DOTFAMILYの平和な日々
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2010年06月30日(水) 苦肉の策

ダンナは今年3月に退職してから、ずっと家にいる。ま、自分の家なんだから当たり前と言えば当たり前だが、これって結構鬱陶しい。長年家族のために働いてきたダンナに対して鬱陶しいとは実に失礼だとは思うのだが、こっちはまだ仕事をしているので、「じゃ、一緒に遊びましょうね。」というわけにはいかない。

でもさぁ、まだ50代だぜ。働けとは言わないけど、趣味を持つとかボランティアやるとか、何かやった方が良いんじゃないの?

さて、ダンナを鬱陶しいがっているのは他にもいる。いい年して夏休みを満喫しようと思っていた愚息である。大学がある時は朝早くでかけて、夜遅く帰ってくるので、ダンナに会う時間はほぼ無かったのだが、夏休みになると遅くまで寝ているし、昼間家にいたりする。(コイツに関しては、「自分の家なんだから当たり前」とは言えない。彼は成人である・・・つまり、居候。)ダンナに会う時間が長くなる。長くなるとダンナの説教が始まる。

先日も、車が汚すぎると言って怒鳴りまくられていた。(もう4文字言葉使いまくり。)汚なかったのは愚息の車ではない。もちろんダンナの車でもない。私の車である。ダンナは日頃、自分の車さえピカピカならば、私や愚息の車が汚れていても気にしないのだが、その日は犬を医者に連れて行く日だった。ダンナは犬を医者に連れて行く時は私の車を使う。ほら、自分の車使うと汚れるでしょ。で、「こんな汚い車を俺に運転しろと言うのか!」という訳である。

じゃ、洗えよ、自分で!

ま、ダンナもストレス溜まってるわけですよ・・・暇だから。趣味ねぇし。誰も遊んでくれないんだもん。でも、私だけでなく、ダンナの友人達も、昼間は働いているのだ。50代で暇な人ってほとんどいないと思う。この不況時であるから、50代で仕事を無くした人は多いだろう。が、彼らのストレスは同情に値する。ダンナのストレスはなぁ・・・

アメリカの夏休みは長い。秋期は8月の末にならないと始まらない。という訳で愚息は彼なりに対策を考えた・・・らしい。

最近、自分のコンピュータを手に入れたダンナはネット・サーフィンに凝っている。凝っているっていったって、長時間同じ事を出来る人ではないから、毎日ちょっとずつやっている、という程度ではある。で、見つけた面白いサイトを私や愚息にメールでお知らせしてくる。余談だが、最近ダンナは私にせっせと「これを食べると痩せる」とか「痩せるための運動」とかいうニュースを毎日送ってくる・・・そんなにデブか、私?

「そうだ、父さんはコンピュータに興味があるに違いない。ここでコンピュータ・ゲームに嵌れば、うるさくなくなるに違いない。きっと1日中ゲームをやっているだろう。それに、ゲーム・サイトでお友達も出来るかもしれない。」

テレビのコントローラーでさえも見ないとチャンネルと変えられないヤツにコンピュータ・ゲームができると思うか?

で、愚息はスター・トレックのゲームを買ってきた。私と愚息はスター・ウォーズ派であるが、ダンナは断然スター・トレック派である。映画はもちろん、テレビのシリーズもDVDで全部持っている。オリジナルだけではない。Deep Space 9まで持っている。しかも、相当詳しい。

愚息が買ってきたゲームは、一つで二つのPCにインストールして、2人のユーザーを登録できるらしい。で、早速まずは自分のPCにインストールし・・・

「母さ〜ん、ちょっと来て!」
「何?」
「一ヶ月は無料だけど、登録する時にクレジット・カードの情報入れないといけないから、母さんのクレジット・カード使って。」
「一ヶ月経って続ける時は?
「その時は、カードにチャージされる。」
「で、母さんが払うわけ?」
「だって、これで父さんが忙しくなれば、安い物じゃないか。」

ま、嵌ればね・・・無理だと思うけど。

さて、早速自分が遊び始めた愚息は・・・

「このゲーム、すっごく遅い!」

ん?もしかしたら、いけるかもしれない。


2010年06月29日(火) DOTFAMILYの食卓

「今から買物に行ってこよう!」と昨日書いたのは、日曜日の事である。平日には「買物に行ってこよう!」なんて余裕は無い。必要な物があれば、黙って走る。

で、我が家の食卓であるが・・・そんな物はない。朝食と昼食(とおやつ)は各自が勝手な時間に食べる。夕食は、私の「飯!」の一言で、各自が台所に取りに来て、好きな場所へ持っていって食べる。ま、テレビの前ですな。見たい番組が違うので、ダンナは二階で食べ、愚息は下で食べる。私にはチャンネル権は無いが、テレビの前にはテーブルがあるので、だいたい愚息と一緒に食べる・・・っつうか、ダンナが勝手に一人で食べるのだ。

ダンナの妹には子供が3人いるのだが、彼らは夕食は家族揃ってダイニング・テーブルで食べる。テレビどころか音楽も無し。食事中に電話がかかってきても無視。日中それぞれの生活をしている家族が全員揃って1日の出来事をお話しながら食べるのである。そういう家庭で育つと、実に正しい子供が出来る。愚息がああなってしまった責任の一部は親にあるのである。(全部と言わないところがなんとも・・・でも、ダメな親を持っても立派に育っている人はたくさんいるはずだ。)

食卓が無いので、家族団らんも無い。だったらいっそのこと食事もしなければ良いのだが、残念ながらそうはいかない。昨日も書いたが、我が家の食事は実にシンプルである。夕食は生野菜と調理した野菜と肉または魚と御飯。週3回は肉(牛、豚、鳥各1回)で週3回が魚(種類は色々だけど、鮭、鯖、鯵など実に一般的な魚)。で、日曜日が麺類(シーフード・パスタが一番多いが、夏になると冷やし中華の回数が多くなる・・・献立は作る人が決めるのだ!)。

「今日は何を食べようかしら?」な〜んて事は一切考えない。「食えるだけでもありがたや。腹に入れば皆同じ。」なのである。ピーマンの肉詰めとかロール・キャベツとかいうしゃらくせぇ物は作らない。(挽肉食わねぇし。)

私は果物が嫌いで、ダンナは食わない。愚息は一口大に切って前に置けば何でも食うのだが、そんなメンドウなことはやってられないので、果物は朝食べることにしている。いちご、ブルーベリー、りんごに葡萄、オレンジ・ジュースにクランベリー・ジュース。腹が減って何でも良いから食いたい!という状態の時に食えば何でも美味しい。朝って腹減ってません?で、私が自分の分を用意するから、愚息も同じ。私の場合はそれでも果物は余り食べたくないので、ヨーグルトにぶっ込んで食べる。愚息の場合は、もう少しカロリーが欲しいから、澱粉質も物を添える。

昼はサンドイッチである。これもほぼ毎日、鮭のサンドイッチ。中身はまとめて3日分くらい作っておく。セロリを細かく刻んで、「これは、もしかして鮭サンドではなく、セロリ・サンド?」という位入れ、胡椒をガリガリと入れ、マヨネーズを気持ちだけ入れて混ぜておく。食べる前にパンを焼いて、レタスをトマトと作り置きの中身を入れて完了。添え物は枝豆とか豆腐とかみかんとか、滅茶苦茶いい加減。

という具合に、愚息と私は朝と昼はほぼ毎日同じ物を食べているのだが、ダンナは色々なものを食いたがる。じゃ、自分でやって!という訳で、冷蔵庫に入っているおかずを、自分で温めて食べてもらうことにしている。だいたい、ダンナが朝食を食べるのは私が仕事を始めた後だし、昼食だって自分の好きな時間に食べたい人なので(ま、それが隠居者の特権かもしれない)、ダンナが食べたい時に用意してあげる、なんてことはしない。(私はまだ隠居していない。)夕食だけは唯一出来たてが食べられるので、文句を言わずに決まった時間に食べる。

となると、ダンナにとって大切なのは御飯である。御飯さえあれば3食中2食は何とでもなる。ダンナは生野菜もほとんど食べない(健康上の理由)。となると、火を通した物と一緒に食べるのはパンよりも御飯だろう?

ところで、我が家は今年になってから白米を一切止めてしまった。愚息が育ち盛りの頃は、米の消費量が多かったので、質より量、味より値段だったのだが、最近米の消費量がぐ〜んと減ったので、炊飯器も小さいのに買い替え、ついでに米も玄米に変えた。が、玄米は高い。一粒でも無駄にしてはなるまい、と思うと、ついつい炊く量が減ってしまう。となると翌日の持ち越される御飯の量が少ない、ということが度々発生するようになる。

しかも、買物に行くのをサボると、サンドイッチの中身ができないので、私や夏休みで家で食事をする愚息まで昼に御飯を食べてしまうことがある。そうなると、早いもの勝ちである。(愚息はおかずを温めたりしないで、冷蔵庫の前に立ったまま食うので、この競争には強い!)

という訳で、最近、我が家は残り御飯をめぐって、無言の戦いが頻繁に発生している。

それにしても・・・おかずさえあれば、いや、漬物だけでもあればお腹を満たしてくれる御飯って偉い!


2010年06月28日(月) これは大人のやる事ではない!

食い物が無くなった・・・

基本的に私は週1回買出しに行く。週1回といっても1つのスーパーマーケットに週1回という意味で、アメリカのマーケットと日本食マーケットの二ヶ所行かなくてはならない。一度に一気に行ってしまう、というのが理想なのだが、なかなか理想通りには行かない。しかも、計画性が無いので、足りない物は近所のマーケットに買いに走る。

纏め買いをするので、我が家の冷蔵庫と冷凍庫はいつも一杯である。が、どちらも空っぽになってしまった。冷蔵庫には水だけ、冷凍庫には冷凍御飯(残り物)だけしか入っていない。私は6時に仕事を終えて、6時半には夕食を食べたいので、これは致命的である。冷凍御飯は愚息のおやつ用なので(『ちょっと雑炊』を使ってインスタント雑炊を作る・・・カロリーと塩分だけのおやつであるが、結構美味しい。)、夕食にはならない。

夕食を作るのに手間隙かける時間はないので、我が家の食卓(我が家に食卓なんてあるか?)は実にシンプルである。週末に買物をして、野菜を茹でて1回分ずつ冷蔵庫に入れる。肉と魚は冷凍庫に入れ、翌日の分だけ冷蔵庫に。ポテト・サラダやマカロニ・サラダも作っておくのだが、これは家族全員がおやつに食ってしまうので、これはその日の内に大半が無くなる。(DOTFAMILYの皆はよくおやつを食べるのだ。)夕食の支度は、茹で野菜をにんにくとオリーブ油で炒める。生野菜を洗って切る。肉と魚を焼く。で、お終い。

戦後の物が無い時代に育ったので(冗談です!)、いつも食料は余分に買い込んでいるのだが、流石に2週間も買物に行かないと、冷蔵庫は空になるんだなぁ。生野菜、腐るし・・・

買物に行く時間が無かったのではない。ただサボっただけである。元々買物は嫌い、というか外出が嫌いなので、気を抜くとすぐサボる。が、世の中にはサボっても良いこととサボってはいけないことがある。食料品の買出しは、サボってはいけないことである。料理の手抜きは構わないだろう。掃除もサボっても特に問題はないだろう。洗濯だって、着る物さえあれば、溜めても問題ないと思う。(愚息と私は枚数を持っていないので、現実は溜めると困る・・・ダンナは困らない。)

が、食料品が無いと飯が食えない。1日3回は食事をしなくては生きていけない。1日2回で良いという話もあるが、我が家は皆最低1日3回飯を食う。愚息は5回食う。内2回はおやつだが、彼はお菓子は食わない。ダンナもお菓子は食わない・・・お菓子を頂くのは私だけである・・・だから痩せない。

いつもの如く、話があちこちに飛んだが、要するに言いたいことは・・・食料品の買出しはサボってはいけないことの一つなのである。それも、多分生きていく上で一番大切なことなのだ。若い頃なら、外食でもファースト・フードでテイクアウトして来ても、若者パワーでカロリーを使ってしまうことも出来るだろうが、大人はそういうことをしてはいけない。これは50代の立派な大人のやることではない!

と反省して・・・今から買物に行ってこよう!


2010年06月27日(日) ・・・何故だろう?

パーソナル・トレーナに付いてもらって運動を始めて、予定の1/3が終了した。

愚息「ねぇねぇ、母さん、最近腹が益々出てきてない?」
愚母「うん、トレーニング始めてから、以前より腹が出てきた気がする。」
愚息「体重は?」
愚母「増えてないよ。」(減ってないけど。)
愚息「じゃ、腹だけか。」

そうなのだ、トレーニングを始める前だって、私の腹はかなり出ていたのだが、最近時に目だって出てきたのだ・・・

何故だろう?


2010年06月26日(土) 手動変速レバー

車のパーツの名前はほとんど知らないのだが、車はStick ShiftとAutomaticに分けられる、という事くらいは知っている。日本に住んでいた時は運転免許は持っていなかったので、基本中の基本用語はアメリカで学んだ。タイヤとかブレーキとか・・・あっ、日本語でも同じか。が、Stick Shiftは日本語で何と言うか知らなかったので、この度辞書で調べてみた・・・手動変速レバー。こういう言葉、ホントに使ってるの、日本人?

アメリカでStick ShiftとかAutomaticとか言う場合、その後のCarという言葉が省略されている。日本語でも省略されているのだろうから、「手動変速レバー自動車」になる。う〜ん、これは長すぎる。多分、日本語でも省略された言い方があるのだろう。ま、どうでも良いか。

さて、話は変わって・・・先日、期末テストを終えた愚息が友人達と一緒にラスベガスへ遊びに行った。なんでも滅茶苦茶安く泊まれるホテルがあったらしい。皆で割ると1日一人5ドル(約500円)。愚息はギャンブルには興味がないらしいので(金も無いし)、ギャンブルが解禁となる21歳の誕生日にも、ラスベガスへは行かなかったのだが、ラスベガスが有名なのはギャンブルだけではない・・・UFCの本社がありますねぇ。

という訳で、友人達のお誘いに乗ることにしたそうだ。ほとんどの人達は金曜日に休みを取って朝出発したらしいのだが、愚息を含める学生3人は、期末テストとバイト(愚息は空手の練習・・・彼は働かない)があるため、金曜日の夜中近くに出発することにした。が・・・

一人は車を持っていない。もう一人は先日事故って車が廃車になったばかり。という訳で、愚息のDOTMOBILEで行くことになったらしい・・・あれは3人も乗れるのか?乗れても3人分の荷物が積めるのか?しかも・・・一緒に行く男の子達はどちらもStick Shiftが運転できないというではないか!空手の練習が終わってへとへとになってる時に、一人でラスベガスまで運転していくの?そもそも、何故他の子はStick Shiftが運転できないんだ?男の子だろうが!

愚息のDOTMOBILE一号はAutomaticだった。購入条件が「安くて走る」だったので、手動か自動かなんて考えもしなかった。が、買った後、我が家の家族全員でお世話になっているメカニックから馬鹿にされたそうである。

「男の子がAutomaticに乗ってて恥ずかしくない?」

そのメカニック、男の子が2人と女の子が2人いるのだが、免許を取る時は女の子もStick Shiftで練習させたそうである。彼に言わせれば、Automaticに乗るにしても、Stick Shiftの使い方は知ってなければならない。まして、若い男の子がおばさんみたいにAutomaticに乗るとは何事だ!

車の事など何も知らない(私は色々な事を何も知らない)私は、車に関してはそのメカニックの言うなりなので、DOTMOBILE二号からはStick Shiftにした。(現在、DOTMOBILE三号に乗っている・・・安物買うと長持ちしないね・・・でも、二号は練習用だったし、実にDOTMANらしい車だったのだ。)男の子はStick Shiftを運転できなければならない、という彼の言葉を信じたのである。でも・・・

いるじゃないか、Stick Shift運転出来ない男の子が・・・2人も!

だいたい、「男の癖に」とか「女の癖に」とか言うのは時代遅れなのだ。ちなみにそのStick Shiftを運転出来ない男の子のお姉さんはStick Shiftの車に乗っている。

だいたい不便なんだよね、Stick Shift。邪魔になる時、私が勝手に動せないじゃないか!(当然私はStick Shiftは運転出来ない。)


2010年06月25日(金) れっつ・わーくあうと 5: 筋肉が無ければ筋肉痛にはならない

最近、「れっつ・わーくあうと」の話題だけでやっているという感じであるが、現在仕事以外はジム通い位しかしていないので他に話題が無い。実に申し訳ないとは思うのだが、ダンナに対する愚痴ばかり書き続けると自分が暗くなるので、ダンナに対する愚痴はしばらくお休みしようと思っている。(って書くと絶対ダンナ・ネタができるんだぜ。)

何度も繰り返すが、私がパーソナル・トレーナーに付いてもらって運動している第一目的は肩の治療である。第二目的は腰痛の減少である。いくら腹が出てたって痛みはないし、日常生活に不自由も無い。従って、腹筋なんぞを鍛える気はさらさら無い。

さらさら無いのだが、気が弱い私は「次はこれをやりましょう。」と言われると反論できずに諾々を従ってしまう。で、先日ついに腹筋をやらされてしまった。が、どうも普段とは様子が違う。普段のトレーナーは私に指示を与えるだけで、自分は何もやらはい。ウォーム・アップのためのジョギングやジャンピング・ジャックはフォームも何もあったもんじゃないので、隣で自分もやっているが、その他は私が正しくやっているかどうかを確認している。(正しいトレーナーのあり方である。)が、その日は隣で同じ事をやっている。というか、私はいつもの如く途中で力尽きて挫折してしまうのだが、私が休んでいる間も彼は続ける。

「じゃ次はクランチ。」

クランチとは膝を曲げて仰向けに寝て、手は頭の後ろ。その姿勢で上体を一旦起こし、その後は身体を一番下までは倒さずに適度な所まで倒してから元に戻すという運動・・・私はよくクリンチと間違って「ほう、そのポジションから膝蹴りでもやるかね?」とか「じゃパモルの練習もやる?」とか笑われる・・・何故私の周りにはそういうジョークを連発するヤツが多いのだろう?(このジョークの意味がわからなかった人とはお友達になりたい。すぐにわかった人は、私のささやかな世界には足を踏み入れないで欲しい。笑った人は・・・嫌いだ!)

さて、クランチは足を押さえていてもらわないと上手くやれないので・・・

「じゃ、交代でやろうね。」

交代はありがたい。その分休める。

ん?出来ない。上体をやっとの事で起こして、ちょっとずつゆっくりと倒して行こうとすると、ある程度まで行くと力尽きて勢い良く倒れてしまう・・・ゴン!(頭打った音)

よいしょ、ゴン!よいしょ、ゴン!の繰り返しである。

「お腹、痛くなった?」
「いや、後頭部が痛い。」
「・・・じゃ、最後は〇〇ね。」(〇〇の部分には正しい英語が入るのだが、聞き取れなかった。)
「???」
「こうやってうつ伏せに寝て、肘を突いて手は顎の下。で、つま先を上げてそのままの姿勢でじっとしててる。」
「あっ、『考えるポーズ』ね。」
「・・・そう言われればそういう風にも見える。」

『考えるポーズ』(Thinking Pose)。これは愚息がフットボールをやっていた時に習ったトレーニングの一つである。見かけは可愛いのだが、結構手ごわい。でも、面白がって愚息と一緒によくやっていたのでこれだけは出来る。出来ると言っても10秒が限界なのだが。トレーナーは隣で必死で続けている。やはり今日の彼は変だ。

トレーニングの終わりに近づくと、私の体力は限界を過ぎ、荒い息が治まるまでの時間が長くなる。そういう時、トレーナーと無駄話をする。(私は話すどころではないので、相槌を打ってる振りをするだけなのだが・・・無駄話なんぞ聞く余裕は無い!)

「先週末、ドジャーズの試合見にいったんだけど、ついついビール飲んで、ドジャーズ・ドッグ食べて、ポップコーンも大きいの一人で食べてしまって・・・なんかお腹の周りがダボついてる感じがして調子悪いんだよね。腹の周りに脂肪がついた気がする。朝から必死になって運動しているんだけど・・・やっぱりジャンクフードはよくないね。」

ちょっとちょっとちょっとぉ!もしかして本日の腹筋運動は自分のため?

さて、思いっきり腹筋運動をさせられた後、「明日は腹筋が痛むかもしれませんが、これもシックス・パックを作るためだと思って頑張って下さい!」と言われた。

・・・誰がシックス・パック、作ろうと思ってるんだ?!

翌日、私の腹は全く痛まなかった・・・その代わり、脚と腰が思いっきり痛かった。

腹筋が無ければ、腹の筋肉痛にはならない!


2010年06月24日(木) れっつ・わーくあうと: 番外編 3


愚息のトレーナーと話している時、私のトレーニングの話になった。

「ところで、トレーニング、楽しんでますか?」
「いいえ、全然。」
「へっ?トレーナーに不満でも?」
「いいえ、トレーナーに不満はありません。でも私は運動が嫌いです。」
「続けていたら楽しくなりませんか?」
「全然なりません。苦痛です。」

そこにジムのマネージャーが入ってきた。

「どうです、トレーニング?」
「痛いです。」
「どこが?」
「火・水は下半身が痛くて、木・金は上半身が痛い。土日は身体は少し楽になるけど、月曜日の事を考えると心が痛む。」
「・・・楽しくない?」
「全然楽しくありません!」

という会話を真面目に交わした後・・・

「お母さんって息子さんと同じで面白い人ですねぇ。」

と言われた・・・この会話のどこが面白いんだ?私は冗談は何一つ言っていない。聞かれた質問に真面目に答えただけである。この会話も含めて愚息のトレーナーと話している間はニコリともしていないはずだ。真面目に真剣に集中してお話をしていたのだ。

トレーニングは楽しいものだと信じ込んでいる人達とは会話が通じない。私がいくら真面目に正直に話しても、冗談だと取られるのである。

これは英語の問題ではない!


2010年06月23日(水) れっつ・わーくあうと: 番外編 2

私がメンバーになっているジムは、受付の後ろにカーディオ・マシンとウエイト・マシンがずらっと並んでいる。ここがメインである。ほとんどの人はここで運動をする。その後ろ左手にヨガなんかのクラスを行うガラス張りの部屋がある。右手にはフリー・ウエイトが置いてあるケージに囲まれた部屋がある。

私のセッションは夜9時からなので、クラスが終わった部屋を使う。マシンはほとんど使わない。マシンは自分の力に合わせて調節できるし、落とす心配もないから、一人でやる人には実に安全で便利であるが、同じ部分を鍛えるならマシーンを使わない方が効果は高いらしい。私にはトレーナーがついているので、基本的にはマシンは必要ないのだが、余りに力が無いので、マシンのお世話になることもある。例えば、私は腕立て伏せと懸垂が一回もできない。だから、それ用の筋肉のためにはマシンのお世話になる。懸垂マシンなんて優れものですぜ。ウエイトを重くすれば、楽々懸垂ができる。

一方、本格的にトレーニングをやる人達はケージの中のフリー・ウエイトを使う。いやホント、檻の中に猛獣を入れて一般人から隔離しましょう、という感じの場所なのだ。ここにはダンベルなどのフリー・ウエイト(私が使っているようなカラフルなダンベルは置いてない)やベンチ・プレス用のベンチ、う〜ん、こういう拷問の器具をどこかで見たことがあるぞ(力を抜くと四肢が張り裂けてしまうヤツ)といった器具が置いてある。怖いから足を踏み入れたことはない。格好つけようと思って入ったガキどもは、常連のマッチョなおじさん達による無言のプレッシャーですぐに追い出されるらしい。が、ここにある最低ウエイト(ダンベルなら10キロ位からあるんじゃないかな・・・甘いかな?)を使える人なら、やる気さえ見せれば周りの人達が親切に教えてくれるらしい。で、当然愚息はこの中にいる。(カーディオやれ、カーディオ!)

このジムにはトレーナーが10人ほどいるらしい。愚息は真面目にジムに通っているので(って遊びに行ってるんだけど)、トレーナーのほとんどと顔なじみであるらしい。その中に2人だけ、空き時間(パーソナル・トレーニングが入っていない時間)には寸暇も惜しまずに檻の中に入って自分のトレーニングをやっているトレーナーがいるそうである。汗びっしょりになって、真剣に、自分の筋肉を確認しながら(見とれているんじゃない、自分に?)。一人は愚息のトレーナーである。

やっぱり興味はコンディショニングじゃなくて筋トレじゃないか!

愚息は口だけで偉そうな事を言って自分は何もやらない大人を面と向かって馬鹿にするのを得意とするのだが、人にやれという事以上の事を自分がやってる人には非常に敬意を払う。長い間、真剣にトレーニングをする姿を見てきた愚息は、そのトレーナーに一目置いている。実は、これまでも何度もアドバイスをしてもらっていたらしいのだが、自分の時間は人に邪魔されたくないと、彼は自分のトレーニング中はトレーナーの制服を脱いでいるので(制服着てると質問されたりした時に丁寧に指導してあげないといけないから・・・勤務中であるから当然である)、愚息は彼がジムのトレーナーだということを長い間知らなかったらしい。ただの親切なお兄さん(愚息と余り年齢が変わらない)だと思っていたそうである。

実際、愚息のトレーニングの時間が終わった後、さっと制服を脱いで「もうちょっと一緒にやろう!」と言って・・・マネージャから「サボるな!」というお叱りのメッセージが携帯電話に入ったことがあったらしい。

そういう人であるから、運動に関する知識が全くない私は、結局丸め込まれてしまって・・・愚息のトレーニングを続けることに合意してしまった。

「息子さんが続けられなくなった時には、残りはお母さんがやれば良いじゃないですか。僕、トレーニングしますよ。」

・・・絶対イヤだ!

ちなみに、空き時間に檻の中で真剣に自分のトレーニングをやっているもう一人のトレーナーは、私のトレーナーである。

もっと、気合が入っていないトレーナーに変えてくれない?


2010年06月22日(火) れっつ・わーくあうと: 番外編 1

パーソナル・トレーナについてもらって一定期間運動をすることに決めたとき、支払いは前払いで一気に払ってしまった。前払いすると止めるわけにはいかなくなるだろう、と自分で自分を追い込んだのである。すると、5回分オマケをしてあげる、と言われた。う〜ん、オマケは嬉しいが、5回余分にやるのはちょっとなぁ・・・という訳で、その5回を愚息にプレゼントすることにした。

愚息は力はそこそこあるのだが、持久力が無い。このテクノロジー時代に力を使うことなど余りないが、いつの時代でも持久力は大切である。また、筋肉もそこそこあるのだが、脂肪もちゃんとある。これは健康的ではない。若い頃は力で乗り切っても、この脂肪を中年まで持ち越すのはマズイだろう。というか、10代の頃は体重はあったが体脂肪率は低かったのだ。ここ数年で脂肪が増えた気がする。

「5回分、息子に回しても良いですか?彼は持久力が無いので、そちらの方をお願いしたいんですが。」
「では、こちらでコンディショニング専門のトレーナーを用意しましょう。」

という事になって、家に帰ってきてその旨愚息に伝えた。愚息は当然嫌がった。彼は筋トレは大好きだが、持久力のための運動は大嫌いなのだ・・・だからデブなんだよ!「1回行ってみて、どうしてもイヤだったら残りは母さんがやるから。」と説得したのが5月の始めの事である。そして、5月の後半になって渋々トレーニングを始め、6月の後半になってまだ2回。これじゃペースが遅すぎる。

愚母「イヤなら今度行った時に止めるって言って残りは母さんに回してもらいなさい。」
愚息「イヤってわけじゃないんだけど、忙しくて行けなかったの。」

あ、そっか、期末テストがあったんだっけ?まさか、愚息が期末テストの勉強をするとは思っていなかった。(おかげで今期は前科目パスした・・・珍しいぞ!)

さて、3回目を終えて帰ってきた愚息が・・・

愚息「夏休みになったから後2回予約入れてきたんだけど、この2回が終わっても続けて良い?」
愚母「へっ?トレーナーとやるのイヤなんじゃなかったの?」
愚息「基本的には自分でやるのが好きなんだけど、色々教えてもらってるし、短期間で全部教えることは無理だって言われた。やっぱりちゃんと正しいやり方を学んだ方が良いと思う。

正論である。正論ではあるが、何かおかしい・・・

愚息は先月行われたBJJトーナメントのために205ポンドまで減量したのだが、先週末ラスベガスへ遊びに行き10ポンド太って戻ってきた。その後、215ポンドのままである。次回のトーナメントは階級を下げ、できれば自分と同じ位の身長の人とやりたいと言っていた癖に、全然体重を減らそうとしていない。(同じ身長の人とやりたいのなら、最低3つは階級を落とさないと無理なのでは?)もしかしたら、減量のために続けようと思ったのかな?イヤイヤ、そんなまともな考え方をするヤツじゃない!

愚息が「続けて良い?」というのは「金、払ってくれる?」という意味である。ここは当然「そんな金は無い!」と言うべきなんだろうが、私は健康と教育のためにお金を使うことに関してはとても寛大なのだ。が、大金を使う前にはそれなりの下調べというものが必要であろう。という訳で、愚息のトレーナーに会いに行った。コンディショニングのトレーナーという位だから、さぞスリムな人であろうと思っていたら・・・

滅茶苦茶バフ(筋骨隆々)な兄ちゃんじゃないか!
本当にコンディショニングのトレーナーかよ!

「あのぉ・・・息子がパーソナル・トレーナーを続けたいと言っているのですが、一体どういうトレーニングをしているのでしょう?」
「彼は無駄な筋肉が付きすぎてますから、大きな筋肉を落として、小さな筋肉を鍛えてですね、もっとバランスが取れた、肉体にする方法を教えていきたいと思っているのですが、やはり短期間で肉体改造するのは無理がありますから、後3ヶ月、少なくとも2ヶ月はやらないと一通りのことは教えられないと思うんですよね。」
「いや、私がお願いしたかったのは、筋トレではなく、持久力の方で・・・脂肪も落とした方が良いと思うし・・・外見でなく健康に重点を置いてですね・・・」
「正しい筋肉を付けると脂肪は自然に落ちますし、筋トレと言ってもサーキット・トレーニングではなく休みなしでやりますから、持久力も付くはずです!」
「いや、だから筋トレはほっといてもやる子だし・・・息子は持久力を付ける運動が嫌いだから、トレーナーと一緒にやって貰えると健康にもなるし、私は筋肉隆々の身体なんで必要とは思っていないし・・・」
「いえ、必要なのは正しい筋肉です!」
「・・・8月の後半には大学が始まるので、時間も取れなくなると思うのですが・・・」
「僕は、月曜日から土曜日まで毎日、朝7時から夜10時までジムにいますから、時間は合わせられます。忙しくても最低毎日1時間は筋トレをやらなくては・・・」

こりゃ何言っても無駄だ・・・話が全て筋トレに行ってしまう。愚息が気に入るわけだ。それにしても毎日15時間もジムで過ごすとは・・・

こいつは一体どういう生活をしているんだ!


2010年06月21日(月) MeadのComposition Book 3: 余談

余談といえば、私の日記は全部余談みたいなものだけど・・・

25年前に結婚してアメリカに引っ越すまで、私は家事というものをした事がなかった。何しろ大学に通うために家を出るまで洗濯機の使い方すら知らなかったのだ。結婚したからと言って家事を全て引き受けなくてはならない、などとは思っていなかったが(今でも思っていない)、全くやらないと言う訳にはいくまい。という訳で、基本くらいは学ぶことにした。

私は何か新しい事を学ぶ時には、まず本を読む。そこで、結婚を目前にして参考になりそうな本を探すことにした。(当時はインターネットなんでありませんでしたぜ。)本屋に行って見ると・・・結構あるんですな、家事に関する本が。入門なんだから、余り分厚い本は必要あるまい・・・重いのはアメリカに持っていく時にも不便だし。それに、「おばあちゃんの知恵袋」系でなく、新しい方が良いな。

という訳で、選んだのが村上祥子著の「わたしの家事ノート」(講談社)である。興味が無い分野なので、その後それ系の本は全く増えず、未だに時々この本を読み返している・・・興味がない事は覚えない。1985年5月17日 第一刷発行と書いてあるので、本当にぎりぎりになって買ったのだな。(私がオフィシャルに結婚したのは1985年の5月末であるから、実際は結婚した後に買ったのだろう・・・が、アメリカに渡ったのは同年の8月である。)アメリカに引っ越してから、調理器具はこの本に従って揃えた記憶がある。と言っても、金がなかったので、「六個のなべで料理はこなせる」という章に書いてある鍋の最初の二つ「中華なべが一つ。五リットルの湯を沸かせる深鍋が一つ。」だけで、最初の2年を過ごした。

という話を書こうとしていたのではない。この本の最初に「一にコツコツ、二に記録、私の料理術」という章があり、その章は「ルーズリーフ200枚をはさんだバインダーを300冊持っています。26穴の布張り金具つきコクヨハ420で一冊2200円です。」という文章で始まる。このコクヨの布張りのバインダーが日本にいた頃私が愛用していたバインダーである。このバインダー、当時会社では良く使われていたのではないかと思うのだが、個人的に使っている人に会ったことは一度しかない。地味でシンプルで丈夫なバインダーである。(まだ健在なのかな?)

小学四年生になって、学校指定のノートを使わなくて良くなった時から、中学時代まで、私は大学ノートを使っていた。当時の大学ノートは表紙が鼠色(グレイではない・・・そんな洒落た色ではない)で、紙は黄色がかっていた。 大学ノートを使っていた理由は、家にあったからだ。このノートは何冊使っても良かったが、自分の好きなノートを買ってはもらえなかった。クラスメート達は皆色とりどりのノートを使っていたが、私には選択の余地はなかった。が、私は小さな頃から可愛くなかったので、クラスメート達は渋い大学ノートを使っているのは私の趣味だと解釈していた。

「あの人は大人だから、私達のようにガキっぽいノートは使わないのだ。」

もちろん事実は違ったのだが、そいうい些細な事を一々訂正したりしない・・・うん、やはり可愛くなかったのだな。しかし、このような子供時代を送ったせいで、私の可愛くなさには磨きがかかったのではないかと思う。

高校生になってから、レポート用紙を使う必要性が出てきたためもあって、バインダーを使うようになった。それでも、学校以外の目的のためには相変わらず大学ノートを使っていた。そして、植草甚一の本でMeadのComposition Notebookに出会ってからアメリカで実物を目にするまでは、ずっとこのノートに憧れてながらね鼠色の大学ノートを使い続けることになる。鼠色の大学ノートも長年使えば愛着が出てくるのだが。

考えてみると、植草甚一のノートを見ていなかったら、このノートにこれほど拘るようにはなっていなかったのかもしれないとも思う。が、このノート、映画Sevenだけでなく、色々な所でお目にかかるのも確かである。そして、その度に私の目を引く。DVDだったらポーズしたり巻き返したりして何度も観察する。だいたい、アメリカ映画でサイコな連続殺人犯が使っているのはこのノートですな。彼らは小さな字でみっしりと書き込む。(私は大きな字で乱雑に書いていくので、彼らの仲間ではない。)この可愛くないノートを飾り立てて可愛く使っているのもよく見かける。一番最近見たのは・・・

私の日記を読んでくださっている方はご存知ないと思うが、アメリカで一部の人達に人気があるリアリティ・ショーの一つにThe Ultimate Fighterという番組がある。この番組、UFCという会社(これについては6月17日の日記参照)と高額の契約を交わすこと目指してトレーニングして試合に勝ち抜いていくという番組である。コンテンダーはプロのMMAファイター。血の気が多い若者が16人、一つの家に閉じ込められて、テレビもテレビゲームもアイポッドも無く6週間過ごさなくてはならない。雑誌も本もダメ。(聖書だけは許されるみたいですな・・・じゃ、お経とかかも持ってって良いのかな?)外部との連絡は一切絶たれる。出かけるのはジムにトレーニングに行く時だけ。これはもぅ、精神的におかしくなりますな。(そこが面白くてわざと閉じ込めているらしい。)

この番組に、コンテンダー達が日記を書いているところがよく映る。MMAファイターと日記というのは実にアンバランスなので、精神療法の一つとして日記を書く事を勧められているのではないかと私は想像しているのだが、皆何かをノートにぎっしりと書いている。Rich Franklinみたいに自分のトレーニングや体調の記録をマメに取っていて、分析したり、試合前に見直したりしている人はいると思うが、長い文章をたらたらと書いているMMAファイターってちょっと想像できない。(完全に偏見)テーマとは全く関係がないので、この日記のようなものに関する説明は一切ないのだが、誰かがノートに何かを書き込んでいると、私は気になるのだ・・・それが誰であれ。それもどういうノートを使っているのかがとても気になる。

ノートは様々なのだが、アメリカで一般的ならせん綴じの左側に3つ穴が開いたノートを使っている人が多い。が、今回(シーズン11)、あのMeadのComposition Notebookを使っている人がいた。

「おお、やっぱり健在なんだ!」

ととても嬉しかった・・・そんな事が何故嬉しいんだろう?

ところで、何故たかが安物のノートごときについて3回にも渡ってだらだらと書いたのか?実は先日、テレビで映画Sevenを放映していたのを、ついつい見てしまって(DVD持ってるんだから、コマーシャルが無いDVDで見れば良いと思う)、Mead社のノートについての拘りを思い出してしまったからである。こんな事書いて読まされる方はたまらんだろう・・・

が、しょせん個人の日記である。
(開き直りと言おうか、自己中心的と言おうか・・・なんと失礼な!)


2010年06月20日(日) DOTFATERのプロジェクト: 父の日

本日は父の日である。

ダンナの家族は何かと言えば集まる。が、子供たちが大きくなるにつれ、それぞれが忙しくなり、集まる機会が減った。ダンナの弟の息子は独立して一人で暮らしているし、娘は結婚した。妹の長男は大学へ行くために他の州に住んでいる。次男と長女はまだ高校生だが、2人とも様々な活動をしているので週末も忙しい。ま、若者が忙しいというのは普通だと思う。週末用事もなく家でボーっとしている方が悲しい。

さて、家族が集まるとなると、料理を持ち寄りで誰かの家に集まる。感謝祭は弟の家、クリスマスは妹の家、お正月は我が家、と決まっているが、その他は決まっていないので、誰かが予定をたてなくてはならない。これまでは、妹と弟の奥さんと私が話し合って決めていた。(というか、妹と弟の奥さんが決めて私がそれの従っていた。)が、ダンナが暇になったので、今回は自分が動いてやろうという気になったようである。しかしダンナは自分の家族がどのように機能するのかがわかっていない。そりゃそうだ。これまで何もせずに決まった所に行くだけだった人が、突然企画に参加しようとしても、無理というものである・・・それが例え自分の家族であっても。

さて、季節労働者の私にとって、夏と冬は稼ぎ時である。この夏も5月31日からは休み無く毎日働いている。土日も祭日も無い。クリスマスやお正月(1月1日のみ)などの大きな祭日は、クライアント側が休みなので、私も仕事が無いが、父の日のような祭日ですら無い日はクライアント側が働いているので、私だって仕事をする。パートのおばさんにとって、仕事があるというのは有難いことなので、「父の日だから休みます!」なんて自分勝手なことは言わない。仮に言ったとしたら・・・快く承諾してくれる。が、個人で仕事をしているといってもチームの一人として働いているのだから、私が休めば他のメンバーに負担がかかる。私がやる分の仕事は他の人がやるのだ。(実際他の人達は「いつ寝てるの?」と思う位、いつも働いている。)もちろん、どうしても外せない用というのは誰にでもある。週末というものが無いのだから、当然ある。そういう時はお互い様だから、「〇〇日は〇〇のために休みます。」と言えば快く承諾してくれる。皆、余程の事でないと休まない、と信じきっているのである。

話を戻して・・・ダンナは1週間位前から父の日のイベントの計画を始めたようである。まず、一番身近な私に予定を聞いてきた。

愚夫「父の日、何時くらいだったら行ける?」
愚妻「日曜日は皆さんの出勤が遅いから、どこかのレストランでブランチなら参加出来る。2時か3時頃から仕事始めても大丈夫だから・・・多分。」

次にダンナは父親に電話をかけて、父の日に何がしたいか何処か行きたいところがあるか、と聞く。が、ダンナの父は90歳を過ぎた老人である。この歳になると普通は皆が祝ってくれる場所に誰かに連れて行ってもらって、そこで、楽しくお食事する、というのが普通だと思う。父の日とは言え、何がしたいかとか何処か行きたいところがあるか、とかそういう計画に関する質問をされても困る。若い頃はともかく、最近はずっと誰かが計画したイベントに誰かが連れて行く・・・というパターンだったのである。だから返事は・・・

「まだ、誰からも何も聞いていないからわからん。」
「だから、聞いてるんじゃないか!」

会話になりませんな。

そこで、妹に電話をする。

「今度の父の日だけど・・・」
「どうするの?」
「それを聞いてるんじゃないか!」

そもそも、企画とは企画者が何かを提案し、それを皆の意見を聞きながら調整していくものではないだろうか?一人でやるプロジェクトの場合は良いが、家族のイベントとなると、特にダンナの家族のイベントの場合は、誰かがまず提案をし、話し合いながら少しずつ調整していく。家族の場合、子供の成長と共にスケジュールが変わっていくので、毎年同じパターンという訳にはいかない。臨機応変に対応しなくてはならないのだ。それを何も提案せずに「どうしよう?」では話は進まない。まず、自分の意見をはっきりと伝え、その上で相手の意見を聞く。それが基本だろう?結果・・・

「誰も何も言わないから、計画がたてられない。」

皆はダンナが企画すると思っているから無いも言わない。提案があるのを待っている。ダンナは自分が企画すると言ったのだから、皆がそれぞれ計画を立てて自分に言ってくるのを待っている。皆の意見を聞いた上で調整をしようと思っている。だから一度電話をしたら、それ以降は自分からは電話をしない。自分が計画を立ててやろうと言っているのだから、皆はそれぞれのプランをダンナに報告しなければならない、と思っているらしい・・・何様だ?

私は仕事が忙しい。ダンナの弟夫婦は予定が入っていて参加できない。妹は、家族の世話を立派にやりながら、パートで働き、とにかく全然止まらずに起きてから寝るまで忙しく動いていて、夜ベッドに倒れた途端、眠りにつく、という実にエネルギッシュな人なのだ。ダンナが父の日の計画をする、と言ったからには、その件はダンナに任せて、自分から電話をかけてくるような人ではない。そんな時間は彼女には無い。という訳で何も決まらないまま時は流れる・・・

前日の夜になってダンナの妹から電話がかかってきた。

「家でBBQやるから、お昼頃両親を家に連れてきて。」

要するに、ダンナの妹が全てを計画して買物して準備することにしたのである。ま、ダンナの家族内での彼女の役割は『被害者』であるから、仕方なかろう。ちなみに私の役割は『傍観者』である。『加害者』は他になる。

愚夫「明日、妹の家で昼頃からBBQだって。」
愚妻「妹の家に行ったら、2時3時には帰って来れないから、私は行けない。」

・・・ダンナは物凄〜く不機嫌になった。一年で最も大切な日である『父の日』のイベントに私が参加しないなんて信じられない!と言わんばかりである。

ダンナの妹の家族は全員キリスト教である。日曜日の朝は教会へ行く。その後、BBQの材料を買いに行って、下準備を始めるのが早くて12時頃、食事は2時か3時に始まる、という事は考えなくてもわかる。だから、普通は日曜日に集まる時は3時頃に集まる。が、私が「日曜日のブランチなら行ける言っている」とダンナが主張したためにお昼頃から、という事になったらしい。「2時か3時に仕事を始めれば良いから。」という部分は完全に抜けている。

そういう場合は、妹に電話をして、私はどっちみち行けないから始める時間を遅くしてはどうか?と提案するんじゃないのかい?が、ダンナはそういう事はしない。妹が日曜日のお昼頃に準備をするために、どれだけ忙しい思いをしなくてはならないか、なんぞは全く考えないのだ。

なんて、愚痴を書く位なら前がやれば・・・って?

私は数年前に色々あってダンナの家族のイベントの企画には一切手を出さないことにした。決まったイベントには対しては文句を言わずに決まりに従う。参加できる時は参加するが、出来ない時は無理をしない。(結婚式や葬式は絶対参加する。)自分がやりたいイベント(とお正月)は、自分全部決めて皆に伝える。伝えたことが守られないという事はあらかじめ予定に入れておき、他の人はその場にやって来るだけで良いような計画をたてる。そうでもしない事にはダンナの家族とは上手くやっていけない。長年かけて「あの人はそういう人だから・・・」と思ってもらえるようになったのだ。ここでボランティアを始めるわけにはいかない!

さて、ダンナは11時頃一人で両親を迎えに行った。(愚息は柔術へ。)手ぶらで妹の家に行くのも何だからと思ったらしく、途中でケーキを買って行ったそうである。が、ダンナは甘い物は食べないので、どのケーキが美味しいかなんて全然わからない・・・美味しくなくて誰も食べなかったんだって。

そして、本日は珍しく仕事が全くなかった・・・実に平和な父の日を過ごさせて頂いた。


2010年06月19日(土) MeadのComposition Book 2: またお別れできません!

私の日記はすぐ脱線するし、余計な事まで書いてしまうので、だらだらと続くことが多い。読むほうにしてみれば、非常に読みにくいと思う。だから、余りに長くなる時は、二回三回に分けることにしている。で、昨日の続き・・・

時は流れ続け・・・どこにでも売っていたMeadのComposition Bookが次々と店から姿を消し始めた。模造品が幅を利かせ始めたのだ。サイズは同じ、罫線間の幅も同じ。だが、紙質が違う。表紙の厚みが違う。そして・・・表紙がやたらカラフル。表紙がカラフルなのは問題ない。問題は同じデザインの模造品である。何度も間違って買ってしまった。多分表紙がカラフルなのは模造品とは言わないのだろう。ノートなんて基本構造は同じなのだから、サイズが同じだからといって模造品扱いするのは間違っているのだろう。そもそも紙のサイズというのは定型なんだし。

例えば、店に同じデザインで同じサイズのノートが二冊あったとする。一冊は普通のノートで、もう一冊は再生紙を使ってある。となると再生紙の方を買うわな、普通。が、10年頃前まで、アメリカの再生紙は紙質がやたら悪かったのだ。色が悪いのは兎も角、消しゴムを使うと紙が破れる。何かを貼り付けると、重みで紙が破れる。ボールペンで強く書き込むとまた破れる。・・・これは困る。私は気に入った物は長く使うのだが、決して丁寧には使わない。扱いが乱暴なので、丈夫でないとノートですらすぐ壊す(破る)。実はMeadのノートは紙質が非常に良いというのに気付いたのは、随分後になってからのことで、10年前までは紙質のことなんて考えてもいなかった。で、何度か模造品を買って無駄使いをしてしまった。最近は再生紙でも紙質が良くなりましたな。某文房具社のノートは再生市だけを使っているが、表紙、中身とも紙質がMead社のものと変わらない・・・が、表紙が可愛過ぎる。

結局、Meadのノートが店から姿を消して行ったといのは、表紙のデザインに問題があったのだろうな。可愛くないもん。あの牛を連想させる表紙は今時の若者には受けないのであろう。しかも、高校生になると、カレッジ・ルールという罫線間の幅が狭いノートを使うことを強要される。大学はもちろんカレッジっつうくらいだからカレッジ・ルールを使わなくてはならない。カレッジ・ルールは罫線間の幅が日本の大学ノートと同じである。だから、高校に入ったら、Meadのノートは使わなくなる。

さらに・・・やはり日本と同じく主流はバインダーなのだ。(日本と違ってスリー・リングだけど・・・これは破れ易い。)学校でもノートを科目ごとに用意するのはメンドウだし、先生に1枚提出する時にも糸で綴じてあるノートは不便である。提出される方だってイヤだろう。だからMead社の物であれ、他の会社の物であれ、Composition Notebook自体の需要が減っているのだ。小学生くらいしか使わない・・・いや、小学生すら使わなくなっているのかもしれない。現在売っているノートの主流は、破り易いように糊で綴じてあり、しかも、左側に穴が3つある。でもさ、学生なら兎も角、一般人にとってバインダーって使いにくいと思いません?大きいし、重いし、立ったまま表紙をひっくり返して書く時にも不便だし。

もちろんMead社は健在である。そしてComposition Notebookも作り続けている。私の近所の店で売っていないだけ。最後にMeadのComposition Notebookを店で見たのは去年の初めことであった。それでも長年使い続けてきたノートであるので、そう簡単には諦められない。映画Sevenのように2千冊も棚にずらっと並べている訳ではないが、愛着というものがある。

私は基本的には1冊のノートに何でも書き込む。日記も大学の授業のノートも仕事のメモも全て同じノートを使う。Diaryと言うよりJournalである・・・Logかな?スケジュール兼アドレス・ブックと買物メモだけは持ち運びに便利なように別である。実はスケジュールやアドレスも同じノートに書き込んでいたこともあったのだが、これは不便になったので止めた。(2008年7月17日の日記参照)そもそも、しょーもない事しか書いてないので、前の使ったノートを見直すことはまずない。見直す可能性があるものだけ索引を作っている。(索引というほど大袈裟なものではなく、ただのメモだけど。)色々な物も貼り付けてある。何しろ私はノートの使い方を植草甚一の本から学んだのだ。植草甚一のノートほどではないが、使い終わると二倍位には膨らんでいる。

という訳で、近所の店に無いというだけで諦めるわけにはいかない。そこで、インターネットで纏め買いをすることにした。1箱12冊入りのノートを2箱以上買うと送料が無料になり、やたら安い。う〜ん、そういう手があったのか・・・こんなことならもっと早くからインターネットで買っておけば良かった。

残念ながら、インターネットで購入したMead社のノートも表紙が薄くなり、表面もツルツルしている。レトロなところが好きだったんだけどな。が、中の紙質は変わっていないから、良しとしよう。

でも、纏め買いすると、ストックがたくさんあるので、無駄使いしそうな気がする。


2010年06月18日(金) MeadのComposition Book 1:出会い

昔々、う〜ん、高校生の頃だったか大学生の頃だったか定かではないのだが、植草甚一という人が書いた本に凝っていたことがある。(あの人は一体何者だったのだろう?)で、その中の一冊に彼がアメリカに旅行した時のスクラップ・ブックの写真が載っていた。黒っぽい表紙の何の変哲も無いノートに何でもかんでも貼り付けてある、という感じだった。書き込みもたくさんあったから、あれはスクラップ・ブックではなく、日記帳だったのかもしれない。普通のノートに「こういうものは普通貼らんだろう」という物まで貼ってあるのだから、1冊のノートが3、4倍に膨らんでいる。そんなノートが何冊も紐で束ねてあった写真は、今でもよく覚えている。(題名は忘れたけど。)どうやら、彼はそのノートを愛用していて、アメリカ旅行の記録だけでなく、日本でも、日常に使っていたらしい。そもそもスクラップが好きな人だったようですな。

それにしても、あれだけ貼り付けて膨らませても壊れないというのは相当頑丈なノートではないだろうか?私もそういうノートが欲しい!と心から思った。が、あれはアメリカのノートであって、当時日本では手に入らなかった。多分探せば手に入ったのだろうが、当時の私はそういうものを探す手段を知らなかった。大学生の頃、片岡義男という人が書いた「スリー・リングのバインダー」という本(題名だったか副題だったか忘れたが・・・あまり興味ある作家ではなかったので)を友人から借りて読んだ後、「スリー・リングのバインダーってアメリカでは一般的なんだよ。銀座のソニー・プラザで売ってるよ。」という友人の言葉に、「スリー・リングのバインダーがアメリカ製でソニー・プラザに売っているなら、植草甚一が使っていたノートも売っているかもしれない。」と思って、見知らぬ街銀座まで脚を伸ばしてみたのだが・・・無かった。(私は大学は東京だったが大学周辺しか知らない・・・銀座など数えるほどしか行ったことがない。当時から繁華街は苦手だったのだ。)

時は流れ・・・アメリカに引っ越してきてからまず探したのがそのノートである。というか、探すほどのこともない。あのノート(Meadという会社が作っているComposition Book)はスーパー・マーケットでもコンビにでも売っていたのだ。

「おお!やっとお会いできましたね!」

とにかく感動した。たかがノートでと思われるかもしれないが、結構思い入れがあったノートなのである。表紙が厚紙、というか厚手の馬糞紙(とうものが昔あった)で出来ているという感じで、その厚紙に黒と白の斑の紙が貼り付けてある。表紙が厚いから、膝の上でも立ったままでも書き込める。そして糊ではなく、ちゃんと糸で綴じてある。だから、色んな物を貼り付けても簡単には壊れない。紙質も良く、ちょっとやそっとでは破れないが、1枚1枚は薄い。罫線間の幅は大きく、大学ノートの1.5倍位あるのではないだろうか?だから小学生にも使いやすい。もちろん安い。それ以来、私のノートは全てこのノートである。アメリカに来て以来、日記帳(というか日誌帳)はずっとこれを使っている。

さらに時は流れ・・・1995年(だったと思う)にSevenという映画が出た。Brad PittとMorgan Freeman出演していたサスペンス映画である。その中に犯人のアパートを捜査するシーンがあるのだが、彼の本棚にはMeadのComposition Bookがずらーっと並んでいる。(映画のプロローグは彼がこのノートにスクラップしたり書き込んだりしたりするシーン。)彼はそのノートの1行を3行に使って小さな文字でびっしりと何かを書き込んでいる。ナントそんなノートが2千冊ほどあったそうである。(そんなにあるようには見えなかったぞ。)いやぁ、私は本がずらっと並んでいるのにも感動するが、使用済みの同じノートがずらっと並んでいるのには更に感動しますな。フィクションとはいえ、強烈なイメージであった。あの映画は映画自体も好きなのだが(Morgan Freeman好きだもん)、あのシーンが見たくて、未だに定期的に見直している。

うん、そう、私は小さな頃からノートが大好きなのだ。服なんぞは着ていれば良い、車も走れば良い、宝石類には興味が無い。が、好きな物には拘る。たかがノート一冊でも拘る。それも必死になって探し求めるのではなく、心に留めておいて出会いを待つ。それが何十年であっても、決して忘れない。私にはノートだけでなく、そういう物がたくさんある。

そういう物に出会った時って、本当に幸せだよね!


2010年06月17日(木) 総合格闘技、絶対反対!

私が小さな頃、父は某大学の武道部(剣道・柔道・空手)の顧問をしていた。そのせいで、時々試合に連れて行かれた。空手の試合に行った時の事。スポーツ空手なので寸止めではあるのだが、そこはほれ、未熟な学生さん達だから、上手く寸止めできないことがある。で、鼻なんかにあたると、どばーっと出血する。しばらくすると、マットが血まみれになる。血まみれは大袈裟なんだろうが、当時の私にはそう見えた。怖くて泣き出してしまった記憶がある。・・・空手というのはナント恐ろしいものなんだろう!

小学生の低学年の頃、プロレスが大流行した。プロレスって定期的に大流行する気がする。それとも、あれは、ず〜っと流行っているのだろうか?その頃、兄が私に色々な技を試したがった。四の字固めとか海老固め(だっけ?)とかいうヤツ・・・他にもあったと思うが、名前は忘れた。父は面白がって笑いながら見ていた。やってる方と見ている方は面白いだろうけど、やられている方は痛い!・・・プロレスとはナント恐ろしいものなんだろう!

ボクシングが流行った頃・・・あれは何時だったんだろう。全く興味が無かったから覚えていないが、ガッツ石松とか具志堅ナントカいう人達がチャンピオンになった(なった?)頃だと思う。たま〜に家にいた父がテレビで見ていたのを垣間見たことがある。キック・ボクシングとやらが流行った事もあった。あれも数回父の隣でテレビで見た。ボクシングであれ、キック・ボクシングであれ、選手が誰だったかは全く覚えていないのだが、その凄まじい目つきは良く覚えている。私が『殺気』というものを初めて感じたのがボクシングの試合であった。ずっと後になって、あれは試合中の事だけで、普段はそんなに怖い顔ではないという事を学んだが、当時はとにかく怖かった。・・・ボクシングとはナント恐ろしいものなんだろう!

かくして、私の格闘技嫌いは確固たるものになった。

愚息がまた幼い頃、アメリカではMMA(Mixed Martial Arts・・・総合格闘技)の試合が禁止されていた。外国の試合のテレビ放映も禁止だった。当然私はMMAが何であるのかを知らなかったのだが、当時、日本人の友人達が集まるといつもメキシコで行われたMMAの試合のビデオを見ていた。で、私もお付き合いでちょっとだけ見たのが、これはもう文字通り血まみれの試合であった。強いほうが弱い方をいじめているとしか思えない。これがスポーツか?!私が見たのがたまたまそうだったのかもしれないが・・・総合格闘技とはナント恐ろしいものなんだろう?

時は流れ・・・1993年にUFC 1(あのホイス・グレーシーですね。)がアメリカ(コロラド州デンバー)で行われて以来、紆余曲折はあったものの、アメリカの州が次々とMMAを解禁にして行き、MMAというものが、それ程聞きなれない言葉ではなくなった。その後、私個人も仕事の関係でMMAについて学ぶ必要が出てきて、私と関係ない世界で行われている合法なイベントならば、空手、ボクシング、プロレスと同様、無視していれば特に問題は無いということがわかった。世の中には私が恐ろしいと思う事を楽しいと感じる人達がたくさんいるのである。人それぞれ、それで良いではないか。

だからって、サポートする気は全く無い!あくまでも私と関係ない世界で、である。

ところが、私と関係ある世界の住人に約1名、格闘技が大好きなヤツがいる。私が唯一格好良いと思う武道である剣道をあっさりと止め、空手(しかも極真)と柔術(しかもブラジリアン)を始め、アマチュアとは言え、総合格闘技の試合に出ようとたくらんでいるヤツ・・・言うまでもあるまい・・・愚息である。5月に試合が決まっていたらしいのだが、対戦相手の都合でキャンセルになったということを私は後日聞いた。「そんな馬鹿な事やるんじゃない!」と言ったのだが、当然、私の言うことなど全く聞いていない。

だいたい、あれはもうスポーツとして定着したのだぞ!最初の頃のように、何でもありで喧嘩しているみたいな試合は無くなったのだ。(それはそれで、面白くない気もする。)総合格闘技用のトレーニングをやってきた連中が参加するのだ。ボクサーです、レスラーです、空手家です、だけではダメなのだ。しかも、愚息はその中のどれでもない。空手であれ柔術であれ、習っているというだけである。習うだけなら誰でも出来る。私だって、習うだけなら出来るぞ!愚息は、全然全く少しも強くない!その上、愚息は普通の喧嘩すらしたことがない。そういうヤツにMMAなんぞやれるはずがない。絶対に無い!

万一、あっても・・・絶対イヤだ!

ところで、先日、愚息がとあるスポーツのイベント(格闘技とは全く関係が無い・・・実はイベントですらない・・・しいて言うなら体力テスト)に参加したいというので、予約を入れてあげた。彼はインターネットを使って何かを行うということが苦手なのだ・・・テクノロジー音痴。それは私とて同じなので、時間をかけてやっと予約を入れることができた。愚息はデブなので、格闘技以外で身体を動かすことならば、私は協力を惜しまない。6日の中から1日を選ぶのだったのだが、上手く行かなくて、選択肢がどんどん狭まり、やっとのことで7月上旬に予約を入れることができた。予約を入れた日をちゃんと愚息には伝えたのだが、彼はそういう事に注意を払わない。何事に対しても準備というものをしないので、前日になって「明日だよ!」と言うまで忘れている・・・そういうヤツなのだ。

そこで、例のアマチュアのMMAの試合をコーディネートしている人から同じ日にある試合についての電話がかかって来た時、「出ます!」と即答してしまったそうである。実は、その前に愚息から確認の電話がかかってきたのだが、不覚にも英語で会話をしてしまったので、意志の疎通が取れなかった。(理由は6/15の夫婦喧嘩の原因を参照して下さい。)

当然、愚息は怒った。
当然、私は喜んだ。

愚息が参加をたくらんでいるMMAの試合はいかがわしい試合ではない。ムエタイのジムが行っている恒例の練習試合である。(ムエタイってなんかいかがわしい気がするんだけど・・・偏見?)レフリーの一人は愚息が通っているBJJ道場の黒帯さんであるらしい。観戦するのに入場料は取られるが(もちろん安い・・・千円もしないんじゃないかな)、当然出場選手には一銭も入らない。それでも、MMAはMMAである。危ない事には変わりない。

愚息は渋々、お断りの電話をかけた。すると・・・

「イベントは夕方6時からスタートだし、多分君の試合は最後の方になると思う。計量を前日にしてあげるから、用事が終わってからおいで。ライトヘビー級(205ポンド)まで落とせなかったら、相手は300ポンド(約136キロ)になるけど、良いよね?」
「はい!」

何が「はい!」だ!良いわけ無いじゃないか。300ポンドに押し倒されて顔の上にでも乗られたら、窒息死だぜ!
しかも、1日過激な運動をした後やるわけ、そういう事!

が、私が何を言っても無駄であろう。元々私は、それが合法な行為であれば、愚息のやる事を無理に止めようとは思わない。若い頃はやりたい事を何でもやってみるのが良いと思っている。やらずに後悔するよりは、やって後悔した方が良い。例えそれが私が嫌いな事であっても・・・彼の人生は彼が決める。(違法行為である場合は、容赦なく警察に連絡するつもりである。)

さて、ボクシングに比べると、MMAは安全なスポーツであるらしい。MMAで死者が出た、という話は聞かない。だから・・・

健康保険がある内に、一度死ぬ目に合って来い!


2010年06月16日(水) ついて来んじゃねぇよ!

たかが25年間結婚している位でこういう事を言うのもおこがましいが・・・結婚生活を続ける秘訣は、お互いに理解しあうことを諦めることではないか、と思う。

では本題・・・

先月のことである。友人と会う用事があったので、仕事と勉強の合間を縫って家の近くのコーヒー・ショップで一緒に昼食を食べることした。私の数少ない日本人の友人の一人である。会えば日本語でしゃべりまくる。そいうい時に、日本語がわからないヤツが一緒にいると邪魔である。という訳で、ダンナを置いて一人で出かけた。ダンナは退職してから友人や家族と一緒に昼食に出ることが度々あったので、一回位私が友人と食事に出かけても問題はあるまい、と思っていたが、甘かった!

私がダンナ抜きで食事に行くというのは年に1,2回位のものである。それも昼食であるから、ダンナが働いていた時には全然問題がなかった。ダンナもそういう事には全く文句は言わない。私が出かけて「社交」とやらをやることには大賛成の人であった。ダンナが仕事に行っている間に私が何をしようが、あの人は基本的には文句を言わない。帰って来た時に夕食の準備さえ出来ていれば、他の事はどうでもよい、という人だったのだ。もちろん、今回も文句は何一つ言われなかった・・・が、やたら機嫌が悪くなった。

ついて来たかったのである。おばさん同士の会話(しかも日本語)に参加しても全く面白くないと思うのだが、それを承知でついて来たかったらしい・・・暇だから。仕方ないから、次に外出する時、誘ってみた。

愚妻「スーパーマーケットに買物に行くけど、一緒に行く?」
愚夫「うん!」」

・・・本当かよ?

愚息が免許を取る前は、私が運転手をしていたので、学校帰りによく一緒にスーパーマーケットに買物に行った。愚息は私と一緒にスーパーマーケットに行くことを全く嫌がらない。ガラガラと買物カートを押しながら、自分が食いたい物を次から次へカートに入れていく。日系マーケットに行くと、生ラーメンを買い込んで、家に帰り着くなり、「作って〜!」である。自分で作れよ、ラーメンくらい!金の事など全く考えないから、愚息と一緒に買物に行くと、レジでギョっとなる。だから、スーパーマーケットへは一人で行きたいのだが、そのためにわざわざ出かけるのは時間とガソリンの無駄であるので、どうしても愚息と一緒に買物に行くことが多かった。が、愚息が免許を取ってからは(もう6年も前の事ですな。)、買物メモを持って一人で買物に行き、無駄な買物は一切しないように心がけてきた。

・・・ダンナも愚息と同じなのである。っつうか、愚息がダンナに似てるんだろうけど。いや、愚息より酷い!一緒に買物に行くと、ガラガラと買物カートを押しながら、自分が食いたい物を次から次へとカートに入れていく。ここまでは同じ。問題はここからである。アメリカであるので、普通男性と女性が一緒に買物をする時は、男性がカートを押す。愚息の場合は、カートを押しながら私の後をついて来るのだが、ダンナは自分が興味があるコーナーに来るとそこで立ち止って棚にある全ての商品をじっくりと観察する。たま〜にスーパーマーケットなんぞに来るからそうなのではない。彼はどこに行ってもそうなのである。

一方、私は買物メモを見ながら必要な物をどんどんカートに放り投げたい・・・のだが、買う物を手にとって後ろを振り返ると、そこにカートを押しているダンナはいない。さっき引っかかった所にいるかと思うと、そこにもいない。自分が満足するまで棚を見た後は、私の後を追わずに、自分が興味がある所へ移動するのだ。そこで、私は買う物抱えてダンナを探し回ることになる。一度通った所にはもう戻りたくないので、ダンナを探しながらリストに載っている物を手に取っていく。それほど広い店ではないし、ダンナがいそうな場所というのは検討がつくので、探すのにそれ程手間はかからないのだが、それでもダンナを見つけた時には、私の腕の中は買わなくてはならない物で一杯である。

買物の邪魔をされているとしか思えない!

私はリストを見ながらさっさと買物を済ませるのだが、ダンナはまだ満足していない。私がレジで支払いをしている間に、「これは、今日は買わないだろう」というセクションを検分している。それにしても、ダンナがカートに入れた物は、愚息の買物に比べると随分高い。飲みもしない癖に、変わったボトルに入っている酒まで入っている。ダンナは腎臓を患って以来、酒を飲まなくなった。健康になった今でも、たまにビールを飲む位である。が、飲まなくなった分、お菓子を食べるようになった。特に日本のスナック菓子がお気に入りである。日本の酒やお菓子は当然高い。愚息も日本の食べ物が好きなのではあるが、酒やお菓子には興味が無い。こんなヤツ、買物に連れてくると、金がいくらあっても(無いけど)足りない。

支払いを終えて「帰るよ。」と言うと・・・

「ねぇねぇ、どっかでお昼食べていこ。」

そんな時間ねぇよ!


2010年06月15日(火) 夫婦喧嘩の原因

結婚してから25年経った・・・私の人生のほぼ半分は結婚していた事になる。そして、私達は未だに夫婦喧嘩をよくやる。何しろお互いに短気な上に、売り言葉に買い言葉は我が家のモットーの一つであるので、すぐに怒鳴りあいになる。しかも、原因は毎回見事に同じである。

口の利き方が悪い!

ダンナは非常に外面が良く、家族以外に人に対しては穏やかに我慢強く話をするのだが、彼の両親や私に対しては、すぐに喧嘩腰になる。私はと言えば、普段は温厚な人(?)なのだが、相手の出方次第で誰に対してもでも攻撃的になる。だから、すぐに夫婦喧嘩になるのだ、と思っていたのだが、原因は他にあった、ということが25年目にしてやっと発覚した。

4年前に英語の勉強を始めるまで、私は英語がしゃべれなかった。アメリカに21年間住んでいて、英語がしゃべれないというのも珍しいと思うのだが、実際にそうだったのだから仕方ない。(読むことにはほぼ問題がなかった。)我が家の喧嘩は英語で行われるのだが、21年間はお互いが好きな事を怒鳴りあってはいるが、相手が言うことは全く聞いていない、という状態だった。聞く気が無いのではなく、相手が言っている事がわからないのだ。私はダンナが言っていることがわからないし、私が言っている英語は意味をなさない。つまり、喧嘩だけでなく、日常会話ですら意思の疎通ができていなかった訳である。夫婦間の会話はお互いが何を言っているのか推測することによって行われる・・・そういう生活を21年間送ってきたのである。

4年前に近くのコミュニティ・カレッジで英語の勉強を始めてから、私の英語力はぐ〜んと伸びた。自分でも信じられない位伸びた。何しろ、英文法というものが本当に役に立つという事を初めて学んだのである。しかも、毎日毎日英語で授業を聞いていたので、聞き取る能力も自然に上がっていった。

例えば(以前書いたと思うので、読み続けて下さっている方には重複になります)、ダンナは良く”You’d better do…”と言うのだが、私はずっとダンナが”You better do…”と言っているのだと思っていた。”better”という言葉が入っているので、 「・・・やった方が良いよ。」というお勧めの言葉だと思っていたのだが、これは、かなりキツイ言い方であって、通常大人同士の会話には使わないらしい。相手を脅すような言い方なのだそうだ。(親が子供によく言う。)普通は”You should…”を使うらしい。こちらは”should”という言葉が入っているので、「・・・をやるべきだ。」という強い言い方だと思ってたのだが、こちらの方が「・・・やった方が良いよ。」という意味に使うらしい。

と言う具合に、ダンナの言っていることがわかるほど、喧嘩の原因も増えていく。何しろ原因がいつも「その言い方は何なんだ!」なのである。これまで口調だけで判断していたのが、意味がわかってくると余計に頭にくる。でも、言ってる意味がわかれば、誤解も少なくなり、意志の疎通が上手く行くようになるのではないか・・・甘いね!

会話というのは一方が聞くのではない。両方が話すから会話になる。ところが、以前の私は英語がしゃべれなかった。従って、ダンナは私が並べる単語から意味を推測していた。しかし、まぁ、ダンナと政治や経済の話をするわけでないので、数少ない単語から言わんとすることを推測するのはそれ程難しくは無い。ところが、英語の聞き取りと同時に話す能力も上達した。上達したのではあるが、まだまだ途上中である。すると、どうなるか?

これまでは単語を並べていただけなのが、きちんとした文章でしゃべることが出来るようになる。すると、相手に私が言っていることの意味がわかるようになる。ここに問題が発生する。私の口から出てくる文章は正しいのであるが、私が言おうとしている事とは全く違っているらしい。私が頭の中には日本語で言いたい事が詰っている。それを英語に訳して口から出すと・・・意味が変わるらしい。意味が変わっているのだが、英語自体は正しいので、会話がトンチンカンになる。そういう会話をしていると、お互いにストレスが溜まって・・・怒鳴りあいになるのである。

愚息「母さん、英語しゃべらないほうが良いよ。」
愚母「えっ、母さん、英語上手くなってない?」
愚息「上手くなってる。上手くなったから何言ってるのかわかるけど、母さん、言いたいことと全く違うこと言ってるよ。この前、父さんと言い合いしてるの聞いて思ったけど・・・二人とも全然違う話してるもん。母さんが言いたいこと、父さんに全然通じてないよ。」
愚母「どうしてそう思うの?」
愚息「母さんが英語で言ってることを日本語に訳すと母さんが『こう言いたいんだろうな』ってわかる。でも、全然違うこと言ってる。」
愚母「・・・」

ダンナは私にコンピュータの知識があると誤解してるので、自分のコンピュータを買った時、やたら私に使い方を聞いてきた。ま、ダンナの聞いてくること位は知っているので、教えてあげようとはするのだが、これがまた直ぐに怒鳴りあいになる。ファイルとかツール・バーとか言っても全然通じないので、これはダンナにコンピュータの基本的な知識が無いせいだと思っていたのだが、原因はそれだけではないようである。数回怒鳴りあいを繰り返した挙句、コンピュータに関する質疑応答はEメールで交わすよう事にした・・・同じ家に住んでるのに・・・

愚妻「あれ、わかった?」
愚夫「うん、あの説明、もの凄くわかりやすかった。まるで教科書を読んでいるみたいだった。君の英語は完全に書き言葉だよね。一つの文章が長いからあれでしゃべられるとわかりにくいけど。」

仕方ねぇだろ、私は会話しない人なんだから!

私は自宅で一人で仕事をしている。どこの会社にも雇って貰っていない。(フリーランスと言えば聞こえは良いが、要するにパートのおばさんである。)しかも、クライアントに会うことはまず無い。ほとんどのクライアントとはEメールでやり取りする。広告なんぞどこにも出していないし、営業活動は一切行わないのだが、何故か時々突然知らない人からメールで仕事を頼まれ、注文通りに仕事をしてメールに添付して送ると、しばらくして小切手が送られてくる。(前金も貰わなければ、値段の交渉もしない・・・いい加減と言えば、かなりいい加減である。)電話すらほとんど使わない。しかし、それでこれまで一度も問題があったことはない。書き言葉で意志の疎通ができれば問題無いのである。人と話すのは苦手だ。

とまぁ、そういう話を日本人と結婚している日本人の友人に話したら・・・

「えっ〜、私達どっちも日本語使ってるけど、全然意味通じないよぉ。」

・・・そういうものかもしれない。


2010年06月14日(月) 服装が行動を決定する

先日、珍しく家族3人揃って車に乗っていた時(あれは、どこに行っていたのだろう?)にダンナの母親からダンナの携帯電話に電話がかかってきた。翌日、知り合いのお葬式がある、というご報告であった、とダンナは思っている。ダンナの両親はかなり高齢である。が、お葬式に行くんだよ、という報告を一々してくるはずがない。用件は「お葬式に出席したいから、連れて行ってくれ。」という事だと私は思った。

その日は土曜日で、翌日の日曜日にはダンナは何も予定が入っていなかったはずである。が、自分が連れて行って上げようなどとは決して提案しないくせに、「自分で運転していくのは危ないからG(ダンナの弟)に連れて行ってもらえ。ま、事故で死んでも葬式場の近くだから手間は省けるだろうけど・・・」なんぞと言っている。

・・・そりゃ、年寄りに対しては冗談になりませんぜ。

愚息も私と同じ意見であったのだろう。ダンナが話し終わった後、自分の携帯電話を取り出して・・・

「もしもし、おばあちゃん?明日お葬式に行くんですか?何時から?2時半?どこで?じゃ、僕、柔術の練習が終わってからなら時間があるから、2時頃迎えに来ますね。」

・・・こっちの会話の方が普通だろ?

柔術の練習が終わってから汗まみれて行くんかい?と思ったが、愚息はただの運転手である。葬式に参加しないで駐車場で待っていれば良いのである。全然知らない人の葬式だし。

と、思って黙っていたのだが、翌日柔術の練習から急いで帰って来た愚息は、シャワーを浴びて黒いスーツを着て出かけて行こうとした。

・・・えっ?君も葬式に出席するの?知らない人の?しかも、その手に持っているネクタイは何?

愚息は地味な黒のネクタイを締めていたのだが、手には白黒ではあるが幅広のネクタイを持っていた。

愚息「いやぁ、こっちのネクタイは、老人の葬式には派手だろうと思って・・・終わったらこっちに替える。」
愚母「終わったらって・・・その格好でどこかに行くの?」
愚息「うん。」
愚母「どこに?」
愚息「まだ決めてない。でも、スーツ着たらお出かけしなくっちゃ!」

その夜、愚息は随分遅くまで出かけていたようである。翌朝、スーツのジャケットが居間のソファーにかけてあった。が、そのジャケット、愚息が着ていったジャケットではない。一見黒なのだが、グレイの細いストライプが入っている。

愚母「このジャケット、君のじゃないよ。」
愚息「あっ、CJ(愚息の幼稚園時代からの親友・・・まだ親友)のだ。CJが間違えて僕の持ってったんだ。」
愚母「CJのジャケットがどうして家にあるの?」
愚息「昨日CJと一緒に出かけたから。」
愚母「CJもスーツ着てたの?黒の?」
愚息「そりゃ、僕がスーツ着てたらCJだってスーツに着替えるだろ。」
愚母「で、どこ行ったの?」
愚息「Jake’s」
愚母「スーツ着て行くほどの場所か!」
愚息「だって、僕達スーツ着て行く程の場所に行く金、無いもん。」

・・・なるほど。


2010年06月13日(日) DOTFAMILYの服装

四季がある街に生まれ
夢多き丘に育ち
愛溢る家を出て
愛のない人になる

うん、どうしてこうなってしまったんだろう・・・

思わず節をつけて読んだあなたは、私と同世代!・・・という話を書こうと思っていたのではない。洗濯物をたたみながら「もう、夏だなぁ」と思っていたら、何故かこの曲(オリジナル)が頭に浮かんだだけである。浮かんだのではあるが、何しろ40年近く前のことなので、歌詞が完全には思い出せない。で、勝手に変更した・・・誰かが聞いてる訳じゃなし。

実は、ここ南カリフォルニアにも四季はある。私が生まれ育った街に比べれば、無いようなものだが、それでもあることはある。春にはちゃんと花粉症に悩まされる。夏は冷房のために電気代が上がる。秋になると来る親戚が集まる行事(ハロウィーン、感謝祭、クリスマス、お正月)の準備のためにやたらめったら忙しくなる。そして、冬には雨(雪ではない)が降る。

にも関わらず、私と愚息は1年中、同じような服を着て暮らしている。Tシャツにジーンズである。ジーンズはブルー。Tシャツは様々な色が、基本は無地の白、黒、またはグレー。だが、ダンナは違う。ダンナはバラエティに富んだ服を着たがる。(私と愚息に比べたら、という話で、他の人から見たら彼とていつも同じような格好をしているのだが。)

結婚した頃、私はダウンタウンで働いていた。だから流石にジーンズにTシャツで出社ということはなかったが、着る服は決まっていた。地味な色のシャツとスカートを5枚ずつと黒の靴が1足があれば充分。秋と冬にはジャケットとコートが加わる。1週間は毎日違う服を着る事になっていたのだが、1回着ただけでクリーナーに出す、などということはしないので、油断すると1週間に同じ服を着ることになる。で、ダンナに「その服、一昨日着てたよ。」とよく言われたものである。(何故一昨日人が着た服まで覚えてる?)

そういうダンナは当然自分が過去1週間に何を着たか位は覚えている。シャツも3ダース位持っていたし、ズボンだって1ダース以上持っていた。普段着のTシャツだって、色々な色で、絵が描いてあるのが無数にあった。無地のTシャツなんて1枚も持っていなかった。しかし、そんなに服を持っていてどうする?身体は一つしかないだろう?

私は、基本的にTシャツ、ソックス、運動靴は白、下着はベージュ、ジーンズはブルー、スーツは黒、グレー、ベージュ、靴は黒とベージュなんだと思っている。それって、服なんてどうでも良いと思っているだけじゃないか、と言われれば確かにそうなのだが・・・うん、どうでも良い、着ていれば。が、歳を取るにつれ、他の色も着るようになった。若い頃はブルー・ジーンズに無地の白のTシャツだけで充分に美しかった(?)のだが、歳を取ると体型や肌の色を誤魔化せる服も着る必要が出てくる。それでも、まぁ、家にいる時は相変わらずブルー・ジーンズにTシャツである。(気がついたら1日中パジャマを着ていたということも多いのだが・・・)

とまぁ、ダンナと私の服に対する考え方は全然違うのだが、それでも我が家の住人は皆良くTシャツを着る。洗濯物の大半がTシャツである。私はパジャマ用と普段着用と外出用のTシャツがあるし、ダンナはパジャマ用と普段着用のTシャツ(彼は退職した今でも近所にお買物に行く時ですらポロシャツに着替える)。愚息はと言えば、パジャマ用の他に、1日最低6枚はTシャツを使う。ま、彼の場合、普通のTシャツの下に下着用の薄手のTシャツを着るし、運動する度に絞れば滴る位汗をかくので、これは当然であろう。

私は洗濯物をたたむ時、頭は別のところへ行っているのだが、たくさんTシャツがあっても愚息と私のではサイズが違いすぎるし、ダンナのは色々な色で絵が描いてあるから、まず間違わない。が時々、ダンナのと愚息のを間違う。何故か・・・

愚息が小学生の頃、服は私が買って与えていた。その頃のTシャツはグレイだった。白だと汚れが目立つから。すると、毎日毎日グレイのTシャツを着ている愚息を見て、何を思ったのか、ダンナが同じメーカーの無地のグレイのTシャツを自分用に買ってきた。(私はダンナの服は買わない・・・注文が多すぎるから。)それまでは無地のTシャツは一度たりとも来たことが無い人が・・・しかも、愚息が着ているようにちょっとダボダボしたヤツ。

中学になって、「白がいい」という愚息のリクエストに従って、Tシャツの色が白に変わった。すると、今度はダンナが無地の白のTシャツを買ってきた。高校の後半頃から、「黒も欲しい」ということで、黒が加わった。すると・・・言うまでもなかろう。

そのため、洗濯物を片付ける時に紛らわしいことになる。確かにサイズは違うのだが、それでもぼ〜っとして片付けていると間違える。だいたい、いい歳したおじさんが、アンカーブルー(若者ブランド)のTシャツなんか着るなよ!しかし、何故愚息と同じ格好をしたがるのだ?まるで幼児とお揃いの服を着てお出かけする若いお母さんではないか!あれは、若いお母さんだから可愛いのだぞ!おじさんがやったら不気味ではないか!(ま、同じTシャツを着て一緒に出かけたりはしないが。)

さて、愚息はいつもTシャツの上にフッディ(フードが付いたトレーナー)を着ている。6枚持っているフッディのメーカーは様々だが、色はナント全部赤である。赤のフッディは愚息のトレードマークになっているらしい。

流石にこれだけはダンナはマネをしない・・・しないでね、還暦のお祝いと間違えられるから。


2010年06月12日(土) 卒業おめでとう!

昨日は卒業式だった・・・私の。

思い起こせば、アメリカに住んでいるくせに余りの英語の出来なさにうんざりして、授業料が安いコミュニティ・カレッジで英語を学ぼう!と決意したのは4年前のことであった。外国人が大学で勉強するための英語のクラスを終了し、大学の一般教養のクラスを取りながらコンピュータのクラスの手を染めた。おかげで、仕事の量が増え、フルタイムの学生からパートタイムの学生に変更してクラスを取り続け、腰を痛めて一学期休んだりしたこともあったが、続けていたら単位が溜まって・・・この度、卒業証書が頂けることになった。

いや、卒業単位は去年の秋学期に終わっていて、今年に入ってから卒業証書は郵送されて来ていたのだが、卒業式は年に1回、6月にしかやらないので、秋学期に卒業した人は次の年の卒業式に参加することになる。卒業証書さえ頂ければ、卒業式なんて出なくても良いし、専攻が違うとはいえ、今更準学士を貰ったって意味は無い気はするのだが、アメリカで自分の卒業式とやらに出たことは一度も無いので、ちょっと経験してみようか・・・なんて思った訳である。何事も経験である。参加してみなくてはわからない事もある。

何度も繰り返すが、私が通っているコミュニティ・カレッジは誰でも入れる公立の短大である。18歳以上であれば文字通り誰でも入れる。高校を卒業している必要すらない。高校を卒業していない人の場合は、高校卒業資格を取るところから始める。英語がわからない人の場合は、外国人のための英語のクラスから始める。(何故かこのクラスにアメリカ人が紛れ込んでいることもある。)車椅子を使っていようが(車椅子を使っていても勉強には全く差支えがないので、そういう人はたくさんいる・・・キャンパス内は完全のバリア・フリーである。)、耳が聞こえなかろうが、学習障害があろうが入れる。もちろん、年齢、性別、人種、宗教に制限は無い。当然、卒業する人の人数は入学する人の人数に比べると恐ろしい位少ない。

さて、卒業式中に成績優秀者、一流大学に編入が決まった人、頑張った人などが紹介される。といっても、全科目Aを取った人(10人以下・・・ちなみに私もその中の一人である・・・ちょっと自慢)や一流大学に編入が決まった人は、個人の名前が呼ばれるのではなく、一斉に立ち上がって拍手・・・で、お終い。が、頑張った人というのは個々の名前が呼ばれ、その人がどれだけ頑張ったが紹介される。紹介される人達は、事前に連絡を受けている。(中には嫌がる人もいるので。)決して紹介されたいとは思わないが(あんな所で目立つのは絶対にイヤだ!)私だって、学生にしてはかなりの歳で、英語が外国語で、それでも全科目Aで、結構頑張ったと思うんだけどなぁ・・・などとちょっとだけでも思ったこと自分が恥ずかしい!

南アフリカから弾丸を搔い潜ってアメリカに脱出し、公園で空缶を拾って、ファースト・フードの残り物を貰い、公園の水を飲んで飢えをしのいでいたのを助けられ、頑張ってコミュニティ・カレッジを優秀な成績で卒業し、奨学金を貰って一流大学へ進むことになった学生。幼児虐待を受け性格がおかしくなっていたけど、これじゃいかんと一念発起してコミュニティ・カレッジへ行き、高校卒業資格を取ることから始めてこれまた奨学金を貰って一流大学へ進むことになった学生。ギャングのメンバーになって高校をドロップ・アウトしたけど、思い直してコミュニティ・カレッジへ行き、高校卒業資格を取ることから初めて、この度四年制大学へ編入が決まった学生。小さな頃から孤児院をたらい回しにされ、犯罪に手を染めて刑務所にも入り、出てきてからコミュニティ・カレッジに入り、これまた高校卒業資格を取ることから初めて、この度大学を卒業して立派な会社に就職が決まった学生。勉強や学校が嫌いでたまらなかったのが、脳に傷害があったことが判明し、在学中に3度も脳の手術を受け、長年かかってやっと卒業までこぎつけた学生・・・まだ若い(といっても二十歳前後の学生ではない)のに凄ましい人生を送ってきた学生達が全部で10人ほど紹介された。私の斜め前に座っていた脚が不自由なだけでなく、他に重度の障害がありそうな電動車椅子に座っていた学生は、紹介されなかった。手話の通訳がついている学生達も一人も紹介されなかった。

いやぁ、若者達、頑張ってるねぇ!

しかし、これこそがコミュニティ・カレッジの良い所である。過去がどうであれ、成績どうであれ、国籍がどこであれ、コミュニティ・カレッジは勉強したいと心から願っている学生達をサポートする。(反対に、成績がどんなに良くても、やる気がない学生は無視される。)これって素晴らしい制度だと思う。この素晴らしい制度が予算削減のために縮小されていくのは非常に心が痛む。

彼らには心から「卒業おめでとう!」と言いたい。自分が卒業した事なんでどうでも良いが、彼らの卒業は涙が出てくるほど嬉かった!そういう学生達と一緒に学べた事をとても嬉しく思う。

ちなみに、本年度卒業した学生達の中での最高年齢は73歳だった・・・うん、私はまだまだ若い!


2010年06月11日(金) れっつ・わーくあうと 4: ワナビー・マッスル

5月末に再開した日記であるが、これまでは今年に入ってから起こったことを思い出しながら書いてきた。肩の痛みについては、フィジカル・セラピーが4月1日に終わり、4月中にフィジカル・セラピーで習ったエクササイズを自分で続けてみようとして挫折し、随分前にメンバーになったジムでパーソナル・トレーニングに付いてもらって運動を始めたのが5月3日のことであった。「僕とやらない時でもジムに来て運動するように。」とパーソナル・トレーナーに言われたことは全く守っていないが(自分でやれる位ならパーソナル・トレーナーはいらんだろう?)、週2回のトレーニングは現在まで続いている。(って、まだ一ヶ月だけど。)

が、体重は全く減っておらず、長年に渡って蓄積した脂肪も全然減っていない。肩の痛みはかなり減少したので、それだけでも続ける意味はある・・・と信じてはいるのだが、出来れば、堂々たる太鼓腹を三段腹、いや、せめて二段腹になる位にしたいものである。私の腹には脂肪が付きすぎていて、身体を曲げても二段、三段にはならないのだ!

ちなみに私は日本にいれば立派なデブで通用するらしいが(私の親戚一同は、私の事をデブ扱いする)、BMI(ボディ・マス・インデックス)を計算すると、見事にど真ん中である。実に健康的な体重ではないか!が、実際は筋肉が少なくて脂肪が多いため、全然健康的ではない。しかもその脂肪が余りブヨブヨしていない。脂肪がパンパンに張っている、という感じである。こういう脂肪って落ちにくいんだってね。

さて、パーソナル・トレーナーとも回を重ねる度にお互いに慣れて来る。トレーナーは若い男性であるし、私は中年のおばさんなので、最初の頃、彼は私の身体に触れるのを遠慮していたのだが(触れたくもないだろうし)、慣れるに従って、運動中に私の筋肉の張り具合を手で確認するようになった。例えば、ダンベル体操をしている時、最初はダンベルを触って腕を下に押し返していたのだが、最近は直接二の腕を押し返すようになった。(押し返すなってば!)ダンベル運動は腕を上に上げた状態で一旦静止して、腕にギュっと力を入れなくてはならないのだが、それを確認しているだ。

ダンベルを上まで上げた時、彼は「Squeeze!」と言う。スクイーズ!と言われると、どうしても「強く握れ!」とか「(レモンとかを)搾れ!」とか言われている気がして、「二の腕では何も掴めないのに何をどう強く握れというんだ!」と思っていたのだが、あれは「力を入れて筋肉を締めろ!」という意味だったね・・・という事に気付いたのは最近である。英語って難しいね。

先日、私の腕を触ったトレーナーが・・・

「おっ、固い!筋肉付いてきたんじゃないの?」
「えっ?いや、これは最初からあるワナビー・マッスル。」
「ワナビー・マッスル?」

ワナビー・マッスル・・・オーストラリアに生息している生物の筋肉ではない。Wanabe Muscle・・・I want to be a muscle (筋肉になりたい)。つまり、筋肉になりたくて、筋肉のふりして、頑張って固くなっている脂肪の事である。ほら、ブラジャー着ける時、脇の脂肪をカップの中に押し込めて、これも胸の一部ということにしておこう・・・って、やりません?(えっ、そんな姑息な事は誰もやらない?)それに似てますな。こうやって胸と一緒にいつもブラジャーの中に入っていると何時か胸になれるかもしれない、と思っている脂肪と同じで、こうやって頑張って固くなっていると何時か筋肉になれるかもしれない、と思っている健気な脂肪達の事を(私は勝手に)ワナビー・マッスルと呼ぶ。そういう脂肪と共に私は暮らしている。

と説明すると(ブラジャー着ける時うんぬんは言ってない・・・そいういうおばさん会話を交わすほど親しくはない)、当然の事ながら「そんなものは無い!」と一笑された。

“You will have a six pack pretty soon!”
“Ya…right.”

それでなくとも肩と腰の痛みを無くすのが第一目的なんだから、腹筋運動はやっていない。シックス・パックなんぞ出来るはずがない。それとも・・・これから始まるの、腹筋運動?う〜ん、それは勘弁して欲しい。本当に無いんだってば、腹筋。

・・・しかし、腕の脂肪が筋肉のふりをするなら兎も角、ケグがシックス・パックのふりをするのは、ちと難しいであろう。

注:説明の必要はないと思うのですが、たま〜に高齢の方が読んで下さっていますので、念のため。シックス・パックとは腹部に見られる6つに割れた筋肉のことです。また、缶ビールが6本でセットになっているのもシックス・パックと言います。ケグとは小さな樽のことですが、アメリカでは普通ケグと言えばパーティの時などに買うアルミの樽(かなり大きい)に入ったビールのことを指します。


2010年06月10日(木) インターネット・ショッピング

もうすぐ父の日である・・・よね・・・確か・・・いつだっけ?

私はインターネット・ショッピングとやらが結構好きである。インターネット・ショッピング用のクレジットカードを持っていて、それを使ってよくインターネットで買物をする。何しろ出かけるのが嫌いだから、インターネット・ショッピングは有難い。買うものは、主に本、DVD、ソフトウエア、コンピュータ関係のアクセサリーなどであるが、たまには台所用品や服なんぞも買うことがある。愚息の服はメーカーとサイズ、色まで決まっているので、これもインターネットで注文する。(男の子は自分の服を自分で買いに行ったりしないのだ!)

ちなみに、インターネット用クレジット・カードとは、盗まれた時に直ぐキャンセルしても困らず、使用限度も少ないカードのことである。アメリカのクレジット・カード(日本も同じ?)はほっとくとどんどん使用限度を上げられるので、気がついた頃には1枚のカードで3万ドル(約300万円)まで買い物が出来るようになっていた、という事もある。そういうカードを盗まれるとエライ事になるので、使用限度額500ドル(約5万円)のカードを1枚持っている。それ以上の金額は一度にインターネットでは使わない・・・いや、インターネットじゃなくても使わないけど。

話を戻して・・・インターネットで一度買物をすると、その会社からカタログが送ってくるようになる。一度しか買わなくても、顧客リストからは中々外して貰えない。しかも、同じような商品を取り扱っている会社からもカタログが送ってくる。顧客リストを回しているんですな。他の会社には情報を流さないで下さいボックスにチェックマークを付けていても、送ってくる。ま、どうでも良いけど。そこで、我が家には様々な会社からカタログが送ってくるのだ。そして、そのカタログを見るのが目下のダンナの楽しみの一つである。

郵便を郵便受けから取ってくるのはダンナの仕事なのだが、取ってくるとカタログだけをさっさと自分のお遊びコーナーに持って行く(ダンナのお遊びコーナーにはノートブック・コンピュータが載っている机と椅子、テレビ、テレビの前には小さなテーブル、ソファー、そして新着映画とテレビ番組のDVDとオモチャがぎっしり詰った本棚などが置いてある。見終わった映画のDVDは一階にあるDVD用の棚に下りてくる・・・ので私は発売半年後位にそのDVDにお目にかかることになる)。で、カタログを見終わると、郵便物を入れるバスケットに入れる。(おかげで私がカタログをチェックする時には、セール期間は終わっている。)以前はお気に入りのカタログはずっと自分のお遊びスペースに置いてあったのだが、極最近、カタログがたくさんバスケットに入って来るようになった。しかも、様々なページの端が折ってある。まるでしおり代わりにページを折るように・・・

カタログ・ショッピング用のカタログなんぞはすぐに捨ててしまうので、ページを折ってもよいのだが、見ようと思った時、これは結構見難い。私は何か掘り出し物が無いかチェックするために捨てる前にざっと見るのだが、折ってあるページを開いて見るのは面倒なので飛ばしてしまう。週末の時間がある時に溜まったカタログを纏めて捨てる。先日カタログを大量に抱えて外に置いてあるゴミ箱へ向かっている私を見たダンナが・・・

愚夫「それ、前部見たの?」
愚妻「ざっと見た。」
愚夫「ページ、折ってあったのわかった?」
愚妻「うん、ページが折ってあると見難いよね。」
愚夫「・・・」

大量のカタログをゴミ箱に捨てた後、はっと気付いた・・・

あれは、ダンナが自分の欲しい物が載っているページを折っていたのだ。私が忙しくて「父の日」のプレゼントを買いに行く時間がないだろうから、ここで注文できるよ!というご親切な取り計らいであったのだ。

んじゃ、言えよ、そう、はっきりと!
言葉せんとわからんだろう、言葉に!
相手の気持ちを察する気遣いを私に期待するんじゃねぇよ!

その後、ダンナは「父の日のプレゼントベスト10」などというウェブ・ページをせっせとEメールで送ってくるようになった。

ダンナは私の父親ではないので、私がプレゼントをあげる必要は無い!


2010年06月09日(水) 備えあれば憂いなし

昨日は期末テストだった。

コンピュータのクラスを取り始めてから、私はいつも劣等生であった。う〜ん、劣等生という言い方は正確ではないな。一番出来が悪い学生・・・これじゃ劣等生と同じか。要するに、最も知識が無い学生だったのだ。(おっ、まるで過去形のような言い方。)コンピュータの知識はコンピュータと共に育ってきた若者には敵わない。それでも、授業に対しては中々熱心なので(自分で言うな!)成績は悪くは無い。自分で授業料を払っているおばさんは、教授の話は一言でも聞き漏らすまいと必死になるのだ!

もちろん、誰でも入れるコミュニティ・カレッジであるから、下には下がいる。だから、以前も書いたと思うが、学期の初めには真ん中程度にいる。が、私以下、あるいは同程度学生はどんどんドロップ・アウトして行き、学期半ばになると私が最下位、ということになる。おばさんは諦めが悪いから、ドロップ・アウトしない。単位を落としても構わないから、金払った分の知識だけはしっかり頂きたい!

で、テストになると時間ぎりぎりまで粘る。制限時間は通常二時間半であるから、まずゆっくり問題を解き、提出前に二回見直す。オープン・ブック(教科書、ノート等を見て良い)のテストだと、しつこい位教科書とノートを調べまくる。そして、「あ〜終わった!」と思って回りを見渡すと、もう誰もいない・・・というのがこれまでの期末テストだった。

今期に取ったクラスはコンピュータ・セキュリティ。教授は珍しく私より年上なのだが・・・ありゃ、本格的なキークだな。教科書は無視してしゃべりまくる。が、毎回あるクイズは教科書を出版している会社が作ったと思われるクイズを使う。要するに、教科書は自分で読んで勉強しろ、という事であるらしい。当然、教科書に書いてあることに関しても質問は受け付けてくれるので、そういうのは大学では当たり前だという気もする。そもそも、教科書に書いてあることを一々説明するのは時間の無駄である。そんなことより、教授特有の知識を披露して貰いたい。私はこういう教授が好きだ。

さて、学期が始まった頃には仕事も忙しくなく、真面目にお勉強をしていたのだが、最後の3週間、仕事が忙しい時期と重なったため、ほとんど勉強出来なかった。勉強する時間が取れなかったのではない。頭が勉強モードに切り替わらないのだ。期末テストの前の週なんぞは、教科書を一度も開かなかった。が、この歳になると、教授がどういうタイプであるのかを察するのが上手くなる。伊達に歳を取ってはいないのだ!彼はクイズやテストには余り重点を置かないタイプと見た。実際に何が出来るようになるかに重点を置くタイプだから、プロジェクトの採点に関しては厳しいが、テストはそれ程難しくはあるまい。

余談だが、C++の期末テストには参った。この教授も実践に重点を置くタイプなのだが(そもそも、コミュニティ・カレッジであるので、コンピュータのクラスはほとんどが実践に力を入れる。難しい事は頭の良い人に任せて、実際に使えるテクニックだけを学んでまともな仕事を得たい、という学生が多い)、テストではプログラムを書かされた・・・しかも手書き!コンピュータは使わず、紙にペンでプログラムを書く・・・させるか、そういう事!

話を戻して・・・今期取ったクラスも他のクラス同様、毎回のクイズは全部選択問題で、ウェブサイトで行う。クイズをやって、Submit(提出)をクリックすると、すぐに結果が出る。そして、全員がクイズを終えた後、そのページは削除される。つまり、後で見直しをするということが出来ない。でも、見直ししたいでしょう、普通は?間違ったところは確認しておかなくてはクイズをやった意味が無い。そこで、私は毎回Submitをクリックする前に、問題を全てコピーして、Notepadにペーストして保存する。間違った答えも、Submitをクリックした直後に出てくる正解を見て訂正する。そして・・・

クイズ作成に手抜きをする教授なのだから、期末テストも、もしかしたらこのクイズの中から出るかもしれない、と思い、全てのクイズをアルファベット順に並べてプリント・アウトして期末テストに持っていった。何故アルファベット順に並べたのか・・・全く同じ問題が出た場合、検索が楽だからである。当然、エクセルを使って並べ替えはエクセルにやって貰ったが。

さて、期末テストは選択問題が50問。これもウェブサイトで行う。それが終わったら教授の所に行って、机の上に10個並んでいるコンピュータのパーツの名前を言う、というテストであった。(そんなんセキュリティのクラスに関係ないじゃないか!ま、教授が一度クラスで説明した・・・ような気はするが。)選択問題は・・・50問中48問がクイズと全く同じ内容であった。一字一句違わずに・・・楽勝!

パーツの名前については・・・私は名前を覚えるのが苦手である。CPUとかRAM位なら覚えられるけど。しかも、私はドライブとドライバをよく言い間違える。今回はビデオ・カードとクーリング・システムという言葉が出てこなくて焦った。仕方が無いから、「ここんとこにケーブルを差し込んでディスプレイに繋げて、画面に正しく画像が表示されるために使うカード」と「CPUがオーバーヒートしないようにファンを回して冷ますヤツ」で誤魔化した・・・ちゃんと教授は誤魔化されてくれた。

選択問題には「こういう事は暗記する必要はないだろう。」という問題がたくさん出たので、他の学生は教科書をパラパラめくっている。彼らはコンピュータを使って検索するのは得意だが、本を使うのは慣れていない。後ろにインデックスというのがある理由を知らない学生までいる。(私の世代からすると信じられませんな。)一方私は、教科書をめくるどころか、アルファベット順に並んだクイズが書き出してある紙を見ながらどんどん回答していく。おかげで・・・

初めてダントツ一番でテストが終わってしまった!

結果は・・・ナント1問間違えた・・・選択問題って苦手なんだよね。絶対一問間違える。答えはわかっていても、どこかでチェックマークを付ける位置を間違えるのだ。凡ミスは得意なのである。でも、1問位間違ったって問題はない。

さて、今回のクラスには、30代後半かな、と思われる私同様コンピュータには詳しくない学生が一人いた。最初は離れた席に座っていたのだが、私が余りにトンチンカンな質問を教授にするので、「あっ、もしかしたら仲間?」と思われたらしく、途中から私の隣に移ってきた。授業中に行うプロジェクトでは、2人で「あ〜でもない、こ〜でもない」と助け合って来た。・・・というか、2人で教授を独占して来た。(そもそも私にはハックなんて高等技術は無いんだよ!OSのクラスのハック合戦でもハックされっぱなしだったし。)彼もクイズは全てコピーしていたのだが、それをプリント・アウトせずに、フラッシュ・ドライブに入れていた。しかも、章ごとにまとめて・・・まだまだ修行が足りませんな。

章ごとにまとめていると、探すのに時間がかかる。それより教科書を見たほうが早い。という事で、彼も教科書をパラパラめくっていたのだが、かなり時間がかかっている様子である。そこで、テストを終えて帰る前に、私のプリント・アウトを渡してきた・・・役にたってたら良いな!


2010年06月08日(火) Priorityの問題

以前も書いたのだが(書いたっけ?)、ダンナは話し相手に飢えている。じゃ、夜、話をすれば良いと思うのだが、夜はオフィシャルなテレビ時間であるから、会話はできない。(昼間テレビを見るのは、何かの合間に見ているのであって、テレビを見ること自体が目的ではない・・・合間が長いだけ。)そうなると、当然ストレスが溜まる。ストレスが溜まると怒鳴りたくなる。何か怒鳴る理由はないか?そんなの探すまでもない。我が家には怒鳴る理由の塊が一人住みついている。

ところで、ダンナが一番暇な時間は、本日の予定を決めていない早朝である。が、早朝は普通の人にとっては一番あわただしい時間なのだ。あの愚息ですら、ぎりぎりまで寝ているので、学校へ行く準備を急いで整えて飛び出していく。実は早起きをしてゆっくりと朝飯を食って、着替えて・・・二度寝するのだ、アイツは!

で、愚息があわただしく出かけようとしている時に、ダンナが愚息に小言を言い始める。愚息は愚息で、「こでで遅刻しても俺のせいじゃねぇ。」とばかりに、こういう時に限って素直に話を聞く。これがまた長いんだ。

例えば・・・ごみ収集日の前にゴミ箱を出すのは愚息の仕事である。下に車輪がついているとはいえ、馬鹿でかいアメリカのゴミ箱を出すのは簡単ではない。我が家のドライブウェイは以上に傾斜しているので、一杯になったゴミ箱が転がり落ちないように下まで持っていくのは結構力がいる。映画によく出てくるブリキの丸いゴミ箱ではない。かなり太目の人でもすっぽり入る大きなゴミ箱なのである。空でも重い。それが我が家には4つもある。で、愚息の仕事。

愚息は通常前の日の夜中にゴミ箱を出すのだが、当然忘れることもある。そういう時は夜中だろうが早朝だろうが(大抵は私が起きる早朝ですな・・・私は5時に起きる)気付いた時に愚息を起こす。「ゴミ箱出してないよ!」と起こされた時は、愚息は黙って起きてゴミ箱を出す・・・あれ、起きてるのかね?

が、その日は祭日の翌日だったため油断していた。祭日の翌日というのはゴミ収集に来ないことが多いのだ。そこで私より前にダンナが気付いた。そして愚息に小言を言い始めたのだが・・・私はきっぱりと中断してしまった。

「すぐ、出して来い!」

当然、愚息はゴミ箱出しに走る。

せっかく始めた小言を中断されたダンナは、愚息が戻ってきてから学校へ行くまでぐでぐでと小言を言い続けた。愚息が玄関のドアを開けようとしても小言は続く。人が話している途中にその場を離れるのは大変失礼なことであるから(私はダンナに対してしょっちゅうやってるけど)、愚息は玄関の前に立って小言を聞き続ける・・・本当は全然聞いてないんだろうが、聞いてる振りを続ける。・・・で、遅刻。

しかし、ゴミ箱を出し忘れただけのことで、どうしてあんなに長く小言が言えるのだろう?他にも、ソックスを脱ぎっぱなしで置いていた、とか車(愚息の車、あるいは私の車であって、ダンナのではない)が汚れているとか、愚息が見て棚に戻したDVDがアルファベット順に並んでなかったとか・・・話題はたくさんある。そして、いつも小言はいつも愚息が出かける時間になってから始まる。おかげで最近の愚息は3日に1回は遅刻である。

要するに、これはプライオリティの問題なのだな。ダンナにとっては愚息の大学なんぞよりも自分がテレビを見る時間の方が大切なのだ。

ダンナは愚息が生まれてから割りと直ぐ病気になり、愚息の成長とともに病状は悪化していったから、愚息のことは全く構って来なかった。それは自分の事で手一杯だったからだ・・・と私は思っていたのだが、元気になった今でも同じである。・・・要するに子供の将来については全く関心がないのである。それはそれで仕方あるまい。そういう父親だっているだろう。が、せめて愚息が学校へ行く邪魔だけはしないでくれ。

文字通り全く勉強をしなかった愚息がやっと大学に行く気になってるんだぞ!


2010年06月07日(月) 我が家のインターネット状況 2: それじゃテクニシャンという肩書きが泣くだろう?

プログラミングのクラスを取っていた時先生に聞いた話だが、アメリカがIT関係をアウトソーシングするのは、知識の問題が大きいのだそうである。例えば、プログラミング言語の基本なんぞは誰にだって学べる。英会話と違って単語を暗記する必要は無い。知らなければその都度調べれば良いのである。インターネットに載っているソースからコピーしてきてペーストし、ちょこちょこっと変えれば良いだけである。特に頭が良い必要も高い教育を受けている必要も無い。難しいのはプランニングとデザインであって、実際にプログラムを書くことではない。が、アメリカにはその程度の知識を持っている人の数が少ない。従って、高度な知識を持っている人達がプログラムを書く事になる。そうすると、給料だってそれなりの金額を払わなくてはならない。

高度な知識を持っている人はどの国のどの分野だって少ない。思うにアメリカには指示通りにプログラムを書ける中程度の知識を持った人が少ないのではないかと思う。タイム・ワーナーの顧客サービスの例で言うならば、データ・ベースをデザインするにはそれなりの知識が必要だと思うが、使うだけなら大学レベルの知識は必要ではない。専門学校に行く必要すら無い。その程度であれば社内のトレーニングで充分であるはずなのだ。が、その程度の知識を会社が与える気もなければ、社員が習おうという気もないのではないだろうか?そんなことするより、そういう事はアウトソーシングすれば簡単なのだろう。

でも、これって問題ないかい?特にこの不況時には。

私は人種によって優れた人種と劣っている人種があるとは思わない。どの人種でも個人的に頭の良い人とそうでない人はいるだろうが、ほどんどの人は普通であろう。(だから普通って言うんだけど。)どの人種だって、頭の良し悪しはグラフにすればベル曲線になると思う。が、アメリカの成人の場合、このベル曲線の頂点が、著しく左側にずれているような気がする。そして、それは教育制度に原因があると思われる。頭を使う訓練ができていない人が多いのだ。(そういうヤツが我が家にも1人いる・・・2人に増えそうな気配もある。)

そのせいで、暮らしていくために何かと不都合が起こるのである・・・ISPを変える時みたいに。

が、それも根気さえあれば何とかなる。という訳で、我が家のISPはDLSのVerizonのDLSからケーブルのタイム・ワーナーに変更された。それが今年の2月のことであった。

ちなみに、最初に顧客サービスの人から得たピントがずれた答えは完全に間違っていた。タイム・ワーナーが使っている光ファイバーはメイン・ラインだけである。(そうだと思ってたけど。)個々の家には普通のケーブルが使ってある。従って、スピードはDLSとほぼ同じ。しかも、アップロードのスピードはちゃんとダウンロードより遅い。(それって普通だろう?)

が、VerizonのDLSと違って接続は安定しているから文句はない。文句はないどころか、実に有難い。タイム・ワーナー様様である。インターネットへの接続が安定していると、これほど安心して仕事が出来るとは思わなかった。こんなことならとっくに変えていれば良かった・・・あ、でも値段は倍以上になったけど。

散々お世話になったVerizonの顧客サービスやテクニシャンの方々のために、弁解しておくが、VerizonのDSL全体に問題があるのではない。私が住んでいる地区の接続が悪いだけである・・・インターネット未開発地区だから。電話での対応や家に来てくれるテクニシャンの方々は、みんな親切で、丁寧に色々なことを説明して下さる。しかも安い。一月20ドルで使いたい放題だ。が会社そのものが我が地区に金をかけてメインテナンスをする気がないのだから仕方ない。

タイム・ワーナーに変えてから、一度だけワイヤレス接続が出来なくなった。私のPCはモデム兼ラウターに直接繋がっているので問題は無かったのだが、ダンナと愚息のPCがインターネットに接続出来なくなった。我が家のネットワークをPCが探知しないのだ。近所の人のネットワークはたくさん探知するのだが、それを使うわけには行くまい。(セキュリティをかけていないネットワークのなんと多いことよ!)すぐに電話をしたら・・・「明日、テクニシャンがお宅に伺います。」ということであった。

えっ、電話じゃなんとかならないの?今日は来て貰えないの?(ま、私のPCには繋がっているのだから、明日でも良いけど。)

次の日にやって来たテクニシャンは、私のPCのブラウザにIPアドレスを打ち込み、設定をリセットして・・・全部で1分もかからなかった。この程度の事ならなら電話で指示してくれれば私だって出来る。というかVerizonの場合はそうしていたのだ。(ユーザ名とパスワードは私が設定することができた。)わざわざテクニシャンが家に来るほどのことではあるまい。が、タイム・ワーナーはモデム/ラウターの設定のサイトに入るためのユーザー名とパスワードを顧客に教えてくれないのである。(ま、どこかの会社のユーザー名/パスワードがadmin/adminというのに比べりゃましかもしれんが。)そして、電話に出る人にも、それは教えられていない。テクニシャンだけが知っている。それはそれで安全かもしれませんけどね、どんなセキュリティ設定になっているか顧客が知ることは出来ないという事でもあるよな、これは。じゃ、ハックされた場合、会社が責任を取ってくれるわけ?それともセキュリティに絶対の自信があるわけ?

さて、来てくれたテクニシャンにワイヤレス接続が出来なくなった原因を尋ねてみた。すると、「わかりません!」と自信を持って堂々と答えてくれた。

へっ?

色々な可能性はありますが、まぁ、多分これ、これ、あるいはこれでしょう・・・とかいう言い方は出来ないわけ?ユーザー名とパスワードさえ知ってれば、設定のリセットなんて子供でもできるじゃないか。それじゃテクニシャンという肩書きが泣かない?

・・・泣かない、アメリカだから。


2010年06月06日(日) 我が家のインターネット状況 1:インターネット未開発地

私は相変わらずコンピュータ音痴である。歳のせいか、新しいことを覚えるのが苦手ですな。そもそもコンピュータと言っても範囲が広い。大学ではComputer Information Systemとやらを専攻しているが、その中でも色々分かれている。しかも、Computer Scienceやハードウェアに関するクラスは別の学科。Computer Scienceは数学、ハードウェアは電気関係だったと思う。個々のソフトウェアの使い方(WordやExcel、Deramweaverなどの一般的なソフト)はまた別の学科である。かように、コンピュータと一口で言っても、その範囲が広すぎて、ちょっとやそっとでわかるようになるわけではない・・・と思う。が、インターネットやシステムの構築はComputer Information Systemの一部である。だから多少は理解できても良いと思うんだけどねぇ・・・ダメだな。

さて、私はインターネット接続にDSLを使っていたのだが、昨年の後半から今年の始めにかけて、接続状態が異常に悪化した。ISPは長年Verizonを使っていたのだが、最近Verizonは光ファイバーを使い始めた。私の母でさえ使っているというので、日本では光ファイバーが主流なのではないかと思うのだが、アメリカではまだまだDSLと普通のケーブルが主流である。光ファイバーはケーブル会社がメイン・ラインにしか使っていない。(つまり、DSLとケーブルはスピードがほとんど同じ。)で、Verizonが光ファイバーを使い始めるとどうなるかというと、DSLの方のメインテナンスが疎かになるのである。しかも、Verizonの光ファイバーは我が家の地区にはまだ来てない。そして、我が家のDSL接続状態は悪化の一路を辿るのである。

それでも、Verizonの顧客サービスは中々親切なので、使い続けていた。テクニシャンも何度も我が家に足を運んで、色々やってみてくれた。が、物事には限界がある。私の家の敷地内繋の電話線を変えても、モデムを新しい機種にしても、家の近くまで来ている電話線のメインテナンスがちゃんと出来ていなければ接続が向上する訳が無い。テクニシャンが会社に数回交渉してくれたのだが、どうもVerizonはインターネット未開発地区である我が家のエリアに金をかけるつもりは無いらしい。ついに顧客サービスもテクニシャンも音を上げてしまった。

「ケーブル会社に変えることをお勧めします。」

社員から見放されたらお終いだな。という訳で、ケーブル会社を調べてみた。・・・やはり我が家はインターネット未開発地区だった。ケーブルの会社もタイム・ワーナーだけしか無い。選択肢が無いのだ。イヤ、T1ラインを使うという手はあるだが、これはいくらなんでも高すぎる。個人が使うものではないだろう。

という訳で、タイム・ワーナーのウェブサイトで申し込みをしてみたら・・・ケーブルを引くための工事の予約は電話でしてくれ、とのことであった。

そこで電話をしてみた・・・

例によって例の如く、機械相手に悪戦苦闘した果てに(何故にあの機械とうヤツは選択肢を番号で選ばせてくれないのだろう・・・何番を押してくださいと言われればすぐに押せるものを、言葉で言わないといけないとなると、訛っている英語しかしゃべれない私のような人は非常に苦労するのだ!)、やっと顧客サービスに繋がった。

まずは基本的な質問をしてみる。

「ダウンロードのスピードはどのくらいですか?」
「速いです。」
「どのくらい速い?」
「ものすごく速いです。」
「DSLに比べたら。」
「DSLなんかよりずっと速いです。」
「・・・秒速は?」
「それはわかりませんが速いですよ。パッと出ます。」
「・・・アップロードは?」
「速いです。」
「ダウンロードと同じスピード?」
「はい。すぐに画面が表示されます。」
「?・・・光ファイバーを使ってるって聞いたんですけど、光ファイバーは個々の家まで来てるの?」
「もちろん、だから速いんです!」

だめだ、こりゃ・・・

「じゃ、お願いしたいんですが。」
「弊社と既に契約していますか?」
「いいえ、初めてです。」
「では、お名前と住所をどうぞ。」
で、名前と住所を言ってから待つことしばし。
「・・・あなたは弊社とまだ契約していませんので、コンピュータに登録されていません。従って、お宅にインターネット・サービスを提供するのは不可能です。」
「いや、だから新しく契約したいのですが。」
「ですが、既に契約している人でないと、新規契約はできないんです。」

・・・へ?

私は確かに新しく契約するための番号に電話をしたはずである。が、仕方ないので、その時は電話を切って、もう一度ウェブ・サイトで番号を調べてかけなおした・・・同じ番号に。再び機械と同じやり取りを行い、今度は違う人が電話に出たので「新規サービスをお願いします。」と言うと・・・同じ返事が返ってきた。何故なのか理由を尋ねたら、説明できる人に電話を回すので、待っていてくれ、と言われ・・・そのまま切られた。

何なんだ、これは?タイム・ワーナーは新規契約は受け付けていないのか?

次の日、再挑戦したのだが、今度は私もかなり頭に来ていたので、「上司と話をさせろ!」と強気で出た。すると、上の人が出て・・・全く問題無しに手続きができた。どうして最初に電話に出た人が出来なかったのか尋ねたが、「どうしてでしょうねぇ。大変失礼しました。」で終わってしまった。

タイム・ワーナーは客にフィルターをかけるのか?しつこいヤツとしか契約しないのか?

後日、同じくインターネット未開発地区に住んでいる知人に尋ねてみたら、彼女(アメリカ人)は私と同じ目にあってケーブル接続を諦めたそうである。彼女は私ほどしつこい性格ではないので、フィルターに引っかかってしまったのである。

新規契約をする場合は、データベースに新しくデータを入れなくてはならないのだが、最初に電話にでる人はその方法を知らないらしい。とうか、上記の会話のように、恐ろしいほど知識がない人が電話にでるのだ・・・つうかかなり頭が悪いとしか思えない。だって、新規契約をするのは既に契約をしている人ではないといけない、というのが矛盾していることは、小学生にだってわかる。

これは想像であるのだが・・・タイム・ワーナーとは元々ケーブル・テレビの会社である。だから、ケーブル・テレビの契約をしている人だったら、他のサービスであるインターネットやネット電話も申し込める。が、ケーブル・テレビの契約をしていない人は、最初に契約するところからやらなくてはならない。が、ほとんどの客は既にケーブル・テレビの契約をしている人なので、最初に電話に対応する人には本当の新規契約者に対する対応の仕方を教えない。最低賃金で雇えるようなマニュアル通りにキーボードを押すことしか出来ない人しか雇っていないのだ。


Verizonの場合、電話にはものすご〜い訛りがある人が出るので理解するのに一苦労するのであるが、答えは非常に的確である。そして、対応している人のほとんどがインド人かインドネシア人である。タイム・ワーナーの顧客サービスの人達は訛りのない英語を話す。・・・どっちが良いんだろう?

でも、それだからアメリカはIT関係はどんどんアウトソースしなくてはいけなくなるのだ!賃金だけの問題とは思えないぞ!


2010年06月05日(土) 黙れ、黙れ、黙れ!

ああ、せっかく愚痴って憂さ晴らしをするために再開した日記だから、思いっきり愚痴らねば!

ダンナは元々話し好き、人好きである。(私と正反対ですな。)会社勤めをしていた頃は、会社に話し相手がたくさんいたので、家に帰ってきてまでぐでぐでと話すことは無かったのだが、隠居した途端(退職が何時の間にか隠居になってる)、話相手がいなくなった。そこで、愚息を話し相手にしようとしたのだが、これは無理だわな。愚息は当然逃げる。だいたい、小さな頃から、愚息の世話はもちろんのこと、一緒に遊んだこともない父親が、突然話をしようとしても無理である。愚息が話しかける度に、「テレビ見てるから黙れ!」と怒鳴っていたヤツが、自分が暇になったからといって一緒に遊んで貰おうなんていうのは甘い。という訳で、すぐにターゲットは私へと変更された。

私はまだ隠居するほど歳ではない。特に忙しいとは言わないが、普通の大人だから、1日中何かしらやらなくてはならないことがある。それはダンナにもわかっているから、私の邪魔をしてはいけない、という自覚は微かにではあるが、あるようである。

季節労働者である私は、夏(6月から8月)と冬(11月から1月)の間は、週7日働くが、その他は基本的に午前10時頃から6時頃までが勤務時間である。だから、朝5時半に起きてから10時までに朝食と昼食を作って、夕食の下準備をして、洗濯をやって、スーパーマーケットや銀行などに行く。その間、座っているのは洗濯物を畳む間だけである。そこで、私が洗濯物を畳んでいると、ダンナがやってきて話し出す。が、私は洗濯物を畳んでいる時は、受講しているクラスで覚えなくてはならないことを頭の中で繰り返しているのだ。単語カードと共に洗濯物を畳んでいるのである。だから、話しかけられると困る。主婦が勉強時間を作るのは、大変なんだぞ!

さて、私が仕事を始めると、ダンナは私にどうでも良いことを話しかけることは止める。どうでも良いこととは、昨日見た映画やテレビのあらすじや芸能人のゴシップなどである。そういう話は私は暇な時でも真面目に
聞かない。で、「全然人の話を聞かない!」と怒られるのだが・・・そういう事って真面目に聞くことかい?話を戻して・・・どうでも良いことは話しかけないのだが、大切な事は話しても良いだろう、と思っている節がある。・・・良いわけないだろう!!!主婦が真昼間にダンナの会社に電話をかけて、仕事中のダンナに家計のやりくり、親の健康状態、子供の進路なんぞについて話すか?これらは非常に大切な事である。夫婦で話し合って決めるべきことである。が、昼間、勤務中に話すことではない。絶対に無い!

しかも、ダンナは結婚してから25年間、そのようなことは全て私に任せてきたのである。今更、暇になったからと言って口出しされても、1から説明するのには時間がかかる。仕事の片手間に出来ることではない。それでも、今後どれか一つでも引き受けてくれると言うのなら、説明もしよう。が、私が説明を始めると、途端興味を失うのである。引き受ける気は全くないらしい。

んじゃ、最初っから口出しするんじゃねぇよ!

例えば我が家の収入。ダンナはこれまで自分がいくら稼いで、いくら税金を支払っていたのかも知らなかった。(おおよその月給は知ってただろうけど。)借金がいくらあるのか、家を維持するのに(光熱費など)一月いくらかかるかも知らない。生きていれば食費だってかかる、ということすらわかっていない。だから、収入は全部使って良いと思っているらしい。使いたい金額(X)を必要経費やローンの支払いや税金を引く前の収入(Y)で割り、「家のフェンスを取り替えるのにXドルかかるから、今、収入が1ヶ月Yドルだから、払うのにZヶ月かかるね。じゃ、車の方はZヵ月後にして・・・」

んなわけねぇだろ!
我が家の収入から必要経費を差し引くと・・・残りはゼロだい!

本日も、銀行口座の記録を見たいから、どこにあるか、と聞かれた。本日は仕事が途中で途切れたため、エンピツ日記を書いていたのだが、仕事しているか日記書いて遊んでいるかなんて、ダンナにはわかるまい・・・かように、私は口で(ダンナに)言っているほど忙しくはない。という訳で、ちょっとお話してあげることにした。

家事家計一切を任されているからといって、ちゃんとやっているわけではない。もともとズボラな性格だから何かを計画的に行うということはできない。行き当たりばったりである。何かを出せと言われてすぐに出せるほど私はオーガナイズされていない。銀行口座の記録は7年間分取ってあるが(アメリカの税務署は7年前まで遡って記録を要求することが出来るという法律がある)、どこにあるか、というとすぐにはわからない。家計簿ならばすぐに出せる。だいたいオリジナルを見直すことなんて、ないだろう?毎月毎月、家計簿を照らし合わせて、間違いがなければオリジナルなんてどっかにしまってお終い。で、7年経ったら捨てる。そもそも、Bank Reconciliation (銀行の記録と自分の記録を照らし合わせる事) のやり方も知らない癖に、そんなもん見て何がわかる?

「そんなもの見て何が知りたいの?」
「いや、入金の記録とかそういうの・・・具体的に何がという訳じゃないけど。」
「知りたいことが具体的に無いのに具体的な記録を見たいわけね?なんのために?」
「いや、その・・・お金のことが全然わかってないのも良くないかなぁと・・・」
「見ればわかるわけ?」
「いや、そういうわけではないかもしれないけど・・・」

という訳で、ダンナのリクエストは却下!

しかし、ダンナは懲りずに、次はコンピュータの話題を持ち出した。コンピュータの話題なら私が乗ってくると思ったのであろう・・・浅はかである。

私はコンピュータに興味はない。興味ないどころか嫌いである。大学でコンピュータの勉強をしているのは、必要に迫られたからである。それでも、クラスを取っていると色々な情報は入ってくる。だからダンナよりはちょっとだけ知識がある。ダンナは退職して以来、ウェブサイトを色々見て、ちょっとはコンピュータの事がわかった気になっているらしい・・・甘いね。

「Windows 7に変えた方が良いかどうか考えているんだけど・・・」
「必要ない!」
「だって、Windows 7の方が良いみだいだよ。」
「どこが?どう?何をするのが?Vistaで何が不自由なの?」
「いや・・・具体的に何がっていう訳じゃないけど・・・」

具体的な事がわからない物に金を使うんじゃない!

だいたいWindows 7って高いんだぞ!が、私は現役の大学生であるので、Microsoftの商品は破格で購入することが出来る。Window 7だって50ドル以下で買える。Vistaは嫌いだけど特に不自由しているわけではないので(時々不自由するけど)、評判が良い程度で50ドルも使う気はないのだが、ダンナが欲しいというなら、私が買ってあげてもよかろう。

「私が学割使って買うのは良いけど、OSの入れ替えは時間がかかるから、自分でやってよね。」
「うん。」
「後で、バックアップしてなかったとか、入っていたソフトウェアが無くなったとか言わないでよね。ちゃんと自分でバックアップして、CDがないソフトはダウンロード・キーを紙かフラッシュ・ドライブに記録して、CDがあってもソフトウェアによっては登録を取り消しておかないと再ダウンロードできないものとかあるから、そういうのちゃんと調べて・・・」
「・・・何言ってるのか全然意味がわからないんだけど。」

意味わからないで、どうやってOS入れ替えるつもりだ?だいたい、今のOS(Vista)に不満があるならubuntsu使えよ、ubuntsu!こっちの方が評判良いぞ!無料だし、入れ替えなくてもCDから起動すれば良いし。CD持ってるぞ、私・・・先週、大学の先生に貰った!

という訳で、これも却下!

ダンナが私に話しかけて来る事は、次から次へと却下される。

会話だけ聞いていれば、私はかなりの意地悪である。が、実際は・・・そのまんま、意地悪である。というより、仕事中はわざと意地悪な言葉を連発する。実際は意地悪がしたいのではない!断じて違う・・・と思う。・・・う〜ん、ちょっとだけ、意地悪したいかも?本当に私が言いたいのは、「仕事の邪魔をするな!」という事なのである。夕食後だったらいくらでも話は聞く。しょーもないテレビのあらすじでも、小学生レベル以下のコンピュータの話でも付き合おうじゃないか!が、仕事中は止めてくれ!コネも資格も金もない私が、時間をやりくりして身一つでコツコツと築いたキャリアなんだぞ!

という訳で、私がダンナに本当に言いたい事は・・・怒鳴りたい事は・・・

黙れ!黙れ!黙れ!

なのである。


2010年06月04日(金) れっつ・わーくあうと 3: 押し返すんじゃねぇよ!

身体を温めて、ストレッチをし、準備運動(スクワットとジャンピング・ジャック)が終わったら、いよいよワークアウトである。ワークアウトはダンベル体操。

以前、ダンベル体操が流行った頃、私もダンベルを買ってきてやってみた。その時は2ポンド(約0.9キロ)のダンベルを使ったのだが、重すぎて挫折した・・・ペンより重いものは持たねぇんだよ、私は!

「肩がもう少し良くなるまで、軽いのを使いましょうね。」と言って渡されたダンベルは7ポンド(約3キロ)だった。両方で6キロ!・・・無理だ。

ピンチ・ナーブとやらで左腕を上げると肩が痛むので、まずは両腕を下ろした状態から、地面と水平になるまで腕を横に上げる体操。しかも、両方の手にそれぞれ7ポンドのダンベル持って・・・ダンベル体操だから当たり前だけど。

これは、フィジカル・セラピーでもやらされた。その時使ったダンベルも7ポンドだった。(7ポンドとは力が無い人用なのだろうか?)フィジカル・セラピーでは「もっと軽いのない?」とリクエストしたら「あるけど、使わない。」と即却下された。が、場所と人が変われば、答えも変わるかもしれない。質問の仕方を変えて見れば良い返事が返ってくるかもしれない。 

「これ、ヤダ。」
「何故?」
「黄色、嫌い。」(黄色が嫌いなのは本当だが、ダンベルの色と重さの関係はどこでも同じではないか、と愚考したのである。)
「何色が好きなの?」
「ピンク!」(本当はピンクも嫌いである。)
「そんな色のダンベルはない。」
「あるよ、私、持ってるもん。」
「何ポンド?」
「2ポンド」
「・・・じゃ、始めましょう。」

無視するな!

いやぁ、ダンベル体操で汗がだらだら流れるとは思わなかった。そもそも、私の身体から汗がだらだら流れるとは思わなかった。ここは南カリフォルニアである。日本と違って空気が乾燥している。普通に暮らし暮らしていれば、汗が流れてくることなど無い。

スクワットと同じで、これも何回繰り返せば良いのかは最初に言ってくれない。数回やったら腕がブルブル震えだす。スクワットの時と同様、目を瞑って歯を食いしばる。ようやく「あと3回。」までこぎつける・・・と、ダンベルの重さが急に増す。いくら力を入れても上がらない。ちょっと上げると、ちょっと下がる・・・いや、これは変だぞ。まるで押し返されているような、と思って目を開けると・・・

トレーナーが私が必死で上げようとしているダンベルを下に押し返していた。

押し返すんじゃねぇよ!

もちろん、実際は何も言わない。心の中で怒鳴りながら、言われたことを淡々とやり続ける(って、やれてないけど)のが私のスタイルである。文句を言っても何かが変わるわけではない。そもそも、心の中で怒鳴っていることをそのまま口に出すなら、ウェブ日記なんて書いてない。(つまり、口に出さない代わりにここで怒鳴っているわけです・・・読んで下さっているあなたに対して・・・ごめん。)

パーソナル・トレーナーとのトレーニングは週2回だけれど、後は習ったことを出来るだけ自分でやるようにして、週6日は運動するように、と言われた。

「ダンベルは家にある?ピンクじゃないの。」
「ある。息子が持ってる。」
「何ポンド?」
「45ポンド(約20キロ)」
「・・・僕とやらない時も、ジムに来てダンベル体操をするように。」

我が家には、愚息のウエイト・トレーニング用のダンベルやベンチプレスがあるのだが、ベンチプレスは棒だけで100ポンド(約45キロ)だ。その棒の両側にウエイトを付けてペンチプレスをやるのだが、愚息が言うには、彼が使っているウエイトは、彼の仲間に比べると随分軽いらしい。

・・・世の中には私の知らない人種がまだまだ存在する。それも結構身近に。


2010年06月03日(木) れっつ・わーくあうと 2: White Man’s StretchとThird World Squat

間と空けて続きを書いて申し訳ない・・・5月29日の続きです。(5月29日の日記を読んでいなくても、差しさわりはありません。)尚、この文章には差別用語が使ってありますが、差別用語はTPOによっては全く冗談として通じないことをお断りしておきます。日本で冗談として4文字言葉や中指を立てる行為を使っているのを見たことがありますが、あのような行為はアメリカではTPOによっては冗談ではすみませんので、ご注意下さい。アメリカで(または、アメリカ人相手に)冗談のつもりで差別用語を使ったり人を侮辱するジェスチャーを行ってぼこ殴りにされても、当方は責任を負いかねます。

走って身体を温めた(?)後はストレッチである。ストレッチは普通のストレッチであり、特に問題はないのだが、一つだけ不可解なストレッチがあった。カエルさんのような格好でしゃがんで、前についている両腕の肘を膝が曲がっている部分に当てて上に押し上げる、というものである。どうも太腿の内側を伸ばせと言っているらしい。

「ほら、腿の内側が伸びているのがわかるでしょう?」
「・・・全然わかりません。」

家に帰って愚息に聞いてみた。

愚息「あ、それWhite Man’s Stretchって言うんだよ。」(うわぁ、差別用語!)
愚母「何それ?」
愚息「白人が太腿の内側をストレッチする時の運動。日本人には効かない。」
愚母「何故?」
愚息「ほら、足の裏を前で合わせて座ってごらん。」
・・・言われた通りに座ってみる。
愚息「ね、膝が床に着いているでしょう?日本人は股関節が柔らかいから、こういう座り方をすると膝がすでに床に着いている。でも、白人は股関節が固いから、こういう座り方をすると膝が上がってる。そこで膝を下に押し下げて太腿をストレッチするんだけど、これは結構キツいストレッチの仕方なんだって。だから、初心者はカエル座りをして、膝を押し上げて伸ばす。でも、僕達は膝がすでに床に着いている状態だから、どちらのストレッチも効かない。日本人の場合は、この座り方(足の裏を前で合わせて座る)をして、背筋を伸ばして、そのまま前に身体を前に傾ける。そうすると、太腿をストレッチできる。」

・・・なるほど。

で、次回、トレーナーに愚息に教えてもらったことを言ってみた。「ホワイト・マンズ・ストレッチ」という名前がやたら受けてたけど・・・実際に彼が足の裏を合わせて座ってみたら、曲げた脚と床の角度が45度ほどあった。すっげ〜!白人ってこんなに股関節が固いんだ!しかも、膝を床に押し付けようとしたら・・・出来なかった。彼は彼で、私の膝を見て驚いていたようだ。(日本人のトレーナーやったことないのかな?)

「それって、リラックスしている状態?」
「うん。」
「なんで?」

・・・って聞かれても元々こうなんだから説明の仕様が無い。日本人はみんなそうだと思っていた。愚息だってアメリカ生まれだけどそうだもん。だが、ダンナは違った。ダンナの脚も45度ほど傾いている。人によって違うのかな?

さて、ストレッチの次はスクワットである。しゃがんでから、その状態からすぅ〜と立ち上がるのも日本人の得意技である。が、やらされたスクワットは全然違っていた。

まず、上体を真っ直ぐにして、バランスを取るために肘を身体のちょっと外側で軽く曲げる。そのままの姿勢で、お尻を突き出すようにして、膝が足先より前に出ないように注意しながらゆっくり膝を曲げて行く。膝が45度に曲がったら、そこからゆっくりと元に戻す。

これがキツイ!3回やっただけで脚がブルブル震え始めた。上体が前に傾く。顔が下を向く。額から流れてくる汗が目に入るので、目を瞑って歯を食いしばる。

「上体を真っ直ぐして顔を上げる!」
「また、顔が下を向いてる!」
「汗流しながら歯を食いしばってものすご〜く苦しそうな顔見るの楽しいから、ちゃんと顔上げて!」

・・・バカヤロウ!

何回やったか数える余裕など無いのだが、多分トレーナーも数えていない。私の脚の震え具合を見ながら、もうこれ以上無理だな、と思ったところで・・・

「はい、あと3回!」

えっ!?

しかも、最後に膝を曲げた時点で・・・

「はい、そのままの姿勢で5秒間!」

そして、5秒経ったと思われる頃、「1、2」と数え始める。しかも、1と2の間がやたら長い。

「秒を数える時は、ワン・ミシシッピー、ツー・ミシシッピーという風に数字の後にミシシッピーを付けるんだよ。そうすればより正確に時間が測れる。」とやさしく教えてあげたいのだが、しゃべる余裕は無い。

脚をブルブル震わせながら、歯を食いしばって5秒間(あれは絶対もっと長かった)耐えた後・・・

「では、ゆっくり起き上がって。」

・・・出来るわけねぇだろ、そんな事!

という訳で、そのままストンとしゃがみこんでしまった。

このしゃがむ、という姿勢、私にとっては実に楽な姿勢なのだが、アメリカ人には出来ないんですな、これが。これは愚息も出来ない。しゃがむとかかとが上がってしまう。ダンナも出来ない。

どうもトレーナーは余り日本人とは馴染みがないようである。しゃがみ込んだままぐで〜っとしている私を珍しそうな顔で見ている。

「ねぇねぇ、それって楽な姿勢なの?」
「そ。」
「よくそんな格好できるねぇ。」
「・・・ほっといてくれ!」
「ま、いっか・・・次の準備するから、その間、ジャンピング・ジャック30回やって。」
「えっ、休みないの?」(って、しっかり休んでるけど。)
「休むと心拍数が下がるから、動きを止めないように。」

・・・嘘だろう。

ちなみに、ダンナは私がしゃがんで、そのまま手を使わずにすぅ〜っと立ち上がることをThird World Squat(発展途上国スクワット・・・あっ、これも差別用語だ)と呼ぶ。


2010年06月02日(水) DOTFATERの能天気な日々

DOTMANの間違いではない・・・念のため。

先日、ダンナが友人と電話で話しているのを耳に挟んだ。退職後の生活について話していたらしい。

「いやぁ、やらなくてはいけないことたくさんあって、やりたいと思っていたことが全然出来なくてね。身体も鍛えなくてはならないから、犬と一緒に散歩している。それに年老いた両親を色んなところに連れて行ってあげないといけないし・・・」

ふむ・・・週1回両親をレジャー・クラブ(日系老人の集まり)に連れて行き、2、3週間に1回父親を医者に連れていくのが色んなところかね?

犬と散歩・・・そう言えばこの3ヶ月の間に3,4回行ったよな。

ああ、親戚や友人達と昼食に行くことや友人達とスパムなメールのやり取りをするのも「やらなければならないこと」なのね。

余談だが、愚息と私はダンナから送られてくるメールのことをスパム・メールと呼んでいる。ダンナは面白いと思うサイトを見つけると、そのサイトのアドレスなんかを愚息に送るのだが、本当に面白おかしいサイトなんぞはおじさんが見つけるずっと前に若者は見ているのだ。そして、愚息が知らないサイトは、若者には受けないサイトである。そんなメールを1日に10通ほど受け取ったら・・・これはスパムだろう?

また、ダンナは興味深いサイトがあると、そのアドレスを私に送ってくる。自分で読むのがメンドウだから、私に読ませて要約させようという魂胆なのである・・・そんなもん読むわきゃねぇだろう!という訳で、私はダンナから送ってくるメールを開かずにガンガン削除する。「メールを送る時は、件名に何についてのメールかを必ず書かなくてはならない。ウェブサイトのリンクを入れる場合は、それが何についてのサイトであるのかの要約を書くのが礼儀というものだ!」とキツく言ったら、送ってくるメールの数が激減したが、それでも1日に数通送ってくる・・・同じ家に住んでるんだろうが、同じ家に!

さて、ダンナの1日は、目を覚ますことから始まる。

当たり前だと思われるかもしれないが、私の1日はコーヒーを作ることから始まり、目が覚めるのはベッドを出てから2、3時間後である。

ダンナは起きるとまず犬に薬をあげ(老犬だから)、その後、コーヒーを持って二階に上がり、しばらくのんびりとテレビをご覧になる。起きる時間は決まっていないが、8時頃までには起きる・・・年寄りだから。ひとしきりテレビを見た後、朝食を食べ、洗濯機が作動していなかった場合は、シャワーを浴びる。(これについては、話が長くなるので別の日に・・・多分)洗濯機が作動している場合は、止まるまで待つ。そしてシャワーを浴びてから、メールをチェックする。すると、昼食の時間になる。昼食を食べた後は、夕食まで、その日の気分で色々やっている・・・と思うのだが、何をやっているのかは定かではない。近所の日系マーケットでトマトやきゅうりの苗を買い込んできて、大きな鉢で野菜なんぞを育てている。が、ほとんどの時間をDVDコレクションを見ることに費やしているのではないかと思われる。

夕食後は、皿洗いをやってからテレビを見る。就寝時間は・・・私は先に寝るから知らない。

ダンナは透析をやっていた頃、ベッドに縛り付けられている時間が長かったため、DVDを買い込んでいた。が、透析をやる位だから、1日の終わりに映画を見るような元気はない。大抵の場合は途中で眠ってしまう。従って、ダンナがまだ見ていないDVDが家には500本ほどある・・・しかも、まだ増え続けている。

しかし・・・こんなに長時間テレビを見ているとボケるのではないだろうか?最近、急激に話し方がアホっぽくなってきた気がする。言葉が出てこずに滑らかに話せない。色々なことを忘れる。自分が何を話していたかも途中で忘れる。これはマズい。マズいのだが、長年働いてきてやっと退職したダンナに「テレビばっかり見てるんじゃない!」と怒るわけにも行かない。これが子供だったら「テレビばっかり見てないで勉強しなさい!」と言うことも出来るのだが、ダンナだと、テレビばっかり見ていないで・・・う〜ん、何をしろと言えば良いんだ?「じゃ、一緒に遊んで。」なんて言われたら薮蛇だし・・・

犬と散歩したり、庭いじりをしたり、テレビを見たり・・・これでは完全に隠居生活である。50代で隠居というのは早すぎるんじゃないかい?

ところで、退職したらダンナがやりたいと思っていた事って何なんだ?


2010年06月01日(火) スポーツ・バー 3: 聞こえないと思うんですけどぉ・・・


アメリカ人っつうのはどうしてああも画面に向かって叫ぶのだろう?

アメリカで初めて映画を見に行った時にも同じことを思った。彼らは痛快なシーンになると叫んだり拍手したりするのだ・・・画面に向かって。映画が終わって「ああ、面白かった。」という時にも拍手をする。あれ、やらないよね、日本人。

映画を見ていて怖い時や驚いた時に思わず声が出てしまう、というのは理解できる。スポーツを観戦していると、興奮して思わず「おおっ!」とか「やった〜!」とか「行け〜!」とか叫ぶというのも理解できる。(私はやらないけど。)が、テレビで格闘技の試合を見ていて、ファイターに対してアドバイスをする、というのは何なんだろうね?

「シングル・レッグ!」
「オーマ・プラータ!」
「キムラ!」

とか、幾ら叫んでも聞こえんだろう、相手には?

格闘技ファンというのに馴染みがないのでよくわからないのだが、ああいうのは日本人の格闘技ファンもやるのだろうか?(ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。)

UFCのカラー・コメンテーターであるJoe Roganが以前よく言っていたのだが、アメリカではスティール・メイトになると観客がすぐにブーイングを始めるが、日本人は格闘技に対する理解が深く、格闘家は武道家(という言葉は無いな・・・舞踏家ならあるけど)として尊敬されているので、ブーイングされることなど無いそうである。MMAの試合中、観客は選手の一挙手一投足も見逃すまいと静かに観戦するそうである。そもそもMMAの発祥の地は日本なんだってね。

・・・って、ホント?

という訳で、試合を見ている客のうるさいこと。ま、皆で騒ぎながら楽しむためにバーまで足を運んでいるのだから当然と言えば当然かもしれないし、一人自宅で静かに観戦するよりも、ずっと健全なような気もするけど・・・でも、やっぱりうるさい!私は騒がしいのは苦手なのだ。

が、結果から言えば・・・スポーツ・バーでのUFCの観戦は中々楽しかった。日頃はお目にかかれないような人種を見ることができたし、プロモーション・グッズも色々貰ったし、ハンバーガーも美味しかったし、愚息のBJJの先輩達にも会えたし、なんと言っても新しい経験というのは楽しいものである。難を言えば、Quinton JacksonとJim MillerとAmir Sadollahが負けたこと位。(でもJohn Hathawayが勝ったから良しとしよう。)解説者の話や勝者インタビューが聞こえなかったのは仕方あるまい。(どうせUFCの試合は後でじっくりDVDで見るのだ・・・ここだけの話だが、私はUFCのDVDはUFC 1から全て持っている。)次のUFCもJake’sに見に行こうかな?久々のChuck Liddellの試合だし・・・と書いた後にこういう事を書くのもなんであるが・・・私は格闘技は嫌いである・・・信じる?

来週の日曜日はロングビーチでBJJのPan Americanの試合があるそうである。愚息は当然出ないが、Jake’sに来ていた愚息の先輩は出るらしい。で、「見においでよ。」と誘われた。

「いや、私はBJJ見ても何がなんだかわからないから。」
「でも、Demian Maiaが来るよ。」
「えっ、行こうかな?」

・・・完全にミーハーである。

行かないって!

メイン・カードが始まってからは試合の方に集中していたため、周りの事など余り気にしていなかったのだが、メイン・イベントが終わって周りを見渡すと、バーは満員だった・・・うるさいはずだよ!ちなみに、バーの中で一際大きな声で叫んでいたヤツは・・・ご想像通り、愚息である。

テレビと会話するんじゃありません、っていつも言ってるでしょう!


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