テレパシストに なりたいかい?
痛いと そう聞き取れた時に
自分に出来ることが無い場合 それは哀しいもんだろう
嫌いと 対する刃がみえた時に
ぶつかり合う双方を自分が好きなら それは苦しいもんだろう
ねえ… …テレパシストに なりたいだって?
誰もに一つや二つ傷はあるのに みられると すぐに全てが崩れてしまう 深い…傷が…
…ねえ…?
今日の一口<触れて欲しいと願う心に素直になれたら>
シンパシーってものすごく不確かだけれども 自分はとても好きだったりします
不確かで掴めないもの程それが認められた時が すごく嬉しくなったりする
もちろん良い面と悪い面があって 伝わりすぎると重くとられたり疲れたりして
そういうところを詩にしているわけですが
例えば傷
誰もについているだろう傷
あまりに痛くて暗くて決して誰にも見られたくない
それでもそれを誰かに触れて欲しい
そんな思いに気がついてあげれれば そして気がついてもらえれば それはシンパシーですよね
テレパシストになりたいかい
なんて問いかけは
そんな なって悪いものを見たいのかという−の諦感と それでも触れてくれるのかという+の意思が こめられていたりします
それは 傷つきたくない臆病な心と それでも人と共にいたいという本心
きっと誰もが持っている 心の揺らぎ
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