月の輪通信 日々の想い
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父さんと買い物に出て、私の仕事用のエプロンを買った。 ひざ上丈の短い袖なしスモックタイプ。 大きなポケットがついていて、頻繁な洗濯にも耐える実用第一のしっかりしたもの。 足元まで汚れる釉薬掛けの時には、この上に重ねて長めの前掛けエプロンをもう一枚。 これが最近の私の仕事場スタイル。
お買い得のSALEマークとともに吊られたエプロンの中から、目的に合ったエプロンを探す。 レースやアップリケの飾りは要らない。 濃紺地はきれいだけれど、すぐに土で真っ白に汚れる仕事には向かない。 帆布を使ったオフホワイトは、色とりどりの釉薬で汚れる釉掛けには向かない。 結局最後に残ったのは、仕事でよく使う緑や飴色の釉薬の色によく似たスモークピンクとモスグリーンの2点。 「どっちの色がいいと思う?」 二つをかざして父さんに問う。 「ピンクもいいけど、モスグリーンのほうがかえって若く見えるかな」と言われて、「ふうん、そんなモンかな」とモスグリーンのエプロンを買い求めた。
帰宅後、さっそくおニューのエプロンで仕事に入る。。 キイキイと鳴る古い作業椅子に腰掛けて、数物の器の素焼きに透明釉をかける。 刷毛に含ませた釉薬を素焼きの生地の上にたっぷりと置くように塗る。ちょうどよい加減に糊(CMC)の利かせた釉薬なら、気持ちよく刷毛が伸びて、一度塗りからムラもなくきれいに塗りあがる。最近になってようやく、その糊加減と刷毛の重さのバランスがわかりかけてきたところだ。 今にも垂れ落ちそうなほどたっぷり釉薬を含んだ刷毛を白い素焼きの生地の上に最初の一刷毛入れる瞬間の心地よさ。 塗り上げた釉薬の水気をジワジワと生地が吸って、見る間になじんで乾いていく変化の面白さ。 繰り返し繰り返し行う単調な作業の中にも、何度やっても飽き足りないささやかな面白みが確かにある。 私は多分、釉掛けのこのしごとが好き。 この同じ仕事場で何十年も釉薬掛けの仕事を黙々とこなしておられたひいばあちゃんも、こんな風にささやかなうれしさを絶えず味わっておられたのだろうか。
数時間も作業をすれば、おニューのエプロンもたちまち釉薬の染みと洗い物の水の跳ね返りでくたくたに汚れ果てる。 「本日の作業、終了。」 今日の成果は桟板3枚分。 釉薬掛けを終えた生地を乾燥室に仕舞い、刷毛を洗う。 作業場の手元のライトを消して、エプロンをはずし、くるくると丸めて作業椅子の上に・・・。
あーっ、そうか。 汚れたエプロンを作業椅子の上にポンと投げたところで、ようやく思い至った。。 このエプロンの色、ひいばあちゃんがいつもしていた前掛けとおんなじ色じゃん! 仕事を終えたひいばあちゃんがいつも小さく丸めて作業椅子の上においておられた、灰緑の腰巻前掛け。 土に同化してしまいそうな、目立たぬ地味な色ばかりを好んで身につけていらしたひいばあちゃん。何枚かある前掛けはどれも似たようなくすんだ色のものばかりだった 「若く見えるよ」といわれて「そんなものかな」と選んだエプロンが、妙にしっくり懐かしい気がすると思っていたのは、そのせいだったんだ。
もしかしたら父さんが、私の仕事場エプロンとしてこの色を選んだのも、頭のどこかに、いつもひいばあちゃんが着けておられたくすんだ緑の前掛けエプロンのイメージが強く残っていたからかもしれない。 そのことを父さんに言ったら、 「なるほど、違和感ないなぁ。」と作業椅子の上の私のエプロンを指差して笑う。 「若く見えるって、言ったくせに!」と、私も笑う。
つい今さっき仕事を終えて2階へ上がっていかれた後のように、ひいばあちゃんの椅子にひいばあちゃん色の作業エプロンが掛かる。 ひいばあちゃんが逝ってしまわれてから、はや半年。 大先輩の席に陣取り、まだまだ落ち着かない刷毛さばきで釉薬掛けを学ぶ日々だ。 せめて身につけるものの色だけでも、明治の職人技の匠に似せる。
急に涼しくなってここ数日。 高校生組は今週から、始業式前の登校日やらクラブやらでほぼ平常モードの登校になる。 小中学生は、そろそろ宿題のお片づけ期間。うだうだぐずぐず言いながらやっつけ仕事で課題の山と闘う。 父さんは月末搬入予定の個展の追い込み。工房はピリピリ、「触れると噛むぞ!」の空気が流れる。 そして母は今年も名簿入力の宿題を課されて、キーボードとにらめっこ。
宿題プリントとの戦いに疲れたアプコが、窯の合間に息抜きに帰ってきた父さんにじゃれる。 「箸がこけても笑えちゃう」お年頃のアプコには、徹夜明けの父さんの気の抜けた駄洒落が可笑しくて仕方がない。 ケラケラと転げまわって笑うアプコに、父さんの表情がほにゃほにゃと緩む。 あらら、この人たち、なかなかいいコンビネーションだわ。
「ええなぁ、アプコは。何の悩みもないみたいで。」と父さんが笑う。 「ホンマ、小学生はお気楽でええなぁ。」 「僕も、小学生に戻りたいわ」 と横から意地なオニイオネエが絡む。 「アタシにだって、悩みくらいあるわぁ!」とアプコがムキになって言い返す。 「たとえば、夏休みの宿題が終わってないとか?」 「ラジオ体操の早起きするのが嫌とか?」 「どっちにしても可愛いもんだねえ」 次々に突っ込まれて、アプコ、ぷっと膨れっ面だ。
「アタシにだって、ほんとに悩みくらいあるもん。 ホントの悩みは、お母さんだけがみんな知ってるもん。」 と、いきなりのご指名。 はぁ、アプコさんのホントの悩みですか? 宿題でも、早起きでもなくて? そうですか、母、教えてもらってましたっけ? こりゃ、困りました。 「お母さんも知らないよ。」とは、とても言えなくて、 「うんうん、アプコにだって、真面目な悩みもあるんだよねぇ」としどろもどろで調子を合わせる。 後から父さんに、「で、アプコの悩みって何なの?」と問われて、「実は皆目判らないのよ」と答える情けなさ。
長い夏休みを日々享楽的に過ごす天真爛漫のアプコ。 ケラケラとよく笑い、嫌なことにはあかんべぇをし、皆より先に一番に「これ食べたい!」と好きなアイスを選んでも「しゃあないなぁ」と笑って許してもらえる。 「やらなければならないこと」より「やりたいこと」が最優先。 それで後から困ったことになっても、きっと誰かが助け舟を出してくれるとタカをくくっているように見えるアプコ。 傍目にはのんきな末っ子姫であるアプコの胸に、いったいどんな悩みがあるのだろう。
それにしても。 「私の本当の悩みは、この人だけが全部知っててくれる」ときっぱり言い切れるこの絶対的な信頼感って何なんだ。 手放しで母の手に悩みのすべてを預け、そのことを臆面もなく「だよね」と明かすことのできるアプコの爛漫。
夕餉の前の台所で「ねえねえ、おかあさん」とうるさいくらいに纏わりついてくる他愛無いおしゃべり。 登下校の道すがら気まぐれに教えてくれる教室での出来事。 買い物に行く車の助手席で鼻歌混じりに繰り出すダジャレやジョーク。 「はいはい」「そうね」といい加減に聞き流している沢山のアプコの言葉の中に、アプコの「ホントの悩み」と言うヤツが潜んでいたのだろうか。 だとしたら私は、きっとその半分も掬いあげることが出来ないでいる。 いいのか、母。そんなことで。 いいのか、アプコ。こんな母にそんな手放しの信頼を預けて。
「母さんには言ってもわかんないよ」 「うん、判ってる。でも、これ、僕の問題だから・・・」 「ちょっと待ってて。後で説明するから」 親の背丈をとうに追い越した上の子達は、自らの心に強い城壁を築きはじめた。母はその厚い門扉の隙間から、子ども達の柔らかな心のひだを垣間見ようとうろたえるのみ。 それが成長と言うものなのだろう。 とすれば、アプコの「おかあさんが知ってくれるから大丈夫。」という強固な信頼は、彼女の愛すべき幼さの証。 まだまだ母には、「全部知ってるよ」の包容力と「何でも判ってるよ」の演技力が要求されているのだろう。 重いなぁ、アプコ。 重すぎるよ。
結局、いろいろ鎌をかけて訊いて見たけど、アプコの「ホントの悩み」の正体はわからなかった。 生まれては消える泡ぶくのような、ささやかな気まぐれの悩みにすぎなかったのか。 改めて言葉にして告げるには難しい、深く芯に残る悩みだったのか。 浅薄な母の推理力では、もはや推察不能。 少し時が立てば、全く悩みのない顔をしてケラケラと笑い転げるアプコ。 しばらくは、小鳥のようにかしましいアプコのおしゃべりをしっかり耳を済ませて聴いてみよう。
8月17日付け日記より 続きのお話
ゲンの牛乳パックの一件の後、夕食の支度をしていたら、電話のベルが鳴った。 傍にいたアユコが取ってくれて、 「おかあさん、お兄ちゃんから・・・」と取り次いでくれた。
「あのな、かあさん、今な、僕、・・・捕まえてな、そんでな・・・」 受話器の向こうのオニイの声が遠い。 「何、何?よく聞こえない。何を捕まえたの?」 「あのな、だから、・・・捕まえてん。え?落ち着いて聴いてよ。あのな、ち・か・ん!」 「何?チカン?」 捕まえた?「捕まった」じゃなくて、よねぇ?(オニイ、ご免!) 「うん、そう。痴漢!それでな、今からな、警察へ行って、いろいろ話とか、して来なあかんねんて」 オニイの後で、何人か大人の話し声が聞こえた。 何のことだか、訳、わかんない。 「え?警察?・・・て、どこの?で、今、あんた、どこにおるの?」 「今な、駅の近く。・・・んじゃ、行って来るし。多分遅くなると思うけど、だいじょぶやから。」 「え?え?オニイ!オニイ!今から、どこ、行くって?」 返事を待つもむなしく、電話は切れた。
なに?なに? どういうことよ? どこで? なんで、オニイが? 疑問符ばかりが、次々浮かぶ。 とりあえず、電話のオニイの声が妙に興奮して、めちゃくちゃテンションが高かったから、オニイ自身は大丈夫で怪我もしてないだろうことはわかったのだけれど。
しばらくして、再びオニイから電話。 枚方の警察署に着いたという。さっきの電話で母があんまり魂消ていたから、きっと事態を把握していないだろうと思って、警察官に頼んでかけさせてもらったのだという。途中、電話を替わった警官が 「警察署のほうへ息子さんにおいで願ってます。でも決して彼が何か悪いことをしたとかではありません。実は息子さんには悪質な痴漢逮捕にご協力いただきまして・・・」と事情を話してくれた。
下校途中のオニイが自転車で駅前に差し掛かったところ、「その人、痴漢よ!捕まえて!」と女の人の声がして、若い男が走ってきた。オニイは自転車でその男を追いかけ、袋小路に入ったところで男を取り押さえた。被害にあった女性が110番して、パトカーが着くまでのあいだ、近所の人と一緒にその男を抑えつけていたのだという。 どうやら、近隣で何度も犯行を重ねている手配犯だったらしい。 警察官によると、これから事情聴取やら現場検証やらで、まだまだ遅くなるという。 ひとまず納得。 「こりゃ、すごいね。」「晩御飯、もっと大御馳走にして乾杯せなあかんね。」と、大興奮のままオニイの帰りを待った。 ・・・が、その連絡を最後に、8時になっても9時になってもオニイは帰ってこない。 「オニイ、何か、食べたかしらん? 夕方の時点でもう、腹ペコヘロへロだったはずなのに、この時間まで・・・」と冷め切った夕食も気になる。 「警察といえば、よく尋問の最中にカツ丼とか出てくるけどさ、捕まった人にはカツ丼は出ても、捕まえた人にはカツ丼は出ないんだろうね。」 とか、くだらない話をしながらオニイの帰りを待つ。
だいたい、なんでオニイが痴漢なんかを。 暴力とか取っ組み合いとかが大嫌い。華奢で小柄なオニイがいったいなんで?怖いとか、危ないとか思わなかったんだろうか。確かに頑なに見えるほど正義感が強かったりするところもあるけれど・・・。 状況がよく判らないだけに疑問は膨らむ。 取っ組み合いとかにはならなかったんだろうか。今時のことだから、もし相手の男が刃物とか持っていたらどうなっていただろう。 考えただけでもぞっとする。
心配になって迎えに行った父さんとオニイが家に帰ってきたのは、結局11時を過ぎた頃だった。 「腹減った〜ぁ。」と座り込むオニイには許されるならお疲れさんのビールの一杯でも注ぎたいところだが、とりあえず暖めなおした夕食を並べる。 警察署ではカツ丼はおろか、お茶の一杯も出なかったそうで(笑) たっぷりの夕飯に、カップめんのデザートまで食べ終わって人心地ついたオニイに、家族皆から待ちかねていた質問の嵐。 まるでヒーローインタビューだ。 「とっさのことやから、怖いとか思う暇なかってん。取り押さえた後になって『コイツ、刃物でも持ってたら・・・』と怖くなったけど・・・」 「結構大人し目の痴漢(笑)やったんで、ほとんど取っ組み合いとかにはならなかったけど、もっと抵抗されてたらおさえてる自信はなかったかも。」 「パトカーにはじめて乗ったよ!小さいときの夢が叶ってしもうたな。」 まだ興奮の残るオニイは、普段よりずいぶんおしゃべりだ。 ここ数日、進路のことや何かで鬱陶しい顔でむっつりしていることの多かったオニイ。一気に雲が晴れたようないい顔をしてる。 とりあえず、怪我もなくてよかった。
まだまだ母にとっては、いちいちその体調を気にかけたり、帰りが遅いと心配したり、何かと気にかかる対象に過ぎないオニイだけれど。 一歩家を出れば、外目にはピンチのか弱き女性が「助けて!」と声をかけるに足るだけの「大人の男」の範疇に見えるのだなぁということが、新鮮な驚きだった。 そういえば、最初の電話だけでは状況が飲み込めず混乱しているだろう母を気遣って警察官に家へ連絡を取ってくれるよう自ら申し出たという対応も、いつものオニイにしては出来すぎる大人の対応だった。 また、事件の状況を得意げに家族に語りながらも被害にあった女性の名前だけは「それって、僕、喋っちゃってもいいのかな。」とすぐには明かそうとしなかったのも、意外な賢明さだった。 知らないうちに、オニイもだんだん大人の男になりつつあるのだなぁ。 なんだか、頼もしいような寂しいような。 母の思いは複雑である。
ひとしきり盛り上がったオニイの話の後で、にやにやと擦り寄ってきたゲン。 「お兄ちゃんのすごいお手柄話のおかげで、僕のイタズラの話は立ち消えになってくれて、有難いわ。」 はぁ。 ここにはまだまだ、大人の男には程遠いいたずら坊主が残ってた。 「なんの、なんの。お兄ちゃんのすっごい手柄話をするたびに『それに比べてこのアホな弟は・・・』と末代まで二つ一組で語ってやる。」 というわけで、大事件続発の一日の顛末。 2件一組で、日記に更新。
後記
どうやらオニイの捕まえた犯人は、余罪も沢山或る凶悪犯だったそうで、警察から感謝状何ぞをいただけるそうです。 やったね、オニイ!
2008年08月17日(日) |
全くもう、何を考えてんだか! |
久しく更新が停滞しておりましたが、 本日(8月18日)、続けざまに面白い日記ネタが降臨いたしましたので 2回に分けてお届けします。まずは<その1>
今日も外は暑かった。 買物から帰って冷蔵庫を開け、ドアポケットの牛乳をコップに注ごうとしたら少ししか残っていなかった。 あららと思って、棚のほうに横倒しに入れてあるもう一本の牛乳を取り出そうとしたらふわりと軽い。 見ると消費済みの空の紙パック。 「なに、これ! 誰よ、こんな馬鹿ないたずらをするヤツは!」 と大きな声で怒鳴ったら、横にいたゲンが微妙な顔で笑いを噛み潰している。 犯人確定。
数日前から、冷蔵室の真ん中の段に、横倒しに入れた牛乳パックの底面が鎮座しているのは知っていた。 夏の間、我が家の冷蔵庫はいつもギュウギュウ詰め。お茶のボトルや飲料の缶、残りおかずの入ったタッパーウェアやお昼ごはん用の生麺類などが脈絡もなく詰め込んである。 そんな中にぎゅうと詰め込まれた横倒し牛乳パックがえらく嵩を取って邪魔だなぁと何となく気にかかってはいた。 だからこそ、今日、スーパーの牛乳売り場で超特売の牛乳を見かけたときにも「ダメダメ、もう1本ストックがあったから、余分に買っても・・・」と、買わずに帰ってきたのである。 で、帰って出してみたら、それはダミーの空パック! カチ−ンと来た。
「いったい何が面白くて、こんなアホなことするのよ。 暑いから、冷たい牛乳やお茶はみんなが沢山飲むから、絶やさないようにと思って毎日チェックしてせっせと足しているのよ。 あんたたちは、なんも考えずにガブガブ飲んで、当たり前の顔してるけどね。 これでも日に何回もお茶を沸かしたり、空いた牛乳パックを切り開いて洗ったり、やってんのよ。 それを、何? なんで空の牛乳パックを冷蔵庫へ戻しておくの? それで、騙された母が慌てるのをみるのがそんなに面白いの? え? どうなのよ?」 と勢いに任せてまくし立てる。 ゲン、母の突然の剣幕に驚いて、大きな体を小さくすくめて、シュンと凹む。 「あ、ごめん・・・。ただ、なんとなく・・・」 「『何となく』で母を騙すのか、バカ息子! 今すぐ自転車で行って、牛乳買ってこい!」 あまりの馬鹿馬鹿しさに腹が立って、小銭とともにゲンを追いだした。 全くもう、何を考えてんだか!
「全くもう、何を考えてんだか!」で、思い出したのは、オニイが小学校低学年だった頃に起こった「食べるな、見本!」事件のこと。 どこからか頂いた上等のチョコレートの箱のなかに、ちょっと変わったデザインのチョコレートがあった。 ちょうど、数物のお皿のデザインを考え中だった父さんが、そのデザインを気に入って制作の見本用にと取り置いて、「たべるな、見本!」と張り紙をしておいた。 数日後、父さんが仕事場で見本の包みを開けてみると、なんと取っておいたチョコレートの隅っこが齧られている。それも微細なデザインのちょうど要の部分に、明らかに小さな子どもの歯型。 「こらぁ!だれだ、齧ったのは?!」 傍らできまり悪そうな顔でうつむいていたのは、オニイ。 「なんで、わざわざ『食べるな』と書いてあるチョコを齧ったのヨ? 書いてある字は読めるよね。それをなんでまた・・・。」 箱の中には、他にも沢山チョコレートは残っていたし、わざわざ張り紙付きで厳重に包まれたチョコをわざわざ齧らなくても・・・。 それもホンの数ミリ、歯形をつけるだけ・・・。 意味、ワカラン!
あの時、オニイは結局、なぜそんな馬鹿げた悪戯をしたのか最後まで理由は明かさなかった。 「ただ、何となく・・・」 と、言うばかり。 以後、我が家では意味不明の馬鹿げたいたずらのことを、「食べるな、見本的イタズラ」と呼ぶ。 「全くもう、何を考えてんだか!」 と久々に叫んだ今日のゲンのいたずら。 大した事じゃない些細ないたずらなのに、タイミングといい事後のゲンの反応といい、ワタシの怒りのツボをストレートに突いた。 「ねえ、聞いて聞いて!ゲンったらね・・・」 と父さんやアユコにまで言い散らかして、溜飲を下げた。
挙句の果てに、 「これは絶対、日記ネタ! 近頃全然書いてないけど、日記復活だぁ。 末代まで語ってやる」 とばかりに、久々の日記更新。
その2に続く。
昼下がりのスーパー。 外気の暑さを逃れ、地下の食料品売り場に下りる。 お盆明けとはいえ、炎天下の外出を嫌ってか、意外に買い物客は少ない。 けだるくゆるゆるとした空気が流れている。 盆休みで程よく空になった冷蔵庫を満たすため、山盛りの夏野菜や定番の肉魚、パンや紙パックの飲料をカートに次々に積み足していく。
幼い子どもの激しい泣き声が聞こえた。 売り場の床に寝そべり、盛大に足をバタバタさせて泣き叫ぶ2,3歳くらいの男の子。どうやら男の子は、お菓子を買ってほしいと駄々を捏ねているらしい。おまけ付きのお菓子の箱を握り締め、激しく地団太を踏みながらキイキイと金切り声で泣き喚いている。 傍らには、もう一人小さい女の子を連れた若いお母さん。すでに疲労困憊の様子。 「今度、じいちゃんに買ってもらいな」となだめてみたり、 「お父さんに怒ってもらうよ。」と脅してみたり、 「早く家へ帰って、アイス食べようよ」と懐柔しようとしてみたり。 そのうち、ベビーカーで眠っていた女の子のほうまで愚図りだして、お母さんの声もだんだんヒステリックに歪んできた。
小さい子の子育てって、ホントに大変だよなぁと思う。 ほんの十数年前、自分も確かに通ってきた道だけれど・・・。 一日中、本能のままに撒き散らされる幼児らの感情や欲望を、なだめ、諭し、ねじ伏せ、誤魔化し・・・。ふつふつと噴き上がる悪魔のような幼いエネルギーと闘う毎日。 一日の終わりにはすっかり疲労困憊しているくせに、ようやく寝付いた子らの寝顔には昼間とうって変わった天使の面影を見て癒されていた。 若かったから、やっていけたんだろうなぁ。
よく考えてみれば我が家では、売り場の床に寝そべり地団太踏んでまで子どもに何かをねだられたり、泣かれたりして困った記憶はない。 あえて言うなら、複数の欲しいおもちゃをなかなか一つに絞れなくて、長い時間、玩具売り場をさ迷ったことがあったくらいか。 特に上の3人が幼かった頃は、誰か一人の駄々っ子にいちいち取り合っている余裕もなかったし、「絶対、絶対、これが欲しい!」と激しい自己主張を発露する子もいなかった。 よく言えば、聞き分けのいい子どもたちだったのだろうけれど、見ようによっては、小さいながらに親の顔色や他の兄弟たちの状況を見量って、幼い欲望をコントロールしてくれていたのかもしれない。 まことによくできた子どもたちであったことよ。
泣き喚く男の子と、次第にぐずり始める赤ん坊。 子らとの駆け引きにくたびれ果て、周囲の目にもいたたまれなくなってきた母親は、「お母さんはもう知らない。置いてくよ」と最後通牒を出してさっさと歩き出した。 男の子の声がさらにヒートアップする。 回りの目など気にもせず、母の脅しに屈することもなく、ただ自分の欲しいものを手に入れるまでは一歩も引かぬ決死の根性。 たいしたエネルギーだ。 子どもながら、天晴れ。
あの日、幼い妹の手を引いて、ベビーカーを押す私の後ろを一生懸命ついてきていたオニイがいまや高校3年生。 とうに親の身長を超え、気難しくて無口な、心優しい青年に育った。 来春の卒業を前に、自らの進路についてあれこれ思い惑う今日この頃。 将来の仕事や自分の適性、引き継いでいかなければならない家業のことなど、若いオニイが背負っているものは重い。加えて、進学に要する経済的な負担。下にまだ、3人の弟妹たちが控えていることを考えると、その膨大な教育費の負担はあまりに重い。 オニイはこの夏、美術系の大学や工芸の専門学校などへの進学を目標に、美術部の活動と画塾の講習であけ暮れた。憧れの美術系大学と実技重視の専門学校と、その選択肢に親も子も悩みあぐねる毎日だ。
いっそオニイにあの子どものように、なりふりかまわず「ここへ行きたい!」と地団太踏んででも自分の希望を貫く奔放なエネルギーがあればよいものを・・・。 親の顔色を伺い、家族の経済状態を推し量り、弟妹たちの将来を慮りながら自らの行く末を見極めようと悪戦苦闘しているオニイの苦悩に、親として差し伸べてやれる援助の手はあまりに拙い。 与えてやれるものならあれもこれも盆に載せて、「さぁどうぞ。」と差し出してやりたくなる親心を愚かとは思いつつ、押し殺すこともできない。
結局、男の子は苦し紛れに母親が差し出したアイスだか飲料だかに誤魔化され、お菓子の箱を手放した。 あっけなく泣き止んで、ベビーカーとともにレジの列に消えていった。 結局当の本人も、激しく泣き喚き要求を通そうとすることにくたびれはて、すぐ手に入る手近のアイスで折り合いをつけたということだろう。 そういう選択も、子どもはいつか学んでいく。 せめてあの頃、数百円で買えるおまけ付きのお菓子くらいなら、思うまま買い与えてやる事だってできたのにと、わが子育て時代を振り返る。 苦い想いの今日の一こま。
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