DOTFAMILYの平和な日々
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我家にはラーメンどんぶりがない。ラーメンを食べる時は、以前実家の食器棚から持ってきた(我家の和食器はほとんどここから来ている)『多目的どんぶり』というなんの変哲もない茶色のどんぶりを使っている。丼物はもちろん、麺類やスープ、シチュー、はたまたお正月のお雑煮までこれ一つで済ませている。これぞ『多目的』である。(食器として以外には使ったことないけどさ。)
話は変わるが、アメリカに住んでいると食品の買い物がメンドウだ。お肉はVスーパーマーケットが新鮮で魚(主に生鮭)はAスーパーマーケットの方が新鮮、という具合に2つのマーケットを使い分ける、という程度のことはアメリカ人でもやっていることだろう。が、日本人の私は、日本食を買うために別のNマーケットへ行かなければならない。でもRチャイニーズ・マーケットでも買える日本食の場合は、そちらの方が安いので、そっちに行く(しかもここは豚挽肉が新鮮である)。と通常4つのマーケットを巡っているのだが、我家の主食である米を買う時は、家からちょっと離れたM日系マーケットまで足を伸ばす。ここが一番安いのだ。何しろ消費量が多いので、値段は大切!もちろん、このマーケットでほとんどのものが揃ってしまうのだが、嫌いなんだ、ここ。商品のディスプレイの仕方が滅茶苦茶。食品が直接床に並べてあったり・・・嫌いな理由は多々あるのだが、それはまた別の機会に。
で、お米を買いにMマーケットに行って来た。(カリフォルニア米が10キロ600円ですぜ!)するとラーメンどんぶりのセールをしていた。以前から愚息に買ってあげようと思っていたのだが、贅沢品であるので4、5ドル(500〜600円)も出して買うこともあるまいと思っていた。が、セールで2ドル(約250円)。あの四角い渦巻きの間に龍が書いてある、皆知ってる典型的ラーメンどんぶりである。う〜ん、いっちょ奮発するか、と思い、一つだけ買って来た。
愚息に「クリスマスプレゼントだよ。」と言ってどんぶりを渡すと・・・まぁ、喜んだのなんのって。「うわぁ、僕、これずっと前から欲しかったんだ。ねぇねぇ、これ、ラーメンだけじゃなくてご飯にも使って良い?」・・・良いわけがない!「これ、僕のだよね?家を出てく時、持ってっても良いよね?」そこまで喜んで貰えるなら、2ドル出した価値があるというものである。
上から、下から、横から、としばらくどんぶりを眺めていた愚息が「あっ」と小さくつぶやいた。「どうしたの?」と聞くと・・・「僕は2ドルでこんなに幸せになってしまっていたのか・・・」値段、はずすの忘れてた。
2002年12月08日(日) |
I don't know! |
“I don’t know.”とは「私は知りません。」という意味である。「え〜っ、わかんな〜い!」という時にも使う。「んなこと知らね〜よ!」という意味もある。言わんとするところは微妙に違うが、基本は『その件に関しての知識がない』ということである。
“I don’t want to answer your stupid question!”(おめぇのバカな質問なんかには返事したくねぇよ)という意味でもなければ、“I’m too lazy to answer your question.”(答えるのがめんどくせぇよ)という意味でもない。自分がそういう意味で使うからといって、他の人も同じだとは考えて欲しくない!私が”I don’t know.”と言った時には、”I don’t know.”という意味なのである!私は英語は真っ直ぐにしかしゃべらない!(イヤ、しゃべれない。)
というようなことをダンナに言いたかったのだが、口答えすると叱られるので、ここに書いておこう。
補足: 今朝、ダンナの歯ブラシのカバーがなくなっていたそうである。昨夜寝る前に使った後にはきちんとカバーをつけた。その後、歯ブラシを使ったのは今朝ダンナより早く歯を磨いた私だけである。(電気歯ブラシの本体をダンナと私は共有している。)つまり、私が自分のブラシと取り替えた時になくなったに違いない。(私は歯を磨く時、ダンナのブラシを外し、自分のをつけ、磨いた後自分のを外し、ダンナのをつけておく。ダンナは自分のを使うだけである。)そこで・・・
愚夫「僕の歯ブラシのカバー、どうしたの?」 愚妻「知らない。」 愚夫「知らないって、どういう意味?」 愚妻「知らないとは『私は知りません。』という意味。」 愚夫「だから、知らないっていうのはどういう意味だって聞いてるんだ!」 愚妻「あなたの歯ブラシのカバーに何が起こったか、どこに行ってしまったのか、私は知らない、という意味。」 愚夫「その答えはおかしい!」
・・・おかしいかい?
補足2:その後、歯ブラシのカバーはチャージャーの隣で発見された。そん位の範囲は自分で捜したらどうだい?(これも本人に言うと叱られるのでここだけの話)
日本語学校の2学期末テストの日だった。以下昨夜の交わされた愚母と愚息の会話。 愚母「明日、学校行くの?」 愚息「行くよ。」 愚母「でも、期末テストだよ。」 愚息「知ってるよ。」 愚母「知ってて行くの?」 愚息「テスト受けないと0点だよ。」 愚母「受けたら0点じゃないわけ?」 愚息「う〜ん」 愚母「受けて0点って恥ずかしくない?」 愚息「恥ずかしくない!人間、成績で判断してはいけない!」 愚母「君が言うなよ!」 愚息「母さんが休んで欲しいなら、休んでも良いけど、欠席届に嘘書くのはダメだよ。」 愚母「何て書くの?」 愚息「『息子が0点を取るのを母が恥ずかしいと思っているので休ませます。』ってちゃんと書いてよ。」 愚母「・・・そんなこと書けないよ。」 愚息「じゃ、行く。成績が悪いより嘘つくほうが恥ずかしい!」
という訳で、愚息は学校へ行った。では、帰ってきてから交わされた愚母と愚息の会話。 愚母「学校どうだった?」(決まり文句) 愚息「おお、静かだったから良く眠れた!」
昨日の続きのような続きでないような・・・
昔々、まだ私が日本で暮らしていた頃、「日本人はrの発音が下手だから、レストランなんかでriceを注文するとliceと間違えられて恥をかくことがある。」という話を聞いたことがある。素直な私は「そうかそうか、アメリカに行ったら御飯を注文する時、rの音を強調しなければならないのか」と思ったものである。その後、アメリカに来てからはそう思ったことなどすっかり忘れて暮らしてきた。
月日は流れ・・・アメリカで暮らし始めて10年以上経つが、私は今だかつて一度もriceとliceを間違えられて恥をかいたことはない。
だいたいねぇ、レストランで注文する時、それが焼き飯(fried rice)であろうが普通の白い御飯(steamed rice)であろうが「らいす」と言えば御飯のことである。いくら発音が悪くても「虱」と聞き間違えるヤツはいない。普通のレストランには「焼き虱」も「蒸し虱」置いてない。スーパーマーケットで「らいす」と言えば「米」のことである。スーパーマーケットには「虱」は売っていない。それでもriceをliceと聞き間違えるのは、かなり性格が悪いか頭が悪いヤツだけである。
英単語を使う時、ほとんどの場合は文章で使う。(単語だけをポツンと言う場合には、スペリングがセットになっている場合が多い。)その中で一つ二つ聞き取りにくい単語があったとしても、普通の大人だったら前後の文から判断して理解するものである。日本語だって同じでしょう?
それを「日本人はr発音が〜」などということになるというのは・・・この人、よっぽど性格の悪い人にあたったんだなぁ。
愚息は勉強が嫌いだ。特に理科と算数が嫌いだ。算数(彼のレベルはとても数学と呼べるほどではないので算数ね)の時間はお昼ねの時間だからまぁ良いとして、理科は憎んでいると言ってもいいくらいである。
憎んでいても理科の単位(3つだったかな?)を取らないと高校を卒業できない。高校は義務教育なので、卒業しなければならない。それがわかっているので愚息も取りあえず何とかしなければ、位の気持ちはある。で、授業中、先生の話を聞こうとする、先生や黒板を見ようとする。耳や目は何とか頑張ろうとするのだが、その先にある頭が一切受け付けないそうなのである。で、全然わかってない。
わからないのだが何とかしなければならないので、私に教えてくれという。という訳で、毎日学校で習ったことを夜私が説明する羽目に陥っている。(算数に関しては、これはもう中学の頃から「算数の時間はお昼寝の時間」と彼は決めていたので、毎日私が教えることになっていた・・・未だにそうである。でも、こっちの算数ってチョロイんだもん)
さて、今日も今日とて愚息に生物(今年の理科は生物)を教えていた。今は遺伝子の頃を習っている。「遺伝子」と言っても愚息には通じない。そういう小学生上学年レベルの日本語はわからないのである。で、「遺伝子」は英語で「gene」である。私が言うと「じーん」になる。「gene」の複数形は「genes」。私が言うと「じーんず」になる。
「じーんず」・・・これじゃGパンじゃないか!
もちろん遺伝子の話をしているので「じーんず」と言っても愚息にはちゃんと通じる。通じるのではあるが、言ってる自分が何か変な感じがする。
一方・・・「コード化」するという動詞は名詞と同じで「code」である。私が言うと「こーど」である。主語が単数である場合、動詞の語尾にsがつくから「codes」。これを私が言うと「こーず」になる。 「codes」=「こーず」=「cause」 「コード化する」が「起す」になってしまうのである。これは流石に私の訛に慣れた愚息にすら区別がつかない。 「こーず」と言うたびに「しぃおーでぃーいーえす」と言うのは中々疲れるものである。
ところで、コドンとかエクソンとかイントロンとか、生物で習ったっけ? 全く記憶にない。
2002年12月04日(水) |
ファイナル・ファンタジーその後 |
感謝祭の休みの間に愚息がファイナルファンタジーをやっているのを横で時々見ていたのだが、あれは実に面白そうである。ストーリーが面白い。次はどうなるのか気になって仕方がない。ついつい横から「あそこは何があるの?」「そこそこ、そこ行ってみて」と口出しをしてしまう。しかも、『ストリートファイター』(古い?)のような闘うゲームは苦手な私でも、これならできるような気がする。という訳で、結構長時間観戦してしまった。
私が隣でガタガタうるさいものだから、「母さんもやってみれば?」と何度も愚息から言われた。でもやらない・・・やらないってば・・・ずぅえったぁ〜いやらんぞ!という訳で、やってない。が、どうしても最後が気になる。
感謝祭の休みの間に最後まで行かなかった愚息は、宿題をいい加減に済ませ(たよね?)時間を作っていたようである。昨日はついに友人から攻略本まで借りてきた。が、残念ながら最後の敵に関する情報はその本には載っていなかった。それでも今日、ようやく終了。良かったねぇ、これで今度の土曜日には返せるね。が、良かったのは愚息だけである。彼はナント私がシャワーを浴びている間に終了してしまったのだ!
馬鹿野郎!私だって最後は見たかったぞ!ほんとにもぅ、思いやりがないんだから!
鼻唄というのとはちょっと違うのだが、気が付くといつも何か唄を口ずさんでいる。
日本に住んでいた頃は、パチンコ屋の前を通る度に口ずさむ歌が変わっていた。突然『軍艦マーチ』を大声でハミングしている自分に気づいて恥ずかしい思いをしたことは何度もある。が、これは単に恥ずかしいというだけで問題はない。何故その『軍艦マーチ』なのか原因がはっきりしているからだ。問題なのは、何故ある唄を口ずさんでいるのかわからないという場合である。問題といっても、社会問題でも環境問題でもなく、ただ個人的になんとな〜く気持ちが悪いだけのことなのであるが、最近そういうことが多くなった。
先日も運転中ふと気が付くと、サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』を口ずさんでいた。一体何故こういう唄を口ずさんでいたのだろう?原因がわからないとすっきりしないので、しばらく考え込んでしまった。・・・で、わかった!朝、愚息を学校に送っていった帰り道、事故があったらしくて道がとても混んでいたのだ。だから『コンドルは〜』。こういうことに気が付くと、自分の発想のレベルの低さにどっと落ち込んでしまう。 (あのぉ、こういうくだらないことを説明するのもなんですが、万が一私の低レベルな発想をわかっていただけなかった時のために・・・渋滞している道を運転しながら、「こんどるなぁ・・・」と呟いたものと思われる。)
さて、昨日は1日中サザンオールスターズの昔の唄を唄っていた。題名は覚えていないが、♪C調言葉に騙され、泣いた女の涙も知らずに♪というヤツである。気が付いたらこの唄を口ずさんでいる・・・何故だろう?これも気が付いたら落ち込みましたな。
一昨日、愚息の成績表が送ってきたせいであった。
寝耳に水とは正にこのことであった!
アメリカの高校(というか学校全般)の成績は5段階に分かれている。 A・・・大変良くできました(ちゃんちゃんこ着てるおさるさんね・・・わかった人?) B・・・良くできました C・・・ま、いっか D・・・もっと頑張りましょう F・・・はい、やりなおし! の5段階である。 で、私はDを取れば単位が取れると思っていた。 (だって、日本語で言えば秀・優・良・可・不可だから、Dは可じゃないか!) 愚息もそう思っていた。 そして、来年卒業する高校生達にとってはそうだった。
しかし、何がどうなったのかわからないが、次の学年からはCを取らないと単位はくれないことになったそうなのである。
ぎょえ〜!
Dが一つでもあると、その科目は取り直さなければならないというのである。 ということは、テストで70点以上取らないといけない訳でしょう? なんでなんでそうなるの? しかも、単位を全て取り終わっても「高校卒業資格試験」に合格しなければ卒業できないのである。
先生(って先生が決めたわけじゃないけど)、ニューズウィークの『アメリカのテスト地獄』の記事、ちゃんと読んだ?
やっぱさぁ、高校くらいは卒業して欲しいんだよね、母としては。 C以上かぁ・・・無理?
2002年12月01日(日) |
ファイナル・ファンタジー |
愚息はプレイステーションを持っていない。ずーっと欲しい欲しいと言いつづけているのだが、手に入れようという努力は全然していない。次々に買うゲームキューブのソフトを1年間我慢すればプレイステーションを買うことができるというのに、全然金を貯めずに、欲しいソフトがあると借金まで申し込むほどである。これじゃ、プレイステーションは手に入りませんぜ。
2000年夏、日本に行った時、ファイナル・ファンタジーIXが発売するとかなんとかで世間の一部が騒いでいた。どうも面白そうなゲームらしいのだが、どういうものかは知らない。私はファミコン・ゲームの類には一切手を出さないのだ。
時は流れ・・・『ファイナル・ファンタジー』という映画もでき、Xも売り出され、もうすぐXIが出るとか出ないとか。つまり、IXはもう皆やり終わっているのである。という状況を利用して、愚息が『ファイナル・ファンタジーIX』をプレイステーションごと友人から借りてきた。感謝祭の4連休中にやってしまおうという魂胆なのであった。
勉強嫌いの愚息とはいえ、平日は宿題やクラブ活動があってゲームをやっている時間はない。そこで感謝祭の休みに、と考えたらしいのだが、感謝祭の日には親戚の家に行かなくてはならないし、休みを利用してバンドの練習もやらなければならないし、と色々あって思ったほどは進まなかったようである。
さて、4連休の間、愚息は昼頃ぬぼ〜っと起きてくる。 愚息「おはよぉ〜」 愚母「おはよ!」 愚息「・・・腹減った」 愚母「ふ〜ん」こんな時間に起きてきたヤツに朝ごはんはない! 愚息「ファイナル・ファンタジー、全然進まない。」起きてすぐの話題がゲームかい? 愚母「昨夜何時に寝たの?」 愚息「う〜ん、1時頃かな?」 愚母「1時!!!」
ゲームに夢中になってるガキが、明日学校が休みだというのに1時に寝るか? 根性ないヤツだなぁ。 だから全然進まないのだ! もっと気合入れてやらんかい!
私はファミコンのスーパーマリオブラザーズを初めてやった時、赤ん坊(愚息)を抱えていたというのに最後まで行くまでは徹夜の毎日だったぞ!
(だから私は現在ゲームには一切手を出さないのである。 私だって体験から学ぶ事もある。)
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