月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
じりじりと暑い昼下がりの茶の間。 だらだらと寝そべって、網戸から抜けていく僅かな風を求める。 見るとはなしに見下ろした畳のへりに、芥子粒のような小さなアリが三々五々、まばらな行列を作っている。 酷暑と言われる気候のせいか、今年の我が家はことさらにアリの侵入がひどい。例年ならシーズン初めに何度か駆除剤を置くだけで、小さな侵入者達の侵攻をそこそことどめることも出来たのだが、今年はそれも無為に終わったらしく、部屋のそこここに芥子粒の行列を見つける。殺虫剤を撒いてみたり、掃除機で吸い込んでみたり、果ては指先でプチンプチンと潰してみたり・・・。 山と緑に囲まれた我が家。ムカデに蜘蛛、アリもマムシも言わばこの地では先住民。「しゃあないなぁ」と、数に任せた敵さんの猛威にほとほとあきらめモードになりつつある。
「わ、アリがすごいもの運んでる!!」 隣で寝そべって文庫本を読んでいたアユコが、急に大きな声を上げた。 2,3匹のアリが、爪切りバサミからパチンと飛んだらしい誰かの爪を運んでいるのだと言う。 白く乾いた三日月を神輿のように掲げて、芥子粒の兵隊達がカーペットの毛足の難路を行きつ戻りつしながら進んでいく。 「いつもなら、アリを見つけたら、すぐに殺虫剤撒いちゃうんだけど、なんかこんな風に一生懸命食べ物を運んでるアリだと、殺せないんだよね。」 と弱った顔でアユコが言う。 自分達の身の何倍もある大きな獲物を、よろよろよろめきながら引きずっていく小さな芥子粒。確かに怯まず殺虫剤を吹きかけるには躊躇う健気さだ。
「餌を運んでる途中のアリはちょっと殺せない。」 確かこのあいだ、ゲンも同じような言葉でこぼしていた。 一心不乱に働く者への共感と畏敬が、この子らの中にもきちんと育ちつつあると言うことだろうか。
・ ・ ・
数ヶ月前から、長く伸びた髪をかんざしで結い上げることを覚えた。 まとめた髪をぐりぐりとねじって持ち上げ、根本に太目の金属のかんざしをさしこみ、ぐるりとひねって結い上げる。ゴムもピンも使わないのに、多目の髪がかっちり小さくまとまり、一日の途中で結いなおす必要もほとんどないので重宝している。
「さあ、仕事、行ってこ」 朝の片付け物を終え、バタバタと着替えて髪を梳く。 愛用のかんざしを口にくわえて、後ろ手に髪をねじ上げる。 横で見ていたゲンがククッと笑う。 「ナントカ仕事人みたいやなぁ」
そういえば昔、美形の殺し屋がかんざしを口に咥え凄みを利かせて見得を切る、そんな時代劇があったような無かったような。 あいにく、汗だくのTシャツ姿でうだうだと髪を結うおばさんには、艶めく色気も鬼気迫る緊迫感も望むべくもないけれど。 今日の私の工房仕事は素焼きの掃除、釉薬掛け、釉薬ポット洗い・・・。 窯と乾燥機の吐き出す熱風のこもる蒸し暑い仕事場で、今日も地味でちまちました仕事が山ほど私を待っている。 ねじった髪を痛いほどきつくギリギリと締め上げて、ぐさりとかんざしを挿して出来上がり。 修羅場に踏み込む殺し屋の決意で家を出る。 展示会を間近に控えた父さんも、もう何時間も寝る間も惜しんでの仕事詰め。 まさに必殺仕事人の形相だ。 食事と短い仮眠のためにだけ束の間帰宅する父の疲れた表情にも、働きアリの勤勉と誠実を、子ども達は感じ取ってくれているだろうか。
朝、アプコとともに坂道を下る。 今日も駆け足。 朝の支度が遅くなって、とうとうアプコの髪を結ってやる時間がなくなってしまった。寝癖のついたおかっぱヘアを通学帽にぎゅうと詰め込んでニッとアプコが笑う。 「ゴム、持ってるから、学校で自分でくくるね。」 それができるんなら、いつももうちょっと早めに起きて自分でやんなさい。 ピンコピンコと向きたい放題にはねたアプコの髪に、きらきら朝の光が絡む。 今日も暑くなりそうだ。
「好きな男の子?いるよ。クラスの子。名前はおしえてあげな〜い。」 何日か前、そっと耳打ちしてくれたアプコ。 4年生になって、幼い丸顔がちょっと面長になり少女らしいはにかんだ表情が時折見られるようになった。 まだまだちっちゃい子と思っていたら、いつの間にかこんなおませなことを言うようになったんだなぁとほほえましく聞いていたのだけれど・・・。
「あのね、席替えがあってね。」 早足でぴょんぴょん跳ねるように歩きながら、アプコが話し始めた。 「好きな男の子がいるって言ってたでしょ?あの子が私のお隣の席になったの」 「ほほう、それはラッキーだったね。」 「でもね、それがね。」 とアプコの表情が曇る。 「その子ね、前からとっても物知りなんだけどね。 授業のときとか、何かっていうと、『こんなことも知らんの?』とか、『あほやな、常識やん。』とかって、知ったかぶりするねん。 なんか、いやんなっちゃった。」 今まで「好き!」と思っていたのに、隣の席になったら途端に嫌気が差してしまったんだという。 「まあね、男って言うのは女の子の前ではええかっこしたがる動物だからね。」と、こみ上げて来る笑いを噛み潰してアプコの話を聞く。
「離れた席の時には『かっこいいなぁ』と思ってたのに、なんで隣の席になったら急に嫌いになっちゃったんだろ。」 とまじめな顔でいうので、 「テレビの中のイケメンの素敵な男の人だって、もしかしたら身近にいて毎日一緒に暮らしてみたら実はイヤーな奴だったりすることもあるのかもね。 ま、いい男を選ぶ目をしっかり養いなさいってことだね」 と茶化してみる。 「そっか、そだよね。」 と大真面目に頷いているのが可笑しい。
Nさんのトウモロコシ畑のそばまできたら母の送迎サービスはおしまい。 登校班の集合場所までさらに下っていくアプコを見送る。 「ま、いい勉強になったと思って、新しい恋を探しなよ」と駆けて行くアプコの背中に声をかけたら、アプコがくるりと振り返って笑う。 「もう、他にかっこいい子、見つけた!」
・・・この変わり身の早さがアプコのアプコたる所以。 だからぁ、 男は見た目で選んじゃダメなんだってば!
|