てらさき雄介の日記
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2005年11月30日(水) |
警察の恣意性について |
西村眞吾代議士(民主党)が逮捕されました。弁護士法違反容疑です。
西村氏が民主党にいたことについては、尖閣諸島上陸をはじめとする彼の行動で正直嫌悪感を持っていました。
しかし過日の堺市長選挙において、彼の地元で色々な人の話を聞くに及び、意外と人気があることに驚きました。
また選挙の際に党マニフェストを配布せずに、自分の政策綱領を配っているところなどは、その徹底ぶりに一種の面白さも感じ始めていました。
その分残念ではありますが、犯罪の内容が悪質なこともあり、逮捕は致し方ありません。早期に議員辞職すべきでしょう。
さて今回は、政治家がよく捕まる「公職選挙法違反」など、警察の恣意性によって逮捕が決まることについて、かねてから疑問を感じていたことについて書きます。
先の衆議院選挙終了後、川崎で立候補していた民主党の候補者(落選)が、選挙中に学生アルバイトを使っていたとして逮捕されました。
調べてみると、アルバイト禁止は最近のことではなく、以前からそうだったとのこと。
誰とは言いませんが、少なくとも大分以前は、選挙でアルバイトがいないことがない位、皆雇っていました。
だから勘弁してくれと言う訳でなく、違反の規準を明確にすべきなのです。
例えば選挙中駅頭で、候補者名の入った「のぼり旗」を立てるのは、選挙違反です。
しかしそんなことを知らずに、ボランティアの皆さんは立ててしまうこともあります。
その時です。
一、止めろと警察に言われる 一、止めろと警察に警告書を受ける 一、1本くらいならいいと警察に言われる 一、何もなく時が過ぎる
といくつかのパターンを私も経験しています。
また文書なども、市選挙管理委員会に「これは違反かどうか」確認に行くと、「取り締まるのは警察なので、どうとも言えません」とのこと。警察に行くと、「それは裁判官の仕事」とのこと。
もちろん法律は知らぬ方が悪いのですが、どう読んでも、違反の境目がわからない文章も多々あるのです。
一度公文書として基準を明らかにするよう、党本部から警察庁(法務省?)にアプローチすべきかもしれません。
また警察の対応が、落選者に対して当選者よりも厳しく見えることは、結果警察不信を生んでいます。
まさか贔屓はしていないでしょうが、だからこそ政界幹部の巨悪を、併せて摘発して欲しいものです。
もちろん交通違反と一緒で、全件を摘発することはできないので、恣意的になるのも分からないわけではありません。
しかしそれが警察に対する萎縮も生んでいるのです。
現にこの文章を書いていて、警察に対して少し怖さも感じます。
選挙でお金はほとんど使わないので、その点は心配していませんが、上でも書いた「のぼり旗」などで、支援者の皆さんに迷惑をかけてしまわないとも限りません。
繰り返しですが、違法を許容しているのではなく、違法の基準をより明確にして欲しいのです。
その名も「幕末」という本を読みました。
司馬遼太郎の本は、大概読んだつもりでしたが、この著は存在を知りませんでした。
読んでみると面白く、幕末に起きたいくつかの事件を、12本の短編としてまとめたものです。
共通のテーマは、‘暗殺’です。
司馬史観では、‘暗殺’が時代を好転させることはなく、唯一の例外が桜田門外の変とのこと。
その桜田門外の変も、唯一参加した薩摩藩士を主人公として、しっかり収めされてます。
一番印象的だったのは、最後に書かれている「最後の攘夷志士」です。
三枝蓊(しげる)という、天誅組の生き残りを主人公としています。
時代としての「幕末」はペリー来航から始まります。倒幕に至る一連の流れのなかで、その原動力となったのは“攘夷”という思想です。
夷人を攘ち払うという、鎖国政策から生まれた短絡的かつ純粋な思考が、多くの藩と志士を動かしました。
しかし王政復古の大号令が下ったその日、外事方なる役所を新政府は設け、外国と付き合うことを公式に明言します。
倒幕に至った“攘夷”のエネルギーは、大政奉還その日まで継続し、開国止む無しと考えていたのは、一部の薩長幹部のみであったとのこと。
薩長は幕府を打倒するために、最後の最後まで表向きは“攘夷”を訴え、志士たちの純粋な心を利用したとも言っています。
主人公の三枝氏は、攘夷を行なわない新政府であるならば、何のために幕府を打倒したのかと怒り、そしてイギリス行使の行列に切り込みをかけます。
その後捕縛され、斬首になります。
事件はこれだけですが、歴史と政治という観点から一抹の寂しさを感じます。
私の敬愛する高杉晋作や、初代総理の伊藤博文なども、以前は外国大使館焼き討ちなどをしたことがあります。
しかし彼らは元勲として名を残しています。かの靖国神社にもしっかり祀られています。
靖国には、2480人の幕末志士が祀られています。昭和8年に宮内省がまとめ、神社に合祀したことによります。
しかし倒幕後も一貫して攘夷を貫いた主人公三枝蓊は、新政府に楯突いたとして犯罪者として名が残り、ましてや参拝の対象にはなっていません。
司馬遼太郎は「かくて三枝氏は、永遠の犯罪者になった」という厳しい言葉で結んでいます。
倒幕に関わった人ですら、選別されているわけですから、幕府側で戦った愛国の士は、当然に祀る対象になりません。
靖国はそういう存在だと割り切るならば、それこそ内閣総理大臣はじめ政治が関与してはいけません。
また一部が言うように、国家護持の守護神であるとするならば、百年以上の前の政治的背景によって、合祀対象を選別すべきでないでしょう。
A級戦犯の合祀が、寛容性に基づいていないことは、この事件を見てもあきらかです。
などなど考えた本でした。
2005年11月28日(月) |
市民ファンド立ち上げ |
友人たちが“市民ファンド”を立ち上げました。発足会のため遅れ、交流会から参加しました。
市民民活動団体は、日常的に資金不足の傾向があり、企業など篤志家からの援助を求めています。
企業から寄付を募り ↓ ここはと思う団体に寄付をする
これが“市民ファンド”の仕事です。将来はNPO法人化を目指すそうです。
市内では初めての試みなので、基準や具体的手法などは、これから試行錯誤しながら創っていかれるのだと思います。
ある社長さんと話ていると、「個人としては感情などで寄付もできるが、企業としては何らかのメリットがないと出せない。」とのこと。
最もな意見と思います。
少し違う話になりますが、だからこそ政治献金についても、企業献金は廃止すべきなのです。
企業側がメリットを求めれば‘贈収賄’になり、メリットを求めなければ‘背任’になります。
などどうしても政治に関連して考えてしまいましが、このファンドが相模原の市民活動活性化に資することを期待いたします。
2005年11月27日(日) |
とても大きな結婚披露宴 |
工藤裕一郎横浜市会議員の結婚披露宴でした。
神奈川若手市議の会でご一緒しているだけでなく、伊藤達也の秘書をしていた後輩でもあります。
会場は新横浜プリンスのメインホールで、200名を超える参加者でした。最近では珍しい大披露宴です。
さて今日は、本当に色々な方々とお会いできました。
ある意味、新郎と私の軌跡が似ているということでしょう。
あえてグループわけすると、
(伊藤達也事務所の新旧スタッフ) 新婦も伊藤事務所の元スタッフで、仲人も伊藤代議士ということもあり、ほぼ総員での参加でした。私もこの席でした。
(伊藤達也後援会の幹部) 連合会長はじめ幹部が参加していました。この席に来ると、どうしても秘書モードに戻ります。
(近隣若手議員の皆さん) 横浜・川崎・鎌倉・藤沢・町田・調布・市川・東京荒川区から、議員の皆さんが参加されてました。披露宴の司会は菅原直敏大和市議でした。
(以前新党運動をしていた友人たち) 新郎は日本新党学生スタッフの出身ですが、私がやっていた新生党学生塾の面々も参加していました。
(松沢知事・中田市長周辺の皆さん) 新郎は“チーム中田”のメンバーで、中田宏横浜市長も新郎側主賓で参加されてました。松沢系と人に言われる私ですが、松沢・中田は一連の流れから周辺の人間関係が重なっている部分があります。
(民主党横浜市議団の方々) 新郎は無所属ですが、横浜市会では民主党と統一会派を組んでいます。民主党県連幹部の皆さんもお越しでした。
2005年11月26日(土) |
社会保障についての講演 |
市民団体“相模原地域大学”の定期講演会がありました。場所は杜(もり)のホールはしもとです。
講師は支援者でもある、元大学教授の方で、使命感あふれる熱血漢です。
テーマは「市民が望む社会保障改革〜年金・介護・医療改革を総合的に考える」です。
特に現在の年金制度が学問的にどうであるのか、改めて学習する機会となりました。
政治の現場では、どうしても給付よりも財源論が多くなってしまいます。
全体の福祉政策を体系的に、かつ冷静に見つめ直すことも、長期的に制度を安定させるには必要と再認識しました。
2005年11月25日(金) |
建築士の言い訳は聞けない |
過日明るみになった違法建築について、A建築士が国交省の聴聞を受けたとのこと。
事実の解明のためには有意義かもしれませんが、内容を聞いて腹がたちます。
「建築会社から言われた。」
「圧力をかけられた。」
個々のケースを知らないので何とも言えませんが、言い訳にもなっていません。
建築会社が安くマンションなどを建てるために、色々注文を付けるのは当然ですし、元請けと下請けの関係などから、それが脅しっぽくなることもあるでしょう。
そういう現場の色々な事情のなかで、耐震基準をはじめとした条件をクリアし、人々の安全を図ることが、建築士の仕事なのです。
仮に“圧力”を受けたとしても、それを跳ね除けるのが、建築士のあるべき姿ではないでしょうか。
建築士に限らず、プロの仕事とはそうあって欲しいです。
政治にも同じことが言えます。
自らの発言と、採決に如何なる“圧力”も受け付けないのが、基本であるべきです。
言い訳はいくらでもできます。
「支援者が・・。」「支援団体が・・。」「除名になってしまうから・・。」
どれも命までとられる話ではありません。
2005年11月24日(木) |
サウナ好きは体質変化? |
以前はサウナに入れませんでした。というか好きではなかったのです。
16号沿いの「J」に友人などと行っても、大浴場(こっちは好き)のみ入り、サウナは遠慮します。
しかし最近何ゆえか、サウナ好きになったようです。
周辺のお客さんと見ていると、だいたいが私よりサウナに入っている時間が短い。つまり私の方が長い。
長々と入っていられるところを見ると、体質変化かもしれません。
体重が最近5キロほど減りましたが、何か関係あるのでしょうか。
「新陳代謝を促進する」のがサウナの効用だそうです。
諸外国にもあり、朝鮮半島はもちろん、トルコやハンガリーなどでも記念に無理して入った思い出もあります。
食べ物についても、大好きだった鳥唐やエビフライが食べられなくなりました。
夜早く眠くなるようになりました。
理由はわかりませんが、何か変化しているのは確かなようです。
今日は勤労感謝の日です。正確には「新嘗祭の日」と言うべきでしょう。
さて昨日、自民党結党50周年大会があったとのこと。
敵ながら、まずもってお祝いを申し上げます。
大会についても細かくチェックしてみました。
大会宣言を杉村某がしたのはどうかと思いますが、全体としては第一党に相応しい内容だったと思います。
先進国で、ここまで長期に政権を独占している政党は珍しく、これも自民党の総合的実力でしょう。
悔しいですが、率直な感想です。
今日の朝日社説は嫌味のように「あと50年持つのか」でしたが、これ以上政権に居続けられるのは、私たちの努力で食い止めなくてはなりません。
自民党の基本的原理である、経済成長を優先させる考え方が、今後の日本あるべき姿ではないからです。
さて次回衆議院選挙で再び敗北すれば、民主党は壊滅し、二大政党政治の夢も潰えるでしょう。
それだけの緊張感を持って、活動に邁進しなくてはなりません。
NPO法人さがみはら市民会議の理事会が、前回よりノートパソコン使用のペーパレスとなりました。
会議資料の膨大な紙の消費を考えると、今後の方向性として正しいと思います。
もちろん欠点もあります。
デジタルデータの分、かえって資料数が多くなってしまうこと。
あるいは話合いが、どうしても下を向いて行なわれてしまうこと。
更には、ノートパソコンがいまだ高価なこと。などなどです。
しかしこれらは、ペーパレスが社会の中に定着していくとともに、徐々に解決されていくと思います。
さて、いまだに膨大な紙資料で運営されている世界があります。
それは「議会」です。
役所内は段々と良くなっていますが、市・県・国とも「議会」にはペーパレスが端緒にもついてません。
時代の最先端を行くべきなのが「議会」です。
改革が必要ですね。
2005年11月21日(月) |
朝の駅立ちのパターン |
朝の駅立ちの手法は、議員や候補者によって個人差があります。
国会議員でもない限りは、だいたい一人で実施するので、全てをこなすことが出来ないためです。
一、マイクで話すことを中心とする
一、ビラを配布することを中心とする
このどちらかでしょう。
私は上の方で、ここぞとばかりにひたすら話します。
内容は色々あります。その都度思いの強い順に自然と言葉が出てきます。
時として県政と関係のないことも話しますが、それも政治家としての仕事の一部と思います。
今日はJR相模原駅で朝6時半から実施しました。
先日の雄弁部OB会で、小泉総理の靖国参拝や歴史認識について喧々諤々議論したせいか、そのことについての意見が多く口から出てきます。
ただ気温がとても寒い・・・。寒いと途中言葉が詰まり、あわせて内容もしどろもどろになることもあります。政治家としてのスキルが足りないせいでしょうか。
朝は皆さん急いでいます。しかし「急いでいるからどうせ聞いてない」と割り切るのは間違いです。
名前のみ連呼する議員や候補者は、政治家ではなく、選挙マンとでも言うべきでしょう。
実際多くの方々が、聞いて下さっているのです。後日内容についてご意見を頂くことも稀にあります。
もちろん通りすがりですから、その中で聞いて頂く努力は必要です。
駅頭で勝手に話していることを聞いてもらえる。何という政治家冥利でしょうか。
残念ながら市議現役時代の方が、現在よりも“言葉が響いていた”と実感します。浪人ゆえの悔しさですが、現状では致し方ありません。
現役復帰の暁には、より一層多くのメッセージを発信すべく頑張ります。
たまたま家にいたので、NHK「義経」を見ました。
お話もクライマックスに近づきつつあり、今日は頼朝の前で静御前が舞うシーンです。
静役の石原さとみは、諸般の事情で余り好きな女優ではありませんが、中井貴一・財前直見他多くのベテラン俳優の前で、しっかり演技していました。
そしてウルウルしてしまいました。過去何度か別の映画やドラマで、このシーンを見たことがありますが、涙するのは初めてのことです。
私が感動するシーンには、いくつかのパターンがありますが、男女の恋愛は元来その対象外だったはずです。
ドラマが終わった後、何故泣いたのか考えてみました。
静御前は義経への愛情のみを表現しているのではなく、目前の敵頼朝と、舞を武器として戦っているように見えたのです。
恐らくその部分が機微に触れ、感動してのだと思います。
何かと戦っている姿は美しいものです。
2005年11月19日(土) |
紫紺の歌で「和而不同」を刻む |
明治大学雄弁部OB会総会が、新宿京王プラザホテルでありました。
総会に続く講演は、会員でもある村山富一元総理によるものでした。
自社さ政権により、自民党を政権復帰させた点は、どうしても許容できない部分があります。
しかし、日本とアジアの平和外交の推進を訴えた、今日のお話は感銘を受けました。
その後メイン(?)の懇親会となりました。
団塊の世代の皆さんを中心に、100名ほどで大盛り上がりでした。
途中、先の衆議院選挙で初当選された先輩と、平塚市議、富山県議、日弁連理事として勲章を受章された先輩に、それぞれ花束贈呈がありました。
普段のモードですと、色々言いたいこともありますが、それをさて置き楽しむ趣旨がOB会ですので、純粋にお祝いしました。
更に楽しかったのは、その後の2次会です。尊敬する先輩田中良都議に連れられ、若手20名ほどで、同先輩の経営する四谷の中華料理屋に行きました。
現役生も参加したことから、自己紹介なども行い、あちこちで雄弁部らしい激論が交わされていました。
そして最後に歌の斉唱です。肩を組みながら、恐らく他店にも聞こえる大声でした。
・第一応援歌 ・第二応援歌 ・明大学生歌 ・インターナショナル (先輩方の中には思い入れのある方もいらっしゃいました。何故か歌えました。) ・明大節 ・明治大学校歌
その中でも、第一応援歌「紫紺の歌」は、学生時代に飲み会で必ず歌いました。久しぶりでした、
3次会は、明大雄弁部の新宿でのアジト、ゴールデン街の「T」に行き、一つの椅子を二人で使いながら、狭い(失礼)店内でまたまた議論です。
明日が早いため、終電で失礼しましたが、おそらく宴は続いたのでしょう。
私にとって明大雄弁部時代の活動と、今日のようなOBとの交流は、ノスタルジーではありません。
相模原市中央にある事務所には、大学卒業時に雄弁部の現役生からもらった卒業記念の「額」があります。
刺繍でつくられたもので、「1994卒業記念 寺崎雄介殿 明治大学雄弁部」と書かれています。
その一番上に、明大雄弁部の基本精神が大きく書かれています。
「和而不同」
“わしてどうぜす”と読みます。
他と和することを尊しとしながらも、同化することはしない。
現在の、そしてこれからの、てらさき雄介の政治活動の指針であります。
2005年11月18日(金) |
記事「歴代首相を斬る」 |
プレジデント社の記事「歴代首相を斬る」は面白かったです。
過去何人かについては、私なりに論評できる気もしますが、宮沢前となると実感ない分難しくなります。
日本の政治力学は、総理ではなく、総理を輩出する政権与党内の構成に中心が置かれていました。
その分、誰が総理であったかのみを語ることは、結果を検証するために余り意味がないかもしれません。
ただ今後については、誰が総理かが、大きく国の動向を左右するようになります。
小泉純一郎が変えた総理のあり方を、これからも見つめてまいります。
2005年11月17日(木) |
新公認基準について、その2 |
過日も書きましたが、衆議院選挙についての民主党の新公認基準についてです。
前原執行部が言い切ったからには、毅然として貫くべきことは当然です。腰砕けになったらそれこそ終いです。
(新人) 一、60歳以上は公認しない 一、二度落選した候補者は公認しない
(前・元職) 一、65歳以上は公認しない 一、復活当選も含め、3度落選した議員は公認しない
かなり思い切った改革案です。
議員や候補者の身分に関わることは、元来ルールを文章で明記しないのが、この政治の世界の不文律だったからです。
早速反対する方々が「会」など結成し、党本部は紛糾状態にあるそうです。
今回の決定は至極当然の内容で、今後の民主党を良い方向に変えるものだと考えます。
しかし一方で問題もあります。
それは手続きです。
民主主義は結果と同じくらい、そこに至る経過を大切にしなければなりません。
このような過去日本の政党には少ない、重大な決め事をするからには、やはり党内や世論のなかで一定の議論を経るべきです。
選挙で小泉総理に負けたのは事実ですが、しかし同じようなスタイルにすれば良いというわけでもありません。
反対論が多そうだから、議論を経ずしてトップダウンにすることは、結果民主党がどうなるか以上に、「民主主義とはどうあるべきか」という基本を蔑ろにすることに繋がってしまいます。
少なくとも「民主」を党名にしている以上、あらゆる決め事については、深く民主的に議論した結果行なわれるべきです。
今後この基準をどこまで徹底できるかも、皆んなで決めたかどうかが重要な鍵になります。
ブッシュ大統領が来日し、京都に完成した新迎賓館の、初めての宿泊客になったとか。
筆下ろしはやはり、アメリカ大統領といったところですかね。
赤坂にある迎賓館は、確かに立派ですが、何で日本の迎賓館がフランス調(?)なのかとかねてから疑問を感じていました。
その意味で新迎賓感が和風というだけでなく、京都にもうひとつ必要だったことも理解できます。
今後の日本と世界にとって、有意義な会談となるよう期待いたします。
2005年11月15日(火) |
クムジャさんと三丁目の夕日 |
最近みた映画評です。
“親切なクムジャさん”は期待外れでした。配給会社も日本に持ってくるのなら、もう少し考えて欲しいと思います。
韓流ブームについては大歓迎ですが、それだけで客が集まる日本の国民性もどうかと思います。
唯一主演のイ・ヨンエは確かに綺麗ですね。汚れ役も出来る気迫は大したものです。
一方、“ALWAYS 三丁目の夕日”には感動しました。
「てらさき雄介のお薦め」に認定しました。是非映画館でご覧ください。
元々映画での涙腺は弱いので、ラスト30分くらいはウルウルでした。
原作漫画は既に老舗です。映画も単なる復古調ではなく、内容も良かったと思います。
しかし原作にはない‘ALWAYS’を着けたのは失敗でした。そもそも外国語は意味無く安易に使うものではありません。
せっかく世界に誇る日本映画をつくったのですから、日本名であった欲しかったです。
吉岡秀隆が白髪交じりなのは少し無理がありましたが、それも日本の俳優不足を現しています。
今でも凄い東京タワーの迫力ですから、当時では言うに及ばずだったのでしょう。
2005年11月14日(月) |
クリスマス会を開催します |
本日の後援会役員会で、恒例となったクリスマス会を開催する段取りとなりました。
詳細はこのHPトップにもリンクをはりましたが、以下の通りです。
12月19日(月)19:00〜 杜のホールはしもと(ミウイ上)多目的室 会費 2,000円(飲食実費分)
次期県政の挑戦まで、残り一年半をきりました。まさに臨戦態勢のなか、楽しいのみでなく、政治家としての考えを多くの方に伝えられるよう頑張ります。
後援会事務所にて事前チケットを販売致します。是非ご一報ください。
また支援者の皆様には郵送でもご案内をさせて頂きます。当日の飛び入り参加も大歓迎です。
お誘い合わせの上、ご参加をよろしくお願い申し上げます。
朝からJCの運動会でしたが、途中運動着のまま抜け出し、基地返還市民協議会が主催する臨時大会に参加しました。
会場の市民会館大ホールは満員で、急遽の開催にしては盛り上がっていたと思います。
開催の目的はもちろん、過日政府から「中間報告」が示された件について、自治体として反対の意思を明確にするためです。
・座間基地への米新軍団の配置 ・相模補給廠への自衛隊連隊の配置
この2項目については、主催者や来賓から異議を唱える発言が相次ぎました。
さて参加した感想ですが、以下箇条書きで述べてみます。
1、上で書いたとおり運動着での参加。余り目立たないかと思いきや、大勢の人に出くわしました。会うたびに「こんな格好ですいません。」1000人を越える動因の最大勢力は市職員のようです。もちろん悪いことではなく、休みの日にご苦労なことです。
1、挨拶のなかで良かったのは星野座間市長です。他の方は相変わらず原稿を読んでいました。大規模集会でかつ政治集会のときはノー原稿が基本です。無ければ話せないなら、暗記するくらいの決意が必要でしょう。現にノー原稿で自分の考えを明確に述べる星野市長の話は、場の雰囲気が一番しまって感じました。
1、主催者代表を市議会議長に任せるのはある意味酷です。能力ある素晴らしい議長ですが、議長とはあくまで議会の公平な運営を司る立場です。特定の政治的意思を代弁する権限はありません。今回の件は党派をこえてますが、議長に主催者代表挨拶をさせるのは酷です。病気療養のため致し方ありませんが、市長欠席ならば代理である助役が堂々と主張を述べるべきでした。
1、講演を専門家に依頼していましたが、(私は運動会に戻ったため聞いてません)必要性を感じません。
1、上で書いた原稿の件も関連しますが、壇上にある過激(?)な基地反対の垂れ幕の割りに、雰囲気は淡々とした会でした。
1、公明党の県議2名が欠席。大切なご予定があってのことでしょうが、欠席は目立ちますね。会に出る大切さを反面教師から感じました。
1、国会議員のうち与党が代理含め3名来てます。当地選出の新人はともかく、他2名は政権内でかなりの幹部。自称では小泉総理と直に話せる関係とか。ならこんなところに来てないで、政府のなかで地元の意思を発言してほしいです。基地返還運動の矛盾がここにも現れてます。
2005年11月12日(土) |
久々の市民委員会準備会 |
市パートナーシップ推進指針では、「市民委員会」を常設することを明記しています。
行政と市民とのパートナーシップがきちんと進んでいるか、それを点検し推奨する委員会です。
せっかく"市民"委員会なのだから、最初の準備段階から"市民"によって検討しようと、数ヶ月前に同準備会が結成されました。
一言ある皆様がメンバーなので、多くの意見が出て紛糾するときもあります。
予定が重なり欠席がちでしたが、本日久しぶりに参加しました。
すると次回は中間報告を予定しているとのこと。大分煮詰まってきたようです。
非常に地道な作業を積み重ねてきた中核メンバーと、市担当職員の努力に敬意を表します。
試行錯誤を繰り返すことに、民主主義の発展があると信じます。
2005年11月11日(金) |
読売論評の「驚く」に驚く |
読売新聞一面下の論評を見ました。
そこには日本人が忘れてしまったものがいくつか書いてあり、その中に"恩"とあります。
その"恩""に関連して、今年起きた少年による両親殺害事件の裁判について感想が書いてあります。
被告少年が陳述のなかで、「恩を仇で返してしまった」と述べたそうです。
この論評を書いた記者は、「16歳の少年がこんな文言を知っていたのかと驚いた」とあります。
論評を聞いたこちらが驚きます。大読売新聞の一面に記事を書く記者も、編集委員もこんなものかと思いました。
子どもが大人より知識がないという偏見は、子どもにとって情報源が限られていた時代にうまれたものです。
現在はネットを含め多くの手法で、子どもは情報を入手できます。
情報に対する関心や、記憶力も鑑みると、大人より子どもの方が情報量は多いかもしれません。
だからこそ色々な社会問題が発生しているのです。
子どもをバカにしてはいけません。
と書いた以上は、私も偏見を持たないよう、周辺の若者に「恩を仇で返すを知っているか?」と聞いてみます。
小川市長の療養のため、加山助役が職務代理に任命されています。
職務代理は、市長が欠けたときの制度かと思いきや、今回のように欠勤の場合でも任命できるとのこと。
先般、ある市役所発行の公文書を見ました。すると市長名・印のところが加山助役の名前になっています。
聞いてみると住民票など、ほとんど全ての文書が職務代理名とのこと。きちんとしていると言えばそうですが、やはり融通が利かない役所らしいとも思います。
そして市長名がないことの説明のために、役所内のテレビモニターなどに、「市長が病気療養云々」と書いてあります。
地方自治には色々な制度があることは承知しています。でもやはり今回のように事態に直面しないとわからないこともあるものです。
とにかくにも前回の市長選挙で圧勝し、市民の信託を得たからには、一日もはやく回復し公務に復帰されることを期待するのみです。
心からそう思います。
自衛官募集相談員会の研修会がありました。
昨今の募集状況が悪いことから、急遽相談員に対して現況説明が行なわれたのです。
説明をしたのは、自衛隊神奈川地方連絡部長・同募集課長・相模原募集事務所長で、数十人の相談員が参加しました。
自衛隊への応募者が減った最大の原因は、景気が回復基調(?)になり、民間の求人が増えているからとのこと。
少し意外でした。
自衛官になるということは、よほどの覚悟が要ります。景気で云々という通常の就職先のような話になるとは思わなかったのです。
さて世界平和を創ることを、政治家として最大の使命としている私が、自衛官募集相談員になっているのには理由があります。
それは募集に直接協力したいという気持ちよりも、現在の自衛官が被っている多くの差別を失くしたいと考えているのです。
街の中で、自衛隊の任務について広報する機会を設けるべく、色々な方に話をしてみますが、それが自衛隊であるだけで受け入れてもらえないことが多いです。
軍国主義=自衛隊であり、自衛隊の存在=政治的テーマ、になってしまっているのです。
アメリカ軍に対しては「格好いい」という人でも、自国の軍隊に対しては暗いイメージを持っています。
もちろん前提として、軍隊は必要「悪」です。
かつて吉田茂が防大卒業式で言った「君たちが日陰者の方が、世の中は平和なのだ」も、かつての軍事大国を経験した反省として的を得た意見です。
しかし警察官も消防士も、そして自衛官も、危険な仕事を公務として行なっていることに変わりはありません。
もし将来自衛隊が道を誤るとしたならば、それは自衛隊ではなく、政治の責任なのです。
自衛隊とは何であるのか、それを国のなかで位置づける責任を放棄してはいけません。
私は自衛隊の必要性を認めた上で、日米安保条約を含む安全保障政策の見直しを行い、そして将来に向けての軍縮を、国際社会と強調しながら行なうべきと考えます。
2005年11月08日(火) |
民主党の新公認基準について |
党本部が衆議院選挙での公認基準を示しました。今までは明文化されたものがなく、公認決定に至るまでの経過が不透明でした。
あわせて強い候補者を擁立するために、過去落選した候補者を差し替えるため、その基準を明確化する必要もあったのでしょう。
3回落選したら公認しないのは当然にしても、比例復活当選を落選と認定することには、恐らく反発もあったでしょう。
前原代表以下執行部の英断だと思います。
今回のものは、あくまで国政選挙についてですが、地方選挙もこれに準じていく可能性があります。
私たち総支部では、昨年度政策調査委員会(長友克洋委員長:当時)が基準を定め、「同一選挙で2回敗戦したら原則公認しない」とだけあります。
しかし基準を定めても、いかにそれを守っていくかが大切です。
だいたい頭に“原則”と付いていて、諸般の事情で“例外”を連発し、基準が有名無実化されていく傾向も多くあります。
例えば現在の党本部のルールには、知事と政令市長について、「4選以上70歳以上は推薦しない」とはっきり書いてあります。
しかし前回の横浜市長選挙では大半が4選目の現職市長を応援しました。
松沢成文代議士はじめ一部の有志が現中田宏氏を支援し、私も街頭ビラ配り要員として参戦しました。
小泉総理の大勝は、彼の徹底した姿勢によります。非情とも言える覚悟で、今までの仲間を追い込んでいきましたが、そのことは反面信念の固さを主権者に訴えることに繋がりました。
さて私ごとですが、前回は党公認候補として落選致しました。今回藤井先生はじめ多くのご推薦で、再び党公認候補として県政に挑戦する機会を頂きました。
現在の基準に照らし合わせるまでもなく、今回敗れることは許されません。まさに背水の陣で来たる決戦に臨んでまいります。
2005年11月07日(月) |
参院候補だった牧山さんと話す |
定例の党支部常任幹事会がありました。参議院補欠選挙の総括が主な議題で、候補者だった牧山ひろえさんも御礼のため参加されました。
会議終了後は近くの店で、牧山さんを交え食事会をしました。
突然の呼びかけのため参加者は数人でしたが、私もせっかくの機会なので他用を中座してご一緒しました。
色々政治の話をいたしましたが、牧山さんの経歴が映画会社関連が多かったことについて話をしました。
お話を聞いてみると、なるほど色々な経験をされています。じっくり話せば、やはり人間としての面白さが出てきます。
補選の性格上党本部直轄だったこともあり、なかなか個性が出せなかった面もあったのでしょう。
話のなかで、期間中の演説について、自分の主張と党の兼ね合いを悩んだと言われてました。政党に入っていれば、誰しも一度は思い悩むことです。
アドバイスを出来る立場ではないので、自らを律する意味でで牧山さんに言ったのは、「一番大切なのは、自分が政治を志した動機だ」ということです。
経験上ですが、選挙戦も終盤になり、心身共に限界に達してくると、無意識の中で演説しているのは、この「最初に政治を志した思い」であることが多いです。
党とはひとつの指針ではありますが、有権者の投票が個人名であることからも、あくまで自分の主張を曲げてはいけません。
次期参議院選挙については、まだ正式に候補者になったわけではありませんが、今後は自分の後援会行事などにもお声がけしたいと思いました。
毎日この日記を見て頂いている皆様には、本当に感謝しています。ありがたいです。
パソコンが事務所のデスクトップ1台のみのため、事務所に寄らない日は更新が出来ない日もあります。その際はご理解ください。
さて今日は夕刻より、地元歌手のデビュー1周年の記念パーティーでした。
支援者の方からお呼ばれし伺いましたが、会の途中で急にマイクを向けられた時はびっくりしました。
こういう会の挨拶は、とても難しいものです。しかし「やあやあどうも」だけでは、私の否定する冠婚葬祭政治になってしまうので、多少でもメッセージを入れるように頑張りました。
今日の歌手の方は58歳だそうです。それでも夢を追い求め頑張っている姿はとても素晴らしく、3時間以上の会を最後まで楽しく過ごしました。
酔っぱらった参加者が、「寺崎唄え!」とおっしゃいました。しかしカラオケはかなり下手です。
自分の政治家としてのメッセージがダメとか、あるいは挨拶が何言っているわからなければ、それは資質の問題しててあきらめるしかありません。
しかしカラオケが下手で、ダメだしを食らっては本望ではないので、ご遠慮しました。
それでも友人同士では時として唄います。
代表的な持ち歌は以下の通りです。
上を向いて歩こう(仕事用) ああ人生に涙あり(仕事用) 群青(仕事・プライベート両用) ALONE(プラーべート用) GOODBAYDAY(プライベート用)
上でも書きましたが、かなり下手です。感情を込めるのも苦手です。どこかで聞いて頂く際は、やさしく見守ってください。
今日聞いた歌手の唄は、まさに含蓄があったと思います。本業は俳優さんですので声がよく、思いを込めて唄っていられました。
楽しい会でした。
2005年11月05日(土) |
相模原に生まれ育った縁 |
午前中は消防団の健康診断です。希望者のみ個人負担1000円で受けられます。
市議時代は議会互助会でやっていたのですが、現在はこういう機会が貴重です。バリウムまでしっかりやりました。
昼から大切な友人の結婚披露宴です。夕方の2次会まで参加しました。
相模原で生まれ育ち、結婚後も相模原に住み続けるそうです。仕事も市内なので、おそらくは私と同じく相模原に骨を埋めるのでしょう。
地域で生きていくことは、楽しいことも煩わしいこともあります。ひょっとしたら数でいけば、煩わしいことの方が多いかもしれません。
しかし同じ地域で住んでいる者同士が、時として共有する連帯感は、他では味わえない喜びも生んでくれます。
これから数十年、今日結婚した友人と私は同じ相模原で暮らします。その長い時間のなかには、時として、争いや仲違いをする時もあるかもしれません。
だからこそ今日という晴れの日に一緒だったことは、大切な財産として一生大事にしたいと思います。
おめでとう。
2005年11月04日(金) |
“マニュアル”返答が悲しい |
ある物が要らなくなり、リサイクルショップに売ろうと考えました。
2軒行って断られ、あとは数軒電話しましたが、全て買い取り不可です。
希少品(でもない)と思いあきらめましたが、「何でも買います」は誇張でした。
うち1件には、買えない理由を聞いてみました。
リストにダメと書いてあるからではなく、リストにないからダメだそうです。
その返答に私の嫌いな“マニュアル君”の影が見えて嫌でした。
かつて質屋の中には、その物に対する売り主の思い入れなども含め、総合的に考慮しお金を貸したと言います。
また一見売れそうもないものを、頑張って売る気合いも欲しいですね。
まあこれは現在の日本の価値観では、無理な相談ですね。
しかし未来は・・・。
*ちなみに売ろうとしていた物は、私と同業者が必ずと言っていいほど持っているものです。新品だと5万円から10万円くらいします。さて何でしょうか。
今日は「文化の日」です。くどいかもしれませんが、持論を述べます。
祝日は、それが何を記念しているか、わかるよう命名すべきです。今日は以前の「明治節」=「明治天皇誕生日」でした。
しかし政府の公式見解は、「文化の日」は「明治節」とは関係ないとのこと。よく解らない話です。では一体何なんでしょうか。
はっきりと「明治天皇誕生日」とすればいいのです。
諸般の事情でそれが難しくなったのなら、思い切ってその祝日を廃止にすべきです。
さて今日は、支援者の方に連れ回し(その方の知っているお宅を一緒にまわること)をして頂きました。
そんな中で「多摩美」の関係者の方にお会いしました。多摩美術大学のことです。
友人で卒業生がいますし、隣市にあることから、身近な大学と言っていいと思います。
色々話をしている中で、「多摩美」という言葉から、学生時代のある思い出が蘇ってきました。
恐らく今日思い出さなければ、一生記憶の奥に眠ったままだったかもしれません。
20歳のとき、ネパールのカトマンズのことです。
行きは頑張って陸路で行ったのですが、さすがに疲れて、帰り(と言っても旅の途中)はインドのカルカッタまで飛行機を利用することにしました。
カトマンズの空港で、出発が遅れること既に数時間(確か5、6時間は遅れてような気がします)が経っていました。
待合い室に居たのが、私より汚い格好をした日本人の2人組です。さっそく話てみると、八王子に住んでいるとのこと。
ご近所だったので、色々な話をすると、その2人組は「多摩美」の学生でした。正直この時始めて「多摩美」の名前を知りました。
カルカッタに着き、腹が減っていたので、エアポートホテルのレストランに入りました。
ガイドブックによると、ここのみ牛肉が食べられるとのこと。頼んでみると、アメリカンスタイルの草履ビーフです。
それでも美味しく食べていると、その2人組が入って来て、同じく牛肉を頼んでいます。
食べ終わったあと、節約のために、市内までリクシャーをご一緒しました。
以上です。
オチがない話ですが、以前のことをすぐに忘れてしまうので、時々こんな風にふと色々なことを思い出します。
良い思い出もあれば、そうでないものも。幸い思い出すのは、良い方が多いですが。
記憶をしておく機能というのは、恐らくは意思と別ではないのでしょう。
しかし一度試みたのですが、覚えていようと思っても忘れてしまうのです。
県政が遠く感じられます。毎日そればかり考えている私ですらそうです。
小泉総理はテレビを通じて、国の政治を身近にしました。地方分権の流れで市の政治も、日々多くの関心を集めています。
神奈川県知事松沢成文氏は、政治の世界では知らない人はいませんし、私も大好きです。しかしその名前も、多くの人々に響いているとは思えません。
県会議員でさえ「もう県はいらない」といった発言をします。「だったら辞めればいいのに」と思います。
しかしあきらめないで下さい。県政を身近にすることは可能です。
県に関わり仕事をしている人間が、もっと真剣にその役割を訴えるのです。そして「県民」としての意識を育んでもらえるよう努力するのです。
相模原市民としての34年間、市議としての6年間を通じ、広域行政の重要性を肌身に染みて感じます。
今後の役割は多くなることはあっても、少なくなることはありません。
昨日の予告とは違った内容にします。すいません。
小泉総理最後の組閣がありました。個々の顔ぶれについて述べることは致しません。
しかし小泉総理は、組閣のあり方を大きく変えました。この点は良い方に変わったので評価できます。
前総理まで引きずってきた、派閥構成と当選回数至主義は、今は昔となりました。後継総理が元に戻さないことを期待します。
さて一方で小泉的政治手法は、ルール上でも日本の政治システムが想定していなかったことであり、議院内閣制よりも、大統領制を志向しています。
選ばれる手続きのみ国会が行っていますが、国会と連帯することを総理が意識しなければ、議院内閣制とは言えません。
各大臣を「総理」する総理大臣ではなく、各大臣に「命令する」総理大臣になったのです。
総理が大統領的に権限を持つことは、否定しませんし、方向性としては良と考えます。
しかしそのためには、国会が内閣をしっかり監視する制度も、あわせて整備しなければなりません。
例えば大統領制の多くの議会では、党議拘束がありません。大統領を同じ政党であっても、大統領を批判し、その提案に反対することも許されるのです。
現在のように、内閣が国会と連帯せずに政策を実行しながらも、国会の多数与党がそれに意見することを許さないのは、明らかに制度の盲点をついた独裁です。
小泉総理は特殊な例でしょうが、次の内閣になっても、党派をこえて議論すべきテーマです。
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