てらさき雄介の日記
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2007年01月31日(水) 父の仕事、支援

自動車総連神奈川地方協議会の賀詞交換会に参加した。今日の会議で正式にご推薦を頂き、懇親会のなかで挨拶する機会もいただいた。

思えばここに至る過程には、父の尽力があった。父は昭和18年生まれで、今も健在で上溝に住んでいる。勤めが高卒から定年まで、ずっと日産自動車だった。

仕事のことは、家でまったく話さなかった。それでも幼少の頃、職場のお祭りに何度か連れて行ってもらった。

市議時代は、企業や労組と全くお付き合いがなかった。前回県議選に出るときに、労組の集合体である『連合』に初めて推薦依頼をした。

しかし知り合いもいなかったので、なかなかうまくアプローチ出来なかった。その時、キッカケをつくってくれたのが父だった。もうすぐ定年を控えていたが、日産関係の方を紹介してくれた。

サラリーマンの父を持ったことを、誇りに思ってはいたが、具体的に選挙にプラスになるとは想像もしていなかった。だからこそ嬉しかった。父が長年築いた人間関係を使わせてもらうことが申し訳ないとも思った。

県議選に向けて、多くの労組からご推薦を頂いた。前回敗れたにも関わらず、再び支援を頂けることに感謝している。

そしてその端緒であった父に報いるためにも、必ずや勝利しなければならない。


2007年01月30日(火) 外からの候補者

夕方橋本駅に行ったら、他の方(市議候補らしい)が先に立っていた。早いもの勝ちが原則なので、反対口に移動し演説とビラ配布を行った。

次期統一地方選挙に出る方は、だいたい把握しているつもりだが、この方はよく知らない。噂では都内の方で活動されていたらしい。

どんな事情であれ、相模原市に住んで下さることは嬉しい。ましてや選挙に出ようと思って下さるのも大歓迎だ。つまらない新旧のくくりは好きではない。

私も、相模原市生まれ育っているにも関わらず、両親が外から来たことを以て‘よそ者'呼ばわりされることもある。だからこそ「3日住めば相模原人」の精神を、より大切にしていきたい。

しかし一考も必要だ。先般の宮崎でそのまんま東氏が当選した背景には、他の候補者が中央からの落下傘であったこともある。宮崎県民は地元出身の東に親近感を持ったのだろう。

国政は別だ。しかし地方選挙に出る以上は、その街に骨を埋める覚悟をして欲しい。何日住んでいるかの問題ではない。その後と覚悟が大切なのだ。「選挙がダメだったら、また他の街に移る。」では困るのだ。


2007年01月29日(月) 副総支部長に就任

民主党神奈川県第14区総支部の大会が行われた。藤井先生引退後は紆余曲折があったが、本日の再結成に漕ぎ着けた。

現在衆議院候補者が不在のため、総支部長に浅尾慶一郎参議院議員を迎えた。あくまで仮の総支部長だ。その体制のなかで、副総支部長をつとめることになった。政策調査委員会委員長も兼任する。

浪人中であり、かつ2ヶ月後に選挙を控えているため、事前に話しがあったときは辞退しようと思った。しかし総支部の厳しい現状と、選挙という意味では皆状況が同じであることを鑑み、結果引き受けることにした。

最初の仕事は、当然に私自らが選挙に勝つことである。それなくしてその後はないし、結果が党総支部に与える影響も一層大きくなった。頑張っていこう。

さて先般行われた党の全国大会で、多くの地方代表から色々な意見が出たようだ。地域事情を考慮せずに国政選挙の候補者決めたり、その後の運営をしてしまうことに不満が出たのだ。

政権党にふさわしくなるには、国会議員中心の政党から脱皮しなければならない。地方議員や党員、そして主権者の多くを巻き込ん政党に変えていきたい。


2007年01月28日(日) 安倍内閣の支持率

県議会議員選挙は地方選挙だ。政党に吹く‘風'の影響はそれほど大きくない。良い意味でも悪い意味でも。

また前回県議選のときは、民主党の支持率わずか7〜8%。それに比べれば現在の数字はかなり大きい。

従って安倍内閣の支持率も、自分の選挙という意味ではほとんど気にしていない。自民党の支持率も、民主党の支持率もだ。

しかしどうか。政権発足時は不思議な高支持率を出したのに、わずか3ヶ月でこの有様になっている。どういうことだろう。

小泉内閣の高支持率に根拠があったとは思えないが、それにしても格段の差だ。安倍氏のどこかいけないのだろう。

総理大臣は、当然に日本国の総理だ。私にとっても総理である。その中身さえ伴っていれば、支持率は低いより高い方がいいに決まっている。

スキャンダルや政策の結果など多くの問題はあるが、テレビを通じて受ける印象からすれば、リーダーシップ不足が一番の原因だ。

いやそれは総理にのみ責任があるわけではない。、一番の実力者でもない人を代表者(総理・自民党総裁という意味)にしたことが間違いなのだ。これはどんな組織も一緒だろう。

民主党も同じ意味で、過去いくつかの間違いをしてきた。小沢一郎代表は色々癖もあるが、党一番の実力者であることは明確な事実。だからまとまれるのだ。

今後についても、特に内閣支持率を意識はしないだろう。しかし間接的にしろ、主権者によって選ばれた内閣の支持率が低いことは、とても不幸なことだと思う。


2007年01月27日(土) 消防団新入団員

消防団に新入団員が来る。数年ぶりのことだ。今日団と後援会の新年会があった。他会合があったので遅れていくと、そんな話を皆んなでしていた。嬉しいことだ。

その方は自治会の役員をされていて、聞いたところでは私と同じ年。ありがたいことだ。途中直接話をすると、「入っても仕事がなかなか抜けられない」と言う。元々団員は働き盛りの年代、仕事優先は当然のことだ。

田名や新磯など、比較的新入団員が多かった地域でも、最近は少しずつ勧誘が難しくなっている。既存の自治会のみならず、市が直接広報する必要がある。また人がいないなか矛盾するようだが、15年くらいを限界にした‘定年'制も採用すべきだ。

改善するところは多数ある。消防団内に、そのあり方を検討する会議が設置されていて、各分団から代表者が行っている。今後に期待したい。


2007年01月26日(金) 10年前の今日

今日は1月26日だ。丁度10年前の今日、初めて相模原市議会に議席を頂いた。今でも一部では‘若手'と呼ばれているが、最早そうではあるまい。

その日、開票は夜だった。今の事務所と同じ建物。向かいの部屋だった。大方の予想では、何とか当選と言われていたが、それでも不安は大きかった。

しかし何もなくての挑戦だったので、ダメでも次の市議選にチェレンジする気は満々だった。むしろ同日の相模原市長選挙の結果が不安だった。

市議に出るキッカケを作って下さった、現市議の長友義樹さんが立候補していたのだ。苦戦が伝えられていたが、勝利を信じて開票を待っていた。

結果私は当選し、長友さんは残念な結果となった。以後ずっと今の市政に対して野党的になっていたのは、政治家としての考え方もあるが、この時の無念の思いが強くあった。

「私たちの思いが通じる市長をつくりたい。」現状非力なためそこには至っていないが、いつか必ずと意は決している。(私が立候補するという意味ではない。念のため。)

10年間活動を続けて来られたことに感謝している。本当に多くのご支援を頂いてきた。この節目を通過点として、過去の経験を活かした政治を実行していきたい。


2007年01月25日(木) 地域連合新年会に参加

相模原・津久井地域連合の新春のつどいにお招き頂いた。県議選にあたって、同じく民主党公認の本村・長友候補とともに‘支持’決定を頂いている。

それぞれの産別・単組は、ご支援頂いている組織も、頂いていない組織もあるが、食事をしながら皆様と有意義な意見交換が出来た。

連合神奈川からご来賓で来ていた役員さんが、今日17時から橋本駅頭でやっていた街頭演説を見て下さっていた。他の参加者からも、別日でやっていた街頭の話を聞く。嬉しいことだ。

また地元の消防団の先輩が、今会社の組合役員をやられていて、会場でお会いすることが出来た。私たちの世代が、色々な分野で大きな責任を負うようになっている。一層頑張らねば。

さて市内では色々な会合があるが、いわゆるサラリーマンの集いはそう多くはない。相模原の人口では、最も多い層なのに結果そうなっている。私もサラリーマンの家庭で生まれ育った。

今後も機会を大切にして、意見交換をしていきたい。そして議会活動を通じてこそご恩返し(政策実現)をするしかないのだから、選挙戦を精一杯頑張っていきたい。


2007年01月24日(水) 選挙の組織

選挙の組織は難しい。選挙は政治活動の一部だから、候補者の考え方によって選挙手法も異なる。

今日初めて選挙向けの会議をして頂いた。前回選挙は‘選対なし'で行ったので、それに比べれば格段の差があると思う。

皆様の活発なご意見を聞いていて、最早私の言うべきことはないと思った。会議でも最初のご挨拶以外、一言も口を発しなかった。

今後はひたすらに、多くの方に政策と思いを訴えよう!その他選挙の運営については、全てを皆様に任せよう。そう決めている。

県議選の2週間後には、市議選が行われる。かつて市議をしていたからわかるのだが、自分の選挙を控えながら、特定の県議候補を支援することは容易ではない。

しかしそれをしてくれている人が数名いる。人の心配が出来る状況でもないが、何としてもこの皆さんには当選してもらわなくてはと思う。逆境の仲間こそ真の友人と言われるが、本心からそう感じる。

今の政治を打破するために、政治を志した。これから最終版に行う選挙活動も、過去の習慣を踏襲するつもりはない。寺崎しか出来ない運動を展開するつもりだ。

それが自己満足でなく、多くの主権者に伝わったとき、初めて勝利が得られるのだろう。勝手連ではないが、1日でも、1時間でもお手伝い頂ける方を探している。

ご一報を切にお待ちしております。よろしくお願い申し上げます。


2007年01月23日(火) しばしの別れ

これからまさに選挙も佳境を迎える。横浜で新年会があったので、その後都内までお世話になっている方に会いに行った。

恐らく4月まで再びお会いすることもないので、しばしの別れというところか。再び勝って相まみえたいと誓う。

思えばこの3年間、本当に色々な方に助けて頂いた。そのあり方は多様であっても、それぞれ全てに感謝している。


2007年01月22日(月) 宮崎県知事選挙について

そのまんま東氏が圧勝した。たけし軍団は大好きだから、幼少の頃から東氏も見ていた。不思議な感じだ。

さて今回、民主党の対応はどうだったか。独自候補でないにしろ、前職後継ではない候補者を支援する態勢がとれたことは、相乗りにならなかっただけ良い。

しかし結果敗れたのだから、反省すべき点はあろう。先般福島県知事選挙で勝利した際に、“勝利の方程式”を考えた。

一、民主党支持層は確実に
二、無党派層の過半数から支持を得る
三、自民支持層の一部から支持を得る

これがないと、たった一人しか当選できない首長選挙では勝てない。今回はどうだったか。無党派層の大半のみならず、民主党支持層も半数が東氏に投票している。

自らの支持層のみに固執すべきではないが、逆に言えばそこすら支持を得られなくて、どうして幅広い層にアピールできるのだろうか。

現状候補者の選定には、限られた数人しか入らない。権力闘争の一端である選考過程は、大衆議論にはむかないとの定説もある。しかし将来のあり方としてはどうか。

予備選挙をはじめとした、多くの大衆議論のなかで、今後は候補者が選ばれるべきではないか。少なくとも党推薦・公認候補にするならば、党員に情報公開しながら候補者が決められるべきだろう。

知事にそのまんま東氏を選んだことは、宮崎県民にとって勇気が必要だったはずだ。行政能力は未知数だ。しかしこれは民主党も同じ。政権運営をしたことはない。それでも政権を預けてもらわねばならない。

テレビを通じて東氏の演説を聞いたが、なかなかのものと思った。そして当選後の会見もいい。緊張感で一杯だった。

県知事に加わる圧力や誘惑は、想像を絶するものだろう。今回の宮崎県民の勇気が無にならないよう、初心を忘れずに頑張ってもらいたい。期待している。


2007年01月21日(日) 飛び込みは大変

私のことではない。私は元々飛び込みが好きな方だし、慣れもあってか、全く苦ではない。ましてや本人だから、どちらかと言うと楽しい政治活動だ。

しかし支援者の皆様は違う、インターホン越しに私の説明をするのも難しいし、とても大変な活動だと思う。

今日は支援者の方が連れ立って、政治活動の一環として飛び込みまわりをして頂いた。数百件のお宅をまわり資料を配付することが出来た。ありがたい。私はポスター貼りをメインにしたが、十数枚貼って頂くお宅があった。

相模原市で生まれ育った35年間で、色々な人間関係が育ったことも嬉しい。今日も幼稚園の同級生(先方が覚えていてくれた)にも再会できた。他にも色々な縁の方がいらっしゃった。

冷や汗が出るくらい厳しい状況だ。あえて言うまでもなく、元々新人かつ基盤のない私が政治に挑戦することは、厳しくないわけがない。

それがわかっていて、多くの皆様が支援頂けることに、改めて感謝で一杯になった。勝つことによって、仕事を通じて、ご恩返ししていきたい。


2007年01月20日(土) 雪が降る

多少だが雪が降った。数年前までは年数回、子どもの頃は積もったりもした。最近は年に1度降るか降らないか・・・。気候の変化だ。

先日ゴア前米副大統領が、環境問題についてテレビで訴えていた。アメリカも日本も、世界の中では環境を破壊している側だ。

誰かが何とかしてくれる。政治に携わる人間にも、この安易な発想がある。問題の先送りだ。次の世代が不幸を背負う。

環境問題の解決については、総論として反対する人はいない。では経済循環の仕組みをどう変えていくかだ。

経済効率を優先する社会からの脱皮は、他多くの分野でもテーマになる。経済大国日本だが、過去の歴史や伝統を見れば、必ずしも金儲けに走り続けてきたわけではない。

雪が降ると活動がにぶる。しかし何となく安心する。


2007年01月19日(金) 政令市こそは市民主導で

今から7年前、初めて相模原青年会議所の理事になったとき、担当したのが‘まちづくり’についての提言書をつくること。

理事長とも相談し、私の思いもあって「政令指定都市を目指して」と題するものにした。

当時中核市にもなっていない段階だったので、あくまで夢でしかなかったが、自治会連合会が回覧板をして下さるなど、多くの目には触れたと思う。

その後津久井地域と合併して人口70万人になったこともあり、どこからとなく政令市という声が聞こえるようになった。

4月には県議選を含む統一地方選挙があるが、早くも更に4年後の選挙は政令市で区割りだ、などという人もいる。

しかしどうだろうか。かの提言書にも書いたが、政令市はなった後にもメリットはあるが、“なる過程のなかでより良いまちづくりが行われる”のではないか。

モデル都市としての政令市は、人口や面積だけでなく、住民サービスの中身も大切だ。あるいは街の風格なども。

これらをじっくり詰めた結果の政令市であって欲しい。3月に目指すことを市長が明言するそうだが、その後のスケジュールは拙速である必要はない。

また短期で政令市になろうという背景には、行政主導による進行が前提になっている。今回の合併と同じだ。

市長が「議会や自治会から要望が出ている」と、あたかも市民が既にそれを望んでいるかのような言い回しをしている。しかし現段階で、政令市になることについて、市民の意見集約がされているとは思えない。

政令指定に住民投票が馴染むかはわからないが、それくらいの議論を経ていくべきだ。行政主導ではなく、市民主導の政令市であるべきだ。


2007年01月18日(木) 町田市との連携

今朝相原駅で街頭演説をした。支援者の方がビラも配って下さったが、比較的暖かい雰囲気を感じたとのこと。立地は町田市だが、相模原市民も多く使っている。

町田市との連携は重要だ。政令市を目指す過程では、合併も含めて積極的に話し合いをしていくべきだ。

道路計画を例にとっても、双方の役所による縦割りの弊害が散見される。納税者の視点からすれば、行政境があることはうまく出来ないいい訳にはならない。

かつて相模原青年会議所で、町田青年会議所と「政令指定都市を目指す会」をつくった。担当のひとりとして参加もした。結果成果は出なかったが、画期的な取り組みだったと思う。

町田市もベッドタウンとしての色彩がある。目は都内に向き、後ろの相模原の方は向いてない傾向がある。しかし今後もそうだろうか。

いまだ財政優良団体(?)であるとも言われる相模原も、あるいは町田も、これからは厳しい経営を迫られる。既存の枠組みを超える発送も必要だろう。

県政のなかで、相模原と町田、更には神奈川と東京の連携に取り組んでいきたい。


2007年01月17日(水) 駅が混んでいる・・・

選挙が近いせいか、最近朝駅が混んでいる。今日は淵野辺駅だ。先日も淵野辺に朝来たら、既に他の方がやっていて場所を移さざるを得なかった。それが2回もあった。

今日こそはと、気合いを入れて6:10に着くと、何と他の人がいる・・・。早い者勝ちが基本なので、やむを得ず反対口に移動。帰り際に戻ると、何と追加で更に他の方も来ていて、計4組の皆さんが街頭活動をしている。

同じ政党ならば調整も出来るが、候補者の多い統一選では限界もある。マイクは通行の方にうるいさいので譲り合いも必要だが、基本的に皆で並んで立つしかない。

次回淵野辺駅でするときは、今度こそのつもりで更に早く来よう。一見つまらない争いだが、駅頭活動を長く続けてきた者としてのこだわりもある。

明日も頑張ろう!


2007年01月16日(火) 新しい地図購入

スタッフのリクエストもあり、新しい住宅地図を買った。後ろに集合住宅の部屋割りも出ている、サイズの大きい方だ。

近所の本屋さんに行くと・・・高い!本の値段ではない。特許というか、調査料なのだろう。

小さいサイズは安いが、それでは使い勝手が悪いそうだ。必需品ならば、高かろうと買うしかない。大事に使おう。

選挙は色々なお金がかかる。最近政治とカネの問題が取りざたされているが、かかる支出を減らすことによって解決出来る部分もある。

今は候補者個人でするしかない、政策発表や他との比較などは、公のこととして制度を確立すればよい。

それでもかかる経費は、税金から支出するか、あるいは個人献金の風土を高めることだ。前者の方が手っ取り早いが、本来的には後者を目指すべきだろう。

今回の選挙には12名が立候補を予定しているが、かけている経費は最も少ない自信がある。別に自慢ではない。無い以上は致し方ないのだ。

それでも出来うる活動を、自ら実践していきたい。


2007年01月15日(月) 小沢党首と写真撮影

小沢党首と写真撮影をした。ガッチリ握手したものだ。党大会開催中で、信濃町の日本青年館まで行った。

全国から同じ目的で来ており、三重の先輩や新潟の後輩も来ていた。当然神奈川からも多数。

市内に貼っている2連ポスターの小沢さんは笑っている。どちらかというとしかめっ面の方が似合う方だが、私の笑顔とのバランスを考えてそうした。

パシャ!パシャ!と前の人が撮るのを見ていたら、小沢党首は怖い顔をしている。気合いの顔だ。一緒に真面目な顔をした。

往復4時間くらいかかったが、その効果はあったと思う。今後どこかの新聞で、その写真を使いたい。



2007年01月14日(日) 政治家はもうかるの?

日中上溝ダイエー前で街頭活動をした。演説とビラ配りだ。陽気がいいせいか花粉が飛んでいる。気を付けなければ。

中学生の女子が声をかけてきた。3名いる。ニコニコしていてかわいらしい限りだが、言うことにドキッとした。

「この仕事もうかるんですか?」

過去何度か聞いた言葉だが、子どもから言われるとショックが大きい。政治家のイメージがいかに悪いかだ。

大きな家に住んでいる政治家は、元々金持ちだったケースが多い。金のある方が選挙に強い風土を変えねばなるまい。

また最近も話題になる政治と金の問題。これは政治にまつわる金の流れを、透明化することで解決できる。1円からの領収書添付を目指すべきだろう。

またワイロだ。政治家に悪代官イメージがあるのは、時代劇の越後屋から金塊をもらっている姿による。政治家には確かに権限があるが、その行使については一層の透明化をすべきだ。見返りが生み出されない状況をつくることだ。

その他も政治不信を解消すべく出来ることは多くある。しかし政治家=もうかる仕事と思っている中学生たちが、果たして私たちの言葉を聞いてくれるだろうか。

それでも訴え続けていくしかない。


2007年01月13日(土) 上溝地区賀詞交換会

上溝地区の賀詞交換会があった。自治会と公民館の共催だ。年々参加人数が増えて、以前公民館で開催していたのを、現在は民間の施設を借りて行っている。

上溝在住の議員は、県議・市議ともに1名ずついるが、ともに今期で引退を表明されており、今日もその趣旨のご挨拶があった。党派やスタイルは違うが、同じ地域の後輩として頑張っていきたい。

地域には色々な役割がある。ほとんどがボランティアだ。正直聞いたことがない役割もあったが、話をしてみると、それぞれが重要なボジションだと思う。

これからの課題は、それぞれがしっかり情報交換をして、ネットワークの構築に向けて相乗効果を発揮することだろう。役所の主張所なども、その役割が増えていく。

また地域の政治家も積極的に関わっていくべきだ。


2007年01月12日(金) 労組の賀詞交換会

今年は選挙前ということもあって、労組の賀詞交換会に複数ご案内を頂いた。場所はほとんど横浜なので、地元日程との調整が大変だが、それでも必ず参加するようにしている。

民主党と友好関係にある労組は、「連合」に組織化されているが、その内訳は、業種別の‘産別’と企業ごとの‘単組’がある。

例えば、
自動車総連は‘産別’だが、
日産労連は‘単組’ということだ。

今日はある‘産別’の会だった。ここは他に見ない形態で、労使一緒に賀詞交換会を行う。乾杯をしたのも経営者だった。また抽選会の景品も、各企業が持ち寄ったもの。労使関係のひとつのあり方だろう。

経団連と連合のように、ある意味一定の緊張関係がないと、双方の存在意義がないのも事実。しかし一方で職場では、当然に強調しなければ仕事にならない部分もある。

労働者にとってより良い社会環境を目指すには、その職場環境をも考えていかねばなるまい。例のホワイトカラー・エグゼンプションでそう思った。一層勉強しなければ。


2007年01月11日(木) 久々の党支部活動

久しぶりに党支部の活動をした。1月29日に支部大会を開催するが、そこに向けての検討事項があったためだ。

担当者数名でファミレスで行ったが、多くの意見が出て有意義だった。候補者は既に選挙モードだが、党としての活動は一時も休むわけにはいかない。

代表(衆議院候補者)不在の状況は、いささか限界もあるが、何をおいても統一地方選挙で勝利することだ。地方の自力をつけることが、政権交代にもつながっていく。


2007年01月10日(水) 民主ではダメ・・・の先

ある団体に推薦依頼に伺った。

先方「民主党ですよね?」
寺崎「はい。」
先方「うちは民主党はやらないんですよ。」

ここまではいつものこと。各種団体の基本は自民党だ。労働組合さんを除く団体では、結果民主は後回しになってしまうことが多い。

しかし今日は‘その先'が違った。

先方「民主党が自民党と違いがない政策なので、うちは社民党が基本なんですよ。」
寺崎「!」

今でもこういう団体があったのかと感慨に浸る。でも恐らく苦しいのだろうが、政策を点検し基本を貫くこの団体に、ライバルながらエールを送りたいとも思った。

二大政党政治とは、政権の基軸政党が2つなくてはならないということ。2つ以外の政党が必要ないわけではない。むしろ多様化した現代社会では、少数意見を代弁する政党も必要だ。

不思議な体験だった。


2007年01月09日(火) 県知事の去就

連合神奈川の賀詞交換会に参加した。松沢知事が来賓代表で挨拶したが、次期(といっても県議選と同じ4月8日)県知事選挙への出馬は、いまだ表明していない。

あまり早期に表明しては、選挙モードになってしまい、本業がおろそかになってしまうと考えたのだろう。当然現職としての貫禄、余裕もある。

先日ある県議候補のビラが、自宅にポスティングされていた。この方は真面目で、自民党県連推薦の知事候補の写真を載せていた。

一方自民党のなかにも、既に松沢知事勝利を予測し、あえて対立候補の応援を自粛している人がいると聞く。それは情けない話だ。

せっかく本当の選挙になったのだから、県知事選挙での激しい議論を通じて、統一地方選挙自体の投票率を高めて欲しい。

松沢知事は、前回選挙のマニフェストについて、その達成度を外から評価を受けたいと言っている。それが50%でも60%でも、あるいはそれ以下であったとしても、総括をしてから次期選挙に出る姿勢は政治家として当然だ。

一方この任期において、議会との不毛な対立が無くならず、県政全般についても知事の顔が見えにくかったとの評価もある。一面においては事実だろう。そこについての来期に向けてのアピールも必要だ。

出馬表明の時期は、おそらく2月下旬だろう。自分の選挙とあわせて全力で支援していきたい。


2007年01月08日(月) 成人式にあわせて街頭

成人式のことを、相模原では爐呂燭舛里弔匹き瓩箸いΑ2饐譴魯哀蝓璽鵐曄璽襪澄あやかって伊勢丹前で街頭演説を行った。夕方近かったので、そんなに新成人は出ていなかったが。それでも2人知り合いに会った。

昨日テレビでやっていたが、他の国では、18歳から成人扱いになる方が多いそうだ。飲酒などの規制が、実態とかけ離れていることも鑑み、日本も18歳を検討すべきだ。

選挙権もそうだ。半分近くが18歳で労働者になっているのだから、税金もそれなりに払っている。社会保険もだ。民主・公明などは、党として18歳選挙権を打ち出している。今後の課題だろう。

成人式が荒れている風景がテレビで映る。確かに市議時代、同じくグリーンホールに行くと、ザワザワしていて市長の話などほとんど聞いてない。しかしニュースになっている程ではない。

今日酔っ払いにからまれるのを覚悟で(結果何もなかったが)、この場所で街頭演説をしたのは、ひとえに新成人に語りかけたかったからだ。

投票率が低いからと言って、政治の側が若い層を相手にしていなかったのも事実。小泉総理はその辺さずがで、一昨年の総選挙は、年齢に平等に語りかけていた。

「投票に行こう!」と、引き続き自分より若い人にも訴えかけていく。


2007年01月07日(日) 派閥復活について

自民党の派閥が復活した。狄佑3人集まれば派閥が出来る瓩噺世錣譴襦3里にその成立過程は自然かもしれないし、存在自体が問題なわけでもない。

しかし政治家が派閥をつくるならば、その基準は政策であって欲しいと思う。単なる数合わせや選挙事情では、それこそ学生同士のグループ分けのようで情けない。

河野派が麻生派になった。違和感がある。河野氏の考え方と麻生氏の考え方は、国家観の基本が違う気がする。それでもメンバーは余り変わらない。政策綱領くらいつくるべきだ。

今は野党になった亀井氏が、亀井派をつくっていたとき、ホームページを出していた。「今は抵抗勢力と呼ばれても」と書いてあった。別に擁護するつもりはないが、これくらいでないと集まっている意味もない。

さて民主党はどうか。いつも言っていることだが、政策に幅があるのは、二大政党政治においては悪いことではない。ただ違いが何であるのかを、主権者に情報公開するべきだ。

旧○○党というくくりも同じ。それが政策的なグループであるならば、むしろグループ同士で切磋琢磨すべきだろう。その議論を封印した上で、一致結束をしても、主権者からは見透かされる。

相模原の民主党も、県・市ともにたくさんの候補者が出る。それぞれが違いを出すべく努力するだろうが、その焦点は政策であって欲しい。自らも律していきたい。


2007年01月06日(土) 新年会

後援会役員会の新年会を開催して頂いた。数十名の方にご参加いただき、盛会にすることが出来た。

藤井先生にもご参加頂いた。「浪人期間を無駄にしないよう頑張れ。」とのご挨拶。今後も全力で支援して下さるとのこと。一層身が引き締まる思いだ。

思えば3年9ヶ月、皆様の支えで活動が続けられた。狒挙は最後が大事瓩噺世錣譴襦B燭の思いを無にしないよう、全力で頑張っていきたい。


2007年01月05日(金) 赤字債権とは何たることか

電車に乗りながら、ある新聞夕刊を読んだ。一面トップが地方自治に関すること。夕張市についてだ。

財政再建中の手当てとして、国が夕張市に赤字債権の発行を認める方針とのこと。これは特例でなく、法の改正によって今後全ての破綻団体に認める方向とある。

市民の負担に限界があるし、それでも基本的行政サービスは保障しなければならない。それは理解できる。国が一定の支援をする必要もあろう。

しかし今回のことは、「金がないなら借金していいよ。」という意味。借りるのは夕張市、つまり夕張市民だ。

破綻している自治体が、その場しのぎで借金をして、果たして返せるのだろうか。加えて返済は再建計画の期間内にするそう。最早むちゃくちゃな話だ。

今まで自治体の借金について、国のルールで原則禁止していたことは、地方分権時代に相応しくない。自己責任により、ある程度の裁量は持って然るべきだ。

ただ国は知っているはずだ。赤字債権がどんなに危険かを。相模原市も数年前に、限定的に発行した赤字債権の返済が、いまでも支出の大きな割合になってしまっている。

規模による限界があるのなら、合併勧告をすべきだろう。それを踏まえて、北海道に対して一定の支援に国が乗り出すべきだ。

住まいは違っても同じ日本人。ましてや多くの市民が、地方から移り住んできた相模原市にとっては、北海道もまた父祖の地でもある。

そして国は、今こそ本当の地方分権をしなくてはならない。自治体の再編と財源の委譲だ。菅地方分権担当大臣は、地方議員出身者だ。もっと頑張って欲しい。


2007年01月04日(木) 正月街宣 4日目

朝は今年初の駅頭をした。橋本駅だ。早めに行ったつもりだが、南口では既に民主党の仲間(市議候補)が立っていた。北口へ行き、1時間半街頭演説を行った。

その後友人と合流して、正月街宣に出発する。最終日だ。今日は津久井地域を回った。城山→津久井→藤野→相模湖の順だ。

津久井地域は、相模原より極度に人口密度が少ない。故に軽視する人もいるが、私はそう思わない。人が少ないからこそ、政治に求めるものも多いはずだ。

国道20号を藤野を抜け山梨に入り、そこからしばらく走ると、再び狷L鄲翆鎮廊瓩隆波弔。他県経由でしか行けないのだ。ここも3月には相模原になる。

ある食堂で昼を食べていたら、お世話になっている方と会う。その前に座っていたのが、何と他陣営の方。名刺交換と挨拶のみする。互いに正月はない。


津久井町青根にて


2007年01月03日(水) 正月街宣 3日目

今日は市北部をまわった。清新→小山→橋本→大沢と、街道を「あけましておめでとう。」と流す。

選挙中ではないが、途中多くの方から手を振って頂く。「ありがとうございます。」と応える。

さて1日の地元新聞に、県議選についての記事が出た。相模原市・津久井郡選挙区についても、名前入りの候補予定者一覧が出た。それ以上の記載は特にないが、各選挙区とも前回に比べて激戦のようだ。

その一つの原因には、地方自治の重要性が高まったこと。地方議会の仕事が面白くなったことがある。

また二大政党化の中で、過去候補者のいなかった選挙区にも、民主党が擁立を始めたこともある。

県議選の2週間後に行われる相模原市議選も、過去ない多くの候補者が立候補する予定だ。民主党も公認9名、推薦1名を擁立する。

身内同士もライバルである厳しい環境だ。しかしその中で互いに勝ち上がってこそ、結果全体の力が上がっていくということだろう。良い意味で切磋琢磨していきたい。

明日は、正月街宣の最終日だ。津久井地域をまわる。


2007年01月02日(火) 正月街宣 2日目

正月街宣の2日目だ。主に市南部をまわったが、途中支援者宅にもお邪魔した。またお身内の会にも呼んで頂いた。今PM8時帰着し、日記を書いている。

相模原は広い。その前提で活動をするしかないが、一選挙区としては限界を超えていると思う。

選挙とは対話だ。候補者と主権者の対話。候補者間の対話。しかし一人でする限界はある。面積にも人口にも。

それを超えるとどうなるか。物量しかない。本人ではない「物」によって訴えるため、その作成にお金がかかってしまう。また配布する組織も必要になる。

もちろん候補者は多い方が、主権者の選択は広がる。しかし比べられる適正人数もあるはずだ。その意味では衆議院選挙で、3〜5人の中選挙区を採用していたのは悪くはない。

明日は市北部をまわる。これから計画をつくる。3ヶ月間寝なくていい方法でもあればいいと思うが、健康管理こそ基本だから、気を使うべきはしっかり使おう。


2007年01月01日(月) 正月街宣

新年あけましておめでとうございます。年頭にあたってのご挨拶と所信は、HPトップに記載いたしましたので、日記は通常通り日々行ったことについて書こうと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。


歳末警戒明けだ。少しだけ寝て、朝から正月街宣活動を行った。

街宣車を使って「新年あけましておめでとう」と、市内各地域をまわる。今日は市中部をまわった。

正月からうるさいとのご指摘も頂くが、一方でこの活動を通じて出来るコミュニケーションもある。同じ道路は2回は通らないなど、出来るだけ気を使いながらまわるのは当然だが。

思えば4年前の正月も行った。また昨年もだ。ともに党県連から街宣車を借りたが、今年は文字通り自前のもの。愛着もあるし使い勝手もいいので、更に気合も入り多くまわることが出来る。

一方で理屈だけでなく、居ても立ってもいられない気持ちもある。正月だからこそ、何かしなくてはと思う。

年末にある忘年会で「年末年始酒飲んで寝ているようでは選挙は負けだ。」と何回も言われた。当然だ。いや選挙だけではない。何かを真剣にするとき、如何なる時間でもプラスに活動するはずだ。

明日から更に3日間、市南部・北部、そして津久井地域をまわる。節目とは不思議なもの。年が明けたら焦りが一層出て来た。懸命にやるしかない。


てらさき雄介 |MAILHomePage