kumohikaruの日記
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2004年04月25日(日) あこがれの「大鷲」

やっとあこがれの「大鷲」に行きました。相撲割烹「大鷲」長野県佐久市にあ

ります。

ここ何年か、相撲の千秋楽に国技館に行くことにしている兄の原点でもある、

郷土がうんだ関取、ずっと応援していた前頭3枚目だった「大鷲」さんが営む

お店です。もう23年も営業していますが、初めて私は行きました。兄は今年

一回来て、ニ度めです。母と叔母と兄と私で出かけました。

料理の味も、他のちゃんこ料理屋よりもうまいと兄がつねづね言っていまし

た。


兄は、以前の「若松部屋」のホームページをいつも見ていました。

私は兄と中学生の頃から、「大鷲」を応援していました。テレビで中継がみれ

る幕内の取り組みを夢中で見ていました。


背の高い男性がふすまを締めに、少し顔を出しました。

「朝泉さんではありませんか。」と聞きました。

「はい。」

「私、若松部屋のホームページみていたものですから、、。」

少し驚いた様でしたが、「はい。」という返事をききのがしませんでした。

料理修業中の元若松部屋の「朝泉」さんです。

叔母が、「いっしょに写真とってもらっていいですか。」

撮影会。

追加の食事の注文をお願いすると、女将さんが持ってきてくれました。

そして、兄と私が「大鷲」さんのあらゆる知識を総動員。


そのあとしばらくして、「大鷲」伊藤さんが近くに現れました。

「やっと実物に会えました。」私。(辻 仁成が中山 美穂に会った時の言葉

に似ている。)

兄が大鷲さんに関する知識を総動員、私も取り組みの想い出なども。

「あとで伺います」



そして、そして「大鷲」さんと撮影会。

今は、父のしこ名をリングネームとしプロレスの「闘龍門」でレスラーとし

て活躍している息子の透くんの話題にも続いていくのでした。


来る6月13日故郷佐久市体育館で、凱旋の興業が行われます。


われわれ4人、チケットを買い永い思い入れが叶い、またお腹も胸もいっぱい

に帰途についたのでした。


2004年04月18日(日) 年金の話

 今 話題の年金のはなしです。

 いろいろなところで説明は少しづつされていますが、一つのお話です。

 
 夫が自営業など国民年金に加入していて、(子供18才未満がいない)家計

 を維持していた場合。25年以上年金保険料を支払っていた場合。

 夫が亡くなった場合、妻の年金開始の時に夫の年金額の一部と自分の年金の

 二者択一の選択だけだと思っていました。

 しかし、夫に会社勤めなど厚生年金の支払った金額があると、妻の収入によ

 り、亡くなった年から年金が金額の多少はありますが支払われるということ

 が解りました。間違っていたら訂正おねがいいたします。

 子供がいないとまったくもらえないケースだと思っていました。

 厚生年金でも国民年金でもありがたいものだと思います。

  これは遺族厚生年金といいます。

 個人によって事情が変わってくるので、最寄りの自治体の役所、または

 社会保険事務所へ相談に行って聞いてみると詳しいことがわかりますね。

 


2004年04月12日(月)  ...あふれてくるもの

 涙がしぜんに頬をつたわり落ちていく

 あふれでる一つの生れたばかりの それもまた

 

 笑っていた...

 激しい感情は お腹のなかで

 筋腫のように 姿を現わしたかどうか


 
 涙がしぜんに頬をつたわり落ちていく

 春の咲き誇る樹の花びらのように

 14番目の月のような上向きの感情が

 小さく降りていく

 花紙でおさえてみた

 
 
 


2004年04月04日(日) 新幹線での出来事

  新幹線で東京へ行きました。

 自由席の先頭に並んでいたにもかかわらず、新幹線に乗り込むとすでに立っ 

 ている人が数人いました。

 通路に立っていると、近くに二人5歳以下の子供を連れた夫婦が立っていま

 した。

 途中で私のすぐ前に座っていた御婦人が降りるらしく、子供連れのほうを振

 り返って見ていました。私にも「降ります」と言いました。そしてもう一度

 子供づれの方を見ました。「子供づれの方にすわってほしいのだな。」と思

 い、母の体にふれ、「座りますか」と声をかけました。夫と相談し母と一人

 の子供が座りました。私はこんできたので反対側の方をむいて立っていまし

 た。

 何度めかの駅で子供づれの父と子供が座れた様です。するとその隣の席にさ

 きほど座った母と子供が移動して座りました。

 「あれっ...。」後ろを振り返ってさきほど譲った席をみると、空いていま 

 す。「なんだこれは...。」と思った瞬間

 「あきましたよ。」とさっきからの一部始終を知っていて、同じように立っ

 ていた青年が声をかけてくれました。

 「ありがとうございます。」そういって座りました。

 落ち着いて、いい人だなと青年を見ようとすると、もう降りていってみあた

 りませんでした。


 先に座っていた御婦人の厚意、私の気持ち、青年の思い遣り。

 お礼を言われなくても、「席を移るから座って下さい。」と言われなくても

 最後は、気持ちよく東京に着きました。

 「ありがとうございました。」


2004年04月02日(金) 夢 おだやかですこやかで

誕生日をむかえ

「穏やかで健やかな一年を...」という友だちからのメールをいただきまし

た。しずかな温かさです。

一番不安定な時、「災禍はあざなえる縄のごとし」と教えてくれた方もいまし

た。


今、4月からのカレッジの宿題で「夢」について、叶った夢、これからの夢を

書き出しています。

両方、20個ですが数になかなか達しません。

ひとつ、ひとつ勉強とともに叶えていこう。

夢がいっぱいの勉強なのです。


あなたの夢はなんですか。


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