最強の星の真下

2004年04月22日(木) 不思議に思うこと。

「疲労」とは何を指すのだろう。

筋肉疲労であれば、乳酸の蓄積だ。でも特に運動で筋肉が疲労した訳でもないのに「疲れた」と感じる場合、これは身体のどこで何が起こって脳がそう感じるのだろうか。
脳味噌が疲労しているとか?神経伝達物質の放出が頻繁過ぎると「疲労」するのか?そうだとしたら脳を休めれば回復するのか?

でも精神的に疲労した時って、却って眠れなかったりする。という事は、眠りは脳の休憩にはならないのかな。

リラックスするとか気分転換をするとか、一般的に精神疲労対策としてアドバイスされるけれど、リラックスした状態と緊張状態で、脳の負荷は違うのか?



人間の身体の中には、生命誕生から今に至るまでの膨大な時間の謎が詰まっている。と、しみじみ思った眠れない夜。



2004年04月21日(水) 愚痴。

少々疲れ気味。
肉体的にというより精神的に。
気疲れ。

担当している仕事は変わらないのだが、直属の上司が変わった。
この上司、もう何ヶ月もこの職場にいるのに、組織について全く知らない。
誰彼構わず文句たれている暇があったらそういう大事なことをきちんとリサーチしておけばいいのに、ひたすら文句をたれて無駄に過ごしているから、いざという時(つまり今だ)なーんにもわっかりません、という事になるのだ。

いま私は、新入社員に教えるような事を自分の上司に教えている。
これってどういう事よ。
私のようなヒラだって、これだけの期間が過ぎた頃にはもっとシステムを把握していた。それなりに必死で聞き回って勉強したし。黙っていたら誰も教えてくれないのは当たり前なのだから。
なのにこの上司、何についても、どうするものなのか人に聞こうとしない。
平然と、教わっていないだとか存在自体を聞いていないだとか嘯く。
判らなかったら人に聞け!部下に聞きたくないなら、同格の人間が沢山いるのだから彼らに確かめてから行動したまえ!

私の中では既に新しい直属上司に対して、はっきりきっぱり上司失格。の烙印を押している。

毎日憂鬱。



2004年04月20日(火) ナイター。

今日は久々に早く帰宅したので、まだナイター中継をしていた。
ラッキー。


・・・・・・・おい。9回表の佐伯、あれはどこから見ても完璧に文句無くセーフだろう!!!
もう一度VTR映像流してみろ!!出せないのはテレビ局も本当はセーフだと判ってるからだろう!!あれがアウトだったらホームランでベース回ったってアウトだわい!
(↑ここ、フォント最大の気分で)


不快感を満喫したナイターTV観戦であった。久々だったのに。



2004年04月19日(月) 眠り。

最近週末が短い。

何故かと言えば、平日が体力的にしんどくてしかも何となく不眠気味なので、週末のうち1日は延々眠っているからだ。

・・・何か思い返すととても無駄に時間を過ごしているような気もするが、それでも眠るのが大好きなので、これは趣味のようなもの、と自分を誤魔化す。

ささやかな幸せ。別に夢を見たという記憶もないので、眠っている間が本当に楽しい時間なのかは不明なのだけれど。

・・・幸せ感覚が麻痺しているような。幸せって、何だ。



2004年04月17日(土) Nutcracker!

マシュー・ボーンの『くるみ割り人形』を観た。

ずっと幼い頃、私は確かに『くるみ割り人形』を観たことがある。
はずなのだが、その記憶はぼんやりと断片的だ。映画だったのか舞台だったのかも明白ではない。
母に聞いてみても「くるみ割り人形?そんなの観に行ったことあったかしら。無いんじゃない?」というていたらく。
その時弟も一緒にいたような気がするので、もしかすると母は愚図る弟の面倒に手一杯で碌に観る暇もなくて、だから覚えていないのかもしれない。

でも左側に大きな柱時計が配置されておりその時計の前で人形が踊っている場面を覚えているので、おそらく映画だったのだろうと思う。
柱時計が真夜中12時を差し、ボーン、ボーンと鳴り出してパステルカラーのおとぎの世界が始まる場面。
大きくカーブした階段があって。色々なものが跳ね回って。
突然踊っていたあれこれが消え失せパタッと静まり返る場面。
そんな場面が私の脳味噌には焼き付いている。

今もくるみ割り人形の曲が好きなのはその記憶があるからだ。
でも残念ながら、幼少時の私の興味は跳ね回るパステルカラーのおもちゃ達であってストーリーではなかったらしく、終わりがどうなったのかは全く覚えていない。

今回の舞台はその記憶を鮮明にしてくれるかもしれない。という期待もあってとても楽しみにしていた。


・・・凄い色彩感覚だった。

前半はモノトーンでストーリーが進行する。
床は白黒チェック、孤児院のお仕着せはグレー無地、監督係の夫婦とその子供達も白黒の服。慰問のご婦人方、紳士方もみんな白黒。

これが後半になると、いきなりどピンクに黄色、スカイブルーと色が溢れ、渦巻き模様に水玉模様、波模様と、これでもかと言わんばかりに派手なピエロ調の服を着た妖精(?)達が踊り回る。

背景もシュールだ。
妖精達のパーティー会場に続く道が、ダリ顔負けの、舞台のど真ん中にぱっくり開いた口紅付きの口だったり。

なるほどこれが現代バレエというものか・・・。
いやもしかして、現代劇をバレエでやった、という方が近いかな?

そういえば以前、欧羅巴のどこだかから来た現代バレエ団も何だかよく分からない舞踊を観せてくれたものだが、共通して言えることは、「美しい」「綺麗」「幻想的」と単純素直に言えない舞台だという事かな。
古典的なバレエであれば、人の身体の美しさなどを素直に賞賛出来るのだけれど。


これはこれで面白かったし、実は「もう一度くらい観てもいいかも」とも思ったけれど、幼少時の薄暗い記憶を補強するようなものでは全く無かったのがちょっと残念。


・・・くるみ割り人形て、あんなオチだったっけ・・・?
駆け落ち。



2004年04月07日(水) 桜。

ちびとちびちびがひどい風邪にやられているらしい。
子供は身体が小さいだけに風邪一つでもどうなるか分からないから怖い。
早く回復するといいのだけれど。



桜吹雪を見た。
風に吹かれて一斉に舞う桜の花弁って、どうしてあんなに綺麗なのだろう。
あの綺麗さがソメイヨシノの繁殖方法か。
どれだけ毛虫が付こうとも切られもせずに、人の手を借りてどんどんと株を増やすためには、あれくらい綺麗でないとならないのかもしれない。一つ一つの花は小さくて傷も付きやすいし色も薄くて貧弱なのにね。
たった1週間人の目を愉しませ、その1週間のために残りの51週間あれやこれやと世話するのだから、人間というのも結構物好きな生き物だ。

梅でも桃でもなく桜なのは、やっぱりあの散り方の豪勢さ故なのだろうな。


桜の下で心ゆくまでぼーっとしたい、という野望は、社会人になって以来毎年叶わずにいるわけだが。
来年こそは。



2004年04月06日(火) 観劇。

風邪を引いた。いや、風邪を引き続けている。

しばらくの間、良くなったり悪くなったりと一進一退だったが、この度めでたく二進して声が出なくなった。
接客業でなくて良かったとしみじみ思う。

どーんと休みを取りたいところなのだが、こういうときに限って休めない状況だったりするから悪化するわけで。

ゴールデンウィークはどーん!と休んでやるー・・・と虎視眈々と狙っているのだが、どうなることやら。

その前に今月の観劇強化月間で体力を使い果たしたりして。





サードステージの『ハルシオン・デイズ』を観てきた。
・・・何となく、ピンとこなかった。
3人の「自殺志願者」を軸に話が展開するのだけれど、全く心に響くものが無かった。

何故か?

私が「自殺」という行為をそんなに自覚的・主体的なものと捉えていないからかもしれない。

それは
「自殺したい」「自殺しよう」「自殺するんだ」「えいっ!」
という形で訪れるものではなく。
一心に生きている最中、心の隙間にふ・・・っと何かが入り込んだ時に、気がついたら一歩足を踏み出していた
というような形で訪れるものだと。
魔の一種のような。
「魔が差す」という言葉通りの。

今振り返ると、子供の頃の自殺願望というものは、非常に自覚的なものだったような気がする。あの劇の登場人物達が論じていたように。




これは歳を取ったということなのだろうか。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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