り
意識統一など民主国家でできるはずも無いのだが
洋式便所と和式便所ってのがあるよね
和式便所のルーツってのは
いくら無知な私といえども
なんとなくわからいでもない
地べたに垂れ流しては
衛生的にも見た目的にも良くない
ひとつ場所を決めて
穴を掘りそこに用を足せば
フタをして隠すこともできるし
肥料としても代替できる
的なことだろう多分
その
穴の周りに木材や陶器で装飾を施したのが
和式便所
ってのは非常に論理的である
じゃあじゃあじゃあじゃあ
洋式便所ってのはどうなの
調べてみると日本に入ってきたのは明治時代で
水洗化に伴い日本でも開発が進み
1950年代に公団住宅で採用されたことがきっかけで
洋式便所の普及が大きく進んだ
と書いてあるだけで
その歴史にはそれ以上言及されていないわけで
勿論
中世ヨーロッパは日本よりも格段に進歩しており
明治以前よりもっと昔何百年以上前から
下水処理及び水洗化はあったのかもしれぬが
それより以前はどうなのか
古代ヨーロッパの時代には洋式便所は存在したのか
原人
たとえばアウストラロピテクスとかなんとか原人だとか
いわゆる人間に進化する前までは
日本人と同じ垂れ流しであっただろう
そして
穴を掘ったろう
その穴の概念が
如何にして座った方がラクじゃねえ的な発想に至ったのか
実はそれは
全くもってどうでもいいのは
そもそも
洋式和式の違いは
ヨーロッパの人間とアジアの人間との
発想の違いと言うより寧ろ
オナニー観の違いに拠るところが大きいと
仮説を立ててみると
中世キリスト教圏では
オナニーは魔女同様に
悪だと考えられていたどころか
そもそも神の教えの背徳行為
つまり非合法であったわけで
オナニー防止の器具まで開発されていた
ところが日本では
オナニーは
悪とまでは言わないまでも
毒であると考えれており
慎むべきであると言う風潮があった
ところが街灯もまだ整備されていない日本
暗闇に紛れてしまえば
いつでもオナニーできる環境であったのだから
日本人のチンコは
西欧人のチンコより湾曲し
それゆえ
小便の際には
ただの穴に狙って小便をすることが
日本人には困難であった
そこで
男性用小便器を作る必要ができ
現在の和式便所スタイルにグンと進化した
男女共用であった洋式便所スタイルに
男専用小便器が如何にできたかは定かでは無いが
日本の小便器に比べると
現代欧米の小便器は
まるで大便器が如く丸いことからやはり
便器の歴史には
オナニーが介入していることは
推測では在るものの
実に真に迫っているとは思うのだが
つまり
何事もオナニーを介入すれば進化を遂げる
つまり
教育にもオナニーを介入すれば良い
マスターベーションの存在を教育することで
如何にオナニーすべきか
手段を方法を思考する豊かな想像力が養われる
規則を破るものには
オナニーを禁止して
どれだけ思春期のオナ禁がツライかを学べば
自戒自省を促し他人に対する思いやりすら生まれる
男は
チンコが曲がるほどオナニーするし
たとえ彼女がいようとも
性行為ができる相手がそばにいようとも
男はオナニーをするし
なんならその姿を見て欲しいとさえ思う
教育はそれを生かさずして何を生かすのか
むしろ
俺はオナニーなんてしないよ
なんて男はもはや
男として魅力が無いし人間的にも信用が置けない
だから
だから
女性も
人生や仕事・人間関係に行き詰まったなら
オナニーしなさい
何から手を付けていいか解らないほど忙しいときは
まずオナニーすればよい
1回のオナニーは400mをダッシュするほどの体力を消費するらしい
健康にも良いならば
コエンザイムやら胡散臭い中国産のダイエット食品にも
手を出すことなく運動という健康的手段で
ダイエットだってできるわけで
それでも
オナニーのやりかたがわからない
なんていう女仁は
ワラシに電話ください
イチから手取り足取り教えてあげます
もしかしたら
チンコも挿れることもあるかもわからないけど
それは
それだけ
君のオナニーが魅力的と言うことなんだよ
もっと自分に自信を
他人を気にしない精神力を
巻き込まれない眼力を
さあ
オナニーで
強くなりませんか
私と一緒に。




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