風邪が流行っている。
咳風邪だけは引きたくないなあ。 大抵こじらせるから。
もしかすると、私の声が悪声で力が無いのは、喉が弱いからか? 発声トレーニングで声帯を鍛えれば咳風邪もこじらせなくなるかしらん。 そういえば頸の筋肉も弱いのだよなあ。 アンバランスである。
やはりスポーツクラブに通うべきか。 ・・・まだ悩んでいるのである。 スポーツクラブに入ったとして、連日通う自分、というのが全く想像出来ないからなあ。 週に3日だか4日だか行かないと効果がないと聞くし。
来月からまた英会話は週2回だし。 でも英会話の気力が少々減退中。
ちょっとのんびりしたいなあ。
土曜日、父は19時から19時半には帰宅していた。
いつしか父の帰宅は遅くなり、土曜日に家族で食卓を囲む週が減り、全員集合が我が家のお茶の間から消えた頃、両親は家庭内別居状態になった。
私を通して父に文句を言う母。 私を通して母に小言を言う父。
弟には決して文句を伝えさせようとはしない母。 弟には決して小言を伝えさせようとはしない父。
私を通してお金の無心をしようとする母。 私を通してお説教をしようとする父。
自分で言えばと突き放すと癇癪を起こす母。 自分で選んだ奥さんでしょうと突き放すと一般論にすり替える父。
家を出てさえも。
そんな十数年を過ごした。
ここ数日、帰宅後Webでいかりやさんのニュースを読んでは泣き暮らしていた訳だが。 ようやくニュースが少なくなってきた。
今まで自分でも知らなかったけれど実は随分とお気に入りの芸人さんだったのだなあ、というのが正直なところ。 自分がこんなにがっくりきているのが、自分でも信じられない。 今までどんな芸人さんが亡くなっても、こんなに悲しく感じたことはない。
知り合いでも何でもないのだし。テレビの向こうの人に思い入れるというのも、よく分からない。
と思っていた。今もそう思っているのだけれど。でも。
私が子供の頃。 テレビを観るのはほとんど土曜日の夕方から夜にかけてだけだった。 毎日色々なお稽古事があったので、午後まで学校がある日はテレビ番組を通しで観ている時間はあまりなかった。お稽古事から帰ってきたらピアノの練習の時間だったし。 お稽古事を減らしてからは塾通い。というか、塾通いのためにお稽古事を減らしたのだが、そうなると夕方から夜にかけては塾で授業だったので、やっぱりテレビを観ている時間はあまりなかった。
唯一通しで観ていられたのは土曜日の19時から21時までの2時間。 土曜日は学校も午前中だけなので、お稽古事も塾も夕方には終わったから。
あの頃のテレビ番組で覚えているのは、だからまんが日本昔話から8時だよ全員集合、までの3番組だけ。 日本昔話は、今でも主題歌をそらで歌えるし、当時のはらたいらの顔だって覚えている。 ドリフターズのドタバタでは、いつも加藤茶と志村けんがいかりやさんをぎゃふんと言わせるのを応援していた。かれらは「子供の側」だった。そしていかりやさんは「親」だったり「教師」だったり、子供にとっては実に煙たい役回りだったので。
でも子供の頃は煙たい存在であっても、時が過ぎて大人になったとき、煙たかった存在ほど懐かしく思い出すものなのだと知った。 当時煙たくなかった先生、つまりは子供に媚を売っていたような先生や子供に正面から関わろうとしなかった先生たちは、昔も今も「どうでもよい存在」でしかない。名前すら忘れる、路傍の石のようなものだ。
大人になってから。 いかりやさんが出ているからとわざわざテレビドラマを観るような事はなかったけれど。偶然チャンネルを変えていていかりやさんが出ているテレビドラマに当たったときは、いつもならそのまま通り過ぎるチャンネルを、変えずに止めて観ていた。いかりやさん太ったね、などと言いながら。 テレビドラマなんて普段ほとんど観ないのに。 良い演技だった。
残った4人でドリフターズをやっていくというけれど。 私にとっては、いかりやさんのいないチームは、もうドリフターズではないのだと思う。 コーヒー豆をセットし忘れたドリップコーヒーのような感じだろうか。それはもうただのお湯でしょう、という。
そして、もう二度と新鮮ないかりや味のコーヒーは飲めない。
やっぱり葬儀の記帳、仕事放り出してでも行けば良かった。
いかりやさんが癌で亡くなられた。
意外にがっくりきているのが自分でも不思議だ。 訃報を見て、「え・・・・・・」と絶句して、じわじわとがっくり感が湧いてきている。
幼い頃、土曜日の居間のテレビは まんが日本昔話→クイズダービー→八時だよ全員集合! と、ずーっと同じメニューだったのを思い出す。
昔話でしんみりして、クイズダービーで頭を捻って、ドリフターズで家族で笑って、番組が終わったら子供は寝る時間。
そんな光景が確実に遠くなったのだと、そんな光景はもう二度と繰り返される事はないのだと。
ご冥福をお祈りいたします。
冥王星の外側に、もう一つの(小)惑星が発見されたとか。 案外太陽系の仲間は沢山あるものらしい。 沢山ある方が楽しくていいな。
しばらく前に「太陽系を離脱した」事になっていたボイジャーも、これではまだまだ太陽系内にいることになってしまうのかな。
それはそうと気になることが一つ。 この小惑星、セドナと名付けられたそうだけれど、日本名はどう付けるのだろう?
ニュースには「イヌイットの海の女神」とか「イヌイットの北極海の生物創造の神」と書いてあったけれど、英語辞書で調べたら「イヌイットの冥界の女王」と書いてあった。 ニュースと英語辞書の記載が間違っていないとしたら、エスキモーの間では『海=冥界』なのかなあ。寒い地方では海は死者の国なのかもしれないなあ。でも豊穣も海から来るし、生物創造というのも納得。 なかなか興味深い。
で。日本名。 冥界の王を冥王星と名付けてしまったから、冥界の女王は冥女王星・・・だったら随分と語呂が悪い。 海の王が海王星だから、海の女神は海神星。 「女」神っぽくはないけれど、男女格差を無くそうというご時世柄そういうのもアリかもしれない。「看護婦さん」は「看護士さん」になったしね。 でも「海神」というとネプチューン(海王)と同じようなイメージがあるのは私だけだろうか・・・。 北極海の神様だから北極星。というのは冗談としても。極海星とか。
どういう名が付くのか、楽しみだ。
相変わらず寝付きが悪いので、何か運動でもしようかと迷い中。 最近頸の筋を違える事も多いし、肩も凝るようになった。昔は肩凝りなんて縁が無かったのに。 スポーツクラブにでも通おうか。
でもそんな余力があるのか?とか、三日坊主・・・いや私の場合運動は三日も保たず一回きりという事がよくあるので、一日坊主・・・になるのでは?とか、危惧が大きいのでなかなか踏み切れないでいる。
気力に続いて体力まで消耗してしまったら危ないのではなかろうか。自分の首を絞めるようなものかもしれない。
いやいや、身体を使う気分転換をした方が精神衛生にいいのじゃないか?運動することで却って精神的余力が出来るかも。とか、色々理由を探して自分を煽動してみたり。
このところ、仕事の集中力や持続力で、自分が駄目マークだなあ、と気が重くなる事が多い。気力が尽きるのが早い。 気力って、一体どこから湧いてくる物なのだろう。 基礎体力を付けるように努力すれば気力も続くのだろうか。
・・・やっぱり、駄目で元々、というくらいの楽な気持ちでチャレンジしてみようかなあ。
半月以上も日記を書いていなかった事に本日気付く。 夜中に日記を巡るだけで、もう眠らなくては、という時刻になるので、他人様の日記で何となく満足したような気分になっていた。
ここ半月で起こったことというと・・・。 特筆するような事はあるようなないような。
--- 外貨預金は為替介入の時に全て売りぬけたので少しプラスが出た。
電車で幼児レベルの脳を持つ外見だけはいいトシの酔っ払いの痴漢に絡まれた。
ちびちびが随分と人間らしくなってきた。人見知り開始。
母の誕生日祝いを前倒し。今回はアンテノールのバースデーケーキを購入。
ちびからバレンタインのお返しを貰った。
バレンタインチョコをあげていない職場の人からもお返し(?!)を貰った。
海外の医療や行政制度事情についての勉強を開始した。 ---
まあ大した事は起こっていない。
それにしても。 年に片手くらいは酔っ払いに絡まれるため、ますます酔っ払い嫌い(「社会の迷惑」のお酒に飲まれる酔っ払い限定。陽気に楽しくお酒を飲む人はここで言う「酔っ払い」に含まず)に拍車が掛かるわけだが。 お前ら、絡む相手を間違えているといい加減気付け。
そろそろ痴漢の性犯罪者だけではなく絡んでくる酔っ払いも交番に引きずり込む対象にするべきかと考慮中。 くだを巻いているときにただ近くにいたというだけで喧嘩を売るのなら、それなりの代償を支払って戴きましょうかね。警察沙汰になる覚悟もなく無辜の他人に喧嘩売るなんて図々しいことこの上ない。
「酔っていたもので」。そんなことが言い訳になると思うな。いい大人が赤の他人に汚い甘え方するんじゃない。恥を知れ。
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