DOTFAMILYの平和な日々
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2011年04月30日(土) 赤ちゃん誕生

実は私は赤ちゃん大好きなのだ。子供は嫌いだが赤ちゃんは好き。特に新生児が良い。完全に他者に命を預けています、という感じが実に可愛い。片手でひねり殺せるのではないか、と思えるほどの弱弱しさも良い。が、歩き始める頃にはもう完全に興味がなくなる。話始めると、近くに寄りたくない。

さて、この歳になると、自分はもちろん、兄弟友人に子供が生まれるということはない。子供の世代はまだ若いので独身ばかり。姪(ダンナの弟の娘)が1人去年結婚したが、子供はまだいない。という訳で、ここんとこ、ずっと赤ちゃんという物に触ったことがなかった。それが・・・生まれた。ダンナの下の弟が去年再婚したのだが、昨日、その弟夫婦の間に男の子が誕生したのだ。

普通なら生まれてすぐは赤ちゃんも母親もまだ病院にいるので、すぐに見に行ってもあちこちいじくりまわして遊ぶことはできない。が、彼女は自宅で出産したのである。もちろん、初めからその予定で、産婆さん(いるんですよ、今でもそういう職業の人)の手伝いを頼んでいたのだ。だから、赤ちゃんは家にいる・・・これは早速いじくりまわしに行くしかない!という訳で、本日、生まれて2日目の新生児をいじくりまわしてきだ。

可愛いぃぃぃ〜!!!

もう、たまらない!メチャクチャ可愛い!しかも、まだ生まれて24時間もたっていないというのにしっかり起きている。愚息が生まれた時、新生児の睡眠時間が年々短くなっている、という話は聞いたのだが・・・あれから23年、さらに短くなっているのだろうか?時々あくびをしたり、顔をしかめたりするのだが、しっかりと目を開いている。(ま、あちこちいじくりまわされては眠れまい。)しかも、泣かない。ぐずりもしない。なんと能天気な赤ん坊であることよ。

さて、この義弟、今年56歳である。息子が高校卒業時には74歳。本格的に子供に金がかかり始めるのは、高校を卒業し、大学に進学する時である。アメリカは自力で大学へ行く人が多いとは言え、最近は授業料の異常な値上げのため、親の援助無しに4年間で大学を卒業するのは難しい。しかも、クラス数もカットされている。何事もなくすいすいと大学へ行っても、卒業時に父親は78歳になっている。

・・・私だったら不安だけどなぁ。

彼の娘は、今年の6月に大学入学である。彼女は小さな頃からダンスをやっていて、大学もダンスを専攻する。ダンスの学校と普通の大学が提携しているらしい。当然私立である。奨学金を貰えることになったという話は聞いていない。想像を絶する授業料なのではないかと思う。

う〜ん・・・義弟って金持ちだったんだ。


2011年04月29日(金) 海外安全虎の巻

という訳で、先週の木曜日に蛇女の写真とパスポート申請書を持ってダウンタウンにある日本領事館へ行き、本日新しいパスポートを取りに再び領事館へ行ってきた。日本領事館へ行ったのは今年になって3回目である。その前に行ったのは、やはりパスポート更新のためだから10年前である。10年といえば、バブルは既にはじけていたはずだが、それでも結構待たされたという記憶がある。が、今年は全く待たされなかった。窓口は二つしか開いていないのに、待合席は空っぽ。私と同じようにパスポート申請に来たらしい人が、申請書が置いてあるテーブルで書き込んでいるだけ。

ご自由にお取り下さい風のカウンターの上に、小学校の教科書やその他のパンフレットが置いてあった・・・余ったのかよ、教科書・・・日本人減ったからなぁ、などと思いながら見ていると、その中に「海外安全虎の巻」というのがあった。というか、それがこのパンフレットがカウンターのほとんどを占めていた。ど〜んと積んであるので一冊貰ってきた。

家に帰って見てみる。裏表紙に2008年3月第6版と書いてある。え〜っ、8年前のなの?領事館が倉庫の掃除でもしたのであろうか?それとも、日本の外務省が、第7版を発行したので、古いのはいらないからとロスアンジェルス日本領事館へ送ってきたのだろうか?

内容はと言えば、特に目新しいことは書いてない。全て常識である。が、これは私が海外に住んでいるから常識と言えることであって、初めて海外へ出る人には非常に役に立つのではないかと思った。今でこそ「こんなの常識じゃないか。」と思うが、その常識は長年海外で暮らして、人から聞いたり実際に経験したりして身につけた常識である。この常識を得るまでには嫌な思いも何度もしている。(幸い危ない経験は無いが。)今時、海外に旅行したことがない人というのは、そういうことに興味がない人で、今後も海外旅行をすることはないと思うが、それでも誰にでも始めての経験ということはある。海外に出るまえにこういうパンフレットを読む。あるいは、バックの中に入れて置いて飛行機の中で読む、というのは結構大切な事ではないだろうか?

私が始めてパスポートを取って海外に出たのは1982年。バブルの真っ最中で、新婚旅行は海外が当たり前だった時代である。大学時代の友人で海外に行ったことがなかったのは私くらいであった。その時、こんなパンフレットは貰わなかった。海外安全に関する情報は何もなかった。いや、そりゃあったけど・・・外務省によるご注意は何もなかった。パスポートを取る人達全員に、そういうの教えてくれたら良かったのに。

ところで、この「海外安全虎の巻」、一体どこで配っているのだろう?


2011年04月28日(木) 蛇女

小学校低学年の頃、恐怖漫画が流行った。漫画は買ってもらえなかったので、友人のを借りて読んでいた。学校には漫画を持って行ってはいけないし、家では漫画を読んでいたら叱られる。学校では麻薬の売買のように紙袋に入れた漫画を密かに受け渡しし、家では夜、ベッドに入って懐中電灯を使って恐怖漫画を読む・・・恐怖が一段と増しますな。

その中に、梅図かずお(だったと思う)の蛇女というのがあった。金持ちのお嬢さんの家にやってきた継母が実は蛇女で・・・というストーリーだったような気がするが、よく覚えていない。結末も覚えていない。覚えているのは、蛇女になっていない時の継母で、首が長めで横に線が走っているろくろ首ぽかった姿である。

さて、5月にパスポートが切れることを発見した。今の所、帰国予定はないのだが、外国に住む日本人として、パスポートを切らすのはやはりマズかろう。10年に一度のことなんだから、領事館にパスポートを申請しに行こう。と思ったのだが、まずはパスポート用の写真を撮らなくてはならない。ダンナが「僕のパスポートも切れてる。」と言うので、一緒にパスポートの写真を撮りに行った。

といってもたかがパスポートの写真であるので、そこらへんの写真屋さんに行っただけですけどね。写してもらって、その場で現像してくれる所。現像っていっても、デジタルカメラで写すのであるから、正確にはプリントである。それなら自分のカメラでやれば良いだろう、と思うのだが、そういうわけにはいかないらしいですな。日本の法律はよく知らないが、アメリカの法律では、自分のデジタルカメラで取って自分のプリンタでプリントアウトしたものはダメだそうである。フォトショップで修正できるからかな?

ちなみに、写真屋さんで「ここんところの皺は消して」とか「二十顎を修正して」とかいうのもダメだそうである。そういうリクエストをする人がいる、と写真屋さんがぼやいていた。お断りすると怒るそうである。普通の写真ならやるけど、パスポートの写真を修整したのがバレたら営業停止になるのでやれない・・・色んな人がいますな。

パスポートなんて人に見せるのは出入国時だけである。写真なんてどうでもよい。ありのままに写してもらっていっこうに構わない。というか、本人と同じ顔じゃないと万が一の時に困るだろう・・・外国で行方不明になった時とか。で、ありのままに写してもらって、出来上がった写真を見た。

・・・蛇女。

私は決して首が長い方ではない。もう少し長ければ良いのに、と思う。が、出来上がった写真の首は、まさに蛇女のそれであった。弛んでいるわけではないし、横に線が走っているわけではない、そして、実際に触ってみてデコボコしているわけでもないのだが・・・首が波打っているようにも横に線が走っているようにも見える。蛇が卵を殻ごとの飲み込んでいるような感じ。自分で言うのも何だが、かなり不気味だ。鏡で見てもそういうことはないし、人に指摘されたこともない。(あなた、もしかして蛇女?と本人に直接尋ねる人もいないだろうが・・・これまでに私を見ただけで逃げ出した人はいない。)が、写真に写るとそうなるのだ。

たまたまでもなければ歳のせいではない。10年以上前に免許証の写真を写した時にもそう思った。現在持っている免許証の私は蛇女だ。ちなみに、ジムの会員証も蛇女である。蛇女の写真は他にも数枚ある。だからたまたまそうなったのではない。

う〜ん、実は私は蛇女?自分が知らないだけで、夜な夜な蛇に変身して、そこらじゅうをしゅるしゅると徘徊しているのかもしれない。だからといって、困ったことはこれまでに一度も無いからどうでも良いと言えばどうでも良い。どうでも良くないのは知らずに蛇女と結婚してしまったダンナや、蛇女を母親に持ってしまった愚息だろう。が、私だって知らなかったんだから、騙したわけではない。でも・・・

私が本物の蛇女であったら・・・ダンナも愚息も怖がるどころか、喜ぶだろうな。


2011年04月27日(水) DOTMANの能天気な日々: 救助よろしく!

今月の初め、空手の試合で愚息のアバラにヒビが入った。アバラにヒビが入った場合は6週間安静だそうである。が、愚息は6週間も安静にしていられるほど我慢強くない。最初の1週間はおとなしくしていた。脇腹を押さえながらも外出は仕事と学校だけだった。2週間目から遊びに行くようになり・・・3週間を過ぎる頃から機嫌が悪くなり始めた。そして、柔術を再開した。

柔術だったら殴られることはない!

そういう問題か?

しかも、今週から空手の練習まで再開した。

組み手さえしなければ大丈夫だ!

空手の練習に行って組み手をしないでいられるのか、お前は!

どうも柔術で締められたり締めたり、空手で殴れたり殴ったりしないと、そこら辺にいる人に喧嘩を売りたくなるそうである。ま、ほとんどの場合、締められたり殴られたりなんだけど。先日、薬局で待っている時、他の待っている人を1人1人見ながら「まずあいつを攻撃して、次はこいつをこうやって・・・すると自分の番になるまでに全員やっつけられる」と夢想してしまったそうである。(おいおい、病院の薬局で待っているのは老人と病人ばかりだろう?そういうヤツをやっつけるのか、お前は!)

そんな愚息であるが、一番苦手なジョギングだけはなかなか再開しない。負傷を理由にサボりまくっている。ジョギングが一番最初に再開できる運動だろうが!

で、本日、やっと重い腰を上げてジョギングに出かけていった。長距離を走るわけではない。近所を5キロほどチンタラ走るだけである。出かける前に・・・

愚息「母さん、僕が1時間たっても帰ってこなかったら、どこかで遭難しているかもしれないから探しに来てね。」
愚母「電話しなさいよ。」
愚息「電話、重いから持って行かない。ポケットに入れておくとパンツがずり下がってくる。」
愚母「じゃ、どこ探すの?」
愚息「Jack in the Box(ファーストフードの店)に来て。」
愚母「どうしてジョギング中にJack in the Boxにいるわけ?」
愚息「あそこで休憩しようと思ってるから・・・ついでに何か食ってくる。」
愚母「ジョギング中にファーストフード食うなよ!それより、財布持って行かないでしょう?電話も持っていかない位なんだから。」
愚息「いや、財布は絶対必要。警官に止められた時、免許証ないと困るから。」

・・・だよな。朝っぱらとはいえ、怪しい愚息が警官に止められる可能性は大である。先日、愚息の友人が財布を持たずにジョギングしていている時にパトカーに後を着いてこられ、免許証持っていない時に呼び止められたらどうしよう?とヒヤヒヤしたそうである。それ以来、電話は持たずとも財布だけは忘れずに、がジョギングの心得となっているらしい。

愚息は1時間以内に遭難せずに帰ってきた。ちゃんとJack in the Boxにも寄ってきたそうである・・・朝飯を食ってジョギングに行って、Jack in the Boxでまた食ったのかよ!何のためにジョギングしているんだ・・・あっ、減量のためじゃなかったか。

それにしても、ファーストフードは止めた方が良いと思うぞ。


2011年04月26日(火) れっつわーくあうと:ご声援ありがとうごぜぇますだ

肩の痛みに耐えかねて重い腰を上げ、ジム通いを始めてもうすぐ1年になる。途中で腰痛のために二度ほどお休み期間があったとはいえ、1年近く真面目に通っていると常連の顔を覚える。だからと言って話をすることはない。挨拶すらしない。イヤホーンをしっかりと耳につけ「話しかけるんじゃねぇよ!」というオーラを発散しながらの運動である。

でもね、私が他の人の事を気にしていないにも係わらず、メガネをかけずに常連が見分けられるようになるほど通っていると、他の人だって私のことを見るとはなしに見ているのだ、ということが最近になってやっとわかった。

先日、ウエイトマシンを使って脚の運動をしていると、隣にいた人から「随分強くなったね」と言われた。確かに一番軽いウエイトから始めて、今では二つほどウエイトを上げたけど・・・そこまで見てるんですか?

また別の日・・・別のウエイトマシンを使って運動をしている時、途中でへばって止めてしまったら、別の人から「続けろ!休むな!君なら出来る!」と大声で声援されてしまった。返事をする気力もない。せめて笑ってごまかそうと思ったが、顔がひきつっただけだった。

ありがたいと言うべきなんだろうなぁ・・・

そして本日、運動中に誰かが私の方へ向かって歩いてきた。また何か言われるんだろうな。ちょっと休みたいけど、ここはもう一踏ん張りして大声で「続けろ!」って言われないようにしなくっちゃ、と気合を入れてウエイトを持ち上げると・・・額から汗が噴出し、3筋ほど顔を流れていった。私の方に向かって歩いてきていた人は、足を止め、何も言わずに向きを変えて行ってしまった・・・

私、そんなに怖い顔してました?


2011年04月25日(月) 片付け読書ノート19/20: レディ・ジョーカー 上/下

高村薫著 毎日新聞社
1997年12月5日発行
ISBN4-620-10579-1/4-620-10580-5

『週刊文春』98年傑作ミステリー国内第二位、『このミステリーがすごい!99年度版』国内第一位、毎日出版文化賞受賞だそうである。確かにそれだけのことはある。

しかし、暗い。憎たらしい悪人が出てくるわけではない。終わり方も、ハッピーエンドとまでは言わないが、それほど悲惨でもない。が、暗い。こういう話を読むと、「いち抜けた。」と言いたくなってしまう。

それにしても、こういう話を読むと、自分の頭の悪さを再認識してしまう。この話、悪者は世にはびこっているシステムなのであるが、何故このようなシステムが機能し続けているのかが理解できないのだ。悪徳政治家や総会屋が何故いなくならないのかがわからない。(余談だが、震災から復興するために消費税を上げて国民全員が頑張ろうという時に、何故民主党が42億円もの政党交付金を平気で受け取れるのかもわからない。ユニセフのCEOの月給が1千万円というのもわからない。)人間1人生きていくのに、何故何十億もの金が必要なのかがわからない。

いや待てよ、私は既に「いち抜け」ているのではないだろうか?

「辛いことが、辛くなくなることはない。自分の腹に収める場所を見るけるだけだ。」


2011年04月24日(日) カロリー表示反対

先日、友人とお昼を食べに行ったレストランのメニューにカロリーが書いてあって興ざめしたということを書いた。カロリーを気にしながら外食なんかしたくない。が、今年の2月から、レストランのメニューにはカロリーを表示しなくてはならない、という規則が出来たそうである。全然知らなかった。

先週の水曜日に行ったレストランのメニューにもカロリーが表示してあった。あの時は完全に開き直って、久しぶりにアメリカン・フードを満喫したが、摂取カロリーは医者から言われている1日分のカロリーを優に越えていた。でもまぁ、1日くらいカロリー過多になったところで死ぬことはない。毎日外食している訳ではないので(ここんとこ外食多いけど)、心配する必要はない。外食する時くらい、カロリーを気にせずに思いっきり食いたい。

が、ある番組で「アメリカ人の食事の80%は外食である。」と言っていた。テイクアウトも含まれているのだろうが、これが本当であるならば、「外食する時くらい、カロリーを気にせずに」どころではない。カロリーは大いに気にしなくてはならない。レストランの食事のカロリーは異常に高いのである。食事じゃないけど、スターバックスの飲み物には1杯1200カロリーというのまである。メニューにカロリーを表示することは大切だろう。

もちろん、私はこの統計を信用していない。私の知り合いに食事の80%が外食なんていう人はいない。毎週末には家族でレストランに行くという人は知っているが、それでも外食率は5%にもならない。彼女のご主人が毎日昼食は外食だとしても、外食率は30%にも満たない。私の知り合いはほとんど日本人か日系人であるから、例外かもしれないが・・・それにしても80%外食というのはいくらなんでも大袈裟だろう?

私のダンナが病気の頃、親戚一同が集まるポットラックも含め、我が家の外食率は10%にも満たなかった。ダンナが健康になり、レストランで食事が出来るようになった今でも、せいぜい20%である。貧乏だからではない。ちゃんとしたレストランには行けないけど、家で料理するよりもはるかに安上がりの、ファースト・フードというものがある。でも・・・食わんだろう、ファーストフード、毎日は。

自慢じゃないが、料理は大嫌いだし下手だ。肉も野菜も、焼く、炒める、茹でるしかできない(煮るはできない)。基本的には細かいカロリー計算はしない。毎日同じようなものばかり食べているので、計算しなくてもおおよその見当はつく。そして、毎日ハンバーガーやピザを食べてはいけない、くらいのことはわかる。

この私にわかるくらいなのだから、アメリカ人にだってわかるだろう?そんなアメリカ人の食事の80%が外食というのは、どうしても信じられない。信じられないから・・・

やっぱりメニューにカロリーを表示するのは止めようではないか!たま〜に家族や親しい人達と外食する時位、カロリーを気にせずに楽しく食べようではないか!


2011年04月23日(土) レストランでの義援金集め

平日だというのにダンナが友人と一緒にレストランに行くのでお前も来いと言う。

先日ダンナが買ってきたTシャツを売っている日系コミュニティ・センターはウエスト・コビナという市にある。この市、日本の東北地方のとある市(名前は忘れた)の姉妹都市だそうですな。で、この度の震災には市を挙げて支援している。といっても行政がやっているのではなく、コミュニティ・センターやレストランなどがやっているのだ。

で、先週の水曜日、ウエスト・コビナにあるBJ’sで食事をすると、売り上げの15%を義援金として寄付するというイベントが行われた。だから行かなくては、とダンナが言う。友人とそこで待ち合わせることにしている、とも言う。でもなぁ、15%ですよ、15%・・・効率悪いなぁ。でも、断る理由ないからなぁ。

レストランへ行くと、満員だったが、ダンナの友人が早く来て席を取っておいてくれたおかげで待つ必要はなかった。繰り返すが、平日である。不景気でレストランの客も減っているというご時勢にこの人の群れはなんなんだ!これほど多くの人が資金集めに協力しているのか?

・・・違った。BJ‘sはビールが売り物のスポーツ・バーでもある。当日はレイカーズのゲームがあったために混んでいたのだ。

この義援金集め、この日の食事の売り上げの15%が自動的に義援金に回るという訳ではない。なんと、「義援金集め」のフライヤーを持っていった客にだけ適用されるのだ。フライヤーがどこで配られているのかはわからないが、ダンナは例の日系コミュニティ・センターで貰ってきた。数枚貰ってきたので、愚息にも1枚渡していた。(彼はBJ’sによく行く。若者が集まってスポーツを見ながら盛り上がる場所なのだ。)が、愚息は水曜日の夜は学校がある。

愚母「学校あるから行けないね。」
愚息「ああ、学校の日か・・・早退しなくっちゃ。」
愚母「そういうの早退の理由にならないよ。」
愚息「なるよ・・・『日本を救ううため』だもん。」

・・・ならねぇよ!ちゃんと学校行け、学校。

私達が食事をしている時、愚息がレストランに現れた。「日本を救うため」に早退したのではなく、たまたま授業が早く終わったからだそうだ(怪しいもんだ)。が、彼は1人で現れた。食事に来たのではなくビールを買いに来たそうである。友人の家に行く前に、ビールを買って来いと言われたそうなのだ。が、持ってきたフライヤーは大勢で食事をしている知らない人のテーブルに行って「これこれこういう事情ですので、会計する時にこのフライヤーをお店の人に渡してください。」とお願いして来たそうである。

・・・そういう手もあったか。


2011年04月22日(金) Songs for Japan

ダンナが“Songs for Japan”というCDを買ってきた。

売り上げが東日本大震災支援に寄付されるそうである。この「売り上げ」というのは具体的に何を指すのであろう?売り上げとは売って入ってきた金額から材料費と経費を差し引いたものだろう、とは思うのだが、材料費はともかく、「経費」というヤツが怪しい。

このCDは既に録音されているものをミュージシャンに了解を取って再録したものであるから、ミュージシャンには一銭も入らない。ミュージシャンにとっては完全にチャリティである。じゃ、このCD作成を計画した人や実行した人は無償で働いたのだろうか?CDを作成する材料費はどうなっているのだろう?CDを売っている店まで運ぶ運賃は?


先日、Multeepurposeという会社が作っている東日本震災支援Tシャツを買った。このTシャツは売り上げが100%寄付されるのだが、Tシャツを作っている人達は、自分の休日に無償で働いているそうである。材料費はオーナー持ち。要するにTシャツを売って入った金額は全て寄付・・・実に分かりやすい。

昨日「がんばれ」という言葉に抵抗があると日記に書いたが、「テキスト庵」で「がんばろう」は良いというコメントを頂いた。「がんばろう」という言葉に何故自分が気付かなかったのかとはっとした。確かに「がんばろう」は良いのだ。「がんばろう」というのは押し付けがましいところがない。偉そうな響きがない。

つまり・・・ごちゃごちゃと細かい事を、とおっしゃる方おいらっしゃるだろうが、「売り上げを寄付する」の「売り上げ」に拘るのは「がんばろう」になっているかどうかが気になるからなのだ。

従業員が休日を返上して震災支援用のTシャツを作り、オーナーが材料費を負担し、「震災支援のためです。買ってください。」というのは「がんばろう」である。やってる本人が頑張りながら、皆さんもご一緒に!と呼びかけている。これなら共感できる。

Songs for JapanというCDには共感できないと言っているわけではない。全額ではなくてもほとんどは寄付されるのであろうし、私のように細かいことをぐだぐだと言う連中のことはほっておいて、たとえ1枚の売り上げからの寄付が多少少なくても数売りゃ溜まる方式だから、これもありだろう。

まぁね、寄付なんて寄付する理由がなんであれ、金が集まって、困っている人達の役に立てば、それで良いのだよ。


2011年04月21日(木) がんばれ日本

ダンナが「がんばれ日本」と書いてあるTシャツを買ってきた。

ウエスト・コビナにある日系コミュニティ・センターの義援金集めのためのTシャツである。買う前に写真を撮って私も欲しいか聞いてきたのだが、私は即答で“Iranai!”と返事を送った・・・欲しくなかった。

東日本大震災を支援する気がない訳では全く無い。支援する気がないどころか、私に出来ることがあれば(義援金くらいしか出せないけど)やりたいと思っている。が、このTシャツはイヤだ。

「がんばれ日本」の「がんばれ」に抵抗があるのだ。

「がんばれ」という言葉が嫌いなわけではない。嫌いどころか、比較的良く使う。

例えば、運動会などで競技に参加する子供に「がんばってね」と言う。この場合、その子が我が子であったとしても、かけっこで一位になろうがビリになろうが、どうでも良い、と私は思っている。本人にとっては大切なことであるかもしれないが、わたしゃそんなことどうでも良い。ま、途中で止めるなよな、くらいの気持ちで「がんばってね」と言う。

例えば、休日出勤をしなくてはならない人に対して「がんばってね」とも言う。これは「頑張って仕事しろよ」という意味ではない。「メンドウだろうけど(イヤだろうけど)、仕方ないよね。とりあえず行ってらっしゃい。」という程度の意味である。

また、誰かと何かを一緒にやろうという時に、「がんばりましょうね」という事もある。これは「よろしくお願いします」のバリエーションの1つである。大抵の場合、自分は頑張ろうとは思っていない。私は頑張るのは嫌いなのだ。

が、一番良く使うのは自分に対してである。これは正しい使い方をする。自分を励ます時、特にくじけて諦めてしまいそうになる時に、自分に「頑張れ!」と言い聞かせる。「もう一踏ん張り!」「止めるな!」「止まるな!」というのと同じ意味で使う。が、くじけそうになっている時、諦めようとしている時、「頑張れ!」と人から言われると・・・

そういうお前がやってみろ!

と腹が立つ。

だから、本当に頑張りが必要な人に対しては私は「がんばれ」とは言わない。必死になって頑張っている人達に対して「がんばれ」なんてとてもじゃないが言えない。

という訳で「がんばれ日本」と書いてあるTシャツは私は着ることは出来ない。


2011年04月20日(水) チャリティ似顔絵プロジェクト: 愚息の似顔絵/やはりプロは・・・プロだ!

注:人の間違いをネットでバラしてしまうのも何ですが・・・今後、このような間違いが発生しないシステムになったので、これを読んだ方も安心して注文してください。もう大丈夫です、彼女には仲間もついてますから。

東日本大震災支援チャリティ似顔絵プロジェクトは、今でこそボランティア・アーチスト8人でやっているが、最初はあぼかどばななさん1人で始めたプロジェクトだった。その時には私もまだお手伝いしていず、アメリカからの注文も彼女が直接受けていた。でもまぁ、直接の知り合いの中だけで行うなら兎も角、一般公開してこういうプロジェクトを1人でやるのは無理がある。で、彼女は1人でやっていた頃にアメリカから受けた注文の似顔絵を送る相手を間違えてしまった。間違って送った相手はナント私の義妹であった。で、義妹と彼女のダンナとの会話。

義妹「これ、私じゃない!」
義弟「うん、全然似てない。でも・・・これ〇〇さんにそっくりじゃない?」
義妹「私もそう思った・・・彼女かな?それとも似てるけど他人なのかな?こんなに似てる人、他にいるかな?」
義弟「聞いてみれば?」

・・・正しい注文主は彼らの知り合いの〇〇さんであった。似顔絵とはかように本人に似ているものなんだなぁ。あたらめて感心した。

さて、愚息の似顔絵が送ってきた。描いてくださったのはしんのすけさん。

こ、これは・・・愚息だ!!!

一見すると想像で描いた漫画のキャラクターに見える。知らない人が見ると、「こんな人間が実際にいるはずがない。」と思うであろう。が、いるのだ・・・我が家に一匹!愚息を知っている人が見たら、一目で愚息とわかる。

しんのすけさんのウエブサイト(http://homepage3.nifty.com/nigaoeya/)に、「ひとりひとりの個性をみつけて、絵に表現できたらと思っています。美しく、可愛くなるかは分かりませんが、出来上がったときに『そっくり!』と言ってもらえるように描かせていただきます。」と書いてある。確かに美しくも、可愛くもない(実物が美しくも可愛くもないから当たり前だろう)。が、見事に『そっくり!』である。

ところで、出来上がった似顔絵は片方の手がグー、もう片方の手がチョキみたいになっている。送った写真にはそのようなポーズは一枚も無かった。が、この両手が愚息のキャラクターを表しているのである。いや、じゃんけんが好きとかそういうんじゃなくて、このポーズのせいでものすごくふてぶてしく見えるのだ・・・ふてぶてしいヤツなのだ、愚息は。送られてきた写真だけを見て、会ったことも話したこともない愚息のふてぶてしい性格を見て取り、それを似顔絵で表現する。これって凄いことではないだろうか?

愚息は自分の似顔絵を見ても全然ふてぶてしいヤツとは思わなかったようである。「俺ってかっこいい!」と思ったようである・・・そう言われてみると、似顔絵の愚息も「俺ってかっこいい!」と思っているような顔をしている。愚息のトレードマークである赤のフッディにプリントするから買ってきてくれと頼まれた(自分で買わんかい!)。

さらに愚息は、この似顔絵の下に“FUJI RULES”と書いてTシャツにプリントし、クリスマス・プレゼントに友人達にあげると言う。

・・・貰った人は迷惑だと思う。


愚息の似顔絵をホームページに掲載しているダンナの似顔絵と取り変えようと思ったら、ダンナに猛反対された。ダンナはダンナで「自分の(似顔絵の)方がかっこいい。」と思っているようである・・・親子だ!

という訳で、愚息の似顔絵は下記のサイトでご覧下さい。

チャリティ似顔絵プロジェクト:http://www.avocadobanana.com/charity.html
完成作品が載っているブログ:http://nigaoeproject.blogspot.com/


2011年04月19日(火) チャリティ似顔絵プロジェクト: 義妹の似顔絵

義妹の似顔絵が完成した・・・

私「とっても似てるとは思うけど、ちょっと若すぎない?」
義妹「あんな素敵な似顔絵を描いてもらったあんたに言われたくない!」

・・・確かに。

でもさ、義妹とはいえ、私より随分年上なんだけどなぁ。

義妹の似顔絵を描いて下さったのはあぼかどばなな(Yuko)さんである。私を知っている若くない女性で私の似顔絵を見た人は、みんな彼女に描いてもらいたがる。彼女は4月下旬からしか注文を受け付けないということを知っていて、それでも指名してくる。

・・・実物の私はそんなにブスかい?

チャリティ似顔絵プロジェクト:http://www.avocadobanana.com/charity.html
完成作品が載っているブログ:http://nigaoeproject.blogspot.com/


2011年04月18日(月) チャリティ似顔絵プロジェクト: ダンナの似顔絵

ダンナの似顔絵が送ってきた・・・メチャクチャ似ている。本当にもうそっくり!余りに似ているので親戚一同に送りまくった。全員にもの凄く受けて、すぐに返信が来た。似顔絵を見た人が本人に合ったら絶対にわかる。それほど似ているのである。実物以上に若くもなく、年寄りでもなく、実物よりハンサムでもなく実物以下でもない。もう、そのものズバリ!というか雰囲気が出てるんだよなぁ。

写真だけで、どうしてあんな風に描けるのかなぁ・・・

さて、ダンナの反応は・・・

非常にお気に入りの様子である。早速プリントアウトさせれられた。PCを持っていない彼の両親にあげるそうでる。あれ?でも、どうして二枚もいるの?

一枚はダンナの分であった・・・部屋に飾るのだそうである。プリントアウトした自分の似顔絵をニヤニヤしながらいつまでも眺めている。

「ねぇねぇ、縮小してプリントアウトもできるよね?」

出来るけど・・・自分の顔を持って回るつもりなのか、お前は!

余りに受けたので、ホームページに掲載していた私の似顔絵をダンナの似顔絵と取り変えました。見てやって下さいませ!


2011年04月17日(日) こ、これが欲しい!

我が家には通販のカタログがたくさん送られてくる。買物嫌い、外出嫌いの私が食料品以外はインターネットで買物を済ませるせいである。が、それだけなら、買った会社からしかカタログは送られてこないはずでだ。が、最近一度も買物をしたことが無い聞いたこともない会社からもどんどんカタログが送られてくるようになった。毎日毎日、郵便受けの中にカタログがど〜んと入っている・・・鬱陶しい。

原因は・・・ダンナが退職してから暇にまかせて数回インターネット・ショッピングに挑戦し、個人情報を関連会社に知らせても構いませんという項目についているチェック・マークを外さなかったことにある。そういう非常識なことをやるので、私から散々嫌味を言われ、最近ではダンナはインターネット・ショッピングをほぼ止めてしまったのだが、それでも新しいカタログが送られてくるのは止まらない。ま、彼はそのカタログを眺めるのを結構楽しんでるから良いけどね。

余談だが、先日ダンナは懲りずにインターネット・ショッピングに手を出し、ペイパルを通して支払いをしてしまったため、翌日から彼のメールアドレスにはスパムメールがガンガン送られてくるようになった。毎日30〜50通送られて来て流石に辟易しておった。彼はペイパルがどういう会社かすら知らずに、どこかにひっそりと書いてある個人情報云々の項目を探しもせずに使ってしまったのだ・・・懲りないヤツだな。

ダンナはカタログを見終わると、郵便物入れの籠に突っ込む。私はそれをほとんど見ずに捨ててしまうのだが、私が購入したことがある会社のカタログだけは、欲しかった商品がセールになっていないかだけは確認することにしている。それもざっと見るだけである。が、先日、スポーツウエアのカタログをパラパラとめくっていた時、モデルの姿が目に止まり、釘付けになってしまった。ビーチバレーボールをしているビキニ姿のモデルである。その脚の太いこと!しっかりと筋肉ついているのがわかる。腕も結構太い。腹は・・・かすかではあるが割れている。

か、かっこいい!
私もこういうの欲しい!

ボディビルダーをかっこいいと思ったことは一度も無い。かっこいいどころか、不気味である。できれば近寄りたくない。が、スポーツ選手の筋肉はとても美しいと思う。そう、私はナチュラルな筋肉にとても憧れているのだ。

長時間カタログを見つめていた私を見つめていたダンナ(暇なヤツだな)が、私がよほど欲しいものがあると思ったのであろう。隣にやってきて私が見ていたページを覗き込んで・・・

「ビキニ、買うの?」

買うわけねぇじゃねぇか、そんなもん!

しかし、心から欲しいと思うものは金では買えないものばかりである。


2011年04月16日(土) チャリティ似顔絵プロジェクト: 双子の犬の似顔絵

4月11日の日記に全く同じ顔の犬二匹をプロがどう描き分けるかが楽しみだ、と書いた。その似顔絵が完成した。この二匹、双子である。いや、多分四つ子か五つ子か、それ以上だったのだろうけど、二匹だけが残ったわけである。同じ種類の犬というだけで私には区別がつかない。ましてや双子の犬などは色が違っていない限り区別は全くつかない。

完成した絵を見ると・・・良く似ている。微妙に違う気はするのだが、指摘されなくてはわからない。それを注文主に送ったら・・・

素晴らしい出来です。一目でどちらがどちらかがわかりました。

というお返事が来た。

あらためて、似顔絵を見てから実物の写真を見ると、二匹の顔が・・・

やっぱり同じにしか見えねぇよ!

チャリティ似顔絵プロジェクト:http://www.avocadobanana.com/charity.html
完成作品が載っているブログ:http://nigaoeproject.blogspot.com/


2011年04月15日(金) 命の洗濯

昔から人付き合いが悪く、友人の数も少なかった。1人遊びが好きなので、友人になっても一緒に何をして良いのかわからない。が、その数少ない友人達は全員何故か人付き合いが良く、親切で人の世話も親身になってする人だったので、若い頃はそれでもあちこちに引きずり出されていた。愚息が小さい頃は、私と2人っきりでは引き篭もりなってしまうといけないと思って、同じ年頃の子供がいる人達とせっせとお出かけをしていた。

愚息が大きくなって運転手をする必要も無くなり、愚息が小さかった頃のお友達はほぼ全員帰国し、私もダンナの病気や愚息の不良化によって残っている数少ないお友達とお付き合いする精神的余裕が無くなり、緊急時に備えて仕事は自宅で出来ることだだけに絞り・・・月日は流れ、気がつくとほぼ引き篭もり状態になっていた。ま、それはそれで悪くは無い。

ダンナは元気になり、愚息は相変わらずプー太郎だが、「不良少年」と呼べる歳ではなくなり、いくらでも外出することが出来るようになったのだが、何しろ10年以上こういう生活を続けて50代に突入した数年後に、突然外に出ろと言われても・・・困る。が、ダンナが退職して以来、ダンナの付き合いであちこちに引きずり出される。仕事が忙しければきっぱりと断れるのだが、残念ながら最近週末は全く働いていない。で、付き合い外出で・・・疲れる。家で仕事をしている方がよほど楽である。

が、先日久しぶりに数少ない友人の1人から電話があり、水曜日に彼女の義母を我が家の近くの美容院に連れて行かなくてはならなくて、2時間ほど待ち時間がある。その間に一緒にお昼を食べないか、とのお誘いがあった。水曜日はダンナが両親を日系コミュニティ・センタのシニア・クラブに連れて行く日である。つまり、私1人で気兼ねなく外出できるのである。これはもうあり難いお誘い・・・涙が出るほど嬉しいお誘いである。彼女の義母は高齢なので、美容院に置いてくると行っても何かあった時に直ぐに駆けつける距離にいた方が良いだろう、ということで、美容院の近くのイタリアン・レストランで会うことにした。

気兼ねない友人とおしゃべりをしながら食事をする。これほど楽しいことがあるだろうか。食事(シーフード・リングイーニ)はとても美味しかった。食後には珈琲を飲みながらデザートまで食べた。(ティラミスとパンナコッタを取って半分ずつ食べた・・・いや、私が3/2食べたかな?)2時間あれば、ゆっくり食事をしてデザートまで楽しめるのだな。しかもおしゃべりをしながら。

お腹一杯になったから、このまま家に帰ってお昼寝をしたい気分であったのだが、せっかく外出したのだから雑用を済ませてから帰ることにした。銀行へ行ったりクリーナーへ行ったり・・・いつもはメンドウな雑用が全然苦にならない。なんか気分がウキウキしている。その気分は家に帰ってからも続いた。翌日まで続いたため、ダンナと一緒に買物なんぞに出かけてしまった。

ああ、こういうのを命の洗濯と言うのだな・・・としみじみ思った。

そう言えば、前回彼女と一緒にお昼を食べた時も、しばらくはウキウキ気分が続いたな。でもあれってもう1年位前のことだよなぁ・・・いくら命を洗濯しても、1年は持たない。せいぜい数ヶ月である。が、彼女も色々と忙しい人なので、自分の自由になる時間がそんなにある訳ではない。というか、私達の世代の女性はみんなそうなのかもしれない。

近所に日本人の主婦グループがあり、彼女達はダンナや子供がいない昼間にゴルフや食事やショッピングを楽しんでいるということは知っている。お誘いを受けたこともある。が、残念ながら私はそんな優雅な生活を送る余裕は無い。精神的な余裕や時間的余裕以前に、金銭的余裕が無い!彼女達は決してぐ〜たら主婦ではない。空き時間にエネルギッシュに遊び、手際よく家事をこなして、機嫌よく帰ってくる家族を迎える。それはそれで非常に良いことだと思う・・・金さえあれば。

という訳で、久しぶりに楽しい一時を過ごした。ただ1つ難を言えば・・・レストランのメニューの全てにカロリーが書いてあったことである。毎日外食してるならともかく、たま〜に楽しくお昼を食べるのに、カロリーなんかが書いてあったら、興ざめではないか!

・・・と思いつつ、しっかりデザートまで食っちまったけど。


2011年04月14日(木) チャリティ似顔絵プロジェクト: いくらなんでもそれは無しだろう?

東日本大震災支援・チャリティ似顔絵プロジェクト(http://www.avocadobanana.com/charity.html)の参加者の似顔絵で許可を得られた作品がブログに掲載ししてある(http://nigaoeproject.blogspot.com/)。その中に、サックスを吹いている素敵な男性の似顔絵が載っていたので、愚息に見せた。

愚息「え〜っ、こんなのもアリなの?僕もこういうのが欲しいなぁ。」
愚母「こういうのって、ベース演奏している姿、描いて貰いたいの?」
愚息「ううん。」
愚母「まさかバイオリン?」
愚息「ううん、ハープ!」
愚母「・・・ハープ?君、ハープ演奏できないじゃない。」
愚息「いいの、絵だから音は聞こえない。でね、背中に羽を付けてもらうの。」
愚母「羽って?」
愚息「天使の羽。僕の顔と体型でハープ演奏していて背中に天使の羽が生えているのって・・・良いと思わない?」
愚母「・・・不気味だとしか思わない。想像したくもない。」
愚息「えっ〜!良いと思うどなぁ。でも、ハープ持ってるヤツなんていないか・・・母さん、フォトショップで写真合成できない?」
愚母「出来ない。出来てもやりたくない。」
愚息「え〜っ、どうして?」

どうしてって・・・ベースを弾いている姿、百歩譲ってバイオリンを弾いている姿なら写真に撮って送っても良い。が、弾いたことが無いどころか現物を間近で見たことすらないハープを弾いている姿、しかも、デブが背中に清らかな天使の羽を生やしている絵っつうのは、いくらなんでも似顔絵とは言わんだろう!

だいたい、サックスを吹いているあの男性は・・・本当に演奏しているのだぞ!


2011年04月13日(水) 経済活性化のための無駄使い

以前、どこかに「新聞のコラムを毎日書き写すと日本語力が向上する」と書いてあった。で、社説を書き写してみようと思ったら、余りの量の多さに辟易し、天声人語でごまかすことにした。それ以来、毎日とは言わないが、出来るだけ毎朝、天声人語を音読した後、書き写すことにしている。(5日分だけならインターネットで無料ですから。)

ダンナが友人と食事に行くという。奥さん同伴だからお前も来い、と言われた。普通だったらぶ〜たれるところだが、いつだったか天声人語で「経済活性化のための無駄使い」を奨励していたことが頭の片隅に残っていて、珍しく素直にOKと言った。

で、先週の土曜日、Joe’s Club Shackというレストランに行った。蟹ですぜ、蟹!私は蟹が大好きなのだが、高いので10年に一度食べれば良い方である。(貧乏なんだよ、仕方ないだろ!)ダンナと友人とその奥さん、全員日系人であるのだが、日本語を話せるヤツは1人もいない。例えいたとしても、初対面の人と話すことなど何も無い。ましてや毎日一緒にいるダンナと話すことなどもっと無い。楽しいお食事会になるとは思えないが、蟹だからいっか。経済活性化の役にもたつし。

ちなみに、このレストラン、蟹しかない。貝類がついてくるセットがあって、ダンナはそれを注文していたが、蟹屋に行って蟹以外のものを食うのはもったいないだろう。で、その蟹であるが、基本的には脚が茹でてあるだけである。自分で殻を剥いて、溶かしバターに浸して黙々と食べる。これが・・・うまい!(茹でたとうもろこしとイモが添えてある。サイドに小さなサラダやスープも注文できる・・・と考えてみれば蟹以外にも色々あるのだな。)

剥く、バターに浸す、食う・・・会話なんぞ無視して、ひたすら食いまくった。

蟹に完全に集中している私にあきれたダンナが、時々私に話題を振ってくるのだが、蟹食いながら話が出来るか?というか、食事をしながら話をするということが私には上手く出来ない。

余談だが、学生時代、仲間と一緒に食事をする時、若い女子大生であるので、もうとにかくしゃべりまくりでいつもかなりうるさい状態なのだが、食事が出てくると全員が一斉にしゃべるのを止め、ひたすら食いまくる、というのが常であった。ある時、合コンっていうのかな、男子学生も交えて食事をした時、その余りの変わり様に、男性全員が唖然としてしまったことがある。我ら若い女子大生は、男性達が唖然としているのを言いことに・・・食いまくった!早い者勝ちの世界なのだ。完全に「色気よりも食い気」だったのだ・・・そして、それは今でも変わらない。というか歳を経るにつれ、磨きがかかっている。(多分、当時の仲間も同様だと思う。)

私はマルチタスキングではない!

と宣言し、会話を無視してお食事に集中していたのだが・・・ふと気がつくと、ダンナの友人の奥さんも同じ状態であった。このレストランは彼女のお気に入りで、よくここに来るそうである。だから慣れている。次々に剥いた殻をテーブル中央に置いてあるバケツの中に放り込んでいく。「まだちょっと足りから、とうもろこしとポテトも食べようかしら。」という感じで、蟹を食べ終わってから添え物を食べ始めた。そして、食うのが早い私よりも早く食べ終わった。

食べ終わってふぅ〜と深呼吸をしている彼女に向かって、ダンナが「蟹が大好きなんだね」と言うと・・・

「自分で料理しなくていいのなら、何でも好きよ。」

うっ、お友達になれるかもしれない。

ところで、彼女の方が私より早く食べ終わった理由は、彼女の方が手際が良かっただけではない。このレストランは手で食べるのが基本なので、ナイフやフォークの類は出てこない。前菜のスープやサラダに付いてきたフォークやスプーンは、蟹が出てきた時点で下げられる。蟹に付いてくるのは殻を割ったり切ったりする道具だけである。これでは殻にこびりついている身が取れない。彼女はそんな事を気にせずに、ひたすら食うのだが、私は、いちいち剥いた殻を確認し、身が少しでも残っていると、脚の先の細くて尖っている部分を使ってこそぎ出さずにはいられない。そして、最後には身をこそぎ出すのに使った脚先まで丁寧に割って中身を食べるのだ。金持ちと貧乏人の違いだという見方もあるかもしれない。が、私はこれを蟹に対する礼儀の違いだと考える。

久しぶりに好物の蟹を食べて、満足して家に帰ってからふと思った・・・

天声人語の「経済活性化のための無駄使い」は、東日本大震災後の日本の経済の話で、アメリカの貧乏人には関係無いのではなかろうか?


2011年04月12日(火) 還暦の祝い方

一月以上前のことになるが、ダンナが還暦を迎えた。それがどうした、と言ってしまえばそれでお終いなのだが、ダンナは10年以上に渡る闘病期間を経て、臓器移植が成功したおかげで元気で還暦を迎えられたのだから、ここは1つお祝いをしようではないか、と思った。

ダンナは隠居者なので、「還暦を迎えたおじいさん」と言ってもおかしくはないと思うのだが、世間一般では60歳なんてバリバリの現役である。「おじいさん」なんて言ったら叱られる。子供はまだ学生、という人も多いのではないだろうか?

昔なら、一人前になった子供たちが年老いた親のために還暦のお祝いをするのだろうが、現代はどうなのだろう?

ま、一般的な還暦の祝い方はともかく、我が家の馬鹿息子は今だプー太郎なので、親の還暦を祝ってやる金なんぞ持っていない。ダンナは還暦といえば赤いちゃんちゃんこを着るくらいにしか思っていない。(そんなもん今時着る人がいるかい・・・いるのかな?)私だって、自慢じゃないが世間の、特に日本の常識なんて全く知らない。

という訳で、親戚を招待して近くの日本食レストランでお食事会をすることにした。Diamond Barという街にあるKYALAという小さな寿司屋である。この界隈の寿司屋では一番美味しい、と私は思っている。が、兎に角小さな店なので、15人以上の客が入るとテーブル席は一杯になってしまう。という訳で、店が休みの日曜日の昼、貸切でやってもらうことにした。

招待したのはダンナの両親と兄弟とその配偶者、子供達だけである。が、ダンナは4人兄弟で、全員が近くに住んでいるので、それだけで結構な人数になる。その結構な人数の内、日本語がわかるのはダンナの両親と私と愚息だけである。還暦というものがある、ということを知っている人だってわずかなもの。だから、還暦が何であるかを説明するパンフレットを作った・・・結構受けた。そしてそこに・・・

現代は還暦を迎えたといってもまだまだ老人と呼ぶには若く、これから先も長い人生が待っている。還暦を迎えたからと言って、まだまだ何かを達成するには充分な時間が残されている。これまでの人生を省み、これから自分に何ができるのか、を考え、人生の節目として新たな人生設計をするのが還暦である。

と書いてみた・・・当てつけですがな、ダンナに対する。


2011年04月11日(月) チャリティ似顔絵プロジェクト: さすがはプロ!

海外版でもぽつぽつとではあるが注文が入っている。似顔絵を受け取った人が口コミで宣伝してくれるのを期待して、特にどこかで宣伝している訳ではない。私個人としては、こういうのは長期戦で望みたい。そりゃ、義捐金は少しでも多く、すぐにでも集めたいであろうが、アメリカでもあちこちで義捐金を募っている。既に出来る限り寄付した人は多いだろう。そういう人でも時間が経てば、また寄付しても良いかな、と思うかもしれない。

10年ほど前、南カリフォルニアで地震が起こった時の被災者は、今でも経済的に苦しんでいる。肉体的な被害が一旦収まった後、経済的負担がど〜んとやってくる。そして、それは長い時間をかけて回復していくしかない。だから、こういうのって長期戦でやるしかないと思う。

ところで、アメリカからの注文のほとんどは私が全く知らない人からのものである。こういうの、とてもあり難い。で、送られてきた写真を拝見したのだが・・・

まず、白人の兄弟2人・・・似ている。大きさが違うので双子ではないことがわかる。だいたい、白人って皆同じ顔に見えるんだよね、私。この2人を一体どうやって描き分けるというのだ!私にとっては同じ顔でも、親にとっては全然違う顔だろう。大きさが違う同じ顔を描くと・・・怒られるよね、絶対。

ボランティア・アーチストは皆日本人である。日本人なら例えそっくりな兄弟であっても微妙な違いは見分けられると思う。が、白人だったらどうなんだ?彼らは違いが見分けられるのだろうか?と思っていたら・・・

出来上がった似顔絵を見たら、全然違った顔だった。しかも、どちらも似ている!

似顔絵を見てから実物の写真を見ると、2人の顔が違って見えてきた。さすがはプロである。例え外国人だって、例え同じ顔だって、写真だけでそれぞれの特徴を捉えることができるのだ。しかも、なんとなくそれぞれの性格まで想像できそうな似顔絵であった。(まだ、許可を得ていないので、この似顔絵をアップロードできないのが実に残念である・・・許可が得られてもオリジナルの写真はアップロードしないけど。)

やっぱ、凄いなぁ、プロって!

さて、こうなると次は、ペットの犬二匹の写真を送ってきた人の似顔絵である。この二匹はもう、国籍の問題でなく、全く同じ顔であった。サイズまで同じである。飼い主でも見分けがつかないのではないかと思うほどそっくり。(でも、何故か見分けがつくんだよね、飼い主は。)これを一体どうやって描き分けるというのだろう?

・・・楽しみだ。


2011年04月10日(日) れっつ・わーくあうと: 久しぶりの話題

久しぶりの話題ではあるのだが、ジム通いを止めたわけではない。止めたわけではないのだが、様々な事情があって、ここ2週間ほどサボっていた。すると・・・体重は増えなかったのだが、体脂肪率がしっかりと増えた!つまり、脂肪が増えて筋肉が減ったのである。なんでだろうなぁ・・・普通に体重だけ増えてくれれば良いのに、と思う。脂肪が増えただけなら走って減らせばよい。1,2キロくらい1週間で元に戻せる。が、一旦無くなった筋肉は中々増えないのだよ、この歳になると。

で、パーソナル・トレーナーと携帯電話のテキストでセッションの日程についてやり取りをしていた。すると暇なダンナが・・・

愚夫「誰と話してるの?」
愚妻「トレーナー」
愚夫「何の話してるの?」

何の話って・・・相手はトレーナーなんだから、トレーニング話以外に何の話をするというのだ!

ダンナは私とトレーナーが休みの日に携帯電話で楽しく会話をしてる、と思ったらしい・・・アホか、お前は!

ガキじゃあるまいし、誰がテキストで楽しく会話なんかするかい!一歩譲って・・・トレーナーは若者であるから(と言っても30歳一歩手前だからガキではない)そういうこともやるだろう。が、クライアント、しかも自分の母親と同世代のおばさんとそういうことはやらないだろう。

愚夫「でもさ、歳とか余り関係ないんじゃない?」
愚妻「何に関係がないの?」
愚夫「おつきあいするのに。」
愚妻「どうしてダンナがいる私が、恋人がいるトレーナーとおつきあいしなくちゃならないんだ!」
愚夫「えっ、恋人いるの?どうして知ってるの?」
愚妻「この前、紹介された。」
愚夫「どこで?」
愚妻「ジムでに決まってるだろうが!ジム以外でトレーナーに会うわけがないだろう。私はそんなに暇ではない!隠居老人と一緒にしないでくれ。」

そうなのだ、トレーナーの恋人は同じジムのメンバーなのだ。だから同じ時に同じ場所にいることはある。だからって別に紹介してくれなくても良いんだけどね。(その前には彼の愛犬に紹介された・・・もの凄くどうでもよい。)彼女だって、別に彼のクライアント、特にライバルになる可能性が全く無いおばさんに紹介して欲しいとは思っていないようであった。でも、クライアントが若くて素敵な女性だと気になっていたこともあったらしい。クライアントとテキストしていると、「相手は誰だ?どんな人だ?」と聞かれたそうである。携帯を取り上げて読もうとされたこともあったそうである。(いやぁ、若いって良いね、可愛いね・・・でも、おじさんがやるとみっともないよ。)そこで、彼は「これは僕の仕事なのだから、邪魔はしないように。」ときっちりと言ったそうである。そして・・・「だいたい、Hot Chick(魅力的な女性)はトレーナーなんて必要ないんだよ。」

悪かったね、魅力無いおばさんで!

ま、確かにHot Chickにトレーナーは必要あるまい。トレーナーが必要なのは、私のように結構切羽詰った体型、じゃなかった、健康状態の人達なのである。(私の場合は主に肩痛と腰痛ね。)が、私は知っている、彼のクライアントに少なくとも2人は若くてスタイルが良い女性がいることを・・・

あ、そっか、私は彼女を安心させるためにわざと紹介されたのか。


2011年04月09日(土) 珈琲テーブル本

Living Room(リビングルーム)というのはアメリカでは応接間のことなんですな。私は居間のことだと思っていたんだけど。居間はFamily Room(ファミリールーム)と言う。テレビが置いてあったり、テーブルの上に物がごっちゃごちゃと置いてあるのはファミリールームである。家族はここで寛ぐ・・・んだからリビングじゃないかと思うんだけど、ま、いっか。

で、アメリカの典型的な家はリビングルームはいつも綺麗に片付いている。散らかっている家でもリビングルームだけは綺麗にしてあるという家は多い。で、そのリビングルームにはソファがあり、その前には背が低いテーブルがある。これを何故かコーヒー・テーブルと言う。そして、そのテーブルの上には本や雑誌が数冊置いてある。本はハードカバーの豪華写真集、雑誌はニュース雑誌やインテリアの雑誌であることが多い。お客さんが訪ねた人が来るまでの待ち時間にパラパラとめくって時間を潰すためのものだろうと思う。なんか優雅だね。

さて、我が家にもリビングルームがある。ソファがあり、コーヒー・テーブルがあるが、テーブルの上には何も置いていない・・・はずだった。が先日久しぶりに掃除をしようと思ってテーブルの上を見ると、分厚い本が置いてある。「お客様、お待ち頂いている間にどうぞご覧下さい。」と言わんばかりにきちんと並べてある、以下の二冊が。

The New Encyclopedia of Modern Bodybuilding by Arnold Schwarzenegger
Xtreme Training: The Fighter’s Ultimate Fitness Manual by Randy Couture

1冊目はアーノルド・シュワルツェネッガー著のボディビルディング・マニュアル。トレーニングやダイエットについてだけでなく、筋肉を見せるためのポーズの仕方なんかまで書いてあって笑える。2冊目はランディ・クートゥア著の総合格闘技のトレーニング・マニュアル。

これのどこが珈琲テーブル本なんだ?

実は、我が家のリビングルームを愚息は自分の居間として使っている。本物の居間はテレビやDVDや本やゴミがごちゃごちゃと散らかっているので、落ち着かない。愚息の部屋は・・・言わずもがなである。で、彼は本を読みたい時やお昼寝をしたい時はリビングルームを使う。つまり、我が家のリビングルームのテーブルの上には、愚息が読みかけの本が置いてあるのだ。

客が来たら「一体どういう家なんだ!」と思うぞ!


2011年04月08日(金) いや、そこまで貧乏ではないと思うんだけど・・・

金が無い!原因は・・・無計画に借金を返しすぎてしまったことにある。昨年の暮れ、「あれ、どうして銀行にこんなに金が残っているのだろう?」と疑問に思った記憶はあるのだが、深く考えずに、ローンの支払いにど〜んと使ってしまった。

・・・あれは、仕事が暇な時期の生活費であった。

しかも、3月4月はタックス・リターンとやらで昨年払い過ぎていた税金が戻ってくると世間は騒いでいるが、個人で細々と仕事をしている私に払いすぎている税金などない。払いすぎているどころか、毎年払い足りなくてタックス・リターンの時期にはど〜んと払わされるのだ。おまけに4月にはEstimate Tax(今年はこのくらい払うんだろうなと予想される税金)を払わなくてはならないし、固定資産税や火災保険も払わなくてはならない。大金が出て行く季節なのである。

もう遅いよね、使っちまったもん。という訳で、ここ数ヶ月、我が家は家計の危機に陥っている。というのは大袈裟で、外食する金が無いとか、服や本やDVDを買う金が無い、といった程度である。贅沢な食材を買わなければ毎日3食食べる程度の金はある。(元々贅沢な食材など買わない・・・そんなもん買っても調理できない。)電気代やガス代だってちゃんと払っている。が、ダンナは目を離すとすぐに無駄使い、しかも大金を無駄使いする計画をたて始めるので、「金が無い!」「金が無い!」と連発していた。すると・・・

愚息が給料を貰う度に、全額私に渡してくれるようになった。

う〜ん、そこまで困ってはいないんだがなぁ・・・でも、せっかくだから貰っておこう。

ところで、先日夜中に雨が降り出した。自室で寝ていた愚息は寝ぼけたまま窓を閉めようとして・・・窓ガラスを割った。アルミサッシの分厚いガラスが入っている窓である。割るか、そんなもん!もちろん、高い窓ガラスを修理する余裕はないので、テープをベタベタ貼ってごまかしている。

愚息よ、雨が少ない南カリフォルニアで良かったね!


2011年04月07日(木) これさえあれば、大丈夫!

先週の日曜日、愚息は極真空手のフレッシュマン(下っ端)・トーナメントに出場した。ローカルなトーナメントなので出場者が少なく、ヘビー級の選手が集まらなかった。愚息は・・・スーパー・ヘビー級に入れられた。

スーパー・ヘビー級なんていうとデブがたくさん出場しそうな感じがして楽勝!という気がするが、ここはアメリカである。 愚息もデブであるが、アメリカのデブは想像を絶する・・・じゃなくて、背が高いのだ。例えば、私は「体重100キロです」と聞くと、「そりゃデブだ」と思ってしまうが、体重100キロでも身長が190cm以上あると、しかも筋肉隆々の人であると全然デブに見えない。初心者とはいえ空手をやってる人である。スーパー・ヘビー級というのはそういう人達が出場するのだ。とい訳で、愚息は頭1つ分以上背が高い連中と試合をすることになる。対戦者の腕は愚息の脚より長い!これはちょっと見ものですぜ。

もちろん可愛い愚息がボコボコにやられる姿なんて、ちょっと前ならとてもじゃないが見物できなかった。が、もう大丈夫!愚息には健康保険という強い味方がついている。怪我しようがどうしようが、病院に連れて行けるのだ!初心者しか出場しないトーナメントには、相手を殴り殺せるほど強い奴は出場しない。最悪でも骨折程度であろう。

さて、フレッシュマン・トーナメントは上級者や有段者は出場しないので、上手い人は余りいない。どちらかというと技より力で勝負である。愚息の1回戦の相手も技より力タイプであった。中段蹴りを出したのだが、相手が同じ身長であったら全然決まってなかったであろうという中途半端な位置であった。が、愚息はチビなので、それでも脇腹にきれいに入った。技はなくても力はあるので・・・というか体重があるので、愚息の肋骨はそこでヒビが入ったらしい。

空手のルールは知らないのだが、あれって技が入っても「こんなの全然効いてません。」という顔をしなければ、1本になならないそうですな。(倒れたりした場合は別らしいが・・・いやそれでもスリップですと誤魔化すとか?)という訳で、ポーカーフェイスの愚息の勝ち。その後、愚息は気合だけでは勝てなかったらしく、セミファイナルで負け、3位決定戦で何とか判定で勝って、とりあえずトロフィーだけは頂いた。ナント、セミファイナルの相手は身長2メートル、体重125キロであった・・・相手も初心者とはいえ、愚息だって初心者である。身長はともかく、体重だって完全に負けている!

トーナメントの後、「脇腹が痛いよぉ、足が痛いよぉ、荷物持てないから持って帰ってぇ・・・」と汗びっしょりのクサイ道着を私に渡し、嬉々として仲間と一緒にラーメン屋さんへ行った後、友人宅でWrestle Maniaをしっかりと見てから夜遅くに帰ってきた。

翌日の月曜日、「身体中が痛いよぉ」情けない声をだして学校をサボり、昼前に起きて元気にバイトに出かけていった。身体中が痛くて学校にも行けないヤツに用心棒が務まるのだろうか・・・もちろん務まらない。「体中が痛い」は学校をサボるための言い訳である。

でもまぁ、肋骨にはひびが入っているしい。軟弱なヤツだなぁ・・・先生に言ったら「鍛え方が足りん!」って叱られるぞ!(試合で負傷したのは初めてだけど。)

新しい保険証が届いて、嬉しくて仕方ない私は「お医者さんに行っておいでよ。」としきりに勧めたのだが、ま、行かんだろうな・・・病気には弱いが、怪我には強いのだ、アイツは。

それにしても、健康保険があるというのはナント有難いことよ。


2011年04月06日(水) 可愛い息子に死ねというのか!: 余談

最終回の後にしつこく同じ話題を続けるというのもなぁ・・・

今回の愚息の健康保険を求める旅の間、何度も愚息に電話をかけさせた。愚息は愚母に似て電話嫌いである。電話をかけろ!と言ってからかけるまでに時間がかかる。が、今回はそんな悠長なことを言っている場合ではない。

さて、くり返しになるが、私は小心者である。小心者なので、大切な事には些細なミスも犯したくない。入れてもらおうとしている保険(MRMIP)とのやりとりに少しでも不明な点があれば、電話で確認したい。そこで、しょーもないことでも愚息に尋ねさせようとする。

余談の余談であるが、私がどこにも広告を出さず、何の宣伝活動も行わずにフリーランスで仕事をやっていけるのは、この小心さのおかげであると思っている。小心者はミスを犯したくないので、ちょっとでもわからないことがあると徹底的に調べる。そのため、1ページいくらで引き受ける仕事を時給にすると最低賃金を下回るのではないかという不安があるので、かかった時間は記録しないことにしている。もちろん、時間が勝負!という仕事の場合はそういうわけにはいかない。その場合、仕事を終えた後しばらくはクレームが来るのではないかと不安である。もちろんクレームが来たことは一度もない。ただし、「間違ってましたよぉ」とやんわりと注意されたことは何度もある。(これってクレームか?でもその後も同じクライアントから仕事を頼まれるので、クレームではなく「注意」と受け取っておこう。)それに比べて日記やホームページになんとミスの多いことよ!

で、最初に愚息に電話をかけさせた時も些細な問い合わせだった。

愚息「そんなの確認しなくてもいいじゃないか。」
愚母「ダメ!」
愚息「じゃ、後で電話する。」
愚母「今!」
愚息「どうして?」
愚母「母さんの心の平安のため!」

その後、愚息は私が電話をしろと言う度に、すぐに電話をするようになった。

という訳で、愚息は4月1日に医者に電話をかけたのだが、予約を入れることができたのは4月20日であった・・・薬、溜め込んでおいて良かった!


2011年04月05日(火) 可愛い息子に死ねというのか!: 最終回

ついに愚息の健康保険証が送ってきた!

保険額月約3万円は痛いけど、やりくりすれば払えない金額ではない。(12年間乗っている私の愛車にはまだまだ頑張ってもらわねばなるまい。)最初に払わなくてはならないかと思っていた月額10万円に比べれば安いものである。一時は家を売らなくてはならないかと思った。

去年の10月に始まった愚息の健康保険探しの旅がようやく終了した・・・長かった。その間に、東日本大震災が発生し、愚息の命の心配など些細なことに思えたが・・・いや、もちろん嘘である。私にとって彼の命は何より大事。自分の命よりも大切なのだ。(って親だから当たり前か。)

できることを全てやってしまえば、後は結果を待つばかり。心配しても始まらない。人事を尽くして天命を待つ・・・というのは立派な人だけが思えること。そもそも、私には人事を尽くしたかどうかに自信がない。何をやっていても「他にやれることがあるのではないか?」考えてしまう。仕事をしている時でもついついブラウザを開いて検索してしまう。(いえ、仕事に手抜きはやっておりません。家事はしっかり手抜きしてたけど。)寝る前には「明日は請求した書類が届きますように。」と願い、夜中に「あっ、あれも調べてみよう!」夢の中でと思いついて目が覚めてしまう。(すぐまた寝るので、翌朝には忘れている。)

日本のグラフィック・アーチストが集まって行っている東日本大震災支援のための「チャリティ似顔絵プロジェクト」のお手伝いをさせて頂いたことで、多少気持ちを落ち着けることができたが、小心者っつうのは本当にどうしようもないな、と痛感させてれた5ヶ月間だった。

薬は思っていたより多く溜め込んでいたようで、また1ヶ月は大丈夫。定期検査に行く期限は2ヶ月ほど遅れているが、過去10年近く病状に変化はなかったし、薬の量は減りはしても増えたことはないので、大丈夫だろう。

愚息の健康保険が有効になるのは4月1日からである。4月1日にウエブ上でメンバー登録をし、新しい医者を探して(行ける医者が限られている)予約を入れなくてはならない。それまでは完全に安心はできないが、ここまで来ればほぼ大丈夫だろう。この日記をアップロードするまでには「めでたしめでたし」になっているはずである。

皆様、大変ご心配おかけしました。おかげ様で愚息は今日も元気です。「可愛い息子に死ねと言うのか!」シリーズ、ご愛読ありがとうございました。

・・・これが最終回じゃなかったらイヤだな。


2011年04月04日(月) 可愛い息子に死ねというのか!:パート8

3月24日、やっとMRMIPから請求書が送られてきた。請求書をこんなに待ち望んだのは生まれて始めて。早速、小切手を送った。後は、保険証が送られてくるのを待つだけである。ここまでこぎつけるのにどれだけ苦労したか・・・いやいや、時は既に3月24日、保険がスタートするはずの4月1日まで後8日しかない。今月一杯は買い溜めておいた薬があるが、来月あたりからそれも怪しくなる。まだまだ油断はできない。

ところで、プランが間違っていたので愚息に電話をさせようと思っていたのだが・・・本人がなかなかつかまらない。イヤ、毎日家には帰ってくるのだが、私が寝てから帰ってくるし、朝はまだ保険事務所が開いていない。学校やジムやバイトの合間に昼間帰って来ることもあるのだが、また慌しく出かけてしまう。どこからどう見ても、コイツは病人には見えない!

請求書の金額は申し込んだプランの金額と同じだった。ま、なんとかなるだろう・・・なって欲しい。

なりますように!


2011年04月03日(日) 可愛い息子に死ねというのか!:パート7

カリフォルニア州が行っている持病があるために普通の保険に入れない人のための健康保険はMRMIPという。Major Risk Medical Insurance Program(大きなリスクを伴う医療保険プログラム)の略である。私は愚息を何とかこの保険に入れようと悪戦苦闘している。

連邦が行っている保険はPCIPという。Pre-Existing Condition Insurance Plan(既に発病している人のための保険プラン)の略である。こちらの方がぐ〜んと安いのだが、これは6ヶ月間健康保険が無かった人しか申請できないので、愚息には無理である。もしかしたら薬なしでも半年生き延びることができるかもしれないけど・・・こういうリスクはおかしたくない。

愚息が電話をしてMRMIPに入れると聞いていたのだが、書類を目にするまでは安心できなかった。が3月16日にその書類が送ってきた。(請求書はまだ届いていない・・・金を払うまではやはり安心できない。)辞書を片手にじっくりと読む・・・えっ、申し込んだプラン、違ってますけど。

南カリフォルニアではなく、北カリフォルニアのプランになっている。また愚息に電話をさせなくては・・・

さて、先日入った愚息の歯の保険であるが、これは保険カードが送られてきた・・・名前のスペリングが間違っている。わかりにくい名前を付けたこちらに非があるのかもしれないけど(iが3つもあるし)、名前が間違っていたら使えないんだよね。

という訳で、こちらは私が電話をした。この保険に入る時、「金を払うのは私なんだから、問題があった時、私でも問い合わせることができるようにしておいてくれ」とリクエストを出したのだ。もちろん、私営の保険会社だからできることである。公営だったらできない。いや、多分健康保険だったら私営でもできない。HIPAA(Health Insurance Portability and Accountability)という法律で個人の健康情報は守られているのだ。歯の保険だから出来るのだろう。(って歯の保険にはHIPAAは適用されないのか?)

すぐに訂正して新しいカードを送ると言ってくれたけど・・・間違いが多すぎません?

えっ、私?私だって日記やホームページを読むと誤字脱字だらけだろうけど、大切な書類は何度も見直した上、ちゃんとコピーを取ってから送る。私が申請した書類にはミスはなかった。(自信ないから電話する前に確認した。)

さて、シリーズで書いてきた愚息の健康保険探しであるが終盤に近づいている。4月までには結果が出ているはずである。我が家に束の間の「平和」が訪れるかな?


2011年04月02日(土) 可愛い息子に死ねというのか!:パート6

1年間無料で薬を貰えるというプログラムに申請するために書類を揃えるところまでこぎつけた。後は医者に持っていくだけだ。取りあえずの健康保険が有効になる日を待って、愚息をラボに行かせ、結果が出る頃に医者にアポイントを入れて書類を持っていかせよう。でもその前に、カリフォルニア州に送ったクレーム(COBRAに入っていないことを証明する書類を添付してもう一度申請書を見直して欲しいと頼んだ手紙)がどうなったかを確認してみよう、と思って電話をしてみた。すると・・・

息子さんは成人ですので、本人でないと情報はお知らせできません。

という答えであった。ま、当然なんだけど、その「成人の息子さん」が能天気なヤツで、全く心配していないんだね。

で、息子に今、これこれこういう状態になっているので、電話をして問い合わせてくれ、と頼んだ(何故私が頼まなくてはならんのだ?)すると・・・

4月1日から入れることになっていますよ、というお返事であった。

えっ!入れてくれたの!ううぅ・・・嬉しい。努力が報われた!

いや待てよ。最初に申請した時に払ったお金は1年半に渡る待ち期間があったために返済されている。最初の1ヵ月分を払っていないのに本当に入れるのだろうか?本当に入れるなら、書類はいつまでに送られてくるのだろう?4月1日といったら後半月もないではないか・・・

愚母「という訳で、お金はいつまでに払えば良いかもう一度電話して聞いて。」

返答: 毎週金曜日に請求書を送るので、来週中、または再来週には請求書が届くと思います。その後支払ってください。

ぎりぎり4月1日までに間に合うかもしれない。支払っていないので、保険はキャンセルになりました、という結果だけは避けたい。これから今月一杯、毎日郵便屋さんを待つ生活が待っている。


2011年04月01日(金) 可愛い息子に死ねというのか!: 番外編

愚息の健康保険が切れてから、毎日毎日なんとかしようと悪戦苦闘の日々を送っている。朝から晩までそれにかかりきりいう訳ではないが(仕事しないと食っていけないし)、頭の中央には常に愚息の健康保険のことがど〜んと陣取っていて、流石に楽天家を装う余裕もなくなった。

私は小心者である。気が小さいし、些細なことでくよくよする。すぐにパニックになってフリーズする。そんな自分が嫌だから、楽天家を装う。嫌なことは笑い話にしてしまう。そして・・・完全に気持ちが沈んで楽天家を装うことも出来ない時は、エンピツ日記はお休み。私の日記にブランクがあるのはそういう事情である。ブランクの多さが私の苦難(?)を語っていますな。

ハッピーエンドで終わったことは笑い話にしてから後で書く。悲惨な結末を迎えた場合は何も書かない・・・無かったことにして忘れる。ハッピーエンドで終わった場合でも、期間が長すぎた時は忘れてしまっているので書けない。(例:ダンナの腎臓移植)

現在、最大の課題は愚息の健康保険であるが、他にも悩み事はゴロゴロしている。我が家に『平和な日々』が訪れるのは一体いつのことなんだろう・・・イヤイヤ、愚痴はよそう。

生きてるだけで幸せなんだよ!

さて、何故こういう面白くもなんともない話題についてだらだらと書き続けているのか。実はアメリカ在住の日本人で病気のために保険に入れなくて困っている方がいらしたら、その方たちに「こういうオプションがあるんですよ。」ということをお伝えしたいというのが理由である。州の健康保険に申請するまでに、あちこちに電話をし、様々なウエブサイトを読んだ。電話もウエブサイトも外国人にとっては決して親切ではなかった。私の文章はだらだら長い割には解りにくい。同じような立場で、具体的にはどうすれば良いの?という質問がある方は、是非メールを下さい。

そもそも、国民保険が無いのが間違っている!先進国で国民保険が無いのは世界広しと言えどもアメリカだけである。


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