てらさき雄介の日記
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2006年03月31日(金) 北朝鮮旅行記38度線

朝は別用のため駅頭は中止。

北朝鮮の妙香山は景勝地と言われているが、実際は特に変わった山ではない。ハイキングコースがあるから観光地になっているのだろう。山のふもとに国際ホテルがある。平壌に比べるとかなりランクは落ちる。

1Fにバーがあり行って見ると、バスの運転手さんが一人でくだを巻いて飲んでいる。これはいい機会と隣に座ったが、そそくさと部屋に帰ってしまった。カウンターにいたバーテンも余り話してくれない。外国人と不必要に接することは好ましくないのだろう。

この地では「普賢寺」という仏教寺院にも行った。旅行者に対して「北朝鮮にも信教の自由があるのだ」とアピールするための施設だ。元々思想信条の自由はないのだから、当然現地信者の姿は見えない。ただ坊主のみいるだけだ。

他にもばかばかしい施設があった。「国際親善展覧館」だ。お城のような立派な建物が2つあって、ひとつは金日成、もうひとつは金正日用だ。これは彼らが諸外国から贈られた貴重品が保存展示してある。つまりは博物館だ。

大分時間をかけて見学したが、大したものはない。日本からの贈り物は、(疹蹐離船絅船Щ彖枦磴鯡呂靴臣狼綉掘米本・大日貿易株式会社および船舶「大日丸」船員一同)、五重の塔の模型(衆議院議員・・・何故か名前はない)D瓩粒櫃閏粥米本船舶「東陽丸」金日成社会主義研究会会長)だった。記録ミスで他にもあったかもしれない。

平壌に戻った。遊園地のあるモランボン公園や、シャンデリア付きの地下鉄駅などを見た。後日数人でホテルを“脱走”し散策したが、そこで見た地下鉄駅は普通だったから、見世物専用の駅をしつらえているのだ。「平壌地下鉄」という立派なパンフまでもらった。

小学校にも行った。それぞれの机にパソコンが設置されている。そんなはずないだろう!と皆思うが、これが‘ショー’であることは知っている。野暮は言わなかった。体育館で子どもたちが歓迎の踊りをしてくれた。これは嬉しかったが、素直に喜べないのはマスゲームを連想するからか。

夜はサーカスを見学した。会場は大きな演劇ホールで、観客のほとんどは北朝鮮軍人だった。周辺に聞くとかなりハイレベルらしい。

さて翌日は板門店(38度線)だ。かつて韓国側から行ったことがあるが、その際向こう側に北朝鮮の施設と軍人が見えた。言い知れぬ不気味さと興味を覚えたものだ。

せっかくなので板門店(38度線)について、韓国側と北朝鮮側とがどう違うのか書いてみたい。

一、誓約書
・・・韓国側は参加者全員に、「戦地なので死んでも文句言わない」というサインをさせられる。北朝鮮側では何もない。

一、昼食・・・韓国側は米軍施設内レストランで下駄ステーキを食べる。北朝鮮側にはない。

一、見晴らし・・・北朝鮮側の方がいい。高台から停戦ラインと向こう側がよく見える。

一、雰囲気・・・意外にも北朝鮮側の方がのどかだ。北側の方が兵員配置は多いはずだが姿は見えない。韓国側は戦車があったり軍人の部隊が走ったりしている。また韓国側では終止軍人付きの行動だが、北側は集合時間を決めて自由に散策できる。

一、38度線上での対応・・・南北境界線上の会議場などは同じように入れる。「今南側から人が入っているので待ってください。次は北の番ですよ。」という感じだ。

一、写真・・・これも意外なことに北側は一切規制がない。一方韓国側は規制が多い。

一、相手国への批判・・・韓国側は、対岸にある北朝鮮の村について(立派な建物で平和村と言う)「実際は人が住んでいない見世物だ」と批判する。北側では「南はそんなことを言っているようだが、実際住んでいるのだ」とくる。この地でおこった爛櫂廛藥件瓩砲弔い討皸磴Ω解を言い合っていた。

板門店(38度線)は北側は無論のこと、南側も韓国民は行く事ができない。外国人旅行者専用のツアーなのだ。韓国ソウルの飲み屋で知り合った人に「板門店に行ってきた」と話たら、興味深そうに「どうたった?」と聞かれた。

帰りに開城で博物館見学(ここはきちんとしていた)をした。ここでは多少の自由時間があったので、ダッシュで出来るだけ遠くに言った。するといわゆる一般民家があり、普通の市民が生活している姿があった。しかし帰国後あるジャーナリストの北朝鮮滞在記読むと、一般の街なみという写真があった。まさにこの場所だった。北朝鮮の手の平ということか。

再び平壌に帰った。最後に「歓送宴」が催されたが、この後不思議な事件が起こる。それは次回。乞うご期待!



2006年03月30日(木) 世田谷で相模湖森林保全の取材

朝は番田駅頭で街頭演説。小池義和市議が急きょ参加してくれたので、ビラを配ることが出来た。

所属するNPO法人さがみはら市民会議の取材で、「NPO法人緑のダム北相模」の理事兼事務局の方とお会いした。相模原市相模湖町内を中心に、北相模の森林保全に取り組んでいる団体だ。

取材した事務所は世田谷区にある。東急世田谷線の若林駅近くだ。この方のご自宅1階が事務所になっていた。会全体として月に最低2回は現地活動をするそうだが、毎回参加する80名〜100名のうち地元住民は少ないという。逆に都内・埼玉・千葉などからが多いそうだ。

活動の中心“森林整備”だが、掃除だけしているわけではない。森の木は放っておいては育たないそうで、弱い木を抜いて栄養を強い木にまわす作業が必要とのこと。また森から採れた資源を都会に流通させ、そこで稼いだお金を森林に戻していくという循環作業もしている。

現在は神奈川県行政と協働事業も行なっているが、当初は県町含めて、役所からは相手にされなかったそうだ。地元相模湖の地主さんなどからも歓迎されずに、何度か整備する森を変えざるを得なかったらしい。

活動内容を聞いていると、実に行政や議員をうまく使っている。今日も最初に「今度活動に参加してください。皆に紹介しますよ。県議になったら活動支援頼みますね。」とサラッと言われた。

政治モードで出向いたわけではないので、逆に身分を余り出してはいけないとビクビクしていたが、この一言で安心した。世田谷という都会的感覚なのか。しかし本気で事業を実行しようと思えば、これくらいの逞しさは必要だろう。相模原の市民活動団体は、余り政治を歓迎する雰囲気ではない。

相模原市役所は森林を扱う部門を新たに設置した。しかし過去に経験がない(旧相模原市内に森林がないのだから当然)ので、多くの方の協力がなければ仕事は出来ない。

この会には1998年からの実績がある。その多くのノウハウを今後のまちくづくりに頂けるとありがたい。最後に合併に関連して質問をした。「何か相模原市役所や相模原市民へ要望はありますか?」と聞くと、「現場の智恵と行政の政策を結びつける役割を果たしたい。その手助けを。」と答えが返ってきた。







2006年03月29日(水) 縦割り行政の弊害

朝は小田急相模原駅で街頭演説。

縦割り行政の弊害が指摘されている。個々の役所内の部署が縦割りになっていることが多いが、実は国・県・市の3重行政の中にも縦割り意識がある。

結果の例として顕著なのが橋本駅周辺だ。駅北口は巨額の税金を投入して再開発を行い、商業系中心の駅ビルを建設した。一方駅南口を出ると県立相原高校がある。場所の移動が取りざたされながら、県教育委員会に現段階でその意思はない。駅から少し歩くと、県住宅供給公社の高層マンション郡がある。そして数年後には市が美術館を建設するという。

それぞれの施設やセクションには、意義やあるいは言い訳が存在するのだろう。しかし橋本駅周辺という重要拠点を、全体としてどうしたいかという意ビジョンは見えない。限られた区画内でもこの有様だから、広く県内を見渡せば言うに及ばずだ。

役所職員がそれぞれ担当ごとに仕事をすれば、結果このような縦割りになってしまうことはあり得るだろう。あくまで責任はそれを統括する政治にある。全体の整合性を考える首長と、それをチェックすべき議会だ。

4月の新年度から「市民フォーラム」という組織が立ち上がる。市パートナーシップ推進課と、市民有志が一年にわたり準備してきたものだ。その役割は行政と市民との協働を、具体的な制度や施策としていくことだ。

縦割りの弊害を排除するひとつの手法は、「横割り」の要素を加えることだ。それは「面」とも表現できるが、「地域」とも言える。例に挙げた橋本駅周辺などは、橋本住民に基本的地域像を明らかにしてもらい、それに合わせて行政の組織も組み直せばいい。

もちろんそのことが地域エゴや、特定の地域や団体に対する利益誘導になってはいけない。全体を考えるためにも、まず第一義は「地域」から始めることだ。


2006年03月28日(火) 北朝鮮旅行記∧疹躬堝

朝藤野駅で演説。距離は事務所より27km。所用時間は約1時間だ。富士急バスと山梨ナンバーの車も多い。帰りに三ヶ木近辺で、朝からやっている定食屋さんを発見。以後も愛用したい。

さて一昨日の続きだ。平壌空港に着いた。入国審査はパスポートにスタンプを押さない。別紙に押して挟んでおく。帰りはそれを返すだけだ。かつてイスラエルで同じ経験をした。イスラエルのスタンプがあると入国できないアラブ諸国があるから、気を遣っているとのことだった。確かに北朝鮮のスタンプがあれば、アメリカや韓国は入りにくくなるかもしれない。

空港の中は全体的に暗い。明かりが付いていない所もある。節電だろう。空港にいるのは政府関係者が多いからか、胸には金日成バッチが皆ついている。注意深く見たが息子金正日バッチを付けている人はいない。(既に金日成は死去している)

日本製の旧い観光バスが迎えに来ていた。以後このバスで国内を移動する。市内まで40分くらいだったろうか。移動中は興味深々で街並みを見る。社会主義国特有のコンクリート作りのせいか、街に色が余りない。車は少ない。トロリーバスはたまに見かけるが満員だ。信号は付いている交差点もあるが、ランプは付いてなく手旗信号だ。(結局旅行中一度もランプの付いている信号は見なかった)日本と反対の右側通行だ。

ホテルに到着した。高麗ホテルという国際ホテルだ。かなり高層で諸外国の同クラスより立派かもしれない。一人でツインの部屋にチェックインした。一部屋おきに泊められたのと、部屋に等身大の大きな鏡があったので、旅行者間では盗撮か?と冗談を言っていた。しかしまさか各国マスコミなどもいる国際ホテルでそんなことはあるまい。

夕食は「歓迎宴」だ。中国と同じ命名だ。この時ばかりではないが、かなり立派な料理がたくさん出た。食い倒れ系だ。チョゴリを着た配膳係がいるが、綺麗な人が多い。‘選考’されているのだろう。(もちろんこれは日本でも同じかもしれないが)

さて北朝鮮では個人旅行はできない。してもいいことに制度上はなっていると、北朝鮮政府は公式には言うが、治安と案内の名目で多くの爛イド瓩付いてくる。このツアーは日本人29人に対して、基本的には総連系旅行社のガイド1名と、北朝鮮外務省の2〜3名が常に同行した。

しかしホテルの中では一々付いて来る訳でもないので、ある程度は個人行動も出来た。元々集団旅行は苦手なので、食事などが終わるとさっさと居なくなる。この日は最上階のバーに行ってみた。最上階自体が回転するバーだ。市内を一望できる。夜だが明かり輝く夜景はない。本当に暗い。時々階下でフラッシュのような光が焚かれる。旅行者が誰か写真でも撮っているのだろう。

このバーには北朝鮮のお客もいる。飲み物やチェージは日本と変わらない値段なので、かなりの金持ちだろう。しかも若い人が多く、噂で聞く朝鮮労働党幹部子弟と推察した。またここに来ている経緯まで聞かなかったが、在日朝鮮人も多くいる。ブローカーっぽい人とも話しをした。また在日朝鮮人学校の団体がスポーツ大会で滞在もしていた。

部屋に帰り試しに日本に電話してみた。友人の携帯電話だ。「今北朝鮮」と言ったら驚いていた。テレビは3番組くらいやっていた。国営ニュースと時代劇のようなものだ。ニュースは金正日と軍隊が多い。時代劇は日本統治時代のものだ。これも噂どおりだ。

翌日は市内観光だ。最初は金日成が生まれた場所と言われている万景台。藁葺きの家が立っていた。子どもから大人まで、多くの北朝鮮の人が見学に来ていた。整然としていて社会科見学のようだ。このツアー唯一の集合写真をこの機会にとった。

さて写真とビデオだが、基本的に規制はない。というかそもそも撮っていい所にしか連れていかれない。各所の写真や街並みを映したビデオは自宅に保管してある。ご興味ある方はご覧に入れる。

次は凱旋門だ。パリのと同じような形だ。次はチュチェ思想塔、そして有名な金日成の銅像だ。この「門」「塔」「像」はいずれも世界最大だそうだ。それぞれ現地に説明する人がいる。日本から同行してきたガイドが通訳することもあるし、現地の人が日本語を話すこともある。塔のガイドは「小林」さんという日本人だった。拉致被害者を日本人の前に出すわけはないから、北朝鮮にわたった日本人妻のひとりだろう。

金日成の銅像では、厳粛な音楽が流れていた。北朝鮮製クラシックというか、葬送曲のようなものだ。ナチスもそうだったが、音の効果は大きいと思う。この時もかなりの時間この場所にいたが、段々と悲しい気分になってくるのが恐ろしい。ここでは皆で一緒に献花を要求される。躊躇していると、同行ガイドも心得ていて、「ここは北朝鮮の人にとっては大切な場所なので、儀礼としてお願いします」という。国際ルールとしては理解できる。

そんな時ツアー参加者の日本人一人が、朝鮮流のひざまずく姿勢での挨拶を、銅像に向かって始めた。挨拶というか焼香というか、金日成への哀悼の意を表し始めたのだ。これは何事だと皆で驚いていたら、実は日本に帰化した元在日朝鮮人とのこと。奈良県の某市で議員をしている人だった。この人は日本生まれとのことだが、親の祖国に初めて来たと言って涙を流していた。

昼食は冷麺だ。有名な平壌冷麺の元祖と言っていたが、残念ながら味音痴な私はよくわからない。食べた冷麺屋は貴賓館のような立派な建物だった。外には北朝鮮の人も並んでいたので、少なくとも平壌市民は食べることも可能らしい。

さて北朝鮮ツアーでは、平壌と開城は必ずコースに入っている。プラスαとして、いくつかの観光地が設定されている。私は「白頭山」という綺麗な山上の湖で金正日が生まれたとされている場所(実は嘘であることが定説)を希望したが、日程の都合で「妙香山」という散策が出来る場所になった。冷麺を食べた後、ここ向かってバスを走らせた。

さて今日はこの辺りで止めるが、北朝鮮ツアーに参加しているのはどんな面々だろうか。まず自分や身内が北朝鮮と関係がある人。上で書いた銅像で泣いていた方などだ。次に純粋に朝鮮文化に関心がある人。平山郁夫云々と関連の本を持っている人もいた。但し古墳などはコースに入っていなかったのが。更には北朝鮮オタク、社会主義国オタクのような人だ。そして世界中色々な変わった所に行くのが好きな秘境系。

私自身は旅行記,任盻颪い燭、外国で見かける「日本」に興味がある。北朝鮮は良くも悪くも「日本」だらけだ。この点についても明日以降は書いていきたい。








2006年03月27日(月) ある県議の引退

朝古淵駅に行くと、ある議員の旗が既に立っていた。基本的に早いもの勝ちがルールだ。駅を代えるしかない。そこでJR相模原駅に移動すると、何と!我が党のツルネン・マルテイ参議院議員(全国比例区)がマイクを持っている。致し方なく予定を変更し、朝しかやっていない某集会に顔を出した。

さて昨晩のことだ。ある有力県議が引退を表明されたと、党の友人がわざわざ教えてくれた。とても驚いた。そして今日一日活動していると、全く別の方々数人から同じ話を聞いた。この手の噂は非常に早い。

この県議にはご近所ということもあり、市議時代から大変お世話になっていた。先日も合併記念式典でお見かけしたが、とてもお元気そうだったので、まさに惜しまれての引退だろう。政治家の出処進退とは、このように潔く淡々でありたいと思う。

党派や年齢は違うが、同じ相模原市を愛する人間として、その思いを引き継ぐ気概は持っていきたい。まだ任期は一年あるが、長年のご労苦に敬意を表したい。

さて昨今世代交代が進んでいるが、結果必ずしも良い変化だけおこっているわけではない。政治家の存在と言葉が、年々軽くなっているのを感じる。若手だからこそ肝に銘じたい。


2006年03月26日(日) 北朝鮮旅行記〃于

金正日の料理人をやっていた日本人がテレビに出ていた。著書の‘金正日の料理人’は以前に読んだので、その歩んできた経過については承知していた。

日本と北朝鮮は非常に関係が深い。ここまで政府同士が険悪でも、やはり隣国なので民間・経済レベルで嫌が応にも関係が出来てしまう。実は旅行なども誰でも行くことが出来るのだ。

そこで余り人に話したことはないが、今から9年前に約1週間北朝鮮を旅行したことを記したいと思う。迷いもあるが、書く以上は記憶の限り包み隠さずいきたい。

過去色々な国に旅をした。1ヶ月以上滞在した国もあれば、2〜3日で失礼した国もある。行った先で感慨を覚えるのは、“日本”を発見したときだ。日本の文化や日本人、日本に関する様々な物を目にしたとき、そこに至る経過と歴史に思いを馳せる。その意味では、遠い国より近くの国の方が旅は楽しい。

中国や韓国、フィリピンやタイなど再び行きたいと思うし、未知の隣国である北朝鮮にもいずれ行ってみたいと思っていた。今でこそ関連の本も出版されているが、当時はほとんど情報がない。何だかんだと先延ばしになっていた。

転機を迎え市議になって、時間のやり繰りを自分の責任で出来るようになった。この機会を逃すとチャンスがないと思い、北朝鮮行きを決意した。

以前新聞で北朝鮮旅行の記事が出ていたのを覚えていた。それはJTBのツアーだった。早速電話してみると、現在はやっていないという。一応理由を聞いてみると、「先方の受け入れ体制についてのコミュニケーションが採り難く、お客もそんなには集まらない」とのこと。

これは想像だが、この時期は金日成が死去して数年経った頃だ。日朝の政府間の交渉は凍結状態だった。JTBは元政府出資の特殊法人で、今でも行政機関との関係は深い。政府を無視する形でのツアー実施は難しかったのかもしれない。

次に外務省に電話した。旅についても情報くらいは持っているだろうと思った。するとさずがにパスポートを発行している官庁だ。ツアーを企画している会社を教えてもらった。「朝鮮総連系の中外旅行社と言います」とのこと。

総連系という響きに危惧も感じたが、まさか旅行者をどこかに連れ去るわけでもあるまい。さて電話番号だ。当時はネットで調べようと思うほど、パソコンは普及はしていなかった。ウィンドウズ95が出た頃だ。104で聞くと何故か番号がない(記憶違いの可能性あり)。そして朝鮮総連に電話した。

電話は当然朝鮮語で出る。「日本語話せますか?」と聞くと、そのまま日本語で「大丈夫」とのこと。そこで中外旅行社の番号を聞いた。更に今度は旅行社にTEL。早速パンフの郵送を頼んだ。

送られたパンフを見ると、不定期だが確かに北朝鮮各方面へのツアーがある。そのなかで約1ヶ月後に出発するものを見つけ、再度電話し参加可能か問い合わせた。記載の締め切りは多少過ぎていたが、「ギリギリ大丈夫」とのこと。

さてツアーだが、だいたい1週間位の行程が多い。料金は20万円〜30万円位だ。海外旅行にしてはかなり高額だ。訪問先は平壌など主要都市いくつかに限られている。

そしてルートは以下の3つだ。
1、成田→北京→(この間は飛行機も列車もあった)平壌
2、新潟→ウラジオストック→平壌
3、チャーター便

そんなに長い期間行けるわけではない。隣国に行くのに中国やロシアを経由するのも何なので、多少料金は高いがチャーター便コースに決めた。旅行者と他の目的の渡航者を合わせ、朝鮮総連がチャーターしていたのだ。

いわゆるビザも総連系の旅行社だったので簡単だった。他のルートで取得を目指すと、何だかんだと日数がかかることがあるらしい。パスポートも新しいタイプに変わっていたので、そのまま使えた。(以前のパスポートには北朝鮮には行けないことが明記されており、その際は別途渡航許可証を日本政府からもらっていた)

出発は名古屋空港だ。日本の真ん中という地理と、空港使用料が安いためと推察した。名古屋空港は遠いが、新横浜から新幹線なので、時間的にはそんなにかからない。成田とそう変わらない。

荷物は不本意ながら大きくなった。「北朝鮮の人にとって大切な場所に行くので、きちんとした格好も持ってきてくれ」と言われていた。

名古屋空港では空港内バスで飛行機まで行く。そこで待っていたのは北朝鮮国営高麗航空の飛行機だ。旧ソ連のツポレフ製だとすぐにわかった。

ほどなく出発した。機体は旧く座席シートのクッションも薄くなっていた。機内食は通常のものと変わりなかったが、塩や胡椒の袋はハングル表記だ。総連系の食品会社でつくったものだろう。機内アナウンスは朝鮮語と日本語だ。

機内食を食べ、しばらくするとアナウンスが流れ、もうじき着くと言う。本当に近い。平壌空港の所在地は郊外らしく、機上から見て周辺には何もない。他にも飛行機が停まっているのが見えたが、動く気配もなく人影もない。

着陸して真っ先に目に映ったのは、空港正面に大きく掲げられた金日成の肖像画だ。

(つづく)




2006年03月25日(土) もし共産党がいなければ

過日の堺市長選挙(日記9/25〜10/2に記載アリ)に立候補した森山浩行氏が来相した。相模原まで来たのは他ならぬ私が呼んだからだが、元々横浜市長選挙の応援予定があったとのこと。

さてその選挙だが、現職の再選はほぼ確定的だろう。何せオール与党対共産党だ。4年前のあの熱狂が嘘のようだ。しかしそれでも選挙を行なうことは大切だ。

今回支持率の高い現職に対し、候補者を擁立したのは共産党のみだ。オール与党対共産党の構図で行なわれる選挙は、全国の首長選挙では非常に多い。各党・各会派が対決する議会の選挙とは違っている。

昨年の相模原市長選挙のときにも散々書いたが、このオール与党の構造こそが、日本の地方自治を停滞させ、結果選挙の定投票率も生んでいるのだ。

もちろん地方自治だから、全国すべての地域にあてはまるわけではないが、選挙を行なっている以上は候補者はたくさん出た方がいい。また少なくともその地域に根を張ろうと思う政党は、積極的に候補者を擁立すべきだろう。

もし共産党が候補者を擁立しなければ?結果無投票当選する候補が非常に多いはずだ。選挙自体が行なわれないのだ。しかも最も権限のある首長の選挙においてだ。

自分も経験したことだが、選挙に敗れたときのダメージは大きい。候補者も政党も、何よりも応援して下さった支援者もだ。共産党だって大半は負けだから、都度多少のダメージは受けているだろう。それでも候補者を擁立していることについては、思想信条の違いを越えて敬意を表したい。

しかしオール与党対共産党では、どこまで行っても信任投票の域を出ない。今回の横浜市長選挙の結果も、恐らくは圧勝だろう。

そこで民主党の役割は大きい。二大政党を標榜するなら、基本的には全ての選挙に候補者を擁立すべきだろう。ましてや主義主張が違う首長候補まで、他党と相乗りしている姿は情けない。

来年の県議選と同日には県知事選挙が行なわれる。神奈川は幸い知事が民主系だから、ここでは自民の皆さんが候補者を出してくれることを期待している。それともあれだけ批判している知事に相乗って来るのだろうか。

以上の通りだが、今回の横浜市長選挙で党が支援した現職は、応援するに足る候補だ。元々民主党推薦の代議士だったし、行政改革の方向性も正しい。次の任期に期待している。


2006年03月24日(金) 藤井裕久先生と 番外編

矢部南口で朝駅頭。風が冷たい。

昨年9/14〜9/22の間に「藤井裕久先生と」と題し、この日記で藤井先生との思い出を書いたが、その番外編だ。

読売新聞に“時代の証言”という連載がある。現在執筆しているのは、元内閣官房副長官の石原信男氏だ。旧自治省の出身者である。現在も地方自治に関わっていて、先日の合併記念式典にも来賓として参加していた。

内容は戦後の地方自治の変遷についてだが、非常に興味深く読んでいる。昨日は「地方交付税と赤字国債」についてがテーマだった。

時は1970年代。オイルショックで税収が急減し、特例公債(赤字国債)を初めて発行した時の記載がある。そこに藤井先生の名前があった。


〜以下抜粋〜

 75年度になると、景気は完全に失速します。補正予算を組む秋の段階で、国も地方も当初に見込んだ税が入ってきません。

 国が大量の赤字国債を発行するのはこの時です。地方交付税も予定していた総額が確保できません。

 「どうしようか」と、大蔵省の地方財政担当の主計官だった藤井裕久さんが私の自宅を訪ねて来ました。細川内閣で大蔵大臣になる元・民主党幹事長の藤井さんです。

 2人で相談した末、緊急策として、地方交付税の不足分を国と地方で借金をする案をそれぞれの上司に提案しようということになりました。

 結局、これが実現するのです。

〜以上抜粋〜


実はこの話を藤井先生から直接聞いたことがある。いつ何の機会だったか覚えてない。赤字国債否定論を述べた私に対して、その通りだと頷きながら参考のためにと当時の経緯を話されたのだ。

二度にわたるオイルショックを回避すべく、その名の通り‘特例’で発行された国債だった。そして当時の政治は自制し、1980年代には財政再建を行い、残高は確実に減っていく。

再び赤字国債が台頭したのは、記憶も新しいバブル崩壊以降だ。景気対策という名目で大量発行された。この記事にもあったが、現在残高は52兆円にもなる。しかも結果景気は回復していない。

政治は柔軟でなければならない。当時藤井先生たちが赤字国債を発行したことは、判断として誤りではなかったと思う。しかし‘特例’であったものを日常的にしてしまったのは、今の政治を覆っている惰性そのものだ。

先人の智恵をより良く発展させることは大切だが、曲解し悪用してはいけない。


2006年03月23日(木) 横浜市長選挙事務所訪問

原当麻駅北口で朝駅頭。

横浜市長選挙が行なわれているが、党支援候補(候補者の希望により推薦などの機関決定はしていない)の事務所を訪問した。期間中なので例によって候補者名は書けないが、ご推察頂けると思う。場所は関内馬車道の県立歴史博物館前だ。

構図は政党相乗りで特に面白くはないが、学生時代からの友人が2名常勤しているため、まさに陣中見舞いという感覚だ。また相模原でお世話になっている方から、この候補者のマニフェストを頼まれていたこともある。

帰りの電車のなかでそのマニフェストを読んだ。国政選挙のマニフェストや、あるいは首長選挙でも新人の場合は、時として言いたい放題のマニフェスが散見される。しかし現職横浜市長となればそうはいかない。数値を入れたものについては、次の任期で必達しなければならない。

つまりここに書かれていることは、今後4年間で実現される見通しということだ。非常に興味深く読んだ。そして内容には多くの点で革新的提案があった。

特筆すべきは「複数年度予算の編成」だ。かつて市議時代に同趣旨の一般質問をしたことがある。しかしこの時は、複数年度予算つくること自体は不可能と考えていた。あくまで単年度予算の弊害を指摘し、その対策を提案したのみだった。

兆の単位である横浜市予算を複数年度で編成することは、全国の自治体に良い影響を与えると思う。何故なら元々政令市は国からの支援が大きい分、不安定で予測が難しいのだ。また予測と違ったときのズレも、規模が大きい分当然巨額になる。

但し財政法の規制で本予算化は難しいだろうから、中期目標を定めた指標というところだろう。それでも画期的だ。そもそも単年度でやり繰りすることの方が無理があるのだ。

他にも多くの項目が公約としてあったが、横にそれにかかる予算も例示してあった。「○○を実施します・・・△△円」という具合だ。その数字を見ると、百億単位もザラだ。明らかに相模原市とは規模が違うことを実感する。

前原党代表が政令市選出の県議不要論を述べた。せっかくなので意見を書こう。数年前に地域コミュニティ誌“アゴラ”からアンケートを受け、その中に同様のテーマについての問いがあった。ここにもはっきり答えたが、私は前原代表の考えとは違う。

政令市選出の県議がいらないという発想は、県議が自らの選挙区の仕事を中心にするという前提に立っている。しかし県議は県全体のことを考えるのが仕事で、横浜市☆☆区選出の県議だから☆☆区のことだけやるわけではない。

もし現状が☆☆区のことのみやっているなら、そのあり方の方を変えなくてはならない。また政令市の市民も、他と同じく県民税を納めているわけだから、その使い道についてチェックする権利があるのも当然だ。

ただし現在の政令市と県の関係が、このままで良いとは思わない。政令市にも色々あるが、横浜のような市は県から独立してしまえばいいのだ。これは暴論ではなく、昭和31年に政令市を創設するときには、この意見少なくなかったと聞く。しかし都道府県制度を根本から変えることになるため、政府が及び腰になったそうだ。

先日の合併記念式典でも、「自立都市」という言葉が簡単に出ていた。もちろん相模原市も神奈川県もそれを目指すべきだが、困難な壁をいくつも越えていかなくてはならない。日本一の横浜市ならば出来るということを、全国のモデルとしてどんどん実行して欲しい。





2006年03月22日(水) 津久井総合事務所と本陣

橋本駅南口で朝駅頭。

NPO法人さがみはら市民会議の取材で、相模原市役所津久井総合事務所(旧津久井町役場)を訪問した。看板やネームプレートなどは相模原バージョンに変わっていた。見渡しても知っている顔はいなかったので、職員の移動は最小限にしたのかも。

旧津久井町の市民活動について情報が欲しかったのだが、直接の担当者は移動後のため資料と概略のみ聞いた。市民活動支援については、基本的に市役所本庁に仕事が移るらしい。

相模湖総合事務所にも電話してみたが、こちらはそもそも市民活動支援の施策を、特には採っていなかったようだ。相模湖在住のNPO法人のみ教えてもらった。

お話を聞いてみると、総じて混乱している印象を受けた。合併直後なので致し方ない面もあるが、福祉や教育分野などを考えると心配もある。これも普段言っているところの、編入する側(旧相模原市)の責任だ。

さて以前からの知人を訪ねて相模湖へも行った。せっかくなので、合併記念式典でも紹介されていた、「小原宿本陣」に寄ってみた。本当に古い。歴史的価値がある。大名宿と言っても質素なものだ。

その後近くの記念館にも行った。ここは「小原の郷」と言って、表看板はきちんと‘相模原市’に変わっていた。小原宿と甲州街道の歴史が解説してあり、民芸品なども置いてあった。

今晩の後援会会議で初めて支援者の方に、選挙区に津久井も入ることを報告する。本当に不安だがやるしかない。でも今日も行ってみて思った。本当に津久井が好きだ。


2006年03月21日(火) 祝・野球世界一

野球が世界一になった。素晴らしいことだ。印象的だったのはイチローだ。勝ったときも負けたときも、日本人むき出しでコメントしてくれたのが嬉しい。次回は松井もしっかり出なさい!

WBCはアメリカメジャーリーグの企画だ。アメリカの野球も人気に不安があるそうだが、その対策を世界対抗戦に求めたことはアメリカの良い部分だ。感謝したい。審判の問題などでクレームもついたが、勘弁しなければなるまい。

最近スポーツの国別対抗が盛んだ。普段は国境なきプロの世界で、時としてこういう形の試合をすることは、ナショナリズムを煽ることとは違う。韓国やキューバの世界的な選手の顔を知っただけでも、私にとっても意義深かった。国際親善だ。

日本は野球のみでなく、サッカーも既に世界レベルだ。アマチュアが基調のオリンピックでは以前から良い成績の種目もあったが、どちらかと言うとプロスポーツでは遅れをとっていた。これからは他のプロスポーツもどんどん世界へ出て欲しい。

ただ残念ながら日本はプロスポーツが育ちにくい。アマチュアで甘んじているキラいがある。しかしやはりプロとプロのぶつかり合いほど、見ていて面白いものはない。

スポンサー企業にのみ変化を求めるのは酷かもしれない。もっと私たちもスポーツのプロ化に資金提供すべきだろう。プロとはイコールお金儲けではないのだから。

とにかく世界一は目出度いことだ。

















2006年03月20日(月) 合併記念式典の感想

相模大野駅で朝駅頭。

相模原市・津久井町・相模湖町合併記念式典に参加した。どなたでも参加可能だが、合併協議会ビジョン検討委員として一応ご案内を頂いた。

場所 相模原市民会館ホール
時間 午後3時より

一、相模原市民交響楽団によるオープニングコンサート

(→初めて聞いてが素晴らしかった)

二、新相模原市紹介ビデオ上映

(→それぞれの町を並立で紹介しただけで内容が融合していないのが残念)

三、式典

1、開会のことば

2、相模原市長式辞

3、相模原市議会議長式辞

4、総務大臣よりの表彰(代理桜井政務官)

5、表彰者代表よりの挨拶(天野前津久井町長、溝口前相模湖町長より)

6、相模原市長よりの表彰(合併協議会委員に対して)

7、来賓挨拶(桜井総務大臣代理、松沢神奈川県知事、石原中核市長会相談役、赤間衆議院議員、田村県議会副議長、桐生相模原市選出県議代表)

8、来賓紹介(主に県内国会議員と市選出県議会議員)

9、閉会のことば

以上だった。全部で約2時間だ。想像よりも淡々と進んだのは、やはり編入合併ゆえか。また議論の時間が短かったこともあるだろう。しかし津久井・相模湖の皆さんには格別の感慨があったのかもしれない。

主催者や来賓の挨拶でそれほど面白いものは無かった。もちろん式典なので奇をてらうのは邪道だが、もっと率直な言葉を述べる政治家がいてもよかったと思う。

唯一のノー原稿は石原信男氏だ。さずがと言う他ない。大手新聞に現在地方自治の変遷について記事を書いており、それと関連して含蓄のある話だった。

さて主催者側が「藤野・城山」の名前を一切出さなかったのは、慎重すぎて変だと思った。しかし神奈川県知事が挨拶の中でサラッと触れてしまったことが、後で県議会で問題にならないか松沢シンパとして心配になった。知事らしい。

また既に合併を県に申請している藤野町、そして推進派の新城山町長も来賓として呼ぶべきではなかったか。先日の城山町長選出陣式の日記にも書いたが、相模原市の対応がクール過ぎる気がした。

以下は私が民主党員だから言うのではないが、お二人については厳重注意したい。相模原市の大切な式典なのだから、もっとしっかりお願いしたい。

まず桜井総務政務官だ。総務省官僚の原稿を読んでいることは、最早言っても仕方ないことだが、その原稿や賞状自体を何度も読み間違えたのは、さずがにどうかと思う。

次は赤間衆議院議員だ。選挙で負けておいて言うのは大変恐縮だが、市内選出唯一の国会議員として、私も党派を超えて期待している面もある。もっとしっかりした話をして欲しい。心がけて多少のトレーニングをすれば良くなるはずだ。

相模原市長はやはりお体の調子が悪いらしい。しかしあの執念については脱帽だ。結果1市4町の合併が実を結んだことは、来賓の祝辞にもあったが市長のリーダーシップがあったと思う。政治家に必要なタフさを学ぶことが出来た。

市内選出県議会議員で共産党と、市民の党が欠席だった。もちろん他用があるわけではなく、政治家としての考え方で欠席したと推察する。この両名は県議会本会議で確かに合併に反対した。しかしはっきり言って大人げない。今後のまちづくりをする責任ある立場を理解すべきだ。

さて総務大臣表彰があったのにはいささか驚いた。やはり今回の合併は国策だったのだ。しかし相模原市の将来にとって間違いだったとは思わない。これからに全てがかかっているのだ。

1、経費削減
2、広域行政

この二点が合併のメリットだ。この双方についてしっかりと結果だ出せるようチェックしていきたい。






2006年03月19日(日) アジア合作は嬉しいこと

最近アジア合作映画が多い。新作「スピリット」もそうだ。今日橋本ムービックスで最後の会(21:30開始)を見た。製作やスタッフは中国(北京)がメインだが、日本からも俳優などが参加している。

まず映画評を書こう。面白かった。途中失意のうちに主人公が行くのは雲南だろうか。目が不自由な娘さんを演じていたのは良い俳優だ。広い中国の規模は凄い。

最後主人公は勝利して再びそこに戻るのかと期待したが、不幸な結末だ。映画のシーンであっても、日本が欧米と一緒に中国への侵略をしていたのが残念でならない。

さて先日見た「プロミス」も、作品自体は前評判ほどではなかったが、合作振りは凄いと思った。これは中国と言っても香港資本だが、日本と韓国からも俳優とスタッフが参加していた。

さてアジア合作で何を撮るか、製作会社も苦しい面があるだろう。上に書いた二つの作品は象徴的で、異なる国で合作すれば、結果それぞれの国が交わる歴史物か、あるいは何でもありのファンタジーが多くなるのだ。

しかし出来れば現代劇を創って欲しいと思う。現在こそ多くの国々が交わる時代だ。しかもアジア同士は文化だけでなく、日々の暮らしでも多く関わっている。

では何かと言われても、私の芸術センスは過少だ。視聴者として映画ファンとして今後に期待している。そしていずれは世界合作の時代になることも。





2006年03月18日(土) 部長最後のつとめ

消防団の部長も3月末日で終わりだが、今日は最後の‘つとめ’新旧部長研修があった。横山の中華料理屋さんで開催され、来年度の部長からそれぞれ自己紹介もあった。

津久井との合併に関連して分団役員から話を聞いた。相模原市消防団は4月1日以降「相模原市相模原消防団」と名称変更される。ちなみに「相模原市津久井消防団」と「相模原市相模湖消防団」も出来るわけだ。

相模原市の減数約700名に対して、合併する2町だけで約1000名の団員がいる。あくまで市長を指令官とする非常勤公務員の組織だが、役所が合併するからと言って、すぐには一緒になれない事情もあるらしい。

都市内分権が進んでも、消防業務は一括するほうが効率的と思う。消防団も完全合併することが望ましい。もちろん焦る必要はない。方向性だけしっかりおさえておけばいい。

明日も早いので2次会の途中で失礼したが、一年間新しい皆さんとの親交も出来て楽しかった。


2006年03月17日(金) 卒業式は誰のために

今日は母校明八中の卒業式に出た。高校卒業式に出たことは先日も書いたが、中高一貫だが卒業式は別々にする。

4月から同じ校舎の高校へ通う生徒がほとんどだから、それほど感動的な雰囲気ではない。どちらかと言えば、後ろの親御さんの方が涙を流している。

かつて市議として地元小中の卒業式もたくさん出たが、どれもなかなか感動的だ。卒業生代表が送辞を読むところはジーンと来る。

しかし振り返って自分が生徒の時代、何度か出た卒業式で感動したことがあっただろうか。友人の中には泣いている人もいたが、自分はこれからのことを考えワクワクはしても、思い出に浸るようなことはなかった。

卒業式に参加している生徒・教師・親御さん、果たして卒業式は誰のために行なわれているのだろうか。

「社会に出ればこういう式にも出なければいけない」ことを最後に教えるためにやっているのかもしれない。あるいは最近私も必要性を実感している“節目”を再認識してもらうためかもしれない。

原行に否定的なわけではないが、生徒に卒業式を司る実態がない以上、大人が常に良い式にしようと自問自答することは必要だと思う。


2006年03月16日(木) 駅頭は気分良し

駅頭をやっている。起きるとき眠いのが辛いが、駅まで辿り着くと楽しくて、あっという間に時間が過ぎる。

朝イチで仕事をすると、一日気分が良い。そして夜8時から9時くらいには眠気が襲って来る。これも健康的なことだ。

駅頭のスタイルは人によって様々だ。私はひたすら話し続ける。ビラを配ることをメインにしている人もいる。最近ではピンマイクで話しながら自分でビラを配る器用な人もいる。

駅頭を通る皆さんは朝なので忙しい。しかし話を聞いてないと思ったら大間違い。しっかり聞いている方も多数いる。中には後日内容についてご意見を頂くこともある。

さて誰でも駅に立ち、好きなことを話せる。これは素晴らしいことだ。表現の自由が制限されている国が多いだけに、日本の民主主義をつくってきた先人に感謝したい。

民主党永田氏の国会での発言が問題になっている。民主党員としては改革すべきことがあることを痛感した。しかし議会での発言について、議員がどう責任をとるべきか。その議論の方向性を間違えてはいけない。

今後の党を考えると、永田氏には自主的に辞職してもらいたいと思うが、国会全体で懲罰にかける話をしているのは異常だと思う。多少大目に見ないと、言論の封殺にも繋がってしまう。

明日は橋本駅頭に立つ予定だ。


2006年03月15日(水) 中国全人代の感想

中国全人代が閉幕した。隣国かつ大国なので注目していた。いくつか感想を述べてみたい。

まず政府からの報告については、日本よりも率直な点もあった。「○○○は上手くいっていない。」「△△△には弊害もあった。」など欠点について総理が述べている。“自己批判”の文化ゆえだろうか。

にも関わらず代議員からは批判や意見がほとんど出ない。採決も圧倒的多数で可決だ。一党独裁は健在なようだ。ただテレビ中継されるようになった分、以前よりはましかもしれない。

日本と同じく「格差」が問題になっているそうだ。元々他民族国家だし、しかも幾つかの国を武力で併合した経過もあるので、今に始まった「格差」ではないだろう。

ただし政権基盤である農民の暴動が多発していることは、共産党にとっても厳しい事態だ。天安門事件で小平は「それでも農民は騒いでいない」と事件を過少に捉えたが、今回の事態は深刻さが伝わってくる。

この体制(共産党一党独裁)はいつまで続くだろうか。確かに統治能力という点では政府や共産党幹部は優れているが、経済を自由化した先に政治の自由化がやって来ることは避けられまい。

決して欧米デモクラシーを意味するわけではないが、中国流の民主主義を採る国に一日も早く変わってほしい。私が目指す日本と中国の真のパートナーシップの最低条件だ。


2006年03月14日(火) 城山町長選出陣式参加

町長のリコールに伴い選挙が告示になった。かねてより交流のある方が立候補されたので出陣式に参加した。

隣町なので何人が知っている方にも会った。合併を推進する立場から相模原市長相模湖町長も来賓として参加していた。相模原市長も今までは他の町には干渉しない主義だったが、先般の住民投票で民意が決したとの判断だろう。

不思議なのは相模原市からは市長と市議1名(長友克洋氏)しか参加していない。これにはいささか拍子抜けした。相模原の城山に対する思いを疑われてしまう。ちなみに相模湖町からは議長他3名の町議も参加していた。

実はこのことは重要な問題だ。津久井4町で合併に慎重な方と話をすると、その理由の中に相模原市に対する不満を耳にする。吸収合併であるにも関わらず、吸収する側の相模原市の方針が見えてこないと言うのだ。

相模原市で推進派の県議や市議、あるいは関係者は、大挙して押しかける位の姿勢が欲しい。「思い」を伝えるせっかくの機会だったのに残念だ。

さて候補者の決意表明は素晴らしかった。多くの意気込みが伝わってきた。最後の町長選挙にこのような方を擁立できたことは、今後のまちづくりにとって明るい材料だろう。

この候補者の当選を確信しているが、どちらにしろ来年の合併によって町長は失職する。しかしこの方は何らかのカタチで、必ずや新相模原市政で重要な役割を果たされるはずだ。今から楽しみだ。

さてここまで言っておいて残念だが、例によって公職選挙法の規定で候補者の氏名は書けない。

以下改めてこの不備な法律の内容をご説明する。またあわせて国会には一刻も早い法改正を望む。

1、公職選挙法では、ネット上の文章と画像は全て「文書」として扱われる。(というかネットについての規定がそもそもないために、解釈上そう扱われている。今の時代を何と考えているのか!)

2、そして公職選挙法では、選挙期間中は候補者名が記載している「文書」を配布してはいけないことになっている。→国政選挙や首長選挙では例外もある。故に違反ということだ。


2006年03月13日(月) 生ゴミリサイクルの勉強会

相模原リサイクル連絡会主催の勉強会に参加した。生ゴミについてがテーマだ。生ゴミのリサイクルと言っても、当然もう一度食べる訳ではない。「堆肥」化するのだ。

生ゴミを堆肥にする皆さんの努力だけでも凄いと思ったが、それを市内の農地に有効活用してもらうまで話が行った。今日参加された方は特に熱心な方が多いと思った。

市の担当者も複数参加していた。廃棄物処理法によると廃棄物を勝手に加工してはいけないとのこと。この法は一般的には生ゴミにも適用され、つまり生ゴミをリサイクルすることは、廃棄物を勝手に処理しているとの理由で違法だそうだ。

しかしつまらない法解釈だ。現場の市職員に言うことではないので、国会と霞ヶ関に再考を求めたい。実態として良いことなのに、それを文章上は規制している。真っ先の規制緩和対象だ。

農地などの扱いにも話が及んだが、全国一律の規制をかけること(あるいは規制緩和も)は難しい。やはり地方分権だろう。

知人に誘われ初めて参加したが、全く不勉強な分野なので、話をふられたらどうしようか不安だったが事なきを得た。次回も行ってみたい。


2006年03月12日(日) 友人の結婚披露宴

友人の結婚披露宴に出席した。都内新宿の一流ホテルだ。地味な性格の方だろうが、煌びやかな披露宴はおそらく新婦の希望だろう。久しぶりに数人の同級生にも会え楽しかった。

さてこの友人は仕事でもお世話になっている。私の事務所が入っている建物はこの友人の親御さんの持ち物だ。初めて市議補選に出た際にもお借りした。

披露宴中の友人としての挨拶でも言ったが、きっかけは単なる同級生というだけだが、互いに生まれ育った街で一緒に仕事がしていけるのは嬉しいことだ。

これからも互いに頑張りたい。








2006年03月11日(土) 気が付けば、皆2世

日頃政治について多くのご批判を頂く。現在のあり方が間違っているのだから当然のことだ。しかし2世議員については余り聞かない。

かく言う私も2世批判は気を付けてする。何故なら周りにもたくさん2世議員がたくさんいるからだ。

戦後歴代総理大臣を見てみよう。尚ここで(2世)と書いたのは親が国会議員という場合のみで、他の親類がやっていたり、親が別の公職だったりした例は含めない。

以下を見る限り2世議員が増加傾向であることがわかる。

東久邇
幣原
吉田
鳩山(2世)
石橋

池田
佐藤
田中
三木
福田
大平
鈴木
中曽根
竹下
宇野
海部
宮沢
細川(2世)
羽田(2世)
村山
橋本(2世)
小渕(2世)
森 
小泉(2世)

そして次と言われている人たち

安倍(2世)
福田(2世)
谷垣(2世)
麻生(2世)

以上の面々はまだ良いほうだ。魑魅魍魎の政界で権力闘争を勝ち残った実力者だ。問題なのは名前も聞かない、まさに選挙のみ強く当選回数を重ねていく2世議員たちだ。

昨今小選挙区制になり政党選挙になったことによって、今後2世議員の割合は減ってくると思う。後援会などの私的団体を私物化することは可能でも、党組織になるとそうもいかないからだ。

問題は主権者自身が、2世だからと言ってチヤホヤする土壌だ。私が過去9年間市内で政治活動をしていて。聞かれた質問ベスト3は以下の通りだ。

1、議員って普段何をしているの?
1、何で議員になろうと思ったの?

「1、親御さんか誰かが議員なの?」


2006年03月10日(金) 寺崎英成という人

寺崎英成氏は「昭和天皇独白録」を記したことで有名だ。同書を読んでみると、外交官としても長年にわたり多くの実績を残している。

奥様はアメリカ人で日米戦争中には、そのことでも苦労されたようだ。お子さん他ご家族は、現在はアメリカで暮らしている。

文芸春秋から出版されているこの本は、後半が評論家などによる座談会が収録されていることでも珍しい。前半の独白録について、検証・論評しているのだ。

あるいは東京裁判用に書かれたという見方は正しいかもしれない。単なる思い出話にしては書かれた時期が微妙すぎるし、項目も裁判を想定している節がある。

しかし多くの政治家や軍人について、昭和天皇が率直な表現で評価していることは、当然のことだが天皇が戦前から人間であったことの証だ。興味深い。

今はもう風化した天皇の戦争責任論も、この本を読む限り避けては通れない。戦中に起こった個々の案件に、天皇はひとつひとつ判断をして結果政策決定に影響を与えている。

この独白録はアメリカの寺崎家から偶然発見された。発見したお子さんが日本と父である寺崎英成氏に愛情を持っていたから、その文書も丁重に取り扱われたのだ。

さて寺崎という姓だ。選挙中に市内の寺崎さんを全てまわってみた。約30件あったと記憶している。話してみると九州系が多い。私の祖父も佐賀県の出身だ。

同じ姓に意味があるかはわからない。しかしそこまで唯物史観にも立てないのが人間というものだろう。親近感を覚えた。


2006年03月09日(木) 民主党の好きそうな人材

ある選挙区での、ある候補者のことだ。その人と会ったある市民が「民主党の好きそうな人ね。」とその人物の評価をした。

気になったので突っ込んで聞いてみると、肩書きや経歴が立派なエリートのことらしい。確かに民主党の国会議員や候補者には、この手合いが多い。

考えてみれば不思議なことだ。現在の経済効率優先社会を変えるために政権交代を目指している。労働者層の支持を得ながら政党を組織しているのも、それ故当然だ。

碑ではないことは大切だが、もっと粗野な人材が多くいる方がむしろ自然な気もする。

ポーランドのワレサ元大統領が良い例だ。かれは炭鉱労働者から政治に転進した。東欧革命の結果大統領にまでなったが、引退後は一労働者に戻ったそうだ。一時期は炭鉱に復帰もした。

自民党を見ていると本当に逞しい。それに勝るハングリー精神が民主党には必要だろう。

もちろん肩書きが立派なことを以って、生活感がないとは言えない。最後はその人の人物次第だ。

しかしながらこの一言「民主党の好きそうな人」に、現在の私たちに対する率直な印象が現れている気がする。


2006年03月08日(水) 地方自治を考える議員連盟

神奈川県議会で「道州制」や「地方分権」など、地方自治の根幹を考える超党派の議員連盟が出来るそうだ。非常に良いことと思う。

県政に参画した暁には当然に参加したい。基礎自治体(市町村)が力を増す中でも、国は地方自治の担い手は都道府県と認識している。

これは逆手に捉えてチャンスである。地方自治の議論を国会でしている矛盾を変えて、地方自治体自らがあるべき姿を考えるために、都道府県議会が出来ることが多いということだ。

この件での県議会議長のコメントでも、財政論からのみ出た国の地方分権議論に疑問を呈している。

昨今の基地問題や民主党本部の不祥事などなど、本当に国・国会議員には腹の立つことが多い。しかし怒っているだけでは評論家だ。

今回の県議会の動きを嬉しく思い、その議論の中身が国を左右するくらいになることを望む。


2006年03月07日(火) ある市議の辞職

岩上容子相模原市議会議員が辞職した。所属は共産党で同党には珍しく20代の若い議員だ。

かつてラジオ番組に出ていた頃、“新人議員に聞く”のようなコーナーを偉そうにやった時、出演して頂いたことがある。

非常に気さくで共産党らしくない(深い意味はありません)雰囲気だった。市議会では若手として、ガンガンやってくれるものと期待をしていた。

その後市役所廊下ですれ違ったことがある。大分痩せられていて、「市議会は合わないですかね?」と冗談を言った記憶がある。

その頃から議会には出てこなくなり、2年余りが過ぎてついに辞職となった。想像の域を出ないが、私が言った冗談は的を得ていたと思う。政党か議会か、あるいは政治そのものが合わなかったのだろう。

出来るなら立候補する前に気付いて欲しかった。本人が無理ならば周りがである。共産党のようなしっかりした政党の割りには初歩的なミスだ。

2年間も欠勤していたのに急遽辞職したことについて、市長の病気療養とあわせて色々言う人もいる。その間の税金からの報酬支出は確かに無視出来ないことだ。

しかしそれでも岩上容子さんには、引き続き相模原で頑張って欲しいと思う。若手議員が一人いなくなったことが、党派を超えて悔やまれてしまう。




2006年03月06日(月) 今時市立美術館

橋本日金工跡地に市立美術館を建設する案が急浮上した。市議会の皆さんも寝耳に水ということで、市行政の真意を図りかねている。

市立美術館と言えば京都だが、ここは日本有数の美術館で出展希望者が目白押し。市役所にはそれを断る係りもいるとのこと。

市役所が運営して上手くいかせるには、役所内に美術に堪能な職員がいることと、芸術に対するしっかりした見識を持ち合わせていなくてはならない。

さて相模原市にそれがあるか。現段階ではないと言わざるを得ない。かく言う私もこの分野には疎いし、過去市議会や行政の会議で芸術論を聞いたことがない。

この状態で建設すれば、それは最初から外部アドバイザーに頼らざるを得ず、公営でありながら公の考えが反映されないことになる。

そして公共施設は、しっかり市民に使われるかがポイントだ。その意味で評価に耐えうる施設はただでさえ少ないのに・・。本当に大丈夫かと思う。

聞くところによると、数千点の絵画が併せて市に寄贈される内約があり、その作品も良いものだそうだ。土地も日金工からの無償提供というのも悪くはない。

しかし原点に返って検証する必要がある。公営で美術館を建設する必要があるのか。市役所の運営でそれが上手くいくのか。

私はNo.だと思う。現在の相模原市内には中小の民間美術館も既に存在している。オーナーが個人で四苦八苦し、市内の芸術発展に寄与している。

過去それらに対して市行政が何かをしてきただろうか。手を差し伸べただろうか。新規施設を建設する前にすべきことがある。


2006年03月05日(日) レイテ島災害募金活動

レイテ島で大規模な地すべりがあった。その募金活動をJC(青年会議所)で行なった。仕事のため遅れて、約1時間のみ参加した。

相模大野駅デッキ上は、相変わらず多種多彩な皆さんがいるが、その中でも目立っていたと思う。中年の男性がこの種の活動をやっている姿はなかなかない。

募金や献血などの活動はやっていて気分がいい。明らかに誰かの役に立っているからだ。恐らくどんな仕事をしている方でも、それが社会に貢献しているのか悩まれるときがあると思う。

意外と思われるかもしれないが政治家もそうだ。政治家も公務員も世の中の役に立つのが前提の仕事だが、実際やっていると果たして?と自問自答することが多い。

今日の募金などは明らかに善意だという活動なので、気恥ずかしさも覚えることもあるが、その感覚は誤りでどんどん慣れていきたいと思う。

さてフィリピンでは先日まで非常事態宣言が出されていた。クーデターの恐れありと大統領は言っていたが、富裕層の代表である現政府に対する不満は地方部で特に根強いと聞く。

マルコスのフィリピンでの評価は知らない。しかし彼を打倒したのは民意とともにアメリカであった。現フィリピン政府も外国に踊らされることなく、自国の福祉向上にもっと頑張ってもらいたいと思う。

日本はご近所ということもあり経済関係が深い。日本でもフィリピンの人を見かけるし、フィリピンでも普通に日本人を見る。嬉しいことだ。

今後も両国が多くの分野で協力していくことを望む。


2006年03月04日(土) 渡部恒三さん

メール問題で辞任した野田国対委員長に代わって、ベテランの渡部恒三さんが後任になった。73歳というから民主党では最高齢の議員だろう。

この人は与野党ともに評価が高い。それは人柄だけでなく経験が物をいっている。かつて竹下7奉行と言われた面々も、ほとんどが鬼籍に入るか既に政界を引退している。

その中でかろうじて現役だったのは小沢・羽田・渡部のみで、全員偶然にもこちら側(非自民側)にいる。しかしこの皆さんも既に峠は越え、いわゆる顧問格の扱いであった。少なくとも昨日までは。

渡部氏を現役に引き戻し国会の最前線に戻したのは、党本部がそこまでの窮地だったということだろう。私は野田氏がダメなら他の若手を、それでもダメなら他の若手をと考えていたが、昨今の未熟な民主党に対する世論の批判も謙虚に受け止めなくてはなるまい。

このベテランに期待するしかない。しかしながら自民党の国対委員長を経験したことをもって、政府内からも歓迎されている趣があるが、当時と同じことをする必要はない。あくまで民主党らしい国会対策をすべきだ。

最後だが私は渡部恒三さんが大好きだ。よくも今までこちら側で踏ん張ってくれた。感謝している。前々回は無所属だったのに、前回はあえて党のために公認候補になってくれた。

秋の代表選挙には小沢一郎代議士の名前も取りざたされている。些か昔の名前で出ているきらいはあるが、その機会に最後のメッセージを後進に残してもらえるとありがたい。

昨今だから若手はダメだと言われているのが悔しい。前原氏も任期は残り僅かなのだから再選など意識しないで、思い切ってガンガンと行動してもらいたい。


2006年03月03日(金) 県庁の星

現在ヒット中の「県庁の星」を橋本ムービックスで見た。夜半の会だったので客も少数だ。それでも3名の友人・知人に出会ったのは嬉しいことだ。

さてこの映画は、映画と小説と漫画とを一緒に宣伝する商方が採られた。漫画は見たことがあるが、基本的にコメディーでかなり笑える。しかし映画は感動系だった。

正直作品としてはそれほどではないが、今後神奈川県庁を相手に仕事をすることを志願している私としては、とても興味深い内容だった。

公務員の特徴をよく捉えていると思った。一方これほどエリート意識の高い人間が県庁にいるならば、そういう人と対峙することも楽しみと思った。

中には動機が出世欲か権力欲という場合もあるだろうが、それでも仕事に気合が入っていることは嬉しいことだ。過去に霞ヶ関の官僚達に会ったときに感じた、あの迫力を神奈川県庁でも見てみたい。

相模原市議会時代に悲しかったことは、市職員が慇懃無礼をすることだ。丁寧に出来ないということを表現する。私は議論がしたいわけだから、出来ないなら出来ないとはっきり言えばいい。

この映画のなかでも、見ていた私を含む大方の期待を裏切って「前向きに検討します」という知事の発言が最後に出てくる。

どの職場でも独特の雰囲気はあるものであって、役所だけが変わっているわけではない。また税金で食っている公務員としての自覚がある方にも、多く出会ったことがある。

主権者たる皆様には、厳しい指摘は常に頂きながらも、必死に行政改革に取り組んでいる職員たちへの暖かい眼差しも是非お願いしたい。


2006年03月02日(木) 津久井町議会最後の日

津久井町議会が50年の歴史に幕を閉じた。5人の議員から質疑を受けたことに、町長は一括して涙ぐみながら1時間の演説をされた。思想や信条の違いを超えて、歴史とは心に感じ入る何を訴えてくるものだ。

津久井町は尊敬する尾崎行雄の出身地で、他ならぬ天野現町長もその親類だ。伝統を大切にする慣習と、新しく革新していく風潮とを併せ持っている津久井が私もとても大好きだ。その津久井と合併できることを相模原市民として誇りに思う。

そして繰り返して言っていることだが、吸収される側の気持ちを十二分に考える今後の相模原市政であって欲しい。お荷物扱いは論外として、新総合計画の策定にも最大限の敬意をもって取扱いをすべきだ。

神奈川県行政においても、県内唯一の合併であることから、支援体制が組まれている。現在言っているような「合併によってサービスが低下しないように」は当たり前の話として、それによって「サービスが向上する」ようにしっかりと監督する責任がある。






2006年03月01日(水) 卒業式での挨拶

母校の卒業式で校友会(卒業生の会)会長として挨拶に立った。以下その内容である。

「在学中何をしていたかは多く記憶があるが、その時々に何を考えていたかは忘れてしまったことが多い。その中でも幾つか今でも印象に残っていることがある。

 一つは通学だ。相模原市の上溝からスクールバスの出る西八王子まで4、50分。バスに乗ってから更に4、50分。地元の公立ならばもっと時間が有効に使えたのではと思っていた。

 次はバスケット部に所属していたことだ。友人では上手なメンバーもいたが、自分自身はそれほど上達はしなかった。時々辞めようかとも思ったが、友人もいるし、ここまで頑張ったのだからと思い、最後まで活動をした。

 更には試験勉強だ。試験前に夜中まで集中的に勉強する。もう少し早くからやっていればと情けない思いもした。

 最後がこの卒業式のことだ。もうこの学校に来ないのかと思うと感慨もあったが、寂しさや悲しさはなかった。むしろここを出た後の世界について、期待に胸を膨らませ武者震いのようなものも覚えた。

 ふと見渡すと卒業する皆さんよりも親御さんに年が近くなっている。私は第4期の卒業生、皆さんが第20期の卒業生だから、大学生活を入れると16年間社会のなかで生きてきた。たったこれだけで言うのも恐縮だが、率直な感想を言えば、社会で生きていくことはとても面白いし充実している。子どもの頃、高校生の頃想像をしていたよりも何倍も面白い。

 何が面白いか。人生の主人公が自分自身であることは生まれながらに誰でもそうだ。しかしこれからは主役だけでなく、演出、脚本、監督、など全てを自分自身ですることができる。これほど楽しいことはない。

 しかし逆に言うならば、これらは出来るのではなく、しなければならないのだ。主役を張り続ける意思と信念を失ったとき、そこから自分の人生ではなくなってしまう。残念ながらそういう人を多く見てきた。皆さんが自分の人生を歩んでいってくれることを期待している。

 私は明治大学在学中に雄弁部で活動していた。その部訓というか基本方針のようなものがある。和而不同(わしてどうぜず)という漢語だ。人と仲良くすることは大切だし、そうしなければ社会は成り立っていかない。

 しかしそれは人と同じくすることを意味するものではない。今も仕事場にこの文字が飾ってある。繰り返しだが卒業生の皆さんが自分自身の人生を歩んでいくことを期待している。」


てらさき雄介 |MAILHomePage