ALC ビル リフォーム -★-


 

 

ねことおやつ
   
 

2004年04月30日(金) ★ 嬉嬉嬉ちゃんぽん!

有田陶器市に行くの。
と言うと 誰もかれもが
「えー。大変だよ!」
と、言った。

ママを誘ったんだけど、
「行くことを考えるだけで疲れる」、
と あっさり断られた。

ここ数日テレビのニュースを見ていると
【ゴールデンウィークの人の混雑ぶり大予想!】という
予言に近いようなものが連日発表されていて、
『中でも有田陶器市はコミコミです!』と
《覚悟しぃや〜》的な電波がぴぴぴだった。
私がはりきっているとダーは露骨に嫌な顔をするし、
…そんな中(車を停めれるだろうか)なんて不安を抱きながら
(でも、今日は平日だから!)という希望も持ちつつ、有田へ。



無料駐車場のある、有田焼卸売り団地へは親切すぎるくらい50m間隔で立て看板がガンガン立ってて、すんなりたどり着けた。
車もスグ停めれちゃったりしたので(お?結構歩きやすいんじゃ?)なんて思った。

                 -----

卸売り団地から陶器市のある有田駅まで、この日だけ走る無料バスが15分おき位に走っていて、すぐにバスに乗ることができた。事前にネットでいろいろ陶器市の情報を探っていたら『バスはぎゅうぎゅうで座れなかった』とか書いてあったけど、8割くらいの乗客率でゆったり座れた。
もう、わくわくしちゃってる私たち。

有田駅から上有田駅まで、陶器屋がワゴン並べて出店を作ってる。
あれもこれもと、買い走ってしまいそうになる気持ちを押さえながら歩いた。




←駅前の店で、2枚1500円。
ここのオジちゃんはいちばん面白くて、くたくたになった『太陽』だかなんだかの陶器の雑誌をいちいち開いては、「この陶器はここでこんなふうに紹介されてて、高値がついて…」とか自分の店の似たような皿をひっぱりだしては教えてくれた。
オジちゃんが雑誌からひっぱってくる写真と目の前にあるお皿は似てるけど決して一致することはなかった。そしてオジちゃんが教えてくれるお皿は一般的な一流陶芸のデザインで、私には面白くなくて全く興味がわかないものだったが、オジちゃんの人柄は個性的で面白かった。
私は、最初目についたお花のお皿と、オジちゃんの前に積んであった赤い皿を下の方から引っぱりだして買った。この、赤いお皿を私が欲しいと言うと「これは色彩感覚が優れている人が買っていく…料理人とか…、この花の方はサンプル品で売れなそうだったから作ってない」と教えてくれた。また出会ってみたいオジちゃんだった。




ちゃんと買うものを決めてこないと、絶対だらだらと使わないけど手放せない陶器ばかり買うと思ったので食器棚と相談してきた。
-----★買うものリスト★---------
・私とダーの茶わん
・一日を楽しみたい時に使うコーヒーカップ
(紅茶カップばかりある)
・中途半端な大きさのどんぶり
(こういったサイズが使いやすい)
・形がでこぼこした デイリー使いな湯のみ、もしくはマグカップ
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最初に購入した皿2枚は予定外だったけど、まあいっか。
←木の葉柄がかわいい茶わんは2枚で¥1300
←漆の赤が美しいお皿は2枚¥1000
この、漆の赤がきれいな茶わんを買ったお店は素敵だった。
店内に置かれている陶器の総てに優しい雰囲気がただよい、繊細であたたかいタッチで模様が描かれていた。値段も比較的安かった。
コーヒーカップ2客を指して「これとこれでお幾らになりますか?」と聞いてるおばちゃんがいて、ねばっていた。店主ぽい奥さんが電卓を持って対応していた。
「これは主人が一生懸命創って&描いてましてね…」
とくり返しいう奥さんのセリフが、値切られることを悲しんでるようにも見えたりして。作家である旦那さんと、その作品である陶器たちに対する愛情・みたいなもの感じたりした。この奥さんは本当に旦那さんのことが好きなんだなあ、なんてぼんやり思った。敬愛する人の『作品』に囲まれる毎日ってステキ。このお店もステキ。
…せっかくだから、なにか『作品』買って帰りたかったのだけど 私には優しすぎるタッチのものばかりで欲しいものがなかった。本当に残念。
でも、この器の「赤」は私のこころを捕らえていて、行きにチラと見て通り過ぎ、1周して帰ってきてもやっぱり欲しいと思ったので買った。
これを買う時は 旦那さんがちょうど表にいた。(最初いなかった)
「これ2枚でお幾らになりますか?」と訪ねると ¥1000にしてくれた。
この赤色は、この旦那さんが漆にこだわっていちいち創っているここの工房だけの赤色なのだそうだ。話した感じがふんわり柔らかくて 作品そのもののようなオジさんだった。ますますこのお店ステキ!なんて思った。
「1枚をお土産にしようとおもうんで別々に包んで下さい」と言うと 陶器市では普通新聞紙で包むのに店の奥に行ってとっても綺麗なラッピングまでしてきてくれた。感激してしまった。
ここへまた来てみたいと思った。これからの作品も見ていきたいと思った。




→この、鯉のお皿はほこりかぶってる段ボールから発掘したもの。2枚¥600。

←2個¥1200
有田焼の個人作家の窯では、このタイプの形のカップが流行りみたいでこれにデザインが入ると何処も¥3000〜くらいだった。流行り…私がこのテのものを欲しいと思っているから、目につくだけなのかもしれないけれど。





ため息がでるくらい、素敵な器ばかり。
でも、買えないけど。



↑このシリーズのカップはいろんなお店で見かけた。
でも、¥5000〜6000くらいだった。手が届かないなあ、なんて思っていたら買える時が来た。彼氏の実家へ大きなお皿を買ったのだけど、そこではこのカップが¥4400だった。実家へのお皿は『定価¥6000のところを¥2000』と書かれている。
「これとこれで5000円にしてくれませんか?」と訪ねると
「んー、¥5400にしか…、、、、、ま、いっかぁ」と ちょっと渋った後、思いきったように¥5000にしてくれた。
もう、それはそれは感謝してお礼を言いながら包みを受け取って帰ってきた。
得しちゃった。

コーヒーはダーが飲むものなので(私はほぼお茶・紅茶)コーヒーカップはダーの納得するものが欲しいと思ってた。何処のお店に行っても、ダーがいいというカップがなくて、このシリーズだけはダーも気に入ったようだったので これを入手できた私は、それはそれは有頂天になった。
でかした!みたいな。自画自賛。




陶器、陶器、陶器三昧な今日、好きな人とずっと一緒に歩き回って、好きなもの観て、好きなもの買って…なんてなんて、幸せなのかしら!
…なんて私は大満喫!していたのだけど、
ダーってば陶器に飽きて疲れて来たらしく途中から無口になってしまった。

帰っていく道中、ダーは機嫌悪くって、だまーってる。
私は焦りまくって、話し掛けるのだけど、返事が少ない。
だまってる。チラと横をみると、、、だまーってる。、、、ぅぅ。

伊万里にも入って来たし お腹も空いて来たし、何食べる?と聞くと
「ちゃんぽん」とだけ ダーが言った。


  ちゃんぽん!?!

伊万里には美味しい店が少ない。
そのうえ、ちゃんぽんだったら長崎に行った方が(つまりまた有田方面に20分ほど戻る)圧倒的に美味しいのだ。ダーは疲れてご機嫌ナナメだし帰路が長くなる事(もっと機嫌損ねるかも)を考えると、近場の不味いところへ行くか、すごい迷うところなのだ。
決断を迷いすぎるくらい迷い迷い迷いに迷って、思いきって有田へ戻った。

美味しいで有名な駅前のお店は陶器市で疲れたのかもう閉まっていた。
仕方ないので“上海”へ行った。ここは有田人に人気の中華料理屋。
やっぱり混んでいて、常に人が並んで待ってる。

私達は 皿うどんとちゃんぽんを頼んだ。

ダーの指摘で気付いたのだが、九州で「皿うどん」と言うと
太麺にあんかけが乗って出てくる。
パリパリ麺+あんかけは「焼きそば」と言います。たぶん。(違う店もあるかもだけど)
本州ではパリパリ麺のを「皿うどん」と呼んでた気がする。


ちゃんぽんを食べた瞬間、ダーが「ウマイ!」と言って、ちょっと笑った。
今日、何時間かぶりの笑顔だった。
それで、喜んでくれたのだ!!!と思って、私はとっても嬉しくなった。
上海のちゃんぽんを食べた瞬間からダーの機嫌は回復し、帰途道中はとっても楽しいムード。有田に戻って良かった。ありがとう上海。

  ちゃんぽんでばん回なのだ。











私は帰途運転しながら

ダーの機嫌がなおった事と、
ちゃんぽんをとっても喜んでくれた事で、すごくはしゃいでしまった。



好きな人が嬉しいって、ほんとうに愛すべきことだなと思った。


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前から知ってて 改めて思った事、
今日これ打ってて 今さらのように気付いたのだけど
“喜ぶ”の横に おんな と書いて“嬉しい!”。

人が喜ぶところには、おんながいるのだ、たぶん。
ダーにとってそんな女の人になりたい。


2004年04月29日(木) ★ うみ・ウミ・海!


私の海に会いにいった。
広場みたいなところに、こんな煙突みたいなのがいきなり ぽつん とある。
広場は、年々緑が深くなっているようだった。



緑を抜けると、海と岩と力強い波しかない。
私は、この場所が好きで帰る度にここへ (3MB:18秒有り升。)会いに来る。

祝日でも夏でも、誰もいなかったのに、
今年は サーフィンをするひとが結構いた。
口コミで広がったのかな。


ダ−ってば、海にすぐ飽きてしまって
ちょっとしか過ごせなかった。




そのあと、呼子といえば烏賊なので・烏賊料理でも食うか、と“萬坊”へ行った。
萬坊は大にぎわいで、行列ができていた。

実はコース2500円とかっていう お食事を私達はふたりでした事がない。
折角だから、烏賊コース食べようよ、と来てみた。
なんか、特別美味しいって訳でもないような…と思ったけど、ダーとふたりで贅沢したのでなんだか満足した。

ちょっと、大人の食事をした気分。



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今夜は ふたつめの故郷?高校生時代まで暮らした唐津に泊まる。
ホテルにチェックインすると、海沿いのホテルなのに窓から海が見えなかった。
私達はキャンペーン価格の安い予約で部屋をとったので、仕方ないっちゃあ仕方ないのだけれど、なんか納得行かない。思いきって、フロントに電話をした。
「海の見える部屋に変えてもらえませんか?」
すぐにホテルの人が来て、サービスで部屋を変えてくれた。

ワンランク上&最上階の部屋に!

ナーイス・ビュー。


いつまでもカーテンをあけてたい気持ちで何度でも窓辺に向かっちゃう。
素敵な眺めにおおはしゃぎなのでした。
だって。
自分の住んでいる街で わざわざホテルの8階に部屋をとったりしないよね。
ふだん慣れ親しんでいる美しい光景を、もっといい眺めで見たら素敵なんだろうな…とか、思うけど その為に部屋をとったりしない。
唐津で生活してた頃には思いもしなかった(そんな所に泊れるなんて夢にも思ってなかった)この部屋の景色は、旅行先の知らない景色をいい部屋から見るのより、もっと贅沢だと思うんです。



ああ、なんて好きなひとと贅沢ないちにち。
なにもかもが、叶ってしまったような感覚。


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夜は、のんちゃんと約束をして食事をした。


知らない所ばかり見に行くのもいいけど、
出会いたい人が その先々にいて、
それを巡る『旅』ってのもいいなと思った。





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また、午後のおはなし。



“萬坊”の本店(本店でしかコースは食べれない)が解らなくて、
道筋を萬坊[支店]の店員の女の子に教えてもらった。
ふくよかなほほと黒い髪と、印象的な瞳。
まつげが長くて 切れ長の二重に不器用なアイラインが走る。
道筋を何度も訂正しながら、一生懸命 丁寧に教えてくれた。

「あのこはきれいなこ だったね」
と、お礼を行って車を走らせながら ダーとふたりで話した。

ちいさな港街はすぐ途切れて、景色は緑と海しかなくなる。
緑たちは力強く鮮やかに伸びていて、海は淡く深い青色にプリズムを描いていた。
生きている感じしかしない、この場所をやっぱり大好きだと思った。

「こんな綺麗なところで育った きれいなひとって 本当に綺麗なんだろうね!」

ダーは何も言わなかった。
私はきれいなこの街ときれいなひとの事を考えた。








明日は有田陶器市なのだ。イェーイ。

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2004年04月28日(水) ★ 清子さん

「これが最後かもよ!」と
ママが、おばあちゃんに会っておこうというので、
おばあちゃんが入居している老人ホームへ行った。

なぜ、最後かというと、ママが勝手に作ったジンクスなのだ。
私がひさしぶりに会ったご老人はその数年後に亡くなってしまうのだ。


・パパ方の祖父母に10ン年ぶりに会ったことがあった。
 ふたりともとっても元気で、ちゃんぽんなんて一緒に食べたのに、
 そのつぎの年の夏、祖母が亡くなり、
 秋になると後を追うように祖父が亡くなった。
 それを知らされたのはその次の年の1月だった。
 あれは 夢のようだった と思った。泣いた。
 私がママ方に引き取られたから、あれが最後になってしまったのだ。
 大人の事情で、孫が会えないなんて。私はパパの子供じゃないと思う。


・数年前の正月、ダーの実家に一緒に帰った。
 ダーのおばあちゃんは入院していた。
 お見舞いに付いて行くと、ベッドの上に起き上がったおばあちゃんが居た。
 ボケる事なくシャキっとしていて、お話もした。
 遠目に見ると疲れているようなのだけど、瞳にだけなにか力が宿っていた。
 帰るとき「握手しとくれ」とおばあちゃんは言った。
 ダーの手を包み込むようにおばあちゃんの両手が包む。何故か泣きそうになった。
 おばあちゃんは私の手も握ってくれた。何も言わず、じっ と私を見て。
 その次の年の1月の雨の日、ダ−も私も風邪を引いて寝込んだ。
 夜中にすっ、と目が覚めたダ−は おばあちゃんが亡くなった連絡を貰った。






私のおばあちゃん…ママ方のおばあちゃんは、もうボケていてお話も機嫌がいいときしかできない状態になっている。ちょうど風邪を引いてるとかで、熱が少しあるとの事だった。洋服の襟を口にくわえて放さない。


老人はボケると記憶が幼児に戻って行くのだそうだ。
どんどん 還って、何処へ行ってしまうのだろうか。

何を話せばいいのか解らなくて、ただ傍に居た。すぐに帰っちゃいけない気もした。
帰る時 初めて、おばあちゃんの手を触った。
襟をくわえ握りしめているおばあちゃんの手は、乾いて柔らかかった。
手を摩ってあげると おばあちゃんは、少し笑ったようだった。
ダーもおばあちゃんの手をさすってくれた。
私はおばあちゃんの ほほに触れた。
おばあちゃんは 笑った。笑った…と言っても、「ほら、笑ってる」とママが言わなければ誰も解らないくらい不器用に、笑った。
私は おばあちゃんのほほを少し多めに撫でてあげた。

もう、お話ができなくても こうしてコミニュケーションはとれる。
おばあちゃんに、もっと触ってあげるべきだと思った。
ママも、おじちゃん(ママの兄)も、おじちゃんのお嫁さんも。

…って3年ぶりに帰って来た人のいうセリフじゃないけど。






私の記憶にあるおばあちゃんは、はつらつとしていて、おシャレと歌とお金を貯めるのが好きだった。一緒に買い物に行ったりもした。おばあちゃんはびっくりするような大輪の花が色とりどりに描かれたロングスカートを買った。若すぎる買い物だったけど、おばあちゃんにとても似合った。「舟焼き作ってやるけん」と小麦粉でホットケーキを焼いてくれた。魚肉ソーセージを朝ご飯でいつも焼いてくれた。私が好きだったから。私は、おばあちゃんの作る料理が好きだった。

私は九州を離れて、数年おきにしか帰らなくなって、
私は会う度 髪型とか服装とかがくるくる変わるものだから、
おばあちゃんから見るといきなり大人になって帰ってくるのだろう、
帰る度に おばあちゃんと私は昔程の親密感がなくなった。


佐賀空港が出来るとかで本家は道に変わってしまった。あのおばあちゃんの家が好きだったのに。家を移ってから もともと嫁姑が仲悪かったものだから、おばあちゃんはしばらくママと暮らしていた。ママが入院する事になって、おばあちゃんは老人ホームに入った。


おばあちゃんは、すごく小さくなっていた。
ちいさくて ちからがなくなっていた。





おばあちゃんの好きな、おじいちゃんは若い時に死んでしまって、
女手ひとつでママたち3人を育てあげ、その後に嫁姑の人生があって、
今は、どんどんちいさくなっていく。

おばあちゃんは、幸せだったのだろうか。
そんなことばかり考えていた。





また、おばあちゃんに会えるかな。

近くにいるからって、幸せにしてやれるって訳でもないけど、
親元から遠くに住むって、最高に親不孝だと思った。








私が生きて行く中で、いつか機会があるなら
また、九州に住もうかななんて思った。
全く知らない土地がいい。

今度は 熊本か宮崎・鹿児島あたりに、住みたいかな。








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帰り、ママとダーと3人でスーパーに寄って適当に安いもの買って帰った。
今晩の食事はダ−が作った。

スープ・茄子とひき肉のオイスターソース炒め・じゃがいも炒め・オムレツ…が失敗してスクランブルエッグ。

今日の料理はどれもこれも成功。とっても美味しかった!
ママは、オイスターソースを使った事がなくて、
この不思議な味をとても喜んでくれた。


2004年04月27日(火) ★ きいろいうま

九州初日、ダーと、佐賀市内を歩いた。


私が中学生の頃 歩いた街は、平日ということもあるけど 人陰がなく閑散としていて、誰も歩いてはいなかった。
アーケードの形もぐんぐん変わって、…3年ぶりくらいに来たけど、新しい店ができたり、シャッターが閉じていたりした。

なんにもない。
お腹が空いたので、アーケードの入口あたりにあるカフェを見つけて入った。
そこはオレンジの土壁で囲まれた小さな建物で“インディゴ”と小さな看板だけ出てるところだった。入ると、有田焼のカケラが壁いちめんに埋め込まれたきいろい空間で、素敵なところだった。


インディゴ。


日替わりランチとパニーニのセットを食べた。
食後のコーヒーが、素敵だった。



思わず、「かわいい!」と声をあげてしまうくらい、夢見るカップ。


とっても素敵なコーヒーカップだったので、うっとりしてしまって
斜からみたり傾けてみたり じろじろカップばかり魅入ってしまった。
素朴で優しい、絵本のような存在に 私は夢ばかり見た。

ダーには 純粋な紺色が美しい有田焼のコーヒーカップがやって来た。
私があんまりにもカップに夢中なので ダーは影を作ったりして この写真を撮る手伝いをしてくれた。光が反射して この優しいきいろのうまが写らなかったのです。



“インディゴ”を後にしたら、いきなり現実に戻ってしまった気がした。
あの空間は夢のようだった。
また、行ってみたいお店だなと思った。






        お手洗いの便座・流し・小物の類いも統べて有田焼だった。
        たぶん、お手洗いだけで200万位は使ってると思う。
        それだけでも夢のようなおはなし?


2004年04月25日(日) ★ クスクス クスクス

朝7時に、父が東京へ行くので用意をする気配で少し目が覚めた。
おはよう とか、少し言葉を交わして、
寝返りとかうって “いってらっしゃい”を言おうと思った。
玄関のトビラが開くのを布団の中で待ってたら、
眠りに落ちてしまった。

次の瞬間 目が覚めたら、仕事人は出てったあとだった。




また、眠った。







ハラムランランが起きる気配で起きて、支度をした。






フリマの元祖が天神さん・弘法さんと呼ばれ 東寺と北野天満宮で毎月行われてる。いわゆる、骨董市ってやつ。
今日はそれに行くのだ!

ふたりでひょこひょこ道中を歩いていると、とても不思議な光景に出会った。
←本物のタヌキおやじ。
京都だからこんな人がいてもおかしくはないのだけど、ちょうどお寺&お墓が並ぶ仁王門通、まるで、妖怪みたい。
なんともいえない光景だった。
そして、話に夢中になっていると その人はぱっと消えた。




北野さんでは、旧くいつもの顔をした市が開かれていたが、なにもかもがキラキラとして私の心を誘う。あれもこれも欲しくなる。例えば、→この茶わん。かわいいな…と思って見ていたら、横に積んであった醤油皿を差しお客さんが「これ幾らですか」と尋ねていた。耳をそばだてて聞いていると「2000円です」と答えるおばちゃんの声。お客さんがほしがっていたのはすすけた直径5cmくらいの小皿。骨董品って、ピンきりなのだ…この店では買い物できないと、写真だけこっそり撮ってそそくさと後にする。

旧い着物を4着と、帯を3本、昭和30年代のコーヒーカップ5客(3客買ったら2客おまけしてくれた、が 早くも1客割ってしまった)を買った。
それから くすんだ渋みのピンク〜紫地に素朴な梅の花が描かれたすてきな麻ののれんをママに買った。ひとり暮らしのママの玄関がきっと楽しくなると思った。


稚拙で上品でキラキラしてオレンジで、素朴で繊細でこわれてしまいそうな
(買って来た着物と一緒に)









その後、河原町へ出てぶらぶらした。
街が変わると歩く人の様子も変わる。


河原町は、ほっ とする。
そんなにカッコいい人もいないけど、安心した。
いろんなひとがいて、私もいる。
そんな、私の隣には大好きなおんなのこ友だちが歩いてて ああ楽しいな、楽しいな なんて気持ちになる。ひさしぶりの女の子歩き、キラキラがいっぱいなのだ。あれもこれも欲しくなってしまう。

Tシャツとタンクトップを買った。
文化屋雑貨店でチープな時計と、ボタンのピアスを買った。
それから、チープ雑貨のお土産も買った。



そのあと緑の壁にしろい鳥が描かれ飛ぶ、
素敵なカフェへ行った。
そこでクスクスを食べた。




クスクスって、なんかいい名前だなと思った。
ただ日本語に直して読んだだけなんだろうけど、
幸せな響きがする。






自分が、そのひとを好きで、
そのひとと私というひとが 疑いも陰りもなくただ在る、

そんな点とてんのちいさな結びつきが
このうえもなく 幸せだと思います。



                     


2004年04月24日(土) ★ ゆめのかぼちゃ

朝10時出発予定です。

‥と、昨夜 次女姉に予定を話したら、
「あー。じゃ、12時ごろ出発って感じ?」
と、言われた。


‥さっ、さすが。予告ならぬ、予言通りである。
私達が家を後にしたのは、もうすぐ12時になろうという時だった。
今日の行き先は京都なので、早めに着いて味千でラーメンでも食べたかったのだけど、そうは行かなそうな感じだった。残念。

着いたのは夕方6時ごろだった。
ダーは7時から飲み会の約束をしていて、1時間あったから二人で駐車場を探した。
土日祝日は、京都の駐車場事情が悪い。どこも高くなる。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる、まわって、ぜんぜん見つからなかった。
髪型でも変えようとブンガラヤに予約したのだけど、着いたら6時45分になってしまって 断られた。年末に配る粗品のコーヒーカップを、私の分とっておいてくれて、それをもらった。ありがと。






ハラムランラン宅にお世話になる。

部屋へ着くと ハラムランランは父(ハラムランランの彼氏)とふたりで鍋と格闘していた。部屋じゅうににんにくのいい匂いがしていて、もれなく料理は仕上り、私達は3人で長崎ちゃんぽんと餃子と独創的なじゃがいも料理を食べた。
離れている間の お互いの世界でいろんなものがちょっとだけ動いていて、なんとなく近況報告のような会話をした。新しい情報にびっくりしたり納得したり。あいづちを打つ私達の空気は、結局のところ何も変わらなくわくわくしちゃう感じ。

4月生まれの私のためにハラムランランが焼いた、
とても綺麗な南瓜のケーキが出て来た。
それは今まで食べた事のないようなケーキで、
南瓜の甘さが不思議な味わいを産んでいた。すごい美味しかった!
私のためのまっ黄色のケーキ。素敵。

レイちゃんに似てると思って。
とハラムランランが南Q太の“トラや”をプレゼントしてくれた。
自画自賛みたいだけど 読んでとても納得する本だった。
トラちゃんの方がずっと可愛いけど。すっごく嬉しいなと思った。
私は、ハラムランランの感じ思う【私】のイメージが好きです。
嬉しい。ありがとね。




うきゃうきゃやってたら 夜中が来てしまいそうだったので、
お風呂を借りて眠る事にした。夜更かししたっていいのだけど
父は明日の早朝出発して仕事で東京に行くと言う。

3人並んで、微妙に川の字?になった。
横になったら、父は寝つきがよすぎてすぐ眠り始めてしまった。そんなことを
笑っていたら、ハラムランランも もれなく眠ってしまったようだった。

ふたりとも 飛び立つように夢の中に行ってしまった。
なんて素早いひとたち。



父は、明日朝、東京かあ。

私は明後日 九州へ向かう。
東へ行く人と、西へ行く人のはじまりだな ここは。なんて思った。







ここは、いつ来ても変わらなく
キラキラして楽しくてほんわか居心地がいい。

旅は、今日から始まったばかり。



2004年04月23日(金) ★ ゆめみるニャンコ

明日から ダーと遠くまで行くので、ターリンを次女姉宅へ預けた。


次女姉宅には、いま ハナちゃんが居る。
ターリンはここんところ猫あそびをしてなかったので、ハナちゃんに夢中。
すぐにとっくみあい‥じゃれあいが始まり、私達の事なんか見向きもしなくなった。
2時間程いて、後にする。





部屋に帰ると、いつもと同じなのだけど いつもと違う。

ドアを開けても、ターリンのおかえりがない。
部屋の中も、なんか静か。
空気に含まれる何かひとつが欠け落ちてしまった私の部屋は、
何かが物足りなくて、寂しかった。

「ターリンがいなーい。」と、つい何度も言ってしまった。

眠る時もターリンがいない。
きっと、明日目が覚めてもターリンは駆け寄って来てくれない。
寂しいな、さみしいな。


   ああもう、早くターリンを迎えに行こう。

…なんて。
明日から、旅なのに もう帰る事を考えていたりして。
にゃー、ターリンに会いたいな。



ターリンに逢いたいな。



 


2004年04月22日(木) ★ せんべつ

私は あなたの特別なおんな に、なりたかった訳じゃない

ただ、あなたが特別だっただけ

特別なあなた の、傍にいるべきひとになっただけ



























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ヒキ笑い誘うニャンコ。 (注意!上映時間1分、8.9MBあります…)


2004年04月21日(水) ★ どんなこわい思いをしても大丈夫、ここがある

また、鮮明な夢を見た。
朝が来て 夢の痕跡が残る事はなかなない筈なのだけど。




カントリー風の建物の中で、私は女の子と作業をしていた。
アパレル関係によくあるような大きな段ボールを挟んで座って
その太った女の子と話をしながら手作業をしては、完了したものを段ボールへ入れていく。

私は人の醜さが嫌いだ、夢の中でもそうだった。
隣にいる女の子の 怠惰の塊のような球体の体と、それに宿った根性が大嫌いだった。
私はデブ子ちゃんに優しくできなくて、デブ子ちゃんは毎度のようにつっかかったような発言を続けていた。とうとう私は怒った。カッとなって、デブ子ちゃんをひょいと持ち上げ箱の中に押し込んだ。
箱は床においてある筈なのに底が見えなくて、どこまでも無限の穴が開いていた。デブ子ちゃんはそこにすっぽりと入ったのだけど、キャベツみたいなまるい体がつっかえて落ちてくれなかった。

デブ子ちゃんは、負け犬の遠ぼえみたいな事を箱の中から言った。
私は、さらに怒った。
怒って、部屋中の なにか小物や電化製品や、そういうものをデブ子ちゃんの上にいっぱいつめこんだ。そして押し込んだ。ぎゅうぎゅうと押した。
すると急に押す感覚が ふっ と軽くなって、デブ子ちゃんの声も聞こえなくなった。

デブ子ちゃんは箱の中へ落ちてしまった。
私は押し込む感覚がなくなった瞬間 我にかえりデブ子ちゃんを殺してしまった自分を恐ろしく思った。

そこへEJがどこかから帰って来た。デブ子ちゃんがいなくて私が一人なのを見て《また喧嘩したんだな》と思ったらしく 気をきかせてどこかへ消えた。その家には仲間と思う人々が沢山いて、おのおのの何かをやっている雰囲気があった。私はすぐにその家から逃げた。


次の日、電器屋のテレビでニュースを見た。
デブ子ちゃんが箱の中から発見された というものだった。私はふるえあがった。
知り合いの美容師君(現実の世界では存在しない人)が犯人と報道されていた。
ニュースの内容はこうだった。美容師君の部屋に、そのデブ子ちゃん段ボールがあった。美容師君の彼女がなんだろうと中をあけた。女の入った段ボールに彼女は怒った。最初はウワキ!?とかって、ケンカしたのだが 警察に通報。…その部屋である持ち主の美容師君が犯人として逮捕された。…というものだった。

とても早く死体が発見されてしまった。と、思ったあとに思い出した。
あの、作業をしていた家にはデブ子ちゃんの黒い車がきっとまだ停まっているだろう。それが発見されるとどうなるんだろう…移動しなくちゃ、でも「現場」に戻ると犯人だとバレてしまう気もする。と、おろおろした。

さらに私は、自分が殺したのに 友だちが逮捕されてしまった事、彼を救うか自分は逃げるか…とか、人を殺してしまった事の感触の悪さに ひどく恐ろしくなった。

ああ、なんてこと。



と、ぐるぐると考えていたら 目覚ましが鳴って目が覚めた。
ダーの後頭部が最初に見えて私は ほっ とした。
何処かから帰って来た感じがして、あーよかった、あーよかった、という思いでいっぱいになった。
夢の中の世界は 明るくかわいくて、自然を基調にした雑貨やインテリアで囲まれていたのに、その中でうずまく自分の思い。

   人を殺してしまうほどの自分の感情の高ぶりと、あの感触の悪さ。

ほんとうに、恐い夢だった。


ダーは 自分は出てこなかったのか尋ねた。
ダーの出演はなかった。
でも、あの場所にいたらきっと私を助けてくれたかな。
殺人の片付けも手伝ってくれちゃうかもしれない。なんて思う。
でもきっと ダーの役割は、目が覚めた私の隣にいてくれる事だろう。

どんなこわい夢を見ても、目がさめれば大丈夫、ここがあるから。
なんて 急に思った。




今朝は ぬけるような 晴れた空だった。


2004年04月19日(月) ★ 29年目のきょう

今日はゴミの日だったので、部屋中のゴミを集める。
正味期限切れの食パンがまだカビてなくて勿体無かったので、
ちぎってキャット缶&カリカリとまぜて 先週にぼしからとった出し汁であえた。
外の野良キャットちゃん達に差し入れなのだ。
階下に降りるダーに置いて来てもらった。

ある早朝、誰かが本屋の駐車場のどまんなかに捨てたコンビニ弁当をポンちゃんが(たぬきみたいな毛足の長いノラがいる、勝手にそう呼んでるが 声をかけると逃げられる)ガツガツ食べてるのを見た。
どっちにしろゴミを漁って食べるのなら、もう私達に食べられないものは 綺麗なままあげちゃってもいいんじゃないか なんて最近思う。
責任のなさが世論を呼びそうだけど。ごめん。

私は、そんな感じでおかずの残り物やら出汁をとったあとの魚やかつお節やらが出ると ネコの通り道だろうって所に置いておく。次の日に行くと誰かが舐めるくらい綺麗に食べてくれてて、なんかちょっと嬉しくなる。

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しろっぽい曇りの朝 のどもとがぢりぢりとして急速に私が冷やされるような感覚がしてきた その根拠のないあやふやさにいてもたってもいられず 部屋をでる どきどきして 指先というより手首のあたりがふるえ 力を失いそうな私の芯を脅かす いっそ泣けてしまえばぐっと楽になる解放されるだろうに ただただ時間に任せるしかない 逃げるように何処かへ向かう。

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峠の湯へ、なぜか朝から行ってしまった。
朝は朝で、人が居た。

シニアタイムだった。


2時間入って、お昼時も終わりかけの頃ロビーでのびてたら おぎのやの釜飯を売店で売りはじめた。別に食べたい訳でもないのに、なんとなく購入してしまった。特別に空腹な訳でもないけど ペロリとたいらげた。美味しい!ってものでもなかったけど、不味くはなかった。ついてきたおしんこが美味しかった。







帰途、松井田の直売所でタケノコとほうれん草を買って帰る。
タケノコって群馬に来るまで中国産の水煮しか食べた事なかった。
国産でこの綺麗な松井田でとれたタケノコが¥200、なんて贅沢なんだろうと思う。
帰って、直ぐ茹でた。


道中、温泉疲れで眠くなって 寂れたショッピングモールの大きな駐車場の隅で30分ほど寝た。車で寝てみたい気分だったので。




なんか、いろいろしたような気もするけど、
具体的に何もしなかったような そんな一日となった。




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   車を走らせて ぼんやり思う大好きな君のこと



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どひゃー、1年の、28年の、実感も、ないままに29年目を迎える。
ああこんな平凡な曇りのいちにち。


2004年04月16日(金) ★ 辿り着きたい

印刷屋のDICチップに欲しい赤色がなくて家から色見本みたいなのを持ってった。

印刷屋は、
国道を少しずれた道をちょっと入って行ったところにあって、スグ分かった。
こじんまりしてるけど、綺麗な建物だった。

こんにちは と入ると、
先日はスーツ姿だった営業のお姉さんがジーパン&Tシャツででて来た。
色見本渡して 頂いたコーヒーを飲み干すまでのあいだ、ちょっとだけお話した。
お姉さんは私と同じくらい、目を見て話す人だった。
はっきり言葉を話す、きもちいい人だった。

…農家のおばちゃん達が余った材料と時間を使ってジャムを作りはじめた。手作りだから、数に限りがある。細々と始めた事なのだけど、東京の方へ行くとその素朴な感じがすごくウケて売れ売れなのだ。…とか、この会社(凸版機しかない)で出来上がる印刷物のこと、Macのデータだとグラデーションが綺麗だ、4色分解だと製版代がかかる とか、‥私の過去・京都での仕事っぷりとか、いまだらだらやってることとか。
話したのは 業界にかかわるエトセトラ。

なんだかよくわかんないんだけど、話してるうちに、
話の内容と関係なく、嬉しいような気持ちになってた。


印刷屋を出ると
なんだか気分がよくって、田舎の方へ車を向けた。
スピッツの「スピカ」がカーステからちょうど流れて、
晴れた農道はなんだか幸せ風で気持ち良かった。



そのあと、峠の湯へ行くつもりで用意してたのだけど
もっと先まで足をのばした。

軽井沢へ。



毎度思うのだけど 人生の中で軽井沢がこんなに近い?所へ住むとは思ってなかった。
有給とかとって、わざわざお泊まりで行くところだという感覚だったので。
でも、私が行くのは 軽井沢ぽい所じゃなくてアウトレットモールなんだけど。
フラフラと店から店へ歩いてると、どんどん心が刺激されていろんなものが欲しくなる。むくむくと今までと全然違う服を着たくなってきた。
ペラペラした素材のふわふわしたひらひらのワンピースとか、着たいなあ と思うのだけど、なかなか理想とは出会えない。金スマに出てる女優達の衣装みたいなやつ。何処に着て行くの!?みたいなのが、欲しい…。マジで何処に着て行くんだろう、この田舎町の。まあいいや。ドン・キホーテに着て行こう。セブンイレブンに着て行こう。ぜんぜん歩かなくても、ダーとドライブしてラーメン喰らうチープなデートの時にでも着て行こう。…ドレスに出会えれば。

結局、無印でダーのジャケットなどとフルーツ紅茶を買った。
それが一番大きな買い物だった。

J&Rでアシメントリーな白と黄色のキャミソールに出会ってしまった。購入。
¥3150で買ったのだけど、チラとタグを見たら定価¥21000-…。定価で着てるのって芸能人くらいしか おらんのちゃうやろかと思ってしまう。
洋服って原価ってものがないのかしらんと思った。デザイン料ってやつなのかしら。デザイナーも自分のデザインが高くで売れたら嬉しいだろうけど。もしかしてそうやって値段つりあげて着る人を選んでるのかしらん。

普段 オネエ系(…J&Rは価格的に言うとセレブ系ぽいけど、)の店に縁がないもので ウロウロしてると、ものめずらしくていろいろ買いもしないのに 鏡の前で当ててみたり比べたりなんか、してみた。サテン使いのアシメントリーなワンピやスカート、ゴムシャーリングで作ったバラのカシュクールワンピ、春夏のオーガンジー素材のキャミやブラウス…レースと組み合わせてあったりして、絶妙なバランスで綺麗なのだ。素敵。キラキラキラ。
店内のほとんどの色彩が私にはちょっと地味なんだけど でもとっても楽しめた。


次に入った、オンワードのお店はパステルカラーで溢れていた。
ああ 春なんだな(もうすぐ夏だけど)と実感して、普段着もしないプリーツスカートなんか鏡の前であててみる。あれもこれも 可愛いな、可愛いな‥と、気がつくと 久しぶりに、「女の子」になってた。

そういえば こっちに来て、「女の子」気分て味わってない感じする!
女の子と、一緒に買い物をしたり、お化粧をしたり、フラフラ歩いたり、カフェ行って紅茶飲んだり、そういう事ぜんぜん少ないのだ。ソックスにも気を使わない日々…私ってば落ちたかしら。落ち込むわ。



そんな感じで ノーミソフル活用しつつ、のほほんと
ウィンドショッピングに夢見心地でいると携帯が鳴った。

さっきの印刷屋からだった。
昨夜 製版屋に送ったメールの、データが足りなかったらしい。うっかりしてた。

「あっ、あの、実はあの後 夢見心地になってしまいフラフラと軽井沢に来てしまいましてですね…(直ぐにはメールできないですぅ)急ぎますよね?」
と言うと印刷屋のお姉さんは
「そうですよねー今日あたたかいですものね^^陽気がぽかぽかして頭が浮ついてしまいますよね。データは《なるべく早めで》で大丈夫ですよ^^」
というような事を言った。
口調は私に理解を示し、大丈夫ですよ と言ってくれてるのだけど
スルドイツッコミが笑っちゃうくらいびしびし入った。
お姉さんはこんな事を言うけど、ぜんぜんイヤミぽくないのだ。多分計算のない言葉なのだ、つまり本音なんだろうけど…、に、深〜く反省した。
直ぐにアウトレットモールとおサラバした。

なんか、夢から覚めてしまった。
シンデレラお終い。ばいちゃ。なのだ。




帰ったら、最近1匹になってすっかり寂しがりやになったターリンが お腹を見せて
[オカエリ]をしてくれた後、寂しかったよ〜ニャニャニャ とずっとついて回ってきた。やっぱり猫2匹がヨイのかしらん。
データは、直ぐ送った。すぐにオッケイが出た。
こんな簡単な事なのに、自分に誤りがあったせいで大変な思いをした。








夢見心地ついでに
峠の湯に寄って帰るつもりだったのに 直帰となってしまった。
がっかり。


   峠の湯ってば、私の桃源郷だ。


なんて、ほんわか思った。

                   ‥ああ私、また夢見てるかな。


2004年04月14日(水) ★ 私の主役

昨日は、いま作ってるデザインの校正でダーの会社に行った。
事務所も持ってないしフリーでやってる訳でもないので、
なんと名乗ってよいのやら。。。

「こんにちはー!」
事務所に入って、うまいことダ−が居たのですぐ応接室に入った。
EJも来て、印刷屋も来て いろいろ紙見本とか色チップとか並べつつ、
校正し指定したり。


ダ−ってば、制服ですよ。
しかも、高校生とかの初々しいやつと違いますよ。
大人の制服(作業着ちっくな)ですよ。

いつも朝は、それを着たダーを送りだす訳で
いつも制服をお洗濯してアイロンをかけるのは私なのだけど
いつも見てる制服&お姿なのだけど、

   職場にいる男の顔って素敵だわ。


とかって、すごい思った!うふ。

EJってメンズノンノのモデルみたいな外人顔の背高い男前(セレブ)と、
リリーフランキー似の素朴?なダー、
だいたいの女の子は多分EJに片寄っちゃう?のだろうけど、
私EYEで見ると 断然ダ−が主役なのでした。当たり前か。
恋人の欲目ってやつでしょうか。キャキャキャ。


車で走ったりしてると、道路工事をしてるお兄ちゃんとか見る。普段ガテン系の男の人はちょっと苦手なのだけど、そういう姿はああイイなとかって思う。仕事をしてる時の男の人を、恋人や家族はなかなか見る事ができないだろうけど、きっと見た方がいいと思う!だってとってもセクシーだと思うから。
ダーは横浜に居る時ゲーセン店員やってて、ある時、こっそり見に行った事がある。ダーは 見た事ないような満面の笑顔でアナウンスしながらゲーム機を操作してた。そうやってお客さんを集めて楽しませるのが店員の役目だった。オレンジのサテンの燕尾服みたいなのが制服だったのだけど、格好良くない姿だった。ダーはそんなカッコして一生懸命だった。なんか、カッコイイ!とか思っちゃった。

その職業がなんであれ、女に見せるのと違う、
男の人の 真剣な姿って素敵。

がんばって、って思っちゃうのです。



知り合いの会社のデザインをすると、最初は「予算組むし」とか言ってくれるんだけど最終的に貰わない罠。今回もタダ働きです‥。これから九州行くし資金が欲しい時なのに、つい いらないよ とかって言っちゃうのだ、バカバカバカ。

でも、ちゃくちゃくと資金集まってます。ファイト。


2004年04月13日(火) ★ ドナドナ

今年のゴールデンウィークは、
九州へダーと帰ろうと資金作りをしてる。

先日、2階建てキャットゲージが売れたあと、
5月1日高崎のくるりのライブチケットも売る事にした。
ぴあ先駆け店頭発売が開始された頃、たまたま、ぼんやりと
フリーズHP見ててくるりのライブ情報をゲット、即電話して予約した。
もともと、待望して必死にとったチケットではなかったけど、
私にはヨダレもののお楽しみイベントには変わりがない。
出品する時には手が、ぶるぶる震えた。

売れると、嬉しいんだけど 悲しい。

発送する時も、すごく残念な気持ちで手がぶるぶる震えた。
昨日、私の口座に振り込みがあった。
嗚呼。ドナドナ。

岸田君、私を九州へ行かせてくれてありがとう。
九州への高速代ぜんぶ賄えるくらい高額のお金貰った。
ライブ行けるひとが羨ましすぎる。あー、あー、あー。。。ありがと‥



きっと、資金にする為に神様がこのチケットをくださったんだわ。
と、思うしかない。神様どうもありがとう。

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朝、ねむくって寝てしまったら起きたら4時すぎだった。
寝過ぎたから、夜は眠れなかった。
ダーにくっついてみたり、ターリンを布団に連れ込んでみたり。
私の周りのおとこたち(ターリン含)はスカスカ寝てるのに、ぜんぜん眠れんのだ。


2004年04月09日(金) ★ おくりものふたのうら・歯が抜けるわけ

先週の日曜日、実家からダーに電話があった。
市場でいろいろ買い物をしたから、取りにおいで という内容のものだった。

私は、実家へいくといつも最終的な会話の内容が「結婚しろ・実家で働け」という感じになって、それが おんぶされのっかられる気がして すっごく嫌なのだ。人にいろいろ決められたくない、誰かを楽させるための役割的な結婚なんか絶対したくない、と毎回 決意を固めるのだった。
最近は実家へ行くのがイヤだと思うようになって、足も遠のいてる。

実家へ行くと、お義母さまがいた。
発泡スチロールの箱の中に、お魚の粕漬け・イカのもろみ漬け・てんぷら・かにかま・めんたいこ・ぎょうざ・魚のつくだ煮‥と、ダーと私の好物がいっぱい詰まっていた。

「もう、最近足が痛くて…車の運転もできない、でも配達があるでしょ、…」

毎回聞かされるこういった会話も、(足が痛いから引退したい・誰かやってほしーなー)という風に、何故だろうどうしても聞こえてしまう。
今、事務やってる長女姉さんと交代したらどうですか・とナニゲに交わす。
「だーめなのよ、あの子は。よそ行ったら喧嘩しちゃう。」
お義母さまはいつも、長女姉様を長く家に置こうとしない。ここで認めたら、もう終わりだ!!って思ってるの?ってくらい、否定する。長女姉様が喧嘩するなんて思えないし、結構上手にやると思うんだけどなあ…なんて思いながら、私も次の「逃げ」のセリフを用意する。やだなあ、こういうの。

とっても素敵なものをもらったのに、
なぜかちょっとずつ恩を着せられてる気がしてもう素直に喜べない。こんな自分って嫌。こんな解釈、相手に対して失礼だし よくないなあよくないなあ、と思った。


「あっそうだ、4月の末から九州の方へふたりで帰ってくるよ」とダー。

「だったら、九州行く前に結婚しちゃったらどう?けじめつけて。

と、突然お義母さまが言った。私達は一瞬、言葉を失った。
九州へ行く直前2週間のこの時期に 何を考えてるんだ、この人は…と、面くらったが
「お義母さま、そんな事は いいんですよ^^関係ないんですから」
と、言っておいた。

よくないなあ、なんて思ってた自分の考えがあっという間に打ち消された。
なんて事を言うんだろう!ウチのママの意見なんて無視だムシ。
例えば結婚するにしても、ダーからママへの挨拶もなしに勝手に籍入れちゃうなんて、嫁をもらう姑の考える事か?唐突に軽々しく言うけじめってナンだ!お前のけじめはナイんか!?…と「???」が、いっぱい飛び交った。

ウチに父親が居たら、こんなに軽んじたりされなかったかもしれない。
自分の思うままに、人の人生まで描こうとするような意見に腹が立った。
私達は、そんなお義母さまに別れを告げ、逃げるように実家を出た。

っていうか、逃げた。


もう、ぜったいごめんだ と思った。


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そういえば、昨日の朝 鮮明な夢を見た。
先日治したはずの左側2つの虫歯が、治ってないまま ごろっ と抜けた。
痛みも血もなかった。

ただ、白い視界に2つの虫歯。


昨日、そんな夢を見たよ と次女姉ダンナに言うと
「あー、いい夢じゃないねぇー」
と、言われた。


そこで、ここを使い
ひさしぶりに夢辞典(2冊持ってる)を開きつつ整理してみる。


1)夢の事典より-----------------------------------------------
【歯】あなたの環境・未来を示します。
【歯が抜ける】苦痛から解放されて、自由になれるでしょう。
【上の歯が抜ける】家族、会社の中の権力者に問題が生じます。
【下の歯が抜ける】家族、会社の中の弱い人に問題が生じます。
【歯が全部抜ける】不安定な心理状態にあり、発病、失敗の可能性があります。
【虫歯】対人関係で迷っていることがあります。虫歯を抜くことになったら、雨降って地固まるです。トラブルの後、周囲の人とますます良い関係に入れます。
【白】安定した気分です。汚れない心、純粋さの表れです。しかし、ときに後悔の色として現れる事があります。
【テーブル】感情的な高ぶりを示しています。
【数字】とても大事なキーワードです。解釈を広げていく事が大切です。
[2]ペア、カップル、2つずつあるもの、家族、母。

2)夢占い事典より-----------------------------------------------
【歯】生命力や活動力を現します。また、攻撃性や積極性を示します。
歯が抜ける夢は、自分の能力や体力に自信をなくしている証拠。また、強い喪失感を示し、大切な何かを失ってしまうのではないかという不安を表します。同時に、身内への不幸を示す場合も。特に犬歯が抜ける夢を見たら両親との別れや両親の死には要注意です。
・虫歯になったり、歯が痛くなる夢は精神状態が不安定になっているしるし。特に、人間関係や仕事関係のトラブルへの警告です。
・歯を抜かれる夢は、まわりの人との対立に対する警告。
【灰色(虫歯の部分が灰色だった)】あなた自身や内面の事だけでなく、あなたを取り巻く状況を示していることもあります。その意味合いとしては、失敗や挫折、堕落、落後、逃避など決して歓迎することのできないものが考えられます。ただ、慎重な行動や落ち着いた判断で物事を好転させられる可能性を暗示します。夢の中の灰色が何だったかで、意味合いも違ってきます。いずれにしろ心身の健康にはじゅうぶんな配慮が必要です。
【白】純潔、純粋、無垢、正義、潔白、誠実、献身、処女性などを表します。
何も描かれていない真っ白なノートの夢は、あなたにさまざまな可能性がある事を告げています。
【テーブル】豊かさやくつろぎ、人生の基盤、財産、対人関係などを表します。
テーブルの上にごちそうが乗っている夢は人気運がアップする兆しです。また、恋の予感や結婚のチャンスなど愛情面に恵まれそう。
【2】生死、男女、陰陽、善悪など相反する事柄を表します。また、夫婦や恋人同士のように強い絆で結ばれた関係、バランスの取れた関係を表すこともあります。さらに、ふたつの事柄からひとつを選択する必要があることなどを示す場合や、ふたつの事柄を両立させる事の重要性を表す場合もあるでしょう。いずれにしても、夢に現れたふたつのことがらや物、人物などの関係性を考え、そこからメッセージを読み取ろうとする姿勢が大切です。
★夢に現れた2という数字自体が、なにか大切な事に関係する可能性を 忘れないのもポイントになるでしょう。


     - - - - - - - - - - - - - -

こうやって、なんとなく関係のありそうなのを書き出す。
それから、全体を見る。
…だから、夢占いって大変なのだ。あんまりやらない。
こんなこと抜き出してる間に精根尽きてしまって…。。

とにかく、
★いま・現在 は正しく清潔で平和であると言う事。
★過去思い当たる対人関係の悩みがちょっと復活するかもだけど 今度は好転するだろう、
★身内や、自分が身内だと思っている人の不幸に注意。
「2」って、ターリンとハナちゃんだろうか…なんて案じてみたり。
‥みたいな感じかな。


とりあえず これを打ってて、ちょっと思った。

   私はダーがいるから、大丈夫。

何をしてくれるという人でもないけど、なんかあっても一緒に居てくれるだろうから、
なんかあっても、なんかあっても、たぶん大丈夫。

よしよし。(?)

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夕方、暖かいから窓を開けていたら、もう蚊がいた。
明日は夏日らしいじゃないの。


2004年04月08日(木) ★ こよみななめよみ

夕方、次女姉夫婦がちょっとウチに来て、
そのまま長女姉宅へ行った。

ハナちゃんは3月24日から、
次女姉宅で『預かって』あげる・と言うので そっちへ行ってしまった。
ところがハナちゃんは次女姉夫妻にいたく気に入られてしまった。
「もー、家族なの♪」と言う、次女姉の言葉に何も言えなくなってしまって、
それでハナちゃんは次女姉宅の猫になってしまった。

いなければいなくても、変わらないのだが
喧嘩もしたしストレスも感じたけど、やっぱり可愛かったなと思う。
ちょっと、寂しい。


         ---------------------------------


ダーは暦の上で「五黄土星」の星の生まれで、今年はこの星がまん中に来てる。
だから、五黄生まれのダーは、この9年ないし12年以内の行いが
今年、結果になって表れる のだそうだ。

ずっと、今年は悪いことが起こるとばかり考えていた。
だって、ダーってあんまり頑張る人じゃないし、何かを一生懸命してるって感じじゃないし、親孝行だって訳でも、人のために目立って具体的に動く人でも、、、ないから。

でも、ちょっと 今日思ったことがある。

   今年のこの生活はとても しあわせ だ。


それは、ダーが私と一緒に過ごしてきた結果なのだ。
これまでの私達が、よかったから 今日がある。
、、、と思った。






私は「七赤金星」の星の生まれにあたる。
2年前が、結果の出る年だった。
ふと2年前を振り返ると、やっぱり いろんな結果が出てた。

ずっと手伝ってきたバンドが認められメジャー行き内定。
それは、私がずっと夢見てきた結果だった。
そのかわり、精神的苦渋をひどくひどく味わった。
これは、私が何かをおろそかにしてきた結果なのだろう。

いろんなひととひとがまざりあって出た結果だけれども、
たぶん 統べて 私の招いた結果なのだろう。


暦を最初に見つけた人って、すごい!
次女姉ダンナ様と話してると、自分の星の動きについてひどく納得する。
自然の流れみたいなものや降ってくる直感に従って、動いてきた。
星の動き。運命の流れ。人のもつ使命。

天から堕ちてくるビビビ。


次の結果が出る頃、私は誰と何をしているだろう。
幸せな結果が出ますように。


2004年04月07日(水) ★ ノーミソほぐされday

いま、ダー会社の商品ラベルを作らせてもらってる。
先週から、夜中起きて筆ペン片手に

味噌だんご・味・味・味・味・味・噌・噌・噌・噌・だ・だ・だ…

とかって、コピー用紙に描いてる。
私は、popの才能はなくって本当に時間がかかった。
「味噌だんご」ができあがるまで4時間半。
たかだか5文字、されど5文字。
やっと、なんとなく納得?な言葉達をスキャナする。
プロだったら、さらさらっと30分もしないでかっこいいの描いちゃうんだろうなー。

そんな私と、Macの間をターリンが行き来してくれるので
手もとが危なっかしい。
ターリンてば画面の上で私の仕事っぷり見てる、
…そんな目の前のターリンの存在すら忘れるくらい画面と一体化し始めたころ、
ガターン。
と、キーボードの上にターリンが落ちてきた…居眠りしてたのね。
猫のくせに寝てて落ちるなんて…。。。


  そして迎える、朝。


     - - - - - - - - - - - - -

全部で、5種類のシールを作るのだけど なんて贅沢なお仕事なんでしょう。

普通に会社で受注してたら、相当なデザイン費用を請求されるかとか、規模の大きな会社だったらまだまだ私にはやらせて貰えないんじゃないかとか、思う。
多分 比較的、楽しい仕事?なはず。

私は知り合いの会社から受注を請けると、結局 無料御奉仕になってしまう。
いいんだけどね。。。

タダより高いモノはないのだ!




そんな日々を送っていたら、右胸筋が筋肉痛になった。
ここんとこ、頭も使ってなかったから 夜中になると頭痛するようになった。

     - - - - - - - - - - - - -


だから、自分を癒すために峠の湯に行った。
2時間お風呂に入って、ラウンジのソファに座ったら居眠ってしまった。
目がさめたら、体中がほぐされまくってて 気持ちよかった。
温泉入った後、眠るって すごい効果があるなと思った。


帰ったら、また校正帰りのデータが待ってるんだけど、
そんな事はちょっと忘れてみたい、

    そんな贅沢な気持ち。



好きな仕事ができるのは、幸せ。


2004年04月03日(土) ★ 質実剛健のやま・キラキラたちへ

桜の季節が、随分早足です。
私が小学校の入学式をした、80年代のいつだったかの4月8日は
「入学式」のイラストに飾られるような桜もなく、
裸の桜の木で集合写真を撮った。

入学して、休み時間やっと慣れた校庭のはしっこでブランコに乗って
新しくできた友達の子と どっちがとおくまで飛べるか なんて比べながら
満開の桜の花を見て、世間の描くものなんて、嘘なんだって子供心に思った。



昨日 湯舟でちいき新聞をナナメ読みしながら
桜の特集を読んで、今日は桜を観たいと思った。

朝、桜と言えば、お城でしょう なんて思って

   「ねえ 松井田城見に行こう」

とダーを起こした。



『松井田城跡』の看板を峠の湯へ行く度に見て いつもいつも気になってた。
今日はとうとう松井田城へ行くのだ。

その、誘惑?されてた看板に従い横道へ入る。
道はどんどん山に入って、くねくねした田舎道になった。
小さな看板だけが「松井田城跡→」と示していて、なんて頼りないんだろう。

最終的に辿り着いたのは 畑のはしっこにある ただの空き地で、
車が2台も止まればもういっぱいっていう広さだった。
雑草まで生えてるし。
「えー。ねえ何にもない。」
道を間違えたかと思ったが、取りあえず降りてみると
踏み付けられたみたいに倒れたB4位の大きさの旧い看板があった。

“←松井田城跡 入り口”。

何となく、指す方向を見ればケモノ道が伸びてる感じもする。
「ちょっと、行ってみようよ」とふたりで侵入すると、登山道が伸びていた。
しばらく行くと、「←城跡入り口 本丸→」とかっていう、看板があった。
入り口の方へ向かう。山中を人が歩いたために作られた跡が道になって、ただそこを辿っている…そんな感じだった。途中、熊の足跡なんか発見したりした。本当に人が来ないんだ、ここは。なんて思った。心細くなるくらい細い道がずっとずっと続いていた。息が切れる。険しい山道に、そろそろ引き返そうかと思ったりもした。

「松井田城は、武田信玄に落とされたんだよ」
と、聞きかじりみたいな事をダーが教えてくれた。

山の斜面をわざとVの字に掘り込んであったりして、そんな場所には小さな看板があった。敵が攻め上るのを防ぐためにそんな風にしたのだそうだ。攻めにくい城だったのだそうだ。確かに、この山を登るのは嫌気が指すだろう。でも、武田信玄の士気は下がるかな?

『城跡・入口』は、その、ケモノ道のような所にでかい石がふたつあるだけだった。
その看板がなければ、その石が過去 城跡の入り口をしていた…なんて知る事もない、それくらい平凡な山の景色だった。

「ねえ、頂上には桜咲いてるかな。野生化してたりして。」
入口がここなのだから、もうすぐお城だろう。
と、ちょっと希望をもって先へ続いた。

ところが、だ。

車から『入口』まで歩いたのと同じくらい長い距離を歩く事になった。



今までで一番急な斜面を登るとお城の跡だった。
お城のあった場所には、小さな祠があるだけで、
平ベったい土地がもう林になっていた。

そこに申し訳程度に小さな看板があって、

   『松井田城はよくある壮大な城郭と違い 質素なものだった』

と書かれていた。

その平ベったい林はとても小さくて、…小学校の校庭の1/4くらいしかない、
なぜか とても心が痛んだ。

  悲しくなった。


桜も咲いてない。ただただ、山中でよく見たのは南天の木。あちこちに生えてる。
ナンテンの木は「難を転ずる」と縁起物で日本人に愛されて来た。
この山を守りたい そんな思いで植えたのだろうか、とか思ってみる。
ひとの想いでそこに存在する木。

ここは ただただ森林が続いていて 平凡な山なのだ。
残っているものは、守りの為に思考を凝らした、登りにくい山道。
松井田城は 戦い、城を守るためだけのものだったのかな。
統べて焼かれてしまったのかな。でも、石垣もない。

  私は、贅沢をして自分の地位を誇示するためのお城ばかり見て来た。

このお城を作った人は、どんな気持だっただろう、
天下の武田信玄が来る時、このお城の人はどんな思いだっただろう、
お城が無くなった時は?

…と、なんだか この場所にまつわる、いろいろいろんなひとのこころを 
想像し思いめぐった。




帰りの山道もときどき急で、長くてもうたどり着けないんじゃないかという気持になった。この道は、どこに続いているんだろう?みたいな。
「ねえ、帰ったら100年後の世界だったらどうする?
 でも、松井田だからたいして景色も変わってないの」
などと真剣に考えてみる。

  自販機はきっと変わってるよね。買物は紙幣が変わってて財布から出したら
  “これは古銭ショップへ持ってったほうがいいよ”とか言われるかも
  … とか、
  私たちのボロい軽自動車もレアな旧車になってて“いい車乗ってますね”
  とかって声かけられるかもよ!‥とか、
  “100年も経ってるとガソリンが悪くなってエンジンがかからない”とダー。
  そんな事を話しながら下山した。

車に辿り着いても、やっぱりそんな気分だった。
この空き地のまわりの畑は100年後も変わってない気がするから。

「あっ、エンジンかかった」と、ダー。
よかった。なんて。




登る時は、どうして城跡なのに観光しやすくしないんだ、とか思った。
もっと、こんな歴史は大切にすればいいのに!とか、
人を集めるような設備を整えればいいのに!とか。
(御手洗いも自販機もない)

でも、下山して思う。
この城はこうして名もないようなケモノ道を心細い看板頼りに登って、
そして あの城跡に辿り着いてこそ、
『松井田城・跡』なのだ。

たぶん、この城の主だった人は贅沢をしなかった。
きっと、ただただ、松井田城を守る事を考えた。
そして落とされた。





この、ささやかで そっと ここにあるみたいな
こんな総てが 悲しくて そして似合ってる、
なんて思った。





でも、あまりにも寂しそうだから
1年に一度くらいは登ってあげたいなと思った。

…それを言ったら、ダーはすごい嫌な顔をした。












帰りは、関所食堂へ行き、
今回初挑戦の 塩ラーメンと、中華丼を食べた。
関所食堂はラーメンでよく掲載されてるが アンチ醤油ラーメンな私には
ぜんぜん美味しくない。でも、ここの中華丼は旨い!のだ。
ここは中華丼がイイと思う。好きだ。

松井田城跡で 出会えない人のこころの触れたから、
帰りの車ではひどく いろんな人の事を想った。




それは、主に
何かを目指して飛ぶ 星達の事だった。
流れに逆らって昇り泳ぐ、さかなたちの事だった。
それをあきらめた、きいろのことだった。



    みんな、みんな、飛んでゆけ。


そして、いくつも描いた思念の結末はすべて同じだった。


    キラキラは、後から必ずついてくる。




私はそれを信じてる。
ぜったい、そうなる、なんか、そう思うんだ。




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猫と愛のある生活、お返事ありがとう。
その晩にすぐ読んでなんか泣きたいくらい助かった気持になった。
いつもちゃんとお返事くれる。嬉しいです。

ずっと前のポロリン日記もその日に読んだ。嬉しかった。
ちゃんと またいろいろ考えたいと思ったから、
お返事がおざなりみたいになったけど、そうじゃないです。

私のこと解ってくれてありがとう。





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私は、自分がその人のことを思う時、
その人も自分のことを思いだしてると 思ってる。
そうやって、ひとと人は繋がると思ってる。




今日、その事が証明された。

帰宅、ダーはゲームをはじめた。
私は猫用ゲージが売れたのでその解体・梱包をしていた。
単純作業は、久々に晴れた活動的なノーミソを自由にする。

ある時から、私は ふぅちゃんと、T氏の事やそれにまつわる話をした。
私は、T氏が 女の子に対して都合のいい所しか見た事がないから、それがひどく腹がたつと思っている。寂しかったら来てくれる人(今はふぅちゃん)を呼び出すし、帰りに困ったら女の子に迎えに来てもらう。逆に、女の子が巻き起こしたメンド臭い事につきあってる所がないのだ。だって、面倒臭い女の子を選ばないから。みな都合がよいのだ。そんなT氏だから、私の好きだと思う女の子は紹介したくない。
なのに、ふぅちゃんとと…!!

ふぅちゃんは「えー、彼、すっごく優しいよ」と言う。
優しいに決まってる。都合のよい優しさ。都合のよさの易しさ。
そんなの、私から見れば ただの“恋人ごっこ”なのだ!!!
…みたいな、お話。




そんな話中に私の携帯が鳴って、メールを受信した。
ふぅちゃんからだった。昨日、遊びに来たから そういった内容のメールだった。

また話を続けていたら、今度はダーの電話がなった。
T氏からだった。


そして、ダーはT氏と遊びに(飲みに)出掛けて行った。




まさに・今をトキメク渦中の人々からのアクセス。
これは、私たちが繋がったと信じてよいのではないだろうか。



『うまく行ってる恋人達は、顔が似てくる』
『うまく行ってる恋人同士は、歩調があう』
『仲のいい女の子同士は、服が似てくる・体型が似てくる』
に、続くキシカ説なのではないだろうか。

『誰かを思う時、誰かも自分を思ってる』
追加決定なのだ。


そんな訳で、遠く離れたあなたが、いき生きと何かを描いていて、
ときどきは私の事を…記憶をなぞったり思ったりしたことを、

   解ってます。


…だと、いいなあ。


2004年04月02日(金) ★ いつのまにかおんなになってる

久しぶりに仕事らしい仕事が入った。
ダーの会社の製品ラベルデザイン。
これから、ちょっと忙しくなる。

ダーとEJと3時安中ガストで校正。
ふだんから、一緒にいろいろ行ってるので対してかわんないけど、作業着の2人と私…2人はサボってる人みたいに見えるだろうな。



会社へと帰って行く2人と別れて、磯辺温泉へ行った。
4時頃の温泉は主婦業の女性の場所だった。
確かに、この時間が空くのかも。
ちびっ子らも、温泉になれていて必要以上にはしゃいだりしない。

露天で火照ったのでベンチに仰向けに寝そべると、
自分からあがる淡くしろい湯気が
しろっぽい晴れ空に向かって登っているのを見れた。





私が小学校の頃、お兄ちゃんのいる友達の家に遊びに行くと
“ノンストップ・ひばり君”が全巻並んでた。
当時、世の中は80年代で、女子大生という髪の長い女の人が綺麗だった。
ある時、真っ赤なワンピースと真っ赤なパンプスのお姉さんが
強い風に煽られ長くて真直ぐで綺麗な髪を押さえながら歩いてるのを見た事があった。
その人は、足元をはためく真っ赤なスカートや
視界をさまたげなびく自分の髪が目障りで腹ただしいようだった。
そんな仕種が、また素敵だと思ってしまった。
私は、ちょっと憧れた。と、いうか随分素敵だと思った。
今でも、その光景が脳裏に焼きついてるくらいだから
たぶん、そんなお姉さんになりたかったのかも知れない。

真っ赤なワンピースも着れて、パンプスだって履ける大人になったけど、
私は 女である事を楽しむためのスカートもヒールも履かない。
私はあのお姉さんのように洗練されてキレイになれただろうか。
きっと、ぜんぜん違う。


最近 温泉に行って、のぼせぎみで湯からあがっても
脱衣所では洋服も着れなくて
しばらくタオルを巻いて鏡台の前に座る事が多くなった。
それで そのまま、髪を乾かす。

そんな時、ちょっと私は小学校の頃見た、女の人像 みたいなのを思いだす。
80年代のドラマとか漫画とかって、
女の人の風呂上がりシーンでは決まってタオルを巻いたまま長い髪を乾かすのだ。
小学生の私は、多分そういう女の人にも憧れた。

髪を乾かしながら、そんな時ちょっと思う。
なりたいものに、実はなってる。

描かずとも髪はのびるし胸はふくらむし背も高くなる。恋だけでなくて愛も知ったと思う。なりたいものに気付けばなっている私は、自分をめずらしがることもなく憧れる事もない。

あの時、ひどく鮮烈に憧れたものはなんだったのだろう。
そんなこと考えてみる。



父長崎人+母福岡人=純血の九州オンナ、福岡に産まれ、
関東→京都→佐賀→京都→横浜→群馬と流れてます‥

レイ 

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