てらさき雄介の日記
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2006年06月30日(金) 横浜は遠い、そして県政も

次期統一選が近くなったので、横浜へ行く機会が増えた。党や、各種団体の会合などだ。

今日も関内で、憲法問題に関する研修会があった。全て終了したのが夜7時過ぎ。会場を出ると、目の前の横浜スタジアムで野球をやっている。普段はほぼ終日を、相模原市内のみで過ごす者にとっては、不思議な光景だ。

しかしいつも思うことだが、横浜は遠い。新宿や渋谷など、都内に行くより感覚的には遠く感じる。実際自宅からのドアトゥドアでは、神奈川県庁より、東京都庁の方が早く着く。

テレビを通じて、国政に対する関心を集めたことは、小泉総理の功績だろう。そして二大政党と言われる現在は、常に一種の緊張感が国政には漂っている。

またかつて在籍した市政においては、急激な地方分権のなかで、議会も行政も過去の惰性に対して、一定の改革を求める動きが出てきつつある。いまだ大きくはないが、確実にだ。

さて県政はどうか。いまだ安穏な時を過ごしている。知事と議会のつまらない対立などはその典型で、日本第二の地方自治体としての責任を果たし得てはいない。

その原因を考えてみよう。ひとつには、県政が主権者から遠いことだろう。上で述べた距離の問題だけでなく、明らかに県政に関する情報が不足している。

今後一層の地方分権を進め、地方政治をより良くするには、究極的には主権者の関心を地方政治に集めるしかない。

その意味で、次期統一地方選挙は重要だ。国政選挙を上回る、投票率が出てしかるべきだろう。

自分自身の活動は当然のこととしても、「投票に行こう!」と多く訴え、投票率の向上につとめていきたい。


2006年06月29日(木) もはや現体制は変えるべき

政治活動上の相談があり、八木大二郎城山町長に会いに行った。早く着いたので、しばらくの時間応接室で待っていると、目の前に「和而不同」の大きな額がある。

「昭和32年、為城山町、岸○×(ここは達筆で読めない)」とある。誰かが。町制施行直後の城山町に、送った名筆の額らしい。

何度か書いたが、この4文字は、私の座右の銘である。明大雄弁部の基本精神で、学生当時はそんなに意識しなかったが、現在は本当に大好きな言葉だ。

同じく後ろには、歴代町長さんの写真が飾ってある。前町長のものは、まだ出来てないようだが、来年の編入合併を考えると、町民でなくても歴史に思いを馳せてしまう。

さて先般の相模原市・城山町の合併調印式に、相模原市長は欠席した。ご病気とは言え、個人的な事情には変わりなく、城山町民に対して失礼極まりない。当日だめなら、何故日にちをずらさなかったのか。代理者で済むことではない。

地方自治を発展させるには、権限や財源のみではなく、気概こそ必須だろう。最近の相模原市政の運営は、残念ながら将来に対する責任感が足りない。

そして最大の問題は、市長不在の状態そのものではなく、周りがそれに慣れてしまいつつあることだ。これから相模原市は、来年度予算編成を行なう大切な時期を迎える。

将来の政令指定都市に向かって、難しい舵取りを迫られるのだ。一日も早く、現体制を切り替えなくてはなるまい。





2006年06月28日(水) 日銀総裁は儲けてはいけない

日銀総裁は、そもそも金儲けをしていいのか。問題が明らかになってから、今日までじっくり考えてみた。

結論から言うと、「基本的には、儲けることを遠慮すべき。」ということだ。現総裁は、いわゆる政治家ではないが、公職者であることに変わりはない。

建設大臣が、建設会社の経営に携わってはいけない。金融大臣が、金融商品を買ってはいけない。これと同じく、総裁は自粛すべきだった。

村上ファンド云々ではなく、そもそもの姿勢が疑われる。ましてや今日明らかになったのは、総裁用のファンドが用意されており、その利回りを見ても、明らかに特別な牴燭瓩あることだ。

政府が、日銀の人事に介入することは避けるべきだが、世論は政府を越えて、日銀に対しても拘束力を持つ。ここに至れば辞職すべきだろう。

今回のことで、かなり焦っている政治家も多いだろう。今からでも遅くはない。政治家としての正当な報酬を受け取ることは、一向に構わないと思う。しかし、それ以上の積極的資産運用は、控える風土をつくるべきだろう。


2006年06月27日(火) OBとして卒業式参加

かつて相模原ローターアクトクラブという団体に所属していた。20代限定の会なので、30歳になると自動的に退会(卒業)となる。

今日はその狢感伴悪瓩あった。30歳になった会員に卒業証書のようなものを渡し、最後の懇親会をするのだ。久しぶりの参加だが、私と同じくOB&OGが多数参加していた。

ほとんどが相模原市在住か在勤なので、普段から顔を合わせる面々だが、こういう機会でないと出てこない人もいるので、同窓会のようなカタチにもなる。

最近相模原市内では、多種多様な団体が、活発に活動を行なっている。それが盛んになればなるほど、互いの交流も豊富になり、結果そこから新たな活動が生まれる。

いい循環が出来つつある。所属するNPO法人さがみはら市民会議が運営する市民活動サポートセンターは、既に相模原市にとってなくてはならない施設になったが、他の手段も講じながら、一層の市民活動の活性化に取り組んでいきたい。


2006年06月26日(月) 何と衆院選、しかもVS山崎拓氏

秘書時代の友人である、山本剛正氏の壮行会に参加した。千駄ヶ谷にある日本青年館のパーティールームで行なわれ、百名ほどの参加で盛会だった。

発起人による案内文には「福岡に帰って・・・。志を果たす・・・。」など、福岡で選挙に出ることは書いてあったが、何の選挙かわからなかったので、てっきり福岡県議会か福岡市議会かと勝手に想像していた。

しかし今日話しを聞いてみると、何と衆議院選挙だという。しかも福岡2区。現職は、かの山崎拓氏だ。一度、民主党が議席を獲得したので、次回もも恐らく注目区となるだろう。

チャレンジ精神に敬意を表したい。頑張ってもらいたいし、どこかで現地に応援に行きたい。


2006年06月24日(土) 不思議な街、天理市

党県連団体交流委員会の企画で、天理市へ来ている。宗教法人「天理教」との交流が趣旨だ。

宗教団体との交流ということで、ひかれる方もいらしゃるかもしれないが、どのような皆さんからも、意見交換していく姿勢が二大政党には必要だろう。もちろん悪質な、反社会的団体は除くが。

実は私は天理教とは、いささかの縁がある。母校である明大中野八王子高校が、創設者から現在の校長に至るまで、代々天理教だったのだ。戦前の創立当時は、教義に基づく教育をしていたそうだが、戦後明大の付属になるにあたり、宗教色を一切排除したと聞いている。

今日は横浜駅に集合して、団体バスに乗り、延々と天理まで約7時間。とても遠い。体のでかい私には、いささか堪えた。東名から名阪に移り、天理のインターを降りると、そこには不思議な光景が広がっている。

どこを見ても宗教施設だ。同教は神統系なので、建物が神社っぽくなっており、いかにも奈良らしい宗教都市の趣きを呈している。

かねてから不思議だったのは、自治体天理市と天理教の関係だ。最近相模原市内の駅にも、天理市作成の観光誘致ポスターがはってある。そこには天理教も名を連ねており、書いてある内容も、天理教の街であることを公言している。

しかし名前を、天理教にちなんで天理市としら位だから、外からはわからない地域の歴史と現状があるのだろう。

行きのバスで、幹事である高谷清県議が話していたが、宗教法人は固定資産税を取られない。しかしここまで施設がたくさんあると、そこから税が入らないと、市は経営が苦しくなる。その分は、市と天理教で話し合いをして、寄付というカタチで納金しているそうだ。

諸外国には、多くこういう宗教都市があるが、知る限り日本ではここしかあるまい。不思議な街だ。こういう街があっていいと思うし、むしろ興味深い気がする。


2006年06月23日(金) 党総支部の行方

党総支部の行方は、実は私にもわからない。党員や支援者、そして多くの主権者に対して、説明できない自分が情けない。

こうなった原因を分析してみよう。政党が支部をつくるのは、当然に地域に根付いた活動をするためだ。そしてその必要性を、民主党も痛感している。

しかし現在の支部は、「衆議院総支部」であって、国会議員かその候補者が代表者になってつくられる。該当者がいない地域は、支部自体がつくれないのが民主党のルールだ。

もちろん国政における政権交代を成し遂げるために、求心力を衆議院選挙にむけるため、このような形式になっているのだが、どうも最近はうまく機能していない。

具体的例と言うと、

藤井先生がいらっしゃる当時は、藤井先生が代表の、神奈川14区支部があった。

藤井先生が引退されると、同支部は解散となった。(暫定で任意に支部もどきをつくってしのいだ。)

宮崎さんが、次期衆議院候補になると、宮崎さんが代表の新神奈川14区支部がつくられた。

宮崎さんが公認を辞退すると、同支部はまたまた解散となった。

そして現在、私たち党員が地域で活動する支部自体が存在しない。

いずれ次期衆議院候補が決まり、その方により支部がつくられるのだろうが、同じ事態は今後も起り得る。この改善策としては、「衆議院総支部」とは別の「行政区支部」、つまりは狒衞聾胸垰拮瓩魴訐するしかない。

本部のルールによると、現在では政令市のみ「行政区支部」が認められているが、他の地域でつくってはいけないという考え方でもない。次期統一選挙の後になるかもしれないが、同志と相談して進めていきたい。




2006年06月22日(木) 元気な姿しか映らない

お世話になった方が亡くなり、告別式のお手伝いに参列した。市議に初当選したときに、向こうからお声がけ頂き、何もわからなかった私に、多くの出会いの機会をつくって下さった。

特に思い出に残っているのは、あるトンカツ屋さんに何度かご一緒したことだ。「俺もでかいが、お前もでかいな。」などと言いながら、過去の市政の変遷についてお話を頂いた。

最近の告別式は、入り口に生前の写真などが飾ってあり、今日もそれを拝見するにつけ、在りし日を思い、年月の経過に目頭が熱くなった。

最後にご遺体と対面することも出来るが、元気なお姿のみ記憶に留めるべく、そこには参加せずに失礼した。

ゆっくりお休み頂くことを祈っている。本当にありがとうございました。


2006年06月21日(水) 県内市町村議会を傍聴します

所用があり御殿場に行った。東名高速道路を走ると、途中同じ神奈川県内の各市町を通過する。

過去いくつかの自治体議会に傍聴に行ったが、それぞれ特色があって面白かった。この前伊勢原市議の方と話す機会があったが、何と全議員の7割以上が毎回一般質問しているとのこと。凄い・・!

今度合併する城山の町議会も、土曜日開催の本会議を大分以前にやっていたし、その他の市でも議会改革が進んでいるところも多々ある。

県議になれば、神奈川県全体が仕事場なので、「その街には行ったことがない。」では済まない。(当然だが、意外と・・・。)数度議会を傍聴しただけで、何かがわかるとも思えないが、やはり一度も行ったことがないのは問題だ。

県議会で仕事をする機会を、皆様とともに勝ち取ったら、県内の市町村議会全てを傍聴してまわりたい。それぞれでどんなテーマが議論されているか、直接見聞きすることによって、県政の課題も見えてくるはずだ。

とにかく今は、そうなれるように頑張るしかない。


2006年06月20日(火) 〒マークの他にも特例は必要

連合神奈川の、政策討論集会に参加した。先般何度か政策委員会に参加したことは書いたが、その集大成的な開催だ。明日以降、正式に文書になり各行政機関に「提言」として提出される。

途中猯通瓩砲弔い篤さ弔砲覆辰榛檗運輸関係労組の方から、今回の違法駐車取締りの民間委託について意見が出た。元々のルール設定の不備と、既にはじまっている厳しい取締りについてだ。ただでさえ、経費節減で人手を減らされているのに、人員の増加など夢のまた夢。その分、現場の労働者に負担がいっているとのこと。

さらに別の方から、〒マークが付いている、郵便局の車についてのみ、例外が認められていることにも、疑問が投げかけられた。確かにそうだ。ならば宅急便や運送便も同様にしなくてはなるまい。

ここで昨年の郵政民営論議だ。民主党はこの案に反対した。私がかねてから民営化論者であることをご存知の方からは、民営化反対で総選挙となったことに違和感を持たせてしまったかもしれない。

しかし私が言っていたのは、「郵便局が法律の規制のなかで特別扱いされ、民間事業者が郵便事業に参入できないのはおかしい。」というものだ。故に民間企業の参入さえ認めてくれれば、別に国営郵便局があってもいいし、結果競争して国営が勝つことだってありえる。

しかし現在はどうか。郵政民営化は達成されたが、結果民間企業は、いまだに一般郵便事業には参入しにくい規制がかけられている。こうなるのがわかっていたから、「こんな民営化はダメだ。」と言っていたのだ。

さて駐車違反だ。「〒」マークを例外にしたことは、間違いとは思わない。そうあるべきだろう。しかし民間の同種の事業についても、やはり例外にすべきなのだ。管轄官庁でチェックして、証票を交付することくらい出来るはずだ。

行政機関のみ特別扱いすることは、業者のみでなく、主権者全体の不信を生む。県レベルで出来ることには限界があるが、機会と捉えて意見を言っていきたい。


2006年06月19日(月) 羽田発金浦着

先ほど自宅に帰ってきた。2泊3日の海外は初めてだが、羽田初金浦着だと、それほど遠いと感じない。

元々飛行機に乗れば、アジア東方なら数時間だし、ましてや韓国なら2時間で着く。成田に比べ羽田が近い(私だけでなく都内からも)だけでなく、韓国側も、新しく出来た仁川より金浦は近い。

羽田空港国際線ターミナルは、学生時代台湾に行くのに使ったが、現在は航空会社のプレートを見る限り、韓国往復しかないようだ。空港施設などは、地方空港よりも小さくてかわいい。

かねてから羽田を、名目ともに国際空港として利用すべきと考えている。足りない土地は、埋め立てて建設してもいい。この意見が私らしくないと言う方もいらっしゃるが、滑走路の増設が出来ない、現在の成田の現状は異常だ。

地主で反対している人は年々減っているにもかかわらず、自薦他薦の‘応援団’が乗り込み、過激派まがいのアジトが今も存在する。これ自体は、ある意味些細なことだが、貿易立国としての国際空港のあり方を考えると大問題だ。

少数意見を大切にすることと、空港建設で強制収用できないことは違う。政府も変なところで、変な遠慮をするものだ。当初の成田建設反対は、ベトナム戦争や安保闘争など、その時代特有の課題があったのだ。今の視点で、検証すれば、方向性は見えてくる。

ただここに至ると、成田の位置づけを早期に変えることも難しい。羽田をどうするかだ。羽田空港の住所は、東京都大田区だが、半分は神奈川県みたいなものだ。県政としても、空港へ向かうアクセスだけでなく、空港のあり方自体について意見を言うべきだろう。


2006年06月18日(日) 頑張れ日本、韓国 inソウル

消防団の旅行で、昨日から韓国に来ている。昨日の結婚披露宴終了後、夜便で、羽田発金浦行きにギリギリ飛び乗った。

皆は昼間に着いていたので、地下鉄に乗り、ひとりでホテルに向かった。到着すると深夜だったので、皆に付き合ってもらい、外で簡単に夜食のみ食べて寝た。

さて今日は、日本から予約したガイド(兼タクシー運転手)が同行し、一日市内観光をしたが、どちらかと言うと食い倒れツアーだ。

昼は海鮮、夜は豚肉を食べたが、値段が安くてなお且つウマイ!途中世界遺産の昌徳宮にも寄った。

しかし何と言っても、丁度ワールドカップ中。夜の焼肉屋さんは、幸い私たちしか客がいなかったので、夜10時になると、テレビを日本戦にあわせてくれた。

日本戦のみでなく、ほとんどの試合いを中継しているそうだ。結果は残念だった。さてサッカーと言えば、韓国の爛譽奪疋妊咼覘瓩澄Fに鬼の角をつけた人や、赤いTシャツを着た人が大勢徘徊している。

私はホテルに帰り寝てしまったが、他数人は、韓国戦を巨大スクリーンで中継しているソウル市庁舎前に出かけた。人手と熱気で凄かったそうだ。

日本では、サッカーと野球、どちらが人気があるか、やはりまだ野球だろう。しかし韓国では、皆サッカーと答えた。

韓国も残念だったが、1試合取っているので、次回に期待しているらしい。日本もまだ可能性はある。前回の野球WBCの例もあるので、最後まで望みを捨ててはいけない。

飯を食いながら、たまたまガイドと政治の話になった。現在の盧武鉉大統領は、過去最低の人気だそうだ。この前の統一地方選挙で、与党が惨敗したことは日本の記事にもあったが、現在でも支持率は低下中らしい。

大統領は、1期しか在任が認められないので、ある意味次の選挙は考えなくていいわけだが、このままでは野党に政権がわたるとのこと。

テレビも、町並みも、服装も、良い意味でも悪い意味でも、日本により似てきた。しかし置かれている国の状況は、緊張感に包まれているのだろう。

テレビでは、ヘギョンちゃんの父親である、金さんのニュースが多く出ていた。日本で言われているより、拉致問題にも関心があるようだ。

2泊3日(しかも出発夜便)という、過去最短期間の海外旅行だが、行った以上は、様々なものを吸収していきたい。


2006年06月17日(土) 結婚披露宴、感無量でした

支援者の結婚披露宴があった。先輩でもあり、友人でもある。素晴らしい人柄で皆から好かれている方で、今日も多くのメンバーで新しい第一歩を祝った。

過去、この方の一言一言で救われたことが何度かある。窮地なほど、覚えているものだ。また今日も浪人の私にスピーチ時間を頂いた。

事前に「選挙区の人間がたくさんいるから、どんどん宣伝していいよ。」と言っていただいたが、今までの感謝の気持ちを正直に話したつもりだ。

二世でない私には最初からの支援者はおらず、ひとりひとりと、出会いから今日に至る多くの思い出がある。これこそ政治活動に邁進できる、財産であり原動力でもある。

狭い地域で暮らしていれば、色々なことがある。しかしまだ34歳。これからもたくさんの方と出会えるよう、多くの活動をしていきたい。


2006年06月16日(金) 町田市での政権交代

友人の若林章喜町田市議に相談ごとがあり、町田市議会を訪問した。久しぶりだ。丁度議会開催中で、ドタバタしていた。

色々な話すなかで、新市長についても話題になった。町田市は、今年2月に長くつとめた前市長が引退し、横浜市職員出身の新市長となった。

総じて、良い市長と評判とのこと。更に印象的だったコメントは、市長が代わる、つまり政権交代をした意義が大きいということ。

新市長独自の政策は無論、過去わかっていても変えられなかった部分が、首長が交代することによって、名目ともに変化しているそうだ。

最近津久井との合併がらみで、町田市の情報収集がおろそかになっていたので、今日は貴重な話が聞けた。

別の話でもうひとつ。控え室で話していたら、同じく友人の友井和彦市議が入ってきた。自ら提出した議案について、委員会で答弁してきたばかりとのこと。視察の際の日当を廃止する条例だ。

結果採決に至らず、継続審議になったそうだが、議員が条例案を提出し、それについて議員同士でやり取りがあるのは羨ましい。いや、それが当然か。では、それが出来てない議会は一体・・・。


2006年06月15日(木) 世界が100人の村だったら

世界がもし100人の村だったら」の作者、池田香代子さんの講演会を、相模原青年会議所の主催で行なった。

多くの国々で子どもたちが、戦争や貧困に巻き込まれている現状がある。同じ地球に生きる者として、互いにイメージし合うことは大切だ。

日本人が他の国に比べて、必ずしも幸せかと言えば、そんなことはない。いや、そもそも比較が成り立たないのだろう。それぞれ皆んな、一生懸命生きている。

政治とは、まさに公共の福祉のため存在する。一人で出来ることは、個人で自由にやった方がいい。しかし大勢でなくては出来ないことは、政治が担うしかない。

池田さんは、他反戦運動にも熱心だ。よく戦争という行為を、人間の闘争本能と結びつける見解があるが、それを否定し、戦争が生み出される過程を明らかにしている。私も同感だ。

一方で、「憲法9条を世界に」的な平和論では、現実に平和を生み出すことは出来ない。何故ならかつて日本がそうだったように、戦争の悲惨さは、それを遂行している人々が一番知っているのだ。

戦争は、偶然や、抽象的な要因では起こらない。だからこそ、その原因を追求していけば、戦争を根絶することは可能なのだ。

もちろん池田さんが、作家として、平和運動に取り組まれることは貴重だ。しかし政治家には、違うアプローチの仕方もある。双方が相まって、初めて良い結果が出るだろう。









2006年06月14日(水) 決起大会開催決定

「てらさき雄介を県政に送る決起大会」を開催して頂くことになった。今日の後援会役員会での決定だ。

日時 9月9日(土)午後2時〜
場所 けやき会館 大樹の間
会費 2000円(飲食代実費分)
主催 てらさき雄介後援会

多くの方に参加頂くべく、今日からお願いを開始する。また支援者の皆様からの、大きなお声がけに期待もしている。

私本人としての最大の使命は、「何故てらさき雄介でなくてはならないのか」を、当日参加頂いた方にご理解頂くことだ。

3年間温めてきた多くの政策のなかから、来年の県議選で訴えるポイントについて、当日は工夫を凝らして発表していきたい。






2006年06月13日(火) 党総支部代表の辞任について

本日、党総支部常任幹事会が開催され、代表である宮崎雄一郎氏の辞任が報告された。

6月9日付けで、本人から県連に対して辞表が提出され、昨日県連が本部に届け出たとのこと。

藤井先生引退後、後継者が宮崎氏に至る経緯には、多くの議論があった。しかしながら、結果決まったことについては従い、皆で一丸となって活動を始める、まさに矢先の出来事だった。

自分自身納得できないが、本人の意向による辞職であるから、これ以上何を言っても致し方ない部分もある。

私と党の支持者に対して、多くの主権者の皆様に対して、申し訳ない気持ちで一杯だ。心よりお詫び申し上げる。

さて今後についてだ。次期代表者(衆議院候補)については、出来るだけ早く決定しなければならないが、状況を総合的に考えると、早くても秋、遅くなると来年以降と推察される。

しかしながら、過日宮崎前代表の元で開催された、党支部大会においては、「来年の統一地方選挙に向けて、支部として選対を設置する。」ことが確認されている。また参議院選挙もあるし、今年10月には、相模原市の一部と津久井郡を含む神奈川16区で衆議院補選も行なわれる。

党のルール上、代表者(衆議院候補)のいない支部は、存在自体が認められないことになっているが、そんなことも言ってられない。残された意思のある者で、暫定でも活動の出来る基盤をつくっていくしかない。

昨日の「日記」ではないが、ナチスの党運営は、よく政党論を考えるとき一例にされる。今の民主党はどうだろうか。

政策の柱に地方分権を掲げながら、その組織形態がそうなっているだろうか。共産党のような民主集中制に近づくことは、確かに統制力は強くなるかもしれないが、民主主義政党として根本的な余りを内包してしまう。

今は、これ以上は言うまい。自民党に代わる、もう一つの核をつくることは、私の政治家としてのライフワークだ。いささか時間がかかりそうだ。あと10年か、20年か、それでも頑張る!



2006年06月12日(月) アウシュヴィッツ

ヒトラー最期の12日間瓩鬘庁孱弔埜た。ドイツ映画だ。そう言えば、歴史映画などでも、ヒトラーは余り登場しない。

この映画でも、演じた俳優は、「演じて良いのか迷った」とコメントしていた。存在自体が、タブーなのかもしれない。この物語の語り部も、ヒトラーを全面否定するナレーションだ。

かつて、学生時代最後の旅は東欧に行った。政治家を目指すキッカケともなった、東欧革命の現地が見たかったことと、もうひとつある場所に行きたかったからだ。

そこはアウシュヴィッツだ。ポーランドのクラクフから数十キロの所にある。そこで見たものは、人生のなかでの、かなりの衝撃だったのは間違いない。

よく、怖い夢を見て、途中でハッと起きることがある。いまだにそのシーンで、アウシュヴィッツが出てくることがある。深層に残るインパクトを与えられたのだろう。

ルーマニアのブカレストから、クラクフに向けて列車に乗った。途中別の国を通過するが、確か丸1日位で着いた記憶がある。2月だったので、当然寒く、朝方の木などは凍り付いていた。

クラクフに着くと、白タクおじさんが声をかけてきた。英語でないので何を言っているかわからないが、確かに「アウシュヴィッツ」と言っている。

50ドル支払ったのを覚えているが、そのままその白タクで連れてってもらった。1時間くらいだろうか。全く通じない言葉同士で会話をしながら、郊外へと走っていった。

到着した。原野のなかに風化した昔の施設があるという感じだ。言われなければ、工場跡か、大きな大学の跡地と言った感じだ。

以下をクリックし、HPを見ていただきたい。
アウシュヴィッツ収容所

ここには、見学者らしき人が大勢写っている。しかし私のときは誰もいなかった。(正確には後から、中でほんの数人見かけた。)リメイク版の白い巨塔で、唐沢寿明がアウシュヴィッツへ行き、ひとりたたずんでいるシーンがあるが、まさにあんな感じだ。

白タクおじさんは外で待っているので、誰もいない敷地内を、ただ一人歩いた。多くの建物のなかには、多くの展示物があった。ライトも暗いので、入って展示物にびっくりすることもある。

ある建物では、義足と毛髪があった。ガス室で虐殺する前に、義足を付けている人は外されるのだ。それが大きなガラス箱(水族館の大きな水槽くらい)に無造作に積んである。毛髪については、同じく事前に刈り取られ、布などをつくるのに使われるのだ。

日本の博物館のように、過大な解説や作り物はない。当時の‘遺品’が、ただ置いてあるだけだ。それ故迫るものがある。地下のガス室に至っては、長居は出来なかった。今でも庭を掘ると、人骨がたくさん出てくるとのこと。

アウシュヴィッツの隣には、ビルケナウという、より大規模な収容所があった。ここは撤退時に、ドイツ軍が破壊していったので、残骸しかない。しかしユダヤ人を運んできた、列車の引込み線は今でも残っている。

ヒトラーが、独裁者としての天才であったことは、事実だろう。しかしそれ以上に、ナチスという政党のあり方が、結果悲劇を生んだと思う。理念と組織形態が、悪いほうに連結してしまったのだ。

ナチスの指導者は、多くが敗戦で自殺するか、あるいは逮捕後処刑されている。加害者の側から、当時を語れる人は少ない。だからこそ、多少でも見聞きする機会のあった者が、それが過ちであったことを伝えなくてはなるまい。

ナチスドイツと、大日本帝国は、いわゆる共同戦線を張るには至らなかった。しかし同盟国であったという事実が、かの戦争の日本の誤りを世界に証明してしまっている。外交の、後世に与える影響が大きいことを、今の政府も認識すべきだ。

ある司祭の話だ。「ナチスが、共産党を弾圧したとき、何もしなかった。次に社会党を弾圧したときも、何もしなかった。ユダヤ人を弾圧したときも、何もしなかった。そして教会の弾圧が始まった。抵抗したが、この時はもう遅かった。」

陰に陽に様々な規制が強まる現在、政治家は党派こえて、言論の自由を守るための行動しなくてはなるまい。










2006年06月11日(日) 大野伊勢丹前

この場所は、本当に人通りが多い。相模原市内はベットタウンの特性か、人が多く集まる場所が少ない。いわゆる大規模な街頭演説が出来にくい。

もちろん人気(ひとけ)がなさそうな場所や、また住宅街のなかなどでも聞いて下さる方はいるし、そちらの方が大事という考え方もある。

今日は今月唯一の、街頭ビラ配りを行なった。多くの支援者の方に来て頂いた。治安と、基地と、社会保障について、考え方を述べた。

県政と市政と国政には、役割分担が当然にある。しかし主権者の立場では、それはあくまで政治の世界の中での話し。「どこでもいいから、しっかりやってくれ。」が本音のはずだ。

ボーダレスとは、よく言ったものだ。あらゆる分野に猜畢瓩無くなっている。基地の問題など典型だが、全てに関係し、かつ全てで一致しないとうまくいかない。

県政は、その中間という意味で重要だ。中二階と揶揄されるが、その立場は逆に有効利用できる。

しかし演説は難しい。平成9年1月に、初めて上溝駅に立ったときから、あまり向上している気がしない。

しかし自己満足こそ貴重なカラオケと、相手にメッセージが伝わって何ぼの演説とは、明確に違うものがある。技巧ではなく、しっかり伝えるためのプロの技術は必要だ。

幸い連日のように街頭演説しているので、内容についても進化できるように、もっと頑張りたい。



2006年06月10日(土) 愛国心と愛校心

母校明八の卒業生の会「戸富貴会」の総会があった。2期6年つとめた会長職を辞任し(正確には次期に立候補しなかった)、一委員として今後は運営に携わることになった。

年に数度母校に行くと、愛校心について考える。また言うまでもなく、故郷相模原を仕事場にしていると、愛郷心についても日々考える。

夜は、ある異業種交流会に参加し、偶然にも教育基本法の改正の話になった。元来の主張を述べたが、ここでは愛国心についてだ。

牋Ν瓩箸亙雑な感情だ。綺麗とか、痛いとか、あるいは好きという感情とはちょっと違う。

よく、「相模原市の旧い政治風土を変えたい」と訴えると、「相模原市が好きではないの?」と聞かれる。愛郷心とは、マイナスの要因も含めた気持ちだ。愛しているからこそ、変えなくてはならない。








2006年06月09日(金) またしても訃報

今朝、学生時代の友人から携帯メールがあり、元明大学長岡野加穂留氏のご逝去が伝えれらた。

明大雄弁部OBでもあり、顧問(部長)を長くつとめられ、つい先年定年に伴い引退されたばかりだ。ラブビー部長もされていたので、そちらの方が有名だったが、部会の際などはご出席頂いたものだ。

講義も履修した覚えがあるが、「民主主義とデモクラシーは違う。」との見解を言われていた。日本の民主主義が、欧米デモクラシーの域に達していないとの批判からだった。

また比較政治が専門だったので、日本の政治を客観的に見た評論が多い。明治に強い思い入れがあり、OBでもある三木武夫氏や村山富一氏の指摘アドバイザーもやっていた。

初めて市議選に出るとき、郵送で失礼だと思ったが、文書で立候補をお知らせしたところ、直筆の格言をわざわざ頂いた。

ご冥福を心よりお祈り申し上げる。




2006年06月08日(木) やはり会わなければダメだ

今日は比較的多くの軒数、政治活動として戸別訪問をした。大分以前から持っている名簿なので、過去も選挙の度に伺い、かつ郵送などでの報告はしてきた皆様だ。

しかしやはり直接会わなければダメだ。また痛感した。数人の方は、明らかに私のことを知らない。関係を述べたところ、「ああそうですか。知りませんでした。」とおっしゃる。

確かにそうだ。政治家である私ですら、ポストに入っている政治ビラを一々は読まない。政党名のみチャックして、ゴミ箱行きになることが多い。

ましてや日々忙しく、他の仕事をされている方なら尚更だ。印刷物の限界を感じる。

もちろん、70万市民全員に会うことは不可能だ。種々のツールは使わざるを得ない。しかしあくまで基本は「会うこと」だ。これは政治の世界では常識なのだが、お恥かしい話、本気で実感したのは最近だ。

何軒に伺い、何人とお会いできるか、限界に挑戦するしかない。私の政策を多くに伝えることこそ、政治活動なのだ。

もしお宅のインターホンで、「寺崎です。」と聞こえたら、是非玄関を開けて頂きたい。あなたと直接お会いしたからだ。


2006年06月07日(水) このHPは政治家足るものか

以前からご支援頂いている方と、一緒に夕食を食べた。多くご迷惑をかけているが、常に貴重なアドバイスを頂き恐縮している。

さてこのHPについて、‘日記’や‘掲示板’で、随筆やあるいは政治に関係ない記載もあることについて、「政治家のHPとは、政治の議論の場であるべき。」と批判的ご意見を頂いた。

確かにおっしゃる通りだろう。この点にはコダワリもあるので、気をつけながら、出来るだけ政策を述べるようにしているが、改めて見てみると足りないことに気付く。

また文章力については、残念ながらかなり低レベルかもしれない。文章の冒頭と、末尾で違うことを言っていたりする。話す方のトレーニングは、いささかしたことがあるが、作文は余り記憶にない。

しかし小沢一郎党首の‘日本改造計画’ではないが、文章を通じて考えを述べることが、特に大切な時代になってきている。現在は少し時間がないが、改めて基本から修練してみたい。

さて、県議会議員の大切な仕事は、県政の課題を主権者に提示し、意見を頂くことだ。それは政策のやり取りに他ならない。

今の政治家(県議会議員)と何が違うかとよく問われる。「私は政策で勝負します。」と答えている。政治家としての基本信条だ。

これからも頑張って、常に進化を目指すので、是非多くの皆様のご指導をお願いしたい。


2006年06月06日(火) 市民フォーラムの会合

市民と行政の協働を進めるべく、先般「市民フォーラム」が結成された。純粋に公募による市民の会だが、きっかけは行政がつくったもので、言うなれば半官半民の組織か。

政治家であることから、参加を迷っていたが、皆さんの「それでも構わない」とのご意見で、設立総会から参加している。

今日は犇働瓩鉢狆鯲祗瓩離錙璽ングチーム会合に参加した。様々な事業を通して、具体的に市民と行政を結び付けていく犇働瓮繊璽爐函⊂鯲磴鮴定することによって、明確に行政に市民との連携を義務付ける狆鯲祗瓮繊璽爐ある。

どちらに所属したいか、それぞれ希望をとったが、とりあえず様子もわからないので、両方に所属すると言っておいた。

この種の会に参加する皆さんは、当然に言いたいことがある方が多い。従って、会議では様々な意見が出る。長引くこともあるし、議論が外れることもある。

まて役所が‘案’と‘次第’をつくる手法は採っていないので、毎回「今日はどうやって、どこまで進めましょうか。」と確認をする。この結論を出すだけで、以外に時間も費やすこともある。

しかしそれを含めて、喧々諤々が楽しいのだ。もちろん事務を担当している方や、まとめる責任のある方は大変だろうが。感謝しながらも、次回もまた意見を言っていきたい。




2006年06月05日(月) 村上ファンドへの素朴な疑問

村上氏が逮捕された。テレビや新聞はこぞってニュースとして取り上げ、それぞれ論評を加えている。

しかしどこを見ても、私がかねてから感じていた疑問について、代弁しているメディアはない。

爛侫.鵐匹浪未燭靴銅匆颪防要なのか?

大きな疑問だ。結果存在しているから、必ずしも必要とは限らない。もちろん自由経済だから、金銭そものもを目的とする、この種の仕事があっていけないとは思わない。しかしそれは‘シャレ’や‘隙間’の部分であって、あくまでカタギの仕事ではない。

相模原市内でも、多くの企業が倒産している。あわせて多くの職人が、職を失い廃業している。家を建て、壁を塗り、食べ物をつくる。他にもたくさんあるが、もっと皆んなで育てていくべき仕事があるはずだ。

政治で語られる産業振興も、視点を間違えてはいけない。経済政策の目標は、雇用の確保と生活の保障であって、人々を金持ちにすることではない。

さて、村上氏だ。ホリエモンもそうだが、好きか嫌いかと言えば好きなキャラクターだ。出る杭は、またしても打たれてしまったが、過去の多くの挑戦には敬意を表している。

記者会見を見ると、この業界からは引退とのこと。裁判終了後は、別の分野での活躍を期待している。




2006年06月04日(日) 祝・菅原直敏大和市議

菅原直敏大和市議の結婚披露宴に参加した。他にも各地から、多くの若手政治家が参加し、綺麗なお嫁さんとの婚礼を祝った。

同じ若手とは言っても、スタイルや活動内容は様々だ。この菅原市議は、私が過去見たことのないタイプ。ある意味新人類だが、議員とはこうあるべきと思える、地道な活動を多くしている。

見渡してみると、イキのいい若手議員に、無所属の方が多いのは気のせいか。いや残念ながら、そこに民主党(自民党も)の現在の限界がある。もっと魅力を持たなくてはなるまい。責任を感じる。

県議会議員になれば、当然大和市も仕事場になる。情報交換をしながら、勉強を深めていきたい。

尚、披露宴で新たに知り合うことが出来た、若手の皆さんを紹介する。(初めての方のみ。)

吉田雄人横須賀市議

久野晋作我孫子市議

平田喜章渋谷区議

岡本聖哉大和市議








2006年06月03日(土) OBに入れて頂いています

学生時代に、藤井先生の事務所でお世話になっていた縁で、その後「事務所OB会」に入れて頂いている。今日は横浜で、その懇親会があり、藤井先生夫妻を囲んで楽しい時間を過ごした。

藤井先生が大蔵省を辞めて政治活動を始めてから、丁度30年とのこと。集まった方のなかには、当時の秘書の方などもいた。

既に引退されたとは言え、政治に対するご意見は多くお持ちで、‘反軍演説’で有名な、戦前の代議士斉藤隆夫氏の伝記を読むように進められた。

早速本屋に行き探したが、先生に薦められた書物は、既に店頭には無かったので、取り寄せの予約をした。

藤井先生は、引退後は評論活動などをされているが、時々テレビに出ている際のお話を伺うと、さすがと感じ入る。党幹事長まで務めたので、いささか党派色は出てしまうが、それを越えて基調なご意見番だと思う。

長年議員をつとめても、引退後に社会で有用な仕事をされる方は少ない。だから「落ちればただの人」という、情けない、誤った伝聞が伝わってしまう。

とにかくお元気なので、これからも時々でもお会いできれば嬉しい。尚藤井先生以外にも、学生時代からお世話になっている、当時の秘書の方々とも会える。

呼んで頂いてありがとうございます。来年もよろしくお願いします。




2006年06月02日(金) 乗り換え不便は政治も関係

国鉄が民営になったことにより、鉄道は、会社形態としては、完全に民間担当となった。

しかし交通は、全ての(ほとんどの)人に関係する。政治として許認可だけでなく、一定の関わりを持つのは当然だ。

スイカとパスネットを統合すべきとの意見は、大分以前に書いたし、またその方向で検討されているらしい。

今日は菊名駅での、乗り換えの不便についてだ。以下、かなり多くの人が、同じ感想を持っているはずだ。

県政を目指すようになってから、時々だが県庁やその周辺に出かける。横浜線で関内まで行くのも手だが、菊名で東急に乗り換えて、みなとみらい線直通で「日本大通」までいくのが最短だ。駅を出れば、目の前が県庁だ。

さて、その菊名の改札だ。横浜線から東急に乗り換える人は大勢いるので、JRと私鉄ではあるが、機械で簡易に乗り継ぎ出来るようになっている。

しかし東急と、みなとみらい線は、完全に乗り入れしておきながら、この菊名駅改札では、東急分(横浜駅まで分)までしか精算が出来ないのだ。結果「日本大通」に着いたとき、東急から(横浜駅から)乗り越したとして、改めて精算しなければいけない。

かつて相模原市議会で、八王子バイパスの料金が250円なのは、余りにも高いのではと、発言した議員がいた。役所の担当者は、それを道路公団に伝えたらしい。

もちろんそれのみで解決はしないが、鉄道会社だって、必ずしも利用者の意見を常に聞いているわけではない。悪意がなくても、結果利用者に不便をかけていることもある。

繰り返しだが、政治が関与していいことと思う。県政に参画したら、早速意見を言っていきたい。


2006年06月01日(木) クールビスは好きでないが楽

この仕事は、基本的にネクタイ着用だ。真夏でもそうする。しかし昨年は小泉総理のお陰もあって、私も便乗し、初めてクールビズにした。

今年はどうしようか、今でも迷っている。確かに楽であること間違いなく、周辺にも重圧感を与えないらしい。また環境問題が発端だけに、政治的にも意味がない訳ではない。

しかし正直好きではないのだ。ワイシャツをしていて、上着を着ない状態が、何故かソワソワしてしまう。社会人になって、まだ十年少しだが、スーツが体の一部になっている。

地域経済紙に、ある洋服屋さんが広告を出していた。そこには店主(社長)のクールビズに対する、厳しい指摘が書かれている。普通ならまだしも、外交場面でまで、ノーネクタイな総理は良くないというのだ。他にない論調なので、貴重なご意見だ。

さてどうしようか、暑い日が出てきた。今しばらく考えてみる。それまでは熱くても、ノーマル仕様でいく。


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