てらさき雄介の日記
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パソコンに詳しい友人に泊り込みで来てもらい、パソコンに関する様々な相談にのってもらいました。
その友人曰く「これではだめだ」。それからヨドバシカメラに行きノジマ電器に行き、ほとんど友人任せとは言え、私もない知恵を絞り説明を聞きました。
結果ソフトや機器なども充実し、政治活動により使える状態になりました。
「てらさき雄介フォト日記」もついにオープンできそうです。
2005年01月30日(日) |
スマトラ沖地震義援金活動 |
相模原市社会福祉協議会などが主催する募金活動に、青年会議所のメンバーの一人として参加しました。場所は相模大野駅です。
通りかかる皆さんの関心は高く、若い人でも多く募金をしてくれました。
日本も津波の被害が昔からある国です。他人事ではなく、政治もより援助を実施すべきです。
2005年01月29日(土) |
とてもおめでたい披露宴 |
長友義樹市議のお嬢さんが結婚され、披露宴に参加いたしました。両家の関係者が多く集まり、感動的な披露宴でした。
結婚披露宴はいつも嬉しくなるものですが、以前から親しくしていた方だと感動も倍増します。
新郎は自衛官という大変な職業ですが、お幸せを心よりお祈り申し上げます。
2005年01月28日(金) |
政治と金〜藤井代議士賀詞交換会にて〜 |
藤井裕久代議士の賀詞交換会が、同後援会及び党14区支部の主催で開催されました。
数百人の参加で大盛り上がりで、ご無沙汰している皆さんとも久しぶりにお会いでき、私にとっても有意義な会でした。
“政治と金”の問題について、国会で政府与党を追及していくとの藤井代議士の挨拶です。相変らずこの種のスキャンダルが多いことは、もはや怒りを通り越してあきれてしまいます。
政治の何にお金がかかるのか、それを有権者が民主主義のコストとしてどのように負担すればいいのか。抜本的な改革が必要です。そのためには実態を知っている政治の側から、問題提起と具体的な解決策を示すべきです。
「例え政党に対してでも、企業団体献金は一切禁止する。」これが私の考えです。一方政治や選挙にかかる支出を大幅に規制するとともに、公費からの支出も増やすべきです。また現在の政党交付金については使用について、より公平に開かれるべきです。
一日中何もせず、すっかり休んでました。どうも通常モードに体が戻らないことと、やはり疲れているようです。
今この日記は休憩後に書いているため、既に完全復帰しています。
携帯電話はこういうとき困りますね。鳴ってなくても、鳴っている気がして休めません。かと言って電源を切るほどの‘勇気’もありません。
どちらにしろ、明日からは現場に復帰です。引き続きよろしくお願い申し上げます。
2005年01月26日(水) |
県議選に向けて公認申請します |
本日開催の後援会役員会で、報告し承認をいただいたことです。
次期統一地方選挙・神奈川県議会議員選挙の、民主党公認候補の申請を行います。
民主党神奈川県連が行うもので、14区支部(藤井裕久代表)の推薦が必要です。これから所定の書類などを揃え、関係者にお願いに伺う予定です。
通常の感覚だと、二年以上前にこの種の手続きを開始することは早い感も持たれますが、候補予定者たる私にとってはありがたい限りです。文字通り全力投球できます。
1997年1月26日。私が市議会議員に初当選し、政治家としての生を受けた日です。今日で丸八年となりました。
果たして私が政治をやっていることが、多くの人々のためになっているのか、思い悩む日々は続いています。
政治活動○○周年などの企画は、きっと過去の自分に多大な自身のある方の催しでしょう。
年月に重きをおくのではなく、その中で何をやってのかが問われるべきです。「十年一仕事」でしょうから、まだまだ中途です。
また八年後どういった感想を持てるかは、これからの自分自身の努力にかかっています。
小川市長が再選されたことで、合併が進むことが予想されます。以前から言っているとおり合併自体には賛成ですが、抜本的な行政改革に結びつくものであってほしいです。
敗軍の将兵を語らず。確かに選挙「戦」について多くを言う資格はありませんし、今回の選挙でもうんだかんだ意見を言ったことはありません。むしろ黙々と実務に徹してきました。
しかし政策は別です。自分自身、合併協議会の公募委員として参加してきた分思い入れもあります。一時一秒を争うよりも皆んなの合意により、いい合併にしたいのです。
城山町や相模湖町に対しても、今後一緒にまちづくりを考えていくのですから、もっと友情を持った対応をすべきです。
最後の砦は相模原市議会です。結果はもはや止めようもありませんが、将来の新相模原市民に誇れる議論を期待いたします。
2005年01月23日(日) |
市長選挙が終わりました |
敗戦でした。申し訳ありませんでした。どこかで覚悟していたことでしたが、大差で敗れることは自らの力不足を恥じるばかりです。
今思うのはこの半年間経験したことを、自ら記憶し、皆さんにも伝えなくてはならないということです。機会あるごとに、反省点を踏まえ発言してまいります。
多くの方のご支援に感謝申し上げます。ありがとうございました。申し訳ありませんでした。
(結果)
大谷直敏 57448 長崎克央 21912 小川勇夫 79933
投票率33.02%
2005年01月22日(土) |
今はただ、投票率の向上を |
明日は相模原市長選挙の投票日です。
今更多くは語りません。今はただ、投票率が上がることに期待するのみです。
「中核市」「政令市」言葉だけが先行してはいけません。私たち市民が、まちづくりに関心を持ち、積極的に参加してこその地方自治です。
皆さん、よろしくお願い申し上げます。
2005年01月21日(金) |
支援者の皆様に改めて感謝 |
人の選挙を応援するというのは、本当に大変ですね。改めて私を支援いただいている皆様に感謝する日々です。
この市長選挙が終われば、次期県政に向けて全力疾走しなくてはなりません。自分自身の闘いを控え、最後に相模原市長選挙に参加できたことは貴重な経験でした。
多くの方が、私の何に期待しているのか。その気持ちを精一杯考えながら、政治活動を続けてまいります。
2005年01月20日(木) |
性格温厚のはずが何故 |
幼少の頃から性格温厚で通っていました。逆に闘争心がないことを、バスケ時代は指摘され続けてきました。
現在でも争いごとは好きではありません。回避したい気持ちで一杯です。
今選挙事務所で机に向かい、大きなものに逆らっている自分を省みて、ふと感じます。「何故、この私がこんなことに!?」
そう言えば、市議会で二人会派の控え室にいるときもでした。「何故、温厚かつ素直な私がこんな小さな部屋に!?」
しかし、致し方ありません。現状があまりにも異常なのですから。
政策で政治を志し、政策で選挙を戦い、政策で議会が動く。そんなあたり前の政治を実現するため、引き続き頑張ります。
田中康夫長野県知事が、文字通り「ガラス張りの知事室」をつくりました。パフォーマンスと揶揄されましたが、良いことだと思います。( 田中県政についてはコチラをクリック)
議会の会議と同じく、市長の公務についてもより市民に開かれるべきです。各種会議の「結果」については、様々な手段で知らされますが、大切なのはそこに至る「過程」です。
言い方を変えれば、本当の情報公開とは「政策形成の過程を明らかにすること」に他なりません。
市のホームページなどでも、市長が誰と会って何を話したのか、その概要を広報すべきです。
もちろん、明らかにできない内容があることも理解できます。その部分については、「秘密」と堂々と書けばいいのです。それは市民の理解が得られるはずです。
2005年01月18日(火) |
コスト削減を負担軽減に |
役所が仕事を民間委託することによって、大幅に経費が削減されることがあります。同じように人件費の削減など、行政改革はコスト削減のために行われるべきです。
県も市も少しではありますが、昨今コスト削減をしています。しかし私たち納税者に実感はありません。
それもそのはず、浮いたお金を別のことに使ってしまっているからです。
相模原でも保育園の一部を民間委託しても、保育料は決して下がりません。「運営の内容が良くなっているし、他の必要な事業にまわしている」では、“実感”がもてないのです。
一円でも私たちの負担を下げる努力をすべきです。
今回の市長選挙では、市長の退職金制度を廃止することが争点のひとつになっています。
実現したあかつきには、その分のお金をうやむやに使ってしまうのではなく、「これがそのお金でつくった施設です」とか「その分この料金を下げました」とか、明示すべきです。
合併協議会のまちづくり検討会に参加したのは、より良い合併を実現したいと考えたからです。つまり合併賛成です。
かつて1999年の9月議会総括質疑で、城山町をはじめとする周辺自治体との合併の検討を訴えたこともありました。蛇足ですが、そのときの市長の答弁は「否」・・・。
合併は‘二つあるものを一つにすることによってコストを削減し、市民の負担を下げる’ことに目標をおくべきです。
しかし現在のあり方は、合併特例債だけでなく財政規模の拡大を目的にしててしまっている点があります。
結果、「効率良い小さいな政府」ではなく、「大きな政府」になってしまう可能性すらあります。
西東京市がやったように、明確な数値により経費の削減目標を出すべきです。
公職選挙法の規定により、選挙期間中に特定候補者の名前をネット上に出すことはできません。
従ってしばらくは、今回の市長選挙の争点にすべき事柄について、考えを書いていこうと思います。
“住民投票”制度は、行政運営の最終的意思決定のシステムとして、常設的に設置すべきです。
“住民投票”をどう考えるかは、その人の基本的な民主主義観を現します。
議会政治=間接民主政治なのだから、住民投票=直接民主政治で「矛盾」が生じるなどという、よくわからない問題点を指摘する方もいます。
そしてこの種の意見を言うかたは、議会関係者に多いのも驚きです。有権者の意思を把握しているとの自信は結構ですが、少なくとも私は最終的に、改めて住民の意思を確認したいと思うことが、過去多々ありました。
学説でいうところの、‘住民投票は間接民主政治を補完する’という意見と同じです。
相模原と津久井の合併に“住民投票”を実施するかどうかが争点ではなく、“住民投票”をどう考えるかが問われるべきです。
以上希望でした。現実そこまでは各候補者間で語られていません。
大晦日に続き、少しだけ雪が降りました。雪がうっとおしくなったのは、いつからでしょうか。小さい頃は楽しかったものです。
雪が降る・・・ふと三つ想い出します。
中学生のときに雪が降ると、よく横浜線が運休になり学校へ行けなかったこと。
ポーランドで列車の中からツンドラを見たとき、極寒の世界に恐怖を感じたこと。
長野県をノーチェーンで山道を走っていたら、急に降ってきて、事故を起こしてしまったこと。
今年もあと何回か降るでしょうか。風情を感じる感覚も大切です。私に欠けている部分ですが。
2005年01月14日(金) |
やはり街頭演説はいい |
朝起きるのが辛くても、駅まで行って話し始めるとあっという間に時が経ってしまいます。街頭演説は数ある政治活動のなかで、楽しいものの一つです。
しかし今回の市長選挙での役割は、最も苦手とする事務方です。一昨年の衆議院選挙でもそうでした。
“修練”こそ浪人中の意義と頑張ってるつもりですが、なかなか上手くいきません。あと1週間困ったものだと思っているところに、「弁士がいないので相模大野駅に行け」との指令です。喜び勇んで出発しました。
正味30分位の街頭演説でしたが、とても楽しかったです。政治家と有権者とのつながり方は多種多様ですが、私はやはり‘街頭’だと再確認しました。
そして、明日からはまた事務・・・。隙を見て街宣に加わろうと、虎視眈々思ってはいますが。
明日は雪でしょうか。皆様お気をつけください。
2005年01月13日(木) |
選挙での会議に、どれほどの意味があるか |
いわゆる“選対会議”にどれほどの意味があるのでしょうか。「そんな時間があるのなら、街頭演説に行かせてほしい。」率直な気持ちです。
市長選挙のような大きな選挙ですと、一層会議が多くなります。毎日のようにやってます。
有権者の深層心理を理解し、それぞれが考えをぶつけ合う会議ならば意味がある気はしますが。
関係者以外の方には訴えることの少ない今日の日記ですが、通信手段が変化した現代ですから、選挙のみならず会議のあり方も変化すべきです。
と言いつつも、私も選挙に関係する会議を多く開催していただいています。
時間を下さった皆さんに、有意義な時間だったと思っていただけるような運営をしたいです。
2005年01月12日(水) |
すいません、ラジオ番組は終わってます |
パーソナリティーをつとめていた、エフエムさがみ「みっぱらトーク21」は、だいぶ以前に終了しています。現在は、一緒にやっていた長友克洋市議はじめ数人による、同趣旨の別番組が放送されています。
先日の市長選挙公開討論会がラジオ中継されたことから、意外と私の出演歴をご存知の方から、「まだやってるの?」と聞かれました。
またいずれ、そんな機会もあるかもしれませんが、一層パワーアップして登場したいものです。
もちろんそれは地位云々ではなく、主張と実績においてです。
2005年01月11日(火) |
新聞“赤旗”でびっくり |
新聞“赤旗”は、主張は違えど立派な新聞ですね。政党の機関紙も、ここまで充実してるといいですね。“民主”も将来は日刊であるべきです。
さて、先日あるところで同新聞を読んでいると‘共産党の機関紙を配っていた人が逮捕された’ことに抗議する記事がのっていました。
なんとその記事に論評を寄せていたのは、明治大学雄弁部で直接お世話になった先輩です。学生時代からマルキストで、だいぶガンガンと論争いたしました。すべて私の負けでしたが・・。
「この先輩も変わらないなあ。」などと思いながら記事を読んでいて、変わらないものに嬉しかったりもします。
先輩頑張ってください。私も頑張ります。
2005年01月10日(月) |
1000人聴衆の前は二回目です |
市長選挙の決起集会で、1300名の聴衆の前で少しだけ話しました。といっても事務連絡程度ですが。
二回前の衆議院選挙の際に藤井裕久代議士の決起集会で、当日急に司会をしたことがありました。その時も1000人以上の参加だったと思います。
一般的には人数が多いほうが、緊張すると思われるかもしれませんが、そうではありません。
自分の話をじっくり聞いていて下さる方がどれだけいるかが、緊張度の基準です。
一番緊張するのは、後援会会議や各種イベントや、自分の選挙での演説会などです。武者震いというやつですね。
今回のように人数が多くても、はっきり言えば自分でなくてもいい会の場合は、緊張も少な目ですね。もちろんいい加減にやっているわけではありませんが。
さあいよいよ、市長選挙も本番間近です。大袈裟に言えば、万感の思いを込めて頑張ってまいります。
2005年01月09日(日) |
公開討論会をラジオで聞きました |
相模原市長選挙の公開討論会が開催されました。都合で行けなかったため、ラジオで一部中継を聞きました。良い企画ですね。
県議選でもやってほしいものです。お願いします。
約2時間半くらい各候補の話を聞くと、何となくですが、各候補の違いでわかることがあります。
大谷、長崎、小川の三氏とも親しく話しをしたことがありますが、今日初めて「ああ、この人はこういう考え方をする人だったのか」と新発見もありました。
現段階では、企画も参加も関係者中心ですが、いずれ多くの市民が各候補の生の声を聞けるようになればいいですね。
2005年01月08日(土) |
大谷なおとし総決起大会が開催されます |
支援している相模原市長候補予定者、「大谷なおとし」さんの総決起大会が、下記の要領で開催されます。
私は今の相模原の政治を変えるために、本気で運動しています。
皆様のご参加をお願い申し上げます。
日時:2005年1月10日(月)午後6時開会 場所:相模原市民会館大ホールにて
*尚、明日は公平な団体による「公開討論会」も開催されます。他候補も参加し激論が行われますので、是非ご参加ください。 (1月9日(日)午後7時 あじさい会館ホールにて)
2005年01月07日(金) |
労働者の代弁者であることを再認識 |
連合神奈川の賀詞交歓会があり、遅れながら参加いたしました。各地域の組合員の方、他来賓など数百名の参加で盛会でした。
真面目に働きながら、報われることの少ない方の代弁者でありたい。これはサラリーマンの家庭に育った私の政治を志した動機の根幹です。
現に今日の会も、正直知っている方は少ないですが、親近感が非常にあります。
財界を行脚し献金を集める前に、労働者層の支援をしっかり掴むことが民主党の原点です。
労働組合の皆様とのお付き合いが、なかなかうまくできな自分の未熟を感じていますが、引き続き頑張ってまいります。
政治家は公職選挙法により年賀状が出せません。従ってもらいっぱなし。申し訳ない限りです。
今年私がいただく年賀状が、明らかに減りました。
コミックの「僕らはみんな生きている」が真田広之の主演で映画化されましたが、ラストシーンが思い出されました。
会社を定年した途端に、数百通の年賀状が数枚になったというエピソードです。
現在の活動不足を恥じるとともに、それでも年賀状をくださった皆様のことをしっかり胸に刻んでおきます。
ありがとうございました。頑張ります。
*決して暗くこの日記を書いているわけではありません・・・念のため。
午前中は体調不良でダウン。普段元気なせいか、少し風邪っぽいだけで辛いです。
午後市長選挙事務所に行ったが最後(別に嫌なわけではありませんが)、ドタバタとして気が付けば夜半です。調子も復活してました。
本日民主党内の有志により、大谷なおとし氏を支援する「勝って連・民主」が結成されました。十数名の参加により盛会でした。メンバーのひとりとして頑張ります。
政党の名前である「民主」と「勝手連」とがくっついているのは、言葉の矛盾のような気もしますが、そのことは選挙が終わってから、しっかり皆で話したいですね。
平原綾香の2ndアルバムに、井上陽水「心もよう」のリメイクが入っています。
すっかり忘れていましたが、良い歌です。当時(中学生?高校生?)を思い出しました。
過去の名曲を、新しい歌手が歌うことは素晴らしいことです。微妙な表現は違っても、音楽の本質は時間を超えるのでしょう。
尾崎豊の曲をリメイクし、しっかり歌える男性歌手が出てほしいものです。
2005年01月03日(月) |
自治会を選挙で使うのは間違い |
自治会に役員として携わっている皆様に敬意を表します。とても大変な業務をボランティアでされている姿には、政治家としても頭が下がります。
しかし各種選挙の際に、集票組織と化す姿は誤りです。自治会ルートで支援を頼む候補者も候補者ですが、その無理な要求を受ける姿勢も問題です。
自治の目指すべきは、行政からの自立であります。反面で言えば、行政に対して発言していくことも、自治会の大切な役割です。
こういう公私混同が、新住民の自治会離れを生んでいる現実を、無視してはいけません。
毅然として、一部議員や候補者の要求を跳ね除けましょう!
今年は2005年、そして平成17年です。
私は主に西暦を使います。元号が嫌だとかいうわけではなく、民主党も青年会議所も西暦使用のため、慣れているせいでしょうか。
天皇に元号が称されるのは、亡くなった後です。現在の天皇は「平成」天皇ではなく、「今上」天皇です。そういう意味では、天皇に対する敬愛の念を即元号に結びつけるのも、一部無理があると思います。
記号としては明らかに西暦の方が便利であり、元号は年を現すというよりかは、歴史を確認するという意味で使われるべきでしょう。
でも履歴書などの年表は、元号の方がわかりやすいですね。
2005年01月01日(土) |
新年に“レディ・ジョーカー”を見て |
「なるように生きてきて、なるようにしかならない。そんな気持ちがあんたらにわかるか。」今日見た映画“レディ・ジョーカー”で、主演の渡哲也が最後に言った言葉です。
昨日まで親しくしていた方が音信不通になってしまった。いなくなってしまった。この世から旅立ってしまった。ここ数年、そんなことが多々ありました。
構造改革は必要です。しかし抜本的な改革は、「個人と社会との関係」「政治と産業との関係」「日本と世界との関係」にこそメスを入れなければなりません。
金を持っていることが、必要以上に意味を持ってしまう現在の社会を変えていきたいです。
暗い内容ですが、私の年頭所感です。
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