てらさき雄介の日記
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2004年12月31日(金) 今年一年ありがとうございました

夜7時を少しまわりました。年明けまでは、いまだ数時間がありますが、これから最後の歳末警戒のため、帰宅は来年です。

今年一年の皆様のご支援に感謝申し上げます。

この「日記コーナー」も、作成して本当に良かったです。一日に数十人の方が私の主張を見て下さっていることは、政治家として自信に繋がりました。

国際問題から3面記事、そして相模原政局まで、全てのテーマに考え方を持たなければならないのが政治家です。

時として無理に、自分の中で考えを集約してしまったこともありましたが、柔軟性を持つことにより、独善的になることも避けたつもりです。

今日の新聞には「奈良少女殺人事件の犯人逮捕」「インド洋津波の被害について」などが出ています。

民主党前代表の菅直人代議士は、昨年総選挙のマニフェスト前文のなかで、「政治の役割は最小不幸社会の実現」と言っています。

何が“幸福”かの価値観は、個人によって異なります。しかし私たちを“不幸”にする要因の多くは、社会的に解決できるということです。

来年が皆様にとって良い年でありますように、心よりお祈り申し上げます。

私も政治家としての責任をまっとうしてまいります。



2004年12月30日(木) 過去を振り返り、明日を駆ける

今年も終わろうとしています。特に後半は色々なことがありました。いかんせん経験不足かつ未熟者のため、いくつかの失敗もしてしまいました。

しかし常に、自分自身の政治信条を裏切らず、信念を持って行動してきました。一部私に対する内外からの誹謗中傷が無いわけではありませんが、多くの有権者は真実を見ていてくれると信じています。

歴史に学べるのは人間だけです。明日を駆けるために、過去を振り返ることも必要だと最近思います。




2004年12月29日(水) さだまさし“遥かなるクリスマス”

「おやじくさい」とよく言われますが、さだまさしが好きです。

声の響きは、他の歌手にないものです。故郷や季節など、最近はあまり実感しないことをイメージできる詩も良いです。

表題の曲は、今月発売のアルバムの中にあります。珍しく社会問題をテーマに扱った曲です。

平和を創るためといって実際は平和を壊している、いくつかの国とそこに暮らす人々に向けたものだそうです。

ヒットするといいですね。是非聴いてみてください。


2004年12月28日(火) 歳末警戒です

今年の消防団歳末警戒は、12月26日から31日までです。私自身は、市長選挙が忙しく3日間しか出れませんが、皆んな頑張っています。

今日は担当区域内を消防車で一回りしました。この時期夜に“カンカンカン”と鳴っている音は、この消防車の音です。

26日に火事に出動したときも、実際は交通整理以外することはありません。市議会でも発言しましたが、火事や防災にのみ、この消防団約700人を使うのではなく、もっと広範なまちづくりにも参加させるべきです。

少なくとも消防をやっているメンバーは、地域にアイデンティティーを感じているからです。


2004年12月27日(月) 「クリスマス会」ありがとうございました

後援会の皆様に「クリスマス会」を開催していただきました。まだ整理していないので正確な人数はわかりませんが、会場一杯の多くの方にご参加いただきました。ありがとうございました。

私自身は、
1、次回県議選に向けて、一層まい進すること
2、「変革の能動者」に相応しい行動をすること
3、相模原の惰性を打ち破るために、大谷直敏さんの選挙に参戦することについてお話し申し上げました。

来賓挨拶のなかで、尊敬する藤井裕久代議士から「信念の人」と言っていただいたのは、無上の喜びです。

多くの方に支えていただいていることを実感しながら、更に頑張ってまいります。


2004年12月26日(日) プーケットの津波と、近所の火事場

思い出の地プーケットをはじめ、アジア各国で津波の被害がありました。数千人の死者が出るという惨事について、何もできないことがもどかしいです。

自然災害に対処することは限界がありますが、それこそが政治の課題でもあります。

実は、本日消防団の市長巡視がありました。赤じゅうたんをひいて、市長閣下をお迎えするという旧いやり方ですが、儀式として止むを得ない点もあります。

皆んなで整列していると、火事から緊急連絡です。丁度私が運転担当。消防ポンプ車で、並木の火事場まで急行しました。

しかし、いつ見ても相模原市消防の皆さんの活躍は素晴らしいです。危機管理や災害対策には、予算を惜しむべきではありませんね。

負傷者が出なかったことが、不幸中の幸いでした。私も身近なところから、日頃の注意を怠らないようにいたします。


2004年12月25日(土) もうひとつの天皇誕生日

A級戦犯の起訴
   4月29日 昭和天皇誕生日
裁判での死刑求刑
   2月11日 紀元節
絞首刑執行 
  12月23日 今上天皇誕生日

そこまでして、日本の‘何か’を破壊したかったのでしょう。

以下違う視点の話です。小林正樹監督の「東京裁判」のワンシーン。裁判の罪状認否において、全員が自らの無罪を主張している姿に、かぶるアナウンスが印象的です。

「この中の誰かひとりでも、この戦争の責任が自らの一身にあることを主張したならば、結果としてその者は、私たち日本人にしかわからない何かを、永遠に私たちの記憶に留めたであろう」

天皇誕生日の当日に書くことは戸惑いましたが、私たち日本人だからこそ考え続けなければならないこともあります。


2004年12月24日(金) 免許講習のドラマに見入る

先日書き換え手続きをした、免許更新のための講習がありました。

杜のホールはしもとで300名以上。合併協議会のシンポジウムよりも明らかに多い人数の参加でした。

私が受けたのは、「違反者」講習。二時間たっぷり受講いたしました。講義はかなり眠かったですが、後半のビデオは見入りました。

ありがちな、ちゃちな映像ではなく、きちんと俳優を使ったドラマです。「あなたが事故で不幸になりますよ!」というパターンではなく、「事故は他の家庭をこんなに不幸にするのですよ!」というものです。お母さんを事故で失った家族の、その後が描かれています。

「俺が事故ろうが、俺の勝手じゃん」という一部主張を打破するためでしょう。

私も大きな事故はしたことがありませんが、“ひやっ”としたことは何度かあります。元々運転が上手でないため、他の人よりも注意深く運転しなければなりません。

メリークリスマス!


2004年12月23日(木) 支援者の方と会食

支援者の方に夕食をごちそうになりました。しかも高い(自分で払ったわけではないので推測です)ところでです。

テレビで出てくる政治家と、私たちの実態が違うことは言うまでもなく、ましてや浪人中の私は、いわゆる「いいお店」に入ることは滅多にありません。

元々全ての食べ物が大好物の私ですが、一層おいしく食べました。

ありがとうございました。


2004年12月22日(水) 党支部政策調査委員会打ち上げ

所属しているわけではありませんが、お邪魔いたしました。しかも同委員会に出たのは、この打ち上げが初めてです。失礼いたしました。

和やかな中にも、政党人らしく厳しい意見交換もあり、参加して良かったと思います。

しかし「政策」とは難しいものです。


2004年12月21日(火) 以外と安易な旅の思い出と、日本

旅をした国については、新聞などで名前が出ていると要チェックです。

短い滞在での印象で、その国の評価を決めるのは安易と思いますが、実際そんな面もあります。

恐らく、日本に来た外国人もそうでしょう。良く思われたいという願望ではなく、少なくとも他に対して恥ずかしくない祖国でありたいです。

欧米に対する態度と、アジア各国に対する態度が、どこか違ってしまっている点は残念です。

アメリカの「呪縛」から解放され、本当に世界各国各地と平等に付き合いたいです。

念のため。私はアメリカも大好きですし、尊敬しています。


2004年12月20日(月) 公職選挙法という法律

公職選挙法を遵守するのは、政治家として当然のことです。

「選挙はいかに金を使うかだ」的な話しをする方を、私は全く受付ません!正直お付き合いもしたくないです。

ただ一方で、この法律が非常にあいまいであるのも事実です。法律を解釈し運用するのが仕事の役所でさえ、市の選挙管理委員会などは、適法かどうかの判断すらしません。

昨年の県議選でこんなことがありました。朝駅頭でタスキをしめて立っていました。仲間が周りで「寺崎雄介よろしくお願いします!」と声を揃えて言ってくれてました。

すると、警察がやって来て「連呼は違反だ」と言い、大切な友人から警告書のサインをとりました。後で聞くと、どうも同じ場所にいた某政党が告げ口をしたそうです。

政治活動や選挙運動をすると、違反かどうか常に迷います。しかし行政の選挙管理委員会や警察が明確なガイドラインを示せない以上、個々人で判断するしかない面もあります。

金や、圧力で票を獲るが如きは論外ですが、有権者に政策を明確に示すことすら規制している、現在の公職選挙法に疑問を感じます。

以上意見ですが、もちろん悪法も法ですから、遵守することをお約束します。


2004年12月19日(日) 新たな出会いは、いつも嬉しいものです

最近、新しい出会いが多いです。

全く初めての方もいれば、名前や顔くらいは知っていて初めて話した方もいます。

やはり、会ってみなければ人間わかりません。そして、ほとんどの場合、話して良かったと思うことはあっても、失敗したとは思いません。

相模原市は62万の大都市です。まだまだ多くの出会いがあることに期待しながら、今後も政治活動を続けてまいります。


2004年12月18日(土) BC級戦犯

四季劇場に「南十字星」を見に行きました。敗戦後にインドネシアで、戦犯として処刑された若者の物語です。

南十字星がはっきりと見えるくらい遠くで、しかも終戦後に死ななければならなかったのは悲しい限りです。

東京で裁かれたA級戦犯は、政治家指導者であったことから、どちらにしろ何らかの責任をとるべき存在でした。東京裁判が不当であっても、致し方ない点があります。

しかし上官の命令に服し、結果戦犯となってしまった方は不幸でなりません。

劇の主人公は、自らが処刑される役割を認識しながら、絞首台に向かいました。しかしほとんどの方は、その意義すら感じられず、無念の死を遂げたと推察します。

世界で散っていった多くの皆さんに対して、改めて冥福をお祈りします。


2004年12月17日(金) 一年間の青年会議所活動が終わりました

青年会議所(JC)は1月1日で新年度になります。従って今月で、今年一年の活動は終わりです。

今日は、所属した「地域の共育実践委員会」の打ち上げでした。5月と10月に担当で例会を開催し、通年で“地域の先生”という学校での教育事業を行いました。

来年は、私の仕事と密接な関係がある、津久井との合併問題についての委員会に所属します。

今年は色々ありましたが、何とか例会を皆勤することができました。来年も頑張ります。


2004年12月16日(木) 「政治家」の何と少ないことか

議員やその候補者であること、イコール「政治家」ではありません。

端的に言えば、「政治家」とは政治的な決断ができる人のことであります。

一連の市長選挙の件で、思うところがありましたので率直に書きます。

私と違う考え方があることを認めるのは民主主義の基本であり、正直「私は○○を応援している」と言い切れる方は、それが対立候補の支援であろうと痛快なものです。

また相模原市長選挙について、重要性を余り感じていない方ならば、それはそれで致し方ありません。

市長選挙が大切だと認識し、かつ自分自身が考え方を持っていて、更には定数一の市長選挙で、態度を鮮明にしない理由がわかりません。嫌味ではなく本当にです。思考回路が私とは違うのでしょう。

本来ならば、浪人中の私が出張るのではなく、もっと責任ある立場の方がたくさんいるはずです。しかし昨今「政治家」の、いかに少ないかを実感しています。

社会の変革に挑戦した多くの方は、他に何と言われようと貫く“自負心”を持っていたのでしょう。

市議時代にすら感じなかった“自負心”を、今強く感じています。


2004年12月15日(水) 市長選挙で「大谷なおとし」さんを支援します

来年1月23日投票の相模原市長選挙において、「大谷なおとし」さんを支援いたします。

詳細な理由については、12月27日開催の後援会主催「てらさき雄介クリスマス会」(このHPトップページに案内あり)で発表し、その後HPにも掲載いたします。

一言で言えば、「今の市政は変革しなければならない」ということです。

精一杯頑張ります!大同小異の精神に立った、多くの皆様の結集をお願いいたします。


2004年12月14日(火) 市長選挙、民主党の決定が出ました

相模原市長選挙について、民主党神奈川県第14区総支部の決定が出ました。私自身も参加した常任幹事会にて、正式決定されました。内容は以下のとおりです。

「来月行われる相模原市長選挙については、民主党としては関わらない」
「今後の党員の行動については、各自の自由とする」

議論の経過や内容については、党内の信義があるため差し控えます。

この結果について意見は言いません。ここに至るまで、半年間精一杯やってきた自負があるからです。

残り一か月少しの短い時間です。政治家として、民主党員として、恥ずかしくない行動をいたします。



2004年12月13日(月) 辛いものが大好きです

今日は、自己紹介です。

甘いものは苦手ですが、辛いものは大好きです。某カレー屋では、“4辛”を食べますし、今日食べた韓国料理も一番辛いのを食べます。

苦い物も、苦手ではありません。柔和な味よりも、きつい味が好みということでしょう。

両親は、下手物はもちろん、刺激的な味のする食べ物を好みませんでした。従って、小さい頃はあまり食べなかったのだと思います。

私が諸外国(特に中国や朝鮮半島)で試しに食べた品目を書こうと思ったのですが、皆さんを不快にしてもいけないので控えます。

でも食わず嫌いは良くないと思います。


2004年12月12日(日) 自分が恥ずかしくなります

所属している会の忘年会に出席した後、家に帰り「新撰組」の最終回を見ました。

近藤勇が首を切られた瞬間に“完”となりました。若手俳優を多く使っていましたので演技は下手でしたが、その分同年代のため思い入れができ、最後30分はずっと‘うるうる’してました。

宴会で一杯一杯お酌をしている自分と、将来の日本を考える自分が、別の人間ではないかと思うことがあります。お酌をするのが嫌というわけではなく、むしろそういう付き合いは大好きですが、ふとそう思います。

板橋宿で近藤勇が最後に何を思ったか、誰にもわかりません。とても立派なことを考えていたのか、実はそうでもないのか。ただ事実として、堂々たる最期だったそうです。

私も保身を考えます。こんな若さで情けないと思います。でも自分がかわいい部分があるのです。

他の若手政治家あるいは、政治屋の皆さんも、そう思うのでしょうか。

こういうことを悩まなくなったら終わりだと思いますが、それを克服して頑張っている方にはより学ばなくてはなりません。


2004年12月11日(土) 忘年会シーズンです

既にはじまっていますが、忘年会シーズンです。この不況下に会を開催している皆さんに敬意を表するとともに、私のような浪人を呼んでいただくことに感謝いたします。

政治家としてのメッセージを発する機会は少ないですが、厳しいなか「頑張れよ」と言ってくださる皆様には感謝の気持ちで一杯です。


2004年12月10日(金) 北朝鮮への経済制裁のあり方について

藤井裕久代議士を囲む若手の忘年会がありました。藤井代議士は、北朝鮮に対する経済制裁に賛成する立場をとりながら、留意点として、経済制裁の“効き目”について冷静な検証も必要との意見でした。

私も、横田さんの遺骨が偽者だったことには立腹しました。もはや国家間の交渉すら無理なような気もします。

もはや経済制裁止む無しです。しかし私の考えは、あくまで「止む無し」であります。

制裁を実施するときも、国家としての筋を通すために行うべきで、経済力をもった日本の驕りが背景にあってはいけません。

中国に対するODAの凍結問題もそうです。他国を援助している中国に対して、果たしてODAを出す必要があるのか再検討は必要です。

しかし“何だかんだと言ってくる中国を困らせてやろう”という発想は危惧すべきです。

同じ制裁でもその考え方によって、別の影響が及ぶと思います。




2004年12月09日(木) 腐った肉は焼くとどうなるか

食事中に読んでいる方、思い出してしまった方には申し訳ありません。

ビートたけし主演の「血と骨」で、主人公が腐った肉を焼いて食べるシーンがあります。しかも無理にではなく、好き好んでです。

賞味期限切れの納豆を食べた時が、唯一の食中毒でした。他は半生の焼き肉を食べても、ほどんど生のしゃぶしゃぶを食べても、まず大丈夫です。

パキスタンで、土っぽいものが混じっている水を飲んでもOKでした。

でもこの映画のシーンが気になります。果たして腐った肉でも、焼けば食べられるのか・・・。

今まさに相模原の危機にあって、こんなことを考えている私をお許しください。

さすがに実験はできませんが。


2004年12月08日(水) 相模原市長選挙の支援候補決定

もったいぶる訳では決してありません。しかしここに記載することによって、よくわからない揚げ足を取られ、結果市長選挙にマイナスになってはいけませんので名前は今少し伏せます。

本日開催の後援会役員会において、来年1月23日の相模原市長選挙で私が支援する候補者について、皆さんに了承をいただきました。

浪人中のため、他の候補者を応援するほどの力は正直ありません。しかしこれは他人の選挙ではなく、私自身の政治活動の一環であると考えます。

何の選挙に何党から出るかは関係なく、相模原で政治家を張るからには避けて通ることは許されません。

国政でも、市政でも、政権交代を目指して頑張ります。






2004年12月07日(火) 党議拘束についての考え方

政治家は誰に対して責任を負っているのでしょうか。

所属する政党や、あるいは支援を受けている各種団体に対しても負っているのでしょう。しかし、基本的には有権者全体に対して責任を負っているのです。

それぞれが有権者に対して責任を負うためにどうするか、その結果として政党に所属するのです。最初に政治を志したとき、それはたった一人自分のなかで決意したはずです。

私は民主党の理念と目指すべき方向性を理解しているつもりです。時として、「党の言うことは絶対だ」的な全体主義的な志向により非難を受けても、この自負は変わりません。

党の綱領(民主党にはありませんが)を、ただそのまま読んでいるだけなら、機械が議員をすればいいのです。

「もっと、どんどん頑張れ」という後押しならあるべきですが、「まあ、止めとけよ」という規制は政治信条に照らしても、享受できません。

私は民主党員として、間違っているでしょうか。政権交代を目指す以上、もっと過激に、もっと純粋に皆が行動すべきです。


2004年12月06日(月) 「金がない」政治家の実態は

政治家はとかく「金がない」と言います。かくいう私もそうです。今だからということではなく、市議時代も「金がない」と言ってました。

生活費と政治活動費を分けることは、法律上だけでなく常識です。しかし純粋な政治活動費と選挙費用については、境があいまいです。

かけている金の大半が、実は次期の選挙に向かっての費用ということも、ままあります。

この現実を踏まえての提言は、やはり政治に金をかけないようにするしかありません。どうしてもかかる経費は、税金による公費によってまかなうべきです。

以上すべて政治が自ら決めなくてはいけないことです。


2004年12月05日(日) 「日記」を書く、もうひとつの意義

「日々考えていることを皆さんに伝えたい。」こう思い、始めた日記コーナーです。

実はもう一つ、自分自身にとって大切な意義があります。

現職でないため、正直何もない一日もあります。しかし、そんなことではいけません。日々何をし、何を考えたかを“節目”を入れながら考えなくてはなりません。

かつてある勉強会で、日常のなかに入れる“節目”の大切さを学んだ記憶もありますが、今意義を再認識しています。

何かにせかされて生きていくことは問題ですが、一度しかない人生ですから大切に時を過ごしたいです。


2004年12月04日(土) 車のドアがつぶれている理由

愛車日産マーチの左ドアがつぶれています。数ヶ月前に市内を走行中、他の車と接触してしましました。

悪い比率は7(私):3(相手)。すいませんでした。

手動式ドアということもあって、なかなか同色のものが手に入らず、へこんだまま今日に至っています。

まあ走行に問題はありませんが、困るのは“雨”です。すきまから進入してきて、助手席が水浸しになります。

今降っている雨は、更に一層激しくなりそうです。

早く直さなくては。


2004年12月03日(金) オール与党対共産党

「市長なんて誰でもいい。」過去に何度もこの言葉を聞いてきました。

しかし議員を一度やれば、首長がどれほどの権限を持っているかわかります。“人が変わることによって政治が変わること”を体現できる数少ないポジションなのです。

国会において火花を散らす各党が、共産党を除き、地方では相乗りになる惰性の構図が、地方選挙の低投票率を生んでいます。

アメリカのどこで、民主・共和党相乗りの知事がいますか?イギリスのどこに労働・保守党相乗りの市長がいますか?

県政においては、松沢知事の決意と多くの民主党内の有志によって、本当の意味での知事選挙ができました。次回自民党がきちんと候補者を出せば、知事を文字通り選挙で選ぶことが定着し、やっと民主主義が機能します。

今度は相模原の番です。色々な問題を克服し、民主主義を発展させるには、何をおいても選挙をするしかありません。

オール与党対共産党の構図を、民主党こそが全国で打破していくべきです。


2004年12月02日(木) 全共闘と北朝鮮、そして私たち

光の雨」という映画があります。浅間山荘事件を扱ったものです。学生たちが山に入り、山荘に立て籠もるまでの凄惨な日々を描いたものです。

理想の社会を目指したはずが、何故そうなってしまったのか。例えば中国や北朝鮮などにも言えます。もちろん、当初からいかがわしい権力集団による革命であったのでしょうが、理想を捨てるばかりでなく開き直っている姿は残念です。

日本の学生運動でも世界の色々な革命でも、だいたいが末期症状として、「内ゲバ」をします。母校である明治大学でも、過激派がつい最近まで同じようなことをしてました。

仮面ライダーの適役“ショッカー”が、世界征服を企てながら、やっていることが幼稚園のバスジャックであることと同じで、大きなことを言っているわりには、実質下らない実態であることは多々あります。

個々人はたいそうな主張をあちこちで言いますが、実は、些細なことや身内のあら捜しに必死だったりします。そんな‘せこさ’にあきあきしながら、明日からまた渦中で頑張ります。

政治家としての基本的信条は、何があっても曲げません。


2004年12月01日(水) 「ペレストロイカ」再読中・・・

ゴルバチョフ氏は私の尊敬する政治家です。著書「ペレストロイカ」が発刊されたとき、世界中が大騒ぎになったことを覚えています。

当時高校生だった私は、父の買ったこの本を読みましたが、ほとんど意味がわかりませんでした。ただ他民族であることや、連邦制度であることなど、日本とは明らかに違う国家形態があるのだと、興味深々になったものです。

大学で「ソビエト政治論」という講義をとり、その教科書のひとつがまた「ペレストロイカ」でした。結果‘不可’の私が大きなことは言えませんが、より詳細に内容を理解できました。

今も本棚に並んでいます。今回のウクライナ大統領選挙で思い立ち、現在再読中です。

あれだけ大胆な改革を進めることができたのは何故か。理念と手法をもう一度学んでみます。

尚、ウラジオストック・イルクーツク・サマルカンド・モスクワなど、旧ソ連圏には一度行ってみたいです。


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