てらさき雄介の日記
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2004年08月31日(火) 岡田代表の再選について〜思い出そのニ〜

昨日のつづきです。

二つめの思い出は大学卒業後に政治の世界にプロとして入り、伊藤達也代議士(現内閣府副大臣)の秘書をしていた時のことです。伊藤代議士と岡田氏は、ともに新進党の若手であり当選回数も近いことから親しくしていました。

伊藤代議士が予算委員会で質問することになり、私も聴きに委員会室に行きました。当時新進党の同僚であった岡田克也代議士も委員で部屋にいましたが、何と委員会中に新聞を読んでいます。

委員会終了後にそのことを伊藤代議士に話すと、「あの人は達観しているからな」とのこと。

昨日も書きましたが、以後も岡田代表のことは気になっていました。ある日伊藤代議士と無礼講で酒を飲んでいるときに、岡田氏の話になりました。

当時の新進党は二大政党を目指して発足したわけですが、なかなか党内がまとまらず、結果よくわからない理由で解散しました。聞くところによると、岡田氏も当時の新進党には嫌気がさし、何のために自民党を離党したのかと不満を多く口にしていたそうです。

だからこそ本当の二大政党を模索していけると思います。

今回の党首選挙で藤井裕久幹事長をはじめ、いわゆる小沢グループが推薦人になっていないことは残念でした。

それも含めて、今は一致結束すべきです。


2004年08月30日(月) 岡田代表の再選について〜思い出その一〜

二年に一度の民主党代表選挙が告示され、岡田克也氏のみの立候補で当選が決まりました。

選挙で負ければ辞任だし、勝てれば続投。これは当然のことであり、今回の結果についても良かったと思います。

岡田克也氏の思い出はふたつあります。先に言っておきますが、ともに大した話しではありませんが。

学生時代に、藤井裕久代議士の議員会館事務所を手伝っているときのことです。宮沢内閣不信任案が採決される日のこと。

その日不信任案に賛成することを決めていた、当時の羽田派と呼ばれる面々は離党を決めていたため、自民党控室を使えませんでした。

結果待機所になったのが、藤井裕久代議士が就任していた大蔵委員長室でした。議員の皆さんが場所がわからないと困るということで、委員長室の前で「こちらです」と案内をしていたのが私です。

当時衆議院一期生だった岡田氏は、丁寧な物腰で「この部屋ですか?」と一言。これが思い出です。

当時は今と違い若手の代議士は少なかったので、ある意味の異彩を感じました。

そんなこともあり親近感も感じますし、何よりもあの真摯な姿勢は好きです。今だから言うわけではありませんが、以前からあの人が代表になって欲しいとも思っていました。

長くなったので、もうひとつの思い出は明日に。


2004年08月29日(日) 青年会議所例会を城山で開催しました

青年会議所の例会を城山で開催しました。今後の津久井郡との連携を考えてのことです。

川尻小学校が会場でしたが、体育館にはってる校歌は、相模原のものとは違う風景や地名が歌詞のなかにありました。

猛スピードで行政同士の事業の一本化作業が行われているなかで、住民同士のゆっくりとした交流も進めていくべきです。

当日参加した相模原市民のなかには、初めて城山町に来たという家族がいたことも忘れてはなりません。


2004年08月28日(土) 選挙の意味も変わってます

行政が市民の意見を聞くことをもって、ある議員が「自分たちが市民の代表なのだから、地域をまわって市民の意見を聞くのは議会軽視だ」と堂々を言ったのを聞いたことがあります。よくわからない理屈ですが、以外と市民の代表(?)である議員には、この発想が多くあります。

市長もそうです。市民の意見をしっかり聞いているのかと問うと、最終的には「選挙で当選してるから」ときます。

一面では真実ですが、時代の趨勢をみていないともいえます。かつての十年一昔は、いまや一年一昔です。しかも市長や議員の任期の四年間という長さは、過去と未来とも言うべき長い期間です。

選挙をすれば民主主義だと言い切れる時代は終わりました。選挙と選挙の合間にこそ、いかに民意を反映していけるのかが問われます。




2004年08月27日(金) 参議院選挙打ち上げ

参議院選挙の報告会を市民会館で行いました。藤井幹事長立会いのもとで、飲食をしながらの和やかな会です。

民主党が目指すべきは、あくまで「改革」です。既存の政治とは違う姿を目指すことです。

無責任かもしれませんが、それが具体的に何であるのか、私も全て考えがあるわけではありません。

しかし少なくとも「改革」を志向する以上、現実に妥協しない精神は持つべきです。その精神が失われたら、民主党など存在価値はありません。


2004年08月26日(木) 国連待機部隊構想について

小沢一郎民主党前代表代行が、党内左派の横路氏らと「国連待機部隊構想」について合意したのは大分以前のことです。今回の岡田代表の再選についても、小沢氏が政策的注文をつけている事項です。

以下この構想についての意見です。

実は私も以前から、日本が国際社会のなかで軍事的にも貢献していくには、この手法しかないと考えていました。

「国権の発動たる武力行使」ではなく、国際連合の指揮のもと各国が一定の軍事力を拠出することは、国連憲章にも書かれていることです。

日本の自衛隊はあくまで専守防衛に徹すべきです。専守防衛とは、日本の領土・領空・領海から一歩も外に出ないということです。これは誇るべき原則であります。

現在の国連安保理による多国籍軍が、果たして日本が軍事力を出す国連軍かは議論が別れます。何しろ正規の国連軍は、いまだ存在しないからです。

だからこそ日本は安易にアメリカをはじめとする安保理事国に追随するのではなく、集団的自衛権によって保たれているパワーバランスを、国連による集団安全保障体制に切り替える努力をすべきです。

小沢氏の構想は、国連安保理の決議に基づけば多国籍軍であろうと、派遣できるという点で私と意見は異なりますが、安易に自衛隊を海外で使用することに否定的な点は一緒です。

民主党内の一部では、この国連待機部隊構想は費用がかかることなどから現実味が薄いとする意見もあります。

しかし憲法を語り安全保障を語るには、何よりも原則論を大切にすべきです。


2004年08月25日(水) 合併協議会で明らかになったこと

過去に相模原市が進めてきた「市民参画」がいかに中身の伴わないものであったか、今回の合併協議会で明らかになりました。

「自分の声が市政に反映できる。」そんな期待とともに協議会や委員会に参加している方々から、失望の声があがっています。

少なくとも協議会事務局には、その声は届いているはずです。今からでも遅くありません。仕切り直しをして、ゆっくり進行していくべきです。

1市3町の事務事業の一元化の案が次々と提案され、全く議論なく(ほんの少し質問と意見はありますが議論はされていません)可決していくのを見ると、かつて市議会で真剣に審議してきた事項は一体何だったのかと思います。

もっと試行錯誤すべきです。事務作業についても、行政内部のみの分科会ではなく市民レベルで検討委員会をつくって、ひとつひとつみていくべきです。

城山町長の意見は確かに的が外れているかもしれませんが、それでも城山町の代表者としての発言なのですから、相模原市長はもっと真摯な態度で会議中意見を聞くべきです。

市民の側も、発言するのはいつも同じ人です。言いたいことがないのなら、席を別の人に譲りましょう。一回も発言しなかった団体は、次回から各種審議会への割り当てを失くしましょう。

合併協議会の有様は、相模原市民のひとりとして残念な限りです。


2004年08月24日(火) リーダーの素質

リーダーの素質とは何でしょうか。少し違うかもしれませんが、私が考える理想の親分(政治家なので上司というよりかは親分になってしまいます)は、

一、私が困っているとき助けてくれる人
一、私が困っているとき指針を与えてくれる人
一、私が困っているとき勇気をくれる人
です。

こんな親分がいればいいと思ったことはあります。しかし自分が親分になろうという発想はあまりありません。

私と長くつきあっている方は、寺崎は親分にも子分にも向かないとも言います。

どうなのでしょうか?


2004年08月23日(月) 常に自分を省みたいものです

私は自分に甘いところが多々あります。一方他人にも甘いところがあります。自分に甘い点はさておき、他人に甘いのはそれなりの理由があります。

ひとつには、だいたいそんなに立派でない私が人様に意見できるのかということです。

私はほとんどの人を好きになることができますが、二種類だけ苦手なタイプがあります。ひとつは威張っている人。もうひとつは他人に対して厳しい人です。(例外的に自分にとても厳しい方を何人か知っていますので、その方は他人に厳しくてもいいと思います)

政治家の世界は、人のいないところで、ああだのこうだの噂話がたくさんあります。世間話程度なら結構でしょうが、それが他人の批判だと嫌になります。

嫌になる分自分自身気をつけて、同じ轍を踏まないようにしなければと思います。


2004年08月22日(日) 消防団操法大会

消防団第一分団の操法大会が、緑が丘訓練所でありました。朝7時30分集合でだいたい昼くらいまでの開催で、出番は一番手の約5分間でした。

私たちのポンプ車操法は5人一組の競技で、今回は指揮者をやりました。皆んな仕事も忙しくあまり練習できなかったせいもあって、とても疲れました。しかし点数はまあまあでした。

来年は順番で部長をすることになりますが、年々減っていく団員のなかで活動量はかわらないものですから不安で一杯です。


2004年08月21日(土) 中央本線に乗車

合併協議会の会議のあと、立川で同窓会があったため中央本線に乗車しました。

思えば、相模湖駅から列車に乗るのは初めてです。次の高尾駅までほとんどトンネルで約10分、合併すればここも相模原市なのかと思いながら揺られていました。

相模原市と津久井の間は決して交通が便利とは言えませんが、八王子経由だと意外と行き来しやすいとも思いました。

どちらにしろもっと、津久井のことをしらなければなりません。早急に進む合併協議に危惧を感じます。


2004年08月20日(金) 上溝夏まつり打ち上げ

上溝夏まつり実行委員会の打ち上げに呼んでいただきました。実行委員約50名と、小川市長他来賓数名での開催です。

素浪人の私を忘れず呼んでいただいたことに感謝するとともに、あわせて忌憚無く意見交換ができたことに嬉しく思います。

とにかく、誰でもいいから、何党でもいいから、今の政治を正してほしいという皆さんの気持ちが伝わってきました。


2004年08月19日(木) 党支部組織対策委員会

民主党神奈川県第14区総支部の組織対策委員会(委員長小池義和市議)が開かれ、私も委員として参加いたしました。

担当副代表である太田前県議のご指導のもと、今後の活動についての意見交換がされました。正式に決まってないため詳細は報告できませんが、基本的には各種団体との連携や政策討論会の実施などです。秋にいくつかの企画を催すことになりました。

次回統一地方選挙では、前回を大きく上回る候補者の擁立を模索すべきとの意見も出されました。自分自身が当事者になる話ですので、更に頑張ってまいります。






2004年08月18日(水) ローソンの郵政公社との契約は残念

郵政の民営化については、私は基本的には賛成です。

多くの方の郵政民営化論を聞くなかで、もっともしっくりきたのが現神奈川県知事の松沢成文さんの意見でした。当時衆議院議員であった松沢知事は、ことある事に自らの主張を述べておられました。

「国営の郵便局があることが問題なのでなく、法律などで民間よりも有利な設定をしていることが問題だ。」確かにその通りです。

今回ローソンが民間宅配業者との契約を打ち切り、郵政公社に鞍替えしたのは民業圧迫の典型です。

郵政公社には、陰に陽に多くの税金が投入されており、その時点で不公平なのです。少なくとも本当の競争ができるよう、対等な条件にすべきです。

ローソンの決断も残念です。ダイエーグループのような厳しい商売をするところだからこそ、国に対しても毅然とした態度をとって欲しかったです。


2004年08月17日(火) 赤穂浪士の動機

以前に、ビートたけしが大石蔵之助を演じる「忠臣蔵」をドラマで見ました。

幕府の意向に逆らったことにより、結果浪士は切腹となります。しかし元禄の当時、仇討ちは基本的には認められたことでありました。

浪士のなかには、討ち入りをすれば褒められて取り立ててもらえるのではと考えた人もいるのではないか、そういう新説に基づいたドラマです。

幕末に薩長が目指した新政府は、鳥羽伏見の直前までは、島津か毛利による新幕府であったと言います。これも結果一部の指導者によって、中央集権国家へとむかっていきますが、多くの人が考える動機と、結果は違うこともあります。

多くの異なる動機を束ね、結果に導いていく能力が政治家には必要です。私にはその能力は未だありませんが、目指していきたいです。




2004年08月16日(月) 民主党代表選挙について

今月30日に民主党代表選挙が告示されます。

参議院選挙での勝利もあって、岡田代表の再選が予想されますが、何しろ政局好きの国会議員ですから、まだ紆余曲折があるでしょう。

地元の藤井幹事長の続投も含め、現執行部を維持することが大切だと思います。

野党の党首を選ぶのに、喧々諤々の議論をすることが必要であるのか。議論がわかれます。

私もかつては、多くの候補者のなか選挙をすべきと思っていました。しかし先年の党首選挙は複数候補により行われながら、その経過も結果も国民の皆さんから関心を呼ぶには至りませんでした。

「野党の政策など犬も食わない」とは、民主党の石井一代議士の言葉です。しかし私はこれには同調できません。

選挙の仕方も重要ですが、例えば今回小沢一郎氏が言っているような明確な政策論ならば、多少もめても議論すべきです。

野党である分、利権分配論はありません。その分本来の党首選びが出きると思います。




2004年08月15日(日) 「敗戦」記念日という視点

戦争責任は、戦争で多くの人命と財産を失わせた結果に対して負うものです。

しかしもうひとつ忘れてはならないのが、「敗戦」の責任です。あの戦争を勝利すべきであったかは別にして、何故「敗戦」したのか何故「敗戦」する戦争をしてしまったのかの検証は必要です。

アメリカもそうですが当時の中華民国など多くの国は、日本の戦後賠償について多くを要求いたしませんでした。もし、日本の復興に影響があるほどの賠償を要求されていたらどうなっていたでしょうか。「敗れた」ことを意識することが必要です。

週刊モーニングで「ジパング」という漫画がはやっています。戦中にタイムスリップした自衛官の物語です。ある隊員たちは当時の日本を勝たせるために行動し、ある隊員たちはこの戦争自体が誤りだとし、結果がわかっていても日本を勝たせるべきではないと主張いたします。

このような漫画が現在はやっているのは、あの戦争について考えたいという意識の現われでもあります。

今日靖国神社で石原知事が「来年は天皇が参拝すべき」と主張いたしました。「霊」という抽象的なものと過去を結びつけることは、あまり問題ではありません。私も慰霊の気持ちは多くもっています。

しかし、日本を戦争に導き敗戦に導いた過去の「事実」に対して、それを肯定するために靖国が使われていることは残念でなりません。

東京裁判の是非を言うわけではありませんが、これから否が応でも世界に出て行かなければならない日本にとって、あの戦争の検証と総括は日本人自身の手で行うべきです。今からでも遅くはありません。


2004年08月14日(土) 「総理の一日」にも休暇あり

新聞に「総理の一日」という記事があります。「県知事」や「市長」も同様です。

明日とあさっては、皆さんお休みのようです。ケチなことを言うつもりはありません。英気を養う意味でも、リーダーは十分な休暇をとって欲しいものです。

ただ政治家の休みは、それはそれで政治的になってしまうものですが。

私もまねをしたわけではありませんが、午後から妻と出かけました。明日昼までは、活動完全休止です。

と思ったのですが、気分が休みになるはずもなく、多くの方から電話を受けまた掛けています。

心配いただいている皆様には申し訳ない限りですが、私を信じていただければ嬉しいです。政治家としての信念はいささかもまがっていません。




2004年08月13日(金) ある団体と民主党

以前よりお世話になっているある団体(すいません。別に秘密ではありませんが、先方に無断のため名称は伏せます)の事務所に伺いました。

長く自民党の支持団体でありましたが、先の参議院選挙で民主党から推薦候補をたてて精力的に活動され、見事当選されました。

実はその団体から依頼されたわけではありませんが、私もその候補者にほんの少し協力いたしました。

「何が何でも○○党」という思考は、良いことではありません。民主党員たる私でさえ、民主党の問題点を日々考えていますし、自民党の良い部分を取り入れなくてはとも考えます。

この団体もそうでしたが、その時々に応じて対応を変えることが必要です。「浮動票」をばかにするのは誤りです。こういう方こそ政治を変える原動力になります。


2004年08月12日(木) お盆休み

何故お盆が休みになるのか、子どもの頃は知りませんでした。両親は説明していたのでしょうが、私が意に介さず関心も持たなかったのでしょう。

いわゆる政治家のお盆まわりは、正直あまり好きではありませんが、それでも数人の方のお参りをさせていただきました。

私の祖父母のお墓は幸いにも、ともに近所にあります。身内、親類に体の大きな人は見当たらないなか、私が生まれてすぐになくなった父方の祖父は、180cmあったそうです。下らないことかもしれませんが、私が先祖を感じるエピソードのひとつです。



2004年08月11日(水) 初の納涼祭参加

ある異業種交流会の納涼祭にはじめて呼んでいただきました。市議在職中は、その会の何人かの方と交流はありましたが、浪人中に声をかけていただくことは感謝に耐えません。

数百人の参加者がいらっしゃいましたが、「前市議」というご紹介もいただきました。

目に入るのは、会を楽しくするために色々な企画を考え、実施しているスタッフの皆さんです。子どもから大人まで楽しめるよう頑張っておられました。数年前に、青年会議所で家族会を担当した時の四苦八苦が思い出されました。

ありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。


2004年08月10日(火) 中国の誤りと小泉総理の「嘘」

重慶の思い出。学生時代の旅行中に、私の乗った列車が重慶駅に停まりました。

降りなかったので街は知りませんが、延々列車で行った果てだったこともあり、かつて日本はこんなに遠くまで戦争に来ていたのかと、変な感慨に浸りました。

さて今回の中国の対応は残念な限りです。戦争経験のある年齢層ではなく、若者が騒いでいたことは深刻です。これではオリンピック開催の資格を疑われても仕方ありません。

猛省を求め、少なくとも中国政府は毅然とした態度をとるべきです。

さて、このことについてコメントを求められた小泉総理は「靖国問題とこの騒ぎは関係ない」と言い切りました。これは明らかに総理の「嘘」です。

今回の騒ぎは、誰が見ても靖国問題と関係があります。また総理がそれを知らないわけはありません。参拝することに信念があるならば、堂々と日本国民と中国人民に説明すべきです。

私は靖国参拝には否定的見解を持っていますが、それでも日本人として総理の態度は残念でした。


2004年08月09日(月) 真鶴町住民投票の結果〜合併反対〜について

真鶴町で合併の賛否を問う住民投票が行われ、結果僅かの差で反対が多い結果となり、当日三木町長は辞職する意向を明らかにしました。

町長自らが町内の全戸を訪問し、合併の意義を訴えるという真剣な行動も実らなかったわけです。

かつて秘書をしていた伊藤達也衆議院議員はアメリカ下院議員のスタッフをしていたことがあり、よくアメリカの住民投票の話しを聞かせていただきました。ある市(すいません名前は忘れました)で原子力発電誘致の住民投票が行われ、結果反対となったそうです。しかし結果その市ぐるみで省エネ運動がおこり、現在に至っても続いているそうです。

住民投票の意義はまさにここにあります。真鶴町が選択した自立の道は過酷なものかもしれませんが、自ら選択した結果として町民の自覚のもと行政改革も行われるでしょう。

私は市町村合併こそ、最も住民投票に相応しいテーマだと考えます。6月議会の「市議会だより」では、共産党が提案した常設型住民投票の審議のやりとりが掲載されています。

結果反対大多数で否決されていますが、質疑も市長の意見も住民投票自体の意義は認めています。

常設型住民投票の導入は必要です。かつて市議会一般質問で発言したときは、むげに断られましたが、今一度検討すべきです。


2004年08月08日(日) 太田ゆうすけ海老名市議との会話

後援者の紹介で、海老名の太田ゆうすけ市議とお会いしました。年齢29歳の私より若い市議です。

海老名の街のこと、市議会のこと、選挙のことなどたくさんお話しができました。

聞けば当選された海老名に住む前は相模原市民で、かつ私のことを知っていただいていたとのことです。しかも名前も一緒。嬉しかったです。

若い議員は、うさんくさい系とさわやか系に二分される傾向がありますが、(私がどちらかは皆様のご判断で)太田市議は後者の方です。

その後ホームページを見たら、何とトップ当選でした。今度は私が勉強に伺わなくてはと思っています。


2004年08月07日(土) 硬い会にご参加いただきありがとうございました

「てらさき雄介と語る明日の相模原と神奈川」を後援会皆様に開催していただきました。

相模原市元行政改革担当部長の樋口様のご講演をいただき。議会では伺うことができなかった体験談なども聞かせていただきました。

その次に私の政策発表でしたが、正直うまくできなかったと反省しています。その意味でも開催して良かったです。

最後に行ったフリートークも有意義で、次回開催の折にはこの部分を強化したいと思います。

予定通り30名ほどの参加でした。会の趣旨から、いわゆる動員は基本的に行いませんでしたが、来ていただいた皆様には感謝しております。

ありがとうございました。


2004年08月06日(金) 広島市長の言葉

「自衛隊の海外派兵を是とすべき」私の大学時代のある弁論大会のテーマです。自衛隊が「違憲」の時代、更には海外派遣など右翼でも言ってなかった時代です。

趣旨は、現在民主党の小沢一郎氏が提唱している、国権の発動でない国連待機軍のことでした。

今日は広島に原子爆弾が落とされた日です。中国・韓国に対してある種の敵対感情を抱きながら、アメリカに追従するのは不思議ですが、非戦闘員を虐殺する核兵器を使用したことについては、もっと批判してしかるべきです。

さて本題ですが、今日の広島市長の挨拶は「最近顕著になっている戦争・核兵器容認の流れに危機感をおぼえる」ということです。

確かに昨今の流れは、余りにも原則がなさすぎです。その原則のなさが、かつて日本を戦争と敗戦に導きました。

よくわからない記念日が多いなか、今日こそ国民の思いをこめる「記念日」にすべきだと思いました。

私も戦争を知りませんが、皆安易に戦争を語りすぎです。


2004年08月05日(木) 市長公用車問題〜私の原罪〜

最近数人の方から、この問題について意見を求められました。

相模原市長が、市議会会派「市政クラブ」の研修会に公用車で行ったことが問題であると、市民団体が指摘した事件です。

意見ですが、今回の市民団体の指摘は的外れだと思います。それがどの会派であれ、市議会から誘いを受ければ出席するし、それが宴会であろうと公務の範疇です。

市長だけでなく、政治家の行動はどこからが公務か、どこからが私用かは判別が難しく、その行動を市民に公開することによってのみ担保が図られます。

さて、この事件で明らかになった問題点は別のことです。それは市議会の会派が、政務調査費という公費を使って宴会をしているという事実です。

ここからが、タイトルにある原罪です。実はこの宴会に私も参加してことが約10回位あります。かつて市議時代に大会派に所属していた時です。自分自身の政治活動に役に立たなかったかと言われれば、そうではありませんが、公務の範疇をこえたものだと思います。申し訳ありませんでした。

私も環境に左右されやすい性格があり、ある意味慣れてしまっていたのだと思います。

言い訳をすれば、二度目の市議選後、長友よしひろ市議と会派をつくったのは、この種の会が嫌だったこともあります。

新聞によると、今の市議の会費は一万円だそうです。私の時は五千円でした。

ただはっきりと言えることは、自信があるなら今後も続ければいいと思います。マスコミに言われたから萎縮することもありません。止めてしまうならば、恥ずかしい行為だったということでしょう。

市長交際費や政務調査費は、具体的項目ともにHP上で公開すべきです。酒を飲むことが、大切な政治活動であることもあり得ます。堂々と言うべきです。


2004年08月04日(水) 相模湖交流センター

合併協議会の会議を見に行きました。お恥ずかしい話し、初めて同施設に行きました。立派でした。

くどいかもしれませんが、会議の進め方は急ぎすぎです。傍聴者のみならず、会議の委員からも失笑がもれてました。

でも私は津久井が好きです。行く度にいい所だと思いますし、私なりのまちづくりビジョンが芽生えます。

もっと津久井のことを知って、もっと津久井の人と触れ合って、それからの方がよりよい合併ができると思います。


2004年08月03日(火) 相模原市長選挙について

このタイトルでアクセス数増加を狙っているわけではありません。最近思うことを書きます。

多くの情報が交錯し、私の周辺にも騒ぎが及んでいます。多くの市民には関係ないところでの話しですが、一方大切な話しでもあります。

これに関係している方の中には「志」を持っている方も多くいらっしゃいます。それに触れるたびに、とても感銘を受けます。私も政治家として、よりしっかりしなくてはと、気を入れ直してます。

他、「興味本位」「野次馬根性」「利権」「保身」の方も残念ながらいるようです。この大切な時に残念なことです。

国会では小泉総理の発言が流れるたびに、国民の政治に関する信頼が失われていきます。

相模原の政治風土を変えていくためには、まだ時間がかかるかもしれません。しかしそれが私の政治をやっている、ひとつの目的である以上あきらめません。

皆さまのご協力をお願いします。


2004年08月02日(月) 「てらさき雄介と語る明日の相模原と神奈川」

後援会の役員会が開催され、そこで次回企画の打ちあわせを行いました。

「てらさき雄介と語る明日の相模原と神奈川」を8月7日(土)午後2時から、相模原市民会館会議室で開催いたします。

私が考える神奈川と相模原のイメージを皆さまに伝えたいという趣旨です。

自分の訴えたいこと、そして皆さまが関心あることを精査した結果、「地方分権」「福祉」「交通」を中心に訴えてまいります。

多くの皆さまのご参加をお願い申し上げます。


2004年08月01日(日) 参加する意識の向上が必要

市民団体関連の有志が発起人となり「市町村合併」の勉強会が開催されました。思いおこせば、一切行政がタッチしないかたちで、しかもこれだけしっかりした勉強会は初めての気がします。

私も新たな発見が多くありました。

さて最後にフリートークを全員でしました。実行委員会でルールを決め、皆が効率よく、かつ気持ちよく発言できるよう工夫がされていました。

にも関わらずです。その場をしらけさせる発言がいくつかあったのは残念です。また他の人の発言に同調すべく、拍手をするのもどうかと思います。政治集会ではないのですから。

代表的なものをニつ、

ひとつは、行政職員が説明のため二名参加していました。おそらく実行委員会の方が、専門知識の視点から声をかけたのでしょう。しかし日頃行政に対して意見のある方が、その職員に対して意見や質疑をしていました。これは筋違いです。あくまで市民同士の対話であるべきです。行政の職員は性質上反論をあまりしませんので、言いやすいのは確かですが。

ふたつは、とにかく批判精神旺盛な方で、なかにはこの会自体に云々という発言もありました。会自体に文句があるのなら来なければいいのです。自分と違う意見を寄せ付けない雰囲気を発言からかもし出すのは、それ自体で全体の雰囲気を悪くします。

どんな会でも結果会を良くするのも、悪くするのも参加者です。参加する意識をもっと持てるような自己修練が互いに必要だと思いました。




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