2002年05月31日(金) |
夢を見せてやらんでもない。 |
文系世界を学んできた私が どういうわけか 理系の会社で理系の仕事をしている こおゆうのを人生の妙などと 思ってはいるのだが 高校1年の一学期 ベクトルやら何やらで 数学と決別した私にとって 今更サイン・コサインはおろか 科学反応だとか 理解できるはずもなく まあそんな私を採用した社長であるからこそ 不景気都市大阪において 会社が傾いているのも 納得できるのだけれど 理系の人間というヤツらは 科学至上主義で 科学が絶対 頼るのは理屈よりも理論 文系の人間を見下している帰来が見られ 科学で世の中全てのものが 証明される今日 全くもって彼らには 夢 というものが無く だからこそ 理論上 主催者が儲かる仕組みの ギャンブルには一切手を出さず 酒タバコの類も健康学上やらない 実に人間として 面白みの無い奴らなのではあるが しかし 人間は一様では無い ギャンブルで笑う奴もいれば 酒タバコこそ健康のバロメーターとなる人間もいる 幽霊やUFOの類も 例え幻影であっても 本人にはそれが真実なのだから それで良いのではないか という考え方が 彼らには欠如しており そんなこといっちゃあ夢もロマンもない ならば 人間本来生きる意味など無い ただ物質的に 存在しているだけなのだから 直ちに自殺すれば良いことになり 結局家庭だとか愛だとか 夢でもいい希望でもいい そおゆうものに頼っているのだから またそおゆう無益なものでも 無益なものがあるからこそ 生きているのもまた一興なのであり 文系の人間は 全ての物事を自分に都合よく解釈する 屁理屈を持っており 理系の人間は 矛盾だらけなのに その矛盾を受け入れる キャパを有してはいない だからこそ 一昔前の 風船おじさんなども 理論から言えば あまりにも無謀な自殺行為であっても 本人がやりたいつってんだから やらせときゃあ良いのに 理系人間は様々な理論をぶつけるのも そんなこた 本人にはどうだって良いわけで 殊に私においても 日本人の半分は仮性包茎で成り立っており 米人においては割礼がある そんな理論はどうでも良いわけで ここで大事なのは その皮が 皮としてどうあるべきか 皮としての役割 皮があるからこそ 自分だけ先にイっては 女性をイカせることもできず それじゃあ あまりにもベタというか そんな様だからこそ 仮性包茎のイメージは 悪くなる一方なわけで やはり 仮性包茎こそ最先端 この夏は仮性包茎が暑いぜっ 仮性包茎の地位向上が肝要なのだ 仮性包茎の特権 それはまず第一に 見た目の可愛さ つまり癒し 見た目だけではない 機能的にも仮性包茎は その余った皮を生かし 先っちょの皮をちょいとつまむ事で そのまま小便をしてみると あら不思議 ちんこはぷくぅうとふくらみ ちんこ風船 ちんこ爆弾 ちんこ風船爆弾 などと可愛い事この上なく そのちんこ風船のふくらみで 辛い事苦しい事など ちんこ風船が忘れさせてあげる そしてこのまま ちんこ風船に乗って どこまでもどこまでも 君と飛んでいこう。
2002年05月30日(木) |
癒してやらんでもない。 |
よく女性はそおゆうレズ ビアンな関係でなくとも 仲が良ければ 手を繋いだり ちょっと大きくなったぁ おっぱいタ〜ッチなんて 触りあいっこしたり 最近では挨拶代わりに かる〜いちゅうなんてものまでするという AVで得た 私の偏った女性に対する認識なのだが もちろん レズさん達は 観ていて可愛いし 綺麗でとても楽しそうだ ちんこさえなければ 是非とも一度 ご一緒してみたいものなのだが これ男の場合 仲が良いからといって いや 仲が良ければ良いほど いやあ大きくなったねえ ちんこタ〜ッチ なんて触りあいっこすることなど これ決してありえ無いどころか 仲の良い友達 それは決して付き合いではなく 人生や恋愛・他人には言えない悩みに 親身に相談になってくれた その友達が そんな友達でさえ 自分よりも ちんこが大きければ まるで 彼氏を親友に寝取られ 奪われた女性のように どこか 裏切られた感が強く カリデカムキムキチンコに 引込み思案な我がちんこの気持ちなど わかるはずもなく よく体育会系の間では 銭湯・大浴場での裸と裸の付き合いこそが コミュニケーション なんてものは 大人ちんこの 大自慢披露大会 身勝手で自分勝手な悪しき習慣 さらに 男社会では お前はコレで何人の女を泣かせてきたのだい なんて嫌味たらしい ちんこの誉め言葉があるのだが そんな カリデカムキムキ大人身勝手チンコは 女をひぃひぃ鳴かせてなどなく 自分勝手であるが故に 顔射やナマを強要し 女をちんこをこするための道具にしか思っておらず ヒモなどはその典型 文字通り ちんこで女性を泣かせてきたのは もはやコレ 歴史的に見ても明白なのだが 私のような アダルトチルドレンちんこ 女性をひぃひぃ鳴かせることはなくとも 引込み思案であるゆえ 女性を泣かせるような行為など するはずもなく 何故ならば こんな引込み思案ちんこに 付き合ってくれる 戯れてくれる それだけで引込み思案チンコは 女性に心を開き ちんこの皮を少しムイて 本当の素顔を見せてあげたくなるものだが こんな包容力ちんこにも 自慢があるのだ。 それは タマ。 カタチといい大きさといい もちろん タマ自体 女性をイカしはしないのだけれど もちろん タマを触られるのは気持ちが良いのだけれど 特筆すべき点は 触って気持ちが良いのだ つるっつるなのだ 犬や猫の あのぷにぷにした 肉球みたいな いや 肉球よりも気持ちが良いらしく 今まで付き合った女性 今まで体験したプロの方々 ちんこを見て笑われた事は多いが タマを 貶された事は今だかつてなく むしろ ずっと触っていたい 触っていると落ちつく ずっとこのまま 暖かな午後のピクニック ホエールウォッチングよりも 犬や猫やいるかやコアラよりも 日常に疲れた アナタを癒してあげる。 もちろん イカすことはできないけれど。
2002年05月29日(水) |
ヘレン・ケラーに明日はあるか。 |
中村俊輔の出ないW杯に 一気に興冷めした人も多いようで それほど あのフランス人のご乱心は 衝撃的だったのだけれど 何よりも 渋谷の大看板になったり FIFAのCMにまで 出演していた本人の方の 悔しさの度合いは計り知れず いややはり 無念さよりも 赤っ恥極まりなく その赤っ恥を 気持ち良さに昇華せしめよ さすればMとなり そのちんこで あのフランスじんと そのゲイ風通訳を叩きのめし また次回のW杯へと 成長をちんこを期待するのだが それよりも何よりも ここ大阪では 長居や神戸で数試合しか行われないサッカーよりも その1勝で 大阪の経済・在阪企業の株価が これまじで 浮き沈みする やはり阪神タイガースのほうが 盛り上がっているわけで 野球には数々の名将と謳われる監督がいるのだけれど 例えば現阪神監督の星野仙一 現横浜監督の森祇晶 この二人は自分たちの野球をする という概念で共通し つまり 長所を伸ばすことで 短所を補う戦法・育成方法で 実績を積んできたのだが それに反し サッチーの旦那野村克也 小宮悦子を愛してやまない仰木彬 この二人は 相手のデータ・相手の作戦に応じて 作戦を組み立てる戦法 つまり 長所よりも 短所をいかに失くすか この二通りの戦い方 どちらも理に適った戦法なのだけれど 野球に関しては どちらも実績を残しているのだが どちらが強いかといえば 相手に応じるという 精神的負が入っている点で やはり前者なのかなとも思うわけで つまり人間には 誉められて伸びる人間と 叱咤されて伸びる人間がいるのだが 人間誉められると ついつい調子に乗ってしまい 身のほどを勘違いしては 出る杭は打たれてしまうのだが 出過ぎた杭は 打たれるどころか 他の追随を許さないほど さらなる成長へとつながることを考みると 女王様の 愛ある理不尽な叱咤以外には Mといえどカチンとくることもあるわけで やはりMだって誉められたい そんなときに ふと我を見返すと もはや ちんこを見られることは 恥ずかしくない 寧ろ気持ち良い 赤っ恥が気持ち良いのだが 実は 指が恥ずかしい 指がちんこ以上に短いのだ よく女性は ごつごつした男性の手に魅力を感じる などと言われても ちんこが短い 指も短い このダブルハンデキャップ ちんこや尻の穴や オナニーだって見られても恥ずかしくないのに 指を見つめられると 恥ずかしくて恥ずかしくて 穴があったら 挿れてもらいたいくらい 加えて 私の長い所は ちんこの皮で 私の短い所は ちんこと 指と さらに 舌まで 短かったりする 長い所を伸ばそうと思えば思うほど 長い所は短所に この不条理な永久回転運動 女性を想う気持ちだけでは 女性はイカない ちんこと指と舌が短い このヘレン・ケラー 私は男に向いて無いのか ゲイさんになれとの神のお告げか 私は今 俊輔以上に ちんこの皮を引っ張る思いなのである。 ちんこの皮を噛む思いなのである。
日本は言うまでもなく 民主主義国家であるのだが 選挙を見てもわかるように 多数派 多いもん勝ちの世の中 民主主義の是非は別として それが社会のルール それゆえ 社会の波に乗り切れない少数派達は 社会からドロップアウト ココロの病気にもなり 手首を切っては 独り夜枕を涙で濡らすのだけれど だけれども 日本国民は 法の下に平等であるからこそ 基本的人権の尊重 という権利が きちんとオプションとして 憲法に明記されている はず そのはず 確かそうだったはず 日本には 東京都の千代田区という場所があるようで この区はこの2月に 歩きタバコ・路上喫煙 これを全面禁止する条例の検討に入る というその時点で 少しく頭の悪い区であったのだが それがもうすぐ施行されるのかもうしたのか 詳しいこた知らんが 朝見たニュースで その件に関して取材していたのだが その取材結果が 歩きタバコが 子供の視線あたりにきて 危ないと思った事のある人 9% 実際他人の歩きタバコで 洋服など焦がされた経験のある女性 12% いやいやいやいや いやいやいやいや 少なっ 朝勃ちもおさまるゆうねん 思いっきし少数派ですやん 民主主義はどこへ行ったの 誰がそんなことを望んでいるの いったい誰が得をするの 調べて見たところ 東京都下の地下鉄・バスの駅などは 終日禁煙 だからこそ 屋外で路上でタバコを吸うのじゃないか 愛煙家はいったいどこでタバコを吸えというのだ これはもはや差別なのであり だいたいタバコは健康を害するなどと ゼロメートル地帯の東京都下 古くから工業地帯として賑わい また 東京に乗り入れる車から 税金を徴収してやる なんて石原が叫んだように 東京には空が無い なんて智恵子が呟いたように もはや大気汚染は 日本でも有数なのに 光化学スモッグよりも ダイオキシンよりも タバコのほうがよっぽど 健全なのであり 何人たりとも タバコを吸う権利は犯されているどころか 愛煙家の 基本的人権の尊重は 何処へ行ったのだ 以前も書いたが 消費税が5%で済んでいるのも 所得税率が収入事に変動するのも 公共工事・公共料金も 全て 愛煙家が毎日毎日 タバコを吸って税金を納めてやっている からに過ぎないわけで 諸外国の消費税は10〜20%が当り前 スゥエーデンなんかは70%なんですよ そうしたことを踏まえての 愛煙家差別なのか 差別どころか アウシュビッツだ大虐殺だ 猟奇殺人者を 精神異常として生かし 被害者の人権を無視しているのと 同様なのであり こうした民と官の温度差というものは 古くから有るもので 大阪には府条例として ソープランドというものがありません ちんこをおまんまんさんに挿れる行為が 売春と捉えられ 全面禁止なのです それゆえ一時期話題になった ノーパンしゃぶしゃぶ、イメクラなど たくましい大阪人は 本番無しの最先端風俗発信基地として 栄華を極めてきたのだが 実は大阪でも合法的に 本番できるところがある 昔から置屋・遊郭と栄えた一角だけは 今でもひっそり営業しており 国・府は黙認しているのだが もはやちんこは おまんまんさんに挿れるだけでは事足りず マットやローション・エネマグラや拘束具 ありとあらゆることを望んでいる事を 太田房江大阪府知事は 民と官とちんこの温度差を 未だ知らない。 それよりも何よりも ニューハーフ風俗において AFはOKなのに サオナシタマ抜きのニューハーフさんの 人造おまんまんさんへの挿入は NGという大阪の風俗体温に 私の男子校時代 私は勿論参加はしたことはないが 男子校であるが故の ドキッ男だらけの乱交大会において タチ役は退学 ネコ役は停学 そんな事件もあったよね それは差別なのか同権なのか そのころから ちんこの温度差を 馬の体温はそのアナルに 腕を入れて計ると言います だから だからこそ私は 女性のおまんまんさんに ちんこを挿れる前に 指を入れたがるのである。
君と僕との 温度差をなくすために。
根性論っていうのんとか 精神論っていうのん 意地やとかプライドやとか そんなん僕知らんやん って思うんですよ むしろ それがどないしてん とも思うんやわ ほなどないせえゆうねん ってカッチーンとくることも あるんですけどね まあ若者はしゃあないですわ 猪突猛進に暴走しまくるのも 若者ならではの特権ですしね 暴走して一度痛い目に会わないと わからんのも若者ってえもんですやん そらそおゆう若いもんには 腕っ節で世間とゆうもんを わからせてやらんでもない ほいでもねぇ 熟年っていうのん 壮年っていうのん そんなおっさんらがねえ むかつくんですわ 今日ちょこっとカッチーンってきましてね 大の 大すぎる ええ歳こいたおっさんら 意地かプライドか知らんが すねるな 被害妄想すな カラに閉じこもんな いちいち皮肉とか嫌味とか 真にうけんな って思いましたん。
まあそのプライドとか意地とか それは単なる自己中心的な 独り善がりに過ぎないわけで 社会とか組織の一員である以上 個人の意見などまかり通らないのが 組織のルールなのだし いちいち反発して プライドだとか意地だとか そんなもの 余計に面倒くさいものであり そんなことを いちいち気にしてたら ココロの病気どころか 胃やいろんな内臓に穴やできものができ 余計に尚更無意味 だからこそ そんなプライドとか意地とか まあ持つなとまでは言わないけれども 逆に そおゆうプライドや意地が いつのまにか 自分をがんじがらめに束縛してしまって 殊更周囲が目に入らない事も多々有る訳で だからこそ 学歴だとか経験だとか くだらない根拠の無い 無形のものを振りかざすよりも 一度あえて崩してみるのだ 更地に戻してみるのである さすれば 今まで見えていなかった 世界や景色が広がり 新たな発想・思想が生まれることもあり 私などは いや、私でさえも そりゃあ若い女性 特に女子校生モノAVが好きだったさ 女性は若くてこそ女性 水を吸い込む肌など人間ではない なんて偏屈にも思っていた時期もあったんだけど そこで考えたのよ あえて熟女モノAVを見てみようと あえてスカトロモオAVを見てみようよ あえてSMモノAVを見てみようと あえてニューハーフモノAVを見てみようと あえてゲイモノAVを見てみようと あえて未開の地を選択することで 自分に内的変化が起こりうるか否か 一人前のオールラウンド・オナニストに 成長した私を見れば それは 言わずもがな 規制概念にとらわれず あまつさえ 自分勝手なプライドとか意地とかは そんなもの 捨てるためにあるものであり 捨てるからこそ 新たな世界が開ける こうした手段は 宗教や軍隊における マインドコントロールに似た手法で 一度規制概念を破棄し 白紙の境地の状態に 新たな価値観を刷込む だからこそ プライドとか意地とか 捨てた方が気持ち良いのであり プライドとか意地とか 世間体とか見栄だとか いろんな要素が がらがらと崩れ落ち 快楽におぼれてしまう熟女モノAV 口ではイヤっていってても 下の口は喜んでいるぜい なんて昭和のセリフが この21世紀になってもまかり通る これを 温故知新というのだね。きっと。 熟女と少女の見分け方 少女はいやっいやっと喘ぐのだが 熟女はああぁいいっいいっと喘ぐ事に気づき いやはや プライドとか捨ててみるものですなあ。
2002年05月26日(日) |
誰にでもある若気の至り。 |
年齢を重ね 仕事をして収入を得ている 当然犯罪を犯せば 顔と名前が公表される 友達は少ないのに 結婚しました 子供ができましたという類の そんなこと私に知らせて いったい私にどうしろというのか さっぱり意味不明の お便りが届くようになったのを見ると 迸る性欲とその性嗜好は 思春期真っ盛りの中学生並で ちんこが皮を被っていても まるで子供並なのだが どうやら私は社会的に いわゆる大人 と呼ばれる範疇にあるようで 確かに 若い頃に比べ 決して裕福では無いが 安定した収入があり それにより行動範囲も広がり 趣味にお金をかけ 風俗にも 入念に下調べもせず 飛び込みで入ったり AVにおいても 人海戦術 数多く借りれば 1本くらい当たるだろう 少しでも興味をそそるもの有れば 片っ端からレンタルレンタル もちろん それはそれで間違いはなく 明るいAVライフ 楽しいちんこライフなのだけれども やはり 大人になってしまうと いつの間にやら 大切な何かを 忘れてしまっていることがある 小遣いや生活費 その他あらゆる方法でコツコツとためたお金で 観に行った映画やAV それは若い頃の私の 血となり身となり肉と成るほど 影響や 感動や 興奮さえも覚えたわけで 最近そおゆう要素が少ないのは やはり安定した収入により 限られた状況での究極の選択 その思考錯誤 その過程こそが無いからにつき どんなに前向きに どんなに攻撃的に 概念を持ち思想を掲げ生きているつもりでも いつの間にか日常に流され 若い時期の状況を忘れ 否 若い時期の苦労・苦渋を覚えているからこそ 大人に成ってこそ 保身に走り 思想は保守的にもなり 尖がる突っ張ることを忘れ しかしそれは悪いことでは無い それが自然の流れ とどのつまり それが大人になったということでもあり それを卑下したり また批判されるいわれはなく また 若い時期の混迷こそが 実は大人に成るための 通過儀礼であるわけで そう考えると 先日行ったライブにおいて 激しい人波の中 汗だくになって 人波に揉まれ 大声で喚声を張り上げることなど 大人に成った日常で そうあることではなく 非日常の体験をする事で ライブ終了後の 体内の汗中の汗を出しきった その感覚は 昔 ひどく暑かった夏の日の午後 野球一筋に野球馬鹿だった少年期 あんたはMか というほど自分の肉体を酷使し 自分の身体を鍛え苛め抜いた あの夏の日の午後 そんな感覚を思い出し 少年期を思い出すと 大人になって しなくなったことがある 大人になったからこそ しなくなったのかもしれないが たまに 若い頃に戻って 大人になった今でも あえて やってみるのも 良いかもしれない。 若い頃によくやって 大人になって しなくなったこと そういや 最近 カー・セックスを していない。
さて男女差別かもしれないが あえて性差別してみようとも思うのだ 以前日記でも書いたのだが 君を守ってやる 君のためなら死ねる もし僕と君と どちらか死ななきゃならない状況になったら 僕が死んであげる こおゆう類の台詞を発する男は まず間違いなく欺瞞だと 詐欺師だと 故に 映画タイタニックで死んでいった あの甘い顔の男は 自己中心的なナルシズムの典型で ろくでもないペテンだと そう書いたのですが 詳しいことは 1月15日の日記を参照して欲しいのだけど そこまでは面倒だという人に 簡単に説明すると 要は 死んだほうが楽なんです 実は生きていることに 何の意味など無いのです ただ死ぬまで生きてるだけ ただ人間は他の生物には見られない 知能を持った人間であるゆえ 何かにつけて 意味ををつけたがるものなんです 否。 何かにつけて 意味をつけないと 生きている意味を見失い 不安に陥るものなのです。 だからこそ 教育という名の マインドコントロールにおいて 幼年期から 働く事は国民の義務 そして得た収入で 税金を払う事が国民の義務です だからこそ 生きましょう働きましょう なんて 死ぬことについて考える余裕を与えないまま 法律で国民から 死ぬ権利をわざと 意識を逸らしているのです そんなわけで 実は 死んだほうが楽なわけで そう考えると 映画タイタニックの 甘い顔の男のごとき 君のためなら死ねる と言う人間はペテンであり 生き残った人間は その人の思い出を 一生引きずりながら 生きなければいけないわけで 生きてる以上 傷心のまま働く意欲などないのは 人間として当り前なのに 税金やら年金やら 収めなさいさもないと法的に罰せられます などと国から脅迫され そんなリスクを追わされるハメになり 死んだほうがまだまし ということになるわけで さてここで男女差別なのですが それでも私は 何かしら生きてれば 1日くらいは 生きてて良かったと思える日が あるわけで そんな日があるなら あえて 生きてみるのもこれ一興だと あくまでも基本はそう思うのですが それでもどうしようもない という絶望的状況になったのならば 自殺することも 仕方がないと致し方ないと 最後まで抵抗して あがいて抗ったその結果 自殺やむなしというのならば 自殺に関して 多少容認派であるのだけれど ただし それは女子・女性のみです 何故ならば 世の中男性社会 法律や全てのルールは 男性を基準として作られ 女性の悩みと言うものは その男性社会のひずみなのであるからして 男性として その責任をまっとうしなければいけません 故に男性が 自殺などと 楽をするようなことは許されず この不景気のさ中 辛くとも苦しくとも 生きる責任があるのです だからこそ国家は その代償として 男に風俗とAVを与え 自慰行為をすることで 繁殖を目的としない 性行為の場を与える事で 自殺行為をしないように 精子を自殺させることによって 自殺行為意識を相殺しているのであり だからこそ 不況にこそ 風俗・水商売が儲かる という理論はここに成立しているわけで 私のちんこと 私のちんこから発せらるる無数の遺伝子達は いろんなものを背負ってきた その代償なのであり よく 男は背中で人生がわかる 課長の背中って哀愁がある なんて言うのだが とんでもない 男のちんここそ 人生を物語り 一見くたびれたちんここそ 動乱の時代を生き抜いた証なのであり だから だからこそ女性の皆さんは フェラーチョする前に ご苦労さま そう優しい一声を かけてあげて欲しい そのお礼に 私はその水子遺伝子達を あなたにかけてあげたい なんならば おしっこくらいなら かけてください なんなら 潮もかけてほしいくらいなのだけれど あいにく潮を吹かせる 技量はないのだけれど だから 顔射NGとか言わないで。
Mに悪人はいない。 世界の猟奇犯罪者の そのほとんどはSだ。 私はよく優しいと言われる 寧ろ優しいだけかもしれない。 包容力のある男性が好き なんて良く女性は言うのだが 寧ろ包容力しかないかもしれない それどころか 私のちんこには 先っちょ皮で包まれ ちんこにまで包容力があるのだ たとえ女性がヒステリックを起こしたり 女性の理不尽なわがままに振りまわされても 私は嫌な顔ひとつしない そんなときもあるさ なんて見守っている だって 私はMだもの もしかしたら女性は そんなときこそ 叱って欲しくて そおゆう態度を取るのかもしれない 女性心が理解できない 理解できないからこそ またそんな私を罵って欲しい だって 私はMだもの 女性を叩く・殴るなんて尚更 愛を込めて殴る その精神はわからんでもないが 極力避けたい そんなわけで 性癖があらゆる枠を超え あらゆる性行為に嗜好がある私だけれど SMモノAVと レイプモノAVは滅多に見ない SMモノAVに関しては ありゃ見てるより やってるほうが楽しいのであり 陵辱感や恥辱感 罪悪感に羞恥心 忠誠心と虚無 緊張と緩和 浣腸と緊縛 複雑な感情が絡み合ってこそ 性的悦楽へと昇華するもので 傍から見ていて面白いものじゃあない 勿論私はMだから 責められる方が好きなのだが そりゃときには 男は狼 そんな眼で私を見つめるのなら 責めてやらんでもない そうかここかここがええのんか MだってときにはSにも成り得るのだ それは 情けは人のためにならず 与えたお仕置き・ご褒美が また自分に却ってくることを Mは知っているからだ けれど レイプモノAVはよくない たとえ性行為とはいえ 男として 女をヒィヒィ言わせ あぁ死ぬ死ぬ死んじゃう壊れちゃうぅ なんて鳴かせるならまだしも 男として 女を本当に泣かせちゃあ いけないと思うんだ。単純に。 ここに私の弱さというか 優しさというか 女性の涙に弱いのだ 女性が泣くと 自分まで悲しくなってしまうのだ AV見て センチになってる場合じゃないと思うのだ やはり性行為といえども お互いがお互いを慈しむもので 強引はイカンと思うのだ 話せば解かると思うのだ レイプする前に まず話し合おう それが明日の日本のあるべき姿ではないのか 今の日本人が忘れている何かではないのか 女性も軽軽しく レイプ願望とか 無理やりって結構燃えるとか 平気で言っちゃあだめだ だって Mは本気にしちゃうから 猟奇犯罪のほとんどはSであるけれど ストーカー犯罪の そのほとんどは純真無垢な Mの仕業なんだから 優しい言葉 厳しい言葉 Mにとっては 両方気持ち良いのだから。 Mに悪人はいないが Mは始末が悪いのだ。 けれど ちんこは気持ち良いのだ。 タチは悪いが ちんこの勃ちは良いのだ でも ちんこのカタチは悪いのだ 猫猫猫猫 タチタチタチタチ どっちを向いても 獣のように 生きるしかないのである。 でも獣姦はNGねやっぱ。
2002年05月23日(木) |
恥語プレイはありだが。 |
いい歳こいた私が言うどころか キーボードで打つ事さえ もはや恥ずかしいのだけれど 「恋」 いえいえ私はしてないのだけれど 良く世間では 恋は片道切符 好きだという想いが 恋なのであり それはそれは 自己中心的で じゃあじゃあじゃあじゃあ 「愛」 というものは お互いがお互いを慈しみ 男女間の隔たりを超えた 奉仕の精神なのです 何かしてあげたい 大事にしてやりたい 守ってやりたい という想いがその典型なのであるが 男の 愛しているよ という言葉に騙されてはいけない。 愛してるよなんて囁く輩は 100%欺瞞であり ろくでもないペテンである 好きだ好きなんだぁ と告白されれば そりゃあ悪い気はしない そうですか 好きですかそうですか よきにつけ悪しきにつけ 自分の意識は置いといて 相手が自分を好きだと認識できるわけで 恋は片道切符 そのまま片道で走らせてやるのもまた自由 思うのも自由なのであり 思われるのもまた自由なのだが しかし 愛してる キミを愛しているんだぁ と告白された場合 それは お互いがお互いを慈しむという概念において 俺は君が好きなんだから 君も俺を好きになれ いやむしろ 俺は君が好きなんだから 君も俺が好きなはずだ という強迫観念が 行間にふんだんに盛り込まれ 慨してこんな輩と たとえ結ばれたとしても 性行為はピストンだけしてとっとと発射 行為後はさっさと寝る 挙句 ドメスティックバイオレンス なんてこともよくある話しで よっぽどのMでなければ 発狂してみのさんに電話かけたり あんたそのお金はそのお金だけはぁ となるのが眼に見えているのにもかかわらず 若者は目の前の恋愛を 一生と勘違いし ナマでやってはアレがないの 性欲と恋愛を履き違えるバカップルが 暖かくなるこの時期 異常に街中で繁殖し それはそれは 鬱陶しくて ついつい嫌がらせをしてしまうのだけれども それは 結婚=幸せ という概念を教育してきた 日本の戦後教育のひずみに産まれた副産物であり もとより 幸せ自体 目に見えカタチになるものではなく 日常の何気ない一瞬 という概念にすぎないのだが 日常の何気ない一瞬を見落としては 不倫は文化 セックスレス 熟年離婚を引き起こすのだけれど いや別に不倫だとか浮気だとか それはそれで 自由恋愛 性欲セックス 官能世界に浸って見るのは 人生経験として良いのだが ときたま ビデオ屋で見かける 彼氏彼女か夫婦か知らんが 食器棚どれにする?的風情で アダルトビデオを選んでいるカップルや 今晩の夕飯のおかずは何にする?的風情で 大人のおもちゃを選んでいる カップルを見ると あぁ幸せそうだなあ と思うわけで オナニーを見せあいっこ できるカップルというのは ぼかぁ素晴らしい事だと思うんだ 恥ずかしい イヤらしい私を 見て欲しい 見てもらいたい そおゆう点において これはもはや立派に愛なのであり さらなる スカトロとも呼ばれる 排泄行為排尿行為を 見せ合いっこできるカップルは もはや恋愛におけるマスター その絆は よの不条理が二人を引き離そうとも 決してちぎれることはなく もはや永遠 だからこそ私は スカトロジストではないが 初対面 もしくは 男女間において 尻の穴を見せてくれる女性に魅かれるし また私の尻の穴を見せてあげたい それで万事OKなのだ 故に 男女間の恋愛に 言葉は要らない 言葉よりも 態度なのだ だからこそ ひとり身の私は 鏡を見ながらの オナニーに 興奮するのである。
2002年05月22日(水) |
ゴスロリとスローモーション。 |
例え彼女彼氏肉親親兄弟嫁旦那 同じ価値観・概念という事は ごくまれにあっても 同じ気持ち・想いを共有することは 哀しいかな ほとんどないわけで 仮に言葉で 思いの丈を述べても 所詮言葉は 脳で作られ その作業は自由自在 発した言葉が 嘘や作り事であることが 社会では当り前で だからこそ 言葉より ほら態度で示そうよ ほらみんなで手を叩こっ ってな具合になるのだけれど 世の中には ゴスロリ という人種がいる ゴシック&ロリータ 街中でたまに見かける 主に女性の黒い服の人達なのだが 私は 彼女達が理解できない 理解できないというのは 反ゴスロリ というわけではなく 彼女達の 生態 その心理 がわからない ということだ とどのつまり ゴスロリの少女達に もんんのすごく興味があるのだ 世間で冷たい視線を浴びながらも 何故彼女達は そこまでゴスロリに執着するのか その世界に何があるのか いったいどんな世界なのか 普段はどうしているのか ブラやパンティもそおゆう仕様なのか 性行為もやっぱり一般人とは違うのか 性的興味も含めて 全てにおいて興味がありすぎるのだが 哀しいかな 私にはゴスロリの友人がいない もとより 私の勝手なゴスロリの認識は ・マリスミゼルのマムだかミムだかワムだか その人が絶大なるカリスマである。 ・その人のお店は大繁盛だ ・ガクトとハイド以外は男じゃない という程度の知識しかなく この勝手な認識が当たっているなら 当然私の容姿は ガクトやハイドとは 対極どころか はるか3万光年も遠くに位置しているため 当然私に振り向いてくれるはずも無く 尚更ゴスロリについて 謎は深まるのだが 本日は 私の敬愛する ひび割れメイクのおっさん率いる ロックバンド「特撮」 のライブに参戦してきたのだけれど 私とゴスロリさん達との唯一の接点なのだが そのライブ中の数時間は ゴスロリさん達と 同じ想い を共有できた気がする それだけで嬉しい 嬉しいのだけれど そりゃやっぱ もっと知りたい なんなら触りたい なんなら性行為をしたい ライブは盛り上がり 楽しく激しく大盛況 ただ一点 私の周囲は 汗臭い男だらけだったのが 唯一の 悔。 あぁ近づけど 離れてしまうゴスロリさん。 誰か友達になってください 下心を前提に 友達になって いろんなコトや あんなとこがこんなことになるまで そ、そんなことがって教えてください ああ触りたいああ触れたい。 切にそう。 思いました。
さて この歳にもなると さすがに激しいライブは 体力的にかなりキツイのだけれど こう見えて 学生時代は体育会系であったこともあり 酸欠で倒れるということはないのだが 野球をやってたのよ。昔ね。 自慢じゃあないが そこそこイケてたのよ のちにプロ野球に入った 某投手からヒットを打った事もあるしね 特に守備に関しては 自信があったね。 本気で プロ野球の選手になるんだ って勘違いもしてたよね。 だから意外と 身のこなしが素早い そう自負していたんだけどね ライブ終了後 私の寵愛する三柴氏が 自らはめていたリストバンドを 客に投げたとき 「守備範囲だ」 そう思ったよ。 昔取った杵柄っていうの そう思った瞬間 私の身体はジャンプしたんだなあ その瞬間 私の周囲はスローモーションになって リストバンドは 私の手の先を ゆっくりと落ちていき 「取れなかった」 と思うと同時に 両足と 両でん部と 右の背筋を つりました。
人間の身体・その機能は 二十歳を過ぎれば 日々衰えていくと言います 思えば日常生活 ジャンプすることなどなく 知らぬ間に 歳をとっていたんですなあ。 だからこそ おまんまんさんも 日々使わないと 知らぬ間に衰え 蜘蛛の巣なんかはっちゃったりなんかするから 女性はおまんまんさんを もっともっと使っても 良いと思うんだ。 1人に何回使おうが 何百人に使おうが 彼氏・旦那がいようとも もっともっと おまんまんさんを 使っても良いんじゃないかなあ お金を使わないと 金が周らず不景気になる って言うじゃないですか もっともっと おまんまんさんを使うべきだよ やっぱ。 いや。うん。やっぱ。 私はね。 私はほら 日々自慰行為において ちんこを使っているからこそ ちんこの見た目は 皮が長くまるで子供で 若いのだと思う。 だから ゴスロリさん達も おまんまんさん使ってください できれば 私に使わせてください。 ゴスロリさん達を見ると 股間が苦しいのです。 股間が辛いのです。 世間がゴスロリさん達を 冷ややかな目で見ようとも 私のちんこには 充分過ぎるほど 守備範囲なのだから。 されど 近づけど離れてしまうゴスロリさん。 スローモーションで。
2002年05月21日(火) |
いつか時間が。きっと時間が。 |
人間の性格というものは 文系と理系に分別できるとすると 文系型人間は 語彙に長け その為 行間を読み 人情的でもあり その反面 言葉巧みに 屁理屈をこきやがるものであり また理系人間は 合理的 且つ機能的に物事を判断し 理論に会わないことは納得せず 直情的傾向が見えるもので 理論では想像し得ない状況に 反応が鈍いのだけれど ひとたび 専門分野に至れば 真っ当過ぎる理屈で相手を攻め 人間真っ当正当に責められると 屁理屈でこねられるよりも 余計腹が立つもので そんなとき 役に立つのは 体育会系の人間で もとよりスポーツバカなので 屁理屈で責められようが 正論をかまされようが 有無を言わさず 腕力で場を収めてくれるわけで さしづめ日本は アメリカという 体育会系大親分を抱えているという点においては 理系偏差値・科学技術が発展しようとも 一連の亡命事件なども 屁理屈をこねて正当化しようとし 思いっきり真っ当な正論の 中国の突っ込みに 小泉の支持率は ついに30%台に突入している様を見ると 性格的には 文系国家 と言えるのだが そのニッポンでさえも 学力世界一と謳われたのは 今は昔 ゆとりと言う名の 子供の甘やかしにより 若者の学力低下が著しく 安易に犯罪に走る若者を見ると 一時期の学歴社会の副産物 子供のクセして 理論武装し大人を舐めくさる 可愛げのない 頭でっかちの子供よりかは 馬鹿でも良い 腕白に育って欲しい といった昔のフレーズが 頭がよぎるのだが わんぱく過ぎるほど 安易に犯罪に走る若者を見ると 学力低下によって 案外体育会系になってきたのかな そう思うと 意外と学力低下も捨てたものではなく この際 逞しく腕白になったのだから 日米安保条約など破棄し 核武装して 中国から亡命者を 取り返すくらいのことをしても 良さそうなものだが 世界各地で戦争・暴動・テロが もはや日常の世の中 世の流れに沿って 日本もそうあるべきなのだが 旧態依然 所詮日本は 学力が低下しても 中身が空っぽになっただけで 以前として 頭でっかちのままであるわけだけれども 私においては その少年期思春期 小柄だった私は 周囲の同級生よりも成長が遅く 陰毛など生えたのは 中学半ば 腋毛に至っては 高校生になってからといった状況で やはりそれは 多感な思春期において コンプレックスだったのだけれど しかしそれはどうしようもない 世の流れに倣い 世の流れに身を任せていれば いつしか コンプレックスは消え コンプレックスが遠い昔になった頃に 陰毛や腋毛が もおいやああああっちゅうほど ジャンゴージャンゴー 生い茂る陰毛を見ては コンプレックスなど 時間が解決してくれる そう思っていた 否。 今でもそう思ってるんだ。 されど 我がちんこの皮は 未だ幼少期のまま いつかちんこもむけるだろお いつか時間が解決してくれるだろお だけど 時間が解決してくれたのは ちんこの皮ではなく ちんこの皮ですら いとおしく思える性格であり よく屁理屈などと批判されてはいるが 違う 私は文系人間に見られる 頭でっかちではない ちんこの頭が小さいからこそ 皮をかぶっているのだから。 皮が長いのではない カリが小さいのだ。 時間が解決してくれた事は 女性をイカせられない原因は 仮性包茎ではなく カリが小さい その発見なのだった。 いや、 いやきっと 時間はまだ解決していなくて もしかしたら 私は未だ成長期で 30歳になったら ちんこはむけてくれるのかもしれない。 そう。 思う事にした。 そう 思えるようになった。 いつか時間が きっと時間が。
でもね 皮が長かろうが カリが小さかろうが ちんこ自体 短いのは短いのだけれどもね そりゃごめりんこ。
2002年05月20日(月) |
腋の下の危機管理意識。〜それはそれでありなのだけれど。 |
さて民主党から 街中での咥えタバコに刑罰を与える という法案が提出・審議しているそうなんですが まあ今日の国会 実際に通る法案は その90%が内閣立法であるため そんな馬鹿げた法案が しかも議員立法が 様々な問題が山積みしている今国会中に すんなり通るとは思わないけれども しかしまあよくまた喫煙者の人権を無視した 法案をよく思いつくことには 感服はするが しかしまあ嫌煙家の自己中心的な モノの考え方は 傲慢と言うより他ならない タバコを買う・吸う時点で 我々喫煙者は税金を払い 国に貢献しているのにもかかわらず 其処からさらに 罰則を設けて罰金を徴収もしくは懲役などと 国を上げてのカツアゲ・嫌がらせに過ぎず 日本国憲法というものは 民主主義において 法の下に平等であるはずであるわけで だからこそ所得税などは 低所得者、高所得者に不平等が起きないように 所得により税率が定められているのであり 消費税に関しては一律5%と定められており そこには日本国憲法どおり 平等が成り立っているいるのにも関わらず 愛煙家と嫌煙家の間では 差別・人権蹂躙が行われているのに納得がいかないのも ごく自然であるのではないか 例えば税金を払って国に貢献している 愛煙家のなかから 発案されるのならまだ筋が通っているのだが タバコを吸わない・税金を払わない そんな奴らに愛煙家の気持ちなどわかるはずもなく またわからないからここそ 余計に腹が立つもので そもそも この法案の原点は 街中での咥えタバコ・歩きタバコが 丁度子供の目線あたりにくる為 火傷して危ない という発想から来ているらしく そんなものは 親がきちんと責任を持って 街・繁華街などは危険なところである と危機意識管理を教育すべきで もとより 繁華街が危ないという思想こそが グローバル・スタンダードであり 夜・深夜繁華街を平気な顔して歩ける 日本こそが今まで異常だったわけで そんな教育もせずに 繁華街に子供を遊びに行かせる時点で 全く持っておかしいのであり はっきり言って親の教育の怠慢にすぎない 日本は安全とかそおゆう概念こそが 日本人の平和ボケを助長し イスラエルとパレスチナのキリスト生誕教会 今世界で一番の危険区域に のこのこと日本のバカップルが歩いていた などと言うのはまさにその象徴なのであり 今回の亡命事件を見てもわかるように 緊急の事態に日本人は対応できない テロや戦争は他人事なのであり 無防備でまた無策 この日本にだって いつ北朝鮮からミサイルが飛んできてもおかしくはないし それどころか もうW杯 北朝鮮のスパイが 実際に日本に大量に潜入することも 絵空事ではないのであり 例えば今国会では 有事法制について論議されているのだが 武力攻撃における非常事態について 具体性がない いつ如何なる状況になれば 自衛隊は出動するのか 具体的に示せ などと小泉は批判されているのだが 私は小泉を支持する気も無いし 小泉を擁護する気はさらさらないのだが はっきり言えば いつ如何なる状況が わからないからこそ非常事態なのであり そのいつ如何なる状況が わかってから対応した時点で ミサイルは着弾 飛行機は突入 見えない相手は馬鹿ではないのだから すぐにバレる単純な作戦などとるはずもなく 国会議員からして 平和ボケしているからこそ 有事法制案については しかるべき法案を しかも早急にまとめるべきなのである さらに原点に戻ると そもそも何故我々愛煙家が 街中でタバコを吸うのか それは嫌煙家の傲慢な差別によって オフィシャルな場での喫煙は禁止されてしまった為 精神的苦痛を伴なう仕事や オフィシャルな場でのストレスを解放する為に 街中での喫煙をせざるを得なくなっているわけで ましてやオフィシャルな場を 全面禁煙などとするから ゆっくりとタバコを吸える場所が 街中しかない状態ではないか もちろんオフィシャルな場を禁煙と決めつけたのは 嫌煙家に過ぎないわけで なんてことはない 今世間で騒がれている タバコのマナーの問題の全ての発端を辿っていくと 嫌煙家に行き着くのであり 全ての問題は嫌煙家にあるわけで 例えば飛行機でも同様である 人権差別で全面禁止などにするから トイレに隠れて吸ってしまい 煙感知気に反応し 緊急着陸 哀れ多額の損害賠償を支払うのは 税金を払わない嫌煙家 ではなく 悲しいかなきちんと税金を 収めている愛煙家なのであるし 例えばよく 自ら近代化と謳いながら 森林伐採など行い 伐採するだけ伐採していおきながら 自然保護オゾン層がっ二酸化炭素がっ などと後から自らの行為を省みず 大騒ぎしているのと同様で 愛煙家を排除しておきながら それによって起きる問題も 全て愛煙家の責任にし まさしく迫害・差別ではないか だからこそ だからこそ私は ポイ捨てという行為で反論し 仮性包茎であることを公表し 仮性ちんこはクサイ・不潔・短小 などといった差別に真っ向から立ち向かい 仮性包茎はクサクない 何故ならば 案の定 クサイ・不潔などと差別される 危機意識管理が徹底しているため 普段から 使う事などないとわかっていながらも ちんこのケア・お手入れに余念が無く 冬の女性の 少しおざなりになった 腋の下のお手入れとは 訳が違うのだ。 嘘だと思いますか それでも差別しますか なんなら試してみますか 私のちんこで試してみませんか え?みませんか? ただ。 ただ。 短い。という点においては まさしく 短いのだがね。 そりゃごめりんこ。
束縛されるのが嫌いだ 所詮他人同士 価値観が違うのは当り前だ だけどね 緊縛されるのは 意外にもOKだ いやむしろ縛られた方が ちんこには気持ちが良い。
休みの日など 全裸で居ることが楽しい。 閉塞された日常からの 束の間の脱却・解放 だけどね レザーや女性下着や ぴっちりと身体を 締め付けられるのも なかなかおつなものだ。 女装趣味は無いが ブラやパンティやストッキング あの緊縛感を想像すると そおゆう趣味がある人に 共鳴してしまう。
故に 集団行動など大嫌いだ ついつい無意識に 和から離れて行ってしまう だけどね 一度でいいから 乱交プレイをしてみたい 和など乱すどころか 淫れてしまいたい。
他人にあれこれと指示されるのが嫌いだ 勿論 自分に至らない部分があれば 自ら指示を請う事はあるが 頭ごなしにやいやいと言われると お前が決めんな、おらぁ、だらぁ と悪態をついてしまう だけどね あぁ、そこぉそこがいいのぉ こっちこっちを責めてぇ などと言われた日には 素直過ぎるくらい 女性の言い成りになってしまう。 もちろん そんな自分が大好きだ。 それが男の仕事だ。 見事イカせた ことは少ないけれど。
ひとりで行動するのが好きだ 何処へ行くのも 何をするのも 自由 だけどね やっぱし ひとりエッチは気持ちが良いのだ 何をネタにするのも 何処をいぢくろうとも 自由 自慰行為をすると ゆっくり眠れる 嫌なことも ちょっとは忘れることもできる。
ケータイ電話も持ってはいるが あまり使わない むしろ鳴らないのだけれど だけどね 誰だって一度は あのブルブルを ちんこやおまんまんさんに 付けたことはあるはずだ それが 人間だもの。
私は女心がわからない 急に泣いたり笑ったり 嫌よ嫌よも好きのうち だけどね 女性の性感帯は 知ってるつもりだ ただそのツボを こう、くいっくいっと してあげるのがヘタクソなのだけれど。
私の思想概念は もしかしたら 少し右派的かもしれない だけどね 左の乳首が気持ちいいのだけれど それでも ちんこは やっぱり右に曲がっているようだ。
私の心と 私のちんこは 正反対。
ちんこって不思議ね。
総理大臣には官房長官が 各省庁の大臣にも 事務次官や政務次官 大統領には補佐官のように 世の中というのは 実質 NO.2によって動いているわけで 政界に留まらず スポーツなら 監督とヘッドコーチ 映画なら 監督と助監督 企業なら CEOとCTO トップというものは あくまでも象徴に過ぎず 最終決定権を有しているだけで だけというか そおゆうもので NO.2 所謂腹心・右腕 があってこそのトップ これが組織 というものだけれど AVにおいても 主役である女優もさることながら さらに女優の持ち味を生かす男優は 脇役というより寧ろ もはや助演男優なのであり 例えば女優は 思いっきりちんこど真ん中ストライクでありながら 今ひとつちんこが乗りきれない 勃ちが鈍い ああ俺もそろそろ歳かな なんて思うことが 男には良く有るのだが それは決して ちんこ年齢のせいではなく 男優がただ性行為をしているだけで 魅せる性行為をしていないのである これはプロにあるまじき行為で プロである以上 女優をイカすことは勿論 その過程において カメラの向こう側で ちんこを握り締めている 我々を常に意識しなければならず その点加藤鷹においては もはや至芸ともいうべき 水芸の如き潮吹きという必殺技で 女優をあられもない姿に導きながらも ちんこも絶頂に導いてくれる AVを選択する歳にも 安心感を与えてくれるのだが どうにも天気予報が許せないのだ その身は公務員ではないけれど 気象予報士という国家資格を保有し 国民の税金で作られた気象衛星やら 気象庁のデータを使いながらも てへ。もう梅雨に入ってました えへ。今日は雨が降りました などと予報士のクセに 事後報告である事もしばしば それだけ予報が的中しないどころか えへらえへらと 謝罪もせずに笑ってけつかるのだ プロ意識の欠如というより寧ろ もはやこれは 詐欺 なのでありそのおかげで雨に濡れ 風邪をひき 仕事を欠勤 社内ではきっとズル休みよ なんて噂され 遂には 頭の中でヒソヒソ話しが聞こえるようになり 情緒は不安定になり 挙句 OD・リストカットにも走るわけで これは充分に損害賠償の対象に なっても良いのでないか メディア規制法案が成立するならば 国は真っ先に この詐欺天気予報を規制すべきであるのは やはり女性の乳房というものが ブラがあっての乳房であり ブラを取ってしまった乳房に もはやブラを取る前の魅力は無く ときに 乳首若しくは乳輪が まるで詐欺 みたく真っ黒・いびつなカタチであったなら 尚更 ビラビラ・クリトリス・穴 NO.2の存在無くとも ひとつで3度気持ち良い おまんまんさんに魅かれてしまうのもまた事実 世の中の構造が 右腕が実質実験を握っている それが世の中の真理 でありながらも 右腕の存在無くとも 充分に気持ちの良い女性は やはり逞しいのであるが 男はといえば そんな女性を前にして そんなAVを前にして 世界中の殆どの男は 右腕で ちんこを擦っているのである かくいう私も。 故に男性社会なのか 社会に呑まれやすい男性の弱さが そこにあるのか 気象予報士は答えない。
なんでも今日本で 鯨サミットというか 要は日本をはじめとする捕鯨派と アメリカを代表とする反捕鯨派が やいやい言い合う会議が 数十カ国参加なんて いやん結構大規模に行われてるそうで 日本の代表の偉いさんは 鯨の種の保護だとか生態系の維持には 一定の理解はあるものの 食文化にまで追求するのは 内政干渉以外の何物でも無い と声を荒げていたのを 私はニュースで ちょっことしか見ていないうえ 頭が賢くないので 難しいことはわからんけんどもね そりゃ全くその通りで 結局鯨を食ったことのない人間と 鯨を食する人間が やいやいと会議をしたって どうあがいても交わるわけないのであり 全く持って 大きなお世話 特に西洋と東洋では 古代から食文化が違うからして 我々日本人が例えば刺身 魚をナマで食すなんて 気持ち悪がられる事が多々あるが 勿論 同じ民族・人種であっても 私はピーマンと納豆を食う人間の頭は 理解できないし 結婚の条件は納豆を食わない女性がいいのだけれど けれども 納豆食ってるからって それを食うことを 強制的に中断させる気はさらさら起こらないし またそんな権利も無いし また実際私自身食して見て ピーマン・納豆を食う人間は理解できない と至るわけだが 私の仕事場が 禁煙になって久しいのだけれど そんなにタバコがいけないのか それよりも タバコを吸うのに わざわざ喫煙場まで行くのはまだいい だがどうにも サボッテいる感で観られることに腹が立つのだ 第一 禁煙になったおかげで 仕事の効率が落ちイライラし 自分を落ち着かせるために喫煙をする事は 頭がリフレッシュされ それはひいては仕事の効率が上がり 会社の利益にもなり得ることもあるのだから 禁煙と言うのは 逆に会社の利益は落ち 収入も減り 余計に気が滅入り それこそ体調をくずすもので まったく嫌煙家というものは 自己中心的でお節介 大きなお世話なのであり タバコには 百害有って一利無し などと言われるが 害とは何ぞや 健康を害する 愛煙家は別に健康を望んでいるわけでもなく 先に述べたとおり 吸わないほうが心身に異常をきたすのだ 健康を害するなどと言うのは たぼこを吸ったことの無い人間の 妄想に過ぎない たばこ代が懸る・もったいない 自分で稼いだ金の使途を他人から とやかく言われるいわれはないし 第一税金を払っているのだ 消費税が5%で済んでいる もしかしたら道路整備 喫煙家の税収でできているのである 立派な社会貢献だ 税金を払うなという嫌煙家こそ 国賊であり非国民であるのだ 煙が臭い 私にはおばはんらの香水や 満員電車のおっさんの汗や口臭・体臭の方がクサイ その臭いが タバコの煙で中和されるのは良い事ではないか 結句 鯨同様 嫌煙家は内政干渉であり タバコを嫌う前に 一度吸ってみると良いのだ 結果は目に見えている 嫌煙家もタバコをやめられない止まらない 鯨も一度食べて見ればよいのだ お互いがお互いの領域に 踏み込んでみない限り 平行線を辿るどころか 愛煙家が差別・人権の侵害・迫害を 受けるわけで そうゆう観念から ちんこも おまんまんさんに挿れてみないと わからない事が多いわけなのだが そおゆう理由なの 食わず嫌いはいけない 食ってから善悪を見極めればよいのであり 今 レズモノAVで良く見かける レズの明るい性生活の為に開発された ペニスバンド 其れを着けて あろうことか 男性のアナルを責める 文字通り女が男を犯す アバンギャルドな 鯨を食すよりもクレイジーな AVを前にして いやいや使い方間違ってる間違ってるでぇ あかんあかん そんな使い方したらあかんでえ と思いながらも このAV グリーンピースや嫌煙家などの 似非ヒューマニスト達に見せてやりたい。 鯨だのタバコだの ゆうてるヒマはないのだよ このニッポンという国は ちんことおまんまんさんのもとに 自由・人権があるのだ。 ちんこをおまんまんさんに挿れて わかる事が有る ペニスバンドをアナルに入れて 見えてくる世界もあるのだ ペニスバンドの間違った使い方こそが 西洋文化を受け入れ 和を加えて独自に応用して発展させ 新たな文化として創造する 逞しい日本人の文化の象徴なのだ。 なのか?
女性が世界一 綺麗な瞬間は フェラーチョしている瞬間である これは紛れもない 世界統一見解だ 女性が世界一 可愛いく思える瞬間は 排尿する瞬間である ういういういしさと恥じらいと ビジャビジャというだらしない音との コラボレーションだ 女性が世界一 逞しくなったと しみじみできる瞬間は 口内発射を頬張ったときだ 人参が嫌いで 給食ではいつも食べられなかったあの娘が 頑張って食べた よくやったねと誉めてあげたい 女性が世界一 子供っぽさを垣間見せる瞬間は タマタマと戯れているときだ その姿は 猫と猫じゃらしの如し 女性が世界一 人間らしく思える瞬間は パンティから毛がはみ出ているときだ お化粧しておしゃれに着飾り されどはみ出している陰毛は 耳無し法一だ でもそれも人間 完璧な人間など居ないのだ そもそも Tバックやヒモパンなど どうやって毛を収めろというのだ はみ出てない方が 却って不自然である 女性が世界一 美味しく思う瞬間は 腋の下の黒いブツブツを見つけたときである 女性の腋の下の黒いブツブツさえあれば ご飯3杯は食べれる 女性で世界一 ほのぼのできる瞬間は 下着を選んでいる姿である 安いのにしようか ブラとセットにしようか 大胆にレースにしようか リボンのんにしようか はやりや流行に流される事無く 女性の本心が出る一瞬でもある 様々な想いを馳せながら 下着を選ぶ女性の姿は ひなたぼっこしてるみたいに ほのぼのとしている 女性で世界一 微笑ましく思える瞬間は ドラッグストアやコンビニで どの生理用品にすべきか 一考しているときだ 男性にはない瞬間だけに 悩めよ乙女頑張れよ そんな気にもなる 女性が世界一 可愛く思える瞬間が もうひとつあった それはちんこを挿入して ぶひぶひいいばふうなどいう 所謂まん屁、ちならと呼ばれるものをしたとき 気持ちよがりながらも なんとか弁解しようと繕う姿だ そんな姿を見ると なおさら音を出させようと グラインドを続けてしまう 女性が世界一 神様に見えるときは 初めての性行為時に ブラを外してあげるときだ 無神論者の私といえど 乳輪でかくありませんように とおみくじ感覚だ 女性が世界一 猫だと思うことは 無駄毛を処理していることだを 猫は死ぬ時その姿をみせない 女性が世界一 凛々しく思えるとこは その陰毛だ 毛とは本来 人間の身体を守る役目を果たすものですが 女性の陰毛は 何も無い不毛地帯の恥丘に 太陽の光を浴びて 上へ前へと伸びている その姿は力強い 女性が世界一 イヤらしい瞬間は エッチしたあと まるで何も無かったように 澄ましてホテルをでるところだ 女性の世界一 やさしさをかんじるところは やはり尻だ 桃尻とも形容されるそのカタチ いろんな思い出が詰まっているかのようなふくらみ そしてなんとも筆舌し難いあの感触 よくよく観察すると そのカタチは人様々 触って良し 叩いて良し 舐めて良し 挿れて良し 様々な機能を兼ね備え よくよく観察すると そのカタチは人様々 その様々なカタチにこそ 先に述べた様々な世界一が詰まっており さながら女性の尻は コスモだ 小宇宙なのだ そしておまんまんさんは ちんこはじめ 世の様々な動乱を吸い込む ブラックホールなのかもしれない。 だからこそ 世界一は尻であり 尻を持つ女性なのであり 尻語らずして 尻に揉まれて 尻があるから 私は今生きている 私がもしこの先 世界一仮性ちんこになったら そのときこそ 小宇宙の尻があるからこそ 私がある。 そう言える大人になりたい。
差別論とか人権論とか そういった事を無視して見ると 客観的にホモ行為は やっぱり気持ち悪いと思うのだ 本人達は気持ち良いのだろうが レンタルビデオ屋においても ニューハーフモノは ごく最近になって ちらほら見かけるようになったものの ホモ専ビデオなどかけらもなく セルビデオ屋のわずかな一角でしか 存在していないのを見ると やはりそれだけ 認知されてないということなのだが 対照的に レズモノビデオは 毎月なにかしらの新作が並ぶほどの 市民権を得るどころか 社会に幅広く認知されているのであるが それは勿論 AVのほとんどが 男性を対象に製作されているからで じゃあじゃあじゃあじゃあ 男性の立場から見ると ホモは気持ち悪くて レズは気持ちが良い と思うように 女性的見地からすると レズは気持ち悪い ホモは気持ちが良い ということに成り得るのか 男と女が同じ人種ならば そう成り得るのが自然なのだけれども 不思議なもので 必ずしもそう成り得るとは どうやら 限らないようであるのは 女性から見るレズの気持ち悪さ という点を考みると なんともなれば女性は レズでなくとも 日常から お互いに手をつなぎ合ったり きゃあと抱きついてみたり 積極的に肉体接触の コミュニケーションをとっているどころか 友達の部屋に泊まっては 一緒に風呂に入ったり 大きくなったねえ なんて触りあいっこをしたり 仲が良いということは 広義な意味において プチレズ レズ症候群といっても過言ではなく いつでもどこでも レズプレイをやろうと思えばできる 普段から常に臨戦態勢なのであり なのに 仲の良い友人知人と最後の一線を越えないのは やろうと思えばいつでもできる という安心感と いつでもできるのだから その他に一線を越える理由がないだけなのである あまつさえ 乱交プレイにおいて 乱交モノビデオにおいて 4P5Pそれ以上となっても 女性が2人いれば 乱交中必ずと言っていいほど 女性は男性に責められながらも もう一人の女性にキスしたり触ったり愛撫までも 男性はといえば いくら乱交だからって 相手の男性を愛撫・フェラーチョはおろか 触れることすらない ということが何よりの証拠であり さらには 女性から見るホモの気持ち良さ この点に着目してみると 古くは 少女漫画から飛び出た バンコランとマライヒが 茶の間を席巻したところから始まり 最近はやおいなどと 一大産業の基盤が築かれているさなかで やはり女性は ホモを見ると興奮するのであり この2点間の相違を見ると やはり女性と男性は違うことは もうこれ明白 どころか 女性のほうが 性界隈に対しては 男より貪欲・好奇心旺盛なのであり 全身性感帯の女性に比べ ちんこしか気持ち良くない 男のコンプレックス 淫乱・メスブタなどと女性を蔑視し 男性社会において セクハラなどが横行するわけで なんてことない それは単なる 男の歪んだひがみなんだな ひがむくらいなら ホモ行為に走り 自分の性的強度を高めれば良いものの 所詮男は弱い そこまで追求する努力が足らないのだ おりしも 男女間の性行為において 男は必ずしも ナマでやらせて なんて女性に強要するのだが それはあくまでも おれのちんこはつよいんだぜい っといった虚勢であることが多く 実は女性から ダメ。妊娠したらどうするの なんて返事を期待しているわけで いざ実際に女性から 素直に うん。いいよ。 なんて予期せぬ言葉を発されたら おまんまんさんの手前 ここで逃げては男が廃る なんてさらに見栄を虚勢を張ってしまい 一見冷静さを保ちながらも 頭とちんこは 急な状況に対応しきれず 膣外射精に失敗 あわれ妊娠 それでも堕胎すれば良いものを また虚勢を張り 俺が責任取ってやるなんて 見栄を張り 哀れ こんなはずじゃなかった なんて思いながら それでも別れる勇気もなく ただだらだらと生き長らえ 死ぬ間際に あのとき避妊していれば といまわの際に初めて ようやく己の無知さに嘆くもので そう考えると やはり女性は逞しい 例え彼氏がいなくとも 女性がいる バイブがある 夏野菜がある 女性は身の回りもの全てを おまんまんさんに対応させる術を知っている レズモノビデオは たくましい女性の強さに 憧れながらも ホモ行為にすら 走れなかった 走りたかったのに 走る勇気がなかった 走らないことを選択してしまった 気づけば 走っていくには遠すぎる 歩いて行くには若くはない そんな男の残された たったひとつの 一筋の希望であるのかもしれない。 そんなわけで 私のちんこは レズブーム。 ういういういしいのが好きなんです。 だから。 だから?
俺27歳 社会人で独身 自覚はしていないが よくイカついと言われる 先日も街中で 明らかに私がよそ見して歩いていたのに ぶつかった相手に す、す、すいませんと 必死で謝られた 職場で不機嫌でいると 周囲がやたらと気を使うこともある ケンカは強くはないが 売られる事自体あまりない 例えばコンビニやいろんなお店 その入り口で 出てくる人間とばったり向き合う事があるよね そんなときも たいてい相手が道を譲ってくれる ひとりでマクドに入れる ひとりでファミレスにだって行ける 寿司屋に入る勇気はまだないが 焼肉専門店には入れるようになった ひとりで映画館に行くのが好きだ ひとりで旅行に行くのも好きだ 風俗だって平気で行ける 裕福では無いが 金に執着心は無い 金の使い方も 良く言えば豪快だ 彼女がいなくとも寂しくは無い 同年代の友人知人達が結婚しようとも 特に何とも思わない 人は人だ 独り泣く夜はない 独りでも平気だ ケータイが鳴らなくとも メールが来なくとも 気にならない 政治にだって関心がでてきた 経済にだって関心が強い 日経新聞だって読めるようになった 税金や年金でさえも 不服では有るが きちんと納めている 社会のからくりが見えてきた 世の中嘘と欺瞞と金に塗れた 作り物の世界とも思う 人生死ぬまで生きるだけ なんて悟りもした 勿論 流行に流されることなく 自身で善悪を判断し ポリシーだってある 自己主張ばかりしているわけではない 他人の進言や苦言・助言には きちんと耳を貸し 他人の短所には お節介せずに黙って目をつぶり されど自分を頼ってくる 若者の相談には 親身になってあげれる 誰も私を必要としていないし 私自身望んでいない 私が居なくとも 私の代わりなど 他にいくらでもいる 強がりでもなんでもなく 本心でそう思う 私には何も無い 私は私が無知である事を知っている 皮は被っているが コンドームなしでの性行為は 充分ヒットできる大人ちんこのはずだ オナニーはするがきちんと後始末はする 夢精はもうしない ビデオ屋でAVを借りるのは全然平気だ そのカウンターが若いお姉ちゃんでも気にならない ナマでやらせてなんて女性に強要しない 顔面発射も女性に強要しない AFも女性に強要しない パイズリも女性に強要しない 顔面騎乗も女性に強要しない ワカメ酒も女性に強要しない 強要する事と言えば 左の乳首を責めてもらうことと 脇の下の黒いブツブツを 舐めさせてもらう事くらいだ 以上 簡単ではあるが 私の人となりをざっと挙げてみたのだが どう客観的に見ても 良いか悪いかは別として 立派な大人である と判断する事ができるのだが そんな大人な私といえど ドラえもんがネズミを オバQが犬を ハクション大魔王がブル公を それと同様に ゴキブリが嫌いなのである。 否。苦手なのである。 それ以上に 怖いのだ。 ゴキブリに囲まれるくらいなら ヤクザに囲まれたほうがましだ 無人島に何かひとつだけもって行けるならば 間違いなく殺虫剤を持っていく 誕生日には殺虫剤が欲しい 私との結婚の条件は ゴキブリさえ殺せれば。 料理や家事などできなくとも構わない それくらい ゴキブリがこわいのだ。 先ほど述べたような大人が ゴキブリを見ると 泣いてしまうのだ アル中でもパーキンソン病でも無いのに マイケル・J・フォックスみたく ぷるぷると震えてしまうのだ。 ゴキブリが出現しまくるほど 私および私の部屋が汚いというわけでは無い 一夏に2、3回しか遭遇しないのだが それでも怖いのだ 理由はいろいろとあるのだが ともかく怖い怖くて仕方がない 部屋にはホウ酸だんごを置いている がしかしこのホウ酸だんご ゴキブリの殺傷能力はあるものの 使用期限を過ぎると ゴキブリの大好物になってしまう諸刃の剣 あまつさえ 近年のホウ酸だんごは 誘引力強化などと ゴキブリをおびき寄せる仕組みになっている いやあおびき寄せないでえ 部屋に入れないでえ と切に思う だから私の部屋には ホウ酸ダンゴで弱ったゴキブリ対策用に 強力ゴキジェット・プロを年中装備しているわけで 秒殺と謳っているだけあって 弱ったゴキブリには効果覿面なのだが 残ったゴキブリの処理に困る 確実に死んでるのだけれど そうわかっていても 怖いのよ怖いんだ怖いのさ これが積年の悩み これが私の夏嫌いの理由 誰にも明かせない悩み なのだけれど だったんだけどさ 先刻 たまたま観ていたTVで流れたCM 「ゴキパオ」 などとふざけたネーミングだけれど なんとこれ スプレーから粘着性の泡状のものを噴射し ゴキブリを捕まえると そのまま白い泡が硬化し ゴキブリが見えないまま ゴキブリに触ることなく 処分できるという優れものなのお これはすごい 発明した奴にノーベル賞をあげたい 発明した奴に何でもしてあげたい 発明した奴にフェラーチョしてあげたい 早速明日買いに行こうと思う 長くてスマン オチが無くてスマン ともかく 私は声を大にして叫びたい ビバ科学!! 科学LOVE!! イエス!!科学イエス!! ゴキブリよ人間の叡智を思い知りやがれ。 私はAVという人間の叡智を これから楽しむのだ。 女子校生LOVE!! おまんまんさんLOVE!! イエス!!俺ちんこイエス!!
2002年05月13日(月) |
レズれっ!!っと言われてもぉ |
レズが好きだ 否。 レズ的性行為・レズプレイを 観ることが好きなのだ。 勿論 機会あらば 是非ともお仲間に いつ何時誰の挑戦でも受ける 参戦する意思はおろか その準備さえ 普段から整えているのだけれど 哀しいかな 僕にはちんこがある 嫌最早僕のちんこは ちょっと大きめのクリトリスと 言っていいほどの大きさなんだから レズプレイにさほど支障をきたさない のではないかと思うけれども やはり生体学上 それはちんこなのだから プレイに参加した時点で それはレズプレイではなく 乱交・3Pと名が変わるわけで いやまあプレイできるのなら 多少名前が変わろうとそれは たいした問題にはならなないのだけれど やはり男1女2と考えると 乱交プレイにおいては 2人の女性のベクトルは 自ずと男のちんこに向かうのが自然 いやあ。たはは。王様だよ王様。 けれども レズビアン2男1と言った場合 やはりレズはレズであるゆえ レズ同士で盛り上がってしまい 勿論たまには 相手の嫉妬心を兆発させるために 一時的にベクトルはちんこに向かう事も あるやもしらぬが それでも本線は女同士 あぶれた私は 仲間はずれ 嫌な少年時代を思い出してしまい とても性行為などと気分にはならないどころか 深い傷を掘り起こされてしまう始末 其れ故に なおさらレズプレイに対する思いは 日に日に深くなってしまうのだけれど そんな切なる想いを抱きながら レズものビデオを見るのだけれど 疑問に思うことがある レズの性的快楽と言うものは 男性には無い 女性特有の肌の柔らかさ 同性同士の性行為という背徳感 この2点が大部分を占めると思うのだが この2点に共通する事は 反男性・男性排除 その反発として女性にベクトルが向かうわけだが 最近よく見られる傾向として バイブ・ペニスバンドを小道具として使っているのである 男性が嫌い 若しくは 男性には無いものを求めるために レズ行為に走っているのにも関わらず 男性自身の模造品を使用するのは どういったことか 男性同士 所謂ゲイさんホモさんの場合 女性には無いちんこを求めるが故に AFに辿りつくのは自然な流れるわけで そのなかにおいて 女性のかけらは見られず 女性同士の場合に限り こういった矛盾が起きるのは まったくもって 私のちんこには理解不能なのであるが せっかくの女性同士 男性には無い その柔肌を楽しめば良いじゃあないか おまんまんさんは 貝合わせだけでは満足しないのだろうか やはり女性は 穴に挿れないと駄目なのだろうか 作り物チンコを使うのなら いやいや 俺のちんこ使えよ いつでも使ってくれよ 女性界ではちんこ不足現象が起きているのか はたまた もはやバイブ・ペニスバンドは どうだいあんたはちんこごときに感じているのよ げすなちんこにもてあそばれているのよ といった一種のSMプレイなのであろうか いやもちろん 女性のペニスバンド姿は 女性特有の曲線バディに 似つかわしくない反り立つ模造ちんこ 男から見ても凛々しく なんなら そのペニスバンドで 私のアナルにも挿れて欲しいくらいで しかしそうなると 形式上 ニューハーフとのプレイに相成るため レズさんのペニスバンドは 女に挿れる為に有り 決して男には使用しないのであろうか でもやっぱり ペニスバンドを挿入した時点で それはレズプレイじゃないような 気がするんだよなあ それは本当に 本物ちんこじゃだめなのか? だめなもんかね? いずれにしても レズ道というものは 我々が想像するよりも 遥かに奥が深く 極めるのにはまだまだ 経験が浅い私のちんこ レズ道は奥が深い レズビアンの方々 レズ行為を生業としている方々 良ければ 悩めるこのちんこに ご指導ご鞭撻の程 よろしくお願い致します そしてもしよろしければ クリトリス並みの私のちんこも 貴女たちのお役に立ちたい 何時も貴女たちが 私のちんこのお役に立っているので 私のちんこが勃ちまくっているので。 レズ道を極めろ。
馬鹿は死ななきゃ治らない なんて世間はよく言うのだけれど 残念ながら 世の中そんなに 甘ったるい言葉で 済むようにはできておらず 実際には 馬鹿は死んでも治りません 周囲がどんなに 苦言・進言を呈したところで 本人自身にその気が無いのだから 本人自身にその意識が無い以上 馬鹿の概念は 死んだところで 変わりようが無いわけで また同じ馬鹿を繰り返し 一生変わらず 馬鹿は馬鹿のまま あまつさえ 馬鹿な人間というものは 馬鹿であるが故に 他人の言う事など 耳を貸さず それどころか 馬鹿の概念で包まれているため 馬鹿主張が激しく こちらが200%正当な苦言・進言をしてやっても ときには激昂 ときには論理のすり替えで 我が身を正当化しようとし 今で言う逆ギレ 逆ギレという行為時点で 如何にこちらの苦言・進言が 的を得ているか 馬鹿自身が証明している事さえも 馬鹿は馬鹿であるゆえ 馬鹿自身は全く気づいちゃあいない そんな態度だからこそ 馬鹿は死ななきゃ治らない なんてこちらは諦めざるを得なく 挙句 馬鹿に振りまわされる 我々が泣きを見ることになり 馬鹿ではない正直者が 馬鹿を見る 馬鹿は他人を傷つけていることに 馬鹿であるゆえ気づかないまま 何も考えず それどころか 自分が馬鹿であることにすら気づかず のうのうと生き長らえるのであるが しかし逆に 馬鹿が馬鹿であることに気づけば 馬鹿にも救いようがあり 無知の知 なんて昔のおっさんは言いましてえ 謙虚に馬鹿であることを受け止め 素直に他人の苦言・進言を聞き入れれば 馬鹿は最早馬鹿ではなく かしこに成りうる事ができるのであり かしこにもなれば 周囲の苦言・進言の善悪も判断でき 同じ過ちなど繰り返さず 他人を思いやる事もでき また馬鹿を見ては 死んでもああゆう馬鹿にはならない そおゆう自信が無くとも 思う・考えるだけで 最早それはかしこになった と自信を持てば良いのであり 誰も先のことなどわからないのであり 其れよりも何よりも 1+1=2なんてものは 人間の数千年の歴史においても 証明されてはおらず 便宜上そう仮定する事において 折り合いをつけているに過ぎないわけで そう考えると 馬鹿は本当に馬鹿である かしこは本当にかしこである とは必ずしも成り得ないことにもなり 周囲は馬鹿だ馬鹿だと思っていたら なんてことはない 自分のほうが馬鹿であった ことなんてよくある話しで 世の中不確定要素があるからこそ 妙味とも成り得るのであり ここで問題なのは 自分は馬鹿だ なんて思っている人間ほど そう思っている時点で馬鹿ではなく 馬鹿な奴ほど 自分はかしこである などと何の根拠も無く そう思っていることであり 故に 馬鹿は死んでも治らない だって 自分が馬鹿だとは思っていないのですから。 幸いにして 私の場合は 馬鹿であることに気づいているどころか 努めて馬鹿になることに 日々心がけ精進し 其れよりも何よりも 女性との性行為において 毎度毎度 女性をイカせられないまま 自分だけイってしまっては もう。馬鹿。役立たず。 なんてちんこともども 叱咤されることが 何よりも そう 証明しているのです。 人は心の傷があるからこそ 人に優しくなれるもので ちんこにも 優しくして欲しい。 激しいのも好きだけど。 この馬鹿ちんこ どうぞよろしく。
連日連夜 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 自慰行為をしていると 流石にもう若くは無い ちんこをコスルだけで 可笑しくなれる10代とは違い ちんこがへこたれることも多く もしかしたら 未だ変わらず皮の長さに ちんこの見た目は子供でも 流石に ちんこ精神年齢は大人になったのかな そう思うことが多くなった 何よりも 最近のオカズといえば 専らアダルトビデオ・DVDに 頼ることが殆どで ネットでそれ系の画像・動画を ダウンロードしてオカズにすることもしばしば その行為の時点で 最早大人になった気がするのだけれど そう思うと 今の若者は裕福だ パソコンの普及率が高まり ネット加入率も 当り前になった世の中 親の目を盗み 11PMや大人の絵本(←関西地区限定) をこっそり見ては 高ぶるちんこを押さえきれずにいた 我々とは ジェネレーション・ギャップを感じるわけで しかし 戦後の食生活がそうであったように 裕福に成れば成るほど ありがたみは薄れ行くもので 勿論 ネットさえ繋げば 様々な画像や動画を見ることが出きる それはあたかも 電子レンジの如く 便利ではあるのだけれど どうにも 情緒を感じないんだなあ 男にとって オナニー源の確保というものは 思春期における 最大の命題で その道のりが 長く苦難・困難であるほど 得た快楽の達成感・充実感こそが 青春の思い出 自己性的嗜好の確立 ひいては 自己の確立 大人への階段を上る ということにもなるのだけれど 今の若者にはそれがない 欲しいと思ったときに 直ぐに手に入ってしまう 苦労ということを知らない その延長線上に 短絡的な少年犯罪の増加や 若者の学力低下 に繋がっているのは 最早過言ではないわけで 台形の面積や円周率など 社会に出て必要な時など殆ど無いのだが それでも 知らないよりは知っておいて損は無い 人格形成・人間成長の面で 必要だとは思うんよ 想像力が貧富なんて 若者が揶揄されるのは その最たるもので 我々の時代は オナニーにおけるオカズは その殆どが エロ本と想像に拠ることが多く 特に女性の場合は 今も昔も オナニーと言えば 想像 好きな人との性行為や 嫌いな人に犯される性行為を 想像してのオナニーと 相場が決まっているが故に 女性はどの時代にも 強く逞しくあるのだけれど 我々の思春期における時代も エロ本は高値であるため 想像が主戦力で またエロ本においても まだ陰毛が悪とされていた時代 エロ本のあの娘たちは 不自然に足を閉じ 大事な下半身は障害物で隠され その奥にある なにか を一生懸命夢想したり また 我裸の女性と対峙すらば といったシュミレーションなど 迸る性欲と ありったけの想像力で 混迷動乱の思春期を乗り越えてきたわけで ドキッ女だらけの水泳大会 はたまた歌番組 などアイドルたちの露出でさえも これでオナらなきゃ損 とまでにまぶたにしっかりと焼き付け アイドルがこんなことやあんなこと アイドルのあんなところはこんなところに 日々夢想しては ちんこをこすりつける毎日 そんな時代があったからこそ 如何なる女性 ときにはニューハーフや男まで 如何なるプレイにおいても 対応できるちんこに成長したわけで 20歳を過ぎると 人間の身体は 日々衰えゆき 果ては痴呆にもなり そうならないためには やはり日々の鍛錬が肝要 何かに行き詰まったとき クリエイティブな発想が出なくなったとき そんなときには たまには久しぶりに 想像で自慰行為をしてみるのも なかなかどうして 気持ち良いものであり ちんこにも 脳みそにも 良い刺激になるものであるが 一度ビデオやネットの至便性を覚えた今となっては そんな苦労してまで 自慰行為をするということは なかなか難しいのだけれど そこはほら ちんこもココロも 昔のように懐かしんでみればよいという点においては 懐かしみやすい 仮性包茎で良かった そう思います。
特に 理由など 無い 特別 意味が 有る訳でも 無い ただ ただ時折 不可解な衝動に駆られることがある あたかも 何十年も昔から まるで そうしなければならないような そうすることが当り前 それが常識 そんな日常 ああ だったらやらなきゃ そんな感覚にまで囚われる 強いて挙げるなら そんなことかもしれない 今 目の前にある 剃刀。
そんな衝動は ココロの調子や 身体の調子の 善し悪しに限らず 決まって 忘れかけた頃に ふいに やってくる なんでこんなときに と思う方が多いのだけれど。
別に 法律で禁止されてるわけでもない 自由の国アメリカの属国 ここは日本 何をするにも 決定権は この私だ これもひとつの自由 剃刀の衝動に襲われた以上 もう誰に何と言われようと 止まらない もう誰にも 止められない 止めようにも 私自身 止める術を知らないのだけれど。
よくそれは 周囲の人間への SOS信号なんて呼ばれる 自己顕示欲 そんなものは あって当然 私が 私自身を好きにならずに 誰が私を好きになるのだ 私の一番の味方は 私自身なのだ そう思える勇気があるなら こんなことは きっとしなくてもいいのだろうけど 否 そう思えるからこそ 逆にするのかもしれない 否 そう思いたいからこそ やるのかもね 否 そう思えない私自身が そうさせているのかもしれない 否 そんな自分が 可愛いのかもしれない 否 もうそんなことは どうだっていいのだ テレビでは 一連の亡命事件が ひっきりなしに流れている 亡命の失敗は 亡命先が 日本だったことだろう 他国なら 無事亡命できただろうに 改めて 日本人の脳天気な外交危機意識の薄さに 辟易してしまう あ野球もやっている アルモンテは26歳だそうだ 年下かよ なんて思うことは色々あるけど もうそんなことは どうでもいい もうそんなことは どうでもいいじゃないか もう 直にどうだってよくなるのだから。
世の中に永遠なんてものは無い 哀しげなイントネーションだけど 私には心地いい お別れしても また会えたら チャラだ 辛くとも苦しくとも 絶望でさえも 永遠には続かない いつか それでもいつか また会える また会えたらいいね また会えるよ皆が 絶対 絶対。
満員電車の中で 激しい鼓動と 激しい動悸に見舞われた もう逃げられない 剃刀のあの衝動に襲われた以上 もう やるしかない もう これは仕方のないことだ これ以上 衝動に抗うよりも 楽に解放されるほうが良い 未練も無い 後悔も無い できれば 今から行う行為の一部始終を 誰かに見てもらいたかったのだけれど 君に見届けてもらいたかったのだけれど。
そんなわけで今から 陰毛を剃るのだ。 Vラインからはみ出たところから 剃り上げていくからね 剃るところが見たい? 剃り終わった後が見たい? 私は両方見たいし 両方見せてあげたい あまつさえ 剃りあいっこしたい。 その方がかえって ちんこが気持ち良いのだから いやん。 まるで小学生ちんこ。いやん。 男。 27歳にして。 パイパン。 その男 無毛につき。 さよなら陰毛 また会う日までん♪
よく私は周囲から 何も考えず脳天気 計画性の無い奴 たはは。お気楽だねぇ。こいつは。 なんて揶揄嘲笑される事が多いのだが まあ私は 他人の言うことは お前が決めんなこのぼけぇ なんてそんな他人の卑下なんて たはは。そうですか。あはは。 なんて一笑に伏すのだけれど 実は意外と 計画的にきちっと行動し 自分の信念に基づき 自分の課した決まり事を 自分の思い通りにいかないと 気が済まない性分なのであり それを他人に侵されると 無性に腹も立つわけで 例えば外出などするときも 分単位のスケジュールを前日まで立て それに従う それどころか もし不測の事態に陥った場合に備え 臨機応変に対応できるように B案C案まで立てるほど そんな状況を知ってから 先に述べた 揶揄嘲笑をしてもらいたいものであるが 最早インターネットは 巨大なデータベースで 実に様々な情報が 自宅で容易に手に入れることができ 数年前に比べると 格段に計画も立案しやすくなり 風俗業界においても 容易に料金・システムが 即座に検索できるどころか 風俗の場合 ボられない 合法であるなど 安心もできるわけで さらには 風俗嬢の写真・プロフィール・出勤日など確認 加えて 予約まで出来てしまうわけで チャレンジ性神旺盛な私は 同じ店に同じ風俗嬢を ということは殆ど無く 一言に風俗といえど 多岐に渡るジャンルがあるわけで その中から 今ちんこが何を求めているかを判断し 予算を決め 風俗嬢を予め候補を何人かピックアップ さらに ちんこは気まぐれ 前日M性感が良くても 当日挿入を求めソープを欲する なんてちんこ変わりも多々あるため 店自体もB案C案を立てるのだが 人生なかなか思い通りには行かないもので ネットという親切な情報が ごくたまに過剰情報ということにもなり ちんこはネットの情報だけで もうお腹いっぱい 決まった行為をして 決まった金額を払う その性行為はもはや予定調和 意外性に欠けるところがあるわけで 勿論予定調和であっても 予定過ぎる調和が 気持ち良い事も有るのだけれど 逆に意外性といっても 指名したコが 写真とはまるで別人だった なんて意外性過ぎる事も良くある話しで 特に最近は 風俗嬢に当たりハズレがあるのなら ハズレることが多く たまたま行った風俗街で たまたま入った店で たまたま時間の開いてる風俗嬢が タマタマをニギニギして えがった。 生きててえがった。 気持ち良かったと思うことが多く タマタマが気持ち良いのなら 計画を立てるよりも 行き当たりばったり 行き先はちんこに聞いとくれ 風の吹くままちんこの向くままに ちんこ界隈においては 無計画に行動するほうが 無計画にイってしまうほど ほんとちんこは気まぐれ それ以来 先に述べた 揶揄嘲笑卑下された場合 それは最早 我がちんこに対する 称賛なのであり ちんこですから と受け答えするようになったのは ちんこが少しだけ 大人になった気がするのであるが 明るい家族計画だけは守りましょう。 ええ。 ちんこですから。
嘘と欺瞞に塗れた社会なのだけれども 嘘はイカンと思うのだ。 嘘からは何も産まれない。 直ぐにばれる嘘など 非生産的の何物でも無い と言う言葉でさえ 偽善的に聞こえてしまうくらい 私は嘘が嫌いなのだが どっかの昔のおっさんはこう言った 嘘も方便 たはは。ありえない。 人を傷つけない嘘 なんてものは その嘘の時点で 人を傷つけているのであり それは嘘をついたという 罪悪感を保身のための 自分に都合の良い言い訳に過ぎない 全てを正直にさらけ出し カミングアウトこそ 人間の有るべき姿だと 私は思うのだが 嘘と欺瞞に塗れた 社会を生きていくうえで 嫌が応にも 社交辞令という 嘘をつかねば成らない時も有るわけで 嘘が嫌いな私といえど 社交辞令を泣く泣く言うことは 認めざるを得ない なんやお前 ゆうてることとやってることが 全然ちゃうやないかぁ お前には ポリシーというものがないのんか と批判されても それは仕方が無い事だと思うのだ そゆう批判は 甘んじて受けたい 甘んじて受ける事が また気持ちいい だってMッ気だもの だが開き直ったところで 社交辞令という名の嘘をつくことは これ事実 それはやはり 会社の利益などどうでもよい だが 会社の利益が上がらないと 我がの給与収入が上がらないのも また事実 世の中金ではない 切にそう思うが 欲しいかと問われれば そりゃ欲しいのであり また相手も相手で きっとこれは社交辞令だろうと 認識しているに違いなく これはあくまでも嘘ではなく 車は左側通行 歩行者は右側通行 それと同じように 単なる決まり事 そう思うようにしているのだが それはでも 私に都合の良い言い訳に 過ぎないかもしれないのだが 風俗というものは 勿論 射精目的以外の何物でも無いのだけれど はい、ちんこだして などと味気ないものではなく まず 女性は ローションやら ウエットティッシュやら 小道具を準備するその間 お互いのコミュニケーションをはかるため 会話から始まるものであり プロフェッショナリズムの女性の場合は たいして効果は無いものの 逆に言うと 入店したての女性や 雰囲気に流されやすい女性は その会話において 盛り上がるか否かで サービス内容が変わることもあり 料金・コース以上の事を してくれることもあるわけで かといって 嘘・社交辞令嫌いの私 血迷っても キレイだね かわいいね ピンクだね なんてことは絶対に言わず もし仮に 指名した女性がそうであっても 逆に社交辞令っぽくなるので あえて そおゆうことは言わないようにしているのだが たまたま行った風俗店で たまたまその風俗嬢と たまたま趣味が合い たまたま気が合い 和気藹々でコトは進み ホントはダメなんだけれどね なんて過剰サービスしてくれ ああ久しぶりに燃えたさ燃えたのさ 燃え尽きたあと 彼女は言った すっごい良かったよ アタシ乳首とかあんまり感じないのに すっごく感じた。上手なんだね。 ちんこすっごく元気だったね 結構おしゃれなんだね。 彼女の発言の真意はわからない。 ちんこに対して あまり誉められた事の無い私は こおゆう状況に対しての 取るべきマニュアルが装備されていない 否。 わからないわけはない。 実はわかってる 紛れも無い社交辞令なのだ。 わかってる わかってるんだ。 わかってるんだけどね。 私は嬉しかった。 私は心もちんこも気持ち良かった。 心とちんこが気持ち良ければ 嘘も方便 ビバ!嘘! 嘘サイコー。 イエス。嘘イエス。 また来るよ。 と社交辞令を残して 僕はまた 嘘と欺瞞の社会の中の 帰路に着いた。
嘘と欺瞞に塗れた社会なのだけれども 嘘はイカンと思うのだ。 嘘からは何も産まれない。 直ぐにばれる嘘など 非生産的の何物でも無い と言う言葉でさえ 偽善的に聞こえてしまうのは 哀しい世の真理を 体言せざるをえないのだけれど それでも世の中には 不思議な人間も居るわけで 絶対音感 という人間がいる 先天的に持って生まれたその才能は 世の中全ての物音が ドレミで聞こえる または 音符で見える ときにその才能は 音楽の世界で開花し またいかんなく発揮され あまつさえ 歴史に名を残す事もあるのだが この才能が 負に傾いたとき 全ての物音が ドレミで聞こえる または 音符で見えるがために ささいな物音にまで反応してしまい 嘘に塗れた喧騒の世の中 最早日本では 静寂 を求める事は これ不可能といっても過言ではなく それゆえ 発狂・狂乱 ときにこうした発狂・狂乱が 斬新で奇抜的な新しい発想を生み カリスマなどと称される事も ごくまれにあるのだが やはり その大半は 才能に飲まれ 狂人・廃人にまで追いやられる事が多く 歴史に名を残すこともなく それどころか 若くして死没し 我が身自身が伝説となることも ごく稀に有るのだけれど やはりまた その多くは犬死に 才能を持ったが為に 才能をもつ者のみ知りうる悲劇 使いこなせもしない才能なんてものがなければ 僕は凡人でも良かった 鉄砲さえなければ 人を殺さなかった あなたさえ笑わなければ 僕はひとりきりでも良かった 才能無き者は 他人の才能を羨むが その裏には 多くの才能に殺されていった 才能保持者がいることを 知らなければならないように 世の中には 絶対性感の女 というものが存在し 先天的に生まれ持って 女ならば 同姓であるが故に当然 男を見るだけで 男の性感帯を ズバリ見極める 性感帯の女 絶対音感を持つ人間が 音楽家に多いように その女は 以前行った風俗にいた その絶対性感の女は 一通り辺り触りの無い会話を終え じゃあ始めましょうか と服を脱ごうとした その瞬間 私のちんこと 私の左の乳首を指差し 否 私のちんこと 私の左の乳首に 実際指を突き指し ここ?でしょ♪ と見事に言い当てたのである それほど 私は先走り 私のちんこと 私の左の乳首は 勃起してたのだよ。 ただ ただ思うことは その絶対性感の女は おてもやん だと私は初見でそお思ったほどの ブサイクさん というより ふくよかすぎるそのボディは 風俗店の入り口付近に ずらりと並べられた風俗嬢たちの 煌びやかな写真とは 太陽と冥王星以上にかけ離れており その絶対性感の女に その絶対性感の才能をいかんなく発揮したテクで フェラーチョされてる最中 天はニ物を与えない 与えない 与えないが気持ちいい だが 嘘はイカン 嘘はイカン 嘘はぁ・・はぁあ イ、イキますぅぅ そう呟いてみたのである。
教訓。 指名料はケチるな。
女性はかよわい。 女性は弱い。 勿論ホルモン上 肉体的構造上 それは事実かもしれないのだけれど しかし それはどうやら 間違いであるかもしれない 何故なら 女性が弱いという概念は 女性を人として扱わない 女性蔑視 女性差別 全て男性社会の作り上げた概念に過ぎず そりゃあ 歴史的に見ると 現代社会は随分女性に開かれた 社会ではあるが 例えば 女性には生理休暇を 女性には出産休暇を 女性には育児休暇を 女性にも重要なポストを 女性にも役職を 女性一人でも生きていけるような社会を などと国が謳っていても 現実問題として ほとんど機能していないことが多く まだまだ 女性は家事をやって 子供を産んで育ててりゃ良い などという概念が 平気で通用している 男性偏重社会であることは 哀しいかな 認めざるを得ないのであり こうした社会であるが故に ココロの病気になる女性は はるかに男性の数を凌駕し それでも 女性は生きることを諦めず 果敢にも男性社会の荒波に 溶け込もうとする姿は 凛々しい以外の何物でもなく ときにヒステリックに ときに情緒不安定になろうとも やはり女性は強い やはり女性は逞しいのであり それよりも何よりも 平均寿命が それを克明に表しているわけで では何故 女性が男性社会において 弱いと言われるのか それは 女性が可愛いからに他ならない 男性社会の創られた概念によって 女性は様々な強制を強いられる 化粧をしなければならない ムダ毛を処理せねばならない 生理の日も悟られず 普段と変わらず姿でいなければならない そおゆう女性の姿は 健気だ 健気なのだ 健気なのだが 例えば彼氏や愛する人の前においては そんな男性社会と戦っている健気な姿を見せず ごろにゃぁんと全く違う一面を見せる これに男は揺らぐのであり 男性なのに 女性に母性本能を擽られるのである あまつさえ 性行為において女性は うふんあはんいやん いやんだめんだめん やめないでんもともっとぉぉ などと実に可愛い 可愛すぎる程で そんな一面もあるんだ と男はついつい 守ってやりたい と思い込み ここに女性は弱いという概念が 男性社会に構築されていくわけで 結句 男の目は節穴であり 男性偏重社会はまだまだ続くのであるが 私はやはり 女性は強いと認識する 男性よりも女性のほうが強い と言明したい 何故ならば それよりも何よりも 女性の陰毛こそが 女性の強さを証明しているのであり 女性の陰毛は そこに山があるから如く 少し盛り上がった恥丘の上から 上へ前へと向かって力強く生えており 普段偉そうな男が パンツを脱げば ちんこは まるでごめんなさい であることを加味すると どう贔屓目に見ても 女性の前へ上へ力強く生えている 女性のほうが 力強いと思うことは最早自然 ココロの病気の少女や リストカットやODする少女や 人間関係男性関係 様々な想い悩む全ての女性に 例外なく 陰毛は常に上へ前へ生えており その姿はまるでドン=キホーテ 勇猛無双 ましてや そんな勇猛無双な陰毛を 剃ってしまう女性も多く これは最早 リスカ・根性焼きといった 自傷行為に他ならないわけで 男性においても 陰毛を剃り上げたり ちんこの皮をカットする人間も ごく少数だがいるのだが やはり大部分の男性はそんな経験はなく こうしている間にほら 女性の陰毛は 逞しく上へ前へと 向上心に溢れ その姿は 実に凛々として 実にりりしいではないか。 ペットは飼い主に似る 恥丘の陰毛が凛々しいということは 女性は強い。 ということなのだ。
ええとそんなわけで パソのモニターを新調するために ホテホテと日本橋へ 流石に電気街 電波でちょっと頭がどうにかなっちゃた奴や 2次元のCGの女性しか愛せない奴が リュック率と眼鏡率の高い奴ら 久しぶりに夏日のGWなのに うじゃうじゃと暑苦しい事このうえなく 実に見ていて気持ち悪い いや何も彼らを否定 卑下しているのではない 寧ろ創られた流行に流され 気づけば自己存在を証明できるような 趣味などなく 死ぬ間際にそれを後悔する 若い者に比べれば 流行に流されず 周りの眼など気にせず 趣味に没頭し 社会常識など我関せず ゴーイングマイウェイ その姿は称賛に値するわけで そんなライフスタイルなど したくても なかなかそう簡単にはできないことを 彼らは いとも簡単にやってのけているのである ただその対象が 18禁だったりするだけと ただ気持ち悪い。 それだけなのである。 先にも述べたように 私は彼らに敬意を表したい。 だが それと気持ち悪いは別問題。 だって気持ちわるいんだもの。 否定する気は無い どころか 寧ろ肯定派である。 ただし気持ち悪い もちろん アニメ系ゲーム系電波系 などの創作物は秀逸な作品が多く そういったジャンルはもはや この不景気の中 一大産業へと発展することを考みれば 素晴らしい文化体験であるし 彼らが次代を担って行くことも 納得できる ただ。 ただ気持ち悪いのである。 ただ気持ち悪いだけなのだ よく女性同士の友人だとか 女性に合コンのセッティング依頼すると 必ずといっていいほど ブサイクが多い。 つまり綺麗同士の友人関係や 美人勢ぞろいのコンパなどありえない 必ず首謀者がいて その引き立て役と 役目がきまっているのである。 だからこそ 日本橋で見かける女性は 気持ち悪い奴らに引き立てられ 砂漠の中のオアシス 一服の清涼剤 に感じられるのだ。 オタクは気持ち悪いが 決して「悪」ではない。 感情と趣味は別物 同様に 私とちんこも別物 私は女性オタクであり ちんこはおまんまんさんオタク しかし私は気持ち悪くはない それどころか 可愛いのだ。 何故ならば 私のちんこは皮が長く まるで小学生ちんこ 象さんのお鼻みたいに 可愛いのだ ツートンカラーで可愛いのだ 多少右曲がりが可愛いのだ ときたま ムケちゃうところが 実に小悪魔的で可愛いのだ この可愛いちんこ 誰かもらって下さい もれなく引き立て役の私が付いてきます あきませんか? え?あきませんか?
さて2月13日の日記の続きです。 長らくレンタル中であった AVとは思い難し 阿鼻叫喚の女の顔という アバンギャルドなパッケージの 女は恐怖で濡れるか という文字通り実験的な 実験的過ぎるAVをようやく手中に収め そりゃあ濡れるだろお とブツブツ呟きながら観賞してみると 実にまあ 巡礼セックスという副題の通り 深夜草木も眠る丑光時 有名心霊スポットを訪れ まさにその場所で ヤっちゃうという 実に罰当たり過ぎる内容であったのだが よくAVには 潜入モノと言われる 例えば実際に男子禁制の女子寮に突撃したり 例えば学校に侵入したり 例えば出演女優のバイト先に潜入したり 例えばレース場のトイレでレースクイーンとチョメチョメ そのリアル感と ばれたらどうしようという緊張感 がちんこに直撃 ドキュメンタリズムがちんこに伝わるのが 人気を博しているのだけれど 所詮メディアというものは 作り物に過ぎず おそらくなかには 実際に合法すれすれの 本物のノンフィクションもあるかもしれないが やはり その多くが ドキュメンタリータッチ ノンフィクション風味 といったことも多々有るのだけれど この 恐怖で女は濡れるか 実際にテレビや雑誌で有名な 心霊スポットを巡礼しており その作品の大部分を AVとは思い難し 実際に周囲の風景やお寺を映し出しており SEは恐怖を煽るような作り物であれど 女優の息遣いがリアルに ちんこに直撃し 実際に女優があまりの恐怖に 泣き出してしまうほどのルポルタージュ 観賞している私でさえも 実際に心霊番組を見ているかの如き 錯覚を覚えてしまう程であるのだが 心霊番組と違う点は ただひとつ 果敢にも 懐中電灯のみで現場を練り歩き その現場で見られる霊現象を 女優に説明し恐怖感を煽り 女優の恐怖がピークに達したところで 監督の一言 「じゃあ濡れてるかチェックするから 足広げて♪」 という実に暢気な口調の一言であり 恐怖どころか 逆に恐怖に怯える女優を眺めるのを 実に楽しいといった風情で こおゆう男は 厚顔無恥というか 怖いもの知らずというか きっと戦争でも戦死しないタイプ でなけりゃ ただのS であろうだろうと推測できるのだが 勿論私は 大槻教授の如き リアリズム科学原理主義者であり 霊とかUFOの類は信じないのであり 霊とか心霊現象というものは まだ電気も無い昔の人々が 無知であるために 暗闇に恐怖を覚え 暗闇の木々の音や 月明かりのいたづらで見える影を 恐怖を克服するために 無意識的に 人間の姿に見えたり 人の声に聞こえたり 仮に実体化したことに過ぎないのであるが それでも そうはわかっていても 暗闇 ましてや 心霊スポットになると 不安感や恐怖感を抱いてしまうもので 幽霊など居ないとわかっていても なぜか心拍数は上昇し 鼓動は早くなり 息遣いも荒くなったりもするわけで 恐怖心 ということを除けば これは興奮状態なのであり 人間の構造というものは 意外と短絡的に出来ており 例えば 怒りという感情を除いた 興奮状態 感情と身体の状態を 別ジャンルと認識すれば 恐怖心を除いた興奮状態と 怒りを除いた興奮状態は 興奮状態という点に於いて 同質 同一直線上に並ぶと結論付けでき ということは 恐怖心を除いた興奮状態と 性衝動を除いた興奮状態も 興奮状態で同一 同質であるとみなし ゆえに 興奮状態であると 濡れやすいと定義されるわけで ということは 怒りを除いた興奮状態も いわば濡れやすいという結論にもなり 恋人同士や夫婦同士の ケンカや修羅場のあとの 性行為がやたら燃える燃えるのも こうした理論から 納得できるのであり 恐怖で女は濡れるか このAV作品も やはり 濡れました 濡れてました どころか 潮まで吹いてました 心霊スポットで。 勿論 男優のちんこも勃ってました 勿論 私のちんこも ピンコ勃ちでしたとさ。
以前バイオリズムについて 私のちんこも バイオリズムの曲線が如き 垂れ下がっているので バイオリズムに身を任せよと 書きましたが 世間はGW真っ只中であるにも関わらず どうも私にとって GWというもの自体 バイオリズムが下がっていると言うより 最早相性が悪く 一昨年は風邪をひき寝込み 昨年は大型連休を前に 首を違えてしまい 病院鍼灸あんまマッサージ治療に 金を注ぎ されど首は日に日に曲がらず痛みを増し 結句何も出来ず 寝ているだけでも苦痛なのに 寝ているしかできなかった状態で 今年こそは 体調も万全 たはは。休むよ遊ぶよ。 なんて意気込んでいたのだけれども 連休を前にして 携帯電話を新調したのは良いが その使い勝手は 旧機種より悪く それを境に 目覚し時計が壊れ 愛用の眼鏡が割れ 眼鏡を早急に新調しに行ったところ 乱視故にその完成は 連休明けまで延期され その期間 日常生活に確実に影響を及ぼし マウスはコーラをかぶって動かなくなり 靴の底が抜け 連休後に出張に行かされる旨を 休み前に言い渡され 果てに 愛機のモニターがぶっ飛び それどころか 長らく楽しみにしていた アダルトDVDを見ようとした まさにその瞬間に モニターは音を立て画面が真っ黒になった後 その後動かなくなったわけで DVDを今晩のオカズに などと考えていた故に 保険でAVを借りているはずもなく いつ死んでも恥ずかしくないように 手元にマイAV・エロ本の類を 置かない主義の私に 連休を前にして 自慰行為のオカズがないどころか 自慰行為の連勝記録もストップする始末 この連休 久々に旨いものでも食って 風俗にでも行こうという 計画のための予算ですらも それらの修復・新調費用に取って代わり しかも元気な我がちんこ 昨年までの肉体的弊害なら まだ諦めも着くものの 肉体は元気なのに ちんこはやる気まんまんなのに 金銭的要因や 不運が繋がる精神的に 打撃を受けては これ非常に やるせなく 最早これはバイオリズムというより 最早相性と言うよりもむしろ 呪われているのではないか でなければ 国家的レベルの巨大な力が 私に向かって動いているのではないか でなければ 前世からの因縁ではないのか でなければ まだ見ぬ宇宙からの毒電波ではないのか などと考えてしまうのも これ致し方ないのではないか そもそも 私は日ごろから くだらない仕事は 率先して手を抜くように心がけ 国家への抵抗として タバコをポイ捨てし 公道に唾・痰の類を吐き捨て 性衝動には 無理せず我慢せず 自分に正直になり 可愛い娘を見かければ これを視姦し パンティライン透ける者あらば これゆるりと観賞する 電車内でイチャつくバカップルあらば 不機嫌な顔つきでメンチを切り これを成敗し ごくたまに カギを掛け忘れた自転車を 拝借することを除けば 実にこれ 胸を張って堂々と 日ごろの行いは良いのであり それでもこうして GWになると襲ってくる 不条理の連続に 私は負けない 私は立ち向かってやる そう強く願っても そう強く願いながら 風俗に行けない無念さを晴らすべく 借りてきたAVすらも 思いっきりハズレだったりするわけで さすがの私も さすがの我がちんこも 少しへこんでます。
まあ怖いですねえ まあ恐ろしいですねえ 「個人情報保護法案」 「人権擁護法案」 「青少年有害社会環境対策基本法案」 所謂メデイア規制法3法案 大義名分は 「IT時代の中で個人情報を保護する」 「報道被害による人権侵害を救済する」 とありますが 各メディアが猛反発しているように 取材・報道活動に行政機関が直接介入してくる可能性が強い などの問題点があり それは 表現の自由 言論の自由 知る権利 を犯すものである。 というのが専らの評判なのですが そもそもメディアに対して 国家が介入するということ自体 世界では類がなく 検閲の名の基に 思想的な出版物は 処罰刑罰の対象になっていた戦時中に この21世紀に 時代錯誤も甚だしいどころか 全ての表現者に対して 恐怖の何者でもないのであり 例えば知る権利においては 一連の国会議員の不祥事について 国が不適当と判断すれば 一切の取材・報道が規制され 例えばテレビ・ラジオにおいて それはドラマ・バラエティにまで 低俗・通俗と国が判断すれば 一切の放送が 教育テレビの様相を呈するのも 余儀無くされ 小説・映画・マンガなど 出版物などは 戦時中の検閲と同様になり 果てはウェブサイト インターネットによるHPにおいても 低俗・害悪と判断されれば それは直ちに規制対象に成り得るわけで まあね 確かにそりゃあ 営利主義に走り 嘘・大げさ・紛らわしい テレビ番組が多い故に 多少規制をかけるのも 必要だとは思うのだけれどもね 往々にして やはりそのガイドラインは 曖昧であることが多く 乱雑した情報を やはり個人で取捨選択すべきであり あまつさえ HPさえ国家の監視下の基に ただでさえ R−15だとか18禁だとか すでに表現の自由を奪われている世の中で この法案が通れば 近い将来 日本は資本主義国家でありながら 北朝鮮のごとき 全て国家に支配された 国家になる危険性が 大きいことは まず間違いないと言っても 過言では 決してないのであるわけで どうにもまあ 国のやる事成す事 これ国民に嫌がらせ 国会議員は保身と思われても 仕方が無いのであり 私といえども この法案に猛反発するのは 当然その対象は AV業界にも及ぶわけで 確かに お互い初性行為時から ナマで膣外射精どころか 顔面発射する若者を見れば 確かに悪影響を与えている 一因も見うけられるのだが 先進諸外国に比べ 性犯罪律が低いのも これひとえに AV業界もその一翼を担っているからであり 延いては 我がちんこの死活問題にも成り得るからで 延いては 田代まさしにおける お前は何色のパンティなのだ それはどんなカタチなのだ その素材は一体何なのさ シミはついているのか 毛はついているのか どんな手触りだ どういった感触なのだ そんな匂いがするのか そのなかのおまんまんさんは どう収納されているのか 触ってもいいか この話しは前にもしたか 指を挿れてもいいか 舌で舐めてもいいか ちんこを触ってくれないか それは全て 国民の知る権利の 行使に過ぎないわけで 君 ちょっと私のちんこを 触ってはくれないか 知って欲しい 触って欲しい いぢくって欲しい 権利を私は 常日頃から 行使しているのである。 たとえ メディアは規制しても ちんこは規制されてやんない。
旅というものは心を洗う そう科学で証明されているので 旅の友に読みかけの小説を鞄に忍ばせ 初心に還り小旅行 あえて少し遠方の ぶらり映画旅 朝昼夕夜 と4本の映画を鑑賞 その合間合間に カレー店散策 などと久しぶりに 充実した1日 されど 平日とはいえ世間はGW やはり人数は多く 映画中に喋る者 飲食物持込不可 と表示されているにもかかわらず 菓子をばりばりと 音を立て食す者 ぷしゅうと炭酸飲料の 缶を開ける者 あーーと奇声を発する者 実に田舎の映画館とは思えない いなたい雰囲気のかけらもなく 多少気分を害したものの やはり映画館の暗がりは そんなことすら 忘れさせてくれるのに充分で いっそもう1本映画を見て 風俗にも行って 泊まっちゃいたい気分であったのだが 翌日仕事のため断念 またホテホテと本を読みながら 復路についたのだが しかし解せないのが カレー屋 近年は大手チェーンの進出が目覚しく それはときには 全店同じ味同じ値段ゆえ 見知らぬ土地 あまつさえそれが外国であろうと 安心して店に入る事もできるのだが やはり心に余裕のあるときは そのいなたい雰囲気とともに 見知らぬお店で見知らぬ味を 求めたくもなるものなのに 見知らぬ土地に来ても どこにでも見かける店構えを見ては さっぱり気分が萎えるもので いや食うには食ったのだけれど 勿論無難な味でそれなりに 満足はしたのだけれど シーフードカレーが許せないの 何故カレーに イカや貝類や海鮮物を入れるの 基より魚介類の食文化が発達している日本 海鮮物は刺身や丼 性行為同様 生であるがゆえに美食なのだ カレーのスパイスによって 全く味の無い歯ごたえのみの 海鮮物など最早海鮮物ではないのであり 最早カレー味のうんこ それよりも何よりも 海鮮物が食べたいときは 和食屋に行くものであり カレー屋に海鮮物など 最初から求めていないのであるように 野菜カレーが許せないの 許せないのよ 桃太郎に犬猿雉がいるように 三蔵法師に猿豚河童がいるように カレーには 江戸時代から 玉葱人参ジャガイモと相場が決まっており 茄子やらピーマンやら それは邪道というより寧ろ 一体何の為に という疑問が先行してしまい 健康的などと人々は言うのだが 基より 私の健康なんぞ 他人から心配される筋合いなどないどころか 別に早死にしても構わない それはそおゆう運命 ペースメーカーまでつけて のうのうと生き長らえたくもないし 基より カレーの刺激的なスパイス・香辛料 その時点で最早健康的ではなく 野菜の健康的要因も 掻き消されているに違いなく 全く矛盾しており それよりも何よりも そんなに野菜が食べたければ ファミレスのサラダバーで 事足りるのであり カレーに載せて良いものは トンカツとハンバーグ 百歩譲ってからあげ そう昔から決まっているのです。 私のなかで。 今日は私のちんこのお話はありません。 そんな日があったっていいじゃない。 それほど映画三昧な本日は ちんこを弄くらずとも 心地よかったのです。
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