最強の星の真下

2003年01月31日(金) 大散財。My Referer。

大散財をした。

・・・日頃欲しい物なんて、本以外そんなに無いのに、「・・・そういえばあれが欲しいのだった・・・」とふと思い出したら、もう矢も楯も堪らず、会社帰りに買いに走ってしまった。

銀河鉄道999のDVD。BOXの。

・・・高価い。どうしてこんなに高価いのだ。
いや何枚も入っているからなのだけれど。

でもバラで売ってくれれば少しずつ買えるのにBOXは辛い。
しかも限定数販売だからなおさら辛い。
少しずつお金貯めているうちに売り切れてしまうではないか。
こういうところが何となく商売っ気あり過ぎの嫌らしさが感じられる。

999、ストーリーはいいのに。子供の頃わくわくしながら観たのに。
作品には山盛りに夢を盛り込んでいるのに、やっていることが何か脂ぎって商売根性丸出しの夢もへったくれもないような感じで、何か違和感が大きい。

限定数は仕方のないところだけれど、BOXは、もう子供は初めから相手にしていない値段である。
バラなら子供でもお年玉で何とか自分の気に入った話を厳選して1枚や2枚は買えるだろうにBOX売り。にまんよんせんはっぴゃくえん。

しかもこのBOX、vol.6まで発売される予定らしい。
そんなに買えない・・・。
お金持った、いい大人だけ相手に商売すると言っているみたいで嫌だなあ。
お金をあまり持っていないいい大人の私としては、僻みも手伝って余計にその生臭さを感じる。

・・・少しだけでもバラで売ってくれればいいのにー・・・。


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少しだけエンピツ日記の話。

今日、「My Referer」を見ながら思った事。

「Who is My」というのと、「My Enpitu」というのがあるけれど、自分の気に入った日記は「My Enpitu」にリストアップされている。
だから自分の好きな日記が更新されているかは「My Enpitu」で確認出来る。

なのにどうして「Who is My」がいくつかRefererにあるのだろう?

新しく日記をお気に入りに登録した時は、そういうのがあっても当然なのかもしれないけれど、でもここ数日は新しく登録してないような気がするのだけれど。
しばらく経ってからお気に入り登録に気付いたとか、そういう事なのだろうか。
でも私、そんなに登録していないのになあ。

あ。でもそうか。
もしかして、気に入っていないけれど見に来る、という選択肢もあるのか。
そういえばこれ、気に入るかどうかわからないから様子見、というのにも使えるなあ。
気が付かなかった。


・・・エンピツ日記は奥が深い。



2003年01月30日(木) 験担ぎの日常。

私は縁起担ぎが好きだ。
縁起担ぎ、験担ぎ、ジンクス、年中行事は楽しい。
身近なところでは、例えば、厄年とか。お守りとか。北枕とか。千歳飴とか。達磨とか。酉の市の熊手とか。お参り前に手と口を清めることとか。5円玉のお賽銭とか。悪いところを燻すお寺さんの煙とか。お盆正月の不殺生とか。豆まきとか。破魔矢とか。10月10日は晴れるとか。


信じているかと言われると、多分笑って軽く流すだろうな、という程度に信じていない。

信じていないなら何故こういう行事や験担ぎやお作法が好きなのか?

その方が楽しいから。
こういう縁起やらなにやらをちょっとだけ気にしながら毎日を過ごすと、生活の細々した事が、何となく愉しい。

何かちょっと悪いことが起こったら、「やっぱり厄年なのに厄払いに行かなかったし」と思って流しておく。

達磨さんは、年初に「願いを叶えてくれなくちゃいつまで経っても貴方は片目ですからね」と脅しておく。

お守りは、「あちらの神社の方を買ったときの方がいいことあった」とか、起こったことをお守りの所為にしては比べて楽しむ。

御利益の煙は、「とにかく頭を良くして下さいな」とか「お腹のお肉が悪いところ〜」などと言いながら友人達と浴びる。

お参りのお作法については、神社仏閣は今まで沢山の人の崇敬を集めた場所なのだから、その人達の思いに敬意を払う為に、最低限はきちんとしておきたい。

豆を撒いたら後で豆を食べるのが楽しみだし、鏡開きをしたらそのお餅は小さく切って油で揚げてあられにすると美味しい。

お神籤を枝に結ぶのも楽しい。大吉でも凶でも、何でもかんでも鈴なりに枝に結んであるのを見ると笑える。

小さな験担ぎや行事を取り入れるだけで、「け。馬鹿馬鹿しい」と思いながら暮らすよりずっと楽しめる。
日付だって、冬至だから柚子湯だ!でも柚子湯は入るより飲む方が好きだ!とか春分だからもう春の筈だ!何故こんなに寒いんだ!とか思いながらカレンダーを見る方が、あ〜今日は○△日、とただ確認するより、ずっと素敵だなと、思うのだ。


こういう行事や験担ぎを日常に沢山取り入れていた頃の人達って、毎日が楽しかったのではないだろうか。
やる事が沢山あるから小人閑居して不善を成している暇も無かったかもしれないなあ。
単調な毎日だと、小人(つまり私だ)はろくな事を考えないものだから。



忙しくても、なるべくこういう些細な日常を忘れないように暮らせるといいな。



2003年01月29日(水) 野村弘樹グッズ。

今日はとても嬉しい事があった。

なんと野村弘樹の特製ピンバッジが送られてきた。

昨年応募していたのだった。
いや本当はバッジ目当てではなかったのだけれど。

確か野村引退に寄せてメッセージを!という企画で、「おおそうか!他ならぬ野村への餞とあらばここは一つ、筆無精を返上して何が何でも書かねばなるまいよ!」とメールフォームからメッセージを送ったのだった。

で、抽選で100名に、野村選手から特製ピンバッジをプレゼント!とかそんな話だったと思う。

メッセージを送ったのはバッジ目当てではなかったけれど、勿論、当たったのはとても嬉しい。
とてもとても嬉しい。
母が「ちびたにあげたら?」などと口走っていたがとんでもない。
野村の投球を見たことも無い、価値の判らぬ幼児のおもちゃになぞしてなるものか!
これは今日から私の野球関連第二の宝としよう。
ちなみに野球関連第一の宝は、横浜優勝の時の写真特集と新聞と優勝記念ビデオと優勝記念シャンパンと優勝記念市営地下鉄カードと日本シリーズの日本一になった試合の一塁側S席チケット半券である。

が。
日頃こういう特定の人物にからんだ限定物に応募する事がないだけに、こんなごく稀な例外の応募で当選してしまうと、今度は「応募した人が少なかったのだろうか?まさかとは思うが野村限定グッズ、人気なかったのか?!100人集まっていなかったりしないだろうな?!大丈夫か野村!!」と余計な心配をしてしまったりして。

大洋ファンの宿痾ですな。



野村は今シーズン、投手コーチ補佐だ。彼ならきっといいコーチ役になれるだろう。

野村〜、頼むよ〜応援してるよー今年は何とか最下位脱出しておくれよー!
それからピンバッジありがとーう!



2003年01月28日(火) また外貨預金の話。

外貨預金。

今ドルが乱高下しているので、面白い。地道にコロコロ転がしプラス三千五百円なり。
しかし油断大敵なのだ。
明日、亜米利加大統領のエンゼツがあるそうだしね。

まあ所詮素人だから、確とした根拠を基に売り買いをしている訳もなし。
ツイている時はいいけれどそろそろ運が尽きるかな?

でも私、強運の星の下に生まれているのだし、これ位で簡単に尽きる程薄弱な運でもなかろうよ。(←最も根拠のない自信)

さて一月後、「外貨預金。マイナスなり」と日記に記す私が果たしているかどうか。
どうなっているのかちょっと楽しみなのである。


最近なるべく早く撤収していたのだけれど、本日は久々に午前様帰宅。
今晩はあまり冷え込んでいない気がする。
帰途汗ばむくらいだった。寒さが緩いと帰り道が楽で嬉しい。
でも今晩は晴れているし、放射冷却で明日の冷え込みがきついのだろうな。
寒暖の差が激しいのは宜しくないなあ。
今職場は3人に2人くらいが風邪っ引きのデンジャラスゾーンである。
しかも風邪引きの5人に2人くらいはどうもインフルらしい。

風邪菌を貰わないように、さっさと眠って用心しよう。



2003年01月27日(月) 保険証の行方。

保険証が見つからない。
どうしよう。
保険証が見つからない。

ついこの間まで置いてあった場所に、今は無い。
記憶を必死で辿る。

・・・・・・・・・。

しばらく前にプリンタを動かそうとして保険証を入れていた箱をうっかりひっくり返した事があったっけ。

それか?
しかし箱に入れていたあれこれは、全部拾って箱に詰め直したはずだ。
あの時拾い集めた中に保険証はあっただろうか?
あの時机の下かどこかに飛んだのだろうか?
それともその時、大事な物だから、と場所を移動したのだろうか?

思い出せない。全然思い出せない。

先日来ずっと、頭痛外来をあれこれ検索したのに。
「ヨシ、ここに行ってみよう!」とやっと目星を付けたのに。
なのに私の保険証・・・うう。

とても高い保険料を払っているのに、全額負担は痛い。
となると、保険証が見つかるまではお医者さまはお預け・・・。
保険証が見つからないなんて物心ついてこのかた初めての経験で、少々焦っている。
どうしても見つからなかったらどうなるのだろう。
再発行なんてして貰えるのだろうか。
やはり再発行料を払うのだろうか。
ああ何故どうして見つかってくれないのだ。
何処に消えてしまったのだ。


・・・まさか泥棒さんが入ったとか。
そんなことあり得ないのに、他人の所為にしたくなる一瞬。
保険証さん。一生のお願いだから出てきて下さい。お願いです。

明日は帰宅してから室内大捜索決定。



2003年01月25日(土) 友人達の話。

久々に前職の悪友達と飲み会。
みんな転職したので、前の職場に勤務している人は1人もいないけれど。

何というか、前の職場は社員の待遇が本当に劣悪だった。特に女性社員は、男性社員に輪をかけて劣悪だった。
そのお陰で、却って社員達の中に何となく連帯感というか、親和感のようなものがあった。
勿論気の合う合わないはあったけれど、気の合う人同士で乏しい予算でも大丈夫なお店を探しては飲み(飲めない人は食べ専門)に行くのがたまの楽しみだった。

そのメンバーはみんな辞めてしまったけれどそういう親近感はそのままで、今もたまに集まっては近況報告会をしている。

乏しい財布事情が知れていたり、セクハラで心情的に追いつめられていたり、そういうある種の「弱み」を共有した経験が基盤にある親近感や共感は根強いものだなあと思う。
ギリギリのところで何とか踏ん張っている時って、生の人間性が出るのかもしれない。
そんな中で「あ、この人とは共感できる」と思ったから、今も付き合いの続く「友人」なのかな、と。そんな風に思う。

仕事話とか、男話とか、趣味の話とか、精神話とか、そんなあれこれを飾ったり鎧ったり身構えたりしないで話せる場があるっていいな。

多忙のあまり自律神経がおかしくなったり前の恋人にドメスティックバイオレンスを受けて精神的外傷を引き摺っていたり、それぞれ色々あるけれど、でもみんなここを逃げ場にしていない。
それぞれ自分の抱えているあれこれを解決するためにきちんと自分なりの努力をしているし、その努力をこの素敵な友人達は肯定する。努力の価値を彼女たちは知っている。
でも疲れてしまって自分が動けない時は、今は無理なのだと言えるし、努力を休憩することもこの友人達は肯定する。休憩することが必ずしも甘えという訳ではないという事も、彼女たちは知っている。
良いことがあった時もそれを話せるし、この友人達は一緒に喜んでくれる。羨ましい時は率直に、「え〜いいなあ!」と声をあげる。陰に籠もる事がない。羨ましいものは努力して自分の手に掴めば良いと、彼女たちは知っている。

自分の努力を続けるための、自分の元気を保つための、エネルギー補給の場があるのって、いいな。
今はもうそれぞれに忙しくてなかなか時間の都合がつかないけれど、その時都合のつくメンバーだけで集まるのが常だけれども。


彼女たちに逢えたのは、あの会社のおかげだ。
酷い待遇でありがとう。というのも変な話だけれど、でも結果的にはやっぱり、「ありがとう」と言っていいかな。うん。



2003年01月24日(金) 観劇。教育給付金。

第三舞台の鴻上さん演出『ピルグリム』を観てきた。
今回も面白かった。

鴻上さんの舞台はテンポがいい。緩急が上手くて楽しい。ストーリーがよく練られている。テーマが興味深い。劇場全体をうまく舞台に取り込んで使っているので視点の変化が楽しめる。

今回の演目はかなり前の公演のリメイク(というのだろうか?リバイバル?)だったのだが、テーマは全く古い感じがしなかった。

一つだけ、今まで観た舞台と違っていてちょっと嫌だったのは、観客が、何人も何人も劇が始まっているのに遅れて入って来たこと。それも前の方の席で。
劇の始まりは予定よりも数分遅かったのに、数分どころか20分も30分も遅れて入ってくる。中には三分の二も終わってから入ってきた人もいた。
こういうのは、せっかく物語に入り込んでいるのに、人がごそごそ前を通る事で舞台への集中が乱れるし、見逃す場面もあるから嫌だ。
いつもなら遅れて入ってくるのは、いてもせいぜい1人か2人なのに、今回は新国立劇場の企画だったせいなのだろうか、とてもこういう観客が多かった。
観劇素人ながら「新国立劇場って客層悪い・・・」と思ってしまった。舞台設備はとてもいいのに勿体ない。
今回は珍しく比較的前の方の良い席が取れて喜んでいたのになあ。



英会話の話。
出席率80%をクリアして、目出度く教育給付金を獲得出来ることが確定した。
・・・長い道程であった。しみじみ思い返してみると、講座を受講し始めたのは確か5月。延々同じ曜日の同じ時刻に仕事を抜けスクールに駆け込むこと8ヶ月。
まだ何回か残っているけれど、給付条件をクリア出来たのは本当に嬉しい。

今現在のレベルは、・・・まあそれなりなのだが。
ミーティングで少しだけ発言出来るようにはなってきた。ボスや他部署の亜米利加人さん達と挨拶+簡単な打ち合わせくらいのコミュニケーションは取れるようになってきた。

一年半前の面接で、英語での自己紹介の要求に「すみません出来ません!」と日本語で頭を下げていた事を思えば、随分進歩したと言えなくもない。
都合の悪いことは忘れていたが、そうか、咄嗟に「I'm sorry, but I can't.」程度のカタコトも言えなかったのか、私・・・。

継続は力なり。


給付金貰ったら、どうしようかなあ。大金だなあ。ふふふ。
モバイルパソコン欲しいなあ。いや次の英会話講座に充てる方が。いやいやここはやはり貯蓄か?いやいやいやそれは詰まらないから、少しくらいは何かに遣ってもいいのではないか?たまには両親に豪勢な食事を奢るのもいいな。太っ腹に弟一家を食事メンバーに入れてあげるのもやぶさかではない。

捕らぬ狸の皮算用ならぬ、罠に掛かった狸の皮算用。楽しみだなあ。



2003年01月23日(木) 水分。

真剣に頭痛外来を探すべき。

歩くとその振動で痛みが酷くなるような頭痛を何時間も我慢するのはもう嫌だ。
・・・と毎回思うのだけど。
たまにしか出ないから、喉元過ぎると熱さを忘れてしまうのだ。
学習しない奴だのう。(←英語の件で既に実証済み)


最近仕事中、水分をよく摂る。
喉が乾くのはおそらく部屋の空気が乾燥しているせいだろう。

それはいいのだが、水分を沢山摂った日の翌朝は手も足も顔も浮腫んで、しかも何となく身体が疲れている。
鏡を見ると得体の知れない生き物が私と同じ動作をしている。
朝っぱらから恐怖体験が出来てしまうのは少し嫌だ。

でもまあ、ある意味安上がりなエンターテイメントと言えるかもしれない。
わざわざ恐怖感を感じるために映画代を払ったりジェットコースターに乗ったり蝋人形館に行ったりしなくても良いのだし。

こういう状態は、水太り・・・なのか?
いやいや太ったのではなくて浮腫むだけだ。
沢山と言っても、飲み物として摂取するのはせいぜい1Lくらいなのだけどなあ。

「健康的」と銘打たれているダイエット法などには、「水は多く摂ること」と書いてあるのに。身体に良いからそう書いてある訳ではないのか?
「水分を摂るとドロドロの血液がさらさらになって良い」とか、健康豆知識っぽい番組やコラムでも言っているのに。
「お肌の潤いを保つためにはまず水分を摂ること」とか美容関連にも乾燥対策として出ているのに。


・・・嘘つき。



2003年01月21日(火) 外貨預金の状況。

久しぶりに外貨預金の件。

誘惑に負け外貨預金に手を出してウンヶ月。
「目に見えない誰か」と熾烈な闘いを繰り広げ(嘘である。たま〜に思い出しては、コロコロと円とドルの間を転がしている程度)、現在プラス二千五百円なり。
「目に見えない誰か」とは。・・・多分イラクと北朝鮮である。
私が手を出している外貨のメインはドル為替だ。

外貨預金用の口座はネットバンクに作ったので取り引きが瞬時に済むのが嬉しい。しかも外貨購入・売却の手数料が安くて更に嬉しい。
しかし他にも面白そうなものが沢山あるので今後ついうっかり手を出してしまいそうなのが難点ではある。為替予約OKの外貨定期とか。投資信託とか。

でもまだこの辺りは仕組みがよく解っていないので、しばらくは大人しく普通の外国為替に注目しながらコクサイジョウセイやケイザイノドウコウを勉強しよう。

普段はニワトリ程度の記憶力のくせに、自分の虎の子貯金が経済ニュースやイラクや北朝鮮などに左右されると思うとニュースに対する記憶力がぐんとアップするのが結構笑える。
国際政治や経済の動きを(素人なりに)勉強するにはいい手である。
少しくらい損をしても、いい授業料だということで。
・・・本当に少ししか元金がないのだ。損をしても本当にたかがしれている。
大損出来る為にはもっとずっと資金が必要なのだなあ。←学習効果その1。


しかしなかなか苦戦中である。
先日大きくドル安に傾いた影響が残っている。ああ底は堅いと踏んだのに。大外し。やはりヤマ勘に頼ってはいけない。←教訓その1。
戦争反対。核大反対。和平工作大賛成。頑張れロシア。
このドルをいつ売却するかで、かなり・・・かなり。
スリリングだ。
しばらくは死んだ振りで相場を眺めていようっと。

といいつつ、死んだ振りのつもりが、いつの間にか外貨預金の事をすぱーんと忘れてしまう危険があるから気を付けよう。
そういえば去年も、忙しくてついうっかり私の虎の子を二、三週間忘れきっていた事があったっけ。
あっさり忘れられてしまう「虎の子」。立場ないなあ。
あんまりだから「猫の子貯金」くらいの呼び名にしておくか。



2003年01月18日(土) 懐かしいゲームの話。

導入見送りのはずが、いきなりEdyによろけ中。

・・・東京ドーム大リーグ戦チケット先行予約か・・・魅力的だ。

いやしかし。いやいやでも。・・・もう少し考えよう。



以前からずーっと探していたゲーム、『太陽の神殿』。
前プレイした時は終わらせられなかったけれど、印象的なゲームで、どうしても最後まで見たい。でもゲーム自体が見つからないのだ。

この前WEB検索をかけたのは、2年くらい前だったかな。
その時は販売情報等が全く引っ掛かってこなくて、とてもがっかりした。
もう売っていないんだろうな。店には勿論置いていないしパソで探してもないのだし。PC88版だったのだから、万が一入手出来てもプレイ出来ないしね。
そんなふうに自分を納得させていたのだが。

つい先日ふと思い出して、また検索をかけた。
なんと。
見つけた。

ボーステック株式会社というところのEGGプロジェクトという企画で、懐かしのゲームを今のパソコンで動くようにリニューアルして頒布しているというではないか。

頒布している懐かしのゲームメニューには燦然と『太陽の神殿』の文字が。

何と素晴らしい企画なのだ!絶対買うよ、ボーステック!

十何年も前にやったきり(←しかもハマリパターンに落ちてクリアできず)のゲームにこんな所で出会えるとは思いもよらなかった。

メニューを見ていくと、懐かしい名前が沢山並んでいる。

『原宿After Dark』ああ、昔プレイしたなあ。もう推理できているのに、それぞれの容疑者をぐるぐる訪問して何度も聞かないとストーリーが進まない、少しイライラするゲームだった。でも物語は面白かった。

『Ys』グラフィクスが結構綺麗で好きだった。確か最後までプレイ出来た数少ないゲームの一つ。・・・ボスが出てくる度、弟くんにプレイさせたゲームがこれだったような気もするけれど定かではない。

『夢幻の心臓』弟がハマっていたけれど私はすぐ挫折したゲームだった。後のシリーズは全部、弟くんがプレイしているのをちょっと眺めておしまい。あ、エンディングは見せてね、と終わった後に言ってボスキャラを2度倒させたのはもしかするとこれかも。

『ルクソール』全く駄目だったシューティングゲーム。弟くんにぼろくそに言われた。

『ザナドゥ』これは面白いからぜひやって見ろ。と弟くんがせっせと私の分のセーブ用ディスクを作ってくれたのにあっという間に挫折した。・・・面白さが分かる前に何度も何度も敵に負け、全く話が進まなかったのが敗因と思われる。

『Murder Club』初めてやった推理物ゲーム。原宿After Darkより前にプレイしたので新鮮だった。でもやっぱり犯人の目星がついてもストーリーを進めなくてはならなくて弟くんと共に文句を言いながらプレイした。

『覇邪の封印』確か体力などの状態が横バーで表示されていて、プレイしやすかった記憶がぼんやりとある。とても面白くて填った記憶もぼんやりとある。ボスキャラを倒せなかった記憶もぼんやりとある。終われなかったということか?

『アステカ』ゲームを始めた初っ端に私も弟くんも行き詰まり、攻略方法なども解らなかったのであっという間にやめたゲーム。コマンドを文字で入力しなくてはならなかったのでとても面倒だった。

『ハイドライド』姉貴には無理だ。の一言で私は初めからやらなかった、弟くんが填っていたゲーム。敵キャラを倒すのが結構難しいと弟くんに説明された。

『マンハッタンレクイエム』Murder Clubのシリーズだと言われて嬉々としてプレイした。その頃はもう私が最後までプレイ出来るような簡単なゲームは少なかった。・・・弟くんが選んでくるのが難しかっただけかもしれないが。シューティングとかボスキャラにあっという間にやられるRPGとか。


88の頃の方がゲームを結構やった気がする。
98になってからはもうあまりやらなかった。
ゲームが前より複雑になり週に一度かそこらたまにプレイするだけでは覚えていられないとか、複雑な地図作りをしなくてはクリアできないなど手が掛かるから面倒とか、そんなあれこれで段々ゲーム離れした。


そういえば88が家に来たきっかけはテレビゲームだった。
友人宅にテレビゲームがあった。いいなあ面白そうだなあ欲しいなあ。
そんな事を言っていたある日、父が家に大きな荷物を運び込んできた。
88マシンだった。

これでゲームが出来るぞ。

・・・父は父なりに考えたのだろう。どうせならテレビゲームよりパソコンゲームの方が多種多様で楽しいに違いない、とかパソコンに今から慣れるのも良かろう、とか色々。そして奮発してくれたのだと思う。だがしかし。

DOS-Vだったか何だったか、よく分からないが、とにかくスイッチを入れた後フロッピーを読み込ませるのにコマンドを入力するとか、説明書には山のようにコマンドとやらが並んでいたが。

・・・機械音痴にパソコン与えて何をやらせようと思っていたのですかお父様。

無理。絶対使いこなすの無理です。

という訳で、次第にパソは弟くんのおもちゃと化していったのだった。
まあ自然な流れである。
そして弟くんがせっせと自分と姉のためにゲームを買ったり借りたりしてくるようになった。勿論私も費用は負担した。
ブロック崩しを探して、あったら借りてきて、とか、結構無理難題を言ったものだ。当然無かったけれど。

あの頃はフロッピーディスクも高価くて、そんなに何枚も何枚もセーブ用ディスクを作れなかったっけ。だから終わっていないゲームでも、もうプレイしないなあ、とか、終わらせられないからいいや、と判断したゲームのセーブ用ディスクは、次のゲームのためにあっという間に再フォーマットだった。
弟くんと喧嘩をすると、仕返しに私の「しばらく放置しているけれどまだプレイしようと思っているゲーム」のセーブ用ディスクを再フォーマットされたっけ。
きっと、その所為で私はゲームを最後まで終わらせられなかったのだ。
・・・多分。



私が欲しかったのは、ブロック崩しが出来る、単純なテレビゲーム機だったのだけどなあ。



2003年01月17日(金) インフルエンザ。イソジン。

喉の中が痒い。そういえば今日、直属上司が盛大に咳をしていた。

・・・風邪か?風邪なのか?!

そういえば職場では今、2種類の風邪が猛威を振るっている。
喉+熱風邪とインフルエンザだ。
今年のインフルエンザは、特に質が悪いらしい。吐き下しと40度にもなる高熱が主な症状で、水を飲んでも吐くため脱水症状に陥るとか。
しかもこの型のインフルエンザに良く効く薬が現在品薄で、緊急手配中だとか何とか、そんな噂も耳にした。何て怖ろしい。
年寄りには危険すぎる。親に予防接種を勧めておこう。


とりあえず私もトローチを舐めておこう。
しかしトローチって本当に効くのだろうか。今までこれが効いたと実感した事が一度もないのだが。
でもトローチは「医薬品」扱いなのだよなあ。
浅田飴は確か「医薬部外品」。
でもどちらも同じ程度の効果のように感じるのは気のせいなのだろうか。
いやいや、「医薬品」の方が申請が大変なのだからきっと効くのだろう。
鰯の頭も信心からと言うし。

うがいもするべきなのだろうな。勿論イソジンを使って。
でも私はイソジンがあまり好きではない。家にも会社にも自分用を常備してはいるけれど。一応アヤシイ気配の時は使っているけれど。
あれはどうも、銀歯に反応しているような気がする。うがいの後、銀を被せた歯に何となく変な違和感が残る。酸っぱいような金属臭いような、何とも言い表しがたい感じ。
イメージとしては、歯に電極を繋いだような味。

勿論言うまでもなく、自分の歯に電極を繋いだ経験などは無い。
けれど、異種の金属を間違って噛んだときに感じる味と似ている。
金属の中で電子がザッと一方向を向いた感じである。
電極を繋いで金属イオンが溶出してきてしまったような感じとも言える。

イソジンは、確かヨウ素入りだったような気がする。
ヨウ素か・・・ええと・・・?

こういう時、我が身の不勉強を少し後悔する。
ああ中学の時にもっと勉強しておくのだった。いや中学まで遡らなくても、大学で勉強しておけば良かったのになあ。

でも無機化学は苦手なのだ。
あ。遠い過去に埋めた記憶を掘り起こしてしまった。
そういえば私は大学で、必修科目の一般化学(無機)の単位を落とし再履修したのだった。他人の倍も勉強したのに身に付かなかったのだなあ。



イソジンの事を考えていただけなのに、嫌な事を思い出してしまったものだ。
・・・まあ、気を取り直してうがいに勤しむ事にしよう・・・。



2003年01月16日(木) お粥。同僚。Edy。

今日のお昼もお粥を食べる気満々だったのだが、お粥屋さんが遠く感じられる程寒かったので挫折。饂飩で妥協した。

夜だ夜!と夕食にお粥の気満々だったのだが、本日のメニューは鍋だった。雑炊で妥協した。

・・・明日だ明日!



このところ、同じ部署の人達が入れ替わり立ち替わり聞いてくる。

「最近大人しいね。体調でも悪いの?」

・・・そんなに私が静かなのが珍しいのか?
いや確かに体調は良くないが。それにしても。
私が静かな時は体調が悪い時くらいのものだとでも言いたいのだろうか。
何となく失礼な言われ方のような気もする。いや心配して言ってくれているのだろうけれど。ひねくれてはいけないと思うけれど。

・・・少々(いやかなり)複雑な心境である。

心配されているうちが華。だと解釈しておくか。


先日から心惹かれていたEdy購入は見送る事にした。
たとえコンビニのレジで財布にお金が入っていない事に気付いたとしても(←よくある事だ)、デビットがあるからEdyはまあ確実に使わないだろう。
しかもEdyはまだampmでしか使えないようだし。
web決済も、使えるサイトのメインがサッカー関連だ。サッカー関連で買い物・・・絶対しないな。
もしYBが入っていたら迷わず入るだろうけれど。それで野村のEdyカードだったりしたらもう即購入するだろうけれどね。
しかし今のところ、野球のお買い物サイトでEdyシステムを導入しているところは1軒もないようだ。
YBがEdyを導入するような事があったら、またその時に考えよう。



今年こそはちゃんとスタジアムに行こう。
山下監督、結構頑張っているようだし。

山下監督について、このオフ一番の衝撃。
「実は山下くん英語がペラペラ。外人選手との意志疎通も全く問題なし」

・・・くそう。今に見ていろ。



2003年01月15日(水) お粥。

お粥に取り憑かれ中。
中華粥、白粥、河豚の何とか粥、梅粥、その他色々。
小さい頃は病気をする度に塩気のない白粥を食べさせられて、大嫌いだったお粥。
今になってこんなに取り憑かれるとは予想外である。


愛蘭のキャンティーンで、オートミールのお粥版のような、名前を教わったけれど忘れた料理(?)を食した。
それを食べるのか本当にチャレンジするのかと同僚に何度も聞かれた。
彼はその愛蘭版お粥が嫌いだそうだ。
そこまで言われてはチャレンジしないでいられるものか。
勿論私はそれをオーダーした。

「お粥のようなもの」に見えるのに、それは砂糖をかけて食べるものだと同僚に言われ、しかも彼は親切にも砂糖を他のテーブルから持ってきてくれた。
しかし“それはちょっと嫌”だった。
心情的に、穀物に砂糖をかけても抵抗がないのはパンくらいだ。
頑固に自分の印象に従い塩をかけた。・・・微妙〜に美味しくなかった。
ので仕方なく砂糖をかけた。
塩よりは砂糖の方がマシだった。

それ以来、何となく。
日本のお粥って案外美味しいなあと。
宗旨変えしたのだった。


明日は何のお粥を食べようかな。



2003年01月12日(日) 昔の家の記憶。

幼少の頃、一度引っ越しをした。

ふと以前の家の間取りを思い起こしてみる。

玄関の右手が庭で、左手には確か水道があった。庭はブロック塀で囲まれていて、隅には柿の木。
玄関を入ると斜め右前あたりに階段。階段は勾配が急で、上の方がぐるっと、確か180°曲がっていたような気がする。
庭に面して居間があった。居間にはガラス戸付き書棚や足が四本あるテレビが置いてあり、テレビの下にはよく読む私の本が山積み。
奥が台所。台所には白いレンジや冷蔵庫、食器棚が大小2つ。どこかに玉簾が掛かっていたような気がする。居間と台所の境かな?
他にも部屋があったような気がするが、記憶がぼやけていて分からない。
二階には階段を上がってすぐの所に小さな流しがあった。上がって左手が寝るときの部屋。確か二間続きで、ベランダに出る窓と裏手の窓があったような気がする。ベランダには黄色と緑のインコのいる篭が下がっていた。
階段右手が叔母の部屋。叔母の部屋には足踏みミシンがあった。

笑えるのは、トイレやお風呂場の位置を全然覚えていないこと。興味無かったのかな。
確かあったはずの父の仕事部屋も、遊びに関係が無かった所為だろう。覚えていない。

本の位置はしっかりはっきりと記憶している。二階の寝る部屋にも小さな棚があり、そこには眠る時の読み聞かせ用の本が置いてあった。

台所は、食べ物に関係するものだけはっきり覚えている。レンジの上には弟用の粉ミルクの缶が置いてあった。昔、母が留守の時、泣いている弟にミルクを飲ませようと哺乳瓶に粉ミルクと水を入れ、飲ませようとしたらますます泣かれて困った挙げ句に一緒に泣いている所を、留守を預かっていた叔母に見つけられた事があった。
惜しかったね、小さいときの私。お湯で溶いていたら完璧だったよ。

庭は、食べられる柿の木以外の記憶が殆ど無い。どうやら庭では全然遊ばなかったと思われる。

昔の家を思い出す時一番最初に目に浮かぶのは、階段と玄関。
階段は、急勾配の直線部分で3度ばかり墜落しているのでその所為だろう。生爪を剥がしたり、結構な怪我を何度もした。恐怖は記憶を鮮明にするという事か。
玄関は、洪水で何度か床下浸水した記憶があるせいかな。一家総出で一階の家具を全て二階に上げ浸水に備えた。子供だったので水位が上がって来るのをわくわくして見ていた。結局玄関止まりで床上浸水する事はなく、がっかりしたのだった。不幸が起こらない事に失望するとは、今思えば酷い子供だったものだ。


昔の光景を思い起こすのは、幼い頃の自分の興味がどこにあったのかが判って面白いものである。原点かな。
今あの家はどうなっているのだろう。



2003年01月11日(土) 鼠目撃。

今日は気力奮い起こして劇を観に行った。
・・・チケット入手していたし。前の方の席だったし。春野寿美礼お披露目公演だったし。

公演は素晴らしかった。
春野寿美礼、トップの貫禄充分だし歌は上手いし。
声質が役柄にフィットしていた感じだし。ハマリ役だなあ。うむ。
多少無理しても行って良かった。いいものを見た。



地下鉄駅で久々に鼠を見た。
通路を横切り凄い勢いで壁際の溝を駆け抜けていき、途中の排水口に潜り込んで消えた。
大きかった。胴体が拳骨二つ分くらい。

いやだなあ東京は。
ドブ鼠があっちにもこっちにもうようよしている。
ペスト等が流行ったらあっという間に広まるだろうなあ。都内封鎖とか関東全域封鎖とか、そういった事態も全然夢じゃない。
伝染病はともかくとしても、レストランの料理の食材にもしかしてもしかすると鼠の糞などが付着しているかもしれない。

・・・神経図太くないと、都心ではとてもじゃないが暮らせないな・・・。



2003年01月08日(水) 痴漢に怒髪天。電子マネーの誘惑。

今日は帰りの電車が不愉快だった。
帰りなのに痴漢遭遇かい・・・。ああ腹立つ。
何が腹立つって、犯罪者を一人捕まえ損ねた事。色白ぶよぶよの陰気くさい犯罪者。次に遭ったら絶対捕まえる。

軽犯罪で、痴漢ほど最低なものは無い。というか、何故どうしてこれが軽犯罪なのだ。
自分の欲求、性的興奮の為だけに他者をここまで蔑ろに扱って、それで何で軽犯罪?!自分の欲の為だけに他者を傷付けるのだから、メンタリティは強盗傷害と全く同じじゃないか!同じなんだから重犯罪扱いが当然だろう!
日本の法律はどうかしている。
更に言えば、こんなにも痴漢が多い=痴漢が男性社会の中で暗黙に容認されている、というのが見え見えなのもどうかしている。

これは偏見ではないだろう。
実際、自分が痴漢をしたことがあるだとか、手が当たったらわざとよけないでおく、だとか、平気で吹聴する輩が少なからず存在するのだし、聞いている側もそれを非難しない。
それより何より、電車内で何度痴漢を捕まえようが、周囲の男性は今まで一度も逃げようとする犯罪者を捕まえるのを手伝ってくれた事がない!!
稀に、痴漢に遭っている時にさりげなく間に回り込んでくれる優しい方もいるにはいるが、断然少数派だ。

人を道具扱いして罪悪感も持たずに平気な顔をしている犯罪者達は精神のどこかがイカレているのだから、精神病院にでも監獄にでも閉じこめておけ。
いやいや前言撤回。そんな輩に税金を遣うのは勿体ない!
罪悪感なく犯罪を犯しても全く反省も後悔もしない人間はサイコパスかソシオパスなのだから、死刑の適用もやむを得ないと判断されますな。うむ。


素朴な疑問。
・・・一体いくつになったら痴漢犯罪に遭わなくなるのだろう・・・。




今ウズウズとチャレンジしたいもの。

『電子マネー』。

しばらく前からコンビニエンスストアに行くたびに、レジの前にある「Edy」と書いてある何だかよく解らないものが気になっていた。

でも見回してみても、お支払いも簡単!などと書いてあるだけで、何処にも「Edy」なるものの説明書きも見当たらないし案内書がある訳でもない。一体これは何ぞや?と不思議に思っていた。

桂蘭の仮説その1。
これはもしやチケット販売の類に関連する物か?会員になるとネット等で予約出来てこの機械に会員カードを当てるとすぐ発券、とか。

桂蘭の仮説その2。
もしかするとWEBバンク関連かもしれないなあ。WEBバンクのカードでもデビットのように支払いが出来るようになったとか!

桂蘭の仮説その3。
単なるコンビニエンスストアのポイントカード用かも。電化製品の量販店のように、お買い物毎にカードをここに乗せるとポイントが登録されるとかね。で、ポイント利用も簡単に出来るとかね。

桂蘭の仮説その4。
新しいクレジットカード会社が出来たのか?

桂蘭の仮説その5。
公共料金・・・はあり得ないとして、携帯電話料金の振り込み用かな。カード式携帯電話の料金チャージが出来るとか!

見るたびに首を捻り、後でWEBで検索かけてみるか〜・・・と思いつつ、パソの前にいる時は忘れていたのだが、先日ようやく調べた。
電子マネーか。そうか。そうだったのか。
そういえばしばらく前に、パソにカード読み取り装置をつけるとその場で支払いが出来るとか何とか騒いでいたような。これか。

以来、この電子マネーにチャレンジしてみたくてウズウズウズウズしている。

しかしカード3百円はともかく、このカード読みとり装置、3千円もするのか。それはちょっとどうだろう。ほとんどWEB通販なんてしないのに支払いの為に3千円設備投資するのは、どうも採算悪いような気がする。
しかもWEB通販でこのカードを使える所もまだ少ないようだ。登録されているWEB店舗で継続して沢山細かい買い物をするのならいいけれど。

電子マネーなのに、リアル店舗の方が使いでがありそうである。コンビニエンスストアで使えるというのは便利だ。
しかしリアルなら現金でいいしなあ。
何処でも使えるのならカード1枚持って外出できるだろうけれど、この店舗数ではどのみち財布も共に持たなくてはならないのだし。
コンセプトが「小銭代わり」らしく、5万円までしかチャージ出来ないそうだし。

面白いけれど、どうもまだ「電子マネー」の概念がこなれていない段階の、いわゆる「初の試み」的な中途半端さが多いかな。


・・・でも試してみたいなあ・・・。
きっと「おおっ!本当に支払えた!」と一度感動して、ハイ終わり、なのだろうけれど。



2003年01月07日(火) 定年後の生活。

しばらくぶりに英会話。
3週間ぶりくらいか。

今日はきっとグウタラのツケが・・・と覚悟していたら、さほどでもなかった。
元からまともにきっちりの文章で話せないのだっけ。忘れていた。
休みのせいで、少々自分の会話能力に幻想入っていたらしい。ふっ。

今日の先生は、来週定年退職だという。
咄嗟に“Congratulation!”が出てこなかった。「おめでとうって何て言うのだっけ何だっけ何だっけ」と必死に考えたのに。
仕方がないので「あなたの退職生活が楽しいものであるよう願ってます」とか何とか、そんな事を言って誤魔化した。(←クリスマスカードで沢山使ったフレーズを流用)
亜米利加のお人にとっては、リタイアは羨ましくておめでたい事なのだと、ものの本で読んだ。上司に聞くと「その通りだ!」と力強く肯いていた。以前海の向こうの同僚がリタイア通知メールを送ってきた時も、上司はメールで盛大に羨ましがりおめでとうを連発していた。ので、この文化理解は多分間違っていないと思われる。

生活の楽しみ方が上手いと、自分で思うとおりに遣える時間がたっぷりあるのはさぞ嬉しかろうなあ。でも老後が安心、という程度に裕福にならないとリタイア出来ないし。
金持ち父さんは財テクのお陰で若くしてリタイア出来たのだっけ。

彼らも、仕事が愉しい、と思わなくもないのだろうけれど、口では確かに「仕事は楽しい」と言うけれど、端で見ていると仕事の優先順位はか〜な〜り〜低い(というか、仕事以上に他の愉しみの優先順位が高い)、ように見える。

一日の大半を拘束される仕事の優先順位が低い方がいいのか、大半を拘束されるからこそ仕事に愉しみを見出して第一番に据えてしまう方がいいのか、どちらがより精神的に楽だろう?悩むところである。

どちらにしても、リタイアした時に何をすればいいのか困るような生活だけは絶対したくないなあ。そんな暮らしは願い下げ。
やりたいことが多すぎてリタイアしてもまだ暇が足りない!というくらい充実したリタイア生活が理想!

・・・理想に向けて、若い頃からの努力が肝心ですな。
むむ。努力するなら今からか・・・。



2003年01月06日(月) 呆けのツケ。フェリーの件(怒り初め)。

仕事始め。
家に引き籠もって生活していたツケをしっかり払った。

鞄を持って電車に揺られるのも久しぶり。鞄の重みで頭が痛くなった。
・・・多分鞄の所為だと思うのだが定かではない。
引き籠もり生活で心臓がサボることを覚えて血圧が下がって頭まで血が回っていないための酸欠による頭痛、という可能性も充分あり。
こういうとき、余分な身長は邪魔だ、と思う。
重力って凄い。

英文を見るのも久しぶり。
・・・でもないか。休み中はクリスティの洋書に一応チャレンジしなくもなかったし(←眺めただけかもしれない)。英語のWEBサイトにも少しは行ったし。

まあしかし仕事英文は久しぶり。
おお〜スー久しぶり〜、などと思ってもなかなか返事が書けない。・・・英語が頭から抜けてるからね・・・。
四苦八苦しながら書類を読み、四苦八苦しながらメールを書き。
しかも時間が経てば経つほど頭痛がグレードアップする。
何度吐いても頭痛が治まらない。こんなしつこい頭痛も久しぶりである。

この書類明日にして帰ろうかな・・・。と何度か思った。

しかし海の向こうの同僚からのメールの日付を見ると、どうも休日も頑張ってくれたらしい事がありありと判る。無理を言ったのはこちらだ。いかん。ここでヘタレてはいかーん!
気力を振り絞って仕上げて送った。でも資料をファクスする気力は既に無かったのだった。きっと今日届くと思って待ってるんだろうな・・・。申し訳ない。もう揃えてあるのだけど。ファクス番号調べる気力が無かったのだよ。明日送るよ。
内心で手を合わせて帰宅。

嫌な年明けだ。



今日腹が立った事。
フェリー漂流のニュースについて。
フェリーの乗客は、エンジントラブルの説明は受けていたが自分たちが漂流している事を、ニュースで見るまで知らなかった。
夜のニュースで、船長さんが「対応が悪かった事をお詫びします」と頭を下げていた。

違うだろう!
そうじゃないだろう!!

エンジントラブルの説明をした時「こんな船に乗ってられるか!」などと言った客が乗っているような船で、漂流している事を説明したところで、徒にパニックを引き起こすだけだろう。
心労と不安で、客の余計な消耗を誘うだけだろう。

海の上で「乗ってられるか!」と叫んだ客、じゃあ降りれば?大海原のど真ん中で。と言いたいところだが。
・・・まあそのようにパニックでただ他人に八つ当たる人がいる、というのも解らないではない。(頭ではね。共感は出来ないけれど)

だがしかし。海の上なのだ。パニックが一番警戒されるべき海の上だ。
船にあっては船長の判断が絶対。これが海の、最低限のルールだろう?!

混乱、恐慌は伝染する。
一人パニック体質の人間がいるならば、周囲は巻き込まれる危険性大だ。
私は、船長さんの判断が頭を下げなくてはならない程間違ったものだとは思わない。

応急処置でなんとかエンジンを、移動できる程度まで復旧させる事が出来たではないか。安心のタネが出来るまでは、閉鎖空間で不安を煽るような事はすべきではない。

勿論、メンテナンス等々、フェリー会社の責任は重いだろう。
でも、そこで何故、船長さんが頭を下げ「お詫び」をしなくてはならないのか。
そこまで「お客様」とやらに迎合しなくてはならないのか?
頭を下げるべきは他に居るはずだ。

海は海だ。

それが解らない乗客が図に乗って、或いは嵩に掛かって「情報提供」などと言い立てるのは、私の目には子供のヒステリーに見える。何とも嫌な事件だと思う。

船長さんが気の毒だ。



2003年01月05日(日) 呆け。

この休みは結局ずーっと家に引きこもって過ごした。

買いたい物も行きたい所もあったはずなのだが。
どうも気力が湧かなかった。
まあ昨年は疲れる一年だったし。
元々ぼうっと時間を過ごすのは大好きなのだ。
大人しく読書に終始する休暇というのもある意味理想的。

と、休みボケして緩みきった脳味噌で今回の休暇を都合良く解釈・総括して、と。


・・・もう明日からしゃかりき仕事なんて、無理かもしれない。
英語なんて忘れました〜。ふふふ。
って笑っている場合じゃないかも。真剣に。



2003年01月03日(金) 憧憬。

休みの間にすっかり昼夜逆転。
寒さに負けて布団で冬眠。
ごろごろしながら読書三昧。

・・・不毛な長期休暇だ・・・。
それでも時間を持て余すという感覚とは無縁なので、のんびり楽しく無為の時間を過ごしているのだが。

こういう生活をすると「ああもう働きたくない・・・」とか「もう外出るの嫌だ・・・」とかいった気持ちが忍び寄ってくる。
人間、楽な生活に適応するのは早いなあ。



本日のキーワード。『憧憬』。

私は、何かに、誰かに、憧れるという事がほとんどない。
人物に対しては、憧れる前に見習うべきお手本としての特性をまず見出す。
人物に憧れるためには、人一人丸ごとを理想として捉えなくてはならないような気がする。
しかし私にとって他者は、憧れ、よりももう少し、何というのだろうか、自分の手が届く範囲にいる存在、らしい。ある人が見習いたい一面を持っていたとしても、それはその人そのものに対する憧憬には繋がらない。
人間に対して全面的に盲目になれないのは、私の直しようのない特性なのだろう。そんな自分が、実は嫌いではない。この特性を持っていればこそ今まで生きてこられたのかもしれないし。


ここ1年ほど、たまに考える。
人間に対して憧憬を持つことはどうやら私にはなさそうだ。
・・・では何に対しても憧れはないのか?

考える度に行き着く答えは一つ。

どうやら私は、どこか心の柔らかい部分で、「ずっと続く何か」に憧れているらしい。
「ずっと続く何か」が出てくる小説、映画、劇、その他色々な物に、無条件で感情を揺さぶられ、涙を流す自分がいる。
それは「ずっと厳しい自然と闘い続けながら生きる人々」だったり、「遺伝子」だったり、「物言わぬままそこに在り続ける遺跡」だったり、「ハチ公の銅像」だったり、「永遠に時を止めてしまった友人」だったりする。

私自身は、あまり何かに強い執着を持たない方である。
でももしかすると本当は。
一度何かに執着したら「ずっと」執着し続けるのかもしれない。
それを感じているから執着を持つような何かを作らないようにして、ただ「ずっと続く何か」に憧れるだけに留めているのかもしれない。
或いはもしかすると本当に。
何に対しても執着できないからこそ、「ずっと続く何か」に憧れるのかもしれない。
自分の感情が、自分の行動が、自分の精神が、「ずっと続く何か」ではあり得ないからこそ、憧れるのかもしれない。

手に届かないからこそ憧憬となる、のであれば、認めたくはないが、何れの場合でも、私がこの手に「ずっと続く何か」を掴む日は来ないのかもしれない。

幼い頃はもっと簡単に、「ずっと続く何か」がこの世には沢山存在する、と信じていたような気がする。

今、「ずっと続く何か」が実は貴重なものかもしれない、と思うようになった私は、多分、大人になったのではなくて、過剰な自己防衛の心から、色々な物を感じるためのガラス体が曇ってしまったのだろう。
在るはずの「ずっと続く何か」を見る事が出来なくなっただけ。それは「大人」になったからではなくて、心が「老化」しているからだと。そう思う。

眼球内にあるガラス体は、歳と共に紫外線によって異性体が増え白濁する。確かにそれは事実なのだが。
心のガラス体を老化させるかどうかは、自分次第のはずなのに。
いつの間にか気付けばこんなに見えなくなっている。
ただ憧れて。
憧れは私を傷付けないから。



私は、この世を去る時までに、「ずっと続く何か」を手に入れられるだろうか。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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