DOTFAMILYの平和な日々
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2003年01月22日(水) はぐはぐ

愚息「母さん、今日のテスト何?」
愚母「生物と英語」
愚息「教科書いる?」
愚母「いらない」
朝、学校へ行く途中、車の中で交わされるこういう会話は、間違っていると思う。思うのだが、何故かこうなってしまう。当日の期末テストの科目を知らない愚息も愚息だが、知っている愚母も愚母である。

さて、期末テスト中で宿題がない愚息は、毎日ゲーム三昧である。実は友人が使わなくなったプレイステーションとファイナルファンタジー7(だったと思う、兎に角古いヤツ)を借りてきているのだ。

「ゲームなんかやってないでテストの勉強をしなさい!」と言おうと思っていつも愚息に近づくのだが、隣に座ってゲームの進行状況をチェックしている内に、何を言おうと思っていたか忘れてしまう。

で、今日ナント大発見をしてしまった!ゲームの中で主人公の恋人と思われるお姉さんが両手を広げて「はぐはぐ」と言うのだ!
はぐはぐ!

これは我家では愚息が赤ちゃんの頃から使っている言葉である。私は基本的には幼児語は使わない(使えない)のだが、いくつか例外がある。その一つが「はぐはぐ」である。ん?「はぐはぐ」は幼児語というより造語かな?。(他にも「ぼこ」や「ばーめっちゅ」「のーこぼ」等、色々あるがその話はまたの機会に)語源はもちろんhugである。”hug hug”ね。我家では小さな愚息をぎゅーっと抱きしめる時に使う言葉であった。愚息が抱っこして欲しい時は「はぐはぐ〜!」と言ってやって来ていた。(そういう頃があったのだ、アイツにも)

ちなみに、バリエーションの一つにトイレに行きたがっている相手に向って「はぎゅ〜」と言いながら近寄り抱きつきながら下腹部をぎゅ〜っと押さえるというものもある。

兎に角、他の人が使っているのを聞いたことがない。アメリカ人は小さな子供に対してでも素直に”Give me a hug.”と言っているようだ。完全に造語だと思っていたのに・・・「はぐはぐ」っていう日本語があったのね。全然知らんかった。


2003年01月21日(火) 愚息の誕生日

今日の期末テストは世界史と体育・・・だと思っていたら、体育のテストはやはりなかったそうだ。6時間目に普通(?)の授業を取っている生徒のための時間割だったそうだ。

では、体育を取っている生徒はその時間何をやったのか?愚息は所謂体育の授業は取っていない。今は6時間目は陸上部の練習をしている。(フットボールのシーズンはフットボール、どちらのシーズンでもない時はウェイト・トレーニングをやっている。)で、普通に陸上の練習をやったそうである。(テストがないから早く帰れるということはないらしい。)

陸上部であるから走る。砲丸投げの選手だって走る。愚息は走るのが苦手である。(デブだもんなぁ、走れないだろうなぁ)さんざん走った後、「じゃ、これからトラックを3周したら帰って良し!」とコーチに言われたそうである。愚息は「また走るのかよぉ。今日は僕の誕生日だっていうのに・・・ブツブツ」と文句を言っていたらしい。それがコーチに聞こえて・・・

「おお、今日はお前の誕生日か。そうかそうか・・・お〜い、皆集れ〜!」
走り出していた連中もコーチの所へ戻ってきた。
「今日はこいつの誕生日だそうだ。皆でHappy Birthdayを歌おう!」
という訳で、愚息は皆にHappy Birthdayを歌って貰ったそうである・・・良かったね!

さて、その後は・・・
「じゃ、トラック3周、始め〜!」


2003年01月20日(月) 期末テスト

明日から3日間愚息の高校の期末テストである。
夕方、愚息がテストの時間割が書いてあるプリントをくれた・・・私が貰ってもしょうがねぇよな。でもまぁ、せっかく貰ったんだから見てみた。

愚息の高校(多分他の高校も同じだと思う)の授業は1日7科目ある。0時間目〜6時間目までである。(ちなみに愚息は0時間目は取っていない。)そして毎日毎日同じ時間割を繰り返す。曜日によって科目が違うということはないのだ。同じ学年でも取っている科目がバラバラなので、期末テストも1日目の1時間目は国語、2時間目は算数、という時間割にはなっていない。

で、どうなっているかというと・・・
1日目 1時間目と6時間目のテスト
2日目 0時間目と3時間目と5時間目のテスト
3日目 2時間目と4時間目のテスト
という具合である。

愚息の場合、具体的に書くと・・・
1日目 世界史と体育
2日目 生物学と英語
3日目 幾何学と技術
である。

テストは全科目行なわれる。体育のテストって何があるんだろう?ところで、愚息が私にテストの時間割をくれたのは・・・学校が始まる時間と終わる時間がいつもと違うので、間違わないようにという理由だった。

君が覚えておけば良いことじゃないか!


2003年01月17日(金) Neuro Fuzzy

炊飯器を買った。Zojirushi Neuro Fuzzy Micom Rice Cooker/Warmerというヤツである。今までは一升炊きのを使っていたのだが、愚息の馬鹿食いも治まっってきた最近では、一度に3合しか炊かなくなったので、5合炊きの小さなのにした。

それにしても小さい。大きさもさることながら、何しろ軽い。以前買った時は鍋がずっしりと重くて、「この重さがあるから美味しいご飯が炊けるのです。」とかなんとか言っていたような気がするのだが、あの重さはどこへ行ってしまったんだろう?ま、良いけどね、軽い方が使いやすいから。

炊飯器が小さくて軽いということがこれ程までに使いやすさに影響するとは思っていなかった。たかが炊飯器、されど炊飯器である。毎日2回は使うものだから、この差は大きい。

さて、新しい炊飯器を発見したダンナは・・・
「小さいなぁ、こんなに小さくて大丈夫?」
「なんだなんだ、あのメロディー音は?・・・いや、変えなくても良いけど。」
「ところで、Neuro Fuzzyって何だ?」

では、新しい炊飯器を発見した愚息は・・・
「おっ、小さい、僕専用?」
「なんだなんだ、あのメロディー音は?・・・いや、変えなくても良いけど。」
「ところで、Neuro Fuzzyって何だ?」

やはり親子である。

ところで、Neuro Fuzzyって何だ?


2003年01月16日(木) 剣道とテストの関係

愚息の剣道の練習は毎週火・木にある。スポーツのシーズンだと火曜日は休むことが多い。だから木曜日だけは何があっても行くことにしている。練習は7時半から始まるのだが、宿題をやってから行くと酷い時には8時半を過ぎていることもある。でも行く。でも先に宿題をやる。だって・・・10時過ぎまで練習やってんだもん。帰ってから宿題やる気力はない!(正確には「宿題やりなさい!」と言う気力がない。)

が、ナントナント、今日は7時半前に道場に着いてしまった。これは凄い!時間に間に合うなんて何年ぶりだろうか?しかし、何故こんな快挙が起こったのであろう?

・・・宿題がなかったのである。何故宿題がなかったのか?来週、期末テストだからである。期末テストの前になると、各教科の先生方が「スタディ・ガイド」なるものをくれる。「テストにはこういう問題がでますよ」「今学期習った所で覚えなくてはならないのはここですよ」などということが書いてあるプリントである。生徒はそれに従ってテストの勉強をするのである。だから別に宿題は出ない。「これだけ勉強しました。」と先生に報告する必要もない。

ということは・・・愚息に取っては「宿題はない」のである。我家では、いつの間にか「宿題以外は勉強はしない」という不文律が出来上がっている。(ちなみに「休みの日は宿題があっても勉強はやらない」というのもある。)だから愚息は今週ゲームばかりやっていたのか・・・これ書いていて気づいた!

先生から頂いたありがた〜い「スタディ・ガイド」は、親に渡すプリントと一緒にいつの間にか私の手に渡っていた・・・これ、どうするんだろう?


2003年01月15日(水) 最近物が・・・

どんどん壊れていく・・・とても悲しい。

先日のソファーは数年前に壊れたのを騙し騙し使っていたのだから仕方ないにしても、去年洗濯機と乾燥機が壊れた。17年使ったのだから仕方がないと言えば仕方ないのかもしれない。その後コーヒーメーカーが壊れた。これも10年以上使ったから仕方あるまい。

今年に入って、寝室のシャワーヘッドが壊れた。これはまだ2年しか使っていない。が前のが壊れた時、ダンナがマッサージ機能付きとかなんとかいう馬鹿でかいのを買って来たので重すぎたためと思われる。今度はシンプルで安いのにしたから等分は大丈夫だろう。

で、続けて炊飯器が壊れた。これはまだ7年位しか使ってないぞ!いくら毎日(1日2回)使うからといって、いくらなんでも10年は持つのではないだろうか?それとも最近の物は壊れやすく出来ているのだろうか?

根拠は全くないのだが、何故か10年使うと満足して次のを買おうという気になる。が、買って10年以下だとなんとなく納得できない。

それにしても、最近次々と物が壊れていく。今度壊れるのはもしかして冷蔵庫?と思うとちょっと怖い。我家の冷蔵庫は今年14歳になる。

ところで、もし我家が金持ちであったらこういうことは全く気にならないのであろうか?それとも、いくら金があっても物が壊れると悲しい気持ちになるのだろうか?


2003年01月14日(火) 古いソファーの行方

大型家具や冷蔵庫、洗濯機などが壊れてしまって捨てなければならない場合、我家が使っているゴミ収集会社は1年に1個だけ無料で引き取ってくれる。ちなみに、ロスアンジェルスではごみの回収は有料である。我家の近所では二つの会社が競争(?)をしている。がだからといってサービスが良いわけではない。去年洗濯機と乾燥機を買い換えたのだが、洗濯機をゴミに出して、乾燥機の方は今年まで待とう、ということで家の裏に置きっ放しになっている。で、その乾燥機が今年のだから、古いソファーはどうしよう?いくらなんでもガレージセールに出したところで売れまい。困ったな。と思っていたら、愚息が欲しいという。しかも二つとも。

二人用の方はゲームルームに置くという。一人用は自分の部屋に置くという。どちらも小さな部屋なので、私としては出きるだけ家具は置きたくない。ここはすっぱりと捨ててしまいたいところである。う〜ん・・・でもねぇ・・・狭いし・・・もうスプリングバカになってるし・・・大きいしねぇ・・・ぶつぶつぶつ、と言ってる内に、愚息はさっさとソファーを2階へ持って上がってしまった。

ゲームルームは兎も角、愚息の部屋は掃除機がかけられないほど混乱している。が、彼はとても嬉しそうである。

そう言えば・・・『アニマル・クロッシング』というゲームの中の彼の家も本物の彼の部屋同様色々な家具がごちゃごちゃと置いてあった。彼はああいうのが落ち着くのかもしれない。ゲームの中の私の家は(ってちゃんと家があるところが・・・情けない)実にすっきりとしている。これは願望の現れである。

私だってゲームの中だとちゃんと整理整頓ができるのだ!ヴァーチャルは所詮ヴァーチャルであるというのが証明されたような気がする。


2003年01月13日(月) グレイ・デイヴィスの馬鹿野郎!

と叫んだのは愚息である。(グレイ・デイヴィスさんはカリフォルニアの州知事さんです。)

愚母「何、怒ってんの?」
愚息「グレイ・デイヴィスが教育費を大幅に削減したんで、色んなプログラム(クラス)がキャンセルされたんだよ!」
愚母「君の高校に何か影響があったの?」
愚息「高校じゃなくて、大学のプログラムが減ったんだって。」
愚母「じゃ、君には直接影響は無いわけでしょう?」
愚息「そういう問題じゃないだろう!カリフォルニアはただでさえアメリカの中で学力が低いのに、予算がないからって教育費を削ってちゃ、全然問題解決にならないだろうが。学力を上げることが結局は生活を向上させ、州全体を豊かにしていくことに繋がるんだから、もっと長い目で問題解決に挑まなきゃ。そもそも、医療関係や教育関係は政府がしっかりやるべきもんだろう。金がないなら他の予算を削るとか、上の人の給料を下げるとか色々方法があると思う。結局、病人や子供が迷惑を蒙ることになるんだよなぁ。ほんっと頭来るよな!」

さて、私の日記を愛読して下さっている方々はもうお察し下さっていると思うが・・・愚息が嘆いているのは、カリフォルニアの将来ではない。彼が後期から取ろうと思っていた大学の単位、ウェイト・トレーニングのクラスがグレイ・デイヴィスの予算削減計画に引っかかってキャンセルされてしまったのが今日わかったからだ。おかげで彼は1日1時間しかウェイト・トレーニング・ルームを使うことが出来なくなってしまったのだ。

1日1時間もやれば充分だろうが!


2003年01月12日(日) ソファーの買い替え

最近ソファーのことをカウチと言うらしいですな。英語ではcouchです。日本語ではソファーと言っていたと思うのですが・・・同じものですよね?

さて、ソファー(カウチ?)というヤツは何年くらい持つものであろうか?使用頻度や使用者の体重にもよるだろうが、私が子供の頃、実家のソファーを買い換えたという記憶はない。でもまぁ、もう無いんだから何時かダメになったんだろうな。

結婚して初めて買った家具が応接3点セットである。大きなソファーと二人用と一人用。一つずつ買うよりセットの方が安かったので清水の舞台から飛び降りるつもりで(ローンで)買ったのだ。かれこれ17,8年前のことである。最初、大きなソファーと二人用のは応接間に置き、一人用は居間に置いてあった。居間には家具調コタツが置いてあり、これが我家の唯一のテーブル。(従って、人が訪ねて来た時は、このコタツをよいしょよいしょと応接間へ移動させるのである。)他にはベッド(正確にはマットレスだけ)しか持ってなかった。しかし特に不自由だとは思わんかったな、当時は。

時は流れ・・・何時の間にか我家には家具が溢れ、二人用のソファーも居間へ移動した。すると痛みも早くなり、3年ほど前に「これはもう買い換えねばなるまい。」というほどスプリングはバカになり、クッションもパンパンたたいても元の形に戻らないほど痛んでしまった。他人に見せるのはちょっと恥ずかしいのだが、ずっと応接間に置いてあるソファーの方は毎日使うわけではないので無事である。となるとソファーが壊れてたって生きていけないなどということはないし、ダンナの文句も聞きなれるとBGMみたいなもんだし、そのままずるずると使い続けたのであった。

さらに時は流れ・・・「たとえ親戚と言えども、あまりみっともなソファーを皆にお目にかけたくない」というダンナの断っての希望でクリスマス前に届くようにと去年の11月、ソファーを買いに行った。ダンナはあれこれと見たがる上に決断力がないので大きな買い物はできない。私は早い!(後悔は後ですることにしている。)で、我家の経済状態に見合った家具屋さんへ行き(高級な店に行ってもしょうがないではないか!)即決断。3週間で届くということであったから、感謝祭には無理でもクリスマスまでにはゆとりで届くであろう。こういうことがないと買わないのよねぇ。取りあえず良かった良かった、と家に帰って来た。

感謝祭は終わり、クリスマスも終わり、年が明け、新学期も始まって1週間たった今日、やっとそのソファーが届いた。つまり、クリスマスには間に合わなかったのである。


2003年01月11日(土) 反戦デモ

今日ロスアンジェルスのダウンタウンで反戦デモが行なわれた。推定参加者数2万人〜3万人(随分大雑把な推定だなぁ)。ヴェトナム戦争以来の大規模なデモだったそうだ。
おかげでダウンタウン周辺の高速道路の出入り口が封鎖され酷い渋滞。道路もかなり封鎖されたそうだ。でも、もちろん誰も文句なんか言わない。戦争を支持する人なんて、ロスアンジェルス、否カリフォルニアにはいないと思う。

「いよいよ戦争か?!」という不安がアメリカ中に広まっている。戦争そのものが始まる事に対する不安とはちょっと違うと思う。誰もが戦争の必要を感じていないのだ。っつうか、多分何故戦争をしなければならないのか理解できないのだと思う。

実は、私は何故(イラクと)戦争をしなければならないのかがわかっていなかった。『戦争』っつう位だから、確固とした理由があるには違いない。でもそれって一体何だろう?と思っていた。いやぁ、今回のデモでちょっと安心しましたね。戦争反対は私だけじゃなかったんだ。

もともとアメリカ人は好戦的だと人種だと思う。何しろナンバーワンじゃなくっちゃ気がすまない。小学校の時から「勝ち負けは関係ない。ベストをつくしたかどうかが大切なのだ。」とあれほど強調して教え込むのは、皆が本当は「勝つことが全て」だと思っているからではないかと思う。

しかも彼等はヒーローが大好きだし「愛国心」という言葉もとても好きみだいだ。だから自分達が納得すれば、かなり前向きに戦争をする人達なのではないかと思う。(ヤな人達!)でも、今回のブッシュ大統領の意見には納得できないようだ。っつうか、ブッシュさん、やたら勢いは良いのだが・・・勢いだけのような気がする。

戦争の必然性を論理的に説明することなく、人を奮い立たせるような言葉ばかり使ってその気にさせようとするなんてずるいと思うし、アメリカ人はそこまで馬鹿ではないと思う。(思いたい。)これだけ皆が反対しているのに、もし戦争が始まるとしたら・・・アメリカは皆が思っているほど自由な国ではないのかもしれない。



2003年01月10日(金) 最悪の場合は死にます!

USCメディカル・センターへ行って移植カウンセラーに会ってきた。昨日色々(?)考えたことなどすっかり忘れて、ジーンズにTシャツ、化粧もせずに出かけてしまった。ああ、今年もこの調子かなぁ・・・反省。

カウンセラーのお姉さんは、とても優しく感じが良い人で、しかも美人だった。ああいう整った顔の人と向かい合って話をすると、ついついじっくりと観賞してしまって話を聞き逃してしまう・・・困ったもんだ。

さて、「ないすつーみーちゅー」のご挨拶かが終わってから、彼女はおもむろに「では、まずドナーになることによって負うリスクについて説明します。」と話始めた。そして・・・「最悪の場合は死ぬ危険性があります。そういうことはほとんどありませんが、皆無ではないので、覚悟しといてください。」淡々としかもきっぱり言って下さったのである単刀直入簡潔なご説明、ありがとうごぜぇますだ!

続いてドナーとして適正かどうか、どういう検査をしなければならないかの説明があった。中々大変そうである。一連の検査をするために少なくとも3人の医者に診てもらわなければならず、その他、ラボへ行って様々な検査を受けなければならない。ほとんど人間ドックである。が、ドックには入らずにあっちこっちへ行かなければならないので、上手くいって2週間、長けば3ヶ月はかかるとのことである。しかも、保険会社のOKがでなければ検査を始めることはできない・・・やれやれ。

次に手術はどのようにして行なわれるか、の説明。「・・・手術後は、痛みます。かなり痛いです。痛み止めを飲んで良いですが、それでも痛いです。入院は3日から5日ですが、その後自宅で3〜4週間療養して下さい。2週間は運転をしてはいけません・・・まぁ、出来ませんね。」

最後に、ダンナの状態の説明。「ご主人は透析を続けていればこのままの状態でいられます。つまり移植をしなくても死ぬことはないのです。あなたがドナーにならなくても死ぬことはないのです。

ほとんど脅しである。どうも「止めた方が良いんじゃない?」と言われているような気がしてしょうがなかった。が、しかしこれが彼女のお仕事なのだろう。いつでも「止めます」と言える状態にして話を進めなければならないのだと思う。中々気を使う仕事である。ちなみに、ダンナも入院は5日ほど。後は自宅で3ヶ月療養なのだそうである。ダンナが3ヶ月も家にいる!

なんやかんやで1時間ほど説明を受けた後、「何か質問は?」

「あのぉ・・・ダンナを3ヶ月間病院で預かってもらう訳には行きませんでしょうか?」


2003年01月09日(木) 移植カウンセラー

明日はUSCメディカル・センタへ移植カウンセラーに会いに行く日である。

去年の暮れにダンナに一枚の名刺を渡され、「この人に電話するように」と言われたのだが、英語を話すのが大嫌いな私はメール・アドレスが書いてあったのを良いことにメールを送った。するとすぐに電話がかかって来て「メールじゃダメ!電話でもダメ!会いに来なさい。」と言われた。今時会って話さなければならない用事なんてあるんだろうか?カウンセラーの方で質問があるにしろ、こちらに質問があるにしろ、メールで充分ではないのかい?

検査をするというのなら病院へ行く必要があるだろう。彼女は色々質問があるだろうから、と言うが、私はドナーに関して質問するほどの知識はない。そもそも、ドナーが知らなければならないことは文書にして知らせるべきであろう。口頭じゃ心もとない。そういうパンフレットか何かが絶対あるはずだ。それを送ってくれ!と言いたいことが山ほど頭の中でぐるぐる回っていたのだが、とっさに英語が口から出ない私は黙ってアポイントメントを取ったのであった。


それが去年の12月のこと・・・で、明日がその日。ヤダなぁ。行きたくないなぁ。私は対人恐怖症ではないし(その気はあるが)、引篭もりでもない。単なるデブ症(おいおい、なんだよ、この変換!)、イヤ出不精なのである。

一体何の話をするのだろう?血液検査くらいはしてくれるのだろうか?きちんとした服装で行かなければ失礼になるのだろうか?

う〜ん・・・明日考えよう。


2003年01月08日(水) SUVに乗ってる人はテロの支持者です!

そう堂々と宣言した人がいます。昨日のニュースはその話題で持ち切りでした。理由はSUVはとってもたくさんガソリンを使うからだそうです。

私はSUVに乗っています。でもダンナのピックアップトラックより燃費は良いです。エンジンが大きな乗用車やバンなんかに比べても燃費は良いです。でもSUVより燃費が悪い車に乗っている人はテロを支持しているわけではないそうです。でっかいバンやトラックに乗っている人は愛国心あるアメリカ人だそうです。SUVに乗っている人だけがテロを支持し援助している売国者ということになるそうです。(過激な意見だと思いません?)

私はSUVを買う前はホンダのシビックに乗っていました。燃費は今の車に比べるととても良かったです。(あっ、ちなみにこれは日本車なのでやはり裏切り者ですな・・・カリフォルニアでそんなこと一々言ってられるのかな?3台に1台は日本車ですぜ!)駐車は簡単だし、トラブルは無いしでとても気に入っていました。でも、10年ほど前からミニバンとSUVが増え始め、身の危険を感じることが何度もあり、4年ほど前に仕方なくシビックを手ばなしSUVに変えました。何故身の危険を感じたのか?大きな車で取り囲まれると、周りが見えなくなってしまうからです。大きな車は小さな車が見えないらしく、走っている車線から追い出されたことも度々ありました。また、加速が弱いので、高速道路に入るときに非常に困ります。(でもまぁ、シビックに乗ってると普通は「しょうがねぇなぁ」という顔をしながら誰かがスピードを落として入れてくれるんですけどね。)

義理の妹もSUVに乗っています。彼女には子供が3人います。専業主婦をしているので、自分の子供だけでなく、他所のお子さん達もせっせと車で運んでいます。5人乗りじゃ間に合いません。友人に7人家族の人がいます。家族で出かける時、2台で行くのは不経済なので彼もSUVに乗っています。バンにしなかったのは、燃費が悪いからだそうです。

SUVに乗っている理由は人様々だと思うのですが、そういう様々な理由は一切関係ないそうです。SUVに乗っている人は、もっと燃費が悪い車に乗っている人達よりも悪いそうです。敵国のテロを支援する悪魔のようなヤツだそうです・・・困ったな。

私はテロは嫌いです。テロで解決できることなど何もない、と信じています。じゃぁ、戦争なら解決できるんかい?いえいえ、できません。できませんが、戦争は正義と正義の戦い(建前だけど)で、一方の正義が消滅し、問題も消滅します。(もちろんその後別の問題が持ち上がってきますけど)つまり、私は平和主義者です。平和主義者と言っても、世界平和のために日々戦っている訳ではないので、声高らかに宣言することはできません。でもやっぱりテロは嫌いです。絶対に支持しません。が、身を危険にさらしてまで小さな車に乗る気はありません。

そもそも、子供が大きくなった今、小さな車ではとても無理です。狭いだけでなく、重すぎて車が息切れしてしまいます。今乗っている車ですら、先日愚息と彼の友人二人を乗せたら坂を上がるのに苦労しました。何しろ3人で300キロ越えてます。私の6人分です。5人乗りの車に7人乗っているようなものです。シビックだったらエンストしてたんじゃないかと思います。という訳で、当分は小さな車に乗れません・・・困ったな。

愚息はニュースを見て憤慨していました。「自分が正しいのだから他の人も自分と同じことをしなければならない」という人を彼は一番嫌います。でも・・・それがどういう意見であれ、自分の意見を堂々と表明できる世の中というのは私は好きです。

長い上におまけ・・・
愚母「SUVに乗ってたら虐められるかな?」(冗談ですよ、冗談)
愚息「母さん、SUVに乗ってないじゃない」
愚母「えっ、母さんの車SUVだよ。」
愚息「えっ〜!あんな小せぇのがSUVなの?」
・・・小さくて悪かったね!


2003年01月07日(火) 大学の単位

迎えに行った車に乗り込んできた愚息が、ただ今も言わずに「母さん、僕、来期から大学のクラス取って良い?」と聞いてきた。

高校生でも大学の単位を取れるシステムがあるということは知っていた。現に去年愚息の従兄弟が高校卒業を前にせっせと大学の単位を取っていた。しかし、これは成績優秀なSenior(日本の高3に当たる)だけが取れるものだと思っていた。「君のようなアホがどうしてそんなクラス取れるの?」というセリフとぐっと飲み込んで・・・以下、愚息と愚母の会話。

愚母「大学のクラスってSeniorか、せいぜいJunior(日本の高2)にならないと取れないんじゃないの?」
愚息「普通はそうだけど、能力がある生徒はFreshman(日本の中3、現在の愚息)でも取れるんだって。」
愚母「能力があるかどうかは誰が判定するの?」
愚息「先生」
愚母「で、先生がいいって言ったの?」
愚息「うん。申し込み書貰ってきたから、サインしてね。」
愚母「何時あるの?」
愚息「放課後毎日」

・・・一体、コイツはいつから放課後まで授業を取るような子になったんだろう?

愚母「で、何のクラスを取るの?」
愚息「取って良い?」
愚母「だから何のクラス?」
愚息「サインしてくれる?」
愚母「そりゃ、君が取りたいって言うなら取っても良いけど・・・」
愚息「ありがとう。約束だよ。」
愚母「で、何のクラスなの?!」
愚息「ウェイト・トレーニング」

それを先に言わんかい!
一瞬たりとでも我が子がもしかしたら優秀なのではないかという幻想を抱いた私は、やはり親馬鹿であった。


2003年01月06日(月) 旦那元気で留守がいい

ダンナは毎年愚息の冬休みに合わせて休みを取る。特に何をするという訳ではないのだが、自分一人が仕事に行くのが嫌なのだろう。しかし、去年の12月、「今年は休み取ったってどうせどこにも行けないから、ボスからクリスマスの後2週間休み取りたいから休まないでくれるって頼まれた時OKって言っちゃったよ。良いよね。」と言った。

良いとも良いとも!ダンナが仕事に行けば、感謝祭からクリスマスまで、息つく暇も無く駆けずり回って疲れた体をゆっくりと休めることができるじゃないか。去年の暮れは、それを楽しみに頑張ったのである。

という訳で、クリスマスの翌日、ダンナは仕事に出かけていった。愚息の休みはまだ1週間以上ある。明日からゆっくり休むことにして、今日までは頑張って片付けをしよう、と26日は朝から家の掃除と溜まった洗濯に取り組んだ。

・・・やはり自分一人が仕事に行くのは嫌だったんだろう。ダンナは次の日から仕事に行かなくなってしまった。ボスの代わりは一体誰がやっているのだろう?

さて、今日から愚息の学校が始まった。が、ダンナはまだ家にいる。いや、身体の具合が悪いわけではない。彼は土日に加えて各週月曜日が休みなのである。で、今日がその月曜日に当たる。・・・やれやれ。


2003年01月05日(日) ベースの弦

愚息はエレクトリック・ベースをやっている。持っていると言った方が正確なほど下手ではあるが、取りあえず週1回レッスンに通っている。気持ちだけバンドにも入っている。

実は私も愚息と同じ歳の頃、若気の至りでベースをやったことがある。で、彼がヴァイオリンを止めてベースをやりたいと言い出した時も「ま、いっか」と思い、ベースを買いに行った。彼はベースのことなど何もしらないし、楽器屋さんもヴァイオリン屋さん(?)と違って、色々弾かせてみて選ばせるということなんぞはしないので、一番安いベースを買った。

話は変わるが、ヴァイオリンというのは体が成長するに連れてサイズが変わってくる。サイズが変わる度に、ヴァイオリン屋さんへ行って(あるいは、ヴァイオリン屋さんがやって来て)次のサイズのを選ぶのだが、その時、ガキ、いや子供に実際に弾かせてみて一番好きな音を出すのを選ばせるのである。もちろん親(あるいは金を出す人)が最初に予算オーバーのやつは省いているのではあるが、それにしても、値札なんて全然見もしないのに、何故か必ずと言って良いほど子供は中でも一番高いやつを選ぶ。音痴の愚息にしてそうであった。あれは何故なんだろうなぁ?

話は戻って・・・最近、愚息が新しいベースが欲しいと言い出した。まだ買って1年ほどしか経っていないのにである。

愚息「今持ってるベースだと、曲が変わる度にチューンしなくっちゃいけないんだよ。」
愚母「えっ、何故?」
愚息「だって、ぼくのベース、ストリングが4本しかないんだもん。」
愚母「えっ〜!ベースの弦って4本しかないの当たり前じゃない!」
愚息「違うよ。5本のとか6本のとかあるよ。今のバンド、みんな6本の使ってるよ。だからそういうバンドの曲をコピーする時、4本のじゃ不便なんだ。」

・・・ベースの弦は一体何時から6本になったんじゃ?!


2003年01月04日(土) 貧乏

私は金の苦労をしたことがない。(っつうか苦労というものをしたことがない。苦労・苦悩・努力・忍耐というのが大嫌いなのだ。)両親は公務員で、決して金持ちではなかったが、金が無くて辛い思いをした、という記憶は無い。ダンナも公務員である。薄給ではあるが、毎月決まった金額が入ってくるので安定している。おかげで私は無茶苦茶不安定な収入の仕事を続けることができる。ありがたいことである。(私は安定・平凡・普通というのが大好きなのだ。)

しかし、最近よく「金が無い」と思う。年末には、それこそ「金に羽が生えたように飛んでいく。」という言葉が実感できるほど出費が多く、1月に金欠状態になるのは毎年のことなのだが、それにしても今年は酷すぎるような気がする。かといって、それほど困っているわけではない。(困れよ、少しは!)

で、特に困っているわけではないので、我家は貧乏ではないと思っていた。そもそも、周りの人たちがどのような暮らしをしているかということに目がいかないのだ。どうも人と比べるということが苦手らしい。

が、年末年始、珍しく人と話す機会が多かったため、自然と周りの人の暮らしというのが少〜しだけわかってきたような気がする。

「もう、お金が全然なくって、今年はヨーロッパに行けなかったからハワイで我慢したのよ。最悪!」(私はアメリカに住んでいるが、ハワイに行ったことがない。)
「一番下の子(高校生)が免許取ったのよ。これで我家には車が5台。やんなっちゃう。」(愚息が免許を取ったとしても、我家には愚息に車を買ってやる金はない。)
「あの連中、月給1万ドル(約120万円)程度の仕事が目標なんだって・・・レベルが低すぎるよな。(娘に)あんな連中と付き合って欲しくない。」(・・・何も言いたくない!)

いやぁ、皆さん良い暮らしをしてますなぁ。
もしかして・・・我家って貧乏だったの?


2003年01月03日(金) カーニバルがやって来る

「カーニバルがやってくる」というタイトルだったのか、文中にそういう言葉が出てきたのか忘れてしまったが、子供の頃この一文に出会って実に不思議な気がしたものである。カーニバルとはこちらが出かけて行くものではないのかい?カーニバルがやって来るんかい?その後、カーニバルとは『移動式遊園地』のことだとわかったが、どうもすっきりしなかった。そもそも『移動式遊園地』とは何だい?観覧車やくるくる回るティーカップのある小規模の南公園の遊園地(ローカルすぎる?)のようなものでも、移動するとなると大変なのではないだろうか?という訳で、全然イメージできなかった。

という疑問はアメリカに来てすぐに解決した。これがやって来るんだなぁ、本当に。公園の一角、あるいはショッピング・モールの駐車場に、ある日突然遊園地が現れる。サーカスがやって来るような感じでカーニバルもやって来てしまうのだ。そう考えればそれ程奇妙なことでもないのだが、私にとっては一種のカルチャー・ショックであった。

もちろん移動式簡易遊園地であるから、マジック・マウンテンにあるような過激な乗り物はない。小さなお子様用という感じである。愚息が小さな頃、何度か連れていったことがあるのだが、彼はそういう物に興味を示さなかったので、すぐに止めてしまった。が、子供連れだけでなく、若者達も友達と一緒に来たりしていた。

で、そのカーニバルが今、家の近くに来ている。(割としょっちゅう来る。)先日、愚息が友人達と行って来た。ディズニーランドを含め、そういうものには一切興味がないと思っていたのだが、そこはほれ、友人と一緒だと話は別である。が、帰って来た愚息に「おもしろかった?」と聞いてみたら、「おもしろくねぇよ、あんなもん!」と返事が帰って来た。「子供の乗り物ばかりだもんね、君達には幼稚すぎるよね。」と言うと・・・
「ちがうよ。恐いんだよ!」

観覧車に乗ったそうである。小さな観覧車ではあるが、ぶら下がっているゴンドラがまた小さくてシンプル。ドアも壁もない、座席に手すりがついている程度の物である。しかも、風もないのによく揺れる。

「立つな!立つなって書いてあるだろうが!」
「動くな!揺れるじゃねぇか!」
「じっとしてろ!しゃべるな!息するな!」
乗ってる間中、彼は一緒に乗った友人達に怒鳴りっぱなしだったそうである。

遊園地に行く時、こういう物凄い臆病者が一人いると実に盛り上がるものである。(本人は迷惑だろうけどさ。)


2003年01月02日(木) 仕事始め

私は今日から仕事である。愚息は今週一杯冬休みである。普通私が仕事をしている時に愚息が家にいる場合、彼は二階でひっそりと過ごしている。お腹が減るとラーメンを作って2階へ持って上がって食べているようである。私の注意を引かないよう、テレビのボリュームも下げている。もちろんこれは私に対する思いやりからではなく、ひっそりと自由に遊びたいがためである。という訳で、全然手がかからない。問題はダンナである。

彼も彼なりに協力しよう、邪魔をするまい、と思っているようではある。思ってはいるようなのだが・・・邪魔なのだ!邪魔なのではあるが、構っている暇は無いので無視することにしている。

私が全然遊んであげないので、退屈したダンナはついに愚息に遊んでもらうことにした。愚息も「仕方ねぇなぁ」という感じで付き合うことにした。で、二人でチェスを始めた。それは良いんだけど・・・何も私が仕事してる隣でやることないじゃないか。我家は決して広くはないが、テーブルがある部屋は他にもあるだろうが!

それにしても、チェスなんぞをやってる暇があったら、クリスマスツリーを片付けて欲しいもんだ。


2003年01月01日(水) 謹賀新年

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
皆様にはお健やかに新春をお迎えのことと存じます。
旧年中は励まし、御助言等、様々な形で大変お世話になり、ありがとうございました。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は少し落ち着いて本を読んでみようかと思っております。
ホームページに「読書感想文」のページを付け加えるのが目標です。

また、なんとか今年中に主人の腎臓移植をやりたいとも思っておりますが、こればかりは私の一存で決まることではないので、ただただ祈るばかりです。
昨年中にやっと主人の検査が終わり、医者からも保険会社からも移植手術の許可が出ました。
今月10日に私がドナーとして適性かどうかの検査にUSCメディカル・センタへ行って参ります。


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