思うに 人間とは 欲深いものですなあ しかしながら その欲深さこそが 経済や産業を生み出すのではあるのだけれども だ その反面 人間とはまた 臆病な存在で 欲深さゆえ 甘い言葉には裏がある との教えが 舌きり雀や金の斧銀の斧なんて 世界中で教訓の物語として 教育されているわけで しかしそれでも 欲してしまうのも また 人間 の 愚 なわけなのだけれども 例えば 頑張った自分へのご褒美なんて 今度の休みは豪遊すっかなんて 風俗に行くときは どーんと金を使う反面 風俗よりも はるかに安価で手軽なAVをレンタルするにあたり 例え安価でも 失敗しないようにハズレを引かないように 腕を組み しかめっ面で 熟考に熟考を重ねる そしてそのDVD化の省スペースのおかげで 開いたスペースにも敷き詰められるAV 祖の数が膨大になれば成るほど 思考停止 男の慎重で臆病な典型が導く ビデオ屋のAVコーナーが 男にとって戦場である所以なのだけれども それでもしかし 冷戦は終わり 宇宙基地ではアメリカ人とロシア人が 共同で作業する 経済も地方分極化の流れも 極東アジアの波に揉まれ なんだかんだといっても 中央集権化に戻るわけで 猪木と馬場は 交わることは無かったが 馬場の死後 全日分裂に伴い 他団体交流が活発化し メディアも テレビ企画が映画や雑誌に連動し また一般企業も絡み 所謂メディアミックスなんてのも 今や主流になり 吉本興行と松竹芸能の芸人が 同じ舞台に立つことも 珍しくは無くなった メガデスのマーティ・フリードマンが TVにおいてメタリカの楽曲を演奏するなんてことも つまり 森羅万象全ての物事は 離合集散を繰り返すどころか やがてひとつになるのも だってほら 人間だもの みつを なんてことは 私は思わないのだけれど 生きてりゃ 数年前数時間前ですら 実現不可能もしくは予測不能である事象が 起きることもあるからこそ ハップンでサプライズこそ なかなか 生きるのを辞められない要因の一つではあるのだが 思うに 何ゆえ男は 女の乳を愛すのか また 何故に男は 女の尻を愛でるのか 乳か 尻か それが問題であるのだけれど おまんまんさんという 絶対神 に一石を投じる 終わり無き闘争であるのだけれど じゃあじゃあじゃあじゃあ 尻と乳は リンクしてクロスオーバーしてミックスして 融合成し得るのか そもそも 対立ばかりで その論争すら 起きなかったことに対して 些か閉経 もとい閉口すべきか 否 確かに 乳もいいい 確かに 尻だってなかなかどうして 永遠のライバルでも過言ではないくらいの 両者のポテンシャル しかし 日本とリオデジャネイロが如く 乳を見れば尻が見えず 尻を揉めば乳が揉めない 先人達は この歯がゆく忌々しき事態に 複数 つまり 乱交と言う手段で 自らの欲望に折り合いをつけてきたわけだが しかしそれで 欲望は満たされたか 否 4つの乳と2つの尻 行く川の流れは絶えずして元の水にあらず 2種の乳とて 同じ乳ではなく 無論尻とて十人十色 どの乳を舐るべきか どの尻を撫でるべきか 数が増えれば 尚更 イエス 思考停止 でございます かといって 悲観する事勿れ 人生を投げること無かれ リスカやODする事勿れ 独り夜枕を涙で濡らすこと無かれ 問題は 尻か乳か ではない 尻か乳かそれが問題だ なんて言っておきながらアレだが 問題は 尻か乳か では無いのだよ実は 要は 感触 男には無い その柔らかさ であるわけで 一般的に 勿論乳が柔らかいのは周知の事実であるのだが 勿論生理のときは堅くなるのは羞恥の事実であるのだが 実は 尻だって 柔らかい もうふわふわなくらいに 柔らかい 乳に負けないくらい柔らかいのであり 触った尻が堅いのはそれは 矯正下着だとか めっきり寒くなったこの季節に ストッキングだとか腰巻きだとか腹巻きだとか 重ね着に重ね着している所以で 全部脱がせて触れば しっかりと それでいて ふわふわと 柔らかいのである そおゆう観点で見れば 乳と尻は 相互類似相対相似的に 融合しているわけで その証拠に 暗闇ではたまた目隠しして 触った柔らかいものが それが乳か尻か判別がつくだろうかいやない そおゆうことを加味して カレー好きの私 いえ隠語でも淫語でもなくて ヒマさえあればカレー屋を散策しては カレーに載せて良いものは トンカツエビフライハンバーグ 百歩譲ってカラアゲまで と決めているこのアタクシ 新たに見つけたカレー店 やあやあこんなところにカレー屋が なんていざ入ってみると 何やら見慣れぬ文字が 否 見慣れた文字に見慣れぬ接頭語 その名も タルタルエビフライカレー 写真には ホクホクの白ご飯の上に濃厚なカレー の上に 鎮座ましますエビフライ様 の上に ふんだんにかけられた ふわふわの タルタルソース カレーだけでも美味いのに タルタルだけでも美味いのに エビフライだけでも美味いのに 何たることかその融合 ああどんな味がするんだろう アアドンナアジガスルノダラウ アアタベテミタヒ アアタベテミタヒ 思うに 人間とは 欲深いものですなあ しかしながら その反面 人間とはまた 臆病な存在で 挙句 思考停止に陥り 結句 カツカレーを食べた私を あなたは 軽蔑しますか。
2005年10月24日(月) |
生きていたってただの肉。 |
はっきり言って 私は現実主義者である 金で買えないものは無い つまりは全て金で買える かといって 例の村上ナニガシやら ITヒルズ族やらに 同調しているわけではない 寧ろ 惨めさすら覚えるわけで 確かに 上場して株式を店頭公開しているのであるからして 買うのは自由 買収防衛策をしていないのは 企業の責任 至って正当な論理ではあるが 正当な論理であるからと言って それが正しいとは限らない つまり 金で何でも買えるからといって 買っちゃいけないものが 世の中にはあるということを 彼らは気づいておらず 寧ろ欲望の権化にしか私には映らないのだけれど 同様に 私は現実主義者であるが故に 全ての人間が必要な存在で アナタの代わりなんていない なんてことが世の中にあるはずも無く 全ての人間が不必要で アナタ一人いなくなったところで 代わりの人間が 次から次へとでてくる 現実はそうだ だからといって アナタ一人が死んでいいわけでもなく アナタ一人が傷ついていいわけではない むしろ 不必要であるからと言って 死ぬ必要も傷つく必要も これ全く ないわけだ 物事の本質は そこにある 表面だけでなく 多面的側面から考察することに 真実が隠されているわけで 例えば パンティ ショーツとかインナーとか言うんですか若者は まあパンティ 世の多くの男性が 階段の下やエスカレーターの下でパンチラの瞬間を 伺っているのも そもそも女性がパンティを見られるのが 恥ずかしいという概念 からであるわけで 私もそれが正しいと思い生きてきたのだけれど ところがどうだい 昨今のローライズブーム ステレッチパンツブームによって 女性のパンティは より露出が多くなった 腰からパンティがはみ出たり 尻にフィットするが故に パンティラインが浮出して なんならその防衛策のTバックとて Tのラインがきっちりでているではないか と いうことは だ 実はパンティを見られるのは 恥ずかしいことでは無いのではないか 第一 腰からはみ出たパンティや浮出たパンティラインを 見たところで興奮しないことが パンティ恥ずかしくない理論を実証しているのではないか では 何が恥ずかしいか ということが問題になってくるよね つまり 女のパンティは男のそれと比べて 実に小さく生地も薄い 本来性器を隠すべき下着が 女性のパンティは隠しきれてない 毛は透け 具はハミで 何か分泌物が付着している 全くパンティ本来の仕事をこなしきれてない パンティではあるのだが そのパンティのていたらくのおかげで 毛が透けて無いか 具ははみ出て無いか 分泌物は付着していないか その心配を女性は常日頃からしないといけない 故に 女性はパンティを見られるのを 嫌がる恥ずかしがるわけで 実にこの パンティというもの ショーツとかインナーとか言うんですか若者は 全く無価値で どころか女性に要らん気を遣わせよる 厄介で無生産で無意味な存在ではあるのだが だからといって 不必要ではない 男にとっては そのパンチラで 今日も1日頑張ろう 明日も生きてみよう と思えることもあるわけで そんなパンチラを金で買ったところで 興奮なんぞするわけもなく パンチラはハプニングであるからこその パンチラなのであるからして そのパンチラは プライスレス 村上はじめIT長者たちに言いたい 企業利益や収益が 人生に必要なのではない 人生に必要なのはそう言ったハプニング 収支を度外視した一瞬の清涼剤 パンチラで生きる決意をした事の無い人間には わからないのだろうね 白 白だったよ 昨日見た少女のパンティは 黒い下着がオシャレとして町にはびこり ピンクの女の子らしさが世にはびこる中で 彼女は 白 白だったんだよ まだ まだこの日本は捨てたもんじゃあない 高級車に乗って出勤する輩には 一生わからんだろうね 女性のパンチラこそが 日本経済の屋台骨であることを 私は現実主義者であるからこそ 彼らのやり方には反対であるし 現実主義者であるからこそ デキの悪いパンティにシンパシーを感じるのです。 生きていたって ただの 肉 だよ。
2005年10月09日(日) |
そんな時代もあったよね。 |
一周回っちゃう ってことがあるよね 例えば ゲッツでおなじみのあれ誰だっけ まあゲッツって言う人 くだらないしょうもないダジャレやアメリカンジョーク 合間にゲッツってあれ どう考えても そのネタ自体面白くはないのであり ところが人間不思議なもので 面白くは無いと解っていても それを あえて繰り返されると そのくだらなさについ 笑ってしまうつまり 一周回って面白い に転化するのだが 実はこの 一周回って というものは日常で往々にあるわけで 言わずもがな 経済は女性が動かしている 無論最近はオタク市場だとか 活況のマーケットもあるのだが まだまだショッピングセンターやデパートの テナントを見てもわかるように 世の中は女性用アパレル製品や 化粧品・飲食店などが溢れ 雇用機会均等法により 女性の社会進出も一般化しているものの まだまだ男性に匹敵するとは 言いがたい現状で 化粧品・生理用品・服飾・アクセサリーの類を 毎月もしくは季節ごとに 買い揃える財力を 女性はどのように捻出しているのか 甚だ疑問を抱くことは 男として当然であるように 世の中は女性で動いているわけで そもそも 女性達の発案で ジェンダーフリーが叫ばれる昨今 男性しかできないとされてきた職種にも 女性が進出してきたおかげで 男性の定職率がさがるなか では逆はどうか 今まで女性しかできない職業は やはりこれ 女性にしかできないものが多く 殊更 女性専用車両やレディースデイなど 元々基本的に2種類しかないのだから 女性を尊重すれば 他方の男性の地位が貶められるのも 必然な話ではあるのだが 私はそれについて憤怒しているわけではなく 寧ろ 女性の持つ情報 何処の店が上手いだとか安いだとか トレンドに敏感な女性の情報の恩恵にだって 男は預かっていることが多いわけで つまり 男というもの 実に短絡的なもので 穴さえあれば 挿れたがっては ヒマさえあれば 腰を振りたがる動物であるからして 勿論 穴がなければ 性行為は成立しないという観点から やはり性行為の主導権は女性にあるはずなのだが ついぞ女性は 女性謙虚であれ という男性社会の概念が 淫乱と思われちゃいけないという概念に昇華し 汐らしい女性を演じなければならず ついつい いやん電気消してん あんま見ないでん などと口走ってしまうのであり 短絡的に視覚触覚に頼る男は 最初の方こそヤリたいが為の一心で 女性の言い成りになるのではあるが やはり凝視したい おまんまんさんがどんなんなってるのか確かめたい 男なら誰しもが持つ インディジョーンズスピリッツよろしく たまには明るいところで なんて輩の増加に伴い 最近では明るいところでの性行為 というものも一般化したのも 見やすくダイレクトに伝えなければいけない AVの一般化に拠るところが多いわけで 勿論 女性が暗い場所への執着が薄れ より感じる男の姿を見たいという願望は 男性社会の中でつくられた 汝淫乱であるなかれ というジェンダーの解放であるのだけれど しかし罪深き人間 その状態に慣れてしまうと つぎは だれ てしまい だれ の次は 飽き が来るのは 盛者必衰の理ではあるのだが そこは先行くAV業界 暗闇の中でする性行為 をテーマにした作品が続々とリリースされ ほう なるほど 暗闇での女性は じつに淫靡でじつに妖しく舞う夜の蝶 本来なら それが当然であった暗闇での性行為が 一周回って 実は性欲をそそりチンコを刺激し いつもよりなんだか感じちゃう いつもより多めに勃起しております これでギャラはおんなじ つまり 一周回ることで 再認識という 新たな感覚 温故知新 なんて昔のどっかのおっさんは 座布団をあげたいほどうまいこと言うたもので だから 女性が性行為時 電気消してん などと言うのは けして 陰毛が濃いのをカモフラージュしているのではなく けして ビラビラが黒いのをカモフラージュしているのではなく けして スッピンがエライことになっているのんを カモフラージュしているのではない それは 女性の性体験から 暗闇での性行為が一番気持ち良いという 情報発信という自己主張であることを 男はそろそろ 気づくべきなのであり 騎乗位の状態で 挿入したちんこを起点に 女が一周まわる 花時計 後背位の状態で 挿入したちんこを起点に 男が一周回る ヘリコプター が気持ち良いこと山の如しなのも それはわからないではないが 残念ながら男のチンコと体力には限界があり 花時計がしたい ヘリコプターをして欲しい なんて言うなよ そんなちんこ力があれば 言われなくともヤッてんだよ そんな無理を言う女は もれなく 輪姦してみたい そう 思うのです 皮が長いチンコも そろそろ 一周回って カワイイ カッコイイ イケてる そんな時代も そんな ちんこが あったよねと 笑える日が来るはずと確信するのも 時代も 回る 回るよ 時代も回る のですから 喜びも悲しみも繰り返し 一周回って 中島みゆきと 暗闇で 性行為 どお。
2005年10月02日(日) |
文部科学省にエロス介入を! |
ええとね エンピツ仲間の 「"Voulez vous coucher avec moi ce soir?"」の遥さんから イメージバトンが周ってきたので 本題の前にやりってみよお
(1)バトンを回してきた人のキーワード⇒『韓国』 (2)連想するキーワード⇒『今更』 コリアンエロスにはもう何年も前から興味があったのですが 最近のコリアンフィルムはアメリカナイズというかハリウッドナイズされてるので 全くチンコにそそりません。 (3)バトンを回してきた人へひと言 できればもっと過激なバトンをまわしてください☆ ええと、肉体反応行動と思考から出る言葉が全く違う人。 乳首に性感スイッチを持ち、打てば響く立派な肉体、 男としてはヤリやすい反面、NOという言葉が実は YESの意であることが多く、生来のSでなければ 性的願望をみたしてあげるのはムズカシそうな女性。 その立派な性癖に。そのあくなき探求心に。敬礼。 (4)バトンを回す相手『3人』! うーん。そんなに仲の良い人がエンピツでは かなり少ないのでマイ登録してくれてる 「★〜(ゝ_σ) 727日記 」のRIE727さん 「しんめいの愛媛松山エロ戦記」のしんめいさん 「ヒロの日記」のヒロさんに廻してみます。 誰かやってくんないかなあ。 それでは 本文をお楽しみください。
残念ながら ちんこは必ず 右乃至左のどちらかに曲がっている たとえそれが オダギリジョーであろうがツマブキサトシであろうが 一節に寄ればそれは 利き手によるオナニーに拠る処が大きい それゆえ 小便の際には 弧を描いたチンコに従うが如く 小便はチンコの曲がった方向に飛ぶわけで それゆえ 男は小便の際には 片手でチンコを支える必要が生じる 至って論理的な行為ではあるが 最近テレビをザッピングしていますと 現役教師と芸能人が 体罰は必要か否か 愛のムチだ否暴力だなどと 無益で無駄な議論をしておる むしろ 何様かわからぬが たいして学校も行ってない芸能人が 議論することに対して むしろ体罰してやりたいくらいで 見栄えの為だけに呼ばれた 裸になって地位を気づいたグラビアアイドルに 愛のムチを与えてやりたいのだが 何故物事白黒で 善悪の二極論で判断するのか 人間には様々な個性と人生と言うバックボーンがあるゆえ 同じ人間が2人といないのに 白黒という教育で 統一しようと試みること自体がナンセンスであり 生徒の性格個性によって臨機応変に対応して行けば良いのに 残念ながら教師達の世代は 白黒二曲分化思想で教育されてきた人間であるからして 臨機応変に何をしてよいかがわからないところに 現代の教育の矛盾ができていることに気づかねば もはや教育と言うものは成り立たない それでも 統一させたいならもはや 軍隊や北朝鮮のように厳しい罰則と それまでの価値観を徹底的に否定し ベトコンは敵だアメリカは敵だという新しい価値観のみを 崩壊した自我に 刷り込ま無い限り 意識統一など民主国家でできるはずも無いのだが 洋式便所と和式便所ってのがあるよね 和式便所のルーツってのは いくら無知な私といえども なんとなくわからいでもない 地べたに垂れ流しては 衛生的にも見た目的にも良くない ひとつ場所を決めて 穴を掘りそこに用を足せば フタをして隠すこともできるし 肥料としても代替できる 的なことだろう多分 その 穴の周りに木材や陶器で装飾を施したのが 和式便所 ってのは非常に論理的である じゃあじゃあじゃあじゃあ 洋式便所ってのはどうなの 調べてみると日本に入ってきたのは明治時代で 水洗化に伴い日本でも開発が進み 1950年代に公団住宅で採用されたことがきっかけで 洋式便所の普及が大きく進んだ と書いてあるだけで その歴史にはそれ以上言及されていないわけで 勿論 中世ヨーロッパは日本よりも格段に進歩しており 明治以前よりもっと昔何百年以上前から 下水処理及び水洗化はあったのかもしれぬが それより以前はどうなのか 古代ヨーロッパの時代には洋式便所は存在したのか 原人 たとえばアウストラロピテクスとかなんとか原人だとか いわゆる人間に進化する前までは 日本人と同じ垂れ流しであっただろう そして 穴を掘ったろう その穴の概念が 如何にして座った方がラクじゃねえ的な発想に至ったのか 実はそれは 全くもってどうでもいいのは そもそも 洋式和式の違いは ヨーロッパの人間とアジアの人間との 発想の違いと言うより寧ろ オナニー観の違いに拠るところが大きいと 仮説を立ててみると 中世キリスト教圏では オナニーは魔女同様に 悪だと考えられていたどころか そもそも神の教えの背徳行為 つまり非合法であったわけで オナニー防止の器具まで開発されていた ところが日本では オナニーは 悪とまでは言わないまでも 毒であると考えれており 慎むべきであると言う風潮があった ところが街灯もまだ整備されていない日本 暗闇に紛れてしまえば いつでもオナニーできる環境であったのだから 日本人のチンコは 西欧人のチンコより湾曲し それゆえ 小便の際には ただの穴に狙って小便をすることが 日本人には困難であった そこで 男性用小便器を作る必要ができ 現在の和式便所スタイルにグンと進化した 男女共用であった洋式便所スタイルに 男専用小便器が如何にできたかは定かでは無いが 日本の小便器に比べると 現代欧米の小便器は まるで大便器が如く丸いことからやはり 便器の歴史には オナニーが介入していることは 推測では在るものの 実に真に迫っているとは思うのだが つまり 何事もオナニーを介入すれば進化を遂げる つまり 教育にもオナニーを介入すれば良い マスターベーションの存在を教育することで 如何にオナニーすべきか 手段を方法を思考する豊かな想像力が養われる 規則を破るものには オナニーを禁止して どれだけ思春期のオナ禁がツライかを学べば 自戒自省を促し他人に対する思いやりすら生まれる 男は チンコが曲がるほどオナニーするし たとえ彼女がいようとも 性行為ができる相手がそばにいようとも 男はオナニーをするし なんならその姿を見て欲しいとさえ思う 教育はそれを生かさずして何を生かすのか むしろ 俺はオナニーなんてしないよ なんて男はもはや 男として魅力が無いし人間的にも信用が置けない だから だから 女性も 人生や仕事・人間関係に行き詰まったなら オナニーしなさい 何から手を付けていいか解らないほど忙しいときは まずオナニーすればよい 1回のオナニーは400mをダッシュするほどの体力を消費するらしい 健康にも良いならば コエンザイムやら胡散臭い中国産のダイエット食品にも 手を出すことなく運動という健康的手段で ダイエットだってできるわけで それでも オナニーのやりかたがわからない なんていう女仁は ワラシに電話ください イチから手取り足取り教えてあげます もしかしたら チンコも挿れることもあるかもわからないけど それは それだけ 君のオナニーが魅力的と言うことなんだよ もっと自分に自信を 他人を気にしない精神力を 巻き込まれない眼力を さあ オナニーで 強くなりませんか 私と一緒に。
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