てらさき雄介の日記
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2016年04月30日(土) 誤解されがちだが、ローカルは大好き

長くお付き合している方。先輩である。また友人でもあり支援者。ありがたくも毎月朝食会を開催してくれる。感謝である。今日は約10名位。ファミレスで朝からワイワイと楽しい話が出来た。

参加者はほとんど地元。どこに何が出来たか。誰がどの小学校を卒業したか。。政治はここから創られると実感。私は誤解されることが多いが、実はローカルが大好きだ。ホッとする。政治の仕事が殺伐としている分。

●今日一日

【午前】
支援者主催朝食会/中央
資料作成(報告会)/事務所
月例ミニ県政報告会(議会改革)/中央

【午後】
地域まわり/中央区内
片付け/事務所

【夜】
公民館長退任犂脅佞里弔匹き瓠進駄
事務作業/事務所


引き続き議会改革を進めてまいります


2016年04月29日(金) 猴靴哭瓩鬚笋蕕覆じ綟M完貉瓩鯊嵯

後藤祐一衆議院議員狃佞里弔匹き瓩忙臆叩0食なしの純粋な国政報告会。会場は一杯。溢れていた。本人の話よりも、参加者からの質疑応答の方が長い。対話を重視している。政治家としてあるべき姿と思う。

私は県議選初戦で敗退した後、後援会でバス旅行やボウリング大会、更にクリスマスパーティーをやった。忸怩たる思いもあったが、とにかくも選挙に勝つためには致し方ないと思った。

一方後藤氏は、そのような猴靴哭瓩離ぅ戰鵐箸呂笋蕕覆ぁポリシーと聞いている。それでも小選挙区で当選しているのだ。支援者と地元市民に氏の考え方が浸透していると言える。尊敬に値する、かつ素晴らしいことだ。

●今日一日

【午前】
実践倫理宏正会創立記念朝起会/中央
相模原地域メーデー/小山

【午後】
泳げ鯉のぼり相模川/水郷田名
地元歌手イベント/富士見
後藤祐一衆議院議員春のつどい/南区南台
民進党支部熊本震災募金活動/南区相模大野
支援者訪問/相模原

【夜】
会合(議会)/町田市


多くのご厚意を頂きました


2016年04月28日(木) 一見報われない役でも地元市民の為に

朝イチから夕方まで県庁に詰めていた。今日は多くの議員と話をした。みんな志あってやっている。またそれぞれに事情がある。加えてほとんどが年上。人生経験では劣っている。それでも言わねばならぬことがある。

思うことはたくさんあった。言いたいことを言う人。言いたいことを堪える人。切り替えの早い人。何年も前のことを覚えている人。内弁慶な人。意外に滅私奉公な人。等々とにかく個性的な人が多い。

私は地元市民の支援で議員をやっている。その期待に応えたい。議会でどのような役割が与えられようと、ありがたく受けるしかないと思っている。一見報われない役目も重要と信じている。頑張ります。

●今日一日

【午前】
支援者訪問/磯子区
打合せ(議会)/横浜市中区
民進党県議団役員会/県庁
民進党県議団全体会議/同

【午後】
民進党県議団全体会議/県庁

【夜】
事務作業/事務所


久し振りの事務所は書類がたくさん溜まってました


2016年04月27日(水) 田中良杉並区長の会で改めて思う

政治資金パーティー。市民に良い印象はないかもしれない。しかし最も良心的な政治資金の集め方である。大量に購入する人や団体もあるが、大方は個人でチケットを1枚、2枚と買ってくれる。まさに善意だ。

田中良杉並区長の会に参加。25歳で市議補選に出るときに相談した先輩。それ以降今日まで様々なご支援を頂いている。もちろん個人的な義理だけではない。政治家としても尊敬している。

さて今日の会場は新宿の京王プラザホテル。前職の都議時代に増して会場溢れんばかりの人。政治家に多くのカネはいらない。しかし最低限必要な経費はある。そのことを隠し続けることが、最終的に市民の利益になるのか。

借金まみれになる政治家を多く見てきた。結果追い込まれて怪しいカネをもらう。それこそ政治の腐敗に繋がることもある。薄く広く政治資金を集める文化を、日本と地元相模原に根付かせたい。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所
連合神奈川政策委員会(社会インフラ)/横浜市中区

【午後】
打合せ/参議院議員会館
地域まわり/都内

【夜】
田中良杉並区長パーティー/東京都新宿区


盛大でした


2016年04月26日(火) ワシントンDCから成田は約13時間

日本に帰ってきた。ワシントンDCから成田の飛行時間は約13時間。飛行機搭乗の最長記録だ。機内食2回、間食1回、加えて例によってアルコール各種。しかし結果一睡もしなかった。

体が固まる辛さはあったが、それほど飽きはしなかった。最初に杉原千畝とロッキー4を視聴。その後は天皇の料理番。初回から第10話まで終えることが出来た。なかなか面白いドラマだ。

成田から直接県庁へ。定例議会の準備を始める。夜は会合の予定も入れていた。最近は飛行機が定刻だから出来ること。また日常が始まる。しかし同じようには繰り返さない。今回の旅を活かしたい。

●今日一日

【午前】
ワシントンDCから成田へ

【午後】
事務作業/県庁

【夜】
会合(議会)/横浜市中区


少し久し振りの控室です


2016年04月25日(月) 出会った多くのアメリカ人・ブラジル人に感謝

帰国の日。2週間の行程は学生時代以来。しかも初めて訪れる土地ばかりだった。時間が長く感じられた。若干日本が恋しくなった。明日見るものが何であるのか興奮した。

猯広瓩鉢猯更圻瓩琉磴い蝋堋が決まっているかどうか。飛行機とホテルはFIX。その中でどこへ行くかは気分次第。猗称広瓩箸い辰燭箸海蹐澄

危ない目にあったことはない、騙されたことも。感謝している。途中多くのアメリカ人・ブラジル人・旅行者にお世話になった。今後のご健勝を心から祈念する。ありがとうございました。

●今日一日

ワシントン滞在
ワシントンから成田へ


全日空の「1」便です!


2016年04月24日(日) アメリカ人は非業の最期が好き

市内の有名な場所をいくつか訪れた。一番印象に残ったのはリンカーン記念堂。外目も中の銅像も立派である。壁には演説の内容が彫ってある。「人民の人民による人民のための政治」。また踊り場にはキング牧師の言もある。「Ihave a dream」。

二人が特別に扱われている理由を「途中で殺されたから」とガイドは言う。「アメリカ人は非業の最期」が好きとも。まあこれは日本人も同じだが。立派な人にも垢はある。人間である以上間違いも。坂本竜馬と山縣有朋はどちらが幸せだったのか。

●今日一日

終日ワシントンDC滞在


歴史博物館では東條元首相とヒトラーが並んで解説されています


2016年04月23日(土) 大味大皿の料理が文化

マイアミからワシントンへ。約2時間半の飛行。縦移動なのでアメリカでは近い方か。それでも東京と沖縄くらいは距離があるということ。もう少しで今回の旅も終わり。残された時間を有意義にしよう。

空港から市内へはバスと電車。ガイドブックが今一つわかりにくい。人の流れに身を任せながら、勘で進んでいく。無事ホテルに到着。だいぶ暮れている。夕食は近くのレストランバーに入った。

ビールと肉を注文。隣の客はパンケーキを食べている。それだけだ。また隣の客はひたすらに巻き寿司。しょう油を驚くほどたくさん付ける。色々な味を少しずつ楽しむ文化はない。しかし注文した肉は美味しかった。

●今日一日

マイアミ滞在
マイアミからワシントンDCへ
ワシントンDC滞在


夕暮れのホワイトハウス


2016年04月22日(金) アメリカは犂架討記瓩魄飮して欲しい

マイアミはアメリカ有数の避暑地であり、かつ中南米への玄関口の役割を果たしている。街には非白人が多く歩き、また店を構えている。リトルハバナに限ったことではない。

レストランで店員と客がスペイン語で話している。話しかけると、私と同じ下手な英語が返ってくる。電車のなかで、知らない言葉で何か聞かれた。「エアルポルト?」電車が空港に行くのか聞いているのだろ。「イエス、イエス」と答える。

大統領選挙でもスパニッシュの動向注視されている。今でもアメリカが永住権を抽選で与えているのは、自らが移民国家であることを誇りにしているからだろう。その犂架討記瓩魄飮して欲しいものだ。

●今日一日

終日マイアミ滞在


キューバ料理は美味しいです


2016年04月21日(木) イチローの活躍に背筋が寒くなる

メジャーリーグを見た。地元マイアミマーリンズにはイチローがいる。電光掲示板で紹介されたとき、バッターボックスに立ったとき、外野フライをキャッチしたとき、両チームの選手のなかで一番声援が大きい。背筋が寒くなる感じだ。彼は異国の地で偉業を達成した。

有望な選手がメジャーへ行ってしまうことについて、将来の日本球界を心配する声も聞く。しかしこれは野球に限ったことではない。他の競技も今や国境は低い。これはスポーツ本来の目的を考えれば素晴らしいこと。嘆くことではない。世界中に行けばいい。世界中から迎えればいい。

●今日一日

終日マイアミ滞在


テレビで見慣れたバッティングフォームです


2016年04月20日(水) 人生に影響を与えたくれた先輩に別れを

マナウスの最終日。マイアミへの便は深夜。朝から市内をまわってみた。夕刻からはショッピングセンターで夕食。そして最後に先輩のかき氷屋を再訪した。何か本当のお別れのような気がした。

距離が遠いというのは会えないということ。危篤になっても駆けつけられないし、死んでしまっても葬式にも行けない。まだそんな年齢ではない。しかし人間何が起こるかわからない。二度と会えないかもしれない。

明治大学雄弁部の一年上。この先輩はのんきな人だった。夏や春の休みに1、2カ月平気でタイやインドに行ってしまう。しばらく姿を見ないと、「また東南アジアだろう」と。私の人生にも大きな影響を与えた人と思う。

「ブラジル初のかき氷屋を始める」と聞いた時も、どこかその延長戦上で明るく面白い感じがした。しかし実際は違っていた。「最近客が少ない」と深刻な顔で言う。他ここでは書けない悩みを多く聞いた。そうだ。生活に楽などあるわけがない。

この世界に生きる全ての人が苦労している。それでも日々を必死に生きているのだ。先輩に何も出来ない。しかし心の底から応援している。ご自身が故郷を捨てて選んだブラジルのマナウスで、その納得できる成果が上がることを。

そうだ。出来ることがあった。私が日本を出発する前に、先輩から携帯にメッセージが入った。「マヨネーズを何本か買ってきて欲しい」とある。ブラジルではとても高額らしい。大きなサイズを3本持っていった。

しばらくしたら無くなるだろう。日本からマナウスへマヨネーズを送りたい。

●今日一日

終日マナウス滞在
深夜便でマナウスからマイアミへ


ブラジル人向けの味付けです


2016年04月19日(火) マナウスは大きく3つに分かれている

昨日と一昨日。先輩にかき氷屋を店を休んで頂いた。申し訳ないことをした。今日は一人で市内を散策。ここ数日間で把握したところ、マナウスの街は大きく3つに分かれているらしい。街全体の位置関係を把握することは、一人旅ではとても重要なことだ。

一つは旧市街。ポルトガルの植民統治が行われた場所だ。二つは新市街。官庁がある。宿泊したホテルと先輩のかき氷屋もここに。今後もショッピングセンター等が出来るらしい。三つは工業地域。ホンダを始め世界の工場が進出している。車とアマゾン川の船で製品を搬出している。

夜は先輩の友人と食事。川魚のフライと食べた。この方もマナウスに定住した日本人。日系企業に現地採用でつとめている。余り日本には帰らないという。前はサンパウロで暮らしていたとのこと。ビールを飲みながらじっくりと、その人生の一端を聞かせて頂いた。

●今日一日

終日マナウス滞在


皿盛り料理が多いです


2016年04月18日(月) ポルトガルらしい広場の雰囲気だ

今日はマナウス市内の観光である。メインはアマゾネス劇場。前に大きな広場がある。どこかで見たことがある。マカオの街並みだ。ブラジルは南米で唯一ポルトガルの統治を受けた。それで似ているのだろう。

さて言語。ポルトガル語だ。不思議である。自国伝統の共通語がない。植民地を経験した国でも通常は、旧宗主国のものと並列に自国の言語を使っている。しかしここはない。完全ポルトガル語だ。

独立のカタチも珍しい。ブラジルを現地で統治していたポルトガル王家の分派が、本国からの独立を宣言している。ポルトガルの社会制度が引き続き維持されたのだ。その基盤の上に現在の社会経済が成り立っている。

またサンパウロの地下鉄を除くと、ブラジルには鉄道がない。大きな国土は飛行機かバス、そして昨日も書いた水上交通で結ばれている。イギリスや日本は植民地経営で鉄道を好んだが、ポルトガルは違うらしい。

元々私の旅は一箇所に数日しかいない。それでその国を理解できるはずはない。しかし一度でも自分で見た国と街は、その後長きにわたって関心を持ち続けられる。ふとしたニュースが気になるのだ。

●今日一日

終日マナウス滞在


どこかで見た街並み


2016年04月17日(日) アマゾン河の水上集落

マナウスはアマゾン河に向かう拠点の街である。朝ホテルに先輩が迎えに来てくれた。そのまま河の近くへ。大きな船が並んでいる。観光用ではない。水上交通だ。アマゾン河沿いの街を行き来する人が、生活で使っている船である。その行程は3日間から1週間と長い。

その合間をぬって歩くと、小さなボートがある。ヤマハの発動機付きだ。先輩の知人らしく貸し切り予約をしてくれていた。早速乗り込み河の流れに沿って進む。二つの河が合流している。双方の流れと水質が違うため、水が混じり合わない。二つの色のまま数キロ流れていく。

大河からジャングル、小さな支流。すいすいと進んでいく。ピラニア釣り、水上バンガローの昼食、大きな蓮の葉、等々見たことのないものがある。一番興味深かったのは水上集落だ。河の上に高床で建物が立っている。家、食堂、学校や教会。水上建築の専門家もいるらしい。

思えば遠くに来たものだ。自分の目でアマゾン河を見る日が来るとは思わなかった。出発から到着まで約7時間。仕事や生活から完全に解き放たれていた。日常とは全く違う時間と空間だ。一日付き合ってくれた先輩に感謝。

●今日一日

終日マナウス滞在


河の色が手前と向こうで違います


2016年04月16日(土) マナウスに移住している先輩を訪ねる

思えば2週間の旅は社会人になってから初。‘マナウスに移住している先輩のかき氷屋を訪ねる’という主目的を達成するためには、遠い分一定の期間が必要だった。そしていよいよ時が来た。

マナウスへの国際線は唯一マイアミからのみ。夕方の便に備えて早めに空港へ行く。搭乗便は空港の一番端から出発。飛行は5時間程。興奮もあり早く過ぎだ。席には狭かったがすいていたので快適だ。

初めてのブラジルに到着だ。外交方針として相互主義を採っているため、日本人の入国にはビザが必要。事前に取得していたので難なく入国。バッグもすぐに出てきた。途上国特有の雰囲気が空港に漂う。

空港には先輩が自家用車で迎えに来てくれた。ボディには経営するかき氷屋の図柄が大きく入っている。走ること30分。その店に到着した。思えば日本からの行程は長かった。地球の裏側はやはり遠い。

その後ホテルにチェックイン。そして先輩に連れられ街場のバーへ。ビールをごちそうになった。既に深夜である。市内をめぐるのは明日以降だ。異国での過労は危険。幸い部屋は広かった。じっくり休むことにする。

●今日一日

マイアミ滞在
マイアミからマナウスへ
マナウス滞在


マナウスではかなり目立ちます


2016年04月15日(金) ロスからマイアミへ4時間の国内線

ロスからマイアミへ。飛行は国内線で4時間と少し。アメリカは広い。高度1万メートルからでも下がよく見える。ひたすらに長い真っすぐな道路が通っている。草原、高原、その合間に集落がぽつぽつと。

マイアミは雨だった。その暖かさと勢いはスコールのよう。ここは亜熱帯なのだ。ホテル到着が夜遅くなった。今日は中のレストランで済ませることにする。ビール美味し。出てきた肉サンドはやはり巨大である。

●今日一日

ロスアンゼルス滞在
ロスアンゼルスからマイアミへ
マイアミ滞在


写真で見るよりも実物は大きいです


2016年04月14日(木) 全米日系人博物館で感じた「民族」

ロスアンゼルス3日目。全米日系人博物館を訪問。リトルトーキョーの一番端にある。リニューアルした新しい建物。参観者もたくさん。やはり日系らしき人が多い。展示物も豊富だった。

初期にアメリカへ渡った方、その2世・3世、あるいは現在の4世以降。それぞれに苦労がある。日本は移民が少ないが、それでも神奈川は多くの外国人が暮らしている。その気持ちと対処は大いに参考になる。

戦時中の強制収容所については資料が豊富である。住まいのバラックも保存されていた。二度とあってはならないことだ。厳しい状況の中でこそ、国の文化度とレベルは明らかになる。日本はどうだろうか。

さて移住した日本人たちはは、決して日本を捨てた訳ではない。ここにあるノートや教科書、子どもの遊び道具、等々。結果として帰れなかったに過ぎない。日本は長く祖国であり続けたのだ。

今やアメリカ社会の指導的地位には、多くの日系人がいる。移民とその子孫たちは、日本にとっても大きな財産である。博物館の随所から感じる「民族」というものに、改めて気付かされた。

●今日一日

終日ロスアンゼルス滞在


日系人収容所の絵


2016年04月13日(水) アメリカ大陸初はロスアンゼルス

ロスアンゼルスにいる。昨日は夕刻の到着だった。若干暗かったので慎重に行動。しかし限られた日数。積極的に行動しなければならない。いくつも書けないので、一番印象に残ったことを今日以降は書いていきたい。

街がはっきりと分かれている。「白人が多いエリートの場所」「現地の人もいかない危ない地域」「足を踏み入れられない高級住宅街」等々。収入による生活環境の差が歴然としている。

またゴミの収集車・ガードマン・道路工事の人たち、じっくり観察すると白人は非常に少ない。ほとんどが黒人かヒスパニックである。一方でスーツでネクタイをしめているのは白人が多い。

さてリュック一つで歩いていると、誰も私を旅行者だとは気付かない。10人いれば肌の色も10色。黄色人種もたくさんいる。言葉が詰まっても相手は大らかだ。慣れているのだろう。含めてこれも社会の大きさか。

●今日一日

終日ロスアンゼルス滞在


ロス市庁舎の会見場


2016年04月12日(火) 民主党と私〜その8〜

前日、その7から続く

一番大切な今後である。私に出来ることを積み重ねるしかない。これを達成できるかどうか。ここに民進党の将来がかかっていると信じている。

かながわ民進党県議団筆頭副団長として、党所属県議が一致結束して県行政に対峙していく、その体制をぬかりなく構築しなければならない。民主党政権がガバナンス不足を反面教師にしよう。

民進党神奈川地方議員フォーラム代表として、党全体の運営に地方議員の声が反映されるよう、大きく声をあげていく。また県内各地方の議会と連携を深める。国会は浮き沈みが激しい議会。地方議員の責任は大きい。

相模原市選出の民進党所属議員として、地域のなかで「民進党」の旗を大きく掲げていく。地元から理解を得られずに、その先はない。私自身の政治家としての将来もまた。時間がかかるだろう。

最後に民主党に感謝したい。私のような3バンのない人間が、県議会議員として仕事をしている。そのチャンスを民主党はくれた。「何もないのがいい」と言ってくれた。その精神は民進党に受け継いでいきたい。



●今日一日

【午前】
地域まわり/横浜市内

【午後】
事務作業/事務所
羽田からロスアンゼルスへ(日付け戻り本日夕に着)


2016年04月11日(月) 民主党と私〜その7〜

前日、その6から続く。

政権転落は予想していた。しかしここまで負けるとは思わなかった。特に地元神奈川14区で本村賢太郎氏が落選するとは信じられなかった。しかも大差である。小選挙区選挙の恐ろしさと、無党派層の強さを改めて痛感した。その後今に至る民主党冬の時代となる。

次の衆議院選挙で本村氏は比例当選したが、世の民主党に対する評価は低迷を続けた。何がいけなかったのか。今後どうするのか。明確なメッセージが国会や党本部から聞こえてこなかった。私に届かないのだから、市民に至るはずがない。不祥事など残念な話ばかりが報道で流れた。

それでも神奈川県議会は踏ん張った。昨年の県議選も25名の当選。全国でもトップクラスの規模だ。各地域で同志諸君が踏ん張った結果だろう。この人員さえいればやっていける。そしていつの日か国政でも政権交代を担える。あと10年堪え続ける覚悟があるかどうかだ。

そしてどこからか維新との合流話が出た。維新がほとんど見えない相模原では、「何故?」以前の問題として、誰と一緒になるのかわからなかった。党内で反対の声を上げた。信頼は時間と共に培われる。結党から20年経った。あと30年踏ん張れば、自民党のように地域に根付ける。

結果は周知の事実。民主党は党名を変更し、解散した維新から国会議員が入党した。私たち地方議員の党籍はそのままだが、街頭で何万回と使った「民主党」の名は無くなった。「民進党」を同じ回数述べるのに、どれくらいの時間がかかるのだろうか。イチからのスタートである。

私も割り切りは早い。民進党名刺も作成した。これから「私こそが民進党」と言えるよう、県議会議員として全力を尽くしていく。県議会での発言もそう。私たちが訴えることが民進党神奈川の政策になっていくのだ。大切なものは今後も変わらない。変えてはいけない。

翌日、最終回。

●今日一日

【午前】
会派業務/県庁
民進党県議団正副団長打合せ/同
民進党県議団役員会/同

【午後】
民進党県議団全体会議/県庁
行政相談対応(警察)/同

【夜】
会合(議会)/横浜市中区


2016年04月10日(日) 民主党と私〜その6〜

前日、その5から続く。

政権交代選挙は、まさに熱狂だった。街頭でビラを配る必要がない。「マニフェストが欲しいんです」と、市民が電話をして選挙事務所まで取りに来てくれる。私も冷静でいたいと思ったが、民主党員なので素直に嬉しかった。

上溝ダイエーで本村候補が街頭演説をすることに。党幹部の玄葉光一郎氏が応援に来た。今や外務大臣もつとめた多少の有名人だが、当時はほとんど誰も知らない。選対で「寺崎さん、送り迎えを頼む」と言われた。こういう役目も支援議員にはある。

私の車で玄葉氏が語ったことが忘れられない。「政権交代はしたい。しかし新聞にあるような300議席は行き過ぎだ。その後持ちこたえられるか心配(要約)」国会で民主党の采配をしていたからこそ、この現実と限界を認識していたのだろう。

政権交代が実現した。私は鳩山由紀夫氏の軽さが総理として心配だったが、多くの市民は彼が代表である民主党と支援してくれた。しかしそれが事実であっても、私たちはより謙虚であるべきだった。自民党にお灸を据えよう。その意識で消極的に投票した人が多かったのだ。

政権運営の稚拙さは目に余った。加えて私は‘公約違反’の影響が大きかったと思う。野党と与党は違う。そこは開き直っていい。「すいません。これは出来ません」とお詫びする勇気も必要なのだ。しかし何の約束を守って、何を違えるか、その選択すら政権は出来なかった。

子ども手当、八ッ場ダム建設の中止、普天間基地の県外移設、等など。世の注目を集める課題ほど、党内の議論が迷走して、その間隙を霞ヶ関と自民党に突かれてしまった。自民党の部会や総務会のシステムは良く出来ている。そこは学べば良かったのだ。政治で最も重要な政策決定のシステムが、結果最後まで定まらなかった。

加えて党内抗争。党内に派閥をつくってしまう。自党の大臣や議員のスキャンダルに毅然とした態度が示せない。業界団体の候補者を選挙で擁立する。では自民党とどこが違うのか。同じならば経験ある自民党の方がよいのではないか。そういう声が市民から出てきたのは自然なことだ。

そして再び衆議院選挙がやってきた。

翌日、その7へ続く。

●今日一日

【午前】
お休み

【午後】
有料老人ホーム新設内覧会/座間市
神奈川土建ボウリング大会表彰式/中央


2016年04月09日(土) 民主党と私〜その5〜

前日、その4から続く。

当然に当選するつもりだった。また勝ったと思った。開票するまでは。結果15,576票で落選。次点とは言えその差は1,000票以上。完敗である。もう一人の民主党候補も落選したことで、相模原の民主党の県議会議員はゼロになった。客観的にはあり得ないことだが、私自身がその当時者になった。

浪人生活の詳細は述べない。あくまで私事だ。墓場まで持っていくつもり。一方多くの方に支えて頂いたことは忘れない。また運も良かった。県議選から数か月の後、民主党と自由党が合併することに。藤井裕久先生が民主党になったのだ。これを境に相模原市民の民主党に対する評価は変わった

しかし政治は一寸先は闇。郵政選挙で藤井先生は落選。引退を表明。相模原の民主党はまさに風前の灯だった。周りから受ける批判と心配も段々強くなった。不思議なものでメゲてはいない。窮地にある方が向いているのか。元々野党的な体質なのか。批判を受けるほど次期県議選に向けた、民主党公認候補としての決意は固くなっていった。

迎えた再びの県議選。今振り返っても背筋が寒くなる選挙だった。勝負する相手は同志、友人である長友克洋氏、そして本村賢太郎氏。今に至る6回の選挙で、これ程強い相手と巡り合ったことはない。この選挙を戦えた経験が、その後今に生きていると思う。

そして当選した。実力とは思わない。この選挙は民主党の風が吹いた。県内の候補者が軒並み当選。民主党かながわクラブ県議団も35名でスタート。その流れは国政にも及び、自民党政権が崩れていった。小泉政権後は市民の支持を得られず、世では「政権交代」が言われるようになった。

私はいまだ半信半疑だった。そんなに簡単に自民党が負けるだろうか。戦後ずっと難しかった、選挙による政権交代が実現するのだろうか。そして衆議院選挙を迎えた。我が地元の候補は本村賢太郎氏。直近の県議選で戦ったライバルである。私は割りきったが、支援者がついてくるか心配だった。

翌日、その6へ続く。

●今日一日

【午前】
富士工業グループユニオンボウリング大会/相模原

【午後】
行政相談対応(福祉)/上溝
上溝自治区自治会連合会総会/同

【夜】
上溝地区自治会連合会新旧役員歓送迎会/上溝
会合(地域)/相模原


2016年04月08日(金) 民主党と私〜その4〜

前日、その3から続く。

当時の県議会議員は相模原に7名いた。以下敬称略。太田恵(民主党)、鴨下大二(民主党)、桐生忠一(自民党)、舘盛勝弘(自民党)、赤間二郎(自民党)、渡辺均(公明党)、河野幸治(共産党)である。

うち民主党の両名が引退する見込みとなった。正式な去就は明らかにされないまま、どこからともなく後継候補の話が出た。当時は労組が強い時代。組織系で候補者が探されるなか、その末端に私の名前があった。

勝ち負けは気にしなかった。いや勝てると思った。一方で市議会議員の仕事は充実していた。辞めたくなかった。また民主党新入りの私が県議候補となるのは、市民に対しても無理があると思った。

最終的に選ばれたのは“実力”ではない。結果落選したことがそれを証明している。運だったのだろう。しかし私はそのチャンスを活かせなかった。今に続く政治家としての指針は、この選挙と浪人中にカタチづくられた。

翌日、その5へ続く。

●今日一日

【午前】
お休み

【午後】
地域まわり/中央区内

【夜】
事務作業/自宅


2016年04月07日(木) 民主党と私〜その3〜

前日、その2から続く。

内外から民主党を入りを拒まれてしまった。予想はしていたが、いまだ経験不足だったので上手く対処が出来なかった。そこで以前から交流のあった松沢成文衆議院議員(当時)に相談した。

「二大政党で政権交代を実現する。寺崎君のような若い人が必要だ」そう言ってくれた。そして入党の‘紹介者’になったくれた。通常は地元の党支部から話が上がるが、それが無理だった故の奇策である。

それでも会議には呼ばれなかった。同じ市議会の民主党メンバーや支部の代表者が変わらず私を敬遠した。その後太田恵県議(当時)や鴨下大二県議(当時)のとりなしもあって、正式に民主党支部常任幹事になった。

最初に参加した常任幹事会は相模大野だった。確か2001年のこと。今から15年前だ。この会議で私は貴重な出会いを果たしている。現在の後援会長T氏と同副会長のO氏。この時は厳しい指摘を受けたものだ。

さて衆議院選挙があったらどうするのか。変わらず藤井裕久先生を支援するか、新しく入党した民主党の候補者をやるのか。後者が組織の筋。前者が自分の人生の筋だ。周辺からもその質問をよく受けた。

「まあその時に考えよう」そんな感じだった。今覚えば恐ろしいくらい呑気だった。党人として基本的なことをオザナリにして、その時の気合いだけで突っ込んでいったのだ。

しかし結果として杞憂に終わった。衆議院選挙の前に政界再編となった。そして私自身が県議会議員選挙に出ることになったのだ。民主党入りによって私の人生も大きく変化していった。

翌日、その4へ続く。

●今日一日

【午前】
相模原シティライオンズクラブイベント/愛川町

【午後】
相模原シティライオンズクラブ懇親会/横山
会合(地域)/同


2016年04月06日(水) 民主党と私〜その2〜

前日、その1から続く。

1997年。初めて立候補した相模原市議会補欠選挙は無所属だった。保守系会派の統一候補として初めての当選を果たした。新進党の党籍はあった。一方この会派は自民党系・新進党系の議員が混在していた。

数か月後に参議院選挙があった。労組系を除く会派の同僚議員は、藤井系を含めて自民党の斎藤文夫氏を支援した。その準備の会も数回開かれた。お誘いも受けた。しかし私は参加しなかった。

旗幟を鮮明にしないのは無責任と考え、新人として民主党から立候補した浅尾慶一郎氏を支援することにした。由比昭男市議(当時)に段取りをして頂き、決起大会等に参加することが出来た。

その間も藤井裕久先生の支援は続いた。詳しくはこの日記の「藤井裕久先生と〜その1から9〜」(2005年9月14日〜・過去の記載も目次から見れます)をご覧頂きたい。非自民がスタンスだった。

一方、無所属である自分に疑問も感じていた。日本は政党政治なのだ。小沢一郎氏という特異なリーダーが基盤の自由党に入るつもりはなかった。二大政党の一翼を担う可能を感じた民主党を選んだ。

米民主党や英労働党のイメージ強かった。またそれを志向しているところを支持した。思えば、その後党の基本路線が定まらなかったことが、今ここに至っている主因だが、それはまた後の記述に。

しかし私の民主党入りは簡単でなかった。藤井先生を支援する犲由党系瓩らは「裏切者」と呼ばれた。民主党市議やその周辺からは「藤井系だろう」とブロックされる。政治経験がいまだ浅い私は困り果てた。

そんな私を助けてくれたのは松沢成文衆議院議員(当時)だった。

翌日、その3へ続く。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
地域まわり/中央区内

【夜】
会合(地域)/中央


2016年04月05日(火) 民主党と私〜その1〜

民進党地元支部の第1回常任幹事会が相模原市民会館で開催された。この日を境として名目とも民進党の所属議員として、今後新たな旗を掲げて政治活動を行うことになる。

民主党は間違っていなかった。結党以来20年。この歴史が50年に達したとき、初めて日本に根付く政党になり得ると考えていた。しかしここに至った以上異論はさし挟むまい。進んでいくしかない。

一方で私自身の総括は必要だ。昨年の選挙で民主党公認候補として当選した以上は、民主党とは何であったのか。民進党はどうあるべきか。市民に伝えていく責任がある。

明日から数日にわたりそのことを記したいと思う。尚、郵政選挙直後の「藤井裕久先生と〜その1から9〜」(2005年9月14日〜・過去の記載も目次から見れます)と多少重複するかもしれない。

翌日、その2へ続く。

●今日一日

【午前】
明大中野八王子中高入学式/八王子市

【午後】
相模原中央支援学校高等部入学式/高根
地域まわり/中央区内
街頭活動/市役所前交差点

【夜】
党地元支部常任幹事会/中央


2016年04月04日(月) 田母神俊雄氏の犖世ぬ瓩歪麺僂靴覆

田母神俊雄氏が東京地検の捜査を受けている。今日の報道によると牘親旭買収瓩竜燭いあるらしい。本人は違法性を認識していなかったようだが、金銭の選挙違反はもっとも罪が重い。

公職選挙法は厳しい。市民もそれを望んでいる。日本で美徳と言われる文化もその一部は通用しない。例えば、絶対に候補者陣営は爐ごっては瓩い韻覆ぁ「世話になったから一杯飲んでよ」は、一番厳しいレベルの選挙違反である。

私はケチではない。それでも選挙事務所では茶菓子も出さない。「こんなに一生懸命、毎日事務所で作業をしているのに、何でおにぎり一つ出さないの?!」と言われることもある。しかし絶対に出さない。

これまで多くの事例を見てきたから。法に触れることは、何より支援者の皆様に迷惑がかかってしまうのだ。また相模原のそんな政治風土も嫌である。KYかもしれない。だから出来る改革があると信じている。

●今日一日

終日所用


2016年04月03日(日) 自分なら安倍総理とやり合える気がする

スキャンダルで安倍政権は倒せない。これまでの3年数ケ月がそのことを証明している。大臣や与党議員の不祥事、総理自身の大人気ない発言、他諸々の事件があった。しかしすべてブーメランで跳ね返ってきた。

内閣支持率は下がっていない。民進党はじめ野党の国会議員は、この事実にしっかり向き合うべきだ。抵抗することは野党の基本。しかしその内容は政策であるべきだ。予算委員会をテレビで見ていて、我が党の幹部が何故こんな質問しか出来ないのか、情けなくかつ不思議に思うことがある。

マイナス金利は効果なく、市場経済の理屈にも反する。集団的自衛権を行使することで、対米関係が深まるのは幻想。自分なら安倍総理とやり合える気がする。そんな不遜なことを考えてしまう。

●今日一日

終日所用


国権の最高機関に相応しい議論を!


2016年04月02日(土) 消費増税と軽減税率の議論に異議あり

消費税の再増税に異議がある。元々の逆進性にも疑問を持っているが、加えて今の経済状況は厳しい。市民生活に打撃を与えるのは間違いない。少なくとも延期すべきだ。財政構造云々に至らなくても、その間の対処療法は出来るはず。「コンクリートから人へ」を指針とすればいい。

軽減税率の議論も問題が多い。業界団体が入り乱れて陳情合戦になっている。私たち県議のところにすら、「うちの商品に軽減税率を」と要望が来ている。消費者と納税者の側に立つ民進党は、その波に巻き込まれてはいけない。また政治家が犂違い瓩靴討靴泙制度をつくってはいけない。

●今日一日

終日所用


2016年04月01日(金) 下手なゴルフの会に一人で行くのはドキドキ

飲食店主催のゴルフコンペ。相変わらず下手なゴルフの会に、一人で行くのはドキドキする。お店もそれ程常連ではないので、顔見知りはいない。朝早くゴルフ場に集合する。簡単な開会のセレモニー。すると幾人の方から声をかけてもらった。

「寺崎さん、ですよね」⇒ポスターを見た方。
「寺崎さん、○○の結婚式で一緒でした」⇒何となく覚えてました。
「寺崎さん、△△のバーベキューでお会いしました」⇒ああそうだ。
「寺崎!!」⇒普段からお世話になっている方。

予定?通りスコアは散々だったが、それなりに楽しいひと時だった。何よりまた新しい人と知り合えたのが良かった。同じ人との付き合いで手帳が一杯になる昨今。ありがたい反面、ジレンマでもある。趣味で始めたゴルフも使えるかもしれない。

●今日一日

【午前】
飲食店主催ゴルフコンペ/町田市

【午後】
飲食店主催ゴルフコンペ/町田市

【夜】
同表彰式及び懇親会/上溝


なかなか上手くなりません


てらさき雄介 |MAILHomePage