てらさき雄介の日記
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2004年11月30日(火) |
新交通システムについて |
長友克洋市議主催の勉強会に参加しました。
テーマであった「新交通システム」について意見を書きます。
市議時代から、どうもしっくりこないものを感じていました。更には、検討ルートが相模大野〜北里大学とされたとき、その違和感は増しました。
採算ベースで考えると、同ルートが最も適しているとのことです。行政の政策には明確な目的があるはずで、それに適したルートをまず定め、その後いかに採算をとるか考えるべきです。
橋本〜津久井ルート、田名〜JR相模原ルート、村富線上ルートなど夢は膨らみますが、それぞれ行う際の意義は異なります。
また今日の政策発表のなかで、長友市議が交通問題を 一、渋滞などの問題 二、交通不便地区の問題 三、交通弱者の問題 と3つに分類したのは、私自身論点を整理しやすく「なるほど!」と思いました。
この3つはどれも、大規模な建設投資を行わなくても、別の対策がとれるものばかりです。
総合的なまちづくりのなかで、交通問題に行政が参画することは必要です。しかし相模原市一市で、この新交通を背負うのは無理があると考えます。
むしろ広域行政の仕事であるとも思うと、私が目指す神奈川県政のなかで、周辺自治体との共同で考えていく課題でもあります。
とかく政治家の「勉強会」は、後援会員拡大集会が多いですが、とても勉強になった本当の「勉強会」でした。
*現在の相模原市の交通政策は、コチラをクリックしてください。
2004年11月29日(月) |
小沢一郎氏の挨拶に思う |
以前お世話になった代議士のパーティーに参加し、小沢一郎代議士の挨拶を聞きました。普通の社交辞令でしたが、重みと迫力がありました。
著書「日本改造計画」は、皆さん是非読んでください。いつかテレビで西部邁氏が、北一輝の「日本改造法案大綱」と比較し批判していましたが、一部で言われている“右”寄りの思想をベースにしていません。
むしろ個人主義のもと、社会福祉をいかに充実させるかが書かれております。
全国民が、賛否は別にして読み応えのある本を書き、含蓄のある言葉を発せられる政治家は貴重だと思います。
2004年11月28日(日) |
ネット上の安易な匿名主義は疑問 |
タイトルの通りですが、具体的に以下書きます。
1、政治家に匿名は許されません。(もちろん政治家たることと全く関係ない分野での発言=プラーベートは別です。)逆の言い方をすれば、各種掲示板などに匿名で投稿していることは、政治家でない証でもあります。
2、特定の個人に対して意見と言うとき、または批判をするときは実名であってほしい。(匿名でなくては言うことができない事情=言論弾圧や各種圧力が想定される場合は別です。)
以上最近の動向を見ていて思うことです。
ちなみに私の掲示板では、匿名であることを利用して、好き勝手言う方は過去に一人もいませんでした。皆さんありがとうございました。引き続き匿名でも投稿お願いします!
匿名が全て悪いという訳ではありません。ただ、人を批判するならば実名でやって欲しいと思うだけです。これって一般常識ですよね。
2004年11月27日(土) |
日本国憲法に見る平和主義について |
相模原地域大学公開講座で、神奈川大学の斉藤愛専任講師の講演を聴きましした。「日本国憲法に見る平和主義について」というタイトルです。
とても為になりました。というのも、憲法を素直に読み解釈するなどということは、学生時代以来だからです。そして政治をやっていると、憲法についてどこか“知ったか”が入ってしまう傾向もあるからです。
今日のテーマでもあった9条についてですが、憲法には幅広い解釈が必要とは言え、現状を見ると一体9条が何を規制しているのかすらわからなくなります。
「侵略戦争の否定」のみが9条の意味ならば、そんなことは当たり前であって、どこの国でも肯定してはいません。事実として、防衛が目的の侵略も古今東西多々ありました。
講師も言っていましたが、憲法の解釈自体には限界があり、日本をどういう国にすべきかを考えた結果の憲法であるべきです。
現在とは違う世の中を志向する私は、新しい憲法を創りたいと思いますが、戦争の否定については、現在よりも強く宣言すべきだと思います。文章でも、戦争に関わるところは具体的に表現すべきです。
2004年11月26日(金) |
第二回藤井裕久国政報告会 |
党支部主催の第二回藤井裕久国政報告会が開催されました。長い時間じっくりとお話を聞き、その後率直な質疑応答がありました。
いつも感じるのは、藤井代議士の歴史観や価値観が非常にしっかりしていることです。
私などは基本的な部分でも迷い、結果行動がちぐはぐになることもあります。
「戦争を机上ベースだけで語る人が増えてしまった」この言葉を聞いたとき、若い政治家には果たすことができない大切な役割が、藤井代議士にはあるのだと感じました。
若手が多い民主党だからこそ貴重な方です。
2004年11月25日(木) |
「卒業式」で泣きました |
仕事柄、学校の卒業式にはよく出ます。大人になって出てみると、意外に自分が卒業生だったときよりも感動したりします。現在の卒業式が、子どもではなく大人の視点でつくられている証拠です。
以上蛇足でした・・。さて本題です。今日は青年会議所の「卒業式」でした。40歳までという年齢制限があるため、在籍年数に関わらず年齢に達すれば自動的に“卒業”いたします。その節目として、毎年形式は違いますが「卒業式」を行います。
三年前、一昨年、そして昨年に続き、今年も泣いてしまいました。私だけでなく、多くのメンバーが泣いてました。
外から見ると異様なことですが、公私ともにお世話になった方がいなくなる(と言っても、明日からも普通に会えるのですが)のは寂しいものです。
そして一番泣けた原因は、大切な共通の思い出があるからです。
先方のご迷惑になるので名前は書きませんが、いずれもJC活動をこえて、選挙をはじめとする仕事上でお世話になった方です。
戦友との思い出はかけがえがありません。
皆さんの今後ますますのご活躍を祈念いたします。
2004年11月24日(水) |
市役所の財政に詳しい人と話してビックリ |
最近よく、市役所の職員やOBの人と話をします。そんな中での出来事です。
以下専門用語が入りますが、本当にビックリしたのでありのまま書きます。
寺崎「合併特例債を200億発行、年間20億償還だとして、国の補填は7割の14億。仮にこの14億を財政需要額に入れたとして、果たして相模原市は地方交付金がもらえるのでしょうか」
(*注:国の補填は地方交付金の中でされるので、不交付になれば、一円も補填されません。合併特例法によります。)
○○氏「合併特例債を幾ら発行するかは決まっていないが、補填してもらわないとやっていけないという前提なので、そういうシュミレーションはしていない。補填されると思う」
寺崎「過去に減税補填債などで、苦労しているのに、なぜそこまで政府を信頼できるのでしょうか」
○○氏「信頼しているのではなく、そうしてもらわないと成り立たないので、前提にしている」
念のため書き添えると、この方は優秀かつ問題意識を持った方です。そういう方でも最悪のシュミレーションをせずに、ここまで特例債の発行を前提にした合併を推進してきました。
相模原市長はどういう根拠で、合併特例債が国によって大部分補填されると信じているのでしょうか。
自分で辞めたとはいえ、市議会で質問できないのが残念です。市議会の本来の役割を担うべく頑張っている市議の皆さんに期待いたします。
改めて、 「合併特例債の発行は自粛すべきですし、それを目的にした早急の合併は誤りです。」 「津久井4町と一緒に将来のビジョンを考えられる環境を、まず創るべきです。」
合併推進急先鋒を自負していた私が、何故こんな消極的な言い方をしなければならないのか。この疑問に駆られている方は多いはずです。
「地方自治は民主主義の学校」という言葉もあります。掛け間違えたボタンは、掛け直せると信じています。
2004年11月23日(火) |
勤労感謝の日と新嘗祭 |
今日は国民の祝日「勤労感謝の日」です。その目的は呼んで字の如くですが、由来はあいまいで“新嘗祭”を意識しています。
今上天皇の即位に際して、大嘗祭が開催されたのは記憶に新しい(?)です。そして数ある天皇の行為の中でも、意義深いものだと思います。
GHQが天皇を日本の「象徴(symbol)」と表現したことについて、現在でも議論になります。しかし偶然かもしれませんが、天皇についてこれほど適した表現はないと考えます。
でも出来るならば隠れた奥所ではなく、私たちに見えるところで新嘗祭を開催してもらいたいです。
最後に毎回くどいですが、祝日はその由来と目的をはっきりしないと意味がありません。やはり勤労感謝の日は5月1日に移動し、11月23日は「新嘗祭の日」でいいでしょう。
2004年11月22日(月) |
神奈川県若手市議の会 |
神奈川県若手市議の会(会長:工藤裕一郎横浜市議)による視察研修が行われました。また交流を深めるべく、ゴルフと懇親会も開催されました。私は用事がありかつゴルフが出来ないので、懇親会のみの参加です。
大盛り上がりでしたが、楽しい中でもあるべき政治の姿を話合うことができ有意義でした。
参加メンバーは以下のとおりです。
長友克洋相模原市議 既にお馴染みですね 小池義和相模原市議 最若手です 工藤裕一郎横浜市議(青葉区) 伊藤達也の秘書仲間です 青山圭一川崎市議(多摩区) タックルグループの先輩です 石田康博川崎市議(宮前区) とても真面目な方です 佐賀和樹藤沢市議 ジャニーズ系です 佐竹百里綾瀬市議 だんなさんが県議候補予定者です 以上神奈川メンバー 天目石要一郎武蔵村山市議 全国若手の会創立メンバーです 桐原正仁塩山市議 遠くからありがとうございました 中村勝彦塩山市議 塩山の益々の発展を! 以上他都県からのゲスト
2004年11月21日(日) |
津久井町長選の熱さを相模原に |
明後日から始まる津久井町長選挙が熾烈を極めています。相模原市との合併が最大の争点をいうこともあり、私たちにも様々な噂や文書がやってきます。
合併が争点のせいか、政党や町政与野党の枠組は崩壊しているそうです。加えて過去の怨念が錯綜し、街が分裂しそうとのこと。(by津久井某町議)とても大変そうです。
しかし、そんな津久井が羨ましい。
相模原もこれ位盛り上がりたいですね。おっと、この言い方は評論家でした。もっと盛り上がるように来年1月に向けて頑張ります。
*注・・・「来年1月」とは、1月23日に行われる相模原市長選挙のことです。
2004年11月20日(土) |
NPOの意思決定の仕組み |
NPOとは何であるか、いまだ定義は難しいです。ただ最近は「市民活動団体」という意味の“日本語”として定着した感があります。
NPO法人相模原市民会議の研修会に参加しました。今日が市制50周年ということもあり午前中のみでしたが、非常に興味深い話を聞けました。
NPOと企業との仕組みの違いや、NPOのあるべき姿などです。
NPOは“意思決定”と“実行”をわけること。企業において、社長が考え社長が実行するのとは違い、NPOは理事会や総会などで意思決定し、実行はその委任を受けた事務局長などに任せるべきこと。
講師はNPO育成のプロであり、アメリカなどでもコンサルに携わった経験をお持ちです。
自分自身が詳しくなかった分野です。今後も勉強してまいります。
2004年11月19日(金) |
マンションの建て主に初対面 |
年末に開催するクリスマス会のアトラクションについて、後援会役員の方がご存知の歌手をご紹介いただきました。
本業として建設会社を経営されていて、平行して歌手業をやられているそうです。今まで苦労された多くの経験を唄にこめて、聴く人を励ましたいとのこと。私の会もボランティアで来ていただけるそうです。
しかしその方は何と!私の住んでいるマンションを建てた会社の社長さんだったのです。
初対面ですが、非常に親しみを感じました。多くの出会いに感謝です。
2004年11月18日(木) |
近隣自治体議員との意見交換 |
すぐ近くの自治体の議員と‘さし’で意見交換いたしました。先輩ですが同じ若手なので、率直にお話ができました。
私は浪人中ですが、皆様に変わらずお付き合い頂けるお陰で、情報不足をフォローすることもできます。
多くの真面目な政治家と交流することによって、自分を高めてまいります。
相模原の隠れた名店を教えていただきました。聞きたい方は、個別に私まで・・・。
2004年11月17日(水) |
小林正明城山町長の動員力 |
青年会議所の例会で合併に関するパネルディスカッションが行われました。
相模原市と、城山町・津久井町・相模湖町との合併協議が進められてきましたが、ここに来て藤野町が加わり、反対に城山町が離脱の方向にあります。
しかし城山町が外れてしまうと、地理上合併が成り立たず、一部で言われている無理矢理“飛地”合併しかありません。「法律で“飛地”は禁止されてない」と言う人もいますが、元々そんなことを想定していないから禁止してないだけです。屁理屈です!
さて今日の会ですが、青年会議所のメンバーだけでなく多くの市民の方も参加されました。話題になる割には、あまり顔を出さない小林城山町長の話を聞けるという興味からでしょう。
相模原市民として、最近城山町長の対応に違和感を感じる点もありますが、今そんなことを言っても始まりません。時間をかけて城山町に理解してもらうしかありません。その努力を相模原市もすべきです。
今日配布された資料のなかで、2000年に青年会議所のビジョン策定委員長としてつくった提言書について記載があったのは嬉しかったです。
2004年11月16日(火) |
相模原市長選挙の対応・・民主党と私・・ |
ご関心のある方は既にご存知と思いますが、本日開催の民主党支部幹事会にて、来年一月に行われる相模原市長選挙の対応について議論されました。
この半年間、陰に陽に(表現が変?)様々なことがありました。記録でもしておけば事後の反省材料になったかもしれませんが、書くのもばかばかしいことの方が多かったです。しかし残り時間も少ない中、ついに議論も収束に向かおうとしています。
この会議でも結論は出ませんでしたが、“個人としての行動については、自粛が望ましいが、現実止むを得ない”との大勢と判断いたしました。
これ以上、藤井先生はじめ幹部の皆さんに判断を求めるのは酷であり、個々の政治家として自ら行動の責任を負うしかありません。
私も明日から個人としての行動を開始したいと思いますが、党に迷惑をかけたくないので、いましばらくネット上で支援候補者名を出すことは控えます。
国政で政権交代を訴えている以上、市政でも毅然とした対応が必要です。民主党のあり方を具現化する「てらさき雄介」に益々のご支援をお願い申し上げます。
2004年11月15日(月) |
今年もクリスマス会開催します |
本日開催された後援会役員会で、「クリスマス会」の開催が正式に決まりました。このHPのトップページにもご案内を載せていますが、詳細は下記のとおりです。
日時 12月27日(月)19:00〜 場所 相模原市民会館第一大会議室 会費 三千円(チケット制。当日販売あり。) 内容 アトラクション盛りだくさん、抽選会など
多くの方にお集まりいただけるよう頑張ります。そしてこういう場でも、政治家としての考え方を伝えられるように頑張ります。
来年一月に行われる相模原市長選挙についても、この日までには後援会で支援候補を決定し、当日ご紹介したいと考えております。
2004年11月14日(日) |
新潟地震の募金活動 in 相模大野 |
相模大野のデッキ上で、民主党支部市民活動委員会主催の「新潟地震に対する募金活動」を行いました。(民主党の対応)
一時間少しでしたが、想像よりもはるかに多くの方から募金をいただきました。約30,000円位だったそうです。
このお金は党本部を通じて現地に送られます。ありがとうございました。
ちなみに終了後、同じく駅前で青年会議所の献血推進活動がありました。今年三度目の参加ですが、仕事の都合により余り長くいられませんでした。
いつかも書きましたが、政治をやっていると、自分の発言や行動が果たして本当に社会のためになっているのか自問自答することがあります。しかしこういう完全な善意に基づく活動は、わかりやすい分とても気持ちがいいものです。
今更と言われるでしょうがデジカメを購入しました。
近所の電器屋さんで探していると、係員がやってきました。「高いのと安いのとどう違うのですか?」と聞くと、「余り違わないですよ」とのこと。一番安いのを買いました。セールスが苦手な社員さんですね。
早速あっちこっち写して、帰宅後パソコンに入れるべく試みました。しかし失敗です。
そんなわけで、このHPにデジカメ写真が入るのには数日を要します。乞うご期待!
2004年11月12日(金) |
ボウリングは下手、いやボウリングも下手 |
バスケは本当に好きでした。しかし元来運動神経が良いほうではありません。従ってボウリングも、かなり下手です。
今日開催の青年会議所ボウリング大会で、一ゲーム目89点、二ゲーム目99点です。何か異変がおきない限り、今後上達することはないでしょう。
私はゴルフもできません。付き合い上支障がないわけでもないので、一時練習を試みたのですが、上達する気配すら感じられません。
そういえば学生時代に多少行ったスキーもそうでした。
この種のことに根気を持てない私は、別の部分でフォローするしかないようです。
2004年11月11日(木) |
バッチが基本的に好きでない私 |
市議時代に議員バッチをあまりつけなかったのは、実は大した理由があるわけではありません。単純にそういうものが好きでないのです。
最近民主党のバッチを支援者からいただき、少なくとも党の会合のときは付けようと2、3回は挑戦しました。しかしやはり違和感を感じ、挫折です。
難しいですね。まあ無理するほどのことでもありませんが。
2004年11月10日(水) |
アラファト議長の冥福を祈ります |
手塚治虫「アドルフに告ぐ」最終章は、ナチスに迫害されたユダヤ人が、時を経てパレスチナ人を迫害しているところで終わります。
国家とはそこに暮らす人々のためにあります。しかし他の国家との対立によって、始めて国家の価値が見出されてしまう現状は悲しい限りです。
生物を軽視し地球を破壊している人類ですが、せめて人類同士の争いごとを解決する叡智を見につけたいものです。
日本がアメリカを知っているほど、アメリカは日本を知りません。一方日本がアラブを知っている以上に、アラブは日本を知ってくれています。
亡くなったアラファト議長の生涯に特段詳しいわけではありませんが、ご冥福を祈ります。
2004年11月09日(火) |
市営住宅には困ってない方も入居してます |
もうすぐ市営住宅の申し込み時期です。お困りの方が多々いらっしゃる中で、実際審査に合格して入居できる方は僅かです。限られた税金による建設ですので、それは致し方ない部分もあります。
しかし矛盾を感じるのは、余り困ってない方が入居していることです。高級外車が市営住宅の駐車場に停まっていることもある位です。一定の年齢制限をつけるなり、困窮度調査の基準を変えるなりする必要があります。
政治家が色々な制度をつくっても、それが周知されないために利用できない方がいます。また制度にある矛盾や隙間をぬって、巧みに利用される方もいます。
結局は運用する人間次第なのです。
2004年11月08日(月) |
最後のまちづくり検討委員会 |
合併協議会「まちづくり検討委員会」の最終回が昨日開催されました。最後にしては参加人数が少なかったですが、私も遅刻したので大きなことは言えません。
パブリック・コメントに対する回答を皆で考えました。以外に意見が出なかったのは、決して疲れてしまったわけではなく、長い時間をかけてつめてきた成果です。
事務局の皆様にはご苦労も多かったと思いますが、お陰様でよいものがつくれたと思います。私自身も今回の経験をこれからの政治活動に活かしてまいります。
今回つくった“ビジョン”は新市建設計画から新市総合計画へと反映されます。その原案をつくったわけです。これは市議会議員でもできないことであり、とても達成感があります。
特に「行政改革・財政」の部分は希望者が私他一名しかいなかったため、ほとんど二人で考えました。隠れてスパイスが効いているので、本協議会で修正しないように!総合計画にもしっかり載せるように!
市民と行政が直接結びつくことを“懸念する”政治家もいますが、これは進むべき方向です。今回の公募委員会は、そのひとつの実験になり得ました。これだけ広い範囲でかつ専門性を持つ内容でも、(くどいですが)市議会よりも充実した議論ができるのです。公募をばかにしている人は改めましょう。
今後は、この“ビジョン”が本当にしっかり反映されるのかを見つめていきます。
最後にご案内です。話題の城山町長をお迎えして、青年会議所の例会を行います。11月17日(水)19:00サンエールさがみはら(西橋本)です。ディスカッションの進行をするのは、何とビジョン検討委員会の矢越委員長です。皆様のご参加をお待ちしております。
2004年11月07日(日) |
ひろちゃんまつり開催 |
藤井裕久代議士の後援会が主催する“ひろちゃんまつり”が開催され、私の後援会でテントを出し、模擬店とバザーをしました。
全て後援者の皆様の寄付と、ご尽力によるものであります。「てらさき雄介の活動資金を捻出しよう」と合言葉にやっていただいている皆様を見ながら、「果たして自分はそれに値する政治家なのか」と何度も自問自答いたしました。
期待してくださる方の期待に応えることは、政治家の責任でもあり醍醐味でもあります。常にその気持ちをもつ自分でありたいです。ありがとうございました。
浪人中で弱気になるときもありますが、自分の主張とキャラクターを失ってはいけないと改めて思いました。
まつり終了後に、“合併協議会ビジョン検討委員会最終回”がありましたが、それは後日また書きます。
2004年11月06日(土) |
私が民主党に入った経緯と思い |
今更ですが、私が何故民主党なのかということについてです。
1997年市議会補欠選挙に当選したときは無所属でした。その二年後に再選したときも無所属でした。しかし私はそれまで、自民党の公認ならびに推薦候補に投票したことは一度もありませんでした。
学生時代に藤井裕久代議士の事務所で勉強させていただいたとき、藤井代議士はとても立派な方でしたが、自民党しか選択肢のない中での腐敗した政治に嫌気がさしていました。そのような中で、羽田孜さんや小沢一郎さんや、藤井代議士が自民党を離党し“新生党”という政党をつくりました。その時藤井代議士のご指導のもと、“新生党学生塾”という団体をつくりました。当時私は大学四年生。その時のメンバーは今でも親しくしてます。
すぐ後に細川連立政権ができ、多少なりとも政治が変わるのではないかと思いまし。しかし残念ながら自民党の強さと、政権運営の未熟さから細川内閣は短命に終わりました。
その後相模原市議会補欠選挙で議席をただいたときは、新生党は無論、その後の“新進党”も崩壊した後でした。結果無所属です。
自由党藤井代議士を尊敬しながら、政党として民主党にシンパシーを感じていた私は、小選挙区で「藤井裕久」を応援しながら、比例代表を含む他全ての選挙では「民主党系」に投票するという状態でした。
森内閣ができたときに、これはひどいと思いながら客観的に見ていました。しかし小泉内閣ができ、支持率が80%に至ったとき私は決断しました。
「二大政党は風前の灯火、その可能性がある民主党に入ろう」
当時応援してくださっていた方にそのことを相談すると、ほとんどの方が反対でした。大変お世話になった後援会長さんもご恩返しができないまま退任され、少しずつカタチになりつつあった後援会も霧散してしまいました。
しかし今、そのときの自分の決断に悔いはありません。むしろますます意気盛んです。自由党との合併によって二大政党の道が更に開けただけでなく、尊敬する藤井代議士と同じ政党になったのです。
「政党にこだわることはない」というご意見はその通りです。確かに政治家は有権者に対して責任を負っているのであって、政党や支持団体や親分に対して負っているのではありません。
しかしそれでも政治を正すには政党を正さねばなりません。
言い訳をしながら民主党にいるのなら離党してください。嫌味ではなく、その方が皆んなのためになります。
私はあきらめません。民主党を本当の二大政党の一翼にするまでは。ご支援いただいている皆様には申し訳ありませんが、私の信条をご理解ください。
以下後日談 *欄外クイズです。“改革フォーラム21”ってご存知ですか?このジャンパーをひろちゃんまつりで着ていたら、数千人の参加者のなかでたった一人だけ気付いてくれました。このプレミアジャンパーは誰にもあげません。
2004年11月05日(金) |
橋本MOVIXに行きましょう |
橋本旧ユニー跡に出来た「MOVIX」に行きました。期待以上のもので、メインスクリーンは、南大沢や海老名を凌ぐものでした。
気になったのはお客さんの少なさです。公開して間もない『コラテラル』を見ましたが、がら空きでした。
せっかく相模原に出来た映画館です。相模原市総合計画にも「映画館の設置」は出ていました。
南大沢を見ると、映画館に行った人が周辺で買い物などをして、街が潤う構図ができています。相模原もそれを目指すべきです。今はまだ、残念ながら映画館が街のなかで浮いているような気がしました。
とにかく一度行ってみてください。
2004年11月04日(木) |
ブッシュ大統領の再選について |
アメリカが戦争状態にあることが、現職でありかつ“テロとの戦い”を強調するブッシュ大統領に有利に働いたのでしょう。
有権者がどのような基準で候補者を選んでいるのか、自分の選挙でさえ把握しきれるわけではありません。ましてや異国の選挙です。何故再選かの分析はできません。
しかしブッシュ氏再選のニュースを聞いて、がっかりしたのも事実です。ケリー氏による、今とは違うかもしれないアメリカを見たい自分もありました。
日本においては、アメリカの二大政党は基本的な価値観に相違がないと言われています。しかし勝ったブッシュ氏も負けたケリー氏も、現在のアメリカの“分裂”を危惧する発言をしてます。それほど議論が分かれた選挙だったのでしょう。
大統領選挙人がある程度いる州の、たった一つをどちらがとるかで勝敗が分かれる選挙です。大きなお世話でしょうが、投票数の案分にした方が民意は反映できます。今後制度の改正の必要があるでしょう。
気が早い話ですが、四年後は民主党からヒラリー上院議員(クリントン元大統領夫人)が有力とのことです。ブッシュ氏もそうですが、アメリカでも二世が話題にのぼりやすいようです。
とにかくも再選を果たしたブッシュ氏には、早急にイラクをはじめとする世界の紛争を収拾することを望みます。
小泉総理談「内外の批判に負けずに頑張っているブッシュ氏に期待する」。自分の境遇になぞらえたものでしょうが、いささか大人げない発言です。少なくとも総理に就任した当初は、こういうことは言わない方だったと思います。
イチローや松井も凄いと思いますが、野茂はもっと偉大です。数年前にメジャーのグラウンドで投げる野茂を見て、うるうるしたのは私だけではなかったでしょう。
“先駆け”は素晴らしいです。私が目指すものでもあり、なかなか辿りつけない境地でもあります。
NBAに日本人として初めて登録された『田臥勇太』には是非頑張って欲しいです。しかも能代工業高校在学中から、173cmという低い身長(NBA全チームの中でも二番目の低さだそうです。)での実績は尊敬いたします。
メジャーリーグもNBAも「何だ日本人も通用するんじゃないか」と思う半面、世界にはもっと多くの実力者がいるということも感じます。
明治維新の指導者たちは、世界中をまわって先端技術を学んできました。行った国々からばかにされながらも、多くのことを吸収し短期間で欧米に負けない国をつくりました。
世界に出ていく日本人の基本は、この“謙虚さ”であって欲しいです。
2004年11月02日(火) |
香田証生さん殺害で思うこと |
イラクで拉致されていた香田証生さんが殺害されました。ご本人とご遺族に心から哀悼の意を表します。
テロリストは“聖戦”と言いますが、民間人を巻き込んだ時点で何らの発言も説得力を持ちません。ブッシュ氏と小泉総理の手法でテロを失くすことはできませんが、テロを憎む気持ちを皆んなが持つことは必要です。
さて、“死”に際して人は何を考えるのでしょうか。決して茶化すのではなく、常に私が思いを巡らすテーマでもあります。
立花隆の『臨死体験』もそうですが、この答えは死者のみぞ知るです。死”を意識するとき“生”を実感すると言います。このことは理解できます。
私の好きな高杉晋作や坂本竜馬や土方歳三は、その若き死に何を思ったのでしょうか。
そんな歴史上の人々でなく、先の戦争で戦場で命を落とした私より若い人々は何を思ったのでしょうか。
そんなことを、今回の香田さんと新潟地震での不幸を見ながら感じました。
2004年11月01日(月) |
惰性の極み、情けない限りです |
二年前に、中田宏横浜市長の出陣式に参加しました。政治家の演説は厳しい目でチェックする私も感動しました。中田氏曰く「戦うのは現職市長ではなく、市民自身の惰性だ」。全く同じ文言ではありませんが、この同趣旨のことを言いました。
相模原市長選挙の話題が多々出るなかで、最近現職を支持するかどうかの意見を聞きます。それぞれ事情があり一概には言えませんが、少なくとも政治家を自称するならば、明確な理由を持ってだれを支持するか明らかにすべきです。
しかし私が聞いた範囲で、現職を支持するという方の大半が、理由は「現職だから」と言います。これこそが惰性です。本当に支持するのなら、現職であろうとなかろうと支持するはずです。ましてや勝敗などは考えないはずです。市長のことを一定評価している私も残念です。
民主党が「政権交代」を掲げているのは、決して総理大臣に対してだけではありません。今の政治を変えるという視点であるなら、市政においても同じはずです。
私自身浪人中でありながら、現職でない選択をするのは実は冷や汗が出ます。しかし「飛地合併」はむろんのこと、「合併特例債」の発行にはかねてから疑問を感じていました。
私は常に現状に対して、厳しい点検の目を持っているつもりです。それは民主党に対してもそうですし、自分自身の信条に対してすらそうです。
それが惰性でなければ何も言うことはありせん。違えば戦うだけです。しかし個人としての深い考慮によらない考えであるならば、そういう議員(もしくは候補者)は“政治家”とは呼べません。
正直私も人間の弱さで保身を考えますが、それが前面に出すぎている現状を危惧いたします。
繰り替えしますが、「政権交代」という民主党のキャチは国政においてのみ有効なわけではありません。
有志の皆さん、ともに頑張りましょう。
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