2002年06月30日(日) |
The Chinko Who Wasn't There. |
ちんこは不思議だ。 自然に勃っちゃう。 ほっといても勃ってしまう。 不意に勃ってしまう。 ちんこは人間の一部なのに 自慰行為をして 精子を捨ててしまう。 そこから抽出された精子は 紙にくるめて捨ててしまう。 私はこの精子を捨てる。 ゴミと混ぜて 精子を捨てる。 本当はちんこの皮を 捨ててしまいたいのだが。
2週間後には 風俗嬢から 「マットプレイにする?ベッドでする?」 と。 俺の事も知らずに? 「知ればちんこが勃つの?」 そして 「あんた包茎なの」 って顔をした。 確かにその通りだ。 ザッツライ。 その程度の関係で 男と女は交われるのだ。 知れば ちんこの皮はムケるかもしれないのだけれど。
性行為は 迷路を離れたところから見る気分だ。 性行為中は何度も クリ派かナカ派か どこだ、どこが気もち良いのだ そうかここかここがええのんかと迷い 何回も もっとここを、もっと下を ええい、このヘタクソ とぶち当たる。 だが 離れたところから見ると それは 自分の性行為の形なのだ 説明は難しいが おまんまんさんの 全体を見ると 安らぎを感じる。
以前葬儀屋から聞いた こういう話 人間のちんこの皮は 死んだ後も しばらく伸び続けて 成長を止める。 何の力で伸び続けるのだろう。 女性の土手から 逞しく伸びる陰毛 あれと同じなのだろうか? 魂の力? 魂が消えた事に ちんこが気づくのか?
とにかく 私のちんこのカタチは まだ若い。 私のちんこはこれからだ。 だがそのちんこも 早目に手を打たないと 空しく伸びたまま お願いだ これ以上 自慰行為で浪費していく ちんこを見たくはない。
私のちんこの オカズになった人には悪いが 悔いは何も無い 何一つ。 仮性包茎だった事を悔いたことはある。 私のちんこはどこへ? このちんこの先っちょに 何があるのか。 恐ろしくはない 霧が晴れるように 何か答えが 見つかるだろう おまんまんさんに会えるかも そこでなら おまんまんさんに言える この世の言葉では 言い表せない 君のおまんまんさんは 毛深くて クンニがたいへんだよ なんて事も。
私のちんこは なかったのだ。
なかったと思えるほど 小さく短いのだ。 人生も。
To Mr.Ethan & Joel Coen
2002年06月27日(木) |
でも騙すよりかは騙されたいと思うのです。 |
切ない事があるのだ 人を信用してはいけない 哀しい言葉だが それは真理だ 世の中は嘘と欺瞞と金と欲にまみれ ほとんどの人間が その欲を見破られまいと 大人という 仮面をつけている いやそれが社会集団生活上 当り前 という教育を受けて 私たちは無意識に 大人になり 知らない人にはついてっちゃいけない という教育は受けるものの その反面 社会的信用に関しては おざなりになっていることが多々あり 自分より弱い人間に対しては 見栄を張り 虚勢を張り 俺ってスゴイぜい なんて奴ほど その器量は小さい だが すぐにボロはでる 日常生活において ほんの些細な事で 大人の仮面が剥げ落ちるもので 例えば1円単位までワリカンしようとする者 例えばありもしない武勇伝を 誇大に作り上げ何かと自慢する者 最後に残った唐揚げを 我先に食べようとする者 最後に残ったエビチリを あ、食べてもいいよ と大人ぶろうとする者 最後に残ったサイコロステーキを あ、食べてもいいよ と言っておきながら あのときサイコロステーキを譲ってやっただろ とたかが肉に とことん恩着せがましい者 フェラーチョを強要する者 パイズリを強要する者 アナルを強要する者 中出しを強要する者 キスを強要する者 顔射を強要する者 精子を飲めと強要する者 お茶飲んだらスグ帰るから と宿泊を強要する者 何もしないから と宿泊を強要する者 ヤリ終えたら 良かったよ好きだよの一言もなく ティッシュでおまんまんさんを拭きとってあげることもなく 爆睡する者 やはり 人間の欲 食い物の恨みは恐ろしい という一致した点において 性欲と食欲に顕著で 身体の構造上 社会的立場上 腕力上 男のそんな身勝手な振る舞いで 泣いている女性は多く 確かに 人は信用してはいけない けれど そんな哀しい世の中を 認めたくないがゆえに つい信用してしまいたくなる たとえそれが 初対面の人間であろうと たとえそれが 顔も人となりも知らない メル友やチャット仲間であろうと いや そんな非現実的なネットの世界の 無機質な関係であるからこそ 人は信用できる そう信じたい 願望の表れかもしれない その コンビニに入ったのは 初めてだった タバコと雑誌と食料を買い込み 帰路に着いた私は 食事をし パソを立ち上げ メールをチェックし 少しばかりネットを楽しんだところ AVを見て ちんこを握って 就寝する などとウキウキに着いた帰路である ハズだった はずだったのに さて一服したところで 食事をとコンビニ袋を開いたのだが ないのだ ないのだよ 入ってないのだ 何が? 買ったはずの お金を払ったはずの 「ごはんですよ」 が。 切ない 切ないのだ 数十分の帰り道 私はウキウキだったのだ 今日の仕事は疲れた でも帰ったらごはんですよを食べようと ごはんですよがあるから 仕事もサボらず頑張れたのだ なのに なのにったら コンビニの姉ちゃんを 信用してはいけない。 哀しい事だが 私はしばらくの間 コンビニの姉ちゃんは信用しない しょうがないから 今からちんこを握ろうかと思うのだ 私のちんこは 大人では無いが 皮というマスクを被っている 私のちんこだけは ビデオ屋で 「熟女レズ小杉さんと川原さん」 をチョイスした 私のちんこを 信用したいと思う
常識・モラル・思い込み・先入観というのは恐ろしい 何故ならばそういった概念は 集団生活・社会生活を 円滑に進めるために 誰かが作ったものであり 最近個性を認めるようになった日本においても 現実は未だ 没個性 それどころか 没個性の教育によって 本来誇るべき 他人とは違う点 が逆にそれがコンプレックスにもなり 多くの少女たちは悩み苦しみ 生理が不規則になっては もがいているわけで 女性のしっこの穴は どうなっているのだろうか さすがに 飲尿まではしないが おしっこは性的に 十分に興奮すると知ったのは つい数年前の事だ 私は性界隈以外においても 何事も経験 それが座右の銘で その経験が 今まで自分にとって NOだったもの 拒絶していたもの ありかなしかで言うならなしの方 であるならあるほど 人間は飛躍的に視野が広がり 成長するという理念があり 世間一般的には 女性は男性と違い その構造から 立ちしょんはできない という教育を 男世界では刷込まれ 女世界でも お姉さんに100の質問 男に生まれ変わったら? という問いには その大多数が 立ちしょんをしてみたい と答えているわけで その洗脳教育のおかげで 私はそおゆうもんだと思い込み 反権力を掲げ抗う者が 女性トイレの盗撮や覗き行為を やるものだと思っていたのだが 数年前に あえて小便に着目し 便所盗撮モノAV放尿モノAVを観賞したところ 放尿の性的快楽のメカニズム その大部分は ああ恥ずかしい恥ずかしい けれどでちゃうでちゃう我慢できないぃぃ ジョボジョボジョボジョボ ああなんて卑猥な音をいやあああああ 見ないでえ聞かないでえ といった感じで 飲尿やしっこをかけられたいというプレイも それの延長線上にあるのだろう 何より男は しっこを我慢すればするほど なぜか勃起したりするのだ そこまではわかった ところがよくよく見ると 女性のしっこには2通りあり 表現するならシャーという感じの 噴水みたく しっこが多方向に広がる 広角しっこと 男同様ジョボジョジョボという 一直線型 そしてこの一直線型しっこは 男同様 立ちしょんができるどころか 現に今 テレビに映るAV女優は ゆうゆうと しかも清清しく 立ちしょんをしているわけで これはやはり 女性ははしたないことをしてはいけない という国家の戦後性教育の 大いなるビッグミステイク 女性は座ってしっこをする 憲法に明記できない 国家の策略なのだ つまりは 女性でも立ちしょんはできる 誰かが作った 常識・モラル・思い込み・先入観によって その行為が その権利が 阻まれているのだ だから今 この日記を読んでいる女性の人は 立ちしょんを含めて いろんなことを やりなさい やってみなさい やってもいいんだよ やったらいいよ 意外とできるかもよ 勇気を振り絞って 翼を広げて高く飛んでみなよ 本を閉じてここにおいでよ 書を捨てて街に出よ 今 君が思っていることは 正解だ 間違っちゃいない だから 私のちんこの皮は立派な個性であり ルーズソックスが流行るそれ以前より ルーズだった時代の先駆者という点において 私のちんこが 短いくせに 皮だけは長いのは 大いなる思い込みに過ぎない はず なんです けれど。
今日は少しばかり機嫌が悪いのだが 私にだってそんな日くらいあるのだ 世の中において 発明というものはもはや ある程度終焉を迎え あとは既存の発明品同士を いかに組み合わせるか その発想に拠ることが多く 世紀の発明と謳われた ジンジャーでさえも なんてことはない 芝刈り機みたいな乗り物に過ぎなかったわけで 映画やテレビドラマにおいても その内容というものは どれもこれも 似通った話ばかりで あとはいかに観客を裏切るか 最後まで犯人がわからなかったり 最初から犯人がわかってたり その発想はよくわかるのだけれど ストーリーをかき混ぜすぎて 物語自体破綻してたり コアなB級映画ファンであるなら そういった予定調和も 良しとするのだろうが なかには 一体主役は誰だったのだ 犯人は誰だったのだ それよりも何よりも 何の話だったのだ 単なる痴呆症に過ぎない メメントみたいに そう思うことが多いのだけれど Tバックというものがありますな それまで 大人のおもちゃ屋でしか売っていなかった 日陰者アンダーグラウンドな下着が 飯島愛という 一人のAV女優によって 一気にメジャー化し その外見はともかく Gパンやタイトなパンツをはく際に パンティラインが気にならない なんて意外な機能があり 各女性下着メーカーがこぞって制作し 今や Tバックは 飯島愛が公共の電波で 露出したおかげで 女性ならば一枚くらい持ってる パンティラインが気になるから という大義名分において 女性は堂々とTバックを手に入れる事ができ もはや 女性の必須アイテムへと 成り上がったように思えるのであるが いや実際 飯島愛紀元前に比べると 断然成り上がったのだが 飯島愛がテレビで露出していた 飯島愛の夜明けは Tバックという稀少価値こそ 男は興奮を覚えたもので その名残りが Tバック=セクシーという方程式で 常識化しており 私今日Tバックなの などと言われても ほうそれはそれは としか言い返せないのは やはり たまに Tバックそのものが 透けちゃってる女性を見かけても 来ないのだ きゅん と来ないのだ 女性下着が大好物の私が 女性下着があれば ご飯3杯は食べれる私が 来ないのだ ちんこに響かないのだ 何故ならば 人間大きいものを 主体とする傾向があり 飯島愛の夜明けに ちんこを膨らませていたのは 実は 飯島愛のTバックではなく 飯島愛のお尻に 魅かれていたのだと そう 主役はTバックではなく 尻なのだ 女性の多くは Tバックはセクシー 勝負下着は赤のTバック なんて女性も多く とんでもない 男はTバックに魅かれはしない 男が魅かれるのは パンストなのだ パンストに押しつぶされた おりもので汚れたパンティなのだ ケツに食い込んだパンティは もはやパンティではない 触って脱がして 小さくくしゃくしゃになってこそ 男を惑わす え?こんなパンティって小さいの 小さく丸まったパンティの愛くるしさ そんな気持ちを大事にしたい だから だからこそ 私今日Tバックなのというセリフを 私に言ってください 尻フェチの観点から Tバックに魅かれるのです あくまでも Tバックではなく Tバックによって 露出を余儀無くされた尻に 深い哀悼の意を抱くのです ちんこを抱きながら。 主役は 俺と 君と ちんこと おまんまんさんと 尻だ 僕と君とのあいだに 下着という 壁は要らない。
おとぎ話や昔話のたぐいは 実はリアルに残酷である 残酷描写を隠し オブラートに包む事で 子供向けにかわいく楽しく描いている という理論は もはや事実なのだが そのほとんど 特に日本の昔話におけるそれは 勧善懲悪 正直は美徳 という教育的思想を取り入れ 例えば 金の斧銀の斧 正直に金でもなく銀でも無い とカミングアウトしたところ 両方貰えてしまったり 例えば 犬が吠えるので 穴を掘ってみれば 大判小判がザックザクのウッハウハ 私はバカ正直では無いが 自分に素直に やりたいことをやり 思ったことを本音で言う 正直者だと思う 今日はかわいいね 乳首がピンクだね なんてお世辞やおべんちゃらのひとつも言えない 他人の短所が 自分に災いをもたらすのなら ずけずけと指摘し たとえそれが 40、50代のおっさんであったとしても 論破してみせる 確かに ちんこはしょぼくれて 性格はひねくれていようが わかりやすい一本気な 真っ直ぐな正直者だと思う だからこそ 正直者がバカを見る世の中 そんな正直が災いしては 保守的な人間に嫌われ 社会や組織といった 集団行動において 不適合の烙印を押され 疎外されるのであるが もとより 私はどちらかといえば 自分を偽ってまで 自分を押し殺してまで 人間関係を築く気などさらさらなく 独りでいることのほうが ずっと気楽で居られる たまに寂しくなっても ちんこを握れば忘れられる 正直者の一匹狼なのだが はっきり言って 夏場はちんこが蒸れても 群れるのは嫌いだ 集団行動など 和を乱してナンボ そう思っている が かといって 群れに誘われるのは嫌いではない むしろ 群れに誘われたい 誘われれば それそうおうの準備は出来ている ほなどないせえゆうねん と叱咤する声も聞こえなくは 無い事も無いかもしれないが 正直に言うと これが私の 率直な気持ちなのだ どないせえと言われたところで どうしようもない事実なのだ ただ 正直者のじいさんは 踊ったりなんやかやとしたことで 長年コンプレックスであった こぶを取ってもらえた だが本当は こぶを取った跡が 土台だけが残り ケロイドよろしく 生々しく残っていた と考えるのが自然 さすれば 私のちんこは どう見ても 小さいというよりかは 明らかに 不自然に 短いのだ きっと正直者であるゆえ 大きかったちんこを 引っこ抜かれ その名残が 今の私のちんこになったのではないか その証拠に 皮が異様に 長いんだもの。 現実は昔話よりも 残酷なのです そんなちんこでよければ 誰か友達になってください 気軽にメールください。 男でも女でも オカマでもネカマでもなんでもいいから 誰かメル友になってください 寂しがり屋の 一匹狼 俺 27歳 独身 短小で 包茎で 早漏。 で、 M。
人間自分に厳しくいようとも つい無意識に 楽を求める構造にできており 慣れが来ると その次に 「だれ」が来る 哀しいかな人間はそうして 同じ過ちを繰り返し また傷つくのだが 確かに私は仕事柄 運動不足気味なのだが 若い頃は体育会系だった自負もあるのか 運動はしなくとも そのへんの若造よりかは 体力に自信はあり 何よりも 運動しましょう 健康になりましょう 若さを保つ秘訣です なんてメディアの取り上げ方に 欺瞞を感じ 余計に 運動なんかしてやるか とひねくれてしまうものだが やっぱりね 運動は必要だと思うのだ だが社会人である以上 運動を要する時間は限られる 運動の工夫を強いられるわけで とりわけ私の場合は やはりそれは オナニーだろうと 就寝前に短時間でできる 簡単な運動 それこそ オナニー 最近ここ数年 とんと素人女性に縁が無いゆえ おまんまんさんの感触を忘れないためにも また何時如何なるときに 万が一もしかしたらそうなるかもしれない ちんこ周辺有事の危機意識管理にもなり 運動する事が 健康に良いとするのなら オナニーは 一石二鳥どころか 良い事尽くめなのであり 密かな私の健康法として それが正解なのだと 信じて疑わず 雨の日も風の日も 来る日も来る日も 寝ても覚めても 明けても暮れても 健康のためだから 健康になるんだから そう言い聞かせてオナニー道を 邁進した結果 いかにオナニー道を極めても 所詮私も類を違わず凡人なのであり やはり人間の 「慣れ」という名の堕落が 私を私のちんこを 蝕んでいたわけで 少しでも運動の為にと 激しくちんこを握った結果 自分の手に慣れてしまい 本当のおまんまんさんの感触を忘れてしまい それどころか 就寝前の短時間をオナニーに費やしたばかりに 早く発射することに慣れてしまい 実際女性とまぐわったときに いかにもあっけなく発射してしまい 女性を満足させられず 哀しいかな 他人の期待を裏切る 人は見かけに拠らない そんな人間を目指していたにもかかわらず ここに ここに見事 短小・包茎・早漏 という3拍子揃った ダメちんこに成り下がったのであり 確かに この3ハンデキャップを背負った人間には 悪い人間はいないが 性行為における不満足という点においては 案の定 期待を裏切らない いやきっと女性は 裏切って欲しいのだろうけれど 俺は裏切らない 絶対に裏切らない 君を裏切らない それが 良いか悪いかは別として 嘘と欺瞞に満ち溢れた世の中 裏切られて 騙されて 打ちひしがれて 独り泣く君を これ以上もう見たくはない 私のちんこを見て さあ笑っておくれ 私のちんこは 裏切らない 外さない 何もできない 高木ブーのように。
2002年06月22日(土) |
福原で坂下千里子とアントニオ・ホドリコ・ノゲイラに会った。 |
もう いいや もうどうでもいいんだ どうにかしたくても どうにもできない どうにもならないんだから もういい もうちんこはいらない ちんこをちょんぎりたい この このちんこさえなければ もうちんこはいらない 今日は最後の晩餐だ 明日からは ちんこをちょんぎって 男でも女でも無い 去勢者として生きるのだ おさらばだおさらばだ ちんことおさらばだ その最後の奉公に フェラーチョやスマタでなく せめて最期くらいは おまんまんさんの穴に 挿れさせてあげたい せめてもの親心ということか ともかく 神戸は福原まで足を伸ばして 泡踊りされてきたのだけれど 性行為というものは ちんことおまんまんさん 凸と凹 当然ちんこは能動的 挿入する立場なのであり おまんまんさんは 受動的挿入されるという図式が自然 男が受身女が能動という 性的嗜好を好む人間が一部にはいるけれども 所詮 女が責めるという行為は ちんこ界隈 つまりちんこおろか自身は ありの門渡り・タマタマ・アナル を攻めたり 乳首・耳たぶ 時には あられもない言葉や 鞭ろうそくバイブなど それが常套手段 それがSMスタンダードなのであり たとえ相手が痴女さんや 女王様であったとしても それまで勢いよく攻めていたにもかかわらず 結局 ちんこをおまんまんさんに挿入した時点で 女性が攻めることのできる瞬間は 騎乗位になったときだけで 他の体位では 言葉ではかろうじて 攻めの姿勢を保ってはいるものの やはりその快楽は ちんこと男の腰使いに拠るところが多く そういう意味においての 完全な女性の 攻め というものはありえない 存在しないものだと そう思っていた いやそう思うもんだよ普通は そう思うのも無理は無い アントニオ・ホドリコ・ノゲイラ をご存知か ブラジリアン柔術家で PRIDEの初代ヘビー級王者なのだが 総合格闘技 いわゆるバーリトゥードにおいて 打撃よりも寝技 即ち グラウンドでマウントの態勢を 取る事が圧倒的優位であり 常套手段でもある マウント即ち 相手に馬乗りになれば その状態から自由に タコ殴りもできるし 隙を見て関節技・絞め技にも移行できる つまり総合格闘技においては いかにマウントを取るか ということが常識なのだが このアントニオ某 マウントを取られて 圧倒的不利な状況に置かれても どんな態勢からでも 常人には到底想像もできない態勢から 関節を極めたり締めたりするのだ 世の中には 理解限度を超える超人がいる またその超人技が見れる機会があるだけでも それは生きてて良かったのだと思う さて今日の福原 福原には珍しく 細身の坂下千里子似の 彼女のその腰使いは いや驚いた なんだあれは マイケル・J・フォックスよりも 小刻みに震えるその腰使いは もう一度あらかじめ言っておこう 正常位 正常位において。だ。 アントニオ某ばりに 下からその両足で私の腰をロックし 私の腰よりも小刻みに いや私が腰を振らずとも 下から私のちんこを突き上げるのだ まいった 思わず私はタップした 生まれてこの方 あんな腰使いは プロ・アマ問わず 見たことが無い 下から攻められた 本当に攻められた 彼女のその腰使いは こんな荒技を使いこなす女もいるのだから がんばりな そんな無言の 励ましだったのかもしれない ちんこのリハビリ 3万6千円 あの荒業で もらった勇気を思えば 安いものだ だから だからもう少し がんばろうかと思う 生きてれば 生きてるからこそ こんな驚きもあるのだ ちんこをちょんぎるのは それからでも 遅くは ない。
もう いいや もう いいんじゃねえか もう どうでも 良いのだ もうどうでもいいんだ どうにかしたくても どうにもできない どうにもならないんだから だから もう いいんじゃないかと思う。
最後の晩餐 などと人生の最期に於いて 何を食すか テレビや雑誌の企画で見かけるのだが なんてことはない カレーに決まっている カレーの上手い女性こそ 嫁にすべき第一条件だ カレーに乗せて良いものは トンカツとウインナーとハンバーグ 百歩譲ってから揚げ けど そんなことは もう どうだってよい もうどうだってよいのだ。
振り返るに 私といちばん 長い付き合いは 私のちんこ 初めてエロ本を見たとき 初めてAVを見たとき 初めて裏ビデオを見たとき 初めてキスをしたとき 初めておっぱいを触ったとき 初めてブラを外したとき 初めて乳首を見たとき 初めて乳首を噛んだとき 初めておっぱいにちんこを挟んだとき 初めてパンティを脱がしたとき 初めてパンストを破ったとき 初めておまんまんさんを見たとき 初めておまんまんさんに挿れたとき 初めてクリトリスをいぢったとき 初めてマットプレイをしたとき 初めてちんこを咥えてもらったとき 初めてアナルを舐めたとき 初めて発射したとき 初めて 人を 好きになったとき
初めて
人を
愛したとき
初めて人に嫌われたとき 初めて人を泣かせたとき 初めて人になじられたとき
初めて説教されることが 気持ち良いと感じたとき 初めて縛られたとき 初めて鞭でたたかれたとき 初めて他人のちんこを触ったとき 初めて他人のちんこをフェラーチョしたとき
いつもそこには 私と一緒になって 大きくなりながら 泣いたり 笑ったり 傷ついたり 迷走したり 取り乱したり パニックになったり 大騒ぎしていた ちんこが いた
けれど もう 疲れた
女性を見ると 性を意識してしまう 無意識に 女性のいろんなところを 見つめてしまう そう考えると 女性と話せない 毛は処理してるか 下着は何色だ 最近いつHしたのか オナニーはするのか どこが感じるのだ そんなことを思う 自己嫌悪
好きなあのコと 話すこともできない
もういい もうちんこはいらない ちんこをちょんぎりたい この このちんこさえなければ このちんこを ちょんぎりさえすれば 私から ちんこがなくなりさえすれば 私に性欲がなければ
余計な事も考えず 邪念に振りまわされず 好きなあのコと 普通に友達として 話することも できるだろう
もうちんこはいらない ちんこをちょんぎるのだ 男である事を 捨てるのだ
ちんこの最後の晩餐に 明日本当に久しぶりに 風俗に行こうかと思う。
そして私は 本当に ちんこをちょんぎるのだ。
もう ちんこなんていらない。
2002年06月20日(木) |
ケツが大好きだ。だから俺の皮も愛せ。 |
目の前をちょこまかされると つい気になってしまうのが人間 人間で無くとも 猫に猫じゃらしのように ついつい無邪気に遊んでしまうもので 以前の日記に 女性が上になったときの体位 そのときの 重力に負けた だらりと下がる おっぱいが好きだと書いたのだが 私はおっぱい星人だ なんてセリフを吐く男がたまいる そんな男に騙されて 振りまわされてはいけない そんな奴は 偽善者か でなければ単なるマザコン そういう奴に限って でも乙葉はだめだね ありゃデブだね やっぱりおっぱい大きくても きゅっとくびれてなきゃ なんてことまで しゃあしゃあと話すものだから 胸の小さな女性は傷つき 胸の大きな女性まで傷つけるのだ 巨乳で腰がきゅっとくびれてる そんなもの おっぱい星人でなくとも 誰だって好きなのだ 理想を押しつける 御都合主義に他ならない 10数年ほど前 バスト1mを越す巨乳で AV界を席巻した 松坂季美子という女優においても あれは巨乳だ いや単なるデブだ という論争を巻き起こしたものだが なんてことはない 巨乳であることと デブであることは 同一線上のベクトルではなく 巨乳でもあり デブなのだ だからこそ乙葉も デブだからこそ あの巨乳なのであり また デブであるからこそ乙葉なのである 本当におっぱい星人であるならば おっぱいの大小で判断せずに 全てのおっぱいを愛してこそのおっぱい星人 おっぱいの大小で 女性を判断する時点で 器量の小さい人間なわけで もちろん私とて おっぱいは嫌いではない むしろできることなら ずっと揉んでいたい できればちんこを鋏んでもらいたい 犬猫小動物を見て きゃ、きゃわいいぃぃ と思わず抱きしめたくなる気持ちが おわかりになるだろうか その存在だけで可愛いのに もぞもぞちょこまちょこまか 動くのだからこれ さらに刺激されるのです おっぱいに当てはめると ブラを外した瞬間 緊張から緩和へ 男性社会のしがらみという名の ブラから解放され 小刻みに揺れるその胸は がんばったあなた自身なのであり きっと社会に対して 世間に対して 何か訴えているかのようにも見え 上りのエスカレーターにおいても 何か前向きな目標に向かって 歩いているのか 運命に逆らって もがきながら上を目指すのか その姿は その1歩1歩は 力強く逞しくも ぷりぷりと 収縮を続けるものだから 目の前で ちょこちょこと動く 女性のお尻を 触るのは犯罪か。
もう一度言いたい。 犬猫小動物を見て きゃ、きゃわいいぃぃ と思わず抱きしめたくなる気持ちが おわかりになるだろうか その存在だけで可愛いのに もぞもぞちょこまちょこまか 動くのだからこれ さらに刺激されるのです。 私のちんこも ぷりぷりと 動かせるのですが。 それは犯罪か。 皮も微妙に 伸縮するのですが。 ちんこも微妙に伸縮するのですが。 ちんこは微妙だからいけないのですか も、もう一度言いたい 小動物って 可愛いよね。
2002年06月19日(水) |
いかに膨らますか。〜私はこれで抜きました。その1。 |
今は亡き牛殺しで有名な 極真空手の創始者 大山倍達総裁の著書において 牛殺しだけでなく 我熊と闘わば 我トラと闘わば など様々な猛獣との決戦を シユミレートしているのだが それは結局 想像・妄想に基づく 対獣理論であるのだが 一見こんなバカ本も 危機意識管理 という点においては 如何なる状況でも 我を見失わない 如何に想像・妄想を膨らませるか そう著書で物語っているわけで そうたいした経験が あるわけではないのだが 男女関係においても 恋愛なんぞ 勘違いに過ぎない 付き合っていくうちに お互いの短所や欠点が露呈され あれ、何か違うな そう思い始めたが最後 自分の理想と 相手の現実とのギャップに挟まれて 思い悩み苦しむ 私の想うあの人 なんてのは結局 妄想に過ぎないわけで そんなギャップがプラスに働けば ああこんな一面もあったのね と妄想と現実に折り合いをつけることができるのだが だから逆に言うと 恋愛の相手に何か期待を求めるから ギャップが辛いわけで 最初から 何も求めない こいつはきっと うんこをしても手を洗わない人間なんだ こいつはきっと 万引き癖があるのだ 性器がクサイのだ 放屁が必要以上に実を伴うのだ 最初からそう思うと 日々これ 相手に対する新しい発見 いやん惚れなおしたん つまり ギャップを楽しめば良いのであり そしてそれは ときに絶大なる性的衝動をも 引き起こすわけで さらに愛は深まり 世界は平和 人類皆棒兄弟 その証拠に その大半を想像・妄想を手段とする 女性のオナニーの半分は 嫌いな不潔な無骨な人間に犯される なのにこんなに濡れてるアタシ といったギャップを妄念する事が多く そう念ずる事で 事実おまんまんさんは いつもよりも多めにじゅんじゅんくるわけで 如何に妄想を膨らますか それこそが あらゆる問題に対する おまんまんさん周辺有事 危機意識対策管理なのであるが こと男性の場合 性処理に多くの選択肢があり あんなコがこんなことを あんなコがえ?そんなことまで といった基準で 風俗やAVの選択に 時には数週間に及ぶちんこ会議を開くともあるほど 将来や進路を考ずるときよりも 今我何で抜くんば それが日々の死活問題であるのは ちんこは一度発射すると 女性と違い 2発目の装填に時間がかかるという点において ちんこは握りたいが 発射は勿体無いという概念があり また発射のタイミングを見誤り 加藤鷹のちんこのモザイクで発射してしまっては 1日中機嫌が悪くなる事もしばしば だからこそ男には ちんこがえ?うそん?まじ? と驚くほどのギャップを 用意する必要があるのだ しかも毎日 ロリなのに淫乱 熟女なのに恥じらい ブサイクなのに美乳 巨乳なのにデブ 綺麗な女性と思ったらニューハーフ 猫かと思って よく見りゃパン 毎日ちんこの裏をかいて ちんこにキラーパスを出す事は いかに想像を膨らませることができるか ちんこを膨らませる事ができるか 私の十数年を振りかえって見るに 私の最大のギャップは 私の最大のオナニーギャップ歴は 10年ほど前の 関西大学入学案内パンフレット いわゆる願書というやつ その願書のパンフの表紙には 元気を醸し出した ショートカットの若い女性が 緑に囲まれて逆立ちをしており 服が少しめくれて おへそが出ていた その写真だけを見れば なんてことはない ちんこすら反応しない写真なのだが パンフ中には輝かしい大学の歴史や 小難しいおっさんの写真 有名大学入学申込書という 限られた人間のみが手に入れる事ができない 大層な冊子 そんなギャップが 我が若きちんこに刺激を呼び 今思えば よくもまあ 願書でオナニー よっぽどのチャレンジャーだったのか よっぽどの想像力だったのかなと思う いや単にバカだったのだ
願書 de オナニー
願書オナニー
若き青春の物語。
2002年06月18日(火) |
お前はお前を許した。 |
私にだって夢がある 夢があったっていいじゃない 日々夢に向かって 日々努力している 努力しているつもりだ 努力しているはずだ している よね多分 まあ、何にせよ 大事な事は 夢があるということなのだが 夢さえあれば いつまでも若いきもちでいられる 夢さえあれば たとえそれが辛くとも 悲しくは無い そう 信じてきたのだけれど 困った事に 私は長年 夢を追い続けたばかりに 夢がある のではなく 夢しかない という事に気がついた 仮に例えば もし目の前に 気前のいい奴がいたとして ぽんっと 札束 領収書も贈与税もない 現金を積まれ 好きに使って良い といった状況に もしなったとしても 私には 使い様がないのだ たはは。 なんてことはない 夢はあるが 目標はないのだ。 なんてことはない 夢という ありえない妄想を抱きながら お空を飛んでたに過ぎないのだ 哀しいな 哀しいな 哀しいな ただ夢中に 夢を抱き続けて 叩きつけられた 現実 人生にゴールはあるが その褒美は 無い たはは 全くそのとおりだ たはは たはは たは、は それがどうした それがいったいどうしたと言うのだ それでも それでも私は 許す 私は私を許す 許してやるのだ その昔キリストが言った 罪の意識で 神は許すのだと 後悔した時点で 神は許し給うのだと だからこそ 男は 自慰行為に罪悪感を感じ 罪悪感を感じるからこそ ちんこが感じ ちんこが感じるからこそ ちんこをシゴクのであり シゴクからこそ射精し 射精するからこそ罪悪感を感じ 罪悪感を感じるからこそ 私のちんこは 包皮に包まれ頭を垂れて ごめんさいとしぼんでいるのであり しぼんでいるからこそ 自分にちんこに自信が無く 自信が無いからこそ 自分にちんこに不安を覚え 不安を覚えるからこそ 漠然とした不安をかき消すために また ちんこを握るわけで それゆえ 私のちんこは 私の自慰行為は 精子のシャワーによって 罪が洗われ それゆえ 肌につやがでるから 洗われるから 洗われるんだから などと言っては 男は女性に顔射を求めてしまうわけなのだが 女性に顔射したところで また男は 罪悪感を感じ ただ独り ちんこを握るわけで ちんこを握らないことこそ 罪 なのであり 告白すれば ここ数日 日常の喧騒に追われ ちんこを握らなかった私は 昨晩 モー娘。の矢口某に 顔射する 夢を見て 朝 夢精 俺 27歳 独身。
ああ神様。 ちんこの罪 ちんこのご褒美 ありがとう。 私のちんこに ゴールは ない。
2002年06月17日(月) |
そしてトカレフを持って立ってた。 |
10年くらい前に 「トカレフ」という 阪本順治の映画があったのだけど 私はこのおっさんが あんま好きじゃないもんで 数回しか見ていないので 詳しい事はもお忘れてしまったけれど どこにでもいる普通の人間が ひょんなことから 拳銃トカレフを手に入れ 使ってみたい欲求に駆られ 狂気に堕ちていく 確かそんな内容で 人間とは如何に欲深い 例えば核 戦争の為に核を保有するのではない 自衛の為に アメリカが持つから持つんだい などとはいっても 今現在 インドとパキスタンの間では 押しちゃおうっかなん ドキドキ押しちゃおうっかなあドキドキ 押しちゃえよ押しちゃえよ なんて天使と悪魔の囁きの葛藤が 起きているわけで そらもう ポチっとな とボタン押すだけで 数百万人が死に 数キロもの土地が灰と帰すのだ 押したくなるものが 人間 いや私は是非押すべきだ 私なら押すに決まっている だって痛快だもの そんな状況で 押さないと言い張る奴は 偽善以外の何者でも無いのだ この春から 病院治療において 一部の薬を除いて 投薬量の制限が撤廃されたわけで なんてことはない 私は未だ眠れないのだ 薬が無いと眠れないのだ おいおっさん 俺はその一部の薬が大量に欲しいねや と白衣のおっさんに訴えても あると飲み過ぎるから という理由で規定量しか処方してくれない というのならまだわかる それが人間の常であること おっさん知ってます が その白衣のおっさんが言うことにゃあ 「売っちゃう人もいるから」 あきませんあきません 人を見かけで判断してはいけません 確かに 私の体格人となりを見て 病弱・もやしっこと思う人は少ないだろう けれども 眠れないのだ たはは。 ジャンキーなのだよ しかしヤク中であっても オナニー中毒ではないのだ そら手元に手近におまんまんさんがあれば 手淫せずとも 女性の穴を使うわけで わざわざ女性を口説いて 服を脱がして オナニーするわけではない つまり 仕方が無いのだ そこにあるから 何が? ちんこがだ たまたま ちんこと タマタマが 私にあるから つい使ってしまうのだ いや 使いたくなるのが人間なのだ だって 人間だもの 自慰行為を止める薬など無い もう誰も私を止められない もう誰も私のちんこを止められない 止められるものか 止められてたまるものか 疾走する 私のトカレフ 私のちんこ 左の乳首を ポチっと押せば 私のトカレフが火を吹くのだ。 押しちゃいな。 押しちゃえよ。 押したっていいんだ それが人間なんだから いや、押してください。 押してみてください 私のちんこに投薬制限は ない。 君も 撃たれてみるかい。 そう考えるだけで 俺のちんこはもう 発射しちゃってるのだけれど。ありり。
2002年06月16日(日) |
だから愛してるって言ってよ。 |
たはは。 なんてことはない おっさんなのだ 街中で何やら メンチ切って来る奴がいる たはは 私は大人だ ちんこは子供だけどね 相手もおっさんのクセして 血気盛んなことだ まだ視線を感じる たはは 危ないよお 最近の若者は何をするかわからない 私は大人だからね ちんこは子供だけどね でもええかげんにしとかんと ケンカ売ってるものとみなし 買ってやらんでもない まあ最近は何かとついてないし 暴れたろか そう 思って近づくと ショールームに映った おいら。 てへ。 なんてことはない いつのまにか私も おっさんになったのだ そのせいか 最近臭い おっさんくさい ではなく おっさんの臭いがするのだ 身体から 夥しい汗が 夥しい悪臭を発している よく他人の臭いは気になるが 自分の臭いには気づかない なんてことを言うのだけれど 明らかに 私から発しているのだ ただ ただおっさんの臭いがするのなら まだ良い まだまし おっさんの臭いどころか 最近は うんこくさい うんこの臭いがするのだ 身体から よくジャニ系アイドルのうんこは ラベンダーの香りがする なんて言うのだけれど 明らかにうんこの臭いがするのだ 確かに 毎日うんこはするのだが 私はトイレットペーパーはダブル派 もちろん必ず3回は肛門は拭き取る いやそれよりも アナル性感のおかげで 直腸及び肛門は快適で うんこのキレが良過ぎるほどで 文字通り一本糞が それを証明しており トイレットペーパーで拭き取ったところで まだ鼻紙として 使えるんじゃねえか的に綺麗で もちろん パンツにうんこの筋など ついてるはずもないのだが どうゆうわけか 身体がうんこくさいのだ 死期でも近づいているのだろうか ほらトキ ほら死兆性が なんてことはあるはずもなく やはり おっさんになったのか いやおっさんになったのだが ちんこが子供の姿であるように ちんこはくさくない ちんこはくさくないはずだ 私のちんかすはイカくさくない 私のちんこはイカスのだ あ、ほら↑こおゆうとこ↑ もおおおっさんなんだけれどね だが自分の臭いは気づかないもの 誰か私のちんこを くさいかくさくないか 判断してください 私のちんこの臭いを嗅いでください 私のちんこを咥えてください ちんこが臭いというのならば その証拠を提示してください ちんこが臭いか臭くないか裁判 ちんこの証拠無き者は 悪しからず挿入させて頂きます ただ ただもしかしたら 私のちんこは どこかなつかしい 春の日の穏やかなアフタヌーンティー 健やかな午後のピクニック 二人で紅茶を飲んだね 二人でケーキを食べたよね ティーカップ テーブルクロス ケーキナイフ モンブラン そんな匂いがするかもしれません。 臭いおまんまんさんは 大好きです。 大好きですから。 だから。
ちんこ復活 ちんこ復活 ちんこ復活 今日からまた。
まだまだ ちんこも捨てたもんじゃない まだまだ まだまだ ちんこは 捨てたもんじゃない。
2002年06月13日(木) |
ちんことゾンビとタクシードライバー。 |
今日 ちんこが 死んだ もはや死んだのだ もう誰にも ちんこを止められない ゾンビちんこ。
どうやら ちんこにも かげりがでてきたようだ ちんこを握れない。
いろいろなものを賭けて ちんこと生きてみる まだ少し 不安定ちんこちんこ
ちんこに休息を 私にも休息を 少し疲れたち んこちんこ ちんこを抱いて 眠ろう。
2002年06月09日(日) |
今こそ小泉にAFを。 |
いやもちろん W杯くらいは観戦しており たとえひねくれてる私でも 日本負〜け〜ろっ♪負〜け〜ろっ♪ なんてことは思いません 素直に 日本がロシアに勝って 嬉しいと思う 日本人である以上 日本を応援したってええやないですか 本当にW杯で 経済効果があり W杯特需が本当にあるのなら 道頓堀に飛び込もうが バカが馬鹿騒ぎしようが 今までサッカーの話なんかしたことないのに 急にエセサッカー通 似非サッカーファンが 知ったかぶりして サッカーを語るのも 相手するのはめんどくさいが 私は別に構わないと思う 馬鹿面小泉はじめ 政治家のお歴々が 国民を差し置いて スタジアムでの観戦もまだ許せる それだけ 国を挙げての一大イベントということだ が だけど もうひとつの開催国韓国は 自国の試合がある日は 学校は休校 企業は半ドン 国が率先して薦めていたり ヨーロッパ各国でも 就業時間をずらしたり サッカーの試合中心にシフトしているにもかかわらず なんだこのニッポン 開催国で しかも歴史的初勝利を挙げて 次試合には 歴史的 決勝トーナメント進出が 懸っているのにもかかわらず 未だ あれだけ馬鹿騒ぎしていた姿が 全国放送で流れた小泉に そんなきらいはなく 次試合チュニジア戦 平日の午後3時 これだけ盛り上がってるのだ 休校、半ドンなど 国の配慮があっても良いものだ 否 ないほうがおかしい気がしてならないのだが これが 小泉とW杯の矛盾 オペラ観てハッピーなんて場合じゃないと思うのだが 国会の会期を延長するくらいなら 国民に配慮があっても バチは当たらんだろう いやむしろ そうした方が 低下の一途を辿っている 支持率も少しは上がるんじゃあないか 国を挙げてのイベント でもそれはそれ 仕事は仕事じゃあ おおいなる欺瞞 欺瞞といえば 選手入場の際 何故彼らは 子供達と手を繋いで入場してくるのだ 何のアピールだ G・落合かお前らは 子供と手を繋いでおきながら その後はラフプレー いやもちろん スポーツ自体激しいものだから ラフプレーくらいは構わないが 大人の欺瞞に 子供を手段にするのはどうかと思うのだが 男と女のラフプレー 男と女のラブプレイ ああやさしくやさしくしてぇ なんて口では言いながらも 男と女を通り越して 獣に戻るほどの激しいプレイ これたまにすると なかなか楽しいもので 子供のように 無邪気なあの娘であれあばるほど そりゃあ燃えるさ燃えるのさ 何でも女性には レイプ願望がある 残念ながら男にはわからない 虎穴に入らずんば虎子を得ず アナルをぐりぐりラフプレイされると 女性の気持ちがわかるのです。 ニューハーフさんに AFされてみると 文字通り女性に犯される AFといえど 強引にされると痛い 気持ちが痛いほどわかるのであり 痛みを伴う改革 そう掲げる小泉は一度 AFされてみないと 国民の気持ちは 決して理解できないのである。 金曜日チュニジア戦 休みにしてくれたら それはそれで 私はきっと 風俗にでも行くのだけれど。
2002年06月08日(土) |
俺のちんこは見る目がある。 |
この冬から春にかけて 2本の邦画が封切られたのだけれど 「光の雨」と「突入せよ!あさま山荘事件」 両作とも 長い間映画化されることの無かった 連合赤軍事件に関しての作品で 映画作品としての その良し悪しは別として 一連の事件を知らない世代としては 非常に興味深いもので 私も詳しいこた知らんけんども 赤軍にもいろいろあって なかでも 連合赤軍と呼ばれる一派が 総括と呼ばれる 派内リンチを繰り返し 狂気の果てに あさま山荘に立て篭もった そんな歴史観しかなかったのだけれど 映画によると 実はそうではなく 「光の雨」では 赤軍一派が極寒の地の中 総括という 自己批判&自己訓戒 そのための集団暴行を繰り返し その矛先が 何時自分に向けられるか その緊張と 総括を拒否してはまた 矛先が向けられ 本意ではなく 同胞を暴行しなければならない その罪悪感 度重なる雪山の逃亡生活 不信感が募り 狂気に陥るには そう時間はかからず 内部分裂を引き起こし あさま山荘に立て篭もった時点では もはや連合赤軍は機能していなかった 陥落も時間の問題であったわけなのだが 「突入せよ!〜」 で描かれていたのは 事件解決よりも 事件の主導権やら面子やら 事件は会議室で起きてるんじゃない といった旧態依然の内部抗争で もはや手負いの赤軍一派にてこずり なおさら その犠牲となった 2名の殉職者達が いかに犬死にであったかを いかに警察はじめお役所の面々が 市民国民に無関心であるかを 2本の映画が 歴史的事実を通して そう教えてくれるには 連作では無いが 2本通して観て 初めて知るわけで だからこそ世の中 だからこそ男を 1本のちんこで 見て欲しくないのだ 評価して欲しくないのだ たしかに 確かに私のちんこは一本で その一本のちんこは あなた方歴戦のおまんまんさんには もしかしたら 物足りないかもしれない でもね でもね もし もしかして 実は私にもう一本ちんこが あったとしたら さてどうする 世の中には 先天的畸形児というものがある 指が多かったり 腕がなかったり ごく稀ではあるが 事実そういう畸形が報告されているのだ もちろん 残念ながら 私は畸形児ではなく ちんこは一本しかないのだけれど いや ちんこが一本しかないからこそ 3Pをしてみたいのだ そんな思いがあるからこそ 今日 田原のトシちゃんと 3Pした夢を見たのだと思う お前は下を責めろ 俺は上を責める トシちゃんは笑いながら 僕にそう 言ったのだけれど 結局トシちゃんは 全部責めきったわけで 私の出番は無く もし 私にちんこが2本あったら やっぱり 2本とも短く 2本とも 皮が長い気がするんだな。 「光の雨」は 裕木奈江、小嶺麗奈、高橋かおり、川越美和 なんだか 懐かしのアイドル大会で やっぱり一本のちんこに とても刺激的で 皆僕のちんこを通って 大きくなっていったものだ。
鼻フックをご存知か 文字通り 鼻の穴にフックを掛けて 上に引っ張るアレである 古代よりそおゆう大人のおもちゃがあったのか バラエティ番組から生まれたのか 私は知らないのだが そのバラエティ番組によって 鼻フックの存在は 一躍メジャーの仲間入り 最近ではそれ専門の それだけをただひたすら映した AVもあるほど 愛好家が増えた まさしくシンデレラ大人のおもちゃなのだが かくいう私も するのも女性がされているのを見るのも なかなかどうして 嫌いではない 元来女性というものは 男性社会を生き抜くために 自己を押し殺して 生理の日も察せられることなく 煌びやかな化粧や 色とりどりの洋服を着飾って 男性社会から取り残されないよう 防御とも言うべき 武器を身にまとっているのだけれど そうして創られた女性の姿に 勘違いする人間も多いのだが やはり男性の多くは 女性の本当の姿を見てみたい 本来一糸まとわぬ生まれたままの姿での 性行為において見られるはずが 最近は色と金と欲がまみれ 女性は演技する ということが通年化される昨今 もはや性行為だけでは 女性本来の姿が見えないのだけれど 私はそうした意味において 女性のムダ毛の剃り残しや産毛に 見出しているのだけれど 同様にこの鼻フック そのあられもない姿に 女性の本性が垣間見え だからこそ その同類項として パンチラ・ブラチラ 盗撮モノAVが 何時の時代も変わらず 安定した人気がある由縁なのだが そんな女性のスキマの 鼻フック 思わずぎゅってしてあげたくなるどころか どんなに気取ったお姉さんであろうが どんなに可愛いアイドルだろうが ODやリストカットしても 誰もわかってくれない少女だろうが 世間や社会に勇猛果敢に がんばっているじょせいであろうが 無職だろうが 家事手伝いだろうが 社長秘書だろうが 社長令嬢だろうが 皆 皆一様にして 研ナオコの物真似のごとき 間抜け顔に成り下がるのであり そこに男性は どんな女性でも 自分と何ら変わりの無い ただの人間 おんなじ人間 という安心感を覚えるのであり ここに こうして総じて
「鼻フック平等論」
が成立するわけで だからこそ 女性のココロの隙の数ほど ちんこのリビドーが生まれるのだけれど 実は 鼻フックよりも 女性の心の隙間の行為がある それは 水着やパンティをはくときの 否。 はいた後の Vラインを直す仕草。 陰毛のはみ出具合をチェックしているのか 具そのもの自体がはみ出て無いかチェックしているのか はたまたはみ出ているのを直しているのか その真相真意は 女性の心の奥底に まるで闇の中藪の中なのだが あの行為 ちょこっと猫背になり ちょこっと足がガニ股になるのだ 全ての女性において ちょこっと猫背に ちょこっとガニ股 がしかし その行為が 鼻フック同様 ちんこに刺激を与えるかといえば さにあらず なかにはそういう人も 一部には見受けられることも なきにしもあらずんば そんな感も否めなくは無いような気もするのだが 女性各位の皆々様 ほんのちょこっとだけ 男性に気を遣ってあげてください。 男性は鼻フックで精一杯で まだそこまで 受け皿が整っていないのです 否やはり 男として そこまで包んであげてこそ 男の包容力だと。 それでこそ日本海の男だと。 荒波でもまれてこそ ちんこは成長するわけで 皮で包まれていながらも そこまでまだ包容力の無いこの我がちんこ 誰か私のちんこを 荒波で揉んでください 荒荒しく揉んでください おっぱいではさんでください ほんのちょこっとだけ 皮がむけます。 ほんのちょこっとだけ 先っちょがぬるぬるしてきます。 そして ほんのちょこっとだけでいいから 挿入させてください ほんのちょこっとで イっちゃいますので。
私は過去にとらわれない という理念から 歴史が全くの苦手だ というより何も知らんのだ ぱんげあとかなんとかで その昔大陸は地殻変動により 別れたらしいのだが その理論を元にした おまんまんさん大移動説を 2/2の日記に書いたのだけれども まあとにかく 今でも大陸は年間数センチ移動している 件の阪神大震災で 淡路島が数センチどっかいった 日々動いている いや日々 その意思は無くとも まりもの如く 生きているわけなのだが 世の中には 単位 というものがある ミリ センチ メートル メガ ギガなど 単位を順次追って行けば 那由多とか 不可思議とか まるでジブリワールドのような 単位まであるのだけれど 20世紀の科学技術は 千分の一ミリ いわゆるミクロンの世界で動いてきたのだけれど 21世紀になり 科学の世界は 千分の一ミクロン ナノの世界の研究が進められており その市場は 数兆円という巨大産業 これをいわゆる ナノテクノロジー 街でよく聞く ナノテクってやつなのだが 大陸が動くように 目には見えずとも 金属をはじめとするあらゆる物質は 実際 数ミクロン数ナノ 膨張や収縮を繰り返しており また面粗さという 物質の表面には決して平坦ではなく 数ミクロン数ナノの 山や谷が無数にあるわけで ISO規格やJAS規格では 常温で湿度は何%とか 測定の規定があるわけで また同時に 平坦度や公差が指定されてないときは 数ミリ程度の誤差が 許されているのだけれど つまり 温度変化や手で触れるだけでも 厳密に言えば 寸法が変化している以上 正確な測定など不可能 というよりも ナノより測定する装置が まだ発明されていないわけだが どうにも 人間というものは単位に流されやすい性質を持つもので 体重や体脂肪に一喜一憂し あまつさえ それが原因で リストカットやODまでしたり そんなものは日々どころか 刻一刻変化するもので いちいち振りまわされるから ココロを病むのである だからこそ 日本人の平均勃起ちんこ長さは 13.5センチだとか 私のちんこは平均に比べてどうだとか それ以上に皮が長いだとか そんなこたどうでもよいのであり そりゃあ ギンギンに燃える日は 自分でも驚くほど デカクなってたり 逆に酒など飲めば え、たったこんだけってえくらいに 勃起しても小さいことはよくある話しで とくに ちんこはデリケートであるゆえ 環境の変化どころか 心理変化だけで ちんこは日々膨張や収縮を繰り返すのであって それにともない ちんこの皮も 日々膨張や収縮を繰り返すのであり ちんこの長さなど カリの大きさなど ちんこの太さも 指や舌の長さまでも どうでもよいのだ ましてや 乳輪の幅だとか クリトリスの長さも ましてや ちんこの皮の長さも さらには 性行為の時間の長さ 早漏遅漏だろうが 同時に 何ら問題は無いし 男女間において全く無意味 そう 大事なのは
君と僕との 距離じゃないかい。
如何にも私は仮性包茎だ 好きかと問われれば そりゃ自分のちんこだもの 嫌いではない いやいやまだまだ成長期 これからきっと きっとムケるんだ たまにそう思うこともあるが やはり現実は現実として 今でこそ 仮性包茎を自分なりに 受け入れらえるようにはなったのだが そりゃあ男として ムケたちんこには憧れるもので この人生 ちんこがむけてれば ちんこがムケさえしていれば そう 何度思ったことか ちんこがむけてれば 自分に自信が持てる ちんこがむけてれば 女性をイカすこともできる ちんこがむけてれば 女性にモテる ちんこがむけてれば 俺だって でも それは 言い訳なのだ 口実なのだ 逃げに過ぎないのだ むけむけちんこが 必ずしも女性をイカすわけではない むけむけちんこが 必ずしも偉いわけではない むけむけちんこが サウナや銭湯で威張る必要だって あるはずもないのだ クレオパトラの鼻のように もし 私のちんこがむければ 何が変わる 何も変わらないだろ 何か変わるわけがないのだ むけむけちんこになったところで それから僕のちんこは どこを さすらう だから だからこそ お母さん 私はあなたを恨んじゃいない きっと時や そうさ神の気まぐれ むしろ 恨むべきは 憎むべきは むけむけちんこを 正義の味方と デキる男の象徴と そう捉えたこの私自身 ごめんなさい ごめんなさい 生まれてごめんなさい むけてなくてごめんなさい 気持ちわるくてごめんなさい 皮が長くてごめんなさい 短くってごめんなさい カリが小さくってごめんなさい 早くってごめんなさい 気持ち悪くってごめんなさい 気持ち悪くって 気持ち悪くって 気持ち悪くって そう 全てのちんこに土下座しろ 我がのちんこに土下座しろ 我がのたった1本の たった1本の 勃った1本の ちんこに 土下座しろ 気持ち悪くったって 気持ち良くはなれる ちんこの半分以上は やさしさでできているのだ ありがとう ありがとう 私のちんこは もう 抗わない どっかのおっさんが言った レリルビーレリルビー あるがままになすがままに もう抗わない ちんこ むけるな。 ちんこむけるな。
2002年06月04日(火) |
W杯が盛り上がるわ毛。 |
ちぢれ毛 なんて世間では陰毛を こう呼ぶことが多く ちぢれ毛のこの ぢ の部分が何やら淫靡で妖しい イントネーションを醸し出し それゆえ ちぢれ毛は悪 陰毛は悪 クンニのときに歯に挟まるのだお前のは なんて陰毛のお手入れを 余儀なくされているのだけれども 規制緩和によって ヘアヌードや AVにおいても 具さえ映ってなければ 毛は露わにされ 日常社会において 今でこそ 陰毛は日の目を浴びてるわけなのだけれど いやほんとにね こおゆう言い方するとオヤジクサイけどね 今でこそ 若い人には当り前かもしれないけど ほんの10数年前までの 陰毛事情は 芸術か猥褻かで 逮捕者が出るほど それまでのエロ本やAVは 不自然なまでに 陰毛を隠してたのよ ほんと若い人は 古本屋でも探して 古いエロ本やAV見てみな 明らかに不自然で滑稽だし 明らかに表現の自由を奪っているんだから チラリズムという概念は 制限された表現の中から産まれた 苦肉の概念 製作者の苦肉の策だったわけで そんな 歴史背景があって 陰毛 陰の毛 それほどミステリアスで サスペンスでエキサイトな存在だったのだけれど もはや 陰毛が日常となった今 陰毛と陰毛を比べて見ると なんなら 今あなたの陰毛を見て欲しいのだけれど 見た?見たな?確認したな? そう 意外とこれ 直毛 ストレーとなんだよねこれ ということは 陰毛=ちぢれ毛 じゃあなかったのだよ本当は だから どうゆうわけか 部屋にちぢれ毛が落ちてても どこからきたのか 車にちぢれ毛が落ちてても いやこれはほらパーマよパーマ なんて言い訳する必要もないわけで 実は 陰毛=ちぢれ毛 という概念は 先ほど述べた 陰毛歴史背景事情が産んだ 妄想に過ぎなかったのである もちろん もちろん なかにはくるくるっと ちぢれている毛もある ちぢれているコもいるのだけれど それはほら 頭髪と一緒 天然パーマの人がいるのと同じで たまたま縮れていたに過ぎず 元来 陰毛は直毛なのである。 じゃあじゃあじゃあじゃあ 何故部屋や車に よくちぢれ毛が落ちているのか そう問われたときに それは わき毛なんじゃねえの そお言ってやりましょう。 特に女性には 恥丘という こだかい山があり そこに生えている陰毛は 山の頂上を目指し 上へ上へ 真っ直ぐに伸びているわけで ベッカムのヘアースタイルを見て ありゃ女性の恥丘だ陰毛だ おんなじだ そう思いました。
2002年06月03日(月) |
ゆとりを持たせてやらんでもない。 |
少し早目の夏バテ 少し早目の夏風邪 そんな設定を基に仕事をサボって 観る映画というものは また格別なもので 平日の昼間の映画館 実にこう心地よすぎる空間なのだが 昭和の世代のおっさんらは 趣味というものが無い 戦後から高度成長期へと 仕事・残業に人生の殆どを 費やしてきた結果だ こうして見ると ゆとりがないのは 子供ではない まるっきり大人だ 最近の子供は 核家族化や少子化 娯楽の発展にともない 独りで暇を過ごす術を知っている だからこそ ゆとり教育などと 子供を甘やかすのではなく ゆとり仕事 そろそろ週休3日にしてもよいのでないか 第一 子供を甘やかす事で 子→楽 大人→苦 という図式が成り立ち よっぽどのMであっても 自ら進んで苦しい方向に進むのは そりゃ嫌なのが人間 だからこそ 大人に成りきれない大人 アダルトチルドレンなどと問題が起きるわけで そのクセ 学校教育においては 良い大学に入れば楽が出きるなどと 絵空事を指範しているのだから 実際社会に出てみると 学歴偏重社会など 一部業界にしか見られず その殆どが 騙された こんなはずじゃなかった 失意のままナマで子作り いつの間にやら 嫌悪すべき昭和のおっさんらの 気づけば二の徹を踏んでおり やはり子供時代に苦労を覚えさせ 大人になる目標 即ち楽したい これを明確にすることで 週休3日 ちょいと小旅行 世間が回ればお金も回る 景気の循環を生み出すのだが どうにもこの日本 ありとキリギリスのように 楽する事=悪 と捉えている風潮があり 何も考えず働きなさい 考えるから悩むのだ 働きなさいサービス残業しなさい などと朝早くから夜遅くまで 仕事している人間が偉いという 間違った思想が往々に見られ この間違った教育こそが 悪しき戦後教育なのだけれど 高度成長期が終わり 知的所有権のIT産業が 第三の波として パワーシフトしている21世紀 早朝のラジオ体操など もはや無意味なのであり そう考えると 風俗産業は わざわざ出向かずとも 向こうから出張してくれる 電話一本でどこへでも 実にパソコンがインターネットが 普及する何年も前からある インフォメーションテクノロジー 情報だけではない その技術も プロとして卓越しており なんつったって泡踊り 平日の昼間 仕事をサボって 泡踊り 平日の風俗は 人気嬢が空いている事が多く ゆとり風俗 ちんこもココロも 洗われるんだなあこれが。 おまんまんさんに ゆとりがありすぎる風俗嬢は ちょっとカンベンして欲しいのだが。 おなかの肉が ゆとりがありすぎる女性は それはそれで気持ち良いときもあるのだけれど ちんこの皮に ゆとりがあるのは 大人だってゆとりがあってもいいじゃない 君に持たせてあげたい ゆとりちんこ。 持ってもらいたい 握ってもらいたい こすってもらいたい しゃぶってもらいたい ゆとりだから ゆとりなんだから。
2002年06月02日(日) |
気にしてやらんでもない。 |
人生には様々な岐路がある その分岐路における選択は 自らに委ねられるわけで 些細な選択から 人生の途上を ぐりんと曲げてしまうほどの大選択 いつ如何なる選択が 後の人生に 如何なる影響を与えるのか それは誰にもわからず それはよく 運だとか 勝負だとか しかしその選択が 直後の人生に 多大な負的要因を導こうとも 長いスパンで見れば 実は大正解 なんて事もよくある話しで また実際に失敗だったとしても それは経験という名の 自らの血となり肉となり 総じて 案ずるよりは産むが易し なんて昔のおっさんらは言ったもので かといって 私は決して 案じても 産まない選択であったとしても それはそれで良いと思うのだ 人間決して 直進だけで話が済むほど 短絡的にはできちゃあいない 平等を謳いながら 不平等であるのは社会の真理 民主主義を謳いながら 一部の人間の密室の会議で 物事が決束される世の中 だからこそ まわりみちや立ち止まってみるどころか ときにはバックしてみるのも ココロに余裕という点において 肝要なのであり 栄光栄華な世界も有れば 苦悩ボンクラアングラ裏道デストロイ 釈迦は 人の悩みの根源は執着にあり と説いた この世は永遠では無い 皆消えて無くなって行く 消えて無くなるものに 頼りすがろうとするから 人は悩むのだ どうせなくなるものなのだから なくなるものはなくなるまま 流れに身を任せておけば良い というなかなか 菩提樹でラリパッパのおっさんも たまにはええこと言うもので 全くその通り だからこそ 人間の価値観を外見で求めようとせずに ちんこで人間を判断することなく アタイの憧れ好きなあの人が 仮性包茎であったとしても 毛嫌いせずに 仮性包茎を受け入れ 包茎技術に磨きをかけ 包茎の王国を作ろう そこには 乳輪が以上に大きい女性や 陰毛がジャンゴージャンゴーな女性や おまんまんさんが下付きの女性や 乳首がクリトイリスが長すぎる 性器がまっくろくろすけ いわゆるハズレの女性だって 私は構わない だって ちんこのなかには 当たりとハズレがあってさ 小さなカリの裏 それは書いてある 僕のちんこは やっぱり ハズレたけれど 気にしちゃいないぜ。
世の中顔ではない そう思うのだが ぷーちん 字面にするだけでも なんだかお間抜けで かわいいように思える名前だけれど 言わずと知れた ロシアの大統領 ぷーちん このプーチン大統領 W杯のロシア代表に激励しに来た というニュースを見たのだけれど 実にこう その可愛い名前とは似つかず 悪人顔 非情の殺し屋風味 無表情 冷酷無比 激励というよりむしろ脅迫感が否めなかったのだが SPよりも イカついマルタイの男 さすがは ほんの十数年前まで 共産主義国家だった 激動のソ連を生き抜いて来た人間 その激動の歴史が 顔に乗り移っている様は やはり国家の主として リーダーとして 国民は安心できるのではなかろうか 我が国を顧みると なんとも 小泉 最近特にバカ面に 拍車がかかってきた気がするのは 印パ間の緊張が高まる中 アニメでもない空想でも無い ヒロシマ以上の被害が懸念される インド=パキスタン間の核戦争が 日に日に現実感を増し 欧米各国がインドから 駐印外務大使を帰国させ まさに 緊張 その緊張が崩れる時期が 刻一刻と迫っているのに 小泉はのうのうと 大きな笑顔で 何でサッカーを見ているのだ おりしも 日本の国債が 先進国では前代未聞の 格付けが2段階下落し いつ日本経済が破綻し 財政不安が起ころうとしているのに 小泉のまるで他人事の笑顔は それはもちろん いちいち巻き起こる騒乱に 一国の長が いちいち慌てふためいて ジタバタすれば 国民が不安に陥るし 国際的にもみっともない のうのうと笑っているのも 国家元首としての仕事かもしれないのだが いや単にあれは もう笑うしかない そんな状態なだけの気がしてならないのだが たまに ごくたまにだけど 愛想の無い 風俗嬢に出会う事がある たまたま機嫌が悪いのか それとも私が気に入らないのか はたまた仮性包茎に 何か深いトラウマでもあるのか 至らないとこがあるのなら はっきり言って欲しいのだ もちろん 客に不快感を与える これはプロの風俗嬢として 失格ではあるが せっかくの裸同士 初対面とはいえ ちんことおまんまんさんを ご開帳している仲ではないか 発射するときくらい 楽しく発射したい それが人間 私だって 常日頃から 無愛想だの冷たいだの 批判される事が多く もちろんそれで不快感を与えたのなら こちらはそうではない旨を伝え そう批判される事のないよう 気をつけるもので 夫婦はアイコンタクトで 相互理解ができるというのは 夫婦になった経験の無い私にとっては 全くもって理解できず だからこそ こうして裸にエプロンという 夫婦プレイコースを選択してみたのに やはり 言いたい事を言い合える それが相手の気にしている事でも 話し合いで解決できるものなら 私は言って貰いたいのだ 批判してもらいたいのだ 言葉で責めてもらいたいのだ 言葉で犯されるのが好きなのだ できれば 外国語で説教などされてみたいのだ ちんこが短いという批判には えへへ てへへ と苦笑いするしかないのだけれど。
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