てらさき雄介の日記
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2005年12月31日(土) |
一年間お世話になりました |
現在12月31日、午後6時30分。
午後8時からは、消防団歳末警戒の最終日だ。
現在作業服に着替えた上で、事務所でパソコンを打っている。
今年は色々あった。
いや今年‘も’と言うべきか。
嫌なこともたくさんあったが、良いことも同じ位あった気がする。
来年が多くの地球人にとって、良い年であることを望む。
近いうちに、相模原市内で政変が起ると、多くの方々が予想している。
一喜一憂することなく、政治家としての信念と仕事を全うしていきたい。
政治の最終目標は世界平和だ。
私の目的も然りである。
今年お世話になったお礼を申し上げて、今後に向けての決意としたい。
「一年間ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
小泉総理のことは、別に嫌いではない。
自民党の組織体系を「ぶっ壊した」のは事実だ。
また先の総選挙で、今まで投票に行かなかった人々の関心を集め、結果勝利したことは見事であった。
しかし小泉総理の政治は、多くの点で私とは違う。
ここでは外交について述べたい。
昨今の対中政策は、靖国参拝をはじめとして誤りが多い。
現在、日本最大の貿易相手国は、他ならぬ中国である。
この経済的関係は、時間とともに一層深まるだろう。
中国の政治体制が良いかどうか、南京で本当に数十万人も虐殺したのか、などなど議論すべきことはたくさんある。
私も天安門事件を忘れたわけではない。
しかし最早日本にとって、中国がなくてはならない国であるのは、客観的な事実だ。
かつての戦争で、真珠湾攻撃に至った直接的要因は、ABCD包囲網と呼ばれる経済封鎖である。
当時の日本は、原油の8割近くをアメリカから輸入していた。
その国から経済封鎖されることも問題だし、ましてや戦争するなどは論外である。
小泉総理の靖国参拝は“信念”だそうだ。
しかし現在中国で働いている多くの日本人と、日本で働いている多くの中国人の境遇にも、もっと想像をめぐらせてほしい。
戦後半世紀を経て、やっと友好的雰囲気がつくられつつあったのに、政治がその足を引っ張るとは残念極まりない。
これは日韓関係も同様だ。
回りを見渡すと、多くの物品が「メイドイン・チャイナ」になっている。
次の総理に対して自民党の支援団体である経済界からも、厳しい注文を付けるべきだ。
他ならぬ小泉総理が言っているように、中国の発展は日本にとってのチャンスでもあるからだ。
昨日2件目の忘年会が、愛川町春日台であった。
上溝駅からタクシーで向かったのだが、料金は約2,000円。橋本駅へ行くのと、そう変わらない。
距離が近い割りに、何となく縁遠く感じるのは、相模川を挟んでいるせいだけではないだろう。
「行政圏」というのがある。
私の造語かもしれない。
市町村の境目という意味ではなく、政治・行政に携わる人間が、暗黙のうちに意識している圏域のことだ。
愛川町は、残念ながら厚木圏域に入る。少なくとも、多くの市民・町民はそう思っている。
しかし昨今は違う流れも感じる。
帰りのタクシーで、運転手さんと話をした。
愛川発のタクシーの行き先は、相模原方面と厚木方面と半々で、年々相模原方面が増えているとのこと。
今後相模原市が政令指定都市を目指す過程で、周辺自治体の協力が必要になってくる。
津久井との合併では、多くの反省材料を得た。
同じことを繰り返さないためにも、お隣である愛川町のことを知っておくべきだろう。
さて神奈川県政の地域計画は、「地域政策圏」に依って行なわれている。
そこでは「県央地域」という枠に、相模原市も愛川町も入っている。何と津久井は、また別の地域だ。
そこに暮らす私たちの実感と、横浜関内の県庁との意識がずれているのだ。
広域行政を担うに相応しい、新たな圏域づくりについて、いずれ県議会本会議で知事に意見してみたい。
市内にポスターを貼っていると、よく顔の部分などにイタズラをされる。
子どもなどが通りががりに、いじってしまうのだろう。
仕事とは言え、大きなポスターをあちこちに貼り、景観を騒がせていることは自覚している。
あまりにポスターが集中している箇所などは、自分のが無くても、申し訳ないと責任を感じたりもしてしまう。
故にイタズラされても、特に腹は立たない。
連絡を受ければ、素直に張替えに行くだけである。
自分が幼少時代も似たようなことをした記憶もある。
ポスターだったかは覚えてないが、広告物の顔などにサインペンで色々書いてしまうのだ。
それは“顔に髭を書く”とか、“髪型をロン毛にしてしまう”といった、いわゆる他愛もないイタズラであった。
しかし最近気になることがある。
今日もある場所に貼ってあるポスターがイタズラされていると、友人が教えてくれたので、早速張り替えに行ってみた。
そのポスターは目の部分が、横一文字にナイフのような物で切られているのだ。
最近でも“顔が十文字に切られている”“目の部分のみ切り取られている”ポスターを張り替えた。
これと同じような現象は、他候補のポスターも含め、最近特に散見される。
子どもがイタズラ気分でやっていると想像できるだけに、逆におぞましくなって来る。
日本ではあまり馴染みがないが、カウンセラーという職業がある。
相模原市内の小中学校にも、人数が不十分ながら配置されている。
そういうプロの手を借りることを、決して躊躇う必要はない。
子どもは感性が鋭いだけに、社会の変化を真っ先に捉える。
ここに現れた兆候を見逃してはいけない。
2005年12月27日(火) |
津久井・相模湖での市議選 |
年末の挨拶まわりをしていたら、合併時に行われる「相模原市議会議員増員選挙」の話になった。
気にはしていたのだが、なるほどもうすぐだ。
来年3月20日に相模原市と合併した時点で、津久井町議会と相模湖町議会は解散となる。
現在の町議は全員失職し、あわせて相模原市議選が、このエリアに限定して行なわれる。
既存の相模原市との人口比較をした結果、旧津久井町エリアは定数2、旧相模湖町エリアは定数1となる。
現在は、津久井町議会議員が15名、相模湖町議会議員が14名いることを考えると、非常に厳しい選挙となるだろう。
情報は余り届いていないが、既に複数の方々が活動を始めているらしい。
相模原市議会では民主党議員と、協力頂いている無所属議員により、会派「民主クラブ」が結成されている。
この増員選挙で勝利した議員が、どの会派に入るかによって、今後の市政運営にも影響を与える。
ましてや苦境にある我が党としては、何としても仲間を増やしたいところだ。
基本的には現場の意向が重要だ。
立候補する方々の顔ぶれを見定めながら、「民主クラブ」の皆さんが推す候補者を頑張って支援していきたい。
さて多くの町議がいたのに、今回3名に縮小されてしまうことについて、津久井・相模湖で不安の声があがっている。
果たして旧津久井町・相模湖町からの意見を、新相模原市は聞いてくれるのかということだ。
確かに深刻な問題だろう。
この責任を、増員された3名のみに求めるのは、酷であるばかりでなく筋違いと言えよう。
何故なら、本当の責任を感じなければならないのは、編入する相模原市議会の側だからだ。
どこの居住か、どこのエリアの選出かに関わらず、編入される津久井・相模湖の不安を受け止めうる議論を、総員で行なっていくべきだ。
県政に参画したあかつきには、及ばすながら、その議論に参加していきたい。
2005年12月26日(月) |
消防市長巡視は必要か |
いよいよ歳末警戒。
消防団も大晦日まで、連日詰所待機となる。
今日は初日ということで、恒例の市長巡視がある。
第一分団団員は、19時15分に上溝小学校に集合し、そこで市長の到着をひたすら待つ。
当然寒い。自治会役員の皆さんも激励に来てくれている。
さてこの市長巡視だが、率直に言って評判が良くない。
かく言う私も、今年で8回目だが、その意義を理解出来ていない。
いつだったか、市の担当者と意見交換した際、「儀礼」と「慰問」の意義があるとの説明だった。
「儀礼」については、わからなくもない。ただ日常訓練において、ボランティアという概念を越える礼式を既に学んでおり、あえてこの寒い時期に行なう必要性は薄い
「慰問」については、そもそも消防団員の中にそれを望む声は少ない。団活動は自負心に依って支えられており、市長に評価してもらう必要性は薄い。
更には巡視の内容である。市長と市議会議長が到着すると、学校の校庭に赤じゅうたんが敷かれる(本当)。そしてその上で訓示を垂れるのである。
明らかに行き過ぎだ。
さて改善策だが、それぞれ分団には本部がある。第一分団の場合は上溝消防分署である。
そこに各部の部長のみ集め、そこに市長が来る形式でもいいのではないか。
その方が、各詰所待機という任務と並行できる点でも合理的だ。 (実際去年の市長巡視では、整列中に管轄内で火事が起きた)
そういえば今日は、外務大臣が米陸軍相模総合補給廠に来ている。
療養中の市長も同行している。
職務代理を立てながら、園遊会や大臣随行のみ出席している市長に、市議会の一部からも異論が出ている。
現役消防団員として言う。
今日の市長巡視は、市長がお越し頂けるものと期待している。
でなければ実施する意味がない。
2005年12月25日(日) |
若手市議ディスカッション |
くどいようだが、県議会議員は神奈川全域が仕事場である。
そんな意味もあり、相模原市以外でも行事があると、勉強も兼ねて出来るだけ参加するようにしている。
今日は隣の大和市生涯学習センターで、若手市議同士のディスカッションがあったので、聞きに行った。
参加者は 菅原直敏大和市議 長友克洋相模原市議 松尾崇鎌倉市議 吉田雄人横須賀市議 の4名である。
「議員とは、一体どんな仕事をしているのか?」という素朴なテーマだった。仕事柄それ自体は珍しくない話だが、都度垣間見れる若手市議たちの考え方は勉強になった。
主催者でもある菅原直敏大和市議は、先日のクリスマス会にも来てくれた。ここまで活動量の多い市議を、私は全国中で知らない。スーパー議員である。今日の多くの参加者も、ほとんどは菅原さんの支援者だろう。今後も要チェックだ。
共催者である長友克洋相模原市議は、今更言うまでもない。県との関わりについて「市政にとっては県は邪魔だ」は正論。そういう県を変えるべく頑張る所存だが、いつか相模原市内で県政と市政の関わりについてディスカッションをしてみたい。
鎌倉の松尾崇市議は、今年の選挙で2000票ボーダーのところ8000票を越える得票で再選した。神奈川県中の関係者が皆びっくりしたものだ。じっくり話を聞くのは初めてだが、なるほどと感じ入った。引き込まれるものがある。
横須賀の吉田雄人市議は、今回初めて拝見した。早稲田雄弁会出身と聞いたことはあった。そのせいか同じ匂いを感じる。横須賀市内の米軍基地を返還させることについて強い意思を感じた。「市民」「市域」「主権」の3原則のうち「市域」が侵されていることは、地方自治のまさに危機という理論は納得した。
こんなメンバーと一緒に、同じ議会で仕事がしてみたい。
こう思ったのは、私だけではないような気がする。
それだけ今の議会は・・・。
「メリークリスマス!」
嫌いな響きではない。子ども中心の各種行事内容も微笑ましく感じる。
しかし日本にクリスマス文化を輸入したアメリカの大統領は、今日の会見で「ハッピーホリデイ!」と言っていた。
キリスト教以外の国民に配慮したそうだ。当然キリスト教保守派からは異論も出ているとのこと。
さてあえて言わなかったが、最近不思議なものを目にした。
相模原市のHPにクリスマスツリーが映っているのだ。
何が不思議かというと、行政は他の宗教(例えば神道や仏教)との関係には非常に気を使う。
上溝夏まつりは、私の小さい頃は「おてんのうさま」という名称だった。当然今と同じ神輿まつりである。
かつて市が補助金を出すにあたり、如何に“政教分離”を実現するか悩んだ。
結果、神輿が神社に行って「神様」を入れる部分を、まつりとは関係ないという解釈にした。
そして「おてんのうさま」を「上溝夏まつり」に改称して、宗教色をなくしたのである。
こんなことは、一見下らないと思うかもしれない。
戦没者慰霊祭も無宗教だというが、霊の存在自体が宗教なのだから矛盾だ!という突っ込みもできる。
さて政教分離とはバランスの問題である。
相模原市HPのクリスマスツリーに文句を付けることは、その掲載理由から鑑みても適当ではないし、第一今のところクレームは一切ないそうだ。
しかしアメリカ大統領のような配慮も、民主主義の原則からは必要と考える。
何故ならば宗教的に傷つけられる人々は、往々にして少数派であることが多いからだ。
少数が少数のままで存在し続け、かつ意義付けられる社会こそ民主主義なのだ。
まあクリスマスの日に、こんなことを考えるのは職業病か。
今日は天皇誕生日。
一般参賀で皇居に多くの人が集まっている。
しかし天皇一家と集まった人々の間には、厳重な防弾ガラスが立ちはだかっている。
かつて実際にパチンコ事件などがあったためだろうが、諸外国の例を採って見ても少し異常だ。
私も秘書時代、国会開会式に臨席する天皇をひと目見ようと、入り口通路で待ち構えていた。
すると衛視がわんさかやって来て、天皇が視界に入る所から全員退けられてしまった。
過剰警備ではないか。
戦後人間宣言をした天皇は全国を廻り、国民と直に触れ合う機会を持った。
戦争責任云々ではなく、天皇と身近に触れ合うことによって、勇気付けられた人々が事実大勢いた。
現在の政府も、天皇に神秘性を持たせることは止めて、もっと国民に近づける努力をすべきである。
憲法の表記で、非常に的確なのが第一条である。GHQも急ぎでつくった割りにうまく言えている。
天皇が過去の歴史で、「日本国民統合の象徴」であったことは事実である。
しかしその所在は、あくまで「日本国民の総意」に基づくものでなくてはならない。
そして立憲制度の元、天皇は国の機関であることも忘れてはなるまい。
今の日本において、今更天皇機関説を述べることが、何か躊躇われるのは気のせいか。
天皇に「陛下」を付けないことが、躊躇われるのも気のせいか。
これから憲法改正の議論をしていくとき、天皇について語ることを避けては通れない。
「GNP1%枠」というものがあった。
防衛費のGNP対比のことである。
金額そのものと、国内の軍需依存を制限する意味で、毎年予算編成のときに使われていた。
中曽根内閣のある時、1%を初めて突破し、その後年月とともに話題にすらならなくなった。
今果たして何%なのかは、ネット検索では出てこない。後日自分で計算してみることとする。
映画「ロード・オブ・ウォー」は武器商人が主人公だ。演じているのはニコラス・ケイジである。
最後“些細なミス”で国際警察に捕まるが、他ならぬアメリカ合衆国の圧力で釈放される。
刑事に向かってニコラス・ケイジが言う。
「最大の武器商人は、アメリカ合衆国大統領だ。」
最後のエンディングでも、いまだに多額の武器輸出を続ける5大国(=国連安保理事国)を批判している。
アメリカという国の面白さは、この種の映画が流行るところだ。
バランス感覚なのか、あるいは映画産業が軍事産業を超えているのか。確かに映画としても見ごたえがあった。
戦争を失くすには、戦争によって利益を得る者を失くさなくてはならない。それはすなわち、アメリカなどの軍需に依存する産業構造を変えるしかない。
皮肉な言い回しだが、そのために同盟国日本が出ることは多くある。まあ現在の政府は、そんなことを考えてもいないだろうが。
GNP1%比の話に戻す。
日本政治の無原則は、ここにも現れている。もちろん1%云々は、政府が言っていたことではない。
しかし日本としての確固たる基準であったことも事実だ。1%を突破するならば、それなりの手続きと説明をするのが民主主義ではないか。
そして憲法に言う「不断の努力」は、国民にも欠けている。主権者が政府を監視することは、長期にわたる地道な作業であることを忘れてはならない。
小泉劇場によって、ある種の関心が政治に向いているのは歓迎すべきことだ。
しかしそれが流行り廃りであってはならない。
息抜きは誰にも必要である。
仕事をより充実させるため、出来る人ほど、休むことを心得ているそうだ。
元来‘ストレス’を感じにくい。だが当然体は疲れるし、悩みもない訳ではない(本当)。
自由を制限されるときが最も辛いときだ。
しかし仕事柄、行動は自由なことが多く、恵まれていると思う。
さて発言の自由もまた重要だ。
これはケース・バイ・ケースで、何でも言いたい放題という訳には、社会人としていかないこともある。
ここで辛さを感じる。息抜きが必要となる。
余り趣味もないので、休むということは、仕事をすることよりも難しいと感じる。
今までは「です・ます」調で日記を書いてきました。
明日からは「で・ある」調に変えることにします。
どんな書き方がいいのか、試行錯誤してきましたが、今回の変更もその一環です。
どうもうまく書けないとなれば、再び「です・ます」調に戻ることもあり得ます。
日々の活動を記していますが、“どこに行ってどうした”ということよりも、都度“何を考えたのか”が重要だと思っています。
そのためには「で・ある」の方が、ストレートに皆様に伝わると考えました。
演説は「です・ます」調ですが、心の中のつぶやきや、頭の中の思考は「で・ある」調です。
明日からの記載について、是非ご意見寄せてください。
後援会主催の「クリスマス会2005」を開催しました。
多くの参加者に恵まれました。一重に後援者皆様のお陰です。ありがとうございました。
私が初めて集会を開いたのは、市議在職中の1998年12月のことでした。
場所は横山の中華料理屋さんで、若手メンバー対象の会でした。今改めて名簿を確認したら、58名の方に参加頂いています。
それから何回集会をしたでしょうか。何度やっても参加人数は、当日その時まで不安です。
人数という意味では失敗したときもありますが、過去一度として集会を開催し後悔したことはありません。
今後も色々イベントを開催いたしますが、よろしくお願い申し上げます。
尚以下は、本日お越し頂いた来賓(議員)の皆様です。浪人中の私の会に出て特にプラスはないでしょうが、忙しいなか純粋に頑張れと応援に来て下さった方々です。感謝しています。
お名前のみ披露させて頂きます。私共々よろしくお願い申し上げます。
相模原市議会議員 由比昭男 様 相模原市議会議員 長友義樹 様 相模原市議会議員 長友克洋 様 相模原市議会議員 小池義和 様 大和市議会議員 菅原直敏 様 参議院議員 浅尾慶一郎 様 秘書の方 (リンクがないのはHPがない方です。他意はありません。)
2005年12月18日(日) |
男たちの大和(良かったところ) |
昨日に続きます。
いつぞやも書きましたが、最近の日本映画は制作費の関係で、上映2時間を超える作品が余りありません。
この映画は2時間を大きく超えていますし、内容が濃い分長くも感じませんでした。
またテレビ俳優と映画俳優では違いがありますが、配役が子役も含め本当にいいメンバーが揃っていました。
海のシーンは恐らくSFXでしょうが、違和感は感じず、またほぼ実物大らしき模型をつくったのも迫力がありました。
「戦争」をテーマにすることは、製作側にとっても困難が多いと思います。
しかし国と軍隊のあり方を改めて考えなくてはならない昨今、どういう解釈に基づいた映画でも意義深いと思います。
まあ、自分自身そうですが、他人の映画評ほど当てにならないこともありません。
是非皆様、ご自分で映画館に足をお運びください。
相模原市民の方は、市内唯一のシネコン「ムービックス橋本」をお願いします。
2005年12月17日(土) |
男たちの大和(まず文句) |
「男たちの大和 YAMATO」を、早速見てきました。
本日から公開ですが、明日・あさってが日程上厳しかったので、無理して行きました。
忘年会に2件出た後なので、21:30からの最終回でした。場所はムービックス橋本です。
とても面白く、初盤からウルウルでした。
感動した点については、後日改めて書きます。
まずもって今日は、映画で残念だった点から書きます。
これだけ見入る映画の中でも、「アレッ」と思う訳ですから、違う言い方をすればかなりの問題点とも言えます。
最初にタイトルです。
「男たちの大和」の後についている、“YAMATO”が気に入りません。何のためについているのでしょうか。
元来意味のない、外国語やアルファベット使用には異議を唱えてきました。
悪例を挙げれば、電話帳の「タウンページ」や「ハローページ」は今でもどちらがどうか間違えます。「職業別」「アイウエオ順」の方が断然わかりやすいです。
公共施設の愛称もそうです。かつて市議として意見も言いました。相模原市立の「ウェルネス」や「ソレイユ」は、一体何の施設だかわかりません。
“YAMATO”については、意味がないだけでなく、戦艦大和を撃沈した国の言語を使うセンスもよくわかりません。
世界公開を考えているのでしょうか。ただ明らかにこの映画は日本人に対してのみ意識して造られています。
更には、反町隆史の髪の毛が長かった点です。他は皆当時そのままに五分刈りなのに、興醒めしてしまいます。
また少年兵の女友達が、原子爆弾により入院しているシーンも、非常に綺麗なまま死んでいくのが、かえって不自然でした。
また、戦艦大和は志願兵のみでなく、徴用兵も乗っていました。その人たちが全く描かれていなかったのも、「歴史」を表現していると言う割には残念でした。
色々言いましたが、大いに面白かったのは確かです。
「てらさき雄介のお薦め映画」入りです。
さて劇中に老いた中村獅童は、自分の子どもに戦艦大和を語りました。
仲代達也も最後に、いくつかの話をしました。
しかし私は、祖父母から戦争について、話を直接聞いたことはありません。
それぞれにとって辛い記憶なのか、あるいは他の意味なのか、ともに亡くなった今では聞きようもありません。
たった60年前の戦争が既に風化しようとしている昨今、あの戦争を体験した方々の話は大切にすべきです。またその機会をつくるべきです。
世界最新鋭の戦艦大和を特攻作戦に使用したこと自体が、あの戦争が狂気であったことを現しています。
朝相模湖駅頭で極寒の街頭活動をし、その足で藤野町議会を傍聴しました。
相模原市議会と同じく、朝9時半からの開会です。
会議の中身は行くまでわかりませんでしたが、折り良く(というか時節柄当然)相模原市との合併関連の審議です。
産廃事務・介護保険・消防事務について、既存の津久井での枠組みを相模原仕様に変える議案です。
その後一般質問も、相模原市との合併に関することと、座間キャンプでの米軍強化について通告がされてました。
さて議会運営について、いくつか先進的な事例がありました。
ひとつは、条例案の審議について委員会付託をせずに、本会議で質疑と討論を行なうこと。
ふたつは、質問者席が議員側にあり、理事者とは対面になっていること。
みっつには、綿密な事前打ち合わせが、恐らくはされていないこと。(この方が緊張感あるやり取りが出来る)
過去全国に視察に行った経験から、大規模な議会よりも、町村など小規模の方が、柔軟性という意味で地方自治の本旨にあった議会運営がされている傾向があります。
また町議会事務局の辺りには、「県議会開催ポスター」や「県議会史」などが並んでいました。
相模原市議会では、県議会の「県」の字も見ることがありませんでしたが、県との関係についても違いがあるようです。
藤野町長は今日の答弁のなかで、2月をめどに、合併について改めて町内各地域ごとに、細かく説明をしてまわる意向を示しました。
編入される側の不安や気持ちを、十二分に考えることができる懐の大きさが相模原市には求められます。
2005年12月15日(木) |
来年2月、町田市議・市長選挙 |
来年2月は隣の町田市で、市議選と市長選挙が同日に行なわれます。
市議選には、友人であり、かつ相模原・町田若手勉強会を一緒にやっている皆さんが挑戦するので、それぞれに対して出来る限りの支援をするつもりです。
友井和彦氏(無所属・南つくし野在住) 新井克尚氏(民主党・玉川学園在住) 若林章喜氏(自民党・忠生在住)
また現職引退により乱戦模様の市長選挙には、真木茂都議会議員が立候補を表明しました。
前回私の県議選に応援に駆けつけてくれたこともあり、今後地元神奈川14区総支部の皆さんと情報交換をしながら支援したいと考えています。
以上4名については、ともに間違いのない人物ですので、お知り合いにお声がけ頂けると助かります。
よろしくお願い申し上げます。
2005年12月14日(水) |
議会中継は良いことだ |
神奈川県議会も相模原市議会も、インターネット中継をしています。
録画放送もあるので、夜など事務所で見るようにしています。
市議会では懐かしい声が聞けますし、県議会ではこれから向かう場所への闘志が沸いてきます。
まだまだご覧になっている方は少数でしょうが、それでも映像を流し続けることに情報公開の意味があります。
政治やマスコミに脚色されたニュースよりも、そのままの映像はより真実を伝えます。
今後はより多くの場所で、どなたでも気軽に見れるような工夫が求められます。
以下をクリックし、是非一度ご覧ください。
神奈川県議会インターネット中継(ちょうど相模原市選出の富田・舘盛両県議が映っています)
相模原市議会中継(過去映像も含め民主党議員の勇姿も映っています)
来週にクリスマス会を控え、かつ年末のため、市内をご挨拶まわりしております。
事務所をお手伝い下さっている方が運転をしてくれるので、時間あたりかなり多くの軒数をまわれます。
元来運転が苦手なだけでなく、助手席ならば携帯電話もかけられるので、かなり効率がいいです。
相模原がとても広いと感じるのは、今まで通ったことのない新しい道を発見する時です。
今後同じ選挙区になるかもしれない津久井郡などは、地名のみしか知らない所もありますから興味は尽きません。
ふと去年のことを思い出しました。気温の寒さで当時の感覚が蘇りました。
昨年の師走は、相模原市長選挙事前準備の真っ只中であり、今頃は市内某所に支援する候補者が事務所を出した頃です。
選挙の前も後も、正直色々ありましたが、希少な経験だったと思います。
反省点は克服しながらも、変革の能動者として恥じない行動を今後もしてまいります。
同列にするのは恐縮ですが、年末何日だったか忘れましたが、仕事で都内に行きました。
帰りの高速はもったいないので、R246で帰ってくると、途中で大雪です。
ビクとも動かないくらい、たくさん降ってきました。夕方相模原で用事があったので、とても焦りましたが、自然現象では致し方ありません。
すっかりあきらめた時、不思議と降り止みました。
今年は雪が降るのでしょうか。
寒くない冬が最近多いので、多少は降ってほしいとも思います。
しかしこういう文章を書くと、詩的センスがないことを痛感します。
残念です。
2005年12月11日(日) |
自民党との連立は100%ない |
先の総選挙後に、大勝した小泉総理が、民主党に対して連立を働きかけていたことが明らかになりました。
前原代表もその事実を認め、「即座にお断りした」とのこと。至極当然のことです。
二大政党の確立と非自民を以って成立している民主党が、自民党と連立を組むことは自己矛盾であり、それを模索した段階で党は崩壊します。
公明党などは、かつての野党から与党になった経緯を、“政策実現のため”と言っていますが、それは小政党だから許されたことです。
もし“政策実現のため”に民主党が与党になったら、それこそ日本の民主主義そのものが死んでしまいます。
さて気になったのは、前原代表のこの件についてのコメントです。
「自民党との連立は99.9%ない」と発言しました。
政治家の言葉使いには色々ありますが、「99.9%」は‘意味’を持ってしまう言い回しです。
衆議院議員を5期経験している、前原代表が知らないはずはありません。
最初から「自民党との連立は100%ありません。」というべきです。
付け加えるならば、それを聞いた記者に対して、「そんなことがあるわけないでしょう!」と怒ってほしいです。
この前原代表の発言に関連して、小泉総理や自民党は政界再編(と言っても自民党による他勢力の吸収)云々すら言っています。
先般の脱労組宣言でも、多くの労働者の誤解を生んでしまいました。
また訪問しているアメリカや中国での発言にも、気になる点が多々あります。
私に言われたくないと思われるかもしれませんが、発言にはもう少し気を付けるべきです。
青年会議所の総会に併せて、卒業式が行なわれました。
40歳定年制を採っているため、12月末日でその年齢に達した方が退会になるためです。
25歳から始めて、もうすぐ9年になるJC活動ですので、過去多くの皆さんが卒業されていきました。
今日は所用のため、総会を中途参加だったのですが、卒業式だけは何としても間に合わなくてはいけないと思い、ギリギリセーフでした。
仕事上もお世話になっている方は言うに及ばず、そうでない方にも色々思い出はあります。
浪人をしていることもあり、役員就任など積極的にJC活動が出来ていませんが、いずれ復活したいと考えています。
2005年12月09日(金) |
相模原市長の長期療養について |
地元自治会の忘年会がありました。
市長が病気療養のため、助役を職務代理にしていることについて、多くの方からご質問を頂きました。
浪人中のため、それほど情報が入るわけでもなく、何もお答えできませんでしたが、皆さん心配されていたようです。
市長のお体もそうですし、何より市の行政運営についてです。
これだけ市内で話になっている件ですので、私ももっと早い段階で意見を書くべきだったのでしょう。
しかし公務を欠席されるほどの病であることは周知の事実であり、人情として色々言うのは忍びないとの考えもありました。
また巷で噂されているように、万が一の市長辞職の後には、市長選挙があります。
その立候補者次第では、県政に関連する選挙も取り立たされていることから、当事者とも成り得る私が色々言うのは、適当でないと自粛していた点もあります。
しかし欠勤が長期に及んでいることから、相模原を愛する政治家のひとりとして、言うべきことは言わなくてはならないと決意を新たにしました。
さて先般市議会で、病気療養中にも関わらず市長が秋の園遊会に出席したことを問題視する意見が、ある市議から出されました。
問題視するのは当然です。噂を聞いたときはまさかと思いましたが、事実と知り愕然としました。
消防団をやっている立場から言えば、市長は最高司令官です。いざというときは、人命に関わることでも「命令」できる責任を負っている立場です。
総理や県知事が、これだけ長期欠勤したらどうでしょうか。それとも市長の職は、それらよりも責任が低いとでも言うのでしょうか。
批判を覚悟で言い切りますが、公職としての身の引き方があるはずです。
またご本人は療養中のため、多くの情報を得にくい立場であることも推察できます。
ならば身近な方々が、それを伝える義務があるのではないでしょうか。
もちろんお元気で、再び公務に復帰されることが何より大切ではあります。
いつかも書きましたが、前回市長選挙で他候補を支援し完敗したこともあり、この任期は全うして頂くのが筋とも考えております。
しかし昨日の会もそうだったように、市民の多くが心配していることもあり、せめて病状報告はするべきです。
税金から給与をもらっているプロフェッショナルとしての、最低限の責任です。
2005年12月08日(木) |
広田弘毅元総理の言葉 |
昨日久しぶりに早く帰ると、早速床に着き、本を読み始めました。一気に最後まで読み続け、結局寝たのは真夜中です。
読んだのは、城山三郎「落日燃ゆ」です。
元総理・外相の広田弘毅氏を主人公として、昭和の始め外交官になった頃から、東京裁判で絞首刑になるまでを描いたものです。
学生時代に広田氏と同郷(福岡)の友人が、この本の話をしていていたのを覚えており、ずっと気になっていました。
先日、本屋で並んでいるのを見て、購入したところです。
広田弘毅氏は、東京裁判がいかに理不尽な裁判であったかを、その死によって知らしめた方です。
総理大臣と外務大臣を務めたこともあり、私のような政治に携わっている人間ならば、皆彼についての見解を持っているでしょう。
文中の著者城山氏の表現を借りれば、‘大日本帝国の落日'はどこから始まったのでしょうか。
私は、 一、満州事変 一、日独伊三国軍事同盟 一、対米開戦 の3つが、日本の敗戦を決定的にしたと考えております。
歴史は時系列で見るべきですが、個々の事件もそれぞれ時代の象徴であって、ひとつひとつを検証することもまた必要です。
広田弘毅氏は、この3つのいずれにも毅然として反対しました。そのことをもって、私は以前から評価していますし、この本にも詳しく経過が書かれていました。
巣鴨プリズンに面会に来た家族に「この中で文官の誰かが死なねばならぬなら、その任は私が担わなくてはならないだろう」と、広田弘毅氏自身が語ったように、氏を絞首刑にしたのは、GHQ(アメリカ)の政治的意思によるものです。
また広田氏の姿勢を物語るものとして注目すべきは、南京での虐殺について、事件が起った段階で数度にわたり、外務大臣として陸軍大臣に抗議をしている事実があることです。
しかし一方で総理とは政治の最高指導者ですから、結果軍部の暴走を止められなかったことは、日本国民に対して負っている責任は大きいものがあります。
広田氏は東京裁判で一言もしゃべりませんでした。
「生きて虜囚の辱めを受けず」と言っていた軍幹部が、他人に責任を擦り付けんが如き発言をしている中、黙々と死に向かう広田氏の姿勢は、同じ日本人として感じ入るものがあります。
そしてこの本で初めて知った広田弘毅氏の言葉は、とても印象的で感銘を受けました。
それは絞首刑が決まった後、面接に来た教戒師とのやり取りです。
教戒師「歌とか、詩とか、あるいは何か残すものはありませんか。」
広田氏「公の仕事をして以来、自分のしたことが残っていますから、今は何もありません。」
そして髪と爪のみ遺族に残し、他一切を語りませんでした。
先日、この日記で“生き様”に関連して、“辞世”云々言っていた自分を恥じ入るばかりです。
軽率でした。
政治家である以上遺書や辞世ではなく、世の中を残すことによって自己実現を図るべきです。
そのことを胸に刻んでくれた、広田氏と、著者城山氏に感謝します。
今現在まだ昼で、日記を書く時間ではありませんが、感動覚めやらぬうちにと思い、記しました。
数年前に企業・団体献金は禁止されました。
それから私の政治活動は、全て個人からの献金(寄付)によって賄われています。
厳しい懐事情ですが、政官財の癒着を断ち切ることは大切ですし、そのための企業・団体献金禁止は正しいことと理解しています。
しかし何故か「政党」に対してのみ、企業・団体献金は認められています。
何故?
どうして?
議員個人に対してはダメで、政党に対しては良いということに、いかなる正当な理由もありません。
政党支部を持っている国会議員が、自分たちだけは献金が受け取れるようにするために、中途半端な制度改正をしたのです。
献金が禁止される代わりにと導入された政党交付金も、ほとんど党本部と国会議員で山分けしてしまいます。
納税者にはあまり知られていませんが、地方議員は政党に上納金は払っても、政党交付金を受け取ることはありません。
腹立たしい限りです。
改めて訴えますが、政党(国会議員)に対しての企業・団体献金も禁止すべきです!
そうしてこそ初めて、カネをかけない政治のあり方について、皆んなで考えることができるのです。
忘年会がはじまりました。
先週の金曜日は不覚にも体調不良で、2件の忘年会を欠席してしまいました。
完全復活し、今日は3件呼んで頂いています。場所はJR相模原駅前と富士見警察署側、そして田名工業地帯です。
政治に対する主権者の関心が強くなっている昨今、宴席でも多くの方から厳しい意見や質問を受けることがあります。
皆様に対して「おっしゃる通りです。」で終わるのは、慇懃無礼ですので、自分の考え方も出来るだけ述べるようにしています。
企業や団体などは、忘年会を主催することが年々減ってきています。
最近は同好の士で開くような、“飲み会”が増えている印象があります。
どちらにしろ浪人中にも関わらず、呼んで頂いていることに感謝です。
昨日の続きです。
湯河原から帰ってくる道路は、とにかく料金所が多いです。確か5箇所あったと思います。
手動ドアの車に乗っているため、一々面倒くさいです。
また全体として経済的に見ても、無駄が多い気もします。
現在のETCは、いまだ一部の方の利用物ですが、JRのスイカのような簡易なシステムの開発が必要です。
また出来れば、料金所なしで料金が累算できるといいですね。
新道路公団に期待します。
てらさき雄介レディース(女性支援者の方々でつくって頂いている会)有志の皆さんと、同じ県内の湯河原町に1泊旅行に行ってまいりました。
神奈川県議会議員は県内全域が仕事場です。
その視点から、街並みなども注視してきました。
海があることは、神奈川の貴重な財産です。横浜のような港湾もそうですし、湘南海岸に代表される砂浜も当然です。
湯河原町は、また違った海岸線です。
島崎藤村ゆかりの宿が今もありますが、見ても楽しめる‘芸術風’とでも言うのでしょうか。
しかし昨今の観光収入の減少から、地域活性化が急務なことも間違いありません。
県政に参画したあかつきには、町役場をはじめ色々なところを訪れて、多くの話を聞いてみたいと夢が膨らみました。
市民委員会準備会がありました。
正式な「さがみはらパートナーシップ市民委員会」を来年度から発足することを目指し、今日は市との協定案について話し合いを行ないました。
‘民主主義とは何か、どうやって進化させるか’を考えるために、勉強と割り切って参加しています。
さて協定案には第二項に、【パートナーシップの原則】という項目があります。
そこには7つの原則が書いてありますが、特に大切と思われる4つについては、その文言にしびれるものを感じました。
一、自立の原則 お互いに依存することなく、自立して自主的に行動すること
二、対等の原則 目標に向けた取り組みを進める上で、対等な関係に立つこと
三、相互理解の原則 相手の特質を十分に尊重し、また、相手との違いを認め合い、それぞれに長所・短所を理解し、役割を果たすこと
途中省略
六、公開の原則 常に自らの活動や相互の関係を公表して、透明性を確保すること
どこか他市の引用かと思いきや、相模原市の都市内分権に関する協定を参考にしたとのこと。
これは総論ではありますが、それゆえに文章にするのは難しいものです。
年明けには「さがみはらパートナーシップ市民委員会」の公募を正式に始める予定です。
相模原市に関係のある16歳以上の方なら、どなたでも参加できます。
ご支援を頂いている方のご親族にご不幸があり、昨日のお通夜に続き告別式に出席してきました。
心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
「死」を考えることこそ「生」に繋がるとの思想は、多くの宗教や哲学によって言われています。
以前は、死に様について考えることがありました。
しかし現代日本での死に際は、ほとんど決まってしまっていて、それこそ志士のように壮絶にとはいきません。
そしていつの頃からか、生き様を考えるようになりました。
自己実現初段階の私は、自分の言葉でいまだ人生を語ることができません。
「面白きこともなき世を面白く」
高杉晋作の辞世の句です。
上の句で息絶えたそうですが、いつの日か、下の句を付けてみたいと思います。
2005年12月01日(木) |
県議会選挙区の合併について |
過日の明大雄弁部OB会で、新潟県議をしている後輩と話したことです。
新潟県は多くの市町村が合併を行い、次期統一地方選挙の県議会選挙区をどうするか、現在議会にて審議中だそうです。
多くの議員は、旧選挙区に拘っているとのこと。
合併特例法に拠ると、合併後も1回だけは、旧選挙区で県会議員選挙を行なえます。
合併によって失職した市町村議や首長は、県議会議員が旧選挙区にこだわるのは自己保身だと反発し、異議を唱えているそうです。
さて、相模原市も人ごとではありません。相模原市は来年3月に津久井町・相模湖町と合併することが決まっており、流れ通りならば城山町・藤野町も遠くない時期に合併となります。
今まで相模原市と津久井郡は、県議会選挙区が別々でした。
次期統一地方選挙では、果たして今まで通り2つの選挙区として行なうのか、1つにして行なうのか、これから県議会で審議がされるそうです。
先日市役所通りを歩いていると、津久井郡選出の県議会議員が、某所に事務所を出しているではありませんか!
次期は相模原市も選挙区になるとの判断でしょう。
私の候補者としての個人的事情を鑑みれば、ただでさえ広い相模原市に、それより広い津久井郡がくっつくわけですから、気が遠くなります。
しかし自治体が合併したのに、県議会選挙のみ別々にするのは、筋が通りません。
合併を最終議決したのは、他ならぬ神奈川県議会だからです。
一層頑張ります。
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