てらさき雄介の日記
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2006年12月31日(日) 本物の政治家を目指して

消防団の歳末警戒をしながら、総合格闘技をテレビで見た。ルールがあるようでない、ましてや体と体のぶつかり合い。面白くないわけがない。

しかし近年の流れに疑問もある。現地にいるお客さんは、当然金を払ってみている。テレビで見ている私たちも、それなりに時間を使って見ている。

しかしそれに耐えない試合が増えている気がする。結果一瞬でノックダウンになることではない。そもそもプロの試合にふさわしくない人選や、対戦組み合わせがあるのではないか。

チャンネルを代えると、朝まで生テレビだ。これも最近面白くない。特に政治家の議論はダメだ。理屈のみ法律論で言うなら、学者や役人でいい。もっと主観的意見でいいのだ。

テレビで討論することのみが政治家の仕事ではないが、出てくる以上は、それなりであって欲しい。民主党の国会議員だったりすると、こちらが責任を感じてしまう。

日本はそんなに悪い国ではない。文化・伝統・国民性・制度など、それが悪いから崩れているのではない。

だからこそ、特に上等な成果を目指す必要もない。それぞれが基本的仕事をしっかりすることで、かなり回復出来るのではないか。ひとりひとりがそれぞれに、かけがえのないプロであることを自覚すべきだ。

今年も終わる。単なる時間の経過ではなく、節目として捉えたい。そして来年も、本物の政治家を目指し頑張っていきたい。


2006年12月30日(土) 考える時間

スーツを着ないで、一日じっくり考える時間をもった。訴える政策の優先順位、訴える場所の優先順位、訴え方などだ。

選挙運動は、政治活動の一部だ。どう選挙を戦うかということは、どんな政治を目指しているかを考えることだ。

先日候補者研修会で、菅直人氏から「最早時間がないから投票日から逆算して、今を考えるように。」とアドバイスを受けた。素直に受け止めて、そのようにも考えてみた。

改めて時間のないことに焦る。眠らないで済む薬があればいいのにと思う。しかし誰にでも時間は平等だ。致し方ない。

計画と言っても、実行するのは人間だ。ましてや運動を支えて頂いているのは、全てボランティアの皆様。なかなかうまくいかないのが常だが、本人がぶれては元も子もない。

不特定多数に向かって、何をどう訴えることが出来るか。これしかない!政治に何かを求め、かつその発言する機会を持てない多くの主権者に対して・・・。懸命に訴え続けていく。


2006年12月29日(金) 破綻の責任は国にもある

夕張市が財政破綻した。再建計画は、結果市民の負担を上げるカタチで、国主導により完成した。

第一義的な責任が、夕張の経営をしていた市長や、市議会議員、そして市職員にあるのは言うまでもない。また民主主義だから、主権者たる市民に最終責任があるのも当然。

しかし国には責任がないのか。この再建計画は、"見せしめ"とも言われているが、国は自らの責任を回避してはいないか。

何故なら夕張市は、昨日今日経営が悪化したわけではない。それがわかっていながら、放置し、お金を貸すことによって放漫財政に追い討ちをかけてきた。

そして銀行ではないが、これはダメだと思ったら、即引き上げをはじめ債権を回収していく。今後夕張市民が背負う負担は、国への借金返済にも充てられてしまうのだ。

地方自治を担当する総務大臣が、昨日夕張市を視察したそうだ。再建について、国も一定の役割を果たすそう。内容については吟味が必要だが、姿勢としては当然だろう。

借金の大小をはかる一つの基準である、“公債費比率”を見ると、ワースト20に名を連ねるのは、ほとんどが政令指定都市だ。

今こそ日本の地方自治について、新たな枠組みを構築すべきだろう。憲法改正もそうだが、地方自治法や地方財政法なども、大きく見直していく必要がある。

国会ではなく、地方議会が主導して。


2006年12月28日(木) 人に言えない思い

忘年会に3件参加した。多くの方と話せば話すほど、人に言えない思いを皆抱えていると痛感する。

そして共通して言われるのが、「大変な時ほど、人の優しさが嬉しい。」ということだ。

菅直人氏に明言がある。「政治の役割は、人を幸せにすることではなく、人の不幸を少なくすることだ。」

幸せは当然に、人によって千差万別。そこに政治が手を突っ込もうとするのは、僭越かつ逆に問題を生んでしまうことがある。

一方人の不幸とは、社会環境に影響を受けることが多い。こちらなら、政治に出来ることがあるのではないか。

まずお金の話。お金は社会の潤滑油だ。しかしそれ以上ではない。プラスαは構わないが、人間として生きていく基本的部分まで、お金のあるなしで左右されてはいけない。

お金がなくても明るく暮らしていける、そんな社会をつくっていきたい。


2006年12月27日(水) 市長巡視変更

昨日から消防団の歳末警戒だ。来年に向けて多くの忘年会にお誘いを受けているため、今年は昨日と大晦日しか詰め所に行けない。

さて警戒の初日は例年市長巡視だったが、今年より団長激励という形式になった。理由としては、津久井地域との合併によって、市長がまわりきれなくなったらしい。

市長巡視の内容変更を、市議時代から訴えてきた私としては、結果オーライというところか。

消防団は津久井と別組織にしている。これは悪いことではない。合併して効率化する部分と、しない方がいい部分もある。消防団は後者だろう。

恒常的団員不足だが、消防団の存在意義は大きい。地域コミュニティをしっかりすることが、治安対策でも教育問題でも重要な時代だ。その一員として、これからも役割を果たし続けるだろう。

一方小沢党首の言い分ではないが、変えてはいけないものを守るためにも、内部の問題点は果敢に改革する必要もある。現在消防団内に、そのあり方を検討する会議が、公式に設置されたことは良いことだ。

消防団に関わりをもった者として、これからも多くの発言をしていきたい。


2006年12月26日(火) フセイン氏の判決

イラクのフセイン元大統領に死刑判決が出た。正確には数ヶ月前に出た判決の控訴が、棄却され確定となったものだ。30日以内に刑が執行されるとのこと。

フセイン氏は多くの罪を背負った。アメリカの影響力を受けているとはいえ、イラクの法廷で出た判決なので、内容については特に意見はない。一国の元首をつとめた以上、その結果について命をかける覚悟は出来ているはずだ。

しかしアメリカンデモクラシーが、イコール民主主義ではない。ましてやイラクでは、そもそも政治や国家に対する概念自体が異なっているのだ。

他国に対して、武力で押し付けたものが、健全な民主主義であるはずはない。今回のイラク"民主化"のプロセスを、今一度冷静に検討すべきだろう。

イランに対する圧力が国際社会で強まっている。悪質という意味では、北朝鮮の方がひどいと思うが、所詮は正義や平和ではなく、一部の大国の国益云々の行動でしかない。

さて日本はどうすべきだろうか。非核三原則すら見直しが言及されるようになってしまった。本当に新しい憲法をつくって大丈夫だろうか。

流行り廃りで右往左往する、政治家の底の浅さに不安はある。しかし今こそ国民総出で、新しい社会の姿を考えるときだろう。

かつての戦争を決して忘れず、そして現在の世界情勢に思いを馳せ、本当の平和憲法をつくっていきたい。


2006年12月25日(月) 議員宿舎について

昔は神奈川県議会にも、議員宿舎があったそうだ。箱根など遠方からやってくる議員のためだったそうだが、交通の発達で廃止になったと聞く。

現在、国会の赤坂議員宿舎が改装されることについて、多くの批判を浴びている。確かに批判を受けて内容変更になった最上階のラウンジなどは、そもそも設計する感覚がわからない。

また食堂などについても、実際使う議員が少ないことと、近隣に飲食店が多数あることを考えれば、経費を考えれば設置する必要はない。

私が秘書をしていた時代、国会から宿舎に行く専用バスが走っていた。自家用車使用が多いので、乗っている議員はゼロに近い。その後廃止されたと聞く。

しかし一方で、議員の仕事環境整備のため、しなければならないこともある。仕事場である議員事務所(議員会館)などそうだ。初めてこの部屋に入ったとき、その狭さに驚いた。国会議員として、十分な仕事が出来るスペースではない。

秘書制度もそうだ。公設秘書を選挙要員にしている議員の姿は情けないが、それでも国会議員で3人は少ないだろう。また地方議員にいたっては、秘書制度そのものがない。

必要な経費は存在する。しかしその使い道は宿舎ではないと思う。プライベートな住まいである宿舎は、ホテル代支給とかでもいいし、それなりの定価格マンションでいいと思う。


2006年12月24日(日) クリスマス街宣

クリスマスイブだが、昨日に続いて街宣活動を行った。特に変わったことをするわけではないが、人がたくさん出ている場所で演説とビラ配りをした。

相模大野の伊勢丹前は、相変わらず人通りが多い。ご存知の方から、多数お声がけ頂いた。「市内ではない。」とわざわざビラを断られる方もいる。外から人が来る場所。相模原にとって貴重な場所と思う。

その後近くの団地に移動した。数箇所演説をしながら、ビラをポスティングした。スピーカーから聞こえる音は、上の階にいくほど、反響して大きく響く。長く話すのはご迷惑なので、一箇所3分と決めて演説した。

帰りの道路は、とても混んでいる。びっしりだ。まあ今日くらいは仕方ない。久しぶりに、街全体がにぎやかになっているのを嬉しく思う。


2006年12月23日(土) ブラジルのマナウス

ブラジルのマナウスから、先輩が帰国した。他数名の先輩方と一緒に、有楽町でゆっくり食事をした。

マナウスまでは、片道約30時間、料金も20万円以上するそうだ。何故直行便がないのかと聞くと、現在のジャンボジェットの燃料タンクが、それしか入らないとのこと。

その先輩は、ホンダのエンジン部品をつくる会社につとめながら、学校卒業後ブラジルに定住している。「ブラジルで暮らしたい。」と、学生時代から言っていたので、ある意味夢をかなえたことになる。

ブラジルのバイクシェアは、80%がホンダだそうだ。他企業も含め、多くの日本人がマナウスにいて、先輩は現地が長いので、ブラジル人と日本人の架け橋的役割も果たしているらしい。

地球の丁度反対側だが、当然にインターネットは繋がっている。アドレス変更前は、私の爛瓠璽襯縫紂璽広瓩鯑匹鵑任れていた。NHKも見れるそうだ。

最近全く行ってないが、唯一と言っていい趣味は“旅”だ。マナウス、ピラミッド、シベリア、旧満州等など行きたいところは多数ある。

現実逃避ではなく、前向きに生きていく意味でも、いずれ必ず行ってみたい。


2006年12月22日(金) 政党に所属する悩み

拘束があるのは仕方ない。組織に入っている以上、時として意に沿わぬ場合もある。それは覚悟して入党した。

「民主党が不甲斐ない。」というご意見もそうだ。実際そう思われても仕方ない局面が多すぎる。甘んじて受け止め、党内改革に向かっていきたい。

二大政党になってから、主権者の政治家を見る目も変わった。選挙に向けて、日々活動を大きくするなかで、当然たくさんの方からご意見を頂く。

その半分以上が、民主党に対するものだ。地方議会の特徴もあって、個人と党のウェイトは、当然に個人の方が大きい。しかしご意見は政党関連・・・。

二大政党とはそういうものかもしれない。またテレビなどメディアの物量に、個人で太刀打ちできるはずもなく、すべてを背負っていく覚悟が必要だろう。

一方で、目に見える形で応援して下さっている支援者の方々はどうか。いわゆる後援会の皆様だ。民主党だから応援しているという方のほうが、圧倒的に少ない。これもまた確かな現実だ。

双方の調和をとって、それぞれの期待に応えうる政治家になりたいと思う。まだ35歳。来年4月は後がない勝負だが、必勝の体制で臨む。まだまだすべきことは多い。


2006年12月21日(木) 亡くなった先輩が語ること

万博中止の青島幸男さん、八墓村の岸田今日子さん、カンニング竹山の相棒である中島忠幸さん、多くの訃報をテレビは報道している。

そして今日の朝、ある訃報を目にした。今まだ昼だが、日記を書こうと思った。言い知れぬ悲しさ、そして感動・・。何と表現すればいいのだろうか。

亡くなったのは堀本崇さんだ。所要で横浜に行き、約束の時間まで間があったので、マックでコーヒーを飲んだ。その際近くのコンビニで買った新聞の“横浜版”に、『堀本崇さんあす偲ぶ会』とある。

亡くなったのは、先月10日のことらしい。場所はカンボジア。バイクの事故だ。39歳だった。

堀本崇さんは、明大雄弁部の2学年先輩だ。神奈川県に住まわれていたこともあり、何度か飲みながらサシで話をしたことがある。最後にお会いしたのは、十数年前だろうか。

その際先輩は、「ついにカンボジアに学校をつくることになった。これから現地へ行って最終調整する。」

私はまだ、学校を卒業したばかり。議員秘書に成り立ての頃だ。たった2年の先輩なのに、既に社会のなかで成果を出していることに憧れ、そして多くのことを教えてもらった。

記憶が正しければ、先輩がカンボジアを選んだのは、同国PKOの選挙管理官をやった経験からだ。アジアの発展途上国に、活動拠点を決めていたのだ。

さて新聞記事には、「多くの幼稚園、小中学校の改修、建設を手掛け、貧困子女のための職業訓練所、児童養護施設もつくった。」とある。また、「カンボジアで活動12年・・・」とも。

そうなのだ。先輩はあの時からずっとカンボジアで活動を続けていたのだ。亡くなったこともショックだ。しかし、その後消息を聞かなかったこともあり、この12年間の実績に涙の出る感動を覚えた。

更にこの先輩は、政治志望だった私に、忌憚ない意見をいつもぶつけてくれた。そのなかで、今でも忘れ得ぬ言葉がある。


寺崎「先輩は政治家になろうとは思わないのですか?」

堀本「それも手段かもしれない。しかし自分のやりたいのは、アジアの平和をつくることだ。発展途上国の貧困をなくしたいし、既に現地で子どもたちに向けた活動を始めている。そのためには政治家でない方がやり易いんだ。」


狎治家でないほうがいい瓠そう明言された先輩が、とても印象的だった。今思えば、こういう人こそ政治家になるべきなのだろう。

「自己顕示、名誉、権力には関心がなく、純粋な志の実現だけを考えていた。」同じ新聞に載っていた、ご友人の哀悼の言葉だ。

省みて自分。それなりに懸命に走ってきた12年間、果たして何を為したのだろうか・・・。

現在、選挙のみを考え、それが手段であることを忘れてはいないか。政治家でなく、選挙屋になってはいないだろうか。

自分が小さく思えた。3ヶ月後に立候補する資格が、本当にあるのだろうか。朝からずっと自分に問いかけている。

今日偶然目にしたこの訃報。既に亡くなっている先輩が、何かを私に語りかけている気がした。

ご冥福をお祈り申し上げます。


2006年12月20日(水) 議員も多選は禁止すべき

首長の多選は弊害が多い。最近おこった全国の汚職や談合事件を見るまでもなく、以前から言われていたことだ。

神奈川県議会で、知事提案の多選禁止条例が否決された。反対の人は、色々な理由を言っていたが、潜在的に自らを省みている議員も多いと感じる。

政治における多選の弊害は、何も首長だけではない。確かに首長は議員より権限は大きいが、それは程度の差であり、今こそ議員の多選についても考えるべきだろう。

首長は3期12年までと相場が決まってきた。では議員は何年だろうか。議論すらされていないので、判断は難しいが、実感としては5期20年が限度かもしれない。

何期やっても立派な議員がいることは、多選禁止の理由にはならない。多選禁止はあくまで原則であって、今回の条例も強制力のない指針に過ぎない。

特に地方議会の選挙は、現職議員が強い。多くの選挙を見ても、その傾向は間違いない。その現実も踏まえて、新陳代謝を図ることも必要だろう。

政治家のあり方として、今後のテーマにしていきたい。


2006年12月19日(火) 西東京市議選応援

西東京市議選の応援に行った。明大の2学年後輩だ。現職で2期目の挑戦をしている。所属は同じ民主党。

橋本→八王子→西国分寺→秋津→ひばりが丘、長い行程で約1時間半もかかる。

そこから徒歩10分くらい行くと選挙事務所だ。途中他陣営の事務所前も通過したが、総じて静かな感じだ。盛り上がっているかどうかは、異邦人にはわからないが、市議選とは元来こういうものかもしれない。

選挙告示日には既に勝敗が決していて、1週間の期間はあくまでその最終確認なのだ。応援した候補も、着々と選挙を進めているように見えた。

朝9時から午後3時半まで、候補者の街宣車に乗り、いわゆるカラスをした。久しぶりだったが、自分の駅頭を毎日やっているせいか、すぐに慣れた。

この地域は中選挙区時代、菅直人氏の地盤だった。現在は、私の決起大会にも来て頂いた末松義規氏が、4期目の代議士をしている。

投票日はクリスマスイブの24日。公職選挙法の規定で名前が書けないのが残念だが、知人への声がけなど、相模原から出来る応援を、しっかりしていきたい。


2006年12月18日(月) 青年会議所打ち上げ

青年会議所の打ち上げ(忘年会)があった。慣例で委員会ごとに行う。本年度所属した会員拡大委員会メンバーで、一年間の労をねぎらい合い楽しい時間を過ごした。

仕事を通じても分かり合える友人を探すべく、入会してからもうすぐ10年になる。互いに社会人なので、正直楽しい思い出ばかりではないが、ほとんどが為になる経験だった。また友情を実感する機会も得た。

40歳定年なので、あと5年しかない。現在は仕事がままならないので、なかなか活動も出来ない状況だ。しかしまだJCでやりたいこともあるので、来年の選挙以降結果を出して、今一度積極的に活動してみたい。

来年度は地域主権を考える委員会に所属する。政策系と呼ばれる活動だが、仕事柄皆んなの役に立たなければいけないと思っている。頑張りたい。


2006年12月17日(日) 上溝地区後援会のつどい

上溝地区で後援会の集いを開催した。16の自治会があるが、日金沢の自治会館をお借りして、懇談を含めての開催だ。

数十名の方にご参加いただき、盛会に行うことができた。党派をこえて支援して下さっている、地元の皆様に感謝したい。

選挙区は有権者の鏡と言われる。ある地域の実情を理解することは、他の地域にも共通の課題を見出すことに繋がる。

生まれ育ったと言っても、当然に知らないことも多い。これから一軒一軒まわっていきたい。


2006年12月16日(土) 菅直人氏の講演

候補者研修の一環である、党県連主催‘民主スクール’の最終回があった。菅直人氏の講演だ。彼が行ってきた選挙戦について、豊富な経験から様々なアドバイスを頂いた。

小沢一郎氏の選挙が“田舎型”とするなら、菅直人氏は“都会型”とでも言うのだろうか。しかし“自分型”を見つけることこそ、厳しい選挙に最後に勝つ手段とのこと。

それがわかれば苦労はしないが、見つける努力はしなくてはならない。「有権者の心に10回アクションしないとダメだ。」は納得。一度や二度すれ違っただけでは、政策は無論何も感じてはもらえない。

ではこの広い相模原市・津久井郡選挙区で、どうやって10回も皆様にアクションするのか。それが選挙戦術なのだろう。まして残り3ヶ月少し。頭も使わなくてはならない。

終了後はスクール校長である藤井先生参加のもと、懇親会も開催された。私より若い候補者が、県内でも各地から立候補する。ともに頑張りたい。


2006年12月15日(金) 町田の民間交番

町田で忘年会があった。数年前駅のそばに‘民間交番’が出来た。建物はまさに交番だが、中に入るのは民間人。高齢者の方などにお願いしているそうだ。

夜に人がいなくなることや、本物の犯罪に対処できないなど、当然に限界はある。かつて町田市議の方からも同様の意見を聞いた。

空き交番の解消に、県はもっと対策を採るべきだが、市が率先して治安対策に乗り出す姿勢もすばらしい。

市・県・国は、良い意味での役割分担はいいが、それが縦割りの弊害を生んではいけない。

子どもたちを犯罪から守るために、地域では自主的な運動が広がっている。政治がそれをサポートする必要がある。


2006年12月14日(木) 県議会の色々な話し

横浜のお店で食事をしながら、現職県議の皆様と懇談する機会があった。日々地元で活動しているためか、窓から見える港の夜景が別世界に見える。

行政や議会のこと、最近審議した条例案のこと、民主党や会派のことなど、現場でしかわからない貴重なお話しを聞くことができた。

すると不思議なもので、当時(市議)時代の感覚が少し蘇えり、選挙モードから議会モードに変わって、意見を言っている自分に気づく。やはり選挙と議会は別物なのか?そうであっていいはずはないが。

2次会にも参加したが、先輩の後をついて行っても、どこを歩いているか全くわからない。ある意味新宿など都内の方が、ピンとくるかもしれない。この新たな皆さんと、新たな場所で仕事をすることは、とても楽しみなことだ。

そして議会のなかで、自分が言わねばならぬことがあると、再確認も出来た。明日からも頑張るぞ!



2006年12月13日(水) 地域連合大会

相模原・津久井地域連合の大会があり、次期県議選の推薦候補としてご紹介頂いた。再びチャンスを頂いたこと、ご尽力頂いた皆様に本当に感謝している。

会のなかで、今期で勇退される市議会議員からご挨拶があった。皆様市議時代から、お世話になっていた方ばかりだ。後進の一人として頑張らねばと、決意を新たにする。

社会情勢として、経済による全体のパイの拡大が、労働者の給与などに直接反映しなくなってきている。いざなぎを超える景気拡大と言われつつ、好況感があまり持てないのもそのためだ。

過去の階級対立を呼び戻すわけではないが、もっと労働者に暖かい社会にしなければならないと思う。サラリーマンの家庭で育った原点を忘れず、県政のなかでしっかり発言していきたい。


2006年12月12日(火) それでもある新しい出会い

ある方と夕食をともにした。お顔は知っていたので、ばったり会えば挨拶はしていたが、じっくり話をするのは初めてだ。

市内の狭い政治構図のなかで、敵味方になったこともある。しかしそれを超えてお声がけ下さったのは、先方様の方だった。とても嬉しい。

選挙で支援云々ではなく、まずはじっくり話をすること。それは人間関係の基本だろう。わかってはいても、なかなか上手くそれが出来ない。

最初選挙に出たときは、そのときの支援者と一緒に、自分の政治生活をずっとやっていきたいと思った。

それぞれの生活や政治環境の変化により、それが果たせなくなった方もいるが、思いは今でも変わらない。

来年の選挙はまさに正念場。敗れてその先はないが、必ずや勝利して、再び多くの皆様と活動をしていきたい。


2006年12月11日(月) 新人の責任

推薦を頂いた団体の忘年会があった。場所は横浜だ。現職の県議もいたが、特に新人のみご紹介頂いた。

政党や団体は、議員の数を増やすことに努力する。それは現職の再選は無論だが、プラス新人が当選しなければならない。

新人ならではの責任があるということだ。県政とは違うが、国政における政権交代も、現在負けている選挙区で勝つことが前提になる。

神奈川県議会の民主党は、自民党に拮抗するまで議席がない。民由合併や無所属議員の入党によって、かろうじて遠くに背中が見えてきた程度。

全体のためにも、一層頑張らなくてはならない。


2006年12月10日(日) 上溝地区後援会

上溝地区で後援会をつくって頂くことになった。長年育てて頂き、現在もすんでいる地域だ。

浪人中も近隣の多くの方から、「地元だから頑張って。」と声をかけて頂き、それが大きな励みになってきた。

最早選挙まで切羽つまっていることと、この時期を逸しては後がための結成だ。

従来型「組織」形態ではなく、まちづくりについて忌憚なく話し合えるような、「サロン」的雰囲気にしたい。そのことが選挙にマイナスとは思わないし、かえって多くの輪が広がっていけると信じている。


◎上溝地区後援会発足式

12月17日(月)午後2時より

場所 上溝地区日金沢自治会館〔相模原市上溝5-8-18〕*事務所に地図も用意してございます。042-751-3016までお問い合わせください。

会費500円(軽食を代実費分)


上溝地区在住の方のみでなく、他地域からのご参加も大歓迎です。お誘い合わせの上、何卒よろしくお願い申し上げます。


2006年12月09日(土) パソコン故障

メールソフトが起動しなくなった。PC得意の友人臼井君に見てもらったが、耳を澄ますとシュルルルと変な音が。

ディスクの故障と思い、解体作業に入る。すると原因は別のところ。マザーボードだった。

今少しで完全修復しそうだ。助かった。数日前に後援会名簿を別ディスクに保存しておいたので、最悪の事態は想定されなかったが、今後もしっかり保存しておこう。

多くの支援者皆様の、過去数年間のご尽力が、データとしてはPCに集約されている。怖さもあるが、現実そうするしかない。

セキュリティーをしっかりする。ある意味社会の中では政治の役割であるが、身の回りもきちんとしなければ。


2006年12月08日(金) 藤野駅で町長さんに

昨日青根に泊まったこともあり、朝立ちは藤野駅で行なった。早朝朝ごはんを旅館で食べ、友人とふたり暗いうちに駅に行く。山道を20分くらいだ。

駅に着くと、普段は乗降客以外誰もいないのに、上の改札付近で何かの旗が立っている。先を越されたかと思いきや、それは藤野町の狄邑⊇鬼岫瓩留親阿世辰拭I幻譴瞭ったティッシュとボールペンを配るそうだ。

「邪魔してすいません。」とお詫びした上で、私の政治ビラを配っていると、声をかけてくれたのは、何と藤野町長さん!職員の方と一緒にティッシュ配りをされていたのだ。

以前藤野町議会を傍聴に行った際、遠くに拝見したことはあるが、お話しするのは初めてだ。名刺交換と簡単な挨拶させて頂いた。

その後も藤野町内で、十数軒ご挨拶まわりをした。あるお宅の隣が、藤野町郷土資料館だった。なかに入ってみた。民芸品中心だが、以前の吉野宿のモデルなどもあり興味深く見学した。

帰り際、案内の方に名刺をお渡しし、自己紹介すると、「資料館をよろしくお願いします。」と言われた。

無論何の力があるわけではないが、ここにも合併についての、ひとつの具体的不安があった。有意義な二日間だった。


2006年12月07日(木) 青根泊

相模原市津久井町青根に宿泊した。現在は集落に1軒しかない旅館だ。以前友人が飛び込みでポスターを貼って頂いた。

手持ちのお金がなかったので、郵便局に行くと、今年6月で閉鎖されたとのこと。「ご用は津久井郵便局まで」と張り紙があるが、今更そこまでは戻れない。

近くに農協があることを発見し、そこで郵便局カードが使えた。後で聞いたところでは、この農協も今後の見通しは不透明とのこと。

青根のお宅を1軒1軒飛び込みで、暗くなるまで数十軒まわった。昔ながらの造りの家が多く、またお年寄りが多いことも気付く。

医療施設としては、国民健康保険診療所があるが、合併後にどうなるか不安が多いそうだ。また小・中学校の存続も課題とのこと。

旅館に戻り、風呂に入る。その後1Fの食堂に行くと、近くにお住まいの元町議の方が、わざわざ駆けつけて下さっている。

また近所の方にもお声がけを頂き、食事をしながら多くのご意見を伺う。初めて聞く話し、聞いてはいたが初めて実感する話し、他本当に有意義な夜だった。

旧津久井町のなかでもこの地域は、合併について反対の方が多かったそうだ。それは高齢化・過疎化するなかで、大相模原市の外郭になってしまうことへの危機感だった。

効率化のもとで金銭の大小が影響して良いのは、あくまで生活のプラスアルファについてだ。生きていく上での基本的なことは、皆で助けあう社会にしなくてはならない。経済の原語たる経世済民を忘れてはいけない。

ましてや合併して同じ市だ。格差を助長することは許されないし、むしろそれをなくすための合併ではないか。


2006年12月06日(水) 田名の料亭

相模原市田名には、いくつかの料亭がある。以前はもっと数が多く、芸妓さんの置屋などもあったと聞く。

料金も意外と安く、普通の居酒屋さんで飲むとの、そんなには変わりない。しかも個室を用意してくれるので、仕事の打ち合わせなどでも使える。

今日は難しい話ではなく、ある方とある方をお引き合わせするために、会を持った。結果非常に有意義だった思う。

田名は、犖鼎き畸楼茲噺世錣譴襪海箸ある。かく云う私の地元上溝も同じだ。一面では客観的真実だが、しかしだから良くないという話しではない。

私がかつて市議として仕事が出来たのは、地盤・看板・カバンなくして市議選に当選できたのは、その犖鼎き畩綛造世辰燭らこそとも思う。現在運動をしていても、打てば響く人の和が、犖鼎き畸楼茲砲呂△襦

政治家として変えていかねばならぬものを、犁譴き瓩班集修靴討い襦犖鼎き瓩箸篭菠未靴討い襦小沢党首も、かつて政敵を守旧派と呼んだ。

保守か革新かと言えば、私は革新たることを選ぶだろう。しかし日本人が培ってきた伝統文化に対する敬意は、他多くの保守系議員や候補者に劣るとは思わない。


2006年12月05日(火) レディース忘年会

てらさき雄介レディースの忘年会を開催して頂いた。数年前に結成され、その後多くのご支援を頂いている皆様だ。

ジェンダー云々が言われているが、女性と男性はやはり違うと思う。それが社会的差別に繋がるのは言語道断だが、女性と話すことでしか理解し得ない政策テーマなどもある。

議会は老若男女、各階層から、それぞれ代表者が出ることが望ましい。しかし現実的にそうなってない以上、出来る限り女性の立場を代弁していきたい。


2006年12月04日(月) 後援会役員会

前回の選挙後に後援会を再結成し、毎月役員会を開催してきた。時として議題がなく、活動報告のみ行なったこともある。継続することが主眼だった。

来年選挙前になれば、後援会はいわゆる選対に移行する。役員会も今日を含めて、あと2〜3回になるだろう。

新しく参加頂いたかた、事情があって途中から不参加になった方、個々に思い出はあるが、今では全ての皆様に感謝している。

いつも言っていることだが、選挙のセンスが余りない。だからこそ、多くの方の助けがいる。今日も貴重な意見をたくさん頂いた。

今日の議題は、以下の通りだった。
一、活動報告
二、街頭活動
三、ポスター貼り
四、後援会の拡充
五、その他

いよいよ最後の詰めの段階だ。悔いのないよう、間違いのないよう、全力で頑張っていきたい、


2006年12月03日(日) 功名の果てに

今年の大河ドラマは、半分くらい見ただろうか。余り興味ある主人公ではなかったが、つくりが面白く楽しめた。

既にクライマックスだが、今日のタイトルは犖名の果てに瓩世辰拭ハッピーエンドにはしないつもりなのか、回を追うごとに内容も重くなってくる。

伴侶の仲間由紀恵が、「今まですごろくのように人生を楽しんできたけど、最後の詰めがこれですか。」と、先週土佐の先住民を虐殺した、夫山内一豊をなじる。

元々政治家に功名はあり得ない。しかしこの主人公のように、人間的なことに悩み苦しむ、当たり前の人がもっと多くなれば、結果として行なわれる政治も変わってくるかもしれない。


2006年12月02日(土) 友人のお祝い

過日も記載したとおり、日本作詞家大賞の最優秀新人賞を受賞した、明大雄弁部の同期友人のお祝い会を開催した。友人の名は「保岡直樹」という。

同期は20数名いるが、13名が参加し盛会だった。場所は新宿歌舞伎町。何故か学生時代よりこの場所だ。少し照れたが、新宿区役所前で校歌斉唱もした。

県議選に向けて、皆んな私のことを心配してくれていた。それぞれ仕事は大変そうだったが、何とか互いに頑張っていきたいものだ。

終電を過ぎてしまったので、サウナに泊まった。さずがに学生時代ように、新宿中央公園で野宿とはいかなかった。

お土産として、「お仏壇のはせがわ」のカレンダーをもらった。そこにも友人の詞が載っていた。何か関連の縁があったら、是非ご紹介頂きたい。



2006年12月01日(金) 忘年会シーズン

忘年会シーズンだ。既に1件終了したが、今日が2件目だ。今年は何件あるだろうか。

何件行っても、体は疲れない。会費はかなりのものだが、膝詰めで多くの方と話せる機会は、とても貴重だと思う。

今年は横浜でも数件ある。このときばかりは、相模原との掛け持ちは出来ない。しかしそれもまた活動なので、電車に揺られて行ってくるつもりだ。

一方駅頭も時間を早めて、17時から出来る限り行なうつもりだ。駅頭が大切なのはどのシーズンでも変わらない。


てらさき雄介 |MAILHomePage