てらさき雄介の日記
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2004年06月30日(水) 相模原元気隊の交流会に参加しました

以前からお付き合いのあった「相模原元気隊」の交流会に参加しました。この会は、学生さんと社会に出て少しの皆さんで構成されており、市内でのネットワークの構築を目的にしています。

公民館を使用したので、アルコール抜きですが、呼ばれた社会人同士の交流もでき有意義でした。

まちづくりの現場になかなか若い人が出てこない相模原市なだけに、今後の活動に期待しております。


2004年06月29日(火) Noネクタイに、出来ればなるといいなあ・・・

私はネクタイに思い入れはありませんし、つけるべきという信念もありません。従って毎日着けながらも、このシーズンになると外したくなります。

同時に外すべきという考えがあるわけでもないので、まわりの目を気にしてつけています。

参議院選挙の街宣車に乗るときは、これ幸いとスタッフジャンバーを着て、その中はTシャツだったりします。それだけで終日楽なのも事実です。

横浜中田市長はNoネクタイを実施し、役所内や議会もそれにならっているとか。

相模原もNoネクタイに、出来ればなるといいです。


2004年06月28日(月) 今日は浅尾慶一郎DAY

参議院選挙は期間が長いとは言っても、選挙区も広いので(神奈川県全域)候補社本人が相模原市にやってくるのは一日のみです。それが今日でした。

朝橋本駅で駅立ちをして、その後街宣車を中心にほぼ一日行動をともにしました。夜は演説会も開催し、多くの方にお話しを聞いていただくことができました。

選挙告示以来、若干ですが民主党にいい風が吹いているのを感じます。しかしこれは微妙な風である分、やんでしまうかもしれませんし、なにより投票率が上がらなくてはいけません。

最後までお会いした皆さんに訴えていきます。


2004年06月27日(日) 芹沢鴨は本当に悪者か

今日の大河ドラマ「新撰組」で佐藤浩一扮する芹沢鴨が暗殺されました。今回のドラマでは比較的良い描かれ方でしたが、過去の映画などではだいたいは芹沢鴨は悪役です。これは近藤勇や沖田総司を主人公にしたものが多いため、結果的にそうするしかなかったのでしょう。

今の価値観で当時の善悪を語ることはできませんが、街中での粗相や無頼漢ぶりは、新撰組全体共通のものだったと正史ではほぼ明らかになっています。つまり芹沢鴨のみが特にどうこうではないということです。

世界観はどこまで行っても相対的なものである、とまでは割り切ってはいませんが、少なくとも異なる見方があることを認めることは必要です。

夜遅くにNHK特集で、アメリカとイスラムの対立について放送していました。この番組を見ても思いましたが、一連の対立と紛争について同盟国アメリカではなく、イスラムの側に心情的に味方してしまう自分がいます。

何故だろうと考えることもあります。強いものが嫌いなのか、イラクの空爆を日本への空襲とダブらせてしまうからか、旅の最中イスラム教徒は特に親切であったことか、理由はたくさんあります。

アメリカ的志向が大勢を占め、かつその反対にいるイスラムを「悪」とする一方的見方に反発していることが最も大きな理由だとも思います。


2004年06月26日(土) 明治大学校歌を唄いながら、君が代を考える

私は君が代をきちんと唄います。しかし国歌を唄うことが愛国心の表現であるとする意識は疑問です。愛とは内なるものであって、外に出すときは慎重にしなければなりません。

教員が学校現場で君が代反対を訴えることは問題があります。その意見は職権によってではなく、ひとりの主権者として学校の外で言うべきです。

しかしそれが子どもであるならば、強制で唄わせるべきではなく、そのこどもの話しをきちんときいてあげるのが教育だと思います。

今日明治大学の校友会(OB会)相模原支部総会があり、校歌を皆で唄いました。本当にこの唄は大好きです。学生時代にも飲んだ後に、明大前や御茶ノ水の駅や、新宿のコマ劇や区役所前でよく歌いました。周りの迷惑をかえりみず、気持ちよかったです。

何故気持ちよかったか。どうしてまた唄いたいと思ったか。これは皆が自主的に歌っていたからです。

私は付属校出身ですので校歌は高校時代も一緒ですが、当時はあまりしっかり唄っていませんでした。強制されているという意識があったからだと思います。

君が代を大きな声で唄えるこどもが、果たして良いこどもなのかは正直わかりません。しかし社会がそれをこどもたちに唄わせたいとするならば、国歌とは、君が代とは、天皇とは、何かということをしっかり子どもと話すべきです。意味を教えずして、機械的に唄わせている現状が散見されます。

繰り返しですが、私は君が代を唄います。しかし他に唄っていない人を見ても特段どうこう思わないのは、自分のどこかに唄っていることへの迷いがあるからです。

賛成!反対!とはっきり言い切れるほど簡単な問題ではありません。歴史の象徴であるということは、そこに多くの人々の思いが連なっているからです。深い内容ですが、考え続けていきたいと思います。


2004年06月25日(金) 人数ではなく、思いを共有できる仲間こそ重要

議員や候補者は、たくさんの人が集まると嬉しくなります。かくいう私もそうです。バーベキュー大会に予想を超える皆さんが来て下さった時も、数日間は嬉しくて仕方ありませんでした。

市議になりたての頃、今までは出たこともない地元の宴会に多く出していただきました。自分の生まれ育った街に、こんなにも色々な人がいたのかと感嘆したものでした。

しかし数ヶ月、半年、一年が過ぎる別のことに気づきます。いつも同じ顔なのです。このことは私の地元のみの話ではなく、過去に見てきた政治の多くの場所で共通です。

「政治に意見を伝える術を、持てないでいる人のために働きたい」これが初心です。

人を集めることの錯覚に惑うことなく、思いを共有してくれる仲間をつくっていくことが大切です。参議院選挙をしながらも、旧来の動員作戦が多いことには残念でなりません。



2004年06月24日(木) ふたつの選挙 〜参議院とJC〜

いよいよ参議院選挙が告示されました。

民主党にとっては、次期政権交代に向けた重要な選挙です。冷静に分析すれば、ここで議席が縮小するならば政権がとれないどころか、万年野党として定着してしまう危機的状態でもあります。

選挙区においては「浅尾慶一郎」、比例代表は「民主党」が多くの得票を得られるよう、7月11日の投票日まで全力を尽くしてまいります。

また今日はもうひとつ大切な選挙がありました。所属する(社)相模原青年会議所の次年度理事長選挙です。結果井口学さんが当選いたしました。

井口さんは私と同年の入会ですが、休むことなくJC活動にまい進してきた方であります。また仕事でも大変お世話になっており、井口さんの司法書士事務所には、ご自分の名前よりも大きく私の看板をはっていただいています。前を通るたびに感謝に耐えません。

これから約一年半ですが、できる限りお手伝いしていきたいと思っております。


2004年06月23日(水) 子どもたちの様々な事件

子どもたちの様々な事件が今日も多くありました。というよりも報道されているかどうかは別にして、毎日あるのでしょう。

このテーマで評論家がうんだかんだ言っているのには、正直しっくりこないですが、最近思うことを書きます。反論については、どんどん掲示板にお寄せください。

今の社会は大人が子どもを抑圧していると思います。子どもが社会の構成員として認められずに、あくまで大人がつくった社会に従うものとされています。

少年法の精神である少年保護がいけないという意見もありますが。私は現状においては賛成です。もし大人なみの刑罰を適用するならば、もっと社会のなかでの子どもの立場を上げていくべきです。法律に象徴される“ルール”づくりの場に、もっと子どもを参加させるべきです。

このことのみで、子どもに関する課題がなくなるほど単純でないのはわかっています。

ただ、子どもは大人よりも優れていると思うのは、きっと私だけではないはずです。人は年をとるほど、得るものよりも失うものの方が大きくなってきます。

しかし今さら子どもに戻れない以上、子どもに学び、そのことを社会にいかすべきだと思います。


2004年06月22日(火) 合併特例債の発行に見る、行政の肥大化志向

昨年3月に行った市議としての最後の一般質問は「行政改革」についてでした。具体的には、新しい仕事をひとつ始めるときは、旧い仕事をひとつやめることを徹底すべきという意見です。

しかし現状は違います。どんどん新規事業が起こり、反面辞める事業については小幅な修正にとどまっています。予算を使うほうのみ増えて削減がされないわけです。

結果膨大な赤字と次の世代への借金です。

城山町長選挙の結果を見たときに、合併賛成の私にとっては残念な感もありましたが、一方これで「合併特例債」に象徴される無駄な出費をしなくてすんだことにはホッとしました。

政治活動を続ける限り訴え続けますが、もはや役所はこれ以上の予算を使うべきではありません。既存の事業も縮小すべきです。仕事を減らすべきです。

市議会においてそのチェック機能が果たされていない現在、市民の皆さまも、新規の要望よりもむしろ「この仕事はもういいからやめなさい!」という声をあげてください。意識ある役所職員の中には、その市民の声を待っている人もいます。近所の議員が地元への予算獲得を自慢したら、「そんなお金を使って市の予算は大丈夫ですか?」と問いかけてください。

いよいよあさってから参議院選挙です。いつも選挙の度に祈るような気持ちになるのは、高い投票率の実現です。よろしくお願い申し上げます。


2004年06月21日(月) 衝撃の城山町長選挙

昨日の城山町長選挙で、新人の小林正明さんが当選いたしました。「何だかんだ言っても現職が強い」という大方の事前の予想に反し、大差での勝利です。

普段ならば、隣町とはいえ相模原の関心は及ばないのですが、今回は違います。なにせ城山町とは現在合併協議を進めており、当選された小林さんは合併慎重派だったからです。

本人は“慎重”派ですが、集まってきた皆さんは、自民党県議から共産党市議まで合併“反対”派です。おそらく合併協議会からの離脱が選択されるはずです。

地理的にも城山町のない合併はあり得ないわけですから、相模原市が半ば強引にも進めてきた、一連の津久井郡との合併はここで頓挫されてしまいます。

今後の対応はいまだ検討されていないでしょうが、今回のことを真摯に受け止め次にいかすべきです。

私は合併賛成ですが、特例法の期限内を目標とする進め方に疑問を感じていました。1市3町のなかで、最も合併を希望する住民の多かった城山で、この結果だったことをしっかり認識すべきです。


2004年06月20日(日) 政治の世界での会話

初めて議員になったとき、政治の世界での会話に正直なじめませんでした。

将棋ではありませんが、一手二手先を読んだ話し方、あえて迂回し逆説を唱える面々。何だかんだと言いながら実は何も考えていない方。色々なことがありました。

いつからかわかりませんが、そういう面々と接する際のスタイルが自分のなかにできてきました。ひとつは、どうせ考えてもわからないのだから額面どおり受け止めること。ふたつには、最初に自分の意志を言ってしまい後で補足することです。

しかし、最近はもっと色々考えなければいけないと考え直しています。何故ならば相手が歪曲している以上、そこに正確に意志を伝えるには、残念ながら変化球を投げなくてはならないからです。

しかしくだらないことだと思います。メール中心のコミュニケーションも問題はありますが、まだましに思えてしまいます。


2004年06月19日(土) 金日成と金正日の「顔」

「金正日入門」という本があります。現在第二巻も発売されており、売れ筋だそうです。韓国では発禁処分になったため、日本で注目を浴びています。

私が北朝鮮に観光したのは8年ほど前のことです。金日成死後数年が経過していましたが、旅行者からでもはっきりわかったのは、その息子金正日との差です。

肖像画も銅像も、ありとあらゆるところにある「顔」は父親の方が多かったですし、ガイドなどの説明も既に死去している父親のエピソードでした。それはそうです。まがりなりにも父親は建国者であり、息子はただの息子でしかないのですから。

父から子に体制を移すとき、一部動揺が走ったという報道もあったのは当然のことです。いまや金正日の神格化作業は終了し、父親と息子の「顔」の数は逆転しているそうです。

私は金日成の政治を否定します。理由は多くありますが。その第一は、金正日のような人に「子どもだ」というだけで後継を許してしまったからです。

まあ日本でもそんな傾向は多々ありますが。


2004年06月18日(金) 久々の若手市議の会

昼間ある会のバーべQに出て、夕刻小沢一郎さんの話を聞いて、夜は久しぶりに神奈川県若手市議の会に参加しました。場所は藤沢です。

市議時代は当然会員ですが、現在は皆さんのご好意で参加させていただいています。藤沢、横浜、川崎、伊勢原、海老名市から集まった皆さんと楽しい時間を過ごせました。

同じ仕事をしているため、話しが簡単かつ夢も語れ、非常に有意義な会だと思います。

全国若手都道府県議会議員の会というのもあるそうです。一日もはやく参加したいです。


2004年06月17日(木) 韓国映画「シルミド」は凄い

時勢はまさに、政権を左右する参議院選挙。そして相模原市の将来を左右する市長選挙の話題で真っ盛り(といっても62万市民のほんの一部)ですが、韓国映画「シルミド」を見に行きました。のん気な訳ではなく、仕事のために必要な空想の時間と認識しています。

更に言い訳をすると、公開したらすぐに見ようと楽しみにしていたのです。愛用している南大沢TOHOシネマずでは、何とやっていない!致し方なく新宿コマ劇まで行くことになりました。

あっという間の2時間半、とにかく凄かったです。「シュリ」以来韓国映画に興味を持ち何本か見に行きましたが、今回のは極めつけです。

内容を話すのはどうかと思いますが、1960年代後半の韓国における、金日成暗殺部隊の結成と悲しい末路を描いたものです。皆さん是非“映画館で”見てください。

最近の日本映画は、表現を抽象的にすることを好みます。黒澤明に象徴されるリアルさが失われ、どれも童話のようです。しかし血を血として表現し、暴力を暴力として表現することは、映画の中でしかできないことです。そしてこれを自主規制することと、世の治安問題とは関係もないと考えます。どうしても問題ならば、R指定や成人指定をつければいいことです。

前の大統領を弾劾し死刑判決を出してしまうことなどは、日本の文化とは違いますし、率直に言って理解できない点もあります。しかし「シルミド」で描かれたような自国の歴史の暗部を勇気を持って総括することは、とても大切なことです。

以前は明らかに日本の民主主義の方が進んでいましたが、今は韓国と比べてどうでしょうか。そして今後は?日本も努力しなければなりません。

先ほど相模原に帰ってきました。明日もまた・・・。


2004年06月16日(水) 連合神奈川議員団会議への参加

労働組合の連合体“連合神奈川”の下部団体である連合神奈川議員団会議の総会に出席しました。横浜駅前のホテルで夕刻よりの開催です。

私は現職議員ではありませんが、同会の規定「連合神奈川が推薦し、惜敗したが、捲土重来を期す立候補予定者」に該当するため、賛助会員として会に入れていただいています。

朝と夕の通勤ラッシュにもまれて、定年まで働いて、あげくに年金まで減らされる。多くの方の怒りの声を改めて聞きました。かくいう私もサラリーマンの息子です。

銀行をはじめとする日経連などが、多くの資金を武器に政治に圧力をかけている反面、サラリーマン層の発言力が少ないことは日本の大きな課題だと思います。






2004年06月15日(火) とにかく高い投票率を

24日に参議院選挙が告示され、いよいよ選挙期間となります。有権者の関心は率直に言って薄いですが、できるだけ争点を明確にし、高い投票率を実現したいと思います。

相模原の浅尾慶一郎の選対幹事長として、党支部としてすべきことの最終確認と、地元の浅尾支援の労組の方との最終打ちあわせをいたしました。

政策を訴えるビラを配るのも、演説会をするのも、全て人手がいるのは事実です。

自分の選挙の時は多くの支援者の皆さんがやってくださっていることを、今回のような他の選挙をお手伝いすることによって、自分自身で体験できることは勉強になります。

投票率が低い方が有利になる政党の一部では、有権者が高い関心を示すことを警戒する風潮もありますが、言語道断です。

とにかく、神奈川県内で相模原市が一番高い投票率となることが大切です。民主党と浅尾慶一郎の勝利を目指すことは無論ですが、それ以上に民主主義そのものが問われる選挙だと思います。

皆さん投票に行ってください!


2004年06月14日(月) 愛する相模原だからこそ、こんな雰囲気は嫌いです

私は今浪人中です。正直言って、相模原市政についても神奈川県政についても、あるいは民主党の運営についても何の発言権もありません。現職優先の政治の世界ではやむを得ないことと思い、悔しさを次期の糧にしています。

しかしそんな非力な私に対して、多くのパッシングがあります。最近は特にひどいです。市議時代よりも多いくらいです。もともとこういったことには鈍感である私ですが、最近は少し頭にきています。

私はあらゆる議論を拒みません。政治家である以上批判もお受けいたします。ひとつひとつに冷静に、真摯に応えていくつもりです。

何か言いたいことがある方は、直接私に言いましょう!

しかし、そんな私を心配くださっている皆さまには、本当に感謝しております。とてもありがたいです。一日もはやく県議としてご恩返し(=政治の変革=そのような相模原の風土の変革)できるよう頑張ってまいります。お見捨てなく引き続きよろしくお願い申し上げます。

自分のスタイルを変えるときは政治を辞める時と決めていますので、基本線の変更はありえませんが、理想実現のためにより注意深くあることも学ばなくてはと最近考えはじめています。


2004年06月13日(日) 市行政の隠蔽体質は残念

昨日の新聞に、ある市政に関する問題が掲載されました。以前から多くの場所で囁かれていたことですが、改めて残念です。

行政のミスで税法上の不利益を被った方への、補填(賠償)を助役以下役所幹部が自費で行ったことです。

問題その1、
行政を人間が運営する以上、ミスはいつでもどんなときでもありえます。その補填を個人の自費でする必要がありません。

問題その2、
百歩譲って自費が認められるなら、何故最高責任者である市長は払ってないのでしょうか。公職選挙法上の寄付行為にあたる云々は言い訳にも聞こえません。

問題その3、→これが最大の問題です。
今回の事件は、明らかに賠償問題です。市が受ける賠償は議会に報告し、審議し、費用については議会の議決により市費から支出されるルールです。小泉総理の答弁でも感じますが、地方自治も少し乱暴になっている証です。もっと丁寧に議会にかけるべきでした。

上にも書きましたが、ミスはあり得ます。個人の責任のみに転嫁するのは、組織として問題です。

「血税を使えなかった」ということを言っていますが、これは第二の理由です。第一の理由は「事件を明らかにしたくなかった」ことです。この隠蔽体質を変えられるのは、行政自身ではなく政治だという認識を改めて持つべきです。


2004年06月12日(土) 今日はたくさん会に出ました

今日はたくさん会に出て、それぞれ印象的だったので全て書きます。

最初はNPO法人「相模原市民会議」のバーベキューです。市民活動サポートセンターの運営を受注している団体です。すっかり準備ができた後に参加して申し訳ない限りですが、うち何人かの皆さんは、午前中に隣で田植えをしたようです。相模原市政のなかで、あまり脚光を浴びてこなかったこういった層の皆さんこそ、次の市政を切り開く原動力であると改めて思いました。

次は母校である、明大中野八王子高校の卒業生の会「戸富貴会」の総会です。八王子市のサマーランドのそばにある校舎で、年に一度開催されます。改めて会長に選出されましたが、今までは学校と私の独断でやっていた運営も、幹事の選出などでようやく新しい展望が開けてきたことは嬉しい限りです。学校の制服が今年から変わったそうですが。懐かしい時間でした。

夕刻よりは、民主党14支部政策調査会(委員長長友克洋市議)主催のふじい裕久国政報告会です。質疑応答などもあり良い会でした。イラクや年金問題など藤井代議士の話を聞くたびに、私の考えるあるべき民主党の政策と同じで、非常に嬉しく思います。「改革」という言葉が風化した現在だからこそ、その中身を具体的に議論する時期です。現職の地方議員の皆さんとも積極的に話し合いをしていかなくてはと思います。

その後は異業種交流会「八社会」の例会です。お仲間に加えていただいてはや5年が過ぎましたが、欠席したのは数回のみでほとんど出席しています。市内の中小企業の経営者の皆さんの会です。ざっくばらんに多くのお話しや指摘をいただき、いつも楽しく参加しております。現職でないため、生の県政の情報をお伝えできないことが残念でなりませんが、いずれご恩返しできればと思います。

更にその後は、市民団体「相模原地域大学」理事の皆さんとの会食です。先ほどの藤井裕久国政報告会にも、多くご参加いただいた流れです。この会は2ヶ月に一度市内の有志により、様々なテーマでの勉強会をしている団体です。何度か参加いたしましたが、中高年の方が熱心に講師の話を聞いている姿を見るたびに、若い人間ももっと頑張らなくてはと思います。

以上です。

私は会のかけもちが余り好きではありません。市議時代も同時刻に複数重なった時は、両方中途半端になるよりはと、一方を断ったことも多々ありました。これはポリシーと言うほどのものでなく時と場合によりますが、基本的にはこの行動様式は今でも変わっていません。


2004年06月11日(金) 神奈川16区と14区

民主党神奈川16区代表の長田英知氏と、久しぶりに会いました。

前回総選挙では亀井農水大臣に惜敗いたしましたが、次期衆議院を目指して活動中です。

相模原市も一部が16区であります。また今日も話題になりましたが、津久井との合併が実現すれば、そちらも16区です。16区に挟まれた14区という、変なカタチになります。

ひとつの自治体が衆議院の選挙区で分割されていることを問題とする意見もありますが、衆議院議員は地域代表ではないので、基本的には人口割りで良いと思います。むしろ一票の格差こそ問題にすべきです。

現在は国会議員でも、私より若い方が多数います。長田英知氏の今後に期待するとともに、同じ若手として頑張ってまいります。




2004年06月10日(木) 藤井裕久民主党幹事長就任祝い

藤井裕久民主党幹事長就任祝いに出席しました。地元の後援者の有志で開催されたものです。

政治家が役職に就くことが、果たしてお祝いをすべきことなのかどうか。自分自身市議選に当選した際に「おめでとう」と言われて感じた違和感が、今回も頭をよぎりました。

しかし一方で、藤井裕久代議士が幹事長に就任したときは本当に嬉しかったです。支援者としての率直な思いです。

かつて私に同じことを言ってくださった方の気持ちが、ある面で理解できました。そして次期こそはと改めて決意いたしました。


2004年06月09日(水) 小田急線にハングル

駅のホームには、その駅名を書いた看板が出ています。次の駅と前の駅が書いてある、あれです。

小田急線のその看板に、ハングルの表示があることに気付きました。英語は前から入っていました。中国語はないのかと一瞬思いましたが、そういえば日本語表記がそもそも漢字でした。

ハングルが入ったのはいつからだろうと考えました。ワールドカップからだろうか。それとも最近か。あるいはずっと前からか。

もちろん文句があるわけではありません。大歓迎です。SMAP草薙君のチョナンカンもそうですが、最近朝鮮半島(といってもほとんど韓国ですが)と身近になる試みがされていることは、嬉しい限りです。

国家同士では、解決しなければならない課題が多くあります。しかし国民の意思と行動が、全て国家に準する必要もありません。

「隣同士の国で仲の良い国はない」と言われる悲しい世界の現実ですが、それを変えていきたいです。


2004年06月08日(火) 参議院選挙の会議で横浜に行きました

今日は月に一度の党支部幹事会の日ですが、浅尾慶一郎の参議院選挙会議があったため、中途で横浜へ行きました。

もらった地図ではわからずに、迷ったり、車を停められなかったりしているうちに遅刻をしてしまいました。

会議は、いよいよ本番という雰囲気で、相模原では正直感じられない緊迫感の溢れるものでした。

しかし横浜は遠いですね。いつかこの日記で、県庁より都庁へ行く方が感覚的に近いと書きましたが、横浜へ行くたびに実感いたします。

生活圏と都道府県の境界がずれている証拠だと思います。神奈川が本当の広域行政ができるようにするためには、抜本的な枠組みの変更が必要です。それは結果的に、神奈川「県」を失わせることかもしれませんが。


2004年06月07日(月) 日本人は宣言文が苦手

日本人はスローガンや宣言文などが苦手だと思います。元々そういう文化が少なかった面もあります。

そんな中で、私はふたつ名宣言文を知っています。

ひとつは水平社宣言です。これについては非常に深いので機会を改めます。

そしてもうひとつは、私が所属している日本青年会議所の宣言文です。今のものではなく、1990年代に使われていたものです。

変革の能動者たらんとする青年として、
個人の真に豊かな生活の実現を通じて、
自立した活力ある地域を創造し、
自由と公正を保証する国家を基盤として、
世界の平和と繁栄に貢献し、
地球上の全ての人とともに生きることを誓う。

この文が画期的であるのは、最初の段落で「青年」とは何かの定義があることです。「変革の能動者たらんとする」者こそ青年であるし、青年はそうなければならないというものです。

何故こんなことを書いたかというと、私の新しいキャッチフレーズを色々考えたのですが、なかなか思いつきませんでした。ひとことで思いを表現することは難しいものです。そこでこの文を思い出しました。

結果新しいキャッチは「変革の能動者」にいたしました。これが記載されたものが出回り、皆さまの目に入った時は、こういう経緯があるのだと思い出していただければ幸いです。


2004年06月06日(日) レーガン大統領の思い出

レーガン元アメリカ大統領が亡くなりました。心より哀悼の意を表します。

レーガン氏との思い出といっても、当然会ったことがあるわけではありません。テレビを通じての「思い出」です。

私が政治を志した時のアメリカ大統領は、レーガン氏でした。当時世界の注目が(かくいう私も)ソ連のゴルバチョフ氏に向かうなかで、いくつかのことをはっきり記憶しています。

レーガン氏は共和党の中でも「強いアメリカ」を標榜し、対外干渉を辞さない強硬な外交政策をとっていました。そのレーガン氏でさえ、中距離核ミサイルの全廃をはじめとする、大規模な核軍縮を行いました。当時の世界の潮流を見て、近い将来は核のない世の中が本当に来るのかもしれないと思ったものです。残念ながらそれは夢でしたが。

冷戦時代と現在を比較して、以前の方が良かったという意見もありますが、そうは思いません。新たな秩序がつくられるとき、必ずおこる混乱が今であります。その中で、大国のみが主導するのではない新たな国際秩序をつくっていかなくてはなりません。


2004年06月05日(土) ふたつの総会に出席しました

今日はふたつの総会に出席しました。

ひとつは、自衛隊相模原地区募集相談員会の総会です。昨年より会員になっています。おもな役割は、自衛隊員の募集と退職自衛官の就職援護です。

この団体に所属していることにより「あなたは右派ですね。」などと言われますが、そんなことはありません。抑止力としての軍事力は残念ながら必要な世界情勢ですし、自衛官がイコール好戦的という認識は誤りです。

いつの時代も戦争を始めるのは政治であります。政治の問題点を自衛隊に転化するのは短絡的だと思います。私が問題にしているのは、自衛隊の基本線である専守防衛を政治が歪めていることであって、国を守るために厳しい職務にあたっている皆さんには感謝しております。

ふたつめの総会は、藤井裕久衆議院議員の後援会のひとつである「ふじい裕久の会」の総会です。こちらは、本日よりメンバーに入れていただきました。友人と二人で出席しましたが、この種の後援会とは思えないほどしっかりした団体で、昨年の衆議院選挙の際の街宣部隊の大活躍が理解できた気がいたします。

民主党員である私は、藤井代議士の身内であり、多くの方にご支援いただいていることに、改めて感謝する次第です。今日入会ですので、まだ何も活動できていませんが、今後励んでまいります。


2004年06月04日(金) 議員の定数検討会を傍聴して

過日も書きました、合併協議会に伴う議員の定数検討協議会を傍聴してきました。以下その内容です。敬称は略します。

時間 15:00〜16:35
場所 けやき会館2階会議室
出席者 山岸一雄 久保田義則 佐藤賢司 小林一郎 田中武夫 長友克洋(以上相模原市)小野志郎 菊地原一朗(以上城山町)梶野勲 荒井三和(以上津久井町)荒井正次 永井宏一(以上相模湖町)

1、合併協議会事務局長より開会が宣言される
2、合併協議会会長(相模原市長)より委嘱状が個々に手渡される
3、同会長より挨拶がある
4、委員の自己紹介
5、議題

a、この検討会の規定について事務局より説明がある

長友委員質問。検討会に議員以外の一般の方をいれないことについて、合併協議会でされた議論についての報告を求める。
事務局より簡単な経過の説明あり。

b、委員長・副委員長の互選。

事務局より「どうしましょうか?」
菊地原委員より「長は市で、副は3町のほうよりでどうか。」全員了承。
それぞれ人選を進めるために休憩をとる。
3町の皆さんは別室に移動。
残った相模原市議に話し合う様子がないのは、既に決めてきたらしい。
再開、結果山岸委員長、梶野副委員長で決定。

c、検討会で検討する事項について事務局より説明あり。

事務局提案、議員が審議というスタイルは、変わらぬものらしい。
田中委員より「多くの項目があるので、一つ一つ出してもらいたい」時間をかける主張かと思いきや、その後「前もって資料が欲しい」なん だ党内合意に時間が必要程度のことでした。

d、検討スケジュールについて、表に基づき事務局より解説あり。

記載の第6回協議会に報告、について長友議員より異論あり。
確かに事務局がいう筋合いの話ではなく、検討会委員によって決められるべきもの。
その後他の委員を交えて約20分間議論があり、結果そのままに。

e、その他で、荒井城山町議より挙手あり。

おお何だ!と思ったが、次回会議の資料ははやめにほしいとの要望。
そんなことは手を上げて堂々ということではありません。

6、次回スケジュールを確認し閉会


感想としては、まあこんなものでしょう。しかしはっきりしているのは、普段議会で活発な議論が行われていない(3町のほうは推測ですが)のに、この検討会で急に目覚めるということはありません。
従って事務局のスケジュールにあわせて淡々と決定がされていくでしょう。市民の皆さまの一層の監視と、奮起を期待いたします。

牛歩は反対ですが、ひとつひとつの議題に時間をかけることによって、そこから問題点を探っていく必要もあります。少なくとも一議題数時間をかけてするよう有志議員には期待いたします。


  


2004年06月03日(木) 三菱自動車の事件について

三菱自動車の不祥事が、次々と発覚しています。会社の存続自体も危うくなっているかの話しも聞きます。

雪印の事件もそうでしたが、一部の人の失敗により、多くの働いている皆さんが不利益を被ることが残念でなりません。

亡くなった被害者の遺族からすれば、一蓮托生かもしれませんが、やはり冷静に区別して考えるべきです。

ただ経営責任は免れませんが。


2004年06月02日(水) リサイクルショップでの買い物

リサイクルショップで事務用品を大量に買いました。数十点買ったので、運送費が最初は数万円でしたが、「まけてくれ」と頼んだら一気に十分の一くらいになりました。頼まない人は高い金額を払っているのでしょう。

この机や椅子は、どういう経緯を辿ってここに並んでいるのだろう、などと考えました。恐らく幸福ではない事情もあったことでしょう。

しかし一方で、物を大切にするのは良いことです。以前なら廃棄処分だったかもしれないものが、現在では売り物になります。

今回の買物で知ったのですが、相模原はリサイクルショップが非常に多いです。大小様々で、商品に特徴をつけている店もあります。道路がある程度広いからかもしれませんが、街なみとしては悪くないと思います。


2004年06月01日(火) 消防車の運転訓練、でも私は笛吹き

消防団で、消防車の運転訓練をしました。事故が多くなっているとのことで、今年から始まったメニューです。

夜8時から、緑が丘の訓練場で行われました。内容は車庫入れです。

私は運転ではなく、笛をふきながら車を誘導する練習をしました。しかしこれがなかなか難しいものです。本職(消防署員をこう呼びます)からは、運転はよかったけど笛はイマイチとの評も。

夕方から少し寒気がしていたのが、どうも訓練中ひどくなったようです。とても気分が悪くなってしまったため、詰め所に戻った後、家に帰りました。


てらさき雄介 |MAILHomePage