DOTFAMILYの平和な日々
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2011年05月31日(火) 私のダンナ様

ダンナが余りに暇そうにしているので、お使いを頼んだ。彼は彼なりに私の邪魔をするまいと気を使っているのだが、それでも広い家ではないので・・・邪魔だ!

愚妻「ノックスのゼラチン、買ってきてくれる?」
愚夫「うん。」

快く出かけていったダンナは、ナント3時間以上経ってから、手に新発売のDVDを持って嬉しそうに帰ってきた。

愚妻「ゼラチンは?」
愚夫「ん〜っとね・・・売ってなかった。」

ゼラチンはアメリカでも珍しい食品ではない。どこのスーパーマーケットでも売っている。が、新発売のDVDが売っている店には・・・普通売っていない。

いそいそとDVDを持って二階に上がったダンナが、私が仕事を終える時間を見計らって下りてきた。何も言わずに、ダイニング・テーブル(私の仕事場のすぐ後ろ)に座っている。座ってじっとしている、それはそれなりに不気味である。そして、私が仕事を終えるやいなや・・・

愚夫「夕食、な〜に?何時に食べる?」
愚妻「30分待て!」

仕事が終わったばかりで疲れきっている私は、直ぐに台所に向かう。(と言っても3歩も歩けば台所だけど。)すると、居間のソファでぐで〜っとテレビを見ていた愚息が・・・

愚息「僕、もうすぐ空手の稽古に行かなくっちゃいけないから、先に食べさせてくれる?」
愚夫「いいよ、僕、待てるから。」

私のダンナ様は、かようにとても優しく寛大である。


2011年05月30日(月) 片付け読書

本を処分しようと思って、今後読みなおしそうもない本をぼちぼち読んでいる。読み終わった本は、友人に回すために袋に入れている。それでも、万一また読みたくなった時のために、簡単にメモをとってISBNをしっかりこの日記に記録している・・・未練がましいなぁ。

本は一度に3冊。一冊は車の中に入れ、一冊はベッドサイド、もう一冊は今のテーブルの上に置いてある。まとまった読書時間は取れないので、ちょこちょこ読みである。(たまに先が気になって止められなくなるけど。)で、しばらくの間、寝る前に5分間ほど『ニホンゴキトク』というエッセイを読んでいた。

こういう日本語に関する本を読むと、途端日記を書く気が失せる。実は、しばらく日記を書かなかったのはこの本のせいなのだ。駄文とすらいえない自分の文章が鼻につくようになる。どっちみち、主義も主張もないどうでも良いことを書いているのだから、そんなこと気にしなくても良いだろうとは思うのだが、それでも気になる。

こういう文章を書いてネット上で公開するというのはいけないことではないのだろうか?

というのは、何年も前からの疑問ではあるのだが、普段はそういうことは忘れている。忘れているというか・・・忘れようとしている。そもそも人様に読んで頂こうと思って書いている日記ではないからだ。自分のために書いている。何か書かないと日本語を忘れてしまいそうだからだ。本当は紙にペンで書くといのが正しいやり方なのだろうが、「私は日記を書いていますよ!」と公にすると、サボろうという気が少しでもなくなるのではないかと・・・全然無くなってない?それに、人様に読んで頂けるというのは、結構嬉しい。ついでに、日本にいる親戚や友人に一々手紙を書かなくても近況報告が出来るという便利さもある。(無精者!)

それにしても、空白が気になって、細々と付けていた『片付け読書ノート』で空白日を埋めてみた・・・まだまだ埋まらないなぁ。


2011年05月29日(日) ベビーシャワー、あるいはソーシャル・オブリゲーション

義弟のベビーシャワーだった。

この義弟、今年、ウィスコンシン州から引っ越して来て、ダンナの家族に様々な波乱を及ぼしているのだが、ベビーシャワーの件に関しても一悶着あった。

そもそも、ベビーシャワーとは、これから赤ちゃんを産む女性のためにやるものである。通常は主役の女性の親友または親戚が、女性だけを招待して行うのだが、現代は男性が参加するシャワーも多いらしい。それはそれで良い。が、主役はこれから母親になる女性である。

私が妊娠していた時、友達なんてほとんどいなかったし、会社では同僚がベビーシャワーをやってくれたので満足していたのだが、義妹がダンナの親戚の女性を招いてベビーシャワーをやってくれた。当時はダンナの親戚の誰が誰かもわからなかったので、これが結構嬉しかった。で、カリフォルニアに引っ越してきたばかりで友人がまだほとんどいない義妹のためにベビーシャワーをやりましょう、ということになった時、当然私も賛成した。取りあえずダンナの妹が中心になって計画することになった。ところが・・・
ダンナの弟(妊娠してる人のダンナ)が招待客に関して口出ししてきて・・・彼の友人や同僚、合計60人招待するという。もちろん彼はカリフォルニアで生まれ育ったのであるから、学生時代の友人がたくさんいる。知り合ったばかりの同僚もたくさんいる。彼らを招くのはソーシャル・オブリゲーションである・・・と言うのだ。でも、それって「カリフォルニアに戻ってきましたので、またよろしくお願いします」パーティじゃないのかい?

そう思った時点で、私は主催者から抜けることにした。知り合いが少ない義妹のためにベビーシャワーをやるのは良いが、義弟のソーシャル・イベントのために出す金はない!しかも60人!

主催者から抜けたので、その後のことはよくわからないのだが、60人も招待して食事を出すとお金がかかり過ぎるので、午後の3時半から5時まで、お茶とケーキだけ出すことにしようと、と義弟は提案したそうである。名目はベビーシャワーであるから(もう生まれてるけど)、客はプレゼントを持ってこなくてはならない。欲しいものはちゃんと店に登録してあり、招待状にはその店のリストまでちゃんと載っている。つまり、「僕達が欲しいものを買って持ってきてね。」という訳である。客には金を使わせ、自分達は使わないというパーティであるらしい。

60代半ばの立派な大人がそういう発想をするというのは凄い!

さて、本日、私とダンナは客として(ちゃんとプレゼントを欲しいものリストの中から買って)ベビーシャワーに行って来た。招待客の半数は来なかった。(だよな・・・ベビーシャワーだもん。)そして、やってきた客のほとんどが、赤ちゃんなんぞには見向きもしなかった。

完全に、義弟のソーシャル・イベントであった・・・ま、良いけどね。


2011年05月24日(火) 年齢区分

53歳になった。だからって何がどうしたという訳ではないが、53歳といったら中年だよな、と思った後、ふと、本当にそうなのかな?と思ってしまった。そもそも、年齢区分というのはどうなっているのだろう?で、調べてみた。

厚生労働省によると、0〜4歳が幼年期、5〜14歳が少年期、15~24歳が青年期、25〜44歳が壮年期、45〜64歳が中年期、65歳以上が高年期だそうである。幼年期が5年間、少年期と青年期が10年間、壮年期と中年期が20年間なのだな。

しかし、私の感覚では、5〜18歳が少年期、19〜30歳が青年期であった。そして、壮年期を飛ばして30歳から中年期に入ってしまった気がする。つまり、中年期を既に20年以上やっているのである・・・飽きた。そろそろ高年期に入りたい心境なのだが、厚生労働省によると、後10年以上も中年期を続けなくてはならない。う〜ん、後10年以上「おばさん」でいるのか・・・高年期、60歳からにしてくれないかなぁ。

それにしても、隠居しているダンナと現役の私が同じ中年期とは・・・不愉快だ!


2011年05月23日(月) 片付け読書ノート27: ニホンゴキトク

久世光彦著 講談社
1996年5月28日第1刷発行
ISBN4-06-208216-0

古き良き言葉が消えていくことを惜しんでいる本である。

言葉というのは変わっていくものなのだよ。そして言葉は時代と文化を反映する。素敵な言葉が消えていくのは世の中が素敵でなくなっていくからだろう・・・仕方ないよね。

それにしても、『日本語は美しい』という台詞は様々なところでお目にかかる。別に反論する気は無い。私だって日本語は美しいと思っている。でも、他の言語だって同様に美しいのではないか、とも思っている。英語だって美しいぞ!残念ながら私はその美しさを理解できない。美しい英語は平坦な英語よりも難しい。が、そういう英語だって文学にはたくさんある。

著者は色を例に挙げて日本語の表現の豊かさを語っている。例えば赤にも色々あって、微妙な違いで呼び方も変わる。英語だって同様である。赤にも色々な呼び方がある。勘弁してくれよ、これのどこから赤い色を連想するんだよ、という名前だってある。いくつあるのかは知らない。このように、英語でも1つの言葉に様々な表現の仕方があるのだ。フランス語やドイツ語、中国語や韓国語だって同様なのではないだろうか?

美しい言葉が失われていくことを嘆く気持ちはわかる。美しい日本語を愛おしいと思う気持ちもわかる。が、日本語は他の言語よりも美しい、という優越感は鼻につく。


2011年05月22日(日) どよよ〜ん

5月に入ってから、どよよ〜んとした日々が続いている。天候ではない。私の気分である。

身体がだるい、疲れが取れない、夜眠れない、食欲が無い、などということは全く無い。気になって仕方が無い悩みも問題もない。ただただ、何をやる気にもなれないのだ。

本を読む気にもなれないし、映画を見る気にもなれない。ましてや仕事や家事をする気には全くなれない。

なんとかせねば!


2011年05月21日(土) 体脂肪チェック

村上春樹の小説やエッセイに、素っ裸になって鏡の前に立ち、自分の身体を調べるというシーンがよく出てくる。脂肪や筋肉の付き具合を調べているのだと思う。自分の健康状態を知る上で、これは大切なことなんだろうと思う。が、そんなこっ恥ずかしいこと普通できないよな。

実はこれまで、自分の体型のことなんぞ気にしたことがなかった。が、ジム通いを始めてから、多少は気になるようになった。筋肉が少ないために起こる腰痛のことなんかを考え運動を続けていると、果たして本当に筋肉がついてきているのかどうかが気になる。で、さすがに素っ裸になる度胸は無かったが、下着姿になって鏡の前に立ってみた。

・・・やらなきゃ良かった。


2011年05月20日(金) 栄養計算

昨日の話しを元に、現在食べている食事内容を調べてみよう、と思った。取りあえず、朝食べているフルーツ、ヨーグルト、牛乳、昼によく食べるサーモン・サンドイッチなどに含まれている脂肪を計算してみた。それだけで1日に摂取して良い脂肪量を超えた。

・・・やらなきゃ良かった。


2011年05月19日(木) れっつ・わーくあうと: 同じ事を続けていても同じ結果しか得られない

先日、ジムのパーソナル・トレーナーから声をかけられた。私の担当ではないが、このジムでは一番長いトレーナーなので顔くらいは知っていた。で、話しかけられた理由は、「結果出てますか?」だった。

・・・出てない。

実は、今年に入ってから完全に停滞している。体重、体脂肪、筋肉、全て変化無し。血圧やコレステロール値も変化していない。(血圧は多少下がったが、これは気候が暖かくなったせいであろう。)この歳になると何もやらないと悪化していくのだから、現状維持で良しとするべきなのかもしれない。でも、停滞しているとやる気に影響してくる。しかも、腹周りの脂肪、特にへそ下の脂肪の塊は諦めるとして、二の腕の脂肪が全く減らない。このままでは「ノースリーブのシャツを着る」という目標も今年の夏は見送らねばなるまい。

というような話をしていたら、「頑張ってるとは思うけど、同じ事を続けていても同じ結果しか得られませんよ。」と言われた。
「ワークアウトはちゃんとやっているみたいだから、問題は食事でしょうね。」とも言われた。で、私が食べなくてはいけないものと食べてはいけないものについて説明してくれる、というのでお話しを聞いてきた。と言っても1時間程度のレクチャーだったので、今回は概論だけで終わった。具体的に食事メニューを作って欲しければ、連絡してくれ、とのことだった。

概要は・・・普通の人の食事は炭水化物65%、たんぱく質20%、脂肪15%。私の場合は脂肪を減らして筋肉をつけなくてはならないので、炭水化物40%、たんぱく質50%、脂肪10%にしろ、である。食事の半分をたんぱく質にする、というのは結構難しい。しかも、食べて良いたんぱく質源は、鶏またはターキーの胸肉と魚だけである。でもまぁ、私は肉食だから、それはなんとかなろう。問題は脂肪である。脂肪はほとんど全ての食品に含まれている。鶏肉や魚にはたくさん入っている。だから、摂取する魚肉、野菜、果物、イモ、穀類に含まれている脂肪を合計するとほぼ10%になってしまうのだ。つまり、チーズも牛乳もヨーグルトもダメ。乳製品が大好きな私としてはとても辛い。

炭水化物に関しては、これまで余り気にしていなかった。食べ過ぎたら走れば良い、と思っていたからだ。実際、食べ過ぎた翌日は体重が増えた走って元に戻してきた。ところが・・・

「カーディオは筋肉が減少するから1日30分。ちんたら歩かないで必死で走れ!」

と言われた。

・・・同じ結果しか得られなくて良いです。


2011年05月13日(金) 片付け読書ノート25/26: 魂萌え

桐野夏生著 新潮文庫
平成18年12月1日発行
ISBN4―10―130633-8/4-10-130634-6

10年間もダンナに愛人がいて、気がつかないということがあるのだろうか・・・あるのだろうなぁ。

ダンナが浮気をしているのではないだろうか、と疑ったことは一度も無い。ダンナが私に嘘をついているのではないかと思ったことも無い。完全に信用している。信用できない人とは一緒に暮らしたくない。(愚息は例外・・・仕方あるまい。)会いに行く友人が女性だったとしても、「いってらっしゃい」と快く送り出す。私だって男友達はいるのだから、ダンナに女友達がいても問題あるまい。

以前、友人から「男は誰でも絶対に浮気をする。」と言われたことがある。その時は「そうなのかなぁ。」と思ったけど・・・すぐに忘れた。

先日、ダンナの友人から電話がかかってきて、「いません。どこに行ったか知りません。何時に帰ってくるのかわかりません。」と言ったら、「ものすご〜く良い奥さんですねぇ。」と感心された。ダンナがどこで何をしているのか知らない妻は、良妻ではなく悪妻だと思っていた。

そんな私に対してなら、10年間くらいかる〜く愛人がいることを隠すことはできるだろう。でもね、ダンナを疑って暮らすより、だまされた方が良くね?

主人公の夫が死んだ後、10年間付き合っていた愛人がいることが発覚した、という部分で、そんなことをちょっと考えただけで、これはこの本の主題ではない。主題は・・・若くもなくまだ老人でもない女性(59歳)が突然夫に先立たれたらどうするかだ(と思う。)これは人事ではない。私はダンナより7歳年下だが、ダンナより先に死ぬと信じていた。イヤ、今でも信じている。ダンナは長寿の家系だし、大病を経験しているので、自分の健康に非常に敏感で、医者の言いつけもちゃんと聞くからだ。だから、ダンナに先立たれたらどうするか、など全く考えてなかった。でも、私が先に死ぬ保証なんぞどこにもない。

・・・マズイ。ダンナが先に死んだ時のことも考えなくては。

と不安にさせられる本であった。完全に感情移入して読んじまいましたな。私は主人公のような良妻賢母ではないけど、世間知らずというところは同じである。出かけることはスーパーマーケットくらい、というのも同じ。ああぁ、やっぱりマズイ!

この桐野夏生という作家の本、以前読んだことがある気がする・・・何だっけ?


2011年05月12日(木) 片付け読書ノート24: 鬼火の町

松本清張著 文春文庫
2003年11月10日 新装版第一刷
ISBN4-16-710691-4

時代小説は苦手だ。私は色々なことを知らないが、特に歴史と地理に弱い。日本史を知らないと、歴史小説を読む時に知らない言葉がたくさん出てくるので困る。現代小説にも知らない言葉は出てくるが、そこはほれ、前後の言葉で推測することができる。時代小説だって前後の文から推測することは出来るのだが、推測にも限界がある。例えば、江戸時代の役職。小普請組と書いてあると建築や工事に関係がある仕事だろうとは推測できるが、他の役職との上下関係がわからない。武士の役職なのだから岡っ引きより偉いということくらいわかるが、同心と比べると?職種が違うから比べられない、というのは現代のお話で、江戸時代は上下関係がはっきりと決まっている。それがわからないと・・・かなり困る。ましてや著者が松本清張となると、「こんなのは常識」という感じで説明が無い。そんな説明をしていると話が面白くなくなるし、確かに常識なんだろうけど、常識がない私は・・・困る。その上、「後は押して測るべしである。」なんて書いてると、「すみません、押して測らないで説明して下さい。」と言いたくなる。

とは言え、『鬼火の町』は推理小説であるから、知識が無くてもそれなりに楽しむことはできる。ただ、知識があったらもっと面白かっただろうな、と思うのである。

それにしても、片付け読書のために散らかっている本の中から保存しないであろう本を一箇所に集めたら、松本清張の本が何冊もあった。誰だ、これ私にくれたの?


2011年05月11日(水) 片付け読書ノート23: パズル自由自在 千葉千波の事件日記

高田崇史著 講談社ノベルズ
2005年3月5日 第1刷発行
ISBN4-06-182420-1

メフィスト賞受賞作品を続けて読んでいた時期があった。面白いと思った作品もそうでなかった作品もあった。その中で高田崇史の『QED 百人一首の呪』はとても面白かった。だからこの作家の別のシリーズも読んでみようと思って自分で買った本。う〜ん、完全に期待はずれ。

QEDと違って魅力的な登場人物が出てこない。シリーズ物ではこの「魅力的な登場人物」というのが大切だと思う。もちろん、どのような人物が魅力的かというのは好みの問題である。だから、私の好みの問題ではなかった、というだけの話。作家はQEDシリーズに対抗(?)して、わざと軽い読み物を書いたのだろう。でもね・・・


2011年05月10日(火) DOTFATHERの能天気な日々: 誰か、この人、なんとかしてくれ!

さて、台所の蛇口と浴室のシャワーを二つ壊してしまったダンナは・・・

「どうしよう?」

どうしようもこうしようも、そのままにしておくわけにはいかないのだから、配管工に来てもらうしかないでしょう。というわけで、壊した日に電話をしたのだが、忙しいらしくて、昨日やっと来てくれた。(忙しいというか、週末だったから来なかったのかもしれない。)ここんとこ不景気で、家に関するコントラクターや修理屋さんは仕事がないらしく、毎日のように色んなところから「何か仕事はありませんか?」と電話がかかってくる。が、良心的な修理屋さん達は忙しいのだ。

シャワーの方は新しい部品を買う必要もなくすぐに直ったのだが、台所の蛇口は買い換えた方が良いとのことだった。配管工さんが持っていたカタログから選んでくれと言われた。私はこういう時の決断は早い。ああでもない、こうでもないと言いながらじっくりとカタログを見ているダンナを無視して、「これにして下さい。」と即答。

蛇口だけでなく、私は全てシンプルなのが好きなのだ。シンプルといっても超モダンなデザインは困る。ものすご〜く普通のが良い。理由は・・・掃除がしやすいから。凹凸が多いということは、汚れが溜まる場所が多いということである。しかも、掃除がし難い。服を買うときに洗濯機や乾燥機で洗えるかどうかを優先するのと同じ発想。もちろん、余り安いのは避ける。出来ればものすご〜く一般的なメーカーのが良い。

実に一般的なメーカーの製品を選んだので、「これなら自分でDIYの店で買ってきた方が、こちらで取り寄せるより安いですよ。」と言われた。が、自分で買ってきた場合、また壊れたら再び自分で買わなくてはならない。配管工さんに持ってきてもらうと割高にはなるが、壊れた時は部品を持ってきて取り替えてくれる。家の修理を自分でできない私は、そういう場合は割高になってもプロに頼むことにしているのだが、ダンナは「じゃ、僕、明日DIYの店で見てきます。」

どちらにしても、本日修理してもらうのは無理である。一旦店に戻って、明日にでも見積もりを出して電話をする、と言って配管工さんは帰っていった。もちろんその前に、私は欲しい蛇口のメーカー、商品番号、素材(素材によって値段が全然違うのだ!)をメモした。

本日、ダンナは私のメモを持ってDIYの店に行った。そして、店から電話をかけてきた。

愚夫「ねぇねぇ、先が平らなのと丸っこいのがあるんだけど、どっちが良い。」
愚妻「メモに書いてある商品番号の平らなの方。」
愚夫「色もいろいろあるよ。ステンレスとかクロムとか」
愚妻「メモに書いてある通り、ステンレス・・・それは色ではなく素材。」
愚夫「メーカーも色々あるけど。」
愚妻「メモに書いてある通りDELTA」

・・・質問の意味がわからない。彼が何故迷っているのかわからない。答えは全てメモに書いてあるのに、何故電話をかけてくるのだろう?

愚夫「んっとね、もう1つの店に行ってみるね。」
愚妻「何故?メモに書いてある蛇口なかったの?」
愚夫「あったよ。でももう1つの店の方が安いかもしれないから。」

そして、もう1つの店から電話をかけてきた。

愚夫「ねぇねぇ、先が平らなのと丸っこいのがあるんだけど、どっちが良い。」

ここから先の会話は・・・繰り返しになるから省略。(コピー&ペーストしても良いんだけ。)

しかも、ダンナは両方の店から1つずつステンレスの蛇口とクロムの蛇口を買ってきて、私に好きなほうを選べと言う。いらない方は返しに行くそうである。

選べって・・・もう昨日選んだじゃないか!お前は英語が読めないのか!

そして夕方、配管工さんの店から見積もりの電話がかかってきて、しばらく話をしていたダンナが・・・

「あのね、自分で買ったのをつけてもらうと、壊れた時にまた自分で買わないといけないけど、配管工を通して買うと、保障期間内に壊れた時は、無料で修理してくれるんだって。だから今日買ったのはどっちも返してくることにして、配管工を通して買うことにした。」

だから、それって昨日説明してもらったじゃないか・・・誰か、この人、なんとかしてくれ!


2011年05月09日(月) DOTMANの能天気な日々: オヤジにはかなわない!

昨日、ダンナと私が義母の米寿祝いにでかけようとしている時、先週の水曜日から釣りに出かけていた愚息が帰ってきた。「時間がないので直接行こうと思ったけど、シャワー浴びてから行った方が良いと思ったから・・・」と愚息。親戚の集まりに遅れるんじゃない!と言おうと思って愚息の方を向いた私は・・・

うん、そうね、シャワー浴びておいで。

それほどまでに汚れていた。

さて、愚息は釣りなんぞはしない。海釣りが好きな友人に何度か連れて行ってもらったことはあるが、自分から行こうとはしない。そして、今回一緒に行く友人も決して釣りが趣味ではない。が、なにしろ突然「Rと一緒に釣りに行ってくる。」と出かけてしまったので、詳しいことは聞いてなかった。で、本日、愚息が学校から帰ってきてから話を聞いた。

Rは不良高校時代の友人である。デブの愚息よりさらにデカい。後ろに愚息がいるとすっかり隠れてしまう。縦横デカい。デブの白人である。そして彼のオヤジも同様。今回の釣りは、そのオヤジとオヤジの友人に連れて行って貰ったそうである。行き先は山。かなり高度がある山であったらしい。車で登れるのはある程度まで。そこから先は荷物を抱えて徒歩である。山登りなどしたことがない愚息は、空気が薄いのにバテてしまったらしい。愚息の友人も同様である。2人でヒーヒー言いながら歩いたそうである。Rのオヤジの友人の体型は聞かなかったが、オヤジの方はR同様の体型である。しかも歳である。同じデブで年上、彼だってヒーヒー言っているに違いない、と思って二人を見ると・・・

真面目な顔をして黙々と歩いていたそうである・・・しかも、2人ともタバコを吸いながら。

「かなわねぇな」

と愚息は思ったそうである。

「吸うか?」と勧められたが、「そんなもん吸ったらここで死んじまう!」と思ってお断りしたそうである。

自分のオヤジではないけれど、オヤジ不在で育った愚息には良い経験だっただろう。

ところで、丸3日いてまともに食事をしたのは1回だけだったそうだ。釣れた魚を焼いて食べはしたが、それだけ。後は皆お菓子を食べていたそうである・・・愚息より食べないRが愚息より太っていた理由が解明した。 


2011年05月08日(日) 食い物の恨み

母の日ではあるのだが、皆色々と忙しくて、本日義母の米寿祝いをやった。義父の米寿は親戚友人一同を招待して派手にやったのだが、義母の米寿祝いは、子供とその家族だけで(それでも16人集まった)チャイニーズ・レストランで食事をし、プレゼントに皆から日本行きの航空券を贈ることになった・・・らしい。88歳の母親を1人で日本に旅行させるつもりなんだろうなぁ・・・

義母は中華料理より日本食の方が好きなのだが、何しろ大人数なので中々予約が取れない。ダンナの還暦祝いをやったレストランはただ今改装中である。というわけで、中華にしたそうだ。隣町のウエスト・コビナに割りと美味しいチャイニーズ・レストランがある。私は大好きだし滅多に行かないのでそこに決まった時にはちょっと嬉しかったのだが・・・すぐに「いやいや、喜んではいけない。」と思いなおした。何しろ、ダンナの家族の集まりである。私が好きな食べ物が出てくる可能性は・・・全く無い!

注文を決めるのは、いつもの如く、全てを仕切らなくては気がすまない義妹である。先日の饅頭騒動で機嫌を悪くしているので、今回はその穴埋めということで、誰も口を出さない。いつも率先して波風を立てる私のダンナすらおとなしくしている。そこで私が波風を立てるのもなんだろう。でも・・・

義妹はベジタリアンなのだ!

それでも、私に気を使って、鶏肉と魚の料理を1品ずつ注文してくれた。(わたしゃCarnivoreだぜ。)でもね・・・肉を食べるのは私だけではないのだよ。というか、集まった連中の中でベジタリアンは彼女1人なのだ。当然、肉(といっても鶏肉と魚だが)が入っている皿から空になる。野菜料理はテーブルの上にいつまでも大量に残っている。

ところで、私は焼き飯も好きなのだが、焼き飯には肉が入っている。大きなテーブルを2つ使っていたのだが、焼き飯は子供達(と言ってもみんなほぼ大人だが)が座っている方のテーブルだけにして、こちらは白い御飯で良いわね・・・良くねぇよ!隣のテーブルに座っていた愚息に「母さんにもちょっとちょうだい。」と頼んで皿を回してもらったのだが、私のところに回ってくるまでに、ほぼ空になっていた。

さて、私は固焼きソバも好物である。が、当然そんなものは注文してもらえない。麺類は、ようわからんフニャフニャした麺が出てきた。義妹の好物であるらしい。これはまぁ、私は食べなくても不満はないのだが・・・それでも、私のところに皿が回ってきた時にはもやししか残っていなかったのには呆れた。こういう物はバランスよく皿に取るのが礼儀で、下の方にある麺だけ先に取るというのは失礼ではないのかい?

それにしても量が足りない。食い足りない。仕方ないので、残っていた野菜を食いまくったのだが・・・野菜じゃ腹は膨れねぇよ!

私は決して大食いではない。若い頃は大食いだったのだが、歳を取って量が食べられなくなった。そんな私ですら足りなかったので、愚息はもっと足りなかっただろうと思って、帰ってから聞いてみた。

「今度あそこ行ったら、僕は自分の分だけ自分で注文して、会計も別にして貰う!」

食い物の恨みは恐ろしい・・・しかし、親子だ!


2011年05月07日(土) 義母の米寿祝い

昨日は義母の誕生日だった。88歳である。とっても元気である。すげぇよな。

米寿祝いは日曜日にダンナの兄弟一同が集まってやることになっているが、母の日と一緒にされるわけなので、ちょっと寂しかろう。愚息もいないことだし、台所の蛇口も壊れていることだし、お寿司でも食べに連れて行こうかということになった。

義両親はお寿司が大好きなのだが、寿司屋のカウンターで食べることは出来ない。注文の仕方がわからないのだそうである。私だって寿司の注文の仕方なんぞわからないが、厚顔無恥を全面的に押し出し、嫌いな物をずらっと並べた後、美味しいの下さい、と注文する。(私はほとんどの高いネタが嫌いなので、値段の心配無い。)という訳で、彼らは私達が連れて行かない限りは寿司屋には行かない。といっても私達も金が無いので、年に1、2回しか連れて行くことはできない。

さて、義母はとても小さな人なので、元々たくさんは食べられない。義父は90歳を過ぎてから食が細くなり、去年人工透析を始めてから、ますます食事の量が減った。レストランに食べに行っても2人とも半分も食べられない。半分はお持ち帰りになる。つまり・・・テーブルで普通の食事を注文しても、寿司屋のカウンターでにぎり寿司を注文しても、値段はさほど変わらないのである。というか、カウンターでにぎり寿司を食べた方が安上がりなのだ。(お持ち帰り分はないけど。)その上、本人達は大変な贅沢をさせて貰ったと大喜びなのである。

ダンナの弟達や妹は、私達よりもう〜んと金があり、レストランへ食事に行く回数は私達とは比べ物にならない位多いのだが、寿司屋はダメらしい。にぎり寿司は大好きなのに、寿司屋のカウンターには座れない・・・何故だろう?義両親の家の近くに住んでいる上の弟夫婦は、割と頻繁に義両親を結構高いレストランに連れて行っているようなのだが、義両親とは好みが違うので、金を使っている割には感謝されていない。反対に、滅多に連れて行かない私達の方が、使っている金も少ないにも係わらず感謝されることになる。

という訳で、今回も非常に感謝して頂いた。繰り返しになるが・・・88歳になってあれだけ元気というのは凄いな。


2011年05月06日(金) DOTFATHERの能天気な日々: お願いだから何もしないで

水曜日の夜中、突然愚息が釣りに出かけた。日曜日まで帰ってこないそうである。 

もう長いこと二階のシャワーが水漏れしている。使っていない時は漏れないので、それ程問題はない。台所の蛇口も随分長いこと壊れている。と言っても、シャワーのように水が出ないというだけで、普通に使えるし、水漏れもしていないので、これまた特に問題は無い。元々私は普通に水が出ればそれで満足なのである。が、ダンナはそれが気に入らなかったらしい。で、愚息がいない間に修理をしよう、とDIYの店に行って色々なものを買い込んできた。

まずは台所の蛇口。同じメーカーの似たような蛇口を買ってきたのだが、付け替えてみるとサイズが合わなかった。しかも水漏れするようになった。台所に水道が無いというのは困る。だから、古い蛇口に戻してくれと頼むと・・・「壊しちゃった。」

ダンナは台所の蛇口をそのままにして、二階に行ってしまった。そして、愚息のシャワーと私達のシャワーを・・・

両方とも壊した!


2011年05月05日(木) 饅頭騒動

義母は今月88歳になる。米寿である。今度の日曜日に、子供達とその家族が集まってささやかなパーティをする予定ではあるが、義父の時のように親族一同を招いて盛大にパーティをやる、という計画は無い。理由は、本人が嫌がったし、義父の健康状態が今一歩であるから。でも、母の日も兼ねた米寿祝いというのはちょっと寂しい気もする。

義母と義父は、毎週水曜日に日系コミュニティ・センターのシニア・クラブ(正式にはレジャー・クラブ)へ行っている。暇なダンナが送り迎えしている。そこで皆揃って昼食を食べる時、まんじゅうでも配ったらどうだろうか?とダンナに相談された。それは良いアイデアだ、と返事をした。

義妹(ダンナの上の弟の妻)の従兄弟がダウンタウンで風月堂という和菓子屋さんをやっている。日本の有名な風月堂とは全く関係ないが、こちらでは随分昔からある店らしい。ダンナとダンナの妹が米寿祝いにシニア・クラブに持っていく饅頭について話し合っている時、ダンナの妹が義妹に軽い気持ちで尋ねてみたらしい。すると、何事も仕切らずにはいられない義妹が、はりきって計画をたて始めた。どういう種類の饅頭を、1人何個分用意するか・・・風月堂の従兄弟に電話をして、値段なんかを聞いたらしい。

ダンナとダンナの妹は、自分の母親の米寿祝いであるから、自分たちが決め、自分達で買いに行こうと思っていたらしい。が、ダンナは甘いもののことは全くわからない。どういう饅頭があるのかも知らない。で・・・

愚夫「1人1個じゃ少ないよね?」
愚妻「1人2個じゃない?」
愚夫「どんな饅頭が良いと思う?皆に同じ饅頭を配る?それとも色んな種類を買ってきて皆に勝手に取ってもらう?」
愚妻「お祝いに配る饅頭っていったら紅白饅頭だろう?」
愚夫「紅白饅頭?何それ?」
愚妻「結婚式とか米寿とか、お祝いに配る饅頭。」

今時、紅白饅頭でもないとは思うが、相手は全員日系年寄りである。味がどうのこうのというより、そういうのが懐かしくて喜ばれるのではないかな?とちょっとだけ思ったから言ってみただけである。というか、実は何も考えずに「祝い事=紅白饅頭」という発想であった・・・わたしゃ一体いくつなんだ?

愚夫「紅白饅頭ってどんな饅頭?」
愚妻「白とピンクの皮で、中に普通のあんこが入っているとってもシンプルな饅頭で、二個で1セットになってる。」
愚夫「お花の形して緑の葉っぱがついてるやつ?」
愚妻「そんな饅頭は無い。」
愚夫「あるよ、何回も見たことある。」
愚妻「無い・・・全ての饅頭を知っているとは言わないが、そんなのは無いと思う。どっちみち、それは紅白饅頭ではない。紅白饅頭は円くて、上に寿とか鶴亀の焼印が押してある、普通の饅頭。」
愚夫「僕、そんなの見たことない。」
愚妻「普通店には売ってない。お祝い事がある時に注文して作ってもらう。ちなみに両方白だと葬式饅頭になる。」
愚夫「・・・う〜ん、饅頭って、普通色んな形をしてて、葉っぱとか花弁とかの飾りがついてると思うんだけどなぁ・・・。饅頭屋さんに言ったらわかる?」
愚妻「わかる。」
愚夫「風月堂でもわかる?」
愚妻「絶対にわかる。」

ダンナは今一歩納得しなかった。どういう饅頭か見当もつかなかったらしい。ダンナの妹も同じである。が、風月堂に「紅白饅頭を注文したいんですが。」と尋ねると、一発でわかったそうである・・・当たり前だろうが!

と、実に穏やかに夫婦の会話が交わされたように書いてしまったが、実はこれ、ほとんど夫婦喧嘩だったのである。とにかく話が通じないのだ。で、お互いにイライラして怒鳴り出してしまった。ダンナは私の説明が悪いと言う。私はダンナが説明する饅頭なるものがどうしてもわからない。原因は、ダンナが「饅頭」だと思っていたものは饅頭ではなかったからである。では、彼は何を饅頭だと思っていたのか?

彼が饅頭だと思っていたのは、生菓子であった。

どちらも同じじゃないか、と思います?そう思ったあなた、日本人じゃなでしょう?

饅頭は生ではない!生の饅頭なんか無い!饅頭とは、皮の中に餡子を入れて蒸すか焼くか(揚げるか)してあるものである。皮や餡の材料は様々だろうが、生の饅頭は無い。材料が全く同じで形も同じというものがあっても、それに火を通さずに食べたとしたら、それは饅頭ではなく生菓子だる。

饅頭と生菓子の違いは、一目両全である。ケーキとパイくらい違う!お前らパイにローソクたててハッピーバースディ歌うか?結婚式にウエディング・パイ食うか?あるいは、焼酎と清酒くらい違う!お前ら、結婚式の三々九度に焼酎飲むか・・・って、三々九度なんてしないか。

もう喧嘩腰ですな。

とまぁ、色々あったけど、結局風月堂に紅白饅頭を100組作ってもらって、皆に配った。ダンナと上の弟夫婦、妹もランチに参加したそうである。そして、紅白饅頭は、お年寄り達にとても喜ばれたそうである。何より、紅白饅頭を見た途端、皆が「何のお祝い事?」と聞いたのにダンナは感動したらしい。

皆、紅白饅頭が何か知ってるんだ!

・・・知らないのはお前らだけだよ!

ところで、紅白饅頭100組は流石に多すぎた。で、余った分をダンナ、弟、妹で分けようということになったのだが、自分の意見が受け入れられなかった義妹は異常に機嫌が悪かったらしく、「そんなもんいらない!」と言ったそうで・・・ダンナと妹で分けた。甘いものが大好きな弟は、とっても残念だったらしいが、「僕は食べたい。」なんて言うと後が怖そうだったので、黙って手ぶらで帰っていったそうである。

皆が義妹に「これは日本の伝統らしいよ。僕達が思っていたのは饅頭じゃなくて、生菓子というものらしいよ。」と言ったそうであるが、義妹は・・・

饅頭は日本のお菓子の総称だということは常識でしょう!

饅頭という言葉の意味は、日本からアメリカに入ってきた時、どこかで変わってしまったのだろうか、ミイラみたいに。

(しかし、饅頭が日本のお菓子の総称なら・・・かっぱえびせんなんかも饅頭なのかなぁ・・・ポッキーも。)

そして・・・

「日本の伝統なんてどうでもいいじゃない。一体誰が伝統なんが気にするのよ!」

・・・日本の伝統である米寿を祝う人達が、伝統を気にする人達だと思う。

ところで、ダンナが持って帰ってきた紅白まんじゅうは、懐かしい味ではあったが、とても美味しかった。紅白饅頭の味も時代に合わせて進化しているのだな。ピンクと白のシンプルな饅頭の上には、ちゃんと『寿』という焼印があった。時々「ああ、紅白饅頭が食いてぇ」と思う・・・なんてことは全く無いが、それでも、こういう伝統を私は嫌いではない。何より、米寿である義母とその仲間たちが喜んでくれたのだから、それが一番大事だろう?


2011年05月04日(水) 可愛い息子に死ねというのか!: ぎりぎりセーフ・・・でも、油断大敵

4月6日で「可愛い息子に死ねというのか!」の話題はひとまず終了した。新しい健康保険に入り、とりあえずの健康保険をキャンセルし、その後、愚息は新しい医者へ行った。そこで処方箋を書いて貰って、新しい薬局で薬を手に入れ、めでたしめでたしで終わるはずだった。もちろん、物事はそう簡単には進まないのが世の常である。以下はさも私がやったように書いてあるが、実際にやったのは、もちろん愚息である。

医者に行ったら、何の検査もせずにこれまでと同じ薬の処方箋を書いてくれたそうである。それを薬局に持っていったら・・・10万円近く請求された。薬の中に2つほど新しい保険で払って貰えないものがあったのだ。保険で払って貰えない薬は同じような他の薬と変えることができるという。だが、そのためには医者に処方箋を変えてもらわなくてはならない。だから医者に予約を入れろと薬局で言われ、医者に予約を入れようとしたら・・・休暇中で予約できなかった。で、他の医者に予約を入れたのだが、それが1週間先のことだった。1週間後に医者に会いに行き、処方箋を変えてもらおうとしたら・・・変えて貰えずに、ラボに検査に行かされた。で、検査の結果を待って薬を取りに行ったら、薬は全く変わっていず、値段だけが変わっていた。

保険で払って貰えない薬は二つ。1つは払って貰えるようになっていた。もう1つは6万円から3万円になっていた。(注:もちろん全てはドルなのだが、話をわかりやすくするために円でおよその値段に変えてある。)・・・半額。

・・・何故?

愚息は3万円でも高いと思ったらしいのだが、病院であちこちに回されて、その度に違うことを言われるのにうんざりし、3万円払ってしまったらしい。今度は7月に検査に行くのだが、その時に変えてもらおうと思ったそうである。

ところで、この保険、主治医に診察してもらう以外は、1年間に5万円まで自分で払わなくてはならない、と契約書に書いてあった。さらに、主治医に診察してもらうのは自己負担が1回2千円。が、愚息は医者に行って千円しか払ってこなかった。さらに、薬代も、保険で払って貰えない薬は別にして、自己負担額5万円のことなんぞ全く無視してちゃんと保険がきいていた。もちろん、5万円の後にも自己負担額というのはあるが、高くても薬1つにつき3千500円である。ほとんどの薬は千円。これは、以前の保険会社よりも自己負担額が少ない。実は最初はえっ、高い、と思ったのだが・・・薬はナント3ヶ月分だった。以前は一度に1ヵ月分しかくれなかった。

が、なんやかんやで、本日やっと薬が手に入った。これから3ヶ月は安心である。多分、この後も何とかなるだろう。ほっと一息ついて、残っている薬を調べてみると・・・3日分だった。ぎりぎりセーフ!

ところで、この保険で払って貰えない薬とは一体なんの薬だろう、と調べてみると(今更調べるな!)、これがナント、コレステロールの薬であった。愚息のコレステロール値は低い。低いのだが、悪玉コレステロール値も低いのだが、問題は善玉コレステロール値が低いことである。そこで薬を飲まされていたのだ。

善玉コレステロール値が低いのは遺伝だそうである。私も低いので、一時は薬を飲んでいたのだが、ジムに通うようになってから飲まなくても良いと言われた。それほど上がったとは思えないのだが、薬が減るのは良いことだ。で、運動を始めた後の私のコレステロール値と愚息のを比べてみたら、ほぼ同じであった。この薬、多分愚息も次回からは飲まなくて良くなるんだろうな。

さて、医療費の請求が契約より安いのでは、と思っていたら、医者代1万円の請求書が来た。医者は1回2千円なのに千円しか払っておらず、請求額が1万円・・・一体どういう計算になっているのだろう?

という訳で、これからも当分、ややこしいやり取りがありそうである。でもまぁ、愚息が死ぬことはないだろうから、その位は我慢しよう。


2011年05月03日(火) 片付け読書ノート22: 異形コレクション 帰還

井上雅彦監修 光文社文庫
2000年9月20日 初版1刷発行
ISBN4-334-73058-2

ホラー(多分)短編小説集である。24編も入っている。面白い話、全然面白くない話、何だこれ、と思う話がごちゃごちゃと入り混じっている。ま、でもこれは好みの問題だろうな。

文庫の形を取った季刊誌・・・なんだろうな。異形コレクション・シリーズの16巻目だそうである。10年後の今でも刊行され続けているのだろうか?こういうジャンルが確立しているのだろうか?誰が読むのだろうか?(私か?)・・・不思議な本である。

それにしても、24人もの作家が書いているというのに、その中で私が知っている作家は7人しかいなかった。世の中には作家がたくさんいるんだなぁ。

この本を読んでいて一番感動(?)したのは、監修者井上雅彦の解説だ。全ての作品を1つずつ絶賛している。ここまで褒めまくれるというのは才能だなぁ。それとも短編ホラーに対する愛だろうか?少なくとも監修者の意気込みは感じられる本である。


2011年05月02日(月) 片付け読書ノート21: レベル7

宮部みゆき著 新潮文庫
平成5年9月25日発行
ISBN4-10-136912-7

読み終わった本を送ってくれる友人がいる。彼女は宮部みゆきが好きらしい。だから彼女が送ってくれる本の中には必ず宮部みゆきの本が数冊入っている。私は彼女から貰う以外に宮部みゆきの本を読んだことがない。が、読むたびに、「面白いなぁ」と思う。いつも一気に読んでしまう。宮部みゆきはエンターテイナーなのだと思う。だから読み始めるといつも物語りに引きずり込まれてしまうのだろう。でもまぁ、それだけと言えばそれだけだな。読み返そうとまでは思わない。「ああ、面白かった。」でお終い。でも、私はそういう本が嫌いではない。読後にず〜んと心に残る本より好きだ。さて、この『レベル7』、Book Offのステッカーが貼ってあるから、その友人に貰った本ではない。別の人に貰った・・・ということは、宮部みゆきという人は人気があるのだろう。

復讐物語である。登場人物は絵に描いたような悪人と善人。スーパーヒーロー(名探偵)は登場しない。でもミステリー。この分厚さでたった4日間の物語。おバカな女子高校生が登場するために話が複雑になるのだが、彼女が中々健気で可愛い。“To become old and wise, you need to be young and stupid.”というフレーズを思い出させる。彼女は思いやりがあって賢い大人になるに違いない。

タイトルの『レベル7』にそれほど重要な意味がなかったのがちょっと残念。実に思わせぶりなタイトルなので、かなり期待した。充分エンターテインして頂いたけどね。


2011年05月01日(日) デブと胴長の悩み

愚息はデブである。デブであるから、TシャツのサイズはXLである。ところが、アメリカのTシャツというのは、サイズが大きくなると丈も長くなる。愚息はデブの上にチビなので、これは困る・・・らしい。普段は裾はジーンズの中にたくし込まずに外に出しているので、多少丈が長くても問題はない。が、下着として着るタンクトップはジーンズの中にたくし込む・・・らしい。長〜いシャツをジーンズにたくしこむと、もこもこして中々気持ち悪いそうである。これはデブの宿命なのであろう。

さて、私のTシャツのサイズはXSである。私は痩せていると誤解されると困るので(実は全然困らないが)、一応断っておくが、これはアメリカ・サイズである。先日、日本で母に買ってもらったユニクロのTシャツのサイズを見てみたら、XLであった・・・痩せてるどころか、日本にいたらデブですな。で、アメリカのTシャツというのは、サイズが小さくなると丈も短くなる。私は胴が長いので、これは困る。普段は特に困らないのだが、ジムに行って両手を高く上げる運動をやると、へそが見えるのである。スレンダーな若いお姉ちゃんがへそを出して運動しているのは可愛いが、腹が出たおばさんがへそを出してもみっともないだけである。かといって、腕を上げる度にTシャツの裾を引っ張る、というのもジムでは中々みっともない行為である。

ダブダブのTシャツを着るという手がある、と思って試してみたら、ダブダブの部分がウエイトマシンに引っかかってこけそうになり、余計みっともなかった。裾から耳までの距離が長くなるので、iPodを裾に挟んで運動している身としては、これまた不都合。という訳で、だぼシャツは不可。これは胴長の宿命か?

ま、タイトルには「デブと胴長の悩み」と書いたけど、現実は・・・こういう些細なことに悩んでいる暇は、私にも愚息にも無い。宿命であるなら、そのまんま受け入れようではないか。

という訳で、万一、ジムでへそを出してしまった腹が出たおばさんを見かけたら、目をそらして下さい。愚息の方は、ジーンズもだぼだぼなので、外から見ても彼の不快さはわかりません。


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