てらさき雄介の日記
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2004年07月31日(土) |
合併協議会の進行は速すぎです |
本日城山町保健福祉センターで、合併協議会「まちづくり検討委員会」の会議が開催されました。午後2時から約3時間の会議でしたが、中身が盛りだくさんで進み方が慌ただしかったです。
まちづくりの柱を何点か出し合い、最後にひとつのフレーズにまとめる予定でしたが、さすがに無理を感じました。
4つのグループで別々に話し合い、フレーズも4つ出た時点で、市の委託したコンサルの方が更にひとつにしようとしたので、私が「今日はよく進行しましたが、これ以上は無理があります。また4つ併記の方が今後の検討に幅ができていいです」と発言しました。
するとコンサルの方は「今日これをまとめるのが私の責任ですが、皆さんどうでしょうか?」とのこと。結果大多数の方が、次回でよいとなり閉会としました。
コンサルの方は、失礼ながら調味料でなくてはなりません。全体を整える役割です。しかし前回の会議位から、その進行のもとに完全に会議が進められています。
事務局にきくと、合併協議会本体から催促などは一切ないとのこと。ならばもう少しゆっくり進行すべきです。
学生時代にマクドナルドで100円バーガーというセールをしてました。今では当たり前の値段ですが、当時では格安です。
怖い先輩から、そのハンバーガーを50個(以上だった気もしますが)買ってこいと言われ、お金をもらいすごすご買いに行きました。
「ハンバーガー50個ください。」すると「お持ち帰りですか?」。買いに行ったのは私ひとりです。50個をその場で食べるはずはありません。当たり前のことを真面目に聞かれ、当時の私でも違和感を感じたのを覚えています。
その他、多くのマニュアル君がいます。マニュアルは、その存在が問題なのでなく、それを使用する人間に問題があります。
原理原則をつくりかえなくてはならない時代、安易な組織論や原則論にこだわるのは、より大切なものを見失います。
私もそんなに柔らかいほうではありませんが、もっと柔軟に対応していかなくてはなりません。
2004年07月29日(木) |
アメリカ民主党大会でケリー氏指名 |
異国のことですが・・・。
前回のアメリカ大統領選挙でブッシュ現大統領とゴア氏が争ったときに、テレビに釘付けになりながら、ゴア氏の勝利を祈ってました。
今回もケリー氏の当選を祈ってます。具体的に一票を投じられるわけではありませんので、祈るしかありませんが。
しかし岡田民主党代表が、アメリカ民主党大会に視察に行っていますが、これを日本に活かす努力をすべきです。
みんなで党の顔を選び、候補者を選んでいくことが必要です。
選挙をすればいいという民主主義から一歩前進して、その前段階と後段階の検証をすべきです。
2004年07月28日(水) |
私の嫌いな掛け持ちをしました |
夜、民主党支部の政策調査委員会(長友よしひろ委員長)の会議がありました。最初の30分のみ別席で内容を聞いて、その後藤井裕久衆議院議員のある後援会の会議に出席しました。
この「藤井裕久の会」では秋にバス旅行を行うことになり、私も初参加なので、バス一台は何とか参加を募らなくてはいけないと思っています。
しかし藤井代議士の後援会は、いわゆる「組織」型ではなく、藤井代議士個人のファンクラブの色彩が濃いと、今日も思いました。
これについて問題視する人もいますが、私はあるべき姿だと思います。
組織団体による統制は、もはや通用しません。あくまで個人個人にどこまで語りかけられるかが大切だと思います。
2004年07月27日(火) |
スパーダーマン2を見て |
過去、この日記での映画評は良いものばかりでしたが、これは面白くなかったです。
いつからでしょうか。「インディペンデンス・デイ」位からSFXの凄さは、もはや度をこし、映像そのものではびっくりしなくなってしまいました。
「マトリックス」さえ、映像そのものは感嘆まで至りませんでした。
ハリウッドも原点に帰り(日本映画は今脚本や演出など本来のこだわりに回帰しつつあります)、映像のみでない総合エンタテイメントを目指すべきです。
もうひとつ、映画はただの娯楽ではありません。ひとつのメディアであり、報道です。
コメディであっても何らかのメッセージを伴うものでなくてはならないと思います。必ずしもそれが政治的である必要はありませんが。
選挙をすると名簿が集まります。過去三回の選挙でとても多くなってしまいました。
かつて市内の衆議院候補の名簿を数えたら、市の総人口よりも多かったという笑い話がありますが、多くなればなるほど薄い(あまり精度の高くない)名簿が増えます。
次期県政への挑戦に向けて、ここで大幅に点検しようとパソコンに向ったのですが、なかなか難しいものです。
既に必要なくなった部分を削除することが主目的ですが、「この人も応援してくれたかもしれない」「この人は応援してくれてないけど、郵送物は出す必要がある」などキリがありません!いっそ某若手政治家のように、名簿に頼るのをやめるか・・・。
いまだ検討中です。少なくとも現在の名簿総数に一斉郵送などできないことははっきりしています。郵便局は値切れません。
一通65円(市内特別)×5,000通(仮にですが)=325,000円
今日が本宮(メイン)です。
朝9時に集合して、五部会(上溝元町・田中・本久地区でまつりのためにつくっている団体)の御輿の警備です。交通規制がまだ行われていない時間帯のため、車と止めて御輿を通すのが主な仕事です。
昼に一端詰め所に帰ってきて、昼食をとり、その後本町の御輿の警備です。御輿会会員の私は、本来担がなければならないのですが、役目柄致し方ありません。これを夕方まで続けます。
夕刻には本部前で式典があり、現職議員でない私は参列しませんが、せっせと各自治会を挨拶まわりいたしました。
楽しそうに参加している方、義務感が溢れている方、そしてこの機会を仕事に活かしている方様々です。ただ嫌な事件が多い昨今、明るい一日であったことは事実です。
上溝夏まつりの初日です。夕方より消防団で警備(と言っても基本的には待機)に参加しました。
お客さんは例年より少なかったかな?と思いましたが、実数は知りません。ただ御輿まつりの性質上もあって、上溝住人の参加人数が多いのはとてもよいことです。お客様あってのまつりですが、来客動員数のみの統計とは違う視点も必要です。
市のなかには、補助金なくして運営できないようなまつりもあります。市が関わるときはその目的を明らかにし、結果を検証していくべきです。
繰り返しですが、この上溝夏まつりについては「上溝住人をできるだけ多く参加させることに焦点をあてて、今後の対策を考えていくべきです」
2004年07月23日(金) |
自衛官の送別会に出席しました |
全く同じタイトルの日記が別の日にありましたが、自衛官募集相談事務所の職員の送別会に出席しました。
対象者は二人で、うち一人は事務所長だった方です。一人は座間駐屯地へ、所長は研修機関の事務へと、今後新たな任地へ行きます。
吉田茂はかつて防衛大学の卒業式で「君たちが日陰者である方が、国民は幸せなのだ」と訓示したそうです。
抑止のための軍事力や、あるいは戦前戦中の忌まわし出来事を考えれば、趣旨は理解できます。
しかし自衛官が制服では、公共交通に乗りにくいという状態も異常なことです。
相模原市行政も、この市内にある自衛隊の事務所に対しては非協力的です。他の事項では、基本的に国の言いなりであることに比べれば違和感を感じます。
2004年07月22日(木) |
党本部は国会の近くにあります |
民主党本部につとめている学生時代の友人を訪ねて、国会議事堂近辺に行きました。
国会参議院から歩いて2〜3分のところに、民主党本部はあります。本部といっても、あくまで国会対応がメインですので、私も今回で2回目の訪問です。一度も行ったことのない党員も多いはずです。
自民党本部は、国有地に自社(?)ビルを建てて運営していますが、民主党はある民間ビルの数フロアを賃借しています。
さてその運営費ですが、全て税金です。民主党は野党のせいか努力不足かわかりませんが、政治献金の金額が少なく、政党交付金や国会議員に出される立法調査費の占める割合が大きいです。
そういう意味では、党本部につとめる職員も、公務員と同じ責任を負っているのかもしれません。
国会議事堂など公的施設は、一定の手続きをすれば誰でも中に入って見ることができます。ご希望があればお申し付けください。
2004年07月21日(水) |
合併協議会の議論に思う |
まちづくり検討委員会の今後の展開について思いを巡らせます。今後は具体的事項について、まとめていく方向で、議論の対象としてまちづくりの柱を決めました。(環境、交通、行財政などの項目のこと)
全体として思うことは、「津久井の緑を活かす」「津久井の交通を何とかする」など、津久井に焦点をあてた話しが多いです。
相模原市民として、豊富な津久井の財産を期待することは当然ですが、相模原市にも誇るべきものはあります。
編入(吸収)合併にならざるを得ない深謀遠慮からかもしれませんが、相模原市の「我」を出す時と思います。
2004年07月20日(火) |
やはりこれが「財界」の意志なのか! |
「武器輸出3原則、経団連が見直し提言」というニュースが今日の新聞に出ました。危機感を抱くとともに、残念でした。やはり「財界」というところの考え方は常にこうなのでしょうか。
政治を考えるとき国防は不可欠であり、結果防衛力の強化を訴えることは、一面においては理解できます。しかしこの話しが動機が問題です。景気低迷のなか、安定して収入である防衛(軍事)産業を維持したいということなのでしょう。
自民党のなかには政治的に同意見が多数ですので、この方向に政策が向うことも考えられます。
武器を輸出することが、どうして日本の安全保障につながるのでしょうか?核保有を訴える政治家もいますが、それが何故日本の安全につながるのか理解できません。
イラクの件でも明らかになりましたが、軍事的に世界に出て行くことはリスクもともなうものですし、ましてやその裏づけたる外交能力も問われます。それがないまま飛び出していけば、かつてと同じ道を辿ることになります。
戦後、たとえそれが偽りと言われたとしても、「平和」の中に発展を続けてきた日本経済の中枢にも大きな勘違いが出てきたのでしょう。
国防を金儲けの手段にする発想には、心より憤りを覚えます。
面白い本でした。菅直人が厚生大臣をしていた時の随筆的なものです。薬害エイズ問題の真相や、閣議に出席した際の素朴な疑問などのエピソードが書かれています。
前文のなかに、「政治の市民参加の典型的なものは、市民が自らの市長をつくることにある」とあります。これは、国会によって間接的に選ばれる大臣と比べ、市長の優位性を言う文章でしたが、議員でなくあくまで長を選ばなくてはならないとあります。
来年一月の市長選挙の話題が出始めている昨今、興味深い内容です。
選挙をしているから、それでいい。だけではいけません。候補者の選定、政策の集約、そして選挙運動自体もできるだけ多くの市民を巻き込んでいかなくてはいけません。
上溝夏祭りがもうすぐ開催されますた、地元上溝の日金沢地区御輿会の総会があり、一住民として出席いたしました。数年前まではなかなかか担ぎ手が集まらず皆さん苦労されてましたが、年々人数が多くなり当日は7、80名が集まるそうです。
先日の同じ上溝本町地区の御輿会の練習でも話題になりましたが、文化伝統が廃れている傾向といわれながらも、近年担ぎ手が増えているとのこと。
これは市内で多く市民団体がおこっている傾向と無関係とは思えません。自主的なまちづくりへの参加を目指す市民が増えているのです。
「まつり会館」建設に異議を唱えた考えは今も変わっていません。しかし、御輿保存に対する助成を「宗教だから」などという理由で拒否する市の姿勢も理解できません。
また、式典などで市長など市関係者が並ぶ姿も違和感があります。地域行事を後ろから目立たず、そっと支える行政でいいと思います。
2004年07月17日(土) |
ポスターの設置は時間がかかります |
完成したポスターをはりました。前回県議選のときは、私がひたすらお願いしてまわり、その後妻が貼ってまわるのが基本でした。つまり私は自身であまり貼ってないのです。
妻も働いているため、現在は自分で貼るしかありません。今日も看板に足をつけたり、杭で打ったり、なんだかんだでたった4箇所しか付けられませんでした。
目標まではいつのことやら・・・。しかし必ず到達して見せます。
皆さまになかなかお願いに行けないのは、以上の理由で貼ってまわるのが追いつかないからです。
しかし必ず伺いします。その際はよろしくお願い申し上げます
2004年07月16日(金) |
ある自民党候補の得票 |
友人の大阪府議森山浩行氏から電話があり、今回の参議院比例選挙で自民党から立候補し、30万票の大量得票で当選した人について話がありました。
私は記憶にないのですが、二つ後輩で他大学の弁論部に所属していた人だそうです。
偶然にも今日の夜、その選挙を中に入って手伝っていた方と食事をしました。
30万票!すごいですね。どうやって?という素朴な疑問です。
なんと専従スタッフ総勢24名。その他推薦各種団体が全国にあったとのことです。
これだけの支援を受けられた候補者も大したものだとは思いますが、ほど遠い世界のような気がします。
消防団の定期整備に久しぶりに行きました。参議院選挙などで時間があわなかったためです。
これから8月末の第一分団(上溝分団)操方大会に向けての練習もはじまります。
また来週末の上溝夏祭りでも、両日警備となります。
新入団員の確保など消防団の命運を左右する課題について、もっと現場の意見を聞き行政は対策を練るべきです。
2004年07月14日(水) |
UFJと三菱の合併について |
金融再編とは銀行同士の合併を促進し、メガバングをつくっていくことなのでしょうか。
確かに安定にはつながるかもしれません。しかし一時の危機打開ならまだしも、あるべき姿とは違うかもしれません。
独占がいけないのは資本主義経済の基本です。メガバンクが、身近な中小企業の経営や家計に対して冷酷であることは周知の事実です。それ自体を変えるのは困難かもしれませんが、そういう中でも経営努力している地域密着の金融機関に援助をすべきです。
UFJと三菱の合併についても、そのことによって参加の金融機関の仕事が更に充実していくのか、しっかり監視していく必要があります。
民主党の支部役員会と幹事会がありました。
これは批判ではなく今後の改善点だと思いますが、多くの議論が行われつつも政策論議がほとんどありません。
政党とは政策によって政治を統制するための組織です。つまりこの役員会に参加したメンバーを結びつけているのは、基本的には政策以外にはないはずです。
政策論不在は、日本の政治の大きな問題点です。
私なりに政治改革を定義付けすると、 「政策によって選挙が行われ」 「政策によって議会が動き」 「政策によって政治家と有権者が結びつけられる」 ことです。
2004年07月11日(日) |
二度目の開票立会い人 |
参議院選挙の相模原市の開票は、麻溝の総合体育館で行われました。各候補者につき一名を開票立会い人として推薦できることから、私が浅尾陣営の代表として参加しました。
午後8時に集合し、各投票所の投票箱がきちんと届いているか、そしてかけた鍵が外れてないかチェックします。
さて今回一番面白かった(不謹慎ですが)のは、無効票の中身です。無効票には白票と、関係ないことを記入したものがあります。
その「関係ないこと」の中には人名もあって、候補者以外の名前が書いてあります。意図的に書いた方もいれば、間違いの方もいたようです。その数実に数千人。
そのほとんどが、同じく行われた比例代表選挙の候補者名が書いてありました。
そしてそのまたほとんどが、「はまよつ敏子」と記載があります。3千票以上はあったのではないでしょうか。
この方は公明党より比例代表の候補者として立候補しています。
同じく選挙をする人間として、羨ましい無効票だと思いました。そしてそれ以上に空恐ろしくなりました。
自民党の公明党依存は、もはや抜き差しならないところにきています。政局のなかでの一時の連立ならまだしも、それ以上になることには警鐘を鳴らさなくてはいけません。
2004年07月10日(土) |
投票はあくまで権利だが・・・ |
ここで改めて、今回の参議院選挙での争点は何でしょうか。
参議院の性質上、内閣の信任をストレートに反映させるのもどうかと思いますが、同時に昨今では参議院選挙は中間選挙の意味合いを持っているのも事実です。従って小泉内閣の過去の政治そのものが争点です。
その中でも、一時の政局に左右されてはいけない「良識の府」参議院のあり方も考えなくてはいけません。これは過去の国会論議のなかで、政党の枠をこえて長期的な視点で考えなくてはいけない問題を見て、そこで評価すべきです。
イラクへの自衛隊派遣や年金問題は、一般的に言われているだけではなく、上の点からも争点足りえると思います。
前回の衆議院選挙で話題になった二大政党政治についても、今回の参議院選挙の結果で実現できるかどうか微妙になります。
民主党は結党以来国政選挙で負けた(現有議席を下回る)ことがありません。そのことが党としての求心力につながっていました。今回の参議院選挙でも改選議席を大きく上回らなくてはなりません。政権交代するまでは、一議席の後退も許されないことは厳しいことです。
低投票率は、現在の一部の人による一部のための政治を加速させてしまいます。できるだけ多くの参加を追求するのが民主主義です。
そして投票は決して義務ではなく、皆さんのかけがえのない権利です。放棄する自由はあっても、それはあるべきことではありません。是非投票に行ってください。
2004年07月09日(金) |
期日前投票をしてきました |
以前は不在者投票と呼ばれてました。
今日妻と一緒に、けやき会館で投票してきました。投票した名前を明らかにすることはやぶさかではありませんが、公職選挙法の都合上、選挙戦が終了した後にご報告いたします。
投票整理券を忘れました。しかし持っていった方と比べて、時間はたいして変わりません。パソコンのお陰です。整理券自体がなくなる日も近いでしょう。
2004年07月08日(木) |
ワークショップ形式でのJC例会 |
JCの例会を松ヶ丘園で行いました。ワークショップ形式で行われ、多くの市民活動家の方と意見交換いたしました。
私の班は「四谷フリースクール」という、JR相模原駅前にある不登校や引き込もりの子どものための施設の方でした。学校や公営のフリースクールとの連携が、なかなかうまくいかない悩みなども聞くことができました。
十年一昔ではなく一年一昔の昨今、どんな組織もその存在意義を見つめなおさなければなりません。
私も多く入っている団体のなかでJCは格別の思い入れがありますが、だからこそ冷静に相模原のなかの役割が本当にあるのか、あるならば何であるのかを問い直していきたいです。
市議時代より大変お世話になっていた方が亡くなりました。落選後も多くの機会で励ましていただいており、お体がかなり悪いと聞き及びながらも、県議として仕事をする姿をお見せしたかったと、残念でなりません。
また同じく友人(先輩)のお身内の方も亡くなってしまい、悲しい一日でした。
以前にも書いたことがありますが、ご支援いただいている方のほとんどは年上の方です。自然の摂理に従えば、これかたも無数の別れに接しなければなりません。
普段はあまり動揺しない性格ですが、直接お世話になった方が亡くなるのはとてもショックです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
本日開催された後援会役員会にて、来る8月7日(土)14:00〜相模原市民会館第二大会議室にて、「てらさき雄介と語る明日の相模原と神奈川」を開催することが決まりました。
県政に対する考え方を中心に、集まっていただいた方からの、どんなご質問でもお受けするつもりです。
自分自身の勉強も兼ねまして精一杯頑張ります。
2004年07月05日(月) |
議会で質問している夢 |
議会で質問している夢をたまに見ます。寝ながら見る夢です。
県議会は見たことがないので、見るのは市議会での夢です。
起きたとき詳しく覚えていませんが、かなり威勢のいいことを言っていたようです。現実よりも・・。
同僚の議員の顔も色々で、不謹慎にも民主党の岡田代表が隣に座ったりしています。
そして市長席には○○が。別に意味深ではありませんが、時節柄誤解を招いてもいけないので○○で失礼します。
現実に戻ったとき、ああ今は議員ではないんだと思ってがっくりすることもありますが、そういう意味ではいい夢ということでしょうか。
決してグチではありません。
議会での姿を夢に見れるのが嬉しいのです。
2004年07月04日(日) |
織田信長 “夢幻の如く” |
私は大の漫画好きです。好きな漫画家は何人かいますが、本宮ひろ志は十数年来のファンです。
今日夕飯を食べたところに、同氏の著作である「夢幻の如く」がありました。久しぶりに読みいってしまい、通算3巻ほど読破し、また近いうちにここで飯を食べようと思いました。続きを読むためです。
“人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり”
織田信長が桶狭間に出陣する時に、家臣の前で舞いながら読んだ詩だそうです。タイトルはここからとったのでしょう。
物語は、本能寺の変を生きのびた織田信長が、海を渡り世界征服にむかうというものです。完全フィクションですので、内容について批判されても困りますが、とても面白い漫画です。
人間五十年ならば、私は既に半分を過ぎています。いや、定年六十年の現代でも然りです。
支配者の何人かは永遠の命を求めて様々な手法を模索しましたが、人生は有限であるが故に頑張れるのかもしれません。
半分過ぎてしまった、もう若くない私に何ができるのか。迷いますが、今は自分で決めた道を少しでも進んでいきます。
2004年07月03日(土) |
参議院も比例代表選挙? |
選挙制度が複雑です。これは理念を明確にしながら制度をつくるのではなく、その都度の政党間の都合でつくるからです。
参議院の制度は、有権者の皆さんに2票投じていただくことになります。
一票は「選挙区選挙」で、これがかねてからこの日記にも登場している浅尾慶一郎さんが立候補している選挙です。
二票は「比例代表選挙」で、普通は政党名で投じますが、参議院の場合は個人名を投じることによって、結果その所属政党の得票となります。
この「比例代表選挙」のルールについてです。比例代表選挙は獲得した票の多い政党から、案分で議席が与えられます。これは全ての比例代表選挙共通です。ではその獲得した議席分、誰を当選させるかを政党は決めなくてはなりません。
衆議院の場合は順位がついている名簿を最初からつくっておいて、10当選なら、名簿10番まで当選できるわけです。これを「拘束名簿」といいます。
参議院の場合名簿に順位がついていません。ではどうやって順番を決めるのか?そのために政党名ではなく、個人名で投票いただくのです。この個人名での得票の多い順に、その政党が獲得した議席の範囲内で当選していきます。
更にややこしいのは、とにかく民主党だが人は誰でもいいと言う人には、政党名での投票も認められていることです。
参議院は本来衆議院とは違った機能があります。しかしその趣旨にあわせて、選挙制度をしっかりしなくては、参議院そのものの意義が失われます。
今日街宣車に乗った比例代表の候補者は、「参議院議員は衆議院と同じような政党や政局ベースの発想ではいけない」と訴えていました。同感です。
「比例代表選挙」のような政党を選ぶ制度ではなく、多少一票の格差ができても、県や関東といった単位で数人を選ぶ選挙にすべきです。
有権者も政党のみを判断材料とせずに、個人の評価を大きくすべきかもしれません。
どうやって?それを一緒に考えていきましょう。
イラクのフセイン元大統領の裁判がありました。
一番印象的だったのは、フセインが判事に向って言った「あなたはいつから判事をしているのか」質問と、判事の「あなたの統治時代からやっていて、改めて連合国に任命された」の返事です。
イラクは過酷な独裁国家でしたのでやむを得ないわけですが、この判事もフセイン体制の一員だったわけです。
政治の常ですが、恐ろしいものです。
もはや権力の座を退いたフセインを追及することは、過去に隠された多くの真実を明らかにすることのみに価値があります。
当然その中にはイラクを軍事大国にしてしまった、過去のアメリカとの関係も入るべきでしょうが、それはテーマに上らないでしょう。東京裁判も一緒ですが、現在の国際裁判はそんなものです。
一日もはやく国際司法裁判所の機能を拡大し、一部の国に依らない裁判にしていくべきです。
2004年07月01日(木) |
今日は浅尾夫人DAY |
先日の日記でも書いたとおり、参議院選挙は選挙区が広いので、候補者は一日しか相模原市にきません。その日は既に終了しました。
代わりといっては何ですが、浅尾さんのご夫人が相模原市に来て、午前中のみ私と挨拶まわりをいたしました。
選挙運動を数多くしてまいりましたが、誰かの夫人を連れてまわるのは始めての体験です。
発見したのは、候補者本人よりも夫人の方が、先方が身構えないというか、話しやすいというか、とにかくうけが良いところもあったことです。
自分の選挙の時に妻がまわってくれた現場を直接は見てはいませんが(二人別々でまわっていたため)、きっと妻のことを気に入って投票下さったかたも多数いたことでしょう。
改めて感謝です。
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