最強の星の真下

2003年02月26日(水) 今日は休み。

明日から出張。



2003年02月25日(火) 不調。

どうもここしばらく気力がいまいちである。
自分でも何となく集中力に欠けている自覚がある。
気力を奮い起こそうとしても何となく上手くエンジンが掛からない感じである。
バッテリーが上がったという状態であろうか。

日記を書いてみても、上手く今の自分の状態が言い表せないので。
いやそうじゃなくて。と自分で自分に突っ込んでみても、出てくる言葉はせいぜい「しんどい」とか「疲れた」とか、何となくピントが甘い表現だけである。
間違ってはいないけれど合ってもいない。

「頑張って」日記を書いているような気分に陥る時がある。

対人関係が妙に億劫である。
ここしばらく全く飲み会企画等もしていない。

何か変だ、と思わなくもないが、それを追求して考え込む気力もあまりない。

こんなに思考を放棄している状態になったことは今まで無いような気がする。
でも集中力が湧かない。




・・・何とか言葉を羅列してみたけれど、やはりどことなくピンぼけだ。
駄目か。



2003年02月24日(月) 教育給付金。

教育給付金の申請をしなくてはならないのに。
申請に行く暇が無い・・・。
1ヶ月以内に申請しないと資格を喪失してしまう。
2月は日数が少ないのだ。早く行かねば。
・・・この場合、とりあえず仕事より給付金を優先すべきだと思うのだが。

分かってはいるのだけれど、つい。
打ち合わせやあれやこれやで毎日の予定がどんどん埋まる。
そうなると、「明日はアレがあるから」「明後日はコレがあるから」と、申請をどんどん先延ばしにしてしまうのだ。

もう、さっさと申請に行く日を決めておくべき。
でないと期限切れるまでずっとハローワークに行けない。

・・・所轄のハローワークが不便なところにあるのも悪いんだ・・・どこでも申請できるようにしてくれればいいのに〜。

早くしないと、私のさんじゅうまんえーん・・・。



2003年02月22日(土) 本日のチョコレート。外貨レート憶測。

今日は佐々木の誕生日だ。目出度い。

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本日のチョコレート。

ポエム・ド・メリーのオレンジピールチョコレート。
上品に細めに切られたオレンジピールが厚めのチョコレートでコーティングされている。

美味しいけれど、私の好みとしてはレオのオランジェの方が好きだ。
レオニダスのは荒っぽいけれど、とにかくオレンジピールが分厚い。
おいおいこのオレンジピール、白いところまで入っちゃってるよ、という事もままあるが、とにかくその「オレンジピールの存在感」を主張する強烈なオレンジ風味がいい。

メリーのは、はんなりオレンジの香り、でオレンジ好きとしては少々物足りない。
でもオレンジピール自体の味は甘めだけれど美味しい。

また買うか・・・?多分買わない。
値段を考えるとね〜。オレンジピールのチョコレートをお遣い物として買うならメリーの方が上品でいい。
でも自分で食べるなら断然レオ。安いし。オレンジだし。



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さて、最近の桂蘭のネットトレーディングについて。(←言い方を微妙に格上げ)

・・・何か嫌だ。
いや展開は面白いのだが、スローな動きなので何となく余計な事をしてしまいそうな自分がいる。
そして赤字を出してしまいそうなので嫌なのだ。


〜以下、自己流外為先行き予測(←大嘘。憶測または単なる期待)〜

今、というか木〜金曜日だったかな?ドルは多分底値。
ここしばらくは介入警戒でこれ以上には下がらないだろう。
現時点でのレートならば、もしがくっと下がっても介入が期待できるし、介入があれば上抜けるレートだから買いだと思う。

G7でどんな話が出るのかは判らないけれど、余所の国も今はドル安にしたくないのではないかな。
亜米利加の景気が沈むと自国の景気も引き摺られる可能性が充分あるし。
だから日本の円安誘導の為の介入は歓迎姿勢のはず。

特に亜米利加は、今はドル高でいたいだろう。彼らは戦争したいのだから。
戦争の為にモノを余所の国から買うにはドル高が有効なのだし。

となると日本は余所の目(レート操作の非難)を心配しなくて済むだろうから、もし円高が進んでも介入しやすい状況だ。
前回の介入が117円60銭くらいで行われているらしいので、117円台はいつでも実弾投入の危険あり。

ドルの天井は今のところ憶測に変更なしで、122円レベル。
を、政府だか日銀だかは希望しているんじゃないかなあ。
何となく。
しばらく前から、経済ナントカ関連の長官だか何だかの人が介入を匂わす発表を何度もしていたけれど、あれが私の朧気な印象では119〜120円ラインだったような気がするから。

ユーロは、先日図らずもEU分裂劇を披露してしまった事もあるし、少し前の130円越えはどうかなあ。上値重そうな気がする。
投資する人達も、「集合体としてのEU」というリスクに注意を向けていそうだし。


よって。今の所、桂蘭の方針は、対ドルでブル、ユーロ様子見。




素人はこんな事↑を考えて博打してます。



2003年02月20日(木) 枕。

最近疲れ気味なので、健康のために良い枕を買うことにした。

眠ることが三度の食事(←嘘。いつも一日二食)より好きな私の健康の為に必要なのはやはり睡眠だろう。うむ。

父の誕生日プレゼントに買ったのにも負けない良い枕を買おう。
朝起きたくなくなるような良い枕を買おう。
と言っても、朝起きたくないのはいつものことだが。
もしかして今の枕で充分なのか・・・?

いやまあ、今の枕だって、昔、その当時の自分としては大奮発して購入したふかふか羽毛枕なのだ。決して悪い枕ではない。
しかし時の流れには勝てず、大分草臥れてきた。
なかなかふっくらしなくなってきた。
昔は少し干せばカバーの中でパンパンに膨れ上がったものだが。


さてどんな枕にしようかな。
快適な枕でぐっすり安眠する事を想像すると、今からもう幸せな気分である。
ふっくりして柔らかくて大きい枕がいいなあ。
柔らかい枕に埋もれてぬくぬくと眠るのだ。なんて素晴らしい未来像。
素敵な枕が見つかるといいな。



・・・しばらく前にも、枕、枕と騒いだような気がする。
疲れているときの恒例行事なのか・・・?
いや今度こそは本当に買うのだ。絶対買うのだ。
枕で安眠のイメージが私の中で固定されてしまったので、近々、私の枕探訪の旅を敢行する予定。



2003年02月19日(水) 健康診断。本日のチョコレート。

健康診断に引っ掛かった。
再検査にも引っ掛かった。
・・・。
再々検査はクリアできるといいなあ。

現在すっかり病人気分満喫中。って、気が早すぎ。



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本日のチョコレート。

一番舘のアイスワインチョコレート。
・・・原産国カナダ。
味は悪くないのだが、中身のアイスワインがあまりアルコールらしくなくて少々ガッカリした。
甘いシロップのような、でもシロップよりはさらっと軽い液体が入っていた。
・・・アイスワインてこんなだったかしらん。甘味料を加えすぎているのじゃないか?
外側のチョコレートには文句無し。
でもう〜ん。この値段でこの味か・・・と、値段とのバランスを考えるとなあ。
多分この値段だったら二度は買わない。三分の二の値段なら買うけれど。



2003年02月18日(火) 記憶力の限界。

帰宅後のササヤカな楽しみなのに。

Myエンピツが表示されない。
・・・トラブルかな?

それともクラッキングだろうか。
中間管理職のおじさん達が帰りに一杯飲みに行くのと同じようにだね、私は寝る前に、今までコツコツ増やした日記の数々を読みに行くのを毎日楽しみにしているというのに。
クラッカーだったら許せん!小市民のササヤカな楽しみを奪う気か!

・・・勿論ランキングをあちこち探して今まで読みに行っている日記のいくつかは見つけだしたが。ランキング不参加のところは、もう記憶だけが頼り。
自分が如何にMyエンピツに頼り、名前を覚えていなかったかがよく分かった。
言葉の端切れや、言葉の語感で当てずっぽうに言葉を入力して探す。探す。探す。

・・・名前に関する記憶力の弱さを見事に露呈。

しかし名前を覚えるのが苦手なのは昔からで、改善の余地はないのだ。
人は覚えているのに、とにかく名前が覚えられない。
記憶の脳味噌スパイラルが壊れているのじゃないかと思うくらいに覚えられない。

あそこでマープルシリーズの話をしたナントカさん、とか、横浜にあるナントカっていうベルギーチョコレートのお店(←ここで既に店の名前は忘れている)を教えてくれたナントカさん、とか、まあ一事が万事そんな調子である。

しかし一社会人として、これで良いはずがない。
苦肉の策として近年編み出した方法。「綽名を付ける」。

私には連想法でモノを覚える習性がある。
何しろ、数学と化学と物理と生物、現代文と古文と漢文と英語、日本史と古文と世界史と倫理と政治経済、をそれぞれ全部一つにひっ括って関連づけで覚えたくらいだ。
しかも全く関連づけを出来なかったものについては、全て忘れた。

幸いにもこういう習性を持っているので、特定の人間を連想するような綽名を付けておけば、綽名「だけ」は覚えられるのだ。
これで、親しい間柄の友人との間ならば綽名で人物を特定できるので、話の流れを妨げることなく会話が出来る。
しかも名前を覚えている間に友人に綽名と共にその名を告げておけば、あとで綽名から名前を教えて貰える。

仕事関連は、もう名刺の裏や組織表やらにひたすら書き込む。
それで結構何とかなるものだ。

・・・こういう人、昔漫画に出てきたなあ。
『動物のお医者さん』を描いた漫画家さんのネズミ嫌いの親友が出てくるシリーズの主人公。



・・・あの漫画、実話を元に描いてたんだなあ。
(自分が漫画ライクだと言わないところが負け惜しみ80%含有)



エンピツさんが早く元に戻ってくれますように。心からのお祈り。



2003年02月17日(月) チョコレートメモ。

本日は少々疲れめなので、チョコレートのメモのみ。

神戸のお店、一番舘のいちじくチョコレート。
これは美味しい!
干しイチジクの洋酒漬けをビターチョコレートでコーティングしてあるのだけれど、イチジク特有の種のプチプチ感&チョコレートのほろ苦さ&洋酒風味のバランスが何ともイイ感じである。

イチジクは少々苦手なのだが、買ってみて良かった。
青臭さがどうも・・・なイチジクも、ドライフルーツなら大丈夫のようだ。

まだ売っているかなあ。見に行ってみようかなあ。



2003年02月15日(土) 義理チョコのお返し。

世の中バレンタインで大騒ぎをしているが。
・・・前々日までチョコレートを「あげる日」だという肝心な事を完璧に忘れていた私は、もしかすると女を捨てている・・・かもしれない。

わはは。
まあこういう年もあるさ。

当日お昼休みに自分のチョコレートを買いがてら、いつも一緒に仕事をしている男性陣数人に差し入れる分も購入。

実は昨年、気軽〜に義理チョコをあげたら、お返しで非常に気を使わせてしまった。
だから今年は義理チョコではなく只の「差し入れ」なのだ。
絶対3倍以上はお金遣っただろう・・・なものが返って来てしまって少々驚いた。

前職では、上から下まで揃ってチョコをくれくれ言う割に、お返しをくれる人なんて殆どいなかった。(ある意味最低である。人としてのマナーがなっていないよ・・・その感覚に慣れてしまっていた自分も自分だが)
ので、その感覚で渡してしまったのだが。
いやああの時は失敗したなあ。
自分がチョコレート好きなので、美味しいモノのお裾分け、くらいの気分だったのに。

そう気張ってお返しされると気が重くなるではないか・・・お返しをくれるなら、せめて同額くらいにして欲しかった。義理なのだし。



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本日のチョコレート。
ミッシェルの抹茶生チョコレート。
抹茶の風味が和菓子っぽい。なのにチョコレートの味もする。
和洋折衷で、一粒で二度美味しい逸品ですな。
生チョコレートは結構甘めが多いのに、抹茶のせいかあんまり甘くなく仕上がっているところがマル。



2003年02月14日(金) 『の』の話。

今週書こうと思って忘れていたこと。毎年毎年思うこと。


今週の祝日は『建国記念の日』。

『建国記念日』に改名したという話は聞いていないのだけれど。
今年は特によく見掛けた。
とあるニュースメディアまで間違えていたのには呆れた。


小学校の頃、先生が教えてくれたこと。大体こんなこと。

「『建国記念の日』と、『の』が入るのは、実際にこの日に日本が建国された訳ではないからです。亜米利加の『独立記念日』のように日付が特定できないので、あくまでもこれは『建国を記念する日』なんです。だから『の』が入るんですよ。他にも『体育の日』『勤労感謝の日』など、日付を特定しない祝日はみんな『の』が入っていますね。これらは、日は特定できないけれどもお祝いしたり記念にしたい、そういう日なんですよ」

ということは、2月11日を初代(とされる)天皇が即位した日と、日本国の正史は認めていないのだな。
勿論伝説になるほど昔のことだから、日付が特定できる訳ないしね。
でもやっぱり自分達の国の建国というものをお祝いしたかったのだね。


・・・そういうあれこれがこの『の』の一字に集約されているのに。
こんなに奥深く意味深い『の』なのに。
背景が窺いしれて面白いのに。


どうしてみんなこんなに簡単に『の』を無視するのだろう。
勿体ないなあ。



しかし小学一年生や二年生にこういう話を真面目にしてくれたM先生は、本当に良い先生だった。
多分、ここに書いたような話は、幼い私たちに解りやすいように噛み砕いたものだったのだろうと思う。
もっと年齢が上になってから受け持って貰っていたら、どんな話が聞けたのだろう。

三つ子の魂というもので、いまだに建国記念の日にはこの話と共にM先生を思い出すのだ。



2003年02月13日(木) シルクロード。

このところ、何曜日かは知らないが、夜11時から『シルクロード特集』の再放送をしている。

放送時に運良くテレビを見ている時だけ観るのだが、画像は初放映時の時代を感じさせる荒さなのに、やはり良い。
音楽もまさにイメージ通りで邪魔にならず、画面中の世界の雰囲気をこちらに伝える。

シルクロード特集はテレビ放送史に残る名作だと思う。
どれだけ言葉を費やしても伝えられないものを、映像でしか伝えられないものを伝える。
これこそテレビ放送の原点ではなかろうか。


シルクロードに沿って点在する村々の生活。
生活を満喫し、精一杯生きている人々の表情。
そこに確かにある豊かさ。
そしてあまりの青さに気の遠くなるような空。

荒い画面なんて問題じゃない。
荒くても、あの青。
はっきりと伝わる。


観る度に涙が出る。


いつか。
あの人々の輝きが生きているうちに。
空があの怖い青に染まっているうちに。




あの地に行ってみたい。



2003年02月12日(水) 外貨預金の迷い。

外貨預金第■回目。

微妙〜に悩むレートが続く。
20円プラスだけど一旦売るべきか?とか、そういうレベル。
何だかなあ・・・。

20円で迷いたくないという気もするが。

私のヤマ勘予測では、ドルは122円50銭くらいまでは何とかじわじわ上がるのではないかなあ。と。思うのだけど。
ちなみに現在121円20銭くらいである。

ユーロは少し長期の構えでいた方が良さそうな気がする。
でも今130円前後で小休止っぽいのでどうかな。
確か118円くらいからゆっくり延々上がり続けたし。
131円を超えるかなあ。あんまりそうは思えないけれど。
でもずっと「これ以上は上がらなそうな気がする」と思い続けてこのレートだし。

何か、ユーロって、国が沢山絡むからよく分からないなあ。
ドルの方がシンプルで、ヤマ勘も迷いが少ない感じで良い。

投信。
株式投信は、どれを見ても危険そうな香りで嫌だ。
国内も米国も欧州もグローバルも、手を出したら大火傷をしそう。
債券投信で気を引かれているものが2つばかりある。
どうしようかなあ。
いよいよ投信デビューも近いか?
でも手数料を考えると二の足を踏んでしまうのである。


・・・猫の子貯金だし。
気力が充実していないときに動くとロクな事がないから、しばらくは静観しようかな。




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本日のチョコレート。
ハマダのチョコレートボンボン。
ボンボンが好きだから購入したけれど、中身が少な目でちょっと寂しい。
中身の楽しみが少ないので1粒では満足できずに後を引く。
・・・これは戦略か?



2003年02月10日(月) 好みの選手の話。

飛び石連休って久しぶりのような気がする。
週の途中が休みっていいなあ。

今日は夜のスポーツニュースに間に合う時間に帰宅。
サッカー高原のシュートの話が出ていた。
おお、快挙ですなあ、とは思ったけれど。

私は、サッカー選手は、カーンとレアルのキーパー(←名前失念)が好きなので微妙〜な心境。
何でもいいや、カーンのニュースが流れるなら。という気もするし。
モノは考えようで、これだけニュースとして騒がれるのも当たり前だよ、それだけレベルが高いのさ。と思えば気分も良い。

それにしてもカーン、相変わらずの気性顕わなコメントで微笑ましかった。
いやあいいなあ、ああいう攻撃的な気性の俺様キーパー。

どうも私の好みは、サッカー選手に関しては、唯我独尊とか守りの癖に攻撃大好きとかそういう系統のようだ。

野球選手だとお天狗嫌いなのになあ。
野球というスポーツが大好きな選手が好きだ。勿論選手は皆野球が好きなのだろうけれど。
地道にコツコツ我が道を行く(ように見える)派手でない選手がご贔屓だ。
あくまでも個人的印象だけれど。
野村とか。尚典とか。松井とか。西とか。河原とか。
・・・って、日本で現役、尚典と河原しかいないし。くくう。日本のリーグも淋しくなったものよ。

来月からまたシーズンが始まるけれど。
今シーズンは、少しはスタジアムに足を運ぶから、何とか頑張って欲しいものである。



・・・まあ、昨シーズンより悪くなる事はないから気が楽さ・・・。



2003年02月08日(土) 仕事中の人の話。

先日見掛けた不思議な人の話。

仕事帰り、駅で電車を待っていた。
近くに立って電車を待っていたオジサン(推定年齢40半ば〜50歳位)が、携帯電話で話をしていた。

「今まだ仕事してるから〜」
「ん〜?だから今まだ仕事してる最中なの」
「し・ご・と!今まだ仕事中なの。終わったら行くから」
・・・(しばらく繰り返し)・・・
「今アメリカと仕事してる最中なんだよ」
「あ〜は〜?(とここでいきなり英語風相槌に変化する)そう。終わったらそっち向かうから。おっけーね?」


・・・爆発するほどアヤシイ。

仕事?って君、今、駅のホームで電車待ちしてるじゃないか。
アメリカと仕事って、アメリカって、人間なのか?私は国名だと思っていたのだが。日本太郎みたいな名前の人なのか?

彼の同伴者らしき人はその場に1人もいない。
しかも最初はフツーに会話してたのに、アメリカと〜・・・と言い出してからいきなり口調変更っていうのも、わざとらしさが芬々としている。

「今」というのを「ここのところずっと」と解釈すれば、たった今その瞬間に彼が仕事をしていなくてもまあ納得できる。
が。そう解釈すると今度は「終わったら行く」という言葉との整合が取れなくなるし。

移動してこれからアメリカ人の仕事相手と落ち合うにしても、格好が変だ。
髪はボサボサで、3ヶ月くらいは床屋に行ってない感が溢れている。
服はヨレヨレシワシワで、ズボンに染みと汚れがついたまま。
靴は埃だらけで、1シーズンは磨いていないだろうと思われる惨状で履き潰し寸前。
持っている荷物は紙バッグ1つ。

・・・もしや妄想癖とか??



世の中色々な人がいるものだなあ。



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本日はホテルオークラのトリュフ型チョコレートにチャレンジ。

包装が厳重だった。でも良い紙を使っていて品は良かった。
しかしこのレベルの丁寧な包装だったら、店がするより買った人間が自分でラッピングした方がいいのではないか・・・?
基本的に、店のラッピングのままで渡すならそれは「義理」のギフトでしょう。
なのに店の包装にしては義理っぽくなさすぎ。
・・・まあ最近は義理ではないギフトを自分でラッピングしない人が増えたみたいだから、そういう人達のためのサービスなのかもしれないけれど。

外側のチョコレートの味は良かった。中身はもう少し柔らかい方が好み。



2003年02月07日(金) 饂飩。投資信託の勉強。

今日のお昼は饂飩。現在お粥と饂飩に取り憑かれ中。
そんな私に同僚が訊いてきた。
「風邪まだ治らないの?お腹具合悪いの?」
・・・すまん、違うんだよ。でもお気遣いありがとう。

で。本日の饂飩の話。
今日は具のお肉が3つ入っていた。いつもは2つなのに。
おおっラッキー!!
単純ではあるが、幸せ気分を満喫した。
このお店は、具のお肉が美味しいのでお気に入りだ。
麺は、まあ「それなり」なのだけれど。麺を楽しみたいときは別の饂飩屋さんに行く。というレベル。
なので、お肉が多く入っていたのは嬉しい。しかも3つとも大きかったのでますます嬉しい。

こんなささやかな喜びがある日もあるから、ツイていない日も何とかやり過ごせるのだよなあ。


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外貨預金の話第△回目。
この2、3日、ドルもユーロも値動き幅があまりタノシクないので静観。
その前にちょっと動かしたので、現在プラス三千七百円ナリ。

地道に投資信託の仕組みを勉強している。

とある本に、債券のファンド(投資信託)は、国債等への投資を促進するため、売買差益は非課税、というような事が書いてあった。
「え、そんな優遇措置があるの?」と半信半疑で実際の商品をあれこれ調べたが、国債メインのファンドも、きちんと「基準価格差で利益が出たら20%源泉徴収課税される」という説明が出ている。
おかしい。

色々調べた。
本に出ていたファンドの話はどうやらMMFの事らしい。

「ファンドというものは基準価格が変動するモノ」と思っていたので、売買差益=基準価格差差益、と誤解したのだった。

というか、MMFとは何ぞや?という事をこの度初めて知った。
これには「基準価格」という概念が無い。
何故かと言えば、元本割れしない国債に投資するファンドだからだ。

株式などは価格が下がる事があるので、当然総資産が目減りする事もある。
だから総資産額を投資口数で割った基準価格が算出される。
でも国債は利回り何%、と初めから利益が出る事が決まっているので、国が「借金返すのや〜めた」と言わない限り大丈夫。

郵便貯金に預けたときの利息と同じ感覚という事か。
でも元本保証はしないらしいし、あと、換金に1日2日掛かるとか、自由度が普通預貯金より少し限定されるし、それに投資対象を限定しているからなのだろう、利回りが貯金利息より高い。

でも基準価格が無いなら、売買差益なんて出ないじゃないか。
配当にはちゃんと20%課税されてるし。
おかしい。

また考え込み、調べて、ようやく解った。
外貨建てMMFというのがあるらしい。外国債に投資するファンドだ。

何だそうだったのか。
外貨建てなら、売買時に為替差益が出る可能性がある。
あの本は、それが非課税だと説明していたのか。

通常の外貨預金取り引きによる為替差益は総合申告課税対象だから、20万円以上利益が出たら確定申告をしなくてはならない。
でもMMFなら為替差益が非課税だ、と。

やっと腑に落ちた。すっきり。
この件で、4つくらい賢くなった気がする。

でも20万円も為替差益でプラスにしようと思ったら、資本は一体いくら要るのか?私の猫の子貯金では現在三千七百えーん!

・・・・・・。
結論:この優遇はお金持ちの人用。私には全く関係ない話。

がっくり。
まあ優遇措置なんてそんなモノか・・・。
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今日も電車を乗り過ごした。
逆方向の電車は本数が少なかった。
10分待って、途中駅止まり。更に20分待って終電。
昼間なら乗車時間15分の所を45分かけて帰った。

帰り道は寒かった。
切れるような寒さという表現がぴったり。

来週こそは乗り過ごさないように気を付けよう。



2003年02月05日(水) うっかりの日。

行き、いつものバスに乗り損ねたので朝から走った。

お昼、午後イチで勉強会があったのに、ついうっかりいつものように30分くらい遅れて休憩に入ったので、お昼休みが30分しか無かった。

英会話スクールの教材を持って行くのを忘れた。

帰り、仕事中に履いているサンダルで帰ろうとして途中で気が付き、慌てて戻った。

席に座れたら、電車を乗り過ごしてUターンした。

終バスを逃した。


・・・こんな日もあるさ。



2003年02月04日(火) チョコレート。

チョコレートの季節が始まっている。
楽しい季節だ。
色々なチョコレートがコンビニエンスストアにもデパートにも洋菓子店にも溢れている。

毎年この時期は、今日はあのチョコレート、次はこのチョコレート、と、チョコレート探訪に精を出す。洋酒系とビター系の狙い打ちだ。
アルコールが駄目な癖に、洋酒チョコレートは食べるのだ。一日一個か二個。
そして酔っ払う。

それなりに出費も嵩む。単価が高価いからなあ。
こんなに沢山の種類のチョコレートがもし通年で手に入ったら、きっと私は破産するだろう。

しかし勿体ないのは包装だ。
意趣をこらして包んであるのはよく解る。
でも要らないの。開けるのが大変だし。
ラッピングは要らないので、中身だけ下さい。と口走りそうになる時も多々ある。
たまに、ご自宅用ですか?と聞いてくれるお店があるけれど、これは嬉しい。


学生の頃は、バレンタインデーは「チョコレートを貰う日」だったが、そういえばその頃から貰うだけでなく自分でも購入しては食べていた。
輸入チョコレートも色々試した。いや過去形ではなくて、今も色々試しているのだけれど。

今気付いたけれど、海外旅行に行っても必ずチョコレートを購入しているなあ。
亜米利加本土のゴダイバはしみじみ不味かった。何故だ・・・。
カナダで購入したメープルチョコレートは甘すぎて失敗だった。
他は大体美味しかったな。うん。


今までで一番自分の好みに合っていて美味しいと思ったのは、確かペニンシュラのビターだったかな。また食べたいなあ。

「猫の舌」はちょっと甘くて苦手だった。あれはどこのメーカーだったっけ。確か仏蘭西のチョコレートだったと思うけれど。デメルかな?

レオニダスのオランジェは美味しい。オレンジが大きくて食べでがある。
レオはヌガーも美味しいのだよなあ。。。

マルキーズはちょっと苦手。これも私にはちょっと甘い。
もしかして仏蘭西産は苦手なのかも。

六花亭も甘かった。

結構侮りがたいのが明治のチョコレートだと思う。
昔出ていたカカオ高配合のチョコレート、美味しかったなあ。記憶違いでなければ、あれは確か明治。
コストが見合わなかったのか高くて売れなかったのか、あっという間に販売中止になった。市場から消えるの早かったなあ。
板チョコで、1枚300円か400円だった気がする。・・・15年か20年位前。



今までに購入したチョコレートの総額を想像すると、・・・あまりに精神衛生に悪そうなので止めておこう。

もしや私、チョコレートに取り憑かれているのか?お祓いが必要か?



2003年02月03日(月) お医者さまと医師。

今日ようやく頭痛対策のため病院に行った。
『頭痛大学』というWEBサイトに頭痛の専門外来をやっているお医者さまのリストが載っていたので、それを参考にして病院を選んだ。
とても良さそうな先生なので、お任せしてみようと思う。



小学校の頃から頭痛とは親しいお友達だ。
今までにも何度か頭痛対策で病院に足を運んだ事がある。

小学校の時は、まあ頭痛の専門分野なんていうものは無かった時代で、「偏頭痛ですね」という診断だった。

今思えば、あれは『偏頭痛』ではなく『緊張性頭痛』だったのだろうと思われるけれど。
昔はそんなに細かい事までは判っていなかったらしい。

でも優しいお医者さまで、「頭痛が始まったらなるべく寝転がるとか、リラックスを心掛けて」とか「お薬は市販のでもいいけど云々」とか色々と親身にアドバイスをしてくれた。
印象的なのは、親に向かって説明するのではなく、子供である私に向かって、解るように説明してくれたことだ。
自分の身体なのだから自分で対応出来るように、という意味だったのだろうか。
今となってはもう、どういう気持ちで子供に説明してくれたのかなんて解らないけれど、良い先生だった。

数年前、嘔吐を伴う頭痛が月に1、2回の頻度で起こるようになった。
暫く我慢していたが軽快しないので、病院に行った。

碌に痛みの性質の聞き取りもせずにCT検査。
挙げ句、「ストレスでしょ。半年ぐらい仕事休めばどーですか?休めるでしょ」(←凄く投げ遣り)
何というか、女なんだし仕事休むのなんて簡単だろう、といわんばかりの口調で言い捨てられた。
実際「休んだからって食べるのに困ることも無いんでしょ」と言われたし。

「以前は偏頭痛だと言われたんですが」
「あ〜?偏頭痛ってのはね、そーいうんじゃないの。それは診断がおかしいんだよ!」(←素人が口出すなという口調)

後から調べたところ、幼少の時と違い、その時の症状は間違いなく『偏頭痛』だったのだが。
更に言えば、もうこの頃には頭痛に関する分野が一応は確立されていた。新薬も出ていたし。
それにその「おかしい診断」とやらをしたのは君のところの教授様だが。
以前と同じ大学病院に行ったのだから。

この医者は診断がおかしい上に態度も最低だった。
昭○医大の神経内科の某医師。
君の応対は忘れないよ。お礼に、君の診療態度をことある毎に言い広めておくよ。


診断が違うのは、仕方のないことだと思う。
人間の身体なんて、機構が解っているのはホンの一部なのだし。

たとえ診断が(今思えば)ちょっと違うかも、というものだったとしても、以前の先生の事は思い出すたびに「良い先生だったなあ」と思う。

でも、この医師については、たとえ診断が間違っていなかったとしても(私は診断が間違っていたと思っているが)もう二度と担当されたくない。
もし万が一次があったとしても、この医師が診ると分かったらその時点で受診しないで帰る気満々。

幼少の頃からお医者さまは身近な存在だった。
だから余計にそう感じるのかもしれないが、医者は、腕の善し悪しよりも、患者の立場を推し量って対応してくれるかどうかの方が私には重要だ。
主治医は絶対に人柄だ。
患者の事を考えてくれるお医者様相手であれば、命に関わる重病の時はセカンドオピニオンを聞くために他で受診する相談も出来るし、転院の相談も出来る。


主治医を信頼できて初めて、私も良い患者になれるのだと思う。
私は自分の身体と精神を、信頼できない医師には任せたくないのだ。
でもそのためには患者側の勉強というのも必要なのであって・・・うむむ。

・・・出来る範囲で、頑張ろう。。。



2003年02月02日(日) 昔の事。

もう大分前の一昨日と昨日と今日は、受験日だった。
この時期は雪が降るので要注意だったっけ。
今年は寒かったけれど、晴れて良かった。

入学試験は面白かったなあ。4科目、クイズのようだった。
通り一遍の知識を元に何処までそれを応用できるか試されるのは愉しかった。
社会科ですらそんな応用問題を作ることが出来るなんて、と、とても新鮮だったっけ。それまで社会科といえば暗記問題ばかり試験に出ていたから。

あ、でも学校によっては詰まらない試験だった。
知識を試すだけのありきたりな問題。馬鹿げた幼稚な面接試問。
子供心にも、「この学校は嫌だ」と思ったものだった。


あれから随分と時が流れたけれど、今もあの頃の事は覚えている。
2年半受験勉強をサボりまくっていたので、最後の1ヶ月で知識を詰め込んだ。

年末年始、塾の正月特訓合宿に参加してから、何となく受験の為の勉強もゲーム感覚で楽しむようになった。

学校から帰ると炬燵に入って4科目の総浚い。
これを自発的にやったというのが、我が事ながらスバラシイ(笑)。
夕ご飯の時間以外は寝るまでずっと、お風呂の時も勉強した。

でもこの期に及んでもまだサボって、炬燵にこっそり本を隠しては読んでいたのだけれど。

休憩で蜜柑を食べたり、ちょっとだけと言いながらそのまま寝てしまったり、そんな些細な事も意外と覚えている。



母は、自分では絶対に努力をしないのに、子供の尻をたたいて努力させ、そして子供が良い結果を出すと自分の功績として誇るのが大好きな人だった。いや過去形ではなく今もそうだ。
それで自分が褒められ羨ましがられるのが当然と思っている人である。

なので、母にとって子供の健康は眼中に無かった。
(今も眼中に無いのだが。私が風邪で仕事を休むと、専業主婦の母は自分以外の家族が仕事をしないのが気に食わないので、「残業したって休むんじゃ意味無いじゃない」「大した事無いのに」「どうせサボりでしょう」等と当たり散らす。母は大人になれなかった成人なのだ)

自分が気を配っていると思いたいときだけ食べ物やら飲み物やらを持って邪魔しに来る。
調子が出ているので「後で」というと不機嫌になる。

寝不足で効率が上がらず居眠りをしていると、「遅くまで起きてたって勉強しないんじゃ意味無いじゃない」と怒る。

今日は早く寝る、と言うと、「昨日遅くまで勉強したって今日早く寝るんじゃ意味無いじゃない」と怒る。

その頃、大抵の場合、子供の健康に気を配るのは父だった。
いい加減寝ろ、と私を強制的にベッドに連行するのは、毎日会社から遅く帰ってくる父だった。

私は受験勉強を愉しんでいたけれど、父は「いい加減にしろ」と、よく母を叱っていたようだ。
そういうことがあると母はすぐ、「私は悪くないのに」という自己弁護を、父ではなく、子供である私に向かって言い立てるので、すぐ判る。

「桂蘭ちゃんが自分でやるって言ってるのだから私は悪くないのに」
「別に無理矢理やらせてる訳じゃないのだから私の所為じゃないのに」

父の言い分は、適当なところで止めさせて健康管理をするのが親の役目だろう、というものだったけれど、母は「自分は悪くない」事を周囲に認めさせる事に固執し、でも父に面と向かって言うと、そういう話じゃない!と一喝されるので、子供に向かってよくヒステリーを起こした。

・・・こうして今、あの頃を思い出して書いてみると、結構勉強の環境は良くなかったような気がする。
母とは生まれた時からの付き合いなので、そういうあれこれにはもう慣れていたのだろう。当時はそんなに、環境がいいとか悪いとか、思うことは無かったなあ。




何かというとすぐ「意味無いじゃない」と言い立てる母に、「では努力をしない貴女の人生に何か意味はあるのか」と問うてみたいと思う事がある。
彼女にとってあまりに残酷な問いだと思うので、多分、この先もずっと問うことはないだろうけれど。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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