2005年07月24日(日) |
ナタリーに愛を。俺にフォースを。 |
愛のないセックスはイヤ という女性も多いのではあるが そもそも愛のないセックス という言葉は 遊び・不倫・割り切り 一夜だけの関係 つまり恋人意外の人との性行為の 代名詞として使われがちであるのだが 果たしてそうか つまりそれは 愛 の定義が実に曖昧モコちゃんな言葉であるからして 恋と愛の違いってなに なんて男と女は不毛なディスカッションを 酒の肴にしたりストロベリートークの肴に 盛りあがるのだけれど 一般的に恋の最上級が愛という概念がありながら 恋人愛人と言う使用法をした場合 恋と愛の上下関係が逆転するのであるからして その概念は実は間違いであるわけで つまり キリストの言う隣人を愛せよ と言う言葉は隣人とヤっちゃえ♪ヤっちゃえ♪ と言う意味ではなく 許しなさい つまり奉仕の精神に他ならないわけで そう考えると 恋というのは 自己から他者への想い なのであり 愛というのは ボランティアスピリッツ 無償で他者に如何にしてあげられるか であるのも 至極道理がつくわけで 先日東京で施行された条例 にはいささか 伊佐坂先生も辟易するほど 頭をひねりたくなるものだね つまり内容はこうだ 未成年との性行為は たとえお互いが合意の上での性交渉であっても これを認めない というもの これっておかしくねえか 愛の定義が曖昧モコちゃんなのに そもそも二人に愛があったかどうか どう判断するものなのか それが恋人関係というのなら ナンパや出会い系など 一発ヤってから生まれる恋愛もあるわけで 付き合い始めるカップルが 何ヶ月も何年も準備期間を経て結ばれた そんな時代錯誤な観念が 世界都市トーキョーで未だ信じられているとは 志村けん死亡説や坂井泉水存在して無い説などの 都市伝説より遥かに 根拠の無い馬鹿馬鹿しい仮説であるように この記事でいう みだらな性交でない 真摯な付き合い ならばOKという判断基準でさえ どうよどうよどうなのよ 芸術はいいけどエロはダメ なんてヌード写真あなただったらどうする的な 質問を受けた女子大生ばりにバカバカしい バカヤロウ エロスこそ芸術であり バカがのたまうキレイな写真というものは 芸術でもなんでも無く 一眼レフさえあれば誰でも撮れるものであり 同様に 真摯な付き合い といっても性行為くらいするわけで また性行為こそ みだら淫ら であるからこそ性行為なのだから 仮に 真摯的で紳士的な性行為があったとして 淫らでもなんでもない性行為に 例え淫らな性行為であっても 満足できない女性が多い状況下で 淫らでない性行為が 果たして女性を満足させるだろうかいやない だからこそ お互いが頂点をオルガスムスを味わう為に 淫らになるのだから この条例は 全く持って内容自体意味を成していないし 矛盾と欺瞞に塗れたザル条例で そもそも 先ほど述べた隣人を愛せよという観点から むしろ それがたとえ金銭で繋がれた関係であっても 一夜だけの関係であっても 不倫不貞な関係であっても 黒い乳首 黒いおまんまんさんも見えない程の ジャングルで剛毛な陰毛 その横一文字に割れた腹とヘソ 赤の他人が何往復もそれを受け入れるが如く 何往復も何往復も舐めて差し上げる イッツボランティアスピリッツ 奉仕の精神 所謂 愛 であり 御大加藤鷹でさえも どんな女とヤるときも ヤっている瞬間はその女を愛していないと 絶対にできない と仰っているわけで つまり 愛の無いセックス なんてものは この世には存在しない あるとするならば お互いが前戯もそこそこに 挿入して勝手に発射しちゃうしかもナマで中で と思った瞬間 早く帰れよ とタバコ吸って勝手に寝ちゃう そんな鬼畜で非道な男というもの 絶対に これ絶対に チンコがデカくてズルムケな男であるのだから 警察はわざわざラブホで張り込みをするよりも 健康診断にちんこの大きさを新たに加え それをデータベース化して 危険巨根リストを制作し 性犯罪を犯した犯人のリストとともに インターネットで公開すれば良いわけで それが違うというのならば 俺のチンコは 皮も剥けず 淫らなカタチ極まりないのであり 尚更 毛なんかもそっちゃたりして 淫らなこと山の如し そんなちんこの皮で人間を判断するのか そんな毛の有無で人間を判断するのか 俺のチンコは淫らなのか アミダラ女王は淫らなのか アミダラは淫ら ナタリー・ポートマンは淫ら 俺のチンコにフォースを チンコが元気になるなら ダークサイドでもフォースでも ちんこに刺激が欲しい そんなファンタスティックな お話。
私は 私は何度も言う通り 危機意識管理 社会的にも個人的にも必要であると 考えるが故 それを政治に当てはめると 米軍との関係を強める為に イラク駐留は必要だと 専守防衛は必要だと行っちゃう為に 反平和論者・野蛮などと叱責されることもしばしば だが生きることにおいて 危機意識管理こそ どんな危機に直面しても平静を保つ為の 有用な手段であるのにも関わらず 世界大会に弱いニッポン プレッシャーに弱いニッポン人 が多いのもひとえに 危機意識管理の欠如によるものであるわけで ひいては日本の教育制度と言うものは 義務教育において何を教えるのか 大人になったら 働いて 結婚して 幸せな家庭を築きましょう これのみ である 何故こおゆう教育をするか 働いて得た賃金で税金を納め 子供を産んで人口の確保=将来の税収の確保 する為で この真の目的を悟られない為 ゆとり教育だとか個性だとかぼやかしながら 騙し騙しの教育で歪みが出ないはずはない その歪みから生まれた 生きる目的が無いやりたい事が無い ニートやフリーターが炙れるのも 至極道理では在る 道理では在るが それは逃げ道に過ぎない ではどうすべきか それは 期待しない イエス それこそが危機意識管理 仕事に期待するからこそ人間関係に悩み 人間関係に期待するからこそその反動が大きいのであり 社会に期待するからこそ生きづらいのであり 将来に期待するからこそ現状のギャップに悩むものであり 簡単に言えば ネットで知り合ったメル友 会いましょうという流れになるわな普通 メールが続くうちに気が会い 問題は外見だけ こいつきっとかわいいんだろうなあ と思いながらメールをすると 出会ったときにショックを受けること山の如し 最初からこいつはブサイクだブサイクさ と思いながらメールしていれば たとえ普通レベルのコでも ああブサイクじゃなかったと心に余裕が生まれるのであり つまり過度の期待をしない それを踏まえて 私は金も無いし将来も無いし外見も良くない それでもちんこがついているんですもの 女性とだってお付き合いしたいと思うのも まんざらまんざらでもなくはないと思う今日この頃なのだけれど 度重なる失恋に私は気づいた 外見を高望みをするのはよそう そう今は亡き淀川長治先生も どんなヒドイ映画でも ひとつくらいは誉めるべき点があるとおっしゃったのだ どんなブサイクでも ひとつくらいはちんこを刺激してくれる場所があるはずだ そう思い 世の中には不思議なもので ブサイクしか出てないAVなんてものはゴマンとあり それを食い入るように見ると これがなかなかなかどうして 興奮するのよ ブサイクなのに感じてる ブサイクなのに緊縛 ブサイクなのに感じた顔は可愛かったり 明かりが点くように気づいた私は 立派なブサイクフェチになり また 歳を経るに連れて若い女に相手にされなくなる そんな世の常を 危機意識管理として それじゃあ熟女・人妻・オバサンに対応できるちんこになれば 将来女に不自由することはないだろうと オバサンがセーラー服着てたり オバサンがレズってたり オバサンが普通にセクってたり そんなAVを繰り返し見るうちに 立派な熟女フェチになりました どうだこれで それでも性的飢餓に耐え得る為に ニューハーフなんかにも手を出し どうだこれで 将来ちんこさえなければ 結婚もできず 一人死んで無縁仏として葬られることもなくなっただろう そう思えば 生きるのは楽だ コンパにも付き合う必要は無いし まあ誘われんのだが 夏だクリスマスだ正月だといって イベントごとに自分を安売りすることもない なんて楽だ楽なんだ とおもっていたのだが しかし しかし だ 逆に言えば 全ての女が もっと言えばちんこついてない男でさえも 全ての女が性的対象に なるということだ 全ての女が性的対象になるという事はだよ この薄着の季節 ピンコ勃ち ピンコ勃ちですよ奥さん パンチラブラチラ乳の谷間を露出して 世の女性が裸同然でカッポカッポと闊歩闊歩しているではないか 私がノーマルなら 不覚にも欲情してしまったチンコを鎮める為に 世の男ども同様に ブサイクウオッチングやオバサンウオッチングで なんとか冷静を取り戻すことも出きるのだろうが なんせオールマイティな俺ちんこ 左を見ようが右を見ようが 西を見ようが北を見ようが 全てちんこど真ん中 地獄 地獄なのだよこの季節 24時間ピンコ勃ち しかも 自らの危機意識で行なった行為が 自らの危機としてそこにあるわけで ミイラとりがミイラになったこの精神的苦痛を オナニーと言う手段で煩悩を振り払うのだが 12回 12回だ オヤジ4杯だノー3杯ねー そんなブレードランナー的世界が 12回だ この3連休でこなしたオナニーの回数 日平均4回だ 勿論きょうこれから寝る前ラスト1回を 加えての回数であるのだが わしゃ猿か わしゃ中学生か 御開帳した女の前でぷしゅうと音を立ててしぼみやがるのに コンドームつけてる間にぷしゅうと以下略 フェラーチョしてもらってるのにぷしゅうと以下略 そんなプチEDな俺チンコが 一昼夜ピンコ勃ち ありがとう女 ありがとう夏 ありがとう裸同然の女 って なるわけないやろがっ 女の前で勃たんくせして なんでこんなときにピンコ勃ちやねん そんな不条理あるかいな そんな不条理アルカイダ そおゆう観点から テロはじめ テロの温床 アルカイダを 私は許さない 絶対に。
2005年07月10日(日) |
新説GLAY仮性包茎理論 |
知ってます 先生 知ってます 世の中はじめ人間というもの その複雑な構造故に 1か100か 白か黒か 犬か猫か ヤるのかヤラないのか そんな二者択一で全ての物事 量れないことくらい 先生 知ってます 知ってるんですが 知ってるだけに グレーゾーンにまた悩まされることも これ多々あるわけで 曖昧モコちゃんな世の中だからこそ 逆に白黒ハッキリしたほうが良い事だって あったっていいんじゃなくって 例えば 以前にも書いたのだが 女性に 「この淫乱がっ」と言ってはいけないが 「この処女がっ」と言ったところで それはそれで怒られるわけで 勿論それは両方とも誉め言葉で 愛を込めて言っているのも関わらず だ 誉めているのに怒られる この世は理不尽で不条理で 正直者こそバカを見るそんな世知辛い世の中を 創り出しているのは 意外と女性なのであり それで傷つくチンコなのに 早いのねもう終わりイカなかったわよなどと ちんこに塩を揉み込むような追い討ちをかけるのも そもそも 女性という生き物はその肉体的構造から 男に比べて情緒不安定気味で また 男性主導の社会構造も加味して 女性はもはや 客観性を失い 暴走しがちな部分があるのであり 例えば ブラ パンティを見られるよりかは ブラはある程度仕方が無いと捉えられている ブラではあるが 薄着の季節 Tシャツの下にブラ透け防止の為にキャミやらタンクトップやら 女性は着込むのであるが それでもブラの生地は厚くワイヤーで堅牢な構造であるゆえ そんなことしても無駄であり 立派にブラの線が透けているどころか 肩ヒモは露出し ワキからはカップすらこんにちわしている様相 それを女性は気づいていないのか 否 そんなはずはない 全ての女性がブラが透けているのだ 友人知人全ての女が 人の振り見て我が振りなおせ そんな周囲を見て私だけがブラは見えてない 完璧などとはまさか思っていまい なのに そんな無駄な抵抗をするのは何故か 例えば 男同士で銭湯や温泉など風呂に入る場合 男はチンコを隠す 勿論なかにはブラブラさせて堂々とする輩も居るが ちんこの大きさ皮の長さ いえいえ僕のちんこなんかまだまだ といったエチケット上 ちんこをタオルで隠して乳頭 もとい入湯するのはいたく理に適っている しかし女の場合も やはり下を隠すほうが多いわけで もちろん中には堂々と男勝りな方もおられるのは別として あくまでもエチケット上 何処を隠すかといえば 圧倒的に女性は下を隠す がしかしそれは何故だ 男がチンコを隠す理論というものは まず第一命題として性器を隠す防御する そして第二に 人によって千差万別のチンコ その大きさでイジメの対象にも成りかねない 大問題として ちんこを隠すわけで 女性の場合 勿論下半身であるから性器を隠す防御することは まあわからないでもない わからないでもないがしかし 女性の肉体的構造上 パッと見 その性器の構造を認知するのは不可能である あビラビラが長いな あビラビラが黒いな 毛で覆われているのにビラビラの良し悪しなんぞ いくら視力が良い人間でも不可能であるし 寧ろ そのカタチその色その大きさ 一目で顕著なのはむしろおっぱい つまり乳房及び乳頭 を隠さないと全く理に適わないどころか じゃあじゃあじゃあじゃあ女は そんなに陰毛やおまんまんさんを大事に防御しているか といえば全くそうではない 何故なら女性下着と言うもの 生地が薄くまた小さいクシャクシャなものばかりで 性器を守るパンティを履いても 毛は透けているし ビラビラははみ出ているし 寧ろブラのほうが立派に乳首をガードしているのだから 全く女性は何がしたいのか 何が目的なのか 男には理解できないどころか もともと理に適っていないのだから ごく当然と言えば当然の結果なのかもしれない ただ ただそんな尻滅裂な女性の中に ただひとつ 理に適っている行動がある それは トイレに行った後手を洗う 女性社会でそれは当り前 女性社会で無くとも社会通念上それは当り前 的な風潮があるがそうではない 実は男はトイレ後手を洗わない方が多い 無論私は洗うのだが 何故か 何故なら男は何も汚いものに触れないから 男性用トイレ便器は現在殆どが自動で水が流れる構造で ということは チャックを下ろしてちんこを触る以外 何物にも触れないわけで 勿論ちんこは毎日洗っているし 性器といえど自分の肉体の一部であるのだから ちんこを触ったところで手や足を触るのと同様であり 小便が手につかないかぎり でなければ 手を洗っている男はそれは小便なのではなく うんこなのだ 無論私は如何なる場合でも洗うのだが これが女性の場合 女性の場合 勿論女性用便器も今では自動で流れる便器も在るが まだ殆どが手動式であることが多く また男性器が突起している男性と違い 女性器及び尿道は陰毛の中に潜んでおり ひとたびションベンをすると 小便が陰毛に付着し わざわざティッシュで拭き取らねばならない そらたまには小便も手につくことも在るし また音消しの為に小便中 汚いレバーをひねらねばならないのだから 女の手が汚れるのはもはや不可避 そんな自らの手を汚してまで 音消しの為に水を流しても 流れる水よりも 絶対に これ絶対に 小便の方が長いわけで またこれも 理に適っていない女の習性である 環境破壊という名の 女の習性 勿論私はエコロジストでもなんでもない 一介の仮性包茎であるからして そんな女性を批判する気は ワキサラサラシートとよりもさらさらない むしろ そんな自己矛盾を抱えながらも 一生懸命生きている女性が好きであるし 寧ろその矛盾こそいとおしいのだけれど だけれども この剛毛っ と言っても怒るクセして このパイパンっ と言っても怒り狂う女性は ほなどないせえゆうねん まあ私のチンコも ムケルのか被っているのか ズルムケでも包茎でもない はっきりしないグレーチンコ グレーチンコイズグレート 世の中二者択一では無い 俺達はブラックでもホワイトでもない それがグレイの 由来なんだそうですよ タクローか タクローがそうなんだなきっと。
2005年07月04日(月) |
チーズ消えてもチーズ臭消えず。 |
自己嫌悪 自己嫌WO ジョン健ヌッツオ いやまじで 激しい絶望感と焦燥感 多大なる不安と自らへの無力感 自らへの叱責 自らへの叱責 自らへの叱責 極力他人との接触を断ち 極力現世への執着を断ってまで 否 断ちきれなかった弱さこそが 同じ過ちを繰り返させる大きな要因であることまで 自分では認識しているにもかかわらず また のうのうと同じ過ちを繰り返すのは もはや痴呆の成せる業であり こうした煩悩を打ち消す為に 出家でもしたろかいなと 思うだけでは さすがに今回の自己嫌悪は強大で ダークサイドに堕ちたアナキンのように 私も欲望に打ち負かされたのは 何も今に始まったわけではなく こうなると 如何に自分を罰すべきかであり 如何にパニッシュメントすべきかを考えると そら 身近に叱責してくれる伴侶がいれば良いのだが 元来執着を断つ為に 接触を断ったのであるからして もとより いい歳して 貧乏 短小 早漏 包茎 地位無し 名誉無し 未来無しの 私に添い遂げてくれる伴侶などできるはずもなく かといって 自傷行為などする勇気もなく そもそも自傷行為など 性的欲求の現れであるのだから じゃあじゃあじゃあじゃあ 自慰行為で自分をパニッシュメントできるのかといえば さにあらず 確かに男の自慰行為は強大な虚脱感を伴うのだが 残念ながら 希代のオナニストでもある私は その虚脱感との折り合いが付けられるほどの フォースの使い手であるが故に もはや自慰行為ではパニッシュメントできないわけで それでも人生は続き チンコも続く それどころが 光陰矢の如し なんてとんでもない 人生は必要以上に緩やかに流れて行くのであり それが続く以上 私はまた同じ過ちを繰り返すのかと思うと もう死んでしまいたくも成るのだが あいにく 私には自分で自分を殺す勇気など無いし そもそも 夢の中で 田原のトシちゃんに 中山美穂との3Pに誘われ 早速チューしようとしたところ トシちゃんに バカヤロウ 上は俺だお前は下を責めろ と泣く泣くクンニし続けた そんな夢を見たこと以外 まだ乱交も経験したこと無いし ヤっちゃったら罪を問われるかもしれない くらいの年齢の少女との 性行為もしていないし サザエさんだって見なきゃいけない 自分で自分を殺すには あまりにも後悔が多過ぎるのだから 今死ねば成仏しきれずに 自縛霊として何百年もの間 夜な夜な女性に取り憑き 陰陽師あたりに優しい口調で けれども厳しいお札で除霊されるのがオチというもので ともかく 生きたとして それはそれで生き地獄 この煩悩の繰り返しを止めるにはどうすべきか いっそちんこを切捨てゴメン被りたいくらいなのは そもそも この季節 空梅雨のおかげで気温は日々上昇の一途を辿り それと閉経して もとい それと並行して 我々の着衣も薄着化していくわけなのだが こと女性に関しては セクかわ・エロかわが今年のムーブメントであるらしく 肩を出し ヘソを出し 腰を出し 足を出すどころか 胸の谷間まで強調しているファッションを 街中で おりしもオリモノ バーゲンの季節で 街中には裸同然の集団生理軍団が 我先にと闊歩しているわけで それを見て 否 見たくも無いのに いやそれは言いすぎだな 見たいのは見たいが 見せてくれと頼んでも無いのに 見えてしまう 女たちの ブラチラパンチラ腋チラ胸チラ そんなものを見てしまったら 誰だってちんこから カウパーがちらちら出てしまうのが男なのであり 逆に欲情しない男なんて 欺瞞と虚構に塗れた詐欺師同然の そんな男が言葉巧みに女をだまし 金品を巻き上げ挙句 女を泡に沈めたりするわけで 言うなれば 私は悪くない 性欲は人間の本能であるし それを認めることはそれだけ素直で在るということで 言うなれば 街中でそんな格好で俺を誘惑する 女のほうに非があるわけだし なんだったら 慰謝料を請求したい所存であるのだが 勿論 誘惑に負ける私にも非が無いなんて あなたの面の皮や腹の肉みたいな あつかましいことは言うつもりは 是全く無いわけでは無いがなきにしもあらずんば虎子を得ず そもそも 私は尻フェチである前に 乳首を甘噛みする会会長でもあるし 足首フェチでもあるし ぼんのくぼフェチでもある 総称して 女体フェチであるのだが それでも 女をバックから突き上げるのが好きなのは 何も上に乗っかられると 女の尻が重たいとかそんなんじゃなく 背中 つまり うなじに始まり ぼんのくぼを通過し 背骨を通じて 腰に至る この一連の流れに身を任せて 舐める ねぶる を繰り返すのは やはり 毛 眉毛や腋毛 陰毛に至るまで お手入れする女性にあって 頭隠して尻隠さず こと うなじや背中に うっすらと生える毛に関しては 女性は無力な存在で だからこそ 余計に素の女性を垣間見ることができることに 安心を覚えるのだが こおゆうことがある 人類始め 生物生命体というもの 環境に合わせて進化及び退縮を繰り返し 種を守り生き長らえる性質があり それこそ生命の神秘 ただ一般的には そういった進化や退縮というものは 何万年何億年という時間がかかるという一般概念は 実は大いなるビッグミステイク 例えばこおゆうことあった 70年代には そのずんぐりむっくりの体型から 日本人にはミニスカートが似合わないといわれた だがしかし ミニスカートが流行し 幾多の女性が履き続けた事によって 女性は足が細くなった 80年代 日本女性は貧乳と言われ メディアに露出する女性もこれ 笑ってしまうくらいの貧乳で 逆にそのロリイズムから 外国人には評判が良かったのだけれど 松坂キミコから始まった巨乳ブームにより 堀江シノブから始まった巨乳ブームにより 男の需要が巨乳に移行した事により 巷ではDカップくらい普通に見られ 逆にAカップの女性を探す方が難しいほどに 女性の乳は今もなお進化し続けている そしてこの2000年代 もはやこれ以上 進化の余地がないと見られた女性の肉体の神秘が 実は着々と進行されている事に 誰も気づいちゃいない イエス それは腰毛 女性の腰には 背中同様うっすらと毛がはえており それを眺めながらのバックスタイルは 女性に対する征服心と自分だけしか知らない 密かな秘密として チンコを十二分に刺激し続けてきたのだけれど おりしもオリモノ ここ数年来続く ローライズブーム イエス 腰を出す事イズセクシー 腰を出す事イズソークール そんな思想がナウなヤングに広まった事で 夏も冬も一年中腰が露わになり また腰が露わになることで それまで見えていなかった腰毛にも注目が集まり そして毛は悪という女性思想こそが 腰毛の存在を 進化という名目において その存在を なきものにしてしまった あんなにいた秘密警察は何処に消えた うっすらあった腰毛は何処に消えた チーズは何処に消えた 俺のちん毛は何処に消えた の だろうか。
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